フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 週刊東洋経済本日発売 | トップページ | 労働タスクフォース第8回議事録 »

2008年2月12日 (火)

世の中の問題の多くは労働問題なんだよ

読売の記事で、「24時間勤務 最高で月20日…産科医」というのが載っています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08020809.cfm

>「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

>医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

そういう風にしてきた責任の一端は、読売新聞も含めたマスコミにあることを認識していただきたいとも思いますが。医療問題を専ら健康保険財政問題と消費者サービス問題に極小化し、医師たちの労働実態という目の前にある問題から目を背け続けてきたのは、(もちろん国民の意識がそうだったからそれに沿っただけだと言えばそうでしょうが)記者たちの頭の中に、そういう問題意識に反応する回路ができていなかったからであることは確かなんですから。

教育問題にしろ、道路問題にしろ、(ついでに、北畑発言問題にしろ)世の中の問題の多くは実のところ労働問題なんですが、そこをすっぽりと頭からぬけ落としたままで薄っぺらなきれいごとっぽい議論ばっかりするもんだから、ますます解決策が問題の本質から遠ざかっていく一方になるという悪循環が現代の日本を覆っているように見えます。

« 週刊東洋経済本日発売 | トップページ | 労働タスクフォース第8回議事録 »

コメント

ぶらり庵の知り合いに救急医がいる、と「医療崩壊と連合」のところに書きました。男性で、病院ではけっこう上のポストの人なので、病院での女性登用ってどうなっているのかたずねたことがあります。特に、産科医などは、患者側の女性の希望(女性産科医に担当してほしいとの希望)も多いですし。でも、そのお医者さんの答えは「女性には気の毒でとてもさせられない。自分の家庭なんて持てない。」とのことでした。
一方、開業の産科では、どの病院もそうというわけではありませんが、高級化・高料金化傾向が目立ちます。出産育児一時金35万円の範囲で出産できれば、高級ホテルみたいな設備でなくてもいいのに、と嘆きながら、近くにはそれしかないので、高い開業産科で出産、ということもしばしば聞きますね。

またまた追伸のぶらり庵です。はい、たしかに「労働問題」は大切ですが、でも、労働問題が「世の中の問題の多く」なら、じゃ、労働省があれば行政は足りてしまうか、というと、そうでもないと思いますですよ。フリーターは夢追い人ばかりではない、正社員になることを望んでいる者も多い、とは思いますが、つまらない正社員よりは、楽しくできてそこそこ暮らしをたてられる仕事があれば、何も企業の正社員でなくとも、と思う若者は、昔よりたしかに多いと思います。NPOとか、アート系とか。それこそ、ローゼン殿下の応援するアキバ系など、ウィークデイは多忙な公務員で、ウィークエンドはそちらで息抜き、という人なども・・・。ぶらり庵のように、仕事はそこそこお給料分はもちろんやりますが、大好きなのは、主婦の仕事と趣味と旅行、って人間も、それから、もちろん、友人には専業主婦もたくさん。アキバ系でたつきをたてるには、やはり経産省さんにがんばってもらわねばならないし、主婦の醍醐味の料理を支えるのは農林水産省、たまの楽しい旅行は国土交通省、(農林水産、観光分野は雇用創出でも大きい分野と思います、何も「ものつくり」とITだけじゃないですよね)と、これも、「ワーク・ライフ・バランス」、もともと、日本の男の問題はワークばかりでライフのない、暮らしのバランスの悪さだと思いますよ。

いえ、はてぶでBUNTENさんが仰っているように、私の趣旨は「世の中の問題の多くは労働問題で「も」ある」ということですから。ただ、この「も」は大変重要な「も」で、この「も」を無視すると痛いしっぺ返しがきます。

それと、「労働問題」という問題設定自体がワークとライフの関係(バランスだけじゃなくって)を射程に入れてます。ライフという観点が全くなくってワークだけ見てたら、それはもはや労働問題じゃなくって当該専門業務の問題でしかなくなってしまう。それこそ、医師や教師の問題を医療はいかにあるべきか、教育はいかにあるべきかというような、高邁極まるお話で済ましてしまうことにもつながるわけです。


ぶらり庵様
いつも楽しくコメントを読ませていただいています。

これも、「ワーク・ライフ・バランス」、もともと、日本の男の問題はワークばかりでライフのない、暮らしのバランスの悪さだと思いますよ。
”バランス”という表現からすると、”あっちとこっちの中間点をとればよろしい”とか、”片方に偏っているのでちょっと是正すればいいのではないか”、とかいう風に聞こえてしまいます。
しかし、勤務医をはじめとする一部労働者の過重勤務や、いわゆるワーキングプアの問題は、バランスというともすると簡単に聞こえるキーワードで括ることができない重大な問題であると僕は認識しています。諸審議会や某役所は”ワーク・ライフ・バランス”などという尤もらしいキーワードを振りかざします。しかし、バランスの悪さ、という議論ではなく、そういう状況を是正したり、過重な負担(または貧困)を防止するような、社会的な制度がない事を問題とすべきではないかと思います。
hamachan先生が"使用者による借金づけ”というエントリで指摘されたとおり、意外に労働者に選択肢はないものです。僕としては、過重労働の是正、不安定雇用の見直し、最低賃金の確保、場合によってはワークシェアとはっきり方向性を打ち出すべきかと思っていますが。古い発想でしょうか。

おお、ご指名ありがとうございます。毎回hamachanにいちゃもんをつけているようですが、わたしは自分のブログなどは持たないので、こういう場を寛大かつ果敢・慎重に運営しておられるhamachanに感謝です。
「ワーク・ライフ・バランス」といういかにも造語っぽいキャッチフレーズはそれほど好きではないのですが、「バランス」という言葉は好きです。「ほどほど」「そこそこ」の感覚。ILOの「decent work」も「ほどほど・そこそこの、まともな仕事」ですね。
別にぜいたくをしたいわけではないが、楽しく暮らせるほどほどのまともな仕事(ワーク)とまともな暮らし(ライフ)を持てるように、一人一人が考えて、それを支援できる議会・政府を選ぶ、のが自由な民主主義国でしょう。
で、ワーク、特に賃金労働の世界は契約の世界ですから、できるだけ公正な契約で規律してほしいけれど、賃金労働以外のワークは、これはそう一律にいかないと思います。たとえば、専業主婦、これを「アンペイド・ワーク」として括られたい、とは、当の専業主婦でも思わない人は多いと思います。ぶらり庵は兼業主婦だけど、自分の主婦部分を金に換算したいと思ってません。できないところに(特に育児)価値があると思っています。「大切なものは眼に見えない」(by星の王子さま)のです。
で、生業ワーク部分とライフ部分の配分は人様々でしょう。飢えない程度に稼げれば、あとはできるだけ自分の時間を持ちたい人、あるだけの時間を稼いで稼いで稼ぎまくりたい人、それに、もともととってもリッチで働く必要なんか全然なくって政治だのチャリティだのやってるnoblesse obligeの階層も、今の日本にはないけれど、昔の日本にはあったし(高等遊民、という、悩んで暮らしてればいいインテリがいたわけですよね)、今もヨーロッパにはいるのでは。
その「ライフ」部分は、他人に迷惑をかけるのでなければほとんど個人の自由の領域で、他人にも政府にも規制されるべき筋合いのものではないですね。
生活に困らず、他人に迷惑をかけてなければ、「ワーク」なしの人だっているし、むしろ、それが理想!というのが、「働く」ことをlabo(u)rと表現するヨーロッパ型の考え方かも。
それを、あんまり「きちんと働く」ことを強調し過ぎると、まるでhamachanが「すべて国民は勤労の義務があるのだぞ、まじめに働け、ピシ!(ムチの音)」と言っているかのようにとる人も出てくるわけでしょう。なお、勤労の義務だけでなく、権利ももちろん、あります。これって、「まともな働き方をする権利」だろうなあ、と解釈していいんでしょうか。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 世の中の問題の多くは労働問題なんだよ:

» 問題解決は十字砲火で [The best is yet to be.]
さすがはhamachanと言うべきであろう。強く同意します。 そういう風にしてきた責任の一端は、読売新聞も含めたマスコミにあることを認識していただきたいとも思いますが。医療問題を専ら健康保険財政問題と消費者サービス問題に極小化し、医師たちの労働実態という目の前に... [続きを読む]

« 週刊東洋経済本日発売 | トップページ | 労働タスクフォース第8回議事録 »