松尾匡さんの右翼左翼論
松尾匡さんの新しいホームページに、用語解説として「右翼と左翼」が加わっていたことに気付きました。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html
社会科学分析の枠組みとしては極めてすっきりしていることはよく理解できますし、
http://critic3.exblog.jp/8501792/
のような「ちょいとでも中国を批判したら右翼だ」みたいなのを見ると、そういいたくなるのも判りますが、しかしやっぱりそれは無理でしょう(ちなみに、チベット問題で中華人民共和国側の意見を聴くべきだというのはまことにその通りであって、それはいわゆる「歴史問題」で大日本帝国側の言い分を聞くべきだというのと全く同程度に正当ですが)。
松尾さんの枠組みでは、右翼vs反右翼の軸と左翼vs反左翼の軸はお互いに独立であり、この二つの軸で世の中が4つの象限に分けられます。
右翼かつ左翼
右翼かつ反左翼
反右翼かつ左翼
反右翼かつ反左翼
これは、最初の軸の定義にのみ立脚して考えればまことに一貫していますし、その枠組みの中では無矛盾的に議論を展開することができるのは確かですが、いかんせん、「右」と「左」という日常言語においてもっとも典型的なアンチニムであるプリフィックスを相互に独立な二つの軸に振り分けるというところが致命的でありまして、まあ日常言語をテクニカルタームに転用するという社会科学に宿命的な問題の一環ではあるのですが、人間の頭がついていかないという最大の弱点があるわけです。
右の反対は左じゃない、左の反対は右じゃない、というのは、日常言語から切り離された抽象的思考をするのに慣れた方々にとっては何とか可能かも知れませんが、世俗に生きる市井の人間たちにとっては日々の思考回路にかなりの苦痛を伴う無理を効かせることになり、それを徹底させることはどうやってみたって無理でしょう。
どうしてもというのであれば、世界は3次元からできているわけですから、「前翼」と「後翼」とか、「上翼」と「下翼」とかという用語をひねり出すという手もありますが、これはこれで問題がありそうだし、人が使わなければどうしようもないわけで。
いや、松尾さんの解説は実に極めて明晰なんですよ。ただ、それは世間で「右翼」「左翼」という用語が用いられるときにそれを解読する測定器として有用であるということであって、人にこういう風に使えというのはそれはなかなか無理でしょうということで。
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