中谷巌氏の「回心」再論
「回心」という宗教用語を用いたことがはてぶで批判されているので、そのわけを。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3779.html
前エントリーではあえて言及しなかったのですが、この本、いささかアブない方向に行きかけている面があり、それで「回心」という言葉がふさわしく感じたという面があるのです。
第2章 グローバル資本主義はなぜ格差を作るのか
は基本的にスティグリッツですし、
第3章 「悪魔の挽き臼」としての市場社会
は基本的にポランニーで、
まあ、全部読んだ話だよ、とはいいながら、基本的にはその通り、というところなのですが、
第4章 宗教国家、理念国家としてのアメリカ
第5章 「一神教思想」はなぜ自然を破壊するのか
第6章 今こそ、日本の「安心・安全」を世界に
とくると、をいをい、ロハス系リベサヨ風味のソシウヨ路線ですか、と。
小見出しを並べると、
>「自然は征服するもの」と考える一神教思想、地にまみれたギリシアの神々、「国譲り」によって統一された日本の独自性、縄文と弥生が融合した理由とは、なぜ、縄文時代は一万年も続いたのか、自然に神聖さを感じる日本人、日本文化の中にこそ環境問題への解決の鍵がある・・・・・・・
ああぁぁぁぁ・・・・
いや、「国譲り」といったってタケミナカタは殺されてるし、そもそも神武天皇は軍事力で東征しているんだし、ヤマトタケルや神功皇后は・・・いや、そんな古代史の知識の問題じゃなくって、世界に誇る縄文文明とかいうんですかぁ?とにかく、そういう方面に逝ってしまわれましたか・・・・・・・という雰囲気全開でありましたので、つい「回心」という宗教用語になったというわけです。
« 仁田道夫先生の福井秀夫批判 | トップページ | 地球環境は大事ですが・・・ »
>「回心」という宗教用語を用いたことがはてぶで批判
ひょっとして僕(nornsaffectio)のことかと思ったので弁明に来ました。(ひょっともしないか…(゚ー゚;
いや、(いつもと違って?)そんなに批判的意図を持ってああ言ったわけではありませんよ。中谷氏がなんらかの信仰に目覚めたのかと一見した当初本気で勘違いしたもので。というのも、僕にとって「回心」という語は信仰者の人格をも変えてしまうような大転換、つまり「転向」とは別水準の本気度の高いものをさすという認識があったんです。だから、あたかも中谷氏が信仰に目覚めてそっちの世界に行ってしまわれたのかと…。(まあ、ある意味「そっちの世界」かもしれませんが、それに関してはノーコメントとしておきます。)
しかし本文を読んで、二度目の信仰転換という意味で用いられていることを知り、それには納得しました。政治的文脈でよく使用される「転向」だって元はといえば宗教用語ですし、一連のアナロジー自体には違和感がありません。
投稿: よはん | 2008年12月19日 (金) 02時09分