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2008年10月31日 (金)

法律時報11月号

04098 法律時報の11月号が「新たな労働者保護のかたち」を特集しています。

http://www.nippyo.co.jp/magazine/4098.html

特集の中身は:

>「雇用破壊」がすすみ、「ワーキングプア」や「格差社会」が深刻な問題となっている今日、労働法学は時代に即した労働者保護の形を打ち出すことができるのだろうか。経済学、社会学、憲法学、民法学など広い視点から検討するとともに、制定された「労働契約法」の可能性を徹底的に議論する。

ということで、実際、労働法学者の論文は和田先生のものだけで、あとは労働経済学者2名、憲法学、民法学各1名です。その後に、菅野・土田・根本の3巨頭に労使法曹から井上・木下という豪華メンバーによる労働契約法をめぐる対談が載っています。

雇用形態の多様化と労働法政策 和田 肇
経済学から見た雇用形態の多様化の現状と課題 樋口美雄
格差問題に取り組むために必要なこと 玄田有史
労働者保護と憲法27条 葛西まゆこ
労働契約と人格的価値――労働契約法に寄せて 吉田克己
《座談会》
労働契約法制定の意義 菅野和夫・土田道夫・根本 到・井上幸夫・木下潮音・小畑史子

このうち、注目は玄田先生の論文、ご自身の玄田ラジオで既にご紹介されていますが、

http://www.genda-radio.com/2008/10/post_400.html

>2007年春のことだ。K先生からメールをいただいた。日本を代表する経済学者のK先生は、私の師匠だった石川経夫が学部生のときにゼミに参加していた先生である。その議論の切れ味の鋭さから「カミソリのK」という異名をとり、論敵や一部の政策関係者からおそれられてきたK先生。私自身これまで特別なお付き合いもなかったが、K先生からの突然のお便りにちょっと身震いした。
 拝読すると、最近の格差に関する論議に違和感がおありだという。メールには、その理由が語られた数ページに及ぶファイルが添付されていた・・・(本文より)

>実は1990年代の前半まで格差問題について考えたり論文を書いたりしていた。それが90年代末から格差論ブームが起こった頃から、あまのじゃくか、へそまがりか、わからないけれど、格差について真正面から書いたりするのを、ちょっとやめていたフシがある。格差論議に違和感があったのは、実はK先生(バレバレか)だけでなく、自分だったのだ。

 それを、今回、労働法学者の小畑史子先生から、実に心のこもった丁寧なご依頼をいただき、思い切ってこれまで感じていたことを書いてみた。

というものです。

(余計な一言を日本評論社さんに。玄田先生はあくまでも幅広い活動をされる労働経済学者であって、「社会学者」ではなかったはずですが・・・)

いくつか重要なところを引いておきますと、

>重要なのは、真の格差は、労働市場の法律や行政による規制によるのではなく、企業が自ら選択した結果として生じていることである。真の格差の解消には、高賃金を払うのとは別の手段によって、雇用者のやる気と能力を引き出し、その内容を労使で同意するメカニズムを個別の職場で構築することこそ、唯一の方策なのである。

>本来、日本の労使慣行は、能力評価の問題に真正面から取り組んできた歴史を持つ。・・・・・・職場における能力評価に関する議論の仕方に、40年前と現在で、それほど新しい展開がなされていないようにすら見えるのはなぜだろうか。・・・・・・バブル経済崩壊後の不況対策として「成果主義」「雇用ポートフォリオ」「即戦力」などが理論のみならず実践的な合意を欠いたまま流行した。そのアドホックな過程こそ、能力と報酬の関係についての冷静な議論を失わせ、処遇の差についての混乱や不安を助長させる原因となったのである。

実は、改めて日経連の『能力主義管理』をじっくり読み返すべきだと思っていたところです。

あと、特集とは別ですが、

憲法理論の再創造(5)
人権論㈽・生存権論の理論的課題――自己決定・社会的包摂・潜在能力 西原博史

が興味深い論点を示していました。

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コメント

 ご無沙汰です。日経連の「能力主義管理」は復刻版がでていますが、残念なことに座談会が含まれていません。是非、原本で座談会を読まれることをおすすめします。
 「能力主義管理」は、職能資格制度を能力的資格制度(全社一本の資格制度)と職能的資格制度(職能別の資格制度)にわけて議論しており、後者の導入を提案していました。この点の理解はあまりないですね。しかしその後、実際に導入されたのは能力的資格制度でした。この点が、人事制度の運用に問題をもたらしたわけです。また、当時の人事担当者は、「アメリカのホワイトカラーは仕事給」などと、馬鹿な議論をしていないこともわかります。 座談会の日付を削除して、管理職研修の教材として使うと、最近のものと勘違いする方が多いです。
 こうした点は、 「1960年代、日経連はすでに今日的な人事制度を提案していた」『エコノミスト』(2004年2月9日、臨時増刊)を昔書きました。ご参考まで。

これは、佐藤先生、こんな場末のブログにわざわざおいで頂き、恐縮の限りです。いつも乱暴なことばかり書いておりますが、お許しのほどをお願いいたします。

さて、私が手元に置いているのは復刻版なのですが、やはり原本を読むべきなのですね。
復刻版で読んでも、その後の能力主義の出発点になったはずのこの本が、意外にもかなり(職務に対応したその遂行能力という意味での)職能主義的な傾向が強いことが印象的です。
先生の論文は図書館で見てみたいと思います。

『能力主義管理』は、職能主義ですが、職務ベースの職能主義です。生活給でも職務給でもない第3の道を目指したものです。

労働市場改革専門調査会では、たぶん、.私が唯一の職能主義でした。

そうですね。確かに、現在の労働市場を巡る込み入った問題点をざっくり解決しようと考えると、職務主義というのは論理的には魅力的な選択肢であることは確かです。八代研の方々にしても、『世界』誌の提言の方々にしても、それゆえに似た処方箋になるのだろうと思います。
それに踏み切れない根拠は何かと考えると、突き詰めると、職能主義が持っている職場における能力開発向上への(労使双方の)インセンティブを、どこのどういうメカニズムが代わって担ってくれるのか、という点に集約されるように思います。
去年私が『世界』誌に労働ビッグバンについて書いたとき、最後のところでそのあたりに触れたのですが、あまり反応はありませんでした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbang.html

> どこのどういうメカニズムが代わって担ってくれるのか

ジョブカードくらいでは…

ところで、能力の「開発」と能力の「シグナリング」は
それぞれ区別して考えるのが通例なのでしょうか?
シグナリングと区別された開発には外部性はそれ程
大きくないのに対して、シグナリングの方に強く外部
性が働く気がするのもので。

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