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2009年1月12日 (月)

「事実漬け」に勝るものなし

明石書店発行『現代の理論』09年新春号をお送りいただきました。

特集は「恐慌前夜か、変革前夜か」で、金子勝、山家悠紀夫等々といった面子が並んでいますが、まあ特に目新しいことも梨。小林良暢氏の「激震の非正規リストラ対策はこれだ」については、私の考えを論ずるときに改めて論ずることとして、ここで是非紹介したいのは、筒井美紀氏の「大学の<キャリア教育>は社会的連帯に資するのか?」という論文です。

>・・・大学教育という観点から見ると、労働世界を<社会>の視点から眺めるという動作を習得させる授業の重要性を示している。この動作と真反対なのは、サッチャーもと英国首相が言い放った「社会というものはない。あるのは個人と家庭だけだ」というものの見方である。この見方に立つと学生はもっぱら「賢く」生きるにはどうしたらいいかというフィルターを通して社会を見るようになり、自己責任論を「素直に」内面化した「新自由主義市民」になってゆくだろう。

>・・・必ずどこかで「賢く生きたい私」をいったんは忘れさせて、労働世界の構造的・制度的なありようを凝視させるべきではないか。というのも、それがなければ、「あの人はコミュニケーション能力がないから正社員になれないんだ」「好きで非正社員をやっている人もいるんだから別にいいじゃない」のように、社会的な次元の問題を個体の次元に還元してしまうからだ。

>念のため申せば、筆者は、「貧しい人々や社会的に不利な人々への同情心を高め、寛大な気持ちを持たせるような大学教育をどしどしやろう」などといっているのではない。もっぱら同情心や寛大さの延長線上に社会的連帯を築こうとするならば、それは失敗する。・・・寛大さと連帯は別概念なのだ。すなわち寛大さとは、私たちが何も共有するところのない相手であっても、その他者の利害を考慮に入れることであり、これに対して連帯とは、利害が共有されている人々の間で、社会的に実効的に利己主義を調整するものである。寛大さは道徳的な徳であり、連帯は政治的な徳である。

>では、誰が利害を共有する-自分と「地続きの」-他者なのか。その認識を、視野狭窄のままでさせぬよう、労働世界を<社会>の視点から眺めるという動作を習得させることが不可欠である。

>では、どうやって?筆者は「事実漬け」に勝るものはない、と考える。学生たちを、題材という観点から見て良質の新聞記事やルポルタージュにさらすこと。・・・教育がなすべきことは、感情や価値のことと見える問題を事実の問題に置き換えて考えさせる・・・その問題に関わる事実を具体的に認識させることである。

何も付け加えるべきことはありません。100%その通りです。

あえて詰まらぬことを脚注的に述べれば、大学生時代に事実をきちんと見るという習慣を身につけぬまま、物事を社会の視点から見るということができないまま、大人になってしまった人間、とりわけ学者などという職業に就いてしまった人間は、その学生たちに、事実を見ないようにする悪い習慣を、物事を社会的に見ないようにするという悪しき習慣を植え付けることによって、社会に再び害悪をまき散らす先兵となってしまうということでしょうか。その実例は、本ブログの過去ログに見出すことが容易です。

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