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« 福井秀夫氏の反・反論 | トップページ | プリンスホテルvs日教組問題の文脈 »

2008年2月27日 (水)

hamachan=八代尚宏?

労務屋さんが、『東洋経済』の「雇用漂流」特集の福井秀夫 vs hamachanを取り上げて論評されています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080220

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080221

私の発言のうち、整理解雇法理を見直すべしというところにいささか意外の感を抱かれたようで、

>hamachan先生と解雇規制緩和という組み合わせにちょっと意外感があり、具体的にはどういうことをお考えなのだろうとhamachan先生のブログをサルベージしてみましたが、なにしろ膨大かつ充実したブログなので発見できませんでした。ただ、この文脈から読めば、解雇回避努力の一部、つまり正社員の解雇を回避するために有期契約社員の雇い止めや派遣の打ち切りを先行させなさい、という部分を見直すべきだ、ということだと思われます。

で、実はこれは規制緩和論者、たとえば八代尚宏先生の主張と同じなんですね。

と述べられています。やたらに量ばかり多いブログで済みません。

こういう感想は、実は昨年11月の連合総研20周年シンポでも会場からいただきまして、お前のいっていることは労働ビッグバンと同じじゃないか、と。

ネット上でも、hidamari2679さんの「風のかたちⅡ」というブログで、

http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10043928066.html

>特に濱ちゃん先生の「整理解雇法理の見直し」のくだりは、道理に暗いひだまりワン公にはドッキリものと思えた。福井君はともかく、「カナダ型」とかおっしゃっている八代先生と一瞬かぶって見えた

こういう感想は、ある面で正しいのです。実際、八代先生の本拠の労働市場改革専門調査会に呼ばれていったときに、こういうふうに喋っています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/work-s.pdf

>今日の議論とどこまでつながるかわからないが、解雇ルールを論じるときには、2つの次元に区別した方がいいだろうと思う。

1つ目は、一般的に雇用契約が成立している中で、使用者側が、ある労働者について、とにかく気に入らないから首にするという行為、これは両者の力関係に差があり、一種の権力的な行為になってしまわざるを得ないが、それを認めるのかどうかという問題である。

2つ目は、企業が市場の中で運営している中で、どうしても労働力の投入量を削減せざるを得ないときに、整理解雇するのは良くないので、日ごろから時間外労働に従事させて、不況になったらそれを減らしなさい、あるいはどこか遠くに配転して賄いなさい、あるいはパート・アルバイトを解雇して、正社員の雇用は何が何でも守りなさいというような、いわゆる「整理解雇法理」に結集しているようなものの考え方である。この二つの次元を分けて考える必要があると思っている。

前者について、およそ雇用契約関係という、単純なものの売り買いでない人間関係の中で、権力的に私の言うことを聞かないからお前は首だというものを全く野放図に認めている国はヨーロッパでは1つもなく、アメリカという特異な例があるだけである。解雇規制が非常に緩いと言われている、例えばデンマークモデルと言われるデンマークでも、そういう公序良俗に反するような解雇についてはきちんと規制されている。そういう次元の解雇規制、解雇ルールの問題と、整理解雇を過度に規制することによって、時間外労働、配転、非正規労働者などに様々な無理を生じさせているような解雇規制とは分けて議論する必要がある。

そういう意味から、これは基本的には労働契約法の中でも議論されたが、今の整理解雇法理をそのままの形で法制化するのは、やはり抜本的に考えた直した方がいいはずだと思っている。

ただ、逆に言うと、一般的な解雇規制については、今の解雇権濫用法理のようなあいまいな形ではなく、正当な理由がなければ解雇してはならないと、きちんと書いた方がいいのではないかと思っている。

ここのところをもっと詳しく展開してみたのが、昨年夏に『季刊労働者の権利』に書いたものです。上のhidamari2679さんは、これを読まれて上の感想を漏らされたわけですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roubenflexicurity.html

最初のところは福井秀夫氏の批判、本体部分はEU諸国の解雇法制の解説(この部分はあまりほかになく役に立つはずです)、そして最後のところが日本の解雇規制の見直し論です。

(1) 権利濫用法理からの脱却

(2) 金銭解決の検討の必要性

(3) 整理解雇法理の見直しの必要性

と、いずれも同誌の購読者であると想定される労働弁護士の皆様には大変刺激的なものになっています。

で、最初に戻りますが、これは「八代尚宏先生の主張と同じなんですね」と言われれば、その限りではその通りだとお答えすることになりましょう。労働者の側にとって弊害をもたらしているような規制は緩和すべきだという点では、意見に違いはありません。

ただ、だからといって「すべての規制は定義上労働者のためになるように見えて必ず労働者に不利益をもたらすものである」とは私は考えていないというだけです。そして、何が利益で、何が弊害かという判断基準自体、社会の変化、時代の流れの中で変化してくるものだという、まあある種歴史主義的な発想(と言っていいのかどうか分かりませんが)が、私の基本にあるので、70年代にはそれなりに社会的妥当性があった整理解雇法理も、今の時代には見直さないといけないでしょう、と考えているわけです。

その意味においては、

hamachan≒八代尚宏

という等式は別に間違っておりません。ただ、その緩和の代わりに、どういう点で労働者保護のための規制を強化すべきかという点についてまで意見が一致するという保障はありません。

(追記)

平家さんにも、「労働・社会問題」ブログで当該記事を取り上げていただいています。

http://takamasa.at.webry.info/200802/article_12.html

こちらは、主として福井秀夫氏の議論について、経済学的な立場から吟味しているもので、大変参考になります。(左にトラバが来ています)

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コメント

 連合総研の20年シンポで質問させていただいた早川です。いまさら弁解ではないのですが、わたくしはhamachanと八代さんや、ましてや「労働の現場感覚を全く持たないイデオロギー的主張」をされている福井さんの主張が同じだなどとは思ってはおりません(あのときは短時間に小さな紙切れに質問要旨を書けと言われて、つい舌足らずというか、筆足らずになってしまったようです)。
 それはともかく、16日のブログで紹介されている連合総研の「雇用戦略 活力ある安心社会構築の条件」ではhamachanも執筆陣のお一人でした。この報告書の考え方の基本は「日本型長期安定雇用を清算する事ではなく、それが形成してきた独自の柔軟性を、個別企業の枠を超えた形へと社会化することである」というものでしょう。従って八代さんの労働市場改革専門委員会の根本にある「高度成長補完型雇用システムだけに依存した労働市場をいつまでも維持することはできなくなっている」という勝手な定義と決めつけとは全く異なる認識に立っておられると拝察しております。
 問題はhamachanのおっしゃる、解雇ルールのふたつの次元のところで、ひとつめは、そもそも期間の定めが良好な雇用契約であるための前提のようなもので、よもや福井さんといえども異論はないところだと思います。ふたつめの次元ですが、労働市場の中で運営している企業が、労働力の投入を削減せざるをえないとき、これが悩ましい問題です。こういうときに解雇しづらいので、いきおい繁忙時には残業に依存することで安全弁とするということは確かにあるでしょう。しかし逆に解雇規制が強すぎるから長時間労働が万円するのだと一義的に言えるものでもありません。
それと整理解雇については確かに判例の規制は厳格ですが、実際の職場では、ことの良し悪しはさておき、労使自治の範囲内で、早期退職優遇だの希望退職募集だので、リストラ=雇用調整が行われてきました。解雇規制の見直し(緩和)というのは、こうした経営側の実態としてあるニーズを追認することでしかないのではないか。派遣法にしてもそうですが、昨今の労働法制の変遷はまさにこうした現状追認型であったように思われてなりません。
 何の話でしたっけ?要するにhamachanと八代さんの唯一(かどうかわかりませんが)の共通認識は、強すぎる解雇規制が長時間労働の蔓延や非正規労働者増加の主たる要因になっている、という点ではないでしょうか。あのときの質問でわたしが聴きたかったのも正にその点で、解雇規制はひとつの要因ではありえても主要な問題ではなく、むしろ規制を緩める弊害のほうがはるかに大きいのではないか、ということです。正社員を雇用することは確かに経営者にとってリスクでしょうが、経営者が積極的にリスクを取らずに、他人にツケをまわすことばかり考えているモラルの低下が、あのサブプライムみたいな問題を引き起こしているのだと思いますが、いかがでしょうか。

早速書き込んでいただきありがとうございます。まあ、いささか「釣り」気味のエントリーではありましたが。

ただ、少なくとも時間外労働の上限設定の議論が、雇用に悪影響を与えかねないという議論で道をふさがれてきているのは事実ですし、非正規を先にクビ切れという整理解雇法理はそのままでは法制化できないというのは、法制化論の側でも分かっていることではないかと思います。

これはどちら側から物事を見るかなのではないでしょうか。整理解雇法理を緩和すれば自動的に労働時間が短くなったり非正規の扱いが良くなるなんてことはありえないでしょうが、逆に長時間労働をなくすことや非正規労働者の適正な扱いと言うことを追求していくと、整理解雇法理をそのままでは維持できないでしょうということなんです。

私は、むしろ現在は第4要件に過ぎないとされている労使協議こそが中心でなければならないと考えています。これは集団法制をどうしていくかというこれまた大きな問題に関わりますが、労働法の基本的な姿として、細かな要件をあれこれと定めるのではなく、ちゃんとした労働者の利益代表との合意に委ねていくというのが今後の方向だろうと思っています。

一点追加しておきますと、

>ひとつめは、そもそも期間の定めが良好な雇用契約であるための前提のようなもので、よもや福井さんといえども異論はないところだと思います。

よもや、どころか、そういう発想はないと思いますよ。そもそも雇用関係が対等じゃない権力関係であるという発想がないんですから。

この辺は、実はある種の経済学者によく見られるところで、解雇規制を論ずるときに念頭にあるのは整理解雇でしかないということがよくあります。

使用者に勝手にクビを切れる権限があれば、労働者は誰も使用者に文句を言えなくなる、というのは働いた経験があれば分かるはずのことですが、そこが見えなくなっているわけです。で、私は意識的にそこを強調しているわけです。

早速ご返答いただきありがとうございました。
「逆に長時間労働をなくすことや非正規労働者の適正な扱いと言うことを追求していくと、整理解雇法理をそのままでは維持できないでしょうということなんです」
そうなんですよね。そこの議論が大事だと思います。やっぱりhamachanとは議論がかみ合っていて良かったです。問題は判例が時代遅れになったのか、非正規の形態で生計を維持しなければならない人が増えていることが「時代」に逆行しているのか、その辺の判断だと思います。
で、追加コメントの部分。確かに福井さんたちの念頭には整理解雇しかないんでしょうね。
ところでhamachanに引用されて初めて気づいたのですが、わたしのコメントの当該部分で、またしても重大な「筆足らず」をやってしまいました。
「そもそも期間の定めが良好な雇用契約であるための前提のようなもの」の部分は「そもそも期間の定めのない雇用契約が良好な雇用契約であるための前提のようなもの」と書くつもりだったのですが、論旨が逆になってしまいました。お詫びして訂正いたします。
hamachanのご専門のEU諸国でも、期間の定めのない雇用契約が労働者にとって好ましい雇用契約となりえたのは、解雇(規制)法制が整備されてきたこの半世紀前あたりからではないでしょうか。

しょうもない下世話なエントリを取り上げていただきありがとうございました。「季刊労働者の権利」再読いたしました。最後はきわめて論争的な内容でしたので、刺激を受けて私も少し意見を書いてみました。

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