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2008年4月23日 (水)

荻野進介氏の城繁幸著書評

日経ビジネスオンラインで、リクルートワークスの荻野進介氏が、城繁幸氏の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』を書評しています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080422/153926/

荻野氏は、「Works」誌での私のインタビュー記事を書かれた方なので、興味深く読みました。はじめの方は、定例通り、内容の紹介なのですが、最後の一節がいささか辛口です。

>こうしたルポの合間で、著者は、昭和的価値観の源泉、日本企業に色濃く残る年功序列制度を激しく批判する。仕事内容によって賃金が決まり、実力によって昇進が決まるべきなのに、年齢や勤続年数が基準になるから、若者が雑巾がけをさせられる期間が長くなる。キャリア意識に目覚めた優秀な若者ほど見切りをつけてしまう、というわけである。

 年功序列を止めるために、職務給の導入を著者は主張するのだが、あまり現実的とは思えない。職務給とは仕事の中身によって決まる賃金である。例えばファーストフードやコンビニの店員といった非正規社員がそうだ。接客という仕事に時給単位で値段がついている。マニュアルがあるような、こういう定型的な仕事には職務給がうまく機能する。

 ところがこれを一般のホワイトカラーにあてはめて考えると、ことはそう簡単に行かない。部長や課長といっても、こなしている仕事は千差万別である。仕事の中身を細かく見て行き、それに応じた値段をつけるには膨大な作業が必要だ。異動の多い企業では、頻繁に改定しなければならず、そのための手間も計り知れない。

 また歴史的に見ても、1950年代に、当時の先進的な大手企業数社が競って職務給の導入を試みたが、どれも失敗している。著者は「官僚にこそ導入すべき」と説くが、実は戦争直後、アメリカの影響下で、実質上の職務給に近い職階制度を入れている。が、運用は形骸化。まず仕事ありきで、そこに人がつく欧米と違って、人がいて、その人次第で、仕事の中身が柔軟に変わるのが日本なのだ。

 働く人といえば男性の正社員を指し、新卒で入った会社に定年まで勤め上げることが正しい生き方だ、という価値観を捨て去り、雇用形態や性別・年齢を問わず、多様な働き方の実現を、という著者の主張には賛成する。しかし、それを目指すための職務給化は劇薬過ぎるのではないだろうか。

このあたりは、私が力説したこととほぼ同じです。

> 著者がいうほど昭和的価値観と平成的価値観は截然と分けられるものでもなく、いいところ、まだら模様。その結果、本書で取り上げられたようなアウトサイダーたちは、いつまでもアウトサイダーのままかもしれない。そんな気もしている。

ちなみに、「Works」誌の私のインタビュー記事はこれです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/recruitworksjingi.html

http://www.works-i.com/flow/works/contents87.html

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コメント

メンバーシップということで言えば、キャリア公務員なんてその典型のような気がしますね。「OO省」に奉職し、数年単位で、当該省庁所管分野、というだけの共通性しかない、全然別の職場に異動して行くわけですから。
民間企業総合職もそれと似た感じの、オールラウンドな経験を要求する企業が多いのでは。工場の現場や営業の前線を経験させたうえで、企画だの人事だのも通り、その後、得意分野だか人脈分野だかで昇進してゆく、といった。
キャリアや総合職ではなくても、長期雇用型のメンバーであれば、日本の組織では異動はつきもので、むしろ、いろんなところで「うまくやる」人が昇進するわけですね。
これに関連して、日本での「職業レリバンス」を考えるのですが、こういう、「どんどん異動」型でどこに行っても、そこの仕事を見抜いてこなす人は、特定の実用的知識に縛られていない人の方が有用なように思います。
ぶっちゃけた話、ぶらり庵が、「使えない」と思えるタイプの人間とは、例えば、高卒の優等生でそのまま就職してきた人間とか、東大法学部出だけれど、仕事についてのモチベーションは特になくて就職してきた人間とかです。この両方には共通点があるように思います。
大学生の時期、この時期は、日本社会で生活する中で、唯一「受ける授業」「属するクラブ」「友人」などを含めて、暮らし方を自分で選び、自分で考えてやりくりせねばならない時期です。高校から職業に直行の人は、既成組織の中で、与えられた課題を言われたままにこなす、という以外の暮らし方を経験しないことになりますし、モチベーションなしに東大法学部
(経済でも医学部でもいいんですが)、という人は、自分の選択でなく、偏差値や就職の有利さで進路を選び、で、進路もまた、モチベーションではなく、ステイタスや報酬で選ぶ、となれば、そういう人たちは、結局、「自分で考える、選択する、決断する」という訓練を経てきてないんですよ。ですので、大学を出てれば、その分、事務処理能力は高いんですが、いずれにせよ、こういう人たちは、様々な職場で、進化する社会の中での業務の展開に対応できない、「使えない」メンバーになる可能性が高いです、というか、経験的に、こういう人たちって「使えない」んですよね。
日本の社会にそういう余裕はないですけれど、高校で就職という人には、せめて、ギャップイヤーがあればそれでもいくらか違うのでは、と思いますし、大学でやる勉強は、偏差値や実利「レリバンス」ではなくて、自分のやりたいことで選んでほしいものだ、とけっこうしみじみ考えるぶらり庵です。

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