フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 五十嵐仁『労働再規制-反転の構図を読み解く』 | トップページ | 山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談 »

2008年10月10日 (金)

和田肇『人権保障と労働法』日本評論社

516465 名古屋大学の和田肇先生から、『人権保障と労働法』をお送りいただきました。ありがとうございます。和田先生には、以前JIL雑誌で拙著『労働法政策』に」過分な書評をいただいたこともあり、重ね重ねお礼を申し上げます。

https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=3419

「石流れ木の葉沈む日々に」のような現在の理不尽な雇用破壊に抗するため、憲法の人権保障に照らした労働法の再編を力強く描く。

目次は次の通りです。

第1章 採用の自由論再考

第1節 三菱樹脂事件の事実と判決
第2節 採用の自由と制限法規
第3節 契約の自由vs思想・信条の自由
第4節 労働者の個人情報保護の動き
第5節 企業観・労働関係観について
第6節 まとめ

第2章 憲法14条1項と労働契約の公序

第1節 岡谷鋼機事件地裁判決
第2節 均等法制定以前の判例における公序論
第3節 1990年代以降の裁判例に見る公序論
第4節 再び民法の公序論について
第5節 労働法における公序論
第6節 違法な差別の救済
第7節 まとめ

第3章 労働法における平等と保護

第1節 均等法の制定と改正
第2節 労働時間に関する女性保護規定の改正過程
第3節 1990年代の国際動向
第4節 女性の雇用実態と労働時間規制の撤廃
第5節 女性保護規定撤廃による影響
第6節 憲法学説について
第7節 検討

第4章 雇用形態の多様化と均等処遇

第1節 雇用の多様化の実態
第2節 1993年パート労働法の意義と限界
第3節 均衡処遇から均等処遇へ
第4節 2007年パート労働法改正
第5節 21世紀型雇用モデル
第6節 まとめ

第5章 労務指揮権と労働者の自己決定

第1節 業務命令権に関する判例法理
第2節 判例法理を支えてきた伝統的な労務管理論
第3節 労働者の私的生活重視の流れ
第4節 業務命令と家庭生活の調和の理論
第5節 まとめ

第6章 解雇法理と憲法27条1項

第1節 裁判例における整理解雇法理の見直し論の登場
第2節 整理解雇法理の再整理
第3節 整理解雇法理の規範的意味
第4節 解雇無効の効果
第5節 検討

第7章 労働法の規制緩和と憲法

第1節 憲法学における規制緩和に関する議論
第2節 伝統的モデルの展開(1970年代まで)
第3節 伝統的労働法の変容(1980年代)
第4節 労働法の本格的再編(1990年代以降)
第5節 労働市場・雇用の現状
第6節 労働法改革と憲法的価値
第7節 まとめ

第8章 憲法の人権保障と労働法の再編

第1節 憲法と現行労働法規
第2節 労働法の新たなパラダイムの模索
第3節 労働法の規制原理を求めて
第4節 憲法27条2項と労働保護立法
第5節 憲法27条1項と雇用立法政策
第6節 憲法14条1項と雇用平等法のあり方
第7節 まとめ

各論ももちろん興味深いのですが、やはり7章、8章の総論が注目です。

7章は、最近盛んな「規制緩和と憲法」の議論(ジュリストでも特集がありましたね)を概観するところから始まり、安念氏の「信仰告白」を一蹴した上で、良質な問題提起として平松氏や棟居氏の消費者の自己決定を強調する消費者主権の主張を取り上げて、

>しかし、こうした消費者主権には危険な面が含まれている。つまり、そこでの消費者はあたかも良識的・合理的に判断する市民が想定されているが、多くの市民は専門知識を必ずしも有しているわけではないし、良識的に行動しているわけでもない・・・。

と、この辺はやはり法的人間像の問題ですね。

以下、70年代までに形成された「伝統的モデル」の内容を分析し、80年代におけるその変容、90年代以降の再編と記述していきますが、231頁から「労働立法プロセスの特徴」として興味深い叙述があります。まず最初に、

>この間の立法政策について注目されるのは、1980年代から1990年代前半までは当時の通産省を中心とした、そして1990年代後半からは内閣府を中心とした政治主導のプロセスである。

これは、和田先生、少なくとも前半はまったく違いますよ。その頃、労働省内でまさに法政策に携わっていた私が言うのですから間違いはありません。通産省が労働立法を主導していたことなんかまったくありませんから。

中小企業が困るからといって時短に反対してじゃましていたかと思ったら、いつの間にか世間の風向きを見てある日、日経新聞の1面トップに、通産省主導で時短法を制定するとか下手なリーク記事が載ったりするとか、土俵の外で騒がしかったのは確かですが、意思決定プロセスに関与していたわけではありませんから。

後半は、かなり正しいのですが、若干修正が必要です。内閣府は2001年にできていまして、90年代後半にはまだ存在しません。それはまあ形式論ですが、21世紀になってからのまさに内閣府主導体制からかえりみると、90年代後半はたしかに規制改革会議が土俵設定してそれが閣議決定してから労働省に降りてくるというやり方が裁量制や派遣労働などに現れてくる時期ですが、まだシステムとして全面化していたわけではないと、私は認識しています。ただ、21世紀以降は確かにそうですね。

最後の方で、例の規制改革会議の「脱力」的第二次答申に対する厚生労働省の反論を取り上げて、

>この間の政治プロセスを見ていると、厚労省見解のように物事が進むかは予断できないが、この間規制緩和政策に協力してきた厚労省が労働法の基本原則を再確認していることは注目に値する。

いやそれは、労働法の基本原則は片時も忘れていないわけで。ただ、それこそリベラルな政治学者や政治評論家の皆様のおっしゃるように、国民の圧倒的な支持のもとに政治主導でカイカクをおしすすめようとしているところに、諸悪の根源の官僚ごときが下手に逆らったらどういうことになるかということでありまして。

これは、昨日紹介した五十嵐さんの本についてもいえることですが、民主主義が進めば進むほど、マスコミに代表される「国民の声」というものの政治過程に対するパワーはきわめて大きなものになります。90年代以降の労働法の収縮現象が、そういう国民的な「改革志向」が一方に加勢する形で進んだという事実を捨象して、単なる経営側やネオリベ学者との力関係だけでとらえると、いささか違うのではないか、と。

« 五十嵐仁『労働再規制-反転の構図を読み解く』 | トップページ | 山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 和田肇『人権保障と労働法』日本評論社:

« 五十嵐仁『労働再規制-反転の構図を読み解く』 | トップページ | 山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談 »