お互い様というセーフティーネット
日経ビジネスオンラインに、内藤真弓という人の標記のような記事が載っています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20090223/187018/?P=1
> 「人に迷惑をかけちゃいけません」
親や先生からよく聞かされる言葉です。でも、この言葉をきまじめにとらえ過ぎると、自己責任の波にのみ込まれてしまったり、逃げ場がなくなって自分を責めるか、引きこもらざるを得なくなったりするような気がします。
そこから彼女は、自分の少女時代の思い出を語り始めます。
>私の両親は共働きで、父は理容師、母は美容師でした。
>父は25歳で店を構え、私が物心ついた頃は若いお弟子さんたちが5~6人、寝食を共にしていました。
>かつては小なりと言えども一国一城の主として、自営をしている世帯が地域にはたくさんありました。
>国の社会保障は手薄でも、地域の力や親戚、友人・知人の支え合いがセーフティーネットとして機能していた時代だったのではないでしょうか。
親に先立たれた子供が親戚の家に世話になるとか、商売をしているお家に見習いとして住みこむとか、勉強嫌いの子や学校に行けない子が手に職をつけるために「他人の釜の飯を食う」という選択もあったでしょう。嫌なことや悔しいことはたくさんあったかもしれませんが、良くも悪くもそこには「世間」という人と人の繋がりがありました。
三丁目の夕日がほんわかと浮かんでくるような話ですが、とはいえ、時代は変わりました。変わってどうなったか・・・というところで、がくっときます。
>自営業から雇用者中心の社会に移り変わることにより、職場と住まいは分離。妻の労働力としての役割は低下し、専業主婦家庭が増えていきました。そうなると収入源が集中するリスクを回避するために、生命保険というコストをかけざるを得なくなります。
はあ?なんで生命保険が出てくるの?
普通、そこで出てくるのは国の社会保障制度だと思うんですけれど、それは内藤さんの脳裡にはないのかな?と思って、下の方のプロフィールを見ると、
>内藤 眞弓(ないとう・まゆみ)
フィナンシャルプランナー。1956年香川県に生まれ、日本女子大学英文科卒。13年間、生命保険会社での営業を経験した後、独立系のフィナンシャルプランナー集団「生活設計塾クルー」(毎月マネーセミナーを開催)のメンバーに。
なるほど、そういうお商売でしたか。とはいえ、
>また、ほとんどが雇われて生きているため、他人を支える余力はなくなり、ひとかどの人物になるための気概、見栄はさほどの価値を持たなくなりました。こうなると不幸なアクシデントは個々の家庭で解決しなくてはなりません。
また、自営という生き方がリスクの割に見合わなくなり、子供は雇用者になるための教育を受けざるを得ず、親の肩には教育費負担がのしかかります。これらも親に万一のことがあった時の生命保険コストを引き上げる要因です。
と、三丁目の夕日がだめになったら、社会全体で連帯して助け合うなどという発想はまるでなくて、個々の家庭の自己責任しか眼中にないということでは、まさに逃げ場がなくなるだけだと思いますが。
いや、そのために私の売り込む生命保険があるのよ、と言いたいのでしょうが、市場で売られる保険商品を購入できるだけの経済力は自己責任であるわけで。
そして、まさに病気というリスクを市場で売られる保険商品に委ねているのが自己責任をもっとも強調するアメリカであるわけですが。
>私たちは自己責任という呪縛からもっと自由になってもいいのではないでしょうか。周囲の人への上手な甘え方、迷惑のかけ方を身につけ、「お互い様」と言える人間関係、地域社会があれば、多少の鬱陶しさはありながらもギスギスせずに心穏やかに暮らせます。
それはまったくもってその通りだと思いますが、
>ただ、そのためには発想の転換が必要かもしれません。雇用者としてではなく、自営業者としてほどほどの暮らし方をするといったオルタナティブな生き方も選択肢の1つです。
というのはむしろ逆だと思いますよ。自営業者こそ自己責任の最たるものでしょう。
なんでこういうひっくり返った発想になっているのか、やはり少女時代の三丁目の夕日の思い出が強かったのでしょうね。
« これがノルウェーの解雇規制法です | トップページ | 自由民主党は社会民主主義政党か? »

コメント