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2008年1月25日 (金)

山口二郎氏の反省

『情況』という新左翼っぽい雑誌があります。1/2月合併号が「特集:新自由主義」ということで、ハーヴェイの本の書評特集をしていたので買ったんですが、はじめの方に金子勝氏とか山口二郎氏のインタビューが載っていて、特に後者はかなり率直な「反省の弁」という感じになっていたので、紹介しておきます。

>90年代に改革を論じた多くの人が、「市場化を進めていったとき、市民化の足場が掘り崩される」ということを、あまり判っていなかった。今でこそワーキングプアとか格差とかいわれているけれど、当時の改革論議では、規制緩和を徹底したときに何が起こるかという心配をしている人なんて、ほとんどいなかった。その理由としては、「生活者の政治」という構えでものを考えるときに、実は「生活する一番の土台のところを崩される」ということについての警戒というか、予見というのが、できていなかったのだと思います。「生活者を基盤とした政治」とか、今でも簡単に言う人がいますけど、そんなに単純に主張できる者ではなかったということです。

>さっきも言いましたが、生産拠点と生活拠点とを対立させて捉えるというのはやはり間違っている。私たちはみんな労働力を売って、生活の糧を得ているわけですよね。ところが労働市場というのは、私たちが供給者であって、企業が主権者なわけですよ。消費者主権が労働市場においても徹底されるとどういうことになるかというと、雇う側が労働者に好き放題無理難題をふっかけてきて、賃金のダンピングはするわセクハラはするわ、という話になってくるわけですよね。ですから市場化のベクトルあるいは消費者主権という原理で社会のシステムを再編していくというのは、私たち自身にとっても不利益が生ずる側面もあるわけです。結局、消費者主権の論理みたいなものを、脳天気に言いすぎた。消費者主権というものは一つの原理ですから、それが原理主義的に徹底されていくと、私たち自身が労働を売るときにね、同じ原理が適用されてブーメランのように跳ね返ってきているわけです。

>私たちはある意味で生産に参加することで生きているわけですから、その部分では、過当競争を防ぐための生産者カルテル、みたいな発想も必要になってくるわけですよね。ですから、労働組合の役割というものが、市民・生活者の論理と対峙する、という考え方は間違っていると思いますよ。生産と消費がトータルにあって人間生活がなりたつわけですから、その点で90年代の「生活者起点の政治」という議論はとても偏っていたというか、結果的に市場化の方にすくい取られていってしまった、という後悔がありますね。

 今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。

まあ、でも90年代のそういう風潮に乗せられて、いまだに生産の場に根ざした連帯を敵視し、それこそが進歩だと信じ込んで、地獄への道をグッドウィルで敷き詰めようとする人々が絶えないんですからね。

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