今頃になって「賃金と社会保障のベストミックス」なんて大したこといってるような顔でいうんじゃないよ!と自分に対する警告という意味で、
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa197401/b0059.html
昭和48年、1973年の労働白書(労働経済の分析)で、ちゃんとこう述べています。全然新しくも何ともない話なんですね。むしろ、石油ショックの衝撃で雇用政策が一気に企業中心主義になって以来、40年以上にわたって、労働行政のかつての問題意識が忘れられてきたということが改めて認識されるべきことでしょう。
>〔4227〕以上のように,国によって,年齢に応じて増加する支出項目はやや異なるが,どの国でもライフサイクルによる家計消費支出格差は,ほぼ似通つた形で存在している。しかしながら年齢別の賃金は,国によって大きな相違があり,アメリカ,イギリス,西ドイツなどでも職員層については賃金の年齢別格差がかなりみられるが,労務者層については,生計費がピークに達する年齢階層についてみても,若年層との賃金格差は極めて小さく(第109図),我が国の賃金制度とは著しく異なっている。
〔4228〕欧米においては,年齢別賃金と生計費の対応が我が国とは異なった動きをしているが,そのギャップは税制や社会保障関係給付などによってうめられる実情にある。
例えば,児童手当制度が最も発達しているフランスでは,第2子について基本賃金月額(415.50フラン)の22%,第3子および第4子についてはそれぞれ37%,第5子以降についてはそれぞれ33%が支給される(1972年現在)。なお,支給対象児童のうち10歳以上15歳未満については9%,15歳以上については16%の加給がある。
このため,フランスにおいては,同一職種で同一賃金を得ている労働者でも,社会保険料や税金を差し引き,家族手当を加えた可処分所得は,その労働者の家族の構成によって異なり,単身者の可処分所得を100とすると,妻と子供2人の家族をもつ労働者の可処分所得は125となっており,さらに子供の数が多くなると,家族手当の額が多額となるため,同一賃金の労働者でも単身者と子供5人の労働者では約70%もの可処分所得の格差がみられるなど,我が国では企業が支えている労働者の生活の側面の一部を公的な制度が支えているなどの事情がみられる(第110図)。また,フランス以外についても,ヨーロッパの多くの国々において似通った公的制度の機能が働いている。
〔4229〕勤労者にとって,長期生活設計の大きな課題である老後の生活の安定についてみると,西欧各国では年金の果している役割が大きい。例えば西ドイツの家計の収入構造をみると,世帯主勤め先収入がほとんどなくなる65歳以上の家計では,公的年金収入が6割強を占めており,家計の消費支出の大半がそれによってまかなわれている。
また,住宅取得について西欧諸国の住宅政策をみると,国や時代により政策の重点は異なっているが,いずれの国においても,財政支出,補助金,住宅手当,金融制度などによって住居取得費用や家賃の軽減をはかっている。
例えば,イギリスにおいては,公的住宅の建設助成のために財政援助を行うほか,持家取得援助のための税控除または金利補助,公的住宅入居者に対する家賃補助,民間住宅借家人に対する住宅手当制度によって住宅費の軽減をはかっている。
〔4230〕西ドイツにおいては,一定の条件付きで公的援助を受ける社会住宅とそれ以外の一般住宅があるが,前者については建設資金の貸付けが行われ,家賃や借入金返済の割賦金に対して住宅手当が支給され,利子補給がなされるなど直接的援助が行われるほか,税制上の優遇を受けるなど間接的援助もなされる。一般住宅についても財産形成制度による建設貯蓄割増金や特別償却など一般助成措置が適用されている。
〔4231〕なお,我が国については児童手当の制度化が行われたし,また税制についても世帯構成の変化に伴う生計費の増高に対応して可処分所得が増加する仕組みになっている。年齢別の家族構成を想定し,賃金から税金や社会保障費を差し引いた可処分所得の年齢階級別格差を試算してみると,現行税制下では累進課税制度のため,そのままでは賃金が上昇する中高年齢層での負担が高くなるが,一方,配偶者控除や扶養控除によって,家族人員が多くなることによって生計費が増大する事情は,ある程度考慮されている形となっている(付属統計表第118表参照)。
例えば,40~49歳層の夫婦と子供二人の家計での税負担は,同年齢の夫婦のみの家計より軽くなっており,前者の可処分所得は,20~24歳層の100に対して182.6と賃金格差より大きくなっているが,後者の場合は170.8と賃金格差をかなり下回るものとなっている。しかしその影響は児童手当を含め相対的に小さい。
〔4232〕ヨーロッパ諸国において労働者の家計を公的な制度が支えている基礎には,我が国と異なった費用の負担構造が存在している。
まず,国民経済全体としての費用の負担の状況を租税の面からみると,1971年における税負担(国民所得に対する直接税・間接税の割合)は,日本の20%に対し,諸外国では,スエーデン(45%),イギリス(40%)などで極めて高いほか,西ドイツ,アメリカ,フランスなどでも3割前後の負担となっている。つぎに,社会保障費の負担率をみても,日本の5%に対し,フランス(20%),西ドイツ(16%)などを初めとする諸外国の負担は,いずれも日本を上回っている。租税と社会保障費の負担の関係は,各国の制度の違いなどを反映しているが,両者を合わせた負担率は,日本の25%に対し,スエーデンでは55%,西ドイツ,フランス,イギリスでは46~48%といずれも我が国の2倍程度となっている(第111図)。
〔4233〕以上のような状況は,企業などの負担も含めたものであるが,つぎに個人や家計の負担の程度をみてみよう。給与所得,営業所得,配当所得などの個人所得に対する税負担率をイギリスと比較すると,イギリスでは納税者の所得に対する租税の比率が18.7%であるのに対し,日本は6.8%となっている。また,家計の収入に対する租税や社会保障費の負担をみても,日本の1割弱に対し,西ドイツやイギリスでの負担率は,ほぼ2倍となっている。
〔4234〕このような状況を基礎に,欧米各国では,社会保障制度や社会資本の整備がすすみ,フロー面では社会的な児童手当や年金等が,またストック面では社会的な資産や社会,生活環境等が,企業から支払われる賃金,フリンジ・ベネフィットとともに労働者生活を支える仕組みとなっており,我が国との対比でみると,租税や社会保障費の負担は,国民経済全体としても,また,個人や家計の所得や収入に対する比率でみてもかなり高いものとなっている。
〔4235〕我が国においても,住宅取得,老後の生活など賃金上昇のみによっては解決が困難な問題や,賃金制度の変化,大企業と中小企業の間の格差などの問題に対処しつつ,労働者の福祉を高めていくためには,社会保障制度や社会資本の整備等が今後ますます要請されることとなろう。それによって勤労者のライフサイクルに応じた基礎的な生活条件の社会的な整備がすすめば,長期生活設計についての勤労者の努力とこれに対する企業の援助もより効果的なものになるといえる。その場合これらの社会的な条件整備については,租税や社会保障費の負担の程度を見直す必要が高まろう。
〔4236〕ヨーロッパ諸国とは著しく異なって,我が国の賃金制度は,生計費の年齢間格差を強く反映した構造的特色をもち,その意味では勤労者の長期的生活設計上の課題の実現についても企業内の制度に強く依存するという特色をもってきたといえる。
〔4237〕このような賃金制度については,昭和30年代の後半以降,労働力不足,技術革新による労働態様の変化の影響などを通じて部分的に修正がすすむ動きが生じ,年齢間賃金格差については,相当の縮小がすすんできたところである。今後についても,賃金決定において年功的,属人的要素を修正しつつ職務,能力あるいは労働の質,量を一層重視した賃金制度に向うことの重要性が強いといえる。その点については,企業内における今後の技術革新の進展に伴う労働面の変化などとの関連ばかりではなく,例えば,中高年齢層の雇用の安定,定年の延長などの福祉充実の観点からも賃金制度面での情勢への適応の重要性が指摘されているところである。
〔4238〕一方,30年代後半以降大企業を中心におこってきた年齢間賃金格差の縮小の動きは,最近では,ほとんどみられず,格差は保合いとなっており,これまでとは異なった動きが生じてきた。それにはつぎの二つの要素があると考えられる。,
その第1は,これまでにおいてすでに相当大幅に年齢間賃金格差が圧縮されてきた結果,最近の年齢間格差自体が小さいものとなってきた効果である。規模1,000人以上の大企業についてみると,特別給与を含めた男子賃金の年齢間格差は,20~24歳層を100として40~49歳層では2倍強(47年)の水準にあるが(付属統計表第117表参照),定期給与だけをとつてみれば1.8倍であり,昭和33年当時の2.4倍に比べれば縮小が著しい。また,この数値は職員層を含むものであり,製造業男子労務者層に限ってみれば1.7倍(48年)と年齢間格差は一層小さくなる。このような状況からすれば,生計費との対応からみて,年齢間賃金格差を一層圧縮しうる余地は,現状のもとではあまりなくなってきていると考えられる。
〔4239〕特に中小企業関係ではその状況が強いと判断される。中小企業における年齢間賃金格差は,30年代の中頃には縮小する動きもみられたが,30年代未頃から最近までの間においてほとんど変化がみられないのには,その分野では大企業に比べ賃金水準にかなりの格差があるなかで,年齢間賃金格差がもともと小さく,勤労者の生活面において企業内制度への依存が強いという構造のもとで,年齢間格差をさらに圧縮する余地がなかったことを現していると考えられる。規模100人未満の企業の年齢間賃金格差は,年齢間消費支出格差に極めて似通った形態となっている。
〔4240〕第2は,物価上昇が勤労者の長期生活設計に強い影響を及ぼしてきていることが賃金制度に対して与える効果である。消費者物価や地価の上昇が貯蓄の減価を通じて,勤労者の長期生活設計をおびやかし,例えば住宅の入手をストック(貯蓄)の形成を通じて実現することが困難となり),頭金についても借入れに依存して取得し,借金を月々の賃金で補てんしなければならなくなったり,また,子弟の教育や老後の生活など長期的な目的がかなり大きな比重を占める貯蓄の減価を毎月の賃金から積み増すことによって補うなどの動きが生じ,それらが生活面から賃金上昇圧力となっているといえる。
〔4241〕最近の大企業分野における年齢間賃金格差の変化の動向には,このような要因が背景に作用しているとみられる。
なお,最近多くの組合によって掲げられてきた個別賃金要求は,年齢の比較的高い層の賃金引上げを強く意識している面があるが,このような要求の背景には,以上述べたような長期生活設計の困難の増大ということが一つの要因として存在しているとみられる。
〔4242〕勤労者の生活面の課題実現と企業内制度との関連については,二つの大きな問題点がある。第1は,中小企業の問題である。中小企業においては,すでにみたように企業内福利施設は相対的に少なく,賃金制度も大企業とかなり異なっている。今後についても,中小企業の生産技術水準等からみて,それらを生計費に対応して大きく変えていくことが適切な方向かという問題点がある。第2は,企業内の諸制度なかんづく賃金制度が,生活面の要素によって一層強く影響を受けるかたちで決定されることになれば,賃金制度における年功的要素の修正と労働の質量対応への方向が後退するおそれも生じるという問題である。
年齢別賃金格差がかなり大幅に縮小した現在,長期生活設計を含めて勤労者の生活上の要請をみたしつつ,労働の質量対応という機能をも充足する賃金制度をどのようにして実現していくかは,賃金制度自体としてみても今後の重要な課題である。
〔4243〕このような諸要因を考慮に入れれば,勤労者の長期生活目標の実現,福祉充実については,全般的な実質賃金の改善がすすむなかで労働者のライフサイクルに応じた生活の必要と賃金制度とのギャップを,一つは公的年金その他の社会保障の充実等によって社会的に負担することであり,一つは労働者の資産の形成,保有の努力を企業や国が制度的に援助促進することが重要である。両者が相まって真に充実した労働者の長期生活設計が可能になるといえよう。したがつて勤労者福祉の充実は,個人,企業,社会の関連について,費用負担のことを含め,いかなる実現形態を選択するかが問題であり,勤労者の組織体としての労働組合あるいは使用者の真剣な検討が望まれるところであって,それらの役割に期待されるところが大きいといえよう。
まとめとして、
>年齢別の生計費格差は,我が国とヨーロッパ諸国では似かよっているが,賃金制度には大差がある。ヨーロッパ諸国では,中高年齢層における生計費の増高や引退後の生計費などについて,社会的な給付に依存するところが大きく,勤労者の資産保有に対する社会的な援助についても拡充される方向にある。年齢別賃金格差がかなり縮小してきた現在,賃金制度の機能として労働の質,量対応と生計費対応をどのように調和させていくかは,企業にとって重要な課題となってきているが,我が国についても賃金制度の機能のうち公的制度で充足することが適切であるものについては,公的制度の役割を強めることによって,勤労者福祉の充実をはかっていく方向が考えられる。
〔5115〕社会保障制度の充実など公的制度の拡大には,負担増大を伴うという問題がある。諸外国においては,福祉充実に対する社会の役割が大きいが,同時に,我が国に比べその費用負担も大きい。我が国の現状では費用負担に対する抵抗感が強いことが考えられるが,今後,公的制度の拡大については,費用負担の問題が生じよう。
〔5116〕勤労者福祉を充実し,長期生活設計の目標実現をはかるためには,社会保障制度のほか,公的賃貸住宅の供給などその基礎的条件である公的施策を充実することが必要であると同時に,勤労者生活が真にゆとりあるものとなるためには,長期生活設計に対応した資産を勤労者がもつ必要がある。そのためには,勤労者の自己努力を積極的に援助する企業や国の役割が重要といえる。特に,中小企業などのように,企業内制度のうえで恵まれていない勤労者の場合には,その面についての国の役割に対する期待が大きいとえいよう。
もともと製造業をモデルに物的生産性で考えていたわけだけど、ロットで計ってたんでは自動車と電機の比較もできないし、技術進歩でたくさん作れるようになったというだけじゃなくて性能が上がったというのも計りたいから、結局値段で計ることになったわけですね。価値生産性という奴です。
価値生産性というのは値段で計るわけだから、値段が上がれば生産性が上がったことになるわけです。売れなきゃいつまでも高い値段を付けていられないから、まあ生産性を計るのにおおむね間違いではない、と製造業であればいえるでしょう。だけど、サービス業というのは労働供給即商品で加工過程はないわけだから、床屋さんでもメイドさんでもいいけど、労働市場で調達可能な給料を賄うためにサービス価格が上がれば生産性が上がったことになるわけですよ。日本国内で生身でサービスを提供する労働者の限界生産性は、途上国で同じサービスを提供する人のそれより高いということになるわけです。
どうもここんところが誤解されているような気がします。日本と途上国で同じ水準のサービスをしているんであれば、同じ生産性だという物的生産性概念で議論しているから混乱しているんではないのでしょうか。
>ていうか、そもそもサービス業の物的生産性って何で計るの?という大問題があるわけですよ。
価値生産性で考えればそこはスルーできるけど、逆に高い金出して買う客がいる限り生産性は高いと言わざるを得ない。
生身のカラダが必要なサービス業である限り、そもそも場所的なサービス提供者調達可能性抜きに生産性を議論できないはずです。
ここが、例えばインドのソフトウェア技術者にネットで仕事をやらせるというようなアタマの中味だけ持ってくれば済むサービス業と違うところでしょう。それはむしろ製造業に近いと思います。
そういうサービス業については生産性向上という議論は意味があると思うけれども、生身のカラダのサービス業にどれくらい意味があるかってことです(もっとも、技術進歩で、生身のカラダを持って行かなくてもそういうサービスが可能になることがないとは言えませんけど)。
>いやいや、製造業だろうが何だろうが、労働は生身の人間がやってるわけです。しかし、労働の結果はモノとして労働力とは切り離して売買されるから、単一のマーケットでついた値段で価値生産性を計れば、それが物的生産性の大体の指標になりうるわけでしょう。インドのソフトウェアサービスもそうですね。
しかし、生身のカラダ抜きにやれないサービスの場合、生身のサービス提供者がいるところでついた値段しか拠り所がないでしょうということを言いたいわけで。カラダをおいといてサービスの結果だけ持っていけないでしょう。
いくらフィクションといったって、フィリピン人の看護婦がフィリピンにいるままで日本の患者の面倒を見られない以上、場所の入れ替えに意味があるとは思えません。ただ、サービス業がより知的精神的なものになればなるほど、こういう場所的制約は薄れては行くでしょうね。医者の診断なんてのは、そうなっていく可能性はあるかも知れません。そのことは否定していませんよ。
>フィリピン人のウェイトレスさんを日本に連れてきてサービスして貰うためには、(合法的な外国人労働としてという前提での話ですが)日本の家に住み、日本の食事を食べ、日本の生活費をかけて労働力を再生産しなければならないのですから、フィリピンでかかる費用ではすまないですよ。パスポートを取り上げてタコ部屋に押し込めて働かせることを前提にしてはいけません。
もちろん、際限なくフィリピンの若い女性が悉く日本にやってくるまで行けば、長期的にはウェイトレスのサービス価格がフィリピンと同じまで行くかも知れないけれど、それはウェイトレスの価値生産性が下がったというしかないわけです。以前と同じことをしていてもね。しかしそれはあまりに非現実的な想定でしょう。
要するに、生産性という概念は比較活用できる概念としては価値生産性、つまり最終的についた値段で判断するしかないでしょう、ということであって。
>いやいや、労働生産性としての物的生産性の話なのですから、労働者(正確には組織体としての労働者集団ですが)の生産性ですよ。企業の資本生産性の話ではなかったはず。
製造業やそれに類する産業の場合、労務サービスと生産された商品は切り離されて取引されますから、国際的にその品質に応じて値段が付いて、それに基づいて価値生産性を測れば、それが物的生産性の指標になるわけでしょう。
ところが、労務サービス即商品である場合、当該労務サービスを提供する人とそれを消費する人が同じ空間にいなければならないので、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の高い人やその関係者であってサービスに高い値段を付けられるならば、当該労務サービスの価値生産性は高くなり、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の低い人やその関係者であってサービスに高い価格をつけられないならば、当該労務サービスの価値生産性は低くなると言うことです。
そして、労務サービスの場合、この価値生産性以外に、ナマの(貨幣価値を抜きにした)物的生産性をあれこれ論ずる意味はないのです。おなじ行為をしているじゃないかというのは、その行為を消費する人が同じである可能性がない限り意味がない。
そういう話を不用意な設定で議論しようとするから、某開発経済実務家の方も、某テレビ局出身情報経済専門家の方も、へんちくりんな方向に迷走していくんだと思うのですよ。
>まあ、製造業の高い物的生産性が国内で提供されるサービスにも均霑して高い価値生産性を示すという点は正しいわけですから。
問題は、それを、誰がどうやって計ればいいのか分からない、単位も不明なサービスの物的生産性という「本質」をまず設定して、それは本当は低いんだけれども、製造業の高い物的生産性と「平均」されて、本当の水準よりも高く「現象」するんだというような説明をしなければならない理由が明らかでないということですから。
それに、サービスの価値生産性が高いのは、製造業の物的生産性が高い国だけじゃなくって、石油がドバドバ噴き出て、寝そべっていてもカネが流れ込んでくる国もそうなわけで、その場合、原油が噴き出すという「高い生産性」と平均されるという説明になるのでしょうかね。
いずれにしても、サービスの生産性を高めるのはそれがどの国で提供されるかということであって、誰が提供するかではありません。フィリピン人メイドがフィリピンで提供するサービスは生産性が低く、ヨーロッパやアラブ産油国で提供するサービスは生産性が高いわけです。そこも、何となく誤解されている点のような気がします。
>大体、もともと「生産性」という言葉は、工場の中で生産性向上運動というような極めてミクロなレベルで使われていた言葉です。そういうミクロなレベルでは大変有意味な言葉ではあった。
だけど、それをマクロな国民経済に不用意に持ち込むと、今回の山形さんや池田さんのようなお馬鹿な騒ぎを引き起こす原因になる。マクロ経済において意味を持つ「生産性」とは値段で計った価値生産性以外にはあり得ない。
とすれば、その価値生産性とは財やサービスを売って得られた所得水準そのものなので、ほとんどトートロジーの世界になるわけです。というか、トートロジーとしてのみ意味がある。そこに個々のサービスの(値段とは切り離された本質的な)物的生産性が高いだの低いだのという無意味な議論を持ち込むと、見ての通りの空騒ぎしか残らない。
>いや、実質所得に意味があるのは、モノで考えているからでしょう。モノであれば、時間空間を超えて流通しますから、特定の時空間における値段のむこうに実質価値を想定しうるし、それとの比較で単なる値段の上昇という概念も意味がある。
逆に言えば、サービスの値段が上がったときに、それが「サービスの物的生産性が向上したからそれにともなって値段が上がった」と考えるのか、「サービス自体はなんら変わっていないのに、ただ値段が上昇した」と考えるのか、最終的な決め手はないのではないでしょうか。
このあたり、例の生産性上昇率格差インフレの議論の根っこにある議論ですよね。