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2008年4月 7日 (月)

日本のオトナの嘘

医師に労働基準法はそぐわない、と言ってくれました久坂部羊氏、制限速度オーバーでねずみ取りに捕まって腹を立てた勢いで、日本の大人の嘘を片っ端から糾弾していきます。例によって産経のオラム「断」。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080406/acd0804060227001-n1.htm

>先日、制限速度14キロオーバーで、ねずみ取りに捕まった。在宅医療で患者宅へ向かう途中だったので、白衣姿で降りていくと、警官が困惑気味に「10キロオーバーまでなら、OKなんですが」と言った。それならはじめから制限速度を10キロ上にしておいてよ。

 しかし、日本ではこういう現実と法律(建前)のずれが多い。

 まずは売春。売春防止法があるのに、ソープランドなどの風俗店では、実質的な売春が行われている。わたしがかつて外務省の医務官として勤務したウィーンでは、売春は地区と時間を指定して、合法的に行われていた。その代わり、保健省は娼婦(しょうふ)を登録制にし、定期的な健康診断と、性病の検査を義務づけている。日本よりよほど健全な気がした。

 二番手は人工妊娠中絶。母体保護法(以前の優生保護法)で認められる場合以外の中絶は、非合法である。しかし、この法律は極端に幅広く“運用”され、現在、年間33万件以上の人工妊娠中絶が行われている。

 日本の“オトナの嘘”の最たるものは、何といっても自衛隊だろう。憲法第九条には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記してある。戦車やイージス艦や戦闘機を配備していて、陸海空軍を保持しないってどうよ、と思わず若者言葉で突っ込みたくなる。

 戦争放棄は世界に誇れる条文なのに、こんな嘘がまかり通っていては、その信憑(しんぴょう)性も薄れる。惜しいことである。

いや、それよりもなによりも、夜通し救急医療でてんてこ舞いしているのに、労働基準法の監視断続的労働の規定に基づく宿日直と称してやらしていることほどすさまじい「現実と法律(建前)のずれ」も珍しいんじゃないんでしょうかね。

ようやく朝日新聞も問題の深刻さに気付いて、1面トップにこういうのを持ってきたようですが。

http://www.asahi.com/health/news/TKY200804060137.html

>過酷 救急医療 39時間勤務――ルポ にっぽん

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コメント

この朝日の記事ですね、写真でもわかりますが、記事本文を見ても、医師(42歳、31歳)、研修医(25歳)、その他看護師、で、若い人がとても多いです。42歳の方以外はそれこそ、年齢層としては「世帯形成、子育て」世代。もっと上の年齢層の人はどうなっているのだろうとそれが気になります。
評判の悪い「団塊の世代」、たしかに、引退間近で高給をもらいながら、気分は年金生活、若い者にガンガン仕事を押し付けて、自分では断固やらないぞ、管理職だしな、みたいなどうしようもないのがあまりに多いのにぶらり庵も腹を立てまくっていますが(若いのももっとはっきり怒れよ、と思うことも多いが)、上の久坂部羊さん、こういう「労基法がどうした、わたしは医師だ!」という信念をお持ちで、しかも、世帯形成・子育て期を脱したような方々には救急現場などでぜひ活躍していただきたいものです。少子化対策にもなるはず。
救急現場ばかりでなく、どの現場でも、「我輩はベテランである」という、特に団塊の世代あたりは、長時間労働の壮年・若者と給料比例の時間分くらい働いてほしいと思います。一番長時間働いているのは、壮年・若年の正社員層、と、毎年の労働経済白書に繰り返し出て来ますよね。

「オトナの嘘」というタイトルからの単なる連想、という休日の話題です。
見たかった映画を「ライラの冒険」と「ノー・カントリー」と、続けて見て、両方とも、「嘘」が興味深かった。

「ノー・カントリー」は、荒みきったアメリカ社会、こんなにすごいんだ、みたいな映画なんですが、出てくる人間が次々殺し屋に殺されるのに、人気の主役、トミー・リー・ジョーンズがなぜか殺されずに、最後に「この社会にはついてゆけない」などとおセンチな感想を言うのです。これじゃ、ただの「お約束」映画じゃないか。それを如何にもすごいもののように言う、そこに、アメリカの浅薄な「嘘」を感じました。

「ライラの冒険」は、映画としては良くできていますが、原作の方がずっと良いですね。
原作のあるものは、原作がいいのが当たり前、というわけでは必ずしもなくて、力量のある監督は、原作をみごとに再現、あるいは、原作を自分なりに作りかえて、素晴らしい映画を作ると思います。前者はたとえば「プロヴァンス物語」だし、後者は「死せる人々」(もちろん、ジョイスの)。
「ライラの・・・」は、原作がとても緻密に作られているのを、短時間の映画にするところにそもそも無理があった感じです。で、ところどころがカット。特に、原作でぶらり庵が感心したのが、「嘘」の話でした。ヒロインの少女、ライラは「嘘をつく」のですが、その場面が素晴らしいんです。ヒロインは単身で、獰猛な熊たちの王国を突破せねばならなくなる。そのときに、ヒロインは、嘘による賭けに出るのですが、実はその嘘は単なる嘘ではなく、熊の王に内在する虚偽に付け入る嘘で、嘘をつくことによって、熊の王を、決闘に導きます。熊の王は、自分に虚偽があるために、その嘘を見抜けず、かつ、更にその虚偽があるために、決闘に負けます。その虚偽とは、「自分が本来の自分ではない何ものかになりたがる」ことで、ヒロインの「嘘」は、そのような虚偽を内部に抱えた者に、他者からの嘘によるのではなく、自ら招いた破滅に直面させる結果に導く、という、実に良くできた構成でした。で、これは、映画ではわかりません。
で、原作は、大人対子どもの、世代間闘争の話がずっと続いていて、なかなか考えさせられます。ぶらり庵はいちおう原文で読んでいますが、オックスフォードを出て、義務教育課程の英語の(日本なら「国語」、ですね)教師だったという、1947年生まれ(団塊の世代です)の著者の英語は、全く癖がなくて、簡潔で、イメージが鮮明で、読みやすいです。
イギリスの児童文学は、なかなかのレベルのものがけっこう多いのですが、日本では、子どもの本は、実に軽い扱いで、書評もあきれるほど低水準。「黄金の羅針盤」の書評は、朝日新聞では「ライラも決して善良な"いい子ちゃん"ではなく、意地悪で、嘘つきな時も。」(08.3.16)、産経に至っては、「正しいとされている概念や権力を疑うこと。それがこの物語の核であろうか。だからこそ、主人公のライラは行き当たりばったりの嘘つきな少女であり、真理に近づくこともできるのだろう。」(08.2.11)という、全くわけのわからないものでした、と、やや強引なオチですが。

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