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« 日本型雇用システムで正規と非正規の均等待遇は可能か? | トップページ | いかなる解雇も不可能な日本 »

2009年4月25日 (土)

「北風」の新入社員の意識への見事な効果

社会経済生産性本部から昔の日本生産性本部に名称復帰したJPCが、毎年恒例の新入社員意識調査を公表していますが、

http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/mdd/activity000914/attached.pdf

>1.担当したい仕事は「チームを組んで成果を分かち合える仕事」が過去最高(83.5%)
2.「今の会社に一生勤めようと思う」が昨年に比べ大幅に増加、過去最高(55.2%)
3.「良心に反する手段でも指示通りの仕事をする」が過去最高(40.6%)
4.「仕事を通じてかなえたい『夢』がある」が4年連続で増加、過去最高(71.6%)

という見事な結果になっています。

しかも興味深いのは、後ろのグラフを見れば一目瞭然ですが、この傾向は「構造改革」が熱狂的に唱われたこの十年間を通じて、着実に増えてきていることです。

集団主義より個人主義、終身雇用より転職志向、社内出世より独立起業と煽り立てた挙げ句がその正反対の方向で、しかも良心に反しても会社の言うとおりやりますというまことにコンプライアンス精神なき会社人間を大量に作ってきたというのは、これほどの皮肉はないというべきでしょう。

結局、「北風」を猛烈に吹き付けて、終身雇用を吹き飛ばそうと若者をいじめ続けたら、これを手放したら奈落の底に落ちてしまうとばかり、ますますしがみつこうと一生懸命にさせるばかりで、その挙げ句は、こういうことになってしまったようです。

なんだかイソップの寓話みたいですね。

(追記)

この問題をやや理屈っぽくいうと「voice」と「exit」という話になります。

本ブログにおける過去のエントリは以下の通り。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1a4b.html(離脱と発言再び)

>私の基本的問題意識が労働問題、つまり、気に入らない会社をさっさと「離脱」していく方がいいのか、それとも組織への「忠誠」を持ちつつその運営に対して「発言」していく方がいいのか、にあることは、このブログの全体傾向からしてご了解いただけるところだと思います。

>ややマクロに言えば、離脱だけが選択肢となると、その選択肢を取り得る人間がどんどん離脱していき、それができない人間が取り残されて、結局発言によって改善できたはずのものすら改善されないで悪いままになってしまうという点も、彼が強調する点ですね

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_4aa2.html(草稿の続き)

>日経新聞や経済財政諮問会議の民間委員は、voiceなど要らない、exitさえあれば世の中はうまく回るのだと考えているのでしょうが、そういうものではないと私は思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_57fd.html(労使関係の将来像に関する素案的メモ)

>八代氏ら規制改革派は、基本的に労働者側の戦術としては(ハーシュマンのいう)「発言(voice)」ではなく「退出(exit)」のみを有効と認める立場のようであるが、これは労働市場を常に売り手市場にしていくことを前提とするものであって、いわゆる「守旧派」ならともかく「構造改革派」の立場とは矛盾するはずであろう。労働市場が常に絶対的売り手市場でないことを前提とするならば、「転職の自由」を保障するだけでは足らず、何らかの「発言」のメカニズムが不可欠であり、そこから上で(ミクロ的に)労使に委ねるという場合の「労」の中味が問題となる

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コメント

Hamachan先生「結局、「北風」を猛烈に吹き付けて、終身雇用を吹き飛ばそうと若者をいじめ続けたら、これを手放したら奈落の底に落ちてしまうとばかり、ますますしがみつこうと一生懸命にさせるばかりで、その挙げ句は、こういうことになってしまったようです。なんだかイソップの寓話みたいですね。」

引用されているデータですが面白いですね。「良心に反する手段でも指示通りの仕事をする」(40.6%)とは、思考停止モードで働けますということでしょうか。
「雇用の流動化」というキーワードをよく見かけますが、役に立たない中高年を大量に解雇すれば組織の元気が復活するという提案があって、その提案が確実に支持層を増やしつつあるように思います。

しかし『日本でいちばん大切にしたい会社』という本にあるように、「終身雇用・年功序列」をガンコに貫いて成長している会社もあるし、「雇用の流動化」を実現しないかぎり日本経済は復活しないという説は日本人の情緒を理解していないです。「中高年の首を切りやすくなった会社には、若い連中がリラックス&集中して仕事に没頭できるような雰囲気が残っているのだろうか?」と疑問だったので、このエントリのデータは納得できます。

Voice(「発言」)とexit(「離脱」)について。どちらがベターかという二択でも、トレード・オフでもなく、本来は、「両立」が望ましいし、かつ、「両立」しているときにどちらも本来の機能を果たす、というのが、ぶらり庵の考えです。
 「仕事をする人間」はその人がいったん選んだ「仕事及び仕事の組織」と常に合っているとも、一生そこに忠誠を尽くさねばならないとも限らないでしょう。「離脱」(定年や懲戒解雇などは除く、自発的な)には二種類あると思います。一つは仕事が合わない、あるいはより良い仕事がよそにあるので「離脱」する場合、それから、もう一つは仕事の組織に問題があって「離脱」する場合。で、二番目の、仕事の組織に問題があって「離脱」する場合ですが、「離脱」して良い転職のできる可能性がある場合の方が、むしろ組織の問題についての「発言」も自由にできるはずですね。そして、まともな組織ならば、そのような労働者の発言が合理的なもので、かつ、その労働者がそれまでに組織に対する貢献・仕事の能力の蓄積でそれなりのものがあれば「発言」を認めて「対話」し、しかるべき改善を行って、それまでに組織としては投資もしたはずの労働者の「離脱」を防いで、組織風土も改善、と、こうなるはずですけれど、日本の多くの組織の場合、「つべこべ言う奴は(「発言」する奴は)辞めさせる(「離脱」させる)。代わりは(求職者は)幾らでもいる。」と、いったん離職した人間の、同等あるいはより良い仕事への転職が難しい労働市場を背景に、経営者は「離脱」させるぞ、を脅しにして「発言」を封じる、ということになっていませんか。で、第一の、他にもっと良い仕事がある場合の「離脱」でも、仕事がその組織の行っていることと全く関係のない分野ならばともかく、仕事や組織を変えることで、その働き手が「離脱」せずにそこで働き続けることができるならば、「離脱」の可能性を持った上で、改革提言の「発言」を行うことがやはりできるはずですね。いずれにせよ、本来、「発言」と「離脱」とどちらも可能であるときに、本来の組織内での対話につながる「発言」、本来の自発的「離脱」ができるはずだと思います。

ぶらり庵さん、

どこかで似たようなことをいった記憶があるんだが・・・と検索してみたら、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_77a5.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_77a5.html(規制改革会議第2次答申)

>>また、解雇規制の緩和をめぐって、外部労働市場を十分に整備することで「退出」さえ確保されれば良いとの考えは誤りとする声もあるが、転職が容易となることで労働条件が改善され、結果として転職する必要がなくなる側面があることを見落としてはならない。

もちろん、その点、つまりハーシュマンが『方法としての自己破壊』の中で東ドイツを例に挙げて述べた、「退出」の確保が「発言」を可能にする、という面を見落としてはなりません。私もその点は繰り返し述べております。しかし、その両者は「声もあるが」という逆接の接続助詞でつながなければならないものではないのではないでしょうか。「退出」は自由にできるが「発言」はできないような組織は、やはり不健全だと思いますよ。そして、「発言」を保障するための一定限度の身分保障というのは、いかなる組織においてもやはり必要となるのです。それが過度の既得権に転化しているかどうかが問題なのではないでしょうか。

もうひとつ、こちらはコメント欄のやりとりですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1a4b.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_1a4b.html(離脱と発言再び)

>夫馬さんが言われる「離脱が発言を促進する」というメカニズムについては、ハーシュマン自身が『方法としての自己破壊』に収録され「『退出、告発、ドイツ民主共和国の運命」の中で論じていますね。
戦後長らく、離脱を封じられたポーランド、ハンガリー、チェコでは共産主義支配に対する抵抗が行われたけれども、個別の離脱が(細々とではあれ)可能であった東ドイツでは抵抗は見られなかった、というところは、前著での議論の例証なのですが、1989年にハンガリー経由で怒濤のごとく離脱が可能になったとき、それがむしろ国内における発言を呼び起こす働きをしたというところは、夫馬さんの言う離脱の発言促進効果ですね。
ここのところについて、ハーシュマンの説明は、離脱が大量に目に見える形で行われたことが、それを単なる個人的な行動ではなく、集団的な行動としたのだというのですが、そうするとわたしのような労働関係者は、これはまさにストライキの構造そのものではないか、と思えるのですね。
もともとストライキとは、労働者が一斉に「離脱」することであるわけです。個人個人がばらばらに離脱していたのでは発言効果がないものが、みんなが一斉に離脱することで、単なる発言を超えたパワーを持ちうるというところが面白いところです。
いや、このストライキ論はハーシュマンの言ってることではないのですが、こういう連想を引きずり出してくるところも、彼の議論の奥深いところです。


お返事、ありがとうございました。このエントリーの本文だけ読んだときは、voiceとexitが二択のように読めて、hamachanがそんなにタンサイボーではないはずと思ったのでした。
で、実は、voiceとexitについては、ぶらり庵は、労働現場の問題についてもですが、他の場面についても考えます。ぶらり庵は労働問題の専門家ではなくて、単なる「働く生活者」です。そういう者にとって、生活の中で大きな意味のある人間関係は、仕事の人間関係以上に、家族の人間関係です。仕事は、まあ、いちおう選んで入る人間関係ですが、家族の関係の原点、親子は、選べない人間関係ですよね。で、人は、選べない人間関係の中で、まず、人間関係を学びます。そして、それを基礎に、かつ、引き続き、これもたいていは自分で選ぶのではない就学前・初等教育、ある程度選べる中等教育、選ぶ高等教育、という教育課程を経て、その後の人生の人間関係を自分で選びつつ、考えつつ、切り開いていく人間になるはずですね。この過程でどのように学ぶか、が、その後の仕事の中での人間関係の作り方をも決定してゆくと思います、単に教育科目のメニューとしての「労働教育」よりも。
教育のスタート地点の「親子関係の中での教育」の、「親子」は選べない関係ですが、実はこれは、人生の中での最も重大な(仕事よりも、でしょうね)選択である、結婚にもとづいた関係ですね。ですから、実は親子関係を規定するのは、親となる夫婦の関係で、ここでも、発言(対等な対話)と退出(どうしても合わない場合の、合理的かつ対等な分離可能性)が両立していることが、とてもとてもだいじだと思います。

http://www.sanno.ac.jp/research/fresh2011.html

やはり北風時代は続いているようです

「前回の就職氷河期には、終身雇用を望む割合は5割強であったが、この10年間、その割合は上昇する傾向にあり、2011年の新入社員では過去最高の74.5%に達している。」

冗談かと思った・・・「会社にしがみつくための雑誌」

http://kuuki-yomi.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html

”書店の経済誌の棚にあったのですが、周囲の雑誌が「厳しい環境下でも、うまく戦っている企業を特集している」中、異彩を放っていました。

厳しい環境で、個人で何とかしていこうという考えの対称として、「会社にしがみついてなんとか持ちこたえよう」というコンセプトの雑誌です。”

”特に気になった特集は・・・


今こそポジティブに「会社にしがみつけ!」リストラ知らずの会社で生き残る技術

知らなきゃ捕まる法律問題Q&A

取引先から社食のおばちゃんにまで対応怒られないテクニック”

その先にあるものが…

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/02/203037

[非正社員の待遇の低さはこのようによく指摘されるが、では正社員は恵まれていて安泰かと言われると、実際にはそうとも言えない。経営者は、正社員の「正社員という立場を失いたくない」という弱みにつけ込み、サビ残の強制や、過労死するまで働かせるといった労働犯罪を平気で犯す。酷い場合には「やりがい」という金銭的報酬以外の対価に金銭的報酬並の価値を感じるよう「洗脳」を行い、社畜として徹底的に利用しようとする。正社員の未来も、決して明るいとは言えない。]

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