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2008年2月22日 (金)

知的誠実さについて

大原社会問題研究所雑誌の2月号に、五十嵐仁氏の「政策形成過程の変容と労働の規制緩和」という短い報告が載っています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/591/591-14.pdf

私が近年取り上げている問題領域と大幅に重なるのですが、次のような記述を見ると、基本的なスタンスとして知的誠実さが欠けているとしか思えません。

>現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる。その背景となったのは「バブル経済」の破綻と湾岸戦争の勃発である。これによって,日本的経営と軽武装国家としてのあり方が否定され,「ワシントン・コンセンサス」に基づく新自由主義による市場原理主義と規制緩和路線が強まり,「東アジア戦略報告」によって安保体制が再定義され,軍事的国際貢献論の具体化が進む。
その「改革」メニューと舞台装置がそろうのは橋本内閣の時代であった。
これは小渕・森内閣で紆余曲折を経るが,小泉首相の登場で頂点に達する。小泉首相は小選挙区制導入(政治改革)や省庁再編(行政改革)によって強化された官邸の力や首相の権限を最大限に利用し,トップ・ダウン型の政策形成を採用した。安倍首相は基本的にはこれを引き継ぎつつも部分的な修正を図り,参院選惨敗後に登場した福田首相はさらなる修正を図ろうとしている。

なぜかここに出てくる内閣名は、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田といった自民党首班のものばかりです。

しかし、いうまでもなく、こういう動きの出発点は五十嵐氏が「現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる」というように、その前の内閣の時代です。

市場主義的な構造改革路線を政策の中心に置いて走り出したのは、細川、羽田、そして何より村山といった非自民党首班内閣の時代であったことを、そして、「リベラル」なサヨクの皆さんがそれを熱狂的に支持したことを、文章の上だけで隠してみたってしょうがないでしょうに。

五十嵐氏の議論の作法については、前にもこのブログで取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_e7f8.html(労働政治の構造変化)

>ふーーーん、橋本内閣からネオリベ政策が始まったんですかあ。

>その前の村山内閣は社会主義的だったんですかあ。

>ここが日本の90年代のネオリベ化の最大のアイロニーなんです。サヨクが一番ネオリベだったのですよ。ここのところを直視しないいかなる議論も空疎なものでしかありません。五十嵐さんの議論はそれを党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質ではありますが。

こういう頭隠して尻隠さず的党派性は相変わらずですね。

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