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2009年1月

大阪府「残業代に管理職手当」 橋下知事が検討指示

http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009013001000271.html

>大阪府の橋下徹知事は30日、記者団に対し「残業代の管理ができずに(一定の基準を)超えてしまった場合には、管理職手当で賄ってもらう」と述べ、管理職手当の一部を職員の時間外手当に回す新たな制度を検討していることを明らかにした。

>府企画厚生課によると、橋下知事は職員の人件費を抑制するため2009年度から新制度を導入するよう指示、庁内で検討が進められている。

>ただ「(部下の)残業代を管理できなかったことを理由に、個人の管理職手当を削るのは法律的に不可能に近い」(同課)といい、具体的な制度設計に時間がかかる可能性がある。>

まあ、知事はともかく、大阪府の優秀な地方公務員の皆さんが知らないなどということはないはずと信じておりますが、地方公務員には(国家公務員とは異なり)労働基準法が適用されております。

つまり、世間で言う雇用管理上の概念である「管理職」はともかく、労働基準法上の労働時間規制を適用除外できる「管理監督者」に当たるかどうかは、労働基準法の解釈に基づくのであって、個別事業主が勝手に「こいつは管理監督者だかんね」といえるわけのものではありません。大阪府といえども、労働基準法上はそこらの中小企業事業主と同格です(労働基準監督機関の監督が及ばないだけ)。

>法第41条第2号に定める「監督若しくは管理の地位にある者」とは、一般的には、部長、工場長等労働条件の決定その他労務管理について経営者とー体的な立場にある者の意であり、名称にとらわれず、実態に即して判断すべきものである

知事と一体的な立場にある部長などの「管理職手当」でもって全府庁職員の残業代を賄おうという壮大なプロジェクトだとすると、なかなかすさまじい見物ではありますね。

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保守的な減税策を批判するのが欧州社会党です、もちろん

欧州社会党の30日付の声明。

EPP rely on usual conservative tax cuts

http://www.pes.org/content/view/1478/1700098

>PES President Poul Nyrup Rasmussen slammed the EPP for proposing tax cuts to solve the crisis. The ‘draft EPP election document 2009’ gives a clear commitment to cutting taxes, although their shorter ‘draft EPP manifesto’ hides any mention of tax cuts or unpopular public spending cuts.      

Rasmussen said “EPP tax cuts mean EPP spending cuts. Why don’t they just come out and tell us they want to axe public services? They don’t dare because public spending cuts are the last thing you need at a time of rising unemployment. It is the same old conservative rhetoric, the same old tired ideology.”   

“Who will bear the brunt of these EPP public spending cuts? Will it be the unemployed or children at school? Will it be pensioners or those who rely on public transport to get to work?”

Rasmussen added “The truth is that the high-tax Nordic countries are among the most competitive in the world. The taxes pay for the life-long learning, the research and development, the child care which the EPP say they want. How can the EPP pay for life-long learning, for better child care and for more R&D if they cut taxes?”   

保守政党は減税しようとしているのに、それを簡略版のマニフェストでかくしているのはけしからん、と批判しているのです、もちろん。

減税して、支出をカットして、公共サービスをカットすることを批判しているのです、もちろん。

サヨクとは国家権力を叩き、官僚を叩き、結果的に市場原理を称揚することであると心得る人々がたむろするどこかの国とは違い、まっとうな対立軸がまっとうに対立している素直な姿を見るのは気持ちがいいものです。

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TOKYO FM クロノス

来週月曜日朝6:15のTOKYO FMのニュース番組に、ちょびっと声が流れる予定です。

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ネーションについて

きはむさんからトラバをいただき、高橋・萱野対談についてコメントしたことについてかなり突っ込んだご質問をいただいています。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20090128/p1(左派ナショナリストへの疑問)

ただ、現在派遣やらワークシェアやら世俗のことで各種マスコミその他から天手古舞い状況にあって、なかなか基本的哲学的な思考をめぐらせるような脳みそ環境にないため、5年前の拙著から関係部分を引用することでとりあえずお許しを願いたいと思います。

今の騒ぎが一段落したら、もういっぺんそういう基礎哲学的レベルに脳みそを向けてみたい気持ちはありますが。

『労働法政策』より、

第1章 労働の文明史

2 社会システムの三類型

 人間は個体で生きる動物ではなく、群れをなして生きる動物である。したがって、人間と自然の関係、人間の自然に対する活動は常に人間と人間の関係、人間の人間に対する活動と結びついている。狩猟・採集社会においては、しかしながら、自然との関係から自立した人間関係それ自体の発達はあまり高度なものではない。農耕・牧畜社会が到来し、社会構成員の生物学的必要を超える食料その他の生活資料を生産することができるようになって、人間同士のコミュニケーション活動は独自の発展を遂げて行くことになる。
 人間と人間の関係を大きく類型化するならば、同じ仲間なのだからいっしょに協力しようという「協働」の関係、こういういやな目に遭いたくなければこれをしろという「脅迫」の関係、こういういいことをして欲しければ代わりにこれをしてくれという「交換」の関係になろう。これらはいずれも人類史のいつどこでも見出せる要素であるが、このいずれもその関係を原理とする人間の組織を構築することができる。協働の原理で組織されたものは「共同体」、脅迫の原理で組織されたものは「権力体」、交換の原理で組織されたものは「市場」と呼べるだろう。

(1) 共同体

 農耕・牧畜社会における主要な人間組織は共同体である。書かれた歴史はその主たる関心を王権、帝国、武士団等の権力体に集中してきたため、あたかもそれらが社会の主役であるかのように見えるが、生産活動に従事する社会の圧倒的多数者は共同体の中で一生を過ごしてきた。しかし、共同体のあり方は時代により、また地域によりいくつかの類型に分けられる。
 前期農耕・牧畜社会における共同体は「氏族」であった。氏族は血縁を根拠として成員の協働を要求する。協働の結果食料を始め生活資料が豊富化し、人間の生物学的必要を超える部分、「余剰」が蓄積される。これが氏族の内部に成層化をもたらし、協働といいながらも、成員がみな同じ労働に従事するのではなく、指令的労働を担当する者と実行的労働を担当する者が分化してくる。前者の子どもは親同様、指令的労働を担当し、後者の子どもも親同様、実行的労働を担当するといったことを繰り返していくうちに、階層が明確に生じてくる。巨大化した氏族においては、氏族長やその一族と一般の氏族員とには事実上ほとんど血縁関係はなく、神話の形で同じ先祖から受け継いでいるという観念を共有しているに過ぎない場合が多かったであろう。
 現実には、氏族間の戦争、征服によって、ある氏族と他の氏族とが脅迫の関係で結合することがよくあり、この場合、この新たな結合氏族は単なる共同体とはもはや呼べず、権力体としての性格をも有することになる。王権の成立はこの段階を示している。征服された氏族の成員は、その氏族員としての地位を保ったままで征服氏族の実行的労働に従事させられる場合もあるが、氏族自体が破壊され、氏族員が個体にまで分解されて実行的労働に従事させられる場合もあった。後者の場合を「奴隷」と呼ぶことができるだろう。奴隷は個体レベルの労働が析出されるという点で労働力商品化の先駆的な面もある。
 後期農耕・牧畜社会における共同体は家族と村落である。家族は血縁原理に基づく点で氏族と同じであるが、共通の祖先に発するとされる者をすべて含みこむのではなく、現実に極めて近親な関係にある者のみで構成され、多くの場合同一の住居に居住する。一方、村落はもはや血縁原理とは切り離されている。同じ地域において協働する必要性が、血縁の代わりに地縁による共同体を形成した。他人同士が形成する共同体という意味で、村落は新たな社会的発明といえる。もはや現実と遊離した氏族的血縁幻想では共同体の凝集力を維持できなくなったことが、一方では家族という現実的血縁共同体を形成させ、他方では村落という地縁的共同体を形成させたといえよう。この村落の上に、強く権力体的性質を帯びた家族共同体たる武士団が乗っかり、小規模な地域に根ざした社会システムを形成したのが封建社会であった。こういう共同体の二重化は、共同性に対する個別性の契機を強調する素地を作り出す。村落の中で生産労働に従事する家族の長であれ、権力体たる武士団の家族の長であれ、家長は多くの同等者の中の1人として自らの家族共同体の権利を断固として貫く必要がある。この家長の権利主張が中世的民主主義の根幹であり、近代的民主主義の源流ともなった。近代的個人主義は家長の個人主義だったのである。
 実際、産業社会を作り出した原動力の一つは、この封建社会の中で育まれた家族共同体である。小規模であることから、事態の変化に応じて機敏に活動することができるという利点を生かして、家族共同体は、農耕・牧畜においてもさまざまな工夫を凝らして生産性を高めるとともに、それを越えてさまざまな生産物の製造活動に乗り出していく。自己労働による家族的生産によって規模拡大を図る独立生産販売者の登場である。
 もっとも、以上はヨーロッパ半島の一部と日本列島に典型的に起こったことであって、ユーラシア大陸の大部分では氏族原理は退化をきたしつつ、なお社会の大半を支配しつづけた。ここでは権力体は帝国の形をとって全体社会の上層部を広く覆い、その下に権力体の契機を失った氏族社会が血縁幻想をいつまでも維持しつづけたのである。

(2) 権力体

 脅迫の原理は必ずしも組織を作るわけではない。むしろ、純粋な脅迫は敵対心を培養するから長期的な関係を作ることができない。脅迫原理で組織を作る場合でも何らかの協働原理が含まれなければ、維持可能なものとはならない。実際、人類史上に権力体が登場してくるのは、氏族社会の中の階層分化と氏族間の征服が結びついて、共同体としての性格を持ちつつ権力体として機能するようになってからである。この氏族的権力体が「王権」である。
 権力体的共同体においては脅迫原理はいざというときに取り出す武器であって、通常はむしろ再配分が主導原理として働く。王権は暴力を担保としつつ表面的にはその「権威」によって余剰を自らのもとに集積し、これを恩恵として成員に配分する。王権は被征服奴隷まで含めた巨大な擬制氏族として、相互に戦争、征服を繰り返し、ますますその血縁共同体の幻想性を強めていく。だが、そうなればなるほど、王権の権威をいつまでも古き神話には頼ることはできなくなる。
 こうして、それ以上大きな王権を形成できないところまでくると、権力体は新たな進化の段階として、帝国を形成するにいたる。帝国はもはや血縁幻想には頼らない。神話を必要とはしない。代わりに、合理的思考に基づく世界観宗教、すなわち儒教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教といった観念体系によって自らを権威付け、大規模な再配分システムを構築する。帝国はもはや共同体ではなく、純粋な権力体となる。皇帝を中心にして周囲を取り巻く貴族や官吏たちは、もっぱら権力闘争に励む。彼らの生活は多くの場合きわめて贅沢なものであり、それを培養土として、かなり大規模な交易が行われ、奢侈品の市場が形成される。しかし、それはあくまで社会全体から見れば周辺的な存在に過ぎない。この贅沢を支える生産活動従事者たちは、権力
体の契機を失い退化した氏族の中で、なお血縁幻想に浸りながら暮らすことになる。もっとも時々この退化した氏族が突然変異的に脅迫原理をよみがえらせ、権力体化して帝国内にミニ王権を作り出すこともある。多くの場合それは匪賊として鎮圧されるが、稀に帝国を打倒して取って代わることもある。これが帝国における革命であり、その前後で社会は何も変わらない。
 ユーラシア大陸の大部分では二千年間帝国システムが持続したが、ヨーロッパ半島の一部と日本列島では異なった進化の過程が展開した。ローマ帝国に倣ったフランク帝国、中華帝国に倣った古代天皇国家は、大規模な再配分システムの確立に失敗し、帝国は急速に溶解して再びいくつもの氏族が相争う時代を迎える。しかし、いったん帝国原理を学んだ者はもはや神話には戻れない。復活した氏族もその血縁幻想が急速に空洞化していく。そこで、氏族の中から現実的な血縁共同体としての家族が、特定の地域に密着する形で登場してくる。そして、帝国の崩壊で権力体が空位となるのと比例して、かつて氏族の中で上層部をなしていたこれら家族の中から権力体的性格を強く持つものが続々と現れてくる。武士団である。これが氏族の下層部から生まれた生産活動に従事する家族を特定の地域を単位として支配するようになる。封建社会の成立である。
 封建社会には2つの運動モメントがある。1つは武士団が相互に戦争、征服を繰り返し、次第に広大な地域を支配する領邦国家となり、やがて近代主権国家にいたる流れであり、もう1つは家族共同体をバックにした家長の間の民主主義が、やがて近代的民主主義にいたる流れである。いずれの面においても、近代国家は封建社会の直系である。この2つのベクトルが近代国家に流れ込んだとき、それは維持可能であるためには権力体であると同時に再び共同体でなければならない。朕が国家なのではなく、共同体の近代的形態として発明された「ネーション」が国家でなければならない。しかし、近代国家の最大の特徴は、それが社会の全面的市場化を推進する主体となった点にある。

(3) 市場

3 市場社会と労働力の商品化

4 社会主義と社会政策

 社会問題、社会主義、社会政策。われわれが当然のように使うこれらの言葉ほど、労働力の商品化という問題の存在感を示すものはない。市場社会という「悪魔の碾き臼」の中でばらばらの他人労働にされてしまったかつての自己労働者たちの怨念が、やがて労働運動や社会主義運動という形をとって噴出してくる。そして、再び共同体性を帯び始めた近代国家という権力体が、社会政策という名の介入を始めるのである。

(1) 労働運動
(2) 社会主義

(3) 社会政策

 社会政策はいうまでもなく近代国家の行うものである。近代国家とは何だろうか。発生論的には、それは中世封建社会の武士団が成長して形成された権力体的共同体である。戦争と征服を繰り返して巨大化した近世王権は、かつての古代王権が巨大化して血縁幻想に頼り切れなくなったように、中世的な地域に密着した共同体意識から乖離してくる。王権が共同体意識から乖離するとともに、都市商人と結び、その貨幣増殖の保護者として立ち現れてくる。自らの暴力装置をもって商人資本の循環を容易にするとともにその分け前を取得しようとする近世国家の登場である。
 しかし、共同体意識から乖離したとはいえ、近世国家は未だ村落共同体とその中で自己労働による生産活動に従事する家族共同体に立脚している。これを破壊するようなことは許されない。初期社会政策と呼ばれる一連の政策は、労働組織を規制する職人条例にせよ、余剰労働力を国家が吸収しようとする救貧法にせよ、労働力の商品化を防止することに主眼がおかれていた。
 自己労働による家族的生産とこれと問屋制で接合した商人資本が、産業革命の怒濤の中で自己増殖を目指す産業資本と主体性を奪われた他人労働に転化していくのと並行して、封建社会の地域共同体に立脚しながらそれから乖離していた近世国家も大きな変動を被る。立脚基盤としての新たな共同体として「ネーション」が発明され、この想像の共同体と近世国家から受け継いだ権力体が結合して近代国家が誕生するのである。この背景には、村落共同体から自立して独立独歩の存在となりつつあった家族共同体が、より強力な上位の共同体を求めようとしたことがあろう。都市商人と結んだ近世国家ではなく、独立生産販売者のための近代国家が求められた。
 ここで、歴史の最大の皮肉は、自己労働による家族的生産が産業資本に進化するとともに、近代国家の任務はそのためにそれまで抑制されてきた労働力の商品化を全面的に推進する役回りを演じることになったことである。上で述べた初期社会政策立法の廃止が、労働力の全面的商品化を、そして社会の全面的市場化をもたらすことになった。この意味において、近代国家は市場社会の形成者である。しかしながら、近代国家はネーション共同体として、商品化され他人労働化した労働者をもその成員とする。ネーション共同体としての成員保護の要請が、失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働に従事する「同胞」にも寄せられる。こうして、近代国家は労働力の商品化を実行すると同時に、労働力の商品化を制約する措置を執らねばならなくなる。初期社会立法の廃止と同時に近代的社会立法、すなわち労働者保護立法が開始される。近代国家は市場社会の形成者であると同時にその修正者として立ち現れる。
 近代国家のこの二面性からすれば、市場社会はその登場の時から純粋な市場社会として登場したわけではないことがわかる。いや、純粋な市場社会などというものが存在したことはなかったというべきであろう。社会政策は近代国家とともにあったのであり、やや極端な言い方をすれば、近代国家の本質は社会政策という形で現れる共同体性にあった。

5 19世紀システムとその機能不全

(1) 自己調整的市場と自由主義国家

(2) ネーション国家と家族共同体

 ところが、19世紀は自由主義の時代であるだけではなく、ネーションの時代でもあった。もはやかなり希薄化していたとはいえ、それまで所属していた封建社会の村落共同体から投げ出された家族共同体は、ネーションという巨大な想像の共同体に自らを投げ入れることでその安定を図ろうとしたのである。
 そこで、ネーション国家による権力的介入は狭い意味での市場のルール確保を超えて、ネーション国家の細胞としての家族共同体の維持にも向けられる。具体的には、家族共同体を破壊する恐れのある労働力商品の個人化の抑止が、労働保護立法という名の下に開始されるのである。擬制的労務サービス業の主体はあくまでも家族共同体(「家計」)なのであって、その首長たる成人男子労働者については自己調整的労働市場にゆだねてあえて介入は行わないが、その妻や子どもについては就業制限や労働時間規制によって労働力供給を制約するという政策が試みられた。生産活動を行う家族共同体における家族労働は何ら規制されないのであるから、これはバラバラの個人としての他人労働化を抑止することが目的であったといえる。
 労働保護立法に続いてネーション国家が家族共同体維持のために採った政策は、社会保険制度である。これは成人男子労働者が一時的(疾病、失業)または恒常的(障害、老衰)に労働不能に陥った場合に、その家族共同体成員の生活を維持するための給付を成人男子労働者の強制拠出によって行おうとするものであって、自由主義国家の考え方とはかなりの程度矛盾するものであり、19世紀システムにおいては部分的、周辺的にしか取り入れられなかった。この制度が全面化するのは20世紀システムのもとにおいてである。

(3) ネーション国家とバランス・オブ・パワー

 ネーション国家は帝国ほど普遍的、世界的ではなく、封建武士団ほど特殊的、地域的でもない。複数のネーション国家が作る国際社会は、古代の氏族社会後期の王権国家と類比的な武力のバランスによって成り立つ社会であった。ネーション国家は領土や特に植民地をめぐって互いに戦争を繰り返し、ネーション共同体はその成員に名誉ある義務として兵士として戦うことを要求する。近代は徴兵制の時代でもある。
 だが、成員に死をすら要求する共同体は、成員からその死に値する待遇を要求されざるをえない。失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働を強制される「戦友」の姿は怒りを呼び起こし、労働力の商品化は糾弾される。
 しかし、このメカニズムが大きく動き出すのは20世紀に入ってからである。19世紀にはまだそこまではいかない。総じて、ネーション国家同士のパワーゲームは近世国家同士のそれの延長線上に貴族風外交術をもって行われ、十分に「ネーション外交」化していない。国際経済は自己調整的市場の延長線上に自由貿易と金本位制を機軸に動かされ、ネーション経済同士の利害対立はこの原理を否定するにはいたらない。
 19世紀末から20世紀初頭にかけてのいわゆる帝国主義時代は、以上のシステムが機能不全に陥った時代である。繊維を中心とした軽工業から鉄鋼造船等の重工業へと産業構造がシフトし、それとともに自己調整的市場に対する疑問の声は社会の中でいよいよ高まった。社会主義運動は激しさを増し、これに対応するために各国とも帝国主義的対外膨張政策に訴えた。その帰結が第1次世界大戦であり、大戦下の戦時体制において、自由主義国家に代わるべき新たな国家原理が模索された。それまでなお2等国民であった労働者階級を正規のネーション成員として組み入れる20世紀システムの出発点である。

6 20世紀システムの形成と動揺

 20世紀システムは第1次世界大戦と第2次世界大戦という2つの戦争の狭間で生み出された。労働力商品化に対する反発としての社会主義運動とネーション共同体原理とが、戦争という溶媒によって結合して作り出されたシステムである。
 産業社会の亜段階としては、重化学工業社会であり、特に自動車や電気器具のような耐久消費財が商品の中心を占める時代である。これは、商品市場における買い手の大部分を占める労働者家庭がこれら耐久消費財を購入できることがシステム存続の基礎をなすような社会ということであって、これが労働者富裕化へのエネルギー源としてシステムの下部構造をなす。

(1) さまざまな社会主義の模索

 19世紀システムの機能不全が進行するにつれ、さまざまな社会主義の運動が勢力を強めた。労働力の商品化を制限し、最終的には解消することを目指すこの運動は、ネーション共同体とそれに立脚する権力体との関係をどう考えるかでいくつかの分派に分かれる。右翼にはネーション共同体と一体化し、ネーション国家そのものを協働に基づく共同体に転化してしまおうとする考え方、いわばネーション的社会主義があり、左翼にはネーション共同体を否定し、資本主義が作り出した世界市場を社会主義に基づく世界共同体に転化しようとする考え方、いわば世界社会主義がある。中道に位置するのは、ネーション国家の社会政策によって労働力商品化の弊害を解消しようとする考え方であった。
 歴史の皮肉は、世界社会主義に基づいて社会主義革命を実行したはずの勢力が、ネーション共同体なき国家権力と一体化した国家社会主義を作り出してしまったことであろう。そこはもっぱら脅迫原理が支配する場となった。
 他方、国家そのもののネーション共同体化を目指した勢力は、急激な帝国主義的膨張政策に打って出ることで社会の矛盾の解消を目指したが、やはり脅迫原理が社会の全面を覆う事態をもたらし、結果的に言えば自滅の道をたどった。
 1930年代はこれらいくつもの社会主義が19世紀システムへの代替性を競い合った時代であった。ソビエト社会主義国家は急速な工業化の実績で世界中の注目を集め、ナチス政権はフォルクスワーゲンとアウトバーンによる国家主導フォーディズムとでもいうべき実験で世界を驚かせた。西欧諸国の民主的社会主義の成果はあまり輝かしいものではなかった。よく知られているように、アメリカの景気回復は戦争が始まったことによる軍事ケインズ主義によるものであった。
 しかし、激動の中を生き残ったのは、ネーション国家に部分的な要求を行う民主的社会主義勢力である。成人男子労働者も含めた労働者保護法制、ゆりかごから墓場までの社会保障制度、そして財政政策による完全雇用政策という社会政策が、戦後の世界に一般化した。

(2) フォーディズムの成立

(3) ケインジアン福祉国家と完全雇用政策

 程度の差はあれ、20世紀システムを19世紀システムから区別する最大の外面的特徴は国家のあり方であろう。19世紀に誕生したネーション国家が大きく成長し、自己調整的市場にほとんどをゆだねる自由主義国家から、民間経済に介入しつつ自ら経済主体として活動する新たな国家のあり方が登場してきた。国家の活動をその不可分の一部として組み込んだ経済システムとして、混合経済という呼び名が用いられる。
 国家の介入を大きく分類すれば次の3つになろう。第1は、ミクロの経済活動に介入する産業政策である。これは個別企業ではやりにくい産業の近代化を促進するためのものと、衰退産業を下支えする社会政策的色彩の強いものがあった。第2は、マクロの経済運営を、人的資源が有効活用され、非自発的失業が発生しないようにコントロールしていこうとする完全雇用政策である。第3は、労働者保護とともに社会保障を充実し、失業や疾病という一時的労働不能にも、障害や老衰という恒常的労働不能にも、労働者とその家族が生活を維持することができるようにしようとする本来的意味の社会政策である。
 これに応じて、国際経済においても金本位制は放棄され、アメリカのドルを基軸通貨とする固定相場制がとられた。これは国際収支の圧力によって国内における財政政策が制約されることなく、上の完全雇用政策を十分に実施できるための枠組みとなった。これはネーション的労働本位制と呼ばれる。
 こういった20世紀的な国家のあり方をケインジアン福祉国家と呼ぶことができる。それは一言でいえば、19世紀には未だ社会の全面を覆うにいたらなかったネーション共同体の原理が、さまざまな社会主義の模索の中を勝ち残った民主的社会主義の原理と結合し、フォーディズムが要請する労使妥協システムをその中に組み込みながら作り上げられたものであり、失業と飢えの恐怖におびえる労働者像を豊かさを享受する労働者像に転換させた。労働力商品化の害悪は遂に解消されたかのように見えた。
 しかし、その豊かな労働者は労働の現場においては決して実質的な自己労働性を取り戻していたわけではない。労務サービス業たる自己労働者は決して生産者たる自己労働者ではなかった。この矛盾がやがて20世紀システムの基盤を揺るがしていくことになる

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第171回国会における麻生内閣総理大臣施政方針演説

政策よりも政局が大事というような人は別にして、この総論はなかなかいいことを言っていると思いませんか。

http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/28housin.html

>今回も、私たちが自らの生き方を選び、「この国のかたち」を創ります。目指すべきは、「安心と活力ある社会」です。世界に類を見ない高齢化を社会全体で支え合う、安心できる社会。世界的な課題を創意工夫と技術で克服する、活力ある社会です。

 そのために、政府は何をなさねばならないか。私たちは、この点についても既に多くのことを学んでいます。それは、「官から民へ」といったスローガンや、「大きな政府か小さな政府か」といった発想だけでは、あるべき姿は見えなということです。

 政府が大きくなり過ぎると、社会に活力がなくなりました。そこで多くの先進諸国は、小さな政府を目指し、個人や企業が自由に活動することで活力を生み出しました。しかし、市場にゆだねればすべてが良くなる、というものではありません。サブプライムローン問題と世界不況が、その例です。今、政府に求められる役割の一つは、公平で透明なルールを創ること、そして経済発展を誘導することです。

 もう一つの政府の役割は、皆が参加できる社会を創ること、そして安心な社会を実現することです

 日本は、勤勉を価値とする国です。この美徳が、今日の繁栄を築きました。それを続けるためにも、高齢者、障害者や女性も働きやすい社会、努力が報われる社会を創ることが重要です。また、競争に取り残された人を支えること、再び挑戦できるようにすることが重要です。

 この点において、我が国はなお不十分であることを認めざるを得ません。日本の行政は、産業の育成には成功しました。これからは、政府の重点を生活者の支援へと移す必要があります。

 国民の安心を考えた場合、政府は小さければよい、というわけではありません。社会の安全網を、信頼に足る、安定したものにしなければなりません。中福祉を目指すならば、中負担が必要です。私は、景気回復と政府の改革を進めた上で、国民に必要な負担を求めます。

 現在の豊かで安全な日本は、私たちが創ったものです。未来の日本もまた、私たちが創りあげていくものです。過去二回がそうであったように、変革には痛みが伴います。しかし、それを恐れてはなりません。暗いトンネルの先に、明るい未来を示すこと。それが政治の役割です。良き伝統を守り発展させる。そのために改革する。それが、私の目指す真の保守であります。

 私は、世界にあっては「新しい秩序創りへの貢献」を、国内にあっては「安心と活力ある社会」を目指します。

政局しか見えない愚劣な週刊誌的感覚で論じられたくはない貴重な提起であると思います。こういう考え方と、コームイン改革が現下日本の最重要課題と心得るような政治家とどっちが大切であるかは、政局に目をくらませない限り明らかだと思いませんか。もちろん、各論はいろいろ議論があるところですし、私も異見があるし、それは様々であるところでしょうが。あるいは、この哲学をより正しく実行できるのは麻生総理より自分だという議論は大いにしていただいてかまいませんが。

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ブログが話題の「hamachan」(こと濱口桂一郎氏)に聞く

なんだかすごいタイトルになっているなあ・・・

http://www.rengo-news.co.jp/event/konwakai/konwakai.htm#b

>【連合通信 情報懇話会21】第188回例会のご案内

テーマ ブログが話題の「hamachan」(こと濱口桂一郎氏)に聞く「『反貧困への提言。本当にやるべき制度改正とは』」

日時 1月29日(木)午後6時30分~

講師 濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構統括研究員)

会場 港区立商工会館(東京都産業貿易会館6階、東京都港区海岸1-7-8/JR浜松町駅から徒歩7分)

参加費 (資料代など) 1,000円

だそうです。

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日経CNBCの夜エクスプレス

本日夜9時半から顔を出すかも知れません。

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働く人たち-母と子のための労働法

JILPTの労働図書館の奥から、標題の本が出てきました。B5版でハードカバーの堂々たる作り。

昭和36年10月10日第1刷発行。定価700円。発行所は勁草書房。そして、著者は石井照久(東大教授)、大場綾子(労働省婦人労働課長)、亀村五郎(成蹊学園小学校教諭)、萩沢清彦(弁護士)という面子です。

労働教育が社会的課題となりつつある現在、今から50年近く前に出されたこの本を復刻してみたら、あるいは現代版を今の若手学者たちでつくってみたら?と思いました。

まず「はじめに」でいわく、

>労働問題は、私たちの生活に深いつながりをもっています。けれども、労働問題とか労働法とかいうと、何となく一部の人たちだけの問題のようにとられやすく、それについての関心や理解はまだ十分ではありません。すべての人が労働問題を正しく理解すれば世の中はもっともっとよくなるでしょう。

夕食後のひとときに、あるいはまた、日曜日の午後に、家庭でお茶を飲みながら労働問題について話し合えるようになってくれたらと思って、私たちはこの本を書きました。今まで労働問題や労働法について何も知らない人でも、やさしく、たのしくはいっていけるようにと考えながら、また、やさしいだけでなく正しくわかってもらえるように努力したつもりです。

内容や文章は、だいたい小学校高学年から中学生程度を標準にしました。

この本の中に出てくる正雄君の家庭は、よく労働問題について議論をしています。普通の家庭でこんなに議論をすることはありませんが、説明をわかりやすくするために、このような形式をとったのですから、理屈っぽい家庭だなどと考えないでください。

お母さん方が、子供たちと、この本をめくりながら労働問題についていろいろ話し合っている様子を思い浮かべ、この本が労働問題や労働法についての理解を深め、日本の社会を明るくすることに役立つことを心から希望しています。

何だか、50年前より、今の方が胸に突き刺すような言葉だったりしますが・・・。

個別の項目を見ると、もっと胸に突き刺さる文章が・・・。

>残業の日-時間外労働ー

正雄君のお父さんはきょうも残業で、会社からの帰りが遅くなりました。

「毎日大変ですね。お疲れでしょう。」とお母さんも心配そうです。正雄君は不思議に思ってお父さんにいろいろと聞いてみました。

「お父さん、どうして残業をしてくるの。」

「急ぎの仕事でね、残業しなくては間に合わないんだよ。」

「人を増やしてもだめなの。だって、この間聞いたときは、労働時間は1日8時間だといっていたでしょう。」

「そう。たしかに、労働基準法では1日8時間を超えて働かせてはいけないと決めてあるんだよ。でもね、たとえば、地震や火事などが起こって、そんなことはいっていられないときもあるし、また、急ぎの仕事で残業しなくてはならないときもある。それに、仕事によっては、ふだんでも8時間では仕上がらないときもあるんだ。だから、労働基準法でも、そのようなときは8時間を超えて働かせたり(時間外労働),休日に働かせてもよいという例外を認めているんだ。」

「地震とか火事とかいうのはわかるけど、忙しいときには残業できるというのでは、8時間労働なんて決めても決めなくても同じじゃないんですか。」

お父さんは洋服を脱ぎながらも、ていねいに話してくれました。

「たしかにそうだ。けれども、そうとばかりもいえない。それは、8時間労働の原則を決めているだけでも意味があるんだよ。忙しいからといって勝手に働かせていいというわけではなく、お父さんたちの意見を聞くことにもなっているし、8時間を超えて働いたときには割増賃金をもらえるんだ。けれどもそんな形式的なことよりも、8時間労働の原則があるんだから、会社の方でもよほどのことがないと残業などさせないようにすべきだし、また、働く方でも、残業手当をもらえるからといって、やたらに残業したがるということは考えものだよ。賃金が増えても結局は体をすり減らしているんだからね。」

正雄くんは残業がなくなるためにはどうしたらいいか自分で考えることにしました

なんだか涙が出てきますね。この50年間というのは、お父さんがこういうちゃんとした意見をもてなくなり、正雄くんも別に何の疑問も持たなくなるだけの50年間だったのかも知れません。

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賃金引き下げで、仕事の分け合い

日本でも年明けから急にワークシェアリングブームで、テレビ局や新聞記者がどっと押しかける騒ぎになりましたが、韓国でも急にワークシェアリングブームのようです。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=080000&biid=2009012267918(東亜日報22日の社説)

ところが読んでいくと、韓国のワークシェアリングとは

>公企業を中心に賃金を引き下げ、新規採用を増やす「仕事の分け合い」が推進される。

>仕事の分け合いが成功するためには、賃金水準を下げなければならない。1日12時間の勤務を8時間3交代へと変え、雇用を増やしても、人件費が減らなければ無用である。アイルランドやオランダは、労使政が賃金引下げや雇用増大に合意したことで、成功の事例として取り上げられている。過度な労働市場に対する規制も緩和されるべきだ。採用や解雇条件、雇用条件を巡る規制が柔軟でなければ、余裕のある企業すら雇用を渋るだろう。フランスは法定労働時間を短縮し仕事の分け合いを試みたが、雇用増加へと繋がらず失敗した。

と、労働時間の短縮なき労働単価の切り下げによる「仕事の分かち合い」のようです。これでは労働側はなかなか飲めないでしょう、と思うのですが、

>大卒初任給であれ、社員の賃金であれ、引き下げてこそ追加採用が可能となる。韓国内の大卒初任給は、競争諸国の水準に比べ、過度に高い。昨年、ある経済団体の調査結果、韓国の大卒初任給は日本よりも高く、競争国である台湾の2倍に上る。この格差なら、競争力を失わないためにも、大卒初任給の引き下げが必要だ。

>一部の大手企業や公企業の大卒新入社員の過度な高賃金が、国家経済に及ぼす悪影響は大きい。大卒者らが高賃金の大企業や公企業に拘り、就職浪人は増えているが、中小企業は求人難で、地団太を踏んでいるのが現状だ。高い教育費を払い、育てた人材資源の無駄遣いに他ならない。このような雇用構造を変えない限り、中小企業で一途に働く人が成功し、社会的に優遇を受けることは不可能である。

>日本より20%も高い大卒初任給では、産業競争力の維持は難しい。・・・

主たるターゲットは大卒初任給の引き下げにあるようです。これもなかなか日本では想定しがたい状況ですね。

同じワークシェアリングという言葉を使っていても、いかに違う中身を喋っているかというのは、日本の中だけでもそうですが、海峡一つわたっても実例がありました。

ちなみに、この韓国のワークシェアリングブームの火付け役になったのは経済紙に載ったJILPTの呉学殊さんのインタビューらしいのですが、呉さんによると、そこでは彼が喋ったワークシェアリングの話だけでなく、喋った覚えのない韓国の大学教育の問題点までが語られていたそうで、どうも韓国国内の大卒初任給引き下げ論という枠組みにうまいように使われたようだと語っていました。

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連合の「企業」観、「資本」観

連合の中央執行委員会が22日に決定した「企業法制および投資ファンド規制に対する連合の考え方」がアップされています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/kinyuu/data/20090122citycode.pdf

一見地味に見える標題ですが、本エントリのタイトルにあるように、連合の「企業」観、「資本」観が明確に打ち出されており、大変興味深いものです。

問題意識は、

>会社を売買の対象物としか捉えていない一部の投資ファンドが、莫大な資金を背景に、株主至上主義を振りかざし、労働者をはじめとした会社を取り巻く様々なステークホルダーの利益を顧みることのない企業買収やリストラを繰り返し、雇用・労働問題にまで発展する事例や本来であれば労働者に分配されるはずの利益が外部に流出する事例も出ている。

というところから出発していますが、そもそも「会社」とはというところに踏み込もうとしています。

>①企業統治のあり方の見直し

会社法の中に労働者の概念を組み込むとともに、株主利益のみを重視することなく、多様な利害関係者の利益への配慮も含む企業統治を実現するための会社法制を整備する。また、非上場企業における情報開示の運用ルールを整備する。

○株主至上主義的な会社観を転換し、会社の持続的成長を確保するための取締役の義務として、株主のみならず労働者を含んだ多様な利害関係者の利益に配慮することを会社法に明記する。

○その上で、従業員については「株主から経営を委託された経営者と雇用契約を結んだ者」と位置付けるのではなく、会社の事業活動を推進するための重要な構成員と位置付け、より適切な企業統治を実現する。

実際、ヨーロッパの多くの諸国では、まさに会社法の中に労働者代表が監督役会や取締役会に席を占めるべきことが規定されているのですから、実は別段不思議なことを主張しているわけではないのですが、日本では商法学者がかつて商法学会でもあった議論を忘れてしまっているため、突飛な議論のように見えてしまうのでしょう。

もう一点、ここでいう「労働者」が「正社員」に限るなどという話はどこにもないし、そもそも法制的な話であればそんなことはあり得ないのに、あたかもここでいう「労働者」は「正社員」に限るに決まっていると決め込んで、これを正社員主権論であるかのように批判する議論があり得ます。そういう議論を許すのは、現実の日本の労働組合の行動がそういうものだからでしょうが、組合側に問われる点であることは確かでしょう。

本ブログで何回か批判してきた年金の運用の問題についても、

>社会的責任投資に対する考え方

公的年金および企業年金の運用主体は、企業の社会的責任を促進し、企業買収における被買収企業の労働者を保護するため、国連「責任投資原則」(PRI)を踏まえ、運用方針に「環境、社会(労働)、コーポレートガバナンス」(ESG)を盛り込む。

○公的年金および企業年金の運用主体は、機関投資家等に社会的に責任のある投資を求める国連「責任投資原則」(PRI)(注3)に署名し、次の事項を運用方針に盛り込む。
- 株主議決権行使、株式の売買等については、投資先企業の中核的労働基準(結社の自由と団体交渉の保障、強制労働の廃止、児童労働の撲滅、職場における差別の撤廃)の遵守状況を考慮する。
- 運用受託者(機関)等に対して、企業の買収の際には、被買収企業の労働者を保護し、既存の労働条件等が不利益に変更されないことを徹底する。

○社会的責任投資が受託者責任の観点から問題ないことを担保するため、イギリス年金法(注4)を参考に、年金運用を包括的に規定する「年金基本法」を制定する。

○公的年金等の運用機関の運営組織および運用方針を決定する委員会を、被保険者の意見が直接的に代表される構成に改める。

○企業年金基金へは、労働側理事への投資教育を徹底させる。連合は、企業年金労働側理事に対して「社会的年金積立金運用ガイドライン(仮称)」を示す。

まあ、少なくとも労働者の労働に対する報酬が資本の論理で運用されることによって、お金の出所のもとの労働者の首を絞めるということにならないような仕組みをきちんと作ろうというのは当然のことでしょう。

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かぜ

ネット上でもあちこちではやっているようですが、私も金曜日帰宅後体調が悪化。

そろそろ体調も回復してきたこともあり、また明日は某政党系日刊新聞の取材もこれあり、出勤いたしますが、ブログの勢いはしばらく従前ほどはいかないかもしれません。

(裏の声:誰かさんの呪いじゃないの・・・とか)

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労働者を気分次第で簡単に解雇するような経営者はいる

下のWEDGE大竹論文の問題点とまったく同じ視点から、小倉秀夫弁護士が標題のようなエントリを書かれています。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/01/post-ba7f.html

>このあたりが,解雇規制撤廃派の浮世離れぶりを示しているように思われます。現実には,法的に解雇が制限されている現在ですら,不当な理由で労働者を解雇した例が溢れており,法律実務家等が介入しているというのが実情です。

 とりあえず,池田先生やbobbyさん,木村剛さんが推奨するような「解雇規制のない社会」が実現した暁には,女子労働者については,①容姿が衰えたから解雇,②経営者(の子息)の求愛を拒んだから解雇,③結婚したから解雇,④出産したから解雇,という事例が頻発し,労働者が泣きを見ることになりそうな気がします。また,男性労働者を含めても,①平日に病欠をとったから解雇,②有給休暇を消費したから解雇,③残業代を請求したから解雇,④経営者の私用を無償で手伝わなかったから解雇,⑤給料の引き下げに不満を漏らしたから解雇,⑥特定の政党,政治家,宗教団体の集会に参加しなかったから解雇という例は頻発しそうです。

まさに、なぜこの世の中に解雇規制などというものが必要なのか、現実から思考を出発させない方々には見えるはずのものが見えないといういい例でしょう。

日本における興味深い事例としては、本ブログで紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_586b.html(ベンチャー社長セクハラ事件)

「君はセックス要員で雇った。社長とセックスするのが君の仕事だ」

「それならハローワークの条件に書いておいてください」

「そんなこと書いたら誰もきいひんやろ」

「君はセックス要員で雇った」「社長のスケジュール管理とセックス管理をするのが秘書の役目だ」

「明日は同じホテルに泊まるんやで。分かっているな」

「セックスできないなら,最初から君を雇わない」「何でセックスできないのに俺に同行してグリーンに乗るんや。経費かかるわ」「セックスしないなら社長室を退け。お前は降りろ。うちの会社と関係ない」「セックスできないなら用はない」「君は社長秘書をはずす。一切降りろ」

「なんで(社長室にいる)他の二人(の女性職員)はセックスしなくていいのに,私だけセックスしないといけないのですか」

「そのために君を選んだからや」「90%仕事で頑張っていると認めても,あと10パーセント肉体関係がないと君は要らない」「セックスが雇用の条件。それを了解してもらわないといけない。セックスできなければ終わり。」

「家内とはずっとセックスをしてきた。しかし彼女はもうできない。淋しいから君に求めたという事はわかるでしょう。でも,できないと言うなら君はもういいわ「家内の代わりをするだけだから,これは不倫ではない」「君はセックス担当。秘書はセックスパートナーだ。A(得意先会社の社長の名前)とB(同社の秘書)との関係もそうだ」「C(社長室の女性職員の名前,Xが競え。俺の寵愛を受けてセックスした方が役員。給料も上げる「仕事を ちゃんとしていると言ってもそれは俺が判断することでポイントは俺とのセックスだね。君が出来ないと言ったらそれでいい。できないのだったら,じゃあ,もう辞めろ。ありがとう」

「Xを好きになってるんやけど,これ(男性性器)大変なことになってるで。手で出してくれ」

「君は社長室の主任次は課長役員やぞただしセックスが条件だ」

「もう会社に来るな。俺の寵愛を断ったら,君はもう終わりだ。辞めろ」「俺が君を雇ったのは君を抱きたかったからだ。それを断ったら君はもう仕事ないで」「仕事は俺とセックスするのが条件だ。しなかったら,もう良い」

「君は私の寵愛を拒んだから,もう用はない。一身上の都合で辞表を出しなさい「明日はもう来なくていい。ただ,考え直すなら話を聞く」

「お前何しにきたんや。ここではもう仕事はない。他の会社に行け。雇ってくれるかどうかは別やけど」「君を愛した。寵愛をした。でも君断ったやろ。だから終わりや。君もう社長室はだめや」「寵愛って知ってるか。社長に抱かれてセックスするのが,まずお前の責任。イヤやったらそれでいい。君に はもう辞めてもらう君はもう仕事ないでどうすんのえ全部D(社長室の女性職員の名前)に移転する。仕事ないんやもん,どうすんの」

「なんでDさんなら良くて,私ではダメなんですか」

「俺が君を雇ったのは君を抱きたかったからやそれだけそれを君が嫌やったらもう辞めろもう辞めなさい君,いてくれたら困る」

「仕事が出来たらいいじゃないですか」

「いや,君は仕事できない。君は頭がアホや。どっか行き「それは俺とのセックスの問題だけ。セックスしないと俺はもう厳しいからね」

「君を一番にしてやりたかったけど無理やと思う。辞めるか。しかし君はどこでも通用しない。君,辞めるか。君の学歴からしても社長室の主任は出来ない「君は終わり。俺が終わったら終わり。俺が切ったら君は必ず終わるよ。辞表持ってこい。辞めた方がいいよ,君は」

「解雇ですか」

「解雇というとおかしくなるから」

「社長はいつもセックスが出来なければ解雇,クビと言っていましたね」

「そうやね」「俺には支える人間がいるの。女がいるの「君は何をする。もう用がなくなってしまった「君は社長室の能力がない」「お前は一番になろうと思った。大変なことやけどそんなんもん出来ない,お前は。はっきり言うたるわ。お前には出来ない。お前,学歴考え
ろ」

「セックスできなかったら手で出せ」

「じゃあ辞めろ。そういう人を雇う」

・・・・・・・・・

よのなかにはこの手の話はごろごろ転がっています。

ちなみに、世界で唯一、一般原則として解雇自由であるアメリカではどういう風になるかというと、これは中窪裕也先生が中嶋還暦記念論集に書かれた「解雇の自由雑感」の例ですが、

>カレンは・・・D社のスーパーマーケットに勤務する、勤続26年のアシスタントマネジャーである。彼女の夫は地元の警察の巡査部長であるが、1997年の6月上旬、飲酒運転の取り締まりの際に、ある女性ドライバーの呼気検査を行った。検査の結果、基準を超えるアルコールが検出され、女性は逮捕された。その女性は、D社のオーナーの妻であった。8月末、カレンは解雇された。

もちろん、この解雇は正当です。正当な理由があろうがなかろうが、道徳的に間違った理由であっても、解雇は正当です。解雇自由とはそういうことです。アメリカ並みになるというのは、そういうのを当然のこととして受け入れるということです。もちろん。

なお、この小倉弁護士のエントリのリンク先には、真偽不明の「俺は不当解雇されかけた!」という誰ぞやのエントリがありますが、切込隊長ブログにおける会津泉氏によると「事実無根で悪意に満ちた誹謗と中傷ばかり」だそうで、その後なんの音沙汰もないことから判断すると、おそらくそうなのであろうと想像されますが、それにしても、当該人物が解雇自由を唱えるというのは精神病理学上興味深い症例であるように思われます。

ちなみに、労働相談においては、労働者の言い分ばかり聞くのではなく、ちゃんと会社側の言い分も聞いた上で判断しなければならないのはいうまでもありません。世の中には事実無根のでっち上げで会社と喧嘩しては辞め、また次の会社で同じことをやらかし・・・という札付きの労働者もいないわけではないのです。このあたりは、現場の労働相談員の方々が一番よく理解しておられるところでしょう。

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湯浅誠氏の正しいところと間違っているところ

NHK「視点・論点」で昨年末の天皇誕生日に放送された湯浅誠氏の発言がアップされています。的確な事実認識と、制度に対するいささか不正確な判断が混在していますので、整理しておきたいと思います。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/15457.html#more

まず、的確な事実認識の方から。これは今まで繰り返し述べてきたことですが、

>たしかに昔から、不況期には非正規労働者が雇用の調整弁として使い捨てられてきました。そしてこれまでは、「家族を養わなければならない正社員とは違う」「非正規は地元に帰れば家族があり、生活基盤がある」「正社員はそれだけの仕事をしている」という理屈で、企業経営者によって正当化され、正社員も黙認してきました。
 しかし近年明らかになってきたのは、放り出されているのが親がかりのフリーターや夫に十分な収入のある主婦パートばかりではなく、働く貧困層、ワーキング・プアの人たちだということです。夫婦ともにパートで働いて、どちらが欠けても家計が立ちいかない。年老いた両親のわずかな年金に自分の収入を加えて、なんとか介護費用を捻出している。たとえばそんな人たちです。この人たちは、仕事を失えば生活ができなくなります。家族一人一人にさまざまな負担とストレスがのしかかり、家族の平穏が失われることもあるでしょう。その意味では、クビになれば「一家全員路頭に迷う」という正社員と変わりありません。

非正規労働者がかつての家計補助的から家計維持的になってきたのに、セーフティネットがそれに応じて適切に対応できていないというのはその通りです。しかし、その例として湯浅氏が挙げているのはいささか見当外れの感があります。

>失業時に生活の支えとなるべき雇用保険も、今失業者の10人に2人しか受給していません。この数年間、支給期間の短縮や支給要件の厳格化など、給付のハードルが引き上げられてきたからです。

違います。支給期間や支給要件は安易に緩和すると、モラルハザードの原因になります。一月働いただけで何年も雇用保険を受給していいとは思わないでしょう。

そうではなくて、問題は適用要件なのです。はじめから入れてくれない、もし入り口で入れてくれていたら、更新を繰り返した結果、受給要件を充たしていたはずの人が、入り口で1年の雇用見込みがないからと入れない、というのはモラルハザードとは関係がありません。

この点は実は多くの人が勘違いしている点でもあります。先日、テレビ東京のワールドビジネスサテライトに出たとき、その次に登場した樋口美雄先生が、雇用保険の適用を拡大するとモラルハザードの恐れがあるから慎重に、というようなことをおっしゃっていた記憶があります(深夜の記憶なので不正確ですが)が、適用を拡大してモラルハザードというのは変です。給付を拡大すると確かにモラルハザードの恐れがありますが。

むしろ、適用を絞ってきたのは、まさに上で湯浅氏が述べているように、かつての非正規は家計補助的であって、クビになっても亭主や親が面倒見てくれるから雇用保険をもらう必要がない、だから保険料を払うのももったいない、会社の方も保険料を払うのはもったいない。だから適用しないでおきましょう、という話なんですね。

>雇用契約期間と雇用保険適用範囲の整合性を図るべきです。たとえば「6ヶ月以上の雇用見込み」のある者にしか雇用保険を適用しないのであれば、6ヶ月以下の有期雇用を禁止すべきです。政府は今国会に提出している労働者派遣法の改正案では「1ヶ月未満の日雇い派遣を禁止する」ことを提案していますが、1ヶ月の有期雇用を認めるなら、1ヶ月以上の雇用見込みに対しては雇用保険を適用すべきです。そうして両者の整合性が図られなければ、制度の狭間に落ち込んで保障なく放り出されてしまう人たちが後を絶ちません。

ある意味において正しいのですが、だとすると、現に日雇(1か月未満の雇用契約)に対応する日雇雇用保険が存在する以上、日雇派遣を禁止するのはナンセンスということになります。逆に、1か月を超え、1年間(6か月)未満の者は雇用保険に加入できないのだから、その部分の雇用契約だけ禁止するのか、ということになります。

実は、この部分が適用除外されているのはパートと派遣であって、直用有期、むかしの臨時工は除外されているわけではありません。雇用契約が切れ目なく存在しうる以上、雇用保険法自体は、切れ目なく適用されるようになっていたのです、もともと。家計補助的と見なされた人々がそこから排除(というか本人たちの意をくんで入れないであげていたというべきか)されていただけです。

これは湯浅氏の活動を非難しようという趣旨のものではありませんが、せっかく正しい事実認識に基づきながら、不正確な制度認識に基づいて発言されると、いささか説得力が落ちるのではないか、と。

(注)

就職する気のないもと主婦パートに雇用保険を給付するのはモラルハザードだとおっしゃるかも知れませんが、それは結婚退職して就職するきもないのにしゃあしゃあと雇用保険を受給するもと正社員女性もまったく同じです。

それなら女は雇用保険から適用除外しますか?(終戦直後の立法案ではそうなっていたこともありますが)馬鹿な。

これはびしばし紹介して、就職する気がなければ支給を停止するといったやり方しかないのです。

(参考)

「湯浅誠」で検索してこのエントリに来られた方々に、本ブログにおいて湯浅誠氏を取り上げたそのほかのエントリをご紹介しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-ed5e.html(湯浅誠氏のまっとうな議論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-01db.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-d0a6.html(『プレジデント』誌のフレクシキュリティ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2d66.html(年功賃金制と生活費構造)

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足りないのはアイデアではなく財源である

久しぶりに権丈節です。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare218.pdf

今回は労働問題に越境攻撃・・・・・・といっても、お話の構造はまったく同じです。

>社会保障国民会議の最後の雇用年金分科会での発言を思い出した。みんなが、能力開発が必要だ職業訓練が大切だと言って盛り上がっているときに、僕ひとり、

>>○権丈委員 能力開発とかいうのは、皆さんもおっしゃったことなんですけれども、ものすごくお金のかかることなんです。ですから、何か先ほどからいろいろ言われているように、ものすごくお金がかかることなんだと、そして財源というものはしっかりと確保しなければいけないとかいうような文言を、何か加えていただきたいと思います。

そういう能力開発、職業訓練といいますか、例えば先ほど若年層などで、生活保護を受けざるを得ないような人とか、いろんな話があるんですが、そこを待っているのではなくて、ヨーロッパとかだったら、道を歩いている人に職業訓練を受けたくないかと言うような、そういう能動的なことをやっていきながらやっているんです。だから、あれはものすごくお金がかかることで、そこまでやらないと余り意味がないのではないかなというのがありますので、何か財源の、皆さんもおっしゃっているんですけれども、裏づけのある形で、積極的に今後、この問題に取りかかっていくんだということを示していただけるような姿勢がこの報告書の中にあれば、私としてはうれしく思います。

>しばらくして、再び、みんなの話が盛り上がってきたとき、

>>○権丈委員 皆さんが労働の話をされていたりするときに、お金の話がばかりで申しわけないんですけれども、ここで目的を達成するとする低所得者対策、ばね板のような政策とか、能力開発政策というのは、先ほどお金がかかると言いました。目的を達成するためには、だいたいアメとムチの政策が2つある。3つ目に説得というのもあるんですけれども、そういう説得というのは余り使わないで、公共政策というのは大方いつもアメかムチの政策を使うんですが、お金を使わなかったらどうしてもムチを使わざるを得なくなるんですね。

この国はいろいろな目的を達成するため人や組織を動かそうとするときに、お金を使わないでやろうとするからムチでやってしまうんで、我々から見て非常によろしくないなという評価にならざるを得ないんですね。そして、ちゃんとお金を負担してからみんなでやったほうが本当は楽になるのになるというのがあるんですけれども、この国ではなかなか負担の側面が動かないというのがあるので、ぜひともお金の話、財源調達の話を報告書に書き加えていただきたい。

まあしかし、権丈先生の本拠の社会保障では、それ自体が無駄遣いだから潰せ潰せの大合唱で本当に潰されるという信じられないようなことはまだ起こっていないような・・・。

なにしろこちらでは、「能力開発が必要だ職業訓練が大切だと言って盛り上がっているとき」に、それをぶっ潰すのが政治家にもマスコミにも絶対の正義になってしまうんですから。

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おとぎばなし

むかしむかし、ある国に、平民たちと奴隷たちがおりました。奴隷たちはひどい扱いにたえかねて、俺たちを平民と同じに扱えといいました。

そこへやってきたある男がいいました。平民たちを奴隷の身分に落とせばよい。みんな奴隷になって平等になる。

それをきいてある奴隷たちは、そうだそうだといいました。

そのやりとりをきいていた異国の人がいいました。平民を奴隷にひきずりおろしても、きみたちは奴隷のままなんだよ。ひどい扱いにかわりはないんだよ。

そこへまた別の男がやってきていいました。いやいや、奴隷たちを平民の身分にひきあげればよい。みんな平民になって平等になる。

それをきいてある平民たちは、そうだそうだといいました。

そのやりとりをきいていた異国の人がいいました。奴隷がいるときの平民と奴隷がいないときの平民はちがうのだよ。奴隷のいない平民はいままでの平民より地位がさがるだろう。それがわかっているのかな。でも、その方が本当のあるべきすがたなんだよ、と。

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WEDGE大竹論文の問題点

昨日のWEDGE大竹論文についてのエントリについて、お前は大竹先生の考え方にまったく賛成なのか?とさる方から質問されたこともあり、今まで私が書いてきたものをお読みの方にはすでにご理解されているところと思っておりましたが、念のためコメントしておきます。

大竹先生に限らないのですが、とかく経済学系の方々が解雇問題を論ずるときには、ややもすると、あるいは場合によっては、意識的に、別に企業経営上解雇をする必要が生じていないにもかかわらず、使用者の特定の労働者に対する何らかの感情や意図に基づく不当な解雇は許されないという解雇権濫用法理の問題と、企業経営上労働投入量を削減せざるを得ず、そのために誰かに辞めてもらわなければならない、という場合の整理解雇の問題を、混同して議論する傾向が見られます。

このWEDGE大竹論文にもまさにその悪しき傾向が濃厚に見られています。

>日本の労働法は、元々契約自由の原則で書かれていたため、法律の文面では、解雇は自由となっていた。そのため、解雇規制は、権利濫用法理として司法の場で形作られてきた。60年代から徐々に判例が積み上げられ、70年代のオイルショックで整理解雇事例が多発し、解雇のための条件が明確化されていった。いわゆる「整理解雇の4要件」である。

申し訳ありませんが、法学部でこういう答案を書いたら叱られます。解雇権濫用法理と整理解雇4要件がぐちゃぐちゃで頭を整理し直せ、といわれるでしょう。

ところが、労働経済学者は往々にして、意識的にか無意識的にか、この両者をごっちゃにした議論をしたがるんですね。大竹先生だけの話ではありません。

思うに、この法理混同の原因は、この世で発生する解雇という現象を、経済学者にとって経済理論で容易に理解可能な、つまり通常の合理的意思決定に基づく合理的行動である整理解雇の概念枠組みでもって理解しようという成功に由来するものではないかと思われます。

ところが、現実に行われる解雇のかなりの部分は、そういう合理性で説明可能というよりは、人間ってこういうばかげた理由で人を首にできるんだなあ、とあきれるような話が多いんですね。現実世界は経済学者が想定するより遙かに不合理に満ちています。

ある人が、経済学者は生理学者であり、法学者が病理学者であるといいましたが、整理解雇は生理現象であり、ちゃんと働いているのに「お前は生意気だから首だ!」ってのは病理現象であって、後者は、人間は合理的に行動する者であるという経済学者の想定からすると、なかなかすっと入らないのではないかと思われます。

病理学者である法学者にとっては、異常性の表れである一般解雇の規制がまず第一義的なもので、合理性の表れである整理解雇はその応用問題に過ぎないのですが、生理学者である経済学者にとっては全く逆なのでしょう。

ごちゃごちゃ書きましたが、要するに、経済学者が解雇権濫用法理と整理解雇法理をごっちゃにするのは必ずしも悪意からというよりは、そのディシプリンからくるところという面があるのではないかということです。

しかし、だからといって、ごっちゃにしてはいけないものをごっちゃにすると、話がぐちゃぐちゃになってしまいます。

この論文で大竹先生が言っていることで私が納得できると思っているのは、あくまでも企業の生理現象である整理解雇における正規労働者と非正規労働者の格差を整理解雇法理が強制していることへの批判であり、それ以上ではありません。

一般的な解雇に対する規制は、およそまともな労働契約関係秩序を維持しようと思えば、絶対的に不可欠なものであって、使用者による恣意的な解雇という病理現象をやり放題にして良いなどと言うばかげた話は許されるものではありません。

そういう腑分けを、こうやっていちいちやらなければならないというところがなかなか悲しいところではありますが、これだけ丁寧に説明しましたので、ある程度ご理解いただけるものと思います。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/economistkaiko.html『エコノミスト』7月1日号「日本の解雇規制は「二重構造」これが正規・非正規の差別を生む」

>日本の解雇規制は二重構造になっている。第一段の「解雇権濫用法理」は解雇に正当な理由を求めるもので、ほとんどすべての先進国と共通する。これがなければ、労働者は使用者に何を言われても我慢するか辞める以外に道はない。労働者に「退出」だけでなく「発言」という選択肢を与えるのであれば、最低限第一段の解雇規制は必要なのである。ただし、現在の判例では解雇無効の場合金銭補償の途がなく復職しかない。一方で、有期契約の雇止めに解雇権濫用法理を類推適用することは判例法理上は可能だが現実には難しい。このため、復職が認められる正規労働者と金銭補償すら認められない非正規労働者の格差が極端に拡大してしまう。不当な解雇を規制する必要はあるが、その解決方法は原則として金銭補償とすることによって、非正規労働者の不当な雇止めに対しても正規労働者の解雇と同様の保護を与えることができるのではなかろうか。


 経済学者が解雇規制を語るとき、往々にして基本となる解雇権濫用法理を無視して、第二段の「整理解雇法理」のみを論じていることがよくある。これは石油ショック後確立したもので、企業の経済的事情による解雇が①人員整理の必要性、②解雇回避努力、③解雇者選定基準、④労使協議という4要件を満たすことを求めている。このうち②では、時間外労働の削減、配転による雇用維持、非正規労働者の雇止めが、正規労働者の解雇を回避するためにとるべき努力義務として要求されている。このことが、恒常的な時間外労働の存在を正当化している面があるし、家庭責任を負うため配転に応じられない女性労働者への差別を正当化している面がある。そして何よりも非正規労働者の雇止めを「解雇回避努力」として評価するような法理は、それ自体が雇用形態による差別を奨励している。


 かつて妻が専業主婦であることを前提とすれば、長時間残業や遠距離配転は十分対応可能であったし、非正規労働者がパート主婦やアルバイト学生であることを前提とすれば、そんな者は切り捨てて家計を支える正社員の雇用確保に集中することは当然であったのかも知れない。しかし、共働き夫婦にとっては、雇用維持の代償として長時間残業や遠距離配転を受け入れることは難しいし、幼い子供がいれば不可能だ。そこで生活と両立するために妻はやむなくパートとして働かざるを得なくなる。そんな彼女らを切り捨てるべしと命ずるような差別的な解雇規制の在り方を見直すことは、労働者の利益にとっても重要な課題のはずである。

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人事院総裁が拒否するのは当然

日経が、またぞろ公務員叩き的雰囲気で記事を書いていますが、

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090122AT3S2101121012009.html

>人事院の谷公士総裁は21日、中央省庁の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」への組織移管について「内閣人事局の機能が分からないのに、人事院の何を移管せよと言うのか。この問題がある限り、交渉に応ずるすべがない」と拒否した。近く予定される甘利明行政改革担当相との折衝に関しては「求められればいつでも出向くが、解決の出口が見えない」と指摘した。都内で記者団に語った。

 これに先立ち谷氏は行革相に文書で「(組織移管なら)中央人事行政機関としての人事院は存続の余地がない。このような改革を国家公務員制度改革基本法は全く予定していない」と伝えた。

 行革相は内閣人事局の中核組織として人事院の企画立案部門の移管を求めているが、事務折衝では人事院の反発が強く、調整が難航している。

これは、現状でいう限り人事院が100%正しい。

なぜなら、人事院という政府から中立の第三者機関が存在している根拠は、公務員に労働基本権が認められず、団体交渉して、労働協約によって給与その他の勤務条件を決定する余地がまったく認められていないからです。

その代償として、使用者たる政府から独立した第三者機関として人事院が設置され、政府から独立して人事院勧告を出して、それを尊重して政府が給与等を決めるという仕組みになっているのです。

逆に言えば、公務員に労働協約締結権が認められれば、人事院などという組織が独立の機関として存在する根拠は消滅します。

多分公務員にスト権などということにはなり得ませんから、交渉が不調だと中央労働委員会に係属して、そこがむかしの3公社5現業みたいに仲裁裁定を出して、それで給与等が決まるということになるでしょう。

人事院勧告以外の残りの人事院の機能は、独立機関である必要はありませんから、内閣人事局という使用者たる政府の機関に移管して全然問題はありません。

そうなれば人事院の反発は100%根拠レスということになります。

労働基本権問題に未だ指一本触れてもいない状態で、「調整が難航」もくそもないのです。

そういう実に簡単明瞭な理路が、新聞記者にのみなさんにはよくおわかりになっていないのでしょうか。

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労働者派遣法の経緯と動向について

昨年12月9日に労委協会の労使関係研究会でお話ししたものが『中央労働時報』1月号に掲載されました。まだ、製造業派遣禁止論などが飛び出す以前ですので、明治以来の経緯と最近の動向をかいつまんで説明しております。頭の整理にどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rouihaken.html

>ご紹介いただきました濱口です。もともと労働省に入った役人で、最近は学者のようなこともやっていますが、目線はどの辺かというとアカデミックなところとジャーナリスティックなところと、それから役所の中から見る、この3つのバランスをとった辺りがちょうどいいのではないかと思って、いろいろな所で書いたりしゃべったりしています。
 私は、派遣法そのものを直接担当したことはありません。旧労働省で職安局、基準局、労政局、官房も含めていろいろ回っていたのですが、派遣法そのものに携わったことはありません。そういう意味で、これは自分がやっていない話ではあるのですけれども、いろいろな所で話がかかわってきますので、ずっと関心を持っていたテーマです。ここ数年来派遣がいろいろ話題になる中で、あちこちでいろいろなことをお話してきています。
 当初、宮村さんから「現状と課題」というテーマをいただきまして、課題でしゃべることはいっぱいあるのですけれども、本日は意識的にその辺は抑えて、「経緯と動向」ということでお話をいたします。経緯と動向といいましても、これがなかなかただものではない、一筋縄ではいかないところがあります。
 私が感じるのは、派遣法あるいは労働者派遣について議論するときに、視野のリーチがあまり長くない。最近の出来事だけで物事を議論しているところがあって、そもそもこれは何なのかという話がスポンと抜けている、あるいはそこのところが非常にシンプルな考え方で議論しているところがあります。本日は、皆さんがあまりご存じない、あるいは聞いたことのないような話も含めながら、労働者派遣システムの経緯と、それを踏まえた最近の動向についてお話をしていきます。

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経済同友会代表幹事の正論と財務省の陰謀

経済同友会の桜井代表幹事が、20日の記者会見でこう語っています。

http://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/pressconf/2008/090120a.html

>Q: 本日午前中に、雇用保険法の改正案が閣議決定された。(改正の)主たる中身は、給付の拡充と料率の引き下げである。昨年末、麻生総理は財界代表を官邸に呼び、(雇用保険の)料率引き下げについては原資を賃上げに回すよう要請された。これについて、見解を伺いたい。

桜井:いま企業は、いろいろなことを工面して賃上げを行うよりは、やはり雇用の確保が非常に大事であると思う。これを基本に考えれば、雇用保険(料率)の引き下げで(賃上げを行う)ということは、必要ないのではないか。むしろ、政府が一番やらなければいけないことは、雇用保険の対象者の拡充と(加入)条件の緩和、そしてそれに見合う制度設計であろう。以前の会見でも申し上げた、企業の役割、働く側の役割、政府の役割というなかでの、政府の役割であるセーフティネットの充実ということである

まったく正論であります。これからしっかり失業給付を出さなければいけないまさにそのときに、わざわざ雇用保険料を引き下げるなどというばかげた政策をとり、あまつさえそれを原資に賃上げしろなどと、なんで政府はそんなばかげたことをやるのか?

産経新聞 【経済深層】大失業時代 雇用保険料引き下げの“陰謀”

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/081227/wlf0812272101000-n2.htm

> 失業者の増大に加え、非正規社員への適用拡大で保険金の支給が急増するのは確実なのにもかかわらず、保険料を引き下げた背景には、巨額の積立金の存在がある。

 「貯金があるので、企業や雇用者に還元する」というわけだが、そんな単純な話ではない。

 「保険料引き下げの裏には、国庫負担をやめたい財務省の陰謀がある」

 雇用保険部会の多くの委員と厚労省が引き下げに猛反発した理由がこれだ。

 国は毎年度1600億円のお金を拠出しており、財政事情が悪化の一途をたどり続ける中、財務省としては少しでも支出を減らしたい。ただ、積立金が余っているなら、まず保険料引き下げるのが筋で、国庫負担だけをやめるわけにはいかない。

そこで財務省は「景気対策の目玉の一つとして、麻生首相に引き下げを進言した」(政府関係者)。引き下げに乗じて国庫負担もやめようという戦略だ。

 さらに平成21年度予算編成の過程で、シーリング(概算要求基準)で定められた社会保障費の自然増を2200億円抑制するという取り決めをほごにする議論が浮上。財務省は「雇用保険の国庫負担廃止とたばこ1本当たり3円の増税で、2200億円の財源を捻出(ねんしゆつ)するシナリオを描いた」(同)。

 結局、たばこ増税は与党税制調査会の反対で、国庫負担廃止も「雇用情勢の悪化」を理由に、実現しなかった。

そして、この財務省によるぺんぺん草の跡地に、雇用保険料率の引き下げという奇怪なお荷物だけが残されたわけであります。

これと、経産省が旗を振る賃上げによる内需拡大論とが不気味な融合を遂げたのが、雇用保険料率引き下げ分による賃上げ要請という世にも不思議な「政策」というわけで。

財務、経産という霞ヶ関の御優秀な官僚が、厚労省の三流役人を無視して制度をいじくり回すと、こういうスバラ式政策が産み出されるという標本のような事例でありました。

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日本経団連2009年優先政策事項

日本経団連の2009年の政党の政策評価の尺度となる優先政策事項というのが公表されています。これにのっとればのっとるほどいい政党だと判断されるわけです。

その尺度が適切であれば、判断も適切になるでしょうが、尺度が歪んでいたら、判断も歪んでしまうでしょう。

どういう尺度になっているのか、「雇用のセーフティネットの強化と雇用・就労の多様化の促進」という項目についてみていきましょう。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2009/001kaisetsu.html

>雇用情勢が厳しさを増していることに照らし、雇用のセーフティネットを早急に強化するとともに、労働市場の需給調整機能強化を通じて、雇用の維持や新たな雇用機会の創出、円滑な労働移動を実現する。また、雇用・就労の多様化を促進し、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を図りつつ、若年者や女性、高齢者、障害者などの労働市場への参加を促進する

この総論は全くその通りですが、まあ総論というのはそういうものでしょう。問題は各論。

>(1) 雇用のセーフティネットを早急に強化し、雇用保険制度の給付の拡充ならびに対象者の拡大、公共職業訓練の拡充等を実現する。

これは全くその通り、100点。ただし、今になって言うんじゃなくて、こういう事態になる前に言っておいてほしかったなあ、という気はしますね。ついでに一言、「公共職業訓練の拡充等を実現する」というのであれば、某政治家が雇用・能力開発機構を目の敵にして吠えまくっていたときに、一言「馬鹿者!」と一喝していただきたかったところですが。

>(2) 意欲のある求職者に対して適切かつ迅速に就労機会を提供すべく、労働市場の需給調整機能を強化する。このため、ハローワークの職業紹介事業に対する市場化テストの実施等を通じて官民の職業紹介事業の効率化を図る。

前半はその通り。ところが、なんで「市場化テストの実施」が「職業紹介事業の効率化」になるのかまったく意味不明。クリームだけ舐めたがって、求人開拓の実績劣悪な皆様にハローワークを明け渡すと、どういう理由で何が効率化するのか、是非伺いたいものです(それこそ、今集中砲火を浴びている派遣事業こそ、ハローワークには手が出せない分野で「労働市場の需給調整機能」をしっかり果たしているわけですが、そっちはスルーですか)。

>(3) 企業・職場の実態に即した柔軟な働き方の促進、雇用・就労形態の多様化、ワーク・ライフ・バランスの推進に向けて、仕事と生活の両立に向けた環境整備を図る。また、事務系労働者の働き方に対応する労働時間制度のあり方について検討を進める。労災保険については、最近の災害発生率の低下を反映し、その料率等を適正に見直すとともに、社会復帰促進等事業を制度の趣旨に沿うよう整理する。

だからあ、なんで未だに「事務系労働者の働き方に対応する労働時間制度のあり方について検討」とか寝言を言い続けるんですかあ?もうこの話は言い飽きたんですけど。カネを問題にすべきところで時間を持ち出し、時間を問題にすべきところでゼニカネを持ち出すという倒錯現象に未だ変化は見られないようです。

>(4) 全員参加型の労働市場を構築すべく、ジョブ・カード制度の普及促進など職業能力開発の基盤整備、高齢者雇用確保措置の着実な推進に向けた支援、トライアル雇用による企業の実態に即した障害者雇用促進などを推進する。

まあ、ということで、

最後に大きなのが控えていました。

>(5) 人口減少下においても中長期的に経済社会の活力を維持するため、外国人材の円滑な受け入れ・定住を図るための法制面・体制面(担当大臣の設置など)の整備を進める。

これから膨大な失業者が溢れるかもしれないとみんなおびえているさなかに「外国人材の円滑な受け入れ・定住」をあえて出しますかねえ。

一方で、数少ない雇用機会を日本人みんなで分かち合おうよ、ワークシェアリングをやろうよとか言ってるんですけど・・・。

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どぶ板の学問としての労使関係論

本日、某全国紙の記者の方と3時間くらいお話をしておりましたが、その中で、「どうして労働研究者の人はそういうことをいわなかったのですか」という話が出て、いささか個人的な見解を披瀝してしまいました。

それは、本来労働問題というのはどぶ板の学問である労使関係論が中心であって、それに法律面から補完する労働法学、経済面から補完する労働経済学が、太刀持ちと露払いのごとく控えるというのが本来の姿。

これはちょうど、国際問題というのもどぶ板の学問である国際関係論が中心であって、それを国際法学と国際経済学が補完するというのと同じ。

国際問題を論ずるのには、まずは現実に世界で何がどうなっていて、それは歴史的にどうしてそうなってきたのかという話が先であって、それをすっとばして国際法理論上どうたらこうたらという議論はしないし、国際経済理論的に見てこうでなければという話にもならない。それは理屈が必要になって、必要に応じて使えばいいもの。それらが先にあるわけではない。

そんなことしてたら、何を空理空論からやってるんだ、まずは現実から出発しろよ、となるはず。どぶ板の学問の国際関係論が、アカデミックなディシプリンとしてははっきり言っていいころかげんな代物であるとしても、やはり出発点。

ところが、労働問題は国際問題と異なり、その中心に位置すべき労使関係論が絶滅の危機に瀕している。空間的、時間的に何がどうなっているのかを知ろうというどぶ板の学問が押し入れの隅っこに押し込まれている。そして、本来理屈が必要になっておもむろに取り出すべき労働法学や労働経済学が、我こそはご主人であるぞというような顔をして、でんと居座っている。

そういう理論が先にあるアカデミックなディシプリンの訓練を受けた人ばかりが労働問題の専門家として使われるという風になってしまったものだから、今のような事態になってしまったという面があるのではないか、と思うのですよ・・・。

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WEDGE大竹論文

G2_w_0902 雑誌『WEDGE』2月号が「正社員の既得権にメスを入れよ」という特集をしています。

登場しているのは大竹文雄先生と水町勇一郎先生で、その論ずるところは(細部でいささか異論のあるところもありますが)総論として同感できるところです。

大竹先生の論は、先日の毎日新聞の論と同様ですが、正社員の解雇規制のあり方に踏み込み、整理解雇4要件の中で非正規切りをすることが司法サイドから要請されていることを批判しています。

大竹先生の解雇規制批判は、まさしく格差の大きい社会ではなく中間層が厚い社会が望ましいという考え方に立つものですから、正規も非正規も全部まとめて権利をことごとくはぎ取ってしまえば(労働者に関する限り)みんな無権利で同じになるなどというどこぞのいんちきメディア博士の発想とは似ても似つかぬものですから、あわてて無考えに批判してはなりません。

本論文の特色は、具体的に正規と非正規の雇用保障の差を少なくする方策を提示していることです。

>例えば、「正社員の労務費削減を非正規社員削減の必要条件とする」あるいは「非正社員を削減するのであれば、正社員も一定程度削減しなければならない」というルールを、立法措置によって導入することは直接的な手法となる。そうすれば、「非正規社員を切るな」という組合からの提案も出てくるであろうし、非正社員の雇用を守るため正社員の賃金カットに応じるかもしれない。企業の人材戦略も一変し、好景気に正社員の人数を絞ったまま一挙に大量の非正社員を雇用するということもなくなるであろう。

それがむずかしければ、税金と社会保障による再配分を使うなどというやり方もあると示唆しています。

そして再び、この台詞が登場しています。

>90年代の不況を就職氷河期の若者にしわ寄せし、今回の不況で彼らにとどめを刺すのが、日本の不況対策だとすれば、あまりに情けないことである

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新運転のあゆみ

11月14日のエントリで紹介した日本最大の労供組合「新運転」の太田武二さんと昨日お会いし、貴重な『30年史』や『45年の歩み』をいただきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-722a.html(日々雇用の民間需給調整事業の元祖 )

一通り読ませていただいて、あらためて激動の中を労働者供給事業の労働組合として生き抜いてきた新運転の歴史に感服しました。紹介したいネタはいっぱいあるのですが、やはり、前のエントリで引用した太田論文で

>しかしその後、出る杭は打たれるという諺どおり、急激に勢力を伸ばしていた新運転に対してマスコミを使った反日雇いタクシー運転手キャンペーンが吹き荒れた。曰く「事故多発、無謀運転、乗車拒否などの雲助タクシーの元凶は、日雇い運転手」ということで、1962年に運輸省令の改正によって組合員は一つのタクシー会社に選任運転手として固定的に雇用されない限りタクシー運転が出来なくなったのである。その結果、タクシー組合員の企業内への囲い込みが進み、新運転からの離脱、減少という事態が進行した。

と書かれている一連の動きをめぐる話が中心になります。この話が今日的に大変示唆的であるのは、労働省が許可を与えて日雇い供給の形で適切に事業を行っていた労働組合の労働者供給事業に対し、タクシー事業者や運輸省が「日雇いはいかん!タクシー運転手は常用でなければいかん!」と言いつのって、労働組合主導の外部労働市場システムをぶっ壊そうとしたという点です。

実際は、新運転から供給される運転手は供給先の会社の運転手よりも高い賃金を得ていたので、これは労働者保護のためではないことは明らかです。当時、乗車拒否や無謀運転するのは日雇い運転手だというキャンペーンが産経新聞を中心に張られたようですが、そんな証拠はどこにも示されていないと、当時の新運転は主張していました。

昨年来、日雇い派遣の禁止とか、製造業派遣の禁止とか、主観的には善意に満ちて事業規制をやりたがる意見が溢れてきましたが、労働問題としての本当の問題がどこにあるのかを忘れた議論になっていないかの検証がされてこなかったのは確かでしょう。

もう一つ、この話の示唆的なところは、運輸行政がタクシー事業への事業規制をすることで結果的にトリクルダウン効果で運転手の労働者保護につながるんだ、というようなある種の人々の議論の仕方に、大きな落とし穴があり得るということでしょう。労働者保護は労働政策の立場から労働者保護として行われるべきであって、事業規制でもって労働者保護の代わりにしようなどという発想は、全く逆の結果をもたらすこともあり得るのです。

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住宅支援の必要性

先日、事業場外見なし労働時間制の件でちょびっと批判させていただいた北岡大介氏(社会保険労務士・元労働基準監督官)が、ご自分のブログ「人事労務をめぐる日々雑感」で、

http://kitasharo.blogspot.com/2009/01/blog-post_19.html

早稲田大学主催「「貧困の拡大とセーフティネットの役割-雇用と社会保障の交錯」における岩田正美先生の問題提起を紹介しています。

>岩田先生は長年の貧困問題の研究から、我が国のホームレスの多くは、「会社が提供する寮・社宅から退去した者」であり、ここが欧米と大きく異なる点であると指摘した上で、次のような問題提起をされたと受け止めました(要旨 文責北岡)。

 
勤労者(広い意味)の住居は、長年企業に多くを依存してきた。企業の提供は福利厚生的な性格がある一方、会社の事情も多分に含んでいる。今後、勤労者住居は企業よりむしろ公的支援(住宅手当等)を検討すべき時を迎えているのではないか

これは、まさに本ブログでも最近何回か指摘した点です。北岡氏は次のような感想を述べています。

>従来、住宅支援の問題は建設省(現国土交通省)の担当とされ、厚生・労働省が展開する社会政策からは引き離されていました。社会分断を招くことなく、如何に社会政策として、住居喪失問題に対応することが可能か。先日のシンポジウムでは、西欧に見られる住宅手当等の公的給付などが検討課題として挙げられていました。配分できる財にも限度がありますが、政府・企業・地域社会・個人等が住宅に要する費用をどのように負担するのが公平妥当か、改めて考えさせられたシンポジウムでした。

このあたり、戦前の内務省では社会局(戦後の厚生省・労働省)で社会政策として住宅政策を所管していたのに、戦後業所管官庁たる建設省の所管となり、もっぱら建設業者の業界保護が中心になっていく経緯を調べてみたいところです。その建設省から、あの福井秀夫氏も出てくることを考えると、なかなか因果は深いのかもしれません。

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じわじわと

昨年末あたりから新聞、テレビを始め、多くの取材を受けるようになりました。雇用労働問題が、本格的に国政の最重要課題の中の最重要課題になりつつあることをひしひしと感じます。

その中でも、特に派遣の関係では、どのマスコミもはじめはやや感情的ないし「政局」的な製造業派遣禁止論に傾いていたのが、過去の歴史や国際的な比較をふまえたきちんとした説明をすることによって、より的確な政策方向に舵を変えてきていることが窺われます。

専門的知見による冷静な説明は、最初のうちは一知半解の威勢のいい「ぶっ壊せ」論に比べて軟弱な議論をしてやがるという風に見えますが、時間がたつにつれ、じわじわとその価値が分かってもらえるものです。

どんなときも、時代の風に乗ってるだけの威勢のいいだけの一知半解の議論は、風がなくなったとたんに失速して墜落するのです。

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ドーア先生の「役人の質こそが大事」

下の記事が載っている18日付の東京新聞に、ドーア先生の「時代を読む」というコラムが載っているのに気がつきました。まことに切れ味のいい皮肉がよく効いていて、痛快です。

>21世紀の「思想史」が書かれるようになると、最初の画期的な大変革として登場するのは、「小政府主義の終焉」だろう。20世紀の「冷戦と計画経済思想の終焉」に匹敵する大変革とされよう。

>・・・ところが、・・・自民党天下崩壊後を狙って、新時代の魁として旗を揚げようとしているのは、何と、まさに「小政府主義」の教条的信奉者たち。「霞ヶ関解体」を唱える、渡辺喜美氏など、小泉政権亜流の一派である。皮肉なもんだ。・・・小泉流改革論者は依然、「官僚追い出せ、民活・市場に任せろ」のスローガンを唱え続ける。

>もちろん、小政府主義の終焉といっても、大政府主義も同等に馬鹿な主義である。経済面で必要なのは、金融システム、会社制度など、市場経済が特定の少数な人たちでなく、社会全体の福祉を増進するように機能させるための制度作り、最低限必要な市場規制である。

>そして、何より重要なのは、そのような政策立案、制度作りを最高の頭脳でやれる、優秀な頭脳に、公益を誠実に考える責任感をも備えた役人である。

>・・・東大法学部の優秀な学生よ。もう、ゴールドマンやマッキンゼーの天下ではないはずだぜ。

イギリスから最近の日本の政局を見れば、あぁ、まだこいつらがでかい顔をしているのか・・・という感が否めないでしょうね。

そして、時流に乗って「官僚追い出せ、民活・市場に任せろ」とさんざん喚き散らしてきたイナゴ的ヒョーロン家どもも・・・。

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東京新聞生活図鑑

1月18日の東京新聞の23面の「生活図鑑」が、「有期雇用のあり方 日本も均等待遇の検討を」という大きな記事を載せています。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2009/CK2009011802000152.html

>非正規の雇用問題が深刻化しています。とくに、派遣や期間従業員など有期という働き方の不安定さが浮き彫りになっています。欧州連合(EU)ではすでに有期雇用について正社員との均等待遇を法制化しています。わが国は有期雇用のあり方をどのようにしていけばよいのでしょうか。

ということで、日本の法令や判例、EU指令と各国法制、ILO条約などを紹介しています。

最後近くで、

>EUの労働法制に詳しい労働政策研究・研修機構の浜口桂一郎さんは「有期労働者など非正規社員の賃金、労働条件、雇用終了について正社員との均等待遇を検討する時期ではないか」と指摘しています

右上の絵のところがなかなかよくできています。

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第4回今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会議事録

12月1日に開かれた標記会合の議事録がアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/12/txt/s1201-3.txt

前に本ブログで述べたように、この回は神奈川県立田奈高等学校教諭の吉田美穂先生が説明されたのですが、正直言って、それまでのNPOの方々の説明とか、労働相談員の方の説明はだいたい想定内だったのですが、この吉田先生のお話はいささかそれを超えるところがありました。

以下、興味深いところを引用しておきます。

>特に、28、29頁の「アルバイター、フリーターの権利を考えよう!」という部分が非常に大切だと思っております。どのようなことかと言いますと、やはり、本校では一定割合の生徒がどうしてもフリーターになっていかざるを得ないという状況があるわけですから、「フリーターになっちゃ駄目だよ。」で終わっては現実には意味がない。生徒たち自身もフリーターを肯定的に受け止めているかと言うと、「どうせフリーターだし。」というセリフをよく聞きますが、それはある程度自嘲的な部分が入っていて、なりたくてフリーターになっているとは思えないのです。そのようなことも考えて、28、29頁の「アルバイター、フリーターの権利を考えよう!」という教材にしてきました。

 ここではアルバイターを取り上げているというのが1つポイントで、1年生という年次での教材ということもあるのですが、生徒たちにとって、卒業してからの話や就職してからの話というのはまだまだ先のことで、ピンとはこないし、自分の問題としてはなかなか捉えづらいということがあります。そこで、彼ら自身が既にアルバイトをして働いていることに注目し、作ったということです。実は、本校生徒の大半は既に労働者です。どのぐらいがアルバイトをしているかですが、1年生の終わりごろに調査をして、実に3/4、4人に3人がアルバイトをしております。この数は第1回の研究会で提示されていた、下位校のアルバイト経験率を遥かに上回っていると思います。

 アルバイト先として多いのはファーストフード、ファミレスなどの飲食店関係、そしてコンビニやスーパー、ガソリンスタンドなどです。本校ではアルバイトは許可制ではなく、届出制です。これはアルバイト代の使い途が自分の小遣いだけでなく、定期代や学用品、中には一部学費という生徒もいて、学校に通うための費用に充てている生徒がアルバイトをしている生徒の30%ぐらいはいて、飲食代と書いてくる生徒たちの中にも弁当を持ってくることができないため、自分で買ってくる、その費用などもアルバイト代から出しているといった生徒が少なくないといった状況があります。禁止や許可制にしてしまうと、却って実態も把握しにくくなるということがあって、届出制としております。

 もちろん、アルバイトに多くの時間や精力をとられ過ぎてしまうと学業の妨げにもなり得るわけですが、本校ではアルバイトの中で彼らが経験的に学んでいくことも、また大切に見ていきたいという思いもあるのです。アルバイトをするようになって挨拶ができるようになった、目上の人との話し方を学んだ、時間を守ることを学んだなどと答える生徒がかなり多くなっている面もあります。学校に遅刻してくる生徒に「何で遅刻してくるの。」と聞くと、「バイトには遅刻していないから。」と答えることもあります。そういう話ではないと思うのですが、アルバイトに対しては本当に真面目で、遅れたり休んだりすると人に迷惑がかかるという意識はかなり持っているように思います。ただ、アルバイトをどんなに真面目に取り組んでも就職のときには役に立たない、学校を休めばむしろそれが調査書に載って不利になってしまうので本当に皮肉だなと思いますが、生徒のほうはなかなかそのような実感がないようです。

「家庭の婦女子や学生アルバイト」という十把一絡げは、パートタイマーや派遣労働者だけではなく、高校生アルバイトですらもはや現実に合わなくなってきているんですね。

>17番は労災ですが、授業のときにはもう少し具体的に、例えば「宅配中にバイクでバランスを崩して転倒して怪我をしてしまいました。治療費や休んだ分のバイト代は払ってもらえるでしょうか」といったより具体的なものにして聞いてみるのですが、生徒からは「それは無理でしょう。だって自分が悪いんじゃん、自分がコケたんじゃん。」と。ぶつけられたら別かもしれないが、絶対無理だという感じの回答がほとんどでした。原付免許を取った生徒にとって宅配は身近なアルバイトですから、実際をイメージして彼らにとってリアルな回答を言っているのだと思います。

生徒の大半は労災という認識はなくて、過剰な自己責任、先ほども人に迷惑をかけてはいけないとか、意外にも彼らはそのような倫理観を強く持っていて、このような事故でも自己責任と思ってしまいがちだなと思いました。

>具体的な例を出しますと、本校は年3回の三者面談、年度当初には二者面談など、担任が比較的きめ細かく生徒と面談をする機会を持っているのですが、ある担任が2年生の生徒との面談で、最近遅刻が多いと、それも授業に食い込むほど大きく遅刻してきたりすることが増えているがどうしたのだ、という話をしたら、アルバイトを1つ増やしたら、疲れてしまってどうしても起きられないということだったのです。生徒はそれで2つ目のアルバイトは無理だ、辞めようと思って、店長に辞めたいと申し出たが辞めさせてもらえないと。契約書を持ってきて、「君はここにサインしたのだから絶対に辞められない、きちんとやってもらわなくては困る。」と随分言われたというのです。大人に高圧的に、特に契約書などを見せられて上から話されると、絶対言い返せないという感じで困っていると言うのです。

この十数年間声高に叫ばれ続けた自己責任論は、各界の要職にある中高年の方々には(少なくとも自らの行動規範としては)あまり影響を及ぼしていないようですが、自己責任論のあふれる中で人格形成をしてきた素直な若者たちには明確な影響を与えているようです。

それも、人の自己責任を過剰に追及するという中高年によく見られる形ではなく、追求すべきでもない自分の自己責任を過剰に追及するという形で・・・。

>今日はこの機会にもう少しお話させていただきたい点があるのですが、今回このようなヒアリングの場をいただき、改めて考えてみると、労働法教育について学校だけが担うのは本当に難しい面があると思いました。とりわけ、実際には多くの職場で労働者の権利が守られない状況にあることが、大変マイナスな教育的効果を持ってしまっていることを感じます。高校生の労働観はアルバイト先で見聞きする現実にも大きく左右されていると思います。最近は「名ばかり管理職」などが問題となっていますが、例えばファーストフードやガソリンスタンドなど高校生がアルバイトしやすい所の店長などは、正社員でも実は名ばかり管理職という例もかなり多いのではないかと見受けられますし、そのようなことを生徒は横で見ているわけです。

 人件費削減でアルバイトに頼る店では正社員の店長が必死にアルバイトを確保して、場合によっては埋まらない穴を自分で埋めて働いているが、どうも給料はそんなにもらっていないらしいし、休みも取ってないと。アルバイトにも年休があると言う前に、正社員だって年休を取っていないと。そのようなところで、いくら「権利があるよ。」と学校で教えても、働くというのはそういうものだ、権利があっても行使するのは難しいと考えてしまいがちかなと思います。教科書の勉強と現実のどちらから多くを学ぶかと言うと、本校の生徒は現実からより多くを学んでしまうだろうと思います。学校としても体験的な学習としていろいろなキャリア教育をやっていますし、重視もしているのですが、やはり高校生が働くアルバイト先の現実の持つ教育的な効果というのも見逃さないでいただきたいと思っております。

最大の労働教育は、彼らがアルバイトで働く職場できちんと労働法が守られるようにすることなのかも知れません。

読めば読むほど考えさせるでしょう?

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朝日の良識的な社説 on 派遣労働

今朝の朝日の社説が派遣労働を取り上げていますが、内容的にはまさに私が昨年末から本ブログやあちこちで喋ってきた方向に向かっています。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

>欧州の派遣労働―均等待遇で競争力を培う

 給与や休日で派遣労働者と正規社員とを差別的に扱ってはならない。そうした均等待遇を義務づける法律を加盟各国が作らなければならない。

 欧州連合(EU)は6年越しの議論を経て昨秋、こんな内容の指令を正式に決めた。日本の現実からすると、まさに別世界のような話だ。

 さすがに、派遣先の企業の企業年金に加入したり、持ち株会に参加したりすることまでは求めていない。だが、派遣労働者が正社員と同じような仕事をしていれば、各国は同じ待遇を保障すべきであると明確にうたっている。

 育児休暇や社員食堂の利用、社内教育なども対象だ。原則として派遣労働者が働き始めた初日から均等待遇にするが、各国が労使間で協議し猶予期間を定めてもよいことになった。

 推進役はドイツやオランダなどの大陸諸国だった。企業は株主だけではなく、労働者にも支えられている。そんな考えから、これらの国々はすでに派遣労働に均等待遇を導入しているが、今回の指令で英国や新加盟の中東欧諸国も、向こう3年以内に法制化しなければならなくなった。

 欧州での派遣労働は、90年代に英国やドイツなどで急増し、いまや300万人を超える。だが、待遇や権利などその内実は日本とは大違いだ。

 日本では派遣労働者の多くが正社員との賃金格差にさらされている。欧州でも経済危機で失業者が増えているが、日本のように派遣労働者にしわ寄せが集中することもない。

 そもそもフランスなどでは、派遣労働を産休や育児休暇などによる一時的な労働力不足を補う目的に限っている。ところが日本では事実上、企業の人件費減らしのために常用雇用を置き換える例が少なくない。

 失業に備えた安全網の違いも大きい。多くの欧州諸国は失業手当を派遣にまで広げている。さらに、次の仕事につくための職業訓練も充実させている。一方、日本はそうした措置を十分取らないまま、規制緩和に突き進んできた。

 職種別賃金が普及する欧州と、企業内交渉で賃金が決まる日本では事情が違い、安易には同列に論じられない。

 だが、見過ごせないのは、EUが均等待遇を進めている背景に、国際競争力を高めようという戦略があることだ。少子高齢化による労働力人口の減少に備え、派遣やパートなど多様な働き方を定着させて働き手を少しでも増やすとともに、一人ひとりの能力も向上させようというのだ。

 今、日本では、製造業分野の派遣労働を禁止すべきかどうかが大きな議論になっている。だが、長期的には均等待遇の実現こそがめざすべき方向だ。欧州の事情を頭に置きつつ、議論を深めたい。

私のまとまった論説は2月に出ますので、しばらくお待ちください。

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ああ、きもちわるい

風の噂によると、ごく最近も奴隷制を礼賛したり基本的人権を罵倒して見せたあの3法則の池田信夫氏が、「スウェーデンが理想」だとか口走って、宮本太郎先生や神野直彦先生にすり寄ってきたようです。真偽のほどは定かではありませんが、もしほんとなら、標題の通りでありますな。

いうまでもなく、北欧モデルの基礎は9割近い組織率を誇る労働組合と、労働志向的な手厚い福祉システムであり、池田信夫氏が目の敵にしてきた2大双璧そのものなんですがね。

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大前研一氏の診断は正しいが処方箋は間違い

むかし経営評論家として有名で、確か選挙に出たこともある大前研一氏が、Voice誌に、「景気浮揚・三つの大改革」という文章を書いています。

http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=93&pageStart=0

その中で、こういう主張をしています。

>その第1は、個人の金融資産を高齢者から若者に移すことである。日本の最大の問題は1500兆円の個人金融資産がありながら、それがマーケットに出てこないことだ。そのために需要が生まれず、GDPも増えない。1500兆円の1%でも15兆円だから、これだけで麻生内閣が配ろうとしている2兆円の7倍以上の経済効果をもつ。

 マーケットに1500兆円が出ないのは、お金をもっている人が高齢者ばかりだからだ。彼らは国を信用していないから、「いざというとき」に備えて、その金額は貯金に回される。年金をもらっても、そこから3割を貯蓄に向けるという世界一変わった国民なのだ。日本の高齢者は、墓場に行くとき1人平均3500万円もの大金を持って行く。

ではどうしたらいいのかというと、

>そんな老人に少しインセンティブを与えて、「消費税を払わなくていいから、お金を使ってください」といったところで、消費に向かうことはないだろう。従来の延長線上にはない、まったく新しい方策が必要とされているのだ。それは相続税の廃止である。

>日本もこのような案を導入する以外、眠れる個人金融資産を市場に誘い出す方法はない。数年後の1年間、または2年間だけ相続にかかる税をゼロにする。そうして1500兆円の大半を占める高齢者の資産が若い世代に移るようにする。これに“朝日新聞的”な人たちは、「金持ち優遇」と反対するだろう。

私は、「朝日新聞的」かどうかは知りませんが、「金持ち優遇」だからというだけの理由で反対する気はありません。問題は、「金持ち優遇」がその眠れるお金を有効に使うことになるかどうかでしょう。私にはその処方箋は全く間違っているように思われます。逆に、一定額を超える資産に対してはきわめて高率の相続税をかけて、消費性向の高い若くて低所得の人々に配った方がいいと思われます。

なぜなら、以前に本ブログで取り上げたように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-9759.html(不労不育世代間資産還流の社会的帰結)

>昨日の朝日新聞日曜版「be on Saturday」に、大変興味深い記事が載っていました。「60歳超で循環するマネー 都市部の団塊世代に相続が集中」というタイトルで、要するに高齢化のために親が死んで相続する年齢が30年前より15歳以上も上昇し、60代後半で相続するに至っているというのです。

この記事自体はマネー記事なので、資産運用的観点からしか書いていませんが、実はこれはマクロ社会的に見ると、労働もしなければ育児もしない消費性向の低い引退世代の間でのみ、膨大な資産がやりとりされてしまい、実際に労働し、子どもを育てている世代はそのマネーの流れに入れなくなっているという深刻な事態を意味します。言うまでもなく高齢層ほど格差は大きくなりますから、そういうマネーの還流をしている階層と、そんなものに縁のない階層との格差は大きいわけです。

>なんにせよ、カネが不労不育世代間でのみ行ったり来たりしているというのは、マクロ経済的に見てもいかにも不均衡な事態でしょう。お金のかかる世代はお金がない、お金のかからない世代にお金がある。これを血のつながりを超えたマクロなメカニズムで還流しないと、お金をかけなければならない世代はお金がないからお金を使わない。お金が余っている世代はお金を使う必要がないからお金を使わない。という悲しい事態に陥ってしまうわけです。

お金を使わない高齢者の膨大な相続財産が向かうのは、同じようにお金を使わない一世代下のやはり高齢者であって(まさしく「ノンワーキング・リッチ」そのもの)、実際に働いて子育てをしている若年や中年の人々ではないわけですから。

この点でいえば、私は飼弾氏の考えに半ば賛成なのですが、

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51166246.html(相続税 - ゼロかイチか)

>カネを必要とする人間にカネが行き渡らない、カネがストック化してしまう弊害についてお話ししました。これに対する解決策こそ、ベーシック・インカムと社会相続のセットです。死んだ人間の持っていたカネがベーシック・インカムとして全員にばらまかれる、すなわちストックがフローとなって必要な人間に行き渡るようになるわけです

「半ば」という理由は、いうまでもなく、無差別のベーシックインカムでは就労に対するモラルハザードになるからで、原則は就労者や就労のために教育訓練を受けている者に対する社会手当として支給されるべきだと思います。この辺は哲学的な対立点ですけどね。

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雇用保険の加入対象拡大、野党が法改正案を提出へ

日経によると、

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090118AT3S1700U17012009.html

>民主党は3月末までに社民、国民新両党と共同で雇用保険法改正案を国会に提出する。1年以上の雇用見込みと定めている加入条件を「31日以上」に緩和し、雇用保険の給付対象を拡大する。与党は「6カ月以上」とする改正案の年度内成立を目指すが、修正協議に柔軟な姿勢も示している。一方、民主党が検討している、製造業の派遣労働を禁止する労働者派遣法改正案には党内になお慎重論が残る。

 民主、社民、国民新の野党3党は、週明けから政策担当者が本格調整を始める。深刻さを増す雇用情勢を踏まえ、政府・与党より一歩踏み込んだ内容にして、次期衆院選に向けたアピール材料としたい考えだ。

これは、製造業派遣禁止とか何とかに比べると、ずっと筋のいい話だと思います。

雇用保険の安易な拡大はモラルハザードにつながるという人もいますが、そうではありません。これは「加入条件」の拡大で、「給付条件」の拡大ではないからです。

雇用見込み1ヶ月以上で加入しても、加入期間6ヶ月未満で辞めれば、保険料を払っただけで給付は受けられないのですから、モラルハザードにはなりません。

むしろ、反対論は保険料の半分を払わなければならない使用者側からくるでしょうが、こういう人々を加入させていなかったために、結果として6ヶ月以上勤続していたのに、雇用保険を受けられない人々が出てきているという今の状況を考えれば、加入条件は漏れがないようにするべきでしょう。

本ブログでも何回か書いたように、そもそも失業保険法では日雇い(1ヶ月以下)は日雇い失業保険、それ以上は一般の失業保険で漏れはなかったのです。臨時工や期間工も失業保険の対象でした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ff05.html(派遣労働者への雇用保険の適用について)

ところが、「家庭の婦女子や学生アルバイト」は失業の恐れがないからと対象から外され、それが巡りめぐって、今のパートや派遣の扱いにつながってきているのですから、現に失業の恐れがある人々になっているいる以上、臨時工や期間工の扱いに一致させるのは自然だと思います。

ちなみに、給付条件は安易に拡大すべきではありませんが、短期勤務で受給できない人が出てくる以上、そちらに対しては昨年末の緊急対策で打ち出された「転換社債みたいな失業扶助」で対応することになるでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-4f99.html(転換社債みたいな失業扶助?)

ちなみに、読売では、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090114-OYT1T01054.htm(雇用保険に加入させぬ派遣業者、許可取り消しも…与党検討)

>与党の「新雇用対策プロジェクトチーム(PT)」(座長=川崎二郎・元厚生労働相)は14日、派遣労働者の保護を強化するため、派遣会社が雇用保険など社会保険に加入せずに雇用した場合、派遣事業の許可取り消しを含めた処分ができるよう労働者派遣法を見直す方向で検討に入った。

と報じていますが、(改正案でも)制度上半年以上の雇用見込みがなければ加入させないのであれば、「いや半年以上の雇用見込みがないんです」といえば許可の取り消しはできないことになり、余り実効性がないでしょう。

製造派遣禁止の話と違い、こちらは与野党の動きはうまく補完的になっているので、組み合わせると望ましい方向に行くように思われます。

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「問題意識」の部分は余り意味がない by 福井秀夫氏

昨年末に出された規制改革会議の第3次答申ですが、例によって「問題意識」の所は、「ごく初歩の公共政策に関する原理」をよくわきまえられた独自のご見解が炸裂しておりますが、具体的施策のところは

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3008.html(規制改革推進のための第3次答申)

にも書いたとおり、おおむね穏当なご意見にとどまっておりました。なので、

>今回の「第3次答申」のうち、「具体的施策」に盛り込まれた事項については、これまで、厚生労働省としても規制改革会議側と真摯な議論を重ねてきた結果得られた成果であり、その着実な実施に努めてまいりたいと考えております。

ところが、厚生労働省は、「労働再規制」の勢いに乗ったのかどうか知りませんが、「問題意識」に対しても追い打ちをかけていました。

>しかしながら、今回の「第3次答申」のうち、「問題意識」に掲げられている事項については、意見の取り上げ方に公平性を欠くものや、その基本的な考え方や今後の改革の方向性・手法・実効性において、当省の基本的な考え方と見解を異にする部分が少なくありません。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/dl/h1226-12a.pdf(規制改革会議「第3次答申」
に対する厚生労働省の考え方)

ところが、この問題意識を執筆した福井秀夫氏自身が、そんなに攻撃してもしょうがないよ、だってこんなの余り意味がないもん、というようなことを発言しておられたんですね。

答申を発表した規制改革会議の会議終了後記者会見録によると、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/meeting/2008/7/item08_07_interview.pdf

福井秀夫氏曰く:

>○福井委員 そうです。その中で、特に政府として尊重をいただきたいことについては、労働分野も含めてですけれども、関係省庁とも徹底的に議論を尽くして、内閣として決めるべく調整してまとめたものが具体的施策です。逆に言えば、問題意識というものは私どもが他機関との調整を経ず自由に記述する部分ですので、そこについてのみごらんいただいても余り意味はない。各省庁と内閣として合意に至ったところに政策としての意味があるのであり、同じ答申でも重みが違いますので、その点を念頭に置いていただきたいと思います。

そんなに意味のないものを、なんでわざわざ公共の資源を使って国民の皆様の目に触れさせるような真似をしたのかはよく理解しかねるところではありますが。

ちなみに、福井氏によると、

>○福井委員 まず、1次答申、2次答申、3次答申と、すべてのこれまでの労働分野の答申は、労働者保護に力点を置いて変わりなく記述しています。その姿勢に変化はございません。

ということであり、

○記者 その点はよくわかりました。

と、新聞記者の方も(なぜか)「よくわか」ったようなので、

かつて私が「よくわか」らなかったのは私の頭が悪かったせいなのか不安になってしまいました。ほんとうにそうだったのか、改めて昔のエントリを読み返してみますと、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_1cda.html(規制改革会議の大暴走)

>>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。

あ、そうか、これは答申じゃなくて「意見書」でした。「余り意味のない」問題意識を披瀝したところでしたね。

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生涯成長型雇用システムプロジェクト

前エントリへの佐藤博樹先生のコメントでご紹介のあった「生涯成長型雇用システムプロジェクト」ですが、

http://das.iss.u-tokyo.ac.jp/future/gaiyou.html

研究目的には次のように書かれています。

>今日の雇用社会は,①経済の長期停滞による所得の全般的な減少,②格差の拡大から生じる不安定雇用や無業者の増加,③正社員であっても働くことに幸福感が感じられない,といった状況にあります。つまり,誰もが長期にわたり安定性のあるキャリアビジョンを形成しづらくなっているのです。その結果,未熟練・非正規の労働者が増加する一方で,正社員は業務負担が拡大し,それらがさらなる停滞を生むという負のスパイラルが生じることが懸念されています。

そこで,本研究では「すべての人にとって,現在より未来に自分自身が何らかの意味でよりよくなれると確信できる雇用社会をめざし,システムの設計・普及を行える」雇用システム,いわば「生涯成長型雇用システム」を提案することを目的とします。

例えば,非典型雇用は,社会全体での労働力の柔軟性確保という点で大いに貢献してきました。しかしながらその一方で,個人として安定した職業生活を送れないという課題を抱えています。彼らにおいては,職場を移っても長期にわたる成長が可能となるような能力の評価制度を高める労働市場の整備が求められます。また,正規雇用は,仕事の安定性こそ恵まれていますが,日常業務に慢性的に忙殺され,能力開発のための機会やプロセスが十分に確保されておりません

こういった問題点を打開するには,彼らが創造的能力を伸張し,将来の変化に対して柔軟に対応する能力を蓄積できるような企業内雇用システムの再構築が求められております。

また,雇用形態のみならず,学歴や職歴等の本人が変更できない要因によって,就業や処遇の持続的な違いが生じているという指摘があります。現代においては,どのような個人であっても,成長を通じ処遇を改善する機会が長期的に保証されることが重要と考えられます。それは,こういった機会が保証されることは本人のためだけではなく,少子高齢社会における良質な労働力を保持し,全体的な所得と富の増大をもたらし,若年層において深刻さを増している格差問題の解消にもつながると考えられるからです。

以上の認識のもと,本プロジェクトは,①「生涯を通じた持続的な能力開発」②「ワークライフバランスによる成長に不可欠な時間の確保」③紛争・トラブル解決④キャリアビジョン形成を促すプログラムの検討を行います。

研究メンバーは、

【研究代表者】 

玄田 有史 (東京大学社会科学研究所教授 労働経済学)

【労働市場・教育調査研究グループ】

・グループリーダー・総括
石田  浩 (東京大学社会科学研究所教授 比較社会階層論)

・地域における雇用創出
中村 尚史 (東京大学社会科学研究所准教授 地域経済史)

・地域雇用システムの史的背景 
宇野 重規 (東京大学社会科学研究所准教授 政治思想史)

・学校から職業への移行の研究 
小杉 礼子 (労働政策研究・研修機構副統括研究員 教育社会学)

・学校でのキャリア教育の研究 
堀 有喜衣 (労働政策研究・研修機構研究員 教育社会学)

【企業・組織調査研究グループ】

・グループリーダー・総括 
佐藤  香  (東京大学社会科学研究所准教授 社会移動論)

・企業内雇用システムの研究  
中村 圭介 (東京大学社会科学研究所教授 人事管理論)

・雇用労働と家族生活の研究  
村上あかね (東京大学社会科学研究所准教授 家族社会学)

・ワークライフバランス    

矢島 洋子 (三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済・社会政策部主任研究員 少子高齢化政策)

【法・制度調査研究グループ】

・グループリーダー・総括   
水町勇一郎 (東京大学社会科学研究所准教授 労働法)

・労使関係システムの研究   
仁田 道夫 (東京大学社会科学研究所教授 労使関係論)

・問題解決システムの調査   
佐藤 岩夫 (東京大学社会科学研究所教授 法社会学)

・雇用市場の制度研究      
松村 敏弘 (東京大学社会科学研究所教授 法と経済学)

・労使関係の実態調査・研究  
鈴木不二一 (連合総合生活開発研究所副所長 産業社会)

・EU労働政策の研究・検証   
鶴 光太郎 ((経済産業研究所上席研究員 比較制度分析)

と、大変本格的な研究プロジェクトです。

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経済財政諮問会議新民間議員の雇用提案

昨日の経済財政諮問会議に、新しい民間議員(岩田一政、張富士夫、三村明夫、吉川洋)による「雇用問題について」という文書が示されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2009/0116/item6.pdf

いろいろな意味で興味深い記述が多く、ほとんどそのまま引用しておきます。

>世界主要国の景況が急速に悪化する中で、米国の雇用情勢が過去に例を見ないペースで悪化しており、各国もそれに続くことが予想される。わが国においては、輸出型製造業における派遣労働者の解雇・雇い止めの問題や、新規学卒の内定取り消し、期間工の失業問題などが社会問題化している。

雇用問題は、政府が昀優先して対応すべき課題であるが、問題によっては、事態の急迫性のみを重視した対応により、かえって将来における多様な雇用機会を狭めたり、失業問題を悪化させる懸念もある。経済全体の大きな流れを踏まえた上で、時間軸と影響の広がりに応じて問題を整理し、戦略的に取り組んでいくことが不可欠である。

1. 基本的考え方

○ 一国の雇用システムは、労働法制のみならず、産業構造、企業の雇用慣行、労使関係、教育システムなど様々な要素から構成されている。

○ 「雇用制度改革」については専門的な観点からの十分な検討を行なうことが必要である。

○ 一方で、支援措置の強化や雇用機会の創出といった「上乗せ」的な「雇用対策」には、迅速かつ大胆に取り組むことが適切である。

2. 雇用対策・雇用創出

時間軸に沿って 3つに分け、同時並行的にそれぞれに取り組むことが必要である。

(1) 生活防衛としての非正規中心のセーフティ・ネットの充実

雇用維持、失業者対策(失業給付や住宅・生活支援、職業訓練等)等の観点から、生活防衛策を措置(最後のセーフティネットは生活保護)

(2) 雇用機会の緊急確保

雇用関連予算(注)について、その採択後直ちに地方公共団体等が雇用創造支援に執りかかれるよう、関係省が連携し、近々にモデル事業を提示すべきである(一例としてフレキシブル支援センター案、別紙1参照)。

(注) 生活防衛対策に盛り込まれた 4千億円の雇用関連基金、雇用創出等のための地方交付税の増額(1兆円)等

(3) 中長期の雇用機会創出

10年展望に掲げられた新たな成長戦略の取りまとめに向けて、特に雇用の観点からは、以下の点が重要である。

① 高度成長期にみられた公共事業による「直接雇用創出」からの転換が必要である。

② 高度消費・成熟社会においては、新たな成長戦略による「戦略的市場創出」による付加価値の高い雇用創出や雇用吸収力の強化、それに応えられる人材育成が急務である。

③「戦略的市場創出」のためには、産業政策、雇用政策、福祉政策などの垣根を越えて、横断的に対応することが必要である。政府・自治体はそうした特長を持つ先導モデルを集中的に支援すべきである。

【先導モデルの例】高齢者独り暮らし・夫婦世帯に対する生活支援サービス総合モデル(別紙2参照)

④ 雇用増分野が労働投入型産業から技術、サービス両面でのイノベーション主導型産業へと替わっていくのに伴い、以下の点が重要となる。

‐ 柔軟な労働市場とセーフティ・ネットの強化を同時一体で行なっていくこと

‐ OJTと公的職業訓練から、大学も含めた再教育の機会提供へと人的資本の多様なレベルアップの仕組みをつくること

‐ ミスマッチ解消の観点から、失業給付・生活支援とこうした再教育機会の提供をセットにして強化していくこと など

3. 雇用システム改革

当面の対策はセーフティ・ネットの強化や雇用機会確保を中心としつつ、雇用機会・柔軟性創出の観点を踏まえながら、必要な雇用システム改革を十分な議論を行ったうえで、年金・医療等の社会保障改革の取組とあわせ、パッケージとして進めていく。

【論点】

‐ 雇用保険及び年金・医療等の社会保険について、ユーザー目線で制度設計すべきではないか(一体的運用、適用拡大のあり方等)

‐ 中期的には労働市場の柔軟性を高めるような制度設計を、企業の競争力の源泉となる質の高い人的資本の蓄積が損なわれることのないように配慮しつつ、検討すべきではないか

‐ 職業訓練などの積極的労働政策を組み合わせることで、入職を高める仕組みを構築すべきではないか

‐ システム改革に向けて労使双方において応分の対応が必要ではないか

赤字の部分は明らかに北欧型のフレクシキュリティモデルを意識して書かれていますね。

最後の論点のところも、ややぼかした言い方ではありますが、雇用保険や社会保険を非正規労働者にもきちんと全面適用しろ、企業はその負担増から逃げるな、職業訓練などの積極的労働政策にもっと多くの予算をつけろ、その負担増から逃げるな、というインプリケーションが明確に伝わってきます。これこそ正論。

政府の経済財政諮問会議がこういう的確な方向性を示しつつあるときに、マスコミが政局しか頭になく、野党の製造業派遣禁止論という見当はずれの正義感と、与党ドロップアウト組と「脱力官僚」サマの(まさにこの直前のエントリで紹介した猪木正道氏が35年前に慧眼にも指摘していた)反国家主義反官僚主義騒ぎにばかり入れあげているのは、その知的水準を露呈するものでしょう。

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猪木正道氏の正論「国家の正しい位置づけを」

最近、産経が「昭和正論座」と題して、昔の「正論」を再掲しています。昨今の低劣なショービニズムをかき立てるような「正論」に比べ、昔の保守派知識人というのはレベルが高かったのだなあ、と感じます。とりわけ、猪木正道もと防衛大学校長が1974年に書かれたこの論説は、私の言う「リベサヨ」現象の原点を的確に指摘しているともに、保守派のなれの果てが、まさにその反国家主義の先兵に成り果ててしまったという皮肉な現象とともに、様々なことを考えさせてくれます。

(猪木氏が言う「社会」はヘーゲルのいう「欲求の体系」としての「市民社会」であって、「ザ・ソーシャル」とは反対の意味になることだけ注意して読んでください)

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081011/stt0810110837001-n1.htm

>物価騰貴に怒り、ジェット機や新幹線の騒音を告発する国民の声は、マス・メディアを通じて増幅され、“一億総憤激”の観を呈している。もっとも注目すべき点は、憤激の矛先が主として“国家”に向けられていることだろう。

>“一億総憤激”の前兆は、敗戦後二十年をへた一九六五年あたりからぼつぼつ現れたように思われる。その頃わが国では高々度経済成長のひずみが露呈され、欲求不満のダイナミズムが噴出しはじめた。ベトナム戦争への米国の介入が本格化したのにともなって、アメリカばかりでなく、自由世界のほとんどすべての先進国で、小国に対する爆撃への嫌悪感が高まった。急進的・破壊的な学生運動が日、米、英、独、仏、伊の諸国で荒れ狂ったのも六七年頃からだった。物価、公害、戦争等々に対する憤激が互いに結びついて、“国家”を弾劾する一種の反国家的ムードが地球上いたるところの先進諸国に拡がった

>第二次大戦の終結まで、さらには東西の冷戦が対決の段階から交渉の段階に移行するまで、社会の側からの要求は強大な国家権力によって吸収され、抑圧されてきた。六〇年代の後半から自由世界の先進諸国でその反動期がはじまり、私たちは今や国家に対する社会の噴出という新しい時代に入ったといえるのではなかろうか?

>もっと遡(さかのぼ)って考えると、国家と社会との関係は、近代国家と市民社会とが歴史の舞台に登場して以来、一貫して国家が社会を圧倒し、蚕食して、とめどもなく肥大するという一方的なものだった。十八世紀末のフランス大革命を機として大陸諸国に徴兵制が施行されたことと、十九世紀の三十年代に工場法という形で英国の工場に国家権力がはじめて介入したことの二つは、国家の社会に対する優位を確立した意味で、真に画期的な出来事であった。

 さらに義務教育の普及という形で、国家は教育を手中に収め、種痘の強制など保健・衛生面で、また失業・災害保険等社会政策・社会保障の面で、国家権力のガン細胞的な増殖は二十世紀に入って加速度を加えた

 ヒトラーの第三帝国とスターリンのソ連とは、右のような国家肥大現象の頂点であったといっても過言ではあるまい。一九四五年四月末にヒトラーがベルリンの防空壕(ごう)内で自殺し、八年後の三月五日にスターリンの死が発表された時、全体主義国家への国家の肥大傾向は停止した。そして一九六〇年代の後半から、ベトナム戦争と高度成長とに対する批判をきっかけとして、国家に対する社会の反撃が噴出しはじめたのである

>よく知られているようにヘーゲルは人倫のありかたを家族、市民社会および国家の三段階に区分した。そして彼は市民社会をもろもろの欲求の体系としてとらえ、市民社会の矛盾を克服するのは理性国家の使命であると考えたのである。ヘーゲルの国家観が現実の国家の分析というよりは、国家のあるべき理想像の提示であったことは疑いない。反動的なプロイセン政府の検閲を回避するため、ヘーゲルは公刊の著書では必ずしも真意を表明できなかったといわれる。しかし現実の国家が理性国家の名に値するか否かは別として、市民社会がもろもろの欲求の体系であることは間違いない。

>国家が社会を圧倒し、蚕食して、とめどもなく肥大するという全体主義化の傾向には、すこぶる危険な要因が含まれていたことは間違いないけれども、その反動として国家に対する社会の反抗が噴出するのも大変恐ろしい徴候(ちょうこう)である。

 なぜならば、社会を構成する人々のもろもろの欲求が野放しにされると、文字通り万人の万人に対するたたかいが開始され、無政府状態が現出するからである

>アリストテレスが二千年以上前にはっきり教えているように、もろもろの欲求の噴出としての民主制の暴走は無政府状態の恐怖を生みだし、僭主制すなわち暴君の独裁を不可避にする。六〇年代の後半からはじまった社会の噴出、すなわちもろもろの欲求の爆発は、たしかに重大な警戒信号だといってよかろう。

 この危険に対処する方法はただ一つしかない。すなわち国家を正しく位置づけることである。社会を圧倒し、蚕食して、ガン細胞のように増殖し、肥大する国家の全体主義化が不健全であることはいうまでもないけれども、この半面にもろもろの欲求が噴出して、欲求の体系としての社会に国家が呑み込まれてしまうのも恐ろしい病理現象である。国家はどのような機能を行うべきであって、何をしてはならないかをはっきりさせ、国家として真に果すべき機能だけを公正に果すことにする以外に問題解決の道は存しない。

>国家の肥大化に抵抗する社会の噴出現象そのものが、いわゆる行政指導の強化や立法措置のエスカレーションを通じて、逆に国家の肥大化を助長しているのは、皮肉というほかあるまい。国家はしばしば必要悪に堕落することはあっても、今日の人類にとって必要不可欠であることは疑いない。戦前の教育が国家主義に偏した反動として、戦後の教育において国家が無視されたり、敵視されたりしていることはすこぶる遺憾だ。全体主義と無政府主義との両極に暴走しない国家の正しい位置づけこそ、これからの日本にとってもっとも重要な課題であると私は考える。(いのき まさみち

まことに皮肉であるのは、保守派が言いつのりたがる戦後教育の反国家主義が、工場法以来の労働規制や義務教育や社会保障に対するアナキズム的な反発と結合することによって、今日の小泉・竹中現象に象徴されるアナルコ・キャピタリズムの培養器となったということでしょう。

本ブログの論点に引きつけていえば、労働規制や社会政策という「国家として真に果すべき機能」をも破壊してきた結果、かえって経済規制や産業統制という「ガン細胞」を生み出すというパラドックスでしょうか。

昨日NHKラジオで喋った製造業派遣禁止論への批判も、そういう話の一環なんですね。

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水口弁護士の整理解雇法理修正論

労働弁護士の水口洋介氏がブログで大竹先生の例の毎日新聞の論説を取り上げています。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/01/post-3f93.html(ちょっと意外な、大竹文雄先生の「非正規雇用問題」)

私や労務屋さんも取り上げていますが、労働に関わる人間にとってはそれほど関心を惹かれる論説であったということでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-ab34.html(大竹先生「企業の内部留保活用を」)

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090113雇用確保に企業の内部留保活用をby大竹文雄先生

さて、水口氏にとって大竹先生のこの論説は意外なものであったようですが、私にとっては実はこの水口氏のエントリがやや意外なものでした。

というのは、大竹先生の

>新規採用の停止や非正社員の雇い止めをすることが、解雇権濫用法理という判例法理のなかで、企業の解雇回避努力として評価されるいうことも問題だ。

という一節に対して、

>この指摘も正しいと思います。解雇回避努力は、非正社員の人員整理を意味するものではありません。経費削減、人員配転、取締役の報酬の削減こそが解雇回避努力の中心要素です。

1970年代であれば、非正社員の比率は全労働者の10%以下でした。そして、非正社員の大多数は家計補助的なパート労働者という実態があったでしょう。したがって、その当時、裁判所が非正規労働者の雇用調整が解雇回避努力の一つとしたことも一定の理由があると思います。

しかし、今や、非正規労働者が全労働者の3分の1を占め、正社員の賃金抑制施策の結果、もはや家計補助的ではなく、その収入によって家計を支える比率が増大しています。また、「不本意」非正規労働者が増加しています。
このような現代にあっては、非正規労働者の雇い止めを正社員解雇の必要条件とすることは認められないと思います。

と、1970年代に確立した整理解雇法理の一定の修正に賛意を表しているのです。

思うに、こういうことを率直に言う方がいいと思うんですよね。

うかつに解雇法理の修正なんていうと、ニュートン法則の福井秀夫氏の同類と思われるんじゃないか、とか、果ては池田信夫氏やそのイナゴの一族と思われるんじゃないか、とか、くよくよ考えて黙っていると、かえって非正規労働者も含めた労働者の利益を考えているということが伝わらなくなります。

まあ、私も『季刊労働者の権利』でかなりずばっと書いたりしたため、風の噂によると、某政党の人から「濱口さんって解雇自由論者なんでしょ」などととんでもない濡れ衣を着せられたりしているらしいのですが(笑)。

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NHKラジオ10時のニュース

今晩10時のNHKラジオのニュースに出ます。10分ぐらいアナウンサーの質問に答えながら喋っています。

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ケータイ持たせても事業場外みなしが可能か?

あらかじめお断りしておきますが、このエントリは思いっきり労働法研究者しか興味のなさそうなテーマですので、つまんなそうだなと思われたら読むのをやめて結構です。

『労働法学研究会報』の1月1日号に、北岡大介氏の「事業場外みなし労働Q&A」が載っています。全体としてとても役立つ記事なのですが、

そのポイントとして、「携帯電話所持はみなし制の適用を否定するのか」という問いに対して、「在宅勤務に関する通達から推測すると、携帯電話の「所持」が事業場外見なし労働の適用外に直結するのではなく、「携帯に出てすぐに対応せよ」などの「具体的指示」がなければ、事業場外見なし労働が適用されるケースもあり得る」と述べています。

正直言って、これは危ないと感じました。これを読んだ事業主が、そうか、携帯を持たせても、そう言う「具体的指示」をしていなければいいんだな、と理解してしまうと、まずいことになりそうだからです。

この在宅勤務の通達というのは、北岡氏が述べているように、以前は通信機器が常時接続であれば事業場外見なし労働は適用できないと解釈されていたのを、小嶌典明先生の主張により、回線が接続してあっても、電子メール等で即応できるよう待機しつつ作業しているのでない限り、事業場外見なし労働とするというものです。

これは、近年の通信状況を考えれば常時接続が当たり前ですから、常にメーラーを立ち上げて、メールが来たら即応できるようにしている場合と、通常はメーラーは立ち上げずに自分の作業に専念していて、定時にのみメーラーを立ち上げてメールが来たかどうかを確認するようにしている場合とで扱いを変えることには合理性があります。

しかし、携帯電話は違うのではないでしょうか。携帯電話を所持しているということは、電車の思いやりシート近くにいるとき以外は、原則として常に電源を入れているはずで、つまりいつでも電話がかかってくれば即応しなければならないと、無言のうちに言っているのと同じではないかと思われます。

携帯電話を渡しておいて、いや「すぐに携帯に出て対応しろ」などと「具体的な指示」はしておりませんでした、というのは、携帯電話の通常の使用法からして、いささか疑問があります。

こういう問題で、

>労働基準監督官の考えにぶれが生じる可能性があります。

というのは、現代における携帯電話の普及状況を考えるとかなりやばい状況です。

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ワークシェアリングをどう考えるべきか

最近やたらに聞かれるので、もう7年前になりますが、やはりワークシェアリングが話題になっていたときに、社会民主主義研究会というところで喋った中身を紹介します。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shaminken.html

冒頭、「最近、雇用労働問題といえばワークシェアリング一色です」の「最近」というのは、2002年初め頃のことです。

当時いわれていたワークシェアリングの3類型を、企業内ワークシェアリング、労働者全体のワークシェアリング、生活者全体のワークシェアリングという風に再構成し、ついでに市場原理主義の「ノン・ワークシェアリングまたは市場によるワークシェアリング」をくっつけて、提示してみたもので、今でもそのまま使えると思いますし、特にオランダモデルといわれるものについて、

>ところが、ここが大変注意を要するところなのですが、この類型はややもすれば、要するにパートタイマーを増やして、労働力を安上がりにして、雇用を増やすことだという風に理解されてしまいがちです。近年日本ではアングロサクソン流の市場原理主義が世論を支配しており、その枠組みの中に迂闊にこのモデルを持ち込むと、社会連帯を極大化したモデルのはずが、全く逆の連帯ゼロの市場によるワークシェアリングの一変形にされてしまいかねません

 実際、ワークシェアリングに批判的な経済産業省も、「企業の業務実態やその変化に応じて、パートタイム労働者等をさらに活用することにより、一定の雇用維持・創出効果が期待される」と「多様就業活用型」を評価しており、あまつさえ、「このため、労働者派遣や有期雇用、裁量労働制の一層の規制改革を行い、制度的にも多様な就業をサポートすることが重要」と、労働市場の規制緩和の一環として利用しようという意図を示しています。

 しかし、こういう風に理解された「多様就業活用型」のワークシェアリングなるものは、上で述べた「仲間の間で分かち合う」というそもそもの考え方とは異なるものというべきでしょう。むしろ市場によるワークシェアリング、生産性の低い連中はよけいな規制をしなければ外部労働市場でちゃんと仕事が見つかるんだ、パートはどうもねえ、有期は嫌だな、派遣はだめよと、文句ばかり言うから失業が減らないんだ、四の五の言わずに市場が提供する仕事に就けばよいのだ、という発想に基づくものでしょう。そこには「連帯」の思想は見あたらないように思われます。

 現在、日本でワークシェアリングというと、短期的には先の企業内のワークシェアリング、中長期的にはこの多様就業型をやっていくんだということになっていますが、この多様就業型の社会的インプリケーションについては、まったく同床異夢のようです。ある人人にとっては、労働者の枠を超え、生活者全体の中で、労働時間、家庭責任を果たす時間、社会的活動の時間、個人の時間を改めて配分し直すという、社会システムの組み替えの一環として位置づけられているのに対して、他の人々にとっては、労働者保護のための規制によって硬直化している労働市場を規制緩和し、市場原理を貫徹させるための戦略の一環として位置づけられているように見えます。

と懸念していたことは、そのまま現実になったと言っていいと思います。

ご感想などお聞かせいただければ幸いです。

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雇用安定・創出に向けた労使共同宣言

先週から入れ替わり立ち替わりマスコミの皆さんが聞きに来られるわけですが、本日、連合と日本経団連が標記の宣言を発表しております。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/data/20090115_sengen.pdf

>1.米国の金融危機に端を発した世界同時不況の中で、雇用失業情勢は一層深刻化することが懸念され、国民の間には雇用不安が広がっている。
しかし、雇用の安定は社会の安定の基盤である。先行き不透明感が強まる中で、実効性ある景気回復策と併せて、雇用の安定・雇用の創出策を速やかに講ずることが、我が国の喫緊の課題である。

2.日本経団連と連合は、このような認識を共有し、いまこそ労使が真摯に向き合い、雇用の安定と新たな雇用創出に向けた政策を展開すべきであることを確認した。そのため、今後、雇用にかかわる様々な問題について、必要に応じて協議や研究等を行っていく。

3.政府は、別紙のとおり、緊急対策として、雇用調整助成金の要件緩和など企業の雇用維持に対する支援や、失業者の雇用・住宅確保対策、雇用保険の適用拡大・給付改善、職業訓練の抜本拡充など、すべての労働者のための雇用のセーフティネットの整備を早急に行うべきである。
また、新たな雇用の創出も不可欠である。とくに、医療・介護・保育等の分野でのマンパワーの前倒し配置、環境・農業・教育分野での雇用創出、社会資本の復元・整備等、社会が必要としている分野における雇用創出策を、公的支出も拡大しつつ、早急に実施すべきである。

4.我が国は、これまでも大きな経済危機を労使の努力で乗り越えてきた経験がある。長期雇用システムが、人材の育成および労使関係の安定をはかり、企業・経済の成長・発展を支えてきたことを再認識し、労使は雇用の安定、景気回復に向けて最大限の努力を行う。

政府への要求は別紙にあるとおり詳細ですが、さて労使の方は具体的に何をするのかは、、「労使協力」という考え方は明確に出ていますが、今の段階ではまだうかつに言えないというところですか。「ワークシェアリング」という文字を見つけたくてうずうずしていましたね、マスコミの方々は。

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フジテレビ明朝のとくダネ!

で、私の説明が放送されるようです(私が出るということではありません)

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今夜もワールドビジネスサテライト

本日夜11時、テレビ東京のワールドビジネスサテライトでちょびっとしゃべります。

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生産性新聞アンケート

社会経済生産性本部発行の『生産性新聞』1月15日号に、「2009年経済・労働情勢に関するアンケート」が載っています。「学識者」という欄に、なぜか私も顔を連ねています。私に学識があるかどうかは別にして、私の回答は以下の通りです。

1 2009年の景気:やや悪化する

2 日本の経済社会全体にとっても2009年の重要課題:

<1>貧困・社会的排除への対処

<2> 包括的な労使関係システムの再構築

3 2009年の春期労使交渉の最重要課題:賃金

マクロ経済的な観点から賃上げが需要拡大の鍵とまで言われる中で、それを大企業正社員だけでなく、中小零細企業や非正規の労働者にも及ぼせるかが問われよう。

4 日本企業にとって2009年の重要課題

<1>(非正規も含めた)企業レベルの集団性の再構築

<2>不安定な成果主義からより安定した年功度の低い賃金制度への移行

5 米国発の金融危機の影響:やや影響が出ている

(日本経済全体としては)より公平な分配を通じた内需拡大が重要。象徴的には、若者が車を買って休日には遊びに行けるようにすること。

6 2009年を展望する上でお薦めの書:川喜多喬『仕事と組織の寓話集』

2年前の本ですが、労働問題の本質への洞察がこれだけ詰まった本をほかに知りません。

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第5回今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会

昨日、標記会合が開かれました。資料は数日後にアップされるでしょうし、議事録も(だいぶ後になるでしょうが)やがてアップされるでしょうから、ここでは記憶に残った発言だけ。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/01/s0114-2.html

両角先生から、そもそも今の労働法制はわかりにくいので、わかりやすくすることを考えたらどうか、というご発言。まあ、労働教育の研究会報告に書く話か、というのもありますが、最近の立法がやたらめったらわかりにくい、理解されることを拒否している文章じゃないかというのは確かなところで、立法担当者の皆さんは心すべきかも。

増田委員から、文部科学省の責任だが、学習指導要領にちゃんと労働法を盛り込むとか、大学で必修にするとか、特に教職課程では必ず労働法を学ぶようにするとかする必要があるんじゃないか、というご発言。

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難民の難問

Mksjp8 国連の難民高等弁務官事務所が、EUに対して、もっとさっさと難民を受け入れろと求めているようです。

http://euobserver.com/9/27383

>With as many as 67,000 crossing the Mediterranean to seek asylum in Europe in 2008, the United Nations refugee agency has urged the EU to make sure it treats those arriving fairly, describing the EU's strict immigration rules as among the factors explaining the number of migrants that undertake the treacherous voyage.

EUの移民規制が厳しすぎるから、難民たちは危険なボートに乗って地中海を渡ってこざるを得ないのだ、と。

>"With few opportunities to enter the EU by regular means, thousands of people threatened by persecution and serious human rights violations in their home countries have no choice but to take the dangerous sea route," Ron Redmond, a spokesman for the UN High Commissioner for Refugees (UNHCR) told journalists on Friday (9 January) at a press briefing in Geneva.

通常の手段ではEUにはいることがほとんどできないから、迫害や人権侵害を受けている何千もの人々が危険な道をとらざるを得ないのだ、と。

いや、確かに、難民救済の立場からはそうなのでしょうが、「通常の手段で」EUにはいることを簡単にしてしまったら、貧しさに「迫害」されている人々や、経済的な「人権侵害」を受けている人々が、何千万と押し寄せてきてしまうでしょう。

いや、確かに、EUの周りにはろくでもない国が多い。政治的迫害や人権侵害が日常茶飯事であるのも確か。だからといって、そう言う人々を際限なく受け入れていたら大変なことになるから移民規制を厳格にしているわけで、一方からの立場だけで語れる問題でもないのです。

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派遣の話

日付が変わって今帰ったところですが、昨日、都内某所で某々な人々に派遣の話をし、その後様々な話をして参りました。

それ以上は、関係の方々に聞いてくださいね。

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地方分権改革推進委員会第2次勧告に関する見解

厚生労働省の雇用均等・児童家庭局が、労働政策審議会雇用均等分科会の意見として、標記を発表しています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/01/h0113-1.html

要するに、地方分権の大義を振りかざして、国の機関をブロック化しようとすると、こういう事態になりますよ、という話です。

>都道府県労働局においては、第一線業務と位置づけるべき業務を担っている。雇用均等関係業務や調停を含む個別労使紛争解決のための調整はその典型的なものであり、個々の労働者、事業主が直接労働局に相談に訪れているが、これがブロック化された場合、多くの相談者にとってその利便性が失われ、多大な時間的・金銭的コストを生じさせることとなる。これは、労働者の権利救済に甚大な影響を及ぼすばかりか、労使双方にとって迅速簡便かつ低廉な手段として長年かけて定着してきた労使紛争解決機能の利用を大きく妨げることとなる。

また、雇用均等行政は、労働基準行政及び職業安定行政とは異なる性格・行政手法をもつものであり、これは男女雇用機会均等法制定以来20年以上に亘る施行業務の中で独自に培われてきたものである。従って、労働基準監督署又はハローワークによりこれを実施させることは困難であって適切ではなく、かえって効率的・効果的な行政推進を妨げることとなりかねない。

労働力減少社会の到来を迎え、少子化対策に社会を挙げて対応し、女性労働者の能力発揮がかつてないほどに求められる中、こうした課題に対して抜本的な解決策を示さぬままに都道府県労働局のブロック化を安易に進めることは、わが国の経済社会の持続的発展を阻害する大きな要因となりかねないことから、こうした懸念の解消を直ちに求めるものであり、ここに労働政策審議会雇用均等分科会としての意見を強く申し述べる。

こういうと、すぐチホー分権真理教の皆さんは、いやいやそんなことは地方自治体が全部できるとおっしゃりたがるわけです。

そうやって、地元の業者がバックについていないようなたぐいの女子供弱者に関わる行政分野はどんどん削られていったのがチホー分権の実態であったわけですが。

(参考)

地方分権問題については、他の分野についても

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_39f9.html(地方分権を疑え)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_942b.html(分権真理教?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9f95.html(補完性の原理についてごく簡単に)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3ec3.html(地方分権の教育的帰結)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5c66.html(労働行政の充実・強化に関する要請)

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テレビ東京夕方5時

のニュースに、ちらと顔を出す予定です。

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ケインズに派遣を語らせるなかれ

いや、80歳を超えるご老人を批判するようなまねはほんとはしたくないのですが、やっぱり一言だけ言っておかないと。

日曜日の朝日のオピニオン欄で、「大不況 政府・企業がすべきことは?」というテーマに、伊東光晴氏がケインズの立場から、上田惇生氏がドラッカーの立場から述べています。伊藤氏がマクロ経済について語っていることについてここであれこれいうつもりはありません。しかし、

-派遣労働者をはじめ、すでに不況で苦しんでいる人が大勢います。

「ケインズは派遣労働など想定していませんでした。これは日本と韓国ぐらいにしか存在しません・・・。」

はぁ?日本と韓国にしか・・・って。昨年末EUは派遣労働指令を正式に採択したんですけど。

ていうか、いかにケインズ経済学の泰斗であるといっても、現役の頃には派遣法が存在していなかったようなご高齢の方に、派遣を語らせる方が間違っています。語っても、それは紙面に出さないのが当然の配慮。こんな、派遣のイロハもわかっていない人に経済がわかるのか?って、言われたら誰が責任をとるの?いやわかると思いますよ、マクロ経済学は。でも派遣はわかっちゃいない。これは朝日新聞の責任です。

>本来、職業紹介は公的部門と学校以外はやってはいけない。

まさに、そういう原則をひっくり返したのがILO181号条約なんですけど。

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特定分野の優等生君が恥を晒す場所

窓口業務の話についたはてぶコメントについて、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ecbf.html

いや、ハロワの窓口ごときでどぶ板か?という議論は大いにありうる。私も実はそう思う。もっと底辺はいくらでもあるだろう。ただ、これは、警察署長や税務署長で出ることとの対比で、政策形成に携わる中央官庁の役人の人事問題として論じられていることであり、懇談会の中間報告でやるべき実例として挙げられている以上、いや既にやっていたんですけど・・・というエントリに文句を付けられても、というところ。

問題はそれより、tari-G氏の「労働法以前に法の基本的なことを全く知らずにテキトーなことを述べている理由は分かった」という悪意に満ちたコメントの方。ここには、例の3原則の池田信夫氏やそのイナゴたちと共通する病理が露呈している。

私も一応大学で憲法の授業は受けているので「国家からの自由」と「国家への自由」などという概念自体は知らないわけではない。だが、そんな概念を絶対的なものと囚われていては、労働の現場は素直に見えませんよ、という話なのだ。

空調の効いた部屋で、分厚い憲法学の教科書を読むようなやり方で、労働問題を扱っては何も見えませんよ、という話なのだ。

憲法学だけの優等生君には労働が語れない。民法学だけの優等生君には労働は語れない。理論経済学だけの優等生君には労働が語れない。learnしたことを現実に合わせてunlearnしながら柔軟に議論を展開できなければ、恥を晒すだけなのだ。

(追記)

まあ、私も労働法以外の法律にうかつに手を出すと火傷しかねないので、この辺にしておきます。

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「事実漬け」に勝るものなし

明石書店発行『現代の理論』09年新春号をお送りいただきました。

特集は「恐慌前夜か、変革前夜か」で、金子勝、山家悠紀夫等々といった面子が並んでいますが、まあ特に目新しいことも梨。小林良暢氏の「激震の非正規リストラ対策はこれだ」については、私の考えを論ずるときに改めて論ずることとして、ここで是非紹介したいのは、筒井美紀氏の「大学の<キャリア教育>は社会的連帯に資するのか?」という論文です。

>・・・大学教育という観点から見ると、労働世界を<社会>の視点から眺めるという動作を習得させる授業の重要性を示している。この動作と真反対なのは、サッチャーもと英国首相が言い放った「社会というものはない。あるのは個人と家庭だけだ」というものの見方である。この見方に立つと学生はもっぱら「賢く」生きるにはどうしたらいいかというフィルターを通して社会を見るようになり、自己責任論を「素直に」内面化した「新自由主義市民」になってゆくだろう。

>・・・必ずどこかで「賢く生きたい私」をいったんは忘れさせて、労働世界の構造的・制度的なありようを凝視させるべきではないか。というのも、それがなければ、「あの人はコミュニケーション能力がないから正社員になれないんだ」「好きで非正社員をやっている人もいるんだから別にいいじゃない」のように、社会的な次元の問題を個体の次元に還元してしまうからだ。

>念のため申せば、筆者は、「貧しい人々や社会的に不利な人々への同情心を高め、寛大な気持ちを持たせるような大学教育をどしどしやろう」などといっているのではない。もっぱら同情心や寛大さの延長線上に社会的連帯を築こうとするならば、それは失敗する。・・・寛大さと連帯は別概念なのだ。すなわち寛大さとは、私たちが何も共有するところのない相手であっても、その他者の利害を考慮に入れることであり、これに対して連帯とは、利害が共有されている人々の間で、社会的に実効的に利己主義を調整するものである。寛大さは道徳的な徳であり、連帯は政治的な徳である。

>では、誰が利害を共有する-自分と「地続きの」-他者なのか。その認識を、視野狭窄のままでさせぬよう、労働世界を<社会>の視点から眺めるという動作を習得させることが不可欠である。

>では、どうやって?筆者は「事実漬け」に勝るものはない、と考える。学生たちを、題材という観点から見て良質の新聞記事やルポルタージュにさらすこと。・・・教育がなすべきことは、感情や価値のことと見える問題を事実の問題に置き換えて考えさせる・・・その問題に関わる事実を具体的に認識させることである。

何も付け加えるべきことはありません。100%その通りです。

あえて詰まらぬことを脚注的に述べれば、大学生時代に事実をきちんと見るという習慣を身につけぬまま、物事を社会の視点から見るということができないまま、大人になってしまった人間、とりわけ学者などという職業に就いてしまった人間は、その学生たちに、事実を見ないようにする悪い習慣を、物事を社会的に見ないようにするという悪しき習慣を植え付けることによって、社会に再び害悪をまき散らす先兵となってしまうということでしょうか。その実例は、本ブログの過去ログに見出すことが容易です。

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派遣労働者保護で与野党幹事長一致

いっとき製造業で派遣を禁止しろとかあらぬ方向に向かいかけた派遣法の議論ですが、ようやく大勢がまともな方向を向き始めたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090111-OYT1T00497.htm

>与党と民主党の幹事長が11日、テレビ朝日の報道番組に出演し、派遣労働者の保護が必要との認識で一致した。

>国会で継続審議中の労働者派遣法改正案の修正協議が加速する可能性が出てきた。

 公明党の北側幹事長は「派遣元と派遣先の責任を明確化させるよう法制化すべきだ。派遣先は、雇用を切ったら再就職先をあっせんするとか、住居に一定期間入ってもらうとか、現実的な対応をしなければいけない」と述べた。これに対し、民主党の鳩山幹事長は「北側さんの意見に賛成だ。派遣先と派遣元の連帯責任をきちんとうたうことが大事だ」と同調した。

 自民党の細田幹事長は番組出演後、記者団に「与野党で一致する可能性があり、調整する」と語った。

現在の労働者派遣システムのどこに問題があって、どういう風に変えていくべきなのか、まとな議論のための一つの柱が、この派遣先責任の確立であることは、本ブログで過去繰り返し述べてきました。このほか、派遣労働者の待遇確保の問題、セーフティネットの確立の問題など、取り組むべき課題は山のようにあります。製造業派遣禁止などという悪しきギョーカイ主義に振り回されるロスタイムが少なく済みそうなことは望ましい限りです。

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映画『蟹工船』の監督は山村聡だった

Kani1_2 映画『蟹工船』をやっているという噂を聞いて、新宿駅西口すぐの新宿武蔵野館に行ってきました。

http://www.musashino-k.co.jp/cinema/shinjuku.html

昭和初年にかかれた小林多喜二の原作を俳優から転出の山村聡が第一回の脚色・監督にあたった。撮影監督・音楽はそれぞれ「ひろしま」の宮島義勇、伊福部昭。監督山村聡自身、森雅之、日高澄子、中原「村八分」、河野秋武などの他、現代プロ、前進座、東京映画俳優協会、劇団東芸、少年俳優クラブのメンバーが出演、これに千葉県勝山の網元平田末喜三が大役に特別出演している。

1bc4af5d なんと、あの山村聡が監督、脚本かつ主演までやっているという、映画ファンにとっても必見の作品。作られたのは1953年、なんと56年前です。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23857/comment.html

山村聡の役は原作にはない松木(本名は野口)というインテリ崩れの男ですが、これがまた、いかにも階級間をさまようインテリゲンチャを絵に描いたような役どころ。

と、書いてきて、山村聡って知ってますよね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E8%81%B0

神戸一中、一高、東京帝国大学文学部卒業後、研究劇団「太陽座」に入団。戦前の舞台活動を経て、1946年、『命ある限り』で映画初出演。1947年、溝口健二監督作品の『女優須磨子の恋』で田中絹代演じる松井須磨子の愛人役・島村抱月役に抜擢され、1950年には小津安二郎監督作品の『宗方姉妹』で第1回ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞するなど数多くの映画に出演する一方、1952年には独立プロ「現代ぷろだくしょん」を設立し、翌年第1回監督作品『蟹工船』を発表するなど映画監督としても活躍した。1960年代以降は『ただいま11人』、『春の坂道』、『必殺仕掛人』、『華麗なる一族』、『ザ・ハングマン』などテレビドラマにも多数出演。父親役や威厳のある大物役などを演じることが多かった。映画『世界大戦争』、『ノストラダムスの大予言』、テレビ版『日本沈没』等で、総理大臣役を4回演じている。

我々の年代にとっては、山本五十六とか徳川家康とか首相とか、とにかく大物を絵に描いたような役どころの俳優ですが、若い頃はこんな映画を作っていたんですねえ。

あと、音楽が伊福部昭!全編を流れる伊福部節も時代を感じさせます。

話を元に戻して、全体の筋はだいたい原作に沿っていますが、正直言って、原作より数段いい作品になっているような。特に、原作ではソ連に漂流して支那人が出てきてプロレタリアートがどうとかこうとかというシーンが出てきますが、まだ日ソ国交回復前ということもあり、そういうところは一切カット。でも、それがあるとかえって共産主義宣伝映画みたいになってしまうので、映画の出来としてはない方が遙かにいいですね。

公開当時の宣伝用ビラも売ってました。「宣伝ポイント」は次の通りだそうです。

全編息もつかせぬスリルと迫力の連続です。海洋活劇特に北海という珍しい舞台に繰り広げられる海の男たちの反乱を海洋活劇風に売ってください。

小林多喜二の原作『蟹工船』は今や国民文学の古典として、青壮年層に広く読まれておりますから、原作は大いに売ってください。

今年は多喜二の20周年に当たりますので、映画サークル、文化団体、労組などの組織動員に力を注いでください。

脚本、監督の山村聡も知識層を中心に婦人にも広いファンを持っており、最近の演技者出身の監督の中でも出色の出来でありますから、山村聡の第1回野心対策という点を売ってください。

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まさに窓口業務で現場を経験してきたのですが・・・

「こころごころ」さんのところで、厚生労働行政のあり方の話に関連して、「若いうちに現場に出るべし」の話題を取り上げています。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0901.shtml

舛添大臣の

>警察と比べて下さい、昔の郵政省と比べて下さい、大蔵省と比べて下さい、警察署長として若い時に行く、税務署長として若い時に行く、郵便局長で行く、その時の経験がキャリアがアップしていく時にもの凄い良い肥やしになっているのです。そういうことをやっていなかったので、これをやらせるようにやっていきたいということで既に作業を始めております。

という発言について、賛意を示しつつも

>一線の感覚が重要というのは、まったくそのとおりだと思う。・・・警察庁や大蔵省(当時)が不祥事で叩かれた際にこれら署長ポストへの配置が「誤ったエリート意識」の象徴のように槍玉に挙げられたことからすると、大臣自身が「悪い面があるから…今まで各省庁の経験がありますから、それを踏まえた上でやりたい」と言われていることを勘案しても、大丈夫かなぁ、と思わないでもない。

と懸念を示し、懇談会の中間まとめが

>これまでの問題は現場の実情を十分に知らなかったことが原因でもあることを反省し、職員の感受性を高め、国民の立場に立った行政を確実にするためのひとつの取組として、本省の全ての職員が若いうちに一度は 生活保護のケースワーク、職業紹介や社会保険の窓口業務などの現場で業務を経験 するようにし、現場感覚を政策立案に活かすようにすべき。

としていることを指摘しておられます。

このご指摘は全く同感なのですが、あえて、旧労働省出身者として申し上げさせていただければ、私たちはまさにそういう育てられ方をしていたのです。ほかの(エリートな)お役所とはひと味違いますが。

わたくし自身の職業経歴はすでに以前からHP上に公開しておりますので、それをご覧いただければと思いますが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/keireki.html

入省1年目に本省で廊下トンビをしたあと、2年目はみんな地方労働行政に出され、私の場合東京都庁にいた後、8ヶ月間、池袋公共職業安定所でまさに第一線の職業紹介の窓口で現場の業務を第一線の職員と一緒になってやっておりました。

そういうどぶ板根性が身に染みついているから、紙の上の空理空論だけで知ったようなことをほざく輩を見ると腹が立つんだろうと思いますが、まあそれはともかく、こういうことは旧労働省出身者はみんな経験していることであるにもかかわらず、そういうことはまったくスルーされて、上のような言われ方をしてしまうのは、いささか寂しい思いがするところです。

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日本電産の賃金カットが筋の通っている件について

例の日本電産が、

>日本電産、2月から賃金カット 一般社員対象に最大5%

http://www.asahi.com/business/update/0109/OSK200901090100.html

>モーター製造最大手の日本電産は9日、2月から一般社員の賃金を最大5%削減する方針を明らかにした。09年3月期決算では営業黒字を保つ見通しだが、永守重信社長は「危機感を共有して不況に立ち向かうためで、雇用は維持する」と話している。

 対象は国内外で働くグループの正社員約1万人弱。日本電産コパル電子など一部の好調な企業は除き、1~5%幅減らす。役員報酬は昨年12月から10~30%削減しており、2月からは20~50%削減する。

日本電産については、かつて永守社長が「休みたいなら辞めればよい」と発言してバッシングを受けたときに

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2248.html(日本電産永守社長発言をめぐって)

でコメントしたことがありますが、問題のポイントは、

>ポイントは、永守社長はほかのいろんな会社の社長さんたちよりも、遥かに深く「安定的な雇用の維持が、社員にとっても最重要」と信じ、「企業の再建を、一切人員整理することなく成功」させてきたことを誇りに思っている方であろうということです。

今回の賃金カットもまさにこの哲学の現れそのものなんですね。

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労働,社会保障政策の転換を ―― 反貧困への提言 ――

0094460 岩波書店から「労働,社会保障政策の転換を ―― 反貧困への提言 ――」というブックレットが出されました。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/7/0094460.html

>不安定な非正規労働者,社会保険の適用もない低処遇の「正社員」,ワーキングプア,生活保護を受けられず住む家にも困る者,違法な労働環境に苦しむ者……進む労働破壊と貧困化.この現実を,若者がどのように受け止めているのか分析し,どのように変えていくべきなのか,どうやって変えていくのかを,具体的に提言する

といっても、内容は、『世界』昨年10月号の掲載された「若者が生きられる社会宣言」という共同論文です。(併せてPOSSEの調査結果を収録)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_7b90.html(『世界』10月号)

昨年9月以後の激動を考えると、何らかの加筆がされているかという期待も持ちたいところですが、こういう追記を除いて、ほとんどそのままです。

>・・・今や、日本の働く者たちに必要とされる政策は、産業構造の転換を含めた、より根本的な産業政策・社会政策・社会保障政策である。われわれが中長期的と考えていた規模の政策が、思いの外早く必要とされる時代となった。中長期的規模の政策形成は、より広い範囲の研究者、運動家の協力を必要とする、そうした作業に際しても、この『提言』が一つの足がかりとなることを期待したい。

まともに書き換えようとするととても今出せるような規模では収まらないということでしょう。

そういう意味では、上のエントリで述べたコメントと同じことになのですが、

>一点だけ感想めいたことをいうと、ある種の人々からは意外に思われるかもしれませんが、この共同提言と一番近い立場にあるのは、実は八代尚宏氏と労働市場改革専門調査会の方々ではないかという印象を改めて強く持ちました。

私の言い方でいうと、メンバーシップを強調する日本型雇用システムの矛盾こそが今日の問題の根源であり、これを適切なジョブ型社会にもっていかなければ道は開けない、という強い指向です。

このエントリでも述べたように、私はそこまで言うには現実主義者ではありますが、逆に、昨今の風潮が、あまりにもそういう志向抜きに、ただ(かつてでもその対象は限られていた)日本型雇用システムに誰も彼も入れ込むことが可能であるかのような議論が横行しすぎていることを考えると、もう少しこういうのを呼んで頭を冷ましてほしい気もしますね。

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大学受験の職業レリバンス

まあ、ネタと思ってお読みいただければ・・・。

産経から、

http://sankei.jp.msn.com/life/education/090110/edc0901102334005-n1.htm世相映す大学受験 ノーベル賞で理系人気、外資破綻で経済敬遠も

>今週末の大学入試センター試験を皮切りに、本格的な大学入試シーズンが始まる。大手予備校による志望動向の分析では、理系で特に物理の人気が上昇しており、昨秋からの“ノーベル賞効果”が明らか。東大などの上位校では経済学部の人気が下降気味で、関係者は「リーマンなど外資系企業の破綻が受験生の心理に影響を与えているのでは」と、世界的な金融危機の影響を指摘している。

まあ、なんにせよ、理科系に優秀な頭脳が向かうのはいいことです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_8368.html(理科が大事!)

>上位層に絞ると、代々木ゼミナールの11月模試で東大文1(法)が11%増、文2(経)が11%減で「経済敬遠」が明確になった。坂口幸世入試情報センター本部長は「早稲田など私大上位層でも同じ傾向がある」とし、「金融危機で外資系企業が引き揚げる動きがあり、『官僚より外資系』というエリート像を描いていた生徒はショックだったのでは」と推測する。

経済学の職業レリバンスが下落したということでしょうかね。

実体経済とかけ離れたところでカネをもてあそんだ金融工学とかのイメージで経済学を見られると、確かにそうなってしまうのかもしれません。

でも、そうじゃない立派な経済学者も多いのですよ、受験生諸君。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_54bc.html(大瀧雅之氏の金融立国論批判)

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与党側は派遣のマージン規制へ

一方、日経によると、与党側は派遣のマージン規制に踏み出すようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090110-OYT1T00155.htm

>与党「新雇用対策プロジェクトチーム」座長の自民党の川崎二郎氏、公明党の坂口力氏が9日、国会内で会談し、15日にも同チームの会合を開き、派遣労働者の待遇改善のための新たな法整備に向け、具体的作業に着手することで合意した。

>法整備は、派遣労働者の保護や派遣業の規制強化が柱。派遣労働に関する厚労省の指針を法律に「格上げ」するもので、派遣先企業が契約を中途解除した場合、〈1〉派遣元企業へ一定期間の賃金相当額を賠償〈2〉派遣労働者に再就職をあっせん――を義務付けることなどを検討する。

 また、派遣元企業が受け取る手数料割合の上限を設定することを検討し、派遣労働者の賃金アップにつなげたい考えだ。

 手数料割合は、3割を軸に調整する方向だ。悪質な派遣元企業を排除するため、派遣業への参入制限を設けることも検討課題とする。

そもそも登録型派遣労働も有期雇用なんですから、期間途中の解雇からは強く保護されているはずで、それが派遣先から派遣契約を中途解除されたからと言って、雇用も切れますなんてのがまかりとおる方がおかしい。派遣労働者は当然残りの期間の賃金を雇用主たる派遣元に請求できるし、派遣元はそれを派遣先に損害賠償請求できるはずですが、そうはいっても、現実の力関係(派遣先>>>>派遣元>>>>派遣労働者)から泣き寝入りというのがよくあるパターンなんでしょう。その意味で、与党案の第1の方は現在でも当然のことをやらせるものですが、現実には大いに意味があります。

もう一つの方は、マージン規制を公開という間接手法ではなく、正面から割合規制として導入しようというものですね。

登録型派遣が、ビジネスモデルとしては臨時日雇い型有料紹介事業や労働組合の労働者供給事業と共通していることを考えると、有料紹介事業では手数料が法で規制され、労供事業では無料(組合費の形で賃金に含まれる)であることとの均衡から、何らかのマージン規制というのはあり得るやり方でしょう。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/21seiki02haken02.html(『時の法令』連載「21世紀の労働法政策」第3回 第1章 労働者派遣システムを再考する 4 登録型派遣の本質)

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登録型派遣禁止案をどう考えるべきか

本ブログでは、製造業派遣禁止論を「ギョーカイ主義」と厳しく批判してきたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4434.html(厚労相、製造業派遣の禁止も)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-34a3.html(病膏肓に入ったギョーカイ主義のなれの果て)

共産・社民・国民新の野党3党が、登録型派遣の原則禁止を要求しているという記事があります。

http://www.asahi.com/politics/update/0110/TKY200901100002.html

>労働者派遣法の改正をめぐる調整が、与野党双方で本格化してきた。野党は共産、社民、国民新の3党が、限られた業種以外は登録型派遣を原則として禁止する案で一致し、民主党に歩み寄りを求めた。一方、自民、公明両党も実務者による協議を始めた。

 共産、社民、国民新の3党は8日の協議で、派遣労働が原則自由化された99年の改正より前の時点まで派遣法を戻すという基本的立場を確認した。社民党の福島党首は9日の記者会見で、民主党の菅直人代表代行に「もう一歩(規制強化に)進むべきだ」と求めたことを明らかにした。

 99年改正前は派遣が通訳など専門の26業務に限定されていた。民主党は04年に解禁された製造業派遣に関する規制に絞る方針だが、小沢代表は野党共闘を優先する立場を鮮明にしており、一致点を探る考えだ。

労働法感覚の欠如した政治ジャーナリストの目からは、民主党の製造業派遣禁止論よりもこの3党の登録型派遣禁止論の方が過激という風にしか見えないでしょうが、労働法感覚が少しでもある人にとっては、前者が理屈も何もないめちゃくちゃな議論であるのに対して、後者は(現実には大きな問題点があるものの)議論の筋そのものは少なくともめちゃくちゃではないということはおわかりでしょう。

その問題にいく前に、理屈としてもおかしいところを指摘しておくと、原則禁止の例外を「限られた業種以外は」というのがおかしい。そもそもの業務限定に何の問題意識も持っていないことが露呈しています。それは記者の「99年改正前は派遣が通訳など専門の26業務に限定されていた」という奇妙な解説にも現れています。冗談ではない。派遣の最大勢力は、「ファイリング」という名の専門職だということになっていたオフィスレディの一般事務であったことは誰でも知っていることではないですか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-da89.html(竹内義信氏の『派遣前夜』)

その上で、登録型派遣禁止論について言うと、これはかつてのドイツモデルであり、1980年に当時の労働省が派遣事業を解禁しようとしたときに最初に提案したやり方ですね。

その意味では、論理的にはありうる選択肢ではあります。でも、今やそういうやり方はドイツでも捨てられました。ハルツ改革で登録型派遣を解禁し、その代わりに均等待遇を義務づけたのです。

ドイツに限らず、ヨーロッパでは派遣は労働市場への統合のための手段として有効であるとして、積極的に評価されるようになっています。そういう流れを少しでも理解した上で、こういう労働法問題に関わっていただくことを、特に政治家やマスコミの方々には期待したいところです。

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ヨーロッパの「雇用保護」の正しい理解

ぶらり庵さんから、そのままエントリになるコメントをいただいたので、そのままエントリにしちゃいます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/part2-1280.html#comment-54362690

>ここでの議論とはちょっとはずれるのですが、ぶらり庵の周辺の方々とお話しするときに、なんか、ヨーロッパに幻想をお持ちの方がけっこういるので(という気がするので)、ちょっとhamachanにおたずねを。

具体的には、ヨーロッパでは雇用が保護されているから、日本のような派遣切りや、正社員リストラはない、と思われている方がいるようなんですね。「内定切り」なんてないだろう、という方までいたので、さすがに、「欧米では新卒一括採用じゃないですから、「内定切り」ってないですよ。単に就職できないだけです。だからこれまでも欧米の若者は失業率が高かったんです」とご説明。

で、「解雇」については、「ヨーロッパで、労働者が解雇から守られているというのは、個人の事情にかかわる不当な解雇、つまり、日本で横行する不当配転(退職に追い込むための)とか妊娠解雇とか、違法解雇から労働者が守られている、という意味でして、逆に、ちょっとくらい勤務態度が悪かろうが、病休じゃんじゃん取ってようが、いったん正社員として雇うと、おいそれと解雇できない、という意味です。ですけど、経営状態が悪くなった、とかいうのは、合理的理由ですから、日本よりも大規模な雇用調整をしますよ、労使協議を経てだけど。で、景気の変動でしばしばそういうことがあるので、そういう雇用調整について国の支援策も発動されることがある。だから、今回も延長されたドイツの操短手当なんて昔からありますよ。で、「派遣切り」について言えば、ヨーロッパでも有期雇用の労働者はいますけど、雇用期間は契約ですから、日本のように途中で切ることはおそらくないでしょう。でも、期間終了時には当然ですが、契約終了ですからやめてもらうことになります。有期雇用の労働者を、日本のように、途中で切ったり、あるいは、何度も更新する、ってあちらでは「違法」ですから。」というような知ったような説明をするんですけど、こういう理解でよろしいんでしょうか。

よろしんでしょうか、って、そのままじゃないですか。

むしろ、ぶらり庵さんのようにきちんとした理解をされている方が、世の中には少ないのが問題なんですけど。普及啓蒙活動を引き続きよろしくお願いいたします。

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民営職業紹介事業には2種類ある

ぶらり庵さんが、以前のエントリへのコメントで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-19e8.html#comment-54362561

民営事業の実績に触れていますが、この厚労省発表のデータは、読み方に注意が必要です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/h1226-1.html

>事業者の手数料収入はぐんぐん伸びているのに、常用就職件数はそれに比例した伸びにはなっていない、ちょぼちょぼの伸びでしかないのです。

実は、民営職業紹介事業は、常用就職中心のハロワ型事業と、臨時日雇い中心の実質派遣事業型とがあって、両者を一緒に議論することはかなりミスリーディングです。

下の方の職業別の数字を見ていくとわかるように、家政婦、マネキン、配膳人といったところは求職者数は割と少ないのに、臨時日雇い求人と臨時日雇い就職件数がいずれも数百万件で、要するに、紹介所に登録されている「求職者」が、注文(求人)のあるたびに派遣(紹介)されて、仕事が終わるとまた戻るというのを繰り返しているわけで、そもそも常用就職が伸びるはずもないし、その必要もない分野です。

この分野をハロワと比較してみても何の意味もないし、比較するならむしろ派遣事業でしょう。

ハロワと比べるべきはそれ以外の分野ですが、例えば、彼らが「我々としては得意分野でやらせていただきたい」と言っている専門・技術、管理、事務のいわゆるホワイトカラー3職業でみると、新規求職150万件弱、新規求人160万件弱で、常用就職19万件です。

一方ハロワは最新のが11月の数字ですが、新規の月ベースで、

http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/ippan/2008/11/sankou8.html

これら3職業の新規求職17万件、新規求人は19万件で、就職4.5万ですから、年ベースにすると12倍で、それぞれ200万、230万、54万くらいになり、客観的に見てどっちが効率的に紹介しているかよくわかります。

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派遣労働者への雇用保険の適用について

私は『季刊労働法』221号に「失業と生活保障の法政策」を書き、既にHP上にアップしているので、こういうことは世間でも常識になっていると思っていましたが、必ずしもそうでもなさそうなので、改めて当該論文の関係部分を本エントリー上にアップしておきます。

派遣切り云々を論ずる前に、まずこういう基本的知識をきちんと持った上で、まず何をどうすべきなのかについて的確な判断をしていただきたいと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shitsugyohoken.html

>かつては非典型労働者の大部分は、家事や育児を本務とし家計補助的に就労する主婦パートタイマーと、学業を本務とし小遣い稼ぎ的に就労する学生アルバイトでした。従って、彼らがそのような就労先から離職したとしても、それは生活保障すべき「失業」ではないと見なすのが一般的な常識であったといってよいと思われます。いわば、雇用は不安定であっても生活は安定していたわけです。これを反映して、業務運営上も「臨時内職的に雇用される者」を適用除外としています。

 この取り扱いは、1950年の通達で示されたものです。「臨時内職的に雇用される者に対する失業保険法の適用に関する件」(昭和25年1月17日職発第49号)は、次のように指示しています。

「臨時内職的に雇用される者、例へば家庭の婦女子、アルバイト学生等であつて、次の各号のすべてに該当する者は、法第六条第一項の「労働者」とは認めがたく、又失業者となるおそれがなく、従つて本法の保護を受け得る可能性も少ないので、法第十条但書第二号中の「季節的に雇用される者」に準じ失業保険の被保険者としないこと。

 なお、これは家庭の婦女子、アルバイト学生等であれば、すべて適用を除外する意味ではなく、その者の労働の実態により判断すべきものであるから、念のため申し添える。

一、その者の受ける賃金を以て家計費或いは学資の主たる部分を賄わない者、即ち家計補助的、又は学資の一部を賄うに過ぎないもの。

二、反復継続して就労しない者であつて、臨時内職的に就労するに過ぎないもの。」

 これは法条文上に根拠があるわけでもありませんし、なぜ家計補助的であれば雇用保険の対象となる労働者と認められないのか、法制的に言えば大変疑問のある扱いであったと言えるでしょう。そもそも、「臨時内職的」という形容詞が奇妙です。「内職」とは雇用関係のない請負による家内労働のことですから、その意味における「内職」であるなら初めから失業保険の対象外です。また「臨時」というのが法律上適用除外される短期就労であるなら、やはりわざわざ通達で排除する必要はないはずです。雇用関係のあるかなり長期間の就労でありながら、家計を支える労働者ではないから対象としないという扱いですから、明らかに法律の文言には反します。しかしながら、現実には誰もこの扱いに疑問を持たなかったことからも分かるように、失業保険が対象とする失業は家計を支える労働者の失業であるというのが世間の常識であったわけです。ちなみに、この「臨時内職的」の適用除外は現在も業務取扱要領上に維持されています。

>・・・これよりも問題を孕んでいるのが派遣労働者の扱いです。短時間勤務の派遣労働者の場合は、上のように適用要件に1年以上の雇用見込みがあるため、雇用契約の期間が1年未満の派遣労働者は適用されませんが、フルタイムの派遣労働者の場合は原則に戻って、日雇労働者や「四箇月以内の期間を予定して行われる季節的事業に雇用される者」でない限り、当然適用されるはずです。少なくとも法文上は、フルタイムの派遣労働者について雇用期間による特別の適用除外規定は存在しません。ところが、現在の運用では、登録型派遣労働者についても「反復継続して派遣就業する者であること」が要件とされているのです。

 具体的には、登録型派遣労働者の場合、「一の派遣元事業主に1年以上引き続き雇用されることが見込まれるとき」又は「一の派遣元事業主との間の雇用契約が1年未満で一に当たらない場合であっても雇用契約と次の契約の間隔が短く、その状態が1年以上続く見込みがあるとき(この場合、雇用契約については派遣先が変わっても差し支えない)」にのみ、適用されるという扱いになっています。後者の例として、「雇用契約期間が2か月程度以上の派遣就業を1か月程度以内の間隔で繰り返し行うこととなっている者」や「雇用契約期間1か月以内の派遣就業を数日以内の間隔で繰り返し行うこととなっている者」が示されています。

 この取扱いの源泉は、上述の1950年通達の「反復継続して就労しない者であつて、臨時内職的に就労するに過ぎないもの」にあるわけですが、「家庭の婦女子、アルバイト学生」をもっぱら想定してこの要件を設定していた当時の状況に比べれば、現在のフルタイム登録型派遣労働者の大部分はまさに「その者の受ける賃金を以て家計費の主たる部分を賄」う存在になっているのですから、あまりにも実態に合わない運用になってしまっているといえましょう。

派遣けしからんと騒ぐ人の数は数知れないくらいですが、現在のフルタイム登録型派遣労働者をいつまで「家庭の婦女子、アルバイト学生」扱いし続けるのか、という問題を指摘している人を、残念ながら見かけたことはありません。

このあとの記述で私が示している登録型の場合に派遣先を使用者と見なして適用するという考え方に賛成するかしないかは別として、これくらいは議論の前提になって欲しいものです。

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では、何を基準に解雇するのか?

平家さんが文章を若干修正されましたので、先の議論に進みます。

http://takamasa.at.webry.info/200901/article_4.html

>いわゆる正社員の既得権益を否定したとすると、誰を解雇するのかという問題に直面することになります。

>「その人選の基準はなんなのか?」これに応えない限り実際に整理解雇はできませんし、その基準に従った整理解雇の効果も分かりません。正社員の雇用保障を弱めるというのは、ある答えを否定することであって、何らかの答えを出しているわけではないのです。

誰が「直面」するのでしょうか。誰が「答え」を出すのでしょうか。

実は、ここには、現在の労働問題を論ずる構えの問題点が凝縮しているように思われます。

「誰を解雇するのか」にまず誰よりも先に直面するのは、その会社の経営者と労働者です。そして、そうである以上、そこには先験的に一義的な答えなどあろうはずがなく、労使の協議交渉で決まるべきという手続き的な正義があるだけです。

今までも、主として正社員を組織する労働組合との協議交渉で決まるべきという労使関係システムの大原則があったはずです。それが空洞化する中で「誰を解雇するのか」という本来労使が決めるべきことを裁判官に委ねておかしいとも思わない発想が瀰漫していったのです。

今問題なのは、そういう手続き的正統性が、非正規労働者を排除する形で担保されるのかということでしょう。かつてのパート主婦やアルバイト学生が主体であった時代であれば、彼ら自身自分たちが先に解雇されることに疑いを持たなかったからそれで済んでいたわけですが、今やそうではない、とすれば、非正規労働者も含めた労働者全員の意見を組み込んだものでなければ、それはそもそも正統性を維持し得ないのではないか。

>例えば、勤続年数の短い者から解雇、雇い止めをするということであれば、正社員の既得権益はなくなったとしても、勤続年数の長いものに新たな既得権益を与えることになります。私には、「女房子どもの生活に責任を負って」いないものから解雇、雇い止めをするということに一定の合理性を感じてしまうのですが、この場合も新たな既得権益を創り出すことに変わりはありません。年金など生活の糧を得る別な手段のある者といった基準でも同じことです。「くじ引き」といった手法ではなく、何らかの基準を建てるのであれば、そこには必ず解雇されにくい労働者が出てきます。雇用保障には必ず差が出るのです。

その基準が何なのか、それにより、より強い雇用保障(という既得権)を得るのが誰なのかを明らかにしないと、議論は終わりません。

当たり前です。誰かを解雇しなければならないという状況になる前に、あらかじめ誰を解雇すべきかがすべて決まっていなければならないのでしょうか。決まっていないからこそ、労働者全員の声を出して議論しなければならないのです。正規も非正規も含めて。

労使関係とは動態的なものです。正規も非正規も含めて、誰に先に辞めてもらい、誰を残すのか、あらかじめ答えのない討議のプロセスを経ることが手続き的正統性なのであって、静態的に常にあらかじめ法制的に正しい答えを用意しておけばいいという話ではありません。それは、悪い意味における法律屋的発想です。

そういう悪しき法律屋的発想が瀰漫しすぎたことが、労働法をかえってひからびたものにしてしまっているように思われます。

これから誰を解雇するかというときに既に「議論が終わ」っていたのでは、そもそも議論になりません。

労使関係とは既に(誰かの教科書に書いてある)正解を個別事例に当てはめる司法行為ではなく、答えのない問いに集団的に答えを出そうとする政治的行為なのです。

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貧困撲滅

ダイヤモンドオンラインの辻広雅文氏が、久しぶりに貧困問題を取り上げています。おおむね首肯できる内容ですので、紹介しておきます。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10058/

ただ、最初にいささか苦言。労働問題の専門家ではないので仕方がないとはいえ、冒頭近く「政府与党、野党ともに動かざるを得なくなった。舛添・厚生労働相は「製造業への派遣を規制すべきだ」との考えを表明した。野党も民主党が中心となって、製造業派遣規制に共闘して踏み込もうとしている」と、あたかも製造業派遣の禁止が派遣労働者のための政策であるかのように誤認しているのは、やはり認識不足を指摘しておきます。

しかし、そのあとは貧困問題、非正規労働問題について、ほぼ的確な認識が続きます。

>もはや貧困は、見たくなくてもだれもの視野に入らざるを得ない。現に今、私たちは東京・日比谷でそのごく一部の人々を目の当たりにした。とすれば、自民党も民主党も、貧困撲滅を政権選挙のマニュフェストに重要項目として掲げるべきであろう。むろん、それは数値と具体策に裏打ちされたものでなければならない。

  ないものとしてきたものを撲滅するには、まず、その対象を“発見“しなければならない。それには、「貧困ライン」の設定が必要となる。所得で貧困層を定義するのである。参考になるのは、2006年にOECDが発表した、各国の貧困率である。OECDの貧困層の定義は、「全国民を可処分所得の高い順に並べたときに、中央に位置した人の可処分所得額の半分に満たない人の数」であり、日本のそれは15.31%であった。

具体的にどういう政策が必要になるのか、

>「貧困ラインを設定し、そこに貧困者たちを引き上げようとすれば、生活保護、健康保険、雇用保険、年金などの社会保障制度と税制を組み合わせ、整合性の取れた一体改革が必要となる」(西沢和彦・日本総合研究所主任研究員)のである。社会保障制度を担当するのは厚生労働省であり、税制を握っているのは財務省だから、この二大省庁の壁を乗り越えなければならない。

  一方で、上記の改革を成功させるには、低所得者層の正確な所得捕捉が大前提になる。それは極めて面倒かつコストのかかるシステム構築になる。そもそも、制度設計を変えて実質所得を引き上げるのだから、国の財政負担は重くなる。政府の扶助拡大によりかかる人が増えて、モラルハザードが起きるという心配も社会問題として小さくない。社会保障と税制に関わる実務は全国の市町村が行うのだから、国と地方の関係も調整しなければならない。

  つまり、貧困の撲滅は多くの組織、制度、さらには人々の内面にまで関わる極めて難しい総合改革なのである。だからこそ、政権を死守あるいは奪取を目論む自民、民主はともにマニフェストに組み込み、コミットメントする責任がある。

  景気刺激策によって経済を成長させ、貧困者の所得を向上させる――そうした抽象的かつ曖昧な施策ではなく、OECDの数値を使えば、貧困率15.3%を何年かかって何%まで減らすのか、そのためにいかなる税制、社会保障制度改革を行うのか、その財源はどれほど必要で、いかに確保するのか、マニフェストに記された具体策と数値を読み込むことで、有権者は、自民党と民主党の政党力の優劣を判断できるのである。

そして、もう一つ付け加えれば、そういう所得を向上させるというだけの単なる「貧困」対策ではまだまだ一週遅れなのであって、経済的資源だけではない社会のメインストリームへの「社会的統合」こそが、社会全体の政策課題として求められるのです。

この辻広氏の議論では、いまだアクティベーション以前の旧来の欧州モデルでしかありません。その先に、セーフティネットからトランポリンへという議論がなければ、「モラルハザードの心配」で話が終わってしまいます。

ヨーロッパで積み重ねられてきたそういう議論が、研究者の紹介としてはかなりの量に上りながら、政治家やマスコミの認識にはほとんど反映されていかないという悲劇的事態が我々を絶望に誘うわけですが。

実を言えば、昨年末に示された政府の雇用対策、生活対策の中には、まさにそういう観点から見て、びっくりするくらいよく考えられた(ように見える)政策がいくつかあります。しかし、本質をはずれたフレームアップのみに神経を集中する政治家やマスコミの関心は全く惹かなかったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-4f99.html(転換社債みたいな失業扶助?)

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めざましテレビ

明朝7時より、フジテレビのめざましテレビというニュース番組にちょびっと顔を出す予定です。

本日は、NHK、朝日新聞、ロイターの各記者の方も。

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そういう話ではありません

平家さんからご返答をもらったのですが

http://takamasa.at.webry.info/200901/article_4.html(では、何を基準に解雇するのか?)

なんだか、議論のもっとも根本のところの認識が本質的な意味でずれているような気がしてきました。

>本質的な有期契約、例えばイベントやセール、お歳暮や年賀状の配達など本質的に臨時的・一時的である業務、一定期間掛かる工事などのために結ばれた有期契約の期間が満了した場合は、当然、契約を更新する義務はありません。これを考えると、こうなるでしょう。

1 本質的な有期契約の満了による雇用の終了
2 無期契約の労働者の解雇
3 有期契約労働者の契約期間中の解雇

仮に、このような序列を認めずいわゆる正社員の既得権益を否定したとすると、誰を解雇するのかという問題に直面することになります。

そういう議論は誰も、誰もというのは、私がしていないというだけの意味ではなく、およそ日本でも世界でも、有期労働について何らかの議論をするときには誰も、という意味ですが、していないと思いますよ。

本質的な有期契約は期間満了で終了する。それは誰も文句を付けない当たり前のことです。

問題は、本質的に恒常的で、いつまでという期限がない業務に対して、何かあったときに直近の期間満了時に雇い止めすることによって「解雇」を回避しようとする目的で、有期雇用契約を締結し、その業務が無事継続している間は、更新に次ぐ更新を繰り返して、事実上無期契約の労働者と同じように使用しておいて、いざとなったら期間満了ですのでさようなら、というのをどうするか、という話です。

そういう

1’ 形式的には有期契約の期間満了であるが、実質的には無期契約の解雇に当たるような事例

をどうするかというのが、およそ有期労働問題を論ずるときに論ずべき課題の99%を占めています。

1’を1に含めて議論してしまうと、有期労働について議論すべき課題はほとんどなくなってしまいます。

わたしは、ある意味で当然の前提として、1’に該当しない本質的な1については、そもそも議論すべき対象だとは思っていませんでした。

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UNIとCIETT企業委の覚書

ユニオン・ネットワーク・インターナショナル(UNI)という国際的な大産別組織があります。日本語ホームページはこちら

http://www.uranus.dti.ne.jp/~unitokyo/index.html

商業、金融、印刷、メディア、郵便、ロジスティクス、テレコムという広範な業種をカバーする超大産別なので、日本の加盟組織も、UIゼンセン、サービス・流通、情報労連、JP労組、等々多数に上ります。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~unitokyo/Lcj/lcj2008/LCJjp%202008.pdf

そのUNIが、昨年10月24日に、サンディエゴで、国際人材派遣協会企業委員会との間で、このような覚書を締結しています。

MEMORANDUM OF UNDERSTANDING BETWEEN CIETT CORPORATE MEMBERS AND UNI GLOBAL UNION ON TEMPORARY AGENCY WORK

http://www.ciett.org/fileadmin/templates/ciett/docs/MoU-UNI-CiettCMC-Final-EN.pdf

こういう考え方が、世界中の労使の常識なのだという情報が、日本ではまったく発信されていないのはなぜなのか、例えば、UNIに加盟している日本の労働組合はなぜこういうことを言わないのか、日本の人材派遣協会も、なぜこれに口をつぐむのか、考えながら読んでいただければと思います。

>1. UNI and Ciett Corporate Members recognise that temporary agency work can, to different degrees, contribute to:

・Facilitating fluctuations in the labour market, e.g. the matching of supply and demand.

・Implementing active labour market policies and creating pathways between unemployment and employment by:

・Helping jobseekers entering or re-entering the labour market.

・Helping disadvantaged people entering into the labour market.

・Providing more work opportunities for more people.

・Facilitating the transition between education and work, e.g. by providing students and young workers with their first access to professional life and an opportunity to gain work experience.

・Facilitating the transition between assignments and jobs by providing agency workers with vocational training.

・Promoting conversion between different types of work contracts, e.g. by assisting in a transition from a temporary agency contract to fixed-term or open-ended contracts.

・Improving life work balance, e.g. by providing flexible working time arrangements such as part-time work and flexible working hours.

・Helping fight undeclared work.

派遣労働は、とりわけより不利な立場の労働者の労働市場への参入を援助するという役割があると、労使ともに認めています。

しかし、それは規制を緩和すれば自動的に達成されるわけではなく、次のような規制が必要だと、労使ともに認めています。

>2. UNI and Ciett Corporate Members agree that an appropriate regulatory framework for the operation of temporary work agencies needs to:

・Guarantee that temporary work agencies do not compete to the detriment of workers’ rights and working conditions.

・Clarify the role, obligations and rights of the temporary work agency as the employer of the temporary agency workers.

・Combine adequate protection, decent working and employment conditions for temporary agency workers and proper conditions for the operation of temporary work agencies in a well functioning labour market.

・Ensure that legislation regulating the use of temporary agency work is proportionate, non-discriminatory and objective; promotes decent forms of temporary agency work and effectively prevents potential abuses, such as undermining of employment conditions of workers.

・Promote quality standards within the industry and prevent unfair competition by fraudulent agencies and/or user companies, counter abuses and illegal practices and fight human trafficking.

派遣労働者の権利と労働条件が損なわれるような競争をしないこと、適切な保護と労働条件の確保が大前提なのです。

具体的には、

>3. UNI and Ciett Corporate Members agree that a regulatory framework on temporary agency work must include and promote:

・Principles as guaranteed by ILO Convention 181 and Recommendation 188 on private employment agencies, with a particular focus on the implementation of the no-fee charging rule for jobseekers for temporary assignments and permanent placement services provided by the temporary work agency.

・Fair treatment for temporary agency workers with regard to their basic working and employment conditions based on the principle of non-discrimination (for instance equitable, objective and transparent principles for the calculation of agency workers’ wages and benefits, considering national legislation and practices).

・Respect for freedom of association and the right to collective bargaining as guaranteed by ILO conventions 87 and 98.

・Sectoral social dialogue at national and company level for which collective labour bargaining is one appropriate means.

・Prohibition of the replacement of striking workers by temporary agency workers without prejudice to national legislation or practices.

・Attention to and clarity of benefits (i.e. salary, social insurance, pension, vocational training).

非差別原則に基づく公正な処遇、そして日本では徹底して無視されている派遣労働者自身の団結権と団体交渉権、なぜ、日本で派遣労働が議論されるときには、こういう労働問題であれば真っ先に議論されるべき課題が徹底して無視されるのか、考えていただきたいのです。

日本のUNI加盟労組は、

>4. Actions to be taken jointly by the signatories

On national level:

・Identify and review obstacles of a legal or administrative nature which may limit the opportunities for temporary agency work to operate, and, where appropriate, work with the national governments to eliminate them.

事業規制の強化ばかりが打ち上げられる事態に対して、きちんと反論する義務があるはずです。

そして、人材派遣協会も、首をすくめて嵐の過ぎ去るのを待つなどという姑息なことではなく、きちんと主張すべきは主張すべきでしょう。たとえ、その中に今の自分たちにとって都合の悪いことが含まれているとしても。

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労働者派遣システムについての基本認識

最近のマスコミや政界の動きを見るにつけ、労働者派遣システムに関する基本的な認識が歪んだまま、あたかも派遣労働者のためになるという思いこみで規制強化が進められようとしているように思われます。

このあたりについて、昨年ある雑誌に書いた論文の一節を引用しておきます。せめて、これくらいの認識は持った上で、議論を展開して欲しいものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/21seiki02haken01.html

『時の法令』連載「21世紀の労働法政策」第2回
 
第1章 労働者派遣システムを再考する(1)

>その後、日本でもヨーロッパと同様、高度成長期にアメリカから労働者派遣事業が進出してきて、やがてその影響で規制緩和が進んでいくことになるのであるが、その緩和の仕方に無視し得ない差があった。即ち、ヨーロッパでは、労働者派遣事業を認める以上は、特段に対象業務を限定することなく、もっぱら派遣労働者の保護を目的とした立法が行われた。ドイツでは建設業務に於ける労働者派遣事業を禁止するというネガティブリスト方式がとられたが、日本のようなポジティブリスト方式を採用した国は一つもない。これは、日本では石油ショックに対する対応として1980年代を中心とする企業主義の時代を通過することになったことがその背景にある。すなわち、企業レベルの共同性を強調し、日本的雇用慣行を高く評価する法政策が中心となった企業主義の時代のまっただ中の1985年に、それまで禁止されていた労働者派遣事業を解禁する立法を行うという形をとったために、日本的雇用慣行との関係で労働者派遣事業をどう位置づけるべきかということが立法政策の大きな課題となり、次回以降に述べるようないささか無理のある理屈を弄してまでも、日本的雇用慣行に影響を及ぼさないような専門的技術的職業に限定して労働者派遣事業を認めるという建前を作り上げることとなった。いわゆるポジティブリスト方式である。
 しかし、労働市場サービスに係る規制緩和の波がILOにも及び、1997年に労働市場サービス業を原則自由化する第181号条約が採択されるに至り、日本の法制も1999年の改正でいわゆるネガティブリスト方式に転換した。これにより原則としてどの職業についても労働者派遣することができることとなったが、派遣期間に1年(2003年改正により3年)といおう上限が課せられた。とはいえ、実はその転換は不徹底であり、今なおポジティブリスト方式の色彩が強く残っている面がある。そして、近年、労働者派遣システムをめぐる社会問題が数多く指摘されるようになるにつれ、それを再びポジティブリスト方式に回帰することによって解決すべきだという見解も述べられるようになっている。
 しかしながら、企業主義の時代に、企業の正規労働者として終身雇用慣行の中にある者をもっぱら保護すべき対象として考案されたポジティブリスト方式を、これからの(前回提示した言葉を用いれば)連帯主義の時代にそのまま適用することはできないと考えるべきである。市場主義の時代の行き過ぎによる弊害を解決する道筋は、企業主義の時代の正規労働者保護への回帰ではなく、むしろ企業主義の時代にもその後の市場主義の時代にもあまり顧みられることの少なかった、派遣労働者自体の派遣労働者としての保護という方向にこそ向かうべきであると思われる。
 以下では、派遣労働者保護という観点から、現行の労働者派遣システムのあり方自体を根本的に再検討し、これからの労働者派遣法制を展望してみたい。今までの労働者派遣をめぐる規制緩和派と規制強化派の対立図式とはかなり異なった次元での問題提起を行うことになるので、読者には大きな違和感を感じさせることになると思うが、しばらく辛抱してお付き合い願いたい。

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テレ朝報道ステーション

本日夜10時のテレビ朝日報道ステーションにもちょびっと顔を出す予定です。

http://www.tv-asahi.co.jp/hst/

テーマはワークシェアリングと製造業派遣問題

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公共職業訓練軽視の土壌と背景

昨日のワールドビジネスサテライトは、かなり長く映っていましたな。おおむね、私の言いたかったことを伝えていただいたと思います。

一点だけ、あの東洋経済からとったOECDの雇用保障の厳しさのグラフは、日本については大変ミスリーディングであると20分ぐらいかけてご説明したのですが、そのまま使われちゃってたですね。

ヨーロッパ諸国の積極的雇用対策としての職業訓練の重要性を中心にお話ししたのですが、そのあたりをもう少し激烈に語っておられる方がいるので、紹介しておきます。田中萬年さんで、年末に「公共職業訓練軽視の土壌と背景」という文章をアップされておられるので、リンクしておきます。

http://www.geocities.jp/t11943nen/ronbun/VTkeisi.pdf

>「行政改革」を隠れ蓑に、労働者の雇用保障策をますます破壊する策謀が進められようとしている。それは労働者のための職業訓練・職業能力開発に対する最近の対応に端的にあらわれている。職業の能力開発は労働者として働く入職者のために、中小企業で働く在職労働者のために、そして不運にして離職・失業した人のための職業能力の修得の機会として無くてはならない近代社会の人権である。

本来、労働者のための職業訓練は政府が担当すべき業務の一つである。ところが、政府の職業訓練を担当して来た雇用・能力開発機構を廃止することは“ムダ"の削減になる、という短絡的・偏狭な論理で国民を誤魔化し、実態を知らされていない国民の人気を取ろうとしている。職業訓練の重要性をマスコミも正しく国民に紹介していない。その裏には国民の権利を無視した「自己責任」論がある。

>これらの労働者のための職業訓練は欧米先進国では今日の最も重要な教育改革の柱である。・・・このような精神で近年のヨーロッパ諸国における教育改革が職業訓練と一体的に追求されていると考えることが出来る。わが国で公的職業訓練を削減、あるいは廃止しようとする発想は、近代国家としてはあるまじき政策であることになる。

>職業訓練が近代社会の人権として国民に定着しなければ、国民はますます自己の権利を矧ぎ取られることになるであろう。そのことは、結果的に国の基盤が崩壊し、次々に社会的問題が噴出する要因となろう。そのような問題を食い止めるためにも公共職業訓練、職業能力開発の根本的対策が緊要といえる。

いうまでもなく、ここでいう職業訓練機能を担うべきは、狭義の職業訓練施設にとどまらず、学校教育機関全体でなければなりません。そして、だからこそ、子供の教育費を年功制に乗っかっている親の賃金収入にすべて背負わせるやり方でいいのか、という問題が浮かび上がってくるわけです。

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その筋の専門家であるhamachan氏が(判っている筈なのに)語ろうとしないこと

人様のブログのエントリーに対する山のようなはてぶの一つにコメントするためにエントリーを起こすなんて大人げないことをするなよ、という忠告が聞こえてきますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090106/p1

>kyo_ju 労働, 社会, 政治, もっと周知されるべき その筋の専門家であるhamachan氏が(判っている筈なのに)語ろうとしないこと。 2009/01/06

それはないと思いますよ。もう1年以上も前にこう書いているんですけど・・・。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html『世界の労働』2008年1月号原稿 「格差社会における雇用政策と生活保障」

>>実際、日本のような過度に年功的な賃金制度を持たない欧州諸国では、ある時期以降フラットな賃金カーブと家族の必要生計費の隙間を埋めるために、手厚い児童手当や住宅手当が支給され、また教育費の公費負担や公営住宅が充実している。社会のどこかが支えなければならない以上、企業がやらない部分は公的に対応せざるを得ないはずである。

 こう考えてくれば、これはいわゆるワーキング・プア対策としても重要であることが判るであろう。交換の正義からすれば、その者の労働生産性に応じた賃金を支払うことが正義であって、家族が何人いるとか教育費や住宅費がこれだけかかるといったことで賃金を決めるのは正義に反する。しかし、福祉の世界という特殊な世界に入り込まなければ、そういう分配の正義が考慮されないのであれば、それはあえて働こうとする者にペナルティを課しているのと変わらない。働いている人々に、働いている方が得になるような状況を確保することが、今日もっとも求められている。それは社会手当という形の就労所得によることが望ましい。

 これに対して、それは家族生計費や子女の教育費や住宅費が本人賃金の中に含まれる高給の正社員層と、それらを賃金という形ではなく公的給付として受給する低賃金の非正社員層という、労働市場の二重構造を固定化することになるのではないかという批判が考えられる。その答は、現段階ではイエスである。

 しかしながら、将来的にはこうした社会手当を一般的な社会保障制度の中に統合していくことも考えられるのではなかろうか。近年、一切条件の付かない全国民を対象にした一律の給付としての基本所得(ベーシック・インカム)が議論されることが多い。少なくとも就労との関係で無条件というのは、就労可能者に対しては大きなモラルハザードになるので、基本的な発想としてはまったく賛成しがたいが、市場における就労の対価では対応しきれない生活上の必要を賄うための家族手当、教育手当、住宅手当などは、より普遍的な形であってもいいように思われる

(追記)

今までに本ブログでこのテーマに関わって書かれたエントリーをお蔵出ししておきますね。

その前に、一昨年末に朝日紙上で雨宮処凜さんと対談した中でちらと触れています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/asahiamamiya.html(朝日新聞-雨宮処凜との対談「働く 07年を振り返って」(2007年12月28日))

>濱口 高度成長期、生計費を賄えない働き方は、主に夫の扶養下の主婦パート、とやがて正社員になる若者バイトがしていた。90年代以降の不況で、こうした働き方が生計維持者にはみだした。生計維持者なのに家計補助的働き方しかなかったシングルマザーを児童扶養手当が支えたように、新たな支えが必要だ。

 雨宮 若者フリーターは光熱費も家賃も自分で賄うのに主婦パートと同じ賃金。自律できず、結婚も出産もあきらめなければならない。ヘンだと思うが、どこから手をつけていいのかわからない。

 ――「新しい支え」には何が必要ですか。

 濱口 男性1人が家族を養える賃金をもらい、家賃や教育費も会社が負担する従来の正社員像を変えること。会社は賃金はそれほど手厚くなくても安定雇用を保障し、政府は教育手当や住宅手当など、手軽に頼れる欧州風の「社会手当」を導入する。それが新しい中流像だ。貧困問題に取り組む人たちも、生活保護要求に偏っていないか。

 雨宮 でも、現状では生活保護しか頼るものがない。生活保護ほど手数をかけずに、住まいとか病気の保障とか、困ったとき頼れるものがあればいいのに。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_22c2.html(最賃と家族の生計費)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_05cd.html(『世界』1月号について)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_820a.html(「就職後も生活保護」8割)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_ccd3.html(生活保護と在職給付)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_ed37.html(家族手当の文脈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/20_a2e1.html(連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その2)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-2bf9.html(学費 払えない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-2f7e.html(『世界』12月号)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1546-b7d2.html(雇用促進住宅への入居1546件)

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ワールドビジネスサテライトmkⅡ

本日11時より、テレビ東京のワールドビジネスサテライトに顔を出します。

http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2009/01/1.html

>深刻さを増す雇用の悪化。雇用保険の実態、政府の対策を取材。

本日は「ちょびっと」ではない予定です。

(追記)

あるブログに、私の発言が再現してありました。

http://keibakeirin.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4808.html今日の印象に残った言葉

>2009年1月6日放送 テレビ東京 ワールドビジネスサテライト

労働政策研究・研修機構 濱口桂一郎統括研究員
日本の労働市場の最大の問題は、正社員と非正社員の仕組みが隔絶し過ぎている。
ヨーロッパでは、オイルショック以降、雇用対策がカネや資源の面で大きな役割を占めた。その中身が90年代から大きく変わってきている。
デンマークのモデル、フレキシキュリティが非常に盛んに主張されている。90年代以降のヨーロッパの雇用政策の中心にあるのが職業訓練。
正社員と非正社員の差を縮める長期的に一番重要なのは、職業訓練や能力開発の機会をできるだけ同じようにすること。

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竹内義信氏の『派遣前夜』

派遣会社マン・フライデー社長の竹内義信氏が著された『派遣前夜』という小冊子を入手し、読ませていただきました。

派遣が諸悪の根源という風潮が世を覆わんとする今、広く読まれるべき好著であると思います。

日本独特の派遣法の基本構造である業務限定について、こう回想されています。

>それにしてもほとんど固まってきた派遣法の腹案を見せられたときは、その中に記載されている極端に制限された対象業務を見て、これはだめだと思った。そのときは私一人労働省に呼ばれたのだが、頭の中が真っ白になった。要は職業紹介の法律と同じコンセプトで、特別の技術なり能力を必要とする業務に限られたものだった。・・・そこでとっさにいくつかの専門的技能が必要な事務業務を挙げたのだが、一つ一つ丁寧に反発され、考え方取り方の問題となってしまい、なかなか受け入れられなかった。だが、私はここで頑張った。秘書とファイリング業務を追加して欲しいと粘った。・・・私は、欧米での秘書業務は速記とかディクテーションができなければだめで、高度な能力が必要と説得、またファイリングについては、図書館のファイリングシステムを例に出し、縦横斜めから求める本を探し出すためのシステムを構築するのは大変な能力を必要とするし、これは会社におけるファイリングシステムも同じだと説いた。・・・

>後日、担当官から秘書とファイリングを対象業務に追加した旨の電話をもらった。法律が制定された後、このファイリングが思わぬ方向に展開した。幅広く捉えられ、このことによって派遣事業の発展に大きく寄与する結果になった。

業務限定が派遣規制の中心といいながら、その実はこういうものであったわけです。

いや、間違わないでください。わたしは一般事務をファイリングなどと称して認めたことがけしからんといっているのではありません。一般事務を一般事務として認めてどこがいけなかったのか、専門職などという虚構に寄りかかる形で制度設計してしまったことが問題なのだといっているのです。

ファイリング業務という名目で多くのOL経験者が一般事務の仕事で派遣されたことは、彼女らにとって決して悪いことではなかったのです。

>話が賃金のことに及ぶと、その支給額の高さに「ホー」という声が漏れたのを覚えている。一般事務の賃金が、アルバイトの2.5倍であり、正社員雇用で働いている一般の事務員の給料と比較してもやや高いものであった。

別に、ファイリングという図書館でやるような専門的な仕事だから高賃金なのではないですよ。一般事務という非専門職が高賃金だったのです。専門職だから高賃金だった。非専門職に広げたから賃金が下がったという世に流布している神話には根拠がないということです。

竹内氏自身、本冊子に引用されているジュリストへの寄稿で、明確にこう語っておられます。

>欧米の派遣事業に関する法規に照らしても対象業務を限定している例を見ない。以上のような理由から、対象業務を報告書にあるような縦割りではなく、もっと包括的な幅広い表現にすることが望ましい。

ちなみに、下のエントリーで触れた「ギョーカイ主義』が、いかなるものであるのか、あまりにもよく示している実例が本冊子に述べられています。派遣法は、本来世界中どこに行ってもれっきとした労働法であるにもかかわらず、日本でだけは、こういう発想の役所たちによってもみくちゃにされて、労働者保護の欠乏したギョーカイ規制法になってしまい、まともな労働法としての発展を阻害されてしまったのです。

>ある日通産省の課長に呼び出された。何かと思い、大原氏に同行を願い一緒に通産省を訪れた。応接間に入るやいなや課長は烈火のごとく怒り、我々を非難した。「なんで協会の主務官庁を通産にしなかったのだ。百歩譲っても通産と労働の共管にするべきだ。労働省を主務官庁にして事業がうまくいった業界などない。だいいち事務処理サービスなんて協会の名前は通産のものだ。即刻協会名を変えろ」狐につままれたような感じであった。

こういうギョーカイ至上主義、ギョーカイと主務官庁の暖かい関係でもってギョーカイの発展のみを念ずる業所管官庁イデオロギーが、派遣法にもまとわりついた悪夢の源泉であるということが、未だにわからないのでしょうか。

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病膏肓に入ったギョーカイ主義のなれの果て

朝日新聞が昨日の夕刊、今朝の朝刊と、勝ち誇ったように製造業派遣禁止の記事を1面トップに持ってきていますな。

http://www.asahi.com/politics/update/0106/TKY200901050324.html

>東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に社会的な関心が集まったことなどを受け、派遣労働の見直しが政治の焦点に浮上してきた。舛添厚生労働相は5日の記者会見で、製造業への派遣を規制すべきだとの考えを表明。民主党も独自の労働者派遣法改正案をまとめる方向で調整に入った。

>民主党も製造業派遣規制に踏み込む。同党は労働組合を支持基盤とするだけに、これまでは「さらなる失業を招きかねない」と消極的だったが、予想を超える雇用情勢の悪化で方針転換を迫られた。共産、社民、国民新各党はかねて製造業派遣原則禁止を掲げており、小沢代表は4日、「4野党でしっかりまとめないといけない」と党幹部に指示。野党共闘を優先し、法改正の検討に入ることになった。

 民主党政調幹部は「製造業で派遣切りが相次いでいることは事実。年度末の決算期に向けてさらに派遣が厳しい状況になるのは間違いない。そのままというわけにはいかない」と明言。派遣労働者への雇用保険適用などセーフティーネット強化策とあわせて検討する。菅直人代表代行は5日、「派遣村」の参加者らと国会内で開いた緊急集会で「まさに人災。大きな責任が野党を含む政治にある」と強調した。

現行の労働者派遣法に労働者保護の面で問題があるからといって、なんでそれがギョーカイ規制になるのか。

労働者保護を問題とすべきところで、労働者保護が出てこずに、ギョーカイ規制がしゃしゃり出てくるというのが、日本のギョーカイ主義の悪い面だということが未だにわからないのか。

タクシーの運転手の労働条件を労働規制の強化で何とかしようとする代わりに、すぐにタクシーギョーカイの需給調整でなんとかしようとする、医師の労働条件に問題があるというと、すぐに医師の需給がどうたらこうたら。以下すべて同じ。

もちろん、労働法規制だけではいかんともしがたい面も世の中にはある。しかし、労働問題を解決するときに真っ先に検討されるべき労働者保護をほったらかしておいて、ギョーカイ規制ばかりがあたかも唯一の解決策のごとく(それも労働者のためにやっているんだぞと云わんばかりのやり方で)持ち出されるというこの愚劣さ。

ここはあえて連合に問いたい。特定の産業別組織ではなく、すべての産業の労働者を代表する立場として、もし派遣労働というのが禁止しなくちゃいけないくらい悪いものならば、なんである産業ではそんな悪いものを禁じておいて、別の産業では許すのか。

今の派遣法は大変問題がある。国会に提出されている改正案も不十分だ。労働者の立場からすれば、それはまさにその通りだろう。その解決がなぜギョーカイ主義になってしまうのか。製造業だけ救われればいいのか(実は単なる派遣禁止では請負に流れるだけで救われもしないが)。非製造業で働く多くの派遣労働者に対して、説明責任があると思わないか。

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雇用促進住宅への入居1546件

日経の記事から、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090105AT3S0502Z05012009.html

>厚生労働省は5日、失業した非正規社員向けに臨時で開放している雇用促進住宅への入居決定件数が1546件になったと、民主党の厚生労働部門会議で明らかにした。2008年12月15―30日までの件数をまとめた。

 一方、08年12月中旬に187カ所のハローワークに設置した相談コーナーなどへの住居相談件数は08年12月26日までに1万749件に達しており、入居件数はさらに増える見込みだ。職業相談件数は6809件あったが、就職件数は81件だった。(05日 22:01)

まあ、見ての通りというわけですが、与野党の先生方がそろいもそろって、また左右のマスコミが声をそろえて、潰せ潰せの大合唱を繰り返した挙げ句、ご希望通り見事に廃止されることになった雇用・能力開発機構の、それでもなお機能としては残されることになった職業訓練機能とは違って、そんなもの要らないから完全に潰せということになった雇用促進住宅が、こともあろうにかくも人様のお役に立てるとは、どこかのおとぎ話みたいな話ですな。

まあ、潰せ潰せの方々は、全然反省の色はなさそうですが、まあそれはそういうものでしょう。

むしろここで考えるべきは、これまで企業の社宅に委ねていた労働住宅問題を、公的な社会政策として改めてどこまで対処すべきものと考えていくべきかという問題でしょう。現在、下のエントリーにもあるように、派遣切りされた人々に「寮付きの求人」を紹介するという対応をしているわけですが、今後それがどこまで期待できるかを考えると、あまり有望とは言えないと思われますし、本ブログで何回か述べてきたように、今後雇用機会の乏しい地域からの広域移動を公的政策としてある程度進めていくのであれば、まさに雇用促進住宅の機能がますます重要になるはずです。

もちろん、政策の本筋は、民間賃貸住宅に入居できるような住宅手当制度を、普遍的な社会手当として創設していくという方向だと思いますが、労働異動に対応して機動的に住宅を提供しうる仕組みは確保された方がいいと思われます。もちろん、その住宅は、入居者が必要もないのにいつまでも居座ることのないよう、「ちゃんと出て行っていただく機能」を備えておく必要はありますが。

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年越し派遣村撤収

毎日から、

http://mainichi.jp/select/today/news/20090106k0000m040082000c.html

>東京・日比谷公園の「年越し派遣村」は5日撤収され、約500人の失業者のうち希望した286人が都内4カ所に用意された新たな宿泊施設に移った。移動先では求人情報が紹介され、一部の人は生活保護が認められた。生活再建に向けた動きが本格的に始まった。

 4カ所の一つで中央区が運営する複合施設・京華スクエア(旧京華小)の体育館では、約80人の失業者に弁当や毛布が配られた。元旦から派遣村で過ごしていた男性(50)は「まずは落ち着いた」と胸をなで下ろした。施設は12日まで開放される予定。ハローワークの臨時窓口も置かれ、首都圏の寮付きの求人情報(約3000人分)が紹介された。

 また、派遣村にいた失業者のうち75人が千代田区に生活保護を申請し、簡易宿泊所に移ることを決めた5人については即日、保護費の受給が認められた。6~7日もそれぞれ80人が千代田区の窓口を訪れる予定で、生活保護の申請者は計約230人に上る見通し

まあ、そういうことです。こういう形で、居場所と収入がとりあえず保障されたのであれば、いつまでもそこに安住されないように、ちゃんした仕事につけていくことが次の課題になります。

というわけで、派遣村の移動先には、早速ハローワークの臨時窓口が置かれたようです。かつてハロワ民間開放を唱えていた民間業者の方々は、もしめでたく民間開放されていたらば、さぞかし素早く対応されていたんでしょうねえ。

まさか、「我々としては、得意分野でやらせていただきたい」なんて言わないですよね。

年末の12月の30日まで営業していた人材ビジネスの会社さんがあれば、是非今こそ手を挙げていただきたいところですが。あれ?しんとして声なしですか。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/ilo_04e3.html(ハローワークとILO条約)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc26.html(パソナさんはクリームだけ舐めたいようで・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_dec2.html(クリームじゃなきゃ舐めたくないよ!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_e43f.html(ハローワーク市場化テスト)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_300c.html(日経病)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_463a.html(日経病の病原体?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_6614.html(市場化テストモデル事業の実績評価)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_fcf0.html(我々としては、得意分野でやらせていただきたい)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_dee7.html(笛吹けど踊らぬ鳴り物入り民間開放)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-0a83.html(クリームスキマーたちの「実績」)

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人権は国家に先在するわけではない

小倉秀夫氏が、例の3法則の池田信夫氏の議論に触れて、こういうことを語っています。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/01/post-19a8.html(人権は政府から与えられるものではない)

>社会契約論的な理解でいうならば、「政府が人々に人権を与える」のではなく、「主権者たる我々は、我々の基本的人権を不当に侵害するような態様で『権力』を行使する権限までをも政府に与えたわけではない」ということになります。そこでは、一方当事者の基本的人権を不当に損なうような契約条項の履行を「権力」が強制すべきではないし、契約条項の如何に関わらず、基本的人権を不当に害しようとする者の排除を「権力」に対して求めることができますし、実際に基本的人権を不当に害した者に対して制裁を加えるように「権力」に対して求めることができます。ですから、例えば、再び新卒の就職状況が買い手市場に転じたのに乗じて、雇用契約において、性交渉の相手方を指定する権利を会社側に付与する条項を盛り込んだところで、その条項の履行を国家権力が強制することは許されないし、女性従業員がその会社の経営者に強姦されようとしているところに遭遇した警察官は、雇用契約においてその従業員の性交渉の相手方を指定する権利が会社側に付与されており、会社の意思決定としてその従業員の性交渉の相手方としてその経営者を指定したのだとの説明を受けても、その説明を一笑に付して、その女性従業員の身を守ることができます。

歴史的に労働法の展開を見てきた私たちからすると、そういう市民社会的社会契約論による説明は空疎に思われます。現実には、今日的な労働法制ができる以前には、現代であれば基本的人権に反するとされるような条項を雇用契約に盛り込んで、その条項の履行を国家権力が強制するというような事態がごく普通にあったわけで、それが基本的人権に反するからとして、国家権力が履行を強制するどころか、逆にそのような経営者を規制するようになったのは、国家がそのような法規制を有し、実施するようになってからの話です。

実際、かつては、ストライキをやる労働者の方を国家権力が弾圧していたのに、今は不当労働行為制度によって労働者側を守っています。労働者も経営者も含まれる「主権者たる我々」から出発してこれを説明するのは困難でしょう。

労働者のストライキ権は国家以後の人権であるが、雇用機会提供と交換の性交権(の禁止)は国家以前の人権であるという説明も、気分的にはそうだそうだといいたくなるかもしれませんが、歴史的にはそうとはいえないでしょう。

もちろん、小倉氏の議論の中心は、

>人が遺伝的に持って生まれているか否かを問題とするのであれば、「私有財産」自体、人が遺伝的に持って生まれているものではありません。「所有権」という有体物に対する観念的な支配関係が「権力」により守られることを前提とする「私有財産」自体、「法」があって初めて存在するものです。同様に、「契約」もまた、他人との関係性が「権力」により守られることを前提としており、「法」があって初めて存在します。したがって、少なくとも近代以降の経済学は、「法」の存在を前提としています。そういう意味で、「基本的人権」についてのみ、事実として人が遺伝的に持って生まれてこないことをことさらクローズアップするのはいかがものかと思います。

と言う点にあり、この点はまさにその通りですので、私有財産も契約も基本的人権も、権力によって守られるものであり、法を前提とするものであるということを確認すればよかったのではないかと思います。

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厚労相、製造業派遣の禁止も

朝日の記事から、

http://www.asahi.com/politics/update/0105/TKY200901050108.html

>舛添厚生労働相は5日の閣議後の記者会見で、すでに国会に提出している労働者派遣法改正案の修正に前向きな考えを明らかにした。さらに「個人的には」と断ったうえで、「製造業まで派遣労働を適用するのはいかがなものか。そのことも含めて検討しないといけない」と述べ、製造業派遣を禁止したい意向も明らかにした。

どうも、2年前のホワイトカラーエグゼンプションの時と同様、制度の問題点として批判し、改善していかなければならないところはスルーされ、何ら問題ではない、問題にしてはいけないところばかりがフレームアップされるという悪しき傾向が加速していますね。

こういうときにこそ、まっとうな労働問題の専門家がきちんと発言しなければならないはずなのに、そういう声がマスコミに現れてこないのは大変危うい事態です。こういう事態をほっておくと、またぞろ、「日雇い派遣の禁止には意味がない」「製造業派遣の禁止には意味がない」というそれ自体としては確かに正しい議論をおもてに出しながら、その実、本当に対処しなければならない労働者保護も何もかもことごとく叩き潰してしまおうという市場原理主義の徒輩に、うごめく余地を与えることになるのです。

労働者保護をおろそかにする形で制定された日本の派遣法には確かに欠陥があり、それは是正されなければなりませんし、そういう国会修正はおおいにされるべきですが、業務限定などというどの国もしていないし、そもそもの出発点が不純な動機に基づく、欠陥に満ちた枠組みに、しがみつくことをもって、あたかも派遣労働者のためになることをやっているかのように世論を向けていくことは、実はその騒ぎが収まったあとに、冷静な目で「何でこんな馬鹿な規制をしてしまったんだろう、さっさと元に戻そうよ」という(それ自体としては)きわめて正しい声に正統性を与えるだけで、本当にやるべき制度改正をなされないままにほっておくという結果をもたらしかねないものです。

労働者派遣法は労働法であって、事業規制法ではありません。それが世界の常識なのに、日本の派遣法は労働法であるよりも事業規制法として生み出され、育てられてしまったところに、最大の不幸があるのです。

この問題については、近く刊行される予定の、『中央労働時報』1月号や、『大原社会問題研究雑誌』2月号で若干詳しく述べていますが、これらはまだ発行されていないので、とりあえず過去の文章や発言として、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/asahisekine.html(朝日新聞-関根秀一郎との対談「日雇い派遣 禁止は有効?」(2008年5月29日))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/logibiz.html(日雇い派遣禁止は見当外れ(インタビュー)(『Logi-Biz』2008年7月号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hakensaikou.html(日本経団連・労働者派遣制度見直し検討WG講演「労働者派遣システム再考」 )

(追記)

昨日のエントリーに対して、ゼンセン同盟JSGUの方から、現在は派遣会社の内勤職員はは10%に激減し、組織運営も90%を占める派遣スタッフを中心としたものになっているとのご指摘がありました。一昨年お話を伺ったときには、内勤職員と派遣スタッフが半々ということでしたので、昨日のような記述をしましたが、今は必ずしもそうではないようです。ただ、とはいえ、膨大な派遣労働市場の中ではなお周辺的な存在にとどまっていることも確かなように思われます。

http://www.jsgu.org/(人材サービスゼネラルユニオン(JSGU))

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悪しき権力に向かって闘っていきたい

こだまの(?)世界経由で、朝日の仲代達也氏のインタビューより

http://d.hatena.ne.jp/satoshi_kodama/20090104

>日本人は全学連時代以降、闘うことを忘れてしまった。フランスはじめヨーロッパでは、何か問題が起きると全員で闘うでしょう。・・・生活のために闘うことを、日本人は忘れているのではないでしょうか。私も役者という仕事を通じて、悪しき権力に向かって闘っていきたいと思っています。

(2009年1月4日朝日9面、強調オレ)

いや、だから、闘うことを忘れるどころか、まさに「悪しき国家権力」のみをぶっ壊すべく、闘ってきたのではないですか、「シミン」の皆様は。「生活のため」なんていうヨーロッパの下賤な連中のどぶ板をはいつくばるような闘いなんかではなく、諸悪の根源である国家権力の介入を根絶し、すべてを生活の心配の要らないシミンの皆様の善良な手に委ねるべく、革マル崩れやら全共闘崩れやらの方々の指導よろしく、闘ってこられたのでしょう。

その絶え間ない闘いの挙げ句の果てが、国民生活のためと称する悪辣な国家権力がかくも見事に収縮を遂げた、かくもすばらしきシミン社会なのであってみれば、「悪しき権力との闘いの成果万歳!」と叫ぶべき時ではありませんかねえ、今こそ。

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社会経済生産性本部の緊急提言「雇用不安の解消を求めて」

昨年のクリスマスに、社会経済生産性本部がこういう緊急提言をしていました。どういうプレゼントが入っているかというと、

http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/lrw/activity000898.html

まず労使関係です

>世界同時不況といわれるこの厳しい情勢を乗り越えるためにも、今後の労使による協議・交渉では、「雇用の安定」「労使の協力・協議」「成果の公正分配」といった生産性運動3原則の精神をふまえ、予断をもつことなく、真摯な議論を徹底して行うべきである。さらに、この精神が労使の信頼関係の基礎であることを企業労使は確認し、企業活力の再生にむけ、職場をはじめとする組織全体において、生産性の向上に取り組むことが重要である。

またその際、労使が培ってきた信頼関係に基づき、短期的視点に陥ることなく中期的ビジョンをもちつつ、正社員のみならず非正社員を含めすべての従業員を対象とした労使の話し合いを行うべきである。

生産性3原則の再確認は生産性本部として当然ですが、「正社員のみならず非正社員を含めすべての従業員を対象とした労使の話し合い」というところが今日的には重要なポイントでしょう。

実を言うと、非正規労働者も含めた労使対話と口では簡単に言えるものの、誰がそれを担えるのかというのが最大の問題であるわけで、労働契約法制の議論で労使委員会を潰してしまった跡に、いかなる集団的労使関係の枠組みを構想するかが、まさに政労使の最大の課題であると言うべきでしょう。

現在、政治家やマスコミも含めて派遣が諸悪の根源のように言われてしまっていますが、こういう事態の一つの原因に、派遣労働者の適切な利益代表システムが構築されてこなかったことがあると言わなければなりません。

関根秀一郎氏の派遣ユニオンは、実態としてはごく周辺的な労働NPO兼争議団的存在ですし、ゼンセンのJSGUは逆に派遣会社の社員を核にした組合で、本当の意味での派遣労働者の恒常的労働組合は未だ存在するに至っていないのが実情でしょう。

派遣システムを見直すとするならば、あまり誰も語らないこの点にこそポイントがあるはずなのですが、集団がはやらない昨今、なかなかそういう意見は見あたらないようです。

もう一つは、雇用創出策です。

>特に、医療・介護・教育・保育や、国民の安全を担うサービス分野では、必要とする人材が不足している。こうした分野への人材流入支援として、雇用機会の提供が緊急に行われるべきである。あわせて、円滑な人材の移動にむけ、これら分野における戦略的な教育訓練の実施や雇用環境の整備が必要である。

 いま求められるのは、社会全体として早期に雇用を生み出す国民的行動である。それには従来型の発想にとどまることなく、政府ならびにすべての省庁が一丸となって戦略的雇用創出に取り組むべきである。その際、環境・エネルギーやバイオテクノロジー応用など新分野への投資とともに、農林業の再構築や観光立国の推進など国家プロジェクトとしての新たな方向性を示すことが欠かせない。そのうえで、実効性ある政策メニューの策定や必要な社会的インフラの整備など、産業と雇用に関わる総合的な戦略を展開すべきである

前半はまさにその通り。そして、必要なのは「雇用環境の整備」という官庁用語で包まれている労働条件の改善でしょう。後半の「農林業の再構築や」「観光立国の推進」てのは、本当のところどうなんですかねえ。正直言って私にはよくわかりませんが、農水省や国交省のサバイバル戦略を超える付加価値があればいいのですが。

最後の一節は、さらりと書いてありますが重要です。

>さらに、雇用対策としても、これまでの所得・生活保障や再就職支援といった枠組みをこえ、人材への投資という観点から教育を重点とした政策への抜本的転換を進める必要がある。このため、公共職業訓練機関はもとより民間機関や学校など、教育に関わるすべての機関を通じた職業教育の強化を進め、エンプロイヤビリティ(就業能力)の向上に取り組むべきである。

職業訓練を担うべきは「教育に関わるすべての機関」ですよ。うちとこはあかでみっくなおべんきょうをするところですからしょくぎょうなんてげせんなことはしないんですよ、なんてのはだめですからね。

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差別禁止法の新展開

03977 森戸英幸先生、水町勇一郎先生編著の『差別禁止法の新展開  ダイヴァーシティの実現を目指して』を御贈呈いただきました。ありがとうございます。

http://www.nippyo.co.jp/book/3977.html

>近年生じている「差別」概念の拡大(理由・局面・形態)とそれをめぐる諸問題について多様な角度から考察。「現実に活用できる」一冊

実は、本書のかなりの部分は、連合総研のイニシアチブ2008という研究会(座長:水町先生)で著者の皆さんがゲストスピーカーとして話された内容と重なっていて、記憶を新たにしながら読み返したんですが。

第1部 序論――本書のストーリー/森戸英幸・水町勇一郎

序論――本書のストーリー/森戸英幸・水町勇一郎

第2部 総論――問題の整理と新しいアプローチ

第1章 差別はなぜ禁じられなければならないのか/安部圭介

第2章 アメリカは何をしてきたか/長谷川珠子

第3章 経済学からのアプローチ/飯田 高

第4章 心理学からのアプローチ/飯田 高

第5章 哲学からのアプローチ/水町勇一郎

第6章 人事管理からのアプローチ/水町勇一郎

第3部 各論――日米比較を中心に

第1章 年齢差別/柳澤 武

第2章 障害者差別/長谷川珠子

第3章 性的指向に基づく差別――雇用の局面を中心に/森戸英幸

第4章 美醜・容姿・服装・体型――「見た目」に基づく差別/森戸英幸

第5章 雇用における男女差別――日本における雇用差別禁止法の現状と課題/水町勇一郎

第6章 社会保障における男女差別/森戸英幸

第4部 企業の現場から――多様性が生み出すパワー、最先端の実例

第1章 ベネッセコーポレーションの仕事と生活の両立支援策   (株)ベネッセコーポレーション/後藤憲子(代表執筆)・林美代子・伊藤恵子

第2章 資生堂の目指す男女共同参画――社員と会社が共に成長できるワーク・ライフ・バランスへの取組み/(株)資生堂 山極清子

第3章 横河電機グループの障害者雇用/横河電機(株) 箕輪優子

第5部 終論――新展開の方向性

終論――新展開の方向性/森戸英幸・水町勇一郎

そうでないのが森戸先生の書かれた部分。これはまことに労働法学者とは思えない森戸先生のトリックスターぶりがよく現れているところで、なかんずく、第3部第4章の「美醜・容姿・服装・体型――「見た目」に基づく差別」は、そもそも差別とは何だろう、なんで差別はいけないんだろうという根本問題を考えさせるのに絶好の素材となっております。

で、その関係で、飯田先生の「経済学からのアプローチ」の最初の所に引用してあった某有名書店の秘密文書-そういえばそんなのがあったなあ、と多くの方は思い出されるでしょうが-が、やはりいろんな意味で考えさせます。1975年に作成された文書ですが、30年前の日本の会社はこういう発想であったんですね。さて、今は・・・。

【女子社員】

一、採用不可の女子

1 ブス、絶対に避けること、

2 チビ、身長140センチ以下は全く不可、

3 カッペ、田舎っぺ、

4 メガネ、

5 バカ、

6 弁が立つ、新聞部に属していたものはよく観察すべし、

7 法律に興味を持つ、前職・専攻科目・関心事に注意、

8 慢性の既往症、再発の恐れだけでなく疲労しやすく不満を抱きやすい

二、要注意の女子

1 革新政党支持、その理由を質問し、その答え方に注意、

2 政治・宗教団体に関係、頭の切り換えのきかないのが多い、

3 本籍が日本国籍でないもの、特に家が飲食店の場合は不可

4 職を2つ以上変わっているもの、流れ者であり、即戦力になるように見えても長続きしない

5 4年制大学中退者、

6 家庭事情の複雑なもの

7 父が大学教授

8 尊敬する人物が情熱的芸術家の場合、ゴッホ、林芙美子、石川啄木

9 尊敬する人物が学校の先生の場合、どういう点を尊敬するか質問すること

【要注意のパートタイマー応募者 女子】

1 下宿者

2 職を転々と変えたもの

3 夫が教師、文筆業であるもの

4 保母、看護関係の有資格者

5 自宅で漫然としていたもの

6 離婚歴あるもの

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若者が希望を持てる社会の構築に向けて by 経済同友会

経済同友会の桜井代表幹事の標題のような年頭見解が出されています。

http://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/comment/2008/090101a.html

経済同友会本来の修正資本主義の考え方に立って、バランスのとれた発言をしており、好感が持てます。

最初に「「市場」の活用を」というところから始めているのも適切です。

>米国での金融・資本市場の混乱や日本での格差論争などにおいて、市場を中心とする資源配分の問題点が指摘されることが多くなり、時には、市場機能そのものを否定するような論調が散見される。市場は、万能ではないが、現状では唯一の効率的な資源配分の仕組みであり、市場機能の否定からは何も生まれない。

我々は、今、市場メカニズムをうまく機能させるために、市場参加者の倫理及び自己責任、市場の監視体制、市場の規律などの観点から、健全なる市場の構築を目指し、改めて市場の整備・活用を検討すべきである。「若者が希望を持てる社会」の構築は、健全なる市場を中心とした経済社会と整合的でなければならない。

以前、厚労省とJILPTによる雇用労働政策の基軸研究会に参加したとき、清家篤先生がまさにそういうことを力説しておられました。市場機能の否定からは何も生まれない。しかし、市場をうまく機能させるためには適切な規制が必要で、市場規制の否定は市場自体の否定をもたらすだけだと。

「健全なる市場を中心とした社会」は、いうまでもなく奴隷制が一番効率的だからできるだけそれに近づけようというような発想とは対極にあるものですし、日本経済を一度徹底的に破壊し尽くそうというような発想とも両立するものではありません。日本の経営者の良質的な部分が、そのような奇矯の発想と適切な距離感を保っていることは、日本の将来に希望を抱かせてくれます。

>第1は、直近の課題としても、そして構造的な課題としても重要な「雇用問題」の解決である。90年代の所謂「就職氷河期」に生じた非正規雇用問題などの構造的課題を解決するために、政治(政府・与野党)、労働界、経済界の3者による検討を早急に開始することを提案する。そこでは、(1)農林水産業の高度化やサービス産業の活性化を促す政策とともに、そのような分野への労働移動を促進する枠組みの整備、(2)非正規雇用に対するセーフティネットの構築、(3)産業構造の変化に伴う円滑な雇用調整のあり方、などについて検討すべきである

まあ、農林水産業の高度化がどの程度まで希望がもてるものか、正直言っていささか疑問なしとしませんが、具体的な政策の中身は別として、何にせよ、「政治(政府・与野党)、労働界、経済界の3者による検討を早急に開始することを提案」しようという三者構成原則の主張を明確に打ち出したことは評価すべきでしょう。

旧日経連が経団連と合併して、経営側の労使自治原則への理解がどの程度維持されていくのだろうかという危惧もないわけではないですが、90年代後半の一時期市民派的市場原理主義に走った経済同友会が、こうして労使自治、三者構成原則の意義を再確認する方向に進んでいることは、大変望ましいことです。

>これらの経営改革は中長期的志向とマルチステークホルダー重視の経営への転換につながるものでなければならない。厳しい現状にある今こそ、経営者には、企業の持続的成長と発展のために、中長期的な視野で前向きな改革への投資が期待されている。また、企業には、現在のような急激な景気後退期では、前述のように企業一人が負う課題ではないが、雇用が社会的課題であるとの認識に基づき、慎重な雇用調整への取組みが期待される。すなわち、強くて信頼される企業を目指す、新・日本流経営の実践である。

まさに「中長期的志向」と「様々な利害関係者重視の経営」が、経済同友会本来の思想であったはずで、やっぱり90年代後半の一時期は異常な突然変異期だったんでしょうね。

今後、経済同友会として、

>第1に、市場機能に対する信頼の揺らぎがある中で、日本経済が健全かつ安定的に成長するための基本的課題として、改めて、市場を中心とした経済社会のあり方について検討を行うべく、4月の新年度を待たず速やかに新委員会を設置することとしたい。

第2に、これまで構造改革の一環として、提言を重ねてきた税財政改革や社会保障制度改革につき、その後の社会環境の変化を盛り込み、改めて将来の国民の受益と負担の構造を明確化し、提案を行うこととしたい。

第3に、非正規雇用者問題の深刻化に加え、今回の不況が新たなニートやフリーター問題を生みかねないという問題意識の下に、雇用問題を構造的問題と捉え、4月の新年度を待たず、速やかに新委員会を設置して検討を開始することとしたい。

ということです。真摯な検討に期待したいと思います。

(参考)

基軸研について

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/s0809-3.html(『雇用労働政策の基軸・方向性に関する研究会』報告書について)

三者構成原則について

http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristtripartism.html(ジュリスト立法学特集号「労働立法と三者構成原則」)

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不本意型非正規労働者数は400万人

みずほ総研の大島寧子さんが、昨年末に出されたレポートで、不本意型非正規労働者数を400万人と推計しています。

http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/policy-insight/MSI081226.pdf

彼女の問題意識はきわめて適切で、

>今日の日本の労働市場では、学生アルバイトや主婦パートなど比較的所得リスクが低い従来型の非正規労働者と、バブル崩壊後に増加してきた不本意型の非正規労働者が混在し、本当に支援を必要とする人の存在が見えにくくなっているように思われる。

そこで、不本意型非正規労働者が何人いるのかを確かめようというわけです。

具体的な推計の手法についてはリンク先を見ていただく方がいいと思います。男性は非正規591万人のうち163万人が不本意、女性は非正規1299万人のうち254万人が不本意という推計です。男女合わせてほぼ400万人。

ちょっと議論があると思うのは、推計のもとデータが2007年の数字であることから、2008年秋以降の状況で、常用型派遣労働者も正社員への転換を希望するようになったのではないかと想定して、転換割合が10%高まったと仮定して、今は570万人と数字を出しているところで、いささか根拠薄弱な感じがします。

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雇用ニューディール計画

読売のリーク記事のようです。

>雇用創出は医療・介護重点に…政府がニューディール計画

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20081231-OYT1T00606.htm

> 雇用情勢の急激な悪化に対応して政府が策定する「雇用ニューディール(新規まき直し)計画」(仮称)の全容が31日、明らかになった。

 人手不足が指摘される医療・介護分野の資格取得を支援するなど職業別に雇用創出を図る。失業の急増が問題化している非正規雇用者については、職業訓練にかかる費用の給付と訓練期間中の生活資金支援の拡充に取り組み、労働条件などを巡る権利を守るための法制度の見直しを検討する。

 国、地方自治体の行政機関で臨時雇用を増やす一方、林業の担い手を養成する「緑の雇用」を再開・拡充する。失業急増の主因である企業倒産を防ぐため企業の事業再生を支援し、失職した労働者に対する雇用保険による職業訓練費用の給付も対策に盛り込む。

 また、仕事と育児の両立を支援するため、日本では最長1年半、給与の30%にとどまっている育児休業者への所得補償を段階的に引き上げ、育児休業制度の充実を目指す。

 産業再生機構の設置と一体的に実施され、2008年9月に終了した企業や失業者向けの「雇用再生集中支援事業」の再開も検討する。

 政府は08年12月に140万人の雇用を下支えするための対策を打ち出したが、新対策は戦略的な雇用創出が特徴だ。政府は七つの成長分野に重点投資する「未来開拓プラン」(仮称)の具体策を、経済財政諮問会議(議長・麻生首相)で今春までにまとめる方針で、新たな雇用対策はその柱になる。

 財源は09年度予算案に盛り込んだ「経済緊急対応予備費」(総額約1兆円)などを活用し、一部は09年度補正予算での手当ても検討する。

          ◇

 「雇用ニューディール計画」の骨子
〈1〉医療、介護、農業など職種別に雇用創出計画を策定
〈2〉リストラに伴う失業者の再就職を助ける「雇用再生集中支援事業」を再開
〈3〉林業就業を促す「緑の雇用」事業を再開・拡充し、国や自治体、関係機関も臨時雇用の場を提供
〈4〉非正規雇用者の権利保護法制を検討
〈5〉育児休業者への所得補償を段階的に引き上げ、世界最高水準の育児休業制度を目指す
〈6〉起業後の法人税軽減や家庭菜園への農地貸与で高齢者を支援

これが昨日で、今日は、

>「非正規」保護へ、雇用対策戦略化…政府のニューディール

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20090101-OYT1T00379.htm

>政府が策定する「雇用ニューディール計画」は、中長期的に安定した雇用機会を新たに創出するのが狙いだ。(中村宏之)

 これまでの雇用対策が、解雇された労働者の失業手当や年末年始の住居確保策など安全網の拡充に主眼を置いてきたのに対し、新対策は職種別に計画を策定し、戦略的に雇用を増やす。背景には「全治3年」とされる深刻な景気後退への危機感がある。今後も予想される雇用情勢の悪化を食い止めるため、雇用対策も政策総動員態勢に入る。

 医療・介護など人手不足が著しい部門に対して重点的に対策を講じる。現在の医療・介護部門の職員数約385万人に対し、2025年には最大684万人が必要となる見通しで、約300万人の不足が見込まれている。このため、政府は必要な資格の取得を支援し、計画的に人材を養成する。

 また、新対策は、約1779万人(7~9月期平均)の非正規雇用者や、約180万人(07年)とされるフリーターに対する支援策なども盛り込む。

 正社員と同じ内容の仕事をしているのに賃金に大きな差がある現状を是正するための制度作りや、非正規雇用者が一定の勤続年数に達した場合に正規雇用とするための保護法制の整備などを進める。

 森林の間伐などを行う労働力確保策として一時期実施されたことのある「緑の雇用」を再開・拡充することや、国や自治体、非営利組織(NPO)などによる臨時雇用などの公的雇用も拡充する。

 女性が働きやすい環境をつくるため、世界最高水準の育児休業制度の実現も目指す。日本の育児休業者に対する所得補償は最長1年半、給与の30%にとどまり、欧米の先進国に対して大きく見劣りしている。このため政府は、ドイツ、フランス並みに3年間の休業を認めたり、補償額を段階的に引き上げたりして、スウェーデンの80%補償などに並ぶ水準の達成を目標として掲げる。

 ただ、こうした対策の推進には企業の協力も不可欠だ。新規事業の創出や事業再生にあわせて雇用を増やした企業への助成金の給付要件緩和など、企業への動機付けも幅広く検討する必要がある。

ニューディールと言えば、古くはルーズベルト大統領によるそれまでの自由市場原理主義からソーシャルな政策体系への転換が、近くはブレア首相によるそれまでのサッチャリズムからの脱却と同時に古い労働党イデオロギーからの脱却が想起されるわけで、そういう「新たな社会民主主義」というコノテーションのある言葉をあえて選んで、政策パッケージのタイトルにしようという黒幕が政府のどの辺にいるのか、いろんな意味で大変興味があります。

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年越し派遣村へ続々、300人突破 厚労省が講堂を開放

朝日のネット記事から、

http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY200901020056.html

>「派遣切り」などで仕事と住まいを失った人たちに食事と寝場所を提供する東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、新年になっても労働者らが続々と詰めかけ、2日に300人を超えた。労働組合や市民団体などでつくる実行委員会が用意したテントが足りなくなるおそれが出たため、公園のそばに庁舎がある厚生労働省は省内の講堂を緊急に開放し、労働者らを受け入れた。

 おおみそかの開村後、入村者数は増え続け、2日午後6時現在で304人に達した。実行委が用意した50余のテントに入れるのは150人ほど。多数が屋外のストーブで暖を取って夜を明かさなければならない事態になった。

 実行委は、寒空の下に労働者が放り出されては命の危険があるとして、同日午後、厚労省に対し、省内の施設を緊急避難所として開放することなど求める舛添厚労相あての緊急申入書を提出。厚労省は5日午前9時まで講堂を開放することにした。

こういう事態を内心予測しつつ、厚生労働省前の日比谷公園で派遣村を開いたのだとすれば、湯浅さんたちの戦略的行動を褒めてあげるべきでしょう。いや、皮肉ではなく、それまでまじめに働いていたのに派遣切りで職とともに住まいを失った人々に緊急に避難場所を提供するというのは、政治家や役所側としても乗りやすい大義名分があるわけで、そこまで見越した上でだとすれば、たいしたものだと思います。

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