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2008年3月 6日 (木)

労働法における「使用者」

『時の法令』3月15日号掲載の「そのみちのコラム」最終回は、「労働法における『使用者』」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shiyousha.html

前回に続き、労働法における契約論的発想の弊害を、今度は派遣の法的構成を例にとって述べています。

なお、この「労働法は契約じゃない!」というまことに反時代的な主張は、先日刊行された『日本労働研究雑誌』の学界展望の座談会の最後のところでもちらりと述べております。ご参考までに、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

>【濱口】いささか挑発的な言い方になるかも知れませんが、労働法における契約論的発想の弊害が露呈されてきた時期であったのではないかと感じています。こういうことを言うと、せっかく労働契約法が成立したのに、何を時代遅れなことを言っているのだと言われかねませんが。
 労働法の世界におけるここ数年来の流行は、契約原理という市民社会のルールに基づいて労働関係を規律すべきという考え方だったように思われます。大変皮肉なのは、労働契約法の制定過程において、労働政策審議会で労働側委員までもがそういう主張を繰り返したことです。しかし、そういった民法の私的自治原則にのみ立脚して労働関係を構成するならば、労働者の利害の共通性に立脚してその労働条件を集団的・斉一的に規律しようとしてきた労働法独自の労使自治原則は否定されてしまいます。民法学からも集団的・制度的契約という考え方が提起されてきている中で、労働法学が改めて再検討すべきは、一方的決定ではなく労使対等決定が確保された制度的契約の在り方という方向にあるように思います。
 本日の議論でも指摘されたように、労働契約法の議論がうまくいかなかった最大の原因は、集団的労使関係法理への目配りが欠如していたことであると考えるならば、これからの労働法学の課題は、憲法上自発的結社と位置づけられている労働組合という装置と、職場のすべての労働者の利益を代表するべき従業員代表という仕組みを、いかに整合的に制度設計していくかにあるのではないでしょうか。労働条件の変更問題だけではなく、非正規雇用や解雇など多くの個別的と思われている労働問題に対しても、集団法的アプローチが改めて検討される必要があるように思います。近年、集団的労使関係は研究者に人気のない分野ですが、取り組めば様々な成果が期待される豊穣な分野ではないでしょうか。

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