ギデンスの欧州社会モデル
渡辺 聰子, アンソニー ギデンズ, 今田 高俊『グローバル時代の人的資源論 モティベーション・エンパワーメント・仕事の未来』東大出版会
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-050171-2.html
なんだか、日本人の書いてるところはポストモダンとかなんとかで、よく判らない。ギデンスさんの書いている「5章 グローバル時代の仕事と政府の政策」が、一番わかりやすい。まあ、私の頭がEU向きになってるからでしょうけど。
ギデンスさんの言う欧州社会モデルとはこういうものだ!ってのを:
>繰り返し述べると、将来の欧州社会モデルはイギリス型モデルではないだろう。また、それはおそらくフランス型モデルでも、スウェーデン型モデルでも、デンマーク型モデルでもない。・・・新たな欧州社会モデルのための枠組みは、全体として以下のような特性を持つと考えられる。
(1)ネガティブな福祉からポジティブな福祉への移行。ウィリアム・ビバリッジが「戦後体制としての福祉国家」のための提案を展開したとき、彼は他の論者と同様に、福祉国家を是正措置として考えていた。彼の革新の焦点は、無関心、不潔、欲望、怠惰、病気という五つの悪を撃退することにあった。これらの課題はどれも忘れてはならないものである。しかし、われわれは、今日、これらをより積極的なものにするためにより多くを求めるべきである。言い換えれば、われわれは、教育、学習、富、人生選択、社会や経済への活発な参加、及び健康な生活を促進すべきである。
(2)このような目標のためには、市民の積極的な同意が必要である。このような目標は従って利益と同時にインセンティブを、権利と同様に義務を前提とする。市民権と福祉の結合は、T.H.マーシャルが彼の古典的公式で示したように、単なる権利の拡大によってのみもたらされるものではなく、権利と義務の混合によってもたらされるものである。受動的な失業保険給付金はほとんど完全に権利と見なされ、主としてこの理由によって機能不全に陥った。積極的な労働市場政策を導入し、健康な失業者が国から援助を受けた場合には仕事を探す義務があること、そしてこれを履行しなければ制裁を受けることを明確にしなければならない。
(3)伝統的な福祉システムは、個人から国や共同体へと、リスクを委譲しようとするものであった。「安定」とはリスクがないこと、あるいはリスクを減らすことと定義されていた。しかし、実はリスクは多くの肯定的な側面を持っている。人々は生活を改善するためには、しばしばリスクを冒す必要がある。・・・リスクを創造的に利用するということは、安定を放棄することを意味するものではない。物事がうまくいかないときには援助が得られることを知っていることが、リスクをうまく利用できる条件であることが多い。
(4) 新欧州社会モデルは多くの面で貢献的でなければならない。・・・無料サービスは、需要を抑制するメカニズムをほとんど持たないので、利用したい人が殺到して過剰利用の状態に陥ってしまう。その結果、単純に富裕層が脱退していくだけになる。つまり二層のシステムが展開されがちである。貢献は比較的小さいものであっても、サービス利用に対する責任ある態度を促すことができる。従って、受益者負担の原則、つまり直接的利用者からの貢献、という原則は、年金、健康保険から高等教育に至るまでの様々な公的サービスにおいて、ますます重要な役割を持つようになると考えられる。
もう少し具体的な政策論になると:
(4)雇用の創出は、成長を促進し貧困を抑制するに当たって、中心的役割を果たす。貧困から脱出する最もよい方法は、最低賃金以上の賃金を得ることができるきちんとした職を保ち続けることである。
(6)すべての政策の基礎には平等主義がある。新欧州社会モデルの総括的目標は、経済的活力と社会的公正を結合することにある。富裕な人々の数は少なく、貧困な人々の数は非常に多いので、富裕層を痛めつけることよりも、貧困層の生活を改善することの方がずっと重要である。特に子供の貧困は焦点を当てられるべき問題である。
(8)下級サービス業従事者の昇進機会が可能な限り確保されることに注意が向けられる。これは、政府が訓練を提供することだけではなく、職務の再設計に向けて雇用主と協力することを意味している。
(10)政府は、これまでよりも高齢者に対してより少なく支出し、若年者に対してより多くを支出する。
最後の方で、やや冗談めかして:
世界に誇れる最良のヨーロッパとは、どのようなものであろうか。それは次のような特性を併せ持つことになるかも知れない。①フィンランドの情報通信技術、②ドイツの工業生産性、③スウェーデンの平等性、④デンマークの雇用率、⑤アイルランドの経済成長、⑥フランスの健康・医療制度、⑦ルクセンブルクの一人あたりGDP、⑧ノルウェーの教育水準、⑨イギリスのコスモポリタニズム、そして⑩スペインの気候・・・
なんだか、どこかで聞いた記憶が・・・と思ったら、江田三郎氏、江田五月氏のお父さんで、かつて(言葉の本当の意味での)構造改革派の政治的リーダーだった方の、スローガンに似たようなものがありましたね。
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ギデンズさんですね。労働党貴族院議員という、ぶらり庵の先生の先生、イギリス近代市民社会を担うのは中産的生産者層であると信じていらした大塚先生なら、この称号をどう思われるか、とうかがってみたいような肩書きの方です。
で、このエントリーのご本ほど難しいものでなくても、いろんなところでギデンズさんの話は読めますが、昨年の「週刊東洋経済」(07.7.28)など、他のメンバーも面白かったです。
http://www.fujisan.co.jp/Product/5828/b/157484/
ポリー・トインビーさんはアーノルド・トインビーの孫にあたる方ですね。まあ、日本のTさんなども入ってはいますが。
先日、経済財政相のエントリーのところに、ぶらり庵がつけたブレアのコメント、ちょっと変でしたので、ここで訂正。教育に金をつぎこんで子どもの貧困が減る、というのは、筋道がわからないですよね。
ブレアは、貧困問題については、子どもの貧困率の削減の数値目標をたてて(2010年までに半減)、家族給付等も含めて予算をつぎこんだったのだと思います。で、統計は以下。
http://www.dwp.gov.uk/publications/dwp/2007/dr07/chapter3.pdf
雇用年金省年報の32頁の図2です。
日本語文献では、東洋経済にも書いていた藤森さんのものが詳しくて、新しかったですが、
http://www.nira.or.jp/pdf/0801fujimori.pdf
このブレーンだったのが、ギデンズさんですよね。
労働市場改革専門調査会で、八代先生が、ヨーロッパでの政策の合理性というか、一貫性について感想を述べておられましたが、右であれ左であれ、目標を設定してその目標に対して合理的で一貫した政策を立て、財政配分を行う、というのが、ヨーロッパの特徴のように思えます。本来の政治ってそうではないかと思いますが。日本の場合は、個別分野ごとの政策が全体的には一貫せず、官庁への配分が硬直化しているために新規政策には財源をひねり出さないとならないわけですね。
投稿: ぶらり庵 | 2008年6月25日 (水) 06時49分