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2008年2月15日 (金)

大瀧雅之氏の金融立国論批判

先日の後藤田正純氏のインタビューでも、サブプライムはサラ金だ云々という一節があって、例によってケインズよりもフリードマンが大好きで、ヒトやモノよりもカネしか目に入らない、高利貸し応援団の特殊日本的リフレ派の面々から非難されていたようですが、そういうインチキ連中ではなく、まともな経済学者は、こういう文章を書いているようです。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/

大瀧雅之氏の「「金融立国論」批判――日本経済の真の宿痾は何か」というのが、『世界』3月号に掲載されています。物事の本質をわかりやすく説明していて、私には大変有益でした。要約は:

> 日本は「モノづくり」への幻想を捨て、これからは「金融業」によって国を立てるべきだ――一部のメディアや経済学者がそう主張している。しかし、そもそも米国でなぜサブプライム問題が発生し、それが日本の金融機関にまで影響を及ぼしたのだろうか。「金融立国論」が成り立たない理由を詳説し、「貯蓄から投資へ」とか「市場型間接金融」の名の下に繰り返される言説に徹底的に批判を加える。

特に、近頃ブログ界に流行るインチキ連中への痛罵とも言うべき次の一節が拳々服膺すべき内容を含んでいるように思われました。

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく経産計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

付け加えるべきことはありません。エセ科学を的確に判別できる合理精神は、分かってないくせに高等数学を駆使したケーザイ理論(と称するもの)を振り回して人を罵る神経(極めて高い確率でファナティシズムと共生)とは対極にあるわけです。

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コメント

>プリミティブな「数学信仰」

数学用語を使った数学的には正しくない比喩を見て、やれ「権威を笠に着てる」だとか、知の欺瞞だとか
それこそ『信仰』の裏表であって…

ソーカルは完全に片手落ちなんです

それはともかく、学校が職と結びついてないこととも関係してそうな気はする

マルクスが大好きな人(ポモ)が入ってくると話が…

 引用部分に誤字が散見されますので、訂正していただけないでしょうか。

経産→計算、とか、銀行員増→銀行員像、ですね。
hamachanはカット&ペーストではなく、「手打ち」方式多用なんですね。すごい速さだな。もしかして、ピアノの名手とか。ハノンをさらいながら、譜面台に「さまよえる湖」載せて読んでいた、という中村紘子さまみたいに。

ニセ科学批判とは何か?あるいは、何であるべきか?
http://slashdot.jp/science/comments.pl?sid=393093&cid=1312684

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