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« 我先に出口に殺到するな 賃上げで景気底割れ防止を | トップページ | 2月6日(金)の西日本新聞 »

2009年2月 8日 (日)

松下禅尼と青砥藤綱

同じ連合総研の『DIO』2月号のコラムで、松下禅尼と青砥藤綱の話が出てきています。なかなか面白いので引用しておきます。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio235.pdf

>昔々、鎌倉時代の中期に、松下禅尼と呼ばれる良妻賢母の鏡のような女性がいた。日常、質素倹約に努め、無駄な金は一切使わない。執権北条時頼を甘縄第に迎えるに際し、みずから障子を補修したという逸話を残している。質素倹約は美徳ではある。けれども、度が過ぎると問題だ。日本国中松下禅尼の真似をしたら、有効需要は激減する。鎌倉時代の市場経済規模では恐慌は起きなかっただろうが、さぞかし建具職人は困ったことだろう。

 一方、これと対照的な逸話を残しているのが、同時代の名判官青砥藤綱だ。鎌倉の滑川に銭10文を落とし、50文のたいまつを求めてこれを探させた。もっとも、藤綱も質素廉直を旨とした人であって、この逸話も金の大切さを教えるためであったと解説されている。とはいえ、松下禅尼の行動に比べれば有効需要を喚起したことは確かだろう。日本列島における市場社会の展開は長い歴史をもっている。そして、考えようによっては、常にわれわれが悩んできた内需喚起の方策をめぐる議論もまた、今に始まったことでもないらしい。

 ところで、ふりかえってみると、1990年代の「失われた10年」の間も、そして21世紀に入ってからの回復過程でも、世間で幅をきかせたのは、どちらかといえば松下禅尼型の発想であった。政府も、企業も、ひたすら節倹に努めた。それを正当化する錦の御旗には、日本経済の構造改革、国際競争力強化、グローバル化への対応等々、将来のことを考えると誰も否定できないような文言が並んでいた。

 バブル崩壊以降の景気回復のプロセスでも、企業は常にリストラを推進して収益の回復をはかった。一方、政府もまた、公共政策の後退と政府のリストラ、すなわち世界一極小の安上がりな政府構築路線をますます強化した。結局、調整の末の最後のしわは、雇用と家計に寄せられた。2002年に始まった戦後最長の景気拡大局面でも、雇用と家計はついに浮かぶ瀬に乗ることはなかった。国内需要、とりわけ個人消費を基盤にする地方と中小企業が景気拡大から置き去りにされたのは必然の成り行きであったともいえる。

そして、「投資をしない企業には、何の価値もない」という橘川武郎氏の言葉を引きつつ、

>無駄な投資は価値がない。けれども、無投資はむしろ害悪だ。未曾有の世界経済危機の中で、政府と企業に今求められていることは、未来を見据え、グローバルな視野に立つ投資戦略に衆知を集め、「内需」の深化・拡充に総力をあげることだといえよう

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コメント

おぼっちゃまへ

障子の張り替えは師走の大掃除 家内一家でやったものです。
職人に頼むのは襖です。

建具職人は建具を組む迄が仕事で鎌倉時代といえども困らなかったはずです

職業の仕組みは実に複雑なのです。
時代はエコロジーに向かっていますね、つまりケチになる事、質素倹約の令を発した吉宗の時代に突入したとは云えませんか?

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