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2008年8月

2008年8月31日 (日)

何のための法教育?

はてぶで、

>新聞記事を批判するならまず記事をちゃんと読むべき。記事にあるのは、「望ましいルールとはどんなものか」「なぜそれが必要なのか」とかを考える道徳っぽい学習だよ。裁判員になる頻度とか持ち出すのは筋違い

というご批判をいただいたので、いささか正面から申しましょうか、と。

いや、何でもかんでも労働法教育に持って行くのはいささか我田引水の気があるということは重々承知の上です。しかし、問題の本質は、法教育って、

>「望ましいルールとはどんなものか」「なぜそれが必要なのか」とかを考える道徳っぽい学習

でいいの?というところにあるのではないでしょうか。

社会で生きていく上で、自分や他人の権利を守るために必要不可欠な最低限の法知識を身につけるという実践的な教育ではなくって。

労働法だけの話ではありません。利息制限法どころか、出資法の最高利率すら全く教えられずに、闇金の暴利を唯々諾々と払おうとして破滅に追い込まれる人がこんなに多いということ一つを見ただけで、確かに「法教育」は必要だと思いますが、この記事が紹介している「法教育」はそういう問題意識ではないようです。

2008年8月30日 (土)

「未来の裁判員」育てる「法教育」 学校で広がる・・・ですって

朝日の夕刊によると、

http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY200808300098.html

>来年5月に裁判員制度が始まるのを前に、「未来の裁判員」になる子どもたちに、法律に基づいたものの見方を教える「法教育」が広がっている。学習指導要領に盛り込まれたほか、法科大学院の学生が教える側にまわるなど教育現場で模索が始まった。

んだそうです。

たしかに、何百人に一人の割合で裁判員になる役目が回ってくるのですから、裁判員になったときに役立つような法教育は必要でしょうねえ。

でもねえ、それよりずっと高い確率で、間違いなくクラスの生徒の大部分は、学校教育を卒業した後は賃金労働者として働いていくことになることが予測されるわけですが、そのために必要な法知識を教えなくてはいけないんじゃないかというようなことは、記事に出てくる東大の法科大学院の学生さんや、法務省や文部科学省のお役人さんたちの脳裏に浮かぶことはあるんでしょうか。

>東京都新宿区の教育委員会は夏休み中の2日間、幼稚園から中学までの全教職員約600人を集めて法教育の集中研修をした

んだそうですが、生徒からアルバイトでも有給とれるんでしょうかとか、労働組合なんて作っていいんでしょうか、とか聞かれて、正しく答えられるようになったんでしょうか。

そして、この記事を書いた朝日の記者さんたちは?

2008年8月29日 (金)

「結婚観」格差拡大が影落とす

読売新聞の調査が興味深いデータを示しています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08082907.cfm

>読売新聞社が行った全国世論調査で、日本人の結婚観に、経済的な格差の問題が影響していることがわかった。(

>今回の世論調査(面接方式、9~10日実施)からは、こうした格差の拡大が、「結婚はした方がよいと思うが現実は独身」というギャップを生じさせていることが浮かび上がった。

 結婚については「した方がよい」と思う人は65%、「必ずしも必要はない」は33%だった。03年は「した方がよい」は54%で、この5年の間に11ポイントも増えた。

 この傾向は特に若い世代で顕著だ。「結婚した方がよい」との答えは、20歳代で03年の30%が今回は22ポイント増の52%、30歳代で36%が15ポイント増の51%となった。

 しかし、現実には若い世代で結婚していない男女の割合は増加の一途をたどっている。国勢調査によると、25~29歳の未婚率は05年で男性71・4%、女性59・0%と過去最高を記録した。

 結婚志向は高まっているのに、なぜ、結婚していない男女が増え続けているのか――。

>理由は、未婚者が増加している背景についての考え方で明らかになる。・・・最も大きく数値が動いたのは、3番目に多い「経済力に自信を持てない人がいる」の39%で、03年の26%から13ポイントも増えた。

>橘木俊詔・同志社大教授(労働経済学)は、「経済的に豊かな人とそうでない人との格差が広がり、特に結婚対象年齢となる若者で、働いても貧困から抜け出せないワーキングプアが増えた。『家族を養っていけない』と悩み、結婚に踏み切れないでいる若者が増えている現状を表している」と分析する。

 小泉構造改革の“負の遺産”とされる格差問題が、結婚のあり方にも影を落としているというわけだ。

そういえば、だいぶ前似たような話を書いた記憶があるなあ、と思ってググってみたところ、こんなのが出てきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_913c.html(二極化とセックス格差)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_c922.html(労働経済白書(現在合議中))

「性淘汰」なんていうダーウィニアン用語もありましたなあ。

2008年8月28日 (木)

無法な使用者には法で立ち向かえ

リクルートのワークスでお世話になった荻野進介さんが日経BPオンラインでずっと書評をされていますが、今日の書評は笹山尚人著『人が壊れてゆく職場』(光文社新書)で、タイトルが「無法な使用者には法で立ち向かえ」。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080827/168959/

冒頭、最近異常に売れている『蟹工船』ブームに対して、こういうきつい一発から、

>面妖なこともあるものだ。一時期、プロレタリア作家、小林多喜二の代表作、『蟹工船』が、20代の、いわゆるワーキングプアの若者を中心に読まれていたという。

 ソビエト領であるカムチャッカの海に侵入して蟹を取り、加工して缶詰にするボロ船を舞台に、人間的な権利も尊厳も根こそぎ奪われ、命を落とすほどの過酷な労働を強いられる乗組員の姿が描かれる。その姿が、低賃金で働かされいつ解雇されるか分からない、自分たちの姿と重なる、というのだ。何を寝ぼけたことを言っているのだろう。

 この作品の発表は1929年。今から約80年前のことだが、過酷な労働状況という点は認めるにしても、当時と今とでは決定的な違いがある。労働者の保護立法が戦前と戦後では竹槍と鉄砲ほどの差があった。当時は労働基準法も最低賃金法もなかった。組合の合法化を目指した労働組合法制定の試みは関係者の粘り強い努力にもかかわらず、1931年に頓挫。非合法下の共産党に入党した多喜二が拷問死させられたのがその2年後だった。

 過去の、それもフィクションに現実を投影する暇があったら、いざとなれば、自分たちの身を守る最大の武器となる労働法規をしっかり学んでみたらどうだろう、とでも言いたくなる。

そのためにこれを読め!ということで、本書が紹介されるという段取りです。

>手ごろなテキストがある。こむずかしい理屈は前面に出さず、法律が無視され労働者の人格や生活がないがしろにされている職場の実態を紹介する一方、法律を武器に、そうした職場を放置している企業と戦う方法を指南する本書がそれである。

 取り上げられている事例は弁護士である著者が何らかの形で解決に関わったものばかりだ。判例をなぞっただけの無味乾燥な記述は皆無で、ある意味、弱い者に味方する正義の弁護士が快刀乱麻を断つノンフィクションのようにも読める。

本書に出てくる事例がなかなかすさまじい。

>本書で紹介される、あるデザイン会社でのいじめ、パワハラはすさまじい。いや、それ以前に、連日にわたる徹夜、長時間労働が常態化し、会社は社員一人ひとりに職場で寝泊りするための寝袋を支給していた。残業代はもちろんゼロである。しかも、社員は会社が指定した住居に相部屋で住まわされ、おまけに賭け麻雀にも強制的に参加させられていた。

こんな職場だから、上司による部下への暴力も日常茶飯事。そんななか事件が起きた。長時間労働による疲労でうたた寝していた社員に対し、上司の一人が「なに寝てるんだよ!」という怒声とともにいきなり殴りかかった。その男性はあごに穴が開くほどの重症を負ったが、謝罪もまったくなく、「病院にも警察にも行くなよ」と念を押されたという。

 著者はこの事件に民事と刑事の双方で対処し、暴力をふるった上司から、巨額の謝罪・賠償金を支払ってもらうことで和解が成立した。

ほかにもいろいろ紹介していますが、荻野さんの一番にいいたいことは、ここだと思います。

>本書を読みながら思ったことがある。自分が企業に雇用され、働くということが法的にどんな意味があるのか、何をすると罰せられて、逆にどんな権利が自分にあるのか、わかっていない社会人が多すぎるのではないか。もちろんこれは、自戒を込めて、の言葉である。

>一般市民のリーガルセンス、それも労働法の基礎知識を社会に出る前にしっかり教える必要がある。「人件費抑制を目的とした大企業の政策と、それを後押ししてきた政府の無策に、現代の労働者が困窮にあえぐ根本原因がある」といった、いささか図式的な見解は適当に読み流すにしても、最初に法律ありき、ではなく、あくまで現場の事例から議論を積み上げていく本書の価値は揺らぐものではない。

ということで、話は労働教育の必要性という毎度おなじみののテーマに戻ってくるのでありました。

神戸大学法学部入試問題小論文

最近は、入試問題に論文が使われると、出版社から赤本に収録したいので・・・という依頼が来るので、ああこの大学に使われたんだというのがわかるんですね。

今年度の神戸大学法学部の後期日程の小論文の問題の資料として、私の世界論文「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」の一部が使われたようです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.html

そのほかには、風間直樹さんの「雇用融解」の一部、日本経団連の提言、連合の「対応方針」、経済同友会の意見書、日経新聞での安藤至大氏の文章、日経BPでの城繁幸氏の文章が並んでいて、最後に私の文章がきます。

これらを読んで、ホワエグに賛成する論拠、反対する論拠を1000字以内にまとめなさいという問題です。お暇な方はやってみますか?

景気対策、構造改革の欺瞞

今朝の朝日新聞の経済気象台が、大変ブリリアントな切れ味を見せています。

http://www.asahi.com/business/column/index.html

>景気の後退局面入りに伴い、総合経済対策の議論が活発になっている。与党の一部には歳出を2兆~3兆円積み増すべきだとの意見も出ている。一方で、予算バラマキではなく、構造改革によって成長を図るべきだとする議論も目立つ。選挙をにらみ、経済政策が焦点となってきた。

 しかし、彼らの議論を聞いていると、これまでの反省を踏まえもしない不毛な神学論争が、どうして繰り返されなければならないのかと、やるせない気持ちになる。

 景気対策に即効性を求めれば求めるほど、効果は一時的、限定的で、持続的経済成長へのインセンティブをそぎ、将来世代に大きな負担(=意味のない財政赤字)を残すだけだったことは、バブル崩壊後の景気対策と効果、とりわけ地方経済の惨状をみれば明らかだ。今回の景気対策の検討に当たっても、長期的な経済効果が、客観的、定量的に検討された形跡はない。

 一方、構造改革派も、その帰結(=最終的なしわ寄せ)ともいえる労働市場における不確実性の高まりが、経済成長の基盤をいかに毀損(きそん)しているかを総括していない。「失業より非正規雇用の方がマシ」と述べて、労働市場の流動化を支持した改革論者もいたが、それこそが、貧困問題を悪化させ、スキルの蓄積を阻み生産性の高まりを抑制して、経済成長の基盤を揺るがしているのではないか。 

 つまり、景気対策論者も構造改革論者も、長期的な国民生活の向上を実現すると言いながら、目先の景気浮揚や利益の確保を、将来世代の負担によって図ろうとしただけではなかったのか。日本の将来に対して無責任な輩(やから)の欺瞞(ぎ・まん)に満ちた言説に、もうだまされてはいけない。(山人)

バラマキ財政が(それによって将来配分されるべきであった資源の)将来世代からの収奪だというのは、よく聴く言い方ですが、「構造改革」(という名の社会的規制緩和)も同様に将来世代からの収奪であったということですね。

2008年8月26日 (火)

学界展望・労働法理論の現在

日本労働研究雑誌の今年の2/3月号に掲載された標記座談会記録が、JILPTのHP上で公開されたので、リンクを張っておきます。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/002-046.pdf

座談者は、北海道大学の道幸先生、専修大学の有田先生、京都府立大学の奥田先生に、私の4人です。1枚目に各先生の写真も載っています。

取り上げた業績は、

荒木尚志「労働立法における努力義務規定の機能日本型ソフトロー・アプローチ?」中嶋士元也先生還暦記念論集刊行委員会編『労働関係法の現代的展開中嶋士元也先生還暦記念論集』信山社, 2004 年

鎌田耕一「安全配慮義務の履行請求」水野勝先生古稀記念論集編集委員会『労働保護法の再生水野勝先生古稀記念論集』信山社, 2005 年

川田知子「有期労働契約に関する一考察有期労働契約の法的性質と労働契約法制における位置づけ」『亜細亜法学』第40 巻~第42 巻

内田貴「制度的契約と関係的契約企業年金契約を素材として」新堂幸司・内田貴編『継続的契約と商事法務』商事法務, 2006 年

柳屋孝安「雇用・就業形態の多様化と人的適用対象のあり方」『現代労働法と労働者概念』信山社, 2005 年

鎌田耕一「労働基準法上の労働者概念について」『法學新報』111 号

毛塚勝利「労働契約変更法理再論労働契約法整備に向けての立法的提言」『労働保護法の再生水野勝先生古稀記念論集』信山社, 2005年

道幸哲也「労働契約法制と労働組合どうなる労使自治」『労働法律旬報』1630 号

福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制法と経済学で考える』日本評論社, 006 年

です。

このうち、私が紹介を担当したのは、道幸先生の労旬の論文と『脱格差』の福井論文です。

大変おもしろい座談会になっていると保証申し上げます。

経済財政諮問会議に三者構成導入?

昨日、与謝野大臣になって初めての経済財政諮問会議が開かれ、「安心実現のための総合対策」について議論されました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0825/interview.html

与謝野大臣の記者会見では、興味深い発言がみられます。

>2つ、今後は諮問会議では柱があると思っておりまして、1つは社会保障制度と財政、これの一体的な道筋、これが1つでございます。それから、やはり原油その他の資源、食料等が高騰している中で、やはり日本経済の将来像というものは多くの経営者あるいは国民が描けないでいる。その問題について、やはり諮問会議としては大きなマクロの問題として議論していくと。この2つのテーマは今日お話ししまして、諮問会議の今後のテーマとしていくということに決定をいたしました。
 また、まだ最終的には決定しておりませんけれども、この問題を議論することについては、今の民間議員のほかに労働界の代表、経済界の代表また専門分野の学識経験者等に御参加いただいて、幅広く議論を進めてまいりたいと思っております。

今後、諮問会議では社会保障制度とマクロ経済運営が二大テーマで、それは「労働界の代表、経済界の代表また専門分野の学識経験者等に御参加」いただく、ということです。まさに、公労使三者構成で経済政策の道筋を作っていこうということで、ヨーロッパ型コーポラティズムの香りがそこはかとなく漂う感じがします。

もっとも、現在の有識者議員も既に「経済界の代表また専門分野の学識経験者等」に当たるわけですが、この方々については、

>やっぱりそれぞれの民間議員は、それぞれお立場も違いますし、考え方もそれぞれ、また経験も違うわけですから、諮問会議の場で総理が政策運営をやっていかれる上で有用な議論を展開していただきたいと。今後の諮問会議では、民間議員4人がまとまってということよりも、それぞれ自分の信念とする考え方を御披露いただくということのほうが、諮問会議の役割をよりよく達成できるのではないかというふうに私は思っておりまして、そのような運営に心がけたいと思っております。

と、竹中元大臣の下で大田前大臣が参事官時代以来されていたような、議論の方向付けを4人連名の文書で進めていくという運営はやめるという趣旨のようです。

総合対策の中身ですが、その有識者議員提出資料の中に、

>安心・安全の生活設計を支える取組を推進すべき

という項目の一つとして、

>家計にとって最も重要な雇用の安定を図るための非正規雇用対策の拡充、必要とされるスキルの教育訓練の強化等

が挙げられています。

2008年8月23日 (土)

タクシー事業を巡る諸問題に関する規制改革会議の見解

去る7月31日付で、内閣府の規制改革会議から「タクシー事業を巡る諸問題に関する見解」が出されていました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2008/0731/item080731_01.pdf

そこでいわれていることは、必ずしもおかしなことというわけでもないと思われます。社会的問題に対しては原則として事業規制ではなく社会的規制で対応すべきこと、それも審議会の審議を経て行うべきで、官僚が通達で勝手にやるべきではないことなど、私も、その通りだと思います。ただ、それを、昨年同会議が公表した意見書と比べて読むと、なかなか含蓄がありますが・・・。

>タクシー車両が増加したことに伴い、タクシー運転者の待遇が悪化し、過労運転による安全性・サービスの質の低下等を招いているとの指摘もあるが、・・・事故への対応は、台数規制ではなく、悪質な事故を発生させた運転手や会社に対する行為規制で対応すべきである。タクシー運転手の労働条件改善は基本的にはタクシー事業者の経営課題として、また、より広い社会政策を通じて実現されるべきものである。(タクシー事業を巡る諸問題に関する見解(平成20年7月31日)

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている。不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果となるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。長時間労働に問題があるからといって、画一的な労働時間上限規制を導入することは、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。(脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~(平成19年5月21日)

>なお、当会議としては、平成20年7月11日の通達のような監視対象領域を大幅に拡大する規制が法令によることなく、また審議会等での審議を経ることもなく、一府省内の手続きによって発出されたことは、極めて不適切で速やかに見直されるべきと考えており、またタクシー事業分野に限らず、通達等の形で規制の導入・強化等が可能となっている現状は根本的に改められるべきと考えている。(タクシー事業を巡る諸問題に関する見解(平成20年7月31日)

>現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである。(脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~(平成19年5月21日)

2008年8月19日 (火)

今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会

8月8日に開催された第1回の今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会の資料が、厚生労働省のHPにアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/s0808-11.html

>非正規労働者の趨勢的な増加や労働契約の個別化、就業形態の多様化等が進む中、労働関係法制度をめぐる知識、特に労働者の権利に関する知識が、十分に行き渡っていない状況が問題として指摘されている。
本研究会は、こうした状況について実態把握を行った上で、学校教育や、労使団体、地域のNPO、都道府県労働局、地方公共団体等が今後果たしていくべき役割等について総合的に検討し、労働関係法制度をめぐる実効的な教育の在り方を提示していくことを目的として開催するものである。

というのが趣旨ですが、具体的にどういう指摘がされているかというと、ここにあります。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/dl/s0808-11b.pdf

>労働関係法制など社会に出た際に必要となる法制度の基礎知識を付与する教育や情報提供についても、社会人の基礎づくりといった観点から一層の取組が期待される。(人生85年ビジョン懇談会「『人生85年時代」に向けたリ・デザイン』(平成20年5月))

>。例えば,「働く」という観点からは,我が国における労働関係法令遵守水準の低さの大きな原因の一つとして,学校教育段階で働くことの意味を始め働くことに関する的確な教育が行われていないことが指摘されるところであり,働くことの権利と義務など働くことに関する教育の充実を通じて若年者の職業意識の形成が重要であると考えられる。

内閣府,厚生労働省,経済産業省,文部科学省等関係府省庁の連携の下に,学校教育段階から社会に出てからの教育を含め,働くことの意味や労働関係法令,働くことの権利と義務など働くことに関する教育の充実等のための取組を進めることが必要である。具体的には,学校教育については,文部科学省を中心に内閣府,厚生労働省等関係府省庁が協力して,働き続ける上で最低限必要な知識が実際にどの程度教えられているのかについて実態の検証を行い,不十分な部分について対応する必要がある。また,中小・零細企業経営者を中心に,最低限必要な労働関係法令の知識について,厚生労働省,経済産業省始め関係府省庁が中小企業団体や業界団体との連携を図りつつ,創業支援時等あらゆる機会を活用して周知・徹底を図る必要がある。 さらに,関係府省庁においては,都道府県の段階についても,これら各行政に係る官民の関係機関の緊密な連携の下に継続的な取組が進むような方策を検討し実施する必要がある。(国民生活審議会総合企画部会「『生活安心プロジェクト』行政のあり方の総点検-消費者・生活者を主役とした行政への転換に向けて-」(平成20年3月27日)

>就業形態の多様化や労働契約の個別化が進む中で、労働関係法制度をめぐる知識、特に労働者の権利に関する知識に不十分な状況がみられることから、労働関係法制に関する知識を付与する教育や情報提供の在り方について検討する(雇用政策研究会「すべての人々が能力を発揮し、安心し働き、安定した生活ができる社会の実現-本格的な人口減少への対応-」(2007年(平成19年)12月))

>労働を巡る権利・義務に関する正しい知識を教える学校教育の充実が図られ、そうしたなかで、就職・転職時における職業選択もよりスムーズに行われるようになる。(経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会第1次報告「働き方を変える、日本を変える」-<ワークライフバランス憲章>の策定-(平成19年4月6日)

このように、内閣府の機関である国民生活審議会や経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会(いわゆる八代研)も、労働法制教育の重要性を強調していることは、この問題の重要性を示しているといえるでしょう。

本研究会の座長である佐藤博樹先生が、この八代研の第1回会合で、こういう発言をされていることも重要です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/01/work-s.pdf

>3つ目に、セーフティーネットを考える際に、今回の議論の中で落ちているのは、働いている人側の労働者保護など労働法制に関する知識が少ないことである。今まで、労働分野では法律をつくって、それを企業に浸透させて、企業に法律を守ってもらうことを通じて、労働者の保護などが達成できるという政策手法が採用されてきた。もちろん労働組合もその担い手であった。ところが、最近のように雇用形態が多様化すると、働いている一人ひとりが、こういう働き方を選ぶと自分にはどういう権利があるのかについての知識がないと、その権利を実現できないことになる。
例えば育児休業について、育児休業の規定を持っていない事業所が、中小企業ではまだ多い。ただ、勤務先の事業所に育児休業の規定がなくても、労働者が法律を知っていれば権利を請求できる。つまり、働いている人たちがきちっと法的な知識を持つということがすごく大事ではないかと考える。
ところが、残念ながら、最低賃金でも高校生では6割程度しか知らない。団結権では、1割強しか知らない。最近、小学校、中学校で株式投資について教育するなどの議論もあるが、投資家にはならなくても、多くは従業員になるので、働くことに伴う権利をきちっと教えることが実は大事なセーフティーネットになるのではないかと思っている。

なぜ近年こういう指摘がなされるようになってきたのかをまとめた資料もアップされているので、是非見てください。うーむとうなるようなデータがいっぱい載っています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/dl/s0808-11c.pdf(労働者の権利の理解に関する状況)

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/08/dl/s0808-11d.pdf(労働者の権利理解に関する先行研究のサーベイ(原委員提出資料))

ちなみに、本研究会の委員でもある原ひろみさんのエッセイでこの問題が取り上げられています。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum022.html(労働者の権利を知ることの必要性)

また、日本労働研究雑誌の巻頭エッセイでも、何回か取り上げられています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2006/11/pdf/001-001.pdf(働く市民の常識としての労働法)(道幸哲也)

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/001.pdf(労働法を知らせる)(仁田道夫)

この道幸先生が、北海道の労働審議会でまとめられたこういう報告もあります。

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/80D574D5-2D83-4E5C-85A0-AC69BA8150C6/0/jakyohoukoku.pdf(若年者の労働教育について)

この問題に取り組む機運が、全国的に高まってきているといえるでしょう。

2008年8月16日 (土)

中国は「左翼的な独裁国家」!?

アナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義者)を標榜する蔵研也氏が、そのブログで、

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080814

>中国に見る社会主義者の国家主義

>オリンピックで水泳をみていたら、

「国家水泳センター」で行われていた。

体操なども、どうやら「国家スタジアム」で行われているらしい。

この例に明らかなように、小生は長らく、

左翼的な独裁国家のリーダーは、

ファシズムのリーダーと同じくらいに権威主義的だと思っていた。

これはアイゼンクなども旧ソヴィエトの政治について指摘している見解だ。

と語っています。

いや、中国が独裁国家というのはまったくそうでしょうが、未だに「左翼的」という形容詞がつく独裁国家と思われていたのか!といささか感慨無量でした。

いや、たしかに毛沢東の中国は正確な意味での「左翼的独裁国家」だったんでしょうけど。市場原理主義と愛国主義だけが頼りの今の中国が「左翼的」ねえ。

最近の感覚では、ハーヴェイの本などに見られるように、むしろ英米とならぶネオ・リベラリズムの先兵というのがふつうの見方かと思っていただけに、かえって新鮮な感じです。

ま、「サヨク」って言葉が、あまり内容を指し示す効果を持たない、単なるけなし言葉になっているということのあらわれでしょうか。少なくとも、今の中国が「ソーシャル」とは口が裂けても言えないでしょうから。日本はあまりにも「社会主義的」だ、もっと中国を見習って資本主義に邁進せよ、と叱咤される方々も多いようですし。

>しかし、それにしても、

現存する独裁国家の権威主義はあまりにも鼻につく。

比較の対象となるべき現存する右翼的な独裁国家が

まったく存在しないことにもよるのだろうが、、、、

いや、だから、市場原理主義と愛国主義に立脚する「共産党」という名の独裁政権をはなから「右翼的」という形容詞から排除しているから「まったく存在しない」と見えるだけなんじゃないかと。

2008年8月15日 (金)

採用年齢制限は差別か?

日本で年齢差別問題といえば、募集採用の年齢制限が第一の問題で、昨年の雇用対策法改正では政治主導で年齢制限が原則禁止となったことは記憶に新しいところです。

一方、EUでは私がこれまでも何回か書いてきたように、2000年の一般雇用均等指令で年齢差別も禁止され、2006年から全面施行されているわけですが、欧州司法裁判所に係属された事件は、一定年齢以上の有期雇用を争ったマンゴルト事件、65歳定年の正当性を争ったデラヴィラ事件くらいで、採用年齢制限を正面から争う事件はありませんでした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/eldereu.html(「EUにおける年齢差別禁止の動向」 『エルダー』2008年6月号)

ところが、ここにきて、ようやく待望久しかった(?)採用年齢差別事件が欧州司法裁判所にやってきました。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&docnodecision=docnodecision&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

ドイツからやってきたColin Wolf vs Stadt Frankfurt am Main事件です。

これは、事件が欧州司法裁に付託されたよ、という公示ですから、詳しい中身は必ずしもよくわかりませんが、フランクフルト市の消防職員採用に当たって、採用後一定の勤続期間が必要だからとして、年齢制限をしたことが争われているようです。

日本では現在、公務員は改正雇用対策法の年齢制限禁止規定が適用除外とされていますが、下記論文でも書いたように、本質的にこの問題を免れているわけではありませんから、公務員制度関係でも本事件の行方を注目する値打ちはあると思いますよ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chikounennrei.html(「雇用対策法改正と年齢差別禁止」 『地方公務員月報』2008年3月号)

2008年8月 2日 (土)

デンマークの移民政策にECJの一撃

去る7月25日に欧州司法裁判所が下した判決が、デンマーク国内で大きな反響を呼んでいます。判決はこれです。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=&mots=&resmax=200

>1.      Directive 2004/38/EC of the European Parliament and of the Council of 29 April 2004 on the right of citizens of the Union and their family members to move and reside freely within the territory of the Member States amending Regulation (EEC) No 1612/68 and repealing Directives 64/221/EEC, 68/360/EEC, 72/194/EEC, 73/148/EEC, 75/34/EEC, 75/35/EEC, 90/364/EEC, 90/365/EEC and 93/96/EEC precludes legislation of a Member State which requires a national of a non-member country who is the spouse of a Union citizen residing in that Member State but not possessing its nationality to have previously been lawfully resident in another Member State before arriving in the host Member State, in order to benefit from the provisions of that directive.

2.      Article 3(1) of Directive 2004/38 must be interpreted as meaning that a national of a non-member country who is the spouse of a Union citizen residing in a Member State whose nationality he does not possess and who accompanies or joins that Union citizen benefits from the provisions of that directive, irrespective of when and where their marriage took place and of how the national of a non-member country entered the host Member State.

判決文を読むのが面倒臭い人は、EU業界紙のこちらの記事を眺めてください。

http://euobserver.com/843/26557

>A recent EU court immigration ruling is causing headaches for the Danish centre-right government and may deliver a blow to the country's immigration policies, which are amongst the most restrictive in Europe.

The European Union's highest court ruled last Friday (25 July) in a case of four couples living in Ireland that spouses of EU citizens who are not themselves EU citizens can not be prevented from living in the Republic.

EUは、EU加盟国民である限り絶対的に差別禁止ですが、第三国人についてはどう扱おうがカラスの勝手というのが原則ですが、EU加盟国民の配偶者であるけれども本人はEU加盟国民ではなく第三国人という場合、どっちにはいるんでしょうか。厳密に言えば本人は第三国人ですから、そんな奴の入国は認めないというのもありとも思えますが、さすがにそういう人については、ちゃんと指令を作って対応しています。上の判決文にある最近の指令ですね。ところが、あの福祉国家で知られるデンマークはそれをちゃんと実行していないではないかという話です。

この判決自体はアイルランドの移民法がEU指令違反だとしたものですが、それが一番影響を及ぼすのはデンマークなんですね。

実は、以前本ブログで紹介したデンマーク事情がこのあたりを詳しく書かれているので、もう一度引用しますね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_0ae1.html

http://ameblo.jp/komanatsu86/entry-10061131532.html

ここに書いてある「愛の橋」のことが、この記事でも、

>Having been denied residence in Denmark, many such couples settle in the city of Malmo in Sweden, about half an hour's drive from Copenhagen, as Sweden has less restrictive immigration laws.

と書かれていますね。

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