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2008年2月

分権真理教?

いや、別に呉智英老師の向こうを張ろうというわけではないのですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0228/agenda.html

昨日の経済財政諮問会議で「政府機能の見直し」ということで、「国と地方の仕分け」「官と民の仕分け」が議論されたようです。官民の問題は市場化テストとしてここでも何回か取り上げてきましたが、昨日は全国知事会から「国の地方支分部局(出先機関)の見直しの具体的方策(提言)」というのが示されていて、有識者議員もそれをエンドースする文書を出しており、一言コメントしておく必要を感じます。

労働行政関係では、労働基準行政と職業安定行政をまるごと地方に移譲可能だと書いてあるのですが、どこまで本気なのでしょうか。正直いって、をいをい、という感じです。ただ、「をいをい」の中身はだいぶ違います。

労働基準行政を地方に移管するとどういういいことがあるのか、提言の後ろの方の「国の出先機関の廃止等によって地域活性化や行政改善が想定される事例」にも載っていません。多分、どう頭をひねってみても見つからなかったのでしょう。その代わりに、弊害は山のように思い浮かびます。労働基準行政というのは、すべての事業場をある意味で仮想敵として臨検監督し、違反を摘発するわけですから、地方政治レベルでは山のような圧力が予想されます。何でこんな我が県のためになっている大事な会社を詰まらん労基法違反如きで摘発するんだ、という政治的圧力に、県庁の一課長如きがどこまで堪えられるか、ということについて、常識的な感覚を少し働かせれば、どういう事態が現出するか容易に想像できるものだと思うのですが。

これに対して、職業安定行政は、実はそもそも1999年までは県庁の中にあったのです。知事の指揮監督を受ける国家公務員という特殊な形態、地方事務官という仕組みだったのですが、それが地方分権の趣旨に反するということで、国と地方で取り合いした挙げ句、国に一元化されてしまったという経緯があります。その結果、都道府県は国とは別に職業紹介事業ができるという規定が設けられ、まさに二重行政の弊をもたらしてしまいました。私は、職業安定行政の性質からして、地方自治体と切り離して動かすことは適当ではないと思っています。産業振興や福祉、教育といった、他の地方レベルの行政とも密接に連携していく必要がありますし、地方政治レベルの要望に敏感に対応していく必要性も高いと思うからです。しかし、一方で、職業紹介と失業給付は表裏一体でなければモラルハザードを大きくしますし、雇用対策の財源ともなっている雇用保険は多くの大企業が集中する都市部から地方への再配分機能を果たしていて、これを完全に分権化すると地方は雇用対策が困難になるでしょう。カネの面倒は国が見るという仕組みをやめてしまって本当に大丈夫だと、多くの地方の知事さんたちがお考えなのか不思議です。

私は、かつての地方事務官制度は決して悪いものではなかったのではないかと思っているのですが、地方分権というのは地方自治体と国とでどっちが100%とるかとられるかの喧嘩だというようなおかしな分権真理教のせいで、かえって地方自治体から引き離されてしまい、いささか浮いてしまっているように思います。労働基準行政はむしろKYの方がよく、浮いているぐらいでちょうどいいのですが、職業安定行政の場合はちょっとまずいと思います。

まあ、いまさら地方事務官制をそのまま復活するわけにもいかないのでしょうが、国と地方自治体が有機的に組み合わされた二重行政でないいいシステムを作り上げるにはどうしたらいいかという積極的な方向性でものごとを検討してもらいたいものだと感じます。

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学界展望における福井論文の紹介とコメント

一昨日のエントリーで紹介した日本労働研究雑誌2/3月号所収の「学界展望 労働法理論の現在」ですが、そのうち、私が報告を担当したうちの一つである福井・大竹編著の「脱力本」に関する紹介とコメントの部分を載せておきます。

ちなみに、このあと、有田先生、道幸先生、奥田先生からもさまざまなコメントがされていますが、それらは是非雑誌そのものをお買い求めの上お読みください。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

>●福井秀夫/大竹文雄『脱格差社会と雇用法制――法と経済学で考える』

【濱口】  この著作をなぜ取り上げるかといいますと、一つは、特に福井秀夫氏が規制改革会議の労働タスクフォースの主査として、2007年5月に意見書を出して、これがかなり大きな反響を呼んだということで、日本の労働政策決定の中枢に近いところにいて、いろいろな意見を言っている人だということと、それから、これは副題が『法と経済学で考える』となっていて、法と経済学という新しいディシプリンでもって労働法にチャレンジしたものだという触れ込みなのですが、しかし、実は特定の立場に立った法と経済学でもって今の労働法制を非難するものになっていて、これこそが法と経済学だというふうに理解してほんとうにいいのかということについては、かなり疑問があります。

 この本に対しては、『季刊労働者の権利』でも取り上げられましたし、あるいは『労働法律旬報』でも批判が載ったんですが、その中で、経済学から労働法に対する挑戦状だというような記述がありました。しかし、そういうとらえ方はあまり適切でないのではないか。本来、経済学にはもっといろいろな考え方があるはずなのに、特定のイデオロギーのものだけが経済学で、経済学というのはけしからんというふうになってしまうと、いい意味の労働法と経済学のコラボレーションができなくなってしまうのではないか。そういう意味で、この本をきちんと批判的しておくことが必要ではないかということで、この本を取り上げることにしました。

 この本は何人もの人が各章で論文を書いているんですが、中心になっているのは、第1章「解雇規制が助長する格差社会」という福井秀夫氏の論文ですので、ここでも専らそれについて議論したいと思います。この第1章自体、いささか論点が錯綜しているんですが、大きな流れとしては、現在の労働経済学で解雇規制を正当化する議論、これを不完備契約理論といいますが、これに対する批判が中心になっていますので、そこを中心に見ていきたいと思います。

 この不完備契約理論というのは、労働者にとって情報に非対称性がある。つまり、将来起こり得る事態をすべて雇用契約に明記して、その履行を強制するということはそもそもできないという特質があるということから、どうしても雇用契約というのは粗くなってしまう。そうすると、それにつけ込んで、使用者が機会主義的な行動をする危険性というのが出てくる。それを防止するために解雇を規制する必要があるというものです。これに対して福井氏は、同じく長期継続的な契約である借家契約というのを取り上げまして、それと同様、雇用契約だって、かなりの部分を契約に記述することは可能であると言います。また、技能というのは他の使用者のもとでも十分生かせることが多いから、解雇規制が情報の非対称性を改善する効果は乏しいと、その効果を否定します。それに対して、解雇規制を導入してしまうと、逆に使用者側にとっての情報の非対称性が高まるという論点を出します。つまり、採用する前は生産性が高いか低いかわからない。これが情報の非対称性です。ところが、採用後、実は生産性の低い労働者だったということがわかっても、解雇規制があると解雇できないために、採用する前にあらかじめ生産性が高いと見込まれる類型の労働者を採用しようとする。その際、学歴がシグナルとして利用されるので、学歴差別が促進されるんだということを、かなり縷々書いています。

 また不完備契約理論については、これも労働経済学では、転職すると企業内での教育投資の効果が発揮できなくなるような当該企業固有の投資、これを企業特殊的投資というんですが、これがあるから不完備契約になるという理論があるのですが、そんな投資は普遍的ではない。多くは、どの労働者にとっても共通の知識、技能であると言って、その根拠を否定します。また、企業が機会主義的行動をとるという前提に対しても、そんな蓋然性はあまりない、もしその企業が機会主義的な行動をとるのであれば、雇用契約を完備契約、つまり、起こり得ることをすべて書き込んだ契約に近づけるために詳細で客観的な契約条項を規定すればいいんだ、それが大事だという言い方をします。

 きょうも取り上げられた内田先生をはじめとする、いわゆる継続的契約論についても、たとえ契約が長期継続的な契約であっても、将来の権利義務関係を完全に予測することは可能だというような前提に立って、したがって解雇規制を強制する理由はないんだということを言っています。

 それから、もう一方で、労使の非対等性というのは、これは労働法、労働経済学の出発点からの前提だと思うんですが、これについても、そもそも労働市場というのは需要独占や寡占ではなくて使用者間に競争があるから労使の非対等性はないという論理になっています。

 さらに、憲法に基づく生存権から解雇規制を論ずる議論に対しては、そんなものは各企業にやらせるんじゃなくて、国家が失業給付や生活保護で行えばいいというような議論をしています。

 具体的な立法論として、これは結構おもしろいところなんですが、金銭解決に対しては極めて否定的でありまして、金銭解決というのは、本来あるべきでない規制を前提としたものなので、ないほうがいいんだけれども、しかし、とりあえず、やるんだったら金銭解決でもやむを得ないと、妥協的改善策としては認めるという議論になっています。

 コメントですが、この福井さんという方は、もともと建設行政が専門で、借地借家法の規制緩和に活躍された方です。それはそれでいいんですが、どうもそのために、雇用契約についても、自分の土俵である借地借家契約と同視するような議論を展開する傾向が見られます。確かに借地借家契約も雇用契約と同じように長期継続契約なんですが、しかし、借地借家というのは人間の意思的行為自体を目的とするものではなくて、単に物的設備の貸借にすぎないんです。それに対して、雇用契約というのは、日々の人間の意思的行為そのものが契約の目的になっているわけです。つまり、単に長期継続というだけでなくて、人間が意思的に行う行為を長い将来にわたってことごとく予測し記述することができるという前提に立っているという点において、彼の議論には大きな問題があるだろうと思います。

 あるいは、議論の手法にもいくつか大きな問題がありまして、例えば、企業特殊的技能の問題についても、100%他企業に移転できないような、全くその企業でしか使えないような技能というものはないだろう、かなりのものは企業で共有されるという議論でもって、あたかもすべての技能が普遍的で、転職しても全くロスがないということが論証できたという議論を展開しています。

 真実はおそらく中間にあって、非常に企業特殊的な熟練から全く普遍的な単純労務までさまざまな技能があるはずですが、100%かゼロかという話で、100%を否定したからゼロだと言わんばかりの、こういうレトリックの使い方というのは問題があるのではないか。

 それから、労使の非対等性について、独占や寡占じゃない、競争があるからいいんだというロジックなんですが、これは外部労働市場で移動可能性があれば非対等性があるというロジックです。ここには、企業内部における権力関係という認識が全く欠落しているんじゃないか。経済学でも、例えばハーシュマンの議論では、相手に対して行動を要求する際に、エグジット、退出することによって相手にメッセージを伝えるというやり方とともに、集団内部でボイス、発言することによって変えていくという2つの在り方を論ずる議論というのがちゃんとあるわけなんですが、このボイスという観点が全く抜け落ちている。特に労働関係の場合には、集団内部に非対称性があるわけですから、ボイスをいかに集団的にやっていくかというのが中心的な課題になるはずなんですが、そういう観点が全く欠落しているというところにも大きな問題があります。

 それから、やや論点は変わるんですが、生存権は国がやればいいという議論は、まさに旧来の福祉国家の発想で、ヨーロッパの場合、国が福祉の面倒を見すぎたために、今、むしろ「福祉から就労へ」とか「メイク・ワーク・ペイ」という議論になってきているのに、今から全部福祉で面倒を見るつもりだろうか。おそらくそんなことをする気は全くないはずですが、しかし、レトリックとしては、生活保護で面倒を見ればいいというようなことを言っているというところも大きな問題だろうと思います。

 それから、特に実証性ということでいうと、解雇規制があるから学歴差別の原因になるというような議論をするのであれば、例えば、世界で最も解雇規制が緩い随意雇用原則をとっているアメリカでは最も学歴による差別が少なくて、ヨーロッパは解雇規制が厳しいところも緩いところもありますが、それと学歴差別の程度というのはおおむね比例しているとか、少なくとも、どこまできちんとやるかは別として、そういうことを実証しなきゃいけないなと思わなければいけないのではないかと思うんですが、そういうことはない。レトリックだけで、解雇規制があるから学歴差別になっているのがよくないという議論に終始していています。

 総じて、こういうロジックが「法と経済学」だとなってしまうと、経済学的な発想で労働法を論じていくという、本来、豊穣な可能性があるものを、かえって閉ざしてしまう可能性があるので、大変問題ではないか。そういう意味では、むしろ望ましい経済学からの労働法の分析の例として、矢野誠編著の『法と経済学』に入っている樋口美雄先生と山川隆一先生の「労働法」の章が、労働法規制があることによってどういうメリットがあるのか、また同時にどういう問題点があるのかを指摘していて、非常にバランスのとれたものだと思います。


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プリンスホテルvs日教組問題の文脈

この問題、その後もいろいろと火花を散らせているようですが、どうも世間は日教組を左翼思想を世に広めるための政治思想団体であるかのように考えて、集会結社の自由だなんだという方向でばかり議論されているようで、正直いって私には大変違和感があります。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080226AT1G2604426022008.html

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080226AT1G2604H26022008.html

裁判所の命令を聞かないのは法治国家に反するだとか、旅館業法違反だとか、そういう議論もそれなりにもっともではあるけれども、なんだか個人の思想信条の自由の延長線上でのみこの問題を議論していくと、結局憲法学者が大好きな立憲主義の枠組みの中の議論になっていってしまって、個人の自由を守るために国家権力を動員するという話にしかならない。

いやもちろん、そういう枠組みも大事だし、憲法学者や法哲学者にとってはそれが飯の種だからそういう議論でいいのですが、そうじゃない視角があんまり見えないというのは問題だと思いますね。

逆に、労働組合の団結権の問題だと(連合のボイコットはまさにそういう考え方の上に成り立っているわけですが)考えれば、これは少数者の弱々しい権利を国家権力にお願いして守ってもらうような話ではなく、国家権力に頼らず多数者の力で労働者の権利を侵害する企業に対して言うことを聞かせるという話であるはずです。多数者がボイコットするから効き目があるのであって、少数者であることに自己満足している集団がボイコットしてみたところで、蛙の面にションベンでしかない。そういう集団ほど、自分たちの力不足を補うために国家権力に頼りたがるのですがね。

これを言い換えれば、労働者の団結は多数者であることが唯一の武器なのですから、労働者の労働者としての利益と直接関係がないような政治思想運動には距離を置いた方がいいということでもあります。様々な政治的立場の労働組合が、教育労働者の団結への攻撃には共通してボイコットするというのが労働者の連帯というものでしょう。余計な話ですが、日本の労働運動は平和運動とかなんとかに余計な精力を使いすぎてきた嫌いがあるのは否めません。

労働運動の歴史からすれば、あまり司法権力に頼る方向ではなく、まさに「団結は力なり」を自分たちの力で示していくことこそが本筋だと思います。

(追記)

よく判らないのは、プリンスホテルがケシカランと言っている人々が、もしホテル側が最初から「いやあ、日教組さんは右翼を連れていらっしゃるからお断りさせていただきます」と言っていたら、それはしょうがないと考えるのかと言うことです。法律的には、それは私的自治の世界ですから、一方が嫌だというものを強制することはできません。

初めから契約していない相手に、会議を開かせろ、宿泊させろという裁判を起こすこともできないでしょう。法治国家云々と言ってみたって、一回目のうっかりして日教組と契約してしまったときだけは通用するにしても、それに懲りた二回目以降は通用しませんね。

しかし、そうやって排除されてしまって手も足も出ないという情況が、労働組合の団結権にとってはもっとも望ましくないことなのですから、必要なのはそういう風にさせないことでしょう。それはもはや法治国家だとか旅館業法だとかといった話ではないはずです。

初めから「労働組合はお断り」というようなホテルこそ、労働組合の総力を挙げて(国家権力に頼ることなく)ボイコットしないといけないわけでしょう。それはもう、(暴力ではないが)実力行使の世界です。そういう感覚がなくなってしまうことの方が、逆に心配なんですが。

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hamachan=八代尚宏?

労務屋さんが、『東洋経済』の「雇用漂流」特集の福井秀夫 vs hamachanを取り上げて論評されています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080220

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080221

私の発言のうち、整理解雇法理を見直すべしというところにいささか意外の感を抱かれたようで、

>hamachan先生と解雇規制緩和という組み合わせにちょっと意外感があり、具体的にはどういうことをお考えなのだろうとhamachan先生のブログをサルベージしてみましたが、なにしろ膨大かつ充実したブログなので発見できませんでした。ただ、この文脈から読めば、解雇回避努力の一部、つまり正社員の解雇を回避するために有期契約社員の雇い止めや派遣の打ち切りを先行させなさい、という部分を見直すべきだ、ということだと思われます。

で、実はこれは規制緩和論者、たとえば八代尚宏先生の主張と同じなんですね。

と述べられています。やたらに量ばかり多いブログで済みません。

こういう感想は、実は昨年11月の連合総研20周年シンポでも会場からいただきまして、お前のいっていることは労働ビッグバンと同じじゃないか、と。

ネット上でも、hidamari2679さんの「風のかたちⅡ」というブログで、

http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10043928066.html

>特に濱ちゃん先生の「整理解雇法理の見直し」のくだりは、道理に暗いひだまりワン公にはドッキリものと思えた。福井君はともかく、「カナダ型」とかおっしゃっている八代先生と一瞬かぶって見えた

こういう感想は、ある面で正しいのです。実際、八代先生の本拠の労働市場改革専門調査会に呼ばれていったときに、こういうふうに喋っています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/work-s.pdf

>今日の議論とどこまでつながるかわからないが、解雇ルールを論じるときには、2つの次元に区別した方がいいだろうと思う。

1つ目は、一般的に雇用契約が成立している中で、使用者側が、ある労働者について、とにかく気に入らないから首にするという行為、これは両者の力関係に差があり、一種の権力的な行為になってしまわざるを得ないが、それを認めるのかどうかという問題である。

2つ目は、企業が市場の中で運営している中で、どうしても労働力の投入量を削減せざるを得ないときに、整理解雇するのは良くないので、日ごろから時間外労働に従事させて、不況になったらそれを減らしなさい、あるいはどこか遠くに配転して賄いなさい、あるいはパート・アルバイトを解雇して、正社員の雇用は何が何でも守りなさいというような、いわゆる「整理解雇法理」に結集しているようなものの考え方である。この二つの次元を分けて考える必要があると思っている。

前者について、およそ雇用契約関係という、単純なものの売り買いでない人間関係の中で、権力的に私の言うことを聞かないからお前は首だというものを全く野放図に認めている国はヨーロッパでは1つもなく、アメリカという特異な例があるだけである。解雇規制が非常に緩いと言われている、例えばデンマークモデルと言われるデンマークでも、そういう公序良俗に反するような解雇についてはきちんと規制されている。そういう次元の解雇規制、解雇ルールの問題と、整理解雇を過度に規制することによって、時間外労働、配転、非正規労働者などに様々な無理を生じさせているような解雇規制とは分けて議論する必要がある。

そういう意味から、これは基本的には労働契約法の中でも議論されたが、今の整理解雇法理をそのままの形で法制化するのは、やはり抜本的に考えた直した方がいいはずだと思っている。

ただ、逆に言うと、一般的な解雇規制については、今の解雇権濫用法理のようなあいまいな形ではなく、正当な理由がなければ解雇してはならないと、きちんと書いた方がいいのではないかと思っている。

ここのところをもっと詳しく展開してみたのが、昨年夏に『季刊労働者の権利』に書いたものです。上のhidamari2679さんは、これを読まれて上の感想を漏らされたわけですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html

最初のところは福井秀夫氏の批判、本体部分はEU諸国の解雇法制の解説(この部分はあまりほかになく役に立つはずです)、そして最後のところが日本の解雇規制の見直し論です。

(1) 権利濫用法理からの脱却

(2) 金銭解決の検討の必要性

(3) 整理解雇法理の見直しの必要性

と、いずれも同誌の購読者であると想定される労働弁護士の皆様には大変刺激的なものになっています。

で、最初に戻りますが、これは「八代尚宏先生の主張と同じなんですね」と言われれば、その限りではその通りだとお答えすることになりましょう。労働者の側にとって弊害をもたらしているような規制は緩和すべきだという点では、意見に違いはありません。

ただ、だからといって「すべての規制は定義上労働者のためになるように見えて必ず労働者に不利益をもたらすものである」とは私は考えていないというだけです。そして、何が利益で、何が弊害かという判断基準自体、社会の変化、時代の流れの中で変化してくるものだという、まあある種歴史主義的な発想(と言っていいのかどうか分かりませんが)が、私の基本にあるので、70年代にはそれなりに社会的妥当性があった整理解雇法理も、今の時代には見直さないといけないでしょう、と考えているわけです。

その意味においては、

hamachan≒八代尚宏

という等式は別に間違っておりません。ただ、その緩和の代わりに、どういう点で労働者保護のための規制を強化すべきかという点についてまで意見が一致するという保障はありません。

(追記)

平家さんにも、「労働・社会問題」ブログで当該記事を取り上げていただいています。

http://takamasa.at.webry.info/200802/article_12.html

こちらは、主として福井秀夫氏の議論について、経済学的な立場から吟味しているもので、大変参考になります。(左にトラバが来ています)

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福井秀夫氏の反・反論

さて、規制改革会議のHPに「『規制改革会議「第2次答申」(労働分野の問題意識)に対する厚生労働省の考え方』に対する規制改革会議の見解」というのが載っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/0222_02/item08022202_01.pdf

>厚生労働省は『規制改革会議「第2次答申」(医療分野及び労働分野の問題意識)に対する厚生労働省の考え方』(以下『厚生労働省の考え方』という)において、「契約内容を当事者たる労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねることは適切でなく、一定の規制を行うこと自体は労働市場の基本的性格から必要不可欠である。」としているが、労働契約について、当会議が単に労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねるべきであるなどと主張した事実はない。「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張しているのである。
したがって、労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である。

ほほう、「当会議が単に労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねるべきであるなどと主張した事実はない」んですかあ。限りなくそれに近いことを主張しておられたようにお見受けしますが、まあ御本人がそうでないと仰るんですからそうでないんでしょうねえ。なにしろ「労働者の保護に必要な法的な手当を行うべきことは当然である」と、はっきり仰られたのですから、今後その言葉に則った言動をされることを切に期待いたします。

金銭解決すらケシカランといわんばかりの口ぶりであった解雇規制についても、

>厚生労働省は『厚生労働省の考え方』において、「契約の内容を使用者と労働者との「自由な意思」のみにゆだねることは適切ではなく、最低限かつ合理的な範囲において規制を行うことは必要であり、専ら情報の非対称性を解消することで必要な労働者保護が図られるとの見解は不適切である。」としているが、当会議において、厚生労働省が主張するように、雇用契約の内容を単に「『自由な意思』のみにゆだねる」べきであるなどと主張した事実はない。むしろ、「労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべき」と主張したのである。規制の見直しによって生じうる問題点について、必要な法的手当てを行うべきことは当然である。

そういうことであるならば、日本語は通じるようですよ、厚生労働省の皆さん。

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今度はフィンランドで

最近、フィンランドモデルとか言って、教育関係者に異常な注目を集めているフィンランドですが、労働関係ではスウェーデンやデンマークと同様の、労働組合の圧倒的な組織率によって労働市場を支配し、公的規制が少ないという北欧モデルの一つです。

それゆえに、EU統合で貧しい中東欧諸国の労働者がやってくると、なかなか難しいことになるという点も共通です。

今度はフィンランドでラヴァル事件みたいなのが発生したようです。今回はポーランドの建設会社。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2008/01/articles/fi0801039i.htm

>A Finnish construction company has called a halt to work carried out by a Polish subcontractor at the building site of the Helsinki Music Centre, after articles in the press stated that Polish construction workers had been paid less than €2 an hour at the site. The representative trade union in the construction sector had already protested against the Polish building company Ekomel operating as a subcontractor at Finnish building sites.

ラヴァル事件で欧州司法裁判所が労働側に厳しい判決を下したこともあり、EUにとって望ましいモデルであるはずの北欧モデルが、EUの人の自由移動によって崩されていくという大変皮肉な事態が進行していくわけで、悩ましい話なんですね。

こうなってくると、労使の自治に委ねて国家規制をできるだけやらないという北欧モデルから、労使に自治能力がないものだから国家権力がやたらにしゃしゃり出るというフランスモデルに近づいていくしかなくなって、EU全体としては大変困ったことになるわけなんですが・・・。

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学界展望:労働法理論の現在

日本労働研究雑誌の2/3月号に、「学界展望:労働法理論の現在──2005~07年の業績を通じて」というかなり長い座談会形式の論文批評が載っています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/index.htm

出席者は、有田 謙司(専修大学法学部教授)、奥田 香子(京都府立大学福祉社会学部准教授)、道幸 哲也(北海道大学大学院法学研究科教授)、濱口桂一郎(政策研究大学院大学教授)です。

取り上げた論文は以下の通りです。

荒木尚志「労働立法における努力義務規定の機能-日本型ソフトローアプローチ」

鎌田耕一「安全配慮義務の履行請求」

川田知子「有期労働契約に関する一考察-有期労働契約の法的性質と労働契約法制における位置づけ」

内田貴「制度的契約と関係的契約-企業年金契約を素材として」

柳家孝安「雇用・就業形態の多様化と人的適用対象の在り方」

鎌田耕一「労働基準法上の労働者概念について」

毛塚勝利「労働契約変更法理再論-労働契約法整備に向けての立法的提言」

道幸哲也「労働契約法制と労働組合-どうなる労使自治」

福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制ー法と経済学で考える』

なお、私たちも全然知らなかったのですが、同じ号に、福井・大竹編著の経済学者による書評論文が載っています。

書評論文

雇用法制を巡って 福井秀夫・大竹文雄 編著『脱格差社会と雇用法制──法と経済学で考える』

江口 匡太(筑波大学システム情報工学研究科准教授)

神林  龍(一橋大学経済研究所准教授)

読み比べてみるのも一興でしょう。

さらに、同号には、大竹先生と一緒に解雇規制分析をされた奥平さんの論文も載っています。

論文(投稿)

整理解雇判決が労働市場に与える影響

奥平 寛子(大阪大学大学院経済学研究科博士課程)

これは是非お買い求めいただく値打ちの高い雑誌だと思いますよ。

ちなみに、巻頭エッセイは仁田道夫先生が労働法教育について書かれています。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/001.pdf

>90%以上の人が学校を出れば働くのだから, 労働法を高校の必修科目にしたらどうかとも思うが,自分の経験に照らしても, 学校で学んだことは忘れやすい。とくに, 労働法のように, 自分が働く立場になってみると切実だが, それまでは, なんだかよくわからないというような科目は, 学校で教えてもなかなか身につかない。だいたい, 普通の市民は, ごく常識的なことを除いて, あまり法律を知らないものである。法律を知らなくても,普段の生活には困らないのだ。いざ必要になれば,専門家に相談すればよいとも思っている。しかし,労働組合を結成する権利を国民が知らないというのは, 少々問題ではないか。

>話は飛ぶが, マンションの管理組合理事を務めると, 防火管理者というものを置かなければならないことを知る。住民の中には仕事にからんで防火管理者の資格をもっている人が一人くらいいるから, その人にお願いすることになるが, 特定の人に負担をかけるのを避けようとすれば, 選ばれた理事の一人が消防署にいって防火管理者の研修を受け, 資格を取得しなくてはならない。防火は確かに大事だが, 労働法上の権利侵害を防ぐことも, 同様に大事だろう。どの事業所にも一人くらいは「労働法管理者」を置くべきではないか。会社の人事・総務担当は確かにそういう知識をもっているが, 彼らの立場は, 従業員側ではなく, 会社側である。
労働組合がない場合, 従業員側「労働法管理者」に最もふさわしいのは, 過半数代表であろう。私は, かねて, 過半数代表者に研修を義務づけるべきだと考え, 主張してきた。声が小さいので, 世間には, ほとんど知られていないが。法律上, 過半数代表者にはいろいろな役割が負わされている。その役割を遂行するためには, 常識や, 職場の事情を知っていることだけでなく, 最低限の労働法知識が必要とされる。労働基準法を全然知らないのに三六協定にサインしてよいはずがない。消防法を全然知らないで「防火管理者」になれないのと同じことではないか。全国に従業者10 人以上の事業所が120 万くらいあり, 少なく見積もっても80 万人くらいは過半数代表者が選ばれているだろう。この全員に研修をほどこそうとすると,最初は膨大な作業になるが, だんだん「労働法管理者」有資格者が増えていくから, それほどの負荷ではなくなるだろう。行政がサービスを提供し,講師は労使団体から出してもらえばよい。夢物語だろうか。

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天工銭を空しうする勿れ、時に判例なきにしもあらず

下記エントリーの参考として、戦前の大審院判例を引用しておきます。大審院刑事部昭和8年4月14日判決(刑集12巻6号445頁)です。

これは、民法上の「組合」のケースですが、労務提供者を組合員として事業を行っていた被告が工場法違反として有罪となった事件です。

>本件組合に於いて被告人の個人経営の当時職工30余名と共にその共同事業として浴布製造を目的とする組合を設立すると同時に該組合の事業遂行のため被告人が其の業務執行代表者となり総事業の執行監督利益分配並びに組合員の加入脱退除名に関する全般の事務を司り自余の組合員はすべて被告人の指揮監督の下に組合の工場に於いて工業的作業の労働に従事して労務に応じ月給日給及び製品出来高等の標準により毎月その報酬を受けこれを各人生活の資となし因って以て右組合員たると同時に一面組合に従属して傭使せられおる事実を看取しうべし。然りしこうして工場法にいわゆる職工とは工業主に対し従属的関係に於いて有償に工業的作業に従事する工場労働者を言うものと解すべきを以て如上被告人以外の組合員が各自組合の一員たると同時に一面組合の職工に該当することもちろんなり

彼らは我が組合の組合員ですから工場法の適用はないんですよというやり口はだめだよ、と戦前の大審院は明確に言ってました。

この判決を受けて、同年5月24日、内務省社会局労働部から次のような通達が出されています。昭和8年発労第52号です。

>近時工場法の適用を免れんがために職工間接雇用の方法により或いは職工をして社員若しくは組合員たらしむる等工場経営の組織形態を変更して工業主と職工との間に使用関係なしとなすもの之有候処、工場法に所謂職工とは工業主に対し従属的関係に於いて有償に工業的作業に従事する労働者を言う義に之有り、如上の場合に於いても法規適用の対象たる工業主及び職工間の使用関係を否定するを得ず、従って当然工場法を適用すべき次第に之有り候条、御了知相成りたく候。追って右の解釈は従来より当局のとり来たるところに候所、先般個人経営工場を組合組織に改めたる実際の事例に関し大審院は右解釈と同様の解釈に基づく判決をなしここに之が確定を見るに至り候条念のため

お前の持ち出す判例や通達はいつも戦前のモノばっかりじゃないかと言われそうですが、そっちの方が役に立つモノばっかりなんだから仕方がないんですよ。

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労働者協同組合について

新雇用戦略へのぶらり庵さんのコメントで、労働者協同組合に関する記事がリファーされていました。

日本労働者協同組合連合会のホームページはこれですね。

http://www.roukyou.gr.jp/

議員連盟立ち上げについては、ここに詳しく書かれているようです。

http://www.roukyou.gr.jp/17_topics/2008_01_2.htm

欧州諸国にはこういう労働力出資型の協同組合という法制度がありますし、社会的に一定の役割を果たしているのは確かなので、法制化を超党派で支援するというのは結構なことだとは思うのですが、それが労働者にとって利益になるものだとばかり強調するのはいかがなものかという疑問もないではありません。とりわけ、前連合会長という立場の方が肩入れすることの問題点ということにもちょっと意識を持っておいていただきたいという気がします。

端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。

いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。

それこそ最近の医師や教師の労働条件をめぐる問題を考えると、どんな立派な仕事か知らんが、労働者としての権利をどないしてくれるンやというところを没却してしまいかねない議論には、少しばかり冷ややかに見る訓練も必要なのではないか、というきがしているものですから。

この辺の危惧、『福祉ガバナンス宣言』に掲載された坪郷さんとの対談でも、かなり失礼なぐらいに強調しておいたのですが。

ちなみに、この対談のナマ録を昨年9月にこのブログに載せてありますので、参考までに。いささか冗長ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e58b.html

>それからさっき言った、フルタイムの人、パートの人、有償ボランティアの人、無償ボランティアの人、など、要は、就業形態が多様化しているということですね。これを、普通の営利企業で就業形態が多様化しているといった時に、たしかに企業側は「これはみなさんがそれぞれにボランタリーにいろんな働き方をお選びになった結果、こういう風になっております」という言い方をしますけれども、「なに言ってやがるんだ。お前ら金をケチるためにやっているんだろ」という話にどちらかというと行くんです。

だけど、特に、介護みたいに公的部門も民間営利部門も、そして、この市民部門も、みんなそれぞれ、実は物理的に言うと、同じことをやっているという中にそれを置いてみると、──すごくいやらしい言い方をすると──民間企業では要するに労働法の規制がゆるいとは言いながら、まだあるのでそこまでは出来ない、というのをこの市民事業だから、有償ボランティアだ、無償ボランティアだと言って、よりチープな労働力を利用できているんじゃないか。営利部門はそれが出来ないから、コムスンみたいにインチキをしなくてはいけないんだ、という、──すごく皮肉な言い方ですけどね──実はそういう面も……。

>ところが、そこがだんだんひろがっていって、例えば、転じて、高齢者を介護をするとか、お世話するとかいう話になってくると、それを自己実現とか──そういう面があるのは確かなんですが──実はそれが自己実現であることが労働者としては、極めて、ディーセントでない働き方の状態を、人に対してだけでなく自分自身に対してもジャスティファイしてしまうようなメカニズムが働いてしまうのではないかと思うんです。それで、さっきから同じところの周りをグルグル回っている感じがするのですが、そこのところをどこで線を引いて仕分けをするべきなのか、というのが、この問題のある意味、永遠の課題なのかなと思います。

(追記)

この問題について、「いちヘルパーの小規模な日常」の杉田俊介氏がなかなか鋭い嗅覚を示しています。

http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080220/p2

>法制化の可能性は五分五分、と言われていたけど、ちょっと変な流れになってきた。協同組合は伝統的に失業者対策/失業者の自主的雇用創出の面をもつので、おかしな話ではないのだけれども、少しきな臭くもある。

 協同組合の法制化もまた、「行政からの補助金など、公的支援に頼らない点も特徴だ」「地方自治体の行政サービスを民営化する際の委託先などになることも想定されている」など、社会的企業やらワークフェアやらの流れに沿って、下請け産業・孫請け産業の水際へと押し流されていく危うさもありそう。まあ、阪神淡路大震災の「後押し」もあって特定非営利活動促進法(NPO法人法)ができたみたいに、歴史の後押しは常に必要であるわけだし、行政・企業の思惑と草の根の動きが必ずしも一致するわけでもないわけで。

 ちなみに、これも歴史的に、労働組合運動と協同組合とは相性が悪いので(労働者が協同組合を自主的に運営してしまえば、使用者と労働者の対立=敵対性が見失われるため)、今後、反貧困の流れの中で、どの辺に接点が見出せるのか見出せないのか。

なお、時事通信と読売新聞の記事も引用されています。

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人生と暮らしと労働

斬り込み隊長氏が、人間という非合理な生き物の行う生活と労働という現象について、一歩深い感想を。

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/02/post_8dbe.html

>それ以上に、私よりも先に結婚をし、子どもを持ち、充実した家庭生活を送っている人を無条件に尊敬できるようになりました。前は、社員が子どもの養育費を理由に給料アップを求めてきたら激怒していたんですが、なるほど人生と暮らしと労働というのは本来切り離してはならないものだったのだなあという。

理屈だけで割り切れるようでそう簡単に割り切れないのが労働というものでして・・・。とはいえそこを、ある程度のところでわざと割り切りながらやらないと進まないという面もあるのですが・・・。まあ、すべてについて言えることですが。

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辻広雅文氏の誤解を招きやすい正論

ダイヤモンドオンラインのコラムで辻広雅文氏が書いた「正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか?」は、「轟々たる批判、非難が寄せられた」そうで、それに対する再反論がさらに掲載されています。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10013/

辻広氏自身にもきちんと区別がついていないかに見受けられるところもあるのですが、解雇規制ということの概念規定がいささか不用意であるために、いたずらに批判を招いているふしがあるように思われます。辻広氏の言う「正社員のクビを切れる」というのは、社長とセックスするのが君の仕事だと言ったのに言うことを聞かないから「クビを切れる」ということでもなければ、求人広告に月給30万円だと書いてあったのに、実際は10万円だったので、こんなのおかしいじゃないですかと苦情を言ったら「クビを切れる」ということでもないはずです。

「はず」というのは、辻広氏は明示的にそういうのを除くと明記してはいないからですが、まあ、そういう場合でもクビを切れるようにしておかないと、そういう目にあった労働者の既得権を保護したりすれば、当の労働者を過酷な地位に追いやり、若い既得権のない人々を不幸にする、これはニュートンの力学法則のようなものだ!とまで仰るつもりはないだろう、と推測するわけです。

実際、辻広氏は

>日本では正社員の整理解雇は、ほぼ不可能だ。社員保護の判例が最高裁判決まで積み重なり、いわゆる「整理解雇の四条件」が厳格基準となり、ありていに言えば、倒産寸前に追い詰められなければ、解雇など許されない。であれば、労働法制を大転換し、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が不可欠となろう。

と、述べているので(労働法を学んだ人ならすぐ気がつくでしょうが、この表現には事実に反する誇大な表現があるのですが、それはとりあえず措くとして)、ここでいう「クビが切れる」というのはあくまでも、労働力の絶対量を減らさなければならないときに、どういう形で減らすかという規範の問題に限られているはずです。

とすれば、それがまさに正規労働者と非正規労働者の雇用保障の格差問題であることも見やすい道理ですし、今までの整理解雇法理が正規労働者の雇用保障の代償として非正規労働者には(上記のような人権侵害的な場合であっても)ほとんど雇用保護を与えてこなかったことをどう考えるかという課題への一つの回答として、ある意味で極めてリーズナブルなものであることも了解されるでしょう。

さらに、辻広氏は最近の水町勇一郎先生の議論を引きながら、

>価値観が多様化、多元化し、なおかつ、産業別あるいは企業ごとに、経営事情、労働状況がそれぞれに異なるようになった今、国が法律で金太郎飴的に縛ってももはやうまくいかない。それなら、欧州ではソーシャルダイアログ、米国では構造的アプローチと呼ぶ、労使の対話、集団的コミュニケーションによって、個別に労働ルールを決めたほうがいい。労働法制は、その対話を促進するような内容に変えていくべきだ――そういう考え方に変化してきているのだという。

>例えば、国は、「合理的理由がない限り、処遇差別をしてはならない」という平等原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、業務請負に至るすべての雇用者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与する。

 その集団対話のなかで、あまりに強い正社員の法的保護、既得権が浮かび上がり、どうにかして派遣や業務請負との差別的格差を解消して、同一労働同一賃金などの「公正」を実現しようとするプログラムが組み立てられていく。例えば、あくまで正社員の雇用を維持し、非正社員を不況時の人員調整弁に使おうとするなら、正社員の雇用条件を下げ、一方、不安定な立場の非正社員には優遇措置を行う、といった工夫はできるだろう。

 さらに踏み込んで、正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなるという改革もありえる。正社員の雇用調整が不可能であるのは、裁判所が判例を積み重ねて、いわゆる「整理解雇の四要件」を越えられぬ壁としたからだ。つまり、国が決めている。それでは、時代環境にも個別事情にもついていけない。労使が考え抜いて、ルール、運用を工夫し、納得したら、柔軟な雇用調整を許容すればいい

という風に議論を進めていきます。労働問題を個別関係の中に閉じこめるのではなく、集団的な枠組みで解決を図っていこうというのは、まさに私も強調していることであり、そしてそのためにこそ、正規労働者も非正規労働者も、パートも派遣も請負も、その職場で働くすべての労働者が参加する集団的枠組みを構築していかなければならないという話につながるのですね。

もちろん、すべてを集団的な枠組みに委ねられるわけではありません。上で例示したような経営上の必要性のない恣意的な「クビ」は、健康を危うくするような長時間労働と同様、「政府が作る画一的な規定」が必要な領域でしょう。

しかし、労働力の絶対量を減らさなければならないときに、それをどういう形でやるべきかは、それに直接利害が関わるすべての人が関わる形でなされるべきだというのは、民主制原理から考えてももっともまともな判断だと思います。

かつてのように正社員はみんな女房子供を養わなければならない成人男性で、非正規は旦那に養われている主婦パートか親がかりの学生アルバイトなんだから、当然後者のクビを切って前者の雇用を守るべし、という風には言えなくなってきた時代であればこそ、その間の利害調整(利益と不利益の分配)は、それぞれの状況に対応できる形で分権的に行われる必要が高まってきているわけです。

個別労働者の権利ばかりに関心が逝っていた近年の風潮に対して、集団的労使関係的発想を再度再建する必要性ということでもあります。

ま、それを「正社員のクビを切れる改革」というような不正確な上に不必要に刺激的な言い方で打ち出す必要はないのではないかとは思いますがね。

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知的誠実さについて

大原社会問題研究所雑誌の2月号に、五十嵐仁氏の「政策形成過程の変容と労働の規制緩和」という短い報告が載っています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/591/591-14.pdf

私が近年取り上げている問題領域と大幅に重なるのですが、次のような記述を見ると、基本的なスタンスとして知的誠実さが欠けているとしか思えません。

>現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる。その背景となったのは「バブル経済」の破綻と湾岸戦争の勃発である。これによって,日本的経営と軽武装国家としてのあり方が否定され,「ワシントン・コンセンサス」に基づく新自由主義による市場原理主義と規制緩和路線が強まり,「東アジア戦略報告」によって安保体制が再定義され,軍事的国際貢献論の具体化が進む。
その「改革」メニューと舞台装置がそろうのは橋本内閣の時代であった。
これは小渕・森内閣で紆余曲折を経るが,小泉首相の登場で頂点に達する。小泉首相は小選挙区制導入(政治改革)や省庁再編(行政改革)によって強化された官邸の力や首相の権限を最大限に利用し,トップ・ダウン型の政策形成を採用した。安倍首相は基本的にはこれを引き継ぎつつも部分的な修正を図り,参院選惨敗後に登場した福田首相はさらなる修正を図ろうとしている。

なぜかここに出てくる内閣名は、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田といった自民党首班のものばかりです。

しかし、いうまでもなく、こういう動きの出発点は五十嵐氏が「現在に至る政策転換は90年代初頭に始まる」というように、その前の内閣の時代です。

市場主義的な構造改革路線を政策の中心に置いて走り出したのは、細川、羽田、そして何より村山といった非自民党首班内閣の時代であったことを、そして、「リベラル」なサヨクの皆さんがそれを熱狂的に支持したことを、文章の上だけで隠してみたってしょうがないでしょうに。

五十嵐氏の議論の作法については、前にもこのブログで取り上げましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_e7f8.html(労働政治の構造変化)

>ふーーーん、橋本内閣からネオリベ政策が始まったんですかあ。

>その前の村山内閣は社会主義的だったんですかあ。

>ここが日本の90年代のネオリベ化の最大のアイロニーなんです。サヨクが一番ネオリベだったのですよ。ここのところを直視しないいかなる議論も空疎なものでしかありません。五十嵐さんの議論はそれを党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質ではありますが。

こういう頭隠して尻隠さず的党派性は相変わらずですね。

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過労になると脳下垂体細胞が次々と死滅

ちょっと前の朝日の記事ですが、労働時間規制(残業代ではなくって)がなぜ必要なのかについての科学的根拠付けの一つとして。

http://www.asahi.com/science/update/0215/TKY200802150139.html

>極度の過労によって、脳の中心部にある内分泌器官、脳下垂体の細胞が次々と死滅していることを、大阪市立大の研究チームがラットによる実験でつかんだ。これまでは過労は生体の機能が落ちるだけとみられていたが、実際は生命維持の中心器官の一つが破壊されていることを初めて立証した。熊本市で15日から始まった日本疲労学会で報告した。

 厚生労働省によると06年度の脳・心疾患で死亡した「過労死者」は147人。研究チームは過労を早く見つける「過労マーカー」の開発に役立つと期待している。

 大阪市立大の木山博資(ひろし)教授(解剖学)らは、ラットの飼育箱の底に1センチ強の深さに水を張り、5日間観察した。ラットは体が水にぬれるのをとても嫌う性質があり、立ったまま数分うとうとする程度しか眠れなくなる。徹夜で働く人間と、ほぼ同じ状態だ。

 このような状態のラットの脳下垂体を調べると、5日目に細胞が死滅し始め、下垂体の中葉と呼ばれる部分がスポンジ状になっていた。

 下垂体中葉には、脳の神経核A14という部分から神経伝達物質ドーパミンが供給されている。疲労がつのるにつれて、A14のドーパミン生産能力が減り、下垂体の死滅細胞が増えていた。

 実験後、飼育箱から水を抜くと、ラットはすぐに睡眠をとり、半日後には活動を再開した。しかし、下垂体が元の状態に戻るには数日間かかった。早めの休養が重要であることを示している。

まあ、こういう記事を書いてる新聞記者の皆さんが、実は一番脳下垂体細胞が死滅するような働き方をしていたりして・・・。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080220/p4#seemore

>それと、マスゴミの中の人たちがマジで1年365日「24時間オンコールが義務」と考えている可能性は高いと思う。だってブンヤもTV屋もしばしば自分たちが無茶苦茶な生活をしているわけで、建前では「ワークライフバランス」「過労死を防げ」とか言っていても、本音ではそんなの全然信じてないもんね。挙げ句は『働きマン』だの作って自分たちの激務を自慢しているわけでしょ?

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学校選択制は、「ダメな学校」を構造的に作り出す

(最近これを紹介することが多いですが、別に日経BPの回し者じゃありません)日経ビジネスオンラインで広田照幸氏のインタビュー記事が載っていて、私も前に本ブログ上で何回か書いたフリードマン信者大好きの教育バウチャー制について、教育専門家の立場から的確な批判を加えています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080215/147257/

>バウチャー推進論者は、教育バウチャー制度によって「教育がよくなる」と連呼しているのですが、私には、どうも納得ができません。どうしてあんなにラフで楽観的に導入推進を主張できるのですかね。

>いま推進論者が提案している形のバウチャー制度を日本で実施したら、どうしてそれが毒薬にならず良薬になるのかについては、ほとんど説明されていないのです。「これさえ飲めばガンが治りますよ」という、怪しいセールストークを聞かされているような気分です。

>「最悪のシナリオ」というのは、ニュージーランドのように、学校間の格差が拡大していき、バウチャーが実質的に富裕層への補助金になってしまう、というものです。

 というのも、いままでの議論をみるかぎり、私学にどう手をつけるのかが全然議論されていないし、競争状態を作り出すための条件、すなわち公立学校のカリキュラム編成などに自由度をどう与えていくかという議論もなされていません。

 つまり、公立学校が私立学校と対等な条件で競争できるようにするにはどうすればいいのかという議論が、まったく欠けているのです。私学を経営している人にとっては、触れてほしくない論点かもしれません。

 具体的にはこういうことです。私学の自由度(特に授業料徴収の自由、選抜の自由)が保持されたまま制度が運用されたら、私立の学校は競争条件に変化がないまま、今までよりもはるかに多額の補助金を「児童・生徒の数」に比例して受け取るようになってしまいます。

 そして教育予算は大枠がかぎられていますから、結果的に、公立学校への財政配分は低下します。私学に食われてしまうからです。また、赤林氏がいうように、選抜の自由が保持されたままでは、バウチャーは私立に子どもを通わせたい教育熱心な富裕層への補助金にしかなりません。

 同時に、公立学校は人気校・不人気校に分化していきます。学校選択制をやってきている品川区でも、そういうふうになっていますけれども、生徒が集まらない不人気校には予算をカットする、というふうになると、その流れに拍車がかかります。「うちの子の学校は少人数でいいわぁ」なんて、呑気なことを言っていられなくなってしまいます。

推進論者が抱いてきた願望と違って、生徒の問題行動の総量は減らないで、ひょっとしたら増えるかもしれない。しかも、「問題集中校」みたいな形で、特定の公立学校は、今以上に大変な状態になっていくんじゃないでしょうか。

>冒頭に紹介した教育再生会議の報告でも、バウチャー制度は学校選択制とセットで提案されています。単なる個人への補助金交付ではなく、保護者と子どもに学校を選ばせる。ユーザーである保護者や子どもは「教育の質」を判断して学校を選ぶようになるから、学校間でよりよい教育を提供すべく競争が起こり、結果として教育全体のパフォーマンスも向上する、という論理構成です。

 一見すると、もっともな議論に見えますが、ここには「情報の不完全性」あるいは「情報アクセスの不完全性」という問題がするっと抜け落ちているように思います。

>、「宣伝」にせよ「評判」にせよ「評価」にせよ、情報や情報アクセスには、つねに不完全性がつきまとわざるをえません。「教育の質」が情報化されることにさまざまな困難があるし、仮に十分な情報が提示されたとしても、選択の際に使われるとはかぎらない、ということです。

 だから、各学校が教育の改善や工夫をしたからといって、それがストレートに保護者に伝わり、地域の評判も上がって、入学者が増加する、という具合にはいかないと思います。

 むしろ、各学校でやれる工夫の幅が小さい中で、一元的な尺度で学校の評判が決まっていき、ひとたび悪評に見舞われた学校は、教師たちのさまざまな努力や工夫にもかかわらず、ずるずると入学する生徒は減っていく、というふうなことが起きてしまうはずです。

 これを極端な悲観論のように思われる方もいるでしょう。でも、たとえば学校選択制をいち早く導入した東京都品川区の公立小中学校の選択動向を見ると、そうなっています。入学者数が減った後に巻き返しができた学校はごくわずかで、ほとんどは増加と減少の二極化傾向にあります(小林哲夫「親子の本音が招く人気校への雪崩現象」『中央公論』2006年11月号)。

 たんなる学校選択だけでもそうなのだから、予算のカットと連動したら、ますますいったん「不人気校」のラベルを貼られると、脱出が困難になってしまいます。

>経済学者の小塩隆士氏も、学校選択においては初期条件がかなり重要なポイントになると述べています。格差がゼロという状態はありえないから、親は「あの学校は学級崩壊が多いからやめよう」とか「進学率が高いからここにしよう」とか、限られた情報で学校を選択する。その結果、「いい学校」はますますよくなり、「悪い学校」はますます悪くなる、と(『教育を経済学で考える』)。

 そうであるならば、大前提(1)を改める必要があります。「親や子どもは『教育の質』を厳密に判断しない」と考えないといけません。

 学校選択制やバウチャー制の導入論者は、この点を決定的に無視しています。彼らは、親や子どもが完全情報のもとで、消費者として合理的な選択をする、というモデルで学校改革を考えています。でも、実際にそうはならないのです。

 「学校がもっと情報発信を」とか、「評価結果の公表を」といったふうに、学校選択制やバウチャー制の導入論者は主張します。でも、それは、完全情報のもとでの合理的な選択を保障することにはなりません。多くの人は単純な序列や風評・イメージで学校を選択し、不人気校はその結果、いくら努力しても浮き上がれないという泥沼に落ち込むでしょう。

 学校間のゼロサム・ゲームで、予算の取り合い競争させるようなしくみは、長期的には、公教育一般への信頼性を揺るがせてしまう、と思います。「ダメな学校」をいつも構造的に作り出すしくみだからです。

 そうではなく、「どこの学校に行ってもちゃんとした教育が受けられる」という安心感を与えるだけの公教育の充実こそが、長期的に好ましい戦略だと思います。問題を抱えた子どもが多くいる学校には教員を加配するなど、プラス・アルファの発想で、公教育をトータルに底上げしていく施策こそが必要なのです。

単純素朴な初等ケーザイガク教科書嫁派がうかつに労働という高等生物たる人間の絡み合いの世界に手を突っ込んだときに起こる愚かな現象と、ほとんどパラレルな事態が教育の分野でも起こることを、説得的に説明されています。どちらも人材養成と活用という同じ課題をもった領域ですから、当然といえば当然でしょう。

まあ、公立学校にカネを流すなんて無駄遣いはやめて、金持ちの子供だけがもっともっと国から金を貰えるようになればいいじゃんか、と本音では思っている人が、アフォなB級国民をだまくらかすためにケーザイガクを操っているだけなら、それこそイデオロギー暴露だけで済む話なのですが、世の中そう単純な構造になっていない。唱道者の少なからざる部分は、多分本気でカルトなケーザイガクを信じ込んで、本気でバウチャーにしたら世の中がよくなると思いこんでいるから話はややこしいのです。人間はなぜエセ科学に引き込まれるのか、というテーマともつながる大きな問題なのでしょう。

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出向名目の違法人材派遣

読売ですが、記事を読んで一瞬なんだかよく判らなくなりました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080221-OYT1T00102.htm?from=main3

>学校法人「大阪初芝学園」(本部・堺市)で、前理事長が社長を務めていたうどん店などの外食チェーン「グルメ杵屋」(本社・大阪市)の社員を教員として出向させており、この雇用形態が、出向を名目とした違法な人材派遣にあたるとして、大阪労働局が学園と同社を職業安定法違反で是正指導していたことがわかった。

はあ?うどん屋の店員を教員にしてたって?

よく読むと、

>学園と同社によると、新採用の教員は学園が常勤講師として1年間雇用。2年目にグルメ杵屋の正社員となり、学園に出向する形で5年間教員を務める。7年目以降は、出向期間を更新して学園での勤務を続けるか、自主退職かのどちらかとなっている。同社に戻って働くことはないという。

 同社の椋本彦之前社長が学園理事長を兼務していた2000年度から始め、07年度現在、出向教員は96人おり、全教員の4分の1を占める。給与はいずれも学園が払っているという。

 厚生労働省などによると、出向はグループ会社内や研修目的などの場合に認められる。学園と同社には資本関係はなく、出向を終えて同社に戻った例はないことから、同労働局は実態は労働者供給事業にあたると判断したとみられる。

つまり、はじめから初芝学園で教えるために雇っている人を、籍だけうどん屋さんに置かせて、出向でございますという形にしていたということですね。いろいろと知恵を働かせるもんです。

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グッドウィルが労災隠し

朝日の記事で、

http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200802200433.html

>日雇い派遣大手グッドウィルが、昨年12月に宮崎県都城市で起きた労災事故を労働基準監督署に適切に報告しない「労災隠し」をしていたことがわかった。事故にあった派遣労働者の男性(29)は指の骨が折れる大けがだったが、会社側から労災を隠すよう強要されたと訴えており、都城労基署が調査を始めた。

 男性は昨年12月17日、日本通運の作業現場に派遣され、荷下ろしでコンテナの扉を閉める際に左手薬指を金具に挟み、病院で骨折と診断された。男性によると、グッドウィルの従業員に「労災は使わせない。仕事はできるだろう」といわれ、無理に働かされたという。

 2月にけがが悪化し働けなくなったため、都城労基署に申告した。労働安全衛生法では、労災事故は定期的またはすみやかに届け出る必要があり、意図的に報告しなければ50万円以下の罰金。グッドウィルは今月18日に労基署に報告したが、男性は「会社側は労災隠しの事実を認めようとしない」として労基署に刑事処罰を求めるという。

 グッドウィルでは昨年2月、東京都内での違法派遣で労災事故があり、労基署への報告も不適切だったと発覚。全事業所が2カ月間の事業停止命令を受けた。同社は「今回の労災事故対応については明らかに不適切で反省している」として、関係者を処分する方針だ。

 派遣先の日本通運も「安全管理の責任者が現場におらず、グッドウィルから報告もなかったため労災に気づかなかった」と認めている。

まあ、グッドウィルという名前のバッドウィルな会社ですし、「労災は使わせない。仕事はできるだろう」てのはいかにもひどい話ですから、GW社が批判されるのは当然なんですが、日本通運の「労災に気づかなかった」てのも、(新聞記者はあまり気がついていないみたいですけど)考えてみればとんでもない話なんです。

なぜなら、派遣法上、現場の安全衛生責任は派遣先にあるのであって、派遣元にあるのではない。本件がどんな作業なのか詳細は分かりませんが、コンテナからの荷下ろしの現場に日本通運の人がいなかったわけがない(もしいなかったのなら、それはもはや派遣ではない)。

この辺、やはり派遣先のモラルハザードをきちんと指摘しておかないと、叩かれてる「善意」な会社だから、そっちを叩いておけばいいやろ、というだけでは問題の本質から逸れてしまいます。

そして、ここらあたりにも、安全衛生責任と労災補償責任を派遣先と派遣元に分断してしまった派遣法の立法的問題が顔を覗かせているように思われます。派遣という就労形態において、使用者としての責任をきちんと果たさせるようにするためには、どういう仕組みが必要なのかという議論にこそ、この事件がつながっていくといいんですけれどもね。

世間では、野党だけでなく与党の一部からも、とにかく目につく日雇い派遣を禁止するといった、はっきり言ってポピュリズム的な議論ばかりが出てきて、そういう地道ではあっても本当に意味のある話になっていかない嫌いがあります。困ったもんです

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ねじれ国会よりも年金論議のねじれ現象の方がおもしろいよな

例によって、権丈先生の権丈節ですが、特に連合さんはじっくり読む必要があると思いますよ。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare136.pdf

>ねじれ国会は最近のことですけど、ねじれ年金論議はかなり昔からのことです。
連合が経済界の味方をしてしまっているし、自民党が経済界にとって最も辛い選択肢側にいるわけですから。

>わたくしは、今日の年金論争は、「経済界対生活者=労働」という構図でとらえるのが、かなり都合が良いだろうと思っている。生活者=労働の老後の所得を安定させるためには、この国で租税に依存するのはかなり危なっかしい、しかも生活者=労働の生活に安心をもたらすためには、年金もさることながら医療介護というような現物給付の充実がこの国ではどう考えても急務である。よって、生活者=労働の側に立てば、朝日新聞が言うような「(基礎)年金は税と保険料を合わせて」という解に到達するのは自然の理。同様に、年金制度設計上の善し悪しを生活者=労働に有利となるか不利となるかで判断する年金研究の専門家たちも、「(基礎)年金は税と保険料を合わせて」という解に到達しているのも自然の理。ところが、この立場は、朝日新聞的には困ったことに(笑)政府与党の立場であり、連合や野党は、おかしなことに、経済界よりの「基礎年金は税で」という解がお好きなようで!?

Kenjoh

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日雇いは三日やったら・・・

やめられない・・・ということはありませんが、辞めてもらうのはいささかむづかしくなるかも知れませんよ。

http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/200206-e00.pdf

>有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準の一部改正について

>雇止めに関する基準第2条の雇止め予告の対象の範囲として、有期労働契約が3回以上更新された場合を追加したものであること。
これより、使用者は、有期労働契約が3回以上更新されている場合において、当該有期労働契約を更新しないこととしようとする場合には、少なくとも当該契約の期間の満了する日の30日前までに、その予告をしなければならないものであること。

日雇いももちろん雇用期間1日のれっきとした有期労働契約ですから、日雇いを3日続けて更新して使うと、その期間の満了する日の30日前までに雇止めの予告をしなくちゃいけないわけです。ということは、3日で辞めてもらうためには雇い入れる27日前にあらかじめ予告しておかなくてはいけないので、ということは3日でお終いというのはすごく困難ですね。

まあ、さすがにそこのところは厚労省の担当者も気付いていないわけではないので、

>なお、
ア 30日未満の契約期間の労働契約を3回以上更新した場合

の雇止めに関しては、30日前までにその予告をするのが不可能な場合であっても、雇止めに関する基準第2条の趣旨に照らし、使用者は、できる限り速やかにその予告をしなければならないものであること。

と、「できる限り速やかに」で柔軟に対応できるようにしてはいますが、それにしても、期間2ヶ月の有期労働者だったら雇止め予告されるために6ヶ月かかるところを、日雇いは3日で到達しちゃうんですからすごいですねえ。

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日本企業は財務主導の悪循環に陥っている

日経ビジネスオンラインの記事。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080214/147229/

>バブル経済の崩壊後、年齢に関係なく社員一人ひとりの業績に基づいて処遇を決める成果主義型の人事制度を日本企業の多くが取り入れた。しかし、それによって人事制度の面で欧米のグローバル企業と肩を並べたと思うのは幻想に過ぎない。彼らは早くも次のステージへと進んでいる。

こういう、なんでも日本が遅れている、ぐろーばるをみならわなくては・・・という発想が実は「失われた十数年」の混迷の原因なのではないですか?と問い返したいところはありますが、それにしても、次の一節は、一昔前に流行っていためりけん風のぐろーばるに未だにいかれていらしゃるみなさんには一服の清涼剤になるのではないでしょうか。

>社員の管理に利用している指標でも、世界全体と日本企業とでは大きく異なっています。日本企業の回答で多いのは、従業員1人当たりのコスト、利益、売り上げといった財務に関連する指標です。一方、世界全体では従業員の定着率や離職率、労働意欲や満足度を活用しているところが多い。

>この違いから分かるのは、日本企業は財務上の結果ばかりを重視しているのに対して、海外の企業は離職率や満足度を通して従業員そのものをしっかりと見ていることです。

 実際、欧米の企業の多くは社員満足度の調査を定期的に行っています。例えば、キャリアや機会をきちんと与えられているか。仕事をする環境に不満はないか。同僚との関係はうまくいっているか。ビジョンを明確に示せるリーダーはいるか。

 IBMの場合はこれらの項目について毎年調査し、どれだけ改善しているかを把握しています。そして満足度の低い項目があれば、改善策を考えて実行する。このように社員満足度調査の結果を分析して、人事施策へと結び付けています。

 日本企業が財務指標ばかりを見るようになったのは、おそらく長い不況の中で財務主導によって数字が先に来るようになったからでしょう。もともとは人材を大切にしたり、徒弟制度的に人を育てていく文化が日本企業にはあった。それが不況で次第に余裕がなくなり、新卒や中途社員の採用を抑制した。

 その弊害がここにきて表れています。20代から30代の社員がほかの世代に比べて少なく、ノウハウや技能の伝承が進まない。不況の中で新しいことに挑戦することもままならず、社員としての能力も向上しない。

>こうした悪循環の中で、数字ばかりを追い求める傾向も強まっています。日本企業から価値観やビジョンといったものが失われた理由もここにある。以前にグローバル企業を調査した時に途中から気づいたのですが、欧米のグローバル企業は、ウェブサイトの社員募集のページにミッション(使命)とかビジョンを明示しているケースが多いのです。

 「自分たちはこういうミッションを持っている。賛同する人は当社で一緒にビジネスをしよう」。こうした姿勢が強いのでしょう。日本は単一民族ということもあって、ミッションやビジョンの必要性を強く感じてはこなかった。経済のグローバル化に伴って、外国人社員の採用や登用の必要性が高まる中、ミッションやビジョンを明確に掲げることに日本企業も取り組むべきでしょう。

 企業にとって今、人材が最大のアセット(資産)になってきています。このアセットを十分に活用するためには、財務一辺倒の管理から脱却して社員の離職率や満足度も重視する形へと転換することが急務です。

あのさあ、そういうのをふるくさいじゃぱん風だといって捨てろ捨てろと言いつのってきたのが、日経病にかかっていらしたころのぐろーばるなみなさんじゃなかったでしたっけ。

ちょうど十年前、よーろっぱから帰ってきたばかりのわたしは、世の中の流れと真っ向から逆向きになってしまって、たいへんさみしいおもいをしたものですよ。

まあね、日本では、何かいおうとすると「出羽の守」にならないとなかなか聞いて貰えない。

IBMをもちだして日本企業の財務主導を批判するというのもなんだか皮肉だけど、まあ、そういうソシオグラマーの中でやるしかないわけで・・・。

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欧州労使協議会指令改正を協議

欧州労連(ETUC)によると、来る2月20日に、欧州委員会が欧州労使協議会指令の改正を協議するんだそうです。

実は2004年に既に第1次協議を行っており、翌2005年には奇妙なことにリストラ問題と一緒にして第2次協議を済ませたことになっていたのですが、今回再び協議をするというのは、もう少し具体的な改正内容を示すつもりがあるということなのでしょうか。

まあ、しばらく様子を見ていきましょう。

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キャリア教育は食育と同レベルですか

マスコミで様々に取り上げられている新学習指導要領の答申ですが、実物はこれです。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/news/20080117.pdf

で、教育内容に関する主な改善事項としてあげられているのが、

(1) 言語活動の充実・・・・・・・・・・・・・・・53
(2) 理数教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・54
(3) 伝統や文化に関する教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・57
(4) 道徳教育の充実・・・・・・・・・・・・・・・58
(5) 体験活動の充実・・・・・・・・・・・・・・・61
(6) 小学校段階における外国語活動・・・・・・・・・・・・・・・63
(7) 社会の変化への対応の観点から教科等を横断して改善すべき事項・・・・65

この(7)の中にさらに、

(情報教育)
(環境教育)
(ものづくり)
(キャリア教育)
(食育)
(安全教育)
(心身の成長発達についての正しい理解)

なるほど、キャリア教育は食育と同レベルなんですね、そうですか。

まあ、その中身も、

>○ 2.で示したとおり、「生きる力」という考え方は、社会において子どもたちに必要となる力をまず明確にし、そこから教育の在り方を改善するという視点を重視している。
近年の産業・経済の構造的な変化や雇用の多様化・流動化等を背景として、就職・進学を問わず子どもたちの進路をめぐる環境は大きく変化している。このような変化の中で、将来子どもたちが直面するであろう様々な課題に柔軟かつたくましく対応し、社会人・職業人として自立していくためには、子どもたち一人一人の勤労観・職業観を育てるキャリア教育を充実する必要がある。

○ 他方、4.(1)で示したとおり、特に、非正規雇用者が増加するといった雇用環境の変化や「大学全入時代」が到来する中、子どもたちが将来に不安を感じたり、学校での学習に自分の将来との関係で意義が見出せずに、学習意欲が低下し、学習習慣が確立しないといった状況が見られる。さらに、勤労観・職業観の希薄化、フリーター志向の広まり、いわゆるニートと呼ばれる若者の存在が社会問題化している。

○ これらを踏まえ、現在においても、
・中・高等学校における進路指導の改善、
・職場体験活動、就業体験活動等の職業や進路に関する体験活動の推進、
などの取組を行っているところであるが、今後更に、子どもたちの発達の段階に応じて、学校の教育活動全体を通した組織的・系統的なキャリア教育の充実に取り組む必要がある。

すなわち、8.で示すとおり、生活や社会、職業や仕事との関連を重視して、特別活動や総合的な学習の時間をはじめとした各教科等の特質に応じた学習が行われる必要がある。特に、学ぶことや働くこと、生きることを実感させ将来について考えさせる体験活動は重要であり、それが子どもたちが自らの将来について夢やあこがれをもつことにつながる。具体的には、例えば、
・特別活動における望ましい勤労観・職業観の育成の重視、
・総合的な学習の時間、社会科、特別活動における、小学校での職場見学、中学校
での職場体験活動、高等学校での就業体験活動等を通じた体系的な指導の推進、などを図る必要がある。

といった職業意識啓発程度の内容ではありますが。まだまだ「労働教育」という言葉は教育界には届いていないということのようです。

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労働者と使用者は決して対等ではない

先週発売された『東洋経済』2月16日号(特集「雇用漂流」)に掲載された私のインタビュー記事を、次の号が発売されたので、ここにアップしておきます。

>特定の労働者を保護することによって、当の労働者自体にマイナスの影響が出ることはあり得る。保護対象外である労働者との格差を生むというのも、ある程度は正しいだろう。解雇規制に関する判例法理が形成されたのは1970年代。当時は正社員が中心で、パートやアルバイトなどの非正規社員は補助的な労働力だった。正社員の雇用を守るために非正規社員に先にやめてもらうということも、社会的な妥当性はあった。それが90年代以降、非正規社員が著しく増加し、社会状況が変化した。それに見合う形で、正社員の解雇規制を緩和し、非正規との調和を図っていくことは必要だろう。

>それでは、労働者保護が一切不要かといえば、それは違う。労働者が使用者から一方的に「クビだ」といわれることに対して、何らかの保護はあるべきだ。

>ごく単純な労働でない限り、起こりうるすべてを契約に書き尽くすことはできない。その中身が日々決まっていくのが労働契約の特徴だ。そもそも労働者と使用者の立場は対等ではない。こうした現実においては、労使の個別契約ですべて決めるのではなく、問題解決のための集団的、社会的な枠組みが必要だ。

>規制緩和論者には、「その会社が嫌なら辞めて他に転職する」というエグジット(出口)があれば労使関係は対等だ、という考え方が強い。だが、労働力という商品は特殊であり、同じ職場で長く働くことによってその性能が高まっていく。ある会社に継続して勤め、能力が高まった労働者は、いったんエグジットしてしまうと、まったく同じ価格で売ることは非常に困難だ。最終的に転職するにせよ、現在の職場で一定のボイス(意見)を発することが認められるべきだろう。

>労働者派遣については、労働力の需給調整の機能を果たしていることは事実だが、労働者を雇用する会社と使用する会社が分離しているために弊害も多い。特に、登録型の実態は限りなく職業紹介に近いから、派遣先の使用者責任を強化すべきだ。制限期間を超える長期派遣の場合には、自動的に直接雇用とする「みなし」規定を設けることも検討課題になる。

1時間以上にわたるお喋りを編集部の方がまとめられたものなので、自分で書けばちょっと違う書き方になるというところもありますが、おおむね私のいいたいことを的確にまとめていただいています。

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プリンスホテルの不使用呼びかけ 連合

労働組合の立場からすれば、もっとも正しい反応と言えましょう。

http://www.asahi.com/national/update/0215/TKY200802150348.html

>日本教職員組合の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場使用を拒んだ問題で、連合は15日、プリンスホテル系列の施設を利用しないよう呼びかけることを決めた。事実上の不使用運動で、「プリンス側が社会的責任を明確にするまで当分の間続ける」という。

 連合が傘下労組や関係団体に不使用を呼びかけるのは近年では例がなく、古賀伸明事務局長も「異例の対応」と話す。春闘の勉強会などですでに予約していた数件もキャンセルするという。

 連合は「プリンス側は司法判断に従わず、宴会場に加えて約190室の宿泊予約も一方的に解除している。ホームページで公表した見解も居直っているもので容認できない」と主張している。

 プリンスホテルは「お客様の安心、安全を考えてお断りしたものであり、その点を引き続きご理解いただけるよう努めていきたい」としている。

この問題を、思想信条の自由の問題とか、政治活動の問題だとか、日の丸君が代がどうとか、ウヨクとサヨクがどうしたとか、そういう類の話だと理解するのであれば、それにふさわしい反応の仕方があるのでしょう。そういう理解のもとにそういう反応をすること自体を否定するつもりはありません。

しかし、日本教職員組合という、教育に関わる労働者の労働組合の大会を拒否したと言うことは、何よりも働く者の団結権への攻撃なのであり、そうである限りにおいて、同じ労働者である以上思想信条の違いを超えて、ボイコットという手段を執ることは労働組合の歴史からして当然のことと言うべきでしょう。

残念ながら、マスコミも日教組をあたかも政治思想集団であるかの如くとらえて、今回の件の是非を論ずるかの如き歪んだ傾向がありますが(まあ、日教組の中にそういう傾向があることも否定できませんが)、労働組合の当然の活動への否定なのだという観点が世間から欠落してしまうことは、やはり大きな問題だと思います。その意味で、さまざまな政治的立場の組合が属する連合が、こういう姿勢を示したことは重要な意味があるでしょう。

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新雇用戦略

昨日、経済財政諮問会議に提出された民間議員の新雇用戦略です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0215/item1.pdf

>「全員参加の経済戦略」の第一弾として、働く意欲のあるすべての人々が年齢や世帯の構成、就業の形態にかかわりなく能力を発揮することを目指し、以下の内容を骨子とする「新雇用戦略」を策定すべきである。

>Ⅰ: 対象別に講ずべき対策

1. 女性= 「新待機児童ゼロ作戦」の策定等 目標: サービスが利用できないために就業を断念することのないよう、2010年代半ばまでに、対象年齢児童の5割程度が子育てサービスを受けられるようにする。 それに向け、2009年度から2011年度までの3か年において、緊急のサービス整備を行う。

2. 若者= ジョブ・カードの全国展開 ① ジョブ・カードの全国展開 目標:2010年代半ばまでに、フリーターを現在(187万人)より50万人以上減少させることを目指し、ジョブ・カードの拡充等を図る。

3. 高齢者= 「70歳現役社会」の実現 目標:団塊世代の能力が定年後も十分活用されるよう、希望者は、 70歳まで安定的に働けるようにする。

なお、これについての太田大臣の会見の中で、次のようなやりとりが紹介されています。

>民間議員から、雇用を増やすということの数値目標を明確に立てて、成長率にしっかりつながるような戦略を立てることが必要だと。
 それから、今日、舛添大臣、渡海大臣においでいただいたのは、保育所と幼稚園の両方の性格を持つ、縦割りを越える認定子ども園というのができたわけですが、なかなか広がっていないという実態。それから、放課後の児童サービスも、それぞれ厚労省、文科省がやっているということがあるわけですけれども、民間議員から、保育・幼稚園、それぞれ厚労省と文科省が異なる施策を講じている。国の一律ではなく、これは地域の実情に応じて地方が裁量性を持ってできるようにすべきだと。
 それから、最低賃金は、遵守状況を厚労省にしっかりとチェックしてほしいという発言がありました。去年、厚労省は、この最低賃金の遵守状況をしっかりとチェックしたわけで、今年も引き続きやってほしいという発言がありました。
 これに対して舛添大臣から、最低賃金改正法で罰則が強化されたということが抑止力になると思うけれども、引き続きチェックしたいという御発言がありました。
 それから、渡海大臣から、この民間議員ペーパーの中に、厚労省、文科省縦割りになっている認定子ども園について、内閣府に一元化したらどうかという話があるわけですけれども、内閣府に移すことでうまくいくのか、実施部隊はどうするのか、今スタートしたばかりなので、やはり改良していくことが大事なのではないかと。それから、学校教育法の中で、幼稚園も教育の場であると位置づけられているわけで、これに保育をどう組み合わせていくのか、しっかりとした議論が必要だと。
 それから、舛添大臣から、この認定子ども園について、一緒にするという試みはよいけれども、福祉という見方からの子ども、それから教育という見方からの子どもというのをよくよく議論しなくてはいけないと。例えば、インフルエンザなどで学級閉鎖するときに、幼稚園までは学級閉鎖できるけれども、保育園というのは閉鎖できないというようなことがあるようで、なかなかそういう問題もあるので、よく議論していく必要があると。
 それから、増田大臣から、やはりそれぞれの地域の現場では、この認定子ども園、あるいは保育所と幼稚園が縦割りになっていることに対して、父母や関係者の不満は非常に強い。認定子ども園という形になっても、根っこが縦割りになっていると、上を足し合わせただけですから、地方では子どもの数が減っているので、お互いに現場では取り合いになってしまっている。父母のニーズに応えるということが大事ではないかと。
 それから、町村官房長官から、文部大臣をしておられるときに、そのときの小泉厚生大臣と、縦割りではなく保育と幼稚園というのを一緒にやっていこうということは、そのときから議論して、先行準備もしたけれども、やはり一緒になれないのは補助率の問題なのですね。保育というのは措置ですから、国費がしっかりと出るけれども、幼稚園というのは教育であって、これは国費は出ないということで、この問題が非常に大きいというような御意見が出ました。
 それから、民間議員から、この保育の分野では、保育に欠ける児童を市町村が認定するという、この措置というのが根源的な問題で、これを利用者の立場に立ったサービスに変えていく必要があると。かつての待機児童ゼロ作戦、今、新・待機児童ゼロ作戦をつくろうとしているわけですが、前の待機児童ゼロ作戦は2万人の待機児童を解消しようとした。これは自治体に登録された子どもであって、潜在的な需要というのは、もっと膨大なものである。このターゲットを大きく広げるには、措置では対応できないので、これを変える必要がある。地方分権委員会と連携して議論していくということが必要だという議論がありました。
 この今、問題になっている措置については、舛添大臣からは、やはり多様な選択肢というのは当然必要だけれども、財源問題が絡んでくるし、それからこういうサービスは「安かろう悪かろう」になってはいけませんから、サービスの質ということも含めて、もう少し議論したいということがありました。
 あと、甘利大臣から、地域の産業振興に適合した職業訓練というのが必要で、今、経産省としても、その観点からの地域人材育成の支援というのに取り組んでいくという発言がありました。
 それから、舛添大臣から、やはり少子化対応は財源をどうしていくのか、それから地方財源についてもどうするのかということを、しっかりと議論しなくてはいけないと。
 額賀大臣からこれに対して、新しい戦略をつくるのはもちろん必要だけれども、その際、既存のものをやはり見直していく。そして、有効な方策をつくる。そして、次世代に負担を先送りしないということが必要ではないかという発言がありました。
 あと、この民間議員の提案の中に、高齢者に関しては柔軟な雇用ルールをつくって取り組んではどうかという提案があるわけですけれども、最近、労働法制が遵守されていないというような問題がいろいろあるので、この高齢者に対する柔軟なルール、あるいは在宅勤務についても、やはりこのルールをしっかりとつくる、その具体的な仕組みを検討することが必要だという意見がありました。
 これに対して民間議員から、あくまで柔軟なルールというのは高齢者を対象にしたもので、高齢者という年齢を区切って弾力化すると。今、高齢者はもともと非常に不安定な状況に置かれていて、嘱託という形で1年更新の雇用になっているので、そこに柔軟なルールを適用して、より安定したよい状態にしていこうというのが趣旨だという発言がありました。
 あと、民間議員から、子育てしている女性の就業率が下がらないようにするという目標が大事だと。M字カーブをつくらないということですね。そのためには、発想を親の側に完全に転換して、預けたいときに子どもを預けられる、3月31日を過ぎても申請できるという安心感が必要で、そのためには措置という制度を大きく変えていく必要があるという御発言がありました。
 それから、最後に民間議員から、就労という点では、新しい成長戦略で、この成長で得られた成果が賃金の引き上げで家計に確実に配分されることが必要だ。それが消費や住宅投資など、安定成長につながっていく。今、春闘の真っ最中だけれども、こういう好循環を確立することが、企業にとってもプラスである。収益の状況、賃上げの状況は企業によって異なるけれども、この認識、つまり好循環が企業にとってもプラスなのだという認識を、経営者も中・長期的な視点に立ってしっかりと共有することが重要であるという発言がありました。
 私から、今日は措置とか認定子ども園については、まだ意見が分かれておりますので、引き続き議論したいということを申し上げました。それから、雇用戦略全体については、今日の議論も踏まえて、舛添大臣に次回、数値目標ですとか改革工程も含めて、いわゆる「舛添プラン」というものをお出しいただきたいというお願いをいたしました。
 総理から、次のような御発言がありました。
 これから日本は人口が減少するけれども、その人口減少の下でも安定した成長を実現していかなければならない。これは大きなチャレンジであるけれども、うまく活用すれば、日本の経済構造をさらに強くするチャンスでもある。こうした観点から「新雇用戦略」は、全員参加の経済戦略を展開していく上で大きな柱となるものであり、女性、若者、高齢者に対するどの政策分野も重要だと。
 総理が、今日、都内の企業内保育所を訪問されたそうで、これはもう理想的にも見えるような保育所なのだけれども、働くお母さんの側からすると、そういう中でもいろいろと問題があるようであるけれども、政府としてもいろいろな取組をしっかりと推進していく必要がある。厚生労働大臣を中心に、新・待機児童ゼロ作戦というのを推進してもらいたい。また、認定子ども園など保育サービスを充実していくことは、生活者の立場に立ってこれを進めることが不可欠なので、舛添大臣、渡海大臣には、役所の縦割りを越えて知恵を出してほしいと。
 それから、今日、民間議員から、経済成長の果実が賃金として国民に還元されるということは重要な課題で、民間議員から今日そういう発言、企業もその方向で努力することが重要だという旨の発言をいただいたことは、大変心強いという発言がありました。

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日雇供給労働者への失業保険の適用

日雇い派遣と雇用保険の関係について、その後もいろいろ追いかけているんですが、こういう面白い通達がありました。

「労働者供給事業によって就労する日雇労働者に対する失業保険法の適用に関する件」昭和24年11月5日失保発第257号

1,職業安定法第45条によって、労働組合が労働者供給事業を行っている場合、これによって供給されている日雇労働者の失業保険における雇用関係は、供給事業を行っている労働組合に存在するものではなく、直接の使用関係を有する供給先の事業主に存在するものであるから、若しも、供給先の事業主が失業保険の適用事業主であれば、当然その事業主が失業保険印紙の貼付、その他の失業保険法に規定する届出及び報告の義務を有するのである。

2,供給先の事業主に対しては、1による趣旨を十分徹底させ、賃金が供給事業を行う労働組合を通じて支払われる場合であっても、供給先の適用事業主が供給によって就労する個々の労働者の賃金を不明確にし、印紙の貼付等に支障を及ぼすことにないように指導監督をすることが必要である。

ここから分かることは、労働者派遣がそこから抜き取られたもとの概念である労働者供給においては、雇用関係は供給元ではなく供給先との間に存在すると行政では整理されていたということです。そして、その整理に基づき、賃金の支払いが供給元からされていたとしても、失業保険の保険料を支払う責任は供給先にあるとされていたことです。

考えてみれば、供給元を使用者と見なして日雇い失業保険をそのまま適用すれば、前にこのブログでも何回か指摘したような供給元のモラルハザードが発生し、これを防ぐことはほとんど困難です。ちょうど日雇い保険が満額貰えるように、供給をコントロールすればいいわけですから。大変おいしい商売になってしまいます。この通達にはその辺の消息は書かれていませんが、そういう配慮はあったのではないかと想像されます。

ところが、23年前の労働者派遣法は、それまでの労働者供給の中から労働者派遣をとりだしたにもかかわらず、雇用関係は派遣元との間にだけ存在すると整理されてしまい、それゆえ雇用保険の保険料を支払う責任も派遣元にあるとされました。その矛盾が、日雇い派遣にも日雇い雇用保険を適用しなければならないという事態になって、今更のように浮かび上がってきたというべきではないかと思われます。

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「新雇用戦略」の原案

同じく日経です。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080215AT3S1402H14022008.html

>政府の経済財政諮問会議が成長戦略の柱としてまとめる「新雇用戦略」の原案が明らかになった。人口減社会でも成長を続けるため、女性と若者、高齢者の労働参加を重視。保育所と幼稚園を事実上、一体化して子育てサービスのすそ野を広げるなどの施策に取り組む。福田政権にとっては初の具体的な成長戦略が動き出す。

 原案は15日に開く経済財政諮問会議で民間議員が提案する。臨時議員として出席する舛添要一厚生労働相と渡海紀三朗文部科学相に具体策を作るよう求める。検討した施策は3月にもまとめる成長戦略「環境力とつながり力」に盛り込む計画だ。

本日提示されるということですね。まだ中身は見てませんけど、「女性と若者、高齢者の労働参加を重視」する「雇用戦略」が、ようやく日本でも成立の運びに近づいたかと、いささか感慨無量です。

いや、だって、

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/koyousenryaku.htm

連合総研でやった雇用戦略の報告書が出たのは2002年1月ですよ。

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労働問題の報道に必要な知見の程度

先日のマクド店長事件にしてもそうでしたけど、例えばこの事件の報道ぶり、日経ですが、

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080214AT1G1302X13022008.html

>「請負」で事故死、派遣先にも使用者責任・東京地裁が賠償命令

 請負会社の指示で働いていた男性が製缶工場で転落死したのは安全対策の不備が原因として、遺族が製缶会社と請負会社に1億9000万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁の山田俊雄裁判長は13日、「製缶会社に実質的な使用従属関係があった」と認め、2社に約5100万円の賠償を命じた。原告側は「偽装請負を認めた画期的な判決」と評価した。

 派遣社員に対しては派遣先企業も安全管理義務を負うが、請負契約で業務委託した場合、派遣先企業が安全管理責任を負わないケースもある。実態は派遣労働なのに「偽装請負」することが社会問題化しており、就業実態を重視した今回の判決は影響を与えそうだ。

 訴えたのは亡くなった飯窪修平さん(当時22)の両親。賠償命令を受けたのは請負会社「テクノアシスト相模」(神奈川)と「大和製缶」(東京)。両社は製缶工場で検査をする請負契約を締結。大和製缶は「飯窪さんはテクノ社の請負業務に従事しており、工場側は安全配慮義務を負わない」などと主張した。

派遣じゃない、つまり偽装請負じゃないれっきとした請負であっても、元請や発注者側が安全配慮義務を負うというのは確立した判例です。本件の詳しい中身は分かりませんが、「偽装請負を認めた画期的な判決」ということではないのではないかと思われます。逆に、現行派遣法では、れっきとした派遣であっても(つまり派遣先が指揮命令していても)派遣先に安全衛生上の義務はありますが労災補償責任はないと整理されています。人によっては、これを「補償と賠償の分離」と呼ぶ人もいますが、私は法設計上の失策と評すべきだと考えています。まあ、それはともかく、労災補償責任はないけれども安全配慮義務はあるという点において派遣先と請負就労先は違いがないのです。いずれにしても、それは「使用者責任」を認めたという話ではないはずです。

社会部の記者にそこまで要求するなよ、という声も聞こえてきそうですが、その辺がいい加減なまま、派遣法の改正問題をうかつに報道すると、変な上に妙が重なるような話になって行きかねないものですから。

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大瀧雅之氏の金融立国論批判

先日の後藤田正純氏のインタビューでも、サブプライムはサラ金だ云々という一節があって、例によってケインズよりもフリードマンが大好きで、ヒトやモノよりもカネしか目に入らない、高利貸し応援団の特殊日本的リフレ派の面々から非難されていたようですが、そういうインチキ連中ではなく、まともな経済学者は、こういう文章を書いているようです。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/

大瀧雅之氏の「「金融立国論」批判――日本経済の真の宿痾は何か」というのが、『世界』3月号に掲載されています。物事の本質をわかりやすく説明していて、私には大変有益でした。要約は:

> 日本は「モノづくり」への幻想を捨て、これからは「金融業」によって国を立てるべきだ――一部のメディアや経済学者がそう主張している。しかし、そもそも米国でなぜサブプライム問題が発生し、それが日本の金融機関にまで影響を及ぼしたのだろうか。「金融立国論」が成り立たない理由を詳説し、「貯蓄から投資へ」とか「市場型間接金融」の名の下に繰り返される言説に徹底的に批判を加える。

特に、近頃ブログ界に流行るインチキ連中への痛罵とも言うべき次の一節が拳々服膺すべき内容を含んでいるように思われました。

>・・・そうした中、まことに単純で杜撰な想定に基づく経産計算から導出された証券価格やリスク評価を盲信し金融経営の中心に据えることは、経営の怠慢に他ならず、背筋に寒いものを感じる。筆者が文科系学生の数学・理科教育が何にもまして重要と考えるのは、こうしたプリミティブな「数学信仰」そして同じコインの裏側であるファナティシズム・ショーヴィニズムを抑止し、広く穏やかな視野で論理的な思考を涵養せねばならないと考えるからである。彼らが数理科学の「免許皆伝」となることは残念ながらまったく期待できないが、組織・企業の要として活躍するには、そうした合理精神が今ほど強く要求されているときはない。

>筆者の理想とする銀行員像は、物理・化学を初めとした理科に造詣が深く、企業の技術屋さんとも膝を交えて楽しく仕事の話ができる活力溢れた若人である。新技術の真価を理解するためには、大学初年級程度の理科知識は最低限必要と考えるからである。そうした金融機関の構成員一人一人の誠実な努力こそが、日本の将来の知的ポテンシャルを高め、技術・ノウハウでの知識立国を可能にすると、筆者は信じている。

付け加えるべきことはありません。エセ科学を的確に判別できる合理精神は、分かってないくせに高等数学を駆使したケーザイ理論(と称するもの)を振り回して人を罵る神経(極めて高い確率でファナティシズムと共生)とは対極にあるわけです。

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時短~なぜ早く帰れないのか

リクルートが出している「WORKS」という雑誌の最新号が、時短の特集をしています。

http://www.works-i.com/flow/works/contents86.html

いろんな観点からこの問題を取り上げていて面白いです。

編集長氏のこのまとめが、この問題に対する実感レベルの本質を言い当てていて、言い得て妙という感じです。

>健康への影響?まだ頑張れそうだなあ。少子化の一因といわれても、うちの会社だけで解決できる問題でもないし。仕事と生活の調和は美しいが、それでうちって儲かるんだっけ・・・。

>逆に、仕事の積み残しがサービスの質を落としたらどうする。増員すれば管理が大変だ。そうこうしているうちに競合に出し抜かれたら・・・。

>実感しにくく、責任の範疇外に見えるリターン。はっきり予想できる、犠牲や混乱というコスト。2つを天秤にかければ、目の前の数字を追う事業の現場が、人事部のかけ声ほど時短に積極的になれないのは、合点がいく。

「時短はこんなにいいですよ」という普及啓発路線の限界というべきでしょうか。

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労働条件分科会の委員交代

労働政策審議会労働条件分科会の委員が一部交替したようです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/02/s0212-3.html

あれっ、奥谷禮子さんがいない!

せっかく、世間の注目を労政審の議事に集めてくれた最大の功労者なのに。

あの伝説の奥谷・長谷川バトルの再現が見られなくなるのも残念です。

いずれにしても、リング内外を通じて多くの人々の関心を労働法制に向けていただいたその功績は大きなものがあると思います。心より感謝申し上げるとともに、これからもマスコミ誌上等でますますのご活躍を祈念いたします。

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オバマ氏、700万人の雇用創出

ちょっと気が早いですが、次期アメリカ大統領に一番近いところにいる人の政策ですからね。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080214AT2M1400C14022008.html

>米大統領選で民主党のトップに立ったオバマ上院議員は13日、景気不安に対応するため総額2100億ドル(約22兆6000億円)の経済対策を発表した。環境事業などで新規雇用を700万人創出することが柱で、経済政策での政権担当能力を誇示する狙いがある。劣勢に追い込まれたヒラリー・クリントン上院議員は大票田州を遊説し、巻き返しを図った。

 オバマ氏はウィスコンシン州の演説で、今後10年間で実施する対策の概要を明らかにした。環境関連事業に1500億ドルを投じ、500万人の雇用を生み出す。同時に高速道路や橋、空港などの公共事業に600億ドル拠出し、200万人を雇用するとの内容だ。

 「変革」を掲げて波に乗るオバマ氏は上院議員を一期しか務めていないため、経験不足との評がつきまとう。緊急景気対策法が成立した日に経済対策を発表したのは、もう一段の経済テコ入れの必要性を強調するとともに、こうした懸念を払拭(ふっしょく)する狙いがある。 (13:34)

いやあ、岩波文庫にケインズさんがようやく入ったのとは直接関係ありませんが、世界の流れがまた変わりつつあるという感じが漂ってきますね。ネオリベだのリバタリアンだのエイリアンみたいなのがここんとこずっとのさばってきていましたけれど、何十年かぶりにまた世の大勢がケインズに近づきつつあるのかも知れません。極東の某野党も、道路づくりを目の仇にするばかりではなく、より未来志向の公共事業の在り方を考えてみてもいいんじゃないかと思いますが。

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障害児の親に対する差別は障害者差別か?

昨年10月9日のエントリーで紹介した事件(この時はガーディアン紙の記事でしたが)に、欧州司法裁判所で法務官意見が出されました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6587.html(障害児の親に対する差別)

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

ドウォーキンやラズまで引用しての熱っぽい文章ですが、結論を言いますと子供が障害児であることを理由としてその親を差別することは障害に基づく直接差別となる、ということです。

イギリス政府は反対したようですが、それを蹴っています。判決がどうなるか分かりませんが、おそらく法務官意見を維持するのではないでしょうか。

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使用者命令による借金漬け

平成20年01月30日大阪地方裁判所 第22民事部の判決です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080212135247.pdf

>1 呉服販売業者がその従業員に対し呉服等の自社商品を販売した行為が,従業員の支払能力に照らし過大であり,売上目標の達成のために事実上購入することを強要したものであるとして,公序良俗に反して無効であるとされた事例
2 事業者がその従業員に対して行う割賦販売について,割賦購入あっせん業者に対する抗弁を規定する割賦販売法30条の4の適用を除外する同法30条の6,8条5号の適用が否定され,呉服販売業者がその従業員に対して呉服等の自社商品を販売した行為が公序良俗に反して無効であることをもって,その売買代金の立替払債務の履行を請求する信販会社に対して対抗することができるとされた事例

なんですが、いやあ、奈良松葉という呉服販売会社がその従業員に呉服を無理やり買わせて、ニコス,オリコ,アプラス,セントラルファイナンス、クオークといったクレジット会社に莫大な借金を作らせたという事案です。

いやもちろん、リフレ派の皆さんはじめ市場取引に力関係の強いも弱いも糞もあるかいな、という人々にとっては、会社から借金してこれを買えと言われて断らない労働者の方がアホなんでしょうね。

ついでに、こういうのを見てもやっぱり解雇規制はことごとく当該労働者を過酷な地位に追いやり、不利益をもたらすものだということは「ニュートンの力学法則のようなもの」であり、「権利を強化するほどその保持者の保護になるという考え方は、よほどの特異な前提をとらない限り成り立たない」ものであり、「圧倒的に多くの事象を説明できる原理的ロジックは、学術的に確立している」と仰るんでしょうねえ。

まあ、「原理的ロジック」にかなうものはありませんわな。

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後藤田正純氏の「消費者重視」について

日経ビジネスオンラインに後藤田正純氏の「規制緩和論者はもう、かなり少数派」というインタビュー記事が載っています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080205/146477/

このうち、

>市場経済を否定するつもりは毛頭無い。しかし、行き過ぎた市場経済、市場の暴走は抑えられるべきだ。今の日本で手っ取り早い景気対策は、公正取引委員会が不公正取引をもっと厳格に審査して、廉価販売などの流通を規制することだ。

 廉価販売を規制すれば、ものの値段は上がる。これは一時的には、消費者に不利かもしれない。しかし、消費者が安いものを買うのは、家計が苦しいから。家計が苦しいのは、中小企業が大企業からダンピングさせられたり、過当競争で会社の業績が落ち込み、人件費を削られるから。家計が苦しいから、安くしないと売れない。こうしたデフレスパイラルに陥ったままにしないためにも、政府が適切な価格を導く政策を上手にしないといけない。

というところに、一部経済系ブロガーから批判がされているようです。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080212/1202786957

>後藤田氏は廉価販売を規制すれば景気対策になると言ってますが、廉価販売規制というのは値下げ規制ですから、市場によって需給が均衡している均衡価格よりも高い価格で強制的に取引をさせるということになります。その場合、均衡価格よりも供給は多くなり需要は少なくなりますから、生産者側は売れ行き不振で苦しみ、消費者側は物価高で物が買えずに苦しむということになってしまいます。

これが景気対策になるのでしょうか?

実をいうと、後藤田氏の議論はいささか概念が混乱しているところがあり、全体として消費者重視路線という枠組みの中で論じようとしているために、かえって矛盾した印象を与えることになっているように思われます。

つまり、世間の人々は「消費者重視」という言葉から、財・サービス市場における購入者たる消費者サマが絶対君主よろしく偉くって、財・サービスの供給者は奴隷の如く卑しいのが消費者主権であるという観念でもって考えるものだから、廉価販売規制は奴隷が絶対君主さまに反旗を翻すが如く見えるのでしょう。

しかし、これは「消費者」という概念を財・サービス市場の購入者という局面にのみ限定するからそういうふうになるので、後藤田氏がその前のところで労働者保護を論じ、「家計」云々といっているように、彼がいう「消費者」重視というのは、労働市場における供給者重視でもあるわけです。労働市場における廉価販売規制とはまさに最低賃金規制等の労働市場規制ですから、上のBaatarism氏の議論というのは、まさに規制改革会議意見書とまったく同じロジックを述べたものということになりましょう(この辺が、かつて「リフレ派というのはネオリベにちょいちょいとリフレ粉をかけただけの連中に過ぎない」と述べたことにつながるわけですが)

そして、とりわけサービスという商品は労働者による労務供給それ自体が商品としてのサービス供給であるという特性を持っていますから、物的財のように生産過程における労働者保護と販売過程における消費者保護をそれぞれの領域で使い分けて両立させるということができにくいのです。その特性がもっとも端的に表れているのが、ここのところ取り上げている医療現場における医師の医療サービスという労務供給兼サービス供給であることは、賢明な読者の皆さんには既にご理解されているところでしょう。あるいは教育現場における教師のサービスも。そして、様々な領域のサービス供給労働者たちが抱える矛盾と悲鳴も、ここから生じてきているわけです。

こういう風に腑分けしないで、安直に消費者重視とか言ってしまうから誤解されるところもあるのですが、後藤田氏の考えていること自体はまことにもっともなことであるので、妙な批判で潰したくはないと切に思います。

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労働タスクフォース第8回議事録

昨年5月に行われながらずっと公開されないままであった規制改革会議労働タスクフォース第8回議事録がようやく公開されました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/minutes/wg/2007/0521_02/summary052102.pdf

今回のお相手は厚労省(労働部門)の中堅どころの面々です。

労働基準局監督課 岸本調査官
労働基準局勤労者生活部勤労者生活課 吉田課長補佐
職業安定局雇用保険課 宮川課長
職業安定局需給調整事業課 坂口課長
職業安定局若年者雇用対策室 阿部室長
雇用均等・児童家庭局短時間・在宅労働課 高崎課長
政策統括官付労働政策担当参事官室 山田参事官

トップバッターの岸本氏のパートを引用します。

>○岸本調査官 それでは、提出させていただきました意見の順に沿ってということで御説明を申し上げます。まずは労働基準局でございます。よろしくお願いいたします。
本日、問題意識の記述であるにもかかわらず、このような機会を与えていただきまして、まずはありがとうございました。見解の相違にわたる部分もあるのかもしれませんが、とりあえず提出させていただいた意見を御説明します。
まず、最初のページでございます。これは問題意識の最初のページの第2段落の中ほどでございます。解雇規制について厳しい要件を課され、人的資源の機動的な効率化・適正化を困難にし、再チャレンジを阻害しているという部分でございます。これについては、内容的には3ページの意見ともつながっているかと思いますので、まとめて申し上げさせていただきます。
今回、解雇規制を始めとする労働保護規制といいますか、労働基準関係の法規制につきまして、お立ちになられている基本的な立場としまして、情報の非対称性を解決することが本質的な課題である。そこで市場の失敗が生じているのを是正するのが労働法の役割と考えるべきではないかというお考えがベースにあるのではないかと思います。
私どもとしては、それは勿論、情報の非対称性は一つの労働者保護の観点から重要な視点だと思いますし、そういったことで、例えば労働基準法において労働条件の明示義務を課するとか、あるいは別の法律では求人の際の条件の明示義務を課するとか、そういう法規制を設けているわけでございますが、問題はそれ以外の法規制がすべからく不合理で、情報の非対称性を解消するという目的以外の法規制は要らないと言えるのかどうかということでございます。そこはそれこそ政策論であるのかもしれないのですが、せっかくの機会をいただきましたので、出させていただいた考え方は1ページ、3ページ、大体、同じようなことを最初の段落は書いてございます。
1つは、交渉力といいますか、労使間で持っております資産も違いますし、それから、交渉相手の数といいますか、会社にとっては100 人の従業員がいれば、100 人のうちの1人とのトラブルである。でも、労働者本人にとってはその会社を首になるかどうかは、即、明日からの不安定につながるというようなことが、実際、労使間の立場としては多いかと思います。そういった場面を考えますと、労働法というのはそういった場面が出発点であるようにも思いますが、交渉力の差があって、それを補完するような法規制を設けることが公正さの観点から必要であるという考え方があるのではないかと思います。
そうした交渉力の格差といったことについて、必ずしもどういった整理でこういう結論になったのかはうかがい知ることはできないのですが、いずれにしましても、情報の格差、情報の非対称性を是正することで労働法が以上終わりということではないのではないかというふうに、基本的な考え方としてもそう思うところでございます。
また、それは労働法だけではなくて、消費者契約法でも交渉力の格差ということは目的に書かれていますし、免責条項を一部無効にするとか、そういうのはなかなか情報の非対称性だけでは出てこない話なのではないか。あるいは独禁法の優越的地位の濫用とか、ああいうものも説明がつかなくなるのではないかと思いますが、勿論、ああいったものも不要だという議論はあるのかもしれませんけれども、まず考え方の入り口としてはそういう点がございます。
そういったことから、私ども、初歩的な公共政策に関する原理を理解していないからこう思ってしまうだけなのかもしれませんが、そういった観点が必要ではないかということから、1ページ目や3ページ目の意見を出させていただいています。

濱口さんは言いたいことが言えていい身分ですねえ。私はこんなに平身低頭しながらじゃないと同じことが言えないんですよ、という腹膨るる思いが伝わってくるような言葉の数々でありますな。「私ども、初歩的な公共政策に関する原理を理解していないからこう思ってしまうだけなのかもしれませんが」なんてのは、分かってる人にはわかる役人として許される最大限の皮肉を効かせた言葉なんですが、さてどこまで伝わっていることやら。

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世の中の問題の多くは労働問題なんだよ

読売の記事で、「24時間勤務 最高で月20日…産科医」というのが載っています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08020809.cfm

>「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

>医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

そういう風にしてきた責任の一端は、読売新聞も含めたマスコミにあることを認識していただきたいとも思いますが。医療問題を専ら健康保険財政問題と消費者サービス問題に極小化し、医師たちの労働実態という目の前にある問題から目を背け続けてきたのは、(もちろん国民の意識がそうだったからそれに沿っただけだと言えばそうでしょうが)記者たちの頭の中に、そういう問題意識に反応する回路ができていなかったからであることは確かなんですから。

教育問題にしろ、道路問題にしろ、(ついでに、北畑発言問題にしろ)世の中の問題の多くは実のところ労働問題なんですが、そこをすっぽりと頭からぬけ落としたままで薄っぺらなきれいごとっぽい議論ばっかりするもんだから、ますます解決策が問題の本質から遠ざかっていく一方になるという悪循環が現代の日本を覆っているように見えます。

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週刊東洋経済本日発売

先週金曜日に予告いたしました週刊東洋経済2月16日号が本日発売です。確かに、ダイヤモンドよりずっと面白いですよ。

H20080216 福井秀夫氏と私の発言が向かい合わせのページに載っていますので、どちらがよりまともで社会的に通用する議論であるか、読者の方々がそれぞれに判断することができるようになっております。

どっちも同じ法学部卒業で、どっちも霞ヶ関官僚出身で、どっちも現職が政策研究大学院大学教授という鏡合わせみたいな存在ですから、中身の代わりに属性批判という誰かさんの「馬を射る」戦法ではどっちもどっちにしかなりませんから、まさに議論の内容そのものでもって判断していただくしかないわけで。

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日雇い派遣労働原則禁止、公明が改正案提出へ

日経の記事です。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2008021000269b1

>公明党の太田昭宏代表は9日、党本部で開いた全国県代表協議会で、日雇い派遣労働を原則禁止する労働者派遣法改正案を今国会に提出する考えを表明した。厚生労働省の審議会がまとめた規制強化の指針は不十分と判断し、独自の議員立法を視野に政府に積極対応を促す。民主党も同法改正案を提出する方針で、公明党は近く自民党に協議を働きかける。

 規制緩和に伴って製造業などで1日契約で働く日雇い派遣が拡大。賃金が低く不安定な仕事に従事する若者の増加が社会問題化している。太田氏は国民の給与所得の引き上げのため「大企業は利益を従業員に還元すべき。働いた分がきちんと賃金に反映させる当然の原則を目指す」と強調した。

庶民の味方の政党として、労働規制に目をつけようというのはいいのですが、法理論上の問題点はどこまでご理解なのかなと。いやまあ、議員立法だったら日雇いと派遣の合わせ技一本で通るのかも知れませんが。

ただ、長時間労働が問題だから割増率を上げようというのと同じで、派遣の問題点を日雇い派遣に集約してしまい、それだけ禁止して一安心というのではかえって多くの問題点を残してしまうようにも思いますが。

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おまえは批判しているのか

いや、日経新聞みたいな兜町の業界紙ならこんなことは言いません。しかし、別の紙面でさんざん労働者はこんなにひどい目に遭っているみたいなことを書いておいて、一方ではこうですか。

http://www.asahi.com/business/update/0209/TKY200802080499.html

>経済産業省の北畑隆生事務次官が、個人投資家のデイトレーダーを「バカで浮気で無責任」などと発言したことについて、株式市場の関係者に失望が広がっている。国土交通省の空港施設会社への外資規制の動きに続く「投資家を遠ざけるメッセージ」に、市場からは「日本株に買い材料はない」(大手証券)との悲鳴も聞こえる。

 「個人投資家を軽視している」。東京証券取引所の斉藤惇社長は、北畑次官の発言について記者団から問われ、不快感を隠さなかった。「貯蓄から投資へ」を掲げる政府の高官の発言に「ああいう(次官という)立場で言うのはどうか。問題はあると思う」と語った。

 証券業界からも反発の声が上がる。大手ネット証券を傘下に持つSBIホールディングスの北尾吉孝・最高経営責任者(CEO)は「投資には独自の方法があっていい。これがいい、あれが悪いと区別するのは間違っている。長期保有ばかりでは相場にならない。投資と投機のどちらも市場には必要だ」と反論する。

で、朝日の記者さんはどう考えていらっしゃるんですか。そういう考え方が正しいとお考えなんですか。北畑次官が挙げているようなことについても、株主主権原理主義でいくのが正しいと、そうお考えなんですか。事実を報道するのが我々の仕事で、論評はしません、なんて、まさか仰いませんよね。高輪プリンスの日教組事件やら、日の丸不起立事件では、あれだけしっかりと論陣を張られる朝日新聞なんですから。

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北畑次官の講演録

経済産業省のHPに、話題の北畑次官の講演録が掲載されています。

http://www.meti.go.jp/topic/data/80208aj.pdf

まあ、一言で言うと、今までウン十年間通商産業省ないし経済産業省は我らの敵だと思ってきたけれど、次官自らここまで言うのであれば、戦略的に共闘してもいいかな・・・、と。

もちろん、もう少し様子を見たいですがね。

>日本の企業のあり方について私が言うことはどちらかというと少数説です。大半の人、例えば米国のビジネススクールに二、三十年前に留学された方が今、会社の幹部やマスコミ界の論客になっていますが、この方たちの多数説の考え方は、会社は株主だけのもので、株主が究極の実権を持っているという株主万能主義です。それから、日本で言われるところの、いわゆる「アメリカ型」の株式会社制度が世界の普遍的な仕組みであって、日本はそれに合わせていかなければならない。だから、日本はこれをそのまま導入していくべきだとおっしゃるのですが、ほんとうにそうなのかなという気がします。そもそも、アメリカの立派な会社の実像が「アメリカ型」なのかも、定かではありません。
グローバル経済の中で、世界各国は株式会社制度を持っています。大雑把に言って、ヨーロッパ、アメリカ、日本の株式会社制度は核になる大枠の部分は一緒ですが、細部を見ると随分違います。・・・各国それぞれ異なる会社制度があって、世界普遍の部分と独特の部分があって、お互いの立場を尊重しあいつつ、制度のあり方を議論して来ています。その独特の部分に、もし日本の成長力の源泉があるのであれば、そこをどう扱うべきか、真剣に考えなければなりません。このような問題意識で、企業はだれのものか、ほんとうに株主だけのものと言い切っていいのかというのが、きょうのテーマです。

>私の結論は、会社はステークホルダー全体のものだと思います。コーポレートガバナンスについても、株主による監視も必要ですが、それよりも売り先の市場競争によるガバナンスの方が実際はきいていると思います。それから、配当か、内部留保かは、おのずから基準があると思いますが、企業が仮に継続的に存在することが必要として、内部留保をどう考えるかについて議論をしていきたいと思います。
これらが日本の経営の特殊論になってしまうと世界に通用しませんので、〇七年十一月
に調査団を派遣し、アメリカのエクセレントカンパニーを視察しました。その結果、少なくともエクセレントカンパニーは、日本で言われる「アメリカ型」とは違う。むしろ日本の企業に近いような発想であることを発見しました。このことは詳しく後述しますが、日本のよさを生かしつつ、インターナショナルスタンダードとしての会社のあり方が打ち出せるのではないかと思い、調査団の報告も踏まえ、、「会社のかたち」について、省内で具体的な検討をしています。

>では、今の会社を見たときに、利益を生み出しているのはだれだと言えるでしょうか。お金は日本に千四百兆円あるわけですし、世界中に金があふれ返っていて、お金を持っている人が「全部、おれのものだ」というので、ほんとうにいいのでしょうか。むしろ会社は、社長以下、研究者、従業員という、現場で日々、創意工夫、改善をする人たちが利益の源泉のはずであって、株主が全部、それを取っていいというのは、今の会社の実態から言うと納得ができません。
それに加えて、株主は、ほんとうに責任ある株主ばかりでしょうか。普通は所有には責任を伴うのですが、株主は制度上そうともいえません。法律上、株主は有限責任で、かつ、いつでも株式を譲渡して会社を逃げられます。所有と経営の分離とは、経営ノウハウがある他人に経営を任せるということです。そういう人たちが会社全体をおれのものだと断言できるかと言えば、少しおかしいのではないと思います。

>百円ライターの会社がありました。百円ライターは日本では全くの斜陽産業です。その会社が左前になり、事業再生を商社が株主として手がけました。従業員が歯を食いしばって会社再生のため、賃下げに応じるなど、一生懸命頑張った結果、借金を返済して、内部留保が十億円出ました。すると、その瞬間、商社が中国の企業に売り渡してしまいました。会社が利益を生み出すようになったのは、労働者が頑張って賃下げに応じた結果なのですが、商社が全株を持っている以上、そのまま中国に売られても文句は言えません。法律上はそうです。これはさすがに政治的に問題になり、国会でも議論になりました。会社の利益を生み出すもとは、労働者、それから例えばその会社の製品が好きだという取引先、消費者、工場の操業を認めている地域社会が利益を生み出す源泉です。会社の利益を生み出すのは資金を提供する株主だけではなくて、社長以下の社員、取引先、利害関係のある地域住民、その人たちが協力をし合って利益を生み出しているのだと言えるのではないか。これがステークホルダー論ですが、そういう議論が最近盛んになってきました。

>従業員は会社に入ったら、四十年間、会社のことを考えています。この点は、日本の長期雇用の慣行と関連しています。それに対して株主は、そんな長期に考える必要はありません。朝、その会社の株を買って夜には売ってしまうデートレーダーもいます。もちろん、このような売買で利益を上げることは株主の当然の権利として認められています。しかし、デートレーダーが会社の所有者だといっても、実体的には、どうも納得感が得られません。それから、会社が仮に倒産をしそうなときに、普通は会社を倒産させないために、先ほどの百円ライターの労働者のように経営陣以下、借金返済に一生懸命努力をします。しかし株主権利は有限責任で譲渡可能性がありますから、この会社はもうだめだと思ったら、株主は見限って出て行くことが容易です。ですから、よくいわれる経営者のモラルハザードだけではなく、株主にも随分モラルハザードが生じうるのです。

>日本の場合は、例えば最近、企業の不祥事で偽装事件が多く起きていますが、あの中で株主の代理人が告発した事例はほとんどありません。だれがほんとうに実体的に会社のガバナンスをきかせているかというと、極端に言えば、従業員の内部告発です。誹謗中傷的な内部告発もありますが、善良な内部告発もあります。食品の偽装事件では、このようなことをやっていて、長年の会社の信用を傷つけるのではないかという従業員や消費者の告発が発端でした。従業員は三十年、四十年と会社で仕事をしていますから、不正がよく見えますし、見て見ぬふりをすることに良心の呵責が働くのです。一つは従業員がガバナンスをきかせていると言えます。

>以上のように、日本の会社の実態から見ると、会社は株主だけのものではないと結論できるかと思いますが、そのことをあまり言い過ぎると、それは日本の経営の特殊性で国際スタンダードにならないのではと懸念されます。そこでアメリカのエクセレントカンパニーはどうだろうということで、調査団を〇七年十一月に派遣しました。訪問先はジョンソン・アンド・ジョンソン、IBM、デュポン、ゼネラル・エレクトリックです。いずれも百年以上続いている、アメリカではまれな長寿企業です。この人たちと議論をしていると、私が申し上げた日本の会社の経営の考え方と非常に似た部分もあることがわかりました。

いまだに一昔前に流行した株主主権絶対論を(自分では最先端のつもりで)振り回している時代錯誤のあほを征伐する役割を(今までの罪滅ぼしに)経済産業省が買って出てくれるのであれば、それは大変結構なことではあります。

滅多にないことですが、経済産業省を応援してもいいと本気で思いましたがな。

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雇用漂流

H20080216 来週火曜日に発売される週刊東洋経済の最新号が「雇用漂流」という特集を組んでいます。

副題は、「非正規労働が支えるニッポンの真実」。

「日雇い派遣や偽装問題が噴出する中、非正規労働が変えるニッポンの現実と、人材業界の思惑とは。 」という惹き句です。

http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008/0216/index.html

その目次を見ますと、

40
グッドウィル折口帝国崩壊!
自滅もたらした日雇い派遣
44
労働現場にはびこる
「3つの偽装」の実態
偽装請負/偽装雇用/偽装管理職
49
COLUMN
非常勤職員が労働局を“告発”
50
低賃金・解雇自由は昔の話、中国労働契約法の衝撃度
52
攻勢かけるリクルート
業界再編がいよいよ加速
56
INTERVIEW
柏木 斉/リクルート社長
57
自由化か規制強化か
法改正で労使全面対決
58
わたしはこう考える
福井秀夫/政策研究大学院大学教授
濱口桂一郎/政策研究大学院大学教授
後藤田正純/自民党衆議院議員
山田正彦/民主党衆議院議員
64
誌上対論
草刈隆郎/日本経済団体連合会副会長
「登録型廃止は非現実的派遣は悪、は間違いだ」
高木 剛/日本労働組合総連合会会長
「派遣は専門業務のみ、常用型が基本だ」
39
■This week's data
年齢が上がっても増えない非正規社員の年収

という具合で、福井秀夫氏と私と後藤田議員と山田議員が並んでいますな。

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バカで浮気で無責任

ここ十数年にわたって、日本型システムは古い、アメリカ型に変えるべきだという論調の先頭に立ってきた組織の一つである経済産業省が、ようやくまともなことを言い出したようです。

http://www.asahi.com/business/update/0207/TKY200802070395.html

>北畑氏はデイトレーダーについて「経営にまったく関心がない。本当は競輪場か競馬場に行っていた人が、パソコンを使って証券市場に来た。最も堕落した株主の典型だ。バカで浮気で無責任というやつですから、会社の重要な議決権を与える必要はない」と発言。デイトレーダーに適した株式として、配当を優遇する代わりに議決権のない「無議決権株式」を挙げ、上場解禁を唱えた。

 米系投資ファンドのスティール・パートナーズを名指ししたうえで、「株主、経営者を脅す」と発言。「バカで強欲で浮気で無責任で脅す人というわけですから、七つの大罪のかなりの部分がある人たちがいる」などと話した。

まあ、表現は大月隆寛氏なみにあまり品がないのは確かですが、そして下品な表現は適切に修正される方が宜しいとは思いますが、言ってる中身はそのとおりでしょう。

ただ、まさにそういう風潮を煽ってきたのが、90年代以来の御省だったのではないですか、村上世彰氏などは決して異分子だったわけではなくて、そういう風潮の先端にいたんじゃないんですか、と言いたくなる人も結構いるんじゃないかとは思いますけど。

まあ、そういう愚かな連中を一掃したのが北畑次官だったということなのかも知れません。よその役所の内部事情はよく判りませんが。

(追記)

昨年末、経済産業省はこんなことを始めていたんですね。

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/071124/biz0711242038007-n1.htm

>株主重視の短期的利益追求型の企業よりも、長期的視野をもって顧客や従業員、取引先などを大切にする企業の方が、持続的に成長する-。経済産業省はそんな仮説を立証するため、省内に「会社のかたち研究会」を立ち上げる。25日から国内外の企業経営者らから聞き取りを始め、来夏に「企業のあるべき姿」をとりまとめるという。場合によっては会社法の改正にもつなげる考えだ。

 同省が研究を始めるのは、日本企業の良さといわれた長期的視野に基づく経営姿勢が薄れ、株主の意向に従って短期的な利益を追求する米国型経営が主流になってきたことに対する疑問がある。

また、買収などの強引な要求を突きつける投資ファンドへの反発もある。 同省では「米国でも長期継続している企業は、短期利益追求型ではない」との考え方をしており、歴史がある米企業が投資資金や内部留保を行った後に株主への配当を行う事例が多いことなどを示して仮説を立証する方針だ。

なるほど、経産省は路線転換を図ろうとしていたわけですね。北畑発言はまさにそれを明確にしたわけです。

「バカで浮気で無責任」な政策のために失われた10年を取り戻すのは大変結構なことです。ついでに、この10年間よその役所に「あの規制も要らない」「この規制も要らない」と無責任に言い続けてきた事項についても、適切な再検討再評価をされてはいかがでしょうか。

労働法制に対しても、これまで規制緩和一辺倒だった経済産業省が「長期的視野をもって顧客や従業員、取引先などを大切にする企業の方が、持続的に成長する」と発言すれば、それはそれなりに重みがあると思いますよ。

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医療崩壊と連合

昨日紹介した連合総研の「DIO」の巻頭言で、草野理事長が「「医療崩壊」の危機-医療制度にメスを!」というエッセイを書いています。「医療崩壊-『立ち去り型サボタージュ』とは何か」をひきながら、

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no224/kantougen.pdf

>私は一読して日本の医療の現状の問題点を垣間見て、背筋が寒くなる思いがした。私たちは往々にして医療問題というと、財政的側面やマスコミ報道による医療事故にのみ目を向けがちである。医療事故の報道を目にすると、医者が怪しからん、病院は何をやっているのか、という憤りの気持ちを持ってしまう。それは決して間違ったことではないし、医療従事者や病院・診療所の資質や体制の不備を糾弾することは徹底してやるべきであるが、私たちは医療の実態や医療の現場で何が起こっているのかについては良くは知らないのではないだろうか。

実は、ここに露呈しているのは、勤務医というれっきとした労働者の利益を代弁してくれる組織がどこにもなかったということなのではないかと思います。

いままで、連合が医療問題について何ごとか主張するときには、健康保険の金を出す側として、経済界と手を組んで医療費抑制を主張するか、患者として治療を受ける側の利害を主張するかであって、勤務医がどういう状態に追いつめられているかといったことにはほとんど無関心であったと言っていいように思われます。

まあ、日本医師会が事実上開業医という経営者としての医師の利益代表団体になってしまっているのは医師という同業者内部の問題だと言ってしまえばそれまでですが、医師会に利益を代表して貰えない勤務医たちに対して、連合はこれまで専ら「叩く側」に回っていたのは否めないでしょう。

voiceの道がなければexitするしかない。まさにそれが立ち去り型サボタージュというわけでしょう。それがまずいと考えるのであれば、まさに労働者のvoiceを集約する団体である労働組合が、勤務医たちに彼ら独自のvoiceの道をきちんとつくっていくことこそが、迂遠なように見えてもっとも本筋なのではないでしょうか。

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吹田スキーバス事故判決

さっきのはまあ、頭のこりをほぐすためのものでして、笑っていただければ・・・。で、こっちはちゃんとした労働法に関わる判決です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080207091921.pdf

これは「スキーツアーバスの運行等を行う会社の代表取締役と専務取締役兼運行管理者が,会社に所属する運転手らに違法な時間外労働をさせ,うち1名の運転手にいわゆる過労運転を下命したという道路交通法違反,労働基準法違反事件」です。事故当時は大きく報道されましたから、覚えておいでの方も多いでしょう。

これは刑事事件です。重要なのは、被告側が

>その当時,Dが過労等により正常な運転ができないおそれがある状態にあったとは分からなかった

と言っているのに対して、

>しかしDは判示第3のころは疲れがたまって身体が常にだるい状態にあり乗務中にバスの仮眠席で眠り込んだこともあったと供述していること,Dの勤務実態に関する資料を検討した統括産業医も,判示第3のころのDは疲労が蓄積し,正常な運転ができない状態にあった可能性が高いと述べ,Dの妻も,判示第3のころ, , のDは口数が少なく寝起きが非常に悪くなった旨を供述していることからすると, 。判示第3の当時におけるDは外見上も疲労困憊の状態にあったものと認められるそして,被告人Aは被告人会社の代表者であり,被告人Bは被告人会社の運行管理者であって,いずれもDの勤務実態を知る立場にあった上,判示第3の当日も,Dとは別のバスにそれぞれ乗務して,Dと同様に長野県内から大阪府内に向けて走行していたのである。そうすると,被告人A及び同Bともに,Dが疲労困憊により,正常な運転ができないおそれがある状態にあったと認識していたことは認められるというべきである。

と退けている点です。

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電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書

これは雑件です。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080207142424.pdf

平成18年03月10日東京地方裁判所判決(平成17(行ウ)547)

主文

1 本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分を却下する。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

1 総務大臣が原告に対し平成17年8月19日付けでした行政文書不開示決定を取り消す。

2 総務大臣は,原告に対し,原告が平成17年8月1日に開示請求をした行政文書の開示決定をせよ。

第2 事案の概要

本件は,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という)4条1項の規定に基づいて,総務大臣に対し,行政文書の開示請求をした原告が,文書不存在を理由に不開示決定を受けたことから,当該不開示決定の取消しと,開示請求に係る行政文書の開示決定の義務付けを求める事案である。

1 前提となる事実

原告は,平成17年8月1日,情報公開法4条1項の規定に基づき,総務大臣に対し,請求する行政文書の名称等を「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書」として,当該文書の開示請求をした(以下当該文書を「本件文書,当該開示請求を「本件開示請求」という(乙1 。。) )
総務大臣は,平成17年8月19日,本件開示請求について「開示請求に係る行政文書を作成・取得しておらず,文書不存在であるため」との理由を付して,本件文書を不開示とする決定(以下「本件不開示決定」という)をするとともに,これを原告に通知した(乙2 。。)
原告は,平成17年8月29日,本件不開示決定を不服として,総務大臣に対し,異議申立てをするとともに(乙3 ,同年11月16日,本件訴訟)を提起した。
総務大臣は,情報公開・個人情報保護審査会への諮問を経て,平成17年12月28日,原告に対し,前記の異議申立てを棄却する旨の決定をした(乙7ないし乙9 。)

2 当事者の主張

被告の主張

ア 本件不開示決定の取消請求について

本件文書は,電波によって直接的に,人の思考が字や映像にされ,又は,人が指を指す,手を上げる,若しくはその人には分からないはずの他人の居場所を訪れることがあるという前提で,そのような現象が起こる理由について明らかにする文書であると考えられる。
しかしながら,電波によって上記のような現象が引き起こされるとは想定されていないことから,総務省においては,当該現象に関する調査,研究等は実施していない。
また,総務省において,このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会したところ,そのような文書は存在しないことが確認された。
以上によれば,本件文書は存在しないことが明らかであるから,本件不開示決定は適法であり(情報公開法9条2項,その取消しを求める原告)の請求には理由がない。

イ 行政文書開示決定の義務付けの訴えについて

本件不開示決定は適法であり,取り消されるべきものではないから,本件開示請求に対する開示決定を求める原告の訴えは不適法である(行政事件訴訟法37条の3第1項2号。)

原告の主張

原告は現在も頭(脳)の中に電波を入れられているということは,電波が人体に与える影響に関する研究などを原告の脳を使って医学的及び工学的な観点から研究しているのと同じである。総務省は,生きた人間,生命,人体を使って研究を進めているのであるから,本件文書を開示すべきである。

第3 当裁判所の判断

1 本件不開示決定の取消請求について

情報公開法の規定に基づいて行政文書の開示請求を受けた行政機関の長は,開示請求に係る行政文書を保有していないときは,開示をしない旨の決定をすることとされている(情報公開法9条2項。)
本件文書の存在に関しては,総務大臣が,情報公開・個人情報保護審査会に対し平成17年10月6日付けで提出した諮問書添付の理由説明書の中で,「総務省では,電波を安全に安心して利用できる環境を確保するため,電波が人体に悪い影響を与えないよう電波防護指針に基づいた規制を行っているほか,電波防護指針の基準値よりも弱い電波であっても人体に何らかの影響があるのではないかとの懸念に応えるため,電波が人体に与える影響に関する研究の推進等を行っているところである。電波が人体に与える影響に関する研究については,国際保健機関(WHO)等を中心とした国際機関とも協調し,電波が,がんの発生,免疫機能,神経系等に与える影響について医学的及び工学的な観点から,研究を進めているが,不服申立人が主張する『頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,回りの人が右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる』という現象が,電波によって引き起こされるとは,想定されていないことから,当該現象に関する調査及び研究は実施しておらず,さらに,不服申立人が存在を主張する行政文書の有無について,事務室及び書庫の探索を行ったほか,省内関係部署が作成又は取得した事実がないか照会を行ったところ,不服申立人が存在を主張する行政文書は存在しないことが確認できたので,総務省において該当する文書を作成又は取得したことはないと説明している(乙7 。また,総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員が,平成17年9月1日,本件文書を保有していないかどうかを総務省内の関係部署に照会したところ,いずれの部署からも,保有していない旨の回答があったことが認められる(乙10の1,2 。)
社会通念上「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされ,たり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる」という現象が客観的に存在するものとは認められず,当該現象に関する調査及び研究が総務省その他の関係機関において実施されているものとは容易に想定し難いから,当該現象が生じる理由について説明した文書が存在する蓋然性もまた,極めて低いものといわざるを得ない。このことと,上記のような総務大臣の説明及び総務省内の関係部署からの回答の状況とを併せ考慮すれば,本件不開示決定が行われた当時において,本件文書は不存在であったものと認められる。したがって,文書不存在を理由として本件文書の開示をしないこととした本件不開示決定は適法である。

2 行政文書開示決定の義務付けを求める訴えについて

本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は,情報公開法による開示請求に対して不開示決定がされたことを不服として,当該開示請求に係る行政文書の開示決定をすべき旨を命ずることを求める訴訟であるから,行政事件訴訟法3条6項2号の義務付けの訴えに該当するものである。
ところで,行政事件訴訟法37条の3第1項2号は,同法3条6項2号の義務付けの訴えは,申請を却下し又は棄却する旨の処分がされた場合においては,当該処分が取り消されるべきものであり,又は無効若しくは不存在であるときに限り,提起することができると定めている。
これを本件についてみると,本件不開示決定が取り消されるべきものでないことは前記1に説示したとおりであり,同決定が無効又は不存在でないことも明らかである。
そうすると,本件の義務付けの訴えは,行政事件訴訟法37条の3第1項2号の要件を満たさないから,不適法な訴えであるといわざるを得ない。

第4 結論

以上の次第で,本件訴えのうち行政文書開示決定の義務付けを求める部分は不適法であるから却下し,原告のその余の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第3 部
鶴岡稔彦裁判長裁判官
古田孝夫裁判官
潮海二郎裁判官

ということですが、ふむふむ、総務省総合通信基盤局総務課調査係の担当職員の方は「このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会」されたんですねえ、ご苦労様でございました。

(追記)

いや別に本件原告の方を誹謗中傷しようなんて、そんな畏れ多いことを考えているわけではありませんよ。本件訴訟はまことに適法です。だって、総務省設置法にもちゃんとこう書いてあるんですから。

総務省設置法
(平成十一年七月十六日法律第九十一号)

  第二節 総務省の任務及び所掌事務

第四条  総務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。
・・・・・・
七十一  電波が無線設備その他のものに及ぼす影響による被害の防止又は軽減に関すること。

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「店長は管理職」認識変えず 日本マクドナルド社長

5日の朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/job/news/TKY200802050379.html

>日本マクドナルドの原田泳幸会長兼社長は5日、朝日新聞の取材に応じ、店長を管理職とみなし、残業代を支払わなかったのは違法との東京地裁判決について「時間と無関係に結果を出すのが店長の仕事」などと述べ、全面的に反論した。

 1月28日の判決は、原告の店長について肩書に見合った待遇を受けていない「名ばかりの管理職」との認識を示したが、同社は控訴した。

 原田社長は「会社の構造的な問題とは考えていないし、無報酬の労働を強いてはいない。店長は今でも管理職で、自身の判断で残業時間を管理できるから『みなし労働』にはあたらない」として、残業代を支払う考えはないとしている

裁判官やマスコミが残業代!残業代!と、銭金のことしか目に入らないような言い方ばっかりするものですから、マクドの社長さんも残業代は払わん!と、銭金のことしか頭にないようです。

まあ、率直に言って、年収700万円の店長に残業代を全部払わせることが絶対的な正義かね、それよりも年収200万円もいかないその下で働いているフリーターをどうにかする方が先じゃないかね、と私は思いますよ。銭金の話だけをするんならね。

しかし、この高野広志店長が言いたかったことは、自分で残業時間を管理できる管理職と言うけどオレは過労死する寸前まで働かされたんだぜ、ということでしょう。ホントに死んじゃったら、それは過労死裁判ということになってしまうわけで、そうなったら管理職だから残業代払えるか!というのとは次元が別の話になってしまいます。そこの所に気が回っていないようなのが、社長としていかがなものだろうかと思われますね。

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逆フォーディズム

フォーディズムというのは、フランスのレギュラシオンとかいう経済学派が創った概念で、すごく簡単に言うと、自動車(大衆車)が買えるくらいのいい給料を労働者に払うことによって、労働者がその自動車を買えるようになり、この循環で経済全体が拡大していくという、高度成長期のメカニズムを分析した概念なんですが、ちょうどそれを裏返しにしたような分析を、モリタク先生が展開しています。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/118/index.html

>日本国内で自動車が売れなくなった。昨年の国内新車販売台数は、軽自動車を含めて535万台にとどまり、前年比6.7%減という大幅減を記録。3年連続の減少であり、販売台数のピークだった1990年の777万台と比べると31%も減少している。

 車が売れなくなった理由について、評論家や自動車業界は口を揃えて、人口減や若者のクルマ離れだと指摘している。

 だが、人口減が原因ということはあり得ない。というのも、減っているのは子どもの数だけであり、車を運転できる年代の人口はけっして減っていないからだ。実際に、2007年の成年人口は、2006年と比較してわずか0.3%だが増えている。だから、人口減が自動車販売減少の理由にはならない。

 では、若者のクルマ離れという説はどうだろうか。

たしかに、若者にとって車はあこがれのものではなくなり、かつてほど積極的に車を買おうという気持ちがなくなってきたのは事実だろう。

 しかし、だからといって自動車を必要としなくなったのかといえば、そうではない。2004年の「全国消費実態調査」において、単身世帯を含む自動車の世帯普及率を見ると、興味深い事実が浮かび上がる。

 年収400万円台前半世帯の自動車普及率は78%、年収300万円台前半でも66%もの普及率があるのだ。つまり、かなり年収が低くても自動車を持っていることが分かる。なぜなら、現代の日本において車は生活必需品になっているからだ。

・・・・・・・・・・

生活必需品であれば、たとえ年収が低くても買わなくてはならない。だからこそ、年収300万円台前半という年収の層であっても、66%の普及率を記録しているわけだ。

 だが、生活必需品でありながら、ここ何年も車の販売台数が減ってきたのはどういうわけか。本当に若い人たちが車を買わなくなったのだろうか。

 結論を言えば、「買わなくなった」のではない。「買えなくなった」のである。いくら生活必需品といっても、あまりに低所得になると車を買うことはできない。実際、年収200万円未満の世帯になると、自動車の普及率は35%に激減する。

 昨年国税庁が発表した「民間給与の実態」によると、年収200万円未満の給与所得者が1023万人と、21年ぶりに1000万人の大台に乗せた。こうした低所得層の拡大が、車の販売不振に結びついているのは間違いない。

 それを示す傍証がもう一つある。それは貯蓄率の劇的な減少だ。1970年代に20%台あった貯蓄率が、ここに来て文字通りまっさかさまに低下。いまでは3%になってしまった。

 なぜ貯蓄率が減ったかといえば、日本人が享楽優先のライフスタイルに変わったからではけっしてない。そうではなくて、貯金している余力がなくなってしまったのだ。

 車の販売台数減少と貯蓄率の低下から、次のようなことが分かる。それは、いままでは貯金を取り崩してモノを消費していたのだが、とうとう蓄えも底をつき、生活必需品である車も買えなくなったということである。

もし、このまま国内自動車販売が減少を続ければどうなるか。外貨獲得のリーダー役である自動車産業が衰退してしまうだろう。自動車は、海外で売れればそれでいいというものではないのだ。中長期の経済政策として日本はだめになってしまう。

 こうした現象について、わたしは、構造改革派が天につばした結果ではないかと感じている。

 これまで、構造改革派の人たちは、グローバル競争に勝ち抜くためには人件費コストを抑えることが必要不可欠だとして、リストラや非正社員の活用を進めて、平均所得の切り下げを積極的に進めてきた。

 しかし、いくら何でも、それをやり過ぎてしまったのではないか。そのために、車が買えなくなるくらい庶民の懐が寂しくなってしまったのだ。

 これまで好調だった軽自動車も、前年比5.1%減の192万台と4年ぶりに減少してしまった。その一方で、国産超高級車の「レクサス」シリーズは、前年比11.9%も販売台数を増やしている。

 いわゆる勝ち組が所得を増やして高級車をどんどん買っているのに対して、庶民は軽自動車さえ買えなくなってしまっているわけだ。

 たしかにレクサスはいい車ではあるが、自動車販売全体の売り上げに対する比率は小さい。自動車業界にとって、レクサスだけが売れても、ほかが落ち込んでしまえば意味がないだろう。

 ことは車だけではない。若い人たちはお金がないものだから結婚もできない。30代の非婚率は上昇するばかりである。家庭が出来ないから、ファミリー向けの商品も売れないし、年金も倒れてしまう。

 構造改革派が「国際競争力を高めなくては」といくら声高に叫んでも、庶民の懐が寂しくなって消費がさらに落ち込んでしまえば、元も子もなくなってしまう。

 「いいかげんにしろ! 構造改革派」――。前年比6.7%減という自動車販売台数の大幅減少は、そうした警告なのではないかと思えるのだ。

フォーディズムの公式をひっくり返すと、自動車を買えないような賃金しか払わなければ、自動車が売れなくなるのは当然と言うことですね。

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涙もろい隣人に囲まれた社会的孤立

連合総研の「DIO」の巻頭言がなかなか面白いです。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no224/siten.htm

>涙の方も同様に文化差が大きいようだ。容易に理解されない日本人の涙の典型例としてよく引き合いに出されるのが、アントワープ大聖堂のルーベンスの絵の前でウルウルしている日本人の姿である。むろん、信仰心からではない。芸術的感動とも違う。多くの場合、「フランダースの犬」の悲劇的結末、村を追われた主人公ネロと愛犬パトラッシュが大聖堂の中で天に召される場面を連想するからなのだ。

私も当地赴任中は、たくさんの日本人を連れて行きました。みんな、「これがあのネロとパトラッシュが最後に見た絵か」と感動の涙・・・。

>この映画の公開をきっかけに、ひとしきり盛り上がったウェブ上の議論を眺めていて、あるベルギー人のコメントが目にとまった。いわく、「ネロの悲劇の背景には工業化初期のフランドル地方における社会的不平等と貧困層での広範な児童労働の存在があった。幸いにして、その後の社会福祉の発展はネロの悲劇を過去のものとした」と。ネロの悲劇をこのような社会的文脈で捉えるとは、いかにも「社会的ヨーロッパ」路線のお膝元らしい。たしかに、同情の涙は、そのままでは悲劇をなくし、幸福を増進するわけではない。それが困窮する仲間への共感に昇華され、共助や公助の社会的制度として具体化するかどうか、それが問題だ。

 仮にわれわれ日本人が、ひどく涙もろい隣人に囲まれているとして、はたしてその同情の涙は、心強い仲間の共感や社会的連帯につながっているのだろうか。残念ながら、そうはいえないようだ。

と、こういう風に話をもっていくところが、さすが連合総研ですが。

>昨年11月27日の連合総研設立20周年記念シンポジウム(「福祉ガバナンスの宣言」)の中で、マルガリータ・エステベス・アベ ハーバード大学准教授は、ホームレス状態から脱け出すことは、ロサンゼルスの方が東京よりも容易であるという比較研究の結果を例に、現代日本社会の持つ「冷たさ」の側面を指摘した。今後実証研究を深めるべき重要な問題提起であろう。たしかに、戦後日本社会は「落ちこぼれ」を出さないことに努力を傾注してきた半面で、一度落ちこぼれると容易に抜け出せない傾向を持っていたかもしれない。

これは、私も出席したシンポジウムです。

>アントワープ大聖堂のルーベンスの絵の前で流す涙は、精神的健康維持には役立つかもしれない。けれども、その同情の涙を他者への共感として普遍化し、社会的連帯として組織化することが、日本社会の健康のために、いま求められている(不)。

と締めくくるところはお見事。

で、このシンポジウムにおけるパネルディスカッションの概要も、同誌に掲載されています。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no224/houkoku_2_discussion.htm

このうち、私の発言部分だけコピペしておきます。

濱口 今、格差問題というのが大きな課題になっていますが、規制改革を進め構造改革をやるというのは細川内閣、村山内閣の方針であり、その延長線上に小泉改革があるわけなので、皮肉な言い方をすれば連合はこの10年余り、新自由主義的な構造改革を支持し続けてきたとも言えます。それなりの理由があったのだろうと思いますが、日本的システムに出てきた様々な矛盾に対して対案を提示するべきところを、従来のシステムを全部壊すという方向に突っ走ってしまったとのではないでしょうか。私はちょうどその頃、ヨーロッパにいましたが、日本の動きがとても不思議に思われました。というのは、ヨーロッパでも古い型の福祉国家を変えようとしていましたが、福祉国家を担ってきた社民党や労働組合は、全部壊すということはやりませんでした。全部壊そうとしたのはサッチャーだから、それと同じことをやってもしようがないというのは当然ですが、彼らは「自分たちがつくってきた福祉国家の根っこにある連帯の思想は大事だから維持する。しかしそのやり方は間違っていたからそこを変えなければいけない」というような議論を行っていました。

 ILOのフィラデルフィア宣言に「労働は商品ではない」という言葉がありますが、2つの意味があります。1つは、労働は商品ではないのだから資本の論理で弄ばれるものになってはいけない。だから、労働者保護法制や完全雇用政策によってちゃんと使われるようにしなければいけないという考え方です。もう1つは、商品ではないんだから売らなくてお金が国から貰えるようにするというものです。両者は矛盾するわけではなく、後者がないと前者の保障もきちんと担保できないわけですが、後者が強調され過ぎると、働かなくもいいじゃないかという話になります。

 ヨーロッパで新自由主義的な考え方が非常に強くなっていった1つの原因は、後者の労働力の脱商品化という意味付けにありました。皆が「働けるのに怠けているヤツに、何でオレたちの税金が使われるのか。けしからん」と思うようになり、90年代のヨーロッパでは「第3の道」に転換し、福祉ではなく仕事を通じて社会に参加していくことが大事ということで、そのためにいろいろな公的な支援をしていったわけです。

 日本もそういうことをやってきており、ある意味では「第3の道」でした。ただし、対象は世帯主の成人男性で、時間外労働や配転については受け入れざるをえないが雇用は手厚く保障されてきました。ところが、90年代にそれがだんだん崩れてきて、こぼれ落ちる人がどんどん出てきました。こうした中で、1999年に政府は「生産性の低い人には厳しくすべきだが、こぼれ落ちた人にセーフティネットで保護していく」という方針を打ち出しましたが、セーフティネットを張りめぐらすという方向にはいきませんでした。

 今後向かうべき方向は、日本型雇用の良いところをきちんと残しながら、つまり仕事を通じてスキルと処遇が上がっていき、加えてワーク・ライフ・バランスもとれた「いい仕事」を多くの人々が生涯にわたって確保していけるシステムを実現していくことだと思います。

濱口 労働が商品として売られなくても済むような生活保障システムは、日本にもあり、雇用保険の失業給付や生活保護というのがそれです。しかし、失業給付は給付期間が大変短くしかも制度の対象がかなり狭い。最後のセーフティネットの生活保護は、身ぐるみはがれないとなかなか適用してくれないので、生活保護も受けられず生活保障もない多くの方々が残ってしまいます。ここをどうするかが大きな課題です。

 基本的には、ヨーロッパで大きな流れになっている「ウエルフェア・トゥ・ワーク」、福祉でずっと食べていくということではなくて、働ける人はできるだけ仕事を通じて社会に参加していくという方向であり、そのためにすべての人が働いて社会に参加できるような仕組みをつくっていき、そのための公的負担をしていくことがふさわしいと思います。生活保護は、本人だけでなく家族、子の教育費、住宅費も全部面倒をみていますが、生活保護を脱却して働き始めると、本人分だけの非常に安い給料しか払われません。この部分を手だてする仕組みは日本にありません。正社員は会社がその部分をみるという雇用システムだったからです。このような仕組みからこぼれ落ちると全部なくなってしまうという現状をどうするのか、そこのところに、これからの日本の福祉ガバナンスの1つの方向性があるのではないかと思います。

濱口 職場のコミュニティ、職場の連帯と言ったときに、労働組合は同じ職場にいるパート労働者のことまで考えて議論をしているのでしょうか。遠くにあるコミュニティの話をしていては身近にいる仲間の不利益の問題などが抜け落ちてしまいます。いま必要なのは、空洞化しつつある職場のコミュニティ、連帯感をもう一度、1人ひとりを組み込むような形でつくり出していくだと思います。まさに職場に根ざしたコミュニティを再建するところから、マクロな場における労働組合の発言が高まっていくのであり、その取り組みは第一歩だと思います

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丸尾拓養氏のマクド判決批評

日経BIZPLUSに連載されている丸尾拓養氏の「法的視点から考える人事の現場の問題点」が、例のマクドナルド店長事件の判決を取り上げています。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm

基本的に、適切な批評だと思います。

>「管理監督者」の法律解釈では「経営と一体的立場にある者」という概念が主張され、行政解釈及び下級審判決において踏襲されてきました。

>今回の判決もこの概念を持ち出し、規範を立てあてはめて判断したようです。

>もっとも、裁判所を責めることはできません。裁判所は法律に従って解釈し判断しただけだからです。

というあたりは、経営法曹として堅実なもの言いですし、

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=2

>翻って考えると、労働時間量に応じた割増賃金を支払うことが妥当な労働者は誰かが問われているとも言えます。こうすると、この問題が成果主義賃金の導入と関連していることが明白になります。しかも、その背景には、成果で評価することについての経営者だけでなく労働者のコンセンサスの増加もうかがわれます。

>また、これまでの長期雇用システムでは、早くから管理監督者として割増賃金を支払われなかったとしても、中高年になって厚く処遇されることで、労働者は賃金を取り返しているとも考えられます。つまり、長期決済型の賃金システムでは、定年まで雇用保障され賃金保障されることで、トータルとしては労働に相応した賃金の支払いを受けているのです。このことはサービス残業問題とも共通であり、比較的若年の労働者に割増賃金を支払うことは、中高年になったときに賃金が低くなることにつながる可能性があります。こうした実態があったからこそ、管理監督者の問題には労使双方があえて積極的には触れてきませんでした。

>しかし、賃金制度が変化し、これと関連して長期雇用システムが変容したことで、短期決済型の賃金を求める声が大きくなり、管理監督者に関する法律解釈と実態との乖離(かいり)が現実化してきました。こうした中で、形式的な法律解釈に基づいた裁判紛争が提起されたことで、法的には正しくても現場感覚としては実態に合わないかもしれない判断がなされたのです。

というあたりは、まさに私が一昨年以来書いたり喋ったりしてきたことです。

問題は、本事件の原告は残業代を払えということよりも、長時間労働を強いられたことを主として訴えていたにもかかわらず、裁判官はほとんどそれに注意を払っていない(残業代を払わせるんだからそれでええやないか、というような一節があります)ことなんですが、

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=3

>しかし、労働時間と賃金と健康問題とをそれぞれ切り離して、現実的な対応策を考える時期にきていると思われます。

というところはもっともなんですが、

>残業代を支払わなければ経営者が長時間労働を強いて、その結果として健康を害する労働者が増えるということは、実証されているのでしょうか。現在の過労死や過労自殺のすべてが、サービス残業を原因として起こっているとは必ずしも言い切れないでしょう。このような不幸な事件を起こさないためにも、理念や法解釈をこねるだけでなく、現場の対応が真に求められています。

というのはいささか筋が違いかけているような。別に残業代を払わないから過労死するというようなことはないでしょうが、十分な裁量性もないまま長時間労働を強いられれば(賃金の支払いにかかわらず)過労死の危険性は高まるのではないでしょうか。

>判決文を書かざるを得なかった裁判官が込めたメッセージは、割増賃金を支払えということではなく、このような問題に労使が真摯に向き合うことを求めているのではないでしょうか。

うーーん、判決文を読む限り、裁判官の目は残業代にしか向いていないように見えましたが。

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民主が高校無償化案

読売の記事です。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080205-OYT1T00672.htm

>民主党が今国会に提出を予定している高校の授業料無償化法案の骨子が5日、明らかになった。

高校、高等専門学校などに通う生徒の家庭に、国が示す授業料の標準額の範囲内で授業料を支給するのが柱。また、子供が私立に通う年収500万円以下の家庭には、標準額の2倍を支給する。同標準額は、今年度は全日制で年間11万8800円(毎月9900円)だった。同党は、関連予算は年間で約4324億円と試算している。

骨子によると、支給対象は、国公私立の高校、高等専門学校、専修学校に通う生徒の家庭などで、全日制は原則3年間。定時制や通信制は4年間まで支給する。事務費を含めて費用は全額、国が負担する。

こういう記事を見ると、すぐ脊髄反射的に、「てめえのガキの面倒くらいてめえでみやがれ、この莫迦」といった反応をする人々が出てくるでしょうが、そういうことを言う人間が、一方で「年功賃金なんて馬鹿げたものはすぐにやめて、成果主義でビシバシやれ」てなことを(本人の意識の内部的には何らの矛盾もなく)平気で言ってしまえているというところが、面白くも悲しいところでもあります。

まさに、年功賃金とは、中高年になって「てめえのガキの面倒くらいてめえでみ」られるように、みんなにそれだけの所得を保証しようとするものですから、そんな「馬鹿げたものはすぐにやめて、成果主義でビシバシ」やることになれば、そこからこぼれ落ちる人々は「てめえのガキの面倒くらいてめえでみ」られなくなってしまうわけです。

論理的には、どっちの選択肢もあり得ます。日本は戦中の賃金統制から終戦直後の労働運動の中で、子供の教育費負担を使用者が支払う賃金負担としてやらせるという方向をとったのですし、欧州諸国はそれを社会的に連帯して負担するという方向をとったわけです。別にどちらかが絶対的に正しいというわけではない。

ただ、その分を賃金でも払わないし、社会的にも手当てしないということは、「そういうてめえの稼ぎでてめえのガキの面倒も見られないような輩はガキなんぞつくらんでええ」と言ってるわけで、それはほっといたって下層階級がぼかすかガキをつくってしまうアメリカみたいな国ではそれなりに合理性を有するでしょうが、日本でも同様に合理的であるかどうかは、頭を冷やして考えてみる必要はあるでしょう。

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公務への派遣労働者と守秘義務

一昨日のエントリー「社保庁の中国人派遣問題の本当の問題点」に関連して、あまり誰も指摘しない公務と派遣をめぐる問題点をば。

ご承知のとおり、公務員には守秘義務というのが課せられております。非常勤の公務員と雖も、守秘義務は当然にかかります。

ところが、派遣労働者というのは派遣元とだけしか法律関係はなく、派遣先とは事実上の指揮命令関係しかありませんから、派遣先の官公署がいかに大事な秘密文書を派遣労働者に扱わせても、派遣労働者には守秘義務なんて面倒なものはありません。

派遣会社に守秘義務を課すって?常用型派遣だったら少しは効果があるかも知れませんが、登録型派遣だったら、派遣の切れ目が雇用の切れ目、派遣が終わり、縁が切れた元派遣労働者にどうやって秘密を守れと言えますかね。

数年前に、社保庁の職員が政治家や芸能人の年金記録を覗き見て週刊紙に漏らしたとかいうことがありましたが、それは社保庁の職員だから守秘義務違反になるのであって、派遣労働者だったらそもそも何の違反にもならない。

まあ、今回の中国人派遣労働者は、「田中 昭」を「田 中昭」と読む程度の日本語力ですから、秘密保持の面においてあまり実害が発生するようなことはなかったようですけど。

社保庁だったらせいぜい年金記録程度で大した実害はないとも言えますが、これが国税庁だったら、警察だったら、防衛庁だったら・・・と考えてくると、結構ここには大きな法制的な穴が空いているなあということが理解されると思います。現行法上、いかなる官公署と雖も、派遣労働者を利用してはならないという制限は課せられていません。

今頃になってそれはちょっとまずいんでないのと言い出すと、(最近の空港の外資規制みたいに)規制改革会議がケシカランと文句を言い出す可能性もありますしね。

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外部調達型ビジネスモデル

前にこのブログにコメントいただいた木村琢磨さんが、『大阪経大論集』2007年11月号に、「登録型人材派遣会社の経営管理」という論文を書かれていて、

http://www.osaka-ue.ac.jp/gakkai/pdf/ronshu/2007/5805_ronko_kimura.pdf

そのビジネスモデルについてこうまとめておられます。

>労働者派遣事業の商品は労働サービスが主であるから、登録型派遣事業において、派遣労働者及び登録者は、登録型人材派遣会社にとって、自社が雇用している(または雇用する可能性のある)従業員であると同時に、顧客に提供する商品である労働サービスの担い手であり、商品と不可分の存在でもある。従って、派遣労働者及び登録者・派遣労働者の管理は、人的資源管理であると共に商品管理という側面を有する。

人的資源を、労働者派遣が行われている期間だけ従業員として雇用し、それ以外のときは登録者としてプールしておくだけにとどめるという登録型派遣業の雇用管理モデルは、顧客である派遣先から引き受けた雇用リスクを、さらに労働者へと転嫁することによって、自社が負う雇用リスクを軽減したものである。

これをビジネスモデルとしてみると、在庫品を抱えず、在庫コストもかけず、「在庫品のような存在」である登録者を豊富に抱えることによって商品提供力を高めるモデルといえる登録者は派遣会社が常に拘束・使用できる経営資源ではないので、在庫品とは言えず、「在庫品のような存在」に過ぎない。また、自社の人材育成能力が不十分であるから、登録型派遣会社はその在庫品を内部開発できるわけではなく、登録者の募集という形で外部労働市場からの調達、いわゆる外部調達に頼ることになる。

外部調達に依存したビジネスモデルであるがゆえに、登録型派遣会社が他社に対して、派遣労働者の質の部分で差別化をすることは難しい。・・・・・・

・・・・・・登録型派遣会社は、常用型ではなく登録型という形態をとったことによって、労働者派遣業においてもっとも大きなビジネスリスクである雇用リスクを軽減した。しかしそれによって、他社との差別化が困難になり、人材獲得競争は熾烈化している。このことは、派遣会社にとって、派遣先と派遣労働者という「2つの顧客」と自社との利害調整を困難にしている。

現状の登録型派遣業のビジネスモデルは、派遣会社のリスクを軽減している代わりに、効率的経営及び戦略的経営を困難にする要因を構造的に抱えたモデルであるといえる。

この「在庫品」じゃないけど「在庫品のような存在」という言葉が、登録型派遣労働者の本質を言い当てていて、いかにもという感じです。注文を受けてから商品を仕入れるんだけれども、その商品はあらかじめ唾をつけてある。在庫品のようでも在庫品でない、ベンベン、というところでしょうか。

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社保庁の中国人派遣問題の本当の問題点

産経で大月隆寛氏が、いささか品のよくない文体のコラムを書いておられますが、

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080203/trd0802030258001-n1.htm

>そうか、そうきたか、社会保険庁。やるなあ、さすが官僚サマ。実に優秀です。

>年金問題の「処理」をシナ人の派遣労働者まかせにしておいたら転記ミスがあった、という報道です。とりあえず間違いは直しておきました、ということですが、問題はもちろんそんなところじゃない。まず、そもそも自分たちの横着から積み重なってきたミスの尻ぬぐいを、そのように「ハケン」に丸投げ、しかもそれが日本人でなく外国人に、というあたりが、そもそも「官僚」「役人」「公僕」としての自覚もモラルもまるでない何よりの証拠。すでにわれら同胞のために働くつもりはない、と自白してくれたようなもんです。

一体何があったのかを毎日の記事で確認しますと、

http://mainichi.jp/select/today/news/20080131k0000m040113000c.html

>コンピューターに未入力の古い厚生年金記録1430万件などの手書き台帳からの書き写し作業で、昨年12月に派遣会社から派遣された中国籍などの外国人約50人がミスを連発し、社保庁が途中で全員の作業を打ち切ったことが分かった。  

 30日の民主党の会合で社保庁が説明した。この作業のため、社保庁は派遣社員ら約1300人を集め作業を開始。人材派遣大手「フルキャスト」(東京都)は外国人約50人を12月10日から派遣した。

 だが、田中昭という名前を「田」「中昭」と書き写すなど、姓と名の区分がつかないミスが多発。社保庁は全員日本人にするよう要望し、1月末までだった派遣は12月20日で打ち切った。誤記された記録は修正したという。

 社保庁は「ミスのあった記録件数は分からない。派遣会社からは、テストした優秀な人を選んだと説明があった」と釈明。フルキャスト広報室は「全員、日本国内の定住者か留学生で、漢字の読み書きはできた。このような結果になり申し訳ない」と話している。【野倉恵】

のだめ、じゃなくってのぐらめぐみデス。いやそんなことはどうでもいい。

ここには、現在の労働者派遣法制の問題点がある意味で凝縮していると言ってもいいくらいです。

社保庁がフルキャストに労働者派遣を注文したこと自体は、現行法上何ら問題はありません。だって、派遣労働者と派遣先には何の契約関係もないんですから。役所が民間企業に物品を納入させるのと同じで、労務を納入させただけ。

そして、社保庁は派遣先事業主として、派遣労働者の特定を目的とする行為をしてはいけません。派遣労働力というのは種類債権であって特定物債権ではないのですから、この人はいいけどこの人は駄目というようなことを言ってはいけないんですね。それを言ったら職業紹介になってしまう。フルキャストが自信を持って、「漢字の読み書きができます」と保証しているんだから、中国人は駄目なんてことを言ってはいけないんです。

もちろん、そんなこと言ったって、実態はフルキャストがそこらの中国人アルバイトを適当に集めてきたのであることは分かっているわけです。だけど、派遣法の建前は、派遣元企業がちゃんと雇っている保証付きの人材をたまたま派遣先に配置転換したのが派遣だということになっているわけで、その建前を守るためには、派遣先としてはこういうことにならざるを得ないわけです。何かと批判されている社保庁ですが、この件に関して言えば、大月氏の批判を受けないようにしようと思えば、派遣法違反をやらざるを得なかったということになるわけで。

確かに派遣先が使用者責任を負わなくて済む労働者派遣というのは便利な仕組みであるわけですが、その反面としてこういう風になっているということにこそ、実のところ、労働者派遣をめぐる本当の問題点があるように思われます。話を官僚批判にしておけば楽であることは確かですが。

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偽装管理職 死ぬまで働かされる悲惨な実態

2月2日朝、読売テレビのウェークアップ!ぷらすの放送内容です。

http://www.ytv.co.jp/wakeup/news01/news_set.html?date=20080202&number=4

>この問題について、
労働政策の専門家に聞いてみました。

(政策研究大学院大学 濱口桂一郎教授)
「正社員から非正社員に代わってきて、
その責任が正社員にかぶさってきている。
大事なのは、(残業代などの)お金ではなくて、
健康に暮らしていけるような
労働時間をきちんと制限していくことでは…」

30分くらい喋って、30秒ほど放映されました。

ちなみに、アナウンサーは「竜馬」君。

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労働法における契約論的発想の弊害

『時の法令』連載の「そのみちのコラム」、2月15日号掲載分です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/heigai.html

短いものですが特に最後のところがいいたいところです。

>いずれにしても、就業規則法理をめぐる迷走は、今日労働法を覆っている過度に個人契約中心にものごとを考えるという悪弊を露呈したように思われる。改めて労働法の初心に帰る必要があるのではなかろうか。

「初心に帰る」とは、つまり「集団の再生」ということですね。

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労働基準法はなお継続審議中

月曜日のエントリーでリンクした先週金曜日の講演メモですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_f11e.html

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jeckouen.html

一点、事実と異なる点の指摘をいただきました。

私はつい、昨年の通常国会に提出され、臨時国会に継続審議された労働基準法改正案について、

>臨時国会でははじめに述べたように、労働契約法案と最低賃金法改正案については、民主党との間で修正協議がまとまり、成立に漕ぎ着けましたが、こちらについては、全ての時間外労働の割増率を5割以上とすべきとの野党側と折り合うことができず、結局廃案となりました。しかし、もともとホワイトカラーエグゼンプションとの釣り合いで持ち込まれたものである上に、長時間労働の是正という政策課題にとって本当に効果があるかどうか疑わしいものであることからも、今回廃案という形になったことはむしろ望ましいことであったと考えられます。

と書いてしまいましたが、事実は廃案にはなっておらず、今通常国会に継続審議となっておりました。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DA34DE.htm

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DA3BDA.htm

従って、今後ガソリン国会に火がついて炎上しない限り、与野党協議が成り立って成立するという可能性も結構あるということになります。

マクドナルド店長の判決もあったことだし、ここは一つ労働者のために・・・となまじ政治家の皆様がグッドウィルを示そうなどとお考えになられると、成立する可能性は高まってしまいますね。

それでどこが悪い、とお考えの方々もおられようかと思いますが、私は悪いと思います。大企業の労働者だけ、それも時間外労働が月80時間を超えるような超長時間労働について、割増率を上げるなんて、労働時間短縮どころか、大企業の労働者の長時間労働にご褒美をつけるようなものではないでしょうか。

このあたり、マクドナルド判決に対するマスコミ論調も依然として、カネ、カネ、カネ、残業代ゼロケシカラン!でしかないようですし。本事件の原告が、何をもっとも強く主張していたのかを没却したような報道が多すぎるように思います。

この辺、御用とお急ぎでなければ、明日朝の日本テレビ、「ウェークアップ!ぷらす」をご覧頂ければ・・・。

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全員参加の経済戦略

経済財政諮問会議が昨日開かれ、経済成長戦略が審議されたようですが、

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0131/interview.html

そこに提示された「政策項目」のうち、労働関係の部分を抜き出してみると次の通りです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/0131/item3.pdf

>戦略3:全員参加の経済戦略 ~雇用拡大と生産性向上~

1. 『新雇用戦略』の策定

・ 働きながら子育てできる環境整備

① 『新待機児童ゼロ作戦』の展開(多様な保育サービスの充実や保育所での受入れ児童数の拡大など質量両面からの整備)

② 育児休業制度の拡充

③ 就労に中立な税・社会保障制度の改革

・ 人生90年時代の働き方の構築(70歳現役社会の実現)

① 定年制のあり方や60歳以降の継続・再雇用ルールを検討

② 能力開発支援(ジョブ・カードの活用等)

・ 若者の雇用の安定化

① 官民一体となったジョブカード制度の整備・充実

② 最低賃金引上げと生産性向上に向けた官民一体の取り組み

③ 年齢差別撤廃(雇用対策法)の徹底に向けた公務員雇用の柔軟化

・ 短期雇用者のキャリアアップ支援

① 意欲のある短期雇用者が企業内でジョブカードを利用して職業訓練を受けられるように支援

② 短期雇用者の待遇改善

・ 就「社」から就「職」へ(高度な職業訓練の体制整備)

① 教育・研修休業制度の導入

② 職業能力を教育訓練する場としての大学の役割強化

ということで、「全員参加」というキャッチフレーズはまさに正しい方向を向いていると思います。

(追記)

と思ったら、労務屋さんがかなり批判的なコメントをしておられます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080201

まあ、「就「社」から就「職」へ」といったキャッチフレーズに見られる職種別労働市場へのこだわりについては、私も労務屋さんの懸念を共有します。この辺は『世界』論文の最後のところでちらりと触れたところでもあります。ただ、

>企業に高齢者を70歳まで雇用させることで、あわよくば年金支給開始年齢を70歳に引き上げようか、という意図を読み取るのは勘ぐりすぎでしょうか?私などは、体にいろいろ悪いところもあり、65歳くらいでは引退したいものだと思っているのですが、そういう奴は「70歳まで『全員参加』できないダメな奴」ということになってしまうのでしょうかね?

という辺りについては、もちろん高齢化に伴って体も弱ってくるでしょうが、それにふさわしいような働き方で70歳くらいまで「全員参加」する社会にしていくべきなんだろうと思っています。

こういうことを言ってると、どこかから「完膚無きまでに」粉砕殲滅されるのかも知れませんが・・・。

http://www.jrcl.org/liber/l1704.htm#8p

>第一が、「労働者を死ぬまでこき使うことの提言」である。今日、「労働を中心とする福祉型社会」を主張する「連合」労働貴族。彼らが「高齢者対策」の名のもとに主張する「継続雇用ではない雇用の創出」とか「引退年齢の引上げと段階的な引退」とかは労働者にとっては〝死ぬまで働け!〟ということだ。その犯罪性を、「連合」イデオローグの正村公宏と濱口桂一郎の〝論説〟をとりあげて、完膚無きまでに批判する。

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