連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その1
標記シンポジウムの記録集が、連合総研のHPにアップされました。
http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/sympo/20anniversary/sympo_menu.htm
本ブログの読者の中からも多くの方々においでいただいたものです。
パネルディスカッションの記録から、私の発言部分を以下に引用しておきます。全体の流れはリンク先のファイルでご覧ください。
>問題提起 構造改革と日本的雇用システム
濱口/広井先生がたいへん雄大な視点からお話をされたので、私の話は、若干世俗的な観点からのものになるかと思いますが、むしろその方がここにお集まりのみなさまにとっては、スッと入るところがあるかもしれません。
■ 日本における構造改革論議を振り返ると
昨年から今年にかけての流行語と言えば、言うまでもなく「格差社会」が上位にあげられます。毎日新聞の連載やNHKのワーキングプア特集など、マスコミでも大きく扱われ、政府の白書でも取り上げられました。いまや与野党こぞって「格差問題」がたいへんな課題になっているわけです。
構造改革を支持し続けてきたのはしかし、一昨年の2005年は、国民が構造改革に熱狂した年であったということは、まだ記憶に新しいところです。その少し前にさかのぼると、連合が組織的に支持していた民主党が、「もっと構造改革をやれ、与党は守旧派だから改革はできない、われわれこそ構造改革をやるんだ」と言っていたわけです。
これはけっして21世紀になってからのことではありません。この構造改革路線という旗が振られるようになったのはいつからかというと、実は、90年代、非自民の細川連立政権の下ででした。
例えば1993年の平岩レポートは細川内閣の時に発表されました。そこでは、経済的規制は原則自由、社会的規制も次第に見直すという考え方が提起されています。
次に、村山内閣の時の、1995年経済社会計画では、自己責任のもと、自由な個人や企業の創造力が十分発揮できるように、市場メカニズムを十分働かせ、規制緩和を進めると言っています。その延長線上に、この間の小泉改革があるわけです。こういう言い方はたいへん皮肉なのですが、連合はこの10年あまり、新自由主義的な構造改革を支持し続けてきたと言えないこともありません。
別にそれがけしからんと申し上げたいわけではありません。それにはそれなりの理由があったのだろうと思います。先ほど宮本さんが言われたように、それまでの日本的なシステムにいろいろな矛盾が出ていたのは確かです。しかし、それに対して何をなすべきか、という対案を提示すべきところで、それなりに連帯の精神がある、それなりに保障のあるシステムを全部ぶち壊せという方向に突っ走ってしまったのです。これは、実は、ここにお集まりの方々が、自分たちがやってきたことでもあると考える必要があります。
■ ヨーロッパにおける「第三の道」
私はちょうどそのころ、1995年から98年まで、ヨーロッパに赴任していました。日本で構造改革路線が主流化していく時期に日本を離れて、3年間ヨーロッパにいたわけです。そのためもあるのかもしれませんが、日本の動きが非常に不思議に思われました。
ヨーロッパでも、80 年代から古い福祉国家を変えなければいけないと言われており、90年代は、その福祉国家を担っていた社会民主党や労働組合といった勢力が、改革の実践に乗り出した時期です。しかし、彼らが何をやったかというと、いままでやってきたのは全部間違っていたから、全部ぶち壊せということではありませんでした。それをやったのはサッチャーでしたから、同じことをやってもしようがないのは当然ですが、ヨーロッパの改革派の主張は、「自分たちがつくってきた福祉国家の根っこにある連帯は大事だ。だからこれは維持する。けれども、そのやり方は間違っていた。だからやり方を変えなければいけない」というものでした。当時の私は、このような主張を展開している人たちとしばしば会って、話を聞いていたこともあって、さて、日本はいったい何をやっているのだろうと、大変違和感を感じておりました。
「労働は商品ではない」の意味
では、いったいどこが問題の中心なのか。これはみなさまにとっては非常に親しみ深い言葉だと思いますが、ILOのフィラデルフィア宣言に「労働は商品ではない」という言葉があります。これは労働にかかわる者にとっては、憲法よりももっと大事な言葉なのですが、しかし「労働は商品ではない」とはいったいどういう意味なのか。よく考えていくと、2つの意味があり得ます。
1つは、労働は商品ではないのだから、資本の論理で弄ばれるものになってはいけない、ということです。
だから、労働者保護法制や完全雇用政策によって、ちゃんと扱われるようにしなければいけない。商品としてではなく、人間として扱われるようにしなければいけない。これが1つの考え方ですね。
もう1つの考え方は、商品ではないのだから売らなくてもいいようにしよう、ということです。つまり、労働力商品を売らなくても、お金が天から、というか、国から降ってくるようにすれば、商品にならなくて済むわけです。
以上の二つの考え方は、全く矛盾するわけではありません。後者がないと、前者の保障もきちんと担保できないわけです。例えば失業保険がきちんとしていないと、嫌な会社でもなかなか辞められないという形でこの両者はつながっています。しかし、後者が強調され過ぎると、働かなくてもいいではないかという話になります。
私も3年間ベルギーのブリュッセルにいたのですが、昼間から十分働ける若い人がぶらぶらしているのを見て、これは何だ、と思ったこともありました。実は、ヨーロッパで新自由主義的な考え方が非常に強くなっていった1つの原因は、まさにこういう第2の意味での労働力の脱商品化というものが社会をおかしくしているのではないか、「働けるのに怠けているヤツに、何でオレたちの税金が使われるんだ。けしからんじゃないか」という感情が高まったことです。みんな「そうだ、そうだ」と思うわけですね。こうした批判感情に対して、初めのころは、「いや、それでも福祉国家は大事なのだ」と言っていたのですが、そのうちに、やはり現状維持ではいけない、ここは何とか改革しなければいけないという考え方が強くなってきました。これが、90年代のヨーロッパでの社会民主主義勢力の政策転換を促した基本的な考え方です。ブレアの言う「ウェルフェア・トゥ・ワーク」とか、あるいはドイツのシュレーダー政権の政策も、基本的にはこういう考え方に立っていたわけです。
「日本的ワークフェア」 事実上の「第三の道」か?
仕事を通じて社会に参加していくここで、先ほど宮本さんが言われたように、ヨーロッパで「第三の道」なんだから、日本でも「第三の道」という流れにいくかというと、そう簡単にはいかない。ここでちょっと奇妙なねじれがあります。つまり、ある意味では、日本は昔から「第三の道」だったのですね。「第三の道」とは、簡単にいえば、「福祉で食うのではなくて、仕事を通じて社会に参加していくこと、それが大事なのだ。しかし、そのためにいろいろな公的な支援をしていくのだ」という主張なのですが、日本はまさにそういうことをやってきたわけです。
最近でこそ、生活保護などに関していろいろ問題が出ていますが、しかし、「働けるのに福祉で食うというのはよくない、みんな何らかの形で仕事に参加して、それで社会の中に居場所を与えられて、その中でみんなが生活を保障されていくことをめざす」という意味で、日本はある意味で「第三の道」だったのです。
ただし、それには大きなふたつの前提がありました。
1つは、その対象となっているのは世帯主たる成人男性であり、彼らには手厚い雇用保障を与えるかわりに、非常に広範な労務指揮権のもとで、時間外労働や配置転換に関しては言うことを聞いてもらう。
第2に、世帯主男性の奥さんはパートタイマー、そしてまだ学生の子どもたちはアルバイトという形で、縁辺的な労働力として使っていく。
いわば「日本的ワークフェア」ともいうべきこのシステムも、世帯の核所得者と縁辺労働力の組み合わせという限りでは、あまり矛盾はなかったのです。パートの人は、「自分はパートとして差別されている」と思うかというと、多くは「私は正社員の妻である」と思っていますから、けっして疎外されてはいないわけです。アルバイトの学生だって、雑役をしているわけですが、それはあくまで就職するまでのエピソードであって、正社員として就職すれば、そこから全然別のルートに入る。その限りでは、それなりにハッピーなサイクルが回っていた。ところが90年代になって、それがだんだん崩れてくるのです。
■ 日本的システム見直しとセーフティネットの不在
この間のプロセスについては、あまり細かいことは申し上げませんが、そこからこぼれ落ちる人がどんどん出てきた。その中でどういう意見が出てきたかというと、これは1999年、小渕内閣のときの「経済戦略会議」で、当時学者であった竹中平藏さんが書かれた主張がその典型です。要するに、「日本は護送船団方式で雇用を保障しているからダメなのだ。生産性の低い人に対してはもっときびしく、ビシビシやる。しかし、そこからこぼれ落ちた人に対してはちゃんとセーフティネットでもって保護していくのだ」と。
それだけ聞いていると、昔のヨーロッパの福祉国家をめざすのかなというようなことを言っていたのですが、ではそうなったかというと、そうはならなかったのですね。こぼれ落ちた人に対するセーフティネットが手厚くなったというわけでもなかった。では、そこを手厚くすべきだったと言えるかというと、なかなかむずかしいところがある。つまり、日本社会そのものが、非常に強く「働かざる者、食うべからず」という哲学を持っていたために、働けるのに働いてないのはけしからんではないか、という考えが強くて、そういうセーフティネットを強く張りめぐらすという方向にいかなかったということなのだろうと思います。
■ 日本版ディーセントワークと福祉の再構築
では、今後どういう方向に向かうべきか、ということなのですが、やはりそういう日本的な福祉社会のあり方のいいところはきちんと残していかなければならない、むしろ確保していかなければならないと思っています。それは仕事を通じてスキルを上げていく、いい仕事を生涯にわたって確保していくようなシステムです。これはヨーロッパでも、そしてある意味ではアメリカの優良な企業でも、けっして否定されているものではありません。
スキルが上がらない非正規労働いま、この90年代以降の格差社会の中で、いろいろな問題点が指摘されているのですが、最大の問題は、正社員という形で仕事に就けば、その仕事をしていく中で技能も賃金もそれなりに上がっていくけれども、そこから排除されたフリーターの人たちは、そもそもスキルが上がるような仕事をさせてもらえない、いつまでやっていても永遠に同じままである、という点にあると思います。
ILOに「ディーセントワーク」という言葉があります。ILOでのコンテキストと日本はちょっと違うのですが、いまの日本でもこのディーセントワークという考え方が重要です。「いい仕事、まっとうな仕事」、つまりディーセントワークというものを考えたときに、やはり、まず第一義的に、「仕事を通じてスキルを上げ、そして処遇もそれなりに上がっていくような仕事」をできるだけ多くの人々に確保していくことが重視されなければいけないと思います。
日本的システム見直しの視点
ではどこを変えるべきか、という話をしなければいけません。
90年代に、当時「革新」といわれた人たちの方がむしろ積極的に「日本的システムはけしからん」という考え方に走った1つの原因は、「会社の中に労働者が囲い込まれて、無制限の時間外労働を余儀なくされる。あるいは、会社の都合でどんな遠距離の配転でも受け入れなければいけない」という状況への批判があったと思います。労働者の個人としての生活と仕事とのバランスを回復し、人間らしい生活を取り戻したいという気持ちがその背景にあったのだろうと思います。ワーク・ライフ・バランスという言葉が最近はやっていますが、それを先取りしていた面がある。そして、その後の10年間、日本的システム破壊の方向に突っ走ってきたマイナスの側面がいくら多いからといって、その原点にあった日本的システム批判の考え方まで否定していいものではないはずです。
つまり、かつての80年代までの「いい仕事」とは、「時間は無制限、どこに配転されるかわからない。会社の言うがままになるけれども、しかし一生は保障されている」というものでした。そのような意味での「いい仕事」は変わっていかなければいけません。まず何よりも、女性の労働市場参加率の急速な高まりを考えると、世帯の核所得者の無制限労働と縁辺労働力の組み合わせというようなやり方が、家族を維持するという意味でも持続可能とはとてもいえません。
80年代までの日本的な雇用システムは、男性正社員の雇用を守るために、パートとかアルバイトの人々については、ちょっと景気が悪くなったら先に辞めていただく、という形の格差をその中に含んでいたわけですが、この点についても一定の見直しが必要になってこざるを得ないだろうと思います。
これは、おそらくここにいらっしゃるみなさまにとって、いささか耳に逆らうところがあるかもしれませんが、解雇規制の問題について、解雇規制はすべて守るべしとは必ずしも言えないということだろうと思います。
もちろん、アメリカのように解雇が全く自由な社会になってしまうと、使用者に何を言われても、クビが恐くて「はい、わかりました」と言わざるを得ないので、そんなことがあっていいわけではありません。
しかし、70年代に確立したいわゆる整理解雇法理が規定する整理解雇4要件というものを厳格に守ろうとすると、いささか無理が出てきます。
その無理が、労働時間とか配転とか、あるいは非正規労働といったところに出てこざるを得ないので、そこをどのように変えていくかということが、まさにいま問われているのだと思います。
同時に、ここから先は実は2巡目の話題にも関係するのですが、仕事(ワーク)と生活(ライフ)をバランスさせたような「いい仕事」とは、一時点だけで考えるのではなくて、むしろ、生涯を通じたレベルで考えていく必要があります。まさに、ライフには生涯という意味もあるわけです。
一時的に労働からの撤退も先ほど、「労働は商品ではない」ということの2番目の意味、「働かなくても、労働力を売らなくても生活できる」ということを強調し過ぎたために、ヨーロッパの福祉国家は批判を受けるようになったと指摘しました。そのような行き過ぎも問題でしょうが、しかし、人間が生きていく上では、けっして仕事だけがすべてではないわけです。これは本当に女性の方々にとっては切実な問題だと思いますが、子どもを育てなければいけない、あるいは親の介護も双肩にかかってくる、さらにその上に、仕事をしながら自分自身を啓発し、能力を高めていかなければいけないということを考えると、実はそういうことのためにも-これをこういう形で言うのがいいのかどうか、いろんな議論があるところだと思いますが-、一時的にその労働から撤退して、仕事という形でない社会への参加なり、仕事のための準備活動に時間を費やせるような仕組みをつくっていくことを考えていく必要がある。実は、こうした方向こそが、この「労働は商品ではない」ということを体現した福祉社会の1つのあり方になっていくのではないかと思います。
以上、第1巡目では、やや世俗的ではありますけれども、大きな観点からの話をいたしました。2巡目ではもう少し具体的な制度論についてお話したいと思います。
ありがとうございました。
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> 「働けるのに怠けているヤツに、何でオレたちの税金が使われるんだ。けしからんじゃないか」という感情が高まった
むしろ日本では「大して差がないのに、何であいつは正社員なんだ?」。(答え)それは隠れた資産の相続です
> 一時的にその労働から撤退して、仕事という形でない社会への参加なり、仕事のための準備活動に時間を費やせるような仕組み
裁判員制とか?キーワードは【社会への参加】です
投稿: なるほど | 2008年5月16日 (金) 20時49分
「ディーセント・ワーク」について、「いい仕事、まっとうな仕事」というと、そんなにいい仕事が全員に行き渡るのは無理なような感じがしますが、かつて、ILO駐日事務所におられた堀内光子さんが、「ディーセント、とは、"いい"というよりも、"まともな"、くらいの感じで、たとえば、ディーセントなランチと言えば、正式なコースのようなものではないけれど、そこそこ悪くないランチ、というような」と表現しておられたことがあります。一人でも、何とか自分の暮らしを維持できて、二人だったら安心して世帯を形成できる、そんな仕事ですかね。
投稿: ぶらり庵 | 2008年5月17日 (土) 07時18分