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左翼は社会に無関心だった

今まで本ブログで何回も取り上げてきた「リベサヨ」問題を、「世に倦む日々」という真正左翼系ブログが取り上げています。言ってることはおおむね同感なので、引用しておきます。

http://critic5.exblog.jp/9698003/#9698003_1

>10年前、現実の経済危機に対する感性と認識において、右側の方が状況を鋭く受け止め、問題の捕捉が正確であり、対応策においても社会科学的な説得力が旺盛だった。左側には危機に対して社会科学的に対応する論壇がなく、それを期待されたアカデミーは、米国資本による日本侵略にも無頓着で不感症であり、全く関心を払っていなかった。左側(岩波系)のアカデミーは何をしていたかと言うと、脱構築主義の神への奉仕に夢中であり、毎日毎日、「反近代」と「反国民」の経文を唱え、近代主義と国民主義を撲滅するために、死んだばかりの大塚久雄と丸山真男に唾を吐き石を投げていた。彼らの関心は一にも二にも脱構築であり、アカデミーを脱構築教の神殿にして浄めることであり、「近代知の解体脱構築」のために血道を上げ、だから、米国資本による侵略や新自由主義の跳梁には何の痛痒も感じることはなかったのだ。ジェンダーとマイノリティと言っていれば、それで日本社会の問題は全てかたづいた。国民大衆が左側のアカデミーの言論能力を疑い、左側の社会科学の説得力を疑ったのは無理もない。左側は経済や国民の生活に関心が無かった。山之内靖、酒井直樹、子安宣邦、姜尚中、上野千鶴子、小熊英二。

左側(岩波アカデミー)の脱構築言説は、単に思想オタクが趣味で遊興するための薀蓄玩具となり、現実の社会問題や経済問題に対応する有効な社会科学の実質と性格を失い、そのため、一般大衆は現実問題に向き合ってメッセージを届ける右側の説得力に包摂された。これが石原都政と小泉改革を媒介した日本の思想的真実である。左翼は社会に無関心だった。「保守のマジョリティ」は10年前に出来上がっている。戦後教育をそれなりに受け、戦後の教育課程の社会科を小中高校で受けてきた者たちが、なぜこれほど右傾化し、新自由主義を支持し、石原都政や小泉改革の靖国参拝や社会保障削減を熱狂的に支持する日本人になったのか。10年前、右翼の方が現実に対して社会科学的に対応し、大衆に向かって有効な情報発信をしていたからだ。「構造改革」という言葉が、本来は左側の言語であるにもかかわらず、それを右側に奪われて、新自由主義のシンボルに置き換えられてしまった問題についても、こうした点に真相があるように思われてならない。石原慎太郎と小泉純一郎はラディカルな社会変革の指導者として自己を演出したのであり、共産党や社民党が旧態依然たる顔と看板とメッセージで組織の保身に汲々としていたコンサバティズムとは対照的だった。

10年経ち、舞台は一回りして、新自由主義は経済的にも思想的にも没落しようとしているが、アカデミーが現実問題や国民生活に関心を失った状態は現在でも続いている。また、
左側の脱構築の思想、すなわち近代主義否定と国民主義否定の言説が、戦後日本の達成であった終身雇用の日本型経営システムや国民国家による社会福祉制度を否定する論理的根拠を与え、戦後日本的な公共社会システム一切を否定する気分と思想的正当性を与えたことも忘れてはいけない。「総力戦体制の否定」という目標の下に、左の脱構築主義と右の新自由主義は見事に癒着し、左右共闘の連携作戦で、戦後日本のシステムを解体すべく襲いかかったのである。脱構築アカデミーの罪は本当に大きい。

個々の固有名詞への個別評価についてはいろいろあるとして、全体的な評価としてはおおむねそんなところでしょう。赤木智弘氏が何に対していらだちを覚えていたのかが、明確に析出されています。

(追記)念のため、上記引用部分、とりわけ赤字強調部分についてはまったく「異議なしっ!」なのですが、他の部分や、当該ブログの他の記事等については、いささか党派性が強く感じられます。それらの部分についてまで私が同意しているという趣旨ではありません。

参考までに、本ブログにおけるリベサヨ論はおおむね以下の通り。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_dbb1.html(日本における新自由主義改革への合意調達)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_331d.html(新左翼)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

も一つついでに、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html(知の欺瞞は健在)

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コメント

右翼が国民で、左翼が反国民って、単に「一つの定義」を述べただけのような…

左翼が反近代だったというのは疑問で、むしろ逆の面も強いように思う。というか、いずれにせよ「近代に拘っていた」。それが、反近代だったか、というとかなり怪しい

投稿: うーん。 | 2008年10月23日 (木) 04時12分

「左翼は社会に無関心だった」というのは、まことに
そうだったと思います。自称「北の早稲田大学」と呼ばれる
大学の経済学学徒でしたが、97年拓銀倒産以来長引く
北海道経済の疲弊に対して「公共投資を絞れば復活
すると」と「北海道経済論」担当教官をはじめマル経の方々が
共感が口をそろえていって居たことは今でも覚えてます。
当時も今も景気変動の波にさらされやすい底辺労働者で
すが、経済が疲弊しているときに公共投資を絞れば
どうなるかぐらいの想像力がないのは今も変わらない
ようです。
その辺はマルクス経済学者が財出に消極的なところは
小泉経済政策と非常にだぶります。

私にとってお目にかかった経済学者が社会から背を向けて生活を
なしているのはどうにも「不経済」としか思えませんでした。


投稿: TANE1978 | 2008年10月23日 (木) 06時45分

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