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2008年10月27日 (月)

「株主様第一経営」から「社員様第一経営」へ

日経BPオンラインの新連載「新しい「日本型経営」の時代がやって来る」で、永禮弘之氏がそういうことを言っています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20081020/174525/

ていうか、ほとんど岩井克人氏の言っていることそのまんまなんですが、まあ日経病の治療薬としては手頃かと・・・。

>どうも、日本人は働く意欲を失ってしまっているようです。人事・組織コンサルティングを世界各国で行っているタワーズペリンが2005年に世界各国で実施した調査によると、「働く意欲が低い」と答えた割合は、日本では回答者全体の41%です。これは、調査対象16カ国中、インドに次いで2番目に高い値です。2008年度版の「労働経済白書」では、「仕事のやりがい」や「雇用の安定」に対する労働者の満足度が長期的に下がっていると指摘されています。メンタルヘルスに問題を抱える人も、特に、20代、30代で増えています。

 かつて、日本は「働き蜂の国」として世界で有名でした。ジョークで、「日本人の幸福とは、食事をさっさと終えて再び働き始めた時」と言われるくらいです。しかし、今では多くの人が先の見えない不安と競争に疲れて、すっかり働く意欲を失っています。こんな元気のない社員たちがあふれる日本の職場に、活気は戻ってくるのでしょうか?

ところで、そもそも何が「働き蜂」日本人から働く意欲を奪ったのでしょうか?

 過去を振り返ってみると、日本で金融危機が起こった1997年がターニングポイントでした。金融危機をきっかけに、それまで護送船団に守られていた金融機関でさえ倒産するのを目の当たりにして、「このままでは日本全体がダメになってしまう」という不安が日本を覆いました。

 そこで、日本企業は、それまでの新卒正社員中心、終身雇用、年功序列、企業内組合という独特の雇用・人事慣行を捨て、リストラ(人員削減)、非正社員の増加、成果主義人事制度の導入と、なりふり構わずそれまでの慣行や暗黙の約束を反故にした「平成の徳政令」を敷きました。あたかも社員と企業が運命共同体であるようなこれまでの慣行をやめ、競争原理を唐突に取り入れたのです。

バブル経済崩壊後の日本企業の緊縮財政、成果主義、株主優先の経営によって、早急で付け焼き刃的な対応がなされ、多くの副作用をもたらしました。差別的扱いを受け、正社員の6割という低賃金に甘んじる非正社員が、就労者全体の3分の1を超える水準にまで増えました。一方で、正社員は、人員削減のしわ寄せによる仕事量の増大と成果主義の導入による目先ばかりの社内競争で、心も身体も疲れています。

 かつてチームワークや協調が重んじられた日本の職場は、雇用形態の違いや成果主義による競争で、互いに無関心で、時には足の引っ張り合いをする殺伐とした空間になってしまったのです。

>今起こっている世界規模の金融危機は、これまでの企業経営の考え方も変えるきっかけになるでしょう。アングロサクソン(英米)型の短期利益追求至上主義が限界にきたことが、今回の金融危機の根本原因だと思えるからです。

今回の金融危機は、利益を増やし株主に短期に資金を還元することを優先するアングロサクソン型株主至上主義の企業経営と、実体経済の裏打ちがなくお金がお金を生み出す金融資本主義が限界に達し、引き起こされたと思われます。

>「資金力」を重んじ株主を優先する「株主様第一経営」は、大量生産大量販売のために大規模な設備や人員を必要とし、大量の資金調達が至上命題だった20世紀の産業資本主義の時代には、合理的でした。一方で、人の知恵や技が勝負の知的資本産業では、製造業のように大規模な土地や設備は不要なので、必要な資金も少なくてすみます。

 産業革命以来、製造業中心の産業資本主義の時代には、設備増強が会社や国を豊かにする一番の近道でした。どちらかと言うと、人は人件費という「コスト」としてとらえられ、安い人件費のところで生産することが、当たり前になりました。しかし、21世紀の先進国では、製造業中心の時代から、IT(情報技術)、コンテンツといった知的資本が重んじられる「知的資本主義」の時代になっています。

「知恵や技を持った人」が勝負の知的資本主義の21世紀には、社員の頭脳をフル活用して、新しい価値を生み出す「人材力」が、国や企業の発展のカギです。18世紀にフランス革命が起きた時に、君主制をとっていた他国の人たちは、「愚かな民衆」に政治を委ね、民衆の意思を最優先する民主主義など、うまくいくはずはないと考え、理解に苦しんだことでしょう。

ところが、民主主義はその後世界中に広まり、今では世界最強の国、米国の大統領ですら、直接選挙で選ばれる時代になりました。

 国の政治では民意を第一にするのに、企業経営では、一握りの経営者と株主(君主制時代の地主、貴族といったところでしょうか)にばかり目を向けることが、今後も当たり前であり続けるのでしょうか。これからは、社員を人件費という「コスト」と見なすのではなく、顧客や社会に「バリュー」を生む起点として生かす「社員様第一経営」が主流になるのではないでしょうか。

最後のあたりは、かつて王侯の私有財産としての国家から「国民国家」への転換になぞらえて資本家の私有財産としての会社から「社員会社」への転換という議論もありましたな。

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コメント

正しくは、「企業にとっての従業員」=「国家にとっての公務員」、「企業にとっての役員」=「国家にとっての内閣」、「企業にとっての株主」=「国家にとっての国民(選挙民)」、「企業にとっての顧客」=「国家にとっての国民(サービス利用者)」、ですよね。

「企業にとっての従業員」=「国家にとっての国民」という誤解を持っている人が多い理由(歴史的な経緯?)が個人的には気になります。

公務員様第一経営と同じくらいは、社員様第一経営も正しいと思います。逆に言えば、企業が従業員を大切にするのと同じくらいは、国も公務員を大切にすべきですし、株主がそれを受け入れるくらいには、国民もそれを受け入れるべき、だと思います。

必ずしもそうではないでしょう。それは、国家の国民共同体(戦友の共同体)としての性格を抜きにした議論だと思われます。
福祉国家なるものがどういう経緯でできてきたかというあたりをご覧いただくといいと思いますよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html
(冷たい福祉国家)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b0dc.html
(戦友の共同体)

国家を、国民という名の株主の配当請求権の束に過ぎないと見るのは、モデリングとしてはあり得ますが、歴史的にはまったく現実に即していません。

ちなみに、会社自体についても、原初的形態においては労務出資と金銭出資は原理的には対等に存在し得ます。詳しくは、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shain.html
(「社員」考 )

hamachan先生、ご返答ありがとうございます。

上のコメントでは4つの対応関係をはっきりするために単純化していたこともあって、ご指摘の通り、国家の国民共同体(戦友の共同体)としての性格が抜けていたと思います。

ただ、上の要旨は、『対応関係として、「企業にとっての従業員」=「国家にとっての国民」というのはおかしいのでは?』ということでして、労務出資と金銭出資が原理的には対等だというのもご指摘の通りかと思いますが、現代日本の労働契約の大部分においては、やはり「従業員」と対応しているのは「公務員」なのではないでしょうか?

「労務出資」が規制されちゃってる訳で。
そこんとことの「規制緩和」はどうなの。

>労働法の先生

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» 「従業員」=「国民」という迷信 [微妙に日刊?田中大介]
日経BPのこの記事で、「企業にとっての従業員」=「国家にとっての国民」という根本的に間違ったことが書かれていたので、同様の誤解をしている人のためにも、何が間違っているか、昼休みを利用して指摘しておきます。 まず正しく企業と国家のそれぞれの要素の対応を記....... [続きを読む]

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