移民と生活保護
本ブログで何回か田村哲樹さんの議論を取り上げて疑義を呈したことがありますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_48ae.html(労働中心ではない連帯?)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_0a8b.html(ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか)
純粋哲学的な議論は別にして、実は一番気になっているのは、最近与党筋の方からやたらにかまびすしい移民受入れ論との関係なんです。
ヨーロッパはかつて外国人労働力を導入したつもりが、家族もろとも移民の大集団が居着いてしまって、実は今何が一番の問題かというと、俺たちが乏しい収入から払った税金があいつら移民野郎どもの福祉給付に無尽蔵に垂れ流されてしまっている、ふざけるな、という憤懣なんですね。
福祉の哲学的根拠を「シチズンシップ」に置く限り、あいつら移民どもに俺たちのシチズンシップを認めてやった覚えはねえぞ、という血の論理が湧いてくるのを止めることは原理的に不可能です。ヨーロッパ人だって決して高級じゃない。「仲間」と認める範囲は限られているのです。
「高度人材」という名目で実は低賃金労働をやってくれる外国人を移民として導入したら、ヨーロッパの経験に鑑みる限り、間違いなく彼らや彼らの家族が莫大な福祉給付の対象になっていかざるをえませんが、それを心広く受け入れるだけの心の準備が日本人にあるのか、というのが最大の問題です。
先日のぶらり庵さんのコメントに対して述べたこととも関連しますが、戦前戦中に大日本帝国臣民として全く合法的に居住就労していた人々に対してすら、戦後長らく福祉の手を差し延べることを拒否してきたわけですからね。
人種・民族差別を禁止しようとする人権擁護法案は、提出されてから早くも6年になりますが、抵抗が強すぎて、全然成立の見通しはないようですし。
私は、外国人をもっと大幅に受け入れていくこと自体には決して反対ではありません。ただ、その前提条件はかなりハードルが高いように思います。
この問題を論ずる人々は、まずはこういう問いを自らに発してみてもいいのではないでしょうか。
>働いてもらうつもりで連れてきた外国人が働きもせずに貧しいから生活保護をくれとわめいている。さあ、どうしますか?
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> 間違いなく彼らや彼らの家族が莫大な福祉給付の対象になっていかざるをえません
> 戦後長らく福祉の手を差し延べることを拒否してきた
ちょっと変ですね。正しくは、
福祉の対象になるか、どうかということが問題になっていかざるをえません
彼らを騙すようなことをせずに「貴方は福祉の対象にはならない」ということを明確に伝えるようにして、受け入れれば良いのでは。その場合は、移民にならず労働者として通過していくだろう、と思いますけど。それは、今とあまり変わらないという意味でもある。しかし、本国が酷い状態にある人には選択肢を与えることにはなる。
投稿: ljgl | 2008年5月24日 (土) 14時08分
それは、日本で働く外国人に対して、家族と共に住むことは許さないということでもあります。単身出稼ぎしか認めない。そして、クビになったら直ちに国外追放。そういう「選択肢」だけしか与えないことに対する人道的批判に対して、平気の平左で制度を運用できるくらい、日本人の神経が太いとは思えません。
というか、今「移民」が云々されているのは、一つには研修・技能実習制度が、労働目的ではなく技能習得目的なんだからと云う理由付けによって何とか上のような条件をクリアしていることに対してすら批判があるからです。
正面から労働目的の「移民」を導入しておいて、それで福祉からは排除しますという理屈が通るとお考えでしょうかね。観念的な理屈の上だけの話ではなくて、現実の政策としてそんな非人道的な、チープな労働力として使えるだけ使い倒してあとは捨てて顧みませんので宜しく、と政治家が平然といえると思いますか。
同じ「移民論」でも、正義感溢れる河野太郎氏などは、まさしく最後の最後まで面倒見てあげるつもりなんでしょう。私も、入れる以上はそうするべきだと思いますが、そうするつもりなら、最後まで面倒みても問題を引き起こさないような人々だけを入れるようにした方がいいのではないでしょうか、ということなのです。
河野太郎氏ほど正義感に溢れているわけでは必ずしもない方々については、正直言ってどこまでこの問題をまじめにお考えになっておられるのかよく分かりません。まさか、我が亡き後に洪水よ来たれ、ってなつもりでいっておられるのではないと信じたいところですが。
投稿: hamachan | 2008年5月25日 (日) 00時05分
> 日本で働く外国人に対して、家族と共に住むことは許さないということでもあります。
それは「結果的に」ということですか?
福祉があまり受けられなくても、税金も少なければやっていける場合も多い、と思いますが。
もちろん、本国がそれほど酷い状態でなければ、出稼ぎという選択肢の方が合理的である場合が多いと思いますが、それならそれで良いのではないでしょうか?このような方向でやれば結果的に、移民というよりも出稼ぎの自由になるのだろう、とは思います。
実はそこで問題になるのは当の外国人というよりも、日本人の労働者の方じゃないですかね?
お為ごかして、外国人の方々の話をするよりも…、とちょっと思ったよ。
投稿: hhhppp | 2008年5月25日 (日) 08時13分
で、当の外国人について言えば、正義感溢れる人々の声の大きな発言が結果的に、甘言となって騙すようなことになってしまう方が問題のように個人的には思う
そうならなければ、別にそんなに恨まれないと思うよ
あ、正義感がなくて騙すようなことをする人達もいるかもしれんから、それについても注意する必要はある
投稿: hhhppp | 2008年5月25日 (日) 08時36分
コメント欄での議論を見ていて、思いました。この議論は日本語ですけれども、これが英語で、当の対象の外国からの労働者が、日本の国内でのそれもけっこう上等なレベルのブログでの議論として、見られる状況にあれば(フィリピンの人たちは日本人よりも英語はできるのでは)、いったいどうなることか、と。
投稿: ぶらり庵 | 2008年5月25日 (日) 10時05分
この議論は、日本の労働者のシティズンシップを、それ以外に認めるかどうか、という議論ですが、暗黙の前提で「日本の労働者」は、社会福祉の対象となっているわけで、つまり、「男性正社員」になっている感じを受けます。
何も英語でなくても、「パートの人たちはパートなんだから、福祉の対象にしなくても」とか「請負の人たちは日雇いのフリーターなんだから、福祉の対象にしなくても」という、日本語の議論にも簡単になってゆくような気がしますね。まあ、日本人であるパート・フリーターは、公的福祉の対象にはなります。ですが企業内の厚生福利や労働組合の「企業内シティズンシップ」からは排除されやすいわけで、そのように、(男性)正社員を中心に、何層のも「対象外」の構造を、労働者自らが労働者間に認めてゆくことに、とても疑問があります。
投稿: ぶらり庵 | 2008年5月25日 (日) 11時23分
別に問題ないかと。当の日本人の中にも福祉要らん。その代わり税金少なくというホリエモン的なのもいる訳で
ここで問題なのは結果的に、高福祉(&働けないので低負担)を目当ての好都合難民(?)を外国から招き入れることになるのでないか?それだけならまだいいけど、そのときに至って、日本は彼らに対する以前の甘言を反故にするのでないか?そういう危惧だと思います
投稿: hhhppp | 2008年5月25日 (日) 15時43分
いろいろと生活保護の歴史なんかを読んでいると、1950年代の半ばに、当時膨大な数に上っていた在日韓国朝鮮人の生活保護受給者に対する一斉「適正化」とそれに対する反発はものすごいものがあったようですね。
ヨーロッパを持ち出す以前に、日本社会が経験していることなんです。ただ、その経験が全然伝えられていない。
投稿: hamachan | 2008年5月26日 (月) 23時36分