組合弱体化の原因としての人権的把握
近く発売される『ジュリスト』12月15日号が「立法学の新展開」という特集をしていまして、
http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/
そこに、わたしも「労働立法と三者構成原則」という論文を寄せております。発売されたら書店の店頭などで眺めていただければと思いますが、その最後のところで、「人権保障という観点のみで集団的労使関係法制が運営された結果、それが本来めざすべき産業民主制の精神とは次第にかけ離れたものになっていったように思われる」と、いささか刺激的なことを云うております。
人権がけしからんとは何事じゃ!と叱られる前に、虎の威を借りようというのが本エントリーでありまして・・・。
『月刊労委労協』という労働委員会の労働者側委員の人たちの雑誌がありまして、その10月号に、北大の道幸先生が「労働委員会制度を考える~解体か、見直しか~労働委員会制度の行方」という講演を寄せておられます。はじめのマクラは例によって労働教育の話ですが、本題に入ってすぐに、
>組合がなぜ弱体化したかはずいぶん研究されてますから、ここではあまり説明することはないです。ただ、あまり議論されてないけど重要な点は何か。法律システム自体で、日本の憲法とか労組法ゆえに組合を弱体化したという側面がある。
>具体的にはどういうことかというと、団結権の人権的把握方法です。人権だからいいんじゃないかと思いがちなんですけど、実は団結権をどうとらえるかという議論は、憲法ができたときも、組合法ができたときも、本格的な議論はほとんどされていない。・・・
>では、団結権の人権的把握はどこが問題だったかというと、団結とか労働委員会の在り方を議論する場合に、権利である、人権であるということで、政策的な議論は本格的にはなされなかった。その最たるものはいわゆる併存組合問題です。・・・
>労働者間で対立がある場合は、組合員相互間で利害を調整するよりも分裂しがちでした。組合である限り平等な団交権があるということで、利害対立を調整する文化というのは出てこないわけです。
>つまり、嫌な人とは一緒にやらないという文化が出てきました。政治結社的な発想と労働組合運動というのは違ったものです。政治結社というのは、イデオロギーとか意見の一致で結集するものですけれども、組合というのは、意見の一致よりも利害の一致によります。つまり、本来共通の使用者の下で共通の利害があるということで、見解の対立をどううまく調整するかという理念とかテクニックというのはうまく形成・機能していなかったのです。それには、人権的な把握がいろんな形で影響を及ぼしています。人権ととらえたことの大きなメリットもありますけれども、デメリットもあるのではないか。特に、人権としての団交権が組合分裂を助長した点は否定できないと思います。
現代日本で集団的労使関係法の第一人者である道幸先生の言葉は重いと思いますよ。
このあといろんなトピックについて語っておられますが、最後のところ「抜本的な見直し」で云われていることが、実に重要です。こういう問題意識を持っている関係者がほとんどいないと云うことが実は最大の問題なんですが・・・。
>従業員代表制がこれから問題になると思いますけど、それに関連して労働組合が職場代表機能をどのように果たすかが重要です。非組合員も含んだ代表制をどう考えるか、非組合も含んだ組合民主主義という視点です。
>それからもう一つ重要なのは、組合以外の個人の集団志向的な行為も不当労働行為の保護対象にするか。これはアメリカ法で今大きな問題になっています。例えば苦情処理です。個人の苦情でも背景に集団的な意味がある場合が多いですから、その苦情を理由に解雇しますと、集団的行為を理由とする解雇と見なされる。組合ではありませんけど、何らかの形で保護する発想も必要になる。
60年間変わっていない法律にしがみついていればいいという時代では疾うになくなっているのです。
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なるほど。
「社会全体への労働教育?」でコメントさせていただいたときに消化不良気味だったものが、やっと見えたような気がします。
> 政治結社的な発想と労働組合運動というのは違ったものです。政治結社というのは、イデオロギーとか意見の一致で結集するものですけれども、組合というのは、意見の一致よりも利害の一致によります。
この不況下でにわかに脚光を浴びている労働組合のビジネスモデルを間近で見てきた者としては、労働委員会が「組合というのは、意見の一致よりも利害の一致によります」と正面切っていえたらどれだけ救われた方がいただろうと思わずにいられません。不当労働行為制度が併存組合を等しく保護してしまったことが、労労問題の対立や労使関係の根幹にイデオロギーが入り込む余地を与えてしまったようにも思われます。
この辺の印象が私のコメントではうまくまとめられませんでしたが、「団結権の人権的把握」という言葉でピンと来ました。本屋で道幸先生の『15歳のワークルール』をチラ見したら不当労働行為とか労働争議という言葉が一切出てこなかったので正直ショックでしたが、やはり道幸先生は集団的労使関係の第一人者なのですね。
投稿: マシナリ | 2008年12月11日 (木) 00時49分