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2009年5月

2009年5月31日 (日)

非正規の人材化・正規の仕事化

玄田有史先生がゲンダラヂオで、標記のような標語をさりげなく示しておられます。

http://www.genda-radio.com/2009/05/post_493.html(2つの「化」)

>昨日、電車に乗っていてこれからの働き方・雇用システムのキーワードとして『非正規の人材化・正規の仕事化』という言葉が、ふと浮かんできた。

これからは、非正規で働く人々が大切な人材としてみなされる社会づくりが大事で、同時に正規の人たちにとっても一人ひとりが大切にされながら一方で仕事としてのある種の割り切りができることも求められているのではないか。

非正規は仕事の内容によって報酬など決められることが多く、反対に正規は属人的な要素が強いのが現状だ。それを180度転換することは困難だけれど、ゆるやかにモードチェンジをすることが必要だし、実際の職場はその方向に動き始めているように思う。

これは、わたしの言葉に置き換えると『非正規のメンバー化、正規のジョブ化』ということですね。それぞれほどほどの。

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人生前半の社会政策としての教育政策

つい先日まで、有害情報やら生活習慣の乱れやらで小中学生に携帯電話を持たせないことに熱中していた教育再生懇談会が、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/houkoku/singi-matome.pdf

5月28日の第4次報告では、突如として

「教育安心社会」の実現-「人生前半の社会保障」の充実を-

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/houkoku/singi-matome4.pdf

と言い出したようです。ようやく教育問題が空中ふわふわ観念論からまっとうな社会政策に移ってきたようで、心から敬意を表したいところです。

基本的視点として、

>○ 国民が安心して生活を送ることができる社会を実現するためには、全ての子供たちが安心して教育を受けることができる社会を構築することが不可欠。

○ 現実には、我が国では教育費(特に就学前と高等教育期)の私費負担が大きく、家庭の所得水準によって進学機会や修学の継続に影響(格差の固定化・再生産)。

○ 我が国の将来の発展や少子化対策のためにも、「人生前半の社会保障」であり、成長に向けての投資である教育の充実を図り、家庭の教育費の負担軽減を図ることが必要。

○ 保護者が安心して地域の学校に通わせ、「読み・書き・計算・英会話」の力を確実に身に付けることができるよう、教育再生を「ビジョン」から「実行」の段階に進め、学校教育への信頼を回復することが必要。

○「教育安心社会」の実現に必要な安定的財源を確保しつつ、社会総がかりで取り組む。

具体的取り組みとしては、まずなによりも「保護者の教育費負担の軽減方策の確立」として、

>・ 幼児教育の無償化の早期実現を目指し、当面、幼稚園就園奨励費の拡充など家庭への経済的支援を充実。

・ 小中学校の児童生徒に対する就学援助を充実し、自治体の財政力によって差が生じないよう、財源措置等の在り方を含め、就学援助の新たな仕組みを検討。

・ 経済的に困難な高校生に対し、授業料減免措置の拡充や奨学金の充実を図るとともに、これらとの関係も含め新たな給付型教育支援制度(高校版就学援助)の創設を検討。

・ 高等教育に対する授業料負担の大幅軽減を目指し、公的支援の拡充を図るとともに、授業料の減免措置を拡充し、給付型奨学金を充実。

後ろのほうに、やや説明的な文章が「審議のまとめ」として載っています。

>しかしながら、現実には、我が国では家庭における教育費の負担は諸外国に比べて重く、特に、公的支援が少ない就学前の時期と高等教育期における教育費の私費負担は極めて大きく、看過できない水準にまで至っている。収入が比較的少ない若い世代にとって、幼稚園や保育所などの就学前教育を受けさせることは、経済的に大きな負担である。また、大学に進学する年代の子供がいる標準的な世帯で、子供二人が同時に大学教育を受けた場合、その費用負担は平均年収から税や公的年金等を除いたうちの約1/3を占めるなど、家庭の負担は限界に達していると言える。

このような状況の中、子育てや教育のために多額の費用がかかることを理由に子供の数を制限する人が多いなど、教育費負担が少子化の要因の一つになっているとともに、家庭の所得水準によって進学機会や修学の継続が左右されてしまうという事態を招いている。

また、公教育への不信が根強い中、家庭の経済状況の差によって、塾や習い事など学校外での学習を受ける機会に差が生じるなど、受ける教育の量や質にも差が生じている。
さらに、義務教育段階では、経済的に困難な家庭に対しては就学奨励を目的とした援助が行われているが、財政状況が厳しい中、地方自治体によって支援の格差が生じており、また、高等学校段階では、こうした修学援助のための支援制度が十分でないため、進学や修学の継続に困難を来しているという状況がある。

一方、文部科学省が実施している全国学力・学習状況調査では、就学援助を受けている児童・生徒の割合の高い学校の方が、その割合が低い学校よりも平均正答率が低い傾向が見られるなど、親の経済的な状況が子供の学力に影響を与えているという状況も生じている。

親世代の経済的な格差が、子世代が受ける教育の格差に結びつき、その結果、格差の固定化・再生産を生み出すという事態を絶対に生じさせないよう、全ての子供たちが家庭の状況にかかわらず、それぞれの意欲と能力に応じて希望を持って教育を受けられる機会をしっかりと確保するため、着実に手を打っていくことが必要である

>次代を担う子供たちの教育は、安心社会の実現のための基盤であると同時に、将来の我が国の成長のための投資である。我が国の社会保障は、諸外国と比べ、高齢者関係の比重が高く、その見直しの議論も高齢化の進展に伴う負担増にどう対応するかが中心になりがちである。しかし、我が国の将来の発展や少子化対策のためにも「人生前半の社会保障」として、また、成長に向けての投資でもある教育の充実を図り、幼児教育期から高等教育期に至るまでの家庭の教育費の負担軽減を図っていくことが、今まさに我が国に求められていることである。「人生前半の社会保障」の充実・強化は、北欧諸国がそうであるように、人生のスタートラインにおける個人の平等に資すると同時に、将来世代の潜在能力を高め、高い国際競争力や経済活力の基盤強化にもつながるものであり、これまでの我が国の成長が教育によって支えられてきたことを、今一度銘記すべきである

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2009年5月30日 (土)

安心と活力が両立する社会の実現に向けて

昨日の経済財政諮問会議に提示された有識者議員の資料です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0529/item1.pdf

まず冒頭の基本方針でこう明言しています。

>わが国では、期間の定めのない正規雇用や公共事業等を通じた地域社会における雇用維持を前提として、そこから漏れる人や高齢者を主たる対象に各種の社会保障制度が構築されてきた。
しかしながら、経済の不確実性増大、グローバル競争の高まりなどを背景とする雇用形態の多様化、地域社会の高齢化、財政状況の悪化等の中で、種々の制度の前提が急速に変化し、「制度と現実のミスマッチ」が生じた。
その結果、格差の固定化に対する懸念や、社会保障制度の「綻び」等の問題が表面化している。
「安心社会」の再構築をわが国の最優先課題として、現状を見据えた制度再設計への取組みを従来にも増して加速していくことが必要である。

安心社会実現会議の認識とも共通するものですね。これを前提に次の5つの基本方針が示されます。

基本方針1 「社会そのものの持続可能性と活力」のために、格差固定化の防止、ひいては、少子化傾向の反転等に向け、次代の日本を担う若者世代・子育て世代の支援・育成を強化していくこと。

基本方針2 意欲ある全ての世代の人々が働ける環境づくり(「雇用の安心」)を「安心と成長」という両輪を回す「主軸」として位置づけること。

基本方針3 分断された社会保障政策及びその関連分野の有機的連携を図り、安心の5つの領域(雇用、医療・介護、年金、少子化、教育)が互いに正の相乗効果を発揮するような施策を講じていくこと。

基本方針4 国民の信頼回復のためにも「社会保障制度の綻び」の修復は、それに要する負担の費用について安定財源を確保することと併せ、最優先で行なっていくこと。

基本方針5 経済状況の好転につれて一時避難的な安心から自立できる安心へと重点を移していくこと

そして、5つの取り組み原則が示されますが、本ブログからすると何より重要なのは第2の取り組み原則です。

>取組原則2 努力するほど報われることが可能となる制度設計・ 失業者に対しては、これまで十分でなかったセーフティネットを拡充しつつ、訓練や就業へのインセンティブを高めるアクティベーション措置を強化すること。

・ 就業者の雇用環境の改善に向け、非正規から正規への転換促進や非正規雇用の待遇格差の是正を進めること。また、労働法制改革についても着実に推進すること。

・ 修学困難な高校生・大学生への支援や公立学校の質の向上を通じて、公平な教育機会を確保すること。

この後の時間軸における施策も、この「安心社会」の考え方にもとづいて記述されています。

こういう発想はもちろん麻生首相や与謝野大臣に親和的であるからこうして出てきているわけでしょうが、用語法などをみていると、安心社会実現会議に参加しておられる宮本太郎先生の影響がかなり強くでているのが感じられます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_8dc6.html(福祉政治)

こういう発想が嫌いな人々が批判するのは当然ですし、まあ勝手にやればいいだけのことですが、ありがちなのは自民党政府のやることには事の当否は別として批判しなければならないという妙な使命感に燃えてこういう考え方を批判しようという人々が出てきかねないことです。

そういうのはまことに不健全かつ非生産的なだけですから、やめといたほうがいいですよ。

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2009年5月29日 (金)

POSSE第4号予告

Hyoshi03 いや、まだ出ていませんよ(左の表紙は第3号です)。

4月のエントリ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/posse-207e.html(POSSE第3号)

で紹介した木下武男さんの「格差論壇分類MAP」についての私のコメントが次の第4号に載る予定です。もう一人、五十嵐仁さんもコメントされるそうです。

乞うご期待ということで。

(話をやたら複雑にしただけかもしれませんが)

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非正社員の能力開発機会を高めるには

JILPTのコラム、今回は原ひろみさんです。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0123.htm

>非正社員の働き方では、正社員とくらべて収入や生活が不安定となりやすいことが問題視されることが多いが、より大きな問題は、相対的に職業能力を身に付ける機会が少ないことにある。

 能力開発の機会に恵まれないことが、なぜ問題なのだろうか。それは、能力開発を行えない状態が続くことで職業能力を高めることができず、キャリア形成に支障をきたし、現在の賃金格差以上に、将来の所得獲得能力の差が大きくなる恐れがあることである。特に、若年層が能力開発機会に恵まれないことは、期待就業年数が長いことから問題がより大きい。さらには、社会全体で能力開発を行えない人の割合が高くなると、一国でみた場合にも人的資本の蓄積が進まないこととなり、日本経済に悪影響が及ぶことが懸念される。

>最近の研究成果から、勤務先が職業能力評価を行い、評価の結果を処遇に反映させている場合に、非正社員がOff-JTを受講する確率が高まることが明らかにされている[*3]。さらに、非正社員にも人的資源管理制度を数多く導入している事業所では、正社員と非正社員の間でのOff-JT受講格差は小さくなる[*4]。よって、人的資源管理制度の導入状況についての企業情報は、就職先を選択する際の指標の1つになるだろう。

このコラムの背景には、もうすぐアップされると思われる原さんの報告書『非正社員の企業内訓練についての分析-『平成18年度能力開発基本調査』の特別集計から-』があります。今の時点ではまだアップされていませんが、ものはできているので、もうすぐアップされるでしょう。

実は、この内容に基づいて書かれているのが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2595.html(終身雇用という幻想を捨てよ)

で取り上げた財団法人総合研究開発機構(NIRA)の「終身雇用という幻想を捨てよ-産業構造変化に合った雇用システムに転換を」と題する研究報告書に収録されている

http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n090427_334.html

http://www.nira.or.jp/pdf/0901hara.pdf

原さんの「非正社員の企業内教育訓練と今後の人材育成―企業横断的な能力開発を実現するためのシステム構築を」という論文です。

このエントリの時には、解雇規制がどうじゃらこうじゃらという話とごっちゃに論じてはまずいので、あえて触れませんでしたが、このテーマはとても重要なテーマですので、是非読まれることを期待したいと思います。

この論文の最後のところで、原さんはこう語っています。

>第2 節から、非正社員に教育訓練を行う企業に対して支援を行うことが、適切な企業内訓練促進手段になること、さらには、訓練人材や訓練ノウハウの情報を蓄積・流通させることも、有効な手立てとなりうることが示された。また、職業能力の評価の実施が企業の非正社員への訓練コストを低下させる可能性が示され、こうした仕組みが、長期的な収益回収期間が見込めず、さらには仕事に対する志向が正社員とくらべて多様である非正社員への人的投資コストを引き下げると考えられる。よって、この結果は、企業横断的にキャリア形成を行う人たちへの能力開発を考える際の、一つの手がかりになるだろう。そこで、最後に本節では、分析結果を参考に、こうした人たちの能力開発を促進するためのその他の対策を検討しよう。
短期的には、既存の制度を活用することが効率的であろう。既存の制度に目を向けると、職業能力についての評価と職業訓練がワンセットになった制度としては、2008 年4 月に
入されたジョブ・カード制度が近いと思われる。ジョブ・カード制度は、就労の実現ととも、
能力開発機会に恵まれない人たちへの人的投資の促進も目指す制度である。求職者、ハローワークやジョブカフェなどで、自身の職業能力やキャリア形成上の課題、就業に対する希望・訓練希望を整理し、キャリア・コンサルタントによるコンサルティングが行われ、さらに訓練への推薦がなされ、企業現場における実習(OJT)と教育訓練機関等における座学(Off-JT)を組みあわせて行う実践的な職業訓練プログラムを受けることができる。実際に雇用されて企業の現場で訓練を受けられることから、企業の外と中をつなぐプログラムといえよう。また、プログラム終了後は実施企業だけでなくキャリア・コンサルタントによって職業能力証明書が出されることになり、客観的な質の担保が行える仕組みとはなっている。
ジョブ・カード制度では、いくつかの業種において関係する職務について評価シートとカリキュラムのモデルが提供されており、かつキャリア・コンサルティングや訓練評価においてはキャリア・コンサルタントを活用でき、また訓練のコーディネートや企業内訓練担当者・評価者のための講習も提供されるなど、評価資源や訓練資源が大企業とくらべて相対的に少ない中小企業にとって、より有効であると思われる。実際、制度導入後間がないため、2008年9 月時点での協力企業は全国で417 社と数は少ないものの、中小企業が約70%を占めている。よって、協力企業を増やすためにも、制度の仕組みやメリットについての情報の周知が求められる。
ただし、このような制度が幅広く普及するには、評価や訓練が通用する範囲を広げなければならず、長期的にみた場合、職種別労働市場の整備が必要であろう15。また、企業の訓練インセンティブを維持していくには、雇用形態に関係なく能力向上に見合うようにより高度な業務に活用していく仕組み作り、つまり正社員も含めて雇用管理のあり方を問い直すことが、将来的には不可欠であろう。
企業内訓練の枠組みから漏れてしまう人たちがこれまでも存在してきたが、今後もそうした人たちがいなくなることはないだろう。本章では、企業内訓練の枠組みにいかにして多くの人を乗せていくかということをメインに考えてきたが、この枠組みに乗れない人たちが能力開発の機会に恵まれるような対策も当然考えていかなければならない。先行研究からも、企業内訓練の受講機会に恵まれない人ほど、自己啓発など自分自身で主体的に行う能力開発も実施しない傾向があることが確認されており、こうした層に目を向けた対策を考えることは、今後ますます重要になってくるだろう。具体的な対策として、小杉(2009)でも指摘されているように、地場産業のニーズを取り込んだり、地域の産業政策と連動させるように教育訓練プログラムを設計し、教育訓練プロバイダーで提供されることが望まれる。さらには、単位認定などを通じて高等教育卒業資格と接続するなど訓練受講者にとって魅力の大きい訓練プログラムの提供が求められるだろう

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安心社会実現会議意見集約素案

昨日開かれた安心社会実現会議の資料です。この方向で報告がまとめられるのでしょうね。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/kaisai/dai04/04gijisidai.html

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/kaisai/dai04/04siryou3.pdf

>こうした中で私たちが目指す安心社会は、まず、「働くことが報われる公正で活力ある社会」である。国民が活き活きと働く機会が保障されることが、社会の活力の根本であり、活力のない社会からは安心は生まれない。安心社会は、決して「いたれり、つくせり」で受け身の安心を誘う社会ではない。国民一人ひとりの、能動的な参加を支える社会である。
またそれは、「
家族や地域で豊かなつながりが育まれる社会」である。人は人とのつながりのなかで安心を感じ、モラルを高め、成長することができる。助け合い、いたわり合い、支え合うコミュニティを持続させていく支援が要る。
国民が安心して働き、生活していくためには、教育・訓練、医療、保育、介護、住宅などの基本的な支えが不可欠である。国民の必要に沿った、質の高い支えをつくりだす上で、国、自治体、民間企業、NPOの連携が求められる。したがって「安心社会」は、「
働き、生活することを共に支え合う社会」である。

スローガンとしては言うことなしですね。

>これは単なる理想の社会像なのではない。21世紀に持続的な経済成長を実現するうえで、まず求められる社会のかたちである。それは、どこか外国のモデルをそのまま移入するものでもない。時代とのずれが明らかな旧い制度を徹底して改革しつつも、日本社会のまとまりをつくってきた安心確保のかたちを、今日にふさわしいかたちで再生させていくための構想である。

このあたりの感覚も実にすばらしい。こういう「地に足のついた理想主義」というのが日本になさ過ぎる。

>今、社会的公正と自由市場経済を新しい次元で統合し、日本型の自由市場経済を構築していくべきである。グローバル時代に見合った新・日本モデルともいうべき、新しい頂が目指されるべきである。それは、官の介入に牽引されるものでも、市場を放任するものでもない。企業と各ステークホルダー(消費者、労働組合、NPO、地域社会)との間での信頼形成とルール創造を基礎とした、節度とモラルのある自由市場経済である。

以下本論に入ります。

まず「雇用をめぐる安心」

>意欲のあるものには働く場があること、能力を発揮する機会があること、すなわち雇用の安心こそが、5つの安心の扇の要であり、安心を活力につなげていく起点である。
日本の活力を生んできた
長期雇用の保障を継承しつつも、雇用を社会全体で支えるかたちを強めていく必要がある。わが国の積極的労働市場政策への支出(GDP比0・3%、2005年)は諸外国に比べて小さい。長期雇用に、中途採用、職業訓練、社会人入学の支援制度などを組み合わせて、一生チャレンジし続けることができる条件づくりを急がねばならない。
失業者や、さまざまな理由で雇用から遠ざかっている人々に対しては、職業能力開発、職業紹介、住宅、生活保護などが相互に連携しながら、社会への迎え入れ(ソーシャル・インクルージョン)を図らなければならない。自治体で質の高いワン・ストップサービスが提供されるように、国は財政的、行政的な支援をするべきである。
真面目に汗を流して働いているのに生活が厳しくなるばかり、ということがあってはならない。
ワーキング・プアと呼ばれる低所得層に対しては、働く見返りを高める仕組みとして、勤労所得に対する給付つき税額控除の導入が求められる。また、非正規労働者への雇用保険、厚生年金、健康保険の適用拡大も必要である。この場合、企業負担の増大に対しては法人税の引き下げなどで調整する。
雇用そのものの維持に不安が拡がる地方では、農業や建設業が、持続可能で環境融和型の仕事(グリーンジョブ)として再生し発展できることが必要である。また、労働力人口が減少する我が国にあっては、今後増加する高齢者が意欲や能力に応じて働くことができるような就労機会を創っていくことが、経済成長の上でも重要である。

給付付き税額控除は子育て支援にもでてきます。

>母子家庭における子どもの貧困率が6割を超えていることは看過できない。人生のスタートラインにおける格差が世代を超えて固定化されることは、日本社会から夢を奪い活力をそぐ。低所得世帯と並んで、子育て世帯に対して給付つき税額控除が導入されるべきである。

教育論も、例の如き空中戦的教育論ではなく、社会政策の観点からしっかりと論じられています。

>将来を担う世代が、様々な変化や困難を乗り越える知識と能力を備えていくことは、安心の源である。教育は、将来に向けたきわめて見返りの大きな投資であり、「国家百年の大計」である。また、機会の均等化をすすめ、個人の努力で階層間の移動を可能にする。しかしながら、日本の公私の教育支出の対GDP比は、4・9%とそれ自体が相対的に低い。さらに私的負担の割合が高く、とくに高等教育の私的負担の支出全体に対する割合は、OECD平均が27%であるのに対して、66・3%となっている。
高等教育では、社会人の学びなおし、生涯学習社会の構築と高等教育との連携、高等教育と雇用をつなげるキャリア・カウンセリングなどの整備をすすめることが、雇用を社会全体で支えていくためにも重要である。
就学前教育は、一生の間さまざまなチャレンジを重ねていく基礎力を形成するものであり、各国でもその効果が指摘されている。生まれ育った家庭における格差を固定化させないためにも、社会保障と教育が交差する領域として、厚労省、文科省の関連組織の一元化を図りながら、財源を確保していく必要がある。

このあたりが麻生首相の最近の発言のもとになっていたみたいですね。

以下、医療、介護ときて、

>以上の5つの安心領域は、雇用を軸として相互に密接に支え合う関係にある。教育の再編による安心強化は、長期雇用を社会全体で支える仕組みにつながり、雇用の安定は老後の安心を高める。雇用の場でワークライフバランスがすすみ、産科、小児科を中心に医療供給が整備されたとき、社会全体での次世代育成に弾みがつく。そして5つの安心領域の交点となる雇用領域で、年齢性別を問わず国民の力が発揮されるとき、安心社会は安定した経済成長の基盤となる。

と、まとめられています。その軸になるのが「雇用」というわけですから、これこそまさに連合の言う「労働を中心とする福祉社会」の構想そのものではないですか。

最後に載っている「取り組むべき優先課題」は、

>・非正規労働者への厚生年金・健康保険・雇用保険適用の拡大
・低所得世帯と並んで子育て世帯、とくに貧困率の高い母子世帯に対する給付つき税額控除の導入
・第二セーフティネット(職業能力開発と一体となった求職者の所得保障)
・高齢者雇用の促進・就労環境の整備
・「安心保障番号制度/カード」(社会保障番号/カード)
・地域医療の再生、とくに二次医療圏における救急体制の整備と当該救急部門のファイナンスの確立
・コミュニティにおける医療・介護連携推進と連動した独居高齢者に対する住宅保障
・就学前教育、育児休業(所得保障)と保育(サービス保障)の総合化
・教育費負担の軽減(給付型奨学金制度の拡充など)
・高等教育における職業適性診断・職業指導(キャリアガイダンス)の制度化など、職業生活移行の支援強化
・改革を着実に遂行するための行政組織の再編・人的資源の再配分

その次に書かれている

>安心社会への改革は、社会保障国民会議で主に打ち出された年金(長寿と老後の安心)、医療・介護、次世代育成の3つの領域に、雇用と教育を加えた5つの領域として示し直された。このことは、必ずしも新たに雇用と教育という2つの領域で改革の重さが増したということにはならない。むしろ、雇用と教育は、他の3つの領域と連携しつつ、安心社会を社会の活性化と経済成長にむすびつける接合点である。

こういうしっかりした哲学的理念に基づいてこそ、省庁再編論議はなされるべきなのでしょう。

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2009年5月28日 (木)

経済セミナー6/7月号

05056 学生向けの経済学学習雑誌『経済セミナー』ですが、最近妙に意欲的ですね・・・。

http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_keisemi.html

>●特集=「雇用」を考える
【対談】労働問題の本質とは-仕事と人格の結びつきを解く 玄田有史+湯浅誠
非正規雇用化のミクロ構造とマクロ的インパクト 脇田成
労働市場における分断と統合-コアとノン・コアという区別を超えて 守島基博
契約理論からみた派遣・非正規労働 安藤至大
雇用保険制度と失業 大森義明
農業の雇用吸収力 山下一仁
◆法学セミナー・経済セミナー特別座談会 Part II
 企業統治の未来を語る-雇用と企業社会[法学と経済学の対話]
  柳川範之+大杉謙一+大内伸哉+大竹文雄

表紙にもなってる玄田・湯浅対談ですが、正直それほど面白くありませんでした。

わたしが興味を惹かれたのは、安藤至大さんの論文です。

>これまでの我が国における働き方・働かせ方は、雇用保障の程度と労働条件の柔軟性の組み合わせという観点からは、短期契約であるが仕事の内容などはあらかじめ定められている形態と、長期雇用であるが職種や勤務地などの労働条件を企業側が一方的に決定することが許される形態との、実質的には二択であることに注目し、契約類型をより多様化することの重要性を考えたい。

という問題意識は、わたくしが繰り返し述べているジョブ型とメンバーシップ型の二者択一という話そのものですね。

ただ、「契約理論」という理論からアプローチする性質上やむを得ない面もあるのですが、歴史的社会的な経緯からそうなっている面が捨象されて、理論的には整合的だけれども現実に合っていないという面もあります。

それが一番現れているのは、なぜ長期雇用が選択されるのかを説明した理由の第1「多くの労働者が長期雇用を望むから」において、長期雇用で低賃金と短期雇用で高賃金という組み合わせで、最適リスク分担の観点からは前者が選ばれるというところでしょう。

経済学的にはまさにそうあるべきですし、そうであればハイリスクハイリターンとローリスクローリターンのどっちをとるかという選好の問題になるわけですが、現実の社会では(一部に例外はありますが)ハイリスクの有期雇用がローリターンで、ローリスクの長期雇用がハイリターンになっているわけで、政策課題もまさにそこが焦点なわけです。これは歴史的社会的ファクターを入れないと説明できません。

だからこの議論が駄目だというのではなく、政策方向としては正しい議論になっているので、経済理論と政策提言をつなぐところに、きちんと歴史的社会的説明がはいるようになることが望ましいという趣旨です。そうでないと、逆に「何を現実離れした観念論を並べているんだ」と思われてしまう危険性があります。

これは、この問題だけではなく、労働問題を始めおよそ経済理論と現実の政策論をつなぐ際に必要とされることだと思います。

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「各省大臣」は一人しか許されない

厚生労働省分割問題ですが、労務屋さんのブログへのコメントで、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090526

>現在施行されている「内閣法(昭和22年法律第5号)」と「国家行政組織法(昭和23年法律第120号)」の2つの法律改正をしない限り、厚生労働省を担任する大臣(厚生労働省を担任する主任の国務大臣)は、厚生労働大臣1人でなければいけないのです。

たとえ、「社会保険担当相」とか「少子化・児童担当相」を創設しても、現行法の枠組みの中では内閣を構成する国務大臣の一人であって、厚生労働省を担任する主任の大臣は厚生労働大臣1人なのです。

との指摘がありました。

具体的には、国家行政組織法第5条第1項で、

(行政機関の長)

第五条  各省の長は、それぞれ各省大臣とし、内閣法(昭和二十二年法律第五号)にいう主任の大臣として、それぞれ行政事務を分担管理する。

と規定されているので、少なくとも「厚生労働大臣」としてその全分野を統括する大臣が一人いなければいけないわけですね。

まあ、日本の行政法は、行政官庁という言葉を一般に認識されるような組織ではなく人を指す言葉として使っているので、厚生労働省というのは厚生労働大臣及びその部下たちという以外の意味はないわけでした。

そうすると、やはり大臣(ミニスター)に対応する省(ミニストリー)は大臣の業務分割に対応して分割する以外にないですね。

問題は、その複数の「省」がより上位のレベルで事実上一つの組織として動けるような枠組みを作れるかでしょうか。

一つは、医療・社会保障・雇用を担当する副総理を置くとか。

しかしそれなら、幼保一元化とか言っていることでもあるし、文部・科学も一緒にする方がいいかも。

医療・社会保障・雇用・教育・科学の5大臣を配下に従える強力な副総理になりますね。むしろ政治的に難しいかな。

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2009年5月27日 (水)

年金を選択する-参加インセンティブから考える

16300 駒村康平編著『年金を選択する-参加インセンティブから考える』(慶應義塾大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

これは、

http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416305/

>国民が納得する公的年金制度のあり方について、研究者と実務家が共同で提言する。
 ①年金財政の持続性、②ライフスタイルへの対応、③適切な給付水準(金額)、という三つの評価基準から現状を客観的に分析し、国民が合意できる制度改革を提示する。
 全労済協会の調査研究活動「参加インセンティブから考える公的年金制度のあり方研究会」の研究成果。

で、目次は次の通りです。

第Ⅰ部 総論
 第1章 年金制度の評価軸と所得保障政策全体から見た現行年金制度の課題
 第2章 労働市場と年金制度
 第3章 公的年金が目指す世代関係論
      ――リスクを考慮しない静的世代会計論の限界と年金制度における世代間のリスク分担機能の重要性
 第4章 年金制度に関する情報と国民の参加
 第5章 私的年金の新しい役割
 第6章 参加インセンティブを高めるために
 第7章 年金制度改革モデル

第Ⅱ部 各論
 第1章 高齢者雇用と年金の接続のための政策課題(山田篤裕)
 第2章 年金制度における世代間のリスク分担と世代間の「公正」(清水信広)
 第3章 年金情報通知による参加インセンティブの向上策(中嶋邦夫)
 第4章 公的年金制度と当事者の参加(嵩さやか)
 第5章 私的年金の方向性と課題――企業年金を中心に(清水信広)
 第6章 個人年金市場の動向と今後の方向性(柳下 伸)
 第7章 将来における高齢者の等価所得分布からみた年金制度改革のあり方
      ――75歳以上高齢者への最低保障年金の導入について(稲垣誠一)

執筆者は次の方々です。

稲垣誠一(財団法人年金シニアプラン総合研究機構審議役)
駒村康平(慶應義塾大学経済学部教授)
清水信広(独立行政法人農業者年金基金数理・情報技術役)
嵩さやか(東北大学法学部准教授)
中嶋邦夫(ニッセイ基礎研究所副主任研究員)
山田篤裕(慶應義塾大学経済学部准教授)
柳下伸(全労済本部共済開発部部長)
西岡秀昌(全労済協会調査研究部部長)

個人的に興味深かったのが、嵩さやか先生の「公的年金制度と当事者の参加」です。

>公的年金制度についても、当事者の「参加」の機会の保障が必要となってくる。

また、当事者の集団的利益を体現し保護する規範そのものを策定する局面でも、当事者の参加の機会の保障は必要である。というのも、社会保険における集団的利益とそのために個々人が負うリスク・負担は必ずしも所与のものではなく、リスク・負担の引き受けはお互いの了解に基づいて相互に為されるべきものであると考えられるため、どのようなリスク分散・所得再分配を機能させるのか、それによりどのような集団的利益を形成するのかなどについては、当事者による民主的決定が直接的・間接的に保障されている必要があるのである。

これは、労働政策についてはまさにそのままですが、社会保障政策についても本質的には同様だと思います。これは、とりわけ公的年金について、それが「集団的利益」に関わるものであり、「民主的」に決定されるべきものという原点が忘れられがちなだけに重要です。

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フレクシキュリティ

判ってる人も判ってない人も、口々に語る・・・割にあんまり(あるいは全然)理解されてない概念の典型が「フレクシキュリティ」でしょうか。

国会図書館が発行している『レファレンス』誌の5月号(700号目だそうです)に、この3月で退職された柳沢房子さんの『フレクシキュリティ-EU社会政策の現在』が掲載されています。

EUのフレクシキュリティ政策の解説の間に、デンマークのフレクシキュリティとオランダのフレクシキュリティについての大変詳しい解説が入っていて、OECDのセコハン情報だけで知ったかぶったかしているのが多い日本では、とても貴重な論文です。

はじめに

I EUによるフレキシキュリティ政策の採用                    

1 リスボン戦略の決定
2 リスボン戦略の見直し - 積極的労働市場政策重視へ
3 フレキシキュリティ政策の採用

II デンマークのフレキシキュリティ政策                      

1 失業者への所得保障政策
2 生涯教育政策
3 積極的労働市場政策
4 労働法政策
5 まとめ

III オランダのフレキシキュリティ政策                      

1 失業者への所得保障政策
2 生涯教育政策
3 積極的労働市場政策
4 労働法政策
5 まとめ

IV EUでのフレキシキュリティ政策実施の現状                   

1 失業者への所得保障政策
2 生涯教育政策
3 積極的労働市場政策
4 労働法政策
5 まとめ

おわりに

最後のところで、こう語っているのは肉声でしょう。

>同じく「フレキシキュリティ」のモデル国でも、デンマークとオランダの政策形成は異なっている。ただし、両国に共通しているのは、戦後の成長期に豊かな福祉の基盤を形成したこと、その後、未曾有の財政・雇用危機に直面した時期に、政労使が協力して、単なる対症療法ではない抜本的な政策転換を果たしたこと、現在は、教育・職業訓練をはじめとする社会政策を通じてグローバリゼーションに対応してゆける「人」を育てることに重点を置いていることである。また、そうした政策を選択し、政策の行財政にかかわっているのは、自分にとってより良い生活を選択することを教育の中で学ぶ個人と、それらの個々人が労使団体や地域などでさまざまに連帯した組織である。

わが国も、グローバリゼーションに対応でき、かつ、わが国のあり方に合った有効で長期的な構造改革を、危機にあってこそ考えるべきであろう。また、そうした改革に向けて考え、政策選択してゆける個々の「人」を支える社会政策こそが、わが国が学ぶべきフレキシキュリティ政策の核心であると思われる

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厚労省を分割すべき正当な理由

労務屋さんも、厚労省分割論を取り上げておられます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090526案外本気?厚労省分割

全体としてはやや否定的なニュアンスのようですが、そこに引用されている連合の長谷川裕子さんの発言が、実はこの問題の一番本質的なところを衝いているので、引用します。

>連合の長谷川さんの主張は「厚労省の扱う行政範囲が広すぎる。国会審議では、注目の集まる年金や医療など厚生分野の議論はたくさんの時間を確保できている。一方、労働分野の審議時間は少なくなっている」というものでしたが、審議時間の確保はそれはそれでやればいいわけで、そのために厚労省を分割するというのには若干の違和感があります。まあ、現実問題としてはそうなのでしょうが…。

これが、2001年に厚生と労働が統合してから、労働法制の大きな改正が4年に1度しかできなくなった最大の理由なんですね。今年は年金の年、今年は医療の年、今年は介護の年という調子でやってると、なかなか労働法制を持ち出せない。そこで4年の1度の機会に労働基準法、労働契約法、労働者派遣法、パート労働法、エトセトラ、エトセトラをことごとくぶち込むということになり、それでも社会保険庁騒ぎが勃発すると、そのあおりで審議は動かなくなる・・・・・・というのが2000年代の実態であったわけです。

まあ、もちろん、舛添大臣の超多忙を解消するには役所を分割しなくても大臣を2,3人おけばいいというのと同じで、国会の審議も、医療に週2日、社会保障に週2日、労働に週2日、それぞれ担当の大臣が出るという風にすればいいわけですが、まあ、なかなかそれも難しいのでしょう。

ただ、この問題は、大臣の業務量にせよ、国会審議にせよ、一種のボトルネック問題なのですから、それを解消するにはどういうやり方が一番いいか、という観点から議論すべきだと言うことが、念頭に置くべきことでしょう。

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2009年5月25日 (月)

ぼやき

そりゃね、もっぱら公務員数の大小だけで「大きな政府」「小さな政府」を測るんなら、「小さな政府」で「大きな福祉」ってのはじゅうぶんありうるよ。

だけど、たとえば予算額の大小で「大きな政府」「小さな政府」を測るんなら。「大きな福祉」即「大きな政府」、「小さな福祉」即「小さな政府」でしょ。

そうじゃないというためには、いや家族(具体的には嫁さん)が面倒見るんだという70年代の日本型福祉社会論にいくのか、それとも崇高なるボランティアさんたちが労働の対価も求めずに身を挺してくださるというのか、いずれにしても市場経済原理とは激しく反する代物を大量に持ち込む必要があるわけで。

実行部隊が公務員じゃなくて民間人だというのは、労働基本権があるという点では大きな違いだけど、給料の出所が社会保険料を含む広い意味での税金であるという点では何の変わりもないわけで。

まあ、「公共」を叩くことと「福祉」を持ち上げることをくっつけることで、俗情的には一番ウケル議論になることだけは間違いないわけだけど。

そういうのが未だに「ウケ」てるということが、日本の絶望のもとでもあるんだが。

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2009年5月24日 (日)

学生をかえせ(笑)

sociologbookさんのブログに、標記のエントリがありまして、本ブログではすでにいやというくらい論じ尽くされた話題ですが、

http://sociologbook.net/log/200905.html#eid404

>いよいよ4回生は就活たけなわで、なかなかゼミも全員揃わない。一生がかかっていると言ってはいいすぎだが、まあ少なくとも今後数年の生活はかかっているので、みんなとにかく頑張れよ。3回生の特に女子のなかにはもう就活にびびって病んでいる気の早い奴がいて、毎年まいとし学生も大変だな。

ところで、ゼミに全員揃わない、ということについて、むかしから、企業の人事担当者さんたちが大学教育をどう思っているんだろう、と不思議に思っている。できれば説明会とか面接は土日か夜間にやってほしいんだけど、と思っていて、そしてそれはそれほどわがままな主張ではないと思っているのだが。平日の昼間にされると、学生はゼミや講義を休まざるをえないのだ。これはいったい、どうなってるのか。会社のひとたちはどう思ってるんだろうか。

どう思ってる、って、そんなの決まっているわけで。

>このあたりから考えると、別に大学教育なんか何やっててもよい、もっといえば、しなくてもよい、ということになる。世間に名の通った偏差値の高い大学の卒業資格さえ得ていれば、その中でスポーツしかやっていなくてもよい。教育は企業がやるから。

ほんとうにそうか、と思う。企業が教育機能までぜんぶやってくれるなら、全員高卒でよいだろう。


正確に言うと、大学に入学できた高卒ね。

>大学で何も教えてないかというと、まったくそんなことはない。当たり前の話だが、大学で教えているのは、特定の学問の「まねごとのまねごと」ぐらいのレベルのもんで、東大や京大なら別なんだろうが、普通の大学の経済学部で経済を学んだからといって就職したあとに直接それが何かの役に立つとかいうことはない。

大学で何を教えているかというと、ある種の「性向」「ハビトゥス」である。社会に出たあるいは会社に入ったときにすぐに役に立つ知識は、あたりまえだがほとんどがその会社のローカルな文脈でしか役に立たないので、社会に出たあるいは会社に入ったときにしか得ることができない。かわりに大学は、学生たちに、情報の集め方や分析の仕方、まとめ方、プレゼンのやり方なんかを公式のカリキュラムのなかで教えてるし、非公式のカリキュラム(ようするに「空気」みたいなものだな)によって、人との付き合いかたや、コミュニケーションのとりかた、あるいは「テスト前になるととつぜん友だちになる」みたいな、「人の利用のしかた」(笑)まで教えているのだ。

こういう知識やスキル以前の「態度」みたいなものは、いうまでもないが、それ自体として教えこむことはできないので、社会学部なり経済学部なりの具体的なディシプリンの学習を通じて一般的なハビトゥスを身につけることになる。特定のスポーツをせずに「一般的なスポーツマンなるもの」になれるかどうかを考えればわかるだろう。

大学は大学なりにがんばってやってます。

ははあ、教えている学問の内容は役に立たないけれど、「人間力」を身につけさせています、と。あるいは「官能」とでも言いましょうか。

それこそ、それが経済学である必要もなければ社会学である必要もないのであれば、仰るような「人間力」がある学生を採用するために、ゼミや講義を休まざるを得なくなったからと言って、「どう思ってる」も糞もないわけでしょう。

ゼミや講義を休むことが致命的であると説得するためには、それが「人間力」や「官能」のための手段ではなく、その具体的なディシプリンに意味があると説得しないといけないでしょう。

ま、しかし現在の状況下において、大学の先生としてはこういうものの言い方しかしようがないのもまた確かなのでしょうね。

このあたり、最近も小塩隆士氏が「戦後日本における人材育成:失敗の構図と改革の方向」という論文の中で論じておられます。

http://www.murc.jp/report/quarterly/200902/03.pdf

本ブログにおけるレリバンス論の経緯は、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/vs_3880.html(爆問学問 本田由紀 vs 太田光)

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フランスも若者が仕事につけるようにもっとやるべきだ

42782970cover_france 昨年12月、OECDは日本に対して「日本は若者が安定した仕事につけるよう、もっとやれることがある」と説教したわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-ce0b.html

今度はフランスに対しても似たようなことを言ってます。

http://www.oecd.org/document/59/0,3343,en_2649_201185_42806203_1_1_1_1,00.html(France should prioritise the employment of disadvantaged young people)

>France should do more to ease the transition of unskilled young people into employment. The government should give priority to helping young people the furthest removed from the job market and to strengthening the social protection of the most disadvantaged, according to a new report by the OECD.

フランスは技能のない若者が仕事に移行するのを容易にするためにもっとやるべきだ。政府は労働市場からかけ離れてしまった若者を助け、彼らへの社会保障を強化すべきだ。

>“The short-term priority is to introduce measures that target the young people most at risk. I am delighted that President Sarkozy launched an emergency plan for youth employment at the end of April that focused on apprenticeships. It is now that action needs to be taken otherwise the young people entering the labour market in 2009, those who will make up the 2009 generation, run a great risk of becoming a lost generation. It is equally important to tackle the more structural labour market problems affecting the transition from school to work”, declared the Secretary-General of the OECD, Mr. Angel Gurría, at the presentation of the report in Paris.

当面やるべきは一番リスクの高い若者に焦点を絞った対策だ。サルコジ大統領が4月に徒弟制に焦点をあてた若者のための緊急対策を打ち出したのは喜ばしい。ここで行動しなければ、2009年世代はロストジェネレーションになるだろう。また、学校から仕事へというより構造的な問題にも取り組むことも重要だ。

OECDの具体的な勧告を見ていくと、興味深い項目もあります。たとえば、

>introduce mandatory internships at undergraduatelevel in universities. The introduction of mandatory  internships during the three years of an undergraduate degree course should systematically include the award of credits in study curricula, as is the case in selective courses.

大学の学部レベルで義務的なインターンシップを導入せよ、という勧告です。

>introduce a safety net for the most disadvantaged young people under 25 years of age and make it part of a rigorous activation policy. Consideration should ultimately be given to extending the Active solidarity income (RSA) to young people under 25 years of age.

25歳未満の不利益を被っている若者に厳格なアクティベーション付きのセーフティネットを導入せよ、と。

ま、いろんな意味で参考になります。

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2009年5月23日 (土)

意地悪な質問?

32249653 『日本を変える「知」』(光文社)に、本田由紀先生が「教育・労働・家族をめぐる問題」という講義録を寄せています。

http://synodos.livedoor.biz/archives/715122.html

いつものテーマですが、都立普通科高校の3分化とか、若い世代ほど「いい大学」が「いい仕事」に結びつくとか、生々しいデータが繰り出されていて、このために買って読む値打ちはあります。

このへん、かつて本田先生がまだブログを閉じていなかったころ、本ブログや平家さんのブログなどをまたがって論じられたテーマでもありますね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

大変わかりやすく語っておられると思うのですが、この本の「売り」であるらしい「クロスインタビュー」にいささか的はずれな質問がありました。飯田泰之氏が、本田先生に対して、こういう質問をぶつけています。

>個人主義的な社会への移行に伴う諸問題に対してしばしば提唱されるのが共同体への回帰です。しかし、固定的な共同体の中で生き、認められることには高度なコミュニケーション能力が必要なように感じられます。結局のところ、個人主義社会と共同体社会の違いは評価軸、要される能力が異なるだけで非中核メンバーにとっての「生きづらさ」にはなんら変わりはないのではないでしょうか?

これに対して、本田先生は、

>そりゃその通りだろうと思います。・・・

としか言えないでしょうねえ。・・・以下は本書でお読みください。

ところが、飯田氏はこれを「結構意地悪な質問をしたつもりだったんですが,見事に切り返されているのでご笑覧いただければ幸いです」と、あたかも本田先生の痛いところに切り込んだら切り返されたという風に理解しているようなのです。

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090522

正直言って、この本の関係で一番びっくりしたのは、実はこの部分でした。どうも飯田氏は、本田先生が山のようなデータを繰り出して言いたかったことは、畢竟するところ、「共同体に回帰しよう」ということだと理解しているようなのです。市場原理に反対してああだこうだとよく分からないことを唱えているようだから、たぶんこいつは個人主義に反対で共同体バンザイにちがいない、と。そうでなければ、上のような質問を「結構意地悪な質問」などと自己認識はしないでしょうから。

もちろん、これを飯田氏の個人的な認識枠組みの問題ととらえることもできますが、私はもう少し深刻にとらえています。

つまり、飯田氏のように「経済学っぽい考え方の欠如が日本をダメにする」と語りたがる人々が陥りがちな二者択一図式的発想が、ここに典型的に現れているように思われます。

講義の最後のところで、例のハーシュマンの「ボイス」と「エグジット」が出てくるのですが、たぶん、飯田氏的な人々にとっては、

エグジット:市場:個人主義

ボイス:組織:共同体主義

という二者択一図式が牢固としてあって、「あ、こいつはエグジットじゃダメだと言ってる。てことは、共同体バンザイに違いない」という風に頭が起動して、「そういうけど、共同体だって生きづらいでしょ」と「結構意地悪な質問」をぶつけたということなのではないかと想像されます。

わたくしとしては、こういうふうに物事をゼロか百かの二者択一図式で割り切って、ゼロじゃないから百だね、というたぐいの考え方が、言い換えれば現実に根ざした中庸の欠如が日本をダメにするんじゃないの?と言ってみたくなることもあります。

ハーシュマン自身が述べているように、エグジットが保障されてこそ気兼ねなくボイスを発せられるわけで、共同体のプレッシャーが強くかかればかかるほどボイスも機能不全に陥ります。労働現場における「ボイス」をどうすれば強化できるかといったリアルな世界に関わると、そういうことはある意味で感覚的に当たり前なのですが、やはりそこが切り離されていると、二者択一図式で割り切れてしまうのでしょうか。

(追記)

>うぅ~ん.「意地悪な質問」っていうのは「答えられない質問」ではなくて「上手な(読者にとって自説の理解に資する+面白くてわかりやすい)返しが難しい質問」という意味なんだけどなぁ.

普通の日本語では、そういうのは「グッドクエスチョン」とはいっても、「意地悪な質問」とは言わないでしょう。「意地悪」というのは相手に対して意地が悪いということですから。

それに、どう見ても飯田氏の質問がそういう意味での「グッドクエスチョン」になっているとは見えませんね。「自説」という言葉の意味が不分明ですが、もし「本田説」という意味であれば、いかなる意味でも本田説の理解に資するどころか、それを混乱させるものですし、面白くもわかりやすくもない。本田先生も、自説の急所をついてくれたとうれしそうに「グッドクエスチョン」というどころか、

>>そりゃその通りだろうと思います。・・・

とやや呆れ気味の応答のようです。一方、もし「自説」が飯田説(というか飯田氏の頭の中の二者択一構造)を意味するのであれば、まさに飯田説の理解に資するものですが、そんなものを本田先生にぶつけるのはいささか筋違いであるように見えます。

まあ、3法則氏も人を罵りながらひそかにスタンスをシフトするという技を使っていますので、飯田氏が「意地悪なつもりで出した質問じゃなかったんだ」と後解説することはよく理解できます。

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幸福実現党

産経によると、

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090520/stt0905202027013-n1.htm

>宗教法人「幸福の科学」(東京、大川隆法総裁)は20日、次期衆院選への候補者擁立を目指して政治団体「幸福実現党」を設立することを決め、25日に都内で記者会見すると発表した。

ということです。

すでに、はてぶでは山のようなぶくまがついているようですが、もちろんそういう問題もありますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090520/stt0905202027013-n1.htm

わたくし個人的には、どういう経済政策、労働政策をとるおつもりなのか、気になります。

かつて本ブログで紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_8643.html(集団カルト経済学)

>「格差社会」は悪ではない。むしろ、今後、日本が繁栄していくためには「努力が報われる社会」としての格差社会を肯定すべきだ―。
「金持ち=ズル」「大企業=悪」「地価上昇=バブル」という社会主義の呪縛から、日本人を解き放ち、真の経済大国へと導く注目の書。

第一章 格差社会は本当に悪なのか

第二章 貧困の克服は国家の役割なのか

第三章 いつまでデフレ問題で騒ぐのか

・・・・・・・・

からすると、近年旗色の悪い市場原理主義の突撃部隊になるということなのでしょうか。

このエントリのコメント欄にあるように、福井秀夫氏もこの宗教団体の応援団の一角におられるようなので、最近とみに勢いの失われた労働規制緩和を再活性化するつもりなのかも知れませんね。

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2009年5月22日 (金)

安心保障政策の具体化と安定財源の確保に向けて

昨日の経済財政諮問会議では、19日に引き続いて、安心実現集中審議:その3-安心保障政策の具体化が議論されました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0521/interview.html

そこに提出された有識者委員のペーパーですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0521/item2.pdf

安心保障政策の具体化として、特に、

>(4)雇用を軸とした安心保障政策群のうち、子育て・低所得就業者への給付付き税額控除については、税制抜本改革に向け、年度内に具体的制度設計の論点・方向性を提示すべきである。

と述べているのに加え、

>(5)幼児教育については、「幼保制度の一元化」さらには「厚労省と文科省の関連組織の一本化」とあわせて、何よりもサービスの質の向上・効率化・総合化を目指すべきである。幼児教育の無償化については、これらとともに「必要となる財源の確保方策」もあわせて総合的に検討すべきである。

(6)修学困難な高校生・大学生への公平な教育機会の確保やすまい・まちづくりに連動した単身高齢者支援についても、税制抜本改革にあわせて、歳出歳入両面の改革により必要な財源を確保した上で実現すべきである。

と教育費問題がクローズアップされてきていることが注目です。

これは、私に言わせれば、教育とはまず何よりも社会問題であり、教育政策とはまず何よりも社会政策である、という根本に立ち返って教育を考えようという趣旨と理解すべきでしょう。

残念ながら戦後60年間、教育政策の主導権は、教育を社会政策ではなく、何か別の喧嘩の代理戦争と考える人々の手にあったようなのですが。

マスコミで注目されているのは、その次の「施策の裏づけとなる安定的財源の確保」のところですね。

確かに、

>・ 格差の是正・固定化防止の政策で、少子化対策に含まれる重要政策については、財源のあり方を含め、中期プログラムの枠内での確立・制度化を検討する

・ その他の雇用を軸とした安心保障政策等については、税制抜本改革や歳出歳入改革の中で、そのための所要財源を確保する

という表現には、いろいろと想像力をかきたてるものがあります。

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労働の出前授業広がる

本日の朝日新聞生活面に、標記の記事が載っています。ネット上にはありません。

昨年8月から厚労省の「今後の労働関係法制度をめぐる教育のあり方に関する研究会」で議論を重ね、今年2月に報告書にとりまとめられたテーマですが、研究会で取り上げた北海道と静岡のNPOではなく、京都府で社労士の方々がやっている出前授業がメインの記事です。

「近頃の若者」がいかにソーシャルな発想に対する否定的な環境で育っているかがよく分かるこんな一節も。

>失業手当の説明で、生徒から「働かないのにお金がもらえるなんてせこい」と声が上がった。講師の社労士は「もし君のお父さんがけがで仕事を辞めなければいけなくなったら?社会保険はみんなにも大事な制度なんです」と説明した。

こういう活動は手弁当なんです。

>ほぼ手弁当で取り組むNPOや社労士会側には、講師役となる人材育成や、継続できる仕組み作りなどの課題がある。

厚労省も、報告書を出しただけではなく、フォローアップの動きも。

>厚労省は、授業で使える教材や教師向けの指導マニュアル作りなど、環境作りに本腰を入れる姿勢だ。

研究会で座長をされた佐藤博樹先生は、

>人材不足については、例えば社労士全員が少なくとも1年に1回数時間だけボランティアをするなど、無理なく続けられる方法を考えるべきだ。

と語っています。

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2009年5月20日 (水)

山田久『雇用再生』

Emp0905 労務屋さんはかなり毛嫌いしておられるようなんですが、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?と思っています。日本総研の山田久氏の『雇用再生』(日本経済新聞社)は、少なくとも大きな方向付けとしては間違っていないと思いますよ。

日本総研のHPに著者メッセージが載っています。

http://www.jri.co.jp/thinktank/research/book/emp-0905.html

>規制緩和や構造改革路線そのものが必ずしも間違っていたわけではありません。ただし、そこに「公平性」や「保障性」といった社会システムの安定の観点が欠落していた点に問題があったと考えられます。そうした見方に立って、本書では、市場原理に則った産業構造転換は進めるべきとしつつ、非正規労働者のための安全網の整備や職業訓練システムの再構築、正規・非正規の壁を低くする労働市場の新しい仕組みの創設等、採るべき政策についてできる限り包括的・具体的に提案を行っています。

私の論文や講演録をHPからかなり多く引用していただいているから言うのではありませんが、EU型モデルにかなりシンパシーを持っていただいているようですね。これはこれでうれしいことです。

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非典型雇用の拡大と労働生産性

みずほ総研の大嶋寧子さんから『みずほ総研論集』2009年2号をお送りいただきました。その中に、彼女の「非典型雇用の拡大と労働生産性-諸外国の経験に見る日本の検証課題」が収録されています。これは、みずほ総研のHPにもアップされています。

http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/argument/mron0905-1.pdf

>特に、非典型雇用の労働者が、労働者の人的資本形成の遅れにつながりやすい点については議論が一致している。また、非典型雇用の活用が、企業のイノベーションや研究開発に負の影響を及ぼすことを指摘する研究も近年蓄積されている。

>日本の場合、非典型雇用が雇用者全体に占める割合の高さ、非典型雇用の能力形成の機会が不足しており、典型雇用への移行が難しいことなどから、労働生産性への負の影響が大きなものとなる懸念がある。

これはすごい力作です。ぜひ、プリントアウトして読んでみてください。

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厚生労働省分割!

今朝の新聞に大きく出ている厚生労働省分割ですが、昨日の経済財政諮問会議後の与謝野大臣の記者会見録に詳しく載っています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0519/interview.html

>総理から厚労省の仕事の切り分け、すなわち組織の分割、幼保一元化は与謝野大臣が案を出してくれという御指示がございました。

>私からは、そういう総理の御指示を受けて、ピンポイントで厚労省分割と幼保一元化の問題をやらせていただきますと。行革を全体としてやり、省庁全体に広げるのは議論に時間がかかるので、まずは厚労省の問題に取り組むということにさせていただきたいということで、出席者全員から御異論はございませんでした。
 また、私から幼保一元化については、各大臣は覚悟を決めてほしいと。総理から御指示があった案については、案を官邸と御相談しながら作成して、諮問会議として議論を進めたいということを申し上げたわけでございます。
 総理からございました御発言は、安心社会実現会議で厚労省分割の話があったと。自分からは少子化とかそういう問題を一緒に、仮の名前だけれども、国民生活省として束ねたらどうかと、そのときは発言したと。タイミングとしては今が決断の時期であると。大きな変革の時期でもあるし、また若者への支援を立て直すということも必要な時期に来ていると、こういう御発言がございました。

これを受けて質疑応答で、

(問)今、大臣からもお話のありました厚労省の分割についてのことですけれども、これは大臣としてはいつごろその考えをまとめるおつもりなのかということと、あと先般の安心実現会議では、大きく社会保障に関する省と、国民の安心・安心にかかわる国民福祉でしょうか、の省に分けるというような考え方が総理から出ましたけれども、大臣としては現時点ではどういった分割のあり方が望ましいのかということについては何かございますでしょうか。

(答)具体的には、私は諮問会議担当大臣でありますが、行革担当大臣は甘利大臣がおられますので、官邸と御相談しながらというのは、官房長官が甘利大臣と御相談くださると、それで官房長官に全体の取りまとめをやっていただくということですけれども、案自体は早急につくらなければならないと。そう簡単に案ができるわけではありませんけれども、1案はなるべく早急につくりたいと思っております。幼保一元化は、国民的な御要望も多分背景にありますので、いろいろな難しい問題はあるでしょうけれども、それは乗り越えて、麻生内閣としてやり遂げられたら非常にいい仕事になるのではないかと私は思っております。

(問)麻生総理の示された厚労省の分割に関する、2つに分割するという案についてですけれども、基本的にこれに沿って検討を進められていくのかということについてはいかがでしょうか。

(答)当然、総理の御意向に沿って、基本的な部分は考えていくということが仕事の方向でございます。

(問)厚労省の分割についてですが、舛添大臣を初め、関係する方から具体的な発言、どういった反応があったか、もうちょっと詳しく伺いたいんですけれども。

(答)舛添大臣からは、ナースプラクティショナーについては御発言はありましたが、組織の問題については御発言はございませんでした。

(問)どなたも反対、賛成、意見的なこともなかったんですか、総理がそういうことをおっしゃったことに関して。

(答)全体の空気はやるべきだという空気だったと思います。

(問)厚生労働省の分割の件なんですが、もともと厚生省と労働省という別々のものを一緒にしたと思うんですが、それを再び分けなければいけないというところの理由を、改めて大臣の口から教えていただきたいなというのと、あともう1個、消費税の社会保障目的税化というのを今後考えていると思うんですが、そういったものと今回の分割というのは何かリンクするんでしょうかという2点、教えてもらえればと思うんですが。

(答)2点目はリンクしない。 1点目は、もうごらんのとおり、予算の規模で二十数兆円、業務範囲の分野は雇用問題から医療、年金、介護、その他の福祉制度、国民衛生に関する全般的な業務等々多岐にわたっていて、もともと自民党のほうから1人の大臣では守備範囲が広過ぎるという声もありましたし、議論としては必然性を持っているのではないかなという気もします。

(問)大臣としても分割すべきだという御意見ということでしょうか。

(答)舛添大臣の御苦労は大変なもので、今日は年金、明日は医療、明日は雇用問題、今までよくぞ1人でやってこられたと思うくらいでございまして、別に組織の改革、舛添さんのためにやるのではないんですが、全体の国民生活を守るためには、少子化問題なんかもそういう役所に吸収してというのは総理のお考えのようなので、総理のお考えに沿ってどこまで案がつくれるか、官邸と御相談しながら、やるだけやってみたいと思っております。

(問)重ねての質問で恐縮ですが、厚労省の分割問題ですけれども、どれぐらいのタイムスケジュールで物事を進めるというイメージを持っていらっしゃるのかというのをお聞かせ願えませんか。麻生内閣で仕事ができれば立派な仕事になるという言い方を今大臣はされましたけれども、総選挙が確実にあるというタイムスケジュールがあり、法案をつくって通すというタイムスケジュール等々を考えると、どれぐらいの時期にどういう作業をどういう手順で進めていくんだという点をお教え願えれば。

(答)この記者会見が終わったら早速考えようと思っていたところです。

(問)まだ具体的には今の時点ではタイムフレームはないという。

(答)別にあらかじめタイムフレームを考えながら会議に行ったわけではなくて、会議に行ったら、そういう指示が私に突然おりてきたと、こういうことでございます。

(問)ちょっと確認ですが、先ほど少子化問題も吸収してという発言があったと思うんですが、一応改革といいますか、分割の範囲としては、厚労省と内閣府を含む厚生労働関係の分割案というふうにとらえていいのかという点と、あと今行革という流れの中で、職員数というのはこれ以上増やすのはなかなか厳しいという現状があると思うんですが、職員数自体は変えないという方向なのかという2点を教えてください。

(答)少子化の問題というのは、やっぱり教育の問題もありますし、社会保障の問題もありますし、単独で存在するわけではないということが1つ。それから、公務員の定員については、既に政府の行革の方針で削減する計画がちゃんとできていますので、公務員の数はそれに従ってどの分野であれやっていくということでございます。

(問)厚労省の分割案の件なんですけれども、総選挙が8月までにある中、当面の諮問会議とそれ以降のアウトプットのやり方、「骨太」ですとか、党のマニフェストとか、そういったところ、どういったところでアウトプットを出していくのかということをお考えかということが1つと、あと幼保一元化についても、これは厚労省と文科省に分かれているという面が大きいと思うんですが、その辺の幼保一元化についても省庁再編というものは不可避とお考えかということです。 もう一つ確認ですが、甘利大臣、官房長官から、御担当だと思うんですが、特に発言はありませんでしたでしょうか。

(答)今いかづちのように下りてきた指示なので、お答えできるだけまだいろいろ物事を考えている暇がないので、現時点では申しわけないですけれども、確たるお答えをする資格がないし、物の考え方もまとまっていないというのが現状でございます。

まあ、今の内閣は与謝野大臣と舛添大臣でほとんど大部分をやり、残りの大臣たちでその他残りの仕事をしているという感じなので、「今までよくぞ1人でやってこられた」というのはまさにその通りなのでしょうが、大臣の仕事の分割(すなわち分業)の問題と、政府の組織をどのように構築するかは一応別の問題として考えた方がいいのではないか、という気もします。

厚生労働省という質的にも量的にも大変な業務を抱える省に、医療担当、社会保障担当、労働担当と、国務大臣が3人くらいいてもいいのではないか。逆に、仕事がほとんどなさそうな国務大臣もいるわけで、そこは、総理大臣の国務大臣に対する職務命令の問題ですよね。

現在は、それを副大臣でこなそうとしているわけですが、やはり世の中には「格」の問題があって、「大臣を出せ」症候群というのはあるわけです。重要な問題にはそれにふさわしい「偉さ」の大臣がそれぞれに対応できるようにするには、大臣間の業務量が均衡化するように配分する必要はあると思います。

ただ、それと組織をどうするかは別ではないかと。分割しても間接部門が増えるだけ無駄ですし。そもそも「ウェルフェア・トゥ・ワーク」が課題の時代に、再びウェルフェアとワークを分けるのはいかがなものかと思います。ただ、内閣府のあり方は再考する必要はあるように思います。

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本日の経済財政諮問会議

本日夕方6時から開かれた経済財政諮問会議は盛りだくさんの内容です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0519/agenda.html

現時点ではまだ与謝野大臣の記者会見録がアップされていませんが、配付資料はすべてアップされており、それを見るとなかなか興味深い論点がいっぱいあります。

(1) 規制・制度改革

  1. 規制・制度改革について
  2. 高度人材の受入について

(2) 安心実現集中審議:その2-「安心」と「活力」を両立させる具体策

以下、有識者委員のペーパーを見ていきましょう。

まず「規制・制度改革」ですが(いつのまにまた言葉が微修正されたんでしょうね)、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0519/item1.pdf(各府省をまたがる規制・制度改革の推進に向けて)

最初に「地方による責任ある制度改革の推進」とか出てきて、はあ、ですが、その次が「人材や施設・サービスが不足している分野の規制・制度改革」で、こう述べています。

>成長力の根幹は人材にある。経済危機後の大構造調整に柔軟に対応できる人材を供給し、また世界から取り込んでいく必要がある。
また、少子高齢化の中で潜在的な需要が大きい医療・介護・保育サービスの分野での供給拡大に向けた規制・制度改革、さらには、相互交流や創発を目指した海外からの高度人材の集積促進等が重要課題である。
○医療・介護・子育て分野等、専門職間の役割分担の見直し(高度専門的な看護師(例えば、NP(ナースプラクティショナー)やCNS(専門看護師))の活用とそれに応じた診療報酬体系上の手当てに取り組むべき)
○介護・保育分野における職業能力評価制度の導入
○高齢化が急速に進む首都圏自治体等における介護施設等の整備促進
○外国高度人材誘致に向けた優遇制度の創設

外国高度人材の話はこの次の論点でもありますが、ここの「少子高齢化の中で潜在的な需要が大きい医療・介護・保育サービスの分野での供給拡大に向けた規制・制度改革」というのは大変重要な論点です。いうまでもなく、ここでいう「規制・制度改革」とは、規制をなくせばなくすほどあら不思議どんどこ労働供給が湧いてくるという魔法の話ではありません。

介護・保育分野における職業能力評価制度の導入」とか、もしかしてこれ、キャリアラダーの話を読んで持ってきたかな?という感じもします。いずれにせよ、こういう方向性がこれからの「規制・制度改革」であるとするならば、それはむしろ望ましく応援すべき方向性でしょう。

>来年3月までの規制改革会議の後継組織について、今後、具体的な検討を行う必要がある。

一部には規制改革会議を潰せという議論もあるようですが、いや正しい「規制・制度改革」を進めることはいいことなんですよ。

次が、本ブログでも何回か取り上げてきている外国高度人材

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0519/item5.pdf(外国高度人材誘致戦略の策定・実行を)

>外国高度人材の世界的な獲得競争に乗り遅れないよう、内閣として誘致戦略を企画・策定する推進組織を早急に設置し、国家戦略として推進するよう、総理のリーダーシップ発揮をお願いしたい。

とか、

>在留資格に関する優遇措置の創設*は、高度人材を重視した制度運営の明確化、透明性の確保の面でも極めて重要である。

とかは、まさに高度人材の問題で、先進国共通に取り組んでいる課題であるわけですが、そのすぐあとの

>景気回復後の日本経済は、人口減少が本格化する中で、ものづくり分野や介護分野などを中心に、業種・職種によっては、国内人材だけでは人手不足問題が深刻化する恐れがある。
法務省、厚生労働省など関係各省においては、将来を見据えた議論を行う場を早急に設け、検討を今のうちから精力的に行っていく必要がある。

これは、いかなる意味でも「高度」人材のはなしではないですね。いや、もちろん、人手不足対策をどうするかという議論は必要ですし、外国人の導入をいちがいにタブー視すべきでもないと思います。冷静な議論をすべきでしょう。ただ、何回も言ってることですが、人手不足対策の問題を「高度人材」という看板のもとでこそこそやるのは良くないと思いますよ。もっと、素直に正直ベースで議論した方がいいと思います。

最後に、これは今朝の新聞でも結構大きく取り上げられていた話題ですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0519/item6.pdf(「安心」と「活力」を両立させる生活安全保障の確立に向けて)

>「安心」と「活力」が両立する社会は、“健全な自助努力が尊重され、努力するほど報われる”ことが基礎となる社会である。この考え方に立ち、「雇用」を軸とした安心保障政策を構築し、あわせて、単身高齢者支援など、社会保障のほころびを是正するための政策方針を提案する。なお、必要な財源は、税制抜本改革に併せて確保すべきである。

いやあ、まずこの総論がいい。「「雇用」を軸とした安心保障政策」というのは、連合の「労働を中心とする福祉社会」とも響き合って、ディーセントなワークフェアという方向性を示しています。

>1.雇用を軸とした「安心保障政策群」の再構築

高度成長期には、年功序列的賃金体系の下、特に、大企業を中心に、若年者への人材投資と中高年世代への「後払い式」所得配分が図られてきた。しかしながら、企業を巡る環境条件が変化し(競争や不確実性の増大)、雇用形態が多様化する中で、若年世代に対する人材投資が低下し、同時に雇用の不安定性が増している。「公」が役割を果たすことにより、多様で柔軟な労働市場の構築と若年世代への人材投資の抜本的強化を両立していかなければ、日本経済の未来は開けない。

この総論も適切な方向。企業が応分の責任を負うのは当然としても、すべてを背負わせるやり方ではもたない。それを公的な責任に少しずつシフトしていかなければならない。

>(1)経済危機の荒波を昀も受けている「非正規等の失業者」

これまで十分でなかったセーフティネットを高めつつ、訓練や就業へのインセンティブを高めるアクティベーション措置(失業者を積極的に労働市場に戻す措置)を強化する。また、非正規から正規への転換促進や非正規雇用の待遇格差の是正を進める。さらに、労働法制改革についても着実に推進することが重要である。

セーフティネットの拡充とアクティベーション。なんだか私が書いてきたことがそのままはいってきているような・・・。

>(2)働けど働けど暮らしが楽に成らない「子育て・低所得の就業者」

就業や子育てを前提に、「働いても生活がよくならない」世帯について、格差の固定化や少子化を改善するような支援が重要である

ここで、今朝の新聞にも出ていた「子育て・低所得就業者など、ターゲットを絞った負担軽減の仕組みの検討(税制抜本改革の中で検討することとなっている給付付き税額控除等を含む」が出てくるわけです。

>(3)子育てと就業が両立しない「子育て家庭」

就業支援及び少子化対策の両面から、子育て支援対策を抜本的に強化する必要がある

>(4)「修学困難な高校生・大学生」

親の所得等によって修学できないことで生まれる格差を放置することは、希望喪失社会につながる。努力によって自己実現が可能となるよう、公立学校の質を向上させて公平な教育機会を確保することはもとより、負担を軽減する必要がある

この問題も、最近クローズアップされてきていますね。

なんだか、最近『月刊自治研』に書いた拙稿「労働市場における統合と排除」と、あまりにも問題意識が共通なので、かえってとまどうくらいです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jichikenhaijo.html

まあ、今の日本、ごく一部の奇矯の人々を除けば、まっとうに物事を考える人々が考えることはだいたい似通ってくるのかも知れません。空虚な政治的対立を煽るより、大事なことに着実に取り組むことが何より重要なのでしょう。

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2009年5月19日 (火)

やっぱり無知蒙昧

いやはや、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ff86cfa0ac298e764adacc2d32d8fee2(コメント欄)

>天下り学者が反論のつもりで、私の記事の

<労働基準法を改正して、あらためて解雇自由の原則を明確にし、その適用除外条件を具体的に明記すべきだ>

という文を引用しているが、これがどうして「正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならない」という意味になるのかね。

なるんだよ、おじさん。「解雇自由」という言葉はね。

>逆に私はここで、「正当な理由」を適用除外条件として明記すべきだと書いているのです。

「正当な理由を適用除外条件として明記」という意味がよくわかりかねますが、これが、「正当が理由があれば、そして正当な理由がある場合に限り、解雇することができる」という意味であれば、それは民法の解雇自由の原則とはまったく反するものであり、かつ現行労働契約法に規定する解雇権濫用法理の考え方とほとんど同じものといえます。

>彼は「解雇自由」という言葉をオレ流に解釈して、

いやいや、オレ流の権化にここまで言われるとはね。

上の論理は、論理的にあり得る3つの選択肢

(1)正当な理由があってもなくても解雇できる(解雇自由)

(2)正当な理由があれば解雇できるがなければ解雇できない(解雇規制)

(3) 正当な理由があってもなくても解雇できない(解雇禁止)

の(2)に属するというしか言いようがないのですが、3法則氏はそれを「解雇自由」だと呼ぶという。

いや、用語法は3法則氏独自であっても、他のすべての方々の用法と厳密に翻訳可能であればそれでいいのですが、一方では、(1)に属する民法の原則を「解雇自由」だという。

>民法627条では

<当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる>

と解雇自由の原則を明記しています。

ここは判っているようですね。そう、民法は解雇自由の原則を明記しています。正当な理由の有無を問わず、いつでも解約の申し入れをすることができるのです。

(やや高度な注釈)この点、「いつでも」を時間的な意味のみであると解釈し、民法は必ずしも解雇自由を規定していないという少数説がありますが、多数説は「いつでも」を「どんな理由でも(理由の如何を問わず)」と解釈するのが普通です。

>この原則が判例の積み重ねで曖昧になったため、2003年の労働基準法の改正のとき「解雇自由」を明記する方針でしたが、労組などの反対で「正当事由」が入って、かえって解雇規制が強化されてしまった。これはOECDも批判していることです。

ちょっと、正直言って、これには呆れてものがいえない。事実を軽侮するにもほどがある。余りにもひどいので、ここにこうして晒しておきます。誰もこういう人に味方についてもらいたいとは思わなくなるでしょうね。

こういう無知蒙昧を晒した上で、

>私がいっているのは、この民法の原則に立ち返れという当たり前の話です。この場合の主要な問題は、企業の業績が悪化した場合の「整理解雇」であり、就業規則違反などによる「普通解雇」や犯罪による「懲戒解雇」とは別の概念です

いやあ、民法の解雇自由原則が、整理解雇の話であって、普通解雇や懲戒解雇とは別の概念だというのは、民法学、労働法学その他ありとあらゆる学問分野をことごとく渉猟してみても、おそらくこの3法則氏の発言をもって嚆矢とするでしょうね。

それがまったく新たな学問分野の幕開けであるのか、それとも変なおじさんのたわごとであるのか、まあ、わたくし如きがここで言うべきことではありませんが。

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高度成長前夜の大工場労働者と労働市場

東京大学社会科学研究所のリサーチペーパーとして、菅山真次さんの「「高度成長前夜の大工場労働者と労働市場―「京浜工業地帯調査(従業員個人調査)」(1951年)の再分析―」」がアップされています。

http://ssjda.iss.u-tokyo.ac.jp/rps/RPS043.pdf

これは、兵藤・氏原の日本型雇用システムの成立を第1次大戦後の1920年代に求める考え方に対し、その大衆レベルへの普及期を1950年代とする説を、その氏原ら当時の社研グループが実施した調査の再分析によって示そうとする力作です。

兵藤・氏原理論も、大衆的普及期が戦後であることを否定しているわけではないのですが、本論文の注目点は、50年代初めという時点で、熟練工はなお職種別労働市場の中にいたのに対し、プロセスワーカーはすでに企業の内部労働市場の中にあったことを明確に示した点でしょう。

>このような分析結果は,スタンダードな労働経済学の理論が想定するところとぴったり一致している.一般に,銘柄が明確で,個々人の仕事の範囲がはっきりと定義される職種では,外部労働市場の力が発揮されやすく,労働者のキャリアは複数の企業にまたがって横断的に形成されるのが通例である.それに対して,巨大な設備や組織と協業する性格が強い職種では,内部昇進制が発達しやすく,労働者のキャリアは一企業の内部に封鎖化される傾向をもつ.

この内部労働市場が職種を超えて広がっていくのが50年代であり、若者が学校卒業とともに就職するのが当たり前になっていく時期でもあるという意味では、日本がジョブ社会としての性格を最終的に失い、メンバーシップ社会に純化していった時代であったと言うこともできるかも知れません。

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「整理解雇」の新解釈

労務屋さんのところのコメントで、平家さんが興味深い解釈を披露しておられます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090515#p1

>こんばんわ。池田先生の主張は次のように考えると整合的なのではないでしょうか?
「使い物にならない」(中高年)労働者を解雇して整理することは「整理解雇」に含まれる。

ふむ、「ノンワーキングリッチ」を「整理」するんだから「整理解雇」だ、と。

いわゆる一つの日本語としてはありうる用語法ではありますね。

労務屋さんは、

>なるほど、池田先生はそのように考えている可能性もありますね。だとしたら、先生にはもう少し労働法を知っていただかないと…。

とコメントされていますが、それよりも、もしそういう用語法を採用するのであれば、かつて国際大学グローバルコミュニケーションセンターの経営者が、当該センターで就労していた労働者を、「使い物にならない」と見なして「整理」しようとしたのであれば「整理解雇」になるんじゃなかろうか、と。

いや、もちろん、本件の事実関係については、池田氏の一方的陳述に過ぎず、当時GLOCOMにいた会津泉氏が、「事実無根で悪意に満ちた誹謗と中傷ばかり」と、切り込み隊長氏のブログで発言していることを付記しておきます。本エントリは事実関係についていかなる特定の解釈をも主張しようとするものではありません。

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2009年5月18日 (月)

雇用の常識「本当に見えるウソ」

03117251_3 雇用の常識「本当に見えるウソ」 (海老原 嗣生

最後のところに、

識者はこう見る〈2〉黒白2つの労働市場をグレイのハイブリッドに 本田由紀

という2ページほどのコラムがあります。

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第3回安心社会実現会議

官邸で開催されている安心社会実現会議ですが、先週15日に開催された第3回会議に提示された「これまでの議論を踏まえた論点の整理(案)」というのがアップされています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ansin_jitugen/kaisai/dai03/03siryou1.pdf

まことに正しい診断と適切な処方箋が書かれていて、こういうのをちゃんと読んでいるかどうかが政治家を測るいい物差しじゃないかとも思いますが、まあそれはともかく、まず国民の不安についての分析。

>2 国民の不安の背景にある社会経済の大きな変化
(1) 「戦後日本の安心社会=雇用と家族を軸とした生活保障」のゆらぎ
① 安定雇用重視の雇用慣行・地方への配慮(公共事業など)・中小企業対策
国民すべてが「中流意識」を持つことのできた社会、それを支えてきた「公平な所得分配」と「右肩上がりの高度成長」
② 安定した地域社会・企業・家族
国民すべてが「安心感―帰属意識」を持つことのできた社会構造
→これまで社会の安心を支えてきた諸前提が、社会経済の進展の過程で大きく変化
(2) 世界経済の大転換(グローバル化)と「構造改革」
・ 持続的経済成長を実現するための「構造改革」―規制緩和・小さい政府・市場重視・競争重視・効率性重視
→世界経済の変化は不可避の趨勢であり、この間の一連の「構造改革」は日本にとって必要な改革だったが、同時に「構造改革」は日本型安心社会を支えてきた様々な前提にも大きな変化をもたらした。
・企業行動の変化(株主重視の強まり)
・雇用の流動化・雇用形態の多様化(非正規労働者の増大、雇用の不安定化)
・地域経済の変化(公共事業縮小・規制緩和)
→他方、積み残された課題や構造改革に伴って生じた新たな課題も顕在化
・高齢化の一層の進行、歯止めのかからない少子化、地域の弱体化、家族の
小規模化(核家族化・単身世帯(高齢単身世帯・非婚世帯)や単親世帯の増大)による家族機能の縮小
・格差・貧困問題の顕在化とそれによって醸成される社会の不公平感・不公正感の増大
(3) 社会の不安定化(日本社会の一体性のゆらぎ―「社会統合」の危機)
・ 社会の様々な局面で「格差」「分裂」「排除」が拡大していく兆候(「競争」の負の側面)
・グローバル経済化に取り残される地域・企業(産業)
・地域や家族から孤立し、将来を見通すこともできない個人(独居高齢者・若年非正規労働者・結婚しない(できない)若者)
・階層の固定化・世襲化の進行、スタートラインの平等の喪失、「希望格差」
→社会の連帯感、他者への信頼、相互扶助意識といった「社会を支える基底意識」に翳り

そして、どういう社会を目指すか。

>Ⅱ 目指すべき「国家像」「社会の姿」について
現代は社会経済の大転換期。国民と国家がともに手を携え、社会の不安定化・分裂を回避し、「安心と活力」の好循環を通じた、新しい時代にふさわしい「新しい日本型安心社会」を構築することが必要ではないか。
1 「成長と安心」 安心と成長の同時実現、安心と活力の両立
世界への貢献―共生を通じた自らの発展・成長、
2 「信頼」 安心の基礎となる政府と国民との信頼関係、国民相互の信頼関係=「社会的信頼関係」の回復、「社会契約」としての安心社会の実現
3 「切れ目のない安心」 全世代・全生涯を通じた「切れ目のない安心」の実現、特に現役世代(人生前半期)の安心―雇用を軸とした安心保障―の実現
「リスクをカバーするセーフティネット」から「人への投資を重視した能力発揮・自己実現の支援」へ
4 「公正な社会」 社会の一体性の維持・社会的公正の実現、格差の固定化・世襲化の防止、「努力が報いられる社会・一生チャレンジできる社会―複線の人生設計を可能にする社会―」の実現、社会参加・社会貢献の積極的評価
5 「次世代の支援」 少子化対策・次世代育成支援対策の抜本的強化、未来への安心(社会全体の持続可能性)を高める取り組みの強化
6 「新たな「公」の創造」 「公」の役割の再構築・再定義、分権化と多元化、多様な主体による新たな「公」の創造、小さい政府から機能する政府へ国民の社会参加の効果的な保障と役割・責任の分担
7 「地域・家族の支援」 地域(コミュニティ)や家族の変容・多様化に対応した支援策の再構築、「住まい」や「まちづくり」をも含めた支援
8 「国民へのメッセージ」 中福祉・中負担の大きな設計図・見取り図と具体的政策の優先順位の提示、ライフステージに沿った具体的な「安心」の提示
安心社会実現に向けての国(政府)、自治体、企業、地域、家族、個人それぞれの参加、責任と役割の分担

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偽装請負は本当にいけないのか?

Category_17_photo これまた、昨日の学会で報告するはずだった中身とほぼ同じことを、去る3月に派遣・請負会社のためのサポートセンターというNPO法人主催の講演会で喋り、その一部が「製造派遣・生産請負業界専門誌」である『ものづくりサービス』(労働新聞社)という雑誌の5月号に掲載されております。

http://www.rodo.co.jp/periodical/monozukuri/

>派遣労働の日雇い派遣原則禁止を建議した労働者派遣法改正案。改めて更なる規制強化(製造業派遣への禁止など)の声がとり沙汰されている。NPO法人、派遣・請負会社のためのサポートセンターでは、派遣法改正について現実を見据えた冷静な議論が進む事を期待し、その一助として、各界から講師を招き勉強会を行っている。今回は労働政策研究・研修機構統括研究員、濱口桂一郎氏が派遣法や請負について、過去の経緯や、本当に必要な議論とは何なのかを明らかにした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/monodukuri.html

冒頭、いきなり「偽装請負は本当にいけないのか? 」と問いかけております。

講演録ですので読みやすいと思います。

ちなみにこの雑誌、昨年の8月に創刊され、この5月号が通算5号。編集長の由比藤準治さんというお名前にご記憶はありませんか。

静岡県で高校生向けに労働法教育を行っているNPO法人「人財フォーラム」の代表をしておられる方なんですね。

厚労省が昨年から開催した「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」でお呼びしてお話を伺ったこともあります。

http://www-bm.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/s1003-10.html

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2009年5月17日 (日)

キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角

東洋経済オンラインに「キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角」という大変興味深い記事が載っています。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/523d7307d7465dc8c5293f541b6a0e3c/

本日報告するはずだった「偽装請負」問題を、問題の本質にさかのぼって考えるのではなく、表層的な議論でばかり済ませてきたことの一つの帰結がここに見られます。

>「他社の工場からキヤノンに来て感じたのはクリーンルームの汚さ。驚くほど、とは言わないが、前の工場と比べるとギャップを感じる」

>なぜ、こんな非常識が放置されているのか。それはクリーンルームの内部が、キヤノンにとって“治外法権”になっているためだ。

 請負契約は業務委託元の会社(キヤノン)が現場の請負会社に所属している作業者に直接指示、命令を行えない業務契約だ。仮に直接の指示を行えば偽装請負となり、労働者派遣法違反となる。そのため、キヤノン社員は、作業者を統括する請負会社の管理者に指示を出し、そこから現場の作業者に指示が流れることになる。

>事件は安岐事業所のカメラ組み立て工程で発生した。請負会社の作業者が火気厳禁の作業場でライターを使用したところ、揮発性の溶剤に引火。火は一気に燃え広がった。

>この事件に関しキヤノンは「ボヤがあったことは認識している。請負会社の管理、指導が甘かったために起きた事件だ。ただ、こうしたことが起こったからといって、契約上キヤノン側がボディチェックを行ったり、持ち物検査をすることはできない。請負会社の自主的な管理に任せるほかはない」(広報部)と、業務請負契約に構造的に生じる管理の限界を認めている。

わたしはかつて、偽装請負問題が燃えさかっていた一昨年の秋、『世界』誌に載せた論文で、このキヤノンの社長であり、日本経団連の会長でもある御手洗冨士夫氏が経済財政諮問会議で発言した言葉を引いて、問題の攻め方が間違っていると説いたのですが、その声に耳を傾ける向きはほとんどありませんでした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbang.html(『世界』11月号「労働ビッグバンを解読する」)

>まずは、経済財政諮問会議で日本経団連の御手洗会長が「受け入れた先で指揮命令してはいけないというが、仕事を教えてはいけないというのは請負法制に無理がある」と発言し、偽装請負を正当化するものとバッシングを受けた問題から考えよう。なぜ偽装請負が悪くて労働者派遣なら良いのだろうか。派遣も請負も不安定な間接雇用であるという点では変わらない。偽装請負はけしからんから適正な派遣にせよと主張することで、労働者本人にいかなるメリットがあるのだろうか。彼らの常用雇用化を主張するのであれば首尾一貫するが、それを義務づける根拠規定はない。確かに「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準を定める告示」を前提とすると、うかつに接触して「指示」したととられないように、請負労働者との接触は控えた方が賢明ということになる。ところが2005年の労働安全衛生法改正によって、こと安全衛生に関する事項については積極的に接触することが望ましいということになっている。同じ職場に働く労働者として、仕事に関わることそれ以外のこと含めて、関係を深めていきたいと考えるのは自然なことである。

 そもそも戦前の工場法は、労働者派遣事業の前身たる労務供給請負であってもそれ以外の事業請負であっても、すべて工場主に使用者責任を負わせていた*4。派遣でない請負であれば使用者責任がないなどというのは、戦後労働者供給事業を全面禁止したために生じた事態である。そのために、御手洗会長が指摘するような「矛盾」が生じている。この「矛盾」は、しかしながら、本来労働法規制によって規制されるべき請負がなんら規制されていないという事実から生じていることを見落としてはなるまい。御手洗会長は「請負法制に無理がある」というが、むしろ請負法制が存在しないことが「無理」なのである。請負労働の問題は偽装請負を非難して労働者派遣に放り込めば解決するわけではない。むしろ戦前のように請負であっても受入れ事業者に使用者責任を負わせることによってのみ解決することができるはずである

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本日労働法学会で配付予定だった資料

本日ミニシンポで報告する予定だった「請負・労働者供給・労働者派遣の再検討」の資料です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/117hamaguti.html

学会のHPに掲載されていますが、ID番号とパスワードが必要なので、学会員以外の方も読めるように、私の分は私のHPに掲載しておきます。

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2009年5月16日 (土)

労働法学会大会中止

2009年5月17日(日)に開催が予定されていました日本労働法学会第117回大会は、神戸市内における新型インフルエンザ発生にともなう当局からの開催自粛要請に基づき、中止となりました。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/

偽装請負・違法派遣・労働者供給のミニシンポも、わたくしの報告もなくなりました。

(追記)

労働弁護士の水口さんの「夜明け前の独り言」ブログでも、この中止の件が書かれていますが、なにやらトンデモな情報が流れているような。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/05/post-9b50.html(労働法学会中止!)

>【蛇足】

この件につき、ある弁護士は、「労働法学会中止は、偽装請負などを課題とするシンポがあったので、当局の弾圧じゃないか」と主張しています。(たぶん、ジョークだと思う)。

いや、そのシンポで報告する一人がわたしだったんですけど。当局から弾圧を受けるほど偉くなったとは知りませんでした(苦笑)。

私の主張は、偽装請負がけしからんというけれど、そもそも請負と労供・派遣は区別しがたい、登録型派遣は労供そのものだが、そもそも労供が悪という前提自体を見直すべき、やくざ型労働ボスの排除が目的であって、弊害のない労供を正面から認めるべき、むしろ労組労供をモデルに三者間労務供給関係を整理し直すべき、等々という非常にドラスティックな説ですので、当局よりも労働弁護士の皆さんが怒り狂うかも知れませんが。

それにしても、昼過ぎに東京を出て、夕方神戸について、ホテルにチェックインしてビールを飲み出したところで、「中止」の連絡を受けて、泊まっても仕方がないので、また東京にとんぼ返り。B4版8枚のかなり分厚い資料を200部抱えて行ったり来たりは疲れました。

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2009年5月15日 (金)

視点・論点 「雇用と生活のセーフティネット」

去る4月23日にNHK教育テレビ(夜10時50分から)で放送された標記番組におけるわたくしのスクリプトがNHKの解説委員室ブログにアップされています。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/19565.html#more

この番組で喋るのも、昨年から始めてもう3回目になりました。しかし、誰かとやりとりするのではなく、10分間一人で喋りっぱなしというのも結構緊張するものです。あとから映像を見ると、時間を気にして視線が泳いでいるのが分かって、あれあれという感じです。まあ、でもいい経験ですけどね。

>昨年来の金融危機の中で、派遣労働者をはじめとする多くの非正規労働者が解雇や雇い止めにより失業に直面し、そのかなりの人々が雇用保険を受給することができないことが明らかになり、改めて雇用と生活のセーフティネットに関する議論が巻き起こりました。

 本来、失業した時のセーフティネットとして用意されているのは、雇用保険の失業給付です。先進諸国にはいずれも失業保険制度がありますが、労使の保険料拠出による社会保険制度という性格から、受給資格として一定の就労期間が必要ですし、給付日数にも限度があります。そのため、受給期間が過ぎても就職できない人や、そもそも就労日数が足りないため受給資格のない人がどうしても発生します。そこで、ドイツ、フランス、イギリスなど多くの先進国では、一般会計、つまり税金を財源にした失業扶助制度が設けられています。もちろん、どの先進国にも日本の生活保護に相当する一般的な公的扶助制度は存在しているのですが、仕事を探している失業者である限りは、そこに行く前にハローワークの窓口で失業扶助を受給する仕組みになっているのです。

 これまで日本では、こういった失業扶助制度にはほとんど関心が寄せられませんでしたが、年末年始の派遣村に流れ込んだ人々が、その後生活保護を申請して受給するに至る姿が全国に放映され、このままでいいのかという問題意識を呼び起こしました。労働組合の連合は以前から、雇用保険と生活保護の間のセーフティネットとして、職業訓練受講を要件とする就労・生活支援給付制度を要求していましたし、経営側の日本経団連も今年2月に発表した「日本版ニューディールの推進を求める」の中で、職業訓練の受講を条件とした生活保障のための給付を求めました。こういった動きを受けて、野党の民主党は求職者支援法案を国会に提出し、自由民主党の雇用・生活調査会も「さらなる緊急雇用対策に関する提言」の中で、生活保障のための受講給付金の支給を提起しました。そして、去る4月10日、政府・与党は「経済危機対策」で、緊急人材育成・就職支援基金を設けて、訓練・生活支援給付を支給することを決定し、今国会に提出される補正予算案に盛り込まれることになっています。

 こういった動きは望ましいものであり、とりわけ緊急対策としては必要不可欠であることは確かですが、中長期の制度設計のあり方としては、いくつか考えておくべきポイントがあります。以下、順を追ってお話ししていきましょう。

 まず、現行の雇用保険制度自体の適用範囲の問題です。拠出制である以上、拠出期間が足りずにこぼれ落ちる可能性があるのは当然ですが、日本の場合、パートタイム労働者や派遣労働者には雇用保険への適用要件として1年以上の雇用見込みが求められ、ここではずれると、結果的に更新を繰り返して受給資格が得られたはずの人も受給できなくなってしまいます。これは、「臨時内職的に雇用される者、例えば家庭の婦女子、アルバイト学生」を「失業する恐れがない」という理由で適用除外した取扱いを受け継いでいますが、今日の非正規労働者のかなりの部分が家計補助のためというよりは生計維持のために働くようになっていることを考えると、いささか時代に合わなくなりつつあるように思われます。

 去る3月末の雇用保険法改正に併せて、業務運営要領上における非正規労働者への適用要件を1年の雇用見込みから6か月の雇用見込みに短縮することとされました。しかし、本来、別に制度がある日雇い労働者や季節労働者でない限り、有期労働者にも雇用保険を適用するのが法の趣旨です。また、適用を広げても給付要件を緩和するのでなければモラルハザードの恐れはないことからも、非正規労働者へも原則適用とすべきでしょう。拡大されて困るのは、家計補助的にパート就労しているため失業してもまったく困らず、そのために余計な雇用保険料を払いたくない人々やその使用者でしょうが、派遣切りされて路頭に迷う人々とどちらの利益を優先させるべきかが問われているわけです。

 雇用保険の適用がされていないために、失業した非正規労働者をはじめから一般会計による失業扶助制度で救うということは、本来非正規労働者の失業というリスクを生じさせたことに対して、雇用保険料という形で負担すべき企業が、その負担を免れて国民の税金に依存するということを意味します。これは、負担の公平という観点から見ても、見直す必要があるのではないでしょうか。ちなみに労災保険はどんな働き方をしていてもすべて適用されますし、使用者が保険料を払っていなかったとしても、被災労働者にはちゃんと支給され、使用者から未払いの保険料を取り立てます。同じ労働保険なのですから、同じ扱いにしてもいいように思われます

 さて、それでも受給資格のないまま失業する人は生じますし、給付期間が過ぎても就職できない人も少なくありません。この人々の生活を保障する制度は、これまで生活保護しかありませんでした。しかし、法律上は無差別平等で支給することとされていますが、実際には就労可能な人の流入を福祉事務所の窓口で規制し、ほかにどうしようもない人ばかりを入れてきました。このため、いったん生活保護を受給するとなかなかそこから脱却することができず、長期受給者ばかりになってしまいました。逆に、生活保護に入れてしまうとなかなか出て行かないということを前提にすると、就労可能な人をうかつに入れないという現場の判断には合理性があるということになります。

 法の趣旨からすれば、就労可能な人に対しても生活保護を支給するとともに、再就職して生活保護から脱却していけるように支援していく必要があります。しかしごく最近になるまで、生活保護受給者に対する就労支援はほとんど行われてきませんでした。ようやく2005年度から、福祉事務所とハローワークの連携による就労支援活動がされるようになっています。これは通達に基づく運用に過ぎませんが、全国知事会と全国市長会の「新たなセーフティネット検討会」や経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会は、働ける世代に対して就労支援を伴う5年限定の生活保護制度を提唱しています。これは、生活保護制度の一部を事実上失業扶助制度にしようとするものといえるでしょう

 このように、雇用保険法や生活保護法という既存の制度をより適切に運用したり、改正したりすることによって、必ずしも失業扶助という新たな制度を作らなくても、こぼれ落ちることのないセーフティネットを構築することは不可能ではありません。実際、ヨーロッパでもオランダやデンマークのように、失業扶助制度のない国も結構あります。ただ、ヨーロッパから学ぶべきはむしろ、失業扶助であれ公的扶助であれ、単に生活保障のためにお金を渡しているだけではいけないという考え方が高まってきたことでしょう。それではいつまでも失業や無業状態から脱却できない、むしろ職業訓練や職場経験をさせることによって積極的に再就職に向けて引っ張っていかなければならないという考え方です。

 ワークフェアとかアクティベーションと呼ばれるこの観点からすると、今回創設される訓練受講期間中の生活保障制度は、まさにはじめからアクティベーションが組み込まれた仕組みと評価することができます。雇用保険であれば、訓練延長給付として最大2年間、職業訓練受講中の生活保障がされる制度があります。先にも述べたように、雇用保険の適用を最大限拡大することにより、できるだけ多くの失業者がこの拠出制の枠組みで再就職に向けた職業訓練を安心して受けられるようにすることがまず第一の課題です。その上で、そこからこぼれ落ちる人々に対してどういうアクティベーション型のセーフティネットを構築していくべきか。今回の訓練・生活支援給付が恒久的な制度ではなく、3年間の期限付きであることをむしろいい機会と考えて、これからの雇用と生活のセーフティネットのあり方を総合的に考えていくことが求められます。

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地方の若者の就業行動と移行過程

労働政策研究・研修機構の誇るスター研究者といえば小杉礼子さんにとどめを刺すわけですが、彼女の研究グループの最新の研究成果がアップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2009/0108.htm

執筆メンバーは

浅川 和幸    北海道大学大学院教育学研究院,教育社会発展論分野 准教授

小杉 礼子    労働政策研究・研修機構 統括研究員

堀 有喜衣    労働政策研究・研修機構 副主任研究員

平山 正巳    雇用・能力開発機構長野センター

上野 隆幸    松本大学総合経営学部 准教授

です。

>本報告書は、当機構の5年にわたるプロジェクト研究「新たな経済社会における能力開発・キャリア形成支援のあり方に関する研究」のサブテーマである「キャリア形成弱者の実態と支援に関する調査研究」の2年目の成果にあたります。

「キャリア形成弱者の実態と支援に関する調査研究」においては、キャリア形成をするうえで困難を抱えている(抱える可能性がある)人々は誰であるのか、そこにはどんな課題があり、どのような支援が求められるのかという観点から研究を進めています。

こうした問題意識から、平成19年度には労働政策研究報告書No.97『「日本的高卒就職システム」の変容と模索』をとりまとめ、発表したところです。

平成20年度では、地方の若者層の教育から職業への移行に着目し、北海道(札幌・釧路)、長野(長野市・諏訪地域)を事例として、過去の東京都の調査を活用しながら調査研究を取りまとめました。

本研究では特定の地域を事例として取り上げてはいますが、各地域の事例研究にとどまるものではありません。事例は様々な指標をもとに慎重に選ばれたモデルケースです。日本に住む様々な地域の人々が、本報告書で示した事例のどれかに自らの地域をなぞらえることができることを意図しています。

350ページに達する膨大な報告書ですが、読み始めたらやめられない面白さ、そして読後のじわりと広がってくる問題意識。まさに小杉グループの研究の醍醐味が味わえます。

私は先に読ませていただいて、大変感動して、次のようなコメントをしました。本ブログの読者の皆様がどうお感じになるか、興味があります。

>とかく全国一律ないし東京基準で語られがちな若者の教育から職業への移行過程について、北海道と長野県という産業構造において対照的な両典型を東京と比較することにより、その違いを浮かび上がらせている

>それぞれの地域につき、フリーターを含めた職業キャリアの展開過程の分析を中心に据えつつ、マクロな産業構造の違い、教育システムの違いから、若者の意識や社会関係のあり方まで広く目配りされている

>若者の雇用問題が日本の中で多様であり、とりわけ産業構造や教育システムのあり方が若者の就業行動に大きな影響を及ぼしていることを、大変説得的に実証。この発見は、労働政策にとどまらず広範な分野に対してきわめて有益な意義を有している

>若者の教育から職業への移行対策において、地域特性を踏まえた形で政策展開すべきことが明らかとなり、これまでの政策論議の水準を大きく超える複眼的な若者政策の樹立に貢献するもの

>短期的には、「地域雇用開発」一本槍の地域雇用政策の見直しの必要性、すなわち地域移動支援による雇用機会確保の必要性が明らかになった

>中長期的には、地域の教育・職業能力開発体制の再編成の必要性が明らかになった

>近年読んだ中でもっとも鮮烈な印象を与えた研究報告である。

本人の学歴や親の豊かさが正社員になるか非正規になるかをかなり左右する東京を中心において、大卒者でも非正規になりやすい北海道の若者と、高卒者でも正社員になりやすい長野県の若者の対照性を見事に浮き彫りにしている

ある種の読者はここから「脱工業化の社会的帰結」を読み取るかも知れない。古くさいまでに「モダン」な長野県の若者と、経済的基盤を欠いたまま「ポストモダン」化した北海道の若者の姿の対比は、労働政策を超えた議論の素材に値する。

分量が大変多いのでそのままでは難しいが、狭い労働政策関係のサークルを超えた知識社会の共有財産として提示することも考えられてよい。

ちなみに、来る6月6日にJILPTと日本学術会議の共催で「若者問題への接近」というフォーラムが開催されますが、

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/info/20090606.htm

小杉さんはそのパネリストとして「地域の労働市場と職業教育」を報告されるようです。

ほかは、

第一部 問題提起・報告

「自立の困難な若者に関する研究の動向」

太郎丸 博
京都大学大学院文学研究科准教授

「地域の労働市場と職業教育」

小杉 礼子
JILPT統括研究員

「家族と福祉から排除される若者」

岩田 正美
日本女子大学人間社会学部教授

「自立の困難な若者の実態と包括的支援政策」

宮本 みち子
放送大学教養学部教授
~休憩~
第二部 パネルディスカッション

パネリスト

太郎丸 博
京都大学大学院文学研究科准教授/日本学術会議特任連携会員
小杉 礼子
JILPT統括研究員/日本学術会議連携会員
岩田 正美
日本女子大学人間社会学部教授/日本学術会議連携会員
宮本 みち子
放送大学教養学部教授/日本学術会議連携会員

コメンテーター

金井 淑子
横浜国立大学教育人間科学部教授/日本学術会議連携会員
渡邊 秀樹
慶應義塾大学文学部人文社会学科教授/日本学術会議連携会員
大津 和夫
読売新聞東京本社編集局社会保障部記者

コーディネーター

直井 道子
東京学芸大学総合教育科学系教授/日本学術会議連携会員

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3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!

これは率直に慶賀したいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ff86cfa0ac298e764adacc2d32d8fee2

自分のことが素材になると、アメリカ以外の先進国共通の不当解雇規制の問題と、雇用システムによって差が生じる整理解雇の問題が違うということがおわかりになったようです。

今まで本ブログで繰り返しそのことを述べてきながら、なにかというと「解雇権濫用法理が諸悪の根源」というような議論に苛立ってきたわたくしとしては、まことに慶賀すべきことであります。

このあたりの経緯については、とりわけ大竹文雄先生の文章についてのやりとりでご承知のところでありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/wedge-2092.html(WEDGE大竹論文の問題点)

>申し訳ありませんが、法学部でこういう答案を書いたら叱られます。解雇権濫用法理と整理解雇4要件がぐちゃぐちゃで頭を整理し直せ、といわれるでしょう。

ところが、労働経済学者は往々にして、意識的にか無意識的にか、この両者をごっちゃにした議論をしたがるんですね。大竹先生だけの話ではありません。

柳川氏にも同様の傾向がありました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2595.html(終身雇用という幻想を捨てよ)

>解雇権濫用法理それ自体に、「そもそも終身で雇用すべきだ」などというスタンスはありません。こういう勘違いは、経済学者には非常によく見られますが、困ったものです。これでは、アメリカ以外のすべての国、北欧諸国も含めて、不当な解雇を制限している国はすべて終身雇用を法律で強制していることになります。そんな馬鹿な話はありません。

文中、大竹文雄先生の例の『WEDGE』論文を引いて、

・・・・・・・・・

と述べているのは象徴的です。

このもとの大竹論文については、本ブログで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/wedge-2092.html(WEDGE大竹論文の問題点)

と説明し、大竹先生も

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2009/01/wedge-228c.html(WEDGE論説の解雇規制に関する説明)

と説明しているのですが、それを見ないと、50年代に確立した解雇権濫用法理自体と、70年代に石油ショックの中で確立した整理解雇法理がごっちゃになってしまうでしょうね。

こうして一生懸命説明をしてきたにもかかわらず、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/50e90cb328228d6a735a7313338ea227解雇規制のゲーム理論

>したがって労働基準法を改正して、あらためて解雇自由の原則を明確にし、その適用除外条件を具体的に明記すべきだ。

などと書かれると疲れるわけです。

(ちなみに、英米法をご存じの方にとってはいうまでもないことですが、コモンローの解雇自由というのは、不当な解雇も自由ということです。アメリカはそうですね。イギリスは、制定法によって「不公正解雇」を規制しています。)

ところが、3法則氏、自分がようやく気がついたからといって、いままでの自分の迷妄をなんと法律の専門家になすりつける作戦に出たようです。

>両者を混同して、私が「正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張している」などとばかげた主張を行なうのは、小倉弁護士と天下り学者に共通の特徴である。このような虚偽にもとづいて、まともな議論をすることはできない。彼らは、まず私がそういう主張をしたことを具体的な引用で示してみよ

困ったおじさんですね。

「解雇自由」という言葉は、不当な解雇も自由であるという意味でしかあり得ません。解雇規制とは、ヨーロッパ諸国のように「正当な理由がなければ解雇できない」と規定するか、日本のように「解雇は客観的に合理的な理由がなければ無効」というかは様々ですが、要するに、不当な解雇は駄目、正当な解雇はいい、といってるだけのことです。

世界中どこでも、解雇規制とは「不当な解雇の規制」という以外の意味ではないのですから。

それとも、「正当であろうが不当であろうがいかなる解雇も禁止」というような規制がどこかに存在しているとでもお考えなのでしょうか。

(追記)

もし、池田氏が「正当な解雇はOKだが、不当な解雇は駄目」という規制を「解雇自由」と呼ぶのだと定義するというのであれば、それは法律家には通用しませんが、自分の独自の世界で使う分にはまあ文句を言う筋合いはないかもしれません。ただし、その場合、日本も含めて世界中すべての国は定義上「解雇自由」といわなくてはいけません。

(再追記)

しつこいようですが、念のため、

正当な解雇はOKだが不当な解雇は駄目、という解雇権濫用法理に照らして、個別案件がどのように判断されるかは、当該個別案件の具体的な態様によります。GLOCOM v. 池田氏事件については、裁判上の和解で決着したようなので、判決が出されればどのような結論になったかについては何も言えません。

現時点で入手可能な池田氏の言い分と会津泉氏の証言を照らし合わせると、事実関係自体についても確定できることはほとんどないようであり、ここでそれ以上論ずることは不可能でしょう。

ただ、整理解雇には厳格だが、労働者個人の行為言動に基づく解雇(協調性がない等)に対してはかなり緩やかである日本の判例の傾向からすると、池田氏が考えているのとは異なる判断が下された可能性もないとはいえないでしょう。

いずれにせよ、この点については、私自身日本の判例法理の問題点と考えている点でもあります。

日本の解雇規制の問題点は、ヨーロッパ諸国のそれに比べて、正社員の整理解雇に対してはより厳しく、労働者個人の職業能力以外の問題を理由とする解雇に対して過度に緩やかであるという点にあります。

この点を指摘しているが、経済産業研究所の山田正人氏です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/10_723c.html(日本をダメにした10の裁判)

>もう一つは、にもかかわらず、解雇権濫用法理、あるいは何らかの解雇からの保護は必要であると云うこと。もしアメリカのようなエンプロイメント・アット・ウィルであれば、転勤拒否した莫迦野郎をクビにしようが、残業拒否したド阿呆をクビにしようが、なんの問題もないわけですから、そもそも第2章の議論自体が成り立たない。最低限の解雇規制がなければ、他のすべての労働者の権利は空中楼閣となります。

まあ、そこのところは判っているからこそ、第1章は東洋酸素事件なのです。どこぞのケーザイ学者のように、一切の解雇規制を無くせば労働者はハッピーになるなどと云ってるわけではありません。読者諸氏も、「経産省が解雇規制を攻撃してきた」などと莫迦を露呈するような勇み足的批判をしないこと。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_de2a.html(可哀想な山田正人氏)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-e6fc.html(経済産業研究所の研究会で)

また、わたくし自身のこの問題に関する論考としては、まず一昨年に日本労働弁護団の機関誌に書いた「解雇規制とフレクシキュリティ」と、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html

>(3) 整理解雇法理の見直しの必要性
 最後に、現行の整理解雇法理については労働法制全体の観点から抜本的な見直しが求められているように思われる。それは福井・大竹編著が言うように「経営判断、解雇の必然性、解雇者選定などは、企業固有の経営的、技術的判断事項であって、裁判所がよりよく判断できる事柄とは言えない」からではない。むしろ逆であって、この法理が形成された1970年代という時代の刻印を強く受けているために、専業主婦を有する男性正社員の働き方を過度に優遇するものになってしまっているからである。
 解雇回避努力義務の中に時間外労働の削減が含まれていることが、恒常的な時間外労働の存在を正当化している面があるし*16、配転等による雇用維持を要求することが、家庭責任を負う男女労働者特に女性労働者への差別を正当化している面がある。そして、何よりも非正規労働者の雇止めを「解雇回避努力」として評価するような法理は、それ自体が雇用形態による差別を奨励しているといってもいいくらいである。
 もちろん1970年代の感覚であれば、妻が専業主婦であることを前提にすれば長時間残業や遠距離配転は十分対応可能な事態であったし、非正社員が家計補助的なパート主婦やアルバイト学生であることを前提とすれば、そんな者は切り捨てて家計を支える正社員の雇用確保に集中することはなんら問題ではなかったのかも知れない。
 しかし、今やそのようなモデルは通用しがたい。共働き夫婦にとっては、雇用の安定の代償として長時間残業や遠距離配転を受け入れることは難しい。特に幼い子供がいれば不可能に近いであろう。そこで生活と両立するために、妻はやむを得ずパートタイムで働かざるを得なくなる。正社員の雇用保護の裏側で切り捨てられるのが、パートで働くその妻たちであったり、フリーターとして働くその子供たちであったりするような在り方が本当にいいモデルなのかという疑問である。
 近年ワーク・ライフ・バランスという言葉が流行しているが、すべての労働者に生活と両立できる仕事を保障するということは、その反面として、非正社員をバッファーとした正社員の過度の雇用保護を緩和するという決断をも同時に意味するはずである。
「正当な理由がなければ解雇されない」という保障は、雇用形態を超えて平等に適用されるべき法理であるべきなのではなかろうか。この点は、労働法に関わるすべての者が改めて真剣に検討し直す必要があるように思われる。 

昨年、「エコノミスト」誌に書いた「日本の解雇規制は「二重構造」これが正規・非正規の差別を生む」をお読みください。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/economistkaiko.html

>日本の解雇規制は二重構造になっている。第一段の「解雇権濫用法理」は解雇に正当な理由を求めるもので、ほとんどすべての先進国と共通する。これがなければ、労働者は使用者に何を言われても我慢するか辞める以外に道はない。労働者に「退出」だけでなく「発言」という選択肢を与えるのであれば、最低限第一段の解雇規制は必要なのである。

>経済学者が解雇規制を語るとき、往々にして基本となる解雇権濫用法理を無視して、第二段の「整理解雇法理」のみを論じていることがよくある。これは石油ショック後確立したもので、企業の経済的事情による解雇が①人員整理の必要性、②解雇回避努力、③解雇者選定基準、④労使協議という4要件を満たすことを求めている。このうち②では、時間外労働の削減、配転による雇用維持、非正規労働者の雇止めが、正規労働者の解雇を回避するためにとるべき努力義務として要求されている。このことが、恒常的な時間外労働の存在を正当化している面があるし、家庭責任を負うため配転に応じられない女性労働者への差別を正当化している面がある。そして何よりも非正規労働者の雇止めを「解雇回避努力」として評価するような法理は、それ自体が雇用形態による差別を奨励している。

ちなみに、この論文ではOECDの対日審査報告書についても、妙な誤解があるため、

>報告書をよく読めば、OECDが懸念しているのは解雇規制の絶対水準ではなく、正規と非正規の間の雇用保護水準の格差であることが判る。提言の文言はいささか誤解を招きかねないものだが、誤解に基づいて「解雇規制はことごとく撤廃せよ」と叫ぶのも「解雇規制には一切手をつけるな」と叫ぶのも適切な反応とはいえない。

と述べておりました。こういう認識が、3法則氏にもようやく浸透してきたとすれば、ここ数年来同じことを言い続けてきたわたくしとしても、まことに慶賀すべきことなのです。

(ちなみに)

労務屋さんも意外の念を禁じ得ないようです。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090515#p1(今日の池田先生)

>そもそも、あれだけ「解雇自由」を連呼しておいて今さら「あれは整理解雇のことでした」というのもないだろう、とも思うわけですが、いずれにしても池田先生としては「整理解雇の規制緩和(自由化?)」を主張しておられるのであって、「一般的な不当解雇をすべて自由にせよというものではない」と、スタンスを明確にされたということでしょう。これまではそこが不明確だったわけですから、「私の過去の記事も同じである」とか「私がそういう主張をしたことを具体的な引用で示してみよ」とかいうのはあまり誠実な態度とは思えませんが…。

まあ、3法則氏に「誠実な態度」を求めるなどとあまりにも高望みが過ぎるというものです。悔し紛れに今までの自分の無知蒙昧をとっさに相手になすりつけながらもなんとか正しい認識に到達したことを褒めてあげなければいけません。

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2009年5月14日 (木)

世にもおもろい小倉・池田バトル

世にもおもろい見ものは、黙って楽しんでおけばいいというのが大人の態度なのでしょうが、それにしても、

>彼が「また解雇されたときには」と書いているのは、私が「一度は解雇された」ことを前提にしているが、私は一度も解雇されたことはない。以前の記事にも書いたように、国際大学グローコムの公文俊平が私を含む3人に対して「雇用契約が存在しない」という荒唐無稽な通告(国際大学の文書ではなく公文の私的な手紙)をしてきたことはあるが、それは裁判所における和解で無効とされ、国際大学は通告が存在しないことを確認した。

正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張しているはずの人間が、自分のボスによる解雇通告に逆らうなどという言語道断な振る舞いに出たことを、平然と公言しているというのは、これを天下の奇観と言わずして何と申しましょう、というところです。

しかも、絶対的解雇自由を主張するということは、解雇されたあるいは解雇通告を受けたということがいかなる意味でもスティグマではあり得ないということのはずなんですが、

>小倉弁護士はこれまでにもたびたび私に対して虚偽による中傷を繰り返しているが、私が大学を解雇された「問題人物」であるかのようにほのめかすのは、通常の言論活動を逸脱して私の名誉を毀損する行為である。このブログ記事を撤回して、謝罪するよう求める。撤回も謝罪も行なわれない場合には、法的措置をとることも検討する。

なんと、正当な理由があろうがなかろうがことごとく認められるはずの解雇をされたと言われることが、名誉毀損に当たる、というすさまじくも終身雇用にどっぷり浸った発想をそのまま披瀝しているんですな。

池田氏の理論によれば、解雇されたということは、自分のボスが有している完全に恣意的な解雇権を素直に行使したというだけなのですから、どうしてそれが名誉毀損になるのか、池田氏の忠実な信徒であればあるほど、理解困難になるところでしょう(論理的に頭を使う能力があればの話ですが)

ま、こないだのOECDの労働組合諮問委員会の発言をOECD自体の見解と取り違えたように、小倉弁護士にはいささか「事実をきっちり確認する」という点において脇の甘い点が見受けられるので、そこのところはもう少し注意深くされた方がよろしいのかな、という感もありますが、絶対的解雇自由論に立つか立たないかという論理の筋からすれば、「解雇された」も「解雇通告を受けた」も、本質的には変わりのない話ではありますね。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/05/post-d9ae.html(ラーメンといえば)

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a3c59384b92590116334d0b5a294fb87小倉秀夫弁護士による名誉毀損について

(念のため)

上記事実関係については、池田氏の一方的陳述に過ぎず、当時GLOCOMにいた会津泉氏が、「事実無根で悪意に満ちた誹謗と中傷ばかり」と、切り込み隊長氏のブログで発言していることを付記しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ba7f.html(労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる)

このリンク先エントリでは、事実関係が明らかではないことから、「なお、この小倉弁護士のエントリのリンク先には、真偽不明の「俺は不当解雇されかけた!」という誰ぞやのエントリがありますが」という表現をしております。

(追記)

3法則氏の後出しじゃんけんについては、このすぐ次のエントリを参照のこと。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b14a.html(3法則氏が、遂に解雇権濫用法理と整理解雇4要件の違いに目覚めた!)

そこでも引用しましたが、労務屋さんも意外の念を禁じ得ないようです。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090515#p1(今日の池田先生)

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2009年5月13日 (水)

契約店長過労死:正社員並み賠償合意 すかいらーくと遺族

これは興味深い記事です。毎日から。

http://mainichi.jp/select/biz/news/20090514k0000m040126000c.html

>外食産業大手の「すかいらーく」(本社・東京都武蔵野市)で非正規の契約店長として働いていた埼玉県加須市の前沢隆之さん(当時32歳)が、長時間労働が原因で過労死した問題で、遺族と遺族が加入する労働組合は13日、正社員の年収計算での損害賠償、再発防止などで会社側と合意したことを明らかにした。生きていれば受け取れるはずだった「逸失利益」を正社員と同じ年収で算定した。今回の合意は、非正規と正規の格差是正に影響を与えそうだ。【東海林智】

店長が長時間労働で過労死したというよくある話なんですが、本件の特徴は、その店長が正社員ではなく、非正規労働者であったということです。非正規の店長という最近増えてきた存在について、裁判所の判断ではないにしても、一つの考え方を示したという意味で、興味深いものがあります。

>損害賠償の逸失利益は通常、年収を基に計算される。同社では非正規の店長と正社員の店長では年収で約100万円の差があるが、前沢さんは、店長として正社員と変わらない重い責任を持たされていたとして、正社員と同じ年収で算出した額で支給されることになった。

正社員と非正規の賃金格差を正当化するロジックとして、正社員は重い責任を負っているけれども、非正規労働者はそういう責任がないから、格差があってもいいんだという、同一責任同一賃金論がありますが、1年契約の非正規の店長でも、店長としての責任は正社員の店長と変わるところがあるはずはありませんから、やはりそろそろ根本からの議論をし直す必要が出てきているというべきなのでしょうね。

あ、念のため、そもそも正社員であれ、非正規労働者であれ、過労死しないような労務管理が最重要であることはいうまでもありません。

>再発防止策では、労働時間を客観的に把握する仕組みを導入することや健康管理対策の強化を盛り込んだ。会社側は「(過労死は)当社の安全配慮義務違反に起因する」として、時間管理や健康状況の把握が不十分だったことを謝罪した。

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日本労働法学会第117回大会

今週末の5月17日(日曜日)に、神戸大学六甲台キャンパスにおいて、標記大会が開催されます。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/index.html

今大会から、当日配付資料があらかじめ学会HPにアップされ、それをダウンロードすることができるようになっています。わたくしの資料はすでにアップされていますので、学会員の方は上記リンク先からダウンロードしてください。IDとパスワードはすでに学会員に配達されている学会通信の6ページの上の方に書いてあります。

午前:個別報告

田中達也「ニュージーランドにおける解雇法制の展開」
所浩代「アメリカにおける精神障害者の雇用保障」
桑村裕美子「国家規制と労使自治の相克-労働条件規制の『柔軟化』」
丸山亜子「有利原則の可能性とその限界-ドイツ法を素材に-」
大木正俊「同一労働同一賃金原則と私的自治-イタリア法の検討から」

午後:ミニシンポジウム

山川和義・山下昇「高年齢者雇用安定法をめぐる法的問題」
矢野昌浩・古川陽二「不当労働行為の当事者」
萬井隆令・濱口桂一郎「偽装請負・違法派遣と労働者供給」

わたくしがでるミニシンポの第3会場の詳細は、

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/contents-taikai/117taikai.html

  • 第三会場
    テーマ:偽装請負・違法派遣と労働者供給
    報告者:

    萬井隆令(龍谷大学)「偽装請負・違法派遣と労働者供給」
    濱口 桂一郎(労働政策研究・研修機構)「請負・労働者供給・労働者派遣の再検討」

    司会 :野川 忍(明治大学)
  • です。

    皆様お誘い合わせの上、ふるってご参加のほど、よろしくお願い申し上げます。

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    サンドバッグを叩いても喜んでくれる上客

    スウェーデンみたいに解雇を自由にせよとぶちあげて大恥こいた一知半解の3法則氏、事実を尊重する方向に舵を切り替えるなどというコストのかかるやり方ではなく、もっぱら攻撃用のサンドバッグを空中にこしらえて、そいつを一生懸命叩く演技をすることで、なお木戸銭を払ってくれる愚かな観客をつなぎ止めようという戦術のようですな。

    もちろん、人様の生計の途をあれこれ論評するのは上品な行いとはいいがたいですから、流れ弾が飛んでこない限り、正面から喋々するのは避けておきますが、それにしても、3法則氏が便利なサンドバッグとして活用している「勤勉革命」だの「集団主義」だの、最近御転向された中谷巌大先生が涙を流して喜びそうな品物ばかりであります。そのうち縄文文明も出てくるか知らん。

    ただ、歴史学の基本のキとして、念のため言っておくと、「日本は農耕民族だが、欧米は遊牧民族」などというその昔流行ったインチキ議論は、網野喜彦が「日本人は必ずしも農耕民族ばかりではない」という的確な指摘をする遙か以前のレベルで、「欧米人も日本人と同じくらい農耕民族である」という歴然たる事実によって却下されているのですがね。

    まあ、雑件です。「ニッポンみたいな集団主義のノーコー民族だけが労働者保護などという愚かなことをやっているんだ」と思いこむことで可哀想な自らを慰められる人々の自慰具としての機能はそれなりに有用なのかも知れませんし。

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    2009年5月12日 (火)

    清家先生の味わいのある言葉

    05017 学生向けの雑誌『経済セミナー』の4/5月号が「制度を考える」という特集をしていて、その中に先日慶應義塾の塾長に選出された清家篤先生が「労働をめぐるトレード・オフを考える」という味わい深い文章を書いています。

    http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_keisemi.html

    ちなみに、特集の中身は以下の通りです。

    ●特集=「制度」を考える
    青木先生、比較制度分析ってなんですか? 青木昌彦+山形浩生
    メカニズムデザイン理論による制度設計 坂井豊貴
    インセンティブを考える視点 石黒真吾
    政治と制度?メカニズム制度論を超えて 河野勝
    自由な市場経済の歴史 中林真幸

    今考えるべき5つのテーマ
    【雇用制度】労働を巡るトレード・オフを考える 清家篤
    【社会保障制度】制度としての社会保障 神野直彦
    【金融制度】制度変革の契機としての金融危機 星岳雄
    【医療制度】日本の医療保険制度 井伊雅子
    【教育制度】質の高い教育はいかに実現されるか 橘木俊詔

    まあ、どれもそれなりに興味深い内容ではありますが、やはり穏やかな文体の行間に痛烈な皮肉が盛り込まれた清家先生のが一番。

    内容は経済学の基本中の基本概念であるトレード・オフというものの考え方を、労働を題材にわかりやすく説明しているんですが、ケーザイ学者と称して人様に偉そうに指図する人々が、実は全然トレード・オフがわかっちゃいいないことを、行間ににじみ出させる手際は見事で、さすが清家先生というところではあります。

    >この「あちらを立てればこちらが立たず」という状況を、経済学ではよくトレード・オフの関係といったりする。そしてトレード・オフがあるということは、問題の解決にただ一つの明快な解などはないということでもある。多くの経済的、政治的な選択問題はこれに当たるといってよい。

    その意味で、あまりにわかりやすい政策標語などにはよほど注意した方がいい。例えば「官から民へ」といった単純きわまりない言い方である。

    「官から民へ」、「民間にできることは民間に」というのは、ほとんど定義的に正しい表現であるが、それはまた、民間にできないことは政府にやってもらう、ということに他ならない。ところが、官から民へ、民間にできることは民間にというような単純な標語は、ともすると、とにかく民が正しく、何でもかんでも民営化すればよいのだといった話になりやすい。大事なのは、どこまでを官が、どこまでを民が行うかのバランスだ。

    このあと、名目賃金上昇率と失業率の間のフィリップス曲線の話、仕事をする時間の価値と仕事以外の時間の価値をめぐるワーク・ライフ・バランスの話、正規と非正規の話、消費者と生産者・労働者の話など、具体的な例が並んでいます。最後の話でも、

    >他人を忙しく働かせておきながら、自分だけはゆとりある生活をしたいというのは虫がよすぎる話である。もし自分がゆとりある生活をしたいのなら、例えば商店やコンビニ、あるいは宅急便などサービス業の営業時間規制などにも協力すべきであろう。

    といった皮肉が効いていますが、とりわけ最後の節で、ちかごろネット界にはやるインチキな連中を顔色なからしめるような台詞が繰り出されています。

    >いずれにしても大切なのは、スパッと割り切れるような正解はないという認識を共有することである。どちらにも理があること同士のトレード・オフなのだから、どこかで折り合いを付けるしかない。その意味で、特に労働に関わる多くの問題の解決策は、わかりにくくて当たり前なのである。

    少なくとも唯一方向に進むような議論はおかしいと思うべきである。しばらく前のように、規制緩和をすると世の中何でもよくなるよう議論もおかしいし、逆に最近のように、規制を強化すれば困っている人を皆救えるというような議論もおかしい。

    いやあ、いますねえ、どっちの典型も。

    >19世紀的なむき出しの資本主義でも、また皆が貧しくなってしまう社会主義でもまずいということを我々は学習してきたはずだ。トレード・オフの両極でないような、中庸で調和のとれた民主的な経済社会を20世紀に築き上げたはずであるのに、またどちらか一方に偏したような社会に戻るのでは、何を学んだのかということになってしまう。その意味で、トレード・オフと向き合うことは、社会の成熟を問うものでもある。

    中庸、成熟、いい言葉です。誰がそういう言葉にふさわしい言論を発し、誰がそういう言葉の対極に位置する言論をまき散らしているか、周りをそろりと見渡してみましょう。

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    韓国労働研究院「国際労働ブリーフ」掲載論文

    15c7c293bff63439492575a700309d20_co 韓国にもJILPTみたいな労働研究機関がありまして、韓国労働研究院(KLI)というんですが、そこが出している「国際労働ブリーフ」という雑誌の2009年4月号に、わたくしの「日本のワークシェアリング」の韓国語訳が載っています。

    http://www.kli.re.kr/

    >경제위기와 일본 워크 셰어링의 재등장(하마구치 케이치로)

    https://www.kli.re.kr/_FILE/NEW_PUBLICATIONS/9fb8878e2674ec688c41e62d70933564.pdf

    韓国語の読める方はどうぞ。

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    2009年5月11日 (月)

    中失業時代のセーフティネットと雇用

    連合総研の『DIO』5月号、いろいろと興味深い記事が載っていますが、ここで紹介したいのは久本憲夫先生の標題の講演。

    http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio238.pdf

    その中でもいくつも面白い論点があるのですが、まずは「準正規雇用」から、

    > 正社員と非正社員の雇用格差の問題、派遣切り、偽装請負などは、マスコミで議論されて批判を受けました。批判はもっともですが、それで問題は解決するわけではない。一方で、非正社員の雇用を犠牲にして正社員の雇用が守られているので、正社員の雇用をもう少し不安定化したほうがいいという議論も、時々耳にします。でも、私は違うと思います。特に、雇用不安が高まっている中で、正社員の雇用を不安定にすることは、不安感を煽り、あまり賢くないと思っています。

     私は基本的にずっと前から「正社員の多様化」ということを主張しています。正社員がどのように多様化するかということを考えなければならない。この10年来起こってきたのは、雇用形態の多様化ではなくて、非正規雇用の多様化です。非正規雇用の種類がものすごく増えました。でも、正規雇用の多様化は進まず、むしろ均一化、画一化したと思います。

     現状では単に安定雇用とだけ言っていてもなかなか理解してもらえない。そこで、「準正規雇用」という構想を考える必要があると思っています。通常の「期限の定めのない雇用」と「有期雇用」と並んで、もうひとつの雇用区分をつくる必要があるとの考えです。これだけ正規雇用と非正規雇用ということを言われ続けると、中間的なものを作ることを社会が求めているのではないか。

     準正規雇用とは、仕事が継続して存在している場合には雇用は継続する。しかし、仕事がなくなった場合は、企業はそれ以上の雇用責任は持たないということです。これも「期限の定めのない雇用」ですが、一般の「期限の定めのない雇用」よりは不安定です。不自然な有期雇用の活用を制限する意味があります。どういうことかと言うと、現状では3年、5年とかある一定の期間雇用を続けると、期限の定めのない雇用にしなくてはならない。その結果、仕事はあるのに雇用を切るということが起きています。仕事があるのに雇用は切られる。これは非常に不自然なことです。この不自然な有期雇用を制限する必要があるのではないか、ということです。

     これは法律というよりも実践の問題かもしれない。期限の定めのない雇用を2段階に分けるわけであり、それを前提にして、「社会的に正当ではない解雇は無効」という原則は維持できるわけです。

    これは、仕事がなくなってさえも雇用を維持しなければならないという「超安定雇用」だけが正規雇用だと考えれば、それに比べれば「準正規雇用」ということになるのかもしれませんが、本来からすれば、仕事がなくなればクビになるのは当たり前だが、仕事があるのに勝手に首を切られることはない、というのは「準」などつかない立派な正規雇用なんですね。

    その仕事がなくなればクビになって不思議ではない普通の正規雇用の人について、政府のお金で景気が回復するまでの間賃金を払い続けるというのが、雇用調整助成金であり、ドイツの短縮労働であり、フランスの部分失業であるわけです。

    世の中には、ここのところが分からずに、仕事があるのに使用者の好き勝手にクビ切りできるようにすることが絶対の正義だと信じ込んでいる人々がいるわけですな。

    なかなか皮肉な話なのが、

    >しかし、今、雇用が増えている分野、医療や福祉は、基本的に対人サービスで労働生産性が低い。労働生産性が低い部門で雇用が増えていて、労働生産性の高い部門で雇用が減少しているという事態です。生産性の高い部門から低い部門への再訓練をどう考えるべきかという点が、重要な論点です。労働者を労働生産性の高い部分から低い部分へ移すということは、結構苦しい話だと思っています。従来は労働生産性が低い部門から高い部門へということでしたので話は簡単でしたが、生産性が高くて国際競争力のある部門が雇用を吸収してくれないというジレンマが問題をすごく複雑化してます。

    「サービス業の生産性向上」などとどういう意味があるのか分からないようなことに血道を上げるより、労働生産性が低いがゆえに労働集約的であるがゆえに労働力を吸収してくれる分野が、ちゃんと労働力を吸収してくれるようにそれなりの賃金水準を確保するために価値生産性を高めるためには、どこをどういう風に仕組めばいいのか、という、より本質的な問題に取り組んでいただきたい、と切に念じるところです。

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    ジャン・ジャック・ルソーみたいな会社

    いや、別にエミールみたいなリベラルな教育をする会社じゃなくって、じぶんがこしらえたこどもを孤児院に抛り捨ててくる無責任な野郎みたいな会社という意味ですが。

    http://mainichi.jp/life/job/news/20090510k0000m040105000c.html(解雇:従業員23人を施設に置き去り 福岡の会社)

    >福岡市早良区のとび工事会社を解雇された男性従業員23人が、北九州市小倉北区のホームレス支援施設に保護を求めてきたことが分かった。元従業員たちは「ここで仕事や家を探してくれる、と会社に言われ、車で連れて来られた」と毎日新聞の取材に証言した。施設側は「厄介者を置き去りにするような行為。違法ではないが無責任」と批判する。会社側は再三の取材申し入れに応じていない。

     この会社は02年設立の有限会社。建設現場の足場工事や清掃、解体作業などを請け負っている。元従業員が置き去りにされたのは、ホームレス自立支援センター北九州。北九州市が04年に設立、NPO法人北九州ホームレス支援機構が運営を委託されている。

     支援機構などによると、元従業員らは福岡市や志免町などの営業所で働いていた3月から4月にかけ、突然解雇された。センターには3月15日に訪れた2人を皮切りに数日間隔で1~4人、4月8日には7人が訪れたという。多くは「あてがないなら北九州に行け、と言われ、車に乗せられてセンター前で降ろされた」と話した。その際、現金1000円を渡された人もいた。

    いやあ、もちろん雇用関係は家族関係とは違いますから、労働法が求める最低限の義務を果たせば、こんな中小企業ですから、それ以上「事実上いかなる解雇も賃下げも不可能」などということはありませんが、それにしても、これはあまりにもあまりな仕打ちというべきでしょう。

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    水町勇一郎先生@ダイヤモンド

    Dw_m 今日発売の『週刊ダイヤモンド』が、「大失業減給危機」という特集を組んでいます。この手のおどろおどろしい題名の特集にもいささか食傷気味の感がありますが、内容的にも玉石混淆です。「石」を叩いてみても仕方がないので、ここでは「玉」の方を紹介します。

    http://dw.diamond.ne.jp/contents/2009/0516/index.html

    連合総研の「イニシアチヴ2009」で2年間ご一緒した水町勇一郎先生のインタビューが59ページに載っています。水町先生とは、若干の点で異論のあるところもありますが、労働法制の多くの点で共感するところの大きい方です。今回のインタビューの中身も、ほとんど同感です。労働問題というと、過激な市場原理主義者がわめきたてるか、悲惨な実態をこれでもかこれでもかと突きつけるという2パターンに陥りがちで、こういう立場の意見はなかなか出てこないんですね。

    >非正規問題の本質の一つは、雇用が不安定な状態にあることだ。・・・・・・・従って、雇用の不安定さに対処するには。②のセーフティネットの整備の方が、筋としてはいい。

    >今の政府の対応は、①で派遣に一定の入り口規制をかける一方で、有期契約社員の雇用は何ら保護されていないため一貫性がない。・・・・・・政策の方向としては、まず短時間労働者であっても有期契約社員であっても、すべて雇用保険加入義務を課すことで、企業が保険料負担を回避することを抑制する。その際、労働者のモラルハザードを防ぐために、自発的な離職者については、例えば「離職前6ヶ月間に3か月以上の就労が必要」などの受給要件を設定すればいいだろう。

    >一方、正社員の雇用は、不安定どころかむしろ整理解雇が難しく、これは先進国の中でももっとも厳しい規制となっている。その理由の一つに、日本では裁判例上「整理解雇の4要件」が設定されていることがある。・・・・・・問題は、この4要件が型にはまった状態で判断されていることだ。たとえば、②の一つとされることが多いのは、正社員の解雇の前に非正規社員の人員整理を行うこと。だが、場合によってはその前に、正社員の時間短縮や賃下げなどの雇用調整を行うことも合理的と考えられる。

    私が今まで書いてきたものをご存じの方にとっては、ほとんどちがいが見えないくらいでしょう。あえて言えば、この整理解雇法理が実質的に機能しているのは企業規模が大きい分野であって、中小零細になればなるほど、その効果は小さくなります。そうすると、一般的な解雇権濫用法理は、島田先生の名文句を借りれば「あるようでない、ないようである」ようなものですから、実は日本の労働者のかなりの部分は結構解雇されやすいという状態なんですね。ここは、判例の世界と現場の世界の乖離が大きいところでもあります。

    ダイヤモンド誌のすぐ前の54-55ページの「社員を人間扱いしない経営者 容赦ないクビ切りが増加している」というのも、また日本の労働社会の実態でもあるわけです。

    >何か言えば、長年あこがれていた仕事をクビになるかも知れない。片岡芳江さん(仮名、30歳)はそう思って、少しくらいの理不尽さには目をつむってきた。憧れ続けてきた映画制作会社に身を置くためには仕方のないことだった。

    雇用保険に加入することは会社の義務だ。しかし、片岡さんの勤めていた会社は、雇用保険に加入していなかった。社長に直訴したことがあったが、むっとした表情で、「そんなコストはかけられない」と一蹴された。

    ・・・2月、突然社長から事業の縮小が告げられ、退職を促された片岡さんはやむを得ず退職することにした。3年8か月務めたが退職金が支給されず、失業給付の受給資格もなく放り出されてしまった。

    これもいままで本ブログ等で繰り返してきたことですが、解雇規制の最大の意義は、「VOICE」を確保することにあります。そこを忘れがちな議論には注意が必要です。

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    2009年5月10日 (日)

    有給休暇は学校のずる休みと一緒

    これはもうただの雑件。

    http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51204186.html(学生にも「有給休暇」を!)

    馬鹿馬鹿しいのでいちいち説明する気もないし、本ブログの読者にその必要もないでしょう。

    ただ、「なるほど、世間の普通の人の感覚では、労働者の権利としての有給休暇などといっても、親のカネで学校に通わして貰っている生徒のズル休みに毛が生えた程度という認識なんだな」、という荒涼たる事実を目の当たりにするいい機会かもしれませんな。

    そういう意識が瀰漫していることこそが、日本の有給休暇取得率が低いことの最大の要因ではないか、などと、この世間感覚から一歩も出ないおじさんは感じることなどないのでしょうが。

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    「社会の公器」たる企業をめざす労使の役割

    日本生産性本部がさる4月28日付で公表した報告書です。

    http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/lrw/activity000917.html

    提言 「『社会の公器」たる企業をめざす労使の役割
         ~現下の情勢を乗り越え『人材立国』への道を」 の構成

    はじめに

    1.今日の経済・雇用情勢への対応の視点とは
    (1)戦略性をもった緊急雇用対策の実施を
    (2)中長期的な展望をもって危機的状況の乗り切りを
    (3)雇用の姿を考える視点-「人材立国」の戦略を描くにあたって-

    2.「社会の公器」としての企業は何を目指すのか
    (1)「社会の公器」としての企業
    (2)「雇用の安定」の今日的な意味合い

    3.新しい雇用の姿をもとに「人材立国」への道を
    (1)教育訓練・能力開発を通じて企業価値の向上を
    (2)一人ひとりの視点でキャリア形成を
    (3)ワーク・ライフ・バランスにより企業活力の向上を
    (4)グローバルな発想による人材育成を

    むすび-信頼を基軸にした社会の創造を-

    本文はこちらですが、

    http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/lrw/activity000917/attached3.pdf

    その中から、興味深い記述をいくつか見ていきましょう。

    はじめに「今日の経済・雇用情勢への対応の視点とは」で、非正規労働に触れた部分、

    >なお、今日、非正社員の失業問題が焦点になっているが、これら非正社員雇用を一括りに議論し、否定的な評価が強調されているように受け取れる。この問題については、直接的な雇用関係に立つ場合と派遣・請負など間接的な雇用関係に立つ場合とを分けて論じていくことが必要である。そのうえで、雇用形態の特質をみつつ、非正社員の雇用を企業の貴重な戦力に位置づけ、安心かつ安定した形で就労できるような働き方に改革することが求められる。また、非正社員の失業問題に対する緊急対策として、雇用機会の直接的な提供に力点がおかれているが、むしろ将来にむけた一人ひとりの職業キャリアを保証する視点に立って、そのための相談援助を行いながら人材育成や就業支援を行っていくことが重要である。

    新卒者の採用内定等の取り消しも大きな雇用問題の一つとなっているが、やむを得ず採用内定者を自宅待機としなければならない場合には、内定者が公的機関における職業訓練も受講できるよう企業や政府の適切な対応が求められる。これまでの不況時においても、多くの企業では新卒者の採用を手控えてきた結果、フリーター化した多くの若者が生まれ、その後も滞留し続けた若者も少なくないという指摘もある。わが国の将来に禍根を残さないよう、新卒者をはじめとする若者の就職支援に万全を尽くすことが重要である。その意味で、既卒者を含め若者の採用機会を広げるべく、新卒採用を重視してきたこれまでの採用慣行を見直し、通年採用を含め柔軟な方向に変えていくことについても検討すべき時期にきているといえよう。

    >しかし、こうした積極的な理由による選択の結果ではなく、やむを得ず非正社員雇用を選択しなければならなかった人も少なくないことを留意すべきである。今日まず問題とすべきことは、これらの人々の雇用機会が、働き方の選択肢としても不安定であったり、十分な能力開発機会が提供されなかったりして、職業キャリアの形成が継続して行われないという点である。

    このため、正社員・非正社員に関わらず、キャリア形成の条件整備を図りつつ人材の価値を高めていくことをまず目指さなければならない。その意味で、非正社員に対しても、本人が希望すれば正社員への登用が可能となる道を開くことが重要である。また、正社員との処遇が不均衡であることも大きな問題である。このため、非正社員に対しても処遇の均衡を図るとともに、それにとどまらず能力の開発を進め、企業内外における継続的なキャリア形成支援が図られるような環境づくりを進めることが急務である。

    次の「「社会の公器」としての企業は何を目指すのか」の中で、とくに「「雇用の安定」の今日的な意味合い」の記述が興味深いです。

    >まず、「雇用の安定」は、正社員だけでなく非正社員も含めて考えなければならない。とくに、非正社員が増大するなか、協働する体制やその前提となる一体感や連帯感が変質してきたことは重要な点である。非正社員が集団的な労使関係の枠組みから零れ落ちてしまうことで雇用の安定に問題がないか、非正社員の増加したことが人材育成・能力開発や職場コミュニケーションなど現場力に影響を与えていないかなど、多くの課題が浮かび上がっている。それは、非正社員が増大していく中で、正社員を念頭において構築されてきた既存の諸制度が十分に機能を果たせなくなったことの現われでもあろう。企業や職場において、これらの課題について早急に点検していくことが求められる。

    また、わが国において「雇用の安定」を実現していくためには、集団的な労使関係が重要な機能を担ってきたことは確かである。労使が一体となって職場の連帯感を強め、企業に対する求心力を高めていくことは、生産性向上の基礎となる。しかし、就業の多様化が進む今日においては、集団的な関係だけではなく、働く者一人ひとりに着目した雇用の安定を考えていくことが重要になってきている。労働組合に対しても、このような変化を強く認識するなかで、雇用形態に関わらず、個人の働き方や就業ニーズもふまえた対応を図りつつ、より個人に軸足をおいた形で組合機能を発揮させた活動の展開が期待される。同
    時に労使は、これらに対応した労使協議のあり方を考えるなど新しい労使関係のシステムづくりを行うべきである。その上で、企業経営に対する共通の認識を育むべく、徹底した労使の議論や話し合いを行うことを求めたい。

    最後の「新しい雇用の姿のもとに「人材立国」への道を」においては、

    >長期的な継続雇用とあわせて雇用の安定を企業組織の枠だけにとどまらず実現させていくことである。その上で、一人ひとりのキャリアビジョンが描かれ、各々の目標にむけた道筋が明確になるとともにその支援を行うことが求められる

    という観点から、

    >OECD 加盟国中、わが国の2005 年における国内総生産に占める教育(学校教育)への公的支出割合は最低レベルを示しているが、職業訓練においても国際的にみて公的支出は低い

    ことを指摘し、

    Edu_2

    >人材投資に関わる公的予算の拡充を図り、OECD 主要先進国並の水準以上に引き上げるべきである。また、公共職業訓練の強化も求められるが、その際、民間の教育訓練機関の一層の活用を検討するなど、効果的・効率的な推進体制の見直しを図ることが必要である。

    学校教育に対しても、公的予算を積極的に投入し、より早期からの職業意識の醸成やキャリア教育の充実など、社会人としての基礎力や人間力の育成に資するプログラムの導入を進めることが必要となる。そのためにも、労使は、初等・中等教育や大学、ビジネススクールなど教育の重要性を認識し、プログラムの開発や寄附講座の開設、講師派遣など学校教育の拡充に貢献することが求められる。

    と述べるとともに、

    >企業は、雇用形態を問わずすべての従業員に対して、外部教育機関などを活用した選択可能な教育訓練メニューを提供するなど、人材育成の総合的な推進を図るべきである。さらに企業は人材を育成する「社会の公器」であるとの認識をもって、社会的に人材を育成することに積極的に関与する必要がある。その一環として、ジョブ・カード制度(注3)の導入などにより、フリーターなど職業訓練に恵まれなかった人々にも、実践的な教育訓練の機会を提供することが必要である。

    と求めています。

    最後の台詞は、やや高邁に

    >個人を孤立させたり、社会を劣化させることがあってはならない。一部の貧困は全体の繁栄にとって危険であることも改めて認識すべきである。そうした共通の認識の下に、政府、経営者、労働組合が、「人材立国」への道を描き実践する社会をともに力を合わせて築いていくことを求めたい

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    EU雇用サミットの十誡

    5月7日に開かれたEU雇用サミットについて、欧州委員会のHPに簡単な記事が出ています。

    http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=507&furtherNews=yes

    次の10の項目が合意されたということで、紹介しておきます。

    Maintain as many people as possible in jobs, with temporary adjustment of working hours combined with retraining and supported by public funding (including from the European Social Fund).

    補助金で緊急避難型ワークシェアを

    Encourage entrepreneurship and job creation, e.g. by lowering non-wage labour costs and flexicurity;

    非賃金労働コスト(税金と社会保険料)を下げよ

    Improve the efficiency of national employment services by providing intensive counselling, training and job search in the first weeks of unemployment, especially for the young unemployed.

    ハロワの機能を強化せよ

    Increase significantly the number of high quality apprenticeships and traineeships by the end of 2009.

    徒弟制と訓練生をどっと増やそう

    Promote more inclusive labour markets by ensuring work incentives, effective active labour market policies and modernisation of social protection systems that also lead to a better integration of disadvantaged groups including the disabled, the low-skilled and migrants.

    働くことが得になる社会に

    Upgrade skills at all levels with lifelong learning, in particular giving all school leavers the necessary skills to find a job.

    技能の向上、とりわけ学校中退者に

    Use labour mobility to match supply and demand of labour to best effect.

    もっと労働移動を

    Identify job opportunities and skills requirements, and improve skills forecasting to get the training offer right.

    明日必要になる技能を

    Assist the unemployed and young people in starting their own business, e.g. by providing business support training and starting capital, or by lowering or eliminating taxation on start-ups.

    自営を促進せよ

    Anticipate and manage restructuring through mutual learning and exchange of good practice.

    労使でリストラをマネージせよ

    と、まあいままでのEU雇用政策の項目を並べたものになっています。

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    2009年5月 9日 (土)

    多重債務がもたらす非婚少子化

    世の中には、この期に及んでなおサラ金のグレーゾーン金利廃止を非難し、それを主導した宇都宮弁護士らを口汚く罵り、いくらでも好きなだけ高金利を許せば世の中は天国になると幸福なる教えを説教しては、共著者だった方にまでたしなめられたりしている奇矯な人もいるようですが、まあそんなのはともかく、ダイヤモンドオンラインの最近の記事によると、若い頃にサラ金で借金をこしらえたために、結婚できない人々が結構いるようです。

    http://diamond.jp/series/marriage/10008/(借金返済が先?結婚が先? “青春時代のツケ”に苦しむ多重債務の婚活男たち)

    >「婚活したいのは山々だが、借金があって本腰を入れられない」
    「結婚を考えているが、彼女に借金のことを告白できない」
    「借金が原因で彼女と別れてしまった」

     旭川総合法律事務所の弁護士・皆川岳大さんのもとには、こんな相談がよく持ちかけられるという。緒方さんのような30代もいるが、とくに目立つのがアラフォー世代だ。

    「空前の消費者金融ブームが起こったのは、彼らが20代の頃。テレビCMがさかんに流され、ATMがあちこちに置かれるようになった。気軽に借りられるからと、遊興費を調達するために利用する若者が増えました。ところが、利息が最大29.4%と高く、なかなか完済できない。やむなく別の消費者金融から借金し、結局、多重債務に陥ってしまう――こうした人が男女を問わず多いようです」

     皆川さんによると、目立つのは債務総額が400~500万円程度という人々。いっそもっと多額なら自己破産に踏み切るのだろうが、「どうにか返せる」と踏む人が多いようだ。月々の返済額がさほど高額でない場合、緒方さんのように、多重債務者の自覚が薄れてしまうケースもある。

     だが、そんな彼らもアラフォーに突入すると、突然、現実の壁にぶつかる。

    「このままじゃ結婚できない!」

     それまで借金をさほど苦にしていなかった人も、あらためて事の深刻さに愕然とするらしい。なかには将来を悲観し、抑うつ状態に陥る人もいるという。

    「消費することが幸せ」
    「自由に生きることが幸せ」

     アラフォーたちの青春時代、世の中はそんなメッセージに満ちていた。ところが、気づけば幸福の尺度は変わり、人々はもっと身近で堅実な幸せを見つけ出そうとしている。「結婚」は、そうした新しい幸せの象徴なのかもしれない。

     青春時代のツケにがんじがらめになっている人々は、世の中から取り残されたような不安と焦燥感を覚えているのではないだろうか。

    これって、同じバブル時代に、「正社員なんて古くさい」「フリーターこそこれからの生き方だ」なんて浮ついた台詞で若者を煽ったどこぞの就職情報誌に煽られたアラフォーな方々の姿と重なるものもありますね。

    まあ、なんにせよ、宇都宮弁護士らの尽力のお陰で、最近は弁護士だけでなく司法書士までが

    >だが、ひとりで悩む前にやれることはある。「過払い金請求」だ。

    に進出してきていますので、まずは借金を片付けることでしょう。

    >ちなみに、借金があることをひたすら隠して結婚するのはおすすめできない。あとでバレた場合、離婚に至る可能性が大だからだ。慰謝料を請求され、さらに深刻な多重債務に陥れば、それこそ「泣きっ面に蜂」である。

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    規制強化の猶予の是非

    はじめに申し上げておきますが、わたくしは医療問題プロパーに関しては一知半解ですらなく無知蒙昧に近い人間です。旧厚生マターでも社会保障関係はある程度議論できますが、医療プロパーは議論できるだけの素養はありません。ですから、これから書くことも、中身についての是非論を論じようというものでは「ない」ということを、念のためあらかじめ申し上げておきます。

    5月7日付で、内閣府の規制改革会議が「「療養の給付及び公費負担医療に関する費用の請求に関する省令」の改正案に対する規制改革会議の見解」という文書を公表しています。

    http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2009/0507/item090507_01.pdf

    これは、(私が理解した限りで言うと)規制を強化するということがすでに決まっていて、政府はそれをきちんと実施させるべきなのに、病院や調剤薬局の準備が間に合わないなどという理由で、1年間の猶予措置を認めようなどとしているのは許し難いという主張のようです。

    >レセプトオンライン請求の原則完全義務化は、医療のIT 化、ひいては国民が求める「質の医療」を推進するために欠かせない、今後の医療政策の根幹をなす政策である。今般、講じられようとしている標記省令の改正は、こうした政策の着実な遂行を停滞させる措置と考えられることから、本件にかかる当会議としての見解を提示する。

    >平成17 年12 月の医療制度改革大綱(政府・与党医療改革協議会)を端緒として、爾後、累次の当会議答申及びそれを踏まえた規制改革推進のための3か年計画(閣議決定)において、平成23 年度当初からのレセプト請求の原則完全オンライン化が政府の方針として決定されており、順次、義務化が進められているところである。
    このような中、本年4月以降、オンライン請求が義務化された
    ① 400 床以下でレセプト電子請求を行っている病院
    ② レセプトコンピュータを使用している調剤薬局
    について、準備が間に合わなかった病院・調剤薬局が一定数存在することが判明したが、これらを対象に一律に最大1年間の猶予措置が講じられることは、上記の政府の方針を逸脱するものである。

    >平成18 年4月10 日に標記省令の改正により義務化が決定されてから十分な準備期間があったにもかかわらず、準備が間に合わない事態となったことは誠に遺憾であり、義務化直前になり猶予措置を講ずること、また、これら準備が間に合わない病院・調剤薬局を理由の如何を問わず一律に救済することは適切でないと考える。

    >厚生労働省は、義務化期限に間に合うよう適切に対応した病院・調剤薬局が大多数を占める状況に鑑み、これらの病院・調剤薬局との均衡を逸しないような措置を早急に講じる必要がある。均衡を欠いたままでは省令軽視の風潮が生じかねないことを強く懸念するためである。

    >今回のような措置が再度講じられることがあってはならない。

    繰り返しますが、医療問題プロパーには無知蒙昧に近い私は、ここで問題となっている中身それ自体についてはあれこれ論ずるだけの素養は全くありません。

    にもかかわらず、あえてこれにコメントしようと思ったのは、まったく同じ構図が、労働規制についても存在していて、そっちの方では、規制改革会議は全く逆の方の立場から、こんな無茶な規制をするから企業は対応できないんだ、対応しようとしない企業の方が正しい、規制する方がけしからんというようなことを言われ続けてきたような気がするものですから。

    いやもちろん、中身によって議論の仕方が180度変わるということも世の中にあってもいいのだろうとは思いますが、「義務化期限に間に合うよう適切に対応した・・・・・・が大多数を占める」のに「均衡を欠いたままでは省令軽視の風潮が生じかねないことを強く懸念」というのは、議論の中身を超えて普遍的に適用されるべき筋道のような気がしないでもありません。

    いや、中の人はご存じの通り、私がかつて労働時間担当だったときに、数年前から決まっていた中小企業の44時間制への移行が、折からのバブル崩壊の中で、1年間延期という風に政治的に決まったことがありまして、そのときに内心思ったことと上の規制改革会議さんの議論がほとんど同じなもので、思わず「そうだよなあ」と思ったということであります。

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    登録型派遣労働者のキャリア形成の可能性を考える

    JILPTの小野晶子研究員によるディスカッションペーパーです。

    http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2009/09-03.htm

    >本論文は、先行調査、先行研究のサーベイと派遣会社3社の聞きとり調査から、事務系と製造系で働く登録型派遣労働者のキャリア形成の可能性を考察したものです。

    ここでいうキャリア形成とは、仕事における能力・技能の向上が賃金の上昇を伴うことを前提としており、先行研究から技術系常用型派遣労働においてはキャリア形成の可能性は十分にあることがわかっています。その一方で、事務系や製造系の登録型派遣労働において、キャリアを形成することが難しいことが先行研究および聞きとり調査から明らかになりました。

    派遣労働において、キャリアを形成する方法は2つ考えられます。1つは、派遣先を移動しながらキャリアを積んでいく方法、もう1つは、同一の派遣先において能力や技能を高めてキャリアを積む方法です。

    聞きとり調査からは、いずれの方法についてもケースを確認できたものの、基本的には派遣先のオーダーや意思が優先されるため、必ずしも派遣労働者の希望通りにはいかないことが現状であることがわかりました。また、長期に渡ってキャリアを積むには年齢の上昇が障壁となる現実があることも明らかとなりました。現状の登録型派遣労働の労働市場においては、労働者個人が高いキャリア意識を持って主導的に動き、年齢が上昇するに従って、資格や専門的な能力やスキルを要する仕事に従事したとしても、キャリア形成には限界があると考えられます

    聞き取りの対象は3社(事務系中堅、事務系大手、製造系大手)だけなので、今後さらに対象を広げて、研究報告書にまとめていくことになるわけですが、この3社のインタビューだけで結構興味深い論点が出てきています。

    本文からまとめのところを引用しますと、

    http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2009/documents/09-03.pdf

    >登録型派遣労働者のキャリア形成の可能性について、先行研究と事例調査からみてきた。そこから言えることは、派遣労働を通じてのキャリア形成は、かなり難しいという現実である。その難しさは、労働者本人がキャリア形成を主導していかねばならないということと、主導したとしても必ずしも実現化しないことにある。そこで、特に派遣労働者のキャリア形成に関して重要な教育訓練と、マッチングよるキャリア形成、同一派遣先でのキャリア形成、年齢上昇と仕事紹介の関係の4 点についてまとめておきたい。

    >第1 の点。教育訓練、すなわち派遣会社におけるOff-JT についてである。登録型派遣労働においては、派遣労働者が複数の派遣会社に登録していることから、必ずしも教育訓練を受けた派遣会社から派遣されるという保証はなく、派遣会社からすれば、教育訓練投資を回収出来ないかもしれないというリスクを負っている。それゆえ、教育訓練投資をより低く抑える行動を取ることになる。一方でより優秀な派遣労働者に登録、定着してもらうために、魅力的な教育訓練プログラムを用意する行動にも出る。特に、事務系の派遣会社にとっては、派遣労働者の能力開発が直接的に本人の技能・能力レベルを上げて付加価値(派遣料金)を上げる人材を作ることが目的ではなく、魅力的な教育訓練によってより付加価値の高い人材を集めることが目的であると考えられる。それゆえ、実施したOff-JTがどのような効果を上げているのか、すなわち実際の職務向上との関係性はさほど重視されないと考えられ、どちらかといえば無償で行われる自己啓発の色合いが濃く、派遣会社はこれらの教育訓練によって積極的にキャリア形成を促す土壌にあるとは言えない。製造系の派遣会社における教育訓練の中心は派遣前訓練で、派遣先が決まっていることが前提である。工具の扱い方など基礎的な内容であり、基本的には派遣されてからOJT により企業特殊技能を身に付けていくことになる。

    第2 の点。マッチングによるキャリア形成についてである。派遣労働者の場合、いわゆる外部労働市場に位置し、転職を繰り返しながら自らキャリアを作っていくことが前提条件となる。「仕事(ジョブ)=派遣料金(賃金)」の原則で派遣されている派遣労働者は、自ら「仕事の連鎖」によってキャリア形成していく他ない。仕事(派遣先)が変わる(高度になる)ことによって賃金が上昇するのであれば、「仕事の連鎖」によるキャリア形成が可能であるといえるだろう。例えば、技術系常用型派遣のように、派遣労働者のキャリアを考えて職場をローテーションさせるような派遣会社主導のマッチングが行われていれば、登録型派遣においても「仕事の連鎖」によるキャリア形成は可能であろうと考えられる。
    しかし、先行研究や事例調査からみるかぎり、事務系や製造系においてはなおさら、登録型派遣労働においてそのようなキャリア形成は難しいようである。また、賃金の上昇に関して言えば、能力や技能の向上とは連動しない。賃金はあくまでもそれらが内包された仕事(ジョブ)に対する派遣料金で決定する。その派遣料金は市場相場に敏感に反応するため、相場が何らかの要因で下がってしまうと、自らの能力や技能が向上したとしても、またはより高度な職務についたとしても、賃金は下がってしまうことになる。

    第3 の点。一つの派遣先に固定してキャリアを形成するというパターン(内部型)は考えられるのだろうか。内部型は、長期にわたって連続的に技能を形成し、それに応じた賃金が用意されるというものである。島貫[2008]や松浦[2008]、また本稿の事例調査から派遣会社は派遣先に対し、派遣労働者の能力に応じた賃金(派遣料金)の上昇を交渉することがわかっている。派遣期間も契約更新が繰り返され、実質長期に渡る場合もある。しかし、「仕事(ジョブ)=派遣料金(賃金)」の原則で括られている派遣社員の賃金の上昇は、たとえリーダー職に抜擢されたとしても時給100~200 円程度が上限であり、キャリアを形成するには限界がある。そもそも、日本では労働者派遣法設立当初から、派遣労働は常用雇用(いわゆる正社員雇用)に代替されるべきものではないという考えがあり、その仕事の範囲、職種の範囲、派遣期間が限定されている。仕事や職種の範囲や派遣期間が限定されているということは、定型的で補助的な職務を限定的な期間に遂行するにとどまり、能力を伸ばしたりキャリアを積んだりするということは難しくなる。こういった前提条件の中では、派遣先は派遣社員の能力や技能を開発するに際してジレンマに陥ることになる。つまり、投資した費用(手間や期間も含め)が回収されるか懐疑的になる。派遣労働者個人も、契約が更新される保証がなく、賃金上昇の保証がなければ、派遣先で必要以上の企業特殊能力を獲得しようとはしないだろう。この点を解消したのが、一部の製造系派遣で技能評価制度を導入している派遣先のケースであるが、製造業務では3 年以上派遣することは禁じられているため、この場合であっても能力・技能形成には限度がある。

    第4 の点。年齢上昇と仕事紹介の関係についてである。年齢が上昇すると派遣するのが難しくなる職種、年齢に関係なく派遣出来る職種というのが存在するようである。後者は専門性やスキルが高い職種であり、労働者自身が将来にわたってどのような職種を選べばよいのかといったビジョンを明確に持ち、年齢上昇と共にそのような職種にシフトしていかなければ、年を重ねるごとに派遣先が狭まってくることは確かなようである。

    ここで、上記4 点を踏まえ、2 つのキャリアパターンの可能性を追加的に考察してみよう。1 つめは、能力や技能を培って職種を変更して賃金を上げるキャリアパターンである。労働者がキャリア意識を持って能力や技能を高める努力をしていることが前提条件である。
    まず、職種の選択をどのように行うかが重要になってくる。例えば、一般事務、営業事務では時給1400~1600 円、製造系では時給1000~1400 円、300~400 円の幅の中に8~9割が入る75。職種がこの範囲を出なければ、これ以上の賃金上昇は望めないことは明らかである。それでは、資格や経験が必要な職種についてはどうなのだろうか。経理や英文経理をみると1400~1700 円、財務・会計1600~1800 円、貿易事務で1500~1700 円と、一般事務に比べれば100~200 円時給相場が高くなるようであるが、職種変更による賃金上昇であっても、時給数百円程度にとどまり、登録型派遣労働に従事する限り賃金の頭打ちが来るであろうことが推測される。
    もう1 つは、派遣労働者全員がキャリアアップを望んでいないことを想定し、1 つの職種に就いて賃金上昇は望まないが、安定して職が継続されるというパターンを考える。これについては、特に一般事務等の特別なスキルが必要のない事務職、製造職等は、年齢の
    壁が来るであろうことが予想される。また、専門26 業務以外の一般事務や製造派遣については、3 年以上の更新は出来ないことからも、年齢や期間の頭打ちを回避し、仕事を得るためには、専門職種に就く他ない。

    以上のことから、現状の登録型派遣労働の労働市場においては、労働者個人が高いキャリア意識を持って主導的に動き、年齢が上昇するに従って、資格や専門的な能力やスキルを要する仕事に従事することが唯一のパターンと考えられ、そうであったとしても賃金上昇の面から、キャリア形成には限界があると考えるしかない。キャリアを積みたいと考える者は、やはり登録型派遣労働の労働市場を抜け出し正社員等の直接雇用の労働者になるほかないようである。

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    2009年5月 8日 (金)

    牛尾治朗氏の雇用観

    産経に、牛尾治朗氏のインタビュー記事が3回連続で載っています。牛尾氏は現在日本生産性本部会長ですが、1990年代の改革志向時代の経済同友会の代表幹事として、改革派財界人の代表として活躍されていたことが印象に残っているでしょう。

    http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090505/biz0905050300000-n1.htm

    インタビューはやや散漫ですが、本ブログの関心事に沿って見ていきますと、まずはじめに

    --「雇用」という問題がクローズアップされています

     牛尾 昭和40年代の高度経済成長期、日本の雇用形態は「ヒューマン・キャピタリズム(従業員資本主義)」という言い方で評価されていました。当時アメリカの経営学者、ピーター・ドラッカーが来日して対談したことがあり、「日本は従業員資本主義だ。すばらしい」と褒めていたのを思いだします。西洋では人件費はコストだが、日本の従業員資本主義ではヒューマン・リソース、つまり人間は資源であると考えていました。そのころ経済雑誌に「従業員シンジケート」という考え方を書いたことがあります。日本には「従業員一家主義というのがあるんだ」と。

     --そのあり方は戦後の経済成長の大きなパワーとなりました

     牛尾 戦後、日本経済は幾度も厳しい局面に立たされますが、このシンジケートは難局を乗り越えるたびに強くなった。経営トップが父親のような存在で家族主義的な結束を強め、1971年のニクソンショック(ドル危機=急激な円高)、73年の石油危機など、未曾有の状況を労使協議会という形で乗り越えてきた。経営と雇用の関係が理想的に花開き、世界に類のない「非常にいい関係」をつくりあげることができました。

    このあたりは、70年代から90年代初めにかけての私のいう企業主義の時代ですが、牛尾氏はそのころはこういう日本型システムの良さを主張する研究者たちと密接な関係にありました。

    --その後、バブル経済が弾け、雇用のあり方も大きく変化します

     牛尾 バブルが弾けて3つの過剰、つまり「労働力(雇用)」「設備」「借金」が指摘されました。適正に対してそれぞれ「30%多い」と。企業経営者は真剣に取り組み、借入金と設備は2、3年で何とか正常化することができましたが、雇用は簡単にいかない。従業員3割カットに8年から9年もかかりました。そこで、「正規雇用への対応は非常に重いものがある」と経営側は考えた。この10年、景気が戻ってからも製造業は安易に正規雇用を増やせなかったし、サービス業は急発展のなかで非正規雇用で対応していかざるを得ませんでした。

     --昨年末からの景気の垂直落下で非正規、派遣など雇用弱者の切り捨てが問題になりました

     牛尾 「雇用は企業の責任」という議論がありますが、これだけ景気が変動し、そのスピードがものすごく急な場合は、民間企業のレベルを超える。政治、社会の問題といっていいでしょう。この10年の労働、雇用形態の多様化の進展を検証することもなく、急に正規、非正規の議論になってしまった観がある。多様化は、「転勤はいやだ」とか雇用される側の要望もかなり反映する形で進んだ面も大きいのです。

    最後のところはやや余計ですが、雇用は企業の責任といわれても・・・というのは実はもっともな面があります。そもそも景気変動による雇用量の絶対的縮小は本来的には政府が対処すべきことでしょう。ただ、そういう景気変動という企業がどうしようもないことに対しても企業が責任を持って雇用を確保するからね、というのが、上でいう「ヒューマンキャピタリズム」だという風に経営者自身がいっていたのであれば、それは責任を負うべきでしょう、という話になる、という筋道であって、ここには、イデオロギー構造が複雑に絡み合ってわけわかめになったぐちゃぐちゃがかいま見えているわけですが、まあそれはともかく、牛尾氏はそこからさらに新たな価値観を提示しようとします。

    --しかし中長期には、改めて企業にとって雇用のあり方はどうあるべきか考えていかないといけない

     牛尾 サービス産業が大きくなり、環境問題や女性の社会進出、これから大きな問題となってくる少子高齢化への対応などを踏まえた雇用の新しいあり方を構築していく必要があります。企業として利益を出すことも大事だが、「いい雇用をたくさん持っている会社」が優れた企業だという価値観を日本社会につくっていくことではないでしょうか。大量生産、コスト主義が軸にあるこれまでの20世紀型経営でなく、多数雇用が善だという21世紀型経営が、おそらく今回の大不況を乗り越えた後に出てくると思います

    「いい雇用」「多数雇用」という言葉が唐突に出てきて、いささか意味が図りかねるところで、第2回へ

    http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090506/biz0905060357001-n1.htm

    >--多数雇用する会社がいい企業だと

     牛尾 かつて力を発揮した日本独特のヒューマン・キャピタリズム(従業員資本主義)を新しい時代に沿って制度改善していくことです。従業員を労働コストとしてみるのではなく、資源として考えるという基本にもどって新しいルールをつくっていく。たとえば、電話1本で売買して2億円稼ぐ会社より、100人使ってやっと5000万円稼ぐ企業が評価され、大事にされるという経済社会です。この企業の人件費の所得税分は法人税を減額してもいいよとかね。

    これを真正面から受け取ると、労働集約的な企業がいい企業で、資本集約的な企業はよくない企業ということになるんでしょうか。それって、生産性は低ければ低い方がいいと?

    いや、実をいえば、私はマクロ社会的にはそういう面はあるのではないかと思っています。少なくとも、国際市場で競争しているわけではないサービス業についていえば、サービス業の生産性が低いのがけしからん、もっと生産性を上げよう・・・なんて国民運動をやって何の意味があるのか、と思っていますし。そうやってサービス業から生産性の低い人々を叩き出して、どうやって生活させるのか、まさかずっと福祉で面倒を見るとでも?と思ってますから。

    でも、日本生産性本部の会長がはっきりとそうおっしゃるというのは、私如きが言ってるのとは違って、重みがありますからね。

    --働く人が主役

     牛尾 働く側からいえば、ワーク(仕事)・ライフ(暮らし)・バランス(調和)が向上します。質のいい暮らし方がまずあって、それにふさわしい職が得られる。若い共働きの夫婦が、休日に一緒に食事に行ったり、芝居を見たり、代わりばんこで育児をしたり…。ご主人が成功したら奥さんは仕事を辞めて大学院で勉強したり、ご主人も40歳くらいで大学院へ行き専門知識を充電し、高給で再就職するとかね。21世紀型経営は働く人が主役になる。その人が、自分の人生観に従って仕事が選べる。会社もそれに協力する。協力が得られないときは会社を替わればいいのです。

    こちらはワークライフバランスですが、そして言ってることはまことにもっともですが、ここでいう「質」ってのは暮らしの質、働き方の質ですよね。あんまり稼がなくてもたくさんの人を雇って(多数雇用)、その人々に生活とバランスのとれたいい仕事を提供する企業がいい企業なのだ、と、そういう印象を持たされたところで、次でサービス業の生産性が出てくるんですね。

    --企業はどうしたらいいでしょう

     牛尾 今後、労働人口は減っていくのだから企業は「量から質」に転換していく以外にありません。つまり生産性の向上です。日本は特に3次産業の生産性が低い。金融、IT、観光のサービス業御三家の生産性を高めていくこと。生産性本部でも2年前にサービス産業生産性協議会を設立して生産性向上運動に取り組んでいます。顧客満足度係数(CSI)をつくってサービス業のいかなるものも数値化し、高い、低いを示す。さらに創意工夫に満ちた優れたサービス企業を掘り起こして顕彰し、その経営手法の紹介と普及にも力を入れています。見事な会社はいっぱいある。頼もしくなりますよ。

    いやまあ、確かに労働人口が減っていくのですから、余っている人をたくさん雇う企業がいい企業だなんていう古くさい考え方はやめよう、もっと生産性を上げて数少ない労働力を有効に活用しようというのは、これまたもっともです。もっとも、もっとも、と、なんだか説得されてばっかりのようですが、いや確かにそうなんですが、でも少し前で言ってたことと少し後で言ってることが首尾一貫してるのかな?という疑問くらいは湧いてきたりします。

    これに対する解答を求めて、第3回目に突入しますと、

    http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090508/biz0905080348003-n1.htm

    --サービス産業の生産性を上げることが大事

     牛尾 日本にはその潜在力が十分あります。これから伸びる分野に医療関連があるが、予防医学から健康のためのサービス、美容まで広範かつ膨大な需要がある。ところがその中核の医療が“お役所の仕事”。そこをできるだけ民営化することですね。

    ここは本当に意味不明です。「民営化」って、医療従事者が公的部門か民間部門かということでいえば、日本は先進国では極めて民間比率が高い国のはずです。

    健康保険が「お役所仕事」ということであるなら、アメリカみたいに民間医療保険型の社会にすべきだという主張なのでしょうか。これまただいぶ時代遅れの市場原理主義のようであります。

    健康のためのサービスや美容がお役所仕事になっているという話も意味不明です。ここはもしかしたら、産経の記者が一知半解で適当に記事にしてしまったのかも知れません。

    --女性の力にも期待がかかります

     牛尾 医療や介護、教育分野もウーマンパワーに負うところが大きい。また年配者には年配者の味と経験があり、若い人には若い人の魅力があります。ワーク・ライフ・バランスの考えを基本に、年齢層を多様に組み合わせたサービスを作り上げていくことが、生産性向上にもつながります。

    というもっともな話とどうつながるのか、記事を読んだだけではよくわかりかねるところです。

    そこから先は、なんだか人気商品バーゲンセールみたいな感じで、雇用の話とどうつながるのか、正直筋目を追うのが難しいのですが、

    --日本は内需だけでは食べていけない

     牛尾 働く人が主役の21世紀型経営というのは「自然との共存」。いまや省エネ型の商品はよく売れるし、ハイブリッド車には国際的関心が集まっています。太陽光、風力もあります。その周辺にはサービス業もあり、生産性を高めてサービスの輸出もできるようになるでしょう。外国人観光客に対する「もてなしの心」(ホスピタリティー)は日本の国民性といっていい。それをサービス商品など価値あるものに工夫して観光客を増やしていく。

    いやまあ、環境と雇用というのははやりですし、なんといってもグリーンニューディールですから。それとホスピタリティと生産性の三題噺をどう解くか、と。

    その先はアジア共同経済圏です。特にコメントしません。

    --今回の大不況が長引くと「21世紀型経営」がなかなか来ないですね

     牛尾 私は楽観していますよ。景気の回復はおそらく、中国の成長力がリードする。ただ、競争力はアメリカです。金融や自動車だけにスポットを当ててダメというのは間違い。ITからBT(バイオ技術)、メディカルはほとんどアメリカがトップ。世界中の優秀な人材が集まっています。日本は中国の成長力とアメリカの競争力に協力して経済を回復させていける。

     --持論の「アジア共同経済圏構想」ですね

     牛尾 中国は、技術など質の高い競争力を持つためには日本の協力が欠かせない。双方の大きなマーケットはアジアです。日本はアジアに対する外需を大事にし、日本の市場をアジアの内需として開放する。つまり「日本も中国もアジアの内需である」ということです。ドイツとフランスが軸になって欧州連合(EU)ができていったように、日中韓が協力してアジア共同経済圏をつくっていくことが日本の21世紀の道だと思います。

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    2009年5月 7日 (木)

    フランス人は寝てるが、日本人は起きてる

    OECDの「Society at a Glance 」(一目で見る社会)が5月4日に公表されていました。

    http://www.oecd.org/document/17/0,3343,en_2649_34487_42671889_1_1_1_1,00.html

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    先進国の中で、フランス人は一番長く寝ているんですね。それに対して一番短いのは韓国人で、ほとんどそれと並んでいるのは日本人。

    これはまあ、いかにもですが、意外なのがフランス人に次いで寝ているのがアメリカ人だというところです。まあ、アメリカ人はいろんなのがいるということなんでしょうか。

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    労働市場における統合と排除

    Jichiken_det_book_0905 自治労関係の雑誌の『月刊自治研』の5月号に、標題の文章を書きました。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/jichikenhaijo.html

    特集は「貧困と社会的排除」で、次のような論文やインタビューが載っています。

    http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/jichiken_details.html

    論文01:貧困・社会的排除・存在証明 ―― 西澤 晃彦(東洋大学社会学部 教授)

    帰属する組織と家族をもつこと、そして定住していること、
    そのような要件を充たすことで、私たちは「まとも」であった。
    貴族証明を喪失したまま、社会の周縁へ追いやられてきた当事者が、
    自らの貧困と苦悩を公共空間に提起することの意味を問う。

    論文02:労働市場における統合と排除 ―― 濱口 桂一郎 ((独)労働政策研究・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門 統括研究員)

    会社という共同体から排除された、低賃金の非正社員。
    人々を救うはずのセーフティネットにも、大きなほころびが見える。
    柔軟性と安定性を組み合わせた新たな雇用システムと
    労働市場への統合を模索するEUの政策に、新たな解を求めたい。

    論文03:母子世帯の子どもの貧困 ―― 阿部 彩(国立社会保障・人口問題研究所 国際関係部第2室長)
    日本の母子世帯の母親のほとんどが「働く母」であるにも関わらず、
    その貧困率は66%と、OECD24ヵ国中最悪なのはなぜか。
    親の就労・経済状況にかかわらず、子どもが幸せを享受するために
    「母子世帯対策」に代わる「子ども対策」の確立こそが急がれる。

    論文04:ルポ:派遣切りに立ち向かう市民と自治体―― 北 健一 (ジャーナリスト)
    派遣切りにより、次々と路頭に投げ出される非正規労働者たち。
    名古屋経済圏を直撃したトヨタショックを受け、
    自治体も異例の対応へと乗り出した。
    相談窓口や抗議集会を通じて明るみに出された過酷な労働実態と、
    そのしわ寄せを一手に引き受ける福祉の最前線からのルポルタージュ。

    論文05:インタビュー:貧困があるかぎり、多重債務問題は解決しない!―― 宇都宮 健児 (弁護士・反貧困ネットワーク代表)
    生活苦からサラ金に手を出し、生活破綻に追い込まれる人々。
    多重債務の救済活動に、30年来取り組んできた宇都宮弁護士が、
    なぜ、反貧困運動を先導するに至ったのか。
    サラ金被害者支援から、「派遣村」立ち上げに至るまでの軌跡を収録。

    最後の宇都宮さんの言葉から、

    >30年来取り組んできて思うのは、多重債務問題の背後には、つねに「貧困」があるという現実です。そしてセーフティネットや社会保障の「貧困」が、悪質な民間高利貸しをはびこらせ、大量の多重債務者を生み出してきた。貧困を解消し、生活再建を支えるセーフティネットを強化しない限り、多重債務問題は真の意味で解決しない。

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    ILO条約が日本の労働・雇用法制に与えた影響

    日本ILO協会が発行している『世界の労働』の4月号が、ILO創立90周年・日本ILO協会創立60周年記念号ということで、「グローバル化時代のILOの役割と日本のディーセント・ワーク」という特集を組んでいまして、そこに、わたくしも標題の文章を書いています。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/ilojapan.html

    長谷川駐日事務所代表始め、横田洋三先生、山口浩一郎先生、吾郷真一先生などILO関係のそうそうたる皆様と並ぶのは、小渕首相ではないですがビルの谷間のラーメン屋みたいなものですが、いささか興味深い視点を示しているのではないかとも。

    ちなみに、冒頭のエッセイが森山真弓議員で、こういう興味深い記述がありました。

    >私は昭和35年に国際労働課の課長補佐になって初めて国際労働機関とご縁ができました。昭和37年にそのILOのフェローシップ(奨学金)を得て、半年間ヨーロッパの国々を歩き、北欧諸国等の労働者福祉の実態を視察、勉強しました。

    当時は、公務員にとって他に留学という制度はなく、国際機関からの援助がほとんど唯一のチャンスでした。・・・

    なまじ「お勉強」しにいくより、その方が遙かに労働政策に役だったに違いない・・・と、思います。

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    2009年5月 6日 (水)

    明日はEU雇用サミット

    さて、明日5月7日は、久しぶりのEU雇用サミットです。

    http://ec.europa.eu/social/main.jsp?catId=88&langId=en&eventsId=173&furtherEvents=yes

    EU雇用サミットというと、今から12年前の1997年に、EU雇用戦略の出発点としてルクセンブルクで開催された記憶が鮮烈ですが、いやそれはわたしが当時EU代表部職員として聞きに行ったからというだけですが、いま、世界金融危機の中で、再びEU雇用サミットが、今度はチェコのプラハで開かれます。

    これに向けたワークショップの統合レポートの最後のところに、いくつかの優先事項がならんでいます。

    • Short time working schemes are useful to keep people in the labour market; their value to workers and to the economy as a whole is substantially enhanced if they are combined with appropriate training and up-skilling. The challenge is to ensure that these schemes do not undermine long-term reform or focus on unsustainable jobs.

    短縮労働(日本で言う緊急避難型ワークシェア)は労働者を労働市場に維持する上で有用な枠組みで、特に職業訓練と結合すると望ましい

    • Restructuring can and will continue, but it needs to be better anticipated and managed and have the full involvement of the social partners. Social partners also have an important role to play in helping redundant workers rapidly find a new job.

    リストラは不可避だが、労使の完全な関与が何より重要。

    • A strong priority should be given to rapidly getting into a job the newly unemployed, the long term unemployed and the inactive that are able to work. Early intervention key in this effort. Particular attention is needed for young people - to facilitate their transition into the labour market notably through apprenticeships and the reduction of early school leaving - and for vulnerable groups, immigrants and the low skilled.

    若者や無業者を仕事につけることが最優先

    • Flexicurity, with its equal and balanced emphasis on flexibility and security, provides the relevant approach for enacting effective anti crisis measures. Making transitions pay is crucial as a complement to policies to making work pay, and public employment services have a key role in this context.

    フレクシキュリティですが、「仕事をペイするものにする」に併せて「移動をペイするものにする」ことが重要といってます。ハロワの役割は重要だとも。

    • Mobility is part of the remedy to overcome the crisis but not an end in itself. In this respect, the proper transposition and implementation of the Posted Workers Directive in the Member States should be enhanced.

    モビリティを強調してます。

    • Skills are the bridge from today to tomorrow: they offer a short-term answer to the crisis, by increasing both mobility and productivity; and they pave the way to longer term recovery, by contributing to innovation and the greening of the EU economy.

    「スキルは今日から明日への橋である」。

    • There is a need for better anticipation of skills needs, and in this context the New Skills for New Jobs initiative is the beginning of a process: efforts should be made to improve the capacity to anticipate skills at EU, Member State and sector level.

    だからスキルのニーズを予測しなくちゃね。

    • Investment in education and skills is not solely crucial for increasing productivity and competitiveness, but also for reducing social exclusion and promoting equity through more and better jobs.

    教育とスキルへの投資は社会的排除をなくし、平等を促進するのだ。

    • Activation should be strengthened, and the EU principles of active inclusion should be pursued. This should be coupled with measures to increase demand, especially for low skilled, including in the social economy.

    アクティベーションが大事です。

    • Community financial instruments, and in particular the European Social Fund and the European Globalisation Adjustment Fund, should be used in full to promote and enhance the implementation of the three broad policy priorities and specific actions discussed in the workshops.

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    「請負」の所管官庁などというものは存在しない

    本ブログに去る月曜日にコメントの形でリンクをいただいた「人事総務部ブログ&リンク集」さんのブログをつらつらと眺めていると、いささかミスリーディングではないかと思われるエントリを見つけましたので、世間によくある勘違いであることもあり、ここで若干説明しておきます。

    念のために言っときますと、派遣と請負の区分基準への疑問など、もっともな議論も多いのですが、それがこういう話につながってしまうと、かえって事態をおかしな方向に持っていくだけだと思われるからです。

    http://www.人事総務部.jp/?p=197

    >今後求められる「請負」のあり方について厚生労働省が原案を提出するようですが、元来、「請負」は経済産業省の管轄です。なぜなら、「請負」は商行為だからです。それを厚生労働省が調査すること自体筋違いに当たるのです。

    世間には、こういう間違った考え方を持っている人も結構いるのだろうと思われますが、これが間違いであることは、建設業の請負が国土交通省(旧建設省)の所管であることを考えればすぐ分かります。

    もちろん、国土交通省は建設請負の「請負」ではなく「建設」を所管しているのです。警備業の請負は警察庁の所管ですが、これまた警察が「請負」を所管しているのではなく、「警備」を所管しているゆえです。

    これらとまったく同レベルにおいて、製造業の請負は製造業を所管する経済産業省の所管ですが、それ以上ではありません。

    建設業とか警備業とか製造業とかといった「業所管」を超えて、「請負」自体を所管している官庁というのは、現在のところ存在しません。あえて言えば、民法の規定に基づくのだから法務省といえば法務省になるのかもしれませんが、それでは、現在の問題への政策的対応にはなりません。

    請負と派遣の区分基準への正当な疑問が、派遣だけではなく請負にも労働者保護法制を適用すべきという戦前の労働法制以来の正しい方向性に向かうのではなく、現在の裏側からの労働法の適用すらなくしてもっぱら産業政策的監督だけにしてしまうという話になるとするならば、そんな議論が世論の支持を得られるとはとうてい思われません。

    かつて、『世界』で書いたように、私は御手洗経団連会長の言葉に賛成なのですが、その賛成の意味をきちんと理解していただきたいと思います。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbang.html(『世界』11月号「労働ビッグバンを解読する」 )

    >まずは、経済財政諮問会議で日本経団連の御手洗会長が「受け入れた先で指揮命令してはいけないというが、仕事を教えてはいけないというのは請負法制に無理がある」と発言し、偽装請負を正当化するものとバッシングを受けた問題から考えよう。なぜ偽装請負が悪くて労働者派遣なら良いのだろうか。派遣も請負も不安定な間接雇用であるという点では変わらない。偽装請負はけしからんから適正な派遣にせよと主張することで、労働者本人にいかなるメリットがあるのだろうか。彼らの常用雇用化を主張するのであれば首尾一貫するが、それを義務づける根拠規定はない。確かに「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準を定める告示」を前提とすると、うかつに接触して「指示」したととられないように、請負労働者との接触は控えた方が賢明ということになる。ところが2005年の労働安全衛生法改正によって、こと安全衛生に関する事項については積極的に接触することが望ましいということになっている。同じ職場に働く労働者として、仕事に関わることそれ以外のこと含めて、関係を深めていきたいと考えるのは自然なことである。

     そもそも戦前の工場法は、労働者派遣事業の前身たる労務供給請負であってもそれ以外の事業請負であっても、すべて工場主に使用者責任を負わせていた*4。派遣でない請負であれば使用者責任がないなどというのは、戦後労働者供給事業を全面禁止したために生じた事態である。そのために、御手洗会長が指摘するような「矛盾」が生じている。この「矛盾」は、しかしながら、本来労働法規制によって規制されるべき請負がなんら規制されていないという事実から生じていることを見落としてはなるまい。御手洗会長は「請負法制に無理がある」というが、むしろ請負法制が存在しないことが「無理」なのである。請負労働の問題は偽装請負を非難して労働者派遣に放り込めば解決するわけではない。むしろ戦前のように請負であっても受入れ事業者に使用者責任を負わせることによってのみ解決することができるはずである。

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    2009年5月 5日 (火)

    スウェーデンの解雇規制法見直しをめぐる労使対立

    スウェーデンがアメリカみたいな解雇自由な国だとか愚かな「知識」を振り回す一知半解氏はほっておいて、そのスウェーデンの解雇規制法をめぐる最近の動向を紹介しておきましょう。

    http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2009/03/articles/se0903029i.htm(Deadlock in negotiations on new central agreement)

    スウェーデンはデンマークとは違い、ちゃんとさまざまな労働法制はありますが、その中身をどうするかというのは中央労使団体間の交渉で決められます。高度にコーポラティズムが発展した国ですから、労使を抜きにして「学識者」が紙の上で物事をあれこれきめるなどということはありません。

    まあ、そんなことは、本ブログ上では今更いうまでもない常識以前のことですが、スウェーデンの労使ナショナルセンター間で行われてきた解雇規制法と労働争議の見直しに関する交渉が不調で、デッドロックに乗り上げたまま中断してしてしまったようです。

    解雇規制法に関する対立点は、

    >The main disagreements related to the priority rules and the right to take industrial action. The Confederation of Swedish Enterprise wanted to reduce the right to take industrial action and to renegotiate the Employment Protection Act (Lagen om anställningsskydd, LAS, 1982:80 (in Swedish)). However, LO and PTK did not agree with these demands. The LAS includes rules about the ‘order of priority’ in the case of dismissals. The order of priority means that the last person employed in a company should be the first one to lose their job in the event of dismissals. According to the Confederation of Swedish Enterprise, these rules are not compatible with the competitive nature of today’s economy. Therefore, the confederation wants to change these rules of priority so that they are based on competences and skills.

    現在のスウェーデンの雇用保護法では、整理解雇の際の優先順位が法定されていて、勤続期間が短いものが先に解雇されるという、典型的なセニオリティルールが適用されています。経営者側は、このルールを改正して、職業能力や技能に基づいて解雇順位を決めてもいいようにしようと提起したのですが、労働側はこれを拒否したということですね。

    日本の整理解雇法理では第3要件として解雇対象者の選定基準が挙げられていますが、実際には能力基準はかなり認められていますから、スウェーデンの法制はかなり硬直的に見えるかもしれません。

    しかし、労働市場そのものはスウェーデンの法が遙かに流動的なのですから、 解雇が当局の許可制であるオランダの例も含め、労働市場のあり方を安易に解雇規制の度合いでもって論じようとすることがいかにピントはずれであるかがよく分かるところです。

    この問題が労使の主たる対立点となる理由は、労働側の主張にあるように、

    >According to LO and PTK, changing the priority rules in the case of dismissal would mean abolishing employment protection and would leave it to the employer to decide who should be fired in cases of dismissals.

    整理解雇という解雇自体は正当性が認められる状況下において、誰が解雇され、誰が解雇されないかという「不利益分配」の権利を使用者の専権に委ねることは認められないということにあります。

    使用者が、「お前は有能だからクビにしない」「お前は無能だからクビだ」と専権的に決められるとなると、労働者はいやだと思っても使用者の権力に従わざるを得なくなる、つまり[voice]が効果的に機能しなくなるわけです。

    解雇規制なるものの意味はまさにここにあるわけであって、別に終身雇用であるかどうかとは直接関係あるわけではありません(日本の整理解雇法理は日本的雇用慣行と密接な関係がありますが、それはむしろ例外です)。

    もう一つの労使間の対立点は、同情ストの合法性です。

    >The parties to the negotiations also disagreed on restrictions regarding the right to take industrial action. The employers proposed to limit the right to organise industrial action such as sympathy strikes, but the social partners also disagreed on this issue.

    日本では同情ストは正当と認められていません。これは、なんと言っても日本の労働組合が企業別組合であって、同情ストは「よそのうちのもめ事に首をつっこむ」というイメージであるのに対して、スウェーデンでは労働者の圧倒的大部分が加入する全国的な組合のある支部が他の支部に応援に駆けつけるというイメージであることが大きいのでしょう。

    (参考)

    スウェーデンの雇用保護法の英訳の該当部分を示しておきます。これを見れば分かるように、完全なセニオリティルールではなく、使用者がこの労働者には辞めてもらっては困るという人を二人まで選んで残すことができるんですね。上の経営側の主張は、これを二人だけに限定するのをやめて、全部使用者が判断できるようにしろということなのでしょう。

    http://www.regeringen.se/content/1/c6/07/65/36/9b9ee182.pdf

    Order of priority in connection with termination of employment

    Section 22 In the event of notice of termination on the grounds of shortage of work, the employer shall observe the following rules on priority.

    Before order of termination is determined, an employer with at most ten employees, irrespective of the number of in the group subject to order of priority rules, may exempt at most two employees who, in the opinion of the employer, are of particular importance for the future activities. When computing the number of employees at the employer, employees referred to in Section 1 are not included. The or those employees who are exempted have priority for continued employment.

    Where the employer has several operational units, the order of termination shall be determined separately within each unit. The circumstance alone that one employee has his workplace at his home, does not mean that the workplace comprises a separate operational unit. If the employer is, or is usually, bound by a collective bargaining agreement, a special order of termination shall be established for each agreement sector. Where, under circumstances as mentioned above, there are several production units in the same locality, a single order of termination shall be drawn up for all the units in the locality that fall within the agreement sector of an organisation of employees, provided the organisation makes a request to this effect not later than the time for negotiations under Section 29.

    The order of termination for those employees who are not exempted is determined on the basis of each employee's total time of employment with the employer. Employees with longer employment times shall have priority over employees with shorter employment times. In the event of equal employment times, priority shall be given to the older employee. Where it is only possible to offer continued work to an employee with the employer following a re-location of the employee, priority shall be contingent on the employee possessing satisfactory qualifications for the continued work. (SFS 2000:763)

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    2009年5月 4日 (月)

    一度しか来ない列車

    本日送られてきた『学士会会報』に、本田由紀先生の「一度しか来ない列車でいいのか」という短文が載っています。

    内容は、新規学卒一括採用がいかに大きな問題があるかを論じたもので、その中では、

    >日本を代表する某製造大企業の人事担当者は、「結局、採用は”官能的”なものですから」とネット上で公然と発言している。

    という一節もあったりして、なかなか一興です。

    本ブログの熱心な読者にはおわかりのように、これは労務屋さんの次の発言を指していますが、それを批判した本田先生ご自身のブログはすでに閉鎖されて久しく、引用できないのが残念です。

    http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060201#p1(新卒採用の基準)

    >しかも、長期雇用ということは採用してから時間をかけて育てようということですから、どうしても今現在なにができるから、ということよりは、この人はこれからこの会社で伸びていけるだろうか、この会社の仕事の進め方や雰囲気にマッチするだろうか、といったいたって官能的な要素が重視されざるを得ません。さらに、ある程度まとまった人数を採用する企業であれば、画一的な人材を並べるよりは多様な人材を揃えたいと考えるでしょうから、ますます「基準」を示すことは難しくなります。極論すれば、「この人はとてもいいんだけれど、このタイプはすでに何人か内定を出しちゃってるからなぁ」といったことで不合格、ということもありえます。もちろん逆もあるわけで、「この人はかなり物足りないけれど、これまで内定を出した人たちを見ると、こういうタイプも一人はいないとね」ということで合格することだってありうるでしょう。現状の採用活動の期間は比較的短期間に集中していますが、それでも多くの企業は少数であれそれなりに長期にわたって採用活動をしているわけですから、タイミングの問題というのも当然あります。

    ですから、企業としてみれば代表的な例として「こんな人は歓迎です」という大雑把な目安を示すことはできても、それ以上に詳細な「基準」を示すことはできないに決まっています。

    私は就職と結婚のアナロジーはあまり好きではない(というか、解雇と離婚のアナロジーが嫌いな)のですが、あえて使えば、結婚相手や恋愛の相手について、なんらかの「基準」を決めて、この基準に一致すれば(必ず)結婚します、恋愛しますなんて言い切れますか。これと似たようなものだ、といえば感覚をつかんでいただけるでしょうか。

    この、就職と結婚のアナロジーから窺えるように、「官能性」重視の根源にあるのは、ジョブ型かメンバーシップ型かという雇用システムのあり方であるわけで、新卒一括採用というのはその一つの現れに過ぎません。

    それはさらに、本田先生が繰り返し指摘されるように、雇用システムだけでなく、メンバーシップ型雇用システムと相補的な職業レリバンスの希薄な教育システムとも対応しているわけです。「官能性」だけを目の敵にして済むものではありません。

    そこのところで、本田先生がどこまで「職業レリバンス」の厳しさというか、もっというなら冷酷さに直面するつもりがあるのかという問いかけを、本ブログでかつて繰り返し書いたことがあります。最近本ブログにおいでになった方々にはいささか新鮮かとも思いますので、いかにリンクしておきます。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html(哲学・文学の職業レリバンス)

    >職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

    >哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

    >就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

    >これを逆にいえば、へたな普通科底辺高校などに行くと、就職の場面で専門高校生よりもハンディがつき、かえってフリーターやニート(って言っちゃいけないんですね)になりやすいということになるわけで、本田先生の発言の意義は、そういう普通科のリスクにあまり気がついていないで、職業高校なんて行ったら成績悪い馬鹿と思われるんじゃないかというリスクにばかり気が行く親御さんにこそ聞かせる意味があるのでしょう(同じリスクは、いたずらに膨れあがった文科系大学底辺校にも言えるでしょう)。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

    >いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい

    そして、昨年の爆笑問題とのからみですが、

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/vs_3880.html(爆問学問 本田由紀 vs 太田光)

    >太田光に、田中が弁当恵んでくれていたからあんたは恵まれていた、と言ってみたって仕方がないんで、「そんな日大ゲージツ学部なんて逝ってる段階であんたは人生捨ててるの!私が相手にしてるのは、まともに就職できると思っておベンキョしてたのに、不景気で就職できなかった人たちなの。」と冷ややかに言わなくちゃいけないんですけどね。

    ややまじめにいいますとね。本田先生のいうレリバンス論とは、高度成長期までの日経連が繰り返し説いていたところなんです。当時のサヨクな方々は、そういう産学協同だの、崇高な教育を資本の論理に屈服させるのはけしからんと言っていたわけです。「官能性」は、その帰結でもあるということを、どこまできちんと認識して社会システムのあり方を考えることができるのか、がこの問題を歴史的にとらえる上で重要だと思います。

    (追記)

    この最後の所を本ブログで上記労務屋・本田由紀論争(?)のときに簡単に説明したのがこれです。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_384b.html(職業能力ってなあに?)

    >小心な私がこの論争に割って入ろうなどというつもりは全くありませんが、この問題を考えるには、その歴史的経緯を知っておいた方がいいのではないかと(そんなのばっかりですが)いう思いから、若干のコメントをしておきたいと思います。

    これは、人材養成を基本的には企業外の仕組み(多くの場合は教育システム)が担い、企業はその専門性を認めて採用し、それを基礎としてさらに養成していくという仕組みを基本と考えるか、人材養成は基本的に企業が行うから、教育制度は余計なことをせずいい素材だけ提供してくれればいいという考え方に立つかの対立です。

    荻野・本田論争を見ると、企業が後者の立場に立つのが当たり前にように思われるかも知れませんが、実は必ずしもそうではありません。

    むしろ終戦直後から高度成長期に至るまで、企業側、具体的には企業全体の利益を代表する立場の日経連は、もっぱら職業教育中心の公的人材養成システムの拡充を求め続けていたのです。普通科ばっかりつくってんじゃねえよ、俺たちに役立つ職業高校を作ってくれ、下らん文科系大学ばっかりこさえてどうすんだ、職業専門大学作れよ、って感じです。

    これに対して一貫して冷ややかだったのが教育界、実業なんていう不純物で神聖な教育をけがされたくないという感じ、特にこれが強かったのが日教組で、職業教育なんて高校卒業後にやってくれみたいな感じ。

    こういう冷たい教育界に対して、企業側が、それならしょうがないから俺たちが一からやるというのが、日本型雇用慣行の特徴とされる企業内人材養成システムです。企業が一からやるんだから、学校で何を学んできたかなどは関係なくなる、職業高校卒というのは、そういう専門を勉強してきた奴というラベルではなく、中卒時に普通科に行けず、職業高校しか行けなかった奴というレッテルになります。

    大学も同じね。これはよくおわかりでしょう。

    専門性で人間を測るのではなく、俺たちが一から教えるのにふさわしい奴かどうかを見るのですから、そりゃあ「官能的」になるでしょう。

    企業側が、職業を蔑視する教育界の我が儘に適応した結果が、この本田先生の言う「職業レリバンスの欠如」なのですから、この因果関係自体について今さら企業を責めてみても始まりません。教育界の自業自得であり、ツケが回ったのです。

    問題はここから先をどうするか、です。企業実務家の立場からすれば、高度成長期以来確立してきた人材養成システムをそう一朝一夕に変えられるものではないし、そもそもじゃあ変えたら明日から学校はそういう人材をちゃんと耳をそろえて持ってきてくれるというのか、ということになります。文部科学省もさすがに近ごろ「キャリア教育」とか称していろいろ実験しているようですが、企業から見ればたぶんちゃんちゃらおかしいというレベルなんでしょう。

    これに対して、本田先生は「職業レリバンスの回復」という理想を掲げて戦っていらっしゃるわけです。それは現段階では理想に過ぎず、現実の教育界の姿を前提にすれば無理なことを言っているのはわかった上で、あえてそういう理想を掲げて前進すべきではないかと仰っておられるわけで、そういう戦いの過程において「採用は官能的」などという発言を見過ごしにできないとお感じになられるのは、これはこれでまたよく理解できるところでもあります。

    さらに、それを若干詳しくフォローしたのが、『季刊労働法』に書いた「デュアルシステムと人材養成の法政策」 です。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/dualsystem.html

    関係部分を引用しておきます。

    >5 公的人材養成システム中心の構想

     
     とはいえ、戦後もある時期までは公的人材養成システムを中心におく政策構想が政府や経営者サイドから繰り返し打ち出されていたのです。これは前回お話しした賃金制度論において、同一労働同一賃金に基づく職務給制度が唱道されたのと揆を一にしています。
     1951年、占領中の諸制度の見直しのために設けられた政令諮問委員会は、「教育制度の改革に関する答申」の中で、中学校についても普通教育偏重を避け、職業課程に重点を置くものを設けるとか、中学高校一貫の6年制ないし5年制の職業高校や、高校大学一貫の5年制ないし6年制の専修大学といった構想を打ち出しています。
     1957年には、中央青少年問題審議会の首相への意見具申で、定時制、通信制及び技能者養成施設を母体として、修業年限4年の産業高等学校を制度化し、義務教育修了後の18歳未満の全勤労青少年が就学すべき学校として構想しています。これはまさに1939年のデュアルシステム的な長期義務教育制の復活です。
     日経連も、1952年に実業高校の充実を要望しましたが、1954年の「当面の教育制度改善に関する要望」では、中堅的職業人の養成のため、5年制の職業専門大学や6年制職業教育の高校制を導入することを求めています。
     日経連はさらに1956年、「新時代の要請に対応する技術教育に関する意見」において、「普通課程の高校はできる限り圧縮して工業高校の拡充を図る」べきことや、「昼間の職業を持つ青少年に対する定時制教育は、労働と教育が内容的に一致するように、普通課程よりも職業課程に重点を置く」こと、さらには「養成工の向上心に応えるため、・・・高等学校修了の資格を付与する道を開」くことも求めています。
     これを受けて、ついに文部省もそれまで否定的であった技能連携制度の法制化に動きだし、野党の反対で廃案を繰り返した後、ようやく1961年に成立に至りました。しかし、訓練担当者が高校教諭免許状を有することなどを指定要件とし、科目指定まで文部省が細かく定めるなどのため、あまり普及しませんでした。
     この点については、かなり後になりますが、1965年の「後期中等教育に関する要望」の中で、日経連は企業内訓練施設での教育の高校単位としての認定の拡大を求めるとともに、高校に技能学科を設け、企業内訓練施設を技能高校に移行することを求めています。これは、企業内では高卒扱いされるけれども、一歩企業外に出れば中卒扱いされる養成工たちにとっては切実な問題であったと思われますが、学校教育の純粋性を第一義と考える文部省には受け入れられるものではありませんでした。彼らが自分たちの能力を高く評価してくれる唯一の場である企業内での長期雇用を志向していったのも当然と言えるでしょう。その意味で、日本型雇用システム形成の一つの要因に教育界の実業嫌いがあったと評することもできるかも知れません。
     一方、労働行政の方は、上記日経連の1956年意見などもふまえ、監督行政から技能者養成を切り離し、職業補導と合体させて職業訓練と名付け、独立した政策分野として位置づける職業訓練法を1958年に制定しています。ここでは、ドイツやスイスの技能検定制度に倣って新たに技能検定制度を設け、技能士の資格を有することで労働協約上の高賃金を受けることができるような、企業横断的職種別労働市場が目指されました。
     この方向性は、1960年の国民所得倍増計画と、とりわけ1963年の人的能力政策に関する経済審議会答申において、政府全体を巻き込んだ大きな政策目標として打ち出されることになります。
     ここでは、そもそも近代意識確立の必要性から説き起こし、年功的秩序と終身雇用的慣行に支えられるこれまでの経営秩序を近代化し、賃金を職務給化するとともに、職務要件に基づき人材を適時採用し配置するという人事制度の近代化を断行すべきだとまず論じています。そして、職業に就く者は全て何らかの職業訓練を受けるということを慣行化し、人の能力を客観的に判定する資格検定制度を社会的に確立し、努力次第で年功や学歴によらないで上級資格を取得できるようにして、労働力移動を円滑化すべきだと主張しています。このような労働政策を前提として、ばらばらに行われている職業的教育を総合的に位置づけ、特に職業高校について「実習の適当な部分は企業の現場において行う」ことや、さらには「一週間のうち何日かの昼間通学を原則と」し、「教科は教室で、実技は現場でという原則の下に」、「職業訓練施設、各種学校、経営伝習農場等・・・において就学することも中等教育の一環として認められるべき」といった形で、明確にデュアルシステムを志向しています。
     また、職業課程だけでなく普通課程そのもののあり方を根本的に検討しなければならないとし、「学歴が異常に尊重されるという社会の現実が、中学、高校教育における一機能としての進路指導を妨げている」という考え方から、アカデミックな性格のA類型に対して、プラクチカルな性格のB類型においては職業科目、特に実践的科目の履修を促進すべきとも述べていました。
     さしもの頑固な文部省も、1966年の中教審答申「後期中等教育の拡充整備について」において、「学校中心の教育観にとらわれて」「技能的な職業を低く見たり、そのための教育訓練を軽視したりする傾向を改めなければならない」と反省し、普通教育専門教育双方を通じて「生徒の適性・能力・進路に対応」して「教育内容を多様化」することや、職業技能を高校教育の一部として短期修得できる制度を設けることなどを提起し、1967,68年の理科教育及び産業教育審議会答申「高等学校における職業教育の多様化について」でこれを具体化しています。
     ところが、このように経営側も政府も声をそろえて、外部労働市場志向型の公的人材養成システムに強く傾いた政策方向を打ち出していたにもかかわらず、その後の人材養成システムは全く逆に、教育制度を中心とした公的部門の役割は縮小する一方で、企業内人材養成システムがほとんど全面的に役割を担うに至ります。
     
    6 企業内人材養成システムの社会的確立
     
     1951年に産業教育振興法が制定されても職業教育体制は量的、質的にきわめて貧弱な状態にあったことから、大企業はやむを得ず自ら養成工制度を再興する道を選びます。技能者養成規程に基づいて、企業内技術学校での学科教育と職場実習を組み合わせた教育訓練体制が1950年代に形成されていくことになります。大企業の技術学校は、地域によっては地元の高校よりも優秀な中卒者を吸収し、高水準の教育を提供していましたが、企業内では高卒扱いでも、一歩企業外に出れば中卒でしかありませんでした。これが、1958年の職業訓練法制定後は、同法に基づく認定職業訓練という枠組みに移行します。
     一方、中小企業では、戦前の徒弟制は崩壊したまま再生されず、労働基準法の技能者養成はコストがかかるばかりでメリットがない(引き抜きも防止できなければお礼奉公もさせられない)というわけで、職業補導所の修了生を採用するほかは、見よう見まねのOJTが支配的でした。1958年の職業訓練法制定後は、中小企業団体による認定共同職業訓練所がかなり設立されていきます。
     1950年代の経営団体が職業教育中心の公的人材養成システムの拡充を求め続けたのは、こういう状況を背景にしていました。実業を嫌う教育界に企業側が一方的に思いを寄せていた時代といえるかもしれません。
     この状況が大きく変わるのは1960年代です。高校進学率が急上昇する中で、優秀な中卒者を養成工として採用し熟練工に育て上げるというコースが縮小し、高卒者を技能工として採用するようになっていきました。しかしながら、上述のように教育界は企業の求めるような職業教育をしてくれていませんでしたから、普通高校卒を含む新規高卒者に対する教育訓練制度を確立していかなければなりませんでした。
     これは中卒養成工の訓練と異なり、3年間の学科教育と職場実習の組み合わせ(企業内デュアルシステム)ではなく、6ヶ月程度の養成訓練とそれに続く職場のOJTとOffJTを中心とする訓練体制です。日本型雇用慣行の特徴とされる人材養成システムがこの時期に完成されたことになります。そして、本田由紀氏が『若者と仕事』(東京大学出版会)で指摘するように、それまでホワイトカラー要員であった高卒者が中卒者の就いていたブルーカラー現場に配属されるようになったことから、その心理的葛藤を和らげるために、定期人事異動とローテーション、長期間にわたる昇進選抜といった「青空の見える」雇用管理制度が発達していきます。この点について、乾彰夫氏の『日本の教育と企業社会』(大月書店)は、企業内閉鎖的な人的集団的秩序の維持・再生という方向を積極的に選び取ったのだと解釈しています。
     こうなると、それまで日経連が主張していた明確な職務要件に基づく人事制度とか、同一労働同一賃金に基づく職務給制度といった「近代的」な思想はかえって邪魔者になってきます。前回お話しした職務給から職能給への思想転換は、こういう企業現場の変化に対応していました。
     この転換を最終的に確認した1969年の『能力主義管理』は、その能力開発の章において、まず期待される社員像を明示し、上司が部下に対して日常業務を通じて行う職場教育(OJT)を中心とし、その能力を顕在化する機会を与えるという日本型人材養成システムの在り方を定式化しています。
     同書が「職務遂行能力」と呼ぶものは、体力、知識、経験、性格、意欲からなるとされ、一つ一つの職務要件からは切り離された極めて属人的なものです。ということは、企業が求める人材の要件も、具体的な職務から切り離された極めて属人的なものにならざるを得ません。企業はもはやつれない教育界に対して人材養成をお願いする必要はありません。企業内人材養成に耐えうる優秀な素材を提供してくれればそれでよいのです。
     政府が外部労働市場指向型の公的人材養成システムに熱を上げていた頃、既に企業側の熱意は冷め始めていたわけです。その結果何が起こったかは誰もが知るとおりです。学校で具体的に何を学んだか、何を身につけたかは就職時に問題にされず、偏差値という一元的序列で若者が評価される社会がやってきました。本田氏のいう教育の職業的意義(レリバンス)の欠如したシステムです。職業高校で学んだことではなく、職業高校に行かざるを得なかった偏差値のみが注目されるならば、いかに政府が煽り立てようが、好んで職業教育を受けようとする者はいなくなるでしょう。
     こういう事態の進展に対する鈍感さを典型的に示しているのが日教組です。1966年中教審答申に対し、翌年の運動方針では「複線型の強化、勤労青年学校、職業訓練所、各種学校など不完全、低度の教育を位置づけて高校教育の格差付けを行う政策に反対」する多様化阻止闘争を打ち出しています。自分たちの学校以外は不完全で低度というわけです。興味深いのは、1970年から1974年にかけてまとめられた日教組の報告書『日本の教育改革を求めて』です。そこでは、誰もが入れる地域総合高校が理想とされ、職業技術教育は高校卒業後、職業訓練機関と大学でせよと述べ、職業教育に重点を置く後期中等教育の多様化路線を「能力・適性・進路による選別」「差別と競争の教育」と非難しながら、一方で「生徒を○×式テストの成績によって振り分ける進路指導」を批判しています。「生徒の適性・能力を的確に把握する科学的方法を追求するよりは、事実上、成績によるふるい分けを強めただけ」というその的確な批判が、実は適性・能力・進路による選別を否定する自分たちに降りかかるものではないかという当然あるべき認識もないようですし、職業教育は高卒後にというその主張が実は企業内人材養成に傾斜する企業行動と極めて親和的なものであったという苦い認識も全く見当たりません

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    2009年5月 3日 (日)

    労働と福祉国家の可能性

    生活経済政策研究所より、『労働と福祉国家の可能性-労働運動再生の国際比較』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。

    まだミネルヴァのフクロウさんのHPに載っていないので、生活研のHPのシンポジウムの案内のページにリンクしておきます。

    http://www.seikatsuken.or.jp/info/20090612simpo.html

    >シンポジウムのご案内「今なぜ労働運動か」

     深まる世界経済の破綻、日々失われ分断されてゆく雇用、そして踏みにじられる保障と生活世界。福祉国家と民主主義と平和の主たる担い手だった労働運動は、戦後最大といわれる現在の危機の時代に、どのような構想を持って運動を進めていけばいいのか。労働運動の自己革新の課題は何か。労働運動への期待が高まっている今日、雇用の同権化、社会運動ユニオニズム、新しい社会保護システムの創出、国際労働連帯などを軸に労働運動の今とこれからを語り合う。

    >本シンポジウムは、小研究所の研究成果として出版される『労働と福祉国家の可能性:労働運動再生の国際比較』(新川敏光・篠田徹編 ミネルヴァ書房 本体価格3800円)の刊行記念事業として行われるものです。

    ということで、

    『労働と福祉国家の可能性;労働運動再生の国際比較』の内容(新川敏光/篠田徹編著 ミネルヴァ書房 本体価格3800円)

    21世紀型労働運動を展望する(新川敏光)

    日本の労働政治(中北浩爾)

    日本の労働運動(鈴木玲)

    韓国の民主化とグローバリゼーションのはざま(磯崎典世)

    現代アメリカ労働運動の歴史的課題(篠田徹)

    カナダの労働運動と第4の道(新川敏光)

    オーストラリアの労働運動・労使関係と福祉国家(杉田弘也)

    イギリスの労働運動と福祉国家(今井貴子)

    フランス労働組合と団体交渉・社会保障(松村文人)

    ドイツの労働運動と政治(安井宏樹)

    オランダのコーポラティズムと対抗戦略(水島治郎)

    イタリアの労働政治(伊藤武)

    スペインの社会的協調と「遅れてきた」福祉国家の改革(横田正顕)

    スウェーデンの福祉国家と労働運動(宮本太郎)

    ヨーロッパ化する労働運動(小川有美)

    新段階へ向かう国際労働運動(小川正浩)

    幾つもの労働運動再建物語(篠田徹)

    各国の章はいずれも大変参考になりますが、日本の諸章については、人によっていろいろと議論のあるところでしょう。

    私が大変気になったのは、鈴木玲氏の書かれた第2章(日本の労働運動)の中の、「企業別組合、コミュニティユニオンの言説分析」というところです。

    ここでは、企業別組合のリーダーたちと、コミュニティユニオンのリーダーたちの公式の発言の内容を分析して、企業別組合の言説は労働者の個別化を促進するものであり、込むにティユニオンの言説は不正義に怒り連帯を求めるものだと述べているのですが、正直言って、あまりにも言葉を真正面から受け取りすぎて、政治的言説を政治的文脈で分析するということになっていないように思われます。

    企業別組合リーダーの言葉は、まず何よりも主流派志向の言葉であり、コミュニティユニオンリーダーの言葉は、まず何よりも反主流派志向の言葉である、ということを抜きにして、言われている中身をそのまま受け取ってはいけません。

    これらの言葉が発せられた時期は、世の中が個人主義こそが正義で、集団主義は悪であるという考え方が猛威をふるっていた時期です。これが、保守派よりもむしろいわゆる革新派にこそ強かったことは、中間集団全体主義を指弾する言説が自民党よりも遙かに社民党と親和的であったことを想起すればよく分かるでしょう。

    そういう流れの延長線上に小泉改革があり、中間集団の既得権をぶっ壊せ、が左右を問わぬ時代精神になっていたその時代の中で、まさにその中間集団の典型である労働組合が時代の流れに棹さそうと思えば、内心は「何を莫迦なことを」と思いながらも、個別化バンザイ的な言説になるのは不思議なことではありません。

    同じ企業別組合のリーダーが、70年代半ばから90年代半ばにかけての時代には、やはり時代精神に沿う形で、集団主義志向の言説を語っていたことと、それは同じ現象なのであって、文字面だけで「分析」しても仕方がないのではないかと思うのです。

    逆に、コミュニティユニオンの言説は、そういう企業別集団主義に対して、労働者個人の権利性を強調するという意味で、言葉の正確な意味における個別化促進的言説であるはずですが、それを(いささか理念的な)「連帯」という言葉に載せているから、単純に「連帯」志向というのが適切かは疑問です。正確に言えば、「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」という「連帯」主義であって、企業の中では「孤立」という形で現象することが圧倒的であったと思われます。

    ここ数年、時代精神が大きく転換しましたから、企業別組合リーダーの言説ももはや脳天気に個別化促進にはなっていません。これらはすべて、時代状況の従属変数としてとらえるべきものでしょう。

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    2009年5月 2日 (土)

    ワークシェアリングの光と闇

    経営法曹会議からいつもお送りいただいてる『経営法曹研究会報』60号をいただきました。ありがとうございます。正直いうと、経営法曹の皆さんの議論がいちばん肌になじむというか、労働問題の現場の感覚をもちながら、会社を経営する側の感覚をきちんと論理化していこうとするその姿勢が、私には好ましく思えます。

    この辺、現場感覚を欠如したまま、紙の上の理屈だけをこね回す手合いの書いたものを読んだあとに経営法曹の方々の書いたものを読むと、やっとまともな世界に戻ってきたな・・・という安心感が湧いてくるから不思議です。

    さて、今号の特集は「不況時における労務管理の諸問題」ですが、基調報告とパネル討議のトップは福島正弁護士の「ワークシェアリングの光と闇」、副題は「正社員の賃金と非正規の雇用の相克について」。これが実に面白い。

    >この二重構造のままですと、正社員だけのワークシェアリングならできるのかもしれませんが、非正規を取り込んだ社会全体としてのワークシェア、昨今問題になっている派遣切りやパート切りを解決していくことは当然できません。つまり、非正規の雇用を維持するために正規の賃金を下げろという非常に難しい場面に行き着くからです。

    >普通の流れでいうと、非正規の雇い止めをしてから、初めて正社員の賃金カットに入っていく。この流れによる限りはワークシェアとはほど遠い。ただ、正規の賃金を削ってでも非正規の雇用維持をしようといっても、それをよしとする雰囲気は日本の労使にはありませんし、それをあえてやろうというインセンティブも全然ない。

    この福島弁護士がつくった設問が、これまた興味深い。自動車部品メーカーで、正社員30名、パート30名、このパートは時間はフルタイムで仕事内容も正社員と変わらない。それぞれ別の組合に加入していて、その間は険悪。今回の不況で合理化を計画。正社員とパートとも、従来の1日8時間、1週40時間、週休2日を、1日7時間、1週28時間、週休3日にし、正社員の月給は20%カット、パートは時間数通り30%カット。等々・・・。

    これに対する正社員組合とパート組合の言い分が、「いかにも」なので、引用しますね。

    >正社員の月給を20%もカットしながら、パートの契約の更新をするというのは、正社員の賃金を軽んじるものであり、これでは雇用を確保するといっても生活できない。パートの雇い止めを行えば、従来の労働時間は維持できるはず。

    残業は主として正社員が行ってきた。言いたくはないが、サービス残業で協力してきたのは正社員だ。労働時間の短縮をするとしても、パートを大幅に短縮し、正社員の賃金ダウンは最小限にとどめてほしい。

    >パートといっても正社員と同じ仕事をしてきたのに、時間給だからといって賃金ダウンの幅が正社員より大きいのはおかしい。残業は正社員がしてきたというが、正社員の残業代を稼がせるために、会社と正社員がぐるでそうしてきたのであって、パートが残業を忌避してきたわけではない。残業が少ないこと自体がパート差別だった。これでは生活していけないのは、正社員より賃金の低いパートの方がずっと深刻である。雇用期間といっても10年、20年と働いてきた者も多く、生活できないので、辞めるときに正社員には特別にお金を払うが、パートは勝手に辞めたらよいというのは差別である。パートの賃金を期間雇用中に一方的に減額することはおかしい。念のために言っておくが、パートの多くは更新を重ねてきたことによって実質的に無期契約になっており、一方的な雇い止めは整理解雇になる。

    これに11の設問がありまして、そのうち、

    5.このまま両組合の同意なしに変更を実施した場合、正社員との関係で、パートの雇い止めをしなかったことが「合理性」の評価でマイナスになるのでしょうか。やはりパートの雇い止めを実施すべきなのでしょうか。

    つくった設問ですから当たり前ですが、いかにも正規と非正規の労労対立が浮き彫りになるような設問ですね。さて、どう考えますか?

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    2009年5月 1日 (金)

    終身雇用という幻想を捨てよ

    Img_report01 財団法人総合研究開発機構(NIRA)から「終身雇用という幻想を捨てよ-産業構造変化に合った雇用システムに転換を」と題する研究報告書をお送りいただきました。

    http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n090427_334.html

    中身はすべてこのリンク先にPDFファイルで掲載されています。

    総論
    終身雇用という幻想を捨てよ
    ―産業構造変化に合った雇用システムに転換を
    柳川範之
       
    各論
    今次雇用危機の構造と政策対応
    ―産業構造転換が求める雇用シフトと「同一価値労働同一賃金」実現に向けた労働市場改革を
    山田 久

    労働ルールの再構築と新システムへの移行プロセス
    ―雇用契約の多様化と新制度導入過程の明示的な検討が必要
    安藤至大

    非正社員の企業内教育訓練と今後の人材育成
    ―企業横断的な能力開発を実現するためのシステム構築を
    原ひろみ

    社会設計としての労働移動を考える
    ―デンマークを事例に  
    辻 明子

    資料
    《再録》 対談 雇用危機と制度再設計の視点   
    山田 久、柳川範之

    なかなか刺激的な論考ですので、いくつか紹介しておきます。

    エグゼクティブサマリーから、まず柳川氏の総論ですが、

    >急速な景気の悪化により、雇用問題が大きな政策課題となっているが、日本の労働市場が抱えているのは、より大きな構造的問題である。実は、終身雇用を実現できた企業は、ごく一時期のごく一部の企業にすぎない。終身雇用制を維持し、それを社会全体に拡大させていくことで、雇用と生活の安定が作り出せるという考えは幻想にすぎない。
    経済環境の変化は激しく、世界的に産業構造の急速な変化が起きている。そのような中で、終身雇用をあたかも制度のように広く企業に要求することは不可能である。さまざまな政策も終身雇用が維持できないことを前提に考えるべきだ。逆説的ではあるが、わが国の雇用を守るために今、求められているのは、終身雇用制度という社会システムの幻想からの決別であり、総合的な雇用システムの転換である。
    これからの雇用政策は、いかに解雇を減らすかではなく、いかに解雇された労働者を新しい職場につかせるか、産業構造の変化に合った能力をいかに身につけさせるかに重点を置くべきだ。より良い転職を促し、転職をよりポジティブに考える仕組みづくりも必要である。そのためには、雇用政策を、わが国の長期的産業構造をどのような方向に持っていくのか、限られた資源や人材を活用して、いかにわが国を成長させていくのかという産業政策や成長戦略と密接に関連付けて考えていくべきである。
    産業政策を考える際にも、今後は雇用政策にウエイトをおき、良い人材をいかに育てるかという視点が必要だ。具体的に政府が積極的に関与すべきポイントは、第一に、介護、農業など規制や障壁が存在する産業に対する規制改革、第二に、環境や医療など国家の成長戦略的分野に対する産業政策と雇用政策のセットでの実施である。そして、新しい環境に適した、より良い能力を身につけるための人材育成・教育訓練システムを、産業政策的視点で大胆に導入していくことも重要である。

    本文では、例のデンマークのフレクシキュリティモデル(ゴールデントライアングル)が出てきます。念のためいっておくと、「終身雇用という幻想を捨てよ」といいながら、同時に「長期雇用は重要だ」とも述べています。ただ、そのタイトルの節の記述は、少なくとも労働法学的にはいささか見当外れといわざるを得ません。

    >(5)長期雇用は重要だ

    ただし、あえて強調しておかなければならないのは、それが直ちに全ての雇用の短期化、スポット化を意味するわけではない、という点である。雇用の流動化を議論する際にはしばしば、それによって短期契約ばかりになってしまえば、長期的視野にたった投資や技能習得が不可能になる、といった主張がなされる。しかし、現実はそうではない。当然、長期的な雇用継続が望ましい企業はそのような選択をするだろうし、簡単には解雇をしないことを会社の方針とする企業も少なくないだろう。また働き続けたい従業員はその会社に必要な能力を身につけようと努力しようとするだろう。その意味では日本型の雇用は今後も続くだろうと考えられる。
    しかし、それは制度とは別次元の問題である。結果として雇用が維持されるのと、雇用維持が強制されるのとでは、意味するところがまったく異なる。この点は誤解のないようにする必要がある。
    もちろん、現実には終身雇用するという明示的な契約が交わされるわけではない。
    正規社員に対して期限の定めのない契約が交わされ、それが解雇規制によって実質的に終身雇用が維持される形になっている。その解雇規制は当初は解雇権濫用の法理という形で判例によって積み重ねられてきたものが、2003 年の法律改正によって明文の規定になっている。この点からすれば、雇用を強制する、解雇規制がそもそも終身で雇用すべきだというスタンスになっている、つまり終身雇用を制度として維持すべきだとなっている点に問題の本質があるといえる。

    解雇権濫用法理それ自体に、「そもそも終身で雇用すべきだ」などというスタンスはありません。こういう勘違いは、経済学者には非常によく見られますが、困ったものです。これでは、アメリカ以外のすべての国、北欧諸国も含めて、不当な解雇を制限している国はすべて終身雇用を法律で強制していることになります。そんな馬鹿な話はありません。

    文中、大竹文雄先生の例の『WEDGE』論文を引いて、

    >その意味では、解雇規制が定着するきっかけがオイルショックであった4 というのは極めて示唆的である。オイルショックは今から振り返れば高度成長期の終わりをつげるものであったのだが、当時はそこまでの認識はなく、このショックが終れば、やがてまた高い成長が実現できるのではないかと思われていた。そうであればこそ、解雇され終身雇用の枠からはみ出してしまうのは、ショックによる一時的な現象であり、それを認めないようにする法的措置もありうるという考え方が生じた。しかし、実際は維持できなかった。そして、解雇規制だけが残った。

    と述べているのは象徴的です。

    このもとの大竹論文については、本ブログで

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/wedge-2092.html(WEDGE大竹論文の問題点)

    と説明し、大竹先生も

    http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2009/01/wedge-228c.html(WEDGE論説の解雇規制に関する説明)

    と説明しているのですが、それを見ないと、50年代に確立した解雇権濫用法理自体と、70年代に石油ショックの中で確立した整理解雇法理がごっちゃになってしまうでしょうね。

    そういう困ったところもありますが、「トランポリン型のセーフティネットを」というのは適切な政策方向ですし、「人材教育システムの構築」ということで「高校、高専、大学の活用」とか、「企業を巻き込んだコミュニティカレッジ」とかの提案は極めて重要なポイントだと思います。

    山田久氏のはあちこちでよく書かれているので(視点・論点にも出てましたし)パス。次の安藤至大氏のが、やはり一言必要なんですが、

    >また、長期的な労働ルールの再構成では、①長期雇用至上主義からの脱却を前提とし、②長期契約と3 年までの期限付き契約の二択に縛られない雇用契約の多様化を実現させ、③企業に労働者の保護を安易に負担させるのではなく、国家が自らの責任として所得再配分政策を強化することなどを提言する。

    雇用政策としては、1970年代半ばから1990年代半ばまで、できるだけ長期雇用を維持することが望ましいという政策思想に立脚してさまざまな政策が実施されてきたことは事実ですが、法的な雇用契約ルールの議論にうかつにそれを持ち込むと話が混乱します。

    期間の定めのない雇用は必ずしも「長期雇用至上主義」ではありません。スウェーデンの労働法は不当解雇をかなり厳しく規制し、有期雇用についてもその雇い止めを厳しく規制していますが、労働市場は非常に流動的で、決して長期雇用至上主義ではありません。

    (追記)

    3法則氏が同じ報告書を取り上げているようですが、例によって(自分を棚に上げて)他人の解雇を好き勝手にできるようにしろというところにばかり夢中になっているようです。

    ちなみに、ご自分の解雇騒ぎについては、下記参照。

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ba7f.html(労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる)

    >なお、この小倉弁護士のエントリのリンク先には、真偽不明の「俺は不当解雇されかけた!」という誰ぞやのエントリがありますが、切込隊長ブログにおける会津泉氏によると「事実無根で悪意に満ちた誹謗と中傷ばかり」だそうで、その後なんの音沙汰もないことから判断すると、おそらくそうなのであろうと想像されますが、それにしても、当該人物が解雇自由を唱えるというのは精神病理学上興味深い症例であるように思われます。

    ちなみに、労働相談においては、労働者の言い分ばかり聞くのではなく、ちゃんと会社側の言い分も聞いた上で判断しなければならないのはいうまでもありません。世の中には事実無根のでっち上げで会社と喧嘩しては辞め、また次の会社で同じことをやらかし・・・という札付きの労働者もいないわけではないのです。このあたりは、現場の労働相談員の方々が一番よく理解しておられるところでしょう。

    http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/84e1469c85ff818b60d17175b66f78a9公文俊平という偽善者

    >MIAUなどのネット規制法案に反対する共同声明に、公文俊平が署名している。彼は、いったいどの面さげて「インターネットの言論の自由」を語っているのか。4年前、メーリングリストでの発言を理由にして3人の研究員を「解雇する」と通告し、訴訟を起されて結局、解雇を撤回し、給与を支払わされて恥をかいたことを忘れたのか。

    http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/01/post-ba7f.html(労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる)

    >実際,池田先生自身「不当解雇」を受けた経験がおありなわけですから,経営者の気の向くままに解雇することが許されるようになったらどうなるか,分からないわけではないと思うのですが。

    自分には(事実をでっち上げてでも)「不当解雇は許されない!」で、他人には「どんな不当解雇でも自由にやれるようにしろ」というダブスタが、何の矛盾もなく併存できるという精神構造は、大変興味深いものがあります。

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    ルポ雇用劣化不況

    4311810 朝日新聞の労働記者竹信三恵子さんの新著です。

    http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0904/sin_k466.html

    リンク先に、岩波書店の方の詳しい紹介が載っています。

    序 章 賃下げ依存症ニッポン   
    第1章 津波の到来   
    第2章 労災が見えない   
    第3章 しわ寄せは「お客様」に   
    第4章 「公」が雇用をつぶすとき   
    第5章 「名ばかり正社員」の反乱   
    第6章 労組の発見   
    終 章 現実からの再出発   
    あとがき

    すでにいくつかのブログで書評が出ていますので、ここでは終章を若干紹介しておきます。

    「解雇の自由な国」の実情

     2009年3月上旬、コペンハーゲンにあるデンマーク労働総同盟のビルの一室で、労働市場専門コンサルタントのクリスチャン・セリストさんは苦笑気味に切り出した。

    「金融危機で大量失業があちこちで起きるにつれ、EUの内からも外からも、デンマークに視察が相次いでいる。解雇が自由な国という評判に、自由にクビが切れたら、どんなに楽だろうと願ってやってくる人たちは多い。でも、解雇の規制を緩める代わりに、私たちが失業期間中の生活の安定や再就職の支援などに、どれだけのコストと手間を掛けているか、わかっているのだろうか。それを知らずに解雇規制の緩和に飛びつくとしたら、極めて危ない」

    現在、日本にはデンマークの労働に関する専門家というのは一人もいないはずです。福祉関係ではデンマークの専門家を何人か知っていますが、労働関係ではゼロ。

    それをいいことに、もっぱらOECDの雇用見通しの記述の都合のいいところだけを切り取ってきて、「デンマークのように解雇を自由にすれば、日本の難点はすべて解消するぞよ」とご託宣を垂れる向きが後を絶たないことを考えると、さすがフットワークのいい新聞記者、さっそく現地に行って、それを支える社会的インフラがどういうものかを取材してきたのはツボにはまってますね。

    具体的には?それはこの本を読んでください。

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    変貌する労働時間法理

    Isbn9784589031655 道幸哲也・開本英幸・淺野高宏編『変貌する労働時間法理-≪働くこと≫を考える』(法律文化社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

    http://www.hou-bun.co.jp/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03165-5&genre=%98J%93%ad%96%40&author=&bookname=&keyword=&y1=&m1=&y2=&m2=&base=genre

    >労働時間法理を判例・学説などの理論面および実務面から総合的に再検証し、その解明を試みる。実態および法理の新たな展開を踏まえ、その全体像を提示するとともに、《働くこと》とは何かを原理的に考察する。

    この本は、目次をその執筆者名とともに眺めると、その性格がよくわかります。

    第1章 なぜ労働時間か・・・・・道幸哲也

    第2章 労働時間規制とその構造・・・・・・山田哲

    第3章 労働時間の算定及び労働時間規制の緩和規定・・戸谷義治

    第4章 労働契約法上の労働時間・・・淺野高宏

    第5章 文書による労働時間管理義務・・・淺野高宏

    第6章 賃金請求権との連動・・・開本英幸

    第7章 労働時間の決定・変更方法・・・・・斉藤善久

    第8章 労働時間規制と生命・生活・・・・・大石玄

    第9章 労働時間法理における≪休むこと≫のあり方・・・國武英生

    終章 ≪労働≫のあり方を考える・・・・・・道幸哲也

    北大の道幸先生のもとで労働法を研究している研究者・実務家の共同研究成果です。3年前には、『職場はどうなる 労働契約法制の課題』を明石書店から出しています。

    各章とも興味深い論点を提起していますが、ここでは数少ない労働関係ブログ仲間である「博物士」こと大石玄さんの第8章を若干紹介しておきます。

    http://d.hatena.ne.jp/genesis/

    Ⅰ はじめに

    Ⅱ 長時間労働と過労死の関係

    1 これまでの経緯

    2 過重負荷と<疲労の蓄積>

    Ⅲ 業務起因性についての裁判例

    1 行政認定と司法判断のずれ

    2 不規則労働の過重性

    3 職場滞在時間と持ち帰り残業

    Ⅳ ホワイトカラー・エグゼンプションをめぐって

    Ⅴ うつ病と長時間労働

    Ⅵ 休み方から考える働き方のルール

    Ⅶ ワーク・ライフ・バランスをめぐって

    1 仕事と家庭生活の調和

    2 仕事と私生活の調和

    Ⅷ おわりに

    最後のところで、それまでの記述の流れをもう一回ひねって、

    >だが、労働者の家庭生活についても多種多様な配慮を為すべきことを使用者に求めると言うことは、裏を返せば労働者が使用者に対して負う義務を拡大させる恐れがあるし、労働者に対してプライヴァシーの開示を迫るということにもつながりかねないという問題がある。WLBを踏まえた新しいワーク・ルールの検討が次なる課題である。

    と書いてあるところが、この問題の奥行きを示しています。

    (参考)

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/karoshiprivacy.html(過労死・過労自殺とプライバシー)

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