フォト
2025年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 労働法における「使用者」 | トップページ | 水町勇一郎先生インタビュー前編 »

2008年3月 6日 (木)

そういう二項対立ではないのです

日経BIZPLUSで、金融経済学の深尾光洋氏が「日本的雇用慣行と成果主義」というコラムを書かれています。労働問題にあまり詳しくない方が陥りがちな典型的な思考パターンを見せていますので、このブログの読者の皆さんには今更ながらのお話ですが、ちょっとコメントを。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer02.cfm

>最近、ある人から、日本的雇用慣行と欧米型成果主義の違いを整理してほしいと頼まれた。従来型の日本型雇用慣行では対応できない仕事が増えてきているが、成果主義の導入も副作用が大きい。私の限られた経験では見落としも多いと思われるが、議論のたたき台になるのではないかと考え、あえて2つの人事制度のメリットとデメリットを大づかみにまとめてみた。

そういう風に、二項対立させてしまっていけないのです、というのが、まずしなければならなかった答えなのです。しかし、深尾氏はその土俵を何ら疑うことなく、まず日本的雇用慣行についてこう書きます。

>日本的雇用慣行では、長期雇用を前提に採用された総合職については、入社後10-15年程度は報酬、昇進とも表面上はあまり差をつけない。ほぼ全員、同じ時点で社内資格や報酬が上がっていくが、人事管理の面では入社時点から上司や人事部による各人の評価がスタートし、制度的に蓄積されて管理職への昇進が決定される。

 入社後10-15年を過ぎると係長、課長などに昇格する。その時期や仕事の重要さに差が発生するが、同期入社者の給与格差はあまり拡大させない。能力の差は、報酬ではなく仕事の内容で本人に報いる形をとる。実力のある者には、より大きな達成感のある仕事を与える。

 このような制度の下で、給与体系は年功的な要素が強く、年齢別の報酬と実力の関係を見れば、若年層は平均的には実力以下の報酬、年配層は平均的には実力以上の報酬を受け取る。採用は現場部署で決定するのではなく、人事部で全社の新人を採用する。人事異動も現場部署と人事部の交渉で行われる。人事部が人事異動全体を見るので、長期的な人材育成の観点からローテーションを組むことが可能である。現場部署による総合職の採用を認めないのは、現場で採用した人材が不要になっても、社内のどこかで働く場を提供しなければならないからである。

 この日本的雇用慣行のメリットは、第1に、上司や先輩が新人をライバル視する必要がないため、長期的観点から職場内訓練(OJT)など教育指導をするインセンティブを持つことである。第2に、同期入社者が同僚意識を持つことができ、情報共有が容易になる。ライバル意識はあっても、社内ランキングが入社当初は明確にならないためである。

 第3に、当初は昇格に差をつけないことを利用し、人事部や上司が巧みに新入社員全員に対して「皆が幹部候補生だ」と思いこませることができれば、相当長期間にわたって総合職の社員全員に高いモチベーションを持続させることが可能になる。職場には一体感が生まれ、支出が大きい年配層の生活も安定する。

 しかし良いことずくめに見える日本的雇用慣行にもデメリットがある。実力の差が報酬に反映しないため、優秀な人材にとっては待遇面に不満が生ずる。このため、実力主義を採用する外資系などの他企業に優秀な人材が引き抜かれる可能性がある。さらに入社20年を超える層に管理職が務まらない者が現れても、若年層を上回る報酬を支払い続ける必要があり、いわゆる窓際族の発生が避けられない。

細かいところではいろいろと問題はありますが、大まかな描写としては大体こんなところでしょう。一言で言えば、「長期的に差がつく査定付き年功制」です。正社員である限り、ノンエリートのかなり下の方まで、こういう仕組みが適用される点が日本の特徴です。

これに対して、欧米型雇用慣行の基本形は「査定のない職務給」であって、一部のエリート層に適用される成果主義ではありません。というか、欧米型成果主義も、職務給ベースの成果主義であって、日本で成果主義といわれている職務給ベースのないものとは違います。

ところが、深尾氏がその後で縷々書かれるのは、そういう両者の本質的な違いではなく、

>これに対し典型的な欧米型成果主義では、入社同期の間でも大幅な報酬格差が発生しうる。実力が収益に密接に関係する営業や証券ディーリングなどの分野では、入社数年で同期の報酬格差が数倍以上に拡大しうる。年齢が上がってもパフォーマンスが悪ければ報酬は上がらず、場合によってはカットされうる。仕事の面でも実力があれば、若くても管理職に抜てきされうる。

 新人採用は現場部署が決定し、人事部はサポート役しか果たさない。典型的には、採用部署のトップと数名の補佐が面接して採用を決定する。現場部署のトップは部下の報酬を決定したり解雇したりする権限も持ち、解雇も人事部を通さず現場で行われる。一方、現場部署のスタッフは上司の許可を得ず社内で自主的に動けるため、現場部署のトップに人望がなければ部下の離反が発生しうる。上司や人事部はローテーションなどによる長期的な人材育成をあまり考えないので、現場のスタッフは自分でキャリア形成を考える必要がある。

 この成果主義のメリットは、第1に、若年の優秀者を昇格や高い報酬で処遇することができる点である。パフォーマンスの悪い中高齢者を降格や解雇でリストラし、窓際族の維持に伴うコストを下げることもできる。第2に、制度がうまく機能すれば、全社員のチャレンジ精神を強められる。投資ファンドの運用など実力で大きな成果の差が発生する場合は、毎年最もパフォーマンスの悪い者を懲罰的に解雇することで現場に高い緊張感を維持することもできる。

 しかし成果主義にも、当然デメリットがある。職場では周囲の同僚は皆がライバルであり、先輩には新人に仕事を教えるインセンティブが少ない。部署のトップも即戦力の人材を必要とするため、長期的な観点で部下を育てるインセンティブが弱い。また、個々人のパフォーマンスを計測することが困難なサポート部門や調査部門などの職場では、成果主義の実施が困難になる。

 さらに現場トップに強い権限が集中するため、評価者に対するゴマすりや追従が発生しやすくなる。これをチェックするためには、管理職の評価をその上席の者が評価するだけではなく、部下や同僚による、いわゆる360度型の評価が必要になる。現場部署のトップに実力がなければ、部下が全くついて行かないことも起こり得る。「あんな上司に評価されるくらいなら辞めた方がまし」といったことが発生しうるのだ。

この中のいくつかは、職務給システムの特徴であって、成果主義であるか否かとは直接関係ありません。欧米ノンエリートの大部分がそのもとにある査定なき職務給でも、人事権は現場にあり、人事部の力は余り及びません。それはむしろ、日本における非正規労働に近いと言えます。

そして、成果主義ということで言えば、欧米のような職務給ベースの成果主義の方が、そういうベースのない日本で行われる成果主義よりも、より客観的な判断基準でありうるという点がむしろ重要でしょう。もちろん、あらゆる査定は主観的でしかないのですが、職務範囲が明確であれば、その主観性にも限定が加わります。職務範囲が明確でない中での、短期的な上司による査定は、実はよりどころがなくて、主観的な人格判断になってしまいがちです。

もちろん、今までの日本型査定付き年功制でも、査定は基本的に人格判断だったのですが、それが長期的に多くの上司の判断によって行われることで、まあなんというか共同主観性という意味での客観性を持ってきたのだと思うのですが、それをやめてしまうと、ほんとに主観的でしかない判断であり得てしまうところが恐ろしいのです。成果主義を論じるのであれば、本当はそういうレベルに踏み込んで論じないと、問題の本質に届かないと思うのですが。

もちろん、これは深尾氏の責任と言うよりも、深尾氏が通常読まれるようなレベルのこの分野の本が、大変表層的で問題の本質からかけ離れた薄っぺらな売らんかな主義の「てえへんだてえへんだ」的イエロージャーナリズムでしかないという事実の反映なのですが。

« 労働法における「使用者」 | トップページ | 水町勇一郎先生インタビュー前編 »

コメント

> ほんとに主観的

フレキシブルとも言う

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: そういう二項対立ではないのです:

« 労働法における「使用者」 | トップページ | 水町勇一郎先生インタビュー前編 »