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2008年12月19日 (金)

西谷敏『労働法』

04092 西谷敏先生より、大著『労働法』を御贈呈いただきました。いつもお心に留めていただき、有り難うございます。

http://www.nippyo.co.jp/book/4092.html

>労働法のベーシックな教科書。労働者の権利と自己決定を尊重する立場から一貫した主張で、学生のニーズにも応え、読みやすい。

いうまでもなく、労働法における自己決定といえば西谷先生であり、それゆえに論争の的にもなってきたわけですが、規制緩和の時代をくぐり抜けた今、その思想は、次のように定式化されるに至っています。

>労働法が前提とする労働者は、一面では自己決定する自由で自律的な個人であり、他面では使用者に従属せざるを得ない存在である。市民法は、自律的人間を理想とし、かつ既に存在するものと考えた。これに対して、従属性の認識から出発する労働法にあっては、労働者の自律性はもはや当然の前提ではあり得ないが、しかし空虚な形式と見なされるわけでもない。それは、労働者自身の努力と諸制度の支援によって可能な限り現実化されるべき人間の在り方である。言い換えると、労働法における人間は、使用者に従属しつつもそれを克服すべく主体的に努力する人間でなければならない。

>労働者像における自律性と従属性は、労働法において車の両輪をなしており、両者を統一的に把握することが不可欠である。労働者の自律性の要請を無視する労働法は、労働者を単なる保護の対象と見なすか、使用者の現実的支配を正当化するに終わり、いずれにしても近現代の法原理に合致しない。戦後有力であった学説の一部には、そうした傾向が見られた。他方、労働者の従属性を無視する労働法は、その保護の必要性を否定し、結局は労働法独自の存在根拠を掘り崩すことになる。新自由主義に基づく規制緩和論は、こうした傾向を持つ。

これは、そういう総論のレベルでは、まさにその通りとしかいいようがない正しい認識だと思うのですが、それを具体的な各分野ごとの現実の問題にどのように当てはめるべきかというところで、ある場合はニュアンスの違い、ある場合には明確な立場の違いが浮かび上がってくるのだと思います。とりわけ、「個人と集団」が交錯する局面においては、「個人の自律」と「集団の自律」の関係が大変難しい。集団の自律が個人の自律を抑圧するという現実が存在することは否定しがたいとはいえ、集団の自律なくして個人の自律はあり得ないというのもまた厳然たる事実であるわけです。

第1部 総論

第1章 労働法とは何か
第2章 現行労働法の基本構造
第3章 労働法の当事者――労働者と使用者
第4章 労働者の自由・平等・人格権等の保障
第5章 国際的労働関係
第6章 労働紛争の解決
第7章 労働法の動態

第2部 個別労働関係の成立・展開・終了

第1章 労働関係の成立
第2章 労働条件の決定と変更
第3章 労働者の義務と服務規律
第4章 人事異動
第5章 賃金
第6章 労働時間・休憩・休日
第7章 年次有給休暇
第8章 年少者・母性保護と家族的責任の保障
第9章 安全衛生と災害補償
第10章 非典型労働関係
第11章 労働関係の終了

第3部 集団的労働法

第1章 労働基本権の保障
第2章 団結権と労働組合
第3章 不当労働行為
第4章 組合活動
第5章 団体交渉
第6章 労働協約
第7章 争議行為

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