リアリズムは穏健さ、均整の感覚、限界の認識という姿を取る
雪齋こと櫻田淳氏のブログに、とても心に響く一節が引用されていたので、ここにも引きます。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3370-1.html
>コンドンの著作の中に印象深い記述があった。
「ケナンにとっては、リアリズムとは、穏健さ、均整の感覚、限界の認識という姿を取るものであった」。
ここでいう「均整の感覚」(SENSE OF PROPORTION)というのは、ただ単に「二つの間で平衡を保つ」というものとは比べるべくもない複雑さを受け容れることを求めている。様々なファクターの中で、どれか一つや二つの価値を過剰に重んじないということが、具体的な姿勢である。
もちろん、元の文脈は外交安全保障に関わるものですし、雪齋氏のエントリーもその文脈で引用しているのですが、私は様々な社会問題、とりわけ労働をめぐる問題もまさにこの「穏健さ、均整の感覚、限界の認識」に基づく「リアリズム」が求められる領域なんだよな、という風に思うわけです。
そのアナロジーを頭に置いてこのエントリーを読むと、いろいろと考えさせるものがあります。
« リストラ予防で助成金拡充へ | トップページ | 泰進交通事件の評釈 »
コメント