個性主義教育の出発点
> 21世紀が始まった頃、個性がやたらと礼賛された時期があった。
『ゆとり教育』。
『ナンバーワンよりオンリーワン』。
『自分らしさ』。
『世界にひとつだけの花』。
【個性的であること=かけがえのないこと】という夢いっぱいの観念を、老若男女を問わず、誰もが礼賛するような空気が、日本じゅうに蔓延していた時期を、あなたも覚えている筈だ。
個性を礼賛した結果がこれだよ!
その結果、何が起こったのか?
個性を礼賛し、個性を追求し、“自分らしさ”へと突き進んだ青少年の大半は、個性を賞賛されることもないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090226/p1
別に中身に反論するつもりはありませんが、「21世紀が始まった頃」という歴史認識にはいささか問題があるような。むしろ個性礼賛が打ち出されたのは80年代半ばであり、、花開いたのは90年代初頭であり、それが90年代以来の構造改革イデオロギーの原動力になってきたというのが適切でしょう。
そして、教育という分野について言えば、「個性主義」というこなれない言葉を持ち出してその後の教育政策に一定の影響を与えたのが、中曽根内閣時代の臨教審(臨時教育審議会)であったことも、一定年齢以上の人々にとっては記憶に残っている事態であるはずだと思います。
個性を殺す学校、学校は生き地獄、学校ぐるみの人権侵害、画一主義が生んだ病理、画一主義と教育荒廃・・・といったこの個性主義教育観がその後の20年以上にわたって、日本のリベサヨな人々の意識を一定の方向に向け続けてきたわけです。
(追記)
念のため。生物学的な用語法で言えば、遺伝子の多様性が望ましいという意見は正しいのです。様々な環境(ニッチ)に適応できる多様な性質を成員がそれぞれに有していることは、種が生き残るために有用であることは間違いないわけで、遺伝子が画一的だと絶滅しやすい。
それを、突然変異はそれ自体が望ましい、たとえ環境に適応できようができまいが・・・みたいな考え方で打ち出したから、話がおかしな方向に逝ってしまったのではないかと思います。
この辺、梅沢正さんの「やりたい仕事ではなく社会が必要としている仕事」という発想が求められるところなんでしょう
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