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2008年9月

2008年9月30日 (火)

地方分権の教育的帰結

ベネッセの教育情報サイトから、

http://benesse.jp/blog/20080929/p2.html

>文部科学省は2009(平成21)年度予算案の概算要求の中で、教材費の補助金を新たに創設するよう求めました。地方で教育予算の削減が続いていることを考慮したものです。地方分権や規制緩和により、使い道が限定される国の「補助金」から、自治体が自由に使える「地方交付税」へ、という流れが進められるなか、あえて逆行するような方針を打ち出した同省の対応は、一石を投じそうです。

またも、悔い改めない悪しき中央集権主義の霞ヶ関官僚どもが崇高な地方分権を踏みにじろうという悪逆非道か、とリベラルな皆様はついお考えかと存じますが、もう少し先までお読みください。

>国から地方自治体に来る予算には、補助金と地方交付税の二つがあり、近年では公立学校の先生の給与負担割合など、教育関係でも地方交付税の割合が増加しています。ただ、交付を受ける側の地方自治体では、財政難を理由に、計算上は教育予算として措置された交付税を「教育以外の分野に使っている」と指摘する声が、教育関係者などの間で強まっています。たとえば学校の図書購入費が多くの地方自治体でほかの予算に回ってしまっていることは、以前、本欄でも取り上げました。

>文科省の「地方教育費調査」の結果によると、地方の教育予算は10年連続で減少しています。分野別に見ると、学校教育費は5年連続減、社会教育費は10年連続減で特に減少幅が大きくなっています。地方教育費の減少は、少子化による児童・生徒数の減少も関係していますが、最近では子どもの減少幅以上に教育費が削減されており、地方自治体が財政難を理由に教育費を削っていることが大きな原因となっています。

崇高なる地方分権を実際に行使する側にとっては、子供の教育なんぞは二の次のようです。

>もちろん地方自治体が、十分に議論を尽くしたうえで、教育以外の分野に予算を掛けるという決断をすることが、一概に間違っているとは言えません。しかし、図書費や教材費など、一般にはあまり見えない分野の教育予算がどんどん削られているのも事実です。
教育に関する国の補助金は、地方の自由を縛るものなのか、それとも学校現場の条件整備に必要なものなのか。もう一度、教育予算の在り方を考える必要があるのではないでしょうか。

考える必要があるのは、もちろん、教育費の問題だけではありません。

福田前総理が消費者保護行政の拡充を取り上げたとき、かつては地方レベルでも活発に活動していた消費者行政サービスが地方分権のおかげで片っ端から縮小の憂き目にあっていたことが明らかになったことはまだ耳新しいところです。

(参考)日弁連「地方消費者行政の抜本的拡充を求める意見書」

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/080619_4.pdf

>ところが,地方消費者行政予算の推移を見ると,ピーク時の1995年度(平成7年度)が約200億円(都道府県・市町村合計)であったものが,1998年度(平成10年度)には163億円,2002年度(平成14年度)には144億円,2006年度(平成18年度)には116億円と大幅に減少している。つまり,2006年度の予算は1995年度に比べ約58%であり,約42%の減少である。
地方自治体の財政難が指摘されているが,一般会計予算は,ピーク時の2001年度(平成13年度)が89兆3071億円であったものが,2007年度(平成19年度)には83兆1261億円と,約93%に減少しているにとどまる(約7%の減少)。つまり,地方自治体の財政難に伴う予算減少幅に比べ,消費者行政予算の減少幅が異常に大きいことが分かる。

現在の地方政治の構造のもとで崇高な地方分権を推し進めると、どういう分野が真っ先に縮小廃止の憂き目をみるかは、物事の見える方々にはあまりにも明白ではないかと思われます。

(追記)

島根県という地方中の地方から地方分権への懐疑の声が上がっているので、参考までに引用します。9月22日の山陰中央新報から:

http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=506432035

>地方財政論を研究し、講義も担当している私が、最近つとに「地方分権」への懐疑を感じることが多い。島根県に赴任して四年目、県内自治体職員や住民の方々からじっくりと話をうかがう機会が増え、ますます強く感じるようになった。

 現在のように「地方分権」が魔法の言葉となり、誰も異論を唱えることができない時代があった。軍国主義的中央集権体制が変革され、新しい地方制度が導入された戦後直後の時代である。この時代、「地方分権」を強く批判した論者がいた。京都大学で活躍した島恭彦である。

>ここで島は、国として「中央集権」的な補助金や交付金といった教育費に対する十分な財政措置を行わず、教育費負担を地方自治体・地方住民に押し付ける「地方分権」理念を激しく批判したのである。五十年以上たった現在、この時代同様に、「地方分権」理念の打ち出し方を批判しなくてはならないように思われる。

>この夏、県内で全国の学校事務職員が集う研修会があり、そこで私が耳にした「学校の中の貧困」の現実は、戦後直後の再現のように感じられた。この研修会で報告されたのは、毎月の学級・教材費の捻出(ねんしゅつ)や修学旅行のための積み立てもままならない家庭環境のなかで苦しむ子どもたちの姿である。自治体から小・中学校への財政支出削減のあおりで「義務教育の無償化」が空洞化され、家庭へ負担が転嫁されつつあった。また、県内のある市の予算担当者は「学校施設の耐震化工事は、補助率がかさ上げされたとはいえ調査だけで多大な費用がかかり、実施に二の足を踏んでいる」とため息をついていた。

 こうした教育費の削減と家庭への負担転嫁の背景には何があるのか。いうまでもなく三位一体改革をはじめとした「地方分権改革」である。三位一体改革で地方交付税交付金や国庫補助金は九兆五千億円のマイナスとなる一方で、地方税の委譲は三兆円に止まり、結果、地方は全体で六兆五千億円のマイナスを被ることとなった。

 中央省庁の支配から逃れ、地方独自の裁量が広がる、これが「地方分権」改革の掛け声ではなかったか。しかし、現実に地方自治体が手にしたものは何であったか。ある自治体の財政担当者は「
私たちが分権改革によって得たのは、教育や福祉への歳出を削るという”裁量”だった」と述べている。義務教育国庫負担金といったこれまでは削減できないとされてきた経費が、「地方分権」改革の結果「地方の裁量」で削減可能になったのである。こうして三位一体改革によるマイナス六兆五千億円があいまって、教育や福祉の歳出削減が生じたのである。

日本教職員組合の憲法的基礎

世間は中山発言で騒いでいるようですが、私は、これに対する日教組の声明に唖然としました。

http://www.jtu-net.or.jp/viewnews2/1/08/09/29n1.html

>中山前国土交通大臣は、「失言3連発」で批判を浴びたにも関わらず、問題発言に対する謝罪をするどころか、「日教組をぶっ壊す」「日本の教育のガン」など、日教組に対する暴言を繰り返した。憲法で保障された「集会・結社・表現の自由」に抵触し、日教組に対する誤った偏見に基づく誹謗・中傷発言は、断じて容認できない

私は、日本教職員組合とは、学校教育に従事する教育労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織した団体であって、その憲法上の根拠は

第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

にあるとばかり思ってきたのですが、そうではないのでしょうか。

会社の営繕部長が自分の所管ではないとはいえ、研修部の職員の組合を解体するとかぶっ壊すとかいえば、当然不当労働行為になるはずですが、そういう話ではないのでしょうか(公務員には労働組合法は適用されませんが、ものの考え方は同じはずです)。

もし、日本教職員組合の憲法上の基礎が

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

なのだと自ら考えているのだとすれば、

確かに「主として政治運動又は社会運動を目的とするもの」は労働組合ではありませんから、政治結社同士の泥仕合ということになってしまいますね。

そういうのはよろしくないのではないかと思いますが。

(追記)

あれあれ、連合まで「結社の自由」ですか。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/kenkai/2008/20080930_1222757471.html

>「集会・結社・表現の自由」にまで抵触する誹謗中傷を繰り返した。

>憲法が保障する「結社の自由」を公然と否定し、

日本の労働者を代表する組織がこんな認識ではどうしましょう。

と思って、さらに読んでいくと、

>連合は、合法的に存在している労働組合を現職閣僚が否定し、解体する等の発言と行為を断じて容認しない。

労働組合のナショナルセンターなんだから、そこをこそ強調しなければいけません。そこらの政治結社が連合に入っているわけではないんですから。

2008年9月28日 (日)

過剰就業(オーバー・エンプロイメント)―非自発的な働きすぎ

経済産業研究所のHPに、山口一男氏の「過剰就業(オーバー・エンプロイメント)―非自発的な働きすぎの構造、要因と対策」という論文が載っています。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/08j051.pdf

>本稿はオーバー・エンプロイメント(過剰就業)とアンダー・エンプロイメントの双方を含む就業時間のミスマッチについて、わが国に過剰就業が広範に存在していることをまず示した後、過剰就業の2要素である非自発的フルタイム就業と非自発的超過勤務についてその構造と要因を明らかにする。男性正規雇用者の過剰就業が単に就業時間の多さの問題ではなく「見返り的滅私奉公」とも言える働き方の問題でもあること。時間について柔軟な職場が非自発的超過勤務を大きく軽減させること。また、管理・研究技術職や大卒者に非自発的超過勤務が蔓延していることや、通勤時間の多さが非自発的フルタイム就業を増やす一方、自分の親との同居は反対にそれを減らすこと、などを示す。また男女の過剰就業のあり方の違いや、特に6歳未満の子を持つ場合に企業の性別による対応の違いにより男女の状況に大きな違いが生まれること、を示す。最後に今後のわが国における過剰就業の緩和への道筋について議論する。

大変興味深い論文です。

特に、

>臨時・パートには、常勤と比べ、残業をしたくないものには残業をさせず、したいものにはさせる傾向があるとすれば、その逆に企業は常勤に対しては、相対的にそういうことを許さず、企業の都合で就業時間を決める傾向が強いこと、が臨時・パートと比べた常勤の過剰就業傾向の残りの半分強を説明するのである。これは正規雇用の「裏の特性」が長時間勤務と見返り的滅私奉公であることを意味する。・・・これが「見返り」であるのは、同種の仕事をしている非正規雇用者に比べ、高賃金と雇用保障を与える見返りとして、「滅私奉公」的働き方が要求されていると考えられるからである。

長時間就業に加え、この「見返り的滅私奉公」の慣習こそが、我が国の男性および総合職女性のワーク・ライフ・バランスをきわめて困難にしている元凶といえよう。

>男性に比べ女性の希望に企業が応じやすいのは、高賃金と「見返り的滅私奉公」的働き方がここでもトレードオフになっており、女性は男性より柔軟に働ける分、賃金を抑えられているという事実である。

女性には「幼児がいるのだから早く家に帰りなさい」、男性には「子どもができたのだから、ますますがんばって働くべきだ」といっている上司の声が聞こえてくるようである。こうして、企業のジェンダー化した対応は、6歳未満の子どものいる家庭で、最も大きな過剰就業の男女差を生み出す。

のあたりは、まさに職場の実態感覚をとらえているように思われます。

最後の政策へのインプリケーションの部分は、いろいろな意見があるところでしょう。

>EUのような超過勤務を含めて週48時間を超えないという基準は、我が国では未だ合意を得るにはハードルが高すぎるであろう。しかし企業の自主努力で過労死を生むような過剰残業の慣習が払拭できないならば、最大週60時間をもって労働時間規制の基準とすることは十分考えられてよい。

ここでは特にコメントはしないでおきます。

新たなソーシャルヨーロッパ

昨日送られてきた『生活経済政策』10月号の巻末の「覚え書きグローバル社会民主主義運動&労働運動」に、欧州社会党の「新しい社会的欧州」が1ページほど取り上げられています。

これは一昨年末にまとめられたものですから、2年近くたってようやくごく簡単な紹介がされたことになりますね。

本ブログでは、その策定段階から何回か紹介してきていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_9f82.html(欧州社会党の「新たなソーシャルヨーロッパ」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/10_7fc9.html(欧州社会党の10原則)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_5ecf.html(欧州社会党「新ソーシャルヨーロッパ」報告)

実は、本ブログと交流の深い平家さんの「労働・社会問題」で、この10原則の全訳が公開されています。これは、世の中の多くの人にもっと知られていい内容だと思われますので、リンクを張っておきます。

是非、下のリンク先に飛んで、じっくりと読んでいただきたいと思います。これが、今日のヨーロッパの社会民主主義の考え方なのです。

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_2.html(1 すべてのものの権利と義務-結びつきの本質)

われわれの社会の未来を市場の力の導くままに任せてしまおうという人がいる。

われわれ、ヨーロッパ社会党は、政治的な選択をした。すべてのものの権利と義務、これは近代の福祉社会での結びつきを確かなものにする接着剤だ。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_3.html(2 完全雇用-みんなの未来の基礎)

完全雇用は不可能だという人がいる。

われわれ、ヨーロッパ社会党は、政治的な選択をした。完全雇用、質の高い雇用は実現できる。新たな資源を生み出すために貢献できる全員の潜在的な能力を活用してもっと人を受け入れやすい社会、繁栄した社会を作るには、これを実現するのがもっともいい道だ。近代的な福祉国家なしに完全雇用を実現することはできないし、完全雇用なしに福祉国家を維持することはできない。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_6.html(3 人間への投資-われわれは本道を行く)

高等教育を受けていない低スキルの人々の惨めな見通しは気にせずに、高いスキルを持った人々の機会に焦点を合わせる必要が、我々にはあるんだという人がいる。

我々、ヨーロッパ社会党は、選択をした。人々の能力向上のための投資し、人々を受け入れるという選択だ。継続的にスキルと職業能力を開発し、仕事の苦しさに堪えるのではなくうまく仕事をする、低賃金で競争するのではなく能力の高さで競争するという正しいやり方の選択だ。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_8.html(4 締め出したりしない社会-誰も置いてけぼりにはしない)

社会の底辺にいる人のためにできることなんか何もないんだと言い立てる人がいる。

我々、ヨーロッパ社会党は、選択をした。ヨーロッパはみんなの社会、物の数に入らない人などいない社会だから強いのだ。しかし、何世紀にも渡って社会政策をとってきたのに、まだ、人生のチャンスと富にあまりも多くの不平等がある。グローバリゼーションと人口やその構成の変化は多くの人に新しいチャンスをもたらすだろう。しかし、市場の力は、積極的な社会政策でバランスをとらなければ、何百万という人を社会の片隅に追いやってしまうだろう。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_9.html(5 誰でも利用できる子育て支援)

子供の世話なんて私的なことで、それ以上のものじゃないと言う人がいる。

我々、ヨーロッパ社会党は、選択をした。ヨーロッパの国は子育て支援を望む人は誰でも支援する方向に向かうべきだ。短期で見ても長期で見ても、質が良くて、けちくさくない、利用しやすい子育て支援はとても役に立つ投資だ。これは子供達にとってもっともいい教育の始まりだし、子供達は生きるために大事な社会的なスキルを身につけることもできる。地域のいい保育園は両親も子供達もコミュニティーの完全なメンバーにできる。そしてコミュニティーを現在も強くする基礎にもなるし、将来の強いコミュニティーの基礎にもなる。しばしば、子育て支援に従事する労働者や他の親とつきあいは非常に貴重な助けになることを、親が知ることがある。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_12.html(6 男女同権)

男女同権は十分進んだし、もうこれ以上のことは必要ないと言い立てる人がいる。

我々、ヨーロッパ社会党は、選択をした。進歩があったとはいえ、男女の不平等はまだ大きく、われわれはこれに取り組まなければならない。差別、仕事への道が十分開かれていないこと、そして不平等な条件のせいで、女性は労働市場で不利な立場にあるグループの最大のものになっている。賃金は男性より低く、まだ家庭ではほとんどの家事を引き受けなければならない。しばしば、子育て支援もなしに。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_13.html(7 社会対話 これなしには何もできない)

労働者の組織の時代は終わったと言う人がいる。

我々、ヨーロッパ社会党は、選択をした。労働は人生と社会の計り知れない価値を持つ部分だから、どのようにしてわれわれの仕事を構成し、われわれが分かち持っている責任を組織するかは、近代社会の基礎だ。・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_15.html(8 多様性と統合をわれわれの強みに)

外国人嫌いと少数派や移民に関連する憎しみから政治的な利益を得ようとするものがいる。

われわれ、ヨーロッパ社会党は、この大会の宣言に述べたように、多様性と寛容を信じる。ヨーロッパの社会はどんな形のものであれ不寛容と憎しみを拒否しなければならない。国籍、民族的な出自、人種、文化的、社会的に形作られた性、性の好み、宗教、これらに関わらず、誰でも尊厳を持って生活し、尊重される権利を持っている。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200702/article_16.html(9 持続可能な社会 気候変動への取り組み)

よい気候とエネルギー政策の必要性を疑う人は殆どいない。しかし、今でもそれは余計な費用だと考えている人が大勢いる。

われわれ、ヨーロッパ社会党は、選択をした。よい気候とエネルギーの必要に取り組む積極的な政策を、新しい賢明な環境に優しい成長戦略の中心に据えなければならない。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200703/article_2.html(10 みんなのために積極的に行動するヨーロッパ)

ヨーロッパは、何も規制がないか、殆ど規制がない単一市場に自らを限定して受け身でいるのがいいと主張する人がいる。

われわれ、ヨーロッパ社会党は、選択をした。EUは新しいソーシャルヨーロッパの本質だ。地域と加盟国が単独で成し遂げられること、それを超えたものをともに達成するのをEUは助けるから。しかし、われわれはEUがもつ可能性を生かし切ったとは言えない。ヨーロッパが協力し、連帯すればみんなの生活にもたらすことができる利益はまだまだ実現されないまま残っている。もし、競争による刺激、協力による強化、連帯による統一をバランスのとれた基礎として、さらに建設していけば、新しいグローバルエコノミーの中で、われわれの新しいソーシャルヨーロッパを着実に実現していける。・・・

http://takamasa.at.webry.info/200703/article_1.html(0 前文)

http://takamasa.at.webry.info/200703/article_3.html(翻訳の感想)

2008年9月26日 (金)

自由放任の終焉 サルコジ版

昨日の続きです。EUobserverから、

http://euobserver.com/9/26814

今度は、フランスのツーロンでの演説で、

>Mr Sarkozy said the financial turmoil had highlighted the need to re-invent capitalism with a strong dose of morality, as well as to put in place a better regulatory system.

資本主義にモラルと規制を

>"The idea of the all-powerful market that must not be constrained by any rules, by any political intervention, was mad. The idea that markets were always right was mad," Mr Sarkozy said.

いかなる規則にも政治的介入にも制約されない万能の市場という観念は狂気だ、市場は常に正しいという観念は狂気だ

>"The present crisis must incite us to refound capitalism on the basis of ethics and work … Self-regulation as a way of solving all problems is finished. Laissez-faire is finished. The all-powerful market that always knows best is finished," he added.

倫理と労働の上に資本主義を再構築しよう、レッセフェールは終わった、全知全能の市場は終わったのだ

>"The market economy is a regulated market ... in the service of all. It is not the law of the jungle; it is not exorbitant profits for a few and sacrifices for all the others

市場経済とはみんなのための規制された市場だ、少数者の異常な利益のために残りのものを犠牲にするジャングルの法則じゃない、

おそらく、フランスに限らず、ヨーロッパ大陸諸国の保守派はおおむねこういう考え方でしょう。

実は日本の保守派も、少し前まではそういう規制資本主義派が多数派であったはずなんですが。

POSSE

Hyoshi01 『POSSE』という雑誌の創刊号をお送りいただきました。「新たなヴィジョンを拓く労働問題総合誌」ということです。

昔は労働問題の雑誌というのは結構たくさんあったものですが、今はずいぶん少なくなってしまいました。特に、JILPTの雑誌とか、労働法の専門誌とかでない、運動系の労働問題雑誌というのはとんと見ません。そういう意味では、こういう取組は大変いいことでしょうね。

http://www.npoposse.jp/magazine/new.html

内容は:

特集1 派遣労働問題の新段階

●座談会「秋葉原事件に見る若者労働とアイデンティティ」
  竹信三恵子(朝日新聞)×後藤和智(『「若者論」を疑え!』著者)×池田一慶(ガテン系連帯)

●「派遣労働の変容と若者の過酷」
  木下武男(昭和女子大学教授・ガテン系連帯)

●「派遣の広がり ―3つの業界から」
  『POSSE』編集部

●「派遣会社の内側から見た派遣労働」
  田中光輔(元派遣会社業務担当者)

●「派遣労働運動のこれから」
  関根秀一郎(派遣ユニオン)

●「釜ヶ崎暴動と日雇い労働」
  生田武志(野宿者ネットワーク)

●「派遣労働ブックガイド10」
  『POSSE』編集部

特集2 マンガに見る若者の労働と貧困

●「『働きマン』と『闇金ウシジマくん』をつなぐもの」
  渋谷望(千葉大学准教授)

●「消費者金融・闇金マンガの背景」
  宇都宮健児(弁護士)

●「労働と貧困の若者マンガ事情」
  『POSSE』編集部

●「権利主張はいかにして可能か」
  道幸哲也(北海道大学教授・NPO職場の権利教育ネットワーク)

●「労働と思想 1 アントニオ・ネグリ」
  入江公康(大学非常勤講師)

ということですが、やはり最初の座談会で、後藤和智さんがこう発言しているのが、個人的には一番共感しました、

>・・・ただ、蓋をあけてみますと、そういう「ポストモダン」の時代が来た、「大きな物語」が終わったというのは、一部の「社会学者」が日本で煽ってきたことで、実際には、近代的な概念、人権とか労働法であるとかの枠組みの意義は、最近の運動が示しているとおり、全く崩壊していないんです。

>・・・それにもかかわらず、近代的な枠組みや社会運動によって自己実現を試みるのは「ヘタレ」だ、という言説によって、労働運動などがリアリティを失ったように思われてきた。逆にそういう煽られた偽称「ポストモダン」によって、個人がまさにむき出しの状態で現実にさらけ出される・・・。

創刊号の特集の派遣労働問題については、本誌に出てきている人々の考え方とは、わたしは必ずしも一致しないところも多いのですが(下記関根秀一郎氏との朝日新聞対談(竹信三恵子司会)やNHK視点・論点など参照)、その中では、元派遣会社業務担当者の田中光輔さんの「派遣会社の内側から見た派遣労働」が興味深いものでした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_93dc.html

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/7872.html

労働教育に力を入れておられる労働法の大御所の道幸先生も登場しています。自著を「かなりおもしろくてためになる」と宣伝しておられます。わたしも来週、某大学のキャリア教育講座で「働く権利と義務」をお話ししますが、道幸先生の『15歳のワークルール』を参考にさせていただきました。

(追記)

ここについでみたいに書くのもなんですが、来週金曜日(10月3日)に、今後の労働関係法制のあり方に関する研究会の第2回目が開かれ、道幸先生も呼ばれてお話しされる予定です。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/s1003-2.html

観光庁の組織財源

10月1日に観光庁が発足するんですが、

http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanko/jta.pdf

そのパンフの中に、

>※観光庁の内部組織と定員は、すべて国土交通省内のスクラップ・アンド・ビルドによります。

あのお、観光庁の組織財源として船員労働委員会が廃止されているんですが。

まあ、確かに、「国土交通省内のスクラップ・アンド・ビルド」には違いありませんが。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/housei/16920080502026.htm

国土交通省設置法等の一部を改正する法律(法律第二十六号(平二〇・五・二))

(労働組合法の一部改正)

第七条 労働組合法(昭和二十四年法律第百七十四号)の一部を次のように改正する。

  第十九条第二項中「、船員中央労働委員会、都道府県労働委員会及び船員地方労働委員会」を「及び都道府県労働委員会」に改める。

http://www.mlit.go.jp/lcs/pdf/haishi.pdf

<船員労働委員会の事務の移管について>

平成20年10月1日から、船員に係る集団的紛争調整事務は、中央労働委員会及び都道府県労働委員会に移管されます。

行政組織の効率化を推進するため、「国土交通省設置法等の一部を改正する法律(平成20年法律第26号)」により、船員労働委員会は平成20年9月30日限りで廃止され、その事務のうち、船員の集団的労使紛争の解決などの事務(不当労働行為事件の審査、労働争議のあっせん、調停、仲裁など)は、平成20年10月1日から、中央労働委員会及び都道府県労働委員会に移管されることになりました。

ガラパゴス異聞

今週の名言

http://v.japan.cnet.com/blog/murakami/2008/09/23/entry_27014834/

>なぁ、日本が独自のことをするとガラパゴスと呼んで、アメリカが独自のことをするとグローバルと言うのはやめないか?

言及されているフィールドはまったく違いますが、労働・社会問題でもまったく同じこと。要は、環境への適応能力が高いのはどちらか、ということなわけで。

欧州議会の貧困対策報告

先週、欧州議会の雇用・社会問題委員会が「EUにおける社会的統合の促進と子供の貧困を含む貧困対策に関する報告」を採択しました。

http://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2004_2009/documents/pr/712/712471/712471en.pdf

リンク先は、提出時の報告案ですが、この形で採択されています。

はじめの方にずらずらと「having regard to」とか「whereas」とか並んでいますが、その後が本文です。

欧州委員会の提示するアクティブ・インクルージョンへのホリスティック・アプローチを支持すると述べ、具体的には、(1)社会的排除を避けるに十分な所得補助、(2)統合的な労働市場へのリンク、(3)質の高いサービスへのアクセスに加え、(4)ジェンダー・メインストリーミング、反差別、積極的な参加を挙げています。

まず所得保障については、

>3. Points out that there are still Member States in the EU-27 which do not have schemes providing for minimum wages as a default in place;

最低賃金ぐらい作れよ、と。とはいえ、北欧モデルにとってはそういう国家介入が逆に問題なんですが。

>4. Agrees with the Commission that social assistance levels are already below the at-risk-of poverty line in most Member States; insists that the central objective of income support schemes must be to lift people out of poverty and enable them to live in dignity;

生活保護はもっと引き上げろ、と。

>5. Calls on the Council to agree on an EU target for minimum income schemes and contributory replacement income schemes of providing income support of at least 60 % of national median equalised income and on a timetable as to when this target shall be
achieved by all Member States;

最低所得保障は平均所得の60%に設定せよ、と。そうすると、確かに定義上「貧困」は根絶されますけど・・・。

>7. Calls on the Council to agree on an EU target for minimum wages (statutory, collective agreements at national, regional or sectoral levels) to provide for a remuneration of at least 60 % of the respective (national, sectoral etc.) average wage and on a timetable for when that target is to be achieved in all Member States;

最低賃金は平均賃金の60%に設定せよ、と。

次が子供の貧困として独立の項目が立てられています。はじめは、考え方の提示。

>9. Highlights the importance of an holistic approach on child well-being based on a child rights centred perspective framed by the UNCRC supporting adequate incomes for families, adequate housing for children and families, accessibility of high quality health and social services and education;

10. Draws attention to the following different dimensions of a holistic approach:

(a) recognising that children and young people are citizens and independent holders of rights as well as being part of a family;

(b) ensuring that children grow up in families with sufficient resources to meet all aspects of their emotional, social, physical and cognitive needs;

(c) providing access to services and opportunities that are necessary for all children to enhance their present and future wellbeing, enabling them to reach their full potential and to prevent vulnerable situations;

(d) allowing children to participate in society, including in the decisions that directly affect their lives as well as in social, recreational, sporting and cultural life;

いろいろと並べていますが、要するに、具体的に何をしろというかのというと、

>11. Calls on the Commission to consider child poverty and social exclusion in a broader
context of EU policy making including issues such as immigration, discrimination, gender
equality, active inclusion, early-years care and education, life-long learning and the
reconciliation of work and non-work life;

12. Urges the Member States to reduce child poverty by 50 % by 2012 as a first commitment towards the eradication of child poverty in the EU;

2012年までに子供の貧困を半減させるという数値目標を求めているわけです。

次は労働市場政策、

>13. Agrees with the Commission that employment per se is not always a guarantee against poverty and social exclusion, as according to official statistics 8 % of workers in the EU are at risk of poverty;

8%もワーキングプアがいるんだから、雇用は必ずしも貧困に対する保証ではない、と。いや、それはいささか論理が逆転しているような。

>15. Considers that ‘make-work-pay’ policies should address the problem of the low-pay trap and the low-pay/no-pay cycle at the lower end of the labour market whereby individuals move between insecure, low-paid, low-quality, low-productivity jobs and unemployment and/or inactivity; stresses that higher levels and duration of unemployment and social benefits should be addressed as a matter of priority;

労働市場の底辺における低賃金の罠や低賃金無賃金の繰り返しの問題に取り組まなければいけない、と。それはそのとおりなんですが。

>16. Calls on the Member States to phase out ‘activation policies’ that are based on too restrictive eligibility and conditionality rules for benefit recipients, force people into lowquality jobs that do not pay for a decent living standard nor lead to social inclusion;

このあたりが、欧州議会報告の危うさがにじみ出ているように思われるんですが、アクティベーションといって、働け働けと強制して、低賃金の仕事に送り込むのはけしからん、というのを、だからアクティベーション政策はやめよう、所得保障の条件付けをゆるめてしまおうという風に話が進んでしまって、思わず、それこそモラルハザードのもとでしょう、と。

17. Highlights the Council’s position that active labour market policies should promote ‘good work’ and upward social mobility and provide stepping stones towards regular, gainful and legally secure employment with adequate social protection, decent working conditions and remuneration;

そう、「いい仕事」につなげていかなくてはいけないんですが、それは「働け」というな、ということではないはずで。

社会サービスについて、ホームレス問題、

>20. Calls on the Council to agree an EU-wide commitment to end street homelessness by 2015 and the provision by Member States of integrated policies to ensure decent housing for all; urges Member States to devise ‘winter emergency plans’ as part of a wider homelessness strategy;

2015年までに路上ホームレスをなくそう、と。

こういう視点もおもしろいですね。

>19. Urges the Member States to provide for social default tariffs for vulnerable groups (e.g. in the fields of energy and public transport) in order to promote active inclusion;

エネルギーや公共交通における恵まれない人々用の社会的デフォルト料金(つまり貧困層向けの割引料金)の設定ですか。

雑駁たる感想として、欧州議会は欧州委員会に比べて、「まあ、皆ほんとに労働しない(と思われている)人嫌いだよね」派の色彩がちょっと強い、というところですか。

2008年9月25日 (木)

サルコジの規制資本主義論

サルコジが大統領になったとき、早とちりの日本のマスコミは、ついにフランスもアメリカ流資本主義を受け入れた云々と報じたりしていましたが、もちろん、フランスの保守派はそういうものではありません。

去る9月23日、国連総会でサルコジ氏が演説した内容を見れば、フランス保守派の資本主義観がどういうものかよくわかります。

Capitalism must be regulated, says Sarkozy

http://euobserver.com/9/26796

>"Let us build a capitalism where ratings agencies will be subject to controls and punished when necessary, where transparency of transactions will replace opaqueness. The opaqueness is such today that we have difficulty understanding even what is happening," Mr Sarkozy said in a speech to the UN General Assembly, Reuters reports.

格付け機関に勝手なことをさせるな、時には罰しろ、

>"Let us rebuild together a regulated capitalism in which whole swathes of financial activity are not left to the sole judgment of market operators, in which banks do their job, which is to finance economic development rather than engage in speculation," he was reported as saying by Deutsche Welle.

金融活動を市場の連中の判断だけに委ねるんじゃない規制された資本主義をともに再建しようぜ、投機よりも経済発展が大事だ、と。

こなた極東の島国でも、「日本人はもっとリスクとれぇ!コラァ」主義は、某白書にいささか狂い咲き気味の跡を残しながらも、政界からも徐々に薄れゆくようではあります。

イギリス年齢差別規則に関する法務官意見

EU一般均等指令に関わって、特に年齢差別関係の訴訟の動向は、本ブログでも繰り返し取り上げてきたところですが、また一つ、まだ法務官意見の段階ですが、イギリスの立法についてのとりあえずの判断が欧州司法裁判所から出されています。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&docnodecision=docnodecision&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

これは、イギリスの非営利団体(charity)の全国高齢化評議会信託法人(The Incorporated Trustees of the National Council on Ageing (Age Concern England)が、年齢差別規則を所管する事業・企業・規制改革担当相を相手取って訴えた裁判です。(以前書いたかと思いますが、メージャー政権時にかつての労働省は解体されて、労使関係・労働法部門は通商産業省に、雇用部門は雇用年金省に、能力開発部門は教育訓練省に、安全衛生部門は環境省に分けられてしまって、そのため、年齢差別関係も旧通産省なんですね)

エージ・コンサーンが訴えているのは、65歳を超えたら年齢を理由に解雇できるというのは指令に反するということで、要は定年制の正当性という重大問題です。

マザック法務官の意見は、

>Council Directive 2000/78/EC of 27 November 2000 establishing a general framework for equal treatment in employment and occupation is applicable to national rules, such as the Employment Equality (Age) Regulations 2006, SI 1031/2006, which permit employers to dismiss employees aged 65 and over by reason of retirement;

Article 6(1) of Directive 2000/78 permits Member States to introduce legislation providing that a difference of treatment on grounds of age does not constitute discrimination if it is determined to be a proportionate means of meeting a legitimate aim within the meaning of Article 6(1). It does not, however, require Member States to define the kinds of differences of treatment which may be justified under Article 6(1) by means of a list or other measure which is similar in form and content to the list in Article 6(1)

A rule such as that at issue in the main proceedings, which permits employers to dismiss employees aged 65 or over if the reason for dismissal is retirement, can in principle be justified under Article 6(1) of Directive 2000/78 if that rule is objectively and reasonably justified in the context of national law by a legitimate aim relating to employment policy and the labour market and it is not apparent that the means put in place to achieve that aim of public interest are inappropriate and unnecessary for the purpose.

と、いささか回りくどい言い方をしていますが、結論としてはイギリスの規則は指令違反ではないと、訴えを退けていますね。

労使団体等と念を入れた協議を繰り返して制定した立法ですから、そう簡単にひっくり返されてしまうと、現場が大変なことになるでしょうし。スペインのデラヴィラ判決も、晴朗四郷委で65歳定年を法制化したのを訴えられた事例でした。

このあたり、年齢問題が差別問題であると同時に雇用問題でもあるという性格を有していることが重要なように思われます。

高度人材とは平均賃金の1.5倍以上

本日から予定されているEUの司法内務相理事会で合意予定の、域外からの「高度人材」について、EurActivがリーク記事を書いています。

http://www.euractiv.com/en/justice/eu-eyes-higher-pay-skilled-immigrants/article-175649

高度人材を職種で定めようというのは結局あきらめて、賃金水準だけでやろうと。賃金が移入国の平均賃金の1.5倍以上あれば、職種にかかわらず「高度人材」と認めましょう、と。

まあ、これは一つの割り切りではありますね。どの仕事が高度でどの仕事が低級だなんて、一律に決められるものではないでしょうから。高い賃金を払ってもいいと使用者が考えるということがその労働者が高度人材であるということである、と。

英ブラウン首相 on 子供の貧困

昨日、イギリス労働党の党大会が開幕し、ブラウン首相が演説しました。その中の子供の貧困に関する部分です。無料の保育施設を大量に増設すると公約している部分の次に、

http://www.labour.org.uk/gordon_brown_conference

>And because child poverty demeans Britain, we have committed our party to tackle and to end it. The measures we have taken this year alone will help lift two hundred and fifty thousand children out of poverty. The economic times are tough of course that makes things harder- but we are in this for the long haul - the complete elimination of child poverty by 2020. And so today I announce my intention to introduce ground-breaking legislation to enshrine in law Labour's pledge to end child poverty.

2020年までに子供の貧困を根絶する、と。そして、子供の貧困根絶法を立法すると、こう言っていますね。

それがどこまで達成可能かという話は別にして(ブラウンさん、相当人気がないようですし)、少なくとも、そういうテーマが首相が党大会で公約するテーマであるという点が重要でしょう。

2008年9月23日 (火)

労働経済白書と経済財政白書

五十嵐仁さんの「転成仁語」に、今年の労働経済白書について論評した文章(の前半)がアップされています。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-09-23

>日本における非正規労働者はついに3分の1を越えた。働く貧困層が増えてきたことへの批判の高まりを受けて、政府は労働者に対する政策を転換しつつあることが『労働経済白書』から見えてきた。労働問題に詳しい五十嵐仁教授に読み解いてもらった。

>厚生労働省の労働政策を示す『労働経済白書』の08年版は、今までになく危機感に満ちた『白書』だと思います。これまでやってきた労働政策や雇用管理は間違いだったと認め、それを見直すべきだとする路線転換が明確に打ち出されているからです。

という評価なのですが、今年度版になって急に姿勢を改めたかのような認識だとすると、それはちょっと違うのではないでしょうか。

本ブログでも一昨年、昨年と労働経済白書について紹介してきましたが、いわゆる規制緩和・構造改革路線に対して、もちろん政治的な配慮は必要ですからむくつけな言い方ではありませんが、的確に問題点の指摘をしてきており、今年度版もその延長線上にあるだけで、なんら路線転換しているわけではありません。

実際、一昨年度版から今年度版に至るまで、執筆責任者は石水調査官であって、ものの考え方にぶれがあるわけでもありません。

まあ、政治状況が徐々に変化してくる中で、同じことを言うにもより率直に言えるようになると言うことはあるかもしれませんが、それは本質ではないでしょう。

むしろ、今年度版で大きく姿勢が転換したのは、内閣府の経済財政白書の方でしょう。

これは、奇しくも労働経済白書と全く同じ日に公表され、そのスタンスが対照的であったため、マスコミでも取り上げられたわけですが、注目すべきは、一昨年、昨年の経済財政白書が、それまでの竹中路線賛美白書から脱却して、きわめて的確な経済社会認識を示していたのに、今年の白書はなぜか以前の路線に逆戻りして、

日本人はもっとリスクをとれ!こらぁ!

と叱りつけるという、すばらしい白書になったわけです。そして、白書発表からわずか2ヶ月にして、経済財政白書の言うようにアメリカを見習ってリスクばっかり追求するとどうなるかというすばらしい実例を上演してくれることになったわけで、ここまで先を見通して執筆された内閣府の執筆者には頭が下がります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_e4d4.html(労働経済白書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_2cb9.html(経済財政白書)

子どもの最貧国・日本

4334034705 ようやく日本でも「子どもの貧困」が社会問題として取り上げられるようになってきました。

最近社会派雑誌として大いに活躍中の『東洋経済』も、5月に「子ども格差」という大特集をしていましたし、

http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/0517/index.html

今回はまさにこの問題に焦点を当てた本です。

あとがきによると、著者の山野良一氏を光文社新書編集部に紹介したのは、「女子リベ」ブログの安原宏美さんだったそうです。安原さんご自身による紹介:

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10140331603.html

>山野さんは、北海道大学経済学部卒業後、現在、神奈川県内の児童相談所勤務。2005年から2007年にかけて、米国ワシントン大学ソーシャルワーク学部修士課程に在籍し、児童保護局などでインターンとして働いた経験をおもちです(ソーシャルワーク修士)。

 理論的なバックボーンをお持ちであることもさることながら、最先端の知見を参照し、さらに日米両方での現場の経験などをふまえて、わかりやすく一般の人にも語れる解説力は今の世の中に出さなくてはいけない著者であると確信したからです。こういう研究こそが日本の言論には足りないので、「犯罪不安社会」を出していただいた光文社の編集者にご紹介しました。

ちなみに、本書のはじめの方で紹介しているUNICEFの「A Child Poverty in Rich Countries 2005」は、これです。

http://unicef-icdc.org/publications/pdf/repcard6e.pdf

子どもの貧困率のグラフは4ページに載っています。

デンマークの2.4%、フィンランドの2.8%から、アメリカの21.9%、メキシコの27,7%まで、きれいに並んでいます。日本は14,3%。

(追記)

はてぶで指摘されているように、日本は「子どもの最貧国」というわけではありませんね。OECD加盟国ではメキシコ、まともな先進国の中ではアメリカが「子どもの最貧国」です。

ただ、まともなヨーロッパの国は軒並み日本よりは上位ではあります。また、サッチャー・メージャー時代にぐっと格差が拡大したイギリスは、なおこの時点(調査対象は2000年前後)で日本よりも子どもの貧しい国ではありますが、ブレア政権になってから着実に子どもの貧困率は下がってきています。それも本書に載っています。

その意味で、「子どもの最貧国・日本」という題名は、厳密にはいささか誇大表示気味ではありますが、まあ2000年代になってからもひたすらその道を突っ走った国の形容詞として、当たらずといえども遠からずといえるのではないでしょうか。

Unicef

2008年9月22日 (月)

hamachanは原理主義者?

hidamari2679さんの「風のかたちⅡ」で、「hamachanは原理主義者?」と評されました。

http://ameblo.jp/hidamari2679

まな板の上の鯉としては、余計なコメントはつけず、リンク先をご覧くださいとのみ申し上げておきます。

2008年9月21日 (日)

労使関係と労資関係

ローシ関係論の世界では、「労資関係」と書く左派系の人と、「労使関係」と書く右派系の人が対立していたというのが、ある時期までの状況であったわけですが、戦後経営者支配が確立し、企業内ローシ関係の実態が「労使関係」になればなるほど、そっちの方が主流になってきた、というのがまあ、大まかな流れでしょう。ここ数十年くらいは「労資関係」という字面を見ることも少なくなってきています。

ところが、右派系労組の代表であるUIゼンセン同盟が今月10,11日に開いた定期大会での落合会長の挨拶の中に、昔懐かしい「労資関係」の文字があるのを見つけました。

http://www.uizensen.or.jp/cms_file/news/file1_294.pdf

>グローバル化と市場主義化はどんどんと進行し労働市場に混乱を招いてきているのはご承知の通りです。プライベート・エクイティーファンドに象徴されているように、株主資本が絶大な権力を持って経営者を支配する構図が出来上がってしまっています。この現実に対して企業別労働組合は使用者性を持たない株主資本、持ち株会社に対抗する力が非力なのです。
こうした動きに対して我々は早急に対抗策を立てていかなければなりません。それは企業の枠を超えた交渉力を創り上げることにあります。UIゼンセン同盟本部も外国資本に対抗する為にも5つの国際産別との連携はもとより、各国の友誼産別との連帯を一層深めていく必要があります。すなわち、従来の企業別労使関係の上に、使用者ではなく、使用者を支配する資本と対峙する「労資関係」を構築する必要があります。

見られるように、これは企業内「労使関係」の否定ではなく、むしろ資本の論理によってそれが弱体化されつつあるという危機感から、「使用者を支配する資本と対峙する」「労資関係」を構築する必要があるという問題意識です。

「労使関係」においては、労組とその事情に理解のある人事部のいい関係が大事でしたが、「労資関係」においては資本家およびその代弁者たる財務部との対決が中心になるというわけでしょうか。

2008年9月20日 (土)

アメリカ流の「金融社会主義」はやらないよって、ヨーロッパの社会主義者がいいました

これは労働ネタではありませんが、EUネタとしてあまりにも皮肉でおかしかったので。

US-style 'financial socialism' not an option for EU

http://euobserver.com/9/26775

>The EU's economic and monetary affairs commissioner, Joaquin Almunia, has said Europe should not employ what he called "financial socialism" to solve the ongoing banking crisis by bailing out failing companies.

"Socialists like me, we are against financial socialism," he said, alluding to the multi-billion-dollar supports and nationalisations of recent weeks that Washington has engaged in to save a host of financial institutions it argues are "too big to fail."

彼は、スペインの社会主義労働者党出身の、EU経済財政担当委員(大臣)なんですね。

>The commissioner - a member of Spain's centre-left Socialist Workers Party - speaking at a Madrid conference organised by Spanish bourse regulator CNMV, did nonetheless say such measures were warranted where the financial system as a whole was threatened, however.

若者支援基本法

政局がどうこうということは全く別にして、この部分についてはいいことを言っていますので引用します。麻生太郎氏が、自民党青年局で喋ったものです。

http://www.aso-taro.jp/sousaisen/index3.html

http://www.aso-taro.jp/sousaisen/20080916.pdf

>だから若者には、職の機会を与えてやらにゃいかん。

その職というのも、場当たりではだめなんです。

人間、努力が報われるのには、一年、二年の単位で時間がかかる。

一ヶ月とか、ひどいときには一週間で仕事が変わるようでは、自分に投資する暇がない。

ないから、捨て鉢になる。「雇われる能力」、エンプロイアビリティー(employability)が、また減っていく。

その悪循環。これは、止める。止めねば日本の将来にかかわる。

若者に、未来の設計ができるだけの機会を与え、希望をもたせること。

そこが、すべての、あらゆることの、出発点なんだと存じます。

子供が生まれない、経済が伸びない。

こういったことの原因を取り除こうと思ったら、若者に投資する「ニューディール」が要るんである。それこそが、21 世紀のインフラ投資である。

お約束します。

「若者支援基本法」をこしらえます。

地域ぐるみで、よってたかって、若者たちのエンプロイアビリティーを高めてやる。

それをこの法律でやりたい。

マクロの日本経済にとっても、いまは労働分配率を上げてやるときです。

そうしないと、縮小再生産の輪に入っていってしまう。

どのあたりから、「ニューディール」とか「エンプロイアビリティ」とかいう言葉が入れ知恵されたのかはわかりませんが、方向としては正しい政策でしょう。

サルコジ風欧州移民難民協定

EurActivに、サルコジが進めている欧州移民難民協定の話がよくまとめられた記事が載っているので、自分用にリンクしておきます。

http://www.euractiv.com/en/mobility/european-pact-immigration-asylum/article-175489

>French President Nicolas Sarkozy has been calling for a European 'Pact on Immigration and Asylum' ever since his election campaign in spring 2007. Indeed, migration is a priority of the French EU Presidency. 

The proposed pact seeks to integrate and complement the efforts made by the EU institutions to shape a common European approach to both legal and illegal migration.

As part of those efforts, the European Commission recently introduced a proposal for a European 'Blue Card' for skilled immigrants (see EurActiv's Links Dossier) as well as a 'Return Directive' (see EurActiv's Links Dossier) setting EU-wide standards for sending illegal immigrants back home. The adoption of the directive, although vehemently criticised by human rights NGOs and Latin American countries, highlighted how reform of migration policies is gaining momentum within the European Parliament as well as among the 27 member states. 

公式にはまだ公表されていない協定の最新草案もリンクされています。

http://www.statewatch.org/news/2008/sep/eu-european-pact-on-immigration-and-asylum.pdf

10月15日のEUサミットで正式に採択される予定です。

記事の下の方に、様々な関係文書や記事がリンクされているので、大変便利です。

2008年9月19日 (金)

イギリスでも職場いじめが

イギリスの労働組合会議(TUC)がYouGovという調査会社に委託して行った調査結果によると、350万人(14%、労働者の7人に1人)が現在の職でいじめを経験しているそうです。

http://www.tuc.org.uk/newsroom/tuc-15295-f0.cfm

>Three and a half million people (14 per cent or one in seven of the workforce) say they have been bullied in their current job according to a YouGov poll for the TUC published today (Friday). 21 per cent (one in five) say that bullying is an issue where they work.

Bullying is more likely in the public sector where 19 per cent say they have been bullied compared to 12 per cent in the private sector and eight per cent in the voluntary sector.

Surprisingly people in professional and associate professional jobs are the most likely to be bullied (16 per cent). This may reflect the large number of professional and associate professional jobs in the public sector such teaching, and across the NHS.

Men are more likely to be bullied (16 per cent) than women (12 per cent). 45-54 year olds (19 per cent), followed by 35-44 year olds (17 per cent) are the age groups most likely to be bullied. 25-34 year olds are the least bullied (8 per cent).

The East Midlands workforce is the most bullied at 18 per cent, with the East of England the least (eight per cent).

It is not the low paid who are most likely to say they are bullied. Those earning less than £20,000 report much less bullying than those earning between £20,000 and £60,000. (17 per cent). But among those earning above £60,000 only seven per cent say they are bullied.

TUC General Secretary Brendan Barber said: 'This level of bullying at work is completely unacceptable. It is particularly disturbing that more people complain of bullying in the public sector. Every organisation needs to have an anti-bullying policy, and every manager should ensure that there is zero-tolerance of bullying either by line managers or workmates.'

Recognition and awareness of workplace bullying is essential if it is to be legitimately challenged. The TUC fully supports and endorses the work of the Andrea Adams Trust, who run a national annual campaign to raise awareness of the issue, culminating in Ban Bullying at Work Day held on 7 November.

Andrea Adams Trust Chief Executive Lyn Witheridge said: 'We encourage every employer to become involved and use this opportunity to participate in the wide array of activities provided by the Ban Bullying at Work Day campaign.'

ホームレスの自由/強制と排除/包摂

なんだか一部では図書館/ホームレス問題というのが話題になっているようですが、

http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20080902/p1(図書館はあなたの家ではありません)

この問題は、畢竟するところ、自由/強制と排除/包摂をどう考えるかに帰着するように思われます。

4272330535 現代日本の「リベラル」な人々の一つの典型的な考え方が、憲法学者の笹沼弘志さんの『ホームレスと自立/排除-路上に<幸福を夢見る権利>はあるか』大月書店にみられるものです。笹沼さんは、社会的排除の極限としてのホームレスの幸福を追求する権利を強調します。そこはわたしも同感するところです。しかし、笹沼さんは、それを単なる生存権としてではなく、ある種自由権的にとらえようとします。「路上に幸福を夢見る権利」という副題は、それを象徴的に表しています。

社会的排除としての路上生活。しかし、笹沼さんの攻撃は公園などの公共施設からホームレスを「排除」しようとする行政の行動に向けられるのです。路上生活をする権利を自由権的に擁護しようという考え方です。そして、「保護」という名の下にシェルターなどの収容施設に入れようとするのは違憲だ、と主張します。そういうパターナリズムがいけないんだ、というわけです。

リバタリアンによるパターナリズム批判は、それはそれとしてあり得る議論だと思います。しかし、自由こそが最も尊重されるべき価値で、保護という名の強制は一切拒否するというのであれば、その経済的帰結は自らの自己責任で背負うべきではないでしょうか。リバタリアンは、その点は(おそらく)一貫しています。一貫してはいますが、私はその結論に賛成ではありません。むしろ、私はホームレスにも最低限世間並みの「幸福を夢見る権利」はあるべきだと思います。しかしながら、そのことは、「あくまでも路上にとどまって幸福を夢見る権利」を必ず保障しなければならないという意味ではないはずです。

ホームレスに保障されるべきは、ホームレスのまま図書館を訪れる権利ではなく、ホームレスという状態を脱して図書館を訪れる権利ではないでしょうか。

2008年9月18日 (木)

正規・非正規の「壁」の克服

昨日、経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会の第4回報告がとりまとめられました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/24/item1.pdf

はじめのところに「要旨」が載っていますので、まずそれを引用しましょう。

>正社員と非正社員との間の「働き方の壁」を引き下げ、不安定就業者の生活安定を図るための労働市場の望ましい姿について検討する。このためには、まず、非正社員の増加と、その固定化が進んだことの背景について考える必要がある。これらの直接の要因は、90年代初めからの経済停滞の長期化であるが、同時に過去の高成長期に確立した終身雇用・年功賃金の正社員の働き方を維持するために、企業が新規採用の抑制を長期間にわたって実施したことが、とくに若年層のフリーターを増加させた大きな要因になったと考えられる。
また、わが国の場合、雇用保障が欧米のように勤続年数の長さ等で決まる相対的な基準ではなく、正社員と非正社員という採用時の雇用形態に基づくことは、雇用機会が新卒採用の時点での景気情勢等に大きく依存し再チャレンジの機会に乏しいこと、雇用形態の固定化や不安定な就業から抜け出しづらいことも意味する。こうした格差の是正を図るためには、1700万人の非正社員をできるだけ多く正社員化するだけでなく、両者の中間的な働き方を設ける等の手段で、非正社員の雇用の安定化を図る実効性ある政策が重要である。さらに多様な働き方を選択する労働者が増える中で、個々の労働者の働き方に応じた個別的な規制から、正社員と非正社員との働き方の違いにかかわらず、昀低限守るべき働き方・処遇の「共通ルール」に重点を置くことについて、長期的に合意を形成することが必要である。
非正社員は同時に不安定就業者である場合も少なくない。このため、その生活保障には、労働市場だけで対応することは難しく、社会的なセーフティーネットである生活保護制度も活用されている。また、非正社員のうち、生活保護の対象者とのボーダーライン層に対する保護移行防止対策も検討する必要がある。労働市場制度と社会福祉制度を一体的に活用し、非正社員と不安定就業者の生活の安定に取り組む新たな仕組みを構築すべきである。

10日前にこのブログで紹介した『世界』誌10月号の共同論文と、認識面および実践面の両面にわたって共通性がかなりあるということを改めて認識できるのではないかと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_7b90.html

また、この報告の二つめの柱である「労働市場制度と社会福祉制度の一体的活用」は、まさに先進国共通の今日的課題ですし、わたしも、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html(格差社会における雇用政策と生活保障)

で自分なりに素描を試みています。

(追記)

ちなみに、この報告に向けた調査会の議論に、わたしも一回招かれて参加しております。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/21/work-s.pdf

小林慶一郎氏の労働市場規制強化論

昨日の日経新聞の経済教室で、経済産業研究所の小林慶一郎氏が「スタグフレーション懸念と経済政策 供給サイドの対応軸に」という論説を書いておられます。

標題だけみると、また例によってサプライサイドだ、市場重視だ、労働規制を緩和しろ、撤廃しろという話かな、と勘違いしてしまいがちですが、実は全く逆でした。

>過去の石油ショックでは、マクロ的にみて、物価上昇とともに賃金も上昇していたので、家計は物価上昇に対応することができた。しかし、今回のケースでは賃金は上昇していない。賃金上昇がないということは、現在の日本経済で、国内総生産(GDP)ギャップが再び拡大している、すなわち需要不足になっていることを示すものでもある。企業に対して賃金上昇を促す政策(行政指導やミクロな労働市場規制など)は、日本経済の内需を強化し、景気を下支えするための有効な政策であるといえる。

>しかし、賃金上昇が製品価格の上昇に添加され、それがまた賃金を上昇させるようになると、インフレ加速のスパイラルに陥る。70年代の欧州はこれで高いインフレと高失業に悩まされた。これは真性のスタグフレーションである。インフレスパイラルを起こさないためには、労働分配率を上げて、家計の取り分を増やす方向に経済構造を変える必要がある。それには、ミクロの労働政策の課題として、労働者(中でも非正規雇用労働者)の使用者に対する賃金交渉力を高める制度改革に取り組むことが喫緊の課題であろう。

これは、今月10日、経済産業大臣が経団連に対して賃上げを要請したという話の理論編ということになるのでしょうか。

少なくともここ10年以上にわたって、労働市場の規制緩和を政府内で唱道する立場にあった経済産業省が、ミクロな労働市場規制の強化を主張する側に明確に転じた一つの徴表のようにも思われます。

東欧からの労働者は「現代の奴隷」!?

EurActivが、ショッキングな題名で東欧からの労働者に対する差別や虐待の問題を取り上げています。

http://www.euractiv.com/en/socialeurope/east-european-workers-face-modern-slavery-old-europe/article-175427

>Migrant workers from the EU's Eastern member states face systematic discrimination when moving to work in 'old Europe', according to a new report presented on Monday (15 September) at the Centre for European Policy Studies in Brussels (CEPS).

>Discrimination against those workers is "a pan-European phenomenon,"

もちろん、EU条約はEU加盟国国民に関する限り均等待遇差別禁止を義務づけています。ところが・・・、

>The EC treaty grants all workers certain rights, such as a minimum wage, protection from unfair discrimination, health and safety protection and working time rights.

But instead of equal treatment, many Eastern European migrant workers have had to cope with a system which Hall described as "modern slavery". Intimidation, emotional abuse or "exploitative practices" such as late or no payment at all, lack of proper contracts and holiday schemes and no access to social security were "frequent" occurrences, according to Hall's report.

いじめ、感情的虐待、搾取的慣行、賃金支払いの遅れや不払い、まともな契約の欠如、休日もなし、社会保障もない・・・。

EU域内国民はそもそも外国人労働者というよりも法律上準自国民であって、特定の公務員になれないといったことを除けば厳格に均等待遇差別禁止が規定されているはずの人々なのですが、それにしてこの有様だとすれば、法律上差別してもかまわない第三国民の置かれた状況が思いやられます。

外国人労働者問題を論じる際に、頭に置いておくべき一つのポイントであることは間違いありません。

2008年9月17日 (水)

日本経団連の政策評価(自民党と民主党)

恒例の日本経団連による自民党と民主党の政策評価が載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/065.html

評価はA,B,C,D,Eの五段階評価なのですが・・・、

まず自民党、「個人の多様な力を活かす雇用・就労の促進」は、合致度、取組、実績、いずれもC評価と、他の分野(A評価とB評価がほとんど)に比べて大変評価が低いんですが、

対する民主党の方は、合致度D,取組Dと、ほとんど落第点です。

他の政党は載っていませんが、この調子ではおそらくE評価あたりになりそうですね。

しかし、何事もそうですが、他人様を評価するということは評価している本人が他人様から評価されるということでもあります。

この評価自体が、国民の声に敏感な政治家の(個別的にはもちろん見当はずれも少なくないとはいえ)雇用労働政策に対して、ここまで低い評価をしている日本経団連自身の雇用労働問題に対する感覚を、国民の視線の中にさらして評価されてしまっているという面もあるわけです。

こういう評価付けをしてしまうと、労働側は各政党に対して全く正反対の立場からの評価をするだけで、評価主体の客観性を自ら自己否定しているだけになってしまうというのがわからないのでしょうか。

このあたり、かつての労使関係的センスのある経営者であれば、労使の利害対立の中で進めざるを得ない雇用労働政策に対して、こういうあたかも絶対的真理がただ一つしかないかのごとき「教科書読め」的成績評価などという無謀なまねはしなかったのではないかな、と、つい思ってしまうのはわたしが古くさいからでしょうかね。

2008年9月16日 (火)

ボランティアといえば労働じゃなくなる?

塩見孝也元赤軍派議長がシルバー人材センターで初めて労働を体験したという記事に、黒川滋さんの「きょうも歩く」がコメントされています。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2008/09/91567-d979.html

話はそこから「ワーカーズコレクティブとか、労働者協同組合などで働く人が労働者であるかどうかという問題」に飛び、

>出資者と労働者が同一ということで、そうしたところには労働という概念はない、ということに社会通念はなっている。しかし、仕事の内容を見てみたり、仕事の配分の決定者と仕事をしにいく人の間に労働をする、させる関係はどうしてもぬぐえなし、実際に法律では労働と扱われる。そのことをきちんと正面が受け止めて、いくらきれい事言ってもそこには労働問題があるんだ、ということを前提にすればとっても良い世界になるけれども、労働じゃないんです、といって、使う、使われる関係を全面否定した上で、奉仕的労働を強要すれば、それはイデオロギーによる隷属でしかない。お金ジャブジャブあるところはいいが、そういうところは最初から株式会社にしているはずで、そういうきれいな話もない。少ないお金で、労働者と経営者の同一性という理念を立てながら、労働者性もあるんだ、という整理をしないと、何だかおかしくなる。
人をどんなに民主的なかたちであれ、労働者として使っておきながら、自らを使用者としての自覚のない怠慢な考え方をしていると、結局、労働者にとっても正々堂々と経営者と闘える資本主義の基本形がいいんだ、という話に戻ってしまうことの自覚が、ワーカーズコレクティブや、労働者協同組合の運動をやっている人たちにないということが問題じゃないかと思う。

と、たいへんまっとうな議論を展開されています。

ところが、その労働者協同組合の考え方の側には、

http://www.roukyou.gr.jp/

笹森前連合会長、大内力先生、堀内光子氏、広井良典さんのようなそうそうたる方々がいらっしゃるので、「協同労働」と言ったって労働者じゃないか、というのはなかなか言いにくいんでしょうね。

同じ問題がボランティアにもあって、これは『季刊労働法』222号の鎌田先生、島田先生、池添さん、水口さんの座談会で紹介されていたものですけど、例の堀田力さんのさわやか福祉財団が、4年前に、こういう法案みたいなのを作っていたんですね。

http://www.sawayakazaidan.or.jp/news/2004/20041013.html

>第一条  労働関係を規制する法令における労働その他の用語、職業を規制する法令における事業その他の用語、及び税について規定する法令における収益事業その他の用語であって、有償性もしくは無償性、報酬性(対価性、対償性その他、提供される財の市場価値を、これとの交換において支払う性質を表すすべての用語を含む)、または、収益性の有無を要素とするものの解釈は、この法律による。

>第二条  ボランティアとは、雇用契約によらず、他者のために、自発的に、無償でサービスを提供する者をいい、ボランティア活動とは、ボランティアによるサービスの提供をいう。
2  ボランティア活動は、労働と区別される。
3  サービスの受益者またはボランティア活動を組織しもしくは支援する者が、サービスに対して金品を提供した場合において、サービスに対する報酬としてではなく、その実費の負担またはこれに対する謝礼として提供したときは、そのサービスは無償で提供されたものとみなす。
4  サービスに対して提供された金品の価格が当該サービスの市場価格の五分の四以下であるときは、当該金品は謝礼として提供されたものと推定する。その価格が最低賃金額以下であるときは、謝礼として提供されたものとみなす。ただし、サービスを提供する者が、ボランティア活動としてではなく、労働としてこれを提供したときは、この限りではない。

もちろん、ボランティア活動はたいへん崇高なものではありますが、とはいえ親分が「おめえらはボランテアなんだぞ、わかってんだろうな」とじろりと一睨みして、子分がすくみ上がって「も、もちろんあっしは労働者なんぞじゃありやせん」と言えば、最低賃金も何も適用がなくなるという法制度はいかがなものか、と。

2008年9月14日 (日)

赤軍派議長@シルバー人材センター

ちょっと前の産経に載った記事で、「さらば革命的世代」という連載ものの「日本のレーニンが知った労働」という記事が、大変興味をそそられました。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080703/trd0807032211019-n1.htm

>かつて「日本のレーニン」と呼ばれた男は、東京都清瀬市の市営駐車場で汗を流していた。昭和40年代半ば、「世界同時革命」を掲げて武装闘争路線を指揮し、破防法違反罪などで19年9カ月の獄中生活を送った元赤軍派議長、塩見孝也さん(67)。昨年末から市のシルバー人材センターに登録し、月9日ほど派遣先の駐車場で働いている。

 「この年になって、ようやく労働の意義を実感している。39歳のひとり息子も『親父がまともな仕事をするのは初めてだ』と喜んでいます」

 それまでの生計は「カンパや講演料に頼ってきた」というが、あえて働き始めたのは昨秋、心臓を患ったのがきっかけだった。「もっと自活能力を付けたい。地に足のついた生活をしながら革命を追求したい」と思ったという。

うーむ、左翼運動に半世紀をつぎ込んで、今になって「ようやく労働の意義を実感」ですかね。いままでは地に足のついていない革命運動だった、と。

>塩見さんが働く駐車場は駅近くのショッピングセンターに隣接し、休日は約1000台が利用する。時給は1000円だったが、4月から「副々班長」の役職手当で50円上がった。

 「役職に就くのは労働者を管理する側に回ることであり、刑務所でも班長への就任は断固拒否したが、ここでは仕方がない」と主張する一方、「働くとは、すばらしいことだ。社民党や共産党の幹部も理論だけでなく実践したらいい」と、自身の「初めての労働」をうれしそうに語る。

>塩見さんは「要するに、僕のこれまでの生涯は、民衆に奉仕するというより、民衆に寄生してきたのです。奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。これは情けないことで、よく生きてこられたなとも思う。だからこそ、自己労働を幾ばくかでもやり、本物の革命家になりたいと思うわけです」。

今頃そういうことを言われても・・・。

2008年9月13日 (土)

第1回今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会議事録

8月8日に開催された標記研究会の議事録がアップされました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/txt/s0808-1.txt

いくつかおもしろい論点が出てきていると思います。

中の方で、上西充子委員の発言:

>○ 上西委員 いろいろありますけれども、まず、労働関係法制度をめぐる教育の在り方ということで、中に「キャリア教育」という言葉が一言出てきました。キャリア教育をやろうという話は文部科学省も厚生労働省も言っているかと思いますし、現場にも浸透している。ならば、生徒が知っているか、労働者が知っているかだけではなくて、キャリア教育でやるべきことの中にこういう労働関係法制度的なものが入ってきて、実際やっているのかどうかもきちんと押えるべきかと思います。おそらく、必要だと思ってやっているところはかなり少ないのではないかと思います。実際にやられていることは、自分の将来を考えよう、進路を真面目に考えよう、そのときに社会人基礎力のように、社会ではこのような力が求められる、あるいはフリーターになるとこんなに不利だよ、と。だから、より良い進路を選び取らなければいけないという話に大体なっているのではないかと思います。
 だけど、その中で現実にフリーターになる人もいるというときに、「フリーターになっちゃったから、私はもうしょうがないんだ」と、かえって自分を駄目にしてしまうこともあるし、あるいはフリーターになってしまったからこういう扱いをされても仕様がないんだというように、そこで状況を改善しようとはならない恐れもある。
 また、実際に就職活動をするときにもハローワークの職員の方が来て、求人票の見方ぐらいは教えてくれることもあるようです。しかし、その求人票の中でどこに注目して見たらいいのか。例えば労働組合の有無、あるいは休日や交通費、社会保障関係のところ、それは何を意味していて、こういうところで見分けなさい、というようなことをきちんと教えられているのかというと、なかなかそこまでではないのだと思います。そうすると、どうしても若い人は初任給といったところを見てしまいますので、初任給の高いところ、家から近いところと選んでしまう可能性もある。
 大学でもなかなかそこは教えていないです。私も当初、あまりそこまで意識が働かなかった。やはり、いまの企業はこういう力を求めているとか、正社員にならないとこれだけ不利だという話をしていました。もちろん、その中で、正社員としての働き方の中で、例えば育児休業制度がある、あるいは長時間労働がいま問題になっている。派遣は三者関係で非常に難しい雇用関係だ、そういう話は私などもしてきました。けれども、彼らが現実に職場に入ったときに、例えばサービス残業のような問題にすぐ直面するわけです。サービス残業に直面したときにどうすればいいかということはなかなか「そういう所は避けたほうがいいよね」ぐらいのことしか言えないという現状がありました。
 また、例えばフリーターの方々のための支援の施設がいまいろいろあります。ジョブ・カフェやヤング・ジョブ・スポットというような公的な施設のセミナーであっても、そこで何をやっているのかというと、たぶん、いまこういう力が求められている、自分の能力を伸ばそうということが中心であって、良い企業をどうやって見分けるか、就職先はいろいろあるようだけれども、その中にはまともな所とまともでない所があって、それをどうやって見分けていったらいいかみたいなことはなかなか教えられていないのではないか。そもそも、それをセミナーの内容として入れなければいけないという発想がないのではないか。そうすると、いま企業が求めていることを一生懸命やりましょうというだけだと、どういう理不尽なことがあっても、それに対して対抗できる力というのは身に付かないわけです。そういう問題があるように思います。
 もう1つ、ここで「労働に関する知識」という問われ方をしています。知識があるだけではたぶん駄目なのだろうなと思います。例えば、大学生はサービス残業が違法だと知っているのです。知っているのですが、自分の会社で実際にサービス残業があったというときに、どうしたらいいかわからないのです。当たり前のようにあってしまうから、もう仕方ないなと思って我慢するか辞めるかというように、個人の問題として捉えてしまう。そこで連帯して動くという発想はたぶんないのです。連帯して動く、自分たちで職場を良くしていくという発想で実際に動けるためには、たぶん知識だけでは駄目だろう。ならば、そのためにどういう事が必要なのかということも考えていかなくてはいけないだろうと思います。とりあえず以上です。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_44c0.html(今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会)

2008年9月12日 (金)

力士の解雇訴訟

わたしの知る限り、いままで大相撲力士の解雇についてその無効を争った訴訟はなかったと思いますが、ここにきて、労働法学から見て大変興味深い訴訟が起こされ、また近く起こされることになりそうです。

http://www.asahi.com/sports/update/0911/TKY200809110214.html

>大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、8日に処分保留で釈放された大相撲の元幕内力士若ノ鵬(20)が11日、日本相撲協会から解雇されたことを不服とし、力士としての地位確認を求める訴訟を東京地裁に起こした。あわせて同趣旨の仮処分命令も申し立てた。

 記者会見した元若ノ鵬は「相撲が取りたい。裁判をやるのはよくないが、相撲に戻るためにやる」と話した。同席した弁護士によると、大麻の所持や吸引など事実関係は争わず、協会の過去の処分事例に照らして解雇は重すぎると主張する方針だ。

http://www.asahi.com/national/update/0912/TKY200809120229.html

>大麻問題で日本相撲協会から解雇処分を受けた元露鵬(28)、元白露山(26)が12日、東京都内で処分後、初めて記者会見した。2人は改めて大麻使用を否定。大麻成分が検出された尿検査も「認めない」として、処分への不満を明らかにした。

>2人の代理人の弁護士は「協会相手に解雇無効の訴訟を起こさざるを得ないかもしれない。来週には態度を決めたい」とした。

まあ、まずそもそも「解雇」という用語が使われていますが、大相撲の力士は解雇権濫用法理が適用される「労働者」なのかという論点があります。これについては、本ブログでいくつか書いたこともあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c64e.html(力士の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fd03.html(時津風親方の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bbf0.html(幕下以下は労働者か?)

仮に雇用契約ではないとしても、雇用類似の長期継続的労務提供契約であることは間違いないわけで、その一方的解除が、大麻を持っていたこととか、ましてやおしっこから反応が出たことを理由として正当化しうるのか、というのは情緒的なマスコミの報道が通り過ぎた後になれば、なかなか興味深い論点となるはずです。

鼎談・労働政策決定過程の変容と労働法の将来

Tm_i0eysjiymo2glvyohg_1 『季刊労働法』の222号が発行されました。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/003335.html

特集「近時の労働立法をめぐって」では、花見忠先生、山口浩一郎先生とわたくしの三人による「労働政策決定過程の変容と労働法の将来」という鼎談が載っています。

これは、何を措いても読む値打ちがあります。元中央労働基準審議会会長として数々の労働立法に関わってこられた花見先生が、

>ここで審議会の中、あるいは広い意味での労働政策形成プロセスの中での労使のなれ合いが生じて、三者構成からのよそ者の介入を排除して政策を決めていこうと。・・・そういうよそ者を排除した中でムラの利益を守る機関になっていったということです。

と、三者構成原則を真っ向から否定する議論を全面的に展開されているからです。何の因果か、私が三者構成原則の理念を断固擁護する役回りとなって、火花を散らしております。

例によって、わたくしがヨーロッパではどうたらこうたら言いますと、

>だけれどもこれは、わたしに言わせれば世界的に見て非常に特殊な民主主義のタイプなのです。たまたまILOもほぼそれによって支配されていて、そういう意味でそれが何か普遍的だというのは、客観的に言って普遍性を主張する根拠はあまりないのではないかと。

>その場合に労だけが非常に特殊だと言うことで、原理レベルの問題だといって考えるのは間違いです。政策決定というのは政党がイニシアチブを取って政策を決めていくのが本来の筋です。

と、一言のもとに却下。

さらに、法政策の内容になるとますます過激になって、

>解雇権濫用の法理、就業規則変更の法理などは、要するに大企業と大企業に雇われた正規雇用の人たちが雇用安定と高い労働条件を維持する、これは非正規の雇用の人たちの犠牲の上に成り立っているのですが、こういった体制を維持するのが解雇権濫用の法理です。

>労働契約法の制定は結果的に格差解消には全然役立たない。ますます格差を拡大する結果になったと思います。既存の判例法理は格差拡大に役立ってきたんで、これをそのまま条文化したという意味において非常に有害です。

と、ほとんど『脱格差と活力』あふれる議論となっています。そしてこれが三者構成否定論とこうつながります。

>今、最大の問題である格差解消と規制改革という二つの問題は、基本的に取引の問題ではないわけです。

>私が言いたいのは、格差と規制を打破する政策を立てるためには、格差と規制に強い利害関係を持っている人たちがやってもだめだということなのです。

わたくしがどのように反論を試みているかなど、ご関心のある向きは是非ともお買い求めください。

(追記)

hidamari2679さんの「風のかたちⅡ」で、この鼎談を取り上げていただきました。

http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10141260106.html

>hamachan先生孤軍奮闘の巻だなぁ・・・

だそうであります。

その他の記事は次の通りです。

■巻頭言■
労働法と日本のアイデンティティ
京都大学名誉教授 片岡 曻

特集
近時の労働立法をめぐって

●鼎談・労働政策決定過程の変容と労働法の将来
上智大学名誉教授 花見 忠 上智大学名誉教授 山口浩一郎
政策研究大学院大学教授 濱口桂一郎

●座談会・労働者性の再検討ー判例の新展開と立法課題ー
東洋大学教授 鎌田耕一 労働政策研究・研修機構研究員 池添弘邦
早稲田大学教授 島田陽一 弁護士 水口洋介

●最低賃金法制の新しい出発
一橋大学教授 中窪裕也

第2特集 比較法研究・企業法制の変容と労働法

●企業譲渡におけるイギリスの労働者保護制度
中央学院大学専任講師 長谷川 聡

●アメリカ企業の経営上の決定と被用者の保護
法政大学講師 沼田雅之

●ドイツ法における事業承継と企業再編法
立正大学専任講師 高橋賢司

●フランスにおける倒産法制の変容と労働法
早稲田大学大学院 細川 良

●EUにおける企業組織変動
ー欧州司法裁判所判決にみる経済的一体の発展ー
法政大学講師 水野圭子

【研究論文】

●労働者代表制度
東北大学名誉教授 外尾健一

●解体か見直しか
―労働組合法の行方―(二)
北海道大学教授 道幸哲也

●倒産労働法の意義と課題
同志社大学教授 土田道夫
株式会社エクサ・同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了 真嶋高博

●ホワイトカラー管理職等の労働時間規制の基本的構造と日本の制度の再構築(下)
放送大学非常勤講師・博士(法学)筑波大学 幡野利通

【連載】

●個別労働関係紛争「あっせんファイル」(連載第5回)
メンタルヘルス関係紛争の「解決」
九州大学教授 野田 進

●アジアの労働法と労働問題(2)
中国「労働契約法」に関する一考察
中国山東大学法学院講師(山口大学東アジア研究科博士後期課程) 李 長勇

【神戸労働法研究会】
●協約自治の限界
―「集団的私的自治としての労働協約」と「基本権保護義務」に
 関するドイツの議論から何が得られるのか―
駿河台大学専任講師 石田信平

【イギリス労働法研究会】
●職場での市民的自由
―コリンズ理論を中心に
駒澤大学教授 藤本 茂

【北海道大学労働判例研究会】
●足場設置業者(身元保証)訴訟
業務上横領を理由とする既発生不法行為債務についての連帯保証の性質・公序良俗違反の有無と身元保証に関する法律適用の可否
福岡地小倉支判平18.3.29判時1981号35頁
福岡高判平18.11.9判時1981号32頁
北海道大学大学院 戸谷義治

【筑波大学労働判例研究会】
●ファーストフード店店長の管理監督者性
ー日本マクドナルド事件ー
東京地判平成20年1月28日(労判953号10頁,労経速1997号3頁ほか)
労働開発研究会 北岡大介

2008年9月11日 (木)

おまえが若者を語るな!

200711000401_3 後藤和智さんから、『おまえが若者を語るな!』を贈呈いただきました。ありがとうございます。

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200711000401

>もう世代論などいらない!「この世代はこんな環境で育ったからこうなる」といった言説が飽きることなく繰り返され、偏見と差別しか生まずに消えていった……。二〇代の若手評論家が、不毛な論者・論壇を破壊する!

というわけで、内容は次の通りです。

>まえがき―世代論を煽ってきた論者に退場を勧告する!

第一章 「転向」した若者論者―若者論「で」一〇年が失われた
 若者論「で」失われた一〇年/二つの若者論バブル/若者叩きに「転向」した論者たち/少年犯罪は増えていない/酒鬼薔薇事件から始まる「運動」/貫いていた社会を変える意志/「転向」する宮台真司―「脱社会的存在」を生む/「脱社会的存在」に囚われる/「自分への帰依」を説く「社会学者」/俗論に染まっていく/「変貌」する香山リカ/「解離」とインターネットを「発見」する/ポイント・オブ・ノー・リターンに立つ「精神化医」/俗流若者論は政治まで語る
 ベストセラーを斬る! 隠された若者論① 養老孟司『バカの壁』

第二章 ナショナリズム論を煽った論者―若者を食い物にする
 若者を「敵」にした者たち/俗流ナショナリズム論の序曲―「ぷちナショナリズム症候群」/ナショナリズム論の図式が変貌した/押しつけられた「敗戦責任」/ナショナリズムが世代問題にされる/ナショナリズム論が若者バッシングを強化する/レイシズムに堕ちるナショナリズム批判/ナショナリズム論より残酷な「格差」論/「格差」論が権力と一緒に若者を追い詰める/いい加減な「分析」はやめろ!/若者論がナショナリズム論を殺した!
 ベストセラーを斬る! 隠された若者論② 藤原正彦『国家の品格』

第三章 サブカルを使い捨てにした論者―インターネット論を食い物にする
 疑似問題を再生産するインターネット論/「動物化するポストモダン」論は若者論でしかない/反証ができない不思議な議論/「環境論的分析」もただの世代論だ/意図的に作品が選ばれる/「動ポモ」論が与えた悪影響/ポスト宮台の論客/社会的背景を隠す宿命論/議論は島宇宙に閉じていく/「私たち語り」が好きな「若手」論客/世代論は害悪でしかない/「未来」すら偽証される/内輪だけで盛り上がって何になる?
 ベストセラーを斬る! 隠された若者論③ 梅田望夫『ウェブ進化論』

第四章 教育を実験道具にした論者―子供の人生を食い物にする
 権力と癒着する俗流若者論/「ゆとり教育世代」への批判は的外れだ/教育社会学への誹謗が繰り返される/わら人形に向かって叫ぶ男/妄想の「成熟社会」に寄りかかる教育論/いじめを理解していない「教育者」/周回遅れのメディア悪影響論を叫ぶ/権力者になった若者論者がいる/発言責任を問わない構造を免罪するな!
 ベストセラーを斬る! 隠された若者論④ 坂東眞理子『女性の品格』

第五章 世代論を「清算」する―ニヒリズムを打ち破る
 「脱『九〇年代』の思想」を目指せ!/若者はモンスターにされた/データを無視する「レジーム先行型」議論/ニヒリズムとシニシズムが蔓延する/「ポストモダン保守」化する自称リベラルたち/さらに下の世代の論壇は「釣り」化する/繰り返される不毛な若者論/他人の心を世代で片付けるな!/世代論はもういらない/若手社会学者の台頭に学べ!/オールド・リベラルよ、奮起せよ!/「ゼロ年代のアカデミズム」よりも大事なものがある/最後に―「世代論」への決別宣言

あとがき―語り継ぐべき悲劇

わたしとしてはやはり、宮台真司のいい加減な議論を叩きのめしているところが一番興味深かったですね。

わたしもこのブログの

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_b921.html(非社会性?)

で、宮台氏がイギリスやEUの社会政策で使われる「社会的排除」ということばを、自分の独自な「非社会性」だの「脱社会化」だのといった全く異なる概念に勝手に引きつけてしまっていることを批判しましたが、

>はあ?非社会性?なんでそういう俗流社会学ふうの方向に行っちゃうの?

どうも、「エクスクルージョン」とか「インクルージョン」という言葉を、素直に社会政策をやってる人間のように解釈するんじゃなくて、気の利いた風な言葉をちりばめた今様迷宮社会学風に解釈してしまっているからじゃないかと思われるんですが。

これこそまさに、「社会」を問題にすべき地点で「個人」を問題にするという、一番駄目な議論そのものじゃないですかね。

もちろん、宮台真司氏という社会政策とは何の関係もない社会学者がそういうことをお喋りになること自体は全くご自由ではありますが、この文章の悪質さは、イギリスやEUの(そういう俗流社会学とは何の関係もない)社会政策としてのエクスクルージョン、インクルージョンという議論を、そういうやくたいもない議論の一種であるかのように見せてしまうという点にあると思います。

ヨーロッパで社会政策の文脈で論じられている社会的排除とは、いかなる意味でも「社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たないという非社会的な事態」などとは関係ありませんから。

本書で後藤さんが苛立っているのも、本質的には同じことだと思います。

「社会」学者でありながら、「社会」が眼中にない人なんですね。

同じ問題は、宮台氏の弟子筋の人々の言い方にも当てはまるでしょう。本書の129ページに引用されている酒井信氏のこの言い方、

>近年盛んな若者論や格差論議は、総じて日本株式会社への賃上げ闘争の域を出ないものが多い。

ほほお、賃上げ闘争はそんなにくだらないですか。自分の脳内で、観念をもてあそんでいるよりも。

第4章の寺脇研批判も見事です。そういえば、寺脇研氏も「脱力官僚」、おっと「脱藩官僚」のお一人でしたね。

2008年9月10日 (水)

脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告 だそうです

9716 だそうです。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9716

しかも出版元は朝日新聞。

へえ、そうなんですか。朝日新聞さんは脱力官僚さんの味方なんだ。

>官僚批判が高まっているなか、かつて第一線で活躍した元エリート官僚たちが、反・霞ヶ関の団体「脱藩官僚の会」を設立。省益のために改革を骨抜きにする官僚の実態と手の内を明らかにするとともに、真の改革を成功させるための秘策を公開する。

まあ、世間的には埋蔵金官僚さんとか、ゆとり官僚さんとかが関心の対象なのかもしれませんが、こと労働問題に少しでも関心のある人であれば、当然のことながら、この方が何を言ってるかが注目のはずなんですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_f547.html

福井秀夫氏が何を言ってるかと思って、ぱらぱらとめくってみました。

霞ヶ関に「宣戦布告」とまでおっしゃるのですから、

さぞかし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_1cda.html

でご紹介したような猛語録が次々と繰り出されるんだろうと思いきや、

全然出てこない。

一言も出てこない。

>ごく初歩の公共政策に関する原理すら理解しない議論を開陳する

アフォな労働官僚諸君を猛爆撃していただけるものと期待しておりましたのに。

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。

とぶちあげていただいてるんだろうと思ったのに、

>不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。

と糾弾していただいているんだろうと思ったのに、

>過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。

とたたきのめしていただいているんだろうと思ったのに、

そういうことは一言もおっしゃっていただけていないんですねえ。

ニュートン力学はどこへ行ってしまったんでしょうか。

まさか、脱藩官僚ともあろうお方が、諸般の政治情勢を総合的に勘案して、うかつに喋ったらまずいと思って、わざと言うべきことを言わずにだんまりを決め込んだなどと思いたくはありませんが。

何にせよ、不思議千万な事態ではありますね。

もしや(まさかとは思いますが)規制改革会議でさんざんぶちあげたことどもを、よく考え直してみたら間違っていたから言うのをやめたとおっしゃるのであれば、正々堂々とそう仰るべきでしょうね。

本心では依然としてありとあらゆる労働者保護はことごとく廃絶すべしと思っているのに、朝日新聞出版の本ではだんまりを決め込んだなんて、まさかそんな姑息なことをやるような方ではないはずですから。

格差社会が“命”を縮める

日経のワガマガというサイトに、標記の記事が載っています。筆者は在米の近藤医師。

http://waga.nikkei.co.jp/ch/axa/interview/index.html

その中の、「お金持ちもそうでない人も、皆が不幸になる格差社会」というパラグラフで、近藤さんはこう語っています。

>たとえば仮に、富裕層だけが住む地域ができたとします。その人たちは、自分を守るためにセキュリティーを強化し、地域を要塞のように固めてしまう。すると、周辺に住むそれ以外の層の人々との間に交流がなくなり、互いの不信感が加速し、強い心理的ストレスを生み出します。さらに行政的にも、ニーズの違う各層の人々それぞれに違ったサービスを提供する必要が出てきて、結果として非効率的な社会となります。このような社会構造は、個人の豊かさにかかわらず、すべての人の健康に直接的、間接的に悪影響を与えると考えられています。

 私がいま住んでいる米国は社会的格差が非常に大きな国です。通常は国が経済的に豊かなほど寿命が長いのですが、米国は世界一豊かな国にもかかわらず、その平均寿命は日本よりも4年短く、先進諸国中では最低レベルとなっています(図)。その理由のひとつとして、たとえ国が豊かでも、社会的格差がそのメリットを打ち消してしまうことが考えられます。階級による住み分けのための非効率、格差からくる恐怖心やストレスといった要素が、米国人の長生きを妨げているのかもしれません。  

 格差と健康との関係については、断定的なことはまだ言えませんが、多くの人が仲良く暮らせるように融和された社会のほうが健康に良さそうだと思いませんか。社会そのものが個人の健康をダメにすることがないように、健康を視点に格差を考え直すことはとても重要だと考えています。

この記事が、日本をアメリカみたいにしたがっている(た?)日経新聞の関係サイトに載っていることに突っ込みを入れたい向きもあるかもしれませんが、そういう雑事は抜きにして大事な話でしょう。

ここに掲げられている図をコピーしておきます。

Zu2

2008年9月 9日 (火)

貧困の現場

Photo_2 ここのところ、ジャーナリストによる優れた社会派ルポが立て続けに出されています。今回は毎日新聞の東海林智さんから、『貧困の現場』を贈呈いただきました。ありがとうございます。

http://mainichi.jp/enta/book/mainichi_hon/news/20080901org00m040042000c.html

帯に曰く、

>悲しみと怒りを込めて告発する

なぜ貧困は拡大してゆくのか?なぜ労働の尊厳は奪われたのか?なぜ人間らしい生活が蹂躙されているのか?

10年にわたって貧困の現場を伝えてきた新聞記者が、丹念な取材と緻密な分析、そしてこみ上げる思いによって書き上げた入魂のルポルタージュ。

内容は次の通りです

貧困の現場から、悲しみと怒りを込めて―序にかえて

自分の境遇は自分だけのせいではない―貧困に陥った派遣労働者が労働組合と出会うまで

酷使され、命まで削られて―「名ばかり店長」の過酷な労働現場

不当解雇と闘う母子―仕事をすることの誇りを取り戻すために

過労うつ労災―不安定な雇用、そして際限のない労働

定時制の就職事情―改革路線が、学びながら働く生徒の夢を押しつぶす

水際作戦の実態―生活保護申請を締め出す自治体窓口

仕事に殺される―過労死・過労自殺の現場から

ある日系三世ブラジル人の死―外国人労働者が強いられる、現代の奴隷労働

反貧困運動―貧困の広がりを見据え、その根を告発する

秋葉原事件と派遣労働者の現実―自殺か他殺か、にまで追いつめられて

座談会 反貧困のための社会的連帯―河添誠×ダヴィド=アントアヌ・マリナス×東海林智

いずれも、ジャーナリズムがきちんとまなざしを投げかけるべきところにしっかりと届いたすばらしいルポといえましょう。東海林さん(ちなみにショージさんではなく、とうかいりんさんです)の文章は、時としてやや感情が高ぶったところがあり、いささか危なっかしさを感じさせるところもあるのですが、それもまさに「こみ上げる思い」のなせるわざなのでしょう。

とだけ言ったのでは何のことかと思われるでしょうから、一つだけ。例の奥谷禮子氏が労働政策審議会で連合の長谷川裕子さんと大激論を展開したとき、東海林さんはその場にいたのですが・・・、

>私は、審議会を傍聴していたが、この発言を聞き、思わず立ち上がりそうになった。見返すと、取材メモの文字は怒りに震えている。満員の傍聴席のあちこちから「ひどい」「むちゃくちゃだ」という小さな声が上がっていた。・・・しかし、この発言だけは許せない。経営者のモラルはここまで落ちたのだろうか。彼女の発言には人を雇っているものの責任が欠片もない。・・・

こういう場面では、あえて冷静に事実そのものの迫力で奥谷氏の本質をえぐり出すべきで、ジャーナリスト自身が興奮してはいけないんじゃないか、という考えもあるでしょう。私はジャーナリズムのあるべき論を論ずる立場ではないので、ここでは結論を出さないでおきます。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_bcac.html(奥谷禮子氏の愉快な発言)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_1a6b.html(奥谷禮子氏の愉快な発言実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e152.html(雇用融解または奥谷禮子氏インタビュー完全再現版)

ついでにおまけとして

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_9e51.html(入試問題になったようです)

時間外割増賃金をめぐる法と政策

6月に講演したものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/warimashi.html

中身は、今まであちこちで書いたり喋ったりしてきたことの集大成みたいなものですが、改めて頭の整理としてお読みいただければ、と。

2008年9月 8日 (月)

『世界』10月号

783 岩波の『世界』誌が、「若者が生きられる社会宣言-労働、社会保障政策の転換を」という特集を組んでいます。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/2008/10/directory.html

中心は、遠藤公嗣 (明治大学)、河添 誠 (首都圏青年ユニオン)、木下武男 (昭和女子大学)、後藤道夫 (都留文科大学)、小谷野毅 (ガテン系連帯)、田端博邦 (東京大学名誉教授)、布川日佐史 (静岡大学)、本田由紀 (東京大学) の諸氏の共同提言である「若者が生きられる社会のために」という論文です。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/2008/10/149.html

これ自体が一冊の本になるような内容をわずか20ページ足らずに圧縮したエグゼキュティブ・サマリーのような文章なので、ここでさらに要約することはしません。是非書店でごらんになってください。

一点だけ感想めいたことをいうと、ある種の人々からは意外に思われるかもしれませんが、この共同提言と一番近い立場にあるのは、実は八代尚宏氏と労働市場改革専門調査会の方々ではないかという印象を改めて強く持ちました。

私の言い方でいうと、メンバーシップを強調する日本型雇用システムの矛盾こそが今日の問題の根源であり、これを適切なジョブ型社会にもっていかなければ道は開けない、という強い指向です。

それは確かに原理的にはその通りという面があるのは確かなのですが、実はそこが現実主義者である私がそう簡単にその通りといえないところでもあるわけです。正社員のメンバーシップを水で薄めながらもその保護機能を維持しつつその水で割ったメンバーシップを非正社員にも広げていく中で、徐々に社会的な保護メカニズムを確立していくしかないだろうと、悔い改めない実務派は思うわけですね。

この点は、以前この研究会に呼ばれて喋ったときに、研究会の方々もおっしゃっていた点です。

そのほかの論文や対談は、

【対  談】
相互扶助が自己責任論を打ち砕く!――老人と若者の連帯で日本を変える
  なだいなだ (精神科医)、雨宮処凛 (作家)

【法政策】
正社員と非正社員の格差解消に何が必要か
  島田陽一 (早稲田大学)

【調  査】
働く若者たちの現実――違法状態への諦念・使い捨てからの偽りの出口・実質なきやりがい
  今野晴貴 (NPO法人POSSE)、本田由紀 (東京大学)

【セーフティネットの綻び】
貧困ビジネスとは何か
  湯浅 誠 (NPO法人もやい)

【ル  ポ】
誰のための「再チャレンジ」だったのか――若者就労支援政策で儲けた人々
  小林美希 (ジャーナリスト)

【座談会】
労働組合の出番が来た――労組は若者たちの〈居場所〉たりえるか
井筒百子 (全労連)、笹山尚人 (弁護士)、竹信三恵子 (朝日新聞)、龍井葉二 (連合)

竹信さん、全開。

政府:経団連に賃上げ要請へ

毎日新聞が報ずるには、

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080908k0000m020081000c.html

>政府は日本経団連に対し、今冬の賞与や来年の春闘での賃上げを要請する方針を固めた。原油や原材料価格の高騰による食料品などの相次ぐ値上げで、消費者の負担が増しており、経済政策の一環として賃上げで家計所得を増し、個人消費を下支えするのが狙い。二階俊博経済産業相が、10日に予定している経団連幹部との懇談会の席上で正式に伝える。

だそうです。

いやもちろん、経済の収縮を防ぎ、成長を目指すには財・サービスの需要サイド(すなわち労働力の供給サイド)にしっかりと金を回さなければいけないというのは、(どこぞの揚げ塩風味のリフレを称するシバキ派は別として)マクロ経済の常識なんでしょうが、それを政府がしゃしゃり出てやるのではなく、労使交渉を通じてやるというのが、60年代に確立したケインジアン福祉国家のシステムであったわけで、そのモデルから考えるといろいろと感慨がわくところもあります。

2008年9月 7日 (日)

生活者の企業観

連合総研の『DIO』最新号で、「不」氏が「企業の中に社会の目を」というエッセイを書いています。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no230/siten.pdf

>「日本の企業はリスクをとっていない、もっとリスクをとって株主に奉仕せよ」という声が、ますます高まりつつある。・・・

>とはいえ、企業には、株主、債権者、顧客、従業員、取引先企業、系列企業、地域社会、政府など多くのステークホルダー( 利害関係者)がいる。株主と違って、そのほとんどはリスクなどとりようのない存在なのだ。

という「企業は誰のもの?」話なんですが、引用されている経済広報センターの世論調査が興味深いのです。最新の2008年調査では、

>「企業にとって、今後特に企業が重視すべき関係者」の第1 位は「最終消費者(エンドユーザー)」( 7 5 . 0 %)、第2 位は「従業員」( 74 . 0%)、第3 位は「生活者」( 一般国民)( 50 . 0%)、第4 位「地域社会」( 28 . 0%)となっている。「個人株主」(15 . 0%)と「機関投資家」( 3 . 0%)をあわせた「株主」は18 . 0%の回答率で、「ビジネスユーザー(取引先など)」( 26 . 0%)を下回る。

のですが、過去10年近くの推移を見ると、

>「従業員」重視の割合は、1999 年の第2 回調査から2000 年の第4 回調査までは60%前後だったものが、2001 年の第5 回調査71 . 8%と10%ポイント以上の増加となった。第6 回調査(2002 年)以降では、この傾向がさらに進んで、「従業員」重視の割合が7 ~ 8 割となっている。2008 年の第11 回調査の結果も、このような傾向の延長上にある。

というのです。

「不」氏は、これについて、

>背景には、1990 年代における相次ぐリストラの中での雇用不安、所得低迷があるだろう。また、2002 年以降の長期景気拡大の過程でも、従業員は一向に報われることはなかった。自分の勤め先での従業員としての利害と、家庭や地域で生活する生活者の利害、というふたつの立場が「生活者」の企業観に反映されている。従業員には、自らの利害だけではなく、「最終消費者」や「地域社会」に配慮する社会の眼を企業の中に持ち込む可能性がある。従業員を代表して企業内で「発言」する労働組合には、その可能性を現実のものとする大きな役割がある。労働組合が、その役割と責任を果たすことは、今後の日本経済の成長の質を大きく左右するものと思われる。

と述べていて、まあ私も結論にはその通りと思う方ではあるんですが、90年代末から2000年代半ばまでのそういう労働者たちがひどい目に遭わされていた時代が、同時に政治史的には、構造改革派が我が世の春を謳歌していた時代でもあるというパラドックスをきちんと見据えておかないといけないのではなかろうか、という気もするのです。

http://www.kkc.or.jp/profile/index.html

経団連会長が会長を務め、「経済界の考え方や企業活動について国内外に広く発信するとともに、社会の声を経済界や企業にフィードバックすることに努めて」きた財団法人のアンケートには、従業員こそ最大のステークホルダーと答えながら、一国の経済社会のあり方を決めるような国政の重大な意志決定をゆだねる相手は、企業は株主の利益だけしか図ってはいけない、従業員の利益を図るなんぞ背任行為じゃ、コラァ、というような人々であり続けたというこのパラドックスを。

欧州労使協議会指令改正について労使団体の共同要請

去る8月29日付で、欧州レベルの労使団体である欧州労連、欧州経団連、欧州中小企業協会、欧州公共企業体センターの連名で、欧州労使協議会指令の改正内容についての共同要請が行われました。

http://www.etuc.org/IMG/pdf_2008-01528-E.pdf

長らく指令改正に対してリラクタントな姿勢を示してきた経営側ですが、欧州委員会が指令改正案を発表するぞという間際になって労使交渉をやりたいと申し出、労働側が今更何を言ってるんだと拒否して、7月2日に欧州委員会から指令改正案が出された後も、その内容を労使の共同要請でこうやってくれという姿勢になったようです。

元々性質上、労使が中身を決めるべきものでもありますし、おそらくこの要請書に書かれているような形で指令の改正が粛々と行われていくことになるのだと思われます。

実は、つい先日、『グローバル経営』という雑誌に、「EU労働政策の新たな展開 」というのを書いたばかりなんですが

http://homepage3.nifty.com/hamachan/globaltenkai.html

そこで、7月に提案されたばかりの指令改正案を紹介したところです。

そのほかの動向についても簡単に紹介してありますので、一瞥していただければ、と。

2008年9月 6日 (土)

社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう

世間では経済政策が焦点になりつつあるようですが、権丈先生も昨日参戦されたようです。曰く、「社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう」。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare172.pdf

>最近、医療で講演に呼ばれても、年金で呼ばれても、はたまたどういう政治色の人たちに呼ばれても、まず僕が言うことは、「財源はなんでもいい、いま、10兆円の負担増をして、それを全部社会保障の現物給付に回すとする。マクロ経済にどんな影響を与えると思いますか?」

僕の思考回路の中では、内需主導型の景気回復が起こる。しかも社会保障の現物給付は高齢者がたくさんいるところに所得が流れるにきまっているのだから中央と地方のバランスのとれた景気回復が起こる。と同時に、この政策を中長期的には10兆円と言わず、より積極的に展開すれば、老後の不安から大幅に解放されて人びとは真に安心感を抱き、個人で蓄えたストックをフロー化しはじめる。結果、マクロバランスは改善され、財政赤字での需要の下支えの必要も弱まる。

なにか悪いことはあるか? 個々人の行動というミクロの視点では正しくとも彼らの行動を集計したマクロの世界では意図していなかった不都合なことが生じるという「合成の誤謬」というようなことを知らない国民が、政府不信や一見常識的に聞こえる自助努力、生活自己責任の原則に基づいて負担増はイヤだと行うべきでないと言うのであれば、負担増をして社会保障の充実を図る途の方が、本当は生活が楽になることを説得することこそが、彼ら国民のためだろう。赤字国債でやるべしと言う人もいるだろうけど、この国にはそれほどの余裕はないし、負担増でやっておいた方が、国の形そのものを変えることにつながり、結果、制度そのものが頑強性を備えて持続性をもつ。

もっとも、この国の需要構造の大転換のために、生産要素の移動は生じる。社会保険料や税の負担が高くなって、奢侈品の消費は控えられるであろうが、負担増の部分は、すべて社会保障の現物給付に使われるのであるから、奢侈品の減少分の生活必需品は増加して、そこに新たな雇用が生まれる。そして労働の移動が生じる際のさまざまな摩擦は、社会保障でできる限り保障する。

また、社会保障の現物給付は、所得と関わりなく、高所得者であれ低所得者であれ、ほぼ同じ額が給付されるのであるので、いかなる財源で調達しようとも、受給額から負担額を引いたネットでみれば、低所得者であるほどネットの受益者になる。したがって、積極的社会保障政策は、社会全体の消費性向を高めることになり、この国の難問である需要不足の緩和に大きく貢献する。

そうした一国の体質改善を図りましょうというのが、積極的社会保障政策であり、これは、景気対策であり、成長政策なのである。

これこそ、まさしく、もっとも正しい意味におけるマクロ経済的発想と称すべきものでしょう。

ところが世の中には、奇妙な思想が蔓延していて・・・。

>ところが、世間をながめてみると、構造改革とか上げ潮とかなんとかという不思議な呪文のもとに、自助努力とか生活自己責任の原則などと言っては、国民にガマンを強いるのが、成長政策と考えている人がやまほどいるようなのである。しかしながら、この国を成長させたいのであれば、採るべき政策は、まったく逆。互助・共助と生活の社会的責任の強化である。構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない。せいぜい、外需という神頼みの成長くらいしかできそうにない。

このあたり、EU社会政策の文脈では、「生産要素としての社会保護」という標語で呼ばれているところですし、今年の厚生労働白書でも触れられています。

2008年9月 4日 (木)

経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会議事録

7月31日の標記調査会の議事録が公開されました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/23/work-s.pdf

正規と非正規の壁についてのとりまとめの議論ですが、結構大胆な議論がされていて、注目に値します。

とりわけ、八代会長の

>(八代会長)有期雇用の契約については、契約期間に応じて、雇止めの場合には保障するというもの、正社員の金銭賠償に近づけていくというようなものが考えられる。有期労働者の採用にも応分のコストがかかるということである。

という発言は、まさに私が主張してきたことですし、

その他の委員の方々の発言もおっと思うようなのがたくさんあります。まずはこのリンク先をざっと読んでみてください。

(追記)

といいましたが、おそらく多くの方はリンク先をじっくりとはご覧にならないでしょうから、いくつかピックアップしておきます。

まずは八代会長の冒頭の問題意識:

>非正社員の規制緩和について、何が足らなかったのかということを考えたい。これはOECDの、例えばエンプロイメント・アウトルックなどでも、日本の場合は非正社員の規制緩和が先行する一方、それと補完的な仕組みが十分形成されていなかったことが1つの大きな問題ではないかという指摘もある。また、非正社員の規制緩和をしたときに、何かを併せて一緒にやれば、今のような批判は起こらなかったのではないかと思う。それは何なのかというようなことも是非考えていただきたい。

>最後のまとめとして、やはり高質の労働市場の形成に向けてどのように取り組むかということ。そのような労働市場の形成に向けて非正社員の問題をどのように考えていくのかということである。例えば、同一労働、同一賃金について、これについては正社員の働き方を非正社員に合わせるのか、という批判をよくされるが、そうではなくて、両方とも質の高い働き方にしていくにはどうしたら良いだろうかということで議論していきたく思う。

たいへんまっとうな問題意識だと思います。

大沢委員の発言:

>正社員というと年功賃金プラス雇用保障というふうに考えられるが、賃金形態については各企業で何か公正な賃金なのかを工夫して進めるべきであり、この部分について年功賃金がいいのだということはもう言えなくなっていると思う。そうであるならば、もう賃金は別にして、常用雇用化という中で、勿論、終身雇用と別の雇用保障の在り方がどういうものであるのかをもう少し詰める必要があるとは思うが、そのことによって雇用が安定する労働者がとても広がると考えた。

そのようになった場合、その中で次に雇用保険の在り方、社会保険の在り方というものについて、かなり広範な労働者を対象にセーフティーネットを敷くことが必要であると考える。また、有期雇用については禁止するなり、あるいはその中で安定的な雇用に移行するための技能訓練とか、やはりスキル形成ができないと有期から安定的な雇用にはいけないので、国がもう少しそこに関与して、若者の技能形成に真剣に取り組む、あるいは政労使の中で経営者もそこに参加して取り組むということが考えられる。

佐藤委員の発言:

>足りなかった点としては、正社員の働き方が変わっているにもかかわらず、正社員の雇用保障の考え方を多元化できなかったということが一番大きいのではないか。企業における人材活用や労働者の働き方の変化に、既存の枠組みの整備が追いつかなかったため、いわゆる非正規が想定していた以上に増えてきたということがあると思うので、正社員の方の雇用保障の在り方をもう少し多元化するということが一番大きいと思う。

樋口委員の発言:

>理論で言えば、例えば有期雇用の場合に雇用保障が薄いのであるならば、これは保証賃金仮説に基づけば、賃金が高くてしかるべきだということになるわけだが、そうなっていない。全部の側面から見て使い勝手が良いというようなことがあって、そこに均等の問題とか均衡の問題とか、例えば派遣であれば、その派遣先の責任を強化することにより、この視点から見ると使い勝手は良いけれども、この場合にはむしろ常用の方が良いですねとか、組み合わせみたいなものが出てくるべきかと思う。

山川委員の発言:

>もう一つは有期雇用。そもそも雇止めのルールは判例で割と明確だが、それをきちんと書くなど有期雇用の位置づけを明確化するということも論点としてあるのかなと思う。この場合、利用制限というか、有期雇用原則禁止については、私はそこまではできないと思っている。
もう一つは、トレーニングの話である。基金をつくるとか雇用保険の2事業を利用するというアイデアは良いのではないかと思っている。つまり人材ビジネス会社について、長期雇用の予想されない場合でもトレーニングを行うようなインセンティブを与える。それは経済学的にも多分説明が付くのではないかと思う。それによってセーフティーネットのためのコストを下げられる。人材ビジネスに対して、それが積極的に一般に通用するようなトレーニングを行うためのインセンティブを国として与えていくということは、非常に有効な取組ではないかと思う。

井口委員の発言:

>自立支援プログラムは、雇用保険と現行の生活保護の間に設ける新しい制度として明確に位置づけていくことが必要があると思う。自立支援に関しては、ついては、実は木村先生とも議論したのだが、まだ、住宅扶助を活用すべきかどうか問題について意見の一致をみていない。私が地元のハローワークの関係者に聞いてみたところ、いわゆるフリーターなどの人たちの就職支援に際し、自立を支援する観点からは必ず住宅問題が引っかかってくる。そこで、どういうふうに対応しているかというと、社宅など住宅を持っている企業にできるだけ雇ってもらうというやり方をしている例が多い。生活保護を申請することは勿論できず、また自分で家を借りるほどの高給でもないので、なかなか難しい対応を強いられている。
実はこの生活保護の改革については、自立支援プログラムの新設を前面に出した上で、先ほど八代先生も仰っていたが、当面、例えば半年契約とか1年契約の人たちについても必要な範囲で福利厚生を適用し、企業のもっているファシリティを使いながら、できるだけ自立を促進すべきであろう。

これに対する八代会長:

>住宅もおっしゃるとおり大事で、いわゆるネットカフェ難民については、あれも1つの住宅問題である。何かグループホームみたいなものをうまく使えないかなという感じもしている。

要するに、世間には八代氏を福井秀夫氏と同列の「ありとあらゆる労働規制ことごとく撤廃派」だと考えている向きもあるのですが(国会で、福井氏の書いた規制改革会議の意見書を八代氏にぶつけた議員もいました)、それは必ずしも正しいわけではないということです。少なくとも、この調査会のメンバーの大部分は、適切な規制強化と緩和の組み合わせ(リ・レギュレーション)を志向していることがわかります。

福祉政治

32127207 北海道大学の宮本太郎先生より、新著『福祉政治-日本の生活保障とデモクラシー』を御贈呈いただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/bookhtml/comesoon/00008.html

内容は、

>福祉国家のあり方が問い直される中で,社会保障や福祉が政治的争点の中心にせりあがってきている。福祉政治は生活保障やデモクラシーのあり方をどう変えるのか。福祉政治分析の理論を整理し,併せて1960年代以降の日本を中心に福祉政治の展開を考察する。

はじめに
序 章 日本の福祉政治──なぜ問題か,どう論じるか
第1章 福祉レジームと雇用レジーム
第2章 福祉政治をどうとらえるか
第3章 一九六〇・七〇年代の福祉政治──雇用レジームと福祉レジームの形成と連携
第4章 一九八〇年代の福祉政治──福祉レジームの削減と雇用レジームの擁護
第5章 一九九〇年代後半以降の福祉政治──雇用レジームの解体と福祉レジームの再編
終 章 ライフ・ポリティクスの可能性──分断の政治を超えて
 あとがき

といった構成ですが、近年の比較政治経済学を要約した第1・2章から、日本の戦後政治史を福祉という資源の配分をめぐる様々なアクター間の競争・協力の絡み合いの歴史として読み解く第3章以降になると、ぐっと面白さが高まります(少なくともわたし的には)。

全体を貫く大きな柱は、

「仕切られた生活保障」に基づく雇用レジームが福祉レジームを代替することによって、福祉国家としてはアングロサクソン型の「小さな国家」でありながら、ジニ係数は欧州並みに低く、かつ就業率も北欧や英米並みに高いという社会であった日本が、

そういう雇用レジームを維持強化しつつ福祉レジームを削減する80年代の中曽根行革路線が、大企業労使連合の支持のもとで行われ、

90年代にはこの雇用レジームの解体が行われて、福祉レジームの再編が不可避となった

というストーリーです。

この歴史解釈は、大筋で的確だと思われます。重要なのは80年代改革の歴史的位置づけで、ある種の研究者は、単純素朴にレーガン・サッチャー路線と同列に考え、中曽根改革→橋本改革→小泉改革と一直線的につなげようとしがちなのですが、それは適切ではないということです。

宮本先生はあまり明確に語っておられませんが、90年代改革を引っ張ったコミュニケーション的言説が、(英米追随型のネオリベ言説とともに)この80年代改革に具現した日本型雇用レジームに対するいわゆる進歩派の反発感覚(私のいう「リベサヨ言説」)に根ざすものであったという点も、逸することはできないように思われます。

その他、細かいところでも、妙な政治的バイアスのない的確な認識がさりげない形で各所にちりばめられ、入門書のような風情でありながら、プロ仕様になっているという大変お値打ちな本です。

(ちなみに、拙著『労働法政策』では、この推移を60年代から石油ショックまでの「近代主義」、70年代後半から80年代の「企業主義」、そして90年代後半以降の「市場主義」という形で時代区分しています)

(追記)

「妙な政治的バイアスのない的確な認識」というだけではよくわからないかもしれないので、一つ挙げておきます。

世の単純素朴な方々は、石橋湛山や池田勇人は小日本主義のハト派だから庶民の味方、岸信介はA級戦犯のタカ派だから庶民の敵とか思いがちですが、宮本先生は日本における福祉国家のレジーム形成期における二つの流れを、こういう風に的確に描き出しています。

>一つは、経済企画庁流の議論とも呼応しつつ、さらに国家主義的なトーンを強めた岸信介らの福祉国家ナショナリズムである。そしてもう一つは、石橋湛山による生産主義的福祉論の系譜であり、これは後に経済成長それ自体で福祉を代替しようとした池田勇人に引き継がれる。

>福祉国家について石橋は、「我々はまず大いに生産を伸ばして、それによって福祉国家の建設を図りたい」と主張する。

>これに対して翌1957年2月に誕生した岸政権では、広範な国民を包摂する社会保障制度の実現そのものに力点が置かれる。

>石橋の生産主義的福祉国家論に対して、岸や野田の議論に共通するのは、ナショナリズムの帰結として打ち出される格差是正論であった。

この辺の政治的配置構造がわかっているかどうかがリトマス試験紙になります。

2008年9月 3日 (水)

生活保護が危ない

057459 扶桑社新書からでた産経新聞大阪社会部『生活保護が危ない』は力作です。こういうのを読むと、しっかりした社会的センスを持って取材する記者の力はすごいなあと思います(もちろんそちらが少数派なのですが)。

http://www.fusosha.co.jp/book/2008/05745.php

昨年4月から今年3月まで連載された記事がもとになっていますが、何よりも大事だと思うのは、とかく生活保護の問題は、「こんな人にすら生活保護を認めないなんて、なんてかわいそうな!行政はひどい!」論と、「こんな連中にすら生活保護を垂れ流すなんて、なんて甘やかしてるんだ!行政はもっとしばけ!」論という二極の間で振り回されるだけで、全体像をきちんと論じようという姿勢がともすれば見失われがちなのですが、そこのところをしっかりと見据えていて、常に両方の側面をにらみながら問題を追いかけようとしているところです。

本ブログで紹介した大山典宏氏(本書にも登場します)の『生活保護VSワーキングプア-若者に広がる貧困』PHP新書とも共通する視点で、こういう視点が広がっていくことが、社会的排除問題を正しい形で議論していく土壌を豊かにしていくことになるのだろうと思います。

ちなみに、最後のところにモリタク先生が登場して、一席述べています。

>例えば、経済学者の中には負の所得税を導入しようと主張する人もいる。所得の再分配のために、所得が一定水準を下回ったら、所得税を取るのではなく、負の所得税を政府が支払うべきだというのだ。そして、所得がゼロの時に、生活保護と同水準の負の所得税が支払われるようにすれば、貧困の問題はなくなるというのだ。・・・しかし、年収200万円未満のサラリーマンが1000万人を超えているような現在の状況のもとで、もし負の所得税など導入したら、彼らはみな仕事を辞めてしまうだろう。負の所得税を満額もらった方が年収が増えるからだ。

こんなもっとも初歩的なインセンティブの議論もわきまえないで、労働規制はことごとく撤廃せよ、そしてこぼれ落ちたのは生活保護で面倒見ればいい、というような乱暴きわまりない議論を平然と展開する人々が、現になお政府の中枢近くの会議におられるのですから、なかなか悩ましいところではあります。

季刊労働法222号のお知らせ

労働開発研究会のHPに、9月13日発売予定の季刊労働法222号のお知らせが載っていますので、こちらでも宣伝しておきます。

http://www.roudou-kk.co.jp/archives/2008/09/222.html

●今号では「労働立法システムの危機と再生」、「労働者性をめぐって?判例の新展開と立法課題を中心に?」といったテーマの座談会を掲載します。前者では、政策決定過程を熟知した花見、山口、濱口の三先生に、労働立法過程の動揺と再生について、触れていただき、「労働法」の近未来を探ります。後者では、労働者に近接した就労者にはどのような保護が必要か、今後の立法課題としてどのようなことが挙げれるかなどといった点について、大いに議論します。

この花見・山口・濱口の鼎談は、特に花見先生のご発言の凄まじさだけでも読む値打ちがありますよ。

特集 近時の労働立法をめぐって

鼎談・労働政策決定過程の変容と労働法の将来 
上智大学名誉教授 花見 忠 上智大学名誉教授 山口浩一郎
政策研究大学院大学教授 濱口桂一郎

座談会・労働者性の再検討?判例の新展開と立法課題? 
東洋大学教授 鎌田耕一 労働政策研究・研修機構研究員 池添弘邦
早稲田大学教授 島田陽一 弁護士 水口洋介

最低賃金法制の新しい出発 一橋大学教授 中窪裕也 他

●第2特集では、企業法制の変容と労働法について、欧米の動向を紹介します。日本IBM事件東京高裁判決が出され、日本でもこの問題が注目されつつあります。欧米での研究が日本にどのような示唆をもたらすか、検討する特集になっています。
●その他、「破産労働法」、「ホワイトカラー労働者の労働時間」、「マクドナルド事件東京地裁判決」といったテーマに関する論文も掲載しています。

西垣通 on 労働経済白書2008

雑誌『厚生労働』が恒例により労働経済白書の特集をしていますが、今年の石水調査官の対談相手は東大情報学環の西垣通氏。日本にIT専門家はピンからキリまで山のようにいますが、おそらくその筆頭のあたりにおられる方でしょう。『基礎情報学』や『情報学的転回』など、門外漢ながら興味深く読ませていただきましたが、石水さんもそういう一人だったようです。

その西垣氏が、対談ではかなり全開モードです。

>白書の分析は、私の経験からも、全くその通りだと思います。日本の長期雇用のシステムというものについてもう少し広い観点からとらえ直すことが必要だったんですね。それをやらないで、いたずらに短期的な成果報酬型、英米型というんですかね、極端なモデルに走ってしまった。これを今、産業界は猛省すべきではないでしょうか。また、事実、反省しつつあるわけですよね。

>日本人は、アメリカン・グローバリズムに乗ろうとしてなかなか乗れない。下手をすると、アメリカ流の良さみたいなものもうまく体現できなくて、自分たちの良さも失ってしまうということになりがちです。なぜ、そうなるのかというと、要するに、半端な知識人がいて、アメリカにならえと礼賛するからです。アメリカでちょっと生半可な知識を勉強した自称知識人が、これからはこういう時代になる、さもないとグローバルスタンダードに遅れるぞ、なんて脅す。

>いわゆる市場的なモデルというのは、私からみるとあまりにも物事を単純化しすぎている気がするんですよ。例えば、財というのは基本的に個人にだけ属するものなのでしょうか。・・・・・・かつては、従業員がアイディアを出して企業が特許を取っても、それでお金をたくさん欲しいなんて言い出す従業員はほとんどいなかった。・・・それに対して今、非常に大きく対立する考え方がある。最近出てきている考え方で、自分の特許によって莫大な収入を会社が得たんだから、それにあった分だけ会社よこせ、というものです。

>ミクロにみると、訴訟を起こすのは正しいようですけれども、アイディアというのは果たして自分一人から出てくるものなのか、そこは大事な問題ですよ。・・・・・・個人に全てを帰着させて、ここのプレーヤーが市場で競争すればいいんだというのは、あまりにも粗雑な議論だと私は思う。それだけで突き進むと、様々な面でひずみが出てくる。

>どうやら、完全知識あるいは完全情報の幻想というものがあると思うんです。これは新古典派経済学でもそうではないでしょうか。完全知識を持っていれば、完全な均衡状態が達成されるはずだというのは、市場経済論の根幹なのかもしれない。でも、一体、完全な知識というのは何なのですか。

>神様みたいに何でも知っている。それで全部合理的な解が市場を通じて達成されるはずだ、という考え方です。私はそういう市場原理はあまりにも抽象的なモデル過ぎて、様々な細部の切り捨てが行われているのではないかと思うわけですね。

>その現代経済学の考え方というのは、先ほどいいました完全情報というか、つまり、情報や知識をオープンにして万人が共有すれば、最適状態が達成できるという理論なのではありませんか。

>私は経済学者ではないけれども、もしかしたら現代経済学の中枢部分に、社会認識論としては決定的な誤りがあるのかもしれない。それに代わる新しい社会認識の学問として、私は基礎情報学を論じたいのです。

>基礎情報学は、情報や知識というものはそんなに簡単に伝わるものではありませんよ。と主張するわけですよ。記号の伝達と意味内容の理解とは別物です。・・・基礎情報学では、人間をオートポイエティックシステムととらえるのです。

>全て情報をオープンにすれば、何事も神様みたいにわかって合理的判断ができるんだ、という理論がまかり通っているなら、これはおかしい。人間だって生物で、神様ではない。認識論をすっ飛ばして、安易に客観世界を想定して、情報をオープンにして、後は市場原理にゆだねれば全てOKだ、と強弁するのは知的欺瞞です。

(石水)私たちも、先生の基礎情報学を学び、日本の未来を切り開くことができる労働行政でありたいと思います。

2008年9月 2日 (火)

大津和夫『置き去り社会の孤独』

41cfn5pbzhl 読売新聞で社会問題を書かせたらこの人しかいないという大津和夫さんの『置き去り社会の孤独』をいただきました。ありがとうございます。

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/info/book_item/20080814-OYT8T00400.htm

「置き去り」という言葉は、154ページでスウェーデンの職員が語った「置き去りにしておいて、社会にどんなメリットがあるのでしょうか」からきているのでしょうか。「社会的排除」といういささか堅い言葉では掬い上げられない感覚をよく言い表していると思います。

生き生きとした描写は、さすがこの道のベテラン記者という感じです。

第3章の「欧州の取り組み」のところには、私もちょびっと顔を出しています。

第4章の「置き去りのない国へ10の提言」は、大変意欲的です。

(1)国は相続税の課税強化や消費税などから、最低1兆円かける覚悟を

(2)貧困の広がりと深さを浮き彫りにする指標作りを

(3)対策の理念は、仕事と<生命>の調和を図れる社会の実現

(4)「まともな」生活が送れるよう、国は基礎的な賃金を保障せよ

(5)正社員との間の不合理な賃金・社会保険の「格差」を是正せよ

(6)労働時間の上限規制の導入、過労死を出した企業名を公表し、持続可能な働き方の基盤作りを

(7)生活保護と就労支援の空白を埋める「自立支援制度」の創設を

(8)社会保障番号の導入を検討し、支援対象者を「発見」、「誘導」していくシステムを整備せよ

(9)日雇いの仕事は合理的な理由がある場合を除いて原則禁止、住民税を活用してNPOを支援するなどし、まともな雇用の受け皿作りを

(10)シチズンシップ教育を通じて、働く者が市民としての権利と義務を学び、泣き寝入りしないような環境作りを

まあ、特に(1)などは、今のポピュリズム(埋蔵金!)に流される国民にその覚悟があるのかという問題が真っ先にありますが。

最後のシチズンシップ教育というのは、まさにこのブログで最近取り上げている「労働教育」の拡大版ですね。

2008年9月 1日 (月)

従業員の生活保障は企業の務め

本日、労働政策研究・研修機構から「「企業における人事機能の現状と課題に関する調査」(第2 回 企業戦略と人材マネジメントに関する総合調査)」が発表されました。

http://www.jil.go.jp/press/documents/20080901.pdf

タイトルは、

>人手不足を背景に強まる企業の長期安定雇用志向
大多数の人事担当者が「従業員の生活保障は企業の務め」と回答

です。おもしろそうでしょう。担当は、立道主任研究員です。

調査結果のポイントは以下の通り。

>(1)強まる長期安定雇用志向―「できるだけ多くの正社員を対象に長期安定雇用を維持していきたい」と考える企業が全体の8割に達している(4頁図1)。この傾向を4年前と比較すると長期安定雇用志向の企業が増加していることがわかった(5頁図2、6頁図3)。

(2)人手不足を背景に進む新卒採用と高齢者活用―新卒採用や高齢者の活用など人手不足を解消するための人事施策の重要度が高まっている(7頁図4)。

(3)成果主義導入企業の4割で格差が拡大―2008年時点で成果主義を導入している企業では、2000年以降の同一部門の課長レベルの正社員の年収格差は、40.5%が「広がった」、42.7%が「変わらない」、10.0%が「縮まった」と回答している(8頁図5)。

(4)人事担当者の意識―8割以上が「従業員の生活保障は企業の務めである」と考える他(9頁図7)、多くの人事担当者が株主と従業員による経営監視に肯定的である(9頁図8)。

(5)人事担当部門を経由する多様な労使コミュニケーション―人事担当部門へは、上司、社内の自己申告・苦情処理制度、組合、社内外の相談窓口など多様な経路を通じて苦情が寄せられており、人事担当部門が多様な労使コミュニケーション機能を担っているのが現状である(11頁図10)。

(6)他社の人事担当者との多様な情報交換―他社の人事担当者との情報交換が半数以上の企業において行われており、賃金・人事制度や労働市場における賃金の相場の情報などを交換していることから、人事担当者のネットワークを通じた他社の情報が、労働条件決定に影響を及ぼしている可能性が示唆される(12頁図12)。

(7)団交代替型の労使協議が7割―7割の企業で労使協議が行われており、その機能に着目すると、67%の企業で団体交渉に代替する機能を労使協議が果たしているなど、労使協議が労使交渉、労使コミュニケーションの要になっている(13頁図13)。

いろいろな意味で示唆的です。これはあくまでも人事部長さんの考え方であって、財務部長さんや営業部長さんの考え方ではないということを念頭に置くと、ジャコビー先生の『日本の人事部・アメリカの人事部』で示されたような、企業内部における部門間の力関係がどうなっているかという補助線が一つ必要かもしれません。(マクロ的には、旧日経連の人がどういう考え方を持っているかということと、それが日本経団連の意志決定にどれだけの影響力を持ち得ているかという話にもつながります)

労務屋さんのご意見を是非伺いたいところではあります。

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