貧困の現場
ここのところ、ジャーナリストによる優れた社会派ルポが立て続けに出されています。今回は毎日新聞の東海林智さんから、『貧困の現場』を贈呈いただきました。ありがとうございます。
http://mainichi.jp/enta/book/mainichi_hon/news/20080901org00m040042000c.html
帯に曰く、
>悲しみと怒りを込めて告発する
なぜ貧困は拡大してゆくのか?なぜ労働の尊厳は奪われたのか?なぜ人間らしい生活が蹂躙されているのか?
10年にわたって貧困の現場を伝えてきた新聞記者が、丹念な取材と緻密な分析、そしてこみ上げる思いによって書き上げた入魂のルポルタージュ。
内容は次の通りです
貧困の現場から、悲しみと怒りを込めて―序にかえて
自分の境遇は自分だけのせいではない―貧困に陥った派遣労働者が労働組合と出会うまで
酷使され、命まで削られて―「名ばかり店長」の過酷な労働現場
不当解雇と闘う母子―仕事をすることの誇りを取り戻すために
過労うつ労災―不安定な雇用、そして際限のない労働
定時制の就職事情―改革路線が、学びながら働く生徒の夢を押しつぶす
水際作戦の実態―生活保護申請を締め出す自治体窓口
仕事に殺される―過労死・過労自殺の現場から
ある日系三世ブラジル人の死―外国人労働者が強いられる、現代の奴隷労働
反貧困運動―貧困の広がりを見据え、その根を告発する
秋葉原事件と派遣労働者の現実―自殺か他殺か、にまで追いつめられて
座談会 反貧困のための社会的連帯―河添誠×ダヴィド=アントアヌ・マリナス×東海林智
いずれも、ジャーナリズムがきちんとまなざしを投げかけるべきところにしっかりと届いたすばらしいルポといえましょう。東海林さん(ちなみにショージさんではなく、とうかいりんさんです)の文章は、時としてやや感情が高ぶったところがあり、いささか危なっかしさを感じさせるところもあるのですが、それもまさに「こみ上げる思い」のなせるわざなのでしょう。
とだけ言ったのでは何のことかと思われるでしょうから、一つだけ。例の奥谷禮子氏が労働政策審議会で連合の長谷川裕子さんと大激論を展開したとき、東海林さんはその場にいたのですが・・・、
>私は、審議会を傍聴していたが、この発言を聞き、思わず立ち上がりそうになった。見返すと、取材メモの文字は怒りに震えている。満員の傍聴席のあちこちから「ひどい」「むちゃくちゃだ」という小さな声が上がっていた。・・・しかし、この発言だけは許せない。経営者のモラルはここまで落ちたのだろうか。彼女の発言には人を雇っているものの責任が欠片もない。・・・
こういう場面では、あえて冷静に事実そのものの迫力で奥谷氏の本質をえぐり出すべきで、ジャーナリスト自身が興奮してはいけないんじゃないか、という考えもあるでしょう。私はジャーナリズムのあるべき論を論ずる立場ではないので、ここでは結論を出さないでおきます。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_bcac.html(奥谷禮子氏の愉快な発言)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_1a6b.html(奥谷禮子氏の愉快な発言実録版)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e152.html(雇用融解または奥谷禮子氏インタビュー完全再現版)
ついでにおまけとして
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_9e51.html(入試問題になったようです)
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