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2008年5月16日 (金)

連合総研設立20周年記念シンポジウム記録集その3

まとめ     いま、日本の労働組合運動に期待するもの

濱口/私は徹底して世俗的にお話をしたいと思います。宮本さんからは、職場を超えたコミュニティというテーマをいただいたのですが、むしろ逆に、職場のコミュニティを再建すべきではないかというお話をしたいと思います。

なぜ世俗に徹するかというと、本日のような会合で、あまりにも高邁で美しい話を聞くと、これは徳の高い高僧のお説教を聞いているのと同じで、たいへん素晴らしい話を伺いました、ありがとうございました、では現実に返りましょうということになってしまうのですね。ですから、私はもっと現実的な、生々しい話をしたいと思います。

パートだから先にクビでいいのかこれはフロアからいただいた質問ともかかわります。私が先ほど正社員の解雇規制の問題を取り上げたことについて、それは労働ビッグバン論者の言っていることと同じではないかという質問がおそらく出るだろうと思いましたが、案の定ご質問をいただきました。結論的には、私の主張は労働ビッグバン論者とかなり近いところにあります。

ただし、ここで考えていただきたいのは、職場のコミュニティ、職場の連帯というときに、それはどの範囲の労働者までを想定しているのか、ということなのです。解雇規制を議論するときにも、同じ職場にいるパートさんのクビのことまで考えてその議論をしているのでしょうか、ということです。この点を捨象して、どこか遠くにあるコミュニティの話-本当はコミュニティというのは遠くにあるはずはないのですが-にしてしまってはいけない。

いま必要なのは、むしろある意味で空洞化しつつある職場のコミュニティ感覚、連帯感覚をもう一度復活させること、そこにいる一人ひとりを組み込むような形での連帯をつくり出していくことだと思います。この問題には様々な側面があると思います。例えば、報酬をどのように分け合っていくかということもあるでしょうし、場合によっては、会社経営が厳しくなったときに、だれがその不利益を受けるのかということも問われるでしょう。「あなたはパートなんだから当然先にクビになっていい」ということで、本当によいのだろうか、ということです。このように、一人ひとりの利害状況を考えた上で、誰も排除することなく、「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」という原理に基づく問題解決をめざしていくという感覚、すなわち包括的・普遍的な連帯感覚の再構築が必要ではないかと思うのです。

連合が代表しているのは誰?

次に、これは連合への提言につながってくるのですが、マクロの政策決定の場における労働組合の発言力をどうやって高めていくかを考えなければならない。いま日本のマクロ経済運営に関する政策決定の場には、労働代表はいません。経済財政諮問会議に、経営代表は2人いますし、学者は2人入っていますが、労働代表はいません。厚生労働省の労働関係の審議会は公労使三者構成で労働代表が入っていますが、今年5月の規制改革会議の報告は、「現在の三者構成システムは、とりわけ労働代表の選び方においてフェアではない」という指摘を行っています。そういうあなたはフェアなのか、という問いは一応括弧に入れておきましょう。考えなければいけないのは、「あなた方が代表しているのはいったいどういう方々ですか」という問いかけだろうと思います。

実はこの問題は、職場の連帯、職場のコミュニティのあり方と、おそらく深くつながってくるだろうと思います。やはり、職場のコミュニティをもう一度再建すること、遠く離れたコミュニティというよりは、まさに職場に根ざしたコミュニティを再建するところから、マクロの政策決定の場における労働組合の発言を強めていく第一歩がはじまるのではないかと思っています。

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コメント

「職場のコミュニティの再建」という結論まで出されたところで、突っ込むのは少々気が引けますが、制度論ではなく、実感でいいますと、日本の職場の場合、まともなコミュニティができるできないは、個々の労働者や労働組合よりも、組織の上層部によるところが極めて大きいように思えます。
企業では社長、学校では校長、で、組織の中でも、部なら部長、課なら課長が良いところはうまくゆき、だめなところは、良心的な・あるいは健全な職場コミュニティ志向の、と言ってもいいですが、労働者が数人いても、どうにもならない。「ベンチがアホ」だと野球はできない、というのが実情だという感じがします。
つまり、組織のトップに立つものが、まともなトップとして育成され、かつ、まともな昇進をしてゆく状況を作らなければ、労働者がまともなコミュニティをめざすだけではどうにもならない、というのが、ぶらり庵の実感なんですが。

エリート主義かもしれないけれど、フランスのグランゼコール出身者が、上に立つときにはそれなりの責任感を感じるように教育されているのだときくことがありますが(伝聞に過ぎませんが)、日本の場合、そういう教育ってないですよね。せいぜい、入学式やら卒業式の学長・総長のお話に、そんなことが一言二言盛り込まれるくらいで。

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