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2008年12月29日 (月)

労働時間規制は何のためにあるのか

『情報労連REPORT』12月号に載せた「労働時間規制は何のためにあるのか」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororenjikan.html

雑誌自体がPDFファイルでアップされているので、そちらで読んでいただいた方が読みやすいかもしれません。

http://www.joho.or.jp/report/report/2008/0812report/p07-14.pdf

>そもそも労働時間はなぜ規制されるのだろうか。ここ数年来労働基準法改正案に加え、ホワイトカラー・エグゼンプションや名ばかり管理職という形で労働時間規制の問題が話題になることが多いが、政治家やマスコミ人に限らず、労使や行政関係者までが、もっぱら時間外割増賃金をどうするかということにしか関心がないように見える。まるで労働時間規制とは長時間労働に対して割賃という形で報酬を与えることが目的であるかのようである。

 一方で、過労死や過労自殺は一向に減る気配を見せず、特に若い正社員層における異常な長時間労働は、非正規労働者の増加と軌を一にしてますます加速している。労働経済白書によれば、25~44歳の男性で週60時間以上働く人の割合は2割以上に達している。週60時間とは5日で割れば1日12時間である。これは、1911年に日本で初めて工場法により労働時間規制がされたときの1日の上限時間に当たる。

 工場法はいうまでもなく、『女工哀史』に見られるような凄惨な労働実態を改善するために制定された。当時、長時間労働で健康を害し結核に罹患する女工が多かったという。労働時間規制は何よりも彼女らの健康を守るために安全衛生規制として設けられたのである。

 ところが、終戦直後に労働基準法が制定されるとき、1日8時間という規制は健康確保ではなく余暇の確保のためのものとされ、それゆえ36協定で無制限に労働時間を延長できることになってしまった。労働側が余暇よりも割賃による収入を選好するのであれば、それをとどめる仕組みはない。実際、戦後労働運動の歴史の中で、36協定を締結せず残業をさせないのは組合差別であるという訴えが労働委員会や裁判所で認められてきたという事実は、労働側が労働時間規制をどのように見ていたかを雄弁に物語っている。

 もっとも、制定時の労働基準法は女子年少者については時間外労働の絶対上限を設定し、工場法の思想を保っていた。これが男女雇用機会均等に反するというそれ自体は正しい批判によって、1985年改正、1997年改正により撤廃されることにより、女性労働者も男性と同様、無制限の長時間労働の可能性にさらされることになった。健康のための労働時間規制という発想は日本の法制からほとんど失われてしまったのである。

 こうした法制の展開が、労働の現場で長時間労働が蔓延し、過労死や過労自殺が社会問題になりつつあった時期に進められたという点に、皮肉なものを感じざるを得ない。その後労災補償行政や安全衛生行政は、過労死認定基準の2001年改正や労働安全衛生法の2004年改正など、長時間労働を安全衛生リスクととらえ、その防止を目的とする政策方向に舵を切ってきた。ところが、肝心の労働時間行政とそれを取り巻く関係者たちの意識はまったく変わらなかったのである。

 それを象徴的に示したのが、2007年に国会に提出された労働基準法改正案とその提出に至るいきさつである。まず、いまなお国会に係属している同改正案は、1か月80時間を超える時間外労働に対して5割の割賃を払えとのみ規定している(中小企業を除く)。お金が欲しければそれ以上残業しろと慫慂しているかのごとくである。そこには長時間労働を制限しようという政策志向はほとんど感じられない。

 一方で、国会提出法案からは削除されてしまったが、それに至るまで政治家やマスコミを巻き込んで大きな議論になったのが、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションであった。ところが、上記のような労働時間規制に関する認識の歪みが、この問題の道筋を大きく歪ませることとなってしまった。そもそもアメリカには労働時間規制はなく、週40時間を超える労働に割賃を義務づけているだけである。したがって、ホワイトカラー・エグゼンプションなるものも割賃の適用除外に過ぎない。一定以上の年収の者に割賃を適用除外することはそれなりに合理性を有する。ところが、日本ではこれが労働時間規制の適用除外にされてしまった。ただでさえ緩い労働時間規制をなくしてしまっていいのかという当時の労働側の批判はまっとうなものであったといえよう

 ところが、この問題が政治家やマスコミの手に委ねられると、世間は「残業代ゼロ法案」反対の一色となった。そして、長時間労働を招く危険があるからではなく、残業代が払われなくなるからホワイトカラー・エグゼンプションは悪いのだという奇妙な結論とともに封印されてしまった。今年に入って名ばかり管理職が問題になった際も、例えばマクドナルド裁判の店長は長時間労働による健康被害を訴えていたにもかかわらず、裁判所も含めた世間はもっぱら残業代にしか関心を向けなかったのである。

 ホワイトカラー・エグゼンプションが経営側から提起された背景には、長時間働いても成果の上がらない者よりも、短時間で高い成果を上げる者に高い報酬を払いたいという考え方があった。この発想自体は必ずしも間違っていない。管理監督者ではなくとも、成果に応じて賃金を決定するという仕組みには一定の合理性がある。しかしながら、物理的労働時間規制を野放しにしたままで成果のみを要求すると、結果的に多くの者は長時間労働によって乏しい成果を補おうという方向に走りがちである。その結果労働者は睡眠不足からかえって生産性を低下させ、それがさらなる長時間労働を招き、と、一種の下方スパイラルを引き起こすことになる。本当に時間あたりの生産性向上を追求する気があるのであれば、物理的な労働時間にきちんと上限をはめ、その時間内で成果を出すことを求めるべきではなかろうか。

 二重に歪んでしまった日本の労働時間規制論議であるが、長時間労働こそが問題であるという認識に基づき、労働時間の絶対上限規制(あるいはEU型の休息期間規制)を導入することを真剣に検討すべきであろう。併せて、それを前提として、時間外労働時間と支払い賃金額の厳格なリンク付けを一定程度外すことも再度検討の土俵に載せるべきである。

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