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2008年12月 6日 (土)

アメリカ思想における「リベサヨ」

本ブログで何回も取り上げてきた「リベサヨ」問題ですが、私はもっぱら日本の文脈でのみ考えてきたので、日本のサヨクな人々の特殊性みたいに考えてきたのですが、わりと普遍的な現象でもあるようです。

たまたまあるブログを見ていたら、仲正昌樹さんの「集中講義アメリカ現代思想-リベラリズムの冒険」が紹介されていて、そこで引用されているローティの著作からのいくつかのパラグラフが、まさに「リベサヨ」現象の指摘だったのです。

http://d.hatena.ne.jp/demian/20081202/p1(Demilog)

>改良主義的な左翼は、差別問題が経済的不平等に起因すると考え、経済面からの事態の改善を試み、一定の成果を上げてきた。それに対して新左翼は、文化闘争にばかり力を入れ、現実的な改革にはあまり関心を持たなくなった。

>ポストモダンの影響を受けた「文化左翼」は、「差異の政治学」とか「カルチュラル・スタディーズ」などを専門とし、差別の背後にある深層心理を暴き出すことに懸命になる。彼らはフーコーの権力批判やデリダの「正義」論など、ポストモダンの言説に依拠しながら、現在の体制の下でのいかなる”改善”にも意味がないことを暗示する。

>彼らが「アメリカを改良することなどはできない」という前提に立って、”差別を構造的に生み出すアメリカ社会”を告発し続ける限り、いかなる現実の改良も生み出すことはできない。彼らは口先だけはラディカルであるが、現実の(経済的)改革には関心を持たないので、実際にはただの傍観者に留まっている

こういう引用の上で、demianさんは

>これはあれかなあ、社会問題に関心を持つ人が経済オンチであるという場合にはまるパターンなのかもしれませんね(例:自分)。勉強しないとなあ。経済に強いとビジネスの役にも立つ?かも?ですし。そもそもものを見たり考えるときに役に立つ道具であることは間違いないんですよ。

一番分かりやすい例では子供の虐待問題を考えるときに貧困の問題を抜きにしてどうするの?と。また正規雇用で就職したいと思っていたらえらい就職氷河期でフリーターになってしまって今に至る、みたいな人が抱える問題やそういう情況の人が多いと社会に対してどのようなインパクトを与えることになるのか?またそんなに不景気がひどくて長続きしちゃったらどうなるの?どうしたらいいの?ということを考える上では景気対策など含めてまず経済(経済政策含む)の問題として考えないといけないでしょうし、労働法制のありようとかいったことも関係してくるでしょう。

そこを抜きにしてポストモダンな思想的な話を持ち出したり、こうしたことについて問題提起している人の心の隅々をつっついて罵るような文芸批評ごっことかしていてもしょうがないのでは?

という風に、話をつなげています。

まあ、日本の場合、本ブログで書いたように、旧サヨク自体の中に「日本はもっと近代化しなくちゃいけない」症候群が濃厚にあったという面があって、それが「日本の集団主義はすばらしい」型保守派と対立していたというより複雑な構造があるので、アメリカ型のシンプルな図式だけでは説明できませんが、構造的同型性があるのは確かでしょう。

(参考)

参考までに、本ブログにおけるリベサヨ論はおおむね以下の通り。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_dbb1.html(日本における新自由主義改革への合意調達)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_331d.html(新左翼)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

も一つついでに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html(知の欺瞞は健在)

なお、ヨーロッパでも同じ指摘があることについては、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3b5a.html(1968年がリバタリアンの原点)

で、エマニュエル・トッド氏が語っています。

(追記)

黒川滋さんが、大阪府枚方市茨木市の非常勤職員の一時金返還請求訴訟判決に関連して、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2008/12/1233731100-ba5a.html

>ここ10年ぐらいの間に、労働問題や貧困問題に鈍感なのに市民派と名乗る議員がとても増えたと思う。

>経歴を見ると、「士」族で食べるに困らないとか、大企業のサラリーマンの妻だったりする。

と語っていますが、「なのに」じゃなくて「だから」なんじゃないですか。

そもそも「市民派」というのですから、反労働者、反貧民なのは歴史的用語法からして当たり前。それが「なのに」という接続詞でつながるところが、リベサヨ市民派イデオロギーがいかに蔓延していたかということでしょう。

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コメント

黒川です。引用ありがとうございます。今回の記事は、茨木市ではなくて、枚方市です。原告の司法書士さん(議員挑戦中、元大学浪人、元司法浪人、私と同じ歳。労働者経験がなくてうらやましい)を刺激したくないので、自治体名を伏せたのですが。
茨木市の名前が出てしまったので、そこの名誉のためだけに言い訳しますが、茨木市の市民派の市議さんは、この問題に誠実に関わってくださっています。

ああ、そうでしたか。もうしわけありませんでした。いい加減な記憶で書いたので間違えてしまいました。訂正するとともに茨木市議の方にお詫びいたします。
ただ、その枚方市議の方が司法書士というのは、最近司法書士会が労働相談に積極的に乗りだしているという話題と考え合わせると、なかなか皮肉なものを感じたりもするわけですが。

お詫びとは恐縮いたします。

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