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2008年2月25日 (月)

労働者協同組合について

新雇用戦略へのぶらり庵さんのコメントで、労働者協同組合に関する記事がリファーされていました。

日本労働者協同組合連合会のホームページはこれですね。

http://www.roukyou.gr.jp/

議員連盟立ち上げについては、ここに詳しく書かれているようです。

http://www.roukyou.gr.jp/17_topics/2008_01_2.htm

欧州諸国にはこういう労働力出資型の協同組合という法制度がありますし、社会的に一定の役割を果たしているのは確かなので、法制化を超党派で支援するというのは結構なことだとは思うのですが、それが労働者にとって利益になるものだとばかり強調するのはいかがなものかという疑問もないではありません。とりわけ、前連合会長という立場の方が肩入れすることの問題点ということにもちょっと意識を持っておいていただきたいという気がします。

端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。

いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。

それこそ最近の医師や教師の労働条件をめぐる問題を考えると、どんな立派な仕事か知らんが、労働者としての権利をどないしてくれるンやというところを没却してしまいかねない議論には、少しばかり冷ややかに見る訓練も必要なのではないか、というきがしているものですから。

この辺の危惧、『福祉ガバナンス宣言』に掲載された坪郷さんとの対談でも、かなり失礼なぐらいに強調しておいたのですが。

ちなみに、この対談のナマ録を昨年9月にこのブログに載せてありますので、参考までに。いささか冗長ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e58b.html

>それからさっき言った、フルタイムの人、パートの人、有償ボランティアの人、無償ボランティアの人、など、要は、就業形態が多様化しているということですね。これを、普通の営利企業で就業形態が多様化しているといった時に、たしかに企業側は「これはみなさんがそれぞれにボランタリーにいろんな働き方をお選びになった結果、こういう風になっております」という言い方をしますけれども、「なに言ってやがるんだ。お前ら金をケチるためにやっているんだろ」という話にどちらかというと行くんです。

だけど、特に、介護みたいに公的部門も民間営利部門も、そして、この市民部門も、みんなそれぞれ、実は物理的に言うと、同じことをやっているという中にそれを置いてみると、──すごくいやらしい言い方をすると──民間企業では要するに労働法の規制がゆるいとは言いながら、まだあるのでそこまでは出来ない、というのをこの市民事業だから、有償ボランティアだ、無償ボランティアだと言って、よりチープな労働力を利用できているんじゃないか。営利部門はそれが出来ないから、コムスンみたいにインチキをしなくてはいけないんだ、という、──すごく皮肉な言い方ですけどね──実はそういう面も……。

>ところが、そこがだんだんひろがっていって、例えば、転じて、高齢者を介護をするとか、お世話するとかいう話になってくると、それを自己実現とか──そういう面があるのは確かなんですが──実はそれが自己実現であることが労働者としては、極めて、ディーセントでない働き方の状態を、人に対してだけでなく自分自身に対してもジャスティファイしてしまうようなメカニズムが働いてしまうのではないかと思うんです。それで、さっきから同じところの周りをグルグル回っている感じがするのですが、そこのところをどこで線を引いて仕分けをするべきなのか、というのが、この問題のある意味、永遠の課題なのかなと思います。

(追記)

この問題について、「いちヘルパーの小規模な日常」の杉田俊介氏がなかなか鋭い嗅覚を示しています。

http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080220/p2

>法制化の可能性は五分五分、と言われていたけど、ちょっと変な流れになってきた。協同組合は伝統的に失業者対策/失業者の自主的雇用創出の面をもつので、おかしな話ではないのだけれども、少しきな臭くもある。

 協同組合の法制化もまた、「行政からの補助金など、公的支援に頼らない点も特徴だ」「地方自治体の行政サービスを民営化する際の委託先などになることも想定されている」など、社会的企業やらワークフェアやらの流れに沿って、下請け産業・孫請け産業の水際へと押し流されていく危うさもありそう。まあ、阪神淡路大震災の「後押し」もあって特定非営利活動促進法(NPO法人法)ができたみたいに、歴史の後押しは常に必要であるわけだし、行政・企業の思惑と草の根の動きが必ずしも一致するわけでもないわけで。

 ちなみに、これも歴史的に、労働組合運動と協同組合とは相性が悪いので(労働者が協同組合を自主的に運営してしまえば、使用者と労働者の対立=敵対性が見失われるため)、今後、反貧困の流れの中で、どの辺に接点が見出せるのか見出せないのか。

なお、時事通信と読売新聞の記事も引用されています。

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コメント

>労働力出資型の協同組合
>社会を良くすることを目的に熱っぽく活動

定義上、「労働者が自らの利潤を追求する組織」では

hamachanどの、いろいろとご教示ありがとうございます。
このエントリーを見ていて、昨年の次のエントリーを思い出しました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/ui_on_4917.html
で、この頃かな、阿部真大さんの「働きすぎる若者たち」を読んで、なんとなくぴんと来なかったのでした。今回、もう一度ささっと読み返して、違和感の原因がわかりました。ケアワーカーの安い賃金、劣悪な労働条件を、「専門性」とか、彼らが奉仕しすぎる心性、とか、なんかそういう抽象的なことに求め過ぎている感じがします。ある仕事の賃金とか労働条件とかってもっと経済的なところで決まるように思うのですが、阿部さんは、前のバイク便ライダーのときから、働く者の心性の問題にとても入れ込んでいるのですね、それも、その時点の対象の特定分野についての(上野千鶴子センセイはそのような点についての助言はしなかったのかな)。で、専門性について言えば、ケアワーカーに専門性はある、というか、必要だとぶらり庵は思いますが、専門性があることと、労働条件(含賃金)が良いこととは、それは別問題ですね。
賃金の話では、これまたケーザイガクの門外漢のぶらり庵は、「エコノミスト」誌のわかりやすい解説記事で、なるほど、と思ったものがありました。2007.11.13日号のpp.104-105、みずほ総研太田智之氏の記事「上がらない給与、真犯人は消費不振」です。これで、最近の賃金低迷の最大要因は、個人消費との関連性が強い業種の小規模事業所での賃金の継続的下落傾向、と分析しておられます。特に、卸・小売業、飲食店・宿泊業、サービス業の三業種。ケアワーカーだけでなく、これらの業種は、いずれも、主婦や若者(今後はおそらく高齢者も)が参入しやすく、かつ、一種の「やりがい」を提供する業種でもあります。これらの業種が低賃金にはりつくところか、下げ止まらない状態の中に、ケアワーカーの問題も(介護保険の制度問題もあるにしても)置かれているのではないかと愚考している次第です。
で、市場原理に単純に委ねるべきでない、福祉関係の仕事については、教育同様、本来は公務員を中心とした制度があり、公務員に準じた給与で処遇され、そこに雇用を吸収できるといいのだろうと思うのですが。で、そのように、条件を良くして、雇用を吸収できる分野があれば、人材を集める為には、そこにレベルを合わせねば人がとれない、ということで、他の民間業種の賃金もあがる、というような構造になるといいんだけどなー、これはケーザイガク的に、雇用政策的に正しい考え方だといいんだけどなー、と考えるぶらり庵です。

市場原理主義では物事がうまくいかないからといって、非営利でいけば何でもうまくいく・・・なんてことはない、ということは分かり切ったことだと思うのですが、どうも世の中の一部にはある種の「非営利信仰」みたいなのがあって、そういうのが支配すると、かえって健全な緊張感を抑圧する傾向が出てくる、のではないか、と思っています。

理論的には、松尾匡さんも書いておられる『ポスト戦後体制への政治経済学』という本の中で、大西広さんという方が「NPO主義の問題点と方向性」という文を書いていて、問題点を摘出しておられますが、要は、なまじ自分たちは非営利という立派な存在なんだと金儲け主義の連中とは違うんだと自己欺瞞することによって、かえって低劣な労働条件を正当化することになっているのではないか、というようなことです。

これに関連して、ある事件の判例評釈をしたときなんですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yutaka.html

これは、ゆたか福祉会といって、その世界では知られた感動的な逸話のある団体のようなんですが、こういう事件を起こしたりするわけです。
この最後のところでメモしてありますが、

> そもそも労使が一体というイデオロギー(社会主義国家と類似?)。
>「資本の論理」とは区別された経営体の権力性への鈍感さ?

というあたりに問題点が集中しているような気がします。

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