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2008年6月 3日 (火)

良心的な手配師

かつて自民党の厚生族有力議員で、今は国民新党副代表の自見庄三郎氏が、ブログでこう書かれています(雑誌「医療労働」に載った講演記事です)。

http://blogs.yahoo.co.jp/jimisun2007/22872637.html

>厚生労働省と文部科学省の医局をめぐる百年戦争。薬剤師が6年制になるのに10年以上かかりました。文部科学省で論議し、6年生になったら、臨床薬学は病院でしよう、ときちんとしている。ところが厚労省と文科省のケンカで、法律では、臨床研修を2年間義務化しただけ、実質医者は8年間の義務化です。医療保険を使えないと実際には医療行為ができません。おかしいですよ、よく考えないと。

 私は反対しました。そんなことをしたら、日本には70数校の医局があり、みんな若い頃は医局に入り、田舎の町立病院などへ行かされた。でも、帰ってこられたのです。今は片道切符。子どもの教育どうなるの。奥さんは怒る。

 医局は明治以来、過疎地の医療に対し、1年行ったらまた1年代わりを派遣してきたのです。

 私は、九大の第一内科の副医局長をしていて、手配師もしていたので、あの町立病院は田舎だけど苦労している。先輩が病気だ。では1人、あそこへやろう。日本の社会だから、あの医局員はお父さん亡くなったからお金に困っているだろうから、給料が高い町立病院にやろうかとか・・・。まだ独り者だから無茶苦茶忙しい町の病院に、給料は安いけど鍛えようとか・・・。一人ひとりの個性を考えていました。良心的な手配師です。それで日本の医療を守っていたのです。

 日本では、自由にしたら、医師はみんな東京、大阪、名古屋に集まってしまう。宮崎大学では90人卒業し、医学部に残っているのはたった5人。過疎の町にはますます医者がいなくなります。若い人に言わせれば、いい病院はいっぱいありますし。職業の自由、住居の自由もありますから、そうなりますが、本音と本当のことがわかっていない。

 大事なのは国民の健康です。医者は、看護師もそうですが、患者を診せていただくのです。苦しみ、痛みをもった人を診せていただくことが大事なのです。

 2000年も前から医学の神様ヒポクラテスが何と書いていますか?

医者、医療につく人は相手がたとえ貴族であっても、人間を平等に診なければならない。

 それが2000年前から医療の基本的な考えでしょう。金持ちだけで、社長さんだけ診る。そんなのは医療ではない。

 医療の道から外れています。人間の命は平等という大原則でいかないと医療制度はおかしくなります。

 今、それが大きく脅かされつつありますから、しっかりみなさん方の心を心として、医療界の人が誇りと自信を持って働けるようにしておかなければなりません。

 アクセス数、クオリティー、コスト等、世界198国家中一番いい医療制度が日本国だとWHOは言っています。みなさん方の先輩たちが築いてきたのです。それを、文句ばかり言って、金を出さないと言って、アメリカのオバケのような医療資本を持ってきて、金持ちはかかるけれど、貧乏人はどうぞお帰り下さい。そんな医療を企んでいるものとは、断固闘わなければならない。

 一人ひとりの命は平等ですから、そこをきちっと、医療の最大の医療の最大の貴重な性質としていかなければいけないと、最期に申し上げ、決意表明に代えさせていただきます。ありがとうございました。

自見氏が自らを「良心的な手配師」と呼んでいるところにコメントしておきます。

人的資源を適確に配分するというのは、何を「適確」と考えるかによってその内容が変わってきます。医師という国民の生命の安全と福利厚生に大きな関係を持ち育成に多大なコストのかかる人的資源を、どこにどのように配分するのが適確であるかは、その適確さの評価基準をもっぱら金銭評価されたプライベートな利害に基づくものとするか、何らかのパブリックな利害を考慮するかによって大きく判断が変わり得ます。

自見氏は、ご自分が副医局長としてやってきたことを、金銭評価された私的利害を超えた公的な利益実現のために尽力する「良心的な手配師」と評しているわけです。

自見氏が手配師として良心的であったことを疑うわけではありません。自見氏以外にも、各医局には良心的な手配師の方々がいらして、まさにパブリックな観点から医療人的資源の適正配分に尽力されてこられたのでしょう。そのことを疑うわけではありません。

しかしながら、医局の人的資源配分が何らかの法律に基づく公的な労働力需給調整システムとしてではなく、医局という名の私的権力の「事実上の支配関係」に基づくものであったこともまた事実でしょう。

自見氏が「良心的な手配師」であったとしても、すべての手配師が良心的であったということにはなりません。むしろ、公的な規制に束縛されない私的権力であるが故に、「俺の云うことを聞かねえ奴は許さねえ」的な親分子分関係が蔓延していたというのもまた事の反面であろうと思われます。「白い巨塔」を始めとする医局モノ小説があれだけいっぱい書かれているというのは、医者の世界にそれだけトラウマが溜まっていると云うことを意味するのでしょう。

医局という私的権力が日本の医療を守ってきたのに、それを潰しやがって、という自見氏の反発には、医療を金銭評価された私的利害の市場による調整のみに委ねていいのかという意味においては、大いに聞くべき内容があるように思いますが、それが「昔はよかった」的なノスタルジーになってしまうとすれば、肯定するのは難しいでしょう。

公的な利益実現のために適確な人的資源配分をしなければならないというのであれば、その権限行使の在り方自体が公的なものでなければならないでしょう。身分が国立大学医学部教授だから「公的」なんてことはないわけで、民主性と透明性が欠如しているのであれば、主体が公務員であろうが何であろうがそれは私的権力なのです。

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