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2008年5月12日 (月)

舛添大臣の大正論

厚生労働省HPに、舛添大臣の金曜日の閣議後記者会見の様子が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/05/k0509.html

土曜のエントリーで、経済財政諮問会議における発言(大田大臣による紹介)を「正論」と述べましたが、こちらでは正論がさらに全開です。舛添大臣に対してはいろいろと御意見のある方々も居られるでしょうし、私もすべてにわたってご立派な大臣であるかどうかまでは保証の限りではありませんが、少なくともこの問題に関するかぎり、他のどの論者よりもまともで物事の本質を見据えた発言であることは間違いありません。

(記者)今日の諮問会議で外国人労働者の話があるかと思うのですが、他にも自民党の中で移民省というものを検討するという話がありますが、厚生労働省所管の一部の分野から外国人労働者を求める声が強いと思うのですが、大臣の考えをお聞きしたいのですが。

(大臣)今日文部科学大臣も出席して教育の国際化のような話も行います。東京大学で先生をしておりましたから、ずっと私自身がそういうことに携わってきております。それからヨーロッパでの生活が長いので、ヨーロッパにおける移民政策も研究してきておりました。だからこの点につきましては、私もずっといろいろな考え方を持ってますが、単純労働者についてそう簡単に門戸を開くわけにはいかないと思います。移民を巡る様々な社会問題、今ヨーロッパでサードジェネレーションまできています。そうすると自分はドイツ人なのか、トルコ人なのかそういうアイデンティティクライシスに悩む若者がいるわけですね。開かれた国にしていろいろな文化が入るのは結構だと思いますけれども、そういう社会的コスト、そして第3世代まできたときにアイデンティティクライシスに苦しむ若者達をどうするか。こういうヨーロッパの先人達の経験を、きちんと学ぶ必要があります。それが一つ。それから、高度人材を入れるといいますが、「高度」というのはどういうことを意味するのですかと。要するに人手不足になる、そうすると安い賃金で外国人を使えばいいじゃないかと、そのレベルの発想で企業の方がおっしゃっているのであるなら、私はこれは失格だというふうに思っております。ただ単に高度人材を倍増計画なんて言っても、「高度」とは何を意味するのですか。明治維新の時には、時の総理大臣以上の給料を払ってお雇い外国人を雇ったのですね。それは必要だったからです。今ある会社の社長の給料の倍を出してすばらしい外国人を雇いますかと、それだけの覚悟はありますかと。だからそういうこともしっかり考えてもらわないといけない。ただ倍増計画を立てればいいというものではありません。英語が通じるようにすればいいじゃないかというのは結構です。だから、私は東京大学の先生の時に英語で授業をやってやろう、フランス語でやってやろうと言ったのだけど、今の東京大学の先生の中で何人英語で授業できますかというようなことも含めて現実をよく見て、外国の人達が生活しやすいようにする生活環境を作る。例えば、新宿駅に降り立った時に「SHINJUKU」とローマ字で書いているけど、小田急とか京王に乗り換えの案内というのは英語で書いていないです。例えばそんなことをよくするというのは、それは当然やるべきこと、外国の人が生活しやすいようにすることもやるべきことなのだけれども、単純に安い労賃で人を雇いたいからくらいの発想で、もしおっしゃる方がいれば私は絶対反対なのです。それで、すばらしい世界から求められるような方が、家族もいます、子供の教育もあります、日本で生活しても良いと思うならば、それなりの処遇がなければ、それは相当高給でないと来ません。それと、その方達を3年なら3年雇って「はい、さよなら」にするのですか。それともずっと定住させるのですか。定住させることはもの凄く大変です。だから、そういうことを総合的に考えて定住化政策か帰化政策をやるのか、それだけの大きなビジョンがないとそう簡単ではないです。私は、だからそういうことが原因で実は東京大学に辞表を叩き付けたのです。こんな閉鎖された大学では駄目だといってやったわけです。それ以来ずっとこの問題を考えてきていましたけれども、そう簡単ではありません。ですから、そういう申し上げるべきことは申し上げる。例えば、企業の中で、総合職に何人外国人を入れていますか。道具として使うのではないのです。やはり、世界中から優秀な人に来ていただくならそれなりの処遇をしないといけないし、それなりの社会にしないといけないです。だから、それは全く賛成ですけれども、絵空事に終わる、そして、本当に定住し、帰化するまでにやれるのだったら、例えば、フランスでは、サルコジさんという大統領、国家元首です、この方のお父さんはハンガリー移民です。だから、例えば、近隣の諸国だと中国や韓国あたりかた来られている方、次期大統領日本国籍のパクさん、日本国籍のオンさんというようになるというのは、フランス国籍のサルコジさんというのが生まれているのと同じなわけです。アメリカは全部そうですから。だから、そこまで開かれた国で実は良いと思うのですが、そうしますと、例えば、フランスは、フランス語を話すことが当然だと思うのです。フランス人になるならフランス語を話すのは当然だ。日本で仕事するなら日本語話すのは当然だ。だから、フランスで、例えば、フランスの博士号を取ります。国家博士号を取るというのは、普通のフランス人よりもフランス語でよく論文を書けるということですから、フランス語が上手いということなので、取った瞬間にフランス人になれるのです。そうすると、日本の国家博士号を決めて、普通の日本人よりはるかにすばらしい日本語の論文を書ける、その瞬間に日本国籍をあげるというくらいの発想が全くないのです。英語で教える先生だって、30の拠点大学で英語で教えるというけど、それだけの先生を探してごらんなさいと思います。ですから、それなら逆にやはり日本語をちゃんと学んでいただけるようにして日本文化の良いところを学ぶ。そうでないと、例えば、介護士、看護師さんにしてもフィリピンの方々は、英語を話せます。だから皆アメリカ、イギリスに行きます。なぜ日本に来るかというのは、やはり日本が好きで日本語もこれだけ話せてという人材でないといけないので、そういうことについて私はずっとこの問題で苦労してきて、何十年も格闘してきたし、経験もあるので、それは今言ったようなことを堂々と今日夕方言おうと思っております

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コメント

桝添大臣に脱帽。特に

> 今ある会社の社長の給料の倍を出してすばらしい外国人を雇いますか

が秀逸。

> 日本で仕事するなら日本語話すのは当然だ。

は、日本語教育のシステム化を促すかもしれませんね。

桝添大臣 → 舛添大臣

誠に失礼いたしました。

ども。
評論家の話なら「そうだね」と聞き流せるけど、
労働行政の長としての発言なら「そうかな」と首を捻る話かな、と。
.
例えば
『女性が出産後でも働きやすい制度を考えていて、試算では外国人労働者は何年後に何人ほどの需要しかない』
とか
『現在の外国人労働者の動向も把握しきっていて、不当な扱いを受けていないと断言できる。移民庁は必要ない』
とか
裏打ちされた発言なら、「ああ、大臣なんだな」と理解しやすいのですが。
「下地がない」「ビジョンがない」という話では、厚労省では対応が無理という風に読み取れます。
なので、「移民庁」新設して受け入れ数を調節管理するしかないとも読み取れるのですが。
・高度人材には それなりの報酬を!
・単純労働者を安く使い倒すのは不見識!
あたりは当たり前すぎて何を言ってるのか意味がとれませんでした。
ただ、日本の移民政策をきっちり整備した後なら「不当に安く使い倒す」事が難しくなるのかな、と予想しますけど。
最後の日本語の辺りは本当に論旨が意味不明で「単純労働者受け入れの是非」から離れたのかなと思いますが、一応思ったこと以下。
日本が招聘している英語教師やら外資企業の偉い人やらホント日本語が話せなくて、或る意味感心します。私の知る狭い範囲ですが。
高度というか専門性を請われて来日した人は、日本語を話さないまま話せないまま、滞日期間を過ぎる人がかなりいるかと。
ので「日本語話すのは当然だ」という大臣の発言には違和感を感じました。話せるにこした事は無いのですが。
長文失礼しました。

「週刊東洋経済」の今週号が「子ども格差」で、ブラジル人子弟の話が出ていたように思います。たしか、しばらく前に、日本版ワーキングプアの特集で、外国人労働者をとりあげていたのも、週刊東洋経済だったと記憶しているので、のちほど(明日?)典拠の記事を確認します。

最近の東洋経済はGJが多いです。

「大正」論?

「たいしょう」ろん、じゃなくって、
だい「せいろん」です。
「超正論」にしようかともおもったけれど、
正論を超えてしまってトンデモに到達していると思われてはこまるし。

週刊東洋経済の2006年9月16には「日本版ワーキングプア」の特集があり、岐阜県可児市での詳細な調査の結果、住民登録している日系ブラジル人の子どもの麩就学率は1割。日本人の不就学率の100倍で、かつ、住民登録していない者の不就学率は8割、との記事がありました。

で、最新2008年5月17日号の特集「子ども格差」では、「長野県では、外国籍の子どもの2割が不就学」とのこと。
で、自治体は放置しており、世代間の貧困連鎖につながってゆくことになる、と。
特集の88-89ページは舛添大臣インタビューで、最後がこうでした。
「国民の負担を極小化し、自由経済原則に任せるというやり方は、日本人には合わないし、日本社会はそうでないほうがいいと、個人的には思っています。」

舛添さんは、実は学生時代にゼミでお世話になったこともあるのですが、正直いささか軽々しい人かなという印象もないわけではなかったのですが(ゼミに当時のフランス人の奥さん(さつきさんの前の奥さん)を連れてきて、学生とディスカッションさせたこともありました)、アメリカのビジネススクールに行ってMBAとって、そこの感覚がスタンダードだと何の疑いも持たずに振り回す手合いが世に横行している昨今だけに、ヨーロッパ感覚溢れる大臣がトップにいることは意義深いことだと思うようになりました。

「ヨーロッパ感覚溢れる」という表現と舛添さんはちょっとミスマッチのような気がします。団塊バリバリ、地方から上京した秀才という舛添さんは、特に、介護のご本の写真や文章を見ると、「ヨーロッパ的」じゃなくて、とっても「日本的」なおじさんの雰囲気ですね。無理にヨーロッパ風おしゃれを気取ってるより、よっぽどいいですけど。
ただ、外国人労働者問題については、たしかに「ヨーロッパの現実を知っている」ことはだいじだと思いますね。

「どんどん入れろ」と、自分たちの都合の良いように勝手に言っている人たちは、ある時点で、これまた自分達に都合よく「排外」になることがあるのではないかと思います。人間の問題と等置はできませんけれど、生物の外来種と生態系の問題も、参考になると思います。「人」でなければ「人権」がからまないので、外来種って、簡単に「駆逐」の対象にされますが、もともと、入ってきた経緯は、人間の都合や無防備さによるものなのが「外来種」ですよね。

ヨーロッパの事例に学ぶことも必要だと思いますが、日本の国内にも実は、考えるための材料がある、とぶらり庵は思っています。日本で働く外国人と、日本人がどうつきあうか、つきあってきたか、については、戦時に安価な労働力として日本に来た(徴用か、自由意志か、という議論が今でも延々とありますが)在日の朝鮮・台湾の人々と日本とのこれまでのつきあい方が、「考える材料」「歴史的経験」として大切なのではないかと思います。そのように関連付けて論じられたものって見たことがないですけれども。

私の「外国人労働者の法政策」は、第1節で戦前の外国人労働政策(中国人と朝鮮人)、第2節で在日問題を取り上げ、そこから話を始めています。
どこまで深い議論になってるんだといわれるとうーーむですが、一応関連づけて議論したつもりです。

たいへん申し訳ありませんでした!
そもそも、そんなに読んでいないのに、えらそうなことを軽率に書くものではない、と猛省いたしました。ぶらり庵の頭にあったのは、実名を挙げさせていただきますと「外国人労働者新時代」はじめ、日本の外国人労働者問題を1980年代あたりから説き起こすいくつかの資料でしたが、たしかに、Hamachanの「季刊労働法」218号の「外国人労働者の法政策」、流石にというか、やはりというか、この問題をとりあげておられますね。
で、そういえば、と手近で見られるものをちょっと見て見ると、古い「季刊労働法」(149号)の田中宏さん「日本における労働力移入の歴史と現実」とか、これは単行書ですが、村下博さんの『外国人労働者問題の政策と法」(大阪経済法科大学出版部、1999)とか、とりあげて論じておられるものがありますね。重ねて、申し訳ありませんでした。

ですが、印象としては、「外国人労働者問題」とか「外国人労働者政策」って、かつての労働力移入の経験とは全く無関係に論じられることがとても多いように思いますし、特に、推進派の方々はおそらく、そんなことは全く考えずにいるように思われます。

逆に、在日問題は、労働力移入の問題としてではなく、戦争責任とか人権とかの問題としてとりあげられることがあまりにも多く、これまた、論じるには難しいものになってしまっているとも思います。

いえいえ、何を「猛省」だなどと。一般的な外国人労働問題の議論はまさにそういう過去の話を無視していますし、ぶらり庵さんの仰るとおり、そういうことを好んで論じる人は戦争責任だの人権だのといういわゆる市民左翼好みの話にしてしまって、それ自体を労働力問題として突き放して議論する構えができていない。「戦争悪かった」「日本悪かった」で済ませてしまうことによって、汲み上げるべき大事な教訓が却って放擲されてしまうという傾向すらあります。

在日問題とは、日本本土の労働力需要に応じる形で朝鮮半島から導入された労働力に対して、その労働力の担架体である自然人を適切に措置しないまま放置したことによって社会問題を創り出してしまったという問題であり、まさに外国人労働問題を下手に扱うとどういう事態が現出するかの(ヨーロッパまで実例を見に行かなくても目の前にある)いい範例です。

ある種の「人権派」の人々は、何かというと強制連行とか強制労働とかいいたがるわけですが、そういうごく一部の事態にのみ注目することで、圧倒的大部分の経済的理由によって本土にやってきた朝鮮人の問題、まさに現代の外国人労働者問題と共通する問題の深刻さを無視する結果になっているように思われます。

日本語の部分は
ちょっと違和感が
ありますね。
外人が日本語を
話すのは、日本人が
英語を話すぐらい
難しいですよ。
欧州の各種言語なんて
日本の方言みたいな
ものですから。

これ以外は全面的に
同意。

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