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2008年1月21日 (月)

日本における新自由主義改革への合意調達

一昨年、後藤道夫氏の著書を紹介する形で、リベサヨがネオリベへの道を掃き清めたんだという話をしましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

41do0ix9rkl_ss500_ この後藤氏と極めて近い立場にいると思われるゴリゴリサヨクの渡辺治氏が、ハーヴェイの『新自由主義』の巻末付録で日本の新自由主義について論じていて、やはり後藤氏と同様、戦後リベラルサヨクとは距離を置いていた正統派マルクス主義者であるだけに、(自分たちについてはともかく)リベラルサヨクの弱点については極めて的確に指摘しています。304ページ以下のところですが、

>イギリス、アメリカの新自由主義的合意にとっても、ハーヴェイが強調するように、「自由」の理念が決定的な役割を果たしたが、日本の場合には、とりわけ反国家主義、反官僚主義、そして個人主義が、新自由主義への合意の調達、すなわち「常識」の形成のための主要なイデオロギーとなった。

>ハーヴェイは、1968年の運動が、学生運動の掲げる「自由」と伝統的左翼の掲げる「社会的公正」というアンビバレントな要求を併せ持っていたのに対し、新自由主義がそれを分断して、「自由」の要求を新自由主義への合意調達に吸い取ったと指摘したが、戦後日本では、左翼そのものの中に「自由」「民主主義」と公正・平等の要求が同居していた。それだけに、日本では、「自由」「民主主義」がより強く新自由主義の合意調達の梃子となったのである。

>この問題は、戦後日本では、マルクス主義と近代主義の親和性があったという、後藤道夫がつとに指摘した問題と密接に関連している。・・・・・・ハーヴェイは、ヨーロッパの新自由主義が、70年代に、ポスト・モダニズムを新自由主義的合意に取り込んだと指摘しているが、日本では、新自由主義は、モダ二ズムを取り込み、モダニズムに親和的な左翼の一部を新自由主義に動員したのである。そのスローガンこそ、反官僚主義、反パターナリズム、反国家主義であった。

>ちなみに、この点に関連して、日本での「リベラリズム」の独特の含意に触れておく必要がある。日本では、左翼のこうした反官僚主義は「リベラル」概念についての特殊な含意、アメリカの「リベラル」がもつ反資本主義・福祉国家的含意ではなく、むしろ国家的規制を拒否する新自由主義的含意を形成したのである。

>日本では、新自由主義への国民の同意調達は、反自民党政治、反開発主義となって現れた。

>こうして、政治改革が「日本の真の民主主義」「自民党一党独裁政権の打破」「二大政党体制による政権交代のある民主主義」というスローガンのもとに始められた。マスコミは全面的にこれに肩入れした。奇妙なことに、体制側の政治学者は、必ずしも一元的に政治改革賛成の論陣を張ったわけではなく、いくぶん懐疑的であった。・・・むしろ「左翼」的、「リベラル」な学者が、政治改革の論陣の先頭に立った。彼らが新自由主義運動に巻き込まれたのは、先に言った日本の知識人の反官僚主義と、「諸悪の根源は自民党一党政権」という誤った認識であった。こうして、戦争や革命というような政治危機の時でなければ実現できないような政治改革が強行され、日本の新自由主義が開始されたのである。

この歴史認識はおおむね正しいと思われます。

これをもう少しミクロスコピックにみると、例えば、共産党のオヤジの息子がウルトラ新自由主義に走るというような出来事という形で現れるのではないか、と。

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080109(kurakenyaの日記)

>「なんで、君はそんなに政府が嫌いなの?」と彼に聞かれた時には、自分でも少し考えてしまった。

小生の父は氷見市の共産党市議会議員を28年間務めた。
よって、共産党にでも入るのがお気楽人生にはよかったのだろう。
あるいは、今頃は、シイさんについで偉く(爆)なれたかもしれない。

しかし小生は大学以来、どうしても「非実力主義的な」共産主義に同感できなくなっていたし、おまけに東側は貧しく、自由もない。
なによりも、その思想においても、「科学」でもないくせに「科学」を名乗るpsudoscientificな態度が気に入らなかった。
そこで大学3年に、フリードマンの「選択の自由」に出会ったわけである。

なるほど。しかし、おそらく本人が考えているほど共産党市議のお父さんとあなたの間の知的距離は大きくない。

富山のような土地柄で共産党市議を28年間も務めるということは、あなたのお父さんは間違いなく、筋金入りの反官僚主義、反パターナリズム、反国家主義であったはずだ。あとは単にお題目を入れ替えるだけのこと。マルクス・レーニン主義もネオ・リベラリズムも、どっちも同じくらい「pseudoscientific」ですからね。

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コメント

>フリードマンの「選択の自由」に出会った
>マルクス・レーニン主義もネオ・リベラリズムも、どっちも同じくらい「pseudoscientific」

科学に見えないのに疑似科学とは、これ如何に?
まあ、水伝よりは科学に見えるか。

疑似学問とか、疑似道徳というなら微妙だけど…

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