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2008年5月

欧州派遣労使の共同声明

5月28日付で、ヨーロッパ労働者派遣業協会(Eurociett)とUNIヨーロッパ労組がEU労働者派遣指令案に関して共同声明を出しています。EurociettのHPの記事から、

http://www.euro-ciett.org/index.php?id=113&tx_ttnews[tt_news]=47&tx_ttnews[backPid]=15&cHash=010602668d

>Both Eurociett and UNI-Europa hope that the EU Council, Commission and European Parliament will take this joint declaration into account in their forthcoming discussions on the Directive. 

The joint declaration, which reconciles the interests of the social partners of the sector, should be seen as a balanced and integral deal. 

The key points of the joint declaration are as follows:

-  The agreement recognises the positive role that temporary agency work can play in the labour market today, contributing to the implementation of active labour market policies, and meeting the requirements of the Lisbon strategy.

-  The agreement also recognises the principle of equal treatment from day 1 for temporary agency workers, with possible derogations (such as a qualifying period) to be agreed upon by national social partners, highlighting the need to find an application that is adapted to the national context.

-  The deal equally underlines the necessity to review on a regular basis restrictions imposed on temporary agency work, and the subsequent lifting of those deemed outdated or unjustified.

-  The Temporary Agency Work Directive must be linked to other existing directives dealing with the industry, such as the Posting of Workers Directive, which must be subject to a better and more effective enforcement and implementation.

まず、労働者派遣が労働市場に貢献していますと。

同時に、初日から均等待遇原則が必要ですと。

時代遅れな派遣事業規制はやめましょうと。

他の指令とのリンクもねと。

共同声明そのものはこちら、

http://www.euro-ciett.org/fileadmin/templates/eurociett/docs/position_papers/2008_AWD/Eurociett-UNI_Europa_joint_declaration_on_AWD_-_May_08.pdf

こっちはもっと詳しく、22項目にわたって書いてあります。

>1. UNI-Europa and Eurociett are of the opinion that an E.U. regulatory framework on temporary agency work (TAW) should be in the interest of both business and workers.

EUの派遣指令は労使双方の利益ですと。

>4. UNI-Europa and Eurociett consider that the proposed legislation should a) combine an adequate protection of agency workers and the role temporary work agencies can play in a well functioning labour market, b) provide a legal framework for temporary work agencies to operate that would help to prevent unfair competition by fraudulent agencies and/or user companies, counter abuses and illegal practices.

立法は派遣労働者の十分な保護と派遣事業の役割を結びつけ、不正な業者やユーザーを防ぐべきだと。

>5. To this aim, the legislation must secure the equal treatment principle for temporary agency with regard to their basic working and employment conditions and allow for better conditions development of a well functioning European market for temporary agency work services.

そのために均等待遇原則と派遣サービスが機能する条件が必要と。

>7. UNI-Europa and Eurociett stress on the one hand the necessity to identify and review obstacles of a legal or administrative nature, which may limit the opportunities for temporary agency work to operate, and, where appropriate, eliminate them. On the other hand, they recognise the necessity of certain restrictions to prevent potential abuses, such as potential undermining of employment conditions of workers.

派遣事業規制を見直し、できれば撤廃せよと。ただし労働条件を掘り崩すような濫用を防ぐ一定の制限は必要と。

>16. The non discrimination principle will apply from day 1 of an assignment unless a qualifying period is agreed on at national level by social partners and/or tripartite bodies.

非差別原則は派遣1日目から適用するが、各国で労使合意か三者構成で猶予期間をおけますと。これが、例のイギリスの三者合意では12週間となっていたところですね。

いずれにしても、こうしてEU派遣指令案は成立に向けていろいろと歯車が動き始めたようです。早ければ6月にも閣僚理事会で合意が成り立ってもう一度欧州議会に送られるという日程も考えられます。

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EUにおける均衡処遇等

経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会で、標記のような報告をしてきました。年齢の話に続き2回目になります。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/21/agenda.html

レジュメはこれです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/21/item1.pdf

議事録はそのうちにアップされると思います。

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蟹工船がすごいことになっている件について

Bk20080502162111862l1 初めてそれを聴いたのは、確か先月18日の岩波書店で開かれた若者政策研究会のあとの懇談の席で、どなただったか最近若者の間で蟹工船がすごい売れているんですよと仰ったときだったと記憶しています。

その後、5月2日の読売に

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080502bk02.htm

>プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。

という記事が載り、

5月13日の朝日に

http://book.asahi.com/clip/TKY200805120295.html

>作家小林多喜二の代表作「蟹工船」の売れ行きが好調だ。若い世代を中心に人気を呼び、コーナーを特設する書店も相次ぐ。凍える洋上で過酷なカニ漁や加工作業を強いられる男たちが、暴力的な監督に団結して立ち向かう昭和初期のプロレタリア文学。いまなぜ読まれるのか。

ついには5月25日の産経のコラム「断!」でも、

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080525/trd0805250332002-n1.htm

> 小林多喜二『蟹工船』が売れているという。意外に感じるが、じっさい大手書店には平積みのコーナーまでできている。

 新しい読者は若いフリーター層、ワーキング・プア層が中心らしい。とすればこれまで、プロレタリアという言葉も知らなかったひとたちなのではないか。彼らが『蟹工船』の労働者たちに共感し、自分たちの境遇が「自己責任」などのせいではないと知るのは喜ばしいことだ。

 わたしが『蟹工船』を読んだのは、40年近くも昔、20歳前後のことだったろう。短期の肉体労働を繰り返していたころだ。それでもそのころすでに『蟹工船』は遠い時代の物語だった。労働3法は、たとえばわたしの体験した自動車工場の内部でも、とりあえず機能していた。日産京都工場の大争議など、『蟹工船』を連想させる事例は散発していたにせよだ。

 しかし、いまの派遣社員やワーキング・プア層の労働環境を見ると、事態は40年前よりもずっと小林多喜二の時代に近くなっているようだ。わたしの身近にいる若いひとたちの例を聞いても、その悲惨さは理解できる。現在は管理のシステムが洗練されただけだ。

そして昨日、下高井戸駅を降りた私は改札を出てすぐの啓文堂にふらりと入って目を疑いました。その「蟹工船」が、入ってすぐの平積み台に、8冊分の面積をとって堂々と並べられていたのです。確かその前の日は平積みとはいえ1冊分だったような気が・・・。もはや大手書店どころか駅前小書店まで巻き込んだ騒ぎになっているようで、なんだか幾何級数的事態のようですね。

Kani_3

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日雇い派遣 禁止は有効?

昨日予告したとおり、本日の朝日新聞に、派遣ユニオンの関根秀一郎氏と私の対論が掲載されています。顔写真付きです。HP上には載っていません。

中身は新聞紙上でお読みいただくとして、それぞれにつけられた形容語が面白い。

>派遣労働者を支援している関根秀一郎・派遣ユニオン書記長と

>労働法のブログを主催する濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授に議論してもらった

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日雇い派遣を自粛

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/life/update/0528/TKY200805280305.html

>日本人材派遣協会は28日、製造業などでの日雇い派遣の原則禁止を柱とする「自主ルール」を発表した。大手のグッドウィルなどで違法行為が相次ぐなか、ワーキングプア(働く貧困層)の温床と批判されている日雇い派遣を自粛することで、業界全体への不信感を取り除くのが狙いだ。

>自主ルールはこの日の定時総会で議決された。製造・運送業などでの軽作業に関し、「意図的な1日単位の細切れ契約は行わず、労働者の希望に応じて可能な限り長期の契約を確保する」と明記。通訳など専門業務や、臨時的で日雇いの必然性がある業務は対象外となる。

いや、もちろん、ある期間継続する仕事なのに意図的に短くしたり日雇いにしたりというようなことが望ましくないのは、派遣であれ直用の有期雇用であれ同じです。昨年末成立した労働契約法でも、

>使用者は、期間の定めのある労働契約について、その労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない。(17条2項)

と定めていますし、これをもとに指針では、3回更新したら終了1ヶ月前に予告しろと定めています。臨時的で日雇いの必然性のある場合はいいのは当然です。派遣だからどうこうと考えること自体がおかしいのです。

>派遣労働者を支援する派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「対策が遅すぎ、派遣会社のピンハネや多発する労災への対策もなく不十分。日雇い自粛だけでなく、5年、10年先を見据えて将来設計ができる働き方にしていくべきだ」と話す。

実は、明日の朝日新聞で、この関根さんと私が日雇い派遣禁止の是非について対論しております。お読みいただければ幸いです。

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公務員改革修正合意

今国会では成立しないと思われていた公務員制度改革基本法案が、急転直下修正して成立することになったようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080527-OYT1T00628.htm

>焦点だった「団体協約締結権」を付与する公務員の対象拡大や政官接触制限の見直しなどで、与党が民主党の主張を大幅に受け入れ、26日の修正協議の不調から一転、今国会で成立する見通しとなった。修正案の表現の詳細を詰め、28日の衆院内閣委員会に共同提出し、29日の本会議で可決、参院に送る方針だ。

>給与水準などの労働条件を労使で決める団体協約締結権を付与する公務員の対象拡大に関しては、政府案では「検討する」としていたが、「(国民の)理解をもとに、関係制度を措置する」と修正する方向だ。

「措置する」と云うことは、そういう方向性は明確にするということなんでしょうね。ここのところは、民主党が連合から突き上げられて、せっかくのタネを潰すなということになったのでしょう。まあ、どこまでどうするかはまだまだこれからの話ですが。

あと、

>定年の65歳への段階的引き上げを「検討」と明記し

というのが、大変重要な意味を持つと思われます。

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労働市場改革専門調査会議事録 on 生活保護

5月8日に開かれた経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会については、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_fbbc.html

で紹介したとおり、地方財政審議会の木村陽子さんの報告がされたのですが、その議事録がアップされました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/work-s.pdf

木村さんの報告は、全国知事会・全国市長会がまとめた生活保護制度の見直し案がベースですが、あとの議論で佐藤先生との間で、

>(佐藤委員)生活保護基準額と昀賃なり非正規雇用者の収入との均衡について、例えば生活保護を受給している2人世帯の場合、母子家庭の生活保護受給額が 231万円で、昀低賃金で児童扶養手当をもらっている場合は 203万円で、これだと、なかなか生活保護から非正規雇用に移らないだろうということがポイントだと思う。

この場合、考え方として2つあって、1つは生活保護基準額を下げろという議論と、もう1つは非正規雇用者の年収を上げろということだと思うが、先生の主張は非正規雇用者の年収を上げろということなのか。

(木村先生) 私達の主張は均衡を図る必要があるということ。

(佐藤委員)非正規雇用者の方は、御存じのように、数字的に圧倒的に多いのは 114万円台の既婚女子。これが非正規雇用既婚女子の配偶者の年収である 526万円とセットになっている。既婚女子の多くはでこの水準でよいと思っていて、他方で、このことが母子家庭の 203万円を制約している状況がある。

ここはもう前々から議論しているところで、この 114万円のところの人たちが更に上の水準でなければ困るというふうにしない限りは、こちら側は変わらない。これは今日、大沢委員が別の会議で言われていたが、103万円なり 130万円のところの話で、これが変わらない限り、非正規雇用者の年収はなかなか上げられない。114万円の人は労働市場から出ていってもらうか、あるいは 103万円や 130万円を超えて働くというインセンティブをつくらないと、こちら側の賃金が上がらない。

(木村先生) 私達は均衡だから、どちらが高い、どちらが低いということではない。

というやりとりが面白かったです。そりゃ、どっちが高いとか低いとか言えば、それ自体が大騒ぎのもとですからね。

あと、小林さんが就労支援の主体について、こういう興味深いことを言っています。

>政府等がやっている制度は、フリーターの人たちにとっては何となく敷居が高いというか、NPO関係の共同住宅も何となく違和感があって入りづらいとかいうような問題があって、なかなか普及しない。これをどうやって、どういう形ですんなりと入れるようなものにしていくかということだがどのように考えたらいいのか。

>何でこんなことを言うかというと、例のネットカフェも、だんだんビジネスが行き詰まってきて、日々でなくて 30日の長期間で4~5万円の使用料というコースも出てきた。そこで何をやっているかというと、住民票が取れるとか、郵便を受け付けるということをやった上に、就職支援もやるという。どこかを紹介して紹介料を取ろうという話かもしれないが。また、レンタルオフィス・ビルビジネスも、レンタルのネットルームとかいって1か月間小さな部屋を貸して、併せて就業支援を行うというビジネスを始めているという話も聞く。これらの決め手は就業支援、就職支援活動で、ネットカフェなどの方が職業訓練施設に行くよりも、彼らにとっては敷居が低くて入りやすいのではないかと思う。私はそこに一番のメリットがあるだろうと思う。職安にも来たがらない層がいるし、仕事は山谷や釜ヶ崎に行けばあるけれども、何となくあそこは近寄りがたいというところがあって、ネットカフェが一番いいということだろう。ネットカフェ等で就業支援等を担える層が出てくると、そこに支援のお金が出れば、もうちょっとスムーズに就業支援等が行われるのではないかという感じがしているが、そんな考え方は突拍子過ぎるか。

ジョブカフェよりもネットカフェというわけですか。貧困ビジネスと貧困対策は紙一重というところもあるのかもしれませんが。

おそらくもっとも本質に関わる論点は、八代先生とのこの対話でしょう。

>(八代会長)先ほど木村先生より、ワーキングプアと言われる人たちが必要昀低生活費と賃金の差額を福祉給付でもらうというのは避けなければいけないと現場の人が言っているということだが、ある意味、そうすることは逆に非効率ではないか。つまり、色々な賃金の人がいるわけなので、就労と福祉の組み合わせが必要ではないか。

>(木村先生)現場の感覚としては、一旦生活保護を受給し始めると、本当に自立が難しいという感覚を持っている。だから、本当に所得の低い人たちに基本手当との組み合わせではなくて、何かできないかということを思っている。そのことを申し上げた。

>(八代会長)生活保護と同じ考え方だけれども、いわゆる生活保護とは違う第2のシステムをつくる必要があるということだろうか。

>(木村先生)国によって生活保護はテンポラリーなもので、ほかの制度、例えば障害年金で生活保護の代わりをするとか、いろいろある。生活保護にも頼らない制度をつくるとか。それと似ているのかもしれないが、とにかく一旦生活保護を受給し始めたら、卒業しにくいというのが現場の感覚である。

生活保護じゃない形の生活保障システムを考える必要があるのではないかという議論まで、あと少しの所まで来ています。

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浜矩子『資本主義と自由』書評

「エコノミスト」誌に、浜矩子氏によるミルトン・フリードマン『資本主義と自由』の書評が載っています。

これがなかなかいい。ただただ思考停止してフリードマンまんせーしている書評もネット上に散見される中、こういう一ひねりした上質の書評はいいものです。

>読み進むうちに、面白いことに気がついた。それは、本書の価値がその時代遅れぶりにあるということだ。

>当時のアメリカでは、資本主義の計画経済化をめざす傾向が強まっていた。大きな政府を志向する発想が主流化している面があった。・・・そのような世相に対して、著者は人間たちの自由な選択の集合場所である市場の優位性を断固主張する。

>その姿勢と論理の一貫性には、実に迫力がある。読んでいて気持ちがいい。だが、どうしても一定の時代錯誤感を免れない。それは、今日のわれわれが、いわばフリードマンの薬が効きすぎた世の中に住んでいるからだ。

>『過去と比較しても資本主義社会では経済の進歩により不平等が大幅に減ってきたことが判る」。フリードマンはそういう。確かにその通りだ。だが、これからはどうか。平等社会の典型だったはずの日本において、格差がこれだけ人々を心配させる現実を、われわれはどう受け止めたらいいのか。ネットカフェ難民たちは本当に資本主義の犠牲者ではないのか。

>こういう疑問を持たせてくれるところに、本書の貴重さ、今、読むことの意義深さがあると思う。

実は、私も大学に入った70年代後半に読んで、大変同感した覚えがあります。ただ時流に乗って空疎なことを書き散らす連中と対比すると、時代精神に真っ向から対決するこういう作品は自ずから感動を呼び起こすものでしょう。それは自由競争万能主義がはびこる19世紀のまっただ中でマルクスの資本論を読むのと同じようなものかも知れません。今の時代にフリードマンを読むのは、ソ連の収容所でマルクスを読むのと似たほろ苦さがあるのかもしれませんね。

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経済同友会の消費活性化提言

経済同友会が「消費活性化が経済成長を促す」という提言を発表しています。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2008/pdf/080522a.pdf

興味深いのは、国民の不安を払拭することが消費活性化につながるとし、その2つの柱の一つとして「働く個人の不安払拭に向けて企業がすべきこと」を挙げていることです。

消費が低迷する原因は政府の無策にあるだけではなく、企業の労働に関する行動にもあったということを率直に反省しているといっていいのでしょうか。

中身を見ていきましょう。

>本提言では、働く個人の中でもとりわけ若年層の雇用環境、所得環境に着眼し、企業がすべきことを提示する。これには、本来、若年層は家族形成等により活発な消費を行う年齢層と考えられるが、その一方で、現在の若年層は、雇用環境の変化に加え、少子高齢化による税・社会保険料の増加の影響も相俟って、終身雇用制度、年功序列の賃金体系の下で所得を得ていた世代に比べ賃金が安定的に拡大しにくい状況にあることを踏まえたという背景がある。
今後、人口減少により労働市場が逼迫する中で、企業が行うべき若年層に対する処遇のあり方を通し、若年層が所得について長期的な見通しを立てられるような労働市場の形成を促すこと、加えて、少子化対策として、企業による仕事と育児の両立支援について提示する。

では具体的に何をどうするというのか。

>企業がすべきことの第一は、人口減少社会において、競争力を向上させていくために人材にも経営資源を適切に充当することである。今後は優秀な人材に対し、能力、さらには成果に応じた報酬を払えなければ、企業は競争力を失うことになる。

まあ要するに、労働者にも適切に配分していかなくちゃというマクロ経済的にごく当然の話。

>第二は、若年層が長期的な所得の見通しを立てられる労働市場の形成を企業が促すことである。

おっと、経済同友会がそれを言いましたか!という感じです。まさにそれが重要なんですよ。ただ、この「長期的」という形容詞がそのすぐ後に必ずしもつながっていかないような気がします。

>そのためには、先ずは、企業が求める人材像と報酬を労働市場に明確に示すことが必要であるが、人材要件の提示にあたっては、所謂「ジョブ・ディスクリプション」で示すような職務に求められる専門知識、能力やスキル、成果のみならず、企業が掲げる理念への共感、職務を通して社会に貢献しようとする姿勢含まれるだろう。
これにより、労働力の供給側である個人は、自身が労働市場を通じ雇用を確保し続けるために、どのような能力やスキルを磨き、成果を出さなければならないかがわかる。こうした労働市場の形成は、個人が所得獲得能力を培い、長期的な所得の見通しが立てられるようになること、労働市場の流動性を高めることに繋がる。

文脈が入り組んでいるんですが、「ジョブ・ディスクリプション」のような、その時その時の職務内容でもってものごとを決めていくのではなくて、もっと長期的な視野(ここでは出てきませんが「キャリア」とでも言うべきでしょうか)でのスキル形成を考えろと言っているわけで、筋は通っているんですが、「のみならず」「も」という助詞の使い方になにがしかジョブ志向の形跡が見受けられたりして、しかも最後のところで「労働市場の流動性」が出てきたり、なかなか労務管理思想上興味深いところです。

>第三は、雇用形態に関わらない処遇を行うことである。能力、さらには成果により価格(報酬)を決める労働市場の形成を促すには、正規、非正規といった雇用形態の違いによる処遇の差を縮小していくことが必要である。

いや、だから同一労働同一賃金原則ということを言うつもりであるならば、「能力、さらには成果」などといった主観的要素ではなく、客観的な職務内容自体に値札が付く労働市場を形成するんだと主張すべきなんですが、そうでもないわけで、その辺、非正規も職能的処遇でやっていくんだそれが日本的均等待遇なんだ!という割り切りをしているわけでもないところが、この一見すっぱりとものを言ってるようで実はその筋の人が見るとうーむという提言なんですね。

>第四は、仕事と育児の両立支援である。子育て期間中の社員の支援策には、時差出勤制度や事業所内への保育施設の設置等があるが、こうした支援も正規、非正規といった雇用形態の区別を設けず実施していくべきである。少子化は、消費を下押しする要因であり、少子化対策の観点からも個人のワーク・ライフ・バランスの推進が求められる。

これはわりとすっきりいえますね。

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榊原英資氏の「正論」

産経の正論欄で、榊原英資氏がこういうことを言われています。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080527/wlf0805270242000-n1.htm

>結論から述べてみよう。国が民間型の保険をやること自体が誤りなのである。1960年代、国民皆年金、国民皆保険ということで、福祉制度の充実のスローガンのもとに現在の制度がつくられたのだが、福祉制度の充実と保険制度の導入とが同じものと考えてしまったことに問題があったのだ。

 福祉制度の充実は必要だし、国がそのために大きな役割を果たすことは必要である。しかし、国ができることは、税金を取って福祉にあてること、つまり、福祉サービスのメニューを充実して、そのための税金を取ることなのである。これは、広義の所得再分配であると考えられる。また、税金といっても、所得税や消費税のような一般財源ではなく、例えば、社会福祉税という名の特定財源でもいいわけである。

 しかし国には民間のように保険料をとって、これを金融市場で運用する能力はない。つまり、個人から保険料という形で資金を預かって、これを運用して、保険金として返すことはできないのである。

>では、どうすればよいのか。答えは簡単である。厚労省が保険業務から全面的に撤退すればいいのだ。年金は、基礎年金のみとし、全額税金で負担する。基礎年金の額が現在のものでは低すぎるというのなら、例えば、消費税を増税して年金額を上げればいい。また、医療や介護についても、全額、税金(例えば医療サービス税などという特定財源か消費税)でまかなうこととすればよい。現在の保険料が税金に変わるだけなので増税(正確には国民負担の増加)にはならないはずだ。

 このように考えていくと、厚労省・社会保険庁の業務は大幅に合理化できる。税の側は国税庁へ、支払いの側は地方自治体に任せれば、省そのものがいらないということにもなるのだろう。そろそろ厚労省・社会保険庁解体を真剣に考えるべき時だろう。

ここまで仰る以上、榊原氏が責任を持って、あらゆる社会保障需要をことごとく賄うだけの税金をどこからか取り立ててきてくれるんでしょうね。

それがどれだけの税率になろうが、責任を持ってそれだけの税金を持ってこれると。

市民の皆様は、やがて自分たちに返ってくる保険料だという名目もなく、喜んで山のような税金を払ってくださると。

榊原氏が近年熱を入れて支持しておられるらしい民主党も、「俺の払った保険料はどこにいった。サッサと返せ」などという民間保険原理に毒された馬鹿げたフレームアップはなさらないと。

ましてや、役所のムダをなくせば、税金などびた一文上げなくても急増する社会保障ニーズは全部賄えるとかいう訳の分からないご主張もなされないと。

まあ、社会保険と民間保険の違いも知らずに「正論」おひねりになるんですか、などとはいいませんが。

(参考)

実は、某所で榊原氏の本を推薦したりしてるんですけど。

http://www2.gakkou.net/daigaku/gkmnavi/books_detail_49.html

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讃井暢子さん

20080520dd0phj000005000p_size5 毎日新聞に讃井暢子さんの記事が出ていました。

http://mainichi.jp/life/job/news/20080519ddm013100028000c.html

>経済界の重鎮が歴代会長を務め、「男社会」のイメージが強い日本経団連。その事務局で今月28日、常務理事に昇格する。終戦直後から約60年に及ぶ歴史で、初の「女性役員」誕生だ。

>各国経済界との橋渡し役を担うきっかけは大学院時代の修士論文だ。政府と労使代表が参画する「国際労働機関」(ILO)を研究した。「実態を知りたい」と80年、労使関係を扱う旧日経連に就職し、国際畑を中心にキャリアを積み重ねた。「仕事で女性を意識しない」と語るが、娘の幼少時代、午後5時過ぎに帰りの電車に駆け込み、保育園へ迎えに行く忙しい日々を過ごした。家族との時間を大切にし、今でも8時ごろ帰宅し、料理をして夕食を共にする日も多い。「違う世界を持つことがストレス解消法」と、自然体で仕事と家庭を両立させている。

ワーク・ライフ・バランスという言葉を、その「ワーク」と「ライフ」のそれぞれの重さをよく判った上で語れる方というべきでしょう。

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心の病労災

読売が、心の病労災について突っ込んだ記事を書いています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052603.cfm

>心の病気の労災認定者数が過去最悪となった理由として、厚労省、労組関係者、心療内科医などが共通して指摘するのは「職場環境の悪化」だ。職場に成果主義による人事制度が導入された結果、競争が激化し、人間関係がぎくしゃくするケースが増えた。「弱み」を見せまいと、心身の不調を一人で抱え込み、限界まで我慢する。外見だけでは異変が分からず、周囲が気付いた時には手遅れという場合もある。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052602.cfm

>連日接待…得意先奪われ 不眠

同僚に相談できず 成果主義「ライバルだから」

>NPO法人「働く者のメンタルヘルス相談室」(大阪市)の伊福達彦理事長は、「うつ病は、特別な病気ではなく誰にでも起こりえるが、身近にいても気づかないことも多い」としたうえで、「会社には、従業員の心の健康状態を専門家が定期チェックする労務管理が必要。国も、過労死ラインとされる残業時間に近い勤務実態があれば、強制的に休ませるなど労働時間を規制すべきだ」と語る。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052601.cfm

>病院内で「模擬出勤」

心の病気で休職…職場復帰へプログラム

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「産経新聞の残業代と週刊新潮さんの記事」というブログ記事

産経HPの記者ブログで、池田証志記者が週刊新潮の悪意ある記事に反論しています。それも、22日、24日、25日と、既に3回にわたって。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/080522/med0805222256001-n1.htm

ま、週刊誌は何かというと残業代、残業代とゼニカネのことしか脳みそにないような記事ばっかり書くことは、既に例のホワエグの時以来周知のことですから、今さら驚きませんが、

>週刊新潮さんにはいつもお世話になっていますが、今週号(20008年5月29日号)で取り上げていただいた「『産経新聞』だけじゃない 『経費削減』でサラリーマンはつらいよ」の見出し記事には、驚かされました。弊社は今年4月から、コンプライアンスと社員の健康管理・ワークライフバランス、賃金の公正な配分の観点から、時間管理と関連手当に関する新制度を施行しましたが、同記事には誤報、アンフェア、非常識な記述が少なからずありましたので、指摘させていただきます。

>同記事には、「会社側は残業代削減30%の目標を掲げているだけに、社員は戸惑いを隠せない」と書かれていますが、そんな目標はありません。

 「残業時間を30%削減する」という目標はあります。ただし、もしこの目標が達成できたとしてもいわゆる給料が減るわけではありません。新制度は基本的に、残業や深夜労働、休日出勤など、勤務時間に関する手当を合計すると、残業時間を30%削減したときに旧制度と同額が支払われるように設定されています。当然、残業時間を削減できなければ、これらの手当は旧制度時を上回ります。

 ですから、新潮さんが「産経新聞社は新制度を使って残業代をカットしようとしている」と主張されたいなら、間違いです。

いやあ、でも産経新聞さん(だけではありませんけど)だって、残業代残業代と、ゼニカネのことしか頭にないような報道をされていたような気が・・・。

あと、いろいろと書いていることも、それ自体が新聞社の労働時間管理というものを大変良く浮き彫りにしておりまして、実に興味深い記述がたくさんありました。

> 「私用時間には給与を払わない、そのことによって経費削減を確実にするという狙いのようだ」

 ・・・。当たり前じゃないですか! どこの会社が「私用時間」に給与を払うんですか? しかも、逆風の新聞業界ですよ。「私用時間手当」でも作らない限り無理です。

 時間管理を事実上まったくせず、比較的高い給与水準を維持し、事実上の第4の権力となっているマスコミ業界の給与体系と人事管理、リスク管理は、一般企業からみれば噴飯モノです。マスコミ業界の常識は世間の非常識だったりするものです。

 弊社は、そういったマスコミの悪弊から早く、少しでも抜けだしたいのです。さらに、弊社はご存じの通り、マスコミ内では給与が低いので、限られたパイを公正に分け合うことで納得性を確保したいので、新制度を導入した次第です。

まあ、でも新聞記者のような本来的意味における裁量労働制がふさわしい職種の場合、そもそも何が「私用時間」で何がそうでないかがそんなに明確に区別できるのかという根本的な問題がそういう「悪弊」の元にあるような気もします。

でも、池田記者のように、

>何が勤務時間で何が勤務時間でないのか、弊社の多くの社員(私も含め)はそれすら認識していない状況でした。旧制度の打ち切りの残業代では、社員を働かせ過ぎたり、社員が残業代をもらい過ぎたりしますので、改革の必要性がありました。

というふうに感じている記者も多かったから、こういう制度になったのでしょう。労働時間問題の難しさを、新聞記者ご自身の労働時間の在り方を素材にあれこれ考えてみるというのも、今後の報道を充実させていく上でお役に立つのではないでしょうか。

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職場いじめと過労自殺

既に新聞等で報じられていますが、厚労省が個別労使紛争と労災の発表をしています。

まず、平成19年度個別労働紛争解決制度施行状況ですが、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0523-3.html

>総合労働相談の件数は約100万件、民事上の個別労働紛争に係る相談件数も約20万件となり、制度発足以降依然として増加を続けている。

また、助言・指導申出受付件数は6千6百件を超え、あっせん申請受理件数は 約8千件と昨年度実績を上回っており、引き続き、制度の利用が進んでいることが窺える。

例年もそうですが、解雇紛争が一番多く、次いで労働条件の引き下げ、いじめ・嫌がらせが主たるものです。

例として、こんなのが:

> 申請人は、顧客からクレームがあった際、上司から人格的価値、社会的評価・名誉を害する発言を受け、会社に職場環境の改善を求めたが聞き入れてもらえず、逆に会社からも言葉の暴力等により精神的に追いつめられ、退職を余儀なくされたとして、精神的苦痛及び経済的損害に対する補償を求めて、あっせん申請を行ったもの。

>あっせん委員が双方の主張を確かめ、当事者間の調整を行った結果、解決金○○万円を支払うことで双方の合意が成立した。

こういうふうに個別労使紛争として浮かび上がってくればまだ良いのですが、労働者の心の中で葛藤が進むと、こちらの発表のほうの数字になってきたりもします。平成19年度の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(「過労死」等事案)の労災補償状況」及び「精神障害等の労災補償状況」です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0523-2.html

これについては、朝日の記事を、

http://www.asahi.com/job/news/TKY200805230291.html

>仕事のストレスが原因でうつ病などの精神障害になり、07年度に労災が認められた人は前年度の1.3倍の268人で、過去最多を更新したことが23日、厚生労働省のまとめでわかった。そのうち、過労自殺も15人多い81人(未遂3人含む)で過去最多。長時間労働や成果主義が広がる中、心の病に悩む人が増えていることを示した。

最近、この関係でいくつも注目すべき判決が出ています。どれも新聞記事なので詳しいことは分かりませんが、

http://www.asahi.com/national/update/0522/TKY200805220289.html

>「海外出張重なり過労死」 残業短くても労災認める判決

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200805190056.html

>過労の背景に家事労働の負担も認定 大阪地裁判決

などです。

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移民は「福祉の居候」

昨日のエントリーの関連で、興味深いブログ記事を見つけましたので紹介します。

http://ameblo.jp/komanatsu86/entry-10061131532.html(デンマークの移民問題)

デンマークはオランダと並んで、心が広くて寛大で可哀想な外国人をどんどん受け入れてきた国ですが、その社会的帰結がどういうことになっているかはあまり日本で報道されることはありません。以前、例のムハンマドの風刺マンガについてデンマークの移民状況に触れたことがありますが、デンマークに留学している日本人女子学生のこの記事は、その実態をよく伝えてくれています。

>なんで「愛の橋」と呼ばれているかと言うと、実はこれはデンマークの厳しい移民政策と関係あるんです。デンマークには「24歳ルール」と言うのがあり、デンマーク人は24歳以上にならないと非EU&北欧出身の人と結婚する事が禁じられていて、又相手(つまりデンマーク人じゃない方)はデンマークに住むことが出来ないのです。そのため、デンマーク人とデンマークで一緒に住みたいけど住めない非EU&北欧の人は、スウェーデンで住民券を取得し、デンマークに一番近い都市・マルメに住み、デンマークにいる相手と毎日橋を渡って会いに行くのです。なので、この橋は「愛の橋」と呼ばれています。

ちなみに、上記の「24歳ルール」は、デンマークの国籍を取得するために、主にアラブ系の女性がその家族により無理矢理デンマーク人と結婚させられるのを防ぐため、または偽造結婚を防ぐために作られた法律でしたが、このルールにより国際結婚をしたい多くのカップルが弊害を受けているのです。

2005年に北欧での「風刺画問題」は皆さんの記憶に新しいと思いますが、実はこの問題となった風刺画を一番最初に載せたのはデンマークの最大有力新聞・Jyllands-Posten(ユランズ・ポステン)でした。

>この風刺画問題がデンマークでの対ムスリム、islamophobiaが以前にも増したのは当然ですが、この事件以前からデンマークでは対移民感情が政治・社会の場でありました。

1999年に行われたThe European Values Study によると、ヨーロッパ31カ国のうち、デンマークは「4番目に外国人嫌い(xenophobia)である」という結果が出ました。特に、ユダヤ人やムスリムに対してxenophobiaがあるのだそうです。

又、デンマークで今年2007年11月に行われた選挙でも「移民問題」が焦点となりました。特に移民問題は、1995年に結成し移民政策強化を訴えているDanishPeople’sParty(デンマーク国民党) が、1998年以降からの選挙で「移民問題」に焦点を当てる事に成功した事により、各政党もこぞって移民政策に対する姿勢を打ち出す様になりました。この成功には、メディアによるデンマーク国民党へのバックアップも関係しています。

>以上、主に対イスラムに関するデンマークでの移民問題について記しましたが、この他にも今後大きな問題になるであろう、移民の失業率の高さ教育水準の低さ、そして移民と福祉の問題、などが挙げられます。一般的に、先進国が移民を受け入れるメリットは労働者不足を補う事が出来る点にありますが、デンマークは移民を上手く労働市場と結べ付けずにいるのです。

デンマークでは、16-64歳の職を持っている純粋なデンマーク人は77%であるのに対して、職を持っている非・西側諸国出身の移民は47%と言われています。又、ソマリア、レバノン、アフガニスタン、イラクから来た移民は、より貧しい労働をしているんだそうです。

移民が安定した職を持てるかどうかは、移民の教育水準に比例すると言われています。移民の教育水準は純粋なデンマーク人と比べると低く、高等教育の資格を持っている純粋なデンマーク人は66%であるのに対して、移民の子供世代では39%だそうです。デンマークでは学校は大学まで全て無料で通う事が出来ますが、言語の問題などもあり、移民やその子供の中には途中でドロップアウトをしてしまうケースが多いため、移民の教育水準が低くなってしまってると言われています。

教育水準の低さ、又失業率の高さからか、地方では移民による犯罪率が高いという統計もあります。

又、福祉国家デンマークでは、全ての失業者には「失業者保険」がおります。つまり、移民であってもこの保険をもらう事が出来るのですが、デンマークでは移民の失業率の高さから、働いてないのに保険を貰っていると思われ、移民は「福祉の居候」、「好都合難民」という固定観念が出来てしまいました。

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移民と生活保護

本ブログで何回か田村哲樹さんの議論を取り上げて疑義を呈したことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_48ae.html(労働中心ではない連帯?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_0a8b.html(ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか)

純粋哲学的な議論は別にして、実は一番気になっているのは、最近与党筋の方からやたらにかまびすしい移民受入れ論との関係なんです。

ヨーロッパはかつて外国人労働力を導入したつもりが、家族もろとも移民の大集団が居着いてしまって、実は今何が一番の問題かというと、俺たちが乏しい収入から払った税金があいつら移民野郎どもの福祉給付に無尽蔵に垂れ流されてしまっている、ふざけるな、という憤懣なんですね。

福祉の哲学的根拠を「シチズンシップ」に置く限り、あいつら移民どもに俺たちのシチズンシップを認めてやった覚えはねえぞ、という血の論理が湧いてくるのを止めることは原理的に不可能です。ヨーロッパ人だって決して高級じゃない。「仲間」と認める範囲は限られているのです。

「高度人材」という名目で実は低賃金労働をやってくれる外国人を移民として導入したら、ヨーロッパの経験に鑑みる限り、間違いなく彼らや彼らの家族が莫大な福祉給付の対象になっていかざるをえませんが、それを心広く受け入れるだけの心の準備が日本人にあるのか、というのが最大の問題です。

先日のぶらり庵さんのコメントに対して述べたこととも関連しますが、戦前戦中に大日本帝国臣民として全く合法的に居住就労していた人々に対してすら、戦後長らく福祉の手を差し延べることを拒否してきたわけですからね。

人種・民族差別を禁止しようとする人権擁護法案は、提出されてから早くも6年になりますが、抵抗が強すぎて、全然成立の見通しはないようですし。

私は、外国人をもっと大幅に受け入れていくこと自体には決して反対ではありません。ただ、その前提条件はかなりハードルが高いように思います。

この問題を論ずる人々は、まずはこういう問いを自らに発してみてもいいのではないでしょうか。

>働いてもらうつもりで連れてきた外国人が働きもせずに貧しいから生活保護をくれとわめいている。さあ、どうしますか?

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イギリスで派遣労働均等待遇に政労使合意

今日は午前中、都内某所で派遣労働について有識者の意見を聴く会合に出ていましたが、戻ってみると、イギリスからびっくりするようなニュースが届いていました。

http://www.euractiv.com/en/socialeurope/london-clears-way-temporary-workers-rights/article-172536

イギリス政府と労組会議(TUC)、経団連(CBI)の三者間で、派遣労働者の均等待遇に関する合意ができたというニュースです。

>Social partners and the UK Government have reached an agreement to grant equal treatment to workers employed via temporary work agencies, clearing the way for an EU directive on the issue, which could be launched as early as next June.

The agreement reached among British employers' confederation CBI and the country's Trade Union Confederation (TUC) concerns the following points:

  • After 12 weeks in any given job, agency workers will be entitled to treatment equal to permanent workers'. 
  • Concretely this means that at least the basic working and employment conditions should be the same as if the workers had been recruited directly by the company they are working for to occupy the same job. 
  • Equal treatment does not cover occupational social security schemes. 

Both sides agree that the deal achieves fairer treatment for agency workers while not removing the flexibility that agency work can offer both employers and workers.

The UK governement will start a consultation with social partners on implementing measures, such as dispute resolution mechanisms, sectoral agreements and anti-avoidance measures.

これで、長らくイギリスの反対で成立に至らなかったEUの派遣労働指令案が採択に向けて大きく動くと思われます。

フィナンシャルタイムズ紙の記事は、「disastrous」という経営側の声を見出しにしています。

http://www.ft.com/cms/s/0/703f1ae2-26d0-11dd-9c95-000077b07658.html?nclick_check=1

>Business leaders have described as "disastrous" and "a bad deal for for the country" a government brokered agreement giving up to 1.4m temporary and agency workers equal rights with permanent staff.

The CBI employers' organisation, however, defended the deal as "the least worst outcome available".

the least worst」っていう、最上級を二つ重ねた言い方がすごいですね。

なんでCBIはこんな合意をしたんだという批判に対して、

>He said there had been "a major risk of damaging legislation coming from Brussels". The CBI had "judged that the government's proposals represent the least worst outcome available".

もっと破壊的な法制よりはましだから・・・。

それは何かというと、

>Ministers hope the deal will ease the pressure from Brussels to concede even more ground on temporary workers' rights in return for Britain being granted a permanent opt out of the working time directive, which would allow employees to work more than 48 hours per week.

"We're now very hopeful of securing the [permanent] working time opt out," said the Department for Business Enterprise and Regulatory Reform.

労働時間指令でイギリスに認められているオプトアウトの権利を守るのと引き替えに、派遣の方は泣く泣く妥協したんだということのようです。

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70歳定年など月内に素案

読売から、

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08052110.cfm

>政府・与党は、雇用や税制の優遇措置などを含む総合的な高齢者施策の取りまとめに着手した。後期高齢者医療制度(長寿医療制度)に対する国民の批判が強まる一方の中で、福田政権として高齢者に配慮した政策を打ち出す必要があると判断した。

 自民党は今週中に厚生労働部会などの合同部会を設置し、検討を急ぐ。与謝野馨・前官房長官が中心となり、〈1〉定年を70歳に引き上げる〈2〉高齢者マル優を復活させる〈3〉後期高齢者の扶養控除を認める――ことなどを検討対象とし、月内に結論を出す考えだ。

 高齢者施策の策定をめぐっては、与謝野氏が16日、「後期高齢者医療制度の話ばかりやらず、自民党としてもう少し大きく出た方がいい」と首相に進言したことで動き出した。

 首相は20日の閣僚懇談会で、月内に施策を取りまとめるよう自民党の谷垣政調会長に指示したことを明らかにした。

うーむ、70歳定年ですか。これは実はなかなか簡単ではありません。肝心の高齢者の側がどこまでそれを望むのか、という問題があります。

厚労省HPにアップされたばかりの労政審職業安定分科会の議事録にこんなのがありました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/txt/s0328-1.txt

これは雇用保険法施行規則の一部改正で、70歳定年引上げ等モデル企業奨励金というのができるということで、労働側委員が、

>○長谷川委員 徳茂委員もおっしゃったのですが、この間、70歳まで働く企業の普及促進に関しては、何回か議論があったわけですが、いつどこで70歳と決めたのかというのが、私の記憶がおかしいのかわからないのですが、どこで決めたかがわからないのですね。誰がいつどこで70歳まで働き続けようと決めたのかというのがはっきりしない。

>・・・そうすると国民の中にも、労働者の中にも60以降の働き方については、いろいろ議論があるわけですから、その働き方の議論は労働者の人生設計にかかわることだから、もう少しきっちりと議論をしてほしいのです。現在70歳ですごく元気な方がいらっしゃって、そういう意味では70歳というか結構、働きたいという人はたくさんいると思うのですが、でも、働きたいということと、職場の中でどういうふうに働くかということと、処遇をどうするかということは、非常に重要な関係にあることで、こういうことをしっかりと議論しないまま、何か70まで働きましょう、働きましょうというのは、私は少し問題があるし、労働者もなかなか自分の人生設計が作れないのではないかと思うのです。
 もう1つは石井委員からもありましたが、みんなやはり68歳とか70歳の年金開始年齢を気にしているわけです。またこんなことをやれば、70歳年金開始年齢って延ばされるのではないか。これみんな思っているわけですよね。そういうことに対して、この70歳が出れば出るほど、みんなが年金を延ばされるのではないかと、この不安と疑問が現時点では払拭されていないと私は思うのです。

○長谷川委員 もう1つ、しつこいようですけど、55→60、60→65というのは、全部年金とリンクしている話なのですね。だから70と言われたときも、ほとんどの人たちは、私のところで会議を開いたときに年金開始年齢70を、厚生労働省は今回は旧労働省が雇用の機関で70という、年金開始年齢を射程距離に置いて出してきたのではないかと、この疑問に対して全然私たちには反論できないのですよ。いままでの例がやはり60、65となったときに、また5年で70といったときに、どうもこれは年金を70にやるための布石ではないかというふうに、ほとんどの構成組織から言われています。それに対して、それは違うって私たちは言ったとしても、誰も本当だと思っている人はいないということも事実なのですよ。最後まで違うと言えますか。70という年金開始年齢は絶対ないと言えますか。

実は、熊本の労働法学会の懇親会で、長谷川さんとちょっとこの話をしたんですけど、やっぱり職種によるよねえ、という結論。もういいかげん疲れたから年金もらって引退したいって人もいるし、後記高齢者になっても元気満々儂が居なくてどうするてな人もいるわけで、人によるんだけど、マクロに見るとやはり職種が効いている。

政治家なんてのは、一番そういう方向性の強い職種でしょうね。50,60は洟垂れ小僧というくらいですから。

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時短・残業免除を義務化へ 子育て支援で厚労省

さて、昨日の朝日に標記のような記事が載りました。1面左の目立つ記事ですが、リークっぽい感じです。

http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY200805180156.html

>子育てと仕事を両立できるように、厚生労働省は企業に短時間勤務と残業を免除する制度の導入を義務づける方針を固めた。少子化対策の一環で、育児休業を取った後も、働き続けられる環境を整えるのが狙い。早ければ、来年の通常国会に育児・介護休業法の改正案を提出する。

 有識者らによる厚労省の研究会が6月にもまとめる報告にこうした方針を盛り込む。経営者側から反対も予想されるが、厚労省は少子化対策の柱として実現を目指す。

ということで、その研究会でどんなことが議論されているのか見てみましょう。厚労省HPに、今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会の資料が載っています。最近の4月25日の資料はこれです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/04/s0425-9.html

ここにある「本日ご議論いただきたい事項」を見てみますと、

>1. 短時間勤務等について

(1)短時間勤務制度及び所定外労働の免除の制度の取扱いについて

○ 法第23条において事業主の選択的措置義務とされている「勤務時間短縮等の措置」の中から、短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度の重要性が高いことが議論されている。

○ 法制的に格上げする場合、以下の2通りが考えられるが、両者の法的効果の違いは何か。

① 事業主の措置義務とする場合

② 労働者に請求権を付与する場合

○ 短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度について

① 両者並列で格上げするか、

② どちらかを優先的に考えるべきか。

(2)短時間勤務等を請求する場合の例外規定について

○ 労働者に請求権を付与する場合、事業主の負担を考慮し、「合理的な理由」、「事業の正常な運営を妨げる場合」等がある場合には、事業主は請求を拒めることとすべきか。

○ 事業主が請求を拒めることとする場合、請求を拒めるのは、短時間勤務制度と所定外労働の免除の制度について、全く同等の取扱いとするべきか、事業主の負担の大きさを考慮して取扱いを別にするべきか。

(3)短時間勤務制度の対象となる労働者の範囲について

○ 短時間勤務制度の対象となる労働者の労働時間については、現行では1日6時間以下の労働者を制度の対象外としているが、多様な勤務形態を考慮し、週単位や月単位についても対象となる労働者の範囲を明示するべきか。

○ 短時間勤務を希望した労働者が、予期しないほど労働時間を短くされるといった事態を回避するため、例えば1日4時間を下回らないこととする等、短時間勤務中の労働時間の下限や上限についても何らか定める必要があるか。(週単位、月単位についても同様)

(4)両立支援制度の対象となる子の年齢について

○ 親の就労と子育ての両立を支える制度について、子どもの年齢に応じ、①目指すべき理想のもの、②企業に課す最低基準とすべきものとして、どのような形が考えられるか(労働者に請求権を付与すべきもの、事業主の措置義務/選択的措置義務/措置すべき努力義務とすべきもの)

2.父親も母親も育児にかかわることができる働き方の実現

(1)産後8週間の父親の育児休業取得促進

○ 産後8週間の父親の育児休業の取得促進策としては、以下の2通りが考えられる。

① 現行の育児休業とは別立ての休暇を新たに設ける、

② 産後8週間に父親が育児休業を取得した場合には、再度の育児休業取得を認める等により、現行の育児休業の枠組みの中で対応する。

○ 上記①、②のメリット・デメリットとしてはどのようなものが考えられるか。

○ 産後8週間に父親が育児休業を取得する場合に、再度の育児休業取得を認めることは、母親が産休後に育児休業がとれることとバランスがとれていると考えられるか。

(2)父母ともに育児休業を取得した場合におけるメリット

○ 育児休業を取得していた母親(又は父親)にとって配偶者のサポートが必要な職場復帰前後のケアやならし保育への対応の必要性等の観点から、父母ともに育児休業を取得する場合には、育児休業の期間を現行よりも延長できるようなメリットがあってもよいという意見がある。こうした意見に対する考え方としては、以下の3通りが考えられるのではないか。

① 職場復帰直後の精神的負担の軽減やならし保育への対応という観点から、2か月程度延長する。

② 現在、子が保育所に入所できない場合等の特例措置の上限が1歳6か月であることを踏まえ、6か月程度延長する。なお、この場合、現行の1歳6か月までの育児休業の延長は、保育所に入れない場合等特別な事情がある場合に限られた特例措置であることに留意する必要があるのではないか。

③ 現在、父母が育児休業を取得する場合の休業期間が最長1年であることを踏まえ、1 年程度延長する。

○ 上記①~③のメリット、デメリットとしてはどのようなものが考えられるか。

○ また、現状において実現可能性が高く、かつ、「男性の育児休業取得促進の起爆剤となるような仕組み」としては、どれが適当と考えられるか。

というように、かなり具体的な制度設計の議論になっています。

本日、この次の第10回研究会が開催されているはずなので、その資料も早晩アップされるでしょう。

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教師の時間外労働

4月25日のエントリーで紹介した京都の教師の時間外勤務の判決が最高裁HPに掲載されたのでリンクしておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a3ad.html

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080519105248.pdf

>前提事実記載のとおり給特法(10条)は教育職員に対して労働基準法32条の適用を除外しておらず,本件条例も教育職員に対して職員の勤務時間を定める条項の適用を除外していない。
ところで,前提事実記載のとおり本件通達により定められた使用者において労働者の労働時間の適正な把握のために講ずべき基準は管理監督者及びみなし労働時間制が適用される労働者を除くすべての労働者に適用される(なお,同通達は同除外される労働者についても,健康確保を図る必要があることから,使用者において適正な時間管理を行う責務がある旨記載している〔甲6〕。)ところ,
本件通達は教育職員にも適用がある旨の文部科学省の国会答弁のとおり公立の教育職員にも適用があるものと解される。しかし,給特法及び本件条例は,教育職員が自主的,自発的に正規の勤務時間を超えて勤務した場合にはこれに対して時間外勤務手当を支給しないものとしていることは前記2で説示したとおりであるうえ,教育職員の職務遂行のうち,その職務の特質に照らしてどこからどこまでが指揮監督の下での労働と評価されるのかについても一義的に明確な基準を見いだすことが困難なことを考慮すると,教育職員について時間外・休日・深夜労働の割増賃金を支払うという点から正確な時間管理が求められているとまで解することはできない。そうすると,公立学校の設置者にタイムカード等を用いて教育職員の登校及び退校の詳細な時刻を記録することまで求められていると解することは相当でない。
しかし,上記基準の適用を除外された管理監督者やみなし労働時間制を採用された労働者と同様,
少なくとも教育職員についても生命及び健康の保持や確保(業務遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないように配慮すること)の観点から勤務時間管理をすべきことが求められていると解すべきであるため,原告らが勤務する公立学校の設置管理者である被告は,教育委員会や校長を通じて教育職員の健康の保持,確保の観点から労働時間を管理し,同管理の中でその勤務内容,態様が生命や健康を害するような状態であることを認識,予見した場合,またはそれを認識,予見でき得たような場合にはその事務の分配等を適正にする等して当該教育職員の勤務により健康を害しないように配慮(管理)すべき義務(以下「本件勤務管理義務」という。)を負っていると解するのが相当というべきである。そのような場合で,教育職員が従事した職務の内容,勤務の実情等に照らして,週休日の振替等の配慮がなされず,時間外勤務が常態化していたとみられる場合は,本件勤務管理義務を尽くしていないものとして,国家賠償法上の責任が生じる余地がある。

教師は残業代はエグゼンプトだから、残業代を正確に払うために労働時間を管理するという必要はないけれども、生命や健康を害しないために労働時間を管理する義務はあるということです。私が本ブログで繰り返し述べていることが、こうして少しづつ裁判官の中で常識化していっていることが判ります。

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補完性の原理についてごく簡単に

一部で地方分権問題の関連でEUの補完性原理が取り沙汰されているようですが、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-92.html

ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。ドイツのハルツ改革で、地方自治体の公的扶助と国の失業給付を統合するという話になったときに、最大の政治的対立点は、それをどっちがやるかで、社会民主党は国がやらなくちゃ、キリスト教民主同盟は地方がやらなくちゃ、まあ結局よく判らない妥協をしたわけですが、つまりそういうものです。

同じことが国とEUの権限分配でもあって、EUで「補完性原理」が問題になるのは、むしろこちらが主です。つまり、加盟国に任せると、サッチャーみたいなとんでもないのが出てきて勝手に法律を変えて労働者の権利を踏みにじるから、EUレベルでしっかりとコントロールして国が勝手なことをできないようにしようという、社会民主主義者の中央集権的な発想に対して、いやいや国でできることは国でやればよい、という保守派の国家分権主義が持ち出したのが、「補完性原理」。

毎度毎度ではありますが、日本の政治の世界の文脈の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。

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可哀想な山田正人氏

5月7日付のエントリーで紹介した「日本をダメにした10の裁判」ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/10_723c.html

可哀想なことに、山田正人氏、こともあろうに、あの池田信夫氏に褒められてしまいました。解雇権濫用法理と整理解雇4要件(ないし4要素)の区別もできない一知半解氏に、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c86cd90e5f05b5d1caa9264ede2847b1

>解雇権濫用法理を「合成の誤謬」という経済学用語で説明している論理は、当ブログの記事とそっくり(強調は原文ママ)

などと見当違いの賞賛を浴びてしまっては、わざわざ高裁判決に過ぎない東洋酸素事件判決を引用した折角の工夫も水の泡ですし、この池田信夫珍解釈が山田正人氏の理解であるという風に誤解されることによって、その名誉に泥を塗られたも同然ですね。

経済産業省の課長補佐として1年間の育児休業をとった山田正人氏がその思いを見事に示した東亜ペイント事件の章もそのすぐあとにあるのに、まるで彼が「転勤拒否した莫迦野郎をクビにしようが、残業拒否したド阿呆をクビにしようが、なんの問題もない」とうそぶく池田信夫氏のようなリバタリアンであるかのように褒め殺しするというのは、ほとんどブラックユーモアの域に達しています。

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舛添大臣の大正論地方分権編

舛添大臣の大正論(おおいなるせいろん)は、外国人問題だけではありません。金曜日の閣議後記者会見では、霞ヶ関が権限を握って話さないから云々と地方分権とかいいながら、箸の上げ下ろしまで指示してくれないからうまくいかないんだと泣き言をいう地方自治体を見事に斬っています。

http://www-bm.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/05/k0516.html

>(記者)

活保護の通院移送費のことなんですが、当事者からは北海道滝川事件を例にとって一般化しているのもではないかという声がですね、自治体からは基準が明確ではないために運用面で混乱が生じるのではないかという声があるのですが、それについて大臣のお考えを。

(大臣)

要するに滝川のようなことがあってはいけません。かといって本当に困っている人の交通手段が奪われるといったことがあってもいけません。だからこういうものは、普通の人が考えておかしくないということをやればいいわけです。普通の人が考えてこれはおかしいよということはやめればいいのです。常にここのところ私が強調して言っていますことは、後期高齢者の問題にしてもそうですが、何もかも厚生労働省がきっちり基準を決めて、それをやらなければ自治体はできないのですか。地方自治というのは何だと考えているのですか。私ははっきり言います。方針転換をしなさいと。厚生労働行政すべてについては、箸の上げ下げまでそこまでやらないといけないのかということです。それは基本的に国民の生命を守っていくというナショナルミニマムは、必要な基準は、それはだから残留農薬がどれだけあったらどうだとか、あのギョウザの事件も、そういう基準は決めます。だけど、どういう病気の人がどういう状態でどうでなければこれは遠いところの病院にかからないといけない、なぜ私が霞ヶ関にいて決めないといけないのですか、厚生労働省が。まさに地方自治でしょう。ですから、大きなガイドラインは示せます。しかし、国民の目線に立って、暴力団にそこまでやらせていいのか、それは良くないです。しかし、本当に困っている人にちょっと何km差があったからと言って運ばないということがあっていいのですか。それはやらないといけないです。そういうことが国民の目線、住民の目線に立ってきちんとやるというのが今からの政治のやり方であるし。特に地方自治体は何のためにあるのですかと。介護とか医療とかいうのは、地方自治そのものでしょう。ですから、これからは、まさに地方自治、地方の自主性をもっと前面に出す形の厚生労働行政に変えたいと思っております。何もかも中央からの指示がなければ動かない。それで指示が悪いからどうだ、指示が遅かったからどうだ。だって後期高齢者の医療制度だって99.5%はきちんと保険証だって送ったじゃないですか。0.5%がミスをしているわけでしょ。そしたらミスした方は、「厚生労働省の指導が悪い」。箸の上げ下げまで言えません。ご飯食べなさいということは言うけれども、「そこから先は自分で考えなさいよ」。それくらいの気持ちであえて言えば。それは国民の目線、住民の目線に立てば間違いありません。そういう行政に変えていきたいと思っております。

そこまで言うなら、全部国の事務にしろよな。知事さん以下みんな国の出先機関になって、本省の事細かな通達通りにやるようにしたらいいんじゃないの。地方分権とか何とか偉そうな口きくんじゃないぜ!とみごとな啖呵です。

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日本労働法学会@熊本

昨日、熊本大学で第115回日本労働法学会がありました。

午後のミニシンポは、派遣関係の「労務供給の多様化をめぐる今日的課題」に出ると見せかけて、フェイントで「外国人の研究・技能実習制度の法律問題」に出席。研修契約はそもそも労働契約でないという前提は労働法にはなく、入管法が勝手に「研修」を「非就労目的在留資格」に分類しただけではないのか、と嫌らしい質問をする。

この点、次の拙論文も参照。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gaikokujin.html(外国人労働者の法政策)

懇親会の後、2次会に流れ込み、1時頃まで呑み続ける。

今朝は、朝一で熊本城見学。渡辺章先生と一緒に先月新装開店したばかりの本丸御殿を見る。午前の便で東京に戻る。Fatigue!

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舛添大臣の大正論@経済財政諮問会議

5月9日の経済財政諮問会議の議事録が出ました。早速舛添大臣の発言を見ましょう。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0509/shimon-s.pdf

>(舛添臨時議員) 国際化ということを、ずっと私は大学にいるときから格闘してきており、この前も申し上げたところ。

アトラクティブな国になって、外国の優秀な人にとって、日本に来ることはいいことだと思わせるための、例えば様々な生活環境、社会環境を整備することは大変結構である。ただ、最終的に、働く人たちであるから、受入企業が例えばどれだけの処遇をしてくれるのかということ。現状を見てみると、有体に言えば、八代議員が最後におっしゃったように、高度人材と言っているけれども、とにかく安い労働力を何とか手に入れるみたいなことに事実上なっているとすると、それは生活環境も違うところに家族も連れてきちんと来るということであれば、それなりの処遇をきちんと受入企業がやれるのかどうなのかということ。優秀な人は、アメリカでもイギリスでもインドでも英語が通じるところの方がはるかに楽であるから、そういうことを考えたら、やはり基本的には受入側の企業の方でそれだけの処遇ができるのかということだ。明治維新のときは、日本が近代化するという大きな目標があった。時の内閣総理大臣以上のお金を出して、お雇い外国人を雇ったわけだ。それだけの気概があるのか。30万人という数字も、何十万でもいいが、ただ、数字が先になったときに、高度と言っておきながら、高度ではない人を入れて30万人にされたらたまらない。現状を見てみたときに、はるかに安い賃金で働いている外国人の方がはるかに多い。

長期的に見て、この方たちは通過していく人たちだけなのか。3年なら3年、5年なら5年でなく、ナチュラライゼーション、帰化までさせて最終的に日本人になることも考えての、移民政策の様なことを考えているのか。

そして、以前も申し上げたが、私自身が若いころ海外にいたので、例えば私のいたフランスの発想について言えば、フランスで仕事をしてフランス語ができるのは当たり前であるという感じだ。そこまで言わなくてもいいが、いずれにしても、私はカギは企業の受入体制で、競争、今おっしゃった様に争奪戦であるから、アメリカやイギリスに行かないで、なぜ日本かということの答えがないといけない。

それから、生活環境づくり、医者の問題は、要するに英語しかしゃべれないのに、日本語しかしゃべれない日本人が診れるかということがある。ただ、こういう問題は柔軟に考えてもいいのであるが。

また、日本人の大学生も就職したいと思っている。そういう人との競合関係をどうするかといった様々な問題点もある。

長期的な国家戦略として、高度人材を日本人にすること、つまり永住、定着、帰化まで考えているのであれば、私はそこまでやっていいと思うが、もっと抜本的に変えないと、彼らには日本語をしゃべってもらわないと困る、書いてもらわないと困る。

そうではなく、3年間でさよならとする場合、特に単身赴任ではなく家族を連れてきたとすると、子どもの教育はどうするのか、家族という視点から日本語の教育をどうするのか、そういった意味でのコストも含めて我々は投資しないといけない。

したがって、高度人材の受入の中身について、私が今言ったようなことをかなり細かく詰めないといけないのではないか。

いささか八方破れだった記者会見に比べるとかなり整理されたしゃべり方になっているようですが、趣旨は同じです。

日本的リフレ派から受けのいいらしい伊藤隆敏氏が、

>それで、介護士、看護師の点も、先ほどEPAの絡みで認めるということだったが、なぜEPAをつくらないと来ていただけないのか。そういった協定がない国からでも日本の看護師になりたいという人がいるかもしれない。あるいは日本に住んでいる外国人子女で、介護士、看護師になりたいという人がいるのかもしれない。

そういった国家資格があるような分野、これはやはり高度人材である。したがって、そういった国家資格がある、あるいはひょっとしたら何とか検定という検定試験でもいい。そういうものが課せられているものはいっぱいある。会計士も、観光ガイドも、そういったものが、日本語で試験を受けて通れば、当然在留資格が与えられるべきである。そういった意味で、先ほど資格は通達でということで拡大解釈あるいはきちんと意味を決めているという話だったが、もう少し就労ができる在留資格というのはわかりやすい形で、是非、書き直していただきたい。

先ほど言ったように、民間議員ペーパーのとおり、国家資格がある者あるいはきちんとした検定試験があるような者、これに受かった人は自動的に就労できる在留資格を出していただきたい

と、あくまでも国家資格または検定試験即高度人材、ゆえに自動的に在留資格を出せと主張しています。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その3

まとめ     いま、日本の労働組合運動に期待するもの

濱口/私は徹底して世俗的にお話をしたいと思います。宮本さんからは、職場を超えたコミュニティというテーマをいただいたのですが、むしろ逆に、職場のコミュニティを再建すべきではないかというお話をしたいと思います。

なぜ世俗に徹するかというと、本日のような会合で、あまりにも高邁で美しい話を聞くと、これは徳の高い高僧のお説教を聞いているのと同じで、たいへん素晴らしい話を伺いました、ありがとうございました、では現実に返りましょうということになってしまうのですね。ですから、私はもっと現実的な、生々しい話をしたいと思います。

パートだから先にクビでいいのかこれはフロアからいただいた質問ともかかわります。私が先ほど正社員の解雇規制の問題を取り上げたことについて、それは労働ビッグバン論者の言っていることと同じではないかという質問がおそらく出るだろうと思いましたが、案の定ご質問をいただきました。結論的には、私の主張は労働ビッグバン論者とかなり近いところにあります。

ただし、ここで考えていただきたいのは、職場のコミュニティ、職場の連帯というときに、それはどの範囲の労働者までを想定しているのか、ということなのです。解雇規制を議論するときにも、同じ職場にいるパートさんのクビのことまで考えてその議論をしているのでしょうか、ということです。この点を捨象して、どこか遠くにあるコミュニティの話-本当はコミュニティというのは遠くにあるはずはないのですが-にしてしまってはいけない。

いま必要なのは、むしろある意味で空洞化しつつある職場のコミュニティ感覚、連帯感覚をもう一度復活させること、そこにいる一人ひとりを組み込むような形での連帯をつくり出していくことだと思います。この問題には様々な側面があると思います。例えば、報酬をどのように分け合っていくかということもあるでしょうし、場合によっては、会社経営が厳しくなったときに、だれがその不利益を受けるのかということも問われるでしょう。「あなたはパートなんだから当然先にクビになっていい」ということで、本当によいのだろうか、ということです。このように、一人ひとりの利害状況を考えた上で、誰も排除することなく、「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」という原理に基づく問題解決をめざしていくという感覚、すなわち包括的・普遍的な連帯感覚の再構築が必要ではないかと思うのです。

連合が代表しているのは誰?

次に、これは連合への提言につながってくるのですが、マクロの政策決定の場における労働組合の発言力をどうやって高めていくかを考えなければならない。いま日本のマクロ経済運営に関する政策決定の場には、労働代表はいません。経済財政諮問会議に、経営代表は2人いますし、学者は2人入っていますが、労働代表はいません。厚生労働省の労働関係の審議会は公労使三者構成で労働代表が入っていますが、今年5月の規制改革会議の報告は、「現在の三者構成システムは、とりわけ労働代表の選び方においてフェアではない」という指摘を行っています。そういうあなたはフェアなのか、という問いは一応括弧に入れておきましょう。考えなければいけないのは、「あなた方が代表しているのはいったいどういう方々ですか」という問いかけだろうと思います。

実はこの問題は、職場の連帯、職場のコミュニティのあり方と、おそらく深くつながってくるだろうと思います。やはり、職場のコミュニティをもう一度再建すること、遠く離れたコミュニティというよりは、まさに職場に根ざしたコミュニティを再建するところから、マクロの政策決定の場における労働組合の発言を強めていく第一歩がはじまるのではないかと思っています。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その2

問題提起2 労働政策と生活保障

濱口/広井さんのお話は、2ラウンド目でますます広くなったのですが、私の2ラウンド目は、ますます世俗的な話になります。

第1ラウンドで私がお話ししたのは、この『福祉ガバナンス宣言』第1章で書いたことと大体同じです。この委員会にはもっとほかにいろいろな先生方がいます。本当は福祉国家とか福祉ガバナンスという議論をするのであれば、社会保障システムや生活保障システムといったテーマについて議論されていた、駒村康平さん、後藤玲子さんといった委員の方々にご登場いただくのが筋のような気もするのですが、労働を中心とした、仕事を中心に据えた福祉社会という視点から、生活保障をどう考えるかについて、ごく簡潔にお話ししたいと思います(編集部注̶当日配布資料の論文、濱口桂一郎「労働政策と生活保障」を巻末に収録したので、参照されたい)。

雇用保険(失業給付)と生活保護の断層

労働が商品として売られなくても済むような生活保障ということでいうと、もちろん日本にもそういうシステムがないわけではありません。雇用保険の失業給付や生活保護があるのですが、しかし、これらの制度にはいろいろと問題が多い。まず、失業給付は給付期間がたいへん短い。短い場合には3カ月、長くても1年弱です。しかも、カバレッジがかなり狭くて、いわゆる非正規雇用で働いている人たちはにはなかなか適用されない。そうすると、非正規雇用で働く人たちが失業しても失業給付を受けられないことになる。

一度入ったら抜けられない理由最後のセーフティネットとしての生活保護があるではないかと言われます。しかし、これも、よく言われているように、なかなか入れてくれない。「入れてくれないのはけしからん」というのがマスコミの論調なのですが、しかし、実は窓口の立場からすると、入れないのにも理由がある。なぜかというと、一たん入るとなかなか出ていかないというか、ほとんど出ていかない。これもやむを得ないところがあって、預金があったら入れない、親類縁者が扶養したら入れない、車があったら入れないという厳格なミーンズ・テストを行っていますから、身ぐるみはがれないと入れない。したがって、一度入ったらなかなか抜けられない。こうした事情があるので、たいへんに多くの方々が生活保護も受けられないで路頭に迷っている。ここをどうするか、ということが、いま大きな課題になっているわけです。

■ 最低賃金と生活保護の矛盾

それからもう1つ、最低賃金法の改正に関して、最低賃金が生活保護を下回っているのはけしからんではないかという議論がありました。

これももっともです。もっともなのですが、そこで最低賃金と比較されている生活保護基準は、実は18〜19歳の単身者のものなのです。若い単身者ですら、働いて得る賃金が生活保護の額より下回っている事態はけしからんということも、確かにもっともなのですが、しかし生活保護基準は生活のニーズに対応していますから、扶養家族が増えていけば、それに応じて増加していきます。そこまで最低賃金で面倒をみられるのかといえば、やはり無理がある。

労働に対する報酬と生活保障

実は民主党が出した最低賃金法改正案には、「全国最低賃金及び地域最低賃金は、労働者及びその家族の生計費を基本として定められなければならない」と規定されていました。しかし、では最低賃金額を家族数に比例して定めるのかとなったら、そんなわけにいかないでしょう。

生計費の一番高いところを基準に最低賃金を決めたら、単身者にもその水準を出すのかという文句が出るでしょう。このようになかなか解きほぐせない問題が出てきます。

ここをどう考えるかは、制度論としてもなかなかむずかしい問題なのです。しかし、この制度論を本当に解くためには、実は哲学のレベルで、労働に対する報酬と生活保障の関係をもう一度考え直す必要が出てくると思います。

いま、ヨーロッパで大きな流れになっているのは、基本的には「ウエルフェア・トゥ・ワーク」、福祉でずっと食べていくということではなくて、働ける人はできるだけ仕事を通じて社会に参加していこうという考え方です。すべての人が働いて社会に参加できる仕組みをつくっていこう、そのためには公的な負担もしましょうという「ウエルフェア・トゥ・ワーク」が大きな流れになっているのです。いままでの生活保護の仕組みは、本当にどうしようもなくなった人だけを対象としています。どうしようもなくなった人だから、ずっと生活保護の下にいる。一方、どうしようもある人はこの仕組みの中には入れない、そういう形でやってきたのです。

「トランポリン型の福祉システム」

これに対して、「どうしようもある人」を救済の対象として、何とかなるようにして、また出していくという仕組みこそが重要ではないかという議論が起きてきました。ブレア政権の言い方でいえば「トランポリン型の福祉システム」です。これからの福祉は、おそらくこのような
方向に考え方を変えていく必要があるだろうと思っています。

ただし、問題はそれだけでいいのかということです。そこがまさに90年代以来の、欧米における福祉見直しの議論の焦点のひとつでした。

最低賃金法改正における議論との関係でいえば、本人が働ければそれで生活できるというとき、その生活ニーズとは何なのかという問題があります。これは一見、最低賃金と生活保護だけの話のように見えますが、実は、もっと広がりのある話です。

つまり、生活保護基準には、本人の分もありますが、家族の部分もあります。子どもの教育費も、住宅費もあります。これはいったいどこで面倒をみているのか。生活保護だったら生活保護の中で全部面倒をみています。では、生活保護を脱却して働き始めた、という人の場合どうなるか。働き初めは、本人分の非常に安い給料しか払われません。では、誰が本人分以外の部分の面倒をみるのか、子どもたちや住宅費の面倒をみるのか。日本の雇用システムは、正社員については、こうした本人以外の部分も面倒をみるシステムだったのですね。これは歴史的にはたいへん長い経緯があるのですが、端折っていうと、新入社員のころは、本人だけが狭い部屋に住んで生活できる程度の低い給料から出発するけれども、その後、結婚して子どもができて、家族の生計費も子どもの教育費、住宅費もかさんでくるようになると、それに見合った水準の給料が支給されるようになる。そうしたライフステージの上昇に伴う生計費は、全部給料の中で面倒をみるという仕組みになっていました。

ところが、一たん正社員の雇用システムからこぼれ落ちると、このような生活保障が全部なくなってしまいます。そこをいったいどういう形で面倒みるべきか、という問題が、最低賃金と生活保護という形で出てきている問題の背後にあるのではないかと思います。

子どもや住宅について小さい政府基本的には、この問題への対応の中にこそ、これからの日本の福祉国家-あえてここは福祉国家と言いますが-のありようを考える際の、1つの方向性が示されているのではないかと思います。

実は、日本の福祉国家が「大きい政府」か「小さい政府」か、という問題は、どこに注目するかによって、見方が違ってきます。年金にしろ、医療にしろ、日本は必ずしも小さい政府ではありません。ある意味ではむしろ大きい政府であるという面がある。一方、ヨーロッパにはごく普通にあって日本にほとんどないのが、子どもの面倒をみるシステム、あるいは住宅の面倒をみるシステムなのです。現金給付を行うだけではなく、現物給付的なやり方(例えば、教育費負担をなくす等)、あるいは各種の補助措置を講じるなど、ヨーロッパではさまざまな手段を通じて、この分野での保障の仕組みが展開されているのですが、この分野に関する限り、実は日本はたいへん小さい政府になっています。なぜ日本がこの分野でたいへん小さい政府でいられたかというと、そこを企業が全部面倒みていたからです。議論をつめていけば、おそらく、こうした仕組み全体の見直しに進まざるを得ないだろうと思っています。

非常に大きな話と小さな話の間をどうつないでいくかは、なかなかむずかしいところかもしれませんが、私は福祉国家論を考えたときに、日本に今まで欠けていた部分は、むしろこの小さな話が関わる生活保障システムの問題ではないかと考えています。それがある意味で露呈したのが、雇用保険と最低基準と生活保護をめぐる三大噺なのではないかとも思います。

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連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その1

標記シンポジウムの記録集が、連合総研のHPにアップされました。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/sympo/20anniversary/sympo_menu.htm

本ブログの読者の中からも多くの方々においでいただいたものです。

パネルディスカッションの記録から、私の発言部分を以下に引用しておきます。全体の流れはリンク先のファイルでご覧ください。

>問題提起 構造改革と日本的雇用システム

濱口/広井先生がたいへん雄大な視点からお話をされたので、私の話は、若干世俗的な観点からのものになるかと思いますが、むしろその方がここにお集まりのみなさまにとっては、スッと入るところがあるかもしれません。

■ 日本における構造改革論議を振り返ると

昨年から今年にかけての流行語と言えば、言うまでもなく「格差社会」が上位にあげられます。毎日新聞の連載やNHKのワーキングプア特集など、マスコミでも大きく扱われ、政府の白書でも取り上げられました。いまや与野党こぞって「格差問題」がたいへんな課題になっているわけです。

構造改革を支持し続けてきたのはしかし、一昨年の2005年は、国民が構造改革に熱狂した年であったということは、まだ記憶に新しいところです。その少し前にさかのぼると、連合が組織的に支持していた民主党が、「もっと構造改革をやれ、与党は守旧派だから改革はできない、われわれこそ構造改革をやるんだ」と言っていたわけです。

これはけっして21世紀になってからのことではありません。この構造改革路線という旗が振られるようになったのはいつからかというと、実は、90年代、非自民の細川連立政権の下ででした。

例えば1993年の平岩レポートは細川内閣の時に発表されました。そこでは、経済的規制は原則自由、社会的規制も次第に見直すという考え方が提起されています。

次に、村山内閣の時の、1995年経済社会計画では、自己責任のもと、自由な個人や企業の創造力が十分発揮できるように、市場メカニズムを十分働かせ、規制緩和を進めると言っています。その延長線上に、この間の小泉改革があるわけです。こういう言い方はたいへん皮肉なのですが、連合はこの10年あまり、新自由主義的な構造改革を支持し続けてきたと言えないこともありません。

別にそれがけしからんと申し上げたいわけではありません。それにはそれなりの理由があったのだろうと思います。先ほど宮本さんが言われたように、それまでの日本的なシステムにいろいろな矛盾が出ていたのは確かです。しかし、それに対して何をなすべきか、という対案を提示すべきところで、それなりに連帯の精神がある、それなりに保障のあるシステムを全部ぶち壊せという方向に突っ走ってしまったのです。これは、実は、ここにお集まりの方々が、自分たちがやってきたことでもあると考える必要があります。

■ ヨーロッパにおける「第三の道」

私はちょうどそのころ、1995年から98年まで、ヨーロッパに赴任していました。日本で構造改革路線が主流化していく時期に日本を離れて、3年間ヨーロッパにいたわけです。そのためもあるのかもしれませんが、日本の動きが非常に不思議に思われました。

ヨーロッパでも、80 年代から古い福祉国家を変えなければいけないと言われており、90年代は、その福祉国家を担っていた社会民主党や労働組合といった勢力が、改革の実践に乗り出した時期です。しかし、彼らが何をやったかというと、いままでやってきたのは全部間違っていたから、全部ぶち壊せということではありませんでした。それをやったのはサッチャーでしたから、同じことをやってもしようがないのは当然ですが、ヨーロッパの改革派の主張は、「自分たちがつくってきた福祉国家の根っこにある連帯は大事だ。だからこれは維持する。けれども、そのやり方は間違っていた。だからやり方を変えなければいけない」というものでした。当時の私は、このような主張を展開している人たちとしばしば会って、話を聞いていたこともあって、さて、日本はいったい何をやっているのだろうと、大変違和感を感じておりました。

「労働は商品ではない」の意味

では、いったいどこが問題の中心なのか。これはみなさまにとっては非常に親しみ深い言葉だと思いますが、ILOのフィラデルフィア宣言に「労働は商品ではない」という言葉があります。これは労働にかかわる者にとっては、憲法よりももっと大事な言葉なのですが、しかし「労働は商品ではない」とはいったいどういう意味なのか。よく考えていくと、2つの意味があり得ます。

1つは、労働は商品ではないのだから、資本の論理で弄ばれるものになってはいけない、ということです。

だから、労働者保護法制や完全雇用政策によって、ちゃんと扱われるようにしなければいけない。商品としてではなく、人間として扱われるようにしなければいけない。これが1つの考え方ですね。

もう1つの考え方は、商品ではないのだから売らなくてもいいようにしよう、ということです。つまり、労働力商品を売らなくても、お金が天から、というか、国から降ってくるようにすれば、商品にならなくて済むわけです。

以上の二つの考え方は、全く矛盾するわけではありません。後者がないと、前者の保障もきちんと担保できないわけです。例えば失業保険がきちんとしていないと、嫌な会社でもなかなか辞められないという形でこの両者はつながっています。しかし、後者が強調され過ぎると、働かなくてもいいではないかという話になります。

私も3年間ベルギーのブリュッセルにいたのですが、昼間から十分働ける若い人がぶらぶらしているのを見て、これは何だ、と思ったこともありました。実は、ヨーロッパで新自由主義的な考え方が非常に強くなっていった1つの原因は、まさにこういう第2の意味での労働力の脱商品化というものが社会をおかしくしているのではないか、「働けるのに怠けているヤツに、何でオレたちの税金が使われるんだ。けしからんじゃないか」という感情が高まったことです。みんな「そうだ、そうだ」と思うわけですね。こうした批判感情に対して、初めのころは、「いや、それでも福祉国家は大事なのだ」と言っていたのですが、そのうちに、やはり現状維持ではいけない、ここは何とか改革しなければいけないという考え方が強くなってきました。これが、90年代のヨーロッパでの社会民主主義勢力の政策転換を促した基本的な考え方です。ブレアの言う「ウェルフェア・トゥ・ワーク」とか、あるいはドイツのシュレーダー政権の政策も、基本的にはこういう考え方に立っていたわけです。

「日本的ワークフェア」 事実上の「第三の道」か?

仕事を通じて社会に参加していくここで、先ほど宮本さんが言われたように、ヨーロッパで「第三の道」なんだから、日本でも「第三の道」という流れにいくかというと、そう簡単にはいかない。ここでちょっと奇妙なねじれがあります。つまり、ある意味では、日本は昔から「第三の道」だったのですね。「第三の道」とは、簡単にいえば、「福祉で食うのではなくて、仕事を通じて社会に参加していくこと、それが大事なのだ。しかし、そのためにいろいろな公的な支援をしていくのだ」という主張なのですが、日本はまさにそういうことをやってきたわけです。

最近でこそ、生活保護などに関していろいろ問題が出ていますが、しかし、「働けるのに福祉で食うというのはよくない、みんな何らかの形で仕事に参加して、それで社会の中に居場所を与えられて、その中でみんなが生活を保障されていくことをめざす」という意味で、日本はある意味で「第三の道」だったのです。

ただし、それには大きなふたつの前提がありました。

1つは、その対象となっているのは世帯主たる成人男性であり、彼らには手厚い雇用保障を与えるかわりに、非常に広範な労務指揮権のもとで、時間外労働や配置転換に関しては言うことを聞いてもらう。

第2に、世帯主男性の奥さんはパートタイマー、そしてまだ学生の子どもたちはアルバイトという形で、縁辺的な労働力として使っていく。

いわば「日本的ワークフェア」ともいうべきこのシステムも、世帯の核所得者と縁辺労働力の組み合わせという限りでは、あまり矛盾はなかったのです。パートの人は、「自分はパートとして差別されている」と思うかというと、多くは「私は正社員の妻である」と思っていますから、けっして疎外されてはいないわけです。アルバイトの学生だって、雑役をしているわけですが、それはあくまで就職するまでのエピソードであって、正社員として就職すれば、そこから全然別のルートに入る。その限りでは、それなりにハッピーなサイクルが回っていた。ところが90年代になって、それがだんだん崩れてくるのです。

■ 日本的システム見直しとセーフティネットの不在

この間のプロセスについては、あまり細かいことは申し上げませんが、そこからこぼれ落ちる人がどんどん出てきた。その中でどういう意見が出てきたかというと、これは1999年、小渕内閣のときの「経済戦略会議」で、当時学者であった竹中平藏さんが書かれた主張がその典型です。要するに、「日本は護送船団方式で雇用を保障しているからダメなのだ。生産性の低い人に対してはもっときびしく、ビシビシやる。しかし、そこからこぼれ落ちた人に対してはちゃんとセーフティネットでもって保護していくのだ」と。

それだけ聞いていると、昔のヨーロッパの福祉国家をめざすのかなというようなことを言っていたのですが、ではそうなったかというと、そうはならなかったのですね。こぼれ落ちた人に対するセーフティネットが手厚くなったというわけでもなかった。では、そこを手厚くすべきだったと言えるかというと、なかなかむずかしいところがある。つまり、日本社会そのものが、非常に強く「働かざる者、食うべからず」という哲学を持っていたために、働けるのに働いてないのはけしからんではないか、という考えが強くて、そういうセーフティネットを強く張りめぐらすという方向にいかなかったということなのだろうと思います。

■ 日本版ディーセントワークと福祉の再構築

では、今後どういう方向に向かうべきか、ということなのですが、やはりそういう日本的な福祉社会のあり方のいいところはきちんと残していかなければならない、むしろ確保していかなければならないと思っています。それは仕事を通じてスキルを上げていく、いい仕事を生涯にわたって確保していくようなシステムです。これはヨーロッパでも、そしてある意味ではアメリカの優良な企業でも、けっして否定されているものではありません。

スキルが上がらない非正規労働いま、この90年代以降の格差社会の中で、いろいろな問題点が指摘されているのですが、最大の問題は、正社員という形で仕事に就けば、その仕事をしていく中で技能も賃金もそれなりに上がっていくけれども、そこから排除されたフリーターの人たちは、そもそもスキルが上がるような仕事をさせてもらえない、いつまでやっていても永遠に同じままである、という点にあると思います。

ILOに「ディーセントワーク」という言葉があります。ILOでのコンテキストと日本はちょっと違うのですが、いまの日本でもこのディーセントワークという考え方が重要です。「いい仕事、まっとうな仕事」、つまりディーセントワークというものを考えたときに、やはり、まず第一義的に、「仕事を通じてスキルを上げ、そして処遇もそれなりに上がっていくような仕事」をできるだけ多くの人々に確保していくことが重視されなければいけないと思います。

日本的システム見直しの視点

ではどこを変えるべきか、という話をしなければいけません。

90年代に、当時「革新」といわれた人たちの方がむしろ積極的に「日本的システムはけしからん」という考え方に走った1つの原因は、「会社の中に労働者が囲い込まれて、無制限の時間外労働を余儀なくされる。あるいは、会社の都合でどんな遠距離の配転でも受け入れなければいけない」という状況への批判があったと思います。労働者の個人としての生活と仕事とのバランスを回復し、人間らしい生活を取り戻したいという気持ちがその背景にあったのだろうと思います。ワーク・ライフ・バランスという言葉が最近はやっていますが、それを先取りしていた面がある。そして、その後の10年間、日本的システム破壊の方向に突っ走ってきたマイナスの側面がいくら多いからといって、その原点にあった日本的システム批判の考え方まで否定していいものではないはずです。

つまり、かつての80年代までの「いい仕事」とは、「時間は無制限、どこに配転されるかわからない。会社の言うがままになるけれども、しかし一生は保障されている」というものでした。そのような意味での「いい仕事」は変わっていかなければいけません。まず何よりも、女性の労働市場参加率の急速な高まりを考えると、世帯の核所得者の無制限労働と縁辺労働力の組み合わせというようなやり方が、家族を維持するという意味でも持続可能とはとてもいえません。

80年代までの日本的な雇用システムは、男性正社員の雇用を守るために、パートとかアルバイトの人々については、ちょっと景気が悪くなったら先に辞めていただく、という形の格差をその中に含んでいたわけですが、この点についても一定の見直しが必要になってこざるを得ないだろうと思います。

これは、おそらくここにいらっしゃるみなさまにとって、いささか耳に逆らうところがあるかもしれませんが、解雇規制の問題について、解雇規制はすべて守るべしとは必ずしも言えないということだろうと思います。

もちろん、アメリカのように解雇が全く自由な社会になってしまうと、使用者に何を言われても、クビが恐くて「はい、わかりました」と言わざるを得ないので、そんなことがあっていいわけではありません。

しかし、70年代に確立したいわゆる整理解雇法理が規定する整理解雇4要件というものを厳格に守ろうとすると、いささか無理が出てきます。

その無理が、労働時間とか配転とか、あるいは非正規労働といったところに出てこざるを得ないので、そこをどのように変えていくかということが、まさにいま問われているのだと思います。

同時に、ここから先は実は2巡目の話題にも関係するのですが、仕事(ワーク)と生活(ライフ)をバランスさせたような「いい仕事」とは、一時点だけで考えるのではなくて、むしろ、生涯を通じたレベルで考えていく必要があります。まさに、ライフには生涯という意味もあるわけです。

一時的に労働からの撤退も先ほど、「労働は商品ではない」ということの2番目の意味、「働かなくても、労働力を売らなくても生活できる」ということを強調し過ぎたために、ヨーロッパの福祉国家は批判を受けるようになったと指摘しました。そのような行き過ぎも問題でしょうが、しかし、人間が生きていく上では、けっして仕事だけがすべてではないわけです。これは本当に女性の方々にとっては切実な問題だと思いますが、子どもを育てなければいけない、あるいは親の介護も双肩にかかってくる、さらにその上に、仕事をしながら自分自身を啓発し、能力を高めていかなければいけないということを考えると、実はそういうことのためにも-これをこういう形で言うのがいいのかどうか、いろんな議論があるところだと思いますが-、一時的にその労働から撤退して、仕事という形でない社会への参加なり、仕事のための準備活動に時間を費やせるような仕組みをつくっていくことを考えていく必要がある。実は、こうした方向こそが、この「労働は商品ではない」ということを体現した福祉社会の1つのあり方になっていくのではないかと思います。

以上、第1巡目では、やや世俗的ではありますけれども、大きな観点からの話をいたしました。2巡目ではもう少し具体的な制度論についてお話したいと思います。

ありがとうございました。

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移民受入れ案自民議連が合意

朝日の記事ですが、まだHPにアップされていないようです。

中川秀直氏と云えば、最近政局業界では、

>〈与謝野本命、中川秀直対抗――〉

「ポスト福田」をめぐる自民党の権力闘争は、通常国会終盤、いよいよ本番が始まろうとしている。

http://diamond.jp/series/uesugi/10028/?page=3

と、次期総理とまで目される人のようなのですが、そして、ネオリベ軍団別働隊日本的リフレ小隊の方々からは、熱烈な支持を受けている人のようなのですが、(そして、「リフレ汁!」とかいっているだけなら、それ自体は結構なことなので、あれこれ批判がましいことなど云う必要のないことなのですが)、実は自民党における外国人労働力導入論の急先鋒という面もある方のようなのです。

>自民党の国会議員約80人で作る外国人材交流推進議員連盟(会長:中川秀直元幹事長)は15日、会合を開き、海外からの移民の受入れを進める「日本型移民政策」の提言案について大筋で合意した。中長期的には「移民庁」の創設もめざす。6月中に内閣に提出する方針。

提言案は、人口減が進む中持続的な経済成長を図るため、外国人の積極的な受入れが必要だとした。今後50年間で、欧州諸国並みに人口の10%を移民が占める「多民族強制国家」をめざす。

ああ!ほんとに、何遍云っても、こういう空疎な論理が湧いてくるんですね。

「欧州諸国並み」って、あのさあ、見習うべきところを全然見習わないでおいて、こういう絶対見習ってはいけないところ、欧州諸国自身が「ああ!なんて莫迦なことをしたんだろう、しかし覆水盆に返らず、入れてしまったものはどうしようもないから、何とか騙し騙しやっていくしかないなあ!」と後悔の念にさいなまれているところだけを、わざわざよりによって、めざさなくてもいいのではないでしょうかね。

念のため云っておくと、私は移民が1000万人入ってきてもいいと思っているんです。EU諸国におけるEU加盟国同士の国民と同じ様な厳格な差別禁止内国民待遇を完全に実施するつもりがあるのであればね。欧州諸国の「外国人」には、全く異なる二つの概念があります。一つは、EU条約、各指令に基づき各国国内法で厳格に均等待遇が要求されているEU域内国民であり、もう一つはそれ以外の「第三国人」です。フランスのアルジェリア人、ドイツのトルコ人、ベルギーのモロッコ人、英国のパキスタン人など、だいたい都市郊外の移民地区に集中して、いわゆる内政問題としての「移民問題」の原因となっている人々です。

中川氏らは、どういう「移民」を念頭においているのでしょうか。もし前者だというなら、EU諸国がとっているのと同様の法制を完備することが先決ではないでしょうか。韓国や台湾くらいの経済水準であれば、それは可能だろうとは思います。でも、多分、この議連の皆さんの考えているのはそういうことではないのでしょう。

>提言では、対象を熟練労働者などにも広げる。

具体策としては、研修・技能実習制度を廃止し、国内の職業訓練施設で外国人に技能を身につけさせた上で定住を認める新制度を提言。

職業訓練校で技能を身につけなければいけないような「熟練労働者」を大量に導入しようというわけですね。

>現在約13万人の海外からの留学生を、25年までに100万人に増やすことも掲げている。

いや、まじめに学問研究に励む留学生を増やすことには誰も反対ではないでしょう。でも、多分間違いなくこれで喜ぶのは、勉強よりもアルバイト就労が目的の偽装留学生を大量に在籍させることでなんとか息をつないでいるある種の大学の経営者たちなのではないでしょうかね。

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相続税で高齢者医療又はソーシャルな伊藤元重氏

少し前の産経にこういう記事があったのを知りました。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080503/wlf0805030151000-n1.htm

>税の専門家の間では、所得から徴税するのと、資産から徴税するので、どちらがより好ましいのかという議論が続けられている。私は資産からより多くの徴税をするという見方にひかれる。

>では、高齢者医療問題に、この原理はどう当てはまるだろうか。そもそも拡大を続ける高齢者の医療を誰が負担するのか、という問題がこの根幹にある。今のままでは高齢者医療は財政的に破綻(はたん)してしまう。そこで誰かの負担を増やすことが必要となる。高齢者自身の負担を増やすのか、それとも現役世代の負担を増やすのか? 現役世代の負担を増やそうとすれば、消費税や医療保険負担をさらに引き上げることになる。そうした負担増は、現役世代に不公平感をもたらすだけでなく、経済活力をもそぐ結果になりかねない。

 では、高齢者の負担を増やすことは可能だろうか。高齢者負担を増やすべき、などと書けば、高齢者いじめなどといわれかねない。しかし、高齢者の年金所得からの天引きを増やすだけが方法ではない。よく知られているように、高齢者は膨大な資産を持っている。(負債を差し引いたネットの)金融資産の75%近くを60歳以上の人が、個人保有の不動産の75%が50歳以上の人によって保有されているのだ。ここに税をかけるのはどうだろうか。

 ただし、生前ではない。死亡時に課せばよい。資産を持っている高齢者も持たざる高齢者もいるだろう。しかし、高齢者全体で見れば、遺産相続税を重くすることで、現役世代の負担を減らすことができる。遺産相続人は自分たちの負担が増えると言うかもしれないが、そもそも資産は相続する人のものである以前に、高齢者のものではないだろうか。社会の貴重な資産が相続という形で一部の運のよい子孫に相続されるよりは、社会全体のために使われた方がよいという見方もあるだろう。(いとう・もとしげ)

極めて合理的であるだけでなく、個人レベルでは努力の成果を本人に帰属させつつ、世代をまたぐ段階で資産の再分配を行うという意味で、スマートなソーシャル派の思想ともいえます。

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「NTTで偽装請負」元従業員、直接雇用求め提訴

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/job/news/OSK200805140091.html

>NTTの研究所で違法な偽装請負の状態で働かされ、一方的に契約を打ち切られたとして、京都府に住む20代の元業務請負会社員が14日、NTTと子会社を相手取り、NTTへの直接雇用や慰謝料500万円などを求める訴えを京都地裁に起こした。

 訴状によると、元社員は06年10月、兵庫県西宮市の業務請負会社に就職。翌月、NTT子会社などを通してNTTと請負契約を結び、京都府精華町のNTTコミュニケーション科学基礎研究所で、NTT社員らの指示を受けて翻訳ソフト開発の仕事をしていた。NTTは今年2月、「法的にグレー」との理由で契約打ち切りを通知。元社員は直接雇用を求めたが、3月末に契約が打ち切られた。

 元社員は「NTT社員の面接で採用され、賃金も請負会社などを通じてNTTから支払われた」とし、暗黙の合意でNTTと労働契約が成立していたと主張している。

先月の松下ブラズマディスプレイ事件判決の影響でしょうか。今後続々と訴訟が提起される可能性もあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_fb6e.html(松下電器子会社の偽装請負、直接雇用成立を認定)

ここにも書いたように、現時点ではまだ判決文を読んでいませんので、判決の論理構成がどの程度どうなのかについて確定的なことはいえませんが、報じられている限りでは判決がとっているとされる「黙示の雇用契約論」については、

>かつても、黙示の契約論にはかなり批判も強くて、最高裁に上がって維持されるかどうかはかなり疑問な面もあります。

という認識を持っています。

>わたしは、そもそも派遣であれ、労供であれ、請負であれ、労働法制は契約で判断するのではなく、実態で判断するのが原則と思っているので、無理に契約論にはめ込む黙示の契約論にはいささか疑問があり、契約はともあれ実質に応じて使用者責任を負うというのが一番すっきりすると思っている

ので、当事者の意思の合致が現実に存在しないのに、むりやりに「黙示の契約」などという契約論的枠組みで問題を解決しようという発想には批判的なんですが、どうなんでしょうかね。

ただ、一方には、法的に何がどう問題になっているかすら全く弁えないまま、

http://ascii.jp/elem/000/000/129/129024/

>「ワイドショーの正義」は錯覚

>「偽装請負」を禁じたらどうなるか

などと一知半解無知蒙昧を垂れ流して恬として恥じない御仁も之有ることですから、頭が痛くなってくるわけですが。

(参考)

>このコラムでは法的な問題には立ち入らないが、

といいながら、

>特に派遣労働者の規制が強化されたあとは、一定期間雇ったら正社員に「登用」しなければならないようになったため、そうした規制のない請負契約が増えた。

とか、

>こういう判例が定着して、請負契約が違法だということになったら、「コンプライアンス」を重視する企業は請負契約を打ち切り、需要の変動には正社員を残業させて対応するだろう。

といった、法的認識としても事実認識としてもトンデモの二乗か三乗くらいの放言をしても許されるんだから、ありがたいものです。

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ソーシャルなクルーグマン2

稲葉先生がコメントをしておられます。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080513/p1

>付言するとhamachan先生のおっしゃる「リベラル」は松尾さんのいう「反右翼」に、「ソーシャル」は松尾さんのいう「左翼」に通じる。

後半はほぼその通りだと思いますが、前半は違うような。

アメリかっぺ方言の「リベラル」が由緒正しいヨーロッパの「ソーシャル」にあたるというとき、念頭においているいかにもアメリカ風リベラルというのは、まさにニューディール的なケインジアン福祉国家の路線であって、松尾さんの「反右翼」とは軸が異なるでしょう。

「ソーシャル」よりも松尾流「反右翼」に重点が置かれているのは、アメリかっぺ方言の「リベラル」よりもじゃぱにいず方言の「りべらる」の方ではないでしょうか。憲法で大事なのは、25条でも27条でもなく、ただただひたすら第9条であるというような。そういう感覚は、ヨーロッパの社会民主政党にもなければ、アメリカの民主党にもないように思われます。

(追記)

私が本ブログで「リベサヨ」と呼んできたのは、多分この枠組みでいうと、「反右翼」のみをアイデンティティとし、「ソーシャル」な志向が欠落しているじゃぱにいず風味の「りべらる」のことでしょうね。

そのいみでは「リベサヨ」というのはあまり適切ではないのでしょうねえ。

L33053 この関係で、ホームレス支援を続ける憲法学者というユニークな立ち位置にいる笹沼弘志さんが、近著『ホームレスと自立/排除』の中で、こういう風に樋口陽一さんを批判しているのが興味深いところです。

>樋口は、中間団体=社会権力批判としての個人主義の基礎を、その主体像に求め、近代立憲主義の担い手としての「強い個人」モデルを提起した。企業や労働組合など団体に依存する弱い個人ではなく、自己決定=自己責任により、国家や団体など権力に対抗する「強い個人」である。

>だが、樋口は、他者に依存せざるを得ず、だからこそ服従を強いられる弱者が強くなるための条件を積極的に描こうとせず、あえてとにかく頑張れという道徳論的な主張を行うにとどまっている。

>しかし、樋口の「強い個人」論は、団体対個人という枠組みの中で構想され、あくまでも個人の自己決定=自己責任、自立を倫理的に説くにとどまり、現実の個人が置かれている支配服従構造を等閑視しているため、結果として、個人の自立を強調して過重な個人責任を負わせ国家責任・企業責任の後退を正当化する新自由主義的改革と歩調を合わせているように思う。

>樋口の「強い個人」論は、単に弱者の人権をすくい取れないというだけでなく、自己決定=自己責任により、強くなろうとして、実際に勝ち残ったと思っている人々の自発的服従を捉えきれないという問題を孕んでいる。企業に支配されながら、自らの労働時間を自由にコントロールできると思いこんでいるホワイトカラーたちや、そうした自律的存在がいると思いこんでいる労働法学者や規制改革論者。彼らと共通の罠に囚われる危険がある。

云われていることはかなりの程度共感できることろもあるのですが、しかしやはり(そういうネオリベな「自立」ではない)「自立」を価値基準としてきちんと立てる必要はあるはずだ、と私は考えています。中間集団をファシズムなどといたずらに敵視するのではなく、それを個人にとってのシェルターとしてきちんと活用できるような仕組みの中で、やはり個人の自立をめざしていく必要があるはずだと。

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使用者命令による借金漬け不法行為編

本ブログで紹介した面白い事例の続き、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_25c1.html

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080514132148.pdf

>呉服販売を業とする被告健勝苑,被告松葉及び被告ニッセンにおいて外交員やパート勤務をしていた原告が,勤務先の呉服店から高額な着物などを購入させられ多額のクレジット契約を締結させられたとして,被告販売会社とともに,信販会社である被告オリコ,被告ニコス,被告クオーク,被告セントラル及び被告ジャックスに対し,既払い金の返還などを求めた訴訟。

>1 自社の従業員にその支給される給与に相当する額を支払わせることとなる商品の販売を継続した呉服販売会社の行為は,著しく社会的相当性を逸脱するものであり,不法行為を構成するとされた事例

2 信販会社が,加盟店である販売会社が不法行為に当たる社会的に著しく不相当な商品の販売行為をしていることを知りながら当該商品の購入者と立替払契約を締結した行為は,販売会社の不法行為を助長したものとして,販売会社と共同不法行為を構成するとされた事例

1月の判決は、使用者命令で着物を山のように買わされた人が、その債務の無効を争った事案ですが、こちらはそういうやり口は不法行為だからと損害賠償を求めた事案です。

こういうのって、着物業界ではけっこう横行してるんでしょうか。

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丸尾拓養氏の「中間管理職」論

日経BIZPLUS連載の丸尾拓養氏「法的視点から考える人事の現場の問題点」、今回は中間管理職がテーマです。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=1

例のマクド裁判が話の糸口で、

>この点、長時間労働における健康問題を強調する向きもあります。しかし、長時間労働を非難するだけでは、個別問題に収束してしまいます。個々の事案としては「悲惨」とも評される長時間労働の職場は存在するかもしれません。しかし、これは一般化するまでには至っていません。統計でも、1週60時間以上働く労働者は、30歳代男性で4分の1程度にとどまっています。

という御意見にはいささか賛同しかねるところもありますが、そこは本論ではありません。丸尾氏も経営法曹ですから、「管理監督者」がいかなるものであり、いかなるものでないかはちゃんと判っています。その上で、

>企業の中には、管理職の範囲を見直して、労働基準法の「管理監督者」に明確にあてはまるものだけを管理職とする動きも見られます。そして、「管理監督者」から外れる「前」管理職に対し、企画業務型裁量労働制などの割増賃金を支払わない制度の適用を検討している例もあります。

という動きに対して疑問を呈しているのです。

ここんところ判りますか、特にマクドの記事で「管理職」「管理職」と書いていた方々。丸尾氏がいいたいのは、「管理監督者」じゃないからといって、人事処遇上の「管理職」じゃなくしてしまうのは、それは違うんじゃないか、ということなのです。両概念をきちんと区別した上で、以下をお読みください。

>たしかに、労働基準法の「管理監督者」の法的効果は、同法の労働時間に関する一部条文の適用除外(エグゼンプション)であり、特に時間外及び休日労働の割増賃金の支払いを義務付ける同法37条の適用除外は大きな意味があります。しかし、企業が、法律上の「管理監督者」にこだわらず、「管理職」という語を用いてきたことには、別の面があるように思われます。

 多くの企業では、管理職になると労働組合員から離れ、経営側として取り扱われます。出席を求められる会議の種類も大きく異なります。机の向きが変わることも、労働者本人にとってはプライドをくすぐる事項です。

 少なくとも、中間管理職という存在は、経営者からも労働者からも、「経営の一端」であることの共通認識はあるでしょう。これをもって「経営と一体」とするかは別の議論です。重要なのは、これまでの人事の仕組みであれば、ほとんどの労働者は中間管理職までは昇進したので、いつかは経営側に立つということです。つまり、管理される側は将来的には管理する側にまわります。このため、日本の労使関係においては、特に大企業の男性労働者においては、労働者側においても必ずしも労使対立を強く意識してきませんでした。

 企業は、「管理監督者」の範囲の見直しの動きの中で、「管理職」概念を捨て去ることに慎重になるべきでしょう。管理監督者ではない管理職がいても法的にはおかしくありません。残業代を支払われる管理職がいてもかまいません。「管理職」ではないと取り扱われてもっとも不利益を被るのは、当該労働者かもしれません。法に合わせるかのように、無理して「管理職」を狭める必要はまったくないのです。組織というヒエラルキーをどのように管理するかという機能的視点から、管理職の範囲を考える方が適当です。

経営側の立場からすると、「経営と一体」の「管理監督者」ではない人々を「経営の一端」の「管理職」として、経営サイドに引きつけておくことは重要なことじゃないか、ということですね。

>こうした一方で、女性が職場に進出し、また非正規労働者が職場に混在するようになると、管理職となることで管理される側から管理する側に変わるという「立ち位置」の転換を享受できない者も増加してきています。このことは、経営側として自己の意見を反映させた気になる機会を最後まで持たない労働者を生み出すことになります。しかも、近年のように正社員の人数が減少し、さらには成果主義人事により必ずしも管理職になれない正社員が増加する状況では、管理する側に立つ可能性がない者の比率が過半数をも占める勢いです。

 こうした状況で、職場に民主的な仕組みを導入することを模索する動きもあります。労働契約法の立案段階で突如浮上した労使委員会もその1つです。36協定などの労使協定の過半数代表を選出する方法の見直しの方向も、この動きの1つかもしれません。

 これらの民主的な仕組みは、当該事業場における労働者側の意見の人事施策への反映を狙うものです。必ずしも当該企業と労働契約を締結する労働者に限らず、派遣や請負の労働者も取り込むことを企図しています。

 顧みると、このような職場での意見の吸い上げは、中間管理職層が「板ばさみ」になりながらも、行ってきたことでした。そして、生え抜きが経営者になる限りは、経営者も職場の悩みを実経験していました。しかし、職場が急激に変わったことにより、また中間管理職が成果をあげるためにあまりに忙しくなりすぎたために、このようなコミュニケーションが乏しくなってきています。このごろは、一時の組織のフラット化を見直す動きもありますが、従前のような中間管理職の機能を期待することは難しいでしょう。

 それでも、企業にとって、法律により民主的な仕組みを導入されることは、いかにインセンティブが設けられたとしても、受け容れがたい部分があるかもしれません。一方で、なぜそのような声があがってくるかも、企業は理解しなければなりません。旧態依然の法律にとらわれることなく、企業の経営管理の中で人事管理が急速に変わりつつあることを認識すべきでしょう。そこに、新たな中間管理職層の意義が存在するものと思われます。単に「管理監督者」に「管理職」を合わせるだけでは、何ら進展はありません。「管理監督者」と異なる「管理職」を再生させ、その結果として職場を再生させることにこそ、企業の自由と適正な利潤があるのかもしれません。

おそらく、経営側の戦略としては、それがもっともフィージビリティが高いものであるのでしょう。

しかし、多様化する労働者の多様な利害を適切に吸い上げていく上で、旧来の中間管理職の再生がもっとも適切な路線であるのかどうかには、いささか、というよりかなりの留保がつくように思われます。

なにより、その中間管理職自身が労働者としての不満や悩みを抱えながら、それを適切に解決する回路を見出せないまま、矛盾が膨らんできているのではないでしょうか。「経営の一端」であるが故にかえってストレートに労働者としての要求を出せないという矛盾を解決するためには、彼らをますます上と下との「板挟み」にしていくのではなく、彼ら自身の意見を適切に吸い上げるメカニズムをきちんと作っていくことこそが重要なのではないでしょうか。

管理職問題の本丸はゼニカネでないのはもちろんのこと、健康問題ももちろん大事ではありますが(と新聞で喋ったばかりですが)、おそらくそれ以上に、この利害代表問題にあるように思われます。

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クローズアップ2008:横行「名ばかり管理職」

本日の毎日新聞から、クローズアップ2008という特集記事です。

http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20080513ddm003020128000c.html

>「名ばかり管理職」が依然として労働現場に横行している。ハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」が店長に時間外手当を支払わなかったのは違法と認定した東京地裁判決から4カ月。判決を契機に改善に乗り出した企業は一部にとどまり、今月9日には新たにコンビニエンスストア「SHOP99」の元店長が会社を相手に提訴した。低賃金を価格競争の原動力にする企業実態が背景にある。【東海林智、小倉祥徳】

そのSHOP99やマクドの話が記事の中心ですが、中に挟み込まれたいくつかの発言が結構重要です。

>ある大手産別労組幹部は「割増率の引き上げは長時間労働の抑制には効果的かもしれないが、企業側はますます名ばかり管理職を増やし残業代を免れようとするのではないか」と危惧(きぐ)する。

私は、「長時間労働の抑制に」すら効果的ではないのではないかと思いますが。

最後のところに、こういう人のこういう発言が載っておりましたので、ご参考までに。

◇放置すれば健康守れず 金だけの問題ではない--濱口桂一郎・政策研究大学院大学教授(労働法・労働政策)の話

 「名ばかり管理職」について議論する際、まず人事処遇上の「管理職」と労働時間規制を外してもよい「管理監督者」は全く異なる概念だということを確認すべきだ。さらに、時間外手当さえ支給されれば問題が解決されると考えるのも正しくない。過重労働を放置すれば労働者の命と健康は守れないからだ。この認識のうえでなら、一定以上の年収がある社員の残業代免除という議論はありうる。お金の話は命や健康とは切り離して考えるべきだ。

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自治労の解雇不当 滋賀県本部の元嘱託職員が提訴

京都新聞から、

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008051200092&genre=D1&area=S00

ええ、これは自治労に加盟する滋賀県の嘱託職員が解雇されたのは不当だと云っているのではなくて、

その自治労滋賀県本部という団体に雇用されている嘱託職員が自治労滋賀県本部から解雇されたのが不当だと訴えたという話です。

いきさつを見ると、

>自治労滋賀県本部(大津市)に勤務していた元嘱託書記の清水潤子さん(57)=大津市=が12日までに、同県本部から不当に懲戒解雇されたとして、地位の確認などを求める訴えを大津地裁に起こした。労働組合の雇用問題が訴訟に発展するのは異例。 

訴状などによると、清水さんは昨年9月、守山市職労の組合員から匿名で「上司から嫌がらせを受けて退職を迫られている」との相談電話を受けた際、「嘱託書記のわたしたちも同じ状況ですよ」などと応答。今年3月18日に同県本部から名誉・信用を傷つけたなどとして雇用契約終了の通知を受け、同月末で解雇されたという。

 清水さんは、これまでも労働条件の改善などを求めて県労働委員会にあっせん申請したことがあり、「今回の懲戒解雇は職場で闘い続けた私への嫌がらせの延長線上にある」と主張している。

 同県本部は「解雇した嘱託職員は仕事の期待に応えなかった。また電話での労働相談で自治労の批判をした。就業規則違反であり、処分は適正と考える」としている。

詳しい事情はよく分かりませんが、いかにも皮肉な事件ではあります。

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舛添大臣の大正論

厚生労働省HPに、舛添大臣の金曜日の閣議後記者会見の様子が載っています。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/05/k0509.html

土曜のエントリーで、経済財政諮問会議における発言(大田大臣による紹介)を「正論」と述べましたが、こちらでは正論がさらに全開です。舛添大臣に対してはいろいろと御意見のある方々も居られるでしょうし、私もすべてにわたってご立派な大臣であるかどうかまでは保証の限りではありませんが、少なくともこの問題に関するかぎり、他のどの論者よりもまともで物事の本質を見据えた発言であることは間違いありません。

(記者)今日の諮問会議で外国人労働者の話があるかと思うのですが、他にも自民党の中で移民省というものを検討するという話がありますが、厚生労働省所管の一部の分野から外国人労働者を求める声が強いと思うのですが、大臣の考えをお聞きしたいのですが。

(大臣)今日文部科学大臣も出席して教育の国際化のような話も行います。東京大学で先生をしておりましたから、ずっと私自身がそういうことに携わってきております。それからヨーロッパでの生活が長いので、ヨーロッパにおける移民政策も研究してきておりました。だからこの点につきましては、私もずっといろいろな考え方を持ってますが、単純労働者についてそう簡単に門戸を開くわけにはいかないと思います。移民を巡る様々な社会問題、今ヨーロッパでサードジェネレーションまできています。そうすると自分はドイツ人なのか、トルコ人なのかそういうアイデンティティクライシスに悩む若者がいるわけですね。開かれた国にしていろいろな文化が入るのは結構だと思いますけれども、そういう社会的コスト、そして第3世代まできたときにアイデンティティクライシスに苦しむ若者達をどうするか。こういうヨーロッパの先人達の経験を、きちんと学ぶ必要があります。それが一つ。それから、高度人材を入れるといいますが、「高度」というのはどういうことを意味するのですかと。要するに人手不足になる、そうすると安い賃金で外国人を使えばいいじゃないかと、そのレベルの発想で企業の方がおっしゃっているのであるなら、私はこれは失格だというふうに思っております。ただ単に高度人材を倍増計画なんて言っても、「高度」とは何を意味するのですか。明治維新の時には、時の総理大臣以上の給料を払ってお雇い外国人を雇ったのですね。それは必要だったからです。今ある会社の社長の給料の倍を出してすばらしい外国人を雇いますかと、それだけの覚悟はありますかと。だからそういうこともしっかり考えてもらわないといけない。ただ倍増計画を立てればいいというものではありません。英語が通じるようにすればいいじゃないかというのは結構です。だから、私は東京大学の先生の時に英語で授業をやってやろう、フランス語でやってやろうと言ったのだけど、今の東京大学の先生の中で何人英語で授業できますかというようなことも含めて現実をよく見て、外国の人達が生活しやすいようにする生活環境を作る。例えば、新宿駅に降り立った時に「SHINJUKU」とローマ字で書いているけど、小田急とか京王に乗り換えの案内というのは英語で書いていないです。例えばそんなことをよくするというのは、それは当然やるべきこと、外国の人が生活しやすいようにすることもやるべきことなのだけれども、単純に安い労賃で人を雇いたいからくらいの発想で、もしおっしゃる方がいれば私は絶対反対なのです。それで、すばらしい世界から求められるような方が、家族もいます、子供の教育もあります、日本で生活しても良いと思うならば、それなりの処遇がなければ、それは相当高給でないと来ません。それと、その方達を3年なら3年雇って「はい、さよなら」にするのですか。それともずっと定住させるのですか。定住させることはもの凄く大変です。だから、そういうことを総合的に考えて定住化政策か帰化政策をやるのか、それだけの大きなビジョンがないとそう簡単ではないです。私は、だからそういうことが原因で実は東京大学に辞表を叩き付けたのです。こんな閉鎖された大学では駄目だといってやったわけです。それ以来ずっとこの問題を考えてきていましたけれども、そう簡単ではありません。ですから、そういう申し上げるべきことは申し上げる。例えば、企業の中で、総合職に何人外国人を入れていますか。道具として使うのではないのです。やはり、世界中から優秀な人に来ていただくならそれなりの処遇をしないといけないし、それなりの社会にしないといけないです。だから、それは全く賛成ですけれども、絵空事に終わる、そして、本当に定住し、帰化するまでにやれるのだったら、例えば、フランスでは、サルコジさんという大統領、国家元首です、この方のお父さんはハンガリー移民です。だから、例えば、近隣の諸国だと中国や韓国あたりかた来られている方、次期大統領日本国籍のパクさん、日本国籍のオンさんというようになるというのは、フランス国籍のサルコジさんというのが生まれているのと同じなわけです。アメリカは全部そうですから。だから、そこまで開かれた国で実は良いと思うのですが、そうしますと、例えば、フランスは、フランス語を話すことが当然だと思うのです。フランス人になるならフランス語を話すのは当然だ。日本で仕事するなら日本語話すのは当然だ。だから、フランスで、例えば、フランスの博士号を取ります。国家博士号を取るというのは、普通のフランス人よりもフランス語でよく論文を書けるということですから、フランス語が上手いということなので、取った瞬間にフランス人になれるのです。そうすると、日本の国家博士号を決めて、普通の日本人よりはるかにすばらしい日本語の論文を書ける、その瞬間に日本国籍をあげるというくらいの発想が全くないのです。英語で教える先生だって、30の拠点大学で英語で教えるというけど、それだけの先生を探してごらんなさいと思います。ですから、それなら逆にやはり日本語をちゃんと学んでいただけるようにして日本文化の良いところを学ぶ。そうでないと、例えば、介護士、看護師さんにしてもフィリピンの方々は、英語を話せます。だから皆アメリカ、イギリスに行きます。なぜ日本に来るかというのは、やはり日本が好きで日本語もこれだけ話せてという人材でないといけないので、そういうことについて私はずっとこの問題で苦労してきて、何十年も格闘してきたし、経験もあるので、それは今言ったようなことを堂々と今日夕方言おうと思っております

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生活保護の問題とワーキングプア、雇用保険

さて、経済財政諮問会議の本体の方は、土曜日のエントリーに書いたように、外国人労働者(「高度人材」ね、あくまでも、但しその範囲は It depends. )の受入れ問題が中心となってきましたが、労働市場改革専門調査会の方も動き出していたようです。木曜日の調査会の資料がアップされています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/agenda.html

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/20/item1.pdf

報告者は、地方財政審議会の木村陽子氏ですが、中身はまえに本ブログでも紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_4d05.html

全国知事会・全国市長会がまとめた生活保護制度の見直し案がベースになっています。

こちらでもいよいよワーキングプアと生活保護の問題に取り組みますか。大変時宜を得た問題意識だと思います。

>1.ワーキングプアの広がり

(1)豊かさを実現した 1960年代のアメリカにおける「貧困の女性化」ワーキングプアは母子世帯に集中-1970年代、1980年代先進国で共通

(2)近年のワーキングプアの質的変化家族の変化、就業形態、産業構造の変化等によって家族の経済基盤は脆弱となり、世帯類型、性別にかかわらずワーキングプアになりうる。共働き夫婦、専業主婦世帯、単身世帯、単親世帯、高齢親と単身子世帯、日本でもこれまで最も安定していた中年男性の非正規雇用、失業率が高まった。

(3)ボーダーライン層(ワーキングプアにきわめて近い層)が厚みを増す

2.現行の生活保護の特徴と問題点

(1)包括的一般制度―「金銭給付」が中心となるべき高齢者世帯と「就労自立支援」が重要な稼動期にある者が混在。ライフステージにあっていない。

(2)貧困原因を問わない

(3)他方優先、「入りにくくてでにくい」制度

(4)捕捉率が低い

(5)生活保護受給世帯の変化-高齢者世帯が 5割、うち 9割は単身者。3の1は傷病・障害者、母子世帯は9%、その他が 10% である。

(6)複合的な貧困原因を除去する対策が十分でない。

3.生活保護とワーキングプア

(1)ワーキングプアの広がりは、被保護世帯の生活保護基準額と最低賃金、非正規雇用者の収入等との均衡を図る必要がある。-税金、利用料、料金、医療等も含む。

(2)家族の変化や非正規雇用者の増加は、ボーダーライン層の厚みを増す。

(3)ボーダーライン層の生活保護への移行防止のための対策。ボーダーライン層が一時的貧困から慢性的貧困に陥らないために集中的な職業訓練や紹介等が必要である。生活保護受給者に対する集中的な自立支援プログラムの一部を共同で利用。(基本的に収入が極めて低く生活保護基準の境界近辺にある者。生活保護を申請しないワーキングプアのこの制度の対象となる)

4.生活保護と雇用保険等

(1)雇用保険と生活保護は独立して設計されている。雇用保険でカバーされるのは被用者である。

(2)生活保護と雇用保険との整合性の問題失業保険の基本手当と保護基準との不均衡。失業・休職中の最低生活をどの制度により保障するか?(例)低賃金の母子世帯等が失業し、雇用保険の基本手当日額(賃金のおよそ 6割程度)を受給する。しかし、それだけでは不足するので生活保護を受給する(最低生活水準との差額)。→雇用保険基本手当受給期間が切れた後は生活保護受給世帯

(3)年金保険については非正規雇用者の加入を促進することが、高齢期の貧困をなくすことに貢献。高齢期の貧困は年金と密接な関係。一方で、厚生年金等年金の抜本的改革が必須。

5.生活保護の改革

(1)稼動世代に対する適用期間を最大 5年間とする有期保護制度=集中的な自立支援プログラムを実施=の創設。セーフテイネットをしっかり守ることは前提。

(2)高齢者対象制度の分離

(3)ボーダーライン層が生活保護へ移行することを防止する就労支援制度

(4)福祉・医療部門、労働部門、教育部門の一体的連携を確立。

(5)共通のデータベースを持つ。

(6)フォローアップ。

6.就労自立について

(1)完全に街中で独立しては暮らすことができないけれども、世話人がいる共同住宅の中で暮らすことはできるなど就労自立にもさまざまな局面があることを尊重する。

(2)ソーシャルインクルージョンとの関係

ということです。問題意識は私とほとんど共通していると思います。ただ、処方箋は少し違います。私がこの領域で考えていることは、この文章にまとめています。ご参考までに。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html

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ソーシャルなクルーグマン

今朝の朝日に、クルーグマンのインタビューが載っています。

まだネット上には載っていないようですが、平等の上にゆたかな社会をめざすニューディール政策の伝統に共和党が背を向けたことが賃金停滞と不平等拡大を招いたという主張です。

>英国でサッチャー時代に拡大した貧富の格差がブレア政権下で縮小したように、政府の役割は大きい。米国ではレーガン以降の共和党政権かで、企業は労組に攻撃的姿勢をとっていいと考えるようになった。組合を作ろうとした労働者を企業が次々に解雇した。それが組合つぶしの空気と賃金停滞、格差拡大につながった。・・・

共和党のイデオロギーは、

>裕福な人々の税金を軽減し、社会保障のプログラムを減らすことをめざす動きで、基本的に不平等を拡大するものだ。

処方箋も、アメリカの特殊な状況に対応して、

>米国のセーフティネットは他の先進国に比べて極端に弱いから、強化すべきだ。とりわけ重要なのは、国家的な医療保険制度を持つことだ。底辺の不平等を改善し、貧困の削減に大いに役立つ。一方、労働政策を変更し、労働者が労働組合を組織しやすいようにすることも必要だ。

こういうことを主張している彼の近著が『リベラルの良心』だというのだから、頭が痛くなります。いや、アメリかっぺ方言の世界では、上に見たような、まさしく正統的な「ソーシャル」な考え方を、本来その正反対の考え方を指す「リベラル」という用語で指し示すという社会言語学上の変異現象のためであるわけなんですが、その題名のままヨーロッパで売られれば、誰の目にも全く正反対のネオリベを主張した本だと思われてしまうでしょう。

クルーグマンが呼びかけているのは、まさにアメリカをもっと「ソーシャル」にすること、そしてアメリカの真似をしてきたここ十数年の日本にその道行きを見直すことです。

>米国モデルは90年代に成功したが。もはやうまくいっていない。何でも米国の真似をしたいなどと思うべきではない。

こういう真摯に日本のことを思ってくれる真の友人の声がどこまで日本の政策形成回路に届くのかが問題ですが。それが歪んでしまう回路があるだけに心配です。

実は、日本に特殊な現象ですが、上に見たような「ソーシャル」なクルーグマンの主張とは全く正反対のイデオロギーを振り回し、ハイエクとフリードマンを教祖と仰ぎ、竹中平蔵を父と敬い、高橋洋一を兄と慕う一群の連中が、ただ次の一節についてのみクルーグマンと見解が一致しているからといって、

>日本経済はまだデフレの崖っぷちにある。経済をさらに上向かせるには、日銀が2%強の物価上昇率を目標に掲げるよう私は提案してきたが、いまも同じだ。

自分たちを「リフレ派」と称し、なんと、構造改革派vsリフレ派の対立こそが経済政策のすべてであるかの如く言いつのるという奇怪な現象があるのですね。

リフレさえすればあとはまったく市場原理ごりごりに構造改革をやれやれと喚くこういう連中がクルーグマンを振り回すために、あたかもクルーグマン自身までが、そういうネオリベ軍団別働隊リフレ小隊の一員であるかの如き誤った印象が日本で流布されてしまっていることはまことに残念なことで、そういう誤解を払拭する上でも、本日のインタビュー記事はまことに時宜を得たものといえましょう。

(参考)

こういう特殊日本的ネオリベ系リフレ派の生態については、このエントリーのコメント欄で観察することができます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html

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介護士は「高度人材」?

一昨日のエントリーで紹介したように、養成大学から学生が逃げ出すほど処遇の低さが知れ渡っている介護福祉士が、外国から人材を導入するべき「高度人材」であるかどうかが、昨日の経済財政諮問会議で話題となったようです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0509/interview.html

例によって大田大臣の記者説明から、

>まず、高度人材についてですが、民間議員から、ペーパーに沿って説明がありました。高度人材の受入れについて、これを倍増するようにという提案がありました。説明の中で、外国人の人材を受入れるというときに、労働力不足だから受入れるというのではなくて、成長のカギが人材だからこそ受け入れていかなければいけない。つまり、成長するカギというのは、常に人なわけですね。世界から頭脳を持ってくる、技術、情報を持ってくるということが重要なわけで、そういう観点からこの高度人材を議論する。今、世界で人材の争奪戦が行われているということが言われました。

これに対して、舛添厚生労働大臣が次のように正論をぶち挙げたようです。

>これに対して、まず舛添大臣から、受入れ企業がどの程度の処遇をするのかということが大事である、安い労働力を手に入れるというようなことになっているといけない。民間議員の提案で、30万人ということが出ておりますけれども、数字が先になったときに、高度でない人が数値目標を達成するために入るというようなことがあってはいけないと。
 高度人材は単に通過するだけの人材を想定するのか、それとも日本人になっていくようなことを想定しているのか。やはり長期的な国家戦略として、永住、定着というようなことまで考えているのならば、抜本的に色々な仕組みを変えていかなければいけない。家族を受け入れるという視点で体制も整えなければいけないので、細かく詰める必要があるという発言がありました。

まさしく正論、外国人は単なる労働力というモノではなく、ヒトを日本社会の中に包摂するということを前提にしなければいけないわけで、その辺は、舛添さんはさすがにフランス通ですから、ヨーロッパの経験から何をしてはいけないかがよく分かっているというべきです。

で、その先が「高度人材」の話で、出来れば早く議事録を見たいところですけど、大田大臣によれば、

>民間議員から、この「高度人材」の「高度」というものがどういう定義であるのか、その分野別に定義を明確にしていくことが必要であるという発言がありました。

>介護士や看護師は、EPA交渉の中で受け入れるということが今まであるわけですけれども、EPAを締結しないとなぜ来てもらってはいけないのか。国家資格がある分野は、やはりこれは高度人材と言えるのではないか。日本語で試験を受けて通れば、それは在留資格を与えるべきではないか。もう少し就労ができる在留資格という方向で書き直してほしいと。

そこが最大の問題でしょう。国家資格があれば「高度人材」なんでしょうか。介護士を養成する大学の課程があるくらいなんだから立派な「高度人材」と言える?

いや、社会の将来のあるべき姿として、福祉がもっとも尊敬される職業の一つとなり、介護福祉士は医者並みの社会的地位と処遇を得られるような社会にするべきだ!と主張することは可能ですし、私も一定のシンパシーを感じますが、いかんせん、現実の姿はそれとは正反対であるわけで、多くの若者が逃げ出すような職域に「高度人材」という名目で実際は「低度人材」を大量に導入することがホンネであるならば、それはやはりちょっと待った、と言うべきところのように思います。外国人の導入に反対ではありませんが、使い捨ての「低度人材」として入れるのは考え物でしょう。

>増田大臣から、日本の各地域には、高度人材というよりワーカーとして入っている地域もたくさんある。集中的に入っている地域があるわけで、生活環境づくりに非常に苦労していると。教育の問題、成人への日本語教育の問題、色々苦労しているので、丁寧に解決していく必要があると。

いや、「ワーカー」でいいんですけどね、アンダークラスになってしまっては困るということであって。ちょっと労働に偏見もっていませんか?ただ、いいたいことは全くその通りだと思います。

> ここから教育の方の、留学生30万人計画の議論に入りました。

ということで、鳩山法務大臣が、

>鳩山大臣から、総理の留学生30万人計画というのは、ぜひ実現したいと。ただ、民間議員ペーパーの2ページ目の下に、就学と留学の区別を引き続き維持する必要性が薄いようであれば一体化すべきではないかということが書かれているんですけれども、これについて、就学というのは日本語学校に入るということなんですね。これが3万6,000人いるということなんですけれども、この1割以上が不法残留になっていると。それから、犯罪率も高いというので、やはりここは慎重に考えていく必要があるのではないかというコメントがありました。

日本語学校だけの話ではないような気もします。これも、いろいろ各方面に差し障りのある話なのかも知れませんが、ある種の大学などは、もっぱらアルバイトに精を出す建前上は「就学生」ではない「留学生」をたくさん抱えて経営を成り立たせているような所もないわけではないわけで、そういうのをどう考えるのか、というのもあまり問題にする人はいないけれども、実は結構問題なんじゃないかと思ったりもするわけで。

結局、

>この高度人材の受入れですけれども、政府部内でしっかりと議論をしなくてはならない課題であると。官房長官のもとに、有識者、産業界、労働界、政府からなる会議を設置して議論を開始してほしいという指示がありました。
 これまで、こういう外国人からの人材の受入れというのは、なかなか政府全体で議論する場がなかったわけですけれども、総理の指示を受けて、官房長官のもとに会議が設置されるということになります。

ということになったようです。

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財務省、雇用保険の国庫負担廃止を検討

な、なんか、デジャビュが・・・、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080509AT3S0802208052008.html

>財務省は8日、雇用保険制度の財源の一定割合をまかなっている国庫負担を2009年度から廃止する検討に入った。社会保障費の伸びを毎年2200億円圧縮する政府計画に組み入れる狙いだ。雇用保険の積立金残高が5兆円近くに達し、国の負担なしでも給付に影響はないと判断した。同省は介護保険についても、利用者の自己負担率上げに向けて厚生労働省と調整する構えで、社会保障費抑制を巡る攻防が強まる。

 国庫負担の廃止は、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が6月の建議に盛り込む。

このブログの初期のころですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_cb3d_1.html(雇用保険の国庫負担)

ただね、私はその国庫負担分で現行雇用保険の外側に緊急失業手当制度を設けるというアイディアであれば、それはありかも知れないとは思っています。国が国民の失業に知らんぷりをしていていいはずはないですが、それをどういう形でやるかはいろいろな考え方があり得ます。保険料でまかなえている部分に国費を突っ込む代わりに、そもそもそれがカバーできていないところに国費を集中せよという発想はあり得るでしょう。もっとも、財務省が「なるほど!」と云ってくれるとは到底思えませんけど。

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湯浅誠『反貧困』をめぐって

4311240 岩波新書から出た湯浅誠氏の『反貧困』は、第1部が貧困の現場からの報告、第2部が湯浅氏らの反貧困運動のコンパクトな記録になっていて、この問題に関心のある人にとっては手頃で便利な本です。

先日、若者政策研究会の場で初めてお目にかかりました。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/

編集部の人のいささか主観的な紹介:

>本書の校了間際の土曜日、岩波書店の目の前の中学校で、「反貧困フェスタ2008」が開催されました。講演会や医療相談のほか、音楽ライブに屋台に映画上映にと、さながら文化祭のようでした。この社会には貧困問題が存在するのだということを訴えようと、さまざまな団体から成る「反貧困ネットワーク」が呼びかけて実施されたもので、1600人が参加したそうです。本書の著者の湯浅誠さんもまた、このフェスタの「裏方」の一人として走り回っていました。

 湯浅さんは、野宿者(ホームレス)の支援活動を行うなかで、すさまじい勢いで生活困窮者が増えていることに危機感を覚え、日本の貧困問題の拡がりについて警鐘を鳴らしてきました。本書は、そうした活動経験を生かしながら、どうして貧困が拡がってきているのか、そのことでどんな問題が起きているのかを考えます。そのうえで、人々が貧困問題にどのように立ち向かっているのか、「反貧困」の現場をレポートします。誰もが人間らしく生きることのできる社会へ向けて、その希望を語る熱い一冊です。

9784480063625 理論編としての岩田正美『現代の貧困』と読み合わせるといいと思います。こちらは、近年欧州で広がっている「社会的排除」という問題意識を踏まえながら書かれていて、湯浅氏の指摘する「五重の排除」といった現象と響き合うものが感じられるでしょう。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063625/

同書については本ブログでコメントしています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_dda2.html

私は「現代ネオサヨ知識人における観念論の過剰とマテリアリズムの欠乏症候群」を読み取りましたが。

Isbn9784569697130

湯浅氏の著書を読み物として読むと、福祉事務所に何回行っても追い返されていた人が、湯浅氏がついていくとすぐに生活保護の手続がされるなどというところで、ざまあみろ悪の権化の福祉役人め!と、まさに勧善懲悪的快哉を叫びたくなるところですが、実はそう単純明快な話ではないということを理解するためには、もう一冊、埼玉で生活保護のケースワーカーをされていた大山典宏氏の「生活保護vsワーキングプア」が必読です。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69713-0

一旦はまりこむとなかなか抜けられないような生活保護だから、よほどの状況でなければなかなかいれないようにしようとする、そのことが却って、ますます一旦はいったらなかなか抜けられないという悪循環を大きくする。これは結局、現在の生活保護制度の在り方そのものをマクロに変えていかないとなかなか解決しがたい問題なのだろうと思うのです。

湯浅氏の活動にケチを付けようというわけではないのですが、また実際、貧困の縁に立たされている人々からすれば、まさに鞍馬天狗であるのも確かなのですが。

このあたりについては、いままでこのブログでもかなり書いてきましたし、まとめたものとしては、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html

などがあります。

最後に、いささか余談にわたりますが、39頁以下で、社会保険も公的扶助もセーフティネットとして穴があいてしまっている中で、「刑務所が第4のセーフティネットになってしまっている」という興味深い指摘があります。正確には、連合の小島茂氏の指摘の引用ですが。

どうしても食えなくなれば、こそ泥をして臭い飯を食わせて貰うのが、一番手っ取り早い福祉受給の道であるわけです。その例が幾つも挙がっているのですが、それで思い出したこと。

その昔、十年以上も前、私が欧州に勤務していたころ、先進世界ではアメリカと日本の失業率が低く、ヨーロッパの失業率が高かったころのこと、「アメリカは失業率が低いと偉そうにいうが、実はまともに働いていない人間の割合は同じだ、ただ、かれらを失業者と呼ばずに刑務所にぶち込んで、税金で面倒見ているだけだ。日本は失業率が低いと自慢するが、実はまともに働いていない人間の割合は同じだ。ただ、彼らを企業に雇わせて、補助金をぶち込んで面倒見ているだけだ。我々は素直に彼らを失業者として税金で面倒を見ているんだ」

それからしばらく、日本では護送船団方式だから日本はダメなんだ、役に立たない奴らは全部叩き落として後はセーフティネットで面倒見ろ!という竹中平蔵氏の議論が流行しておりましたな。どういうセーフティネットにしてくれるのかと思っていたのですが、結局アメリカ方式で刑務所がラストリゾートだったのでしょうか。

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介護福祉士養成大8割定員割れ

読売の記事ですが、

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08050707.cfm

>介護福祉士を養成する全国の4年制・短期大学で、養成課程入学者の定員割れが相次いでいることが、読売新聞の全国調査でわかった。回答のあった大学の8割で今春入学者が定員割れとなり、ほぼ半数で定員充足率が50%を下回っていた。各大学は、介護職が「低賃金・重労働」といわれることや、コムスン問題の影響を指摘。養成課程から撤退する学校もあり、介護保険を支える人材の不足が深刻化しそうだ。

 介護福祉士は、高齢者や障害者の介護を行う国家資格で、全国で約64万人いる。介護保険の導入に伴って各大学が介護福祉士の養成課程を開設し、国の指定養成施設の大学は全国で約150校にのぼる。調査は4年制・短期大学計80校を対象とし、うち51校が回答。51校の同課程入学者は2005年春の3273人をピークに3年連続で減少し、今春は05年より30%少ない2266人。42校で定員割れが生じ、25校で定員充足率が50%以下となった。

 九州のある大学では定員40人に対し入学者はわずか4人で、近畿の短大も定員50人に入学者は7人。今春の定員充足率が7割の北海道の大学は、来年度の募集中止を検討している。

 各大学は定員割れの理由について、「社会的地位が低い」「コムスン問題で業界イメージが悪化した」とし、奨学金を受けた学生が「介護職の賃金では返還できない」という理由で一般企業に就職した大学もあった。日本福祉大(愛知県)の担当者は「高校の進路指導の選択肢から介護福祉士が除かれつつある」と嘆く。

 危機感を抱く4年制大学は年内にも、「介護福祉士養成大学連絡協議会(仮称)」を発足させるが、厚生労働省は「養成施設対策は手つかずで、今後取り組むべき問題」としている。

いろいろな読み方ができるでしょう。介護労働問題の視点からは、だからいわんこっちゃない、いまのような低賃金のままではどんどん人が逃げ出すぞ、早く待遇改善しなくては・・・ということになるでしょう。それは極めて重要な視点です。

しかし、もう一つ、教育問題というか、高等教育の職業的レリバンス問題の観点から見ると、実に大変皮肉な側面を覗かせてもいます。

介護保険ができたころから日本中で一斉に雨後の筍の如く作り上げられた福祉系の大学課程は、それがその卒業生にふさわしい就職の場を提供しうるものであるならば、まさに高等教育レベルにおける職業的レリバンスの素晴らしきモデルというべきだったのでしょうが、上述のような実情を見ると、むしろ職業的レリバンスのいう名の振り込め詐欺をやってたんじゃないか、といわれても仕方がないようにも思えます。

大学卒はほとんどいない(最近でこそ看護系大学もちらほら出てきていますが)看護師の方が、医療介護の現場では遥かに社会的地位が高く、賃金水準も高いという逆転現象を前にして、わざわざ福祉系大学に進学しようという若者が減少していくのは当然の現象といえるでしょう。

も少し突っ込むと、そもそも福祉系大学で教えていることって、ホントのところどの程度職業的レリバンスがあるの?という聴いてはいけないタブー的質問にも、そろそろ踏み込んでみる必要があるような気がします。

大学4年間もかけて教えられているそれらのことどもは、やがて卒業して介護の現場で活躍していくであろう学生たちのためにではなくて、そこでものを教えるという安定した地位を福祉系の研究者たちに与えるために設定されているのではないの?という禁断の質問を。

いや、ブンガクやらテツガクやらは、まさにそういう学問を教えるセンセの生計のために、多くの学生(ないしその親)から搾取する家元的メカニズムとして確立しており、みんなそれで納得しているからあまり問題は起こらなかったわけですが、福祉の世界でそれをやられたんでは、搾取された側は堪らないのではないでしょうか。

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日本をダメにした10の裁判

http://www.nikkeibook.com/detail.php?class_code=26004260043

日本経済新聞社から新書版で出た『日本をダメにした10の裁判』を贈呈いただきました。著者は「チームJ」というグループですが、その中身は、

>バブル末期に東京大学法学部を卒業し、その後、検事、企業法務弁護士、官僚と多様な進路を辿ったメンバーで構成されるチーム。現在、各界の最前線で中堅的な役割を担う一方、週末や平日深夜に集まり、過去の裁判の社会的意義や正当性を検証する試みを重ねている。メンバーは、左高健一(アンダーソン・毛利・友常法律事務所弁護士)、西垣淳子(世界平和研究所)、渡辺元尋(元検事、弁護士)、山田正人(経済産業研究所総務副ディレクター)。

という面々。どこかで見た名前だなあ、と思ったあなたはえらい、そう、山田正人氏は、1年間の育児休暇を取ってそれを本にしてしまった経済産業官僚です。そして、西垣淳子氏は、山田氏が育児休業を取ったお子さんを出産された方で、同省の同期です。

この辺は以下の記述の前提となりますので、この辺りで事情をご覧いただくとよろしいか、と。

http://www.amazon.co.jp/dp/4532165512

http://hiog.seesaa.net/article/16360841.html

http://www.cafeglobe.com/career/interview/int_vol89.html

それを前提にして、この本の説明ですが、

>その判決に異議あり! 正社員になれない若者の増加も、企業と政治の癒着も、ムダな公共事業も……その原因に誤った裁判があった。気鋭の弁護士らが、社会に悪影響を与えた判例を選び、明快な論理で厳しく追及する。

で、具体的にやり玉に挙げられている判決は、

>第一章 正社員を守って増える非正社員の皮肉――東洋酸素事件

第二章 単身赴任者の哀歌――東亜ペイント事件

第三章 向井亜紀さん親子は救えるか?――代理母事件

第四章 あなたが痴漢で罰せられる日――痴漢冤罪と刑事裁判

第五章 「公務員バリア」の不可解な生き残り

第六章 企業と政治強い接着剤――八幡製鉄政治献金事件

第七章 なぜムダな公共事業はなくならないか――定数是正判決

第八章 最高裁はどこへ行った?――ロッキード事件

第九章 裁判官を縛るムラの掟――寺西裁判官分限事件

第十章 あなたは最高裁裁判官を知ってますか――国民審査

終 章 法の支配がもたらす個人の幸せ

というものです。

このうち、第1章と第2章が、まさしく本ブログの対象領域に該当していますが、この二つを書かれたのが経産省育休補佐こと山田正人氏です。

第1章は、まさに最近流行の正社員を守る解雇規制が非正規労働者を生み出した、という議論なのですが、一知半解のケーザイ学者とは異なり、狙うべき的を正確に捉えています。とかく一知半解の人は、解雇権濫用法理が諸悪の根源と言いつのりたがるのですが、本書で山田氏が攻撃するのは日本食塩でもなければ高知放送でもなく、高裁レベルの東洋酸素事件なんですね。

日本の解雇規制の特徴は、一般の解雇よりも企業の経済状況に原因する整理解雇をより厳しく規制しようとするところにありますが、その象徴ともいうべき整理解雇4要件を定式化したのが東洋酸素事件です。そして、これがより規制の少ない有期雇用へ、さらには派遣労働へという企業の逃避行動を促し、結果的に正規と非正規の格差を生み出す一つの要因となってきたということは、私もある程度までそうだと思っています。

(ただ、ややマニアックにいうと、この東洋酸素事件というのはそんな単純な事件じゃありません。去年本ブログでも紹介した研究が、最近本になりましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_930e.html

41oukursccl_ss500_ http://www.amazon.co.jp/dp/4535555540

>判例集に載ってる判決文だけ見ていたのでは分からない背景事情がよく分かります。一言でいうと、この裁判を起こした原告たちは、かつて主流派だったが民主化同盟(!!)に組合本部を取られて川崎支部に拠っていた少数派なんですね。組合本部は退職金1000万円+αで決着して、文句あるなら勝手に裁判でもやれ、俺たちは知らんぞ、という典型的な労々対立図式の中の事件だったようなのです。この事件と並行して不当労働行為の訴えも起こしていて、そっちで和解して、何人かが復職するという決着になっているんですね。

というまさしく労労対立事件。これは労働法に限らず、法律学者一般にいえる通弊ですが、ものごとを判決文に書かれたことだけで理解し、というよりほとんど下線の引かれた判旨の部分だけで理解し、ごじゃごじゃとした部分を切り捨てて綺麗な議論を組み立ててしまいがちで、如何なる法理も限りなく複雑な現実に一定の解決を与えるために創出されたものであるにもかかわらず、それをあたかも万古普遍の真理であるかの如く考えて違う現実にむげに当てはめようとするという悪い傾向がないとはいえないわけですが、法理の生み出された現場に帰ってそのごじゃごじゃしたものを見ることで、そういう「法解釈学教科書嫁症候群」からいささかでも身を引きはがすことができるのではないか、と、まあこれは私の独り言ですが、こういう研究が法律学者ではなく労働経済学者である神林龍氏によってなされたということ自体が、法律学者に対する反省を促しているようにも思えますね。まあ、それはともかく、話を戻しましょう)

山田氏がもう一つの「日本をダメにした」労働判決とするのが、東亜ペイントです。高齢の母と保育士の妻と2歳の子供を抱えて、大阪から広島への転勤を拒否して懲戒解雇された事案です。これはやはり、育児休業の山田補佐としては批判しないわけにはいかないでしょう。これともう一つ、時間外労働を拒否して解雇された日立製作所武蔵工場事件を付け加えると、天下無敵のワークライフノンバランス判決ということになります(もっとも、後者は実はとても複雑な事情がありますが)。

ただ、第1章と第2章は二つのロジックでつながっています。そこのところまで書かれているとよかったのではないかと思います。

一つは、そういうワークライフバランスを無視するような判決は、企業経営が傾いてきても雇用は維持せよというインペラティブに対応するものであり、整理解雇法理と表裏一体の関係にあるということです。第1章は、外部労働市場を経由した非正規労働者への影響を中心に書かれていますが、解雇するなら残業を減らせ、配転しろ、パートを先に首切れという形でのより直接的な影響もあるわけです。

もう一つは、にもかかわらず、解雇権濫用法理、あるいは何らかの解雇からの保護は必要であると云うこと。もしアメリカのようなエンプロイメント・アット・ウィルであれば、転勤拒否した莫迦野郎をクビにしようが、残業拒否したド阿呆をクビにしようが、なんの問題もないわけですから、そもそも第2章の議論自体が成り立たない。最低限の解雇規制がなければ、他のすべての労働者の権利は空中楼閣となります。

まあ、そこのところは判っているからこそ、第1章は東洋酸素事件なのです。どこぞのケーザイ学者のように、一切の解雇規制を無くせば労働者はハッピーになるなどと云ってるわけではありません。読者諸氏も、「経産省が解雇規制を攻撃してきた」などと莫迦を露呈するような勇み足的批判をしないこと。

あと、いささか労働法とかかわりがあるのは第5章で、民法の損害賠償であれば本人責任と使用者責任が両立するのに、国家賠償法の場合は公務員本人は責任を負わないという「公務員バリア」の問題です。これは、話を広げると、そもそも公務員は公法上の任用関係で私法上の雇傭関係ではないなどというカビの生えた古めかしい二分論が未だに生き残っていることの弊害の一端ですね。

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労働経済白書骨子案

連休中の5月4日(みどりの日ですよ、これが日曜日だったから5月6日が振り替え休日になった。ったく、休日だけ増やせばいいという発想にも困ったものですが)に、日経新聞に労働経済白書のベタ記事が出ました。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/index.cfm?i=2008050306410b4

>長期的視点で人材育成必要、労働経済白書骨子案

 厚生労働省の2008年版「労働経済の分析」(労働経済白書)の骨子案が明らかになった。仕事に関する満足度が長期的に低下していると指摘。理由として正社員が減りパートや派遣などの非正規社員が増えていることを挙げた。対策として長期的な視点に立った社員の採用、配置や育成が必要だとしている。

 骨子案では企業が非正規社員を増やしてきたのは労務コストの削減が主目的で、労働者が柔軟な働き方を望んだことに応えたわけではないと分析。人材を安易に外部に求めることで新卒者の計画的採用と育成を怠った面もあると指摘している。

いよいよ、石水節全開でしょうか。白書本体を読むのが待ち遠しいですね。

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月給制と時給制

『賃金事情』5月5日号掲載の巻頭エッセイです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gekkyujikyu.html

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御山通商ほか1社事件

東大の労働判例研究会で標記判決を評釈しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/miyamatsushocase.html

償却制度、親方制度という興味深い制度を適用されるトラック運転手の事案です。似た事件に山昌事件というのがあり、それとの比較評釈という感じになっています。

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ビジネス系フェミニズムの悪弊

日経ビジネスオンラインから、

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080428/154437/

いや、そりゃ、

>仕事か家庭か--。二者択一を迫られる女性は今も少なくない

>今の日本では、育児を機に正社員の立場を手放すと、再就職で同等の仕事を得るのは困難だ。もし、こうした女性たちが再びチャンスを得られれば、将来の労働力不足も解消でき、社会全体にとってもプラスになる。

というのは全くその通りなんですが、だからといって、すぐに

>やりがいのある仕事も幸せな家庭生活も諦めたくない。そう考える女性たちのお手本としてパネリストを務めたのが、早稲田大学大学院教授の川本裕子さん。銀行員、マッキンゼーの主任研究員、政府の各種委員を経て、現在は大学院で教鞭を執る。2人の息子の母親でもある川本さんは、夫の海外留学や転勤を経験しながら仕事を続けてきた。

と、こういうスーパーエリート女性を持ち出して、これこそお手本とかいう悪い癖が未だに抜けないんですね、ビジネス系フェミニズムには。

>川本さんは東京大学を卒業後、東京銀行(当時)に就職、入行2年目に結婚した。4年目には夫の英国留学に伴い退職し、英・オックスフォード大学で経済学修士号を取得。帰国後に2人の男の子を出産した。その後、再び夫の転勤があり、家族でパリに移り住む。この時は勤務先のマッキンゼーと交渉して、川本さん自身もパリへの転勤を認めてもらった。

>現在は大学で教鞭を取るほかに数社の社外取締役を務め、普通の男性以上に成功したキャリアを持つ川本さん。「今のような自分があるとは思っていなかった。意思あるところに道は開ける。どんな仕事でも手を抜かず、育児休暇中も無理のない範囲で社会の動きについていくように心がけた」という。

ふうーーん、それで?と、圧倒的多数の女性労働者諸氏は呟くでしょう。それがいまこの職場でへとへとになっている私に何の関係があるわけ?

>その語り口からは「仕事か家庭か」と悩む様子はうかがえない。仕事も好きだし家庭も大事。両方を求めるのは当たり前という自然な雰囲気が伝わってくる。

そりゃ、悩まなくてもいいご身分の方はいいですねえ、と。

>メディアは育児に関する後ろ向きな話題を“社会問題”として追及するだけでなく、前向きに両立している人たちを紹介することに注力した方がいいように思う。

一般論としてはそういう面はあります。現実に普通の女性労働者が何とかかんとか両立していくことがそれほど変わったことではない、むしろ普通のことだという風潮は広がって来つつあるとは思います。ただね、もういい加減、こういう超エリート女性を手本に祭り上げる、女版かつてのプレジデントみたいなビジフェミ症候群からはそろそろ脱却された方がいいように思います。

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欧州委はソーシャルに

昨日付のEUobserverによると、バローゾ委員長は一昨日の火曜日に閣僚を集めて、「これからは連帯とアクセスと機会とソーシャルアジェンダで行くぞ!」とねじを巻いたそうな。そして昨日の水曜日、夏前にはソーシャルパッケージを打ち出すと発表したそうな。

http://euobserver.com/851/26071

その背景には、社会政策立法が遅れていることに加え、最近の欧州裁判所の判決が労働者の権利を崩していると感じられていることがある、と。そこで、あんまり内容的には関係ないんだけど、いくつものソーシャルな立法案をまとめて打ち出すことにしたということのようです。その中に、最近経営側が交渉をしたいと言いだしたものの、労働側が今更できるかと断った欧州労使協議会指令の見直しがあります。

現在欧州議会では中道右派が多数ですが、社民系が多数になるとバローゾさんは二期目の目がなくなるので、慌ててソーシャルに走っていると、冷ややかな記事ですが、多分欧州労連はこの辺りの政治状況を読んでいて、ほっといても欧州委の方が指令の改正をやりたがってくると見ていたのでしょうね。

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松尾匡さんの右翼左翼論

松尾匡さんの新しいホームページに、用語解説として「右翼と左翼」が加わっていたことに気付きました。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

社会科学分析の枠組みとしては極めてすっきりしていることはよく理解できますし、

http://critic3.exblog.jp/8501792/

のような「ちょいとでも中国を批判したら右翼だ」みたいなのを見ると、そういいたくなるのも判りますが、しかしやっぱりそれは無理でしょう(ちなみに、チベット問題で中華人民共和国側の意見を聴くべきだというのはまことにその通りであって、それはいわゆる「歴史問題」で大日本帝国側の言い分を聞くべきだというのと全く同程度に正当ですが)。

松尾さんの枠組みでは、右翼vs反右翼の軸と左翼vs反左翼の軸はお互いに独立であり、この二つの軸で世の中が4つの象限に分けられます。

右翼かつ左翼

右翼かつ反左翼

反右翼かつ左翼

反右翼かつ反左翼

これは、最初の軸の定義にのみ立脚して考えればまことに一貫していますし、その枠組みの中では無矛盾的に議論を展開することができるのは確かですが、いかんせん、「右」と「左」という日常言語においてもっとも典型的なアンチニムであるプリフィックスを相互に独立な二つの軸に振り分けるというところが致命的でありまして、まあ日常言語をテクニカルタームに転用するという社会科学に宿命的な問題の一環ではあるのですが、人間の頭がついていかないという最大の弱点があるわけです。

右の反対は左じゃない、左の反対は右じゃない、というのは、日常言語から切り離された抽象的思考をするのに慣れた方々にとっては何とか可能かも知れませんが、世俗に生きる市井の人間たちにとっては日々の思考回路にかなりの苦痛を伴う無理を効かせることになり、それを徹底させることはどうやってみたって無理でしょう。

どうしてもというのであれば、世界は3次元からできているわけですから、「前翼」と「後翼」とか、「上翼」と「下翼」とかという用語をひねり出すという手もありますが、これはこれで問題がありそうだし、人が使わなければどうしようもないわけで。

いや、松尾さんの解説は実に極めて明晰なんですよ。ただ、それは世間で「右翼」「左翼」という用語が用いられるときにそれを解読する測定器として有用であるということであって、人にこういう風に使えというのはそれはなかなか無理でしょうということで。

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