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2008年1月23日 (水)

モラルハザード異聞

大竹先生のブログ経由で、この間の大学入試センター試験の現代社会の問題を見ました。

http://nyushi.yomiuri.co.jp/nyushi/center/08/1/exam/540/27.htm

>下線部eは「モラルハザード」の論理を示しているが、その事例に関する記述として適当でないものを次の1~4のうちから一つ選べ。

>1失業保険の充実が、かえって失業者の経済的自立を鈍らせてしまい、失業給付の増大と労働意欲の減退とを招いてしまう。

>2医療保険の充実が、かえって人々の医療機関への過度な依存を招くことになり、自助に基づく疾病予防や健康管理がおろそかになってしまう。

>3金融システム不安から国民を守るための公的資金の投入によって、かえって金融機関は経営者責任が曖昧なまま、ずさんな融資を続けてしまう。

>4企業による合理化計画の推進が、かえって人員削減を招くことになり、失業者を増やしてしまう。

もちろん、「適当でない」のは4になるわけですが、この問題はちょっと問題ありじゃないの?と感じてしまいました。2の設例です。

1の失業保険の例はまさにもっとも典型的なモラルハザードです。私のジュリストでの解説文でもそういう説明を書いています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristkoyouhoken.html

ただ、失業保険というセーフ的ネットがそれ自体モラルハザードから逃れられないのは、ここにも書いたように、雇用保険制度における保険事故たる「失業」には、労働の意思と能力という主観的要件が含まれていることが大きく、給付を受けるために自らの意図によって「失業」するという事態を本質的に排除できないからです。

それに対して疾病保険制度における保険事故たる「疾病」の場合、もちろんまったくそういうこと(つまり疾病保険の給付を受ける目的でわざと病気にかかる)がないのかと言えばないわけではないでしょうが、「自助に基づく疾病予防や健康管理」でもって病気をコントロールできるものであるかのようにいうのはいささかいかがなものかと思わざるを得ません(病院に行く必要がない程度の軽い病気でも病院に行くことをモラルハザードと呼ぶならばそれはありえますが、それは保険給付の対象疾病をどう設定するかの問題でしょう)。公的疾病保険のないアメリカでは、みんなモラルハザードに悩まされることなく、「自助に基づく疾病予防や健康管理」でもって誰もが健康に過ごせているというのなら大変素晴らしいことではあるんでしょうけどね。

なんだか一定の政策方向をさりげなく押しつけようとしているように見えないこともないですね。

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