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2008年2月 7日 (木)

逆フォーディズム

フォーディズムというのは、フランスのレギュラシオンとかいう経済学派が創った概念で、すごく簡単に言うと、自動車(大衆車)が買えるくらいのいい給料を労働者に払うことによって、労働者がその自動車を買えるようになり、この循環で経済全体が拡大していくという、高度成長期のメカニズムを分析した概念なんですが、ちょうどそれを裏返しにしたような分析を、モリタク先生が展開しています。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/118/index.html

>日本国内で自動車が売れなくなった。昨年の国内新車販売台数は、軽自動車を含めて535万台にとどまり、前年比6.7%減という大幅減を記録。3年連続の減少であり、販売台数のピークだった1990年の777万台と比べると31%も減少している。

 車が売れなくなった理由について、評論家や自動車業界は口を揃えて、人口減や若者のクルマ離れだと指摘している。

 だが、人口減が原因ということはあり得ない。というのも、減っているのは子どもの数だけであり、車を運転できる年代の人口はけっして減っていないからだ。実際に、2007年の成年人口は、2006年と比較してわずか0.3%だが増えている。だから、人口減が自動車販売減少の理由にはならない。

 では、若者のクルマ離れという説はどうだろうか。

たしかに、若者にとって車はあこがれのものではなくなり、かつてほど積極的に車を買おうという気持ちがなくなってきたのは事実だろう。

 しかし、だからといって自動車を必要としなくなったのかといえば、そうではない。2004年の「全国消費実態調査」において、単身世帯を含む自動車の世帯普及率を見ると、興味深い事実が浮かび上がる。

 年収400万円台前半世帯の自動車普及率は78%、年収300万円台前半でも66%もの普及率があるのだ。つまり、かなり年収が低くても自動車を持っていることが分かる。なぜなら、現代の日本において車は生活必需品になっているからだ。

・・・・・・・・・・

生活必需品であれば、たとえ年収が低くても買わなくてはならない。だからこそ、年収300万円台前半という年収の層であっても、66%の普及率を記録しているわけだ。

 だが、生活必需品でありながら、ここ何年も車の販売台数が減ってきたのはどういうわけか。本当に若い人たちが車を買わなくなったのだろうか。

 結論を言えば、「買わなくなった」のではない。「買えなくなった」のである。いくら生活必需品といっても、あまりに低所得になると車を買うことはできない。実際、年収200万円未満の世帯になると、自動車の普及率は35%に激減する。

 昨年国税庁が発表した「民間給与の実態」によると、年収200万円未満の給与所得者が1023万人と、21年ぶりに1000万人の大台に乗せた。こうした低所得層の拡大が、車の販売不振に結びついているのは間違いない。

 それを示す傍証がもう一つある。それは貯蓄率の劇的な減少だ。1970年代に20%台あった貯蓄率が、ここに来て文字通りまっさかさまに低下。いまでは3%になってしまった。

 なぜ貯蓄率が減ったかといえば、日本人が享楽優先のライフスタイルに変わったからではけっしてない。そうではなくて、貯金している余力がなくなってしまったのだ。

 車の販売台数減少と貯蓄率の低下から、次のようなことが分かる。それは、いままでは貯金を取り崩してモノを消費していたのだが、とうとう蓄えも底をつき、生活必需品である車も買えなくなったということである。

もし、このまま国内自動車販売が減少を続ければどうなるか。外貨獲得のリーダー役である自動車産業が衰退してしまうだろう。自動車は、海外で売れればそれでいいというものではないのだ。中長期の経済政策として日本はだめになってしまう。

 こうした現象について、わたしは、構造改革派が天につばした結果ではないかと感じている。

 これまで、構造改革派の人たちは、グローバル競争に勝ち抜くためには人件費コストを抑えることが必要不可欠だとして、リストラや非正社員の活用を進めて、平均所得の切り下げを積極的に進めてきた。

 しかし、いくら何でも、それをやり過ぎてしまったのではないか。そのために、車が買えなくなるくらい庶民の懐が寂しくなってしまったのだ。

 これまで好調だった軽自動車も、前年比5.1%減の192万台と4年ぶりに減少してしまった。その一方で、国産超高級車の「レクサス」シリーズは、前年比11.9%も販売台数を増やしている。

 いわゆる勝ち組が所得を増やして高級車をどんどん買っているのに対して、庶民は軽自動車さえ買えなくなってしまっているわけだ。

 たしかにレクサスはいい車ではあるが、自動車販売全体の売り上げに対する比率は小さい。自動車業界にとって、レクサスだけが売れても、ほかが落ち込んでしまえば意味がないだろう。

 ことは車だけではない。若い人たちはお金がないものだから結婚もできない。30代の非婚率は上昇するばかりである。家庭が出来ないから、ファミリー向けの商品も売れないし、年金も倒れてしまう。

 構造改革派が「国際競争力を高めなくては」といくら声高に叫んでも、庶民の懐が寂しくなって消費がさらに落ち込んでしまえば、元も子もなくなってしまう。

 「いいかげんにしろ! 構造改革派」――。前年比6.7%減という自動車販売台数の大幅減少は、そうした警告なのではないかと思えるのだ。

フォーディズムの公式をひっくり返すと、自動車を買えないような賃金しか払わなければ、自動車が売れなくなるのは当然と言うことですね。

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コメント

「生活必需品であれば~」から始まる段落を含め計7段落が重複しています。

ご指摘ありがとうございます。
修正しました。

お久しぶりです。たまたまこのブログを見つけてしまいました。フォーディズムはヒトラーが国家運営のシステムとしたという文脈で使われることもありますね。

・子供をたくさん育て貯金も年金もなくても老後は子供に養ってもらえる

・サラリーマンは終身雇用で安定した年金収入があり、
 農業・中小企業主・商店主は子供が継いでそこそこの老後が送れる

・単純作業が中国に奪われて就職できないニート・中途リストラされたサラリーマン・中国への生産シフトで潰れた中小企業主・大規模商業施設に潰された商店主らが大量に出て、年金も払えず貰えない

という変化を日本はしてきたのではないかと思います。
いっそ元に戻したらどうでしょうか。年金を完全廃止し、子供をたくさん育てた人だけが豊かな老後を送れるようにするわけです。

takaonさん、子どもがたくさんいる人は、年金がなくても、子ども達と一緒になんとかやっていけるかもしれない、でも、子ども(やパートナーなどの家族)のいない人こそ、いくら貯金や年金があっても、安心できない人たちですよ。それこそ、子育てしているきょうだいのしない親の世話をしながら働いて、独身のまま年老いた女性、っていっぱいいるんですよ。

車の話、こういうのがありますね。

http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/bugai/koho/pr/field/contents/0116043400101.htm

生活保護を受けずに働きたい、と思う人も、車さえあれば仕事の選択肢がとても広がるのに、と思うことは多いのではないでしょうか。大体、暮らしに困るような人は、交通至便の土地になんて普通住めないし。たまにちょっとお寿司をとっただけでも、「あそこの家は生活保護を受けているのに寿司の出前をとった」と、福祉事務所に通報が入るのが日本である、というたぐいの話もよく聞きます。
生活保護を離れても、車を持って下請けの下請け、的仕事をしている人たちが、例の駐禁取り締まりですごく苦労をしている、という話も一時ずいぶん聞きましたが、今はどうなっているんでしょうね。

> 車さえあれば仕事の選択肢がとても広がるのに

そりゃ自営業でしょう。労働者に求められるのは自動車運転免許。まず働け、ということと、自動車の所有は不可、ということは矛盾しないと思うけど。(会社までの足ならスクーターで十分では)

takaon@mixです。

日本人の単純労働が中国に流れたと書くと「また黄禍論か」と言われ、子供が親の面倒をみると書くと「なんだその古い考えは」と言われますね。公的な議論ではどちらもタブー視されているのでしょう。

しかし現に日本人が行っていた単純労働が中国に移転されていることが日本の労働問題の直接的な原因であり、「格差」の原因でもある。また親は子供を扶養する義務があるのだから、一定以上の年齢の親を子供が扶養する義務があっても何ら不思議ではないでしょう。税金の名前の一部を「親孝行税」とでも改称して、その部分は納税者の親に優先的に年金の形で配分するようにすれば納税者の納得感が
高くなるはずです。

従来日本ではいろいろな理由で単純労働者として就業し、その中で技術を少しずつ身に付け、高い技術を持つに至った人が多くいた。ところが日本の産業は単純労働の部分をすっぽり中国に移転してしまったため、「単純労働者として就業して技術を磨く」するという方法が失われてしまった。

日本企業はいきなり「高度な技術・教育」を持つ人のみを採用しようとするので、当然教育格差が就業可否に直結するようになる。また「中国を使う」企業は生産コストを下げてどんどん収益を増し、「中国のために」仕事を奪われた中小企業や就業機会を失った人々はどんどん貧しくなっていくので格差が広がっていく。

もっとも、あと10年もすれば中国は日本のノウハウに魅力を感じなくなり、日本全体として急速に没落していく
のでしょうね。

ちいちゃんさん。
例えば、かつかつの暮らしをしていたのにリストラされた中高年労働者がいるとします。免許以外に特に資格もないし、零細企業のリストラで早期退職の退職金がっぽり、とかいうのもない。再就職の口もなかなかみつからない。で、安い中古のバンを買って焼き芋屋さんを始める、これ「自営業者」ですね。家族の生計を支えられるような、中企業以上の正規「労働者」になるよりは、この手の「自営業者」になる方がよっぽど簡単です。これで失業保険と合わせて何とか暮らしていたけれど、そのうち、保険も切れ、夏場になると焼き芋も売れない。でも、家族を養わねば。子どもは教育費のかかる真っ盛りの中学生・高校生。なぜか、頼れる親族はいない。で、いよいよ進退きわまって生活保護を受けようとすると、彼は車をとりあげられてしまって、「まともな企業の労働者になればいいんじゃん」と言われる。こういうこともあると思うんですが。

「自営業者」と「労働者」の概念の違い、車を持って車を使う仕事を請け負っている自営業者の労働者性、なんて議論は、ぶらり庵は遠慮しておきますが。

追伸です。
この焼き芋屋さんの例で考えると、失業認定のハローワークと生活保護認定の福祉事務所が連携していたら、ハローワークで「現在、彼にこれ以外の仕事の可能性がないが、失業保険は切れた」で車つきのまま生活保護に切り換え、その後、またまた冬になって「業績回復」し、その頃にはだんだんノウハウも蓄積してなんとか暮らせる見込みもたって、生活保護も受給しなくて良くなる、というハッピーエンド、などというのもあり得るのでは、と考えますが、どうでしょう。イギリスのジョブセンターの仕組み、ってこういうものでしょうか、違うのでしょうか。

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