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2008年3月

視点・論点-労働者派遣システム再考

本日夜10時50分から11時まで、NHK教育テレビの「視点・論点」という番組で、わたくしが約10分弱、標記テーマについて喋ります。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/

再放送は明日の朝4時20分からです。ご参考までに。

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研修生は労働者!by 鳩山法相

読売によると、鳩山邦夫法相が国会で「外国人研修生に労働関係法令を適用すべき」と答弁したようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080324-OYT1T00497.htm

>鳩山法相は24日の参院予算委員会で、外国人研修・技能実習制度が安価な労働力として外国人を雇用する隠れみのとして使われていると指摘されていることに関し、「『研修は労働でなく、技能実習になって初めて労働』という考え方は改めるべきだ」と述べた。

Click here to find out more!

 外国人研修生に最低賃金法などの労働関係法令を適用すべきとの考えを示したものだ。民主党の相原久美子氏の質問に答えた。

 同制度は日本の技術、技能などを移転することを目的に、海外から研修生を受け入れ、企業で実務研修や技能実習を最長3年間行う。技能実習に移行するまでの研修期間は「労働者」にあたらないとして、労働関連法令が適用されず、研修手当が払われる。このため、企業によっては、外国人研修生を安価な手当で過酷な労働に従事させている実態がある。

この問題については、昨年5月に厚労省、経産省、それに長勢法相の案が出てわりと話題になったことがありましたが、鳩山法相の考え方としては厚労省の実習に統一という方向に近いようですね。

本ブログにおけるこの問題のエントリーを下に掲げておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_6b23.html(研修・技能実習制度研究会中間報告)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_8cc4.html(経済産業省の「外国人研修・技能実習制度に関する研究会」とりまとめ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0efe.html(法相の短期外国人就労解禁案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_f09d.html(法務大臣私案アップ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/imfjc_on_ddf6.html(IMF-JC on 外国人労働)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_f0c3.html(労働市場改革専門調査会が外国人労働問題を論議)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_2655.html(法務省が先に考えていた!?)

また、日本における外国人労働法政策の推移を概観したものとして、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gaikokujin.html(外国人労働者の法政策)がよくまとまっていると思います。

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コリンズ『イギリス雇用法』

79233245 ヒュー・コリンズ著、イギリス労働法研究会訳の『イギリス雇用法』が遂に出版されました。

御謹呈いただいた翻訳者の方々に厚くお礼を申し上げます。

さて、この本、さりげないタイトルにごまかされてはいけません。普通のイギリス労働法の教科書とはだいぶ違います。まず目次がすごい。

>第1部 雇用法の目的と規制手法(「労働は商品ではない」;職場を規制する)

第2部 社会的包摂(雇用機会と差別;労働と生活)

第3部 競争力(協力;パートナーシップ;競争と争議行為;懲戒と解雇;経済的保障)

第4部 シティズンシップ(職場における市民的自由;社会権;賞味期限)

ソーシャル・インクルージョンと企業の競争力向上と市民権が労働法の3つの柱だというのですから、今までの労働法学に慣れ親しんだ人々にとっては「なんじゃこりゃ」でしょう。しかし、近年のEU労働政策の動きをウォッチしてきた人々にとっては、まさにこれこそ現代の労働法政策!という感じでしょう。

そう、これは90年代以来のEU労働政策の哲学に従って労働法を再構成してみると、こういう風になるというみごとな実例です。コリンズにとっては、これは今までのアメリカと共通するコモンローの伝統から欧州モデルへの「地殻プレートの大移動」を示すものなのですね。

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モロッコ人は採用しない!と公言するのは差別

欧州司法裁判所の法務官意見、今回は人種・民族差別の事案です。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

ベルギーで持ち上げ式・ユニット式ドアの販売設置業を営むフェリン社のフェリン氏が、広告や新聞インタビュー等で、「モロッコ人なんか雇わない。うちは客商売なんだ。客の家に入り込むんだ。お客は怖がるだろう。モロッコ人が行ったら、そんなドアいらない、と言われるよ」てなたぐいのことを公言したんですね。

いかにもフランデレンの中小企業のオヤジという感じですが、これに対して、反差別法に基づき設置された均等反差別センターが、ブリュッセルの労働法バンクに訴えたんですが、労働法バンクは「被害者がいないじゃないか。つまりまだ差別行為は起こっていないじゃないか」と、これを退けたのです。

そこで均等反差別センターがブリュッセル労働裁判所に訴えたのが本件、同労働裁判所は欧州司法裁判所に付託したというわけです。

マズロ法務官の議論は入り組んでいますが、結論から言うと、特定の人種・民族的出身のものは採用しないと使用者が公言することは、EU人種民族均等指令にいう直接差別に当たる、と言っています。具体的な被害者がいなくても差別として、そういう行為をやめさせるべきだというわけです。

これは法務官意見ですからまだ判決ではありませんが、もしこのまま判決として確定すると、差別問題についてかなりのインパクトを与える可能性がありますね。日本ではまだ人権擁護法案が迷走している状態ですが、将来的な議論の素材として興味深いものがあります。

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雨宮処凜氏のOJT

爆問学問の話の流れで、ぶらり庵さんが、

>職業レリバンスを全く意識しない大学生活を送り(文学部女子)、幸いに資格は問わない試験(知識は問われた)で実業団に移籍でき、移籍後も、日本の組織の特徴であろうところの、自己の希望と無関係な人事異動に従順に従って、ひたすらOJTで現在の職業への「レリバンス」を磨いてきましたね、振りかえってみると。

と語っていますが、全く異なる人生コースで、同様にOJTの重要さを語っているのが、雨宮処凜さん。

http://www.magazine9.jp/karin/080312/080312.php

>こんなことを強く思うのは、私自身がまさに「仕事をしながらトレーニングさせてもらった」からだ。しかも相当良質な「教育」をしてもらった。編集者にマンツーマンで、物を書くということについてものすごく勉強させてもらった。そうして小説やエッセイなどを書き、出版してきたわけである。
 こんなことを言うと、「結局雨宮さんはニートよりは努力し、戦略的な生き方をしている」というようなことを言われることがある。が、「物書き」になるということについて、自分で言うのもなんだが、私はまったく「努力」していない。なってからは少しは努力しているが、なるための努力は1ミリもしていない。だって、私が本を出すきっかけは、私が右翼団体を脱会するまでを描いたドキュメンタリー映画「新しい神様」が劇場公開されることになった、というそれだけのことだ。ということは、私が物書きになる、そのチャンスを作ったのは、「右翼団体に入った」ということである。誰が「戦略的に」、或いは「キャリアアップ」のために右翼団体に入るだろう・・・。まったくの奇跡のような偶然で、物を書くようになり、そうしたら編集者の人がいろいろ教えてくれたのだ。そしてただのフリーターだった私は「物を書く」ということを、仕事をしながら学んでいったのである。

これは、例の赤木智弘氏について語っている中での言葉ですが、最後に

>日本の企業社会に、「人を育てる」という感覚が戻ってくれば、事態は少しはいい方向に変わるのではないか。

と、売れ線狙いのマスコミ的にはあまりにも平凡に見える言葉を書き付けています。

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オーストリアでも医師の長時間労働が問題に

EIROnlineから、オーストリアの医師の長時間労働の話題。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2008/01/articles/at0801039i.htm

病院の10に9つは労働時間規制に違反している、と。

まず、オーストリアの医師に関する労働時間規制ですが、

>In Austria, the 1997 Hospitals’ Working Time Act (Krankenanstalten-Arbeitszeitgesetz, KA-AZG (in German, 50Kb PDF)) restricts the average working week of hospital doctors to a maximum average of 48 hours. The working week may be extended to a maximum of 60 hours in a single week, provided that the normal working week does not exceed the 48 hours’ average over a specific reference period. In addition, the individual working day must not exceed a maximum of 13 hours. However, the KA-AZG also provides for the possibility of extending these working hours through a company-level works agreement. In this respect, the law provides for working time limits as follows: a maximum of 60 working hours a week on average, with a maximum of 72 hours in a single working week; a maximum of 32 hours during the working week and of 49 hours during weekend work, including rest periods that have to be observed for each period of service.

原則週48時間、変形制で週60時間、1日の上限は13時間、さらに企業レベル協定で原則週60時間、変形週72時間(最後の週末49時間というのがよく判りませんが)、とかなりの長時間労働が認められているのですが、現実はそんなものではない。

>Despite these working time restrictions, the results of occasional workplace inspections at hospitals carried out by the Austrian Labour Inspectorate (Arbeitsinspektorat) have revealed that seven out of 10 Austrian hospitals – in at least one of their departments – systematically breach these working time regulations. At the Vienna General Hospital (Allgemeines Krankenhaus, AKH), for instance, which is the country’s largest hospital, the employees do not even have the possibility to register their overtime hours in the online service schedule. Moreover, the Austrian Chamber of Doctors (Österreichische Ärztekammer, ÖÄK), which organises both employed and self-employed doctors, has uncovered cases of employees recording up to 100 working hours a week. According to the chamber, disregard of the working time regulations is a widespread cost-reducing strategy of hospital managers, since it saves them having to recruit additional staff.

労働監督の結果、10に9つの病院で違反が見つかり、中には週100時間というのもあった、と。

>Interestingly, the infringements of working time regulations are found almost exclusively in the public hospital sector, which employs about three quarters of the sector’s employees. This is mainly because private hospital providers – in the case of administrative offences such as the breaching of working time regulations – are subject to administrative fines. In the public sector, however, a similar form of penalisation does not exist and, as a result, infringements of employee protection law committed by public authorities go completely unpunished. Theoretically, the Labour Inspectorate could initiate proceedings against the public hospital managers responsible and/or the public authorities operating these hospitals; in practice, however, such attempts of prosecuting authorities have remained completely ineffective.

しかも、違反しているのは公的病院ばかり。これは、民間病院は違反が見つかると罰金を払わなければならないが、公的病院は違反してても罰金を払わなくて済むからだとか。つうか、理論上は公的病院にもできるんだけど、実際はやってない、と。

>As a result of these findings, ÖÄK, in line with the trade unions which also represent doctors employed by hospitals, have demanded the introduction of appropriate administrative fines for public hospital managers who violate the regulations, based on a system similar to that used in the private sector. ÖÄK argues that these fines, particularly in cases of repeated and systematic disregard of the working time regulations, should be high enough to force hospital managers to invest in additional personnel rather than infringing the law.

で、医師会議所(開業医と勤務医の両方を組織していると書いてあるので、日本の医師会と同じですね)が、労働組合と協力して、公的病院にも罰金を課せと要求している、と。

>The Minister of Economy and Labour Affairs, Martin Bartenstein, has already signalled his willingness to take appropriate legal measures to curb these practices. The minister announced that he would immediately enter into negotiations with representatives of the provinces (Länder), which operate most of the public hospitals, as well as the social partners, in order to implement a sanction mechanism which targets public authorities running hospitals and their managers in the event of illegal employment practices. Such sanctions would be inevitable not only for employee protection and the patients’ right to optimal medical treatment by sufficiently rested personnel, but also in order to avert unequal conditions of competition in the sector to the detriment of private hospital providers.

経済労働大臣も公的病院を運営する州政府との交渉に動き出した、と。

>In Austria, the hospital sector employs almost 20,000 doctors overall, about three quarters of whom are public sector employees. Thus, the Labour Inspectorate’s findings suggest that several thousands of hospital doctors in Austria are – at least occasionally – being faced with illegally long working hours. The systematic disregard of working time regulations is deemed by experts to be the main cause of fatigue among many doctors, which can directly endanger patients’ health. For instance, a recent study carried out by a surgeon at a hospital in Steyr, Upper Austria, revealed a significant correlation between the duration of the hospital doctors’ uninterrupted service rendered and the incidence of malpractice committed by them. Another study carried out by ÖÄK found that the overall working conditions of hospital doctors have deteriorated in the period 2003–2006, in particular in terms of time pressure, long working hours or overtime and night work. All of these findings underline the need for the introduction of enforcement practices with regard to existing working time regulations in public sector hospitals.

長時間労働による医師の疲れが、医療過誤の原因になっている、と。

なんだか、すごく日本の話と同じところと、違うところがあって、同じところは同じところなりに、違うところは違うところなりに、大変考えさせられます。

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財金分離2

別に欧州労連が大したことを言ってるわけではなくて、これがごく普通の反応でしょう、というだけなんですが。

http://www.etuc.org/a/4761

>Demand side problems need to be solved primarily by demand side policies. Casino capitalism gone out of control should be addressed by financial market re-regulation. Abusing the crisis to push through an unwarranted deregulation of labour markets and worker rights will add more insecurity and simply make matters even worse.

>The right response to prevent the European economy from following the US economy down the hill is to intervene on exchange markets to stabilise the euro, to cut interest rates and boost public investments in order to strengthen domestic demand. It is not to using the economic crisis as an alibi to push through fake structural reforms.

日本の労働組合が組織的に多くの票を差し上げている某政党は、円を安定化し、利率を下げ、公共投資を拡大することには興味がなく、似非構造改革のアリバイに経済危機を使おうという方々なのでしょうか。

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爆問学問 本田由紀 vs 太田光

昨日のNHKのお笑い系教養番組なんですが、

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/

>田中:すごく面白い先生だったね。何か強さともろさが同居した感じがあって。すごく可愛い面と、すごく怖い顔する時とあるので。人間としてすごく面白かった。
太田:途中で「ああ、小学生の時にこういう女の子ともめたなあ」って…。
田中:多分子どもの頃に、「太田君!」みたいに言われて、「ちゃんと掃除をやるのがルールでしょ!」とか怒られたりして、それでもめるみたいな…。そういうタイプですよね。だから本当に、我々芸人とああいう東大の受験勉強をガーッとやっていた人というのが、多分すごく対照的。
太田:でも同じところもある。結局おれはあの先生はやっぱりすごくいいなと思ったのは、そうやって自分の経験から発想しているものだから、それが間違っていようが何だろうがいいと思う。その自分の傷ついた経験とか、過去の経験、そこから出発している。で、その思いがすごいべったり乗っかっているから、それ、考えすぎじゃない?ってこっちは思うんだけど、あの先生の思いっていうのが強いから、そういう研究っていうのはおれ、素晴らしいなと思うのね。やっぱり個性なんだよね。
田中:一番悪いことがサザエさんの立ち読みっていうのは笑ったよね。ネタですよね、ほんとに。楽しい先生でした。

そういう「カワイイ優等生」の役割演技に嵌ってしまっていて、そこを(上野千鶴子流に)うっちゃりで投げ飛ばすワザが決められれば、一枚剥けたんでしょうけど。

太田光に、田中が弁当恵んでくれていたからあんたは恵まれていた、と言ってみたって仕方がないんで、「そんな日大ゲージツ学部なんて逝ってる段階であんたは人生捨ててるの!私が相手にしてるのは、まともに就職できると思っておベンキョしてたのに、不景気で就職できなかった人たちなの。」と冷ややかに言わなくちゃいけないんですけどね。

そこが、そう割り切れないから、「テツガクを専攻したんですが、その教育レリバンスはなんですか?」と聞かれて、「ああそう、職業レリバンスのないお勉強をされたのね」と返せないわけですけど。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html

(追記)

ちなみに、このレリバンスのシリーズ、後続のエントリーも結構面白いですので、並べておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html(職業レリバンス再論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c586.html(専門高校のレリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html(大学教育の職業レリバンス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_5804.html(労働法の職業レリバンス)

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マクドナルド裁判の本質

『エコノミスト』誌3月18日号に掲載された「焦点は残業代ではない マクドナルド賃金訴訟の本質は長時間労働の規制にある」という小論の原稿をアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/macdo.html

雑誌掲載版とは題名と中身の一部が異なっていますが、本質的な違いはありません。このブログで書いてきたこととほとんど同じ内容です。

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2008年のEU労働政策予定表(3月改定)

3月改定のEUの予定表から、労働社会関係を抜き出してみました。

http://ec.europa.eu/atwork/programmes/docs/forward_programming_2008.pdf

2008年予定

(法制)

6月25日 雇用以外の均等待遇原則の実施に関する指令案

6月  欧州労使協議会指令改正案

6月  海運業労働条件協約実施指令案

6月  自営業男女均等待遇指令案改正案

第2四半期 ILO漁業条約批准決定案

9月  母性保護指令改正案

9月  育児休業協約改正協約実施指令案

9月  父親休暇・養子休暇・親看取り休暇指令案

第3四半期 国連障害者の権利条約批准決定案

10月  欧州グローバル化調整基金規則改正案

11月  船員関連諸指令の改正案

11月  注射針による感染に関し生物的要因安衛指令の改正案

第4四半期 筋骨格疾病に関する法制の統合案

(その他)

3月12日 高質な老人介護と老人虐待の防止COM

3月  テレワーク協約実施状況報告

第1四半期 企業・職域年金に関し賃金確保指令第8条の実施状況作業文書

第1四半期 一般雇用均等指令実施状況報告

第1四半期 移動臨時建設現場安衛指令及び安衛標識指令実施状況報告

第1四半期 多国籍企業協約に向けてCOM労使団体への第1次協議

第1四半期 一般情報提供・協議指令見直しCOM

第1四半期 サービス提供に伴う労働者海外派遣に関する行政協力強化欧州委勧告

6月25日 社会アジェンダ実施中期報告COM

6月25日 2007年欧州万人均等年のフォローアップCOM

6月  労働時間指令実施報告

6月  船員の労働条件諸指令への統合第2次協議

6月  労働者海外派遣に関する高級委員会設立決定

6月  船上医療及び漁船甲板安衛指令実施報告

第2四半期 欧州会社法実施状況報告

第2四半期 有期・派遣安衛指令実施状況報告

7月8日  変化の予測と管理に関する労使への第2次協議COM

7月8日  欧州におけるリストラ報告

7月  欧州グローバル化調整基金実施状況報告

第3四半期 ディーセントワークに関するCOMフォローアップ

第3四半期 ディーセントワークに関するILO条約批准欧州委勧告

第3四半期 若年者保護指令実施状況報告

第3四半期 児童保育に関するバルセロナ目標の実施状況報告

9月  「欧州における新たな社会正義へのコミットメント:社会保護・社会的統合の公開調整手法の深化」COM

10月  活力ある統合に関する欧州委勧告

10月  インターンシップに関する欧州参照枠組み欧州委勧告

11月  人口高齢化に対応するCOM

12月  2009社会保護・社会的統合合同報告

12月  鉱物採掘安衛指令実施状況報告

このうち、9月に予定されている「父親休暇・養子休暇・親看取り休暇指令案」ですが、最後のは「filial leave」をこう訳してみました。

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労働者派遣システム再考

労働者派遣システムのあり方について、まとまった形で喋ってみました。噛み合わない両極の議論の間に妥協点を見つけようとするのではなく、噛み合わない両者が共有する土俵自体を一遍ひっくり返して議論を組み立ててみると、こういう風になるのではなかろうか、という試論です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hakensaikou.html

私は、今から11年前にILO181号条約が審議採択されたILO総会に出席して、世界の流れが事業の禁止・規制から労働者保護に向かう姿を目の当たりに見たこともあり、派遣労働に問題があるとすればそれは何より労働者保護規制によって行うべきであり、事業規制を復活強化しようというのは適切ではないと思っているのですが、どうしても世間は「近視眼的リーガリズム」に向かってしまいがちです。その土俵でお約束通りの定型的な喧嘩を繰り返すことで、労働者にとって大事なものが却って没却されているのではないか、という問いかけが今こそ必要なのではないかと思うのですが。

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「公正」の在り方は集団的な対話の中で決まる

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_c7ec.html

につづいて、ダイヤモンドオンラインの辻広氏のコラムにおける水町先生のインタビュー後編です。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10019/?page=1

>――もう一度お聞きしますが、価値観が多様化すると、なぜ労使の対話に委ねることが必要となるのですか。

水町:大量生産大量消費の時代は、いわば正義は一つでした。だから、それを守るためのルールを国が定めてそれを強制しても、さほど問題は起きませんでした。けれど、もはや正義は一つではなくなりました。差別なき労働者の権利保護なのか、経済効率追求なのか、地球環境が一番重要なのか、さまざまな正義が存在します。複数ある正義を調整するには、理性が必要です。それを「手続的理性」と呼びます。労使で対話を進め、複数の正義を調整する手続やルールをいかに決め、運用するかが重要だ、という考え方が国際的に広がりつつあります。

――では、遅れている日本の労働法制を、具体的にどう変えていけばいいのですか。

水町:国は基本ルールだけを決め、具体的なルールやその運用は労使の集団対話に委ねます。そして、その運用が公正に行われたか否か裁判所が事後チェックを行う形にします。

 例えば、国は、「合理的理由がない限り処遇差別をしてはならない」という基本原則だけを掲げて、労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、請負労働者まですべての労働者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与するのです。

――日本の労働法制は、正社員に対する法的保護があまりに強い。派遣や業務請負との格差を解消して、「公正」を本当に実現できますか。

水町:正社員の既得権や正社員という枠を見直す動きは、その対話、議論の中で出てくると思います。

 90年代以降の労働問題は、正社員が日本的雇用システムという枠のなかで守られ、それと非正社員とのバランスが悪くなってしまったことに大きな原因があります。コスト削減圧力が強まっても、正社員は簡単には雇用調整ができません。

 だから、新卒を採らず、まずパートを拡大し、その雇用調整も難しいということになると、次には派遣の利用を拡大し、それがまた法規制で使い勝手が悪いとなると、今度は業務請負の利用に走ります。格差が拡大する方向に一直線に向かってしまう。と同時に、枠のなかで守られていると思ってきた正社員が少数化して過剰労働に陥るという状況も生まれてきています。全体としてのバランスが悪い中で、全体が不幸に陥るという事態が起こってきました。これはおかしいんじゃないかという議論が起こってくると思います。

――例えば、どのように「公正」が実現されますか。

水町:「公正」のあり方は、それぞれの集団的な対話のなかで決まってきます。例えば、正社員の雇用は保護し、非正社員の雇用は流動的にするという企業では、非正社員の雇用が不安定になる分それを補償する手当を出すということも考えられます。

――正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなる、という改革もできますか。

水町:現在の法規制の話でいうと、この3月に施行される労働契約法の16条に、解雇は「客観的合理性」と「社会的相当性」がなければ無効であると定められています。このルールをめぐっては、これまで裁判所による判断の蓄積があり、いわゆる「整理解雇の四要件または四要素」という法理が裁判所によって確立されています。

 しかし、この判例法理が画一的に解釈されすぎると、時代環境や個別事情に対応できないという問題が出てきます。このルールの解釈・運用の仕方として、労使の話合いを重視する、つまり、労使がそれぞれの企業・職場における雇用のあり方についてどのように考え、どのようなルールを作り、それを公正に運用しながら労使の納得のいく形で雇用調整が行われている場合には、その労使の取り組みを重視する、という法解釈をすることが考えられます。

――「新しい労働ルール」が実現するには、何が一番重要ですか。

水町:労使をはじめとする当事者が自分でルールを作り運用するという覚悟を決めて、それに真剣に取り組むことです。中小企業の多くには労働組合すらないので、集団的対話の基盤から構築しなければなりません。そのために相談に乗り、アドバイスを行う第三者機関、NPOがインフラとして必要でしょう。これが最大の課題だと思います。連合の全国の支部や商工会議所は、この面でサポートをすべきでしょう。

――既得権者である正社員が抵抗勢力になりませんか。

水町:なかには抵抗するひとたちもいるでしょう。しかし50代のひとたちと20代、30代のひとたちでは意識が大きく違います。なぜなら、コストカット目的による非正社員の急増で、最もしわ寄せされているのが、20代、30台の若手だからです。難しい仕事を少人数で背負い込み、仕事のノルマや締切りもきつくなってきています。仕事が増えるばかりで、過労死やメンタルヘルス問題が急増しているわけです。正社員と非正社員の雇用条件のバランスがあまりにも悪いために、正社員自身があえいでいるのです。そのことは、若い人たちの多くは敏感に感じています。年収は減るかもしれないが、負担が軽減して早く帰れるのなら、歓迎するかもしれません。正社員と非正社員の入れ替えが行われるようになっても不思議ではないのです。

――日本人に、「手続的理性」はあるでしょうか。

水町:日本には自分たちで話し合って物事を決めるという土壌があります。あとは、自分と環境や考え方の違うひとたちを仲間外れにせず、公正で透明な話合いをしていこうという意識を広げていくことが重要です。そういう意味での「理性」を育てていく教育も必要だと思います。

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ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか

『世界』の4月号に掲載されている田村哲樹氏の「国家への信頼、社会における連帯――「高福祉高負担」の条件 ―― 」という論文が、福祉国家を支える哲学的基盤は何なのかという大問題の所在を極めて明瞭に示しているので、ちょっとコメントしておきます。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html

福祉国家を支える「我々意識」や「連帯」が衰退ないし解体しつつあるという認識のもとで、田村氏は4つの対応策を示します。第1は、個人化を所与の前提として個人の選択、ニーズに可能な限り応えていく行政サービス。しかしこれはもはや福祉国家ではないですね。第2は、ナショナリティの再興。第3は労働を共通性とした連帯の再生。第4がより普遍主義的な福祉制度。

そして、ナショナリティには排除がつきまとうから駄目だといい、労働については、男性稼ぎ手モデルではだめだとか、今後十分な雇用機会は供給されないとか、労働できないものを排除するといって批判し、第4の選択肢としてベーシックインカムを持ち出すわけです。

労働中心の福祉への批判については、いろいろと反論したいことはありますが、それよりも何よりも、一体一方でナショナリティを根拠として捨てておいて、何を根拠に「普遍的な福祉」が可能なのか、どこまできちんと考えているのだろうか、という点です。

実を言うと、労働中心主義でも、様々な就労や社会参加をフルに活用して最後になお残る労働に立脚しない福祉というのは残ると思うのですが、ナショナリティという我々意識なしにそんなものが維持可能なのでしょうか。働かない同胞になお福祉が与えられなければならないとしたら、それは「同胞」だから、としか言いようがないのではないでしょうか。ヨーロッパの場合、EU統合の中で狭義のナショナリティを超えて一種の我々意識が形成されていけば、そのレベルの普遍的福祉というのもありうるかも知れません。しかし、それが、アフリカの貧しい人々にも同じように適用されるべきだと、多くのヨーロッパ人が思うようになるとは、正直言って私には思えません。

ベーシックインカムを軽々しく持ち出す人々に対して、私がどうしても拭いきれない疑問は、それが究極的には「同胞」意識にしか立脚できないにもかかわらず、なんだかそれを離れた空中楼閣の如きものとしてそれを描き出している点です。日本人だけでなく、地球人類すべてに等しくベーシックインカムを保障するつもりがあるのかどうか(誰が?)、そのための負担を、そう「高負担」を背負うつもりがあるのか、そこまで言わないと、ナショナリティを排除したなんて軽々しく言わないで欲しいのです。

私は、福祉の根拠としてナショナリティを否定することはできないと思っていますが、しかしそれを過度に強調することは望ましくないと思っています。だから、労働を根拠に据える必要性があるのです。様々な事情に基づいて「いったん労働市場から退出することの保障」も含めたものとして、しかしながら永続的に労働市場の外部に居続けることを保障するすることのないものとして。

(参考)

かつてのエントリーで似たようなことを書いていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html

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どれだけサービス残業をやっていると思っているんですか

橋下大阪府知事のお騒がせシリーズ第何弾目かは知りませんが、こういうのも飛び出してきたようです。産経から。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080313/lcl0803131157002-n1.htm

>大阪府の橋下徹知事は13日、30歳以下の若手職員を対象に初めて朝礼を開いた。

・・・さらに、橋下知事は「始業前に朝礼をしたかったが、超過勤務になるのでできなかった。たかだか15分の朝礼ができないというなら、勤務時間中のたばこや私語も一切認めない」と発言。

 これに対し、後方で聞いていた女性職員(30)が突然立ち上がり、「どれだけサービス残業をやっていると思っているんですか。知事は不満があればメールを送れといって、職場を分断している」と反論した。

 橋下知事は「ありがたい意見。どんどんいってほしい」と余裕の表情で応じたあと、「サービス残業に感謝している」とも述べた。

あのお、「サービス残業に感謝している」で済むんだったら労働基準法は要らないんですよ。どこぞの社長さん並みですな。

念のために申し上げておきますと、(国家公務員とは異なり)地方公務員には労働基準法が適用されてます。

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公務労働の法政策

I0eysjiymi2g 『季刊労働法』の第220号に、「労働法の立法学」シリーズ第17回の「公務労働の法政策」を書いております。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/003098.html

今回は、公務員制度改革とか何とかが騒がしい今日この頃であるだけに、原点に帰って、そもそも公務労働者に対する労働法の適用の歴史を振り返ってみよう、というものです。その昔の労働法規課を知っている人にとっては懐かしい話でしょうし、知らない人にとっては全然懐かしくない話でしょうけど。

ちなみに、この号の特集は、「ワーク・ライフ・バランスは実現できるか? 」と「改正パート労働法の検討 」です。

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財金分離

これは直接労働法政策には関係ないのですが、日本の労働組合のナショナルセンターが組織的に支持している政党が、中央銀行総裁候補を認めるかどうかの基準として、財政と金融の分離、つまりどんなに景気が悪化して労働者がひどい目に遭おうとも、断固として中央銀行の独立性を守るべし、という超タカ派的思想を明確にし、あまつさえ、低金利政策をとり続けたことを理由に反対するという事態は、もちろんいろんな考え方があってもいいわけですが、比較政治的には極めて奇妙な事態とは言えるでしょうね。

通常、まあ何が「通常」かは人によっていろんな考え方があるでしょうが、少なくともヨーロッパでは、労働組合や社会民主主義政党は、中央銀行の独立性には否定的で、政治的要請に迅速に応じて、できるだけ金利を低くしろというのが通常であるように見受けられますので、多分、連合の支持政党はそれとは正反対の経済思想をお持ちなのだろうなあ、と思うだけですが。

参考までに、最近の欧州労連の欧州中銀に対する発言です。

http://www.etuc.org/a/4374

>ETUC expresses disbelief over ‘hawkish’ messages coming from the European Central Bank

At the meeting of the governing council of the European Central Bank (ECB) last Thursday, council members are reported to have discussed the possibility of raising interest rates. The European Trade Union Confederation (ETUC) finds this attitude unhelpful and calls instead for a cut in interest rates to address the unfolding economic slowdown.

With three month inter-bank interest rates shooting up to 4.86%, the financial crisis is intensifying. Higher finance costs, together with tightening credit standards and an overvalued euro exchange rate, are working to produce a significant slowdown in growth. To avoid a new slump in growth, interest rates should be cut, not raised.

http://www.etuc.org/a/4540

>European Central Bank must respond to wake-up calls

The European Trade Union Confederation (ETUC) calls on the board of the European Central Bank (ECB), meeting today in Frankfurt, to abandon its outdated theoretical monetary approaches and instead open its eyes to economic reality.

At the current time:

Strong transatlantic economic ties mean the euro area will not escape recession in the US economy.

The Federal Reserve’s policy of aggressive rate cuts will work to undermine the dollar and the euro area’s competitive position.

The subprime-induced financial crisis has not been contained at all, but is spreading in an alarming way. Potential investors are confronted with a credit squeeze as well as higher credit costs.

Business cycle indicators are going down, indicating growth prospects are shallow.

http://www.etuc.org/a/4692

>The ECB must respond to the strengthening euro

European Central Bank (ECB)and euro area finance ministers should take action to adjust the value of the EU currency, instead of hiding behind US policy-makers, urges the European Trade Union Confederation (ETUC).

The euro exchange rate has recently breached the 1.50$ barrier. The euro’s continuing appreciation is becoming alarming. An excessively expensive euro will cost European jobs, coming as it does on top of other setbacks to growth (the sub-prime financial crisis and credit squeeze, the US recession, and the end of the construction boom in several EU countries).

The ETUC calls on the Governing Council of the ECB, which meets today, to recognise at last that the balance of risks has shifted and that the threat to growth is now so serious that an urgent cut in interest rates is required.

(追記)

つまり、連合が組織的に支持している政党は、階級論的分析からするとですな、労働者階級でもなければ企業家階級でもなく、金利生活者階級の利益をひたすら追求する政党であるということに相成るわけなんですが、そんなことでええのですか?と誰か言わんのかねえ。

ちなみに、はてぶで「反リフレを標榜するhamachan先生」と言われていますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_8e8c.html

いや、私は反「特殊日本的な99%フリードマン主義者のリフレ派」なだけで、「反リフレ」を標榜した覚えはありませんが。

そんなの、インフレは目減りにより金利生活者に損失を与え、デフレは失業により労働者に損失を与えるなんてことは、ケインズ先生が大昔から言ってることでしょう。

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登録型派遣は労働者供給なんだが・・・

月曜日のエントリーに、新運転の太田武二さんからコメントが付きました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/on_5181.html#comment-23155300

実際に労働組合の労働者供給事業を行っている立場からの御意見で、

>しかし、日々雇用を原則とした労供事業に五十年近く取り組んできたわれわれとしては、派遣会社への責任追及と法改正だけに留まることは許されない。
日雇い派遣への風当たりを絶好の機会として捉え、労働組合による労供事業と供給派遣への追い風にしなければいけない。

というあたりは、まさに面目躍如という感じです。

ただ、実際は戦後60年間、労働組合による労働者供給事業はごく一部の業種で細々と行われてきたのが実態で、そこのニーズを捉えたのが労働者派遣事業だったのでしょう。

このニーズというのは、畢竟するところ、必要なときにすぐに供給してくれて、要らなくなったら後腐れなく切れるという、労働力のジャストインタイム供給であって、そういうニーズが世の中にあることは確かなのだし、それがケシカランと云ってみても仕方がないので、それをできるだけ弊害のない形で(単なるチープレイバー供給ではなく)やれるようにするにはどうしたらいいのか、というのが法政策の課題であったはずです。

その意味で、登録型派遣というのは実は労働者供給そのものであるにもかかわらず、そこを妙な理屈でごまかしてしまったところに混迷の源泉があるように思われます。労供は悪だ!という思考停止をそのままに、派遣は労供に非ずといって、ここまで来てしまったわけですね。本当は、労供は弊害が起こりやすいけれども、しかし世の中のニーズに対応するものでもあるので、民間企業でもきちんとやらせるのだ、というべきだったのだと、私は考えています。

実は、家政婦、マネキン、配膳人といった臨時日雇い型有料紹介事業も、紹介したといいながら紹介所に属したままで、そこから繰り返し「紹介」という形で実質的には供給=派遣されているので、ビジネスモデルとしてはほとんど同じです。これも、そういうニーズがあるからそうなっているわけです。

で、何が違うかというと、労供でも臨時紹介でも、労働者を使用することから生ずる使用者責任は供給先=紹介先にあるという点で、本当は派遣もそうあるべきなのでしょう。もう一つ、いわゆる派遣マージンの話については、労働組合の労供事業の場合、無料ということですが、実質的な費用は組合費で賄っているわけで、言い換えればその分込みの供給労働者の賃金設定になっているわけですし、臨時日雇い紹介の場合は、登録と紹介のつど手数料を取る形で賄っていて、いずれにしても明朗会計になっているわけです。そこが、派遣の場合中間搾取じゃないと言いたいがために却って不明朗になっているように思われます。

まあ、一旦作られてしまった制度設計というのは、なかなか変えるのは難しいものですが、労供は悪だが派遣はいいという変な理屈でここまで拡大した挙げ句に、これだけいろんな問題が出てきたことを考えると、元に戻って、いい労働者供給事業はどういうものだろうか、という観点から、考え直してみる必要性が高まってきているように思われます。

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ドイツ郵便最低賃金に違憲判決

先週ドイツで興味深い判決が出されていたようです。

http://www.ft.com/cms/s/0/e83565e6-ec7f-11dc-86be-0000779fd2ac.html

http://www.reuters.com/article/rbssIndustryMaterialsUtilitiesNews/idUSL0755851420080307

今年1月に制定された郵便業の最低賃金が違憲だという判決のようです。ご承知のように、ドイツには最低賃金法は存在しませんが、郵便事業の完全自由化を前に、昨年ドイッチェポストと労組の間で締結された時給9.8ユーロを法定する法律が、新規参入しようとしていた2つの会社から違憲だと訴えられ、ベルリン行政裁判所が違憲判決を下したんですね。判決文は見当たらないので、理屈はよく判らないのですが、どうももともと時給7.5ユーロだったのに、ドイッチェポストの独占を維持するために、新規参入組が払えないような高い最低賃金をわざと設定したということらしいですね。

原告のTNT(オランダの会社)のHPに勝訴コメントが載っていますが、

http://group.tnt.com/pressreleases/pressfinancial/tnt/20080307-berlin-administrative-court-confirms-minimum-wage-not-binding-for-tnt-post.asp

最後のところで、我々は最低賃金には賛成だ、だが最低賃金は生活費を基準とすべきで、競争を抑止し独占を守るために濫用すべきではない、と言っていますので、そこが争点だったのですね。

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組合費は使用者に払わせる

デンマークで、たいへん興味深い協定が結ばれたようです。労働組合の組合費をフリンジベネフィットとして使用者に払わせるというもののようです。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2007/12/articles/dk0712039i.htm

ご承知のように、典型的な北欧モデルのデンマークでは、労働組合の圧倒的な組織率でものごとを決めるので、労働法なんていらない、というお国柄なんですが、かつてはそれを支える仕組みとしてクローズドショップ、つまり組合員でなければ雇用してはいけないという仕組みが有効でした。ところが、それが労働者の働く権利を侵害するとして、欧州人権条約違反と判断され、クローズドショップはとれなくなりました。そうすると、LO以外のいわゆる黄色組合がLO所属組合の5分の1という安い組合費でダンピング攻勢をかけ、LOの組織率が下がってきてしまったのです。ところが、LOが獲得した高い労働条件も、一般的拘束力で黄色組合の組合員にも適用されてしまうので、この状況を何とかしなければならないというのが、LOの課題になっていたのですね。

そこで、発想の転換で、俺たちの組合費をフリンジベネフィットとして使用者に払わせることにしよう、そうすれば黄色組合の比較優位はなくなり、安い組合費に惹かれていた連中もLOに戻ってくるだろう、というわけです。

この協定は企業レベルのものですが、LOとしては今後これを拡大するつもりのようです。

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正規雇用、増加が必要 福田首相が対策を指示

共同通信の記事です。

http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008031001000795.html

>福田康夫首相は10日、大田弘子経済財政担当相に対し、日本の労働市場で正規雇用の割合を増やすことが必要だとして、実現に向けた具体案を早急に取りまとめるよう指示した。大田経財相は対策について検討に着手した。

 パート、アルバイト、派遣社員、契約社員などの非正規雇用者は、雇用者全体の約3分の1を占めている。非正規雇用者の割合が多いために、日本全体の賃金水準が上がらない面がある。首相はこうした現状を打破するために、大田経財相に対策策定を命じた。

 首相は、企業の賃上げが十分であれば消費が増え、経済全体が拡大するとの問題意識を持っており、既に日本経団連の御手洗冨士夫会長に今春闘で賃上げに努力するよう要請している。さらに、自身のメールマガジンでも賃上げの必要性を強調。雇用や賃上げの問題について精力的に動く姿を印象づけている。

 首相は官邸で記者団に対し「雇用の状況によって賃金水準は変わってくる」と発言。賃金を上げるために「フリーターとかアルバイト、派遣社員の扱いを、できるだけ通常の雇用でやってほしい」と主張した。

先週のエントリーで述べたように、福田首相は典型的なフォーディズム的ケインジアンで、賃上げを通じた景気拡大というドーア先生や松尾匡さんの見解を共有しておられるようです。

その立場からすると、その賃上げメカニズムからこぼれ落ちる非正規労働者が拡大することは当然望ましくないわけで、「できるだけ通常の雇用でやってほしい」という発言の趣旨は、賃金水準を正規労働者に近づけるべきだという趣旨に理解すべきなのでしょう。

さて、大田大臣は「対策について検討に着手」したということなのですが、これがどこにどういう形で降りてくるか、中身とともに組織論的にも興味津々というところです。

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毎日の社説 on 日雇い派遣

毎日新聞が日雇い派遣を禁止しろという社説を書いています。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080310k0000m070124000c.html

>社説:日雇い派遣 法改正で禁止へ踏み出せ

 日雇い派遣大手のグッドウィルから派遣された男性が昨年12月、荷降ろし作業中に指を骨折した。男性が訴えても同社は労働基準監督署に報告せず、社員は「派遣先にも迷惑がかかるのではないか」と告げたという。報告したのは事故の2カ月後、けがが悪化して男性が自ら労災申請した後だった。

 派遣元の各社から全国の労基署に報告された派遣労働者の労災件数(休業4日以上)は06年に3686件と前年の1.5倍に達し、1日に10件以上も発生した計算だ。そのうえ、グッドウィルのケースのように、発覚を恐れて報告しない労災隠しが派遣業界で横行している疑いがある。

 中でも労働者が派遣会社に登録し、仕事があればその日ごとに雇用される日雇い派遣では、安全対策や安全教育がおろそかになり、労働者は危険にさらされがちだ。加えて極めて不安定な雇用で、派遣先から派遣会社にマージンが支払われる分、労働者の日給は7000円前後と低賃金にならざるを得ない。こうした働き方は仕組みそのものを全面的に見直す必要がある。

 日雇い派遣が広がったのは、労働者派遣法の99年の改正で、それまで専門業種に限定していた派遣対象を原則自由としたためだ。不況下で労働者の賃金を抑え、雇用調整もしやすくしたいという経済界の要望を受けた規制緩和だった。単純労働への派遣が解禁されたことで、派遣会社に登録する登録型派遣が爆発的に増え、登録者は06年度で延べ234万人にも上る。

 しかし、労働者の権利を守るには直接雇用が大原則で、派遣はあくまでも一時的・臨時的にとどまるという制度の趣旨を考えれば、派遣法を99年の改正前に戻し、派遣対象は専門業種に限ることが望ましい。

 あるいは登録型派遣を禁止し、派遣会社は労働者を1日ごとの雇用ではなく常用雇用とする常用型派遣だけを認める仕組みに改める方法もある。いずれにせよ法を改正して日雇い派遣の禁止に踏み切るべきだ。

 厚生労働省も法改正を検討したが、一層の規制緩和を求める経済界の抵抗で今国会での改正を見送った。代わりに日雇い派遣の監督を強化する指針などを策定したが、日雇い派遣が抱える不安定・低賃金・危険という根本問題の解決にはつながらない。学識者で派遣のあり方を議論する厚労省の研究会も発足したが、結論までには時間がかかる。

 ここにきて日雇い派遣の禁止に向け、各党の議論が活発になってきたことは歓迎したい。野党だけでなく、与党の公明党も原則禁止を検討するという。民主党は近く改正案をまとめる方針だが、2カ月以内の派遣契約を認めないとの案が浮上しているようだ。しかし、それだけでは2カ月先の不安定雇用は解消されない。抜本的な見直しを求めたい。

派遣法の在り方については、私なりの考え方もありますが、こういう表層的な議論だけがまかり通ることには、警戒心が必要でしょう。

そもそも「日雇い派遣」の何が悪いのでしょうか。フルキャストやグッドウィルが悪いというのは個別企業の問題です。「日雇い」も「派遣」もそれだけでは禁止されていません。それが組み合わさるとなぜ禁止しなければならないほどの悪さが発生するのか、説得的な論拠は示されていないのです。生活の安定という観点からすれば、直用であれ派遣であれ日雇いは究極の不安定雇用です。そして、我々は今まで、そういう不安定な日雇い就労を何ら制約することなく、存在することを認めてきたのです。

安全対策や安全教育がおろそかになるのは、派遣じゃない日雇い労働者だって同じでしょう。直用であろうが、派遣であろうが、安全衛生はもっぱら就労先、派遣先の責任なのです。派遣が悪いのではなく、派遣労働における責任は全部派遣元に押しつければいいという発想に問題があるのでしょう。

 日雇い就労には、基本的に毎日日雇いで就労して生計を立てているタイプと、別に本業ないし本来の社会的位置(学生等)を持ちながら、その空いた時間にアルバイト的に就労するタイプの2種類があります。後者は、安全衛生や労災補償等の労働者保護が欠けることにならない限り、それ自体として弊害があるとは言えないでしょう。彼らについては、日雇い就労の不安定さは、必ずしも政策的に対応しなければならない社会学的な問題ではありません。これに対して前者は、その雇用の不安定さがまさに社会学的問題であり得る人々ですが、しかしながら我々はそういう日雇い就労を禁止することはせず、特別の雇用保険制度によってその不安定さに対応しようとしてきたのです。これは、日雇い就労が身元を明かすことなく就労できるという意味で、様々な問題を抱える人々にとって、一種のアジール的な機能を果たしてきたこともあるように思われます。

 いずれにしても、日雇い派遣禁止論は単に近視眼的であるだけでなく、法制としての整合性が何ら見当たらないように思われます。

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焦点は残業代ではない

明日発売される『エコノミスト』誌3月18日号に、マクドナルド裁判に関する私の小論が載っております。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

>■働 く 焦点は残業代ではない マクドナルド賃金訴訟の本質は長時間労働の規制にある  濱口 桂一郎

ご関心のある方々はお買い求めいただければと存じます。ちなみに、特集記事は、

■【特集】米国発 世界不況

■【特集】淘汰される不動産ファンド

です。

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福田首相の賃上げ要求

既に各紙各局で報じられていますが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080306-OYT1T00670.htm

>福田首相は6日、日本経団連の御手洗冨士夫会長を首相官邸に呼び、春闘の労使交渉について、「景気を浮揚させる一つのきっかけとして、今回の春闘に期待する」と述べ、春闘での積極的な賃上げ努力を求めた。

 首相が直接、経済界トップに賃上げを要請するのは異例だ。

 これに対し、御手洗会長は、「首相の意向は十分理解している。余力のある企業はできるだけ配慮してもらいたいと、これからも言っていく」と応じた。そのうえで、「実際には手取りを増やさなければいけない。我々がそういう(賃上げの)努力をすると同時に、減税も検討すればさらに効果がある」と述べ、新たな減税策を打ち出すよう訴えた。

 首相は6日配信の福田内閣メールマガジンでも、「改革の果実が、給与として国民に還元されるべき時がやってきている」とし、経営側に積極的な賃上げを求めていた。

そのメルマガはこちらです。

http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2008/0306/0306souri.html

>物価が上がっても、皆さんの給与がそれ以上に増えれば、問題はありません。しかしながら、働いている皆さんの給与の平均は、ここ9年間連続で横ばい、もしくは減少を続けており、家計の負担は重くなるばかりです。

 日本経済全体を見ると、ここ数年、好調な輸出などに助けられて、成長を続けています。企業部門では、不良債権などバブルの後遺症もようやく解消し、実際は、大企業を中心として、バブル期をも上回る、これまでで最高の利益を上げるまでになっています。

 これらは、さまざまな構造改革の成果であり、そうした改革の痛みに耐えてがんばった国民皆さんの努力の賜物にほかなりません。

 だからこそ、私は、今こそ、こうした改革の果実が、給与として、国民に、家計に還元されるべきときがやってきていると思います。

 今まさに、「春闘」の季節。給与のあり方などについて労使の話し合いが行われています。

 企業にとっても、給与を増やすことによって消費が増えれば、経済全体が拡大し、より大きな利益を上げることにもつながります。企業と家計は車の両輪。こうした給与引き上げの必要性は、経済界も同じように考えておられるはずです。政府も、経済界のトップに要請しています。

春闘がここまで時の首相に応援されたことは、未だかつてなかったのでは? 労働組合の支持政党が与党であった時期も含めて。

しかし、この福田首相のロジック、まさに典型的なフォーディズム的ケインジアン政策ですね。クルマを作る人がクルマを買えるような賃金を払うことで世の中が回るというメカニズムは、決して古くなったわけではないということでしょう、モリタク先生がいうように。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_e1ba.html

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マック元店長に労災認定

共同通信から、

http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008030701000023.html

>豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)は6日、日本マクドナルドの元店長で愛知県内の50代の男性が脳梗塞などで倒れたのは、長時間の残業など過重な労働が原因だったとして、労災を認定した。

 同労基署は勤務記録などから月80時間以上の残業が続いていたと認めた。

 支援する日本マクドナルドユニオンなどによると、男性は1982年に入社。豊田市でマクドナルドの店長として勤務していた2004年11月に大動脈瘤と脳梗塞を発症した。

 男性は昨年1月、豊田労基署に労災を申請。脳梗塞発症前の残業時間について、マクドナルド側は1カ月当たり55時間から67時間前後と主張。これに対し男性は「2店舗の店長を兼務していた時期もあり、月百時間以上だった」と訴えていた。

別に、残業代を払わないのがいいとか悪いとか、そういう話とは関係ないんですよ。残業代を払わなくていい人だから、倒れても労災にならないわけではないし、残業代を払っていたからと言って労災補償責任を免れるわけでもない。

マクドの社長さんも、マスコミの皆さんも、政治家の皆さんも、いい加減残業代しか興味のない状態から脱却してもらいたいものです。

なお、例の高野広志さんの裁判の関係で、来週月曜日発売の『エコノミスト』に小論を書いておりますので、ご関心のある方はどうぞ。

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企業年金は「モノ言う株主」でいいのか

『エコノミスト』3月11日号が、「株3月危機」という特集を組んでいて、

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/economist/

その中に、

>“モノ言う株主”からの提言 日本はあまりに株主軽視の国、見放されて当然だ    矢野 朝水

という短いコラムがありました。曰く、

>このような判決が日本の司法は投資や市場に対する理解が乏しく、投資活動を否定するという印象を世界に与えてしまった。

>いま日本には改革を拒否し、市場開放を拒む時代錯誤的な攘夷論が蔓延しているように思える。

>極めつけは、1月の講演での北畑隆生経済産業事務次官の株主・投資家蔑視の発言だ。・・・・・・国益を大きく損なった経産次官は更迭に値すると言わざるを得ない。

ああ、また例によって例の如き「会社は株主のモノ」論か、といって済ませるわけにはいきません。これがどこぞのヘッジファンドの人の発言ならば、それで済ませていいのですが、そういうわけにはいかないのです。なぜなら、こういう株主至上主義を得々と説いているこの矢野朝水氏は、厚生省年金局長から厚生年金基金連合会(現在の企業年金連合会)に転じ、その専務理事を務めている人だからです。

あなたが預かっている企業年金のカネとは一体どういう性質のものであるのか、それを少しでも考えたら、ここまで脳天気な株主至上主義は語れないはずです。あなたが責任を負っているステークホールダーは、ただカネを増やしてくれといって持ってきた客ではありません。企業年金の掛金は事業主拠出分だといっても、それは企業にとっては賃金と同じ労務コストです。企業年金の使命は、預かったカネを増やすことに専念して、そのカネを預けてくれた企業を潰したり、あるいは労働者のクビを切って、その労働者がもはやその掛金を払えなくしてしまうことにはないはずです。カネは確かに増やしてくれたが、そのもとの給料がなくなりました。めでたしめでたしというのが、企業年金連合会のステークホールダーに対する責任なのでしょうか。

これは「社会的責任投資」などというハイレベルな話以前の問題です。環境も結構、人権も結構、しかし、企業年金にカネを預けている肝心の労働者の利益を無視して、一体どこに企業年金の責任があるのでしょうか。まさか、いま働いている労働者なんかどうでも良い、労働者が引退して企業年金をもらうようになって初めて我々のステークホールダーさまになるんだ、とお考えなのでしょうか。

正直言って、経済産業事務次官を擁護して、元厚生省年金局長を批判するようなことになるとは、想像もしていませんでしたが、これはあまりにもひどいので、一言苦言を呈しておきたいと思います。更迭に値するのは、北畑次官の方ではありません。

(追記)

「さすがにこのhamachan発言は暴走かと、、」言われているのですが、

http://blog.livedoor.jp/a98031/archives/51252486.html

わたくしにはどこが「暴走」なのかよく判りません。

むしろ、「確定給付企業年金を実施しようとする厚生年金適用事業所に使用される被用者年金被保険者等の過半数で組織する労働組合があるときは当該労働組合、当該被用者年金被保険者等の過半数で組織する労働組合がないときは当該被用者年金被保険者等の過半数を代表する者の同意を得て」(確定給付企業年金法第3条)作成された規約に基づき設立された制度を実施する役目の者が、その「確定給付企業年金を実施しようとする厚生年金適用事業所に使用される被用者年金被保険者等」の利益を考えなくても良いという方が、よっぽど「暴走」に思えますが。

村上世彰氏にお金を預けている人は、そのお金を増やしてくれと頼んでいるだけですから、その個々の行為の違法性はともかく、顧客に対しては正しいことをしているというべきでしょうが(それに加えて社会的責任をどこまで要求するかはまた一段上の話)、矢野氏が預かっている金は、顧客をクビにして増やして顧客に返せば責任を全うしたことにはならないでしょう、ということです。

わかりやすくするために、いま日本にはヤマト自動車という会社一つしかないとしましょう。ヤマト自動車は従業員のために企業年金を設立し、その運用を企業年金基金が行っています。さて、このヤマト自動車企業年金基金が、ヤマト自動車は従業員を大事にしすぎて当然出すべき利益を出していない、余計な従業員のクビを切れ、賃金をもっと下げろ、と、「モノ言う株主」として主張して、その結果、ヤマト自動車企業年金基金がより多くの利益を上げたとして、その利益を還元すべき相手はどうなっているでしょうか。

現実には多数の企業年金が存在するので、利益を還元すべきある会社の従業員の利益と、株主として労働者への配分をぎりぎりまで切りつめろと主張する別の会社の従業員の利益とは別物ということで済むわけですが、それは個々の企業年金レベルの話です。

企業年金連合会というのは、日本の企業年金すべての利益を代表しているわけですから、いわば上の設例の、日本に一つしかないヤマト自動車企業年金基金と同じ立場です。そういう立場の人が、上述のようなことを平然と語っていることの方が百万倍「暴走」なのではないでしょうか。

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水町勇一郎先生インタビュー前編

ダイヤモンドオンラインの辻広さんのコラムに、水町勇一郎先生のインタビュー完全版が載っています。今回は前編です。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/

>――水町さんは、連合総合生活開発研究所(連合総研)で「新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて~イニシアチヴ2008研究委員会~」の主査を務めておられますね。

水町:はい。メンバーは労働法学者、労働経済学者が中心で、20代から30代の若手が主力となっています。外国の労働法制の基礎研究をしっかりと行い、直近の改革についても熟知している若手たちで、政府の審議会にも入っていない、自由に発言できる方々です。また、トヨタ自動車の人事担当部長、経団連幹部にも加わってもらっています。連合は、意見は言うが、研究報告内容に口を出さない約束です(笑い)。

つまり、「主力」は「20代から30代の若手」ということで・・・。

このあとは、リンク先をご覧ください、というところですが、現時点でのメンバーは以下の通りです。

発足時のメンバーは、

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no221/houkoku_3.pdf

の一番下にあるとおり、

主 査:水町勇一郎 東京大学社会科学研究所准教授

委 員:大石  玄 北海道大学大学院法学研究科博士後期課程

 〃  太田 聰一 慶應義塾大学経済学部教授

 〃  神林  龍 一橋大学経済研究所准教授

 〃  桑村裕美子 東北大学大学院法学研究科准教授

委 員:櫻庭 涼子 神戸大学大学院法学研究科准教授

 〃  濱口桂一郎 政策研究大学院大学教授

 〃  両角 道代 明治学院大学法学部教授

アドバイザー:荻野 勝彦 トヨタ自動車株式会社人事部担当部長

 〃  杉山 豊治 情報労連政策局長

でしたが、その後、

委 員:飯田 高 成蹊大学法学部准教授

が加わり、

また、オブザーバーとして、連合と日本経団連からも参加しています。

最終的には2009年初め頃に報告書を取りまとめてシンポジウムをやるという予定になっています。

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そういう二項対立ではないのです

日経BIZPLUSで、金融経済学の深尾光洋氏が「日本的雇用慣行と成果主義」というコラムを書かれています。労働問題にあまり詳しくない方が陥りがちな典型的な思考パターンを見せていますので、このブログの読者の皆さんには今更ながらのお話ですが、ちょっとコメントを。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer02.cfm

>最近、ある人から、日本的雇用慣行と欧米型成果主義の違いを整理してほしいと頼まれた。従来型の日本型雇用慣行では対応できない仕事が増えてきているが、成果主義の導入も副作用が大きい。私の限られた経験では見落としも多いと思われるが、議論のたたき台になるのではないかと考え、あえて2つの人事制度のメリットとデメリットを大づかみにまとめてみた。

そういう風に、二項対立させてしまっていけないのです、というのが、まずしなければならなかった答えなのです。しかし、深尾氏はその土俵を何ら疑うことなく、まず日本的雇用慣行についてこう書きます。

>日本的雇用慣行では、長期雇用を前提に採用された総合職については、入社後10-15年程度は報酬、昇進とも表面上はあまり差をつけない。ほぼ全員、同じ時点で社内資格や報酬が上がっていくが、人事管理の面では入社時点から上司や人事部による各人の評価がスタートし、制度的に蓄積されて管理職への昇進が決定される。

 入社後10-15年を過ぎると係長、課長などに昇格する。その時期や仕事の重要さに差が発生するが、同期入社者の給与格差はあまり拡大させない。能力の差は、報酬ではなく仕事の内容で本人に報いる形をとる。実力のある者には、より大きな達成感のある仕事を与える。

 このような制度の下で、給与体系は年功的な要素が強く、年齢別の報酬と実力の関係を見れば、若年層は平均的には実力以下の報酬、年配層は平均的には実力以上の報酬を受け取る。採用は現場部署で決定するのではなく、人事部で全社の新人を採用する。人事異動も現場部署と人事部の交渉で行われる。人事部が人事異動全体を見るので、長期的な人材育成の観点からローテーションを組むことが可能である。現場部署による総合職の採用を認めないのは、現場で採用した人材が不要になっても、社内のどこかで働く場を提供しなければならないからである。

 この日本的雇用慣行のメリットは、第1に、上司や先輩が新人をライバル視する必要がないため、長期的観点から職場内訓練(OJT)など教育指導をするインセンティブを持つことである。第2に、同期入社者が同僚意識を持つことができ、情報共有が容易になる。ライバル意識はあっても、社内ランキングが入社当初は明確にならないためである。

 第3に、当初は昇格に差をつけないことを利用し、人事部や上司が巧みに新入社員全員に対して「皆が幹部候補生だ」と思いこませることができれば、相当長期間にわたって総合職の社員全員に高いモチベーションを持続させることが可能になる。職場には一体感が生まれ、支出が大きい年配層の生活も安定する。

 しかし良いことずくめに見える日本的雇用慣行にもデメリットがある。実力の差が報酬に反映しないため、優秀な人材にとっては待遇面に不満が生ずる。このため、実力主義を採用する外資系などの他企業に優秀な人材が引き抜かれる可能性がある。さらに入社20年を超える層に管理職が務まらない者が現れても、若年層を上回る報酬を支払い続ける必要があり、いわゆる窓際族の発生が避けられない。

細かいところではいろいろと問題はありますが、大まかな描写としては大体こんなところでしょう。一言で言えば、「長期的に差がつく査定付き年功制」です。正社員である限り、ノンエリートのかなり下の方まで、こういう仕組みが適用される点が日本の特徴です。

これに対して、欧米型雇用慣行の基本形は「査定のない職務給」であって、一部のエリート層に適用される成果主義ではありません。というか、欧米型成果主義も、職務給ベースの成果主義であって、日本で成果主義といわれている職務給ベースのないものとは違います。

ところが、深尾氏がその後で縷々書かれるのは、そういう両者の本質的な違いではなく、

>これに対し典型的な欧米型成果主義では、入社同期の間でも大幅な報酬格差が発生しうる。実力が収益に密接に関係する営業や証券ディーリングなどの分野では、入社数年で同期の報酬格差が数倍以上に拡大しうる。年齢が上がってもパフォーマンスが悪ければ報酬は上がらず、場合によってはカットされうる。仕事の面でも実力があれば、若くても管理職に抜てきされうる。

 新人採用は現場部署が決定し、人事部はサポート役しか果たさない。典型的には、採用部署のトップと数名の補佐が面接して採用を決定する。現場部署のトップは部下の報酬を決定したり解雇したりする権限も持ち、解雇も人事部を通さず現場で行われる。一方、現場部署のスタッフは上司の許可を得ず社内で自主的に動けるため、現場部署のトップに人望がなければ部下の離反が発生しうる。上司や人事部はローテーションなどによる長期的な人材育成をあまり考えないので、現場のスタッフは自分でキャリア形成を考える必要がある。

 この成果主義のメリットは、第1に、若年の優秀者を昇格や高い報酬で処遇することができる点である。パフォーマンスの悪い中高齢者を降格や解雇でリストラし、窓際族の維持に伴うコストを下げることもできる。第2に、制度がうまく機能すれば、全社員のチャレンジ精神を強められる。投資ファンドの運用など実力で大きな成果の差が発生する場合は、毎年最もパフォーマンスの悪い者を懲罰的に解雇することで現場に高い緊張感を維持することもできる。

 しかし成果主義にも、当然デメリットがある。職場では周囲の同僚は皆がライバルであり、先輩には新人に仕事を教えるインセンティブが少ない。部署のトップも即戦力の人材を必要とするため、長期的な観点で部下を育てるインセンティブが弱い。また、個々人のパフォーマンスを計測することが困難なサポート部門や調査部門などの職場では、成果主義の実施が困難になる。

 さらに現場トップに強い権限が集中するため、評価者に対するゴマすりや追従が発生しやすくなる。これをチェックするためには、管理職の評価をその上席の者が評価するだけではなく、部下や同僚による、いわゆる360度型の評価が必要になる。現場部署のトップに実力がなければ、部下が全くついて行かないことも起こり得る。「あんな上司に評価されるくらいなら辞めた方がまし」といったことが発生しうるのだ。

この中のいくつかは、職務給システムの特徴であって、成果主義であるか否かとは直接関係ありません。欧米ノンエリートの大部分がそのもとにある査定なき職務給でも、人事権は現場にあり、人事部の力は余り及びません。それはむしろ、日本における非正規労働に近いと言えます。

そして、成果主義ということで言えば、欧米のような職務給ベースの成果主義の方が、そういうベースのない日本で行われる成果主義よりも、より客観的な判断基準でありうるという点がむしろ重要でしょう。もちろん、あらゆる査定は主観的でしかないのですが、職務範囲が明確であれば、その主観性にも限定が加わります。職務範囲が明確でない中での、短期的な上司による査定は、実はよりどころがなくて、主観的な人格判断になってしまいがちです。

もちろん、今までの日本型査定付き年功制でも、査定は基本的に人格判断だったのですが、それが長期的に多くの上司の判断によって行われることで、まあなんというか共同主観性という意味での客観性を持ってきたのだと思うのですが、それをやめてしまうと、ほんとに主観的でしかない判断であり得てしまうところが恐ろしいのです。成果主義を論じるのであれば、本当はそういうレベルに踏み込んで論じないと、問題の本質に届かないと思うのですが。

もちろん、これは深尾氏の責任と言うよりも、深尾氏が通常読まれるようなレベルのこの分野の本が、大変表層的で問題の本質からかけ離れた薄っぺらな売らんかな主義の「てえへんだてえへんだ」的イエロージャーナリズムでしかないという事実の反映なのですが。

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労働法における「使用者」

『時の法令』3月15日号掲載の「そのみちのコラム」最終回は、「労働法における『使用者』」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shiyousha.html

前回に続き、労働法における契約論的発想の弊害を、今度は派遣の法的構成を例にとって述べています。

なお、この「労働法は契約じゃない!」というまことに反時代的な主張は、先日刊行された『日本労働研究雑誌』の学界展望の座談会の最後のところでもちらりと述べております。ご参考までに、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

>【濱口】いささか挑発的な言い方になるかも知れませんが、労働法における契約論的発想の弊害が露呈されてきた時期であったのではないかと感じています。こういうことを言うと、せっかく労働契約法が成立したのに、何を時代遅れなことを言っているのだと言われかねませんが。
 労働法の世界におけるここ数年来の流行は、契約原理という市民社会のルールに基づいて労働関係を規律すべきという考え方だったように思われます。大変皮肉なのは、労働契約法の制定過程において、労働政策審議会で労働側委員までもがそういう主張を繰り返したことです。しかし、そういった民法の私的自治原則にのみ立脚して労働関係を構成するならば、労働者の利害の共通性に立脚してその労働条件を集団的・斉一的に規律しようとしてきた労働法独自の労使自治原則は否定されてしまいます。民法学からも集団的・制度的契約という考え方が提起されてきている中で、労働法学が改めて再検討すべきは、一方的決定ではなく労使対等決定が確保された制度的契約の在り方という方向にあるように思います。
 本日の議論でも指摘されたように、労働契約法の議論がうまくいかなかった最大の原因は、集団的労使関係法理への目配りが欠如していたことであると考えるならば、これからの労働法学の課題は、憲法上自発的結社と位置づけられている労働組合という装置と、職場のすべての労働者の利益を代表するべき従業員代表という仕組みを、いかに整合的に制度設計していくかにあるのではないでしょうか。労働条件の変更問題だけではなく、非正規雇用や解雇など多くの個別的と思われている労働問題に対しても、集団法的アプローチが改めて検討される必要があるように思います。近年、集団的労使関係は研究者に人気のない分野ですが、取り組めば様々な成果が期待される豊穣な分野ではないでしょうか。

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生活給と同一労働同一賃金

『賃金事情』3月5日号掲載の「日本の労働システム②生活給と同一労働同一賃金」 です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatukyu.html

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「働く」ワーキンググループ報告

昨日読売の記事で紹介した国民生活審議会総合企画部会の「働く」ワーキンググループの報告が、総合企画部会の資料としてアップされています。

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/index.html

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/080304shiryo04.pdf

改めて読んでみると、実に的確な認識に基づき、適切な政策を提示していて、ほとんどそのまま引用したいくらいです。この中から自分の興味に引っかかった「ニート」だけを見出しに取り上げた読売記者の見識(および、その見出しに引っかかってこの報告をあれこれ批判して見せたネット界の人々の良識)が問われますね。

>「働く」ことは、生活者一人一人にとって、生きていくための営みのひとつであるだけでなく、社会への貢献であり責任であり、同時に本人の自信や幸福につながる自己実現のための最重要な方策である。一人一人が自己実現に向け努力していくことは不可欠であるが、制度上、自助努力を促したり意欲を維持・向上させる仕組みも大切である。

しかし、「働く」ことをめぐっては、個人の自助努力のみでは限界があるような事象が現実には多発している。非正規労働者の増加、ワーキング・プアの問題などが生じ、格差の拡大や固定化が懸念され、ときには個人の尊厳が損なわれかねない問題が起こっている。また、長時間労働の労働者が増加し、仕事と健康、家庭生活、地域活動、自己啓発等の両立の困難さが顕在化し、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)が喫緊の課題となっている。さらに、サービス残業、偽装請負・違法派遣、社会・労働保険の未加入等、「働く」ことに関する基本的なルールが守られていない状況がある。さらには就業形態が多様化し、企業との雇用関係にはないディペンデント・コントラクター(ひとつの企業と専属の委託業務契約や請負契約を交わし、常駐に近い形で就業する個人自営業者等)やNPO 活動に従事する有償ボランティア、二つ以上の企業で働くダブルジョブホルダー(二重就職者)等が増加しているにもかかわらず、必ずしも法制度が十分整備されておらず、既存の労働法制や諸制度の適用から漏れることで問題が生じている実態も見受けられる。

だれもが意欲と能力に応じて働くことのできる状況や、多様な働き方が認められ尊重される状況をつくることは、最大の福祉の実現へとつながり、安心して意欲と能力を発揮できる就業環境の提供は生活者の福祉向上にとって不可欠である。また、働く人がより良いライフスタイルを実現することができるようにするためには、働く人が、家事や育児・介護はもちろんのこと、イベントや学校行事など地域の活動や地域づくり等に積極的に参加できるような取組を進めることが必要である。さらに、これらのことにより労働生産性の向上を図り、社会全体の底上げにつなげることも重要である。

国はこうした視点から、地方公共団体や企業、労働組合、NPO 等と協力・連携し、国民に対して、「働く人を大切にする社会」を保障していかなければならない。本報告は、安心して意欲と能力を発揮できる就業環境を提供する上での緊急の課題とその解消に向けた取組について提言するものである。

まず、「「働く」に関する緊急の具体的課題」として、「就職困難者一人一人に対する支援体制」が挙げられます。

>障害者や母子家庭の母、ホームレスやニート、フリーターなどの若者等、就職困難者一人一人に対し、訓練から、職業紹介、就職に至るまできめ細かく支援する体制(一人別のチーム支援体制)が十分に整備されている状況にはない。これまでの行政の取組は、相談窓口に来た人に対する支援を行うが、自ら積極的に出向いて支援することには限界があったところである。このため、就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制が、NPO 等の民間団体の協力を得て労働・福祉分野の行政により、一体的に整備されるようにすることが最重要な課題の一つである。
また、これと併せて、就職困難者の安定雇用に至るプロセスを埋める働く場を創出していくことも重要である。

これについては、さらに「当該課題の解消に向けて(試案)」の中で、

>就職困難者については、厚生労働省において、ハローワークに自ら出向き登録する生活の余裕がない人たちや登録しても無理だと諦めてしまっている人たち、低賃金のパートタイム労働に従事することを余儀なくされている人たちも多く存在するとの認識のもと、よりきめ細かい実態把握を行う必要がある。その上で、就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制について、都道府県ごとの官民の協力・連携体制の強化を通じて、
就職困難者の属性に応じた支援チーム(労働・福祉分野の行政及びNPO 等の民間団体で構成)を着実に整備する取組を進める必要がある。

読売さんはどこから「ネットカフェ」という言葉を持ってきたのでしょうか。いや、もちろん、ネットカフェに行ってもいいと思うんですが、「ニート」をわざわざ見出しにして「ネットカフェ」という報告にない言葉を持ち出して、なんだか特定の人々を想定した一定の方向に読者の意識を持って行きたがっているようです。その結果、およそ労働政策に対して憎悪を燃やす一部の人々の格好の餌になってしまうようなミスリードをしてしまっているわけで、少しは反省していただきたいところではあります。

>また、各地域で、働くことについての施策や相談窓口の情報が、生活者に対してわかりやすく、利用しやすい形で提供されるようにする必要がある。具体的には、厚生労働省において、全国レベルで、ポータルサイトの新設により必要な情報を簡単に検索できるような仕組みを整備するとともに、地域レベルにおいても、都道府県ごとに、入口段階であらゆる相談を受け付けるワンストップサービス窓口の整備及び専門相談窓口のネットワーク化による相談体制の整備を図る必要がある。

このワンストップサービスの発想が、今までの労働行政にはわりと欠けていたところだと思います。

昨日もちらりと触れましたが、次の一節は極めて重要です。

>労働関係法令遵守は経営課題としても最重要な課題であり、産業振興行政・中小企業行政においても単に労働行政に協力するという姿勢に止まらず、企業の健全な存続・発展を図る上で避けて通ることのできない課題として主体的に取り組むことが必要である。また、我が国における労働関係法令遵守水準の低さは、学校教育段階で働くことの意味をはじめ働くことに関する的確な教育が行われていないことも大きな原因であるとの指摘もあるところであり、これは若年者の職業意識の形成が十分に行われていないことにもつながっている。

このため、内閣府、厚生労働省、経済産業省、文部科学省等関係府省庁の連携の下に、学校教育段階から社会に出てからの教育を含め、働くことの意味など職業意識の形成を図るとともに、労働関係法令遵守や働くことの権利と義務など働くことに関する教育の充実等のための取組を進めることが必要である。具体的には、学校教育については、文部科学省において、例えば、人は何故働くのか、社会の一員として働く意義は何かなど働くことの意味に加えて、サービス残業の問題や解雇時の保護、困ったときの相談窓口など働き続ける上で最低限必要な知識が実際にどの程度教えられているのかについて実態調査を行い、不十分な部分について厚生労働省はじめ関係府省庁が協力して対応を行うなどの取組が必要である。また、大企業を含め、企業経営者への労働関係法令の周知徹底を図ることは緊急性を要するところであり、中小・零細企業経営者を中心に、最低限必要な労働関係法令の知識について、厚生労働省、経済産業省はじめ関係府省庁が中小企業団体や業界団体との連携を図りつつ、創業支援時、労働保険の適用開始や年度更新の手続きの機会等あらゆる機会を活用して周知・徹底を図る必要がある。

また、

>就職困難者一人一人に対する一人別のチーム支援体制や地域における相談機能の強化については、通常の行政手段(受け身の姿勢の行政や、働く人の自助努力に大きく委ねる方法)に比し格段に人の手間と予算が必要となるところである。例えば、一人別のチーム支援体制の整備については、通常の求職者に対する支援と比べて多くの業務が必要となり、また極めて多くの時間を必要とするところである。また、労働関係法令遵守の徹底を図るためにも、現行以上の監督指導のための体制の一段の強化が不可欠である。

しかし現状を見ると、厳しい定員管理のもと、我が国の労働者1万人当たりの労働行政職員数(職業安定機関、労働基準監督機関等)は諸外国と比較すると極めて少ない実態にあり、さらに地方公共団体においても労働行政担当職員数の減少がみられる状況にある。

こうした状況において、上記の取組を推進するためには、既存の定員・予算の効率化・合理化を図る必要があることは当然であるが、これのみでは真に必要なところに定員・予算を確保することは困難である。このため、職員の専門性の向上や官民の連携強化を図りつつ、地域の労働行政に対する支援を含め、定員や予算を確保するための特別措置を講ずることが必要である。

なんでもかんでも小さい政府がいいというわけではないということです。どういう分野に精力を傾注する政府を望むのか、という選択の問題なのですね。

たいへん興味深く、かつちょっと慎重に考える必要があるかな、と思われたのが、

>公労使の三者構成の審議会等については、実効性のある政策を進める上で三者構成を維持することが必要であるが、同時に生活者の意見を幅広く吸い上げる取組を今後とも進めることが適当である。その他の生活者委員の登用ルールが整備されている審議会等においては、生活者委員の構成比率の向上に取り組むほか、それが変わらない場合でも生活者の意見を幅広く吸い上げる取組を進める必要がある。一方、生活者委員の登用ルールが構築されていない審議会等については、早急にルールを構築することが求められる。なお、すべての審議会等を通じて、現在は働いていないが、今後、就業を希望している人たちや一般の生活者の意見を聞く機会も設けていく必要もある。

また、「働く人を大切にする社会づくり」について、関係府省庁で生活者重視の行政が的確に行われることを担保するため、職員の教育、意識改革の徹底を図るとともに、設置法上その趣旨の明確化を図るべきである。

とりわけ内閣府においては、今後とも「働く人を大切にする社会づくり」について総合調整機能の強化を図ることが求められているが、審議会等への生活者委員の登用ルールが必ずしも整備されていない等とともに、設置法上、「働く人を大切にする」という趣旨も含めて生活者の視点に立った行政を推進するという趣旨が明確になっていないところである。このため、これらについて早急に取組や整備が図られることが適当である。

ここで言っている「生活者」ってどういう人のことなんだろう?

「三者構成を維持するのと同時に」といってるところを見ると、労働者じゃないの?だけど、それって変だよね。「働く人を大切にする社会づくり」のために「生活者」の意見を幅広く吸い上げようというわけなんでしょう。

多分、現在の三者構成のもとで労働者代表として出てきているのとは違う種類の労働者たちというイメージなのじゃないかと思うのですが、それをうかつに(90年代に流行った言葉を持ち出して)「生活者」とか言わない方がいいように思うのですが。下手すると「消費者」サマの要求に従え、みたいなイメージでとられかねませんし。まあ、これは連合にとって厳しい話につながりうるテーマではありますが、逃げるわけにはいきませんよね。

消費者の意識改革という話も最後に出てきます。

>安全・安心で持続可能な未来の実現を図るためには、社会全体として「働く人を大切にする社会づくり」への取組が進められるようにすることが極めて重要である。このため、来年度から開催される社会的責任に関する円卓会議において、消費者としての利便性と働く人としての仕事と生活の調和の関係、消費者の意識改革、社会的責任投資や社会的責任調達等について十分な議論ができるよう、諸外国の制度・状況把握も含めて内閣府を中心に、事業者団体、消費者団体、労働組合、投資家、その他のNPO 等多様な関係者間の対話・調整を進めることが適当である。

なお、本円卓会議の働くことに関わるテーマとしては、仕事と生活の調和や格差是正などが考えられるが、メンタルヘルスやキャリアアップ、職場のハラスメント、長時間労働、不均衡処遇など働く人からの相談体制の整備を促進するために、企業の取組をCSR の観点から評価し支援するような仕組みについても議論していくことが適当である。

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鎖国してえ

餃子事件自体は本ブログで取り上げるべきネタではありませんが、これがこういう形で反中感情を喚起する要因になるのは、やはり、餃子がヒトのメタファーであるからでしょう。

それを極めてわかりやすい形で示してくれているのが、例によって剥き出しの本音全開で下品なコラムを書いてくださる大月隆寛氏です。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080302/acd0803020341002-n1.htm

>本欄で「鎖国してえ」とごちてからちょうど1年たったんでもう1度。でも、もうひとりごとくらいにゃおさめてられないんで、はっきり声に出しておおっぴらに。

 ああ、ほんとに心底、鎖国してえ。あの無駄にでかい国限定でいいから。

 かの毒入り冷凍ギョーザ事件、ますます絶好の教材になってきています。われらが食の現在の? それもありますが、何よりもいま、われらニッポンが直面してつきあわなきゃいけない「世界」ってやつを、むかつきながら思い知るための。

「日中友好」なんざもう、デキの悪いギャグ。ここまでコケにされてまだ、隣近所とは波風立てず仲良く、で追従笑いじゃあ政府も外務省も、真性売国奴確定、ですよ。

中国以上に日本の食料を依存しているアメリカのBSE牛肉では「鎖国してえ」とは思わなかったのですから、問題は食べるモノではないのでしょう。

この「鎖国してえ」は、中国人労働力の拡大に対する日本人労働者の表立っては出せない反発感情の別ルートを通じた噴出という面があるように思われます。それがこういういささかファナティックなショーヴィニズムの形態をとることはまことにゆゆしきことではありますが、それを高邁な理念で批判していれば済むというものでもないでしょう。これは、

http://www.nri.co.jp/opinion/region/2008/pdf/ck20080202.pdf

>迫られる労働市場の国際化-多文化共生社会の実現に向けて

などというたぐいの、いささか美辞麗句的な綺麗綺麗な議論では掬い取られない部分ですが、人間という生き物が織りなす労働市場が、社会心理学的分析の対象であり、ひいては政治学的分析の対象でもあるということは、ヨーロッパ諸国における外国人労働者問題とネオ右翼運動の動向をトレースすればよく判ることでもあります。

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OECD on 日本の解雇規制

日経が伝えていますが、

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080305AT3S0401404032008.html

>日本の正社員は過保護?・OECDが労働市場分析

 経済協力開発機構(OECD)は4日、加盟先進国の労働市場に関する分析をまとめた。日本は正社員へ手厚い雇用保護をしている半面、パートなど非正社員の処遇改善が遅れていると指摘。正社員への過剰な保護を緩める政策的な取り組みが進んでいないと批判した上で、正社員・非正社員の待遇格差を縮めて、より効率的な労働市場を目指すべきだとした。

 今回の分析は加盟各国に構造改革を促す報告書「成長に向けて(2008年版)」に盛り込んだ。

この「成長に向けて2008」は、これです。

http://www.oecd.org/document/58/0,3343,en_2649_201185_40157242_1_1_1_1,00.html

この本の第2章が各国編になっていて、そのうちの日本の節は、この1頁です。

http://www.oecd.org/dataoecd/13/16/40172723.pdf

そこで、労働市場について書かれているのは、このパラグラフです。

>Reform employment protection legislation for regular employment

Challenge and recommendations: To reduce labour market dualism, it was recommended that more transparent statutory guidelines on the dismissal of workers be introduced and that employment protection for regular workers be relaxed, thereby lowering incentives to circumvent strict conditions for dismissal by hiring non-regular workers.
Actions taken: No action has been taken to ease employment protection for regular workers. The revised legislation on part-time workers, which will come into force in 2008, aims at achieving more balanced treatment between part-time and regular workers. While this may improve the treatment of non-regular workers, it may also discourage firms from hiring part-time workers, thus depressing overall employment.

労働市場の二重化を避けるため、解雇ルールを明確化し、正規労働者の解雇規制を緩和せよ、と書かれていることは確かですが、特に後半のパート法の記述を見ると、あまりきちんと理解がされていないようにも見受けられます。とりわけ「thus depressing overall employment」というのは、明らかにおかしな議論でしょう。

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薬害エイズ事件最高裁判決

私は医薬行政については全く知識がありませんし、意思決定がどういう風にされるものなのかについても全然知りませんので、本判決自体の適否についてあれこれ論ずる資格は全くないことをあらかじめ断っておきます。

医薬行政、あるいは一般的に、企業活動に対してその安全面から規制を加える行政機能と当該業種における企業活動を振興促進する行政機能とが同一行政機関に属するような行政分野においては、本判決の判断が適切であるのかも知れません。日本の行政においては、そういうタイプの振興=規制行政が主流であることも事実なので、そういう分野における問題についてまで異議を唱えようとするものではありません。

ただ、世の中には、必ずしもそうでないタイプの行政も存在し、ある行政機関が安全面から規制を加えようとすると、「うちの可愛い業界を潰す気か?」と別の役所が出張ってくるようなこともあります。さらに近年では、およそ当該規制がなければ必ず被害が発生すると立証できない限り、いかなる規制もやるべきではないという強い信念に燃えた政府機関も存在し、当該規制をしなければ被害が発生するかも知れないなどというあやふやな根拠で規制をしようなどというパターナリズムは許しがたい、と圧力をかけるという現象も生じてきています。そういう中で、次のような最高裁の判断をどういう風に理解すべきなのか、なかなか整理がつきかねるところがあります。

>このような状況の下では,薬品による危害発生を防止するため,薬事法69条の2の緊急命令など,厚生大臣が薬事法上付与された各種の強制的な監督権限を行使することが許容される前提となるべき重大な危険の存在が認められ,薬務行政上,その防止のために必要かつ十分な措置を採るべき具体的義務が生じたといえるのみならず,刑事法上も,本件非加熱製剤の製造,使用や安全確保に係る薬務行政を担当する者には,社会生活上,薬品による危害発生の防止の業務に従事する者としての注意義務が生じたものというべきである。
そして,防止措置の中には,必ずしも法律上の強制監督措置だけではなく,任意の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるときは,これを行政指導というかどうかはともかく,そのような措置も含まれるというべきであり,本件においては,厚生大臣が監督権限を有する製薬会社等に対する措置であることからすれば,そのような措置も防止措置として合理性を有するものと認められる。
被告人は,エイズとの関連が問題となった本件非加熱製剤が,被告人が課長である生物製剤課の所管に係る血液製剤であることから,厚生省における同製剤に係るエイズ対策に関して中心的な立場にあったものであり,厚生大臣を補佐して,薬品による危害の防止という薬務行政を一体的に遂行すべき立場にあったのであるから,被告人には,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め,薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことも明らかであり,かつ,原判断指摘のような措置を採ることを不可能又は困難とするような重大な法律上又は事実上の支障も認められないのであって,本件被害者の死亡について専ら被告人の責任に帰すべきものでないことはもとよりとしても,被告人においてその責任を免れるものではない。

本件事案ではそういう風に言えるのかも知れませんが、たとえば、安全面からの規制権限は確かにその行政機関に存在するけれども、当該対象業種の一般的監督権限は他の行政機関に存し、その行政機関が当該規制に反対した結果として、安全面の規制権限を有する行政機関がその行使を断念したような場合、その不作為は違法になりうるのだろうか、とか、一般的に規制緩和の推進を任務とする行政機関が、当該規制の合理性に疑問を呈した結果として、当該安全面からの規制権限を有する行政機関が規制を断念したような場合はどうなんだろうか、とか、いろいろと考えさせられます。「必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め」ということの中には、協議しても賛成してくれない場合も含まれるんだろうか、とか。

いや、もちろん、これはどなたかを念頭において言ってるわけではなく、純粋に頭の中の思考実験なんですが。

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ニート支援、官民チームがネットカフェに出向き相談

現時点では、まだ内閣府のHPに資料も何もアップされていないようですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080304-OYT1T00171.htm

>国民生活審議会(福田首相の諮問機関)の「働く」作業部会は3日、ニートやフリーターのほか、障害者や母子家庭の母親などの「就職困難者」の就業を支援するため、雇用環境の改善策を盛り込んだ答申案をまとめた

んだそうです。

>官民共同の支援チームが若者の集まる場所に出向いて相談を受ける仕組みの創設などを提案している。月内に答申をまとめ、首相に提出する予定だ。

 答申案は、「就職困難者一人一人に訓練から職業紹介、就職に至るまできめ細かく支援する体制が十分に整備されていない」と問題点を指摘したうえで、具体的な改善策を列挙した。

 支援チームは、都道府県ごとに、NPO(非営利組織)法人などの民間支援団体と、国・地方自治体の労働・福祉分野の職員が協力して結成し、ネットカフェなどに出向いて相談を受けることを想定している。

 また、ハローワークでの就職相談、労働基準監督署での労災事故申請など、労働関係のすべての相談に対応できる窓口を各都道府県に設置するよう求めている。

 このほか、〈1〉労働関係の施策や相談窓口の情報が全国で簡単に検索できるホームページの整備〈2〉学校教育での「働くことの権利と義務」の周知徹底〈3〉労働行政の予算、定員の確保――などを提案している。

ブツがまだ手に入っていないので、とりあえずこういう記事があるというだけにとどめておきますが、この記事を見る限り、「ニート支援」を見出しに持ってくるのは、ミスリーディングとまではいわないまでも、かなりの程度バランスを失しているように見受けられますが。

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タイトルが誤解を招きやすい水町先生のインタビュー記事

ダイヤモンドオンラインの辻広さんのコラムに、水町勇一郎先生が登場しています。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10014/

>当コラムで2回にわたって、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が必要であると書いた。その主張の理念的背景と方法論を提示してくれたのは、各国の最新の労働法制改革を熟知する若手の労働法、労働経済学者たちだった。その中心人物である水町・東大社科研准教授に、「新しい労働ルールのグランドデザイン」を聞いた。これは要約版であり、全文は2倍以上ある。完全版は来週以降に掲載する予定だ。

――水町さんは、連合総合生活開発研究所(連合総研)で「新しい労働ルールのグランドデザイン策定に向けて~イニシアチヴ2008研究委員会~」の主査を務めておられますね。

水町:はい。メンバーは20代から30代の労働法学者、労働経済学者が中心。外国の労働法制の基礎研究をしっかりと行い、直近の改革についても熟知している若手たちで、政府の審議会にも入っていない、自由に発言できる方がたです。トヨタ自動車の人事担当部長、経団連幹部にも加わってもらっています。

私も一応メンバーなんですが、「20代から30代の労働法学者」ではないですが。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no221/houkoku_3.pdf

>――では、遅れている日本の労働法制をどう変えていけばいいのですか。

水町:国は基本ルールだけを決め、具体的なルールやその運用は労使の集団対話に委ねる。そして、その運用が公正に行われたか否か裁判所が事後チェックを行う。例えば、国は、「合理的理由がない限り処遇差別をしてはならない」という基本原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、請負労働者まですべての労働者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与するのです。

――日本の労働法制は、正社員に対する法的保護があまりに強い。派遣や業務請負との格差を解消して、「公正」を本当に実現できますか。

水町:正社員の既得権や正社員という枠を見直す動きは、その対話、議論の中で出てくると思います。90年代以降の労働問題は、正社員が日本的雇用システムという枠のなかで守られ、それと非正社員とのバランスが悪くなってしまったことに大きな原因があります。コスト削減圧力が強まっても、正社員は簡単には雇用調整できない。だから、新卒を採らず、まずパート、次には派遣、それが法規制で使い勝手が悪いとなると、今度は業務請負の利用に走り、格差拡大の方向に一直線に向いてしまった。と同時に、枠のなかで守られていると思ってきた正社員が少数化して過剰労働に陥るという状況も生まれてきた。全体としてのバランスが悪いなかで、全体が不幸に陥るという事態になってきた。これはおかしいんじゃないかという議論が起こってくると思います。

――例えば、どのように「公正」が実現されますか。

水町:「公正」のあり方は、それぞれの集団的な対話のなかで決まってくることになります。例えば、正社員の雇用は保護し、非正社員の雇用は流動的にするという企業では、非正社員の雇用が不安定になる分それを補償する手当を出すということも考えられます。

――正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなる、という改革もできますか。

水町:この3月に施行される労働契約法の16条に、解雇は「客観的合理性」と「社会的相当性」がなければ無効であると定められています。このルールをめぐっては、いわゆる「整理解雇の四要件または四要素」という法理が裁判所によって確立されています。しかし、この判例法理が画一的に解釈されすぎると、時代環境や個別事情に対応できない。このルールの解釈・運用の仕方として、労使がそれぞれの企業・職場における雇用のあり方についてどのように考え、どのようなルールを作り、それを公正に運用しながら労使の納得のいく形で雇用調整が行われている場合には、その労使の取り組みを重視する、という法解釈をすることが考えられます。

詳細インタビューは次号以下で、ということなのですが、大体水町先生の意図を適確に伝えていると思われます。タイトルを除けばね。あえていえば「労働ルールは労使の集団対話に」とでもつけるべきところで、わざわざ「正社員のクビを切りやすくする、新たな労働ルールの実現性」などと(ある意味では正しくないわけではないが、それだけが主眼だと誤解されると適当ではない)いう必要はないと思うのですが・・・。

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理科が大事!

日本経団連の「月刊経済Trend」に、ソニーの中鉢社長の「科学技術立国を担う次世代を育てるために」というエッセイが載っています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/200803.html

>昨年12月、OECDから世界57カ国の15歳を対象にした学習到達度調査の結果が発表された。日本の高校生は、「科学的応用力」6位(前回2003年2位)など全科目で前回より順位が後退した。特に深刻なのは、科学への興味が希薄で「科学に関連する職業に就きたい」と考える生徒が諸外国の平均25%に対し、わずか8%と極端に少なかったことだ。科学技術創造立国を標榜する日本としては、重く受け止めなければならない結果である。

1946年、ソニーの創立者の一人、井深大は、設立趣意書の中で「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」とともに、「国民科学知識の実際的啓蒙活動」を目標に掲げた。そして、日本の将来の発展を支える子どもたちが、科学に関心を持ち好きになるには、小中学校における理科教育が最も重要と考え、1959年に「ソニー理科教育振興資金」を設立し、その教育支援事業は、今に続いている。戦後の荒廃の中、資源の乏しい日本にとって、科学、技術を中心とした国づくりを進めるという目標は、国力を回復し国際社会に再び認められるための希望でもあった。

翻って今日、世界的にはグローバル経済の進展と新しい国々の台頭が経済の流れを変え、また、国内的には少子高齢化と対峙する中で、日本の国際競争力の向上は喫緊の課題となっている。21世紀の日本にとって、科学力、技術力こそが競争力の根幹であり、それを担う人材の育成が、従前にも増して重要となっていることを、再認識する必要がある。そして、科学を理解し、好奇心や創造力を養い、モノを生み出すことに喜びと充実感を感じる子どもたちを育てることに、社会として真剣に取り組まなければならない。

それには、企業も教育のあり方に関心を持ち、次の社会を担う次世代の育成を企業の社会的責任と位置づけ、長期的な視点で、教育の充実に積極的に携わることが重要だ。たとえば、企業が理科教育や技術教育等で「体験の場」を提供していくことは、子どもたちに科学、技術やモノ作りの面白さを知ってもらうために効果的である。こういった「場の提供」は、既に各企業で取り組んでいることだが、さらに産業界として連携してひろげていくことが、日本の将来を支える人材育成の一助となるのではないかと考えている。

大学入試の仕組みのために、いわゆるヘタレ文科系インテリに一番欠けているのは理科の教養なんですね。理科の大事なところは、理屈が通っていることと、経験的事実に即していることの両方が絶対に大事だというところで、事実に即さない屁理屈をこねくり回すだけでは理科にならないし、理論抜きに個別の事実をもてあそぶだけでも理科にならない。多分、その辺がヘタレ文科系って奴の最大の弱点なんじゃないかと思うわけです。エセ科学にころりとやられる。

前にこのブログで引用した大瀧雅之氏の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_54bc.html

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

という痛烈な批評とも通ずるものがあります。

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雇用政策基本方針

先週金曜日に、雇用政策基本方針-すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会の実現-が告示されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/02/h0229-1.html

内容については、今までもこのブログ上で何回か紹介してきていますが、

1 雇用政策の基本的考え方

(1)安定の確保

(2)多様性の尊重

(3)公正の確保

という、例の「基軸」がこちらでも基本になっています。

かつての企業主義時代の雇用政策は、「雇用安定」一辺倒で、労働者の多様性は軽視され、その結果として公正さにも欠ける面があったのに対して、その後の市場主義の時代には、安定性が軽視されたため公正さも担保されなくなったといえるでしょう。いつクビになるか分からないとなれば、いいたいことも言えなくなるのは必定です。とはいえ、かつてのようなただクビさえつながればいいから何でも会社のいうことを聞け、という時代に戻ることができるわけもありません。

まあ、この3つを両立させるということは、全部100%満足させるなどということは不可能なのですから、逆にいえばどの一つもある程度のところで我慢するということでもあり、中庸の感覚が必要であるということでもあります。

具体的な施策としては、

第1に、性別、年齢、障害の有無にかかわらず、誰もが意欲と能力に応じて働くことのできる「全員参加型社会」の実現を目指す。

第2に、人々の意欲と能力に応じた適切な職業キャリア形成が行われ、能力が十分発揮できるような環境の整備を図る。

第3に、誰もが、生涯を通じ、人生の各段階に応じて、多様な働き方が主体的に選択可能となるとともに、仕事と生活の調和のとれた働き方ができる社会を実現していく。こうした社会の実現により、長時間労働により生じる健康被害の防止や少子化の流れを変えることが期待できる。

このうち第2の職業キャリア形成に関して、

>労働者の職業キャリアの形成は、企業の事業運営において重要なものであり、OJTが引き続き大きな役割を果たしていくことから、企業内における職業能力開発に係る支援を進める。加えて、企業外におけるOFF‐JTや自発的な職業能力の開発及び向上も重要性を増していくことから、多様な教育訓練を提供する教育訓練機関の育成を目指し、民間企業、中小企業団体・業種別団体等の事業主団体、公益法人、大学・専修学校等の学校等を教育訓練の受け皿として活用すること等により、各機関の特性を活かした教育訓練機会の確保を図る。

と、90年代に過度に「自己啓発」至上主義に走った能力開発政策を、企業と社会の責任を強調する方向に切り替えていることが、政策の大きな流れとしては重要だと思われます。

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日仏比較の作法

NTT出版から出されている浅野清編『成熟社会の教育・家族・雇用システム-日仏比較の視点から』という本は、おおむねいい本です。全体の半分くらいを編者の浅野氏が書かれているのですが、第1部の教育システム、第2部の雇用システム、第3部の家族と社会保障システムという3つの領域を貫いて、フランス社会と日本社会の比較という観点から、実に有益な示唆を示しています。私がこの本を読んだのは、第3部の家族手当の関係に最近興味を持って、特にフランスでももともと企業特殊的な制度として始まった家族手当が、やがて事業主団体による家族手当金庫に発展し、さらにナショナルな制度になっていくというあたりを調べていたものですから、その面では確かに有益な本であることは間違いないのです。ですから、おおむねはいい本であることは間違いなのですが、やはり雇用システムに関するところでは、「をいをい」がありました。ケチをつけるのが目的ではないのですが、これはやはり一言コメントをしておく必要があるでしょう。

第2部第6章 階層化社会の雇用形態と賃金格差という章の、「第4節 幹部社員cadreと週労働時間法制」というところです。こういうふうに記述されています。

>日本では労働時間は「工場における定型労働に従事する労働者」を念頭に置いている。つまり、ブルーカラーを念頭に置いた安全基準に基づいている。
 ではフランスではホワイトカラー労働者は週35時間、年間1600時間という労働時間規制の対象になっているのか、と改めて問い直してみよう。ホワイトカラーを含めたすべての賃金稼得者が労働時間規制の対象になっていること、その規制が、非労働時間である「生活時間」「生活空間」を保護していることをここでは明らかにする。
フランスではブルーカラーとホワイトカラーの区分はない。労働法典でも「サラリエ」として一括されているし、INSEEやDARESの労働統計においても、同様である。
日本とは異なり、ホワイトカラーも労働時間規制(週35時間、年間1600時間)の対象となっている。21世紀を迎えた今、先進国では第3次産業従事者が7割を占め、日本のように工場労働者のみを対象にした労働時間規制というものがもはや時代遅れであることは明らかだ。ホワイトカラーのような「非定型的な労働者」は労働時間制度のエグゼンプションとすべきなのか、それともフランスのようにブルーカラーもホワイトカラーも区別しない一律適用がいいのか。

「日本とは異なり、ホワイトカラーも労働時間規制・・・の対象となっている」ですって?浅野氏がフランス事情に詳しいことは、その記述ぶりからよく分かります。しかし、日仏比較というのは、フランスに詳しいだけでできるわけではありません。浅野氏の書斎には分厚いフランス労働法典がおいてあることは窺えますが、日本の労働法典は置いていないようです。
 浅野氏は、フランスにおける労働時間の適用除外が、カードルの中でも経営幹部(カードル・ディリジャン)に限られ、カードルであっても労働単位に組み込まれた幹部社員(カードル・アンテグレ)は一般職員と同様労働時間規制の対象になるというフランス労働法制を詳しく説明した上で、

>フランスでは支店長などの幹部社員ですら、週35時間労働時間規制の対象に組み込まれている。日本では想像を絶する話ではないか。であるとすれば、平のホワイトカラーは当然のこと、週35時間労働の枠組みの中に、すなわち「生活時間と労働時間の峻別」を可能にする生活のリズムの中に住まっている。

あのお、そんなとこで「想像を絶して」もらってはいささか困ります。日本だってほぼ同じです。経営と一体の「管理監督者」でない限り、普通の「管理職」は週40時間労働規制の対象に組み込まれているんですよ。マクドナルドや、コナカや、セブンイレブンがやってることが日本国の労働基準法であるわけではありません。もちろん、実態は「想像を絶する」かもしれませんが、法制はほとんど一緒なのです。

さらにいえば、絶対水準は全く違いますが、日本とフランスには似た現象があります。浅野氏自ら、

>2のカテゴリーの支店長や課長は、「労働単位に組み込まれた」幹部社員であり、職場の始業・終業の「時間」に制約され、週35時間労働の縛りの中に置かれているのは確かであるが、実際は一般労働者よりも朝早く出勤し、また遅く退社することは銀行の支店を見ていればよく分かる。彼らはある意味で「サービス残業」をしているわけだ。週50時間以上、60時間以上働かざるを得ないのが、カテゴリー2の幹部社員である。

そう、実はフランスはヨーロッパ諸国の中で、不払い残業が多いこと、とりわけカードルの不払い残業が多いことで際だっているんですね。

日仏比較に限らず、およそ比較研究というものは、比較する両方について正しい知識を有していることが大前提です。この本で言えば、おそらく教育システムと家族や社会保障システムのところについては、そうなっているのだと思うのですが、残念ながら雇用システムの所については必ずしもそうではなかったようです。

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五十嵐仁さんへの応答

私が本ブログ上で何回か批判した政治学者の五十嵐仁さんが、ご自分のブログ上で反論を書かれています。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2008-02-28

本論に入る前に、五十嵐さんが極めて冷静かつ温厚な態度で反論されていることに敬意を表したいと思います。そんなことは当たり前と言えば当たり前なのですが、自分の書いたことが批判されると逆上して、議論の中身はどこへやら、もっぱら人格攻撃と罵倒、さらには人格攻撃ですらない属性攻撃に終始するといった香ばしい方々もいらっしゃることですから。五十嵐さんの対応はたいへん真っ当で、真正面から私の批判に対して事実を摘示する形で反論されています。

五十嵐さんは、

>「市場主義的な構造改革路線を政策の中心に置いて走り出したのは、細川、羽田、そして何より村山といった非自民党首班内閣の時代であったこと」を隠すつもりは全くないということです。

>実は、この月例研究会では、濱口さんが指摘されるような内容についても報告しております。

と述べ、その報告会におけるペーパーを引用しておられます。そこでは、宮沢、細川、村山各内閣において、生活大国から規制緩和へ徐々に重点が移っていったことが書かれており、事実五十嵐さんは月例研究会ではそのように語られたのでしょう。

実のところ、昨年のエントリーで批判した『大原社研雑誌』のやや長めの論文では、こういった時期についての上述のような記述はなく、まさに橋本内閣から規制緩和路線が始まるような記述になっていたものですから、今回の短い報告文でもそうだと即断してしまったのですが、少なくとも今回の月例研究会の報告については、そうではなかったようです。したがって、そこを隠している云々といった私の批判は当を得ていないものというべきであり、撤回させていただくとともに、それを「知的誠実さ」の欠如と表現した点についてはお詫びしたいと思います。以上が第一点です。

第二のこの時期の内閣を熱狂的に支持したか否か云々については、おそらく五十嵐さん自身は「それまでの自民党内閣よりはましだが支持するわけではない」という立場(リベラルでないサヨク)なのでしょうし、おそらくその点では他の政治学者の方々を念頭に置いた表現を適用するのはいささか適切ではなかったと言うべきだったと思います。ただ、問題はむしろその先にあります。

上述の点とも関わるのですが、実のところ、宮沢内閣から細川内閣を経て村山内閣へと連なる政策路線には、その当時の社会状況からして、確かに積極的に評価されるべき要素があったのであり、それゆえに当時多くの学者やマスコミが支持したわけです。それは、それまでの企業中心社会の在り方にいくつかの矛盾が生じ、それを修正しなければならない状況が生じていたことを反映していました。当時、それをもっとも明確な形で定式化したものとして、例えば大澤真理さんの『企業中心社会を超えて』などが挙げられるでしょう。そこに示された批判は、それ自体としてはもっともなものが多かったことは確かです。

しかしながら、そのある面で正当な批判は、同時にそれまでの企業中心社会のもっていたそれなりの社会性、連帯性、福祉性を否定するという側面も有していました。そして、続く橋本内閣以降ではその側面が次第に前面に出るようになり、小泉内閣でその頂点に達するわけです。ここで重要なのは、この両面性をきちんと認識することであって、誰がどの内閣を支持したかしなかったかといったようなことではないのではないかと思います。

これは、やや抽象的に言うと、政策批判における過度の政治主義の弊害と言うことになるのではないかと思います。政治は友敵の区別から始まりますから、批判するなら全面的に批判した方がかっこいいし、見栄えもします。支持するなら全面支持、批判するなら全面批判、中途半端なことを言っていると、こいつはどっちつかずのいい加減な奴だということになる。しかし、世の中の物事は、そうすっぱりと割り切れるようなことはほとんどありません。企業中心主義には、確かに当時批判されたような弊害があったかも知れませんが、同時に多くの国民にそれなりにまともな生活を保障し、ワーキングプアというような状態にまで追いつめないという面もあったわけです。しかし、そういう言い方は、政治の場ではあまり見栄えがしません。

逆に、事態がここまで進んだ段階で、規制緩和路線を諸悪の根源のように批判するのは、ある意味でたやすいことではありますが、その出発点にあった(はずの)当時の生活者優先という問題意識自体が(短慮であったとはいえても)邪悪な意図であったとはいえないことも、また、当時のその主唱者たちの発言に照らして明らかであろうと思います。

政治的にかっこいい議論を追求することが、確かに批判されるべき面を有するがそれなりに有用なシステムに対して、想定以上の破壊的効果を及ぼすことがあり得るというパラドックスを、残念ながら90年代の日本人はあまり理解していなかったのではないかというのが、私の基本的な問題意識にあります。この批判を五十嵐さんに向かって投げかけるのは、あるいはむしろ適切ではなかったのかもしれません。

ただ、その時々の政治的な流行に乗って、確かにそれなりに正しい議論を展開するだけでは、言論の責任をまっとうすることはできないのではないか、それなりの正しい議論の裏側の、確かにそれなりに問題はあるけれどもやはりそれなりに有用な物事にもきちんと目線を配るという配慮がなければ、90年代のこのあやまち、確かにそれなりに正しかった生活者優先、企業中心社会を変えようという議論が、気がついたら規制緩和万歳に至りついていたというこのパラドックスを再び別の形で繰り返すことになりかねないのではないか、という私の思いが、「知的誠実さ」というややもすれば人格批判にもなりかねない言葉を用いたことの背後にあることを、同時にご理解いただければ有り難いと思います。

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