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2008年1月

2008年1月31日 (木)

公務員制度の総合的な改革に関する懇談会報告書案

新聞等でも報道されていますが、報告書案が官邸HPにアップされています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumuinkaikaku/forum/h200131/pdf/siryou2.pdf

概要の方を引用しておきますと、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumuinkaikaku/forum/h200131/pdf/siryou3.pdf

1.議院内閣制にふさわしい公務員の役割

(1)内閣中核体制の確立

○大臣等の政務を補佐する「政務専門官」の創設。

○各府省の立場を超えて、内閣の国家的重要政策の企画立案を行う「国家戦略スタッフ」の創設。

○公務員と政治家との厳格な接触ルールを確立し、政官の接触を集中管理。

(2)大臣人事権の確立

○指定職以上の幹部任用に際しての内閣総理大臣認可の導入。

(3)内閣一元管理

○縦割り行政の弊害を除去し、各府省横断的な人材の育成・活用を行うため、内閣一元管理システムを導入。

2.多様な能力、技術、経験を持つ人材の採用、育成、登用 (

1)学業終了時点での採用

○採用試験に基づき幹部候補を固定化している「キャリア・システム」を廃止。

○現行のⅠ・Ⅱ・Ⅲ種試験等を廃止し、一般職試験(院卒、大卒、高卒)、専門職試験(院卒、大卒、高卒)、総合職試験(院卒、大卒)を創設。

○総合職試験合格者からは、内閣人事庁が一括で採用し、各府省に配属。

(2)中途採用

○他の職業からの中途採用を積極的に行っていくため、中途採用試験(一般職、専門職、総合職)を導入。

(3)公務員育成の目標

○個々の職員が自発的に能力向上に取り組む公務員像を確立し、国際社会の中で活躍できる広い視野と深い教養、公務以外の分野でも活躍できる高い能力を有する人材の育成を目指す。

(4)幹部職員の育成と選抜の制度

○高い能力と倫理観を備えた幹部職員を確保するため、幹部候補を総合的計画的に育成する「幹部候補育成課程(仮称)」を導入。 ・幹部候補育成課程への選抜は、採用後2年程度の働きぶりを評価して行う。(一般職、専門職試験採用者からも選抜)。 ・絞り込みと補充による出入りのある育成課程とする。 ・内閣人事庁は、統一的な基準作成や運用管理を行う。

○本省管理職以上への能力本位で多様な人材登用。 ・本省管理職以上への公募拡大(数値目標を設定し、その比率を段階的に拡大)。 ・内閣人事庁による人事の調整、指定職以上の適格性審査。 ・将来的に、本省管理職以上に占める総合職試験採用者で幹部候補育成課程を修了した者の割合が、半分になることを目指す。

○高度な専門的知識・技能・経験を持つ専門職を育成・確保する。

○国家戦略スタッフは、内閣総理大臣の判断で、公務内外から公募により登用する。

3.公務員の倫理の確立と評価の適正化

(1)公務員共同体化の回避(「ゼッケンを外す」)

(2)職業倫理の確立(公正な人事評価システムと信賞必罰の原則徹底)

(3)評価と賞罰

○人事評価において、国民本位の評価視点を取り入れ、「全体の奉仕者」としての意識を涵養。あわせて評価者の資質向上を図る。

○評価は、採用年次にとらわれず、相対評価により行う。

○組織目標とリンクした目標管理を行い、組織目標から個人の目標を導き出す。

○評価の納得性を高めるため、評価結果を開示し、フィードバックを確実に行う。

(4)守秘義務違反の捜査および誤報に関する罰則の強化

4.国際競争力のある人材の確保と育成

○国際対応に重点を置いた採用と人材育成プログラムの創設。

○幹部候補育成課程では、海外勤務を一度は経験させる。

5.官民交流の促進

○官民の交流を促進するため、官民人事交流法を抜本的に見直し、「官民人材交流法」(仮称)を制定する。

○幹部候補育成課程においても、最低一回は民間企業等で勤務する。

6.働きに応じた処遇(ワーク・ライフ・バランス)

(1)公務効率向上意識の導入

○ビジネス・プロセス・リエンジニアリングの導入による勤務時間適正化や「業務簡素化計画」の作成と実施。

(2)給与体系の抜本的改革

○役職手当の導入や給与への勤務評価の反映徹底(メリハリのきいた処遇)。

(3)就職金および退職金の改革

○国家戦略スタッフや特定専門職への採用の際の就職金(支度金)制度の創設。

○公金で賄われている機関への再就職は、再就職先での退職金辞退・削減を条件化(渡り天下り防止)。

(4)定年・退職

○60歳定年まで勤められることを原則として、能力・実績により処遇される環境を構築する。

○60歳以降については、当面は、再雇用制度の拡充により雇用機会を確保する。

○一定年齢で年功昇給が停止する給与システム、役職定年や職種別定年延長の検討。

7.国家公務員の人事管理に関する責任体制の確立

(1)内閣人事庁(仮称)の創設

○内閣一元管理の実施機関、国家公務員の人事管理について政府を代表して説明責任を負う機関として、国務大臣を長とする「内閣人事庁(仮称)」を設ける。

○総務省人事・恩給局や人事院の中央人事行政に関する部門等の関連機能を内閣人事庁に統合。

(2)労働基本権等

○労働基本権の付与については、専門調査会の報告を尊重。あわせて、国における使用者機関のあり方について検討。

※改革の推進 平成21年の通常国会に内閣人事庁を設立するための法律案提出。改革の実施に必要な関係法案について、平成23年の通常国会に提出し、遅くとも5年以内に改革を実施。

一点だけ指摘しておきますと、(4)定年・退職のところで、

>② 60歳以降については、民間における高齢者雇用の取り組み状況や国家公務員の早期退職慣行の状況を踏まえれば、現状において、国家公務員について一律に年金受給開始年齢まで定年延長をすることは困難であり、当面は、再雇用制度の拡充により雇用機会を確保する。

と書かれていますが、高齢者雇用安定法の2004年改正によって、民間企業は既に年金支給開始年齢までの継続雇用義務を課せられています。

もちろん、それには労使協定によって穴を開けることはできるわけですが、原則は年金支給開始年齢までの雇用継続となっているのであって、希望者全員ではない特例的再雇用制度となっている公務員の方がそっちに到達できていないのだということは、関係者の方々は頭の中に置いておかれても罰は当たらないと思いますよ。

日雇い失業保険制度の創設

さて、今からちょうど60年近く前、1949年に日雇い失業保険制度が創設されています。1947年の失業保険制度創設の2年後です。

で、その経緯をいろいろと調べているんですが、この改正の解説書に、おもしろい記述があったので、引用しておきます。この本は、労働省職業安定局長斉藤邦吉序、労働省失業保険課長亀井光著『改正失業保険法の解説』日本労働通信社、です。

>日雇労働者に対する失業保険の適用については、失業保険法制定の当初から大きな課題として論議されてきたのであるが、その実態を把握することが困難であったのと、雇用される事業主、労働に従事する場所又は賃金が日々異なるのをその本質とする日雇労働者に対し、失業保険法を適用することについて技術的な困難問題が多々あったために、その適用が今日まで遅れてきたのである。しかしながら、失業の危険は、常用労働者よりむしろ日雇労働者の方がより大であり、より切実であるのであって、この意味からいえば、失業保険法は、常用労働者よりも日雇労働者に対し、先に適用されるべきであったのである。又失業保険法を日雇労働者に適用することは、職業安定法第44条の規定による労働者供給事業の禁止に伴っていわゆる労働ボスの排除を徹底的に行うについても、かねて強い要請がなされていたのである。何故ならば、労働ボスに使用されていた日雇労働者は、仕事にあぶれた場合、労働ボスによってその生活の保障を受けていたのであって、労働ボスの排除によって、それから解放された日雇労働者は、自由な労働者となり、賃金の搾取を受けることはないが、その反面失業時において生活の保障を受けることができなくなるのであるから、日雇労働者が失業した場合に、その生活の最低保障をなす措置がなければ労働ボスの排除を徹底的に行うことも困難であるからである。従って、今回の改正によって、遅ればせながら、日雇労働者に対する失業保険制度が確立されたことは、失業保険制度の一大飛躍であり、これによって、我が国の失業保険制度は、一応整備されるに至ったということができるのである。

ええ、面白いのは、これまで(つまり60年前のときまで)は「仕事にあぶれた場合、労働ボスによってその生活の保障を受けていた」のが、労働者供給事業(つまり、今の労働者派遣事業ですな)が全面的に禁止されたので、「失業時において生活の保障を受けることができなくなる」ので、「失業保険法を日雇労働者に適用する」必要が高まったという説明です。

昔の労働ボスというのは偉かったんですねえ。日雇労働者があぶれたら、ちゃあんと生活の面倒を見ていたんですから。そのかわり「事実上の支配関係」という奴で縛り上げていたわけですが、少なくとも、その遥か後輩に当たる今日のフルキャストやグッドウィルよりは温情溢れる存在であったようであります。まあ、こんなこと書いていると、またぞろパターナリズムとかいわれるんでしょうけど。

格差社会における雇用政策と生活保障

『世界の労働』2008年1月号に掲載した「格差社会における雇用政策と生活保障」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seroukakusa.html

雇用保険と最低賃金と生活保護という三題噺を、わたくしなりに一つの形に作ってみました。

実は、厚労省の旧厚生組と旧労働組でやってる勉強会がありまして、そこで提起してみたアイディアを文章化してみたものです。

民主党が日雇い派遣禁止法案を提出?

読売の記事ですが、

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080130-OYT1T00833.htm

>日雇い派遣大手「グッドウィル」(東京都港区)などで違法派遣が繰り返されていた問題で、民主党は30日、日雇い派遣の原則禁止などを盛り込んだ労働者派遣法改正案を今国会に提出する方針を明らかにした。

 同法改正を検討していた厚生労働省は昨年12月、「労使の隔たりが大きい」として、今国会への提出見送りを決めたが、働いても生活費がまかなえない「ワーキングプア」の温床ともされる日雇い派遣については早急な改善が必要だとして、議員立法で提案することにしたという。

 派遣労働者らで作る労働組合などがこの日、都内で開いた集会で、民主党の細川律夫衆院議員が明らかにした。細川議員によると、法案に盛り込まれる主な内容は、〈1〉日雇い派遣の原則禁止〈2〉派遣元と派遣先の双方に共同雇用責任を持たせる〈3〉派遣料金の上限規制――など。党内で詰めの作業を進め、他の野党の意見も聞いた上で、今国会に提案したいとしている。

だそうです。まあ、ガソリン税をこの世の一大事みたいに騒ぎ立てているのよりはずっとまともな感性だとは思いますが、一応議院法制局で議論するんでしょうから、なぜ1ヶ月の登録型派遣は良くって、1日の登録型派遣は(禁止しなければならないくらい)悪いのかについて、じっくりと考えを詰めておいた方がいいとは思います。

いや、別にからかっているんじゃなくって、私もここ数ヶ月、その問題を折に触れ考えてきているんですが、何とかならないかなあとは思うんですが、少なくとも内閣法制局を通過できるような理屈が思いつかないのですよ。このブログでも何回も書きましたけれども、直用の日雇いは良くって、それが派遣になったら(禁止しなければならないくらい)悪くなると言えるのか。

直用の日雇いも、登録型派遣も、それだけでは禁止しなければならないくらいの悪さではないけれども、両方を組み合わせると、合わせ技一本で禁止しなければならないくらいの悪さになるんですというのかなあ、と思いつつも、そういう理屈では法制局参事官に「莫迦者」といわれてお仕舞いのような。

本当に、単発で土日とかに日雇い派遣で働いているような人は、別にそれほど悪いわけでもないという気もします。

むしろ、例えば平均して週に4日以上日雇い派遣就労している場合には、間に非就労日があっても、登録元の常用派遣とみなす、といったやり方は考えられないのだろうか、とか。これは直用日雇いでは不可能で、派遣という形だからこそできることでもあります。

その次の「派遣元と派遣先の双方に共同雇用責任を持たせる」というのは、これまでの日本の派遣法の考え方を根っこからひっくり返すものですが、私はむしろ積極的に評価したいと思います。派遣が悪いと言いつのるよりも、派遣が悪くないような仕組みにしていくことの方が重要で、派遣先の使用者責任を法律上にきちんと位置づけるというのは、そのための一歩になるのではないかと思います。

2008年1月30日 (水)

「働く」ワーキンググループの報告私案

労働政策は厚労省だけでやってるんじゃなく、内閣府の経済財政諮問会議や規制改革会議も(その中身の評価は別として)政府の労働政策を大きく左右しているということはご案内のとおりでありますが、その内閣府の国民生活局という消費者問題とかを扱っている部局が労働問題を取り上げているということは、案外知られていないのではないかと思います。

国民生活審議会の、総合企画部会の、生活安心プロジェクトの中に、「働く」ワーキンググループというのができて、昨年12月からいろいろと検討しているんですね。

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/hataraku/hataraku-index.html

既に3回開催されて、直近の1月16日には、樋口美雄先生による報告私案までが提示されています。

えっと、その前にどういう人々がやってるかというと、

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/hataraku/071205shiryo01.pdf

主査   樋口 美雄  慶應義塾大学商学部教授
副主査  川崎 あや     横浜市市民活動支援センター事務局次長
委員      岩田喜美枝    株式会社資生堂取締役執行役員常務
            岡本 直美      NHK関連労働組合連合会議長
            小林いずみ     メリルリンチ日本証券株式会社代表取締役社長
            佐々木かをり   株式会社イー・ウーマン代表取締役社長、株式会社ユニカルインターナショナル代表取締役社長
            早瀬  昇       社会福祉法人大阪ボランティア協会常務理事・事務局長

穏当な人選ですね。

で、樋口先生の報告私案ですが、

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/shingikai/kikaku/21th/hataraku/080116shiryo06.pdf

>雇用は最大の福祉であり、安心して意欲と能力を発揮できる就業環境の提供は生活者の福祉向上にとって不可欠であるとの視点から、国は地方自治体や企業、NPOと協力・連携し、国民に対し、「働く人を大切にする」社会環境を保障しなければならない。

生活者とはまず何よりも働く人(あるいは働こうとする人、働きたい人)なんですよ。「どの業種でもサービス残業当たり前のご時勢に」などとほざいて消費者主権を狂ったように振り回す人じゃないんですよ。

緊急の具体的課題として、「就職困難者一人一人に対するサポート体制」が挙げられています。

>障害者や母子家庭の母、ホームレス等、就職困難者一人一人に対し、訓練から、職業紹介、就職に至るまできめ細かく支援する体制(一人別のサポート体制)が十分に整備されている状況にはない。これまでの行政の取組は受身の姿勢に止まっており、相談窓口に来た人へのサポートは行うが、自ら積極的に出向いてサポートすることには限界があったところである。このため、就職困難者一人一人に対する一人別のサポート体制が、労働・福祉分野の行政及びNPO等の民間団体により、一体的に講じられるようにすることが最重要な課題の一つである。

また、今までの労働法では救いきれない人々として、

>NPO活動で就労する者(「有償ボランティア」を含む)、ディペンデント・コントラクター、ダブルジョブホルダー等新たな働き方の増加により、既存の制度や法律の保護から漏れる者が生じている現状から、これに対する保護措置の検討が必要である。

こういう目配りもきちんとされています。

>なお、立場(バーゲニング・ポジション)の弱い労働者は苦情や相談を訴えることには困難を伴うところであり、企業内外で苦情・相談を受け付け、適切に処理する仕組みが整備されることが望まれる。

>働く人の安心を確保するための施策の的確な実施、更なる推進を図る上で、定員や予算の制約、地方公共団体における労働行政の機能低下等が課題となっている。

>未組織労働者や非正規労働者、失業者等を含む生活者の意見を幅広く吸い上げる取組が今後とも求められる。

こういう提起をするというところに、内閣府という組織の存在意義があるんだろうと思います。

>就職困難者に対する一人別の支援、雇用以外の新たな働き方への対応、働く場の創出、労働関係法令遵守、キャリア教育、ワークライフバランスなど、府省庁間の連携や内閣府の総合調整機能の強化が必要な課題が増加している。

正しい方向に進んでいくのである限り、「内閣府の総合調整機能の強化」は望ましいことであって、別に厚労省がケツの穴の狭いことをいう必要はないでしょう。

このあとの方に、「労働関係法令遵守、働くことに関する教育の充実等」として、こういうことが述べられています。心の底から賛成です。

>労働関係法令遵守は経営課題としても最重要な課題であり、労働行政のみならず産業振興行政・中小企業行政においても企業の健全な存続・発展を図る上で避けて通ることのできない課題である。また、我が国における労働関係法令遵守水準の低さは、学校教育段階で働くことの権利と義務を含めて的確な教育が行われていないことも大きな原因としてあげることができるところであり、これは若年者の職業意識の形成が十分に行われていないことにもつながっている。
このため、内閣府、厚生労働省、経済産業省、文部科学省等関係府省庁の連携の下に、学校教育段階から社会人に出てからの教育を含め、労働関係法令遵守や働くことに関する教育の充実等のための取組を進めることが必要である。
特に、企業経営者への労働関係法令の周知徹底を図ることは緊急性を要する。都道府県の段階においても、これら各行政に係る官民の関係機関の緊密な連携の下に継続的な取組が進むような方策を検討する必要がある。

これもまた大変重要です。

>就職困難者一人一人に対する一人別のサポート体制や地域における相談機能の強化については、通常の行政手段(受け身の姿勢の行政や、働く人の自助努力に大きく委ねる方法)に比し格段に人の手間と予算が必要となるところである。このため、こうした取組を推進するためには、職員の専門性の向上や官民の連携強化を図りつつ、地域の労働行政に対する支援を含め、予算や定員を確保するための特別措置を講ずることが適当である。

カネやヒトが要るのですよ。もちろんムダはなくさなければなりません。しかし、そればっかり喚くことが「生活者」の立場ではないのです。

生活者本位の消費者主権?

天漢日乗さんのブログに、北見赤十字病院内科医大量退職問題についての地元掲示板への書き込みが載っていまして、

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/01/post_1377.html

いやはや、生活者本位の消費者主権というものを、こういう風にはき違え極めるとここまで行くんだなというのがよおく判ります。

>職場放棄するようなクズ医者しか供給してこない大学が悪い。人格高潔な使命感あふれる良医をきちんと供給する義務を放棄した大学に全責任がある。今回、話題に上がっているクズ医者を北見市民は決して許さない。お前らは末代まで恨まれる。お前らに対する憎悪の念は筆舌に尽くしがたい。
 新しい医者はまもなく来るだろう。だが、油断は禁物だ。新しい医者がどんなクズかわからないからだ。我々は新しい医者を徹底的に監視し、真贋を見極めるつもりだ。仮に、我々の要望に応えられないクズ医者だったら、我々なりの対策をとるつもりだ。お気楽な気持ちで北見に来られては迷惑だ。
北見で働くに値する医者には北見の医療を支える犠牲的精神が必要不可欠だ。北見市民に対する尊敬の念を持たない尊大な医者も迷惑だ。北見市民は患者様であり、医者は単なる奉仕者であるという基本的な理解が求められる。

>北見で働かして欲しいなら、きちんと地元の人に挨拶して己の分限を弁えて欲しい。自分が仕事をもらう立場であり、雇用主は地元住民であることを理解できることが必要。北見の人々に生かされていること、自分が余所者であり、新参者であることが理解できること。つまり、地元の人々の意向が最優先されること、余所者のくせに自己主張をしないこと。このような最低限度のモラルが求められる。いままでの医者はこの程度すら出来なかった。

>北見日赤病院のひどさは本当に市民でないとわからない。私はいったん今いる医者を全員首にして、改めて新たに私たち市民の目線で雇った医者で新北見日赤病院を立ち上げるべきだと考えています。今残っている医者を一刻も早く首にすればむしろしがらみのない施設として医者も雇いやすくなる。会社と同じです

>北見在住の市民です。医師の顔色ばかりをうかがう行政側の対応に呆れ果てています。平均年収の3倍を貰っておきながらまだ給料アップを要求したり、どの業種でもサービス残業当たり前のご時勢に自分の休みばかり主張する医者連中の幼児性にはうんざりです。医者は世間知らずとは思っていましたがここまでとは思いませんでした。あえて言いますが、幼児の甘えに対しては毅然とした対応が必要だと思います。一つ我儘を聞き入れたら必ず次の要求が出てきます。一度医者も叱り飛ばして世間の厳しさを教育してあげたほうが彼らの為でもあると思います。

こういう「市民」さまが、労働市場の消費者主権を振り回すことを正義だなんだと褒めそやしてきたわけですよ、リベラルサヨクな皆様は・・・。

医者はexitという選択肢が容易に取り得る数少ない職業の一つなんですが。

2008年1月29日 (火)

労働者派遣システムを再考する

『賃金事情』という雑誌の巻頭エッセイ「パースペクティブ」という欄に、「日本の雇用システム」というテーマで連載することになりました。労務屋さんこと荻野勝彦さんの後釜ということになります。

とりあえず第1回は今話題の労働者派遣問題を取り上げてみました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chinjihaken.html

(追記)

労務屋さんのトラバをいただいてからというのも何ですが、本号はまだ一般に刊行されておりませんので、リンク先はしばらく削除いたします。

労働立法プロセスと三者構成原則

日本労働研究雑誌の2008年特別号に、2007年労働政策研究会議報告の論文が載っておりまして、私の標題論文も掲載されております。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/special/index.htm

内容はこれです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jilzoukan.html

日本における三者構成原則の展開 、EUにおける労使立法システムの展開 、先進社会共通の課題としての「労働法の再編」 、労働法の再編と三者構成原則の未来 、と、広範な範囲を簡潔にまとめていますので、いささか意を尽くせていないところもありますが、まあお読みいただければ、と。

2008年1月28日 (月)

EUの時間外労働

『電機連合NAVI』の1/2月合併号に掲載された「EUの時間外労働」をアップしておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/euovertime.html

マクドナルド店長は管理監督者ではない

日経に早速出ています。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080128AT1G2800O28012008.html

>日本マクドナルドが店長を管理職として扱い、残業代を支払わないのは違法だとして、埼玉県内の店長、高野広志さん(46)が未払い残業代など計約1350万円の支払いを求めた訴訟の判決で、東京地裁(斎藤巌裁判官)は28日、「店長の職務内容から管理職とはいえない」と述べ、同社に約755万円の支払いを命じた。

 マクドナルドには約1680人の店長がいるほか、他の外食チェーン店でも店長を管理職としている企業は多い。労働基準法で定めた労働時間や残業代などの規制適用外となる管理監督者の認定を厳格にとらえた判決は、こうした企業に影響を与えそうだ。

 訴訟では、店長の高野さんが管理職として経営者と一体的な立場にあり、出退勤の自由や賃金などで一般労働者に比べて優遇されているか否かが争点になった。 (10:43)

細かい判示などは判決がどこかに公開されてから見ていきたいと思いますが、とにかく労働基準法の「管理監督者」の解釈は、世間で謂う「管理職」よりも遥かに狭いものだという認識がこれで少しは世間に広まることになるでしょうか。

(追記)

水口さんの「夜明け前」ブログに、この判決文がPDFで載っています。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/01/post_aa0f.html

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/files/mcdonald.pdf

スキャンしたものなのでコピペできませんが、興味のある方はリンク先へどうぞ。

野村正實先生の自叙伝的書評

野村正實先生のHPに、超特大級の書評、400字詰めで100枚という長大な書評が掲載されました。書評されているのは天野郁夫さんの「学歴主義の社会史」ですが、この書評の読みどころは何よりも、天野著書で描かれた丹波篠山との対比として、遠州横須賀の少年時代を描いた自叙伝的部分にあります。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/Amano%20Credentialism.pdf

>遠州横須賀において、1960年代前半に、「学力社会」が成立していた。しかし、学歴主義は制度化されていなかった。学歴主義が制度化されているならば、人々は、高い学歴が高い社会的地位をもたらすものと認識し、できるだけ高い学歴を取得しようとするはずである。 私は沼津高専と掛川西高の両方に合格した。掛川西高はいわゆる進学校であり、大学にリンクしている。沼津高専は五年制の教育機関であり、修業年限としては高校をへて短期大学を卒業した場合と同じになる。四年制大学と比べて明らかに不利である。また、高専は新設されたばかりの学校であり、伝統ある大学とは比較にならない。つまり、学歴主義が制度化されていたならば、私は掛川西高に進学し、「いい大学」に入学したいと思ったであろう。また、学歴主義が制度化されていたならば、教師は私に、掛川西高への進学を勧めたであろう。とにもかくにもトップの成績であったのだから、教師が私に、掛川西高に行って勉強すれば「いい大学」に進学できるぞ、がんばれ、と言ってもいいはずである。しかし、現実には、教師、親、友人のだれ一人として私に掛川西高への進学を勧めなかった。そして私自身も、沼津高専に行くことを当然だと思っていた。

>私が学歴主義的な発想にはじめて触れたのは、沼津高専1年生の時である。数学の教師が、授業中に、「私があなたがたに大学受験を指導すれば、あなたがた全員を東大に合格させることができるのですがね」と発言した。高い学力を持った生徒がこんな高専などという学校にいるのはじつに残念である、というニュアンスが露骨に出ていた。私はこの発言に強い違和感を持ち、その後もずっと記憶することになった。大学に行く気がないから高専生になったのに、なぜ大学進学のことを話題にするのだろう、と思ったのである。高専を中退した後で、私はこの数学教師の発言を思いだして、彼がああいう発言をしたのは、彼にとってはごく自然な発想であった、と思うようになった。彼は沼津高専に来るまでは、静岡県で1、2を争う進学高校の教師であった。彼にとって、学歴社会の存在は自明のことであった。彼の目から見て、高専生は、本来ならば学歴社会において高い地位を獲得できるはずの学力を持っていながら、そうした学歴社会からはみ出てしまったかわいそうな存在と見えたのであろう。

>学歴主義の観点からみれば、高専はじつに中途半端な学校であり、高い学力を持った生徒がいくべき学校ではない。高い学力を持った生徒が高専に入学したことは、沼津高専の数学教師が明言したように、道を誤っている。しかし、学歴主義が未成立で、「手に職」意識が強い田舎町においては、高専という中途半端な学校こそが、すばらしい学校に見えた。工業高校よりも立派な「手に職」が身につき、しかも4年制大学卒と同じ待遇というのであるから、「手に職」派にとっては、それこそ最高の学校であった。私の沼津高専合格は、私と私の周囲みんなをとても幸せな気分にしたのである。

>私が高専を中退した年は、当然、中学校時代の同級生が大学に合格した年でもある。遠州横須賀としては異例のことに、東京大学法学部や京都大学工学部への合格者が出た。このことは大学とは縁の薄い田舎町でも大きな話題になった。そして、東大法学部に受かった同級生は、その昔、私と同じく横須賀小学校6年4組の生徒であった。まだ私のことを頭のいい子だと記憶している大人たちも多く、このことと考え合わせて、かつての6年4組の紛争は次のように解釈されるようになった。「6年4組ん衆はものすごく頭がよかっただもんで、あんなことをやっただよ。頭がよくなきゃ、あんな大変なことなんかできゃあせんだに」。(revisionism!)

原文はもっと細部にわたって遠州横須賀における人々の意識構造を描き出しています。そして、

>以上のような私の個人的体験から、私は、1960年代前半において遠州横須賀には学歴主義が未成立であったことを確信している。そして、1960年代前半における学歴主義の未成立は、遠州横須賀に限られたことではなく、広く全国的に見られる、と思っている。そのことを裏づける文献も存在する、と考えている。

>この書評において私が主張しようとしたことは、次の点に尽きる。丹波篠山は産業化の波に乗り遅れた小さな田舎町であるにもかかわらず、「昭和初期」という早期に学歴主義が成立した。本書の著者たちは、この事実を、学歴主義の波が、丹波篠山のような田舎町にもようやく押し寄せた、と理解した。しかし、その理解は誤っている。丹波篠山のような郡部の田舎町に、早期に学歴主義が成立した、と理解し、その上で、なぜ丹波篠山に早期に学歴主義が成立したのか、問うべきであった。

>工業学校が典型的に示しているように、高等教育とリンクしていない中等学校は、「地位表示的」、「地位形成的」という二分法では説明されえない。私自身の経験からいっても、そうした学校は、「地位」と関係しているのではなく、「手に職」をつけることを主たる目的としている。「手に職」という考えは、生活を成り立たせることを最優先の課題としている。生活がなり立てばよいのであるから、会社に長期勤続することも、会社を頻繁に変わることも、さらには自営でも、かまわない。何らかの形でつねに社会的に需要される技能を身につけ、生活を成立させる。これが「手に職」の思想である。「地位」の形成や表示ではない。

>戦前の実業学校は、少なくとも研究の進んでいる工業学校を見る限り、「手に職」思想のための学校であった。義務教育以上の学歴を求めたといっても、中学校→高等教育という学歴主義とは明確に異なるものであった。戦後の学制改革にともなって、「手に職」派は、工業高校などの職業高校に進学するようになった。高校への進学率が高まるにつれて、高校進学の動機は、学歴主義志向、「手に職」派、そして、とりあえずは高校へ進学させておこうという「とりあえず」派となった。「とりあえず」派は職業高校にも進学したが、ある時期までは「手に職」派が職業高校の主力であった。私が中学生時代の1960年代前半は、私の身の回りでも、「手に職」派が工業高校、商業高校、農業高校に進学した。「手に職」派が職業高校の主力となっていた限りでは、職業高校は地域社会において高く評価されていた。 しかし次第に、職業高校の主力が「手に職」派ではなくなってきた。その時期は、1960年代後半から70年代前半である。次のような証言が、そのことを物語っている。

>私の中学校時代は1960年代前半であった。「手に職」派が職業高校に進学するほぼ最後の世代であった。思い返せば、「手に職」派が職業高校に進学しなくなるであろう兆候は、すでに存在していた。遠州横須賀でも、「学力社会」が成立していた。「学力の高い」生徒は、他になんの取り柄がなくても、きわめて高い人物評価評価を得ることができた。「学力社会」は、やがて、高等教育と接続するであろう。私は「手に職」派であった。だから大学進学は考えなかった。しかし、私は工業高校を受験しなかった。成績の上位者は進学高校を受験するという大須賀中学校の慣例にしたがったとはいえ、私の心のどこかに、工業高校では物足りないという気持ちもあった。 1962年に設立された5年制の工業高等専門学校(高専)は、いずれの高専においても、設立当初数年間は競争倍率が10倍を超えていた。このことは、「手に職」派が大学に進学する直前の時期であったがゆえに、引き起こされたのではないか。工業高校よりも上であり、しかも大学ではない高等教育機関は、私のような、試験成績がよく、かつ大学に進学を考えなかった最後の「手に職」派にとって、いわば理想的ともいえる学校であった。きわめて皮肉なことである。高専は、なんの理念も理想もなく、ご都合主義的に設立された。その高専が、私のような「手に職」派にとって理想的な学校に見えたからである。もし高専などという学校が設立されなかったならば、初期の高専生の大半は進学高校に進学したであろう。そして大学に進学する「手に職」派の最初の世代となったであろう。

最後のパラグラフは、野村先生の思いがよく示されています。

>この書評の冒頭において、私が個人的経験をくわしく述べるのは、本書の執筆者たちが個人の聞き書きを積極的に利用しているので、私の体験もまたなにがしかの価値を持っていると考えたからである、と書いておいた。じつをいえば、私が自分の体験をくわしく書いておこうと思った理由は、それだけではない。繰り返し述べているように、私は、大学に進学しない「手に職」派の最後の世代であった。教育社会学による学歴主義研究は、不当にも、大学に進学しない「手に職」派に関心を払わなかった。私のような「手に職」派は、郡部にも、地方都市にも、そして大都市であっても下町に存在していた。私は、こうした「手に職」派の存在した事実を広く知らしめる義務があるように思った。さらに、初期高専生の気持を書き留めておくことも、歴史の証言ではないかと思った。 ずいぶんと長い書評になってしまった。私は、教育社会学が「手に職」派を学歴主義研究のなかに正当に位置づけることを強く望んでいる。

本田由紀先生のいう「教育の職業的レリバンス」がいつの時代にどのように失われていったかを、細かい襞に分け入るように描き出した素晴らしい(書評という形をとった)文章だと思います。ちなみに、この中で、

>丹波篠山にかんするプロジェクト・メンバーは、天野郁夫を代表者として、吉田文、志水宏吉、広田照幸、濱名篤、越智康詞、園田英弘、森重雄、沖津由紀であった。これだけのすぐれたメンバーを集めながら、なぜ理解を誤ってしまったのであろうか。

というのがいささか皮肉になっています。

今後の労働時間規制の在り方

先週金曜日の講演メモです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jeckouen.html

中味はこれまでブログ上で各雑誌等で述べたきたことですが、はじめの方で現行労働時間法制についてちょっと違った観点から解説しているところがいささか面白いかも知れません。

特に、管理監督者に関するところは、意外にきちんとした議論がされていないのではないかという印象を持っています。これは、管理職は組合に入れないという扱いと相俟って、組合組織率の低下の一つの原因となっているという側面も重要です。

>(5) 管理監督者  

 さて、こういう奇妙な労働時間規制についても、もともと適用除外の規定はありました。そのうち、今回のホワイトカラー・エグゼンプションと大変関係が深いのが、第41条第2号に規定される「管理監督者」です。厚生労働省労働基準局のコンメンタールによれば、「これらの者は事業経営の管理者的立場にある者又はこれと一体をなす者」で、「一般的には、部長、工場長等労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者」(労働基準法の解釈通達)だとされています。
 え?ホント?と思った方、いい勘をしています。そう、この「管理監督者」は世間で言う「管理職」とは違う概念なのです。ところが、マスコミはこれを管理職とごっちゃにして報道してしまうのですね。もっとも、後に述べるようにそれには理由があるのですが、まずはこの「管理監督者」というものがいかなるものであり、いかなるものでないのかを、通達の文言を引きながら詳しく見ておきましょう。
 まず「企業が人事管理上あるいは営業政策上の必要等から任命する職制上の役付者であれば全てが管理監督者として例外的取扱いが認められるわけでは」ありません。「一般に、企業においては、職務の内容と権限等に応じた地位(職位)と、経験、能力等に基づく格付(資格)とによって人事管理が行われている場合があるが、管理監督者の範囲を決めるに当たっては、かかる資格及び職位の名称にとらわれることなく、職務内容、責任と権限、勤務態様に着目する必要が」あります。「管理監督者であるかの判定に当たっては、上記のほか、賃金等の待遇面についても無視し得ない」とはいうものの、「一般労働者に比べ優遇措置が講じられているからといって、実態のない役付者が管理監督者に含まれるものでは」ありません。
 これが大原則なのですが、とはいえ一方で「法制定当時には、あまり見られなかったいわゆるスタッフ職が、本社の企画、調査等の部門に多く配置されており、これらスタッフの企業内における処遇の程度によっては、管理監督者と同様に取扱い、法の規制外においても、これらの者の地位からして特に労働者の保護に欠ける恐れがないと考えられ」るので、一定範囲の者については管理監督者に含めて考えてもよいという基準も示しています。
 厳密に考えれば、これは労働基準法の文言に反します。彼らスタッフ職の人々は、部下を管理しているわけでもなければ監督しているわけでもありません。どう考えても管理監督者ではあり得ない人々を管理監督者に含めてもかまわないとしているのは、それが企業の人事管理の実態に即しているからだというほかに説明のしようがありません。日本の企業では特に高度成長期以来、従業員を職務遂行能力によって序列化した職能資格制度を設け、これに基づいて人事管理を行うことが一般化しました。この制度においては、高い職能資格に対応する管理監督的職務と同じく高い職能資格に対応するスタッフ的職務とで、同じような賃金等の処遇が行われます。この場合に、管理監督者になった高給労働者には労働基準法に基づいて時間外手当を払わないが、管理監督者になっていないスタッフ的職務の高給労働者には時間外手当を払わなければならないということになると、かえって労働者間の公平感を損なうことになります。
 その意味で、このスタッフ職を管理監督者として認めるという解釈は、時間外手当の支給基準という観点から見れば、まことに妥当な結論であるわけです。同期入社の従業員の間で、同じ職能資格で同じくらいの給料を貰っていながら、一方には時間外手当が付いて、一方には時間外手当が付かないというのは、いかにもまずいだろう、というのは、この本をお読みのサラリーマンの方々にとってはよく理解できるところだろうと思います。
 ところが、ここで適用除外されているのは会社の人事管理上もっともな時間外手当の支給についてだけではありません。労働時間規制そのものも一緒に適用除外されてしまっているのです。労働基準法の精神からすればどう考えても正当化しがたいにもかかわらず、それがなんの問題もなく今まで受け取られてきたのはなぜでしょうか。一つには、管理職レベルの高給を貰っているスタッフ職が実際にはかなりヒマであって、労働時間規制を必要とするような状況におかれることがなかったからというのがいかにもありそうです。職能資格制度が実際には年功的な運用をされていることが多かった時期には、特にそういう傾向があったのでしょう。
 ところが、1990年代以来、企業の人事管理は大きな変化を被ってきました。その中で、組織のスリム化を目指し、管理職レベルに昇進する従業員を絞り込んでいくという傾向が見られます。これまでであれば管理職クラスのスタッフ職として処遇するという形で対応していた人々が、必ずしもそうではなく、管理職の一歩手前にとどまってしまうという事態が進んできているようです。この人々に対しては、もはや先ほどの解釈通達に基づいて管理監督者に含めて取り扱うというわけにはいきません。時間外手当を払わなければなりません。さもないと、サービス残業ということになってしまいます。ホワイトカラー・エグゼンプションの議論が1990年代から急速に盛り上がっていった背景にあるのは、実のところこうした企業の人事管理の変化なのではなかろうかと、私は考えています。

2008年1月25日 (金)

分煙要求で解雇

これは興味深い事例です。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/72372.html

>職場の分煙対策を要望したことで不当に解雇されたとして、砂川市の男性(34)が二十四日、勤務していた建設資材製造会社「道央建鉄」(滝川)を相手取り、解雇の無効確認と給与の支払いを求める訴えを札幌地裁岩見沢支部に起こした。NPO法人日本禁煙学会(東京)によると、職場での受動喫煙をめぐり非喫煙者側が解雇されるのは極めて珍しく、こうした解雇処分の違法性を問う訴訟は、受動喫煙防止を盛り込んだ健康増進法の施行(二○○三年)後、全国で初めて。

 訴状によると、男性は○七年一月、道央建鉄に入社。当時、勤務していた同社の事務所では、従業員の半数以上が自席で喫煙していた。男性は入社直後から頭痛や吐き気、不整脈などの症状に悩まされ、同五月には「急性受動喫煙症」と診断された。

 男性は診断結果を上司に提出し、分煙対策を要望したが、会社側は「喫煙しないとうちの社員は仕事にならない」「たばこが苦手なら他の仕事を探した方がいい」などとして応じなかった。

 男性の相談を受けた滝川労基署は同八月、同社の実態を調査し、同社は受動喫煙に関して改善を指導されたという。その直後、会社側は男性に退職か配置転換を受け入れるよう命じ、男性がどちらも拒否すると、「やむを得ない理由がある」として解雇された。

 男性の代理人の黒木俊郎弁護士(札幌)は「解雇の実質的な理由は労基署への相談であり、解雇は労働基準法違反」とし、男性は「上司から『たばこを我慢できないのはおまえが悪い』などと煙たがられ、納得できなかった。泣き寝入りせずに戦いたい」と話す。

 一方、道央建鉄の西田洋一社長は「私を含め社員の大半が喫煙者で、完全な分煙対策には費用もかかる。社会の流れに逆らっているのは承知しているが、男性と会社の双方のために解雇した」としている。

煙草を吸ってる側が、吸わない側を「煙たがる」とはこれいかに、なんて冗談を言いたいわけではなくって、ゴホンゴホン、すいません。

労基署への相談が理由だとすると簡単な話になっちゃいますが、非喫煙者が分煙を要求したことを理由とする解雇という観点からはたいへん興味深い事案です。労働者の大半が喫煙者であるような中小企業で、その喫煙労働者の権利をどう考えるかという観点も忘れてはいけないですし。

山口二郎氏の反省

『情況』という新左翼っぽい雑誌があります。1/2月合併号が「特集:新自由主義」ということで、ハーヴェイの本の書評特集をしていたので買ったんですが、はじめの方に金子勝氏とか山口二郎氏のインタビューが載っていて、特に後者はかなり率直な「反省の弁」という感じになっていたので、紹介しておきます。

>90年代に改革を論じた多くの人が、「市場化を進めていったとき、市民化の足場が掘り崩される」ということを、あまり判っていなかった。今でこそワーキングプアとか格差とかいわれているけれど、当時の改革論議では、規制緩和を徹底したときに何が起こるかという心配をしている人なんて、ほとんどいなかった。その理由としては、「生活者の政治」という構えでものを考えるときに、実は「生活する一番の土台のところを崩される」ということについての警戒というか、予見というのが、できていなかったのだと思います。「生活者を基盤とした政治」とか、今でも簡単に言う人がいますけど、そんなに単純に主張できる者ではなかったということです。

>さっきも言いましたが、生産拠点と生活拠点とを対立させて捉えるというのはやはり間違っている。私たちはみんな労働力を売って、生活の糧を得ているわけですよね。ところが労働市場というのは、私たちが供給者であって、企業が主権者なわけですよ。消費者主権が労働市場においても徹底されるとどういうことになるかというと、雇う側が労働者に好き放題無理難題をふっかけてきて、賃金のダンピングはするわセクハラはするわ、という話になってくるわけですよね。ですから市場化のベクトルあるいは消費者主権という原理で社会のシステムを再編していくというのは、私たち自身にとっても不利益が生ずる側面もあるわけです。結局、消費者主権の論理みたいなものを、脳天気に言いすぎた。消費者主権というものは一つの原理ですから、それが原理主義的に徹底されていくと、私たち自身が労働を売るときにね、同じ原理が適用されてブーメランのように跳ね返ってきているわけです。

>私たちはある意味で生産に参加することで生きているわけですから、その部分では、過当競争を防ぐための生産者カルテル、みたいな発想も必要になってくるわけですよね。ですから、労働組合の役割というものが、市民・生活者の論理と対峙する、という考え方は間違っていると思いますよ。生産と消費がトータルにあって人間生活がなりたつわけですから、その点で90年代の「生活者起点の政治」という議論はとても偏っていたというか、結果的に市場化の方にすくい取られていってしまった、という後悔がありますね。

 今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。

まあ、でも90年代のそういう風潮に乗せられて、いまだに生産の場に根ざした連帯を敵視し、それこそが進歩だと信じ込んで、地獄への道をグッドウィルで敷き詰めようとする人々が絶えないんですからね。

2008年1月24日 (木)

占領がなくても戦後改革はおこなわれた!

S1048 岩波新書の新刊です。雨宮昭一氏の『占領と改革』。シリーズ日本近現代史の一冊ですが。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/

岩波HPの新刊案内が見事に紹介していますので、それを引用しますね。

>これまで戦後改革を語る時、新憲法制定、財閥解体、農地改革、女性参政権、教育の民主化など一連の戦後改革は連合国総司令部(GHQ)の占領政策によるものといわれてきました。私自身も教科書などでそのように習いましたし、疑いもなくそう思っていました。しかし、雨宮先生は、GHQの占領政策は戦後改革を促進はしたが、その原点は戦時中の総力戦体制の時代に培われていたといわれるのです。本当でしょうか。

 日本近現代史研究をふりかえってみると、研究状況はそのような流れになってきているようです。早くも1960年代には大正デモクラシーを戦後改革の先駆とみる見方が出はじめ、日本人自らによる改革の底流があったことを示しました。さらに80年代後半に入ると、敗戦前の総力戦体制の時代の政治や社会の中にこそ戦後改革への道が準備されていたことを主張する研究が登場してきました。雨宮先生の主著『戦時戦後体制論』(1997)は、その成果の一つといわれています。このような考え方はまだ一般にはあまり浸透していませんが、研究レヴェルでは一つのパラダイム転換をおこしたものといわれているようです。

 本書はそのような斬新な視角から、占領と改革の時代にかんする最新の研究成果をふまえて、戦後改革がどのようにおこなわれたのか、その実態を描きだしています。戦後とは何だったのかを考えなおすには格好の一冊

私が最近労働分野であれこれ書いていることも、そういう意味ではこの「一つのパラダイム転換」の一環ということになるんでしょうね。

ただ、労働問題の研究者の端くれとして一言だけいっておきたいのは、日本史学とか思想史学という枠組みの中では、ようやく「80年代後半に入ると、敗戦前の総力戦体制の時代の政治や社会の中にこそ戦後改革への道が準備されていたことを主張する研究が登場してき」たのかも知れませんが、労働研究の世界では既に60年代からそういう認識は提起されていたということです。

世間で総力戦体制論が流行っているようだから労働分野でもしてみんとてするなり、て話ではなく、むしろ労働研究の世界でこそ他に先んじて「GHQの占領政策は戦後改革を促進はしたが、その原点は戦時中の総力戦体制の時代に培われていた」という認識が存在していたんですよ。ということを言いたかっただけなんですが。

著者からのメッセージは次の通りです。

>第二次世界大戦後の日本における占領と改革の時代は、60年も前のことではあるが、それをどう評価するかは、いまきわめて切実な問題である。憲法の改正問題、年功序列と長期雇用などの日本的経営から正社員とフリーターに二分化する労働のあり方への転換、政治における一党優位体制から連立政権体制への転換等々、いま問われている問題の前提が占領と改革の時代にあり、現在の転換の方向を考えるときの不可欠な材料になりうるからである。

 第二次世界大戦の敗戦と占領と改革の時代について、これまでの研究では、占領と改革に肯定的であれ否定的であれ、被占領国の下層の人々までが支持する成功した占領として語られているといってよいだろう。それは、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』という書名に端的に象徴されている。

 肯定的な論者は、戦後改革の内容と方向を基本的に支持しつつ、その不徹底を指摘し、徹底化を主張する。否定的な論者は、占領改革が本当は有条件降伏であったにもかかわらず、徹底的な検閲と強制によって改革がおこなわれたこと、その改革を元に戻してはじめて、戦後が終わると主張する。否定的な方も、無条件降伏による改革が成功したことを前提にしている点で、肯定する側と共通性をもっている。本書では、占領と改革の時代についてそのような語り方で本当によいのかを改めて考えてみようと思う。

エコなだけではソーシャルじゃない

新聞各紙とも結構大きく報道しているとおり、EUの欧州委員会が温室効果ガス削減に向けた数値目標を提案したようです。

http://www.asahi.com/international/update/0123/TKY200801230343.html

>欧州連合(EU)の行政機関の欧州委員会は23日、温室効果ガスを2020年までに90年比で20%減らす目標達成のため、二酸化炭素(CO2)排出量取引の強化とともに、取引対象外の分野についても温室効果ガス削減の国別数値目標を加盟各国と欧州議会に提案した。05年に比べ平均10%減らす。北海道洞爺湖サミットを控え、数値目標設定に消極的な日本や米国に圧力をかけ、世界の環境政策で主導権を確かにする狙いがある。

 EUは電力や鉄鋼などの産業分野でCO2排出量取引を行っているが、今回の国別数値目標は運輸やサービス、農業など排出量取引制度に加わらない分野が対象。域内排出量の約6割を占める。1人当たりの国内総生産(GDP)などを基準に、20年までに05年比でどれだけ減らすかを加盟27カ国ごとに算出した。

 所得が高いルクセンブルクやデンマークが20%、英国が16%、フランスとドイツがそれぞれ14%の削減を義務づけられる。一方、所得が低いブルガリアは20%の増加を認める。EU平均では10%削減を達成する。

 正式決定には、加盟27カ国による閣僚理事会と欧州議会の承認が必要。欧州委は年内の承認に向け加盟国と調整する。

ほうほう、エコじゃのお、クリーンじゃのお、大変結構なことじゃのお。ところで、なんで労働法政策のブログで取り上げるんじゃの?

それは欧州労連が即日声明を発表したからです。そりゃ大賛成だといっとるんじゃろうて?いやいや、とんでもない。本音は反対です。

http://www.etuc.org/a/4504

ええと、現時点ではまだ英語版は載ってなくて仏語版だけですが、おって英語版もアップされる予定です。

>la Commission fait des propositions importantes mais nous avons aussi besoin de garantir l’emploi en Europe dans un contexte mondialisé.

つまり、環境も大事かも知れないが、俺たちの仕事も大事だぞ、ちゃんと雇用を保障しろよ。

ったく、労働組合というのはエコじゃない保守オヤジの塊りだなあ、と思ったあなた。それはそもそもそういうものです。

>La Confédération européenne des syndicats (CES) considère que ce paquet est un pas significatif, cependant, elle insiste sur le fait que les questions sociales et les questions liées à l’emploi doivent être prises en compte notamment dans un contexte mondialisé. L’importance des enjeux économiques et sociaux et la communautarisation croissante de la politique climatique de l‘Union impliquent l’ouverture d’une véritable négociation sociale sur les futurs plans « climat » de l’Europe.

エコなだけではソーシャルじゃない。クリーンなだけでは喰っていけない。まあ、そういう話ですね。

2008年1月23日 (水)

モラルハザード異聞

大竹先生のブログ経由で、この間の大学入試センター試験の現代社会の問題を見ました。

http://nyushi.yomiuri.co.jp/nyushi/center/08/1/exam/540/27.htm

>下線部eは「モラルハザード」の論理を示しているが、その事例に関する記述として適当でないものを次の1~4のうちから一つ選べ。

>1失業保険の充実が、かえって失業者の経済的自立を鈍らせてしまい、失業給付の増大と労働意欲の減退とを招いてしまう。

>2医療保険の充実が、かえって人々の医療機関への過度な依存を招くことになり、自助に基づく疾病予防や健康管理がおろそかになってしまう。

>3金融システム不安から国民を守るための公的資金の投入によって、かえって金融機関は経営者責任が曖昧なまま、ずさんな融資を続けてしまう。

>4企業による合理化計画の推進が、かえって人員削減を招くことになり、失業者を増やしてしまう。

もちろん、「適当でない」のは4になるわけですが、この問題はちょっと問題ありじゃないの?と感じてしまいました。2の設例です。

1の失業保険の例はまさにもっとも典型的なモラルハザードです。私のジュリストでの解説文でもそういう説明を書いています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/juristkoyouhoken.html

ただ、失業保険というセーフ的ネットがそれ自体モラルハザードから逃れられないのは、ここにも書いたように、雇用保険制度における保険事故たる「失業」には、労働の意思と能力という主観的要件が含まれていることが大きく、給付を受けるために自らの意図によって「失業」するという事態を本質的に排除できないからです。

それに対して疾病保険制度における保険事故たる「疾病」の場合、もちろんまったくそういうこと(つまり疾病保険の給付を受ける目的でわざと病気にかかる)がないのかと言えばないわけではないでしょうが、「自助に基づく疾病予防や健康管理」でもって病気をコントロールできるものであるかのようにいうのはいささかいかがなものかと思わざるを得ません(病院に行く必要がない程度の軽い病気でも病院に行くことをモラルハザードと呼ぶならばそれはありえますが、それは保険給付の対象疾病をどう設定するかの問題でしょう)。公的疾病保険のないアメリカでは、みんなモラルハザードに悩まされることなく、「自助に基づく疾病予防や健康管理」でもって誰もが健康に過ごせているというのなら大変素晴らしいことではあるんでしょうけどね。

なんだか一定の政策方向をさりげなく押しつけようとしているように見えないこともないですね。

リベラルな人々のポピュリズム

きはむさんのところに、読みようによって色々と面白い読み方のできそうなエントリーがありました。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20080122

>私には今の日本社会はポピュリズム的な原理によって動かされている部分が大きいように思えるからだ。ポピュリズム的現象というものが、全体性を失いつつある社会において疑似的な連帯感を湧出させる契機にほかならないというのは、鵜飼健史の(オリジナルとは言い切れないとしても)卓見である*4。社会がポピュリズムによって動くということは、全体社会の代表でもない奴が、「何だかそれらしい」風情で現れ・振る舞うがゆえに、全体社会の代表みたいな顔をして世の中を動かせる地位を手に入れるということだが、そこでの「全体社会」=「私たちみんな」には必ず共通の敵がいて、それが今日では官僚だったりする。

>見方によっては、現状はぐんぐん直接制の統治に近づいて行こうとしているとも言える。国民代表に許すフリーハンドの範囲を狭めていくという意味で、だ。本来なら、ある国家の統治を担うということは、私たち一般庶民にはうかがい知れない様なシンボーエンリョなどに基づいて、あまり公にはできないことや法の枠を少うし跳び越えるようなことをすることもあって「然るべき」なのだが、国家権力をひたむきに民主化していくということは、そういった逸脱を許そうとしないことである。同じことを、ナシオン主権からプープル主権への転換が進んでいると表現してもよい。とにかく「私たち」日本民衆は、国家権力を思うさまにコントロールしたがっている。「私たち」の一体性や、その意思=「民意」の在りかなどが明らかならぬままに。何はともあれ、日本国家の舵取りを「私たち」の手に取り戻さなければいけないのだ、との漠とした昂ぶりとともに。

>さて、こういった国家観は社会契約説的なそれに由来するだろう。日本では中高生の社会科で何はともあれ一応は社会契約説を叩き込まれることになっているので、何だかんだ言っても皆、国家は私たち国民のためにあるものだと思い込んでいるんだな(社会契約説的なバージョンの道具的国家観)。そうすると、国家そのものが持っている自律性なり独立性なりといったものへの意識は希薄にならざるを得ない。「イデオロギーに囚われている」右翼や左翼には、良くも悪くも国家をそれ以上のものとして観念する想像力が保たれているんだけれども、「良心的な」リベラルさん達には国家固有の原理というものは案外見えにくかったりする。

>その一つというのは、国家が提供するような公共サービスというものを市場的契約関係によるサービス供給と同一地平で捉えるような態度が広く浸透したら世の中どうなるかということで、これも過去に書いたことに基づく*8。その内容について自らが同意したサービスを、自らが払ったコストに見合っただけの範囲で提供してもらう。コストを払っていないサービスは提供されないし、自らが享受することのないサービスのコストを払う必要は無い。こういった市場的な交換原理が全面化した社会では、いわゆる「社会的なもの」、つまり連帯原理は消滅する。と、そう書いた。しかし、それはロック的な意味での社会契約をとことん具現化したものなんだよ、とも書いた。すなわち、対等に尊重されるべき個々の人格の、自発的な「同意」こそが全ての基礎に据えられるべきである、とそういうことで、この原理に反対する人はリベラルじゃない。もちろん、リベラルさんだって、社会的なものには多少の気を払うのが普通だ(むしろ単に「リベラル」と呼ばれるようなタイプのリベラルさんはそれに専念しているように見えるぐらいだ)。でも、ちょっと普通じゃないぐらいにリベラルたろうとすると(つまりリバータリーアーンに変身するということだが)、強制的に社会的な連帯を担保しようとするよりも、個人の「同意」というものを徹頭徹尾尊重する方が優先されるべきだという考えに行き着く(はずだ)。

>肝心なのはここからで、そういうふうに個人の「同意」を何より尊重して、社会的なものを消滅させてでも公共サービスを市場的な水準での契約関係に還元しようとする立場というのは、プープル主権の徹底とも読み替え可能なんだな。つまり、ここでポピュリズムの進展と繋がるわけだ。プープル主権の徹底と言うのは、具体的な「人民」じゃない曖昧な「国民」とか、人民の「同意」によらない国家(国民代表)の差配(それこそ社会的連帯の強行的実現としての所得再分配などのような、ね)をできる限り排して、具体的な「民意」――理想的には直接的な契約締結の意思のような具体性を備えたそれ――に基づいて政治を動かしていくべきだと考える姿勢を指してのこと。もし、ここに解りやすい具体的な問題点を見出すとすれば、政治的無能力者の排除のことが挙げられる。つまり、具体的な「同意」が必要なら、その意思を示す能力を持たない者は、統治なり社会構成なりに関与しようがない。そして実際、社会的なるものが消滅した社会で第一の犠牲になるのはそういった類の人々なのである。恐ろしいことに、極めて具体的な水準で社会契約説――デモクラシーの理想を象徴するとされる神話――に従った社会構成を為そうとすると、常に必ずある一定範囲の人々の滅殺が確定する。全く、上手くいかないものだ。

これは、政治思想史とかいろいろな観点から論じるべき話題なんだと思いますが、とりあえずそういう「個人の同意を何より尊重」して「人民の同意によらない国家の差配」を否定しようとする「リベラル」な発想は、そういう個人の同意に基づかない国家の行為を求めるような連中を「衆愚」「ポピュリズム」と侮蔑の眼差しで見ているのでしょうが、実のところはそれゆえに彼ら自身が限りなくポピュリズムに陥っていくというパラドックスが生ずるというというところが、まさに理性の狡知の逆襲という感じではあります。

OECD対日勧告へ

日経BIZPLUSに、「OECD、日本に生産性向上・雇用改革を勧告へ」という記事が出ています。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/index.cfm?i=2008012205519b4

>経済協力開発機構(OECD)は21日開いた経済開発検討委員会(EDRC)で、日本経済の動向や構造改革について討議した。中期的な成長力を高める方策として、サービス産業の生産性向上や雇用制度の改革が必要との指摘が相次いだ。3月に公表する対日経済審査報告書で規制緩和や女性の就業促進を急ぐよう勧告に盛り込む。

「雇用制度の改革」という言葉と「規制緩和」という言葉だけを紙面からスキャンすると、例によって例の如き雇用規制を緩和せよと言う話かいな、と思われるかも知れませんが(そう読めるような紙面になっていますが)、OECDが雇用制度改革として求めているのは、

>雇用では女性の就業促進と出生率向上を両立させるための制度整備や、非正規労働者の技能訓練拡充が重要だとの指摘が出た。

ということであったようです。

日本政府の片隅になお残存するネオリベ派の生き残りよりも、かつて市場主義の巣窟として猛威を振るったOECDの方が遥かに事態を率直に見ているようでありますな。

2008年1月22日 (火)

所得格差がもたらす日本の教育格差

東洋経済TKプラスに、リチャード・カッツ氏の標題のようなエッセイが載っています。真っ正面の正論だと思いますので、以下引用します。

http://www.toyokeizai.net/online/tk/column9/?kiji_no=57

>戦後の日本で最も賞賛に値する成果の一つに、高い社会的流動性を持った能力主義国家の建設がある。貧困層や中間層の子供でも、能力と野心さえあれば社会的に上昇することができた。これは子供たちだけでなく、国家にも大きな恩恵をもたらした。誰もが等しく教育の機会を得ただけでなく、教育に投じられた資源が平等に配分された。その結果、両親の資産や社会的地位によって聡明な子供たちの可能性が制約されるということはなかった。

 だが日本は“機会が平等な国”の地位を失おうとしている。私は最近、経済産業省で働く50代の2人の友人と話をする機会があった。彼らはいずれも東京の郊外に生まれ、両親はごく普通の勤労者である。彼らは、自分たちの時代とは状況が変わってしまったと言っていた。多くの省庁で新規に採用された官僚の大半は、両親のいずれかが同じ省庁の官僚の子弟だというのだ。同じような変化がビジネス社会でも浸透しつつある、と彼らは言う。

 こうした変化を引き起こしている理由はたくさんあるが、その一つは教育機会の変化である。日本は教育に熱心な国であるにもかかわらず、公的な教育支出は驚くほど少ない。日本の公立学校と大学の学生1人当たりの支出は、OECD21カ国中12位である。OECD加盟国では、大学教育に対する公的資金の平均支出額は民間支出額のほぼ3倍に達している。だが日本では、その関係は逆になっている。私的な支出額は公的な支出額を43%も上回っている。

 公的資金の貧弱さと公立学校の教育の質の低下に対する懸念、能力に応じた教育を妨げている偽りの“平等主義”が、中産階級の親に大きな負担をかける結果となっている。子供たちに十分な教育の機会を与えたければ、私立学校に頼らざるをえず、予備校に通うためにおカネを使わなければならない。2005年の時点で高校生の30%が私立高校に通っている。子供の人生は親の資金力によって制約されているのである。

こうした事柄が悪循環を生み出している。子供を私立学校に通学させている納税者は、公立学校のために税金を使うことを嫌っている。その結果、公立学校の教育の質を維持することが難しくなっているのだ。文部科学省によれば、75年から97年まで高校生1人当たりに費やされた公的支出額は3倍に増えているが、それ以降は横ばいのままである。一方で授業料に学習塾などの費用を合わせた「学習費」は年々増加して、04年では私立高校の生徒1人当たりの金額は年間103万5000円。公立高校の同51万6000円と比べ2倍もの開きがある。

 その結果、生徒の学力の差が拡大しただけでなく、他の国と比べて平均的な生徒の成績も驚くほど低下してしまった。従来、日本の生徒は教育の達成度でつねに上位にランクされていたことからすれば、これは落胆すべきことである。

・・・つまり、日本の教育格差は他の国よりも拡大しているのだ。納見准教授によれば、拡大のスピードは他の国よりも速くなっているという。

 日本が依然として、世界で最も優れた教育を提供している国の一つであることに変わりはないが、最も優れた生徒の割合は減少してきている。子供の潜在能力は、親の所得と社会的な地位によってますます制約されるようになっている。こうした状況は、雇用者が必要とするスキルと、求職者が持っているスキルのミスマッチを引き起こす可能性がある。このような事態は日本の生活水準だけでなく、日本の民主主義の活力にとっても重要な意味を持ってくるはずだ。

まさに、教育訓練によって能力が広がっていく人間という存在を、そこらの動産か不動産と同じように扱おうとする粗野な市場主義が、結果としてどのような帰結をもたらすことになるのかということに対する想像力が問われるわけです。

こういう事態を深刻なことだと感じられるのか、それとも親のカネで得た地位を自分の能力で得たものであるかのように思いこんで「俺こそ成果主義の勝ち組だ!」と考えていられるかというところに、教育問題に限らぬ社会問題に対する感性の差が現れるのでしょうね。

日雇い派遣の指針

1月16日の労働力需給制度部会に提示された資料が厚労省HPにアップされました。

アップされたのはいいんですが、紙をそのままスキャンしただけのもので、コピペできません。残念。

何よりも話題になっている日雇い派遣の指針ですが、例の「巡回」については

http://www-bm.mhlw.go.jp/shingi/2008/01/dl/s0116-6a.pdf

>派遣元事業主は、派遣先を定期的に巡回すること等により、日雇い派遣労働者の就業の状況が労働者派遣契約の定めに反していないことの確認を行うとともに、日雇い派遣労働者の適正な派遣就業の確保のためにきめ細かな情報提供を行う等により派遣先との連絡調整を的確に行うこと。また、派遣元事業主は、日雇い派遣労働者からも就業の状況が労働者派遣契約の定めに反していなかったことを確認すること。

>派遣先は・・・一の労働者派遣契約について少なくとも一回以上の頻度で、定期的に日雇い派遣労働者の就業場所を巡回し、当該日雇い派遣労働者の就業の状況が労働者派遣契約に反していないことを確認すること。

といったことが求められているようです。巡回のほかに就業状況の報告や労働者派遣契約の内容の遵守の指導の徹底も書かれています。

また、労働者派遣契約の期間や雇用契約の期間について「可能な限り長く定める」とか「できるだけ長期にする」といったことが求められていますが、まあもちろん「できるだけ」という限りのことではあります。

あと、例の市場化テストの関係で職業安定法の一部改正をするということで、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/01/dl/s0116-6f.pdf

ハローワーク庁舎の中で職業紹介をする民間事業者に対しても、港湾運送業務と建設業務の紹介ができるようにするということですね。

障害者の就業実態調査

先週厚生労働省から、「身体障害者、知的障害者及び精神障害者就業実態調査の調査結果」が公表されました。

http://www-bm.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/dl/h0118-2a.pdf

新聞等でも報道されたので、概要は既にご承知と思いますが、

身体障害者は、就業率43.0%、非就業率53.7%、

知的障害者は、就業率52.6%、非就業率45.0%、

精神障害者は、就業率17.3%、非就業率80.7%、

この最後の精神障害者の数字は今回の調査で初めてはいってきたものです。

身体障害者の43.0%というのはやはり低すぎるというべきでしょう。特に、重度身体障害者が32.6%に対して、非重度身体障害者の53.7%というのは、もっと引き上げる余地はあるように思われます。

知的障害者の就業率が意外に高いと感じられた方もいると思いますが、知的障害者というのは、健常者がやれないような単純作業を長時間黙々と余計なことをやったり考えたりせずに行うことができるという面で、ちゃんとした管理体制を整えれば現場としても使いやすい面があるからだろうと思われます。

新聞報道でも注目された精神障害者ですが、これはやはりなかなか難しいところがあるのでしょう。特に、使用者から「何かあったときに誰が責任をとってくれるんだ」といわれたときに、そういうステレオタイプはごく一部に過ぎないと説得するのは相当な困難を伴うと思われます。上の17.3%という数字のかなりの部分は、採用後在職中に精神障害を生じた精神障害者であると思われますので、精神障害者であるという前提で採用された人はもっと少ないことになります。

精神障害者の雇用促進については、2004年に研究会報告が出ていますが、

http://www-bm.mhlw.go.jp/houdou/2004/05/h0525-2c.html

まず在職精神障害者について、

>復職支援に関係する外部機関やメンタルヘルス対策との連携のもとで、採用後精神障害者を中心とした在職中の精神障害者の雇用管理の負担感の解消のための施策にこれまで以上に重きをおく必要がある

としつつ、新規採用については、

>多くの企業が雇用管理の方法や仕事ができるかどうかについての不安を抱いている

ことから、

>このような精神障害者の雇用に際しての企業の不安を払拭し、あるいは、本人の円滑な職場適応を図る観点から、精神保健医療福祉施策やメンタルヘルス対策との連携を図り、必要に応じ本人および周囲への適切な支援を行いながら、実際の職場で訓練、ないしは試行的に雇用される機会をさらに増やしていく必要がある。

と述べています。

この報告を受けた2005年の法改正で、精神障害者についても雇用義務は課さないが雇用率には算定するという扱いにされたわけですが、その先はなかなか難しいというわけで、今国会に提出予定の障害者雇用促進法改正案でも、特に進展はないようです。

2008年1月21日 (月)

日本における新自由主義改革への合意調達

一昨年、後藤道夫氏の著書を紹介する形で、リベサヨがネオリベへの道を掃き清めたんだという話をしましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

41do0ix9rkl_ss500_ この後藤氏と極めて近い立場にいると思われるゴリゴリサヨクの渡辺治氏が、ハーヴェイの『新自由主義』の巻末付録で日本の新自由主義について論じていて、やはり後藤氏と同様、戦後リベラルサヨクとは距離を置いていた正統派マルクス主義者であるだけに、(自分たちについてはともかく)リベラルサヨクの弱点については極めて的確に指摘しています。304ページ以下のところですが、

>イギリス、アメリカの新自由主義的合意にとっても、ハーヴェイが強調するように、「自由」の理念が決定的な役割を果たしたが、日本の場合には、とりわけ反国家主義、反官僚主義、そして個人主義が、新自由主義への合意の調達、すなわち「常識」の形成のための主要なイデオロギーとなった。

>ハーヴェイは、1968年の運動が、学生運動の掲げる「自由」と伝統的左翼の掲げる「社会的公正」というアンビバレントな要求を併せ持っていたのに対し、新自由主義がそれを分断して、「自由」の要求を新自由主義への合意調達に吸い取ったと指摘したが、戦後日本では、左翼そのものの中に「自由」「民主主義」と公正・平等の要求が同居していた。それだけに、日本では、「自由」「民主主義」がより強く新自由主義の合意調達の梃子となったのである。

>この問題は、戦後日本では、マルクス主義と近代主義の親和性があったという、後藤道夫がつとに指摘した問題と密接に関連している。・・・・・・ハーヴェイは、ヨーロッパの新自由主義が、70年代に、ポスト・モダニズムを新自由主義的合意に取り込んだと指摘しているが、日本では、新自由主義は、モダ二ズムを取り込み、モダニズムに親和的な左翼の一部を新自由主義に動員したのである。そのスローガンこそ、反官僚主義、反パターナリズム、反国家主義であった。

>ちなみに、この点に関連して、日本での「リベラリズム」の独特の含意に触れておく必要がある。日本では、左翼のこうした反官僚主義は「リベラル」概念についての特殊な含意、アメリカの「リベラル」がもつ反資本主義・福祉国家的含意ではなく、むしろ国家的規制を拒否する新自由主義的含意を形成したのである。

>日本では、新自由主義への国民の同意調達は、反自民党政治、反開発主義となって現れた。

>こうして、政治改革が「日本の真の民主主義」「自民党一党独裁政権の打破」「二大政党体制による政権交代のある民主主義」というスローガンのもとに始められた。マスコミは全面的にこれに肩入れした。奇妙なことに、体制側の政治学者は、必ずしも一元的に政治改革賛成の論陣を張ったわけではなく、いくぶん懐疑的であった。・・・むしろ「左翼」的、「リベラル」な学者が、政治改革の論陣の先頭に立った。彼らが新自由主義運動に巻き込まれたのは、先に言った日本の知識人の反官僚主義と、「諸悪の根源は自民党一党政権」という誤った認識であった。こうして、戦争や革命というような政治危機の時でなければ実現できないような政治改革が強行され、日本の新自由主義が開始されたのである。

この歴史認識はおおむね正しいと思われます。

これをもう少しミクロスコピックにみると、例えば、共産党のオヤジの息子がウルトラ新自由主義に走るというような出来事という形で現れるのではないか、と。

http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20080109(kurakenyaの日記)

>「なんで、君はそんなに政府が嫌いなの?」と彼に聞かれた時には、自分でも少し考えてしまった。

小生の父は氷見市の共産党市議会議員を28年間務めた。
よって、共産党にでも入るのがお気楽人生にはよかったのだろう。
あるいは、今頃は、シイさんについで偉く(爆)なれたかもしれない。

しかし小生は大学以来、どうしても「非実力主義的な」共産主義に同感できなくなっていたし、おまけに東側は貧しく、自由もない。
なによりも、その思想においても、「科学」でもないくせに「科学」を名乗るpsudoscientificな態度が気に入らなかった。
そこで大学3年に、フリードマンの「選択の自由」に出会ったわけである。

なるほど。しかし、おそらく本人が考えているほど共産党市議のお父さんとあなたの間の知的距離は大きくない。

富山のような土地柄で共産党市議を28年間も務めるということは、あなたのお父さんは間違いなく、筋金入りの反官僚主義、反パターナリズム、反国家主義であったはずだ。あとは単にお題目を入れ替えるだけのこと。マルクス・レーニン主義もネオ・リベラリズムも、どっちも同じくらい「pseudoscientific」ですからね。

2008年1月18日 (金)

フランス式フレクシキュリティ

フランスの使用者団体と労働組合の間でフレクシキュリティに関する協定がまとまったようです。

ル・モンド紙によると、

http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3224,36-998720@51-996833,0.html

>Syndicats et patronat ont achevé, vendredi 11 janvier, la négociation sur la modernisation du marché du travail". Le projet d'accord - 16 articles sur 24 pages - pourrait instaurer une "flexisécurité" à la française : plus de flexibilité pour les entreprises sur le contrat et la rupture, plus de sécurité sur certains droits pour les salariés. Les syndicats vont déterminer dans les prochains jours leur position - FO et CFTC lundi 14 janvier, CFE-CGC mardi, CFDT mercredi ou jeudi, et CGT le 29 janvier, cette dernière ayant déjà indiqué qu'elle ne signerait probablement pas le texte. En cas d'accord, le gouvernement devrait en transposer les termes dans une loi d'ici à la fin du premier semestre. Voici les principaux points du projet :

La période d'essai. Pour les contrats de travail à durée indéterminée (CDI), la période d'essai est allongée : "pour les ouvriers et employés entre un et deux mois maximum, les agents de maîtrise et les techniciens entre deux et trois mois, les cadres entre trois et quatre mois", sauf si un accord de branche prévoit une durée supérieure. Cette période pourra être reconduite une fois par des accords de branche et les durées ne pourront excéder quatre, six et huit mois. Une période d'essai plus courte pourra être fixée "dans la lettre d'engagement ou dans le contrat de travail".

Rupture "conventionnelle" du CDI. Pour "privilégier les solutions négociées à l'occasion des ruptures de contrat", un nouveau mode, "exclusif de la démission et du licenciement", a été créé. Le salarié et l'employeur pourront choisir les conditions de la fin du contrat qui les lie : un droit de rétractation existe "pendant un délai de quinze jours suivant la signature de la convention" entre les deux parties. L'accord devra ensuite être validé par le directeur départemental du travail. Le salarié bénéficiera d'une indemnité de rupture équivalant à un cinquième de mois par année d'ancienneté et accédera aux allocations chômage.

Un nouveau contrat de travail. Il s'agit d'une sorte de contrat de mission, contrat à durée déterminée à "terme incertain", pour la "réalisation d'un objet défini", réservé aux ingénieurs et aux cadres. La durée du projet doit être comprise entre 18 et 36 mois, et le contrat est de 12 mois minimum non renouvelable. Le recours à ce contrat est subordonné à un accord de branche ou d'entreprise et "ne peut être utilisé pour faire face à un accroissement temporaire d'activité". Il peut être rompu à la date anniversaire de sa signature "pour un motif réel et sérieux". En cas de rupture, l'indemnité perçue par le salarié atteindra 10 % de la rémunération reçue pendant le contrat.

Nouvelle rupture. En cas d'"inaptitude d'origine non professionnelle" (longue maladie, accident), et si le salarié ne peut être reclassé, les indemnités de rupture pourront être prises en charge par un fonds de mutualisation à la charge des entreprises.

Indemnités de licenciement. Le montant de l'indemnité interprofessionnelle de licenciement devient unique et d'un montant qui ne peut être inférieur à un cinquième du salaire mensuel. Le texte prévoit que le législateur fixe "un plancher et un plafond" pour l'indemnité, en cas de contestation judiciaire d'un licenciement sans cause réelle ni sérieuse.

Portabilité des droits. Le salarié qui se retrouve au chômage pourra garder sa couverture prévoyance santé pendant une durée égale à un tiers de sa durée d'indemnisation du chômage, avec un minimum de trois mois. Pour la formation, le salarié quittant l'entreprise gardera 100 % du solde des heures de formation acquise dans le cadre du droit individuel à la formation (DIF). En "accord avec le nouvel employeur", il pourra utiliser ce crédit d'heures "pendant les deux années suivant (son) embauche".

Moins de 25 ans sans emploi. Une prime forfaitaire payée par l'assurance-chômage est instaurée pour les moins de 25 ans "involontairement privés d'emploi", qui n'ont pas assez travaillé pour avoir accès aux allocations chômage.

Formation. Les personnes "les plus éloignées de l'emploi" pourront bénéficier d'une formation dont le financement sera assuré par un fonds dont le financement sera défini lors de "la négociation sur la formation professionnelle à venir".

Accès aux droits. Pour bénéficier de "l'indemnisation conventionnelle de la maladie", la condition d'ancienneté est ramenée de trois à un an. Le délai de carence est ramené de 11 à 7 jours.

試用期間を長く延ばしたり、解雇手当を手厚くして容易にしたり、有期契約の利用を拡大したりと、フランスの労使も労働市場の柔軟化に大きく踏み出したように見えます。

経済紙のレ・ゼコーは、

http://www.lesechos.fr/info/france/4672558.htm

>Modernisation du marché du travail : l'approbation de FO et de la CFTC ouvre la voie à un large accord

>La CFTC et Force ouvrière ont annoncé hier qu'elles signaient l'accord sur la modernisation du marché du travail bouclé vendredi soir. La CGC et la CFDT devraient en faire autant. Le ministre du Travail, Xavier Bertrand, va recevoir les partenaires sociaux la semaine prochaine.

En matière sociale, un plus un peuvent faire quatre. En décidant, hier, chacune de son côté, de signer l'accord sur la modernisation du marché du travail bouclé vendredi, la CFTC et FO ont ouvert la voie à une validation quasi unanime de ce texte par les syndicats. La CGC, qui doit prendre sa décision aujourd'hui, comme la CFDT, qui tranchera jeudi, penchaient déjà en faveur d'un paraphe, et vont être évidemment confortées. Cela porterait à quatre le nombre de signataires syndicaux : la CGT avait annoncé, sans surprise, au sortir de la négociation, qu'elle n'en serait pas.

Premier à faire connaître sa décision, validée par 25 des 29 membres du comité confédéral extraordinaire réuni hier, le président de la CFTC, Jacques Voisin, l'a justifiée « d'abord et surtout parce qu'on y trouve un certain nombre d'avancées ». En particulier, c'est pour lui « une première étape » vers le statut du travailleur salarié prôné par sa centrale. Il a tout de même eu quelques regrets sur le texte sur lequel la négociatrice de la CFTC, Gabrielle Simon, avait porté un regard « mitigé » et qu'il a jugé « acceptable ». Sur la « rupture conventionnelle », il a déploré que l'homolo- gation soit confiée au directeur départemental du travail et compte sur « les garanties » que donnera le gouvernement sur la procédure.

Une dimension historique

Pendant la négociation, FO aussi avait voulu obtenir une homologation du licenciement non par l'administration mais par les prud'hommes. C'était pour elle un point dur. Mais son secrétaire général, Jean-Claude Mailly, l'a aussi relativisé et a surtout pointé les aspects positifs : prime aux jeunes primo-demandeurs d'emploi, portabilité du droit individuel à la formation, hausse des indemnités de licenciement, mort définitive du CNE, encadrement du contrat à objet précis. Il a aussi énuméré des critiques, mais en soulignant qu'« un accord est toujours un compromis où le patronat considère qu'il a trop lâché et où les syndicats auraient voulu avoir plus ». « Quand nous jugeons le compromis bon, nous le signons et quand nous ne le jugeons pas bon, nous ne le signons pas et nous mobilisons, comme le 24 janvier sur le pouvoir d'achat », a-t-il affirmé, comme pour relativiser le sens de la signature par FO.

Mais personne n'est dupe. Ce paraphe revêt une dimension historique. D'abord, il s'agit de la première traduction concrète du tournant réformiste acté à son dernier congrès, en juin dernier. La négociation a d'ailleurs été menée par un homme qu'il a fait monter à cette occasion au bureau confédéral, Stéphane Lardy, et qui a mené les discussions en étroit contact avec lui. Ensuite, FO a trouvé là l'occasion de montrer au patronat et au gouvernement une fiabilité que l'ère Blondel et les couacs de la négociation sur l'assurance-chômage de 2005 avaient largement entamée. Enfin, FO par sa signature montre l'intérêt du pluralisme syndical. Ce qui n'est de trop ni pour FO, ni a fortiori pour la CFTC et la CGC, encore plus menacées par la réforme de la représentativité syndicale qui s'annonce.

Le ministre du Travail, Xavier Bertrand, a annoncé hier matin sur France 2 qu'il recevrait les partenaires sociaux à l'issue de la décision de la CFDT. Cela devrait se faire la semaine prochaine. Mais les modalités restent encore à préciser. Il n'a pas encore tranché sur deux sujets : recevra-t-il ou pas tous les signataires, patronaux et syndicaux, ensemble, et aussi la CGT ?

交渉に参加した組合のうちFO、CFTC、CFDT、CFE-CGCは中味を評価して既に署名しているようですが、これではCGTは反対だといってるようですね。上のル・モンド紙ではCGTも追っつけ署名するとあるので、よく状況がわかりませんが。

CGTのHPにCGTの声明が載っているので、転載しておきます。

http://docsite.cgt.fr/1200499525.pdf

>DECLARATION DU BUREAU CONFEDERAL DE LA CGT

>Modernisation du marché du travail : la Cgt prend les dispositions pour informer les salariés du contenu de l’accord.

>Le bureau confédéral de la Cgt engage le processus de consultation des organisations de la Cgt en vue d’une décision du CCN le 29 janvier, sur le projet d’accord du 11/01/08 concernant la modernisation du marché du travail.
L’indépendance syndicale commande de porter appréciation à partir de ce qui est contenu dans l’accord, sans se laisser impressionner par les pressions sans cesse réitérées du Président de la République et de son gouvernement.
Celles-ci ont pour objectif d’intimider les syndicats pour qu’ils paraphent des dispositifs de flexibilité qu’ils auraient récusés dans d’autres circonstances. La menace gouvernementale de procéder par la loi, si aucun accord n’était possible a pesé. Le scénario risque de se reproduire et place tous les acteurs devant leurs responsabilités. Il n’est pas sans interpeller les salariés sur leur mobilisation et la force d’un syndicalisme de conquêtes sociales pour peser sur le contenu des négociations.
Comme l’a démontré la victoire remportée contre le CPE, un gouvernement même déterminé ne peut passer outre la fermeté des syndicats dès lors qu’ils sont unis et mobilisateurs. Qu’elle soit imposée par la loi ou par un accord paritaire, la flexibilité n’est pas plus douce aux salariés, elle ne permet pas davantage de résoudre les problèmes d’emploi, de pouvoir d’achat, de sécurité professionnelle.
De fait, le projet d’accord répond aux exigences patronales d’obtenir des licenciements plus rapides. La convention de rupture dite d’un commun accord permettra aux employeurs de contourner la législation sur les licenciements. En absorbant ce qui relève aujourd’hui des licenciements sans cause réelle et sérieuse, elle privera les salariés de l’essentiel de leurs droits actuels (indemnités, recours, réintégration). Un nouveau contrat précaire, à durée incertaine est créé pour un objet défini. Le patronat réussit à imposer la création d’une période d’essai interprofessionnelle et son allongement pour un très grand nombre de salariés.
Face à cela les mesures dites de « sécurisation » sont de peu de poids. La portabilité du DIF aboutit ainsi à ce que le demandeur d’emploi auto finance sa formation sans être garanti d’un effort important de l’assurance chômage. La prime pour les chômeurs de moins de 25 ans ne sera fixée que par des négociations ultérieures. Elle sera versée une fois et devra être remboursée ensuite. Globalement les mesures favorables aux salariés sont soit exprimées sous forme de voeux soit renvoyées à des négociations ultérieures ou à des dispositifs législatifs.
Même si le travail de contre propositions réalisé au plan intersyndical a permis de faire reculer les objectifs patronaux les plus extrêmes, il n’est pas parvenu à ce que le centre de la négociation ait pour objectif de favoriser l’emploi des jeunes et celui des plus de cinquante ans, de faire reculer la précarité et le temps partiel imposé, de créer des droits transférables. C’est pourtant ce qu’attendaient des millions de salariés du privé, les jeunes, les demandeurs d’emploi d’une négociation censée réformer le « marché du travail ».
Le bureau confédéral approuve le travail accompli par la délégation Cgt du début à la fin de la négociation. Il prend les dispositions pour informer le plus largement possible les salariés du contenu de cet accord. Il propose aux organisations du CCN de confirmer l’opinion négative de la Cgt sur l’accord national interprofessionnel sur la « modernisation du marché du travail. »

Montreuil le 15 janvier 2008

なお、協定文書はこれです。

http://docsite.cgt.fr/1200492299.pdf

グッドウィルきょうから事業停止

既報の通り、本日よりグッドウィルが事業停止です。

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080118/sty0801180846003-n1.htm

>厚生労働省東京労働局からの事業停止命令を受け、日雇い派遣大手「グッドウィル」(東京、GW)は18日、全708事業所で派遣事業を停止した。二重派遣など違法行為を繰り返したGWに、職を得られなくなる恐れのある派遣労働者からは休業補償を求める声が上がっている。

 事業停止は18日から4-2カ月間。17日以前に派遣の実態があった契約を除き、新たな派遣契約の締結や派遣に絡む営業ができない。GWによると、既に16日からスタッフの新規登録をやめ、受注の受け付けや営業も停止したという。

 GWに登録している派遣スタッフは約290万人。ほかの派遣会社に登録して職を探すなど“自己防衛”に追われる人が多いとみられる。

 派遣労働者の相談に応じるため厚労省は15日から、全国の労働局に専用の窓口を設置。東京労働局には「停止期間中は仕事を紹介してもらえないのか」「契約はどうなるのか」といった相談が寄せられた。

 GWに登録している東京都練馬区の藤野雅己さん(39)は「時間的には正社員と変わらない働き方をしている人が多く、休業補償をすべきだ。業界の在り方がいいかげんで、別の派遣会社に移ったとしても同じことになる不安がある」と話す。

 厚労省は昨年9月、派遣労働者も日雇い労働者向けの失業手当の支給対象とすることを決めたが、GWは適用事業所の申請をしていない。派遣労働者らでつくる派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「申請を促す指導をせずに事業停止命令を出したのは問題だ」と厚労省を批判している。

まあ、確かにおっしゃるとおりではありますが、ではグッドウィルが適用事業所の申請をしないでいればずっとそのまま事業停止命令を受けなくて済むと云うことでいいのか、という問題もあるでしょうね。それなら強制適用すべきではなかったか、という議論にもなるかも知れません。

2008年1月17日 (木)

生産性新聞

社会経済生産性本部が毎月3回発行している『生産性新聞』の1月15日号が新春恒例の「経済・労働情勢アンケート回答」を特集していまして、経営者22人、学識者8人、労組幹部10人の回答が掲載されています。

http://www.jpc-sed.or.jp/paper/index.html

で、その「学識者」の中に、なぜかhamachanが入って、もっともらしいことを語っていますな。

「日本の課題」として、

>貧富二極化の回避

>健全な集団主義の再建

なんていっちゃってますね。さらに、

>非正規社員については、同一賃金よりもまず、同じ仕事、同じ教育訓練に包摂していくことをめざすべき

>正社員としての夫婦共働きが可能なワーク・ライフ・バランス

>現場で働く人が報復を恐れずに通報できるような、会社内部の外部者の入ったオンブズマン的仕組み

でなことをほざいているようです。

事実上のデュアルシステムとしてのアルバイト

10月12日の雇用政策研究会の議事録がアップされていますが、諏訪先生の発言が大変面白いので引用しておきます。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/txt/s1012-5.txt

>○諏訪委員 若者の問題は専門家がいらっしゃるので、なかなか発言しにくい部分があります。連携が必要だというのは全くそのとおりで、いろいろな連携が必要だと思います。例えば、高校段階における盲点の1つが高校生のアルバイトだろうと思います。生まれて初めて仕事に就く、というのが高校時代のアルバイトという人たちが非常に増えてきている。それもいわゆる普通課等も含めて、進学校でないところの子供は高校に入ると同時にアルバイトを決めて、働き始める子がずいぶんいるそうです。
 そのときに適切なキャリア教育、労働法の教育ということがなされておりません。学校側は、形式上は「アルバイト禁止」などとしていますから、この部分に直接に触れません。また、学校の先生も、十分にそこを指導するだけの知識やスキルがない結果、放任されていて、ここでかなりよろしくないことが起きているのではないかという気がしています。
 よろしくないものの1つは、こういう高校生たちが例えばものづくりの現場でアルバイトするということはまずありません。そういう意味ではやはり第三次産業的なもの、もっと正確に言えば小売、あるいは流通、非常に限られたアルバイト市場のところに入る。同時にそこで見る店長の姿、つまり正社員というのはかなり悲惨なのです。めちゃくちゃ労働時間が長くて、訓練を十分受けていなくて転職率も高い。そういうところを見ると、「正社員になってもいいことないではないか」というファースト・インプリンティングを受けてしまう。これが全部だとは申し上げませんが問題です。
 このような部分に関して適切な対応をする。例えば、高校がアルバイトその他をもうちょっと正面から認めていいのではないか。一種のインターンシップ的に見て教育をしていく、あるいはアルバイトをやっていいけれども、その代わり3時間の労働法と5時間のキャリア教育を受けたあとでないと駄目だ。そのあとも定期的に、「君はアルバイトで何を学んだか、何をしたか」ということを絶えず問いかけながら継続教育をしていく。このようなことをするだけでずっと変わっていくのではないかという気がしています。
 ちなみに、学生たちにアンケートを取ってみました。遅刻をする学生とはどういう学生か。その中でいちばん遅刻をしないのは、学園内外の生活でどこかといったら「アルバイト」です。アルバイトは遅刻した・しないで変わる。当たり前ですね、したらクビになってしまいますから。「遅刻をしない」が95%で、本当にごく一部の人を除けばしていない。
 それに対して悲惨なのは選択課目です。50%しかいません。「友だちとの待ち合わせ」でも6割ぐらいしか時間を守っていないし、「サークル活動」も6割ぐらいしか守っていない。というわけで、実はアルバイト等が1つの社会教育の機能、ソーシャル・スキルやジェネリック・スキルなど、いろいろと若者が身に付ける部分に役立っていますから、それをもう少し意図的に汲み取っていくと、事実上の「日本版デュアル・システム」になってしまっているわけです。こういう問題にもそろそろ、正面から手を打つべき時になっているかなという気がしています。

すごく大事なことをいっていると思います。

日雇い派遣関係の省令案

昨日の記事の関係で、まだ厚生労働省HPに昨日の部会の資料はアップされていませんが、とりあえず省令案について紹介しておきます。(指針案は厖大なので、コピペできるようになるまでお待ちください)

まず現行派遣法施行規則第34条は、

>・・・当該労働者派遣の期間が一日を超えないときは、派遣先責任者を選任することを要しない。

と規定していますが、これを一日を超えなくっても派遣先責任者の選任義務を課する、と。

また同規則第35条は、

>・・・当該労働者派遣の期間が一日を超えないときは、派遣先管理台帳の作成及び記載を行うことを要しない。

と規定していますが、やはりこれも義務づける、と。

それから同規則第36条(派遣先管理台帳の記載事項)に、

>派遣労働者が労働者派遣にかかる労働に従事した事業所の名称及び所在地その他派遣就業をした場所

を追加し、同規則第38条(派遣元事業主に対する通知)に、この派遣就業をした場所と

>派遣労働者が従事した業務の種類

を追加するということです。

最後に、事業報告書の様式に、

>日雇い派遣労働者の数、

>日雇い派遣労働者の従事する業務にかかる派遣料金、

>日雇い派遣労働者の賃金

を追加するとなっています。

まあ、法改正をしないという範囲内で、なんとか今問題になっている点について対応しようという姿勢が見られます。

2008年1月16日 (水)

就職内定状況

11月末現在の就職内定状況が発表されました。まず高校新卒者ですが、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/h0116-1.html

就職内定率は79.7%で、男子は84.4%、女子は73.7%です。いずれもここ5年間上昇基調にあります。2003年は60.3%だったのですから、大きな回復ぶりです。大体1996年から1998年の水準に戻ったということです。

求人倍率は1.71倍で、2003年の0,90倍に比べると倍近くまで回復したということですね。こちらもほぼ1990年代中葉の水準に回復したわけです。

ただ、地域格差は依然として大きいものがあります。内定率でいえば北海道は55.4%(女子は47.6%)、沖縄は39.5%(女子は34.4%)と低迷していますし、求人倍率でいうと青森の0.46倍なんてのは、やはり高卒労働力が請負労働に流れ込んでいく原因になっているわけで、これをどうするかは大きな問題ですね。

都市部は既に過熱気味に労働市場が逼迫しつつあるのだから、ある意味で高度成長期と同じ様な発想で、全国的な労働力の広域移動を政策として考えるということもありうるのかも知れません。少なくとも、現在のような労働力の広域移動を請負業者の手に委ねてしまっているような状態が望ましいとは言えないはずですから。

ただ、これは地域格差を前提とし、固定化しようとする発想ではないか、と批判を受けることは当然予想されますが。

現代の理論

明石書店から出ている『現代の理論』2008年春号が刊行されたので、2007年秋号に掲載されていた拙稿「非正規雇用のもう一つ別の救い方」 をアップしておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sukuikata.html

『世界』論文とかなり重なりますが、やや詳し目に書いているところもあり、ご一読いただければ。

ちなみに、最初の節のところは、判っている人には今さら耳タコですが、世の中には判っていない人、判ろうとする気のない人が一杯いることでもありますので、ちょいと引用しておきますね。

>日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。彼らは本工の雇用バッファーとして不況になると雇い止めされ、好況になると再び採用される柔軟な縁辺労働力であった。彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。ところが1950年代後半以降の高度経済成長の中で、労働市場の急激な逼迫に押される形で臨時工の本工登用が急速に進み、この言葉は死語となっていった。しかし、柔軟な縁辺労働力への需要がなくなったわけではない。高度成長期にこれに応える形で急速に拡大していったのが、主として家事に従事していながら家計補助的に就労する主婦労働力としてのパートタイマーであり、主として学校に通って勉強しながら小遣い稼ぎ的に就労する学生労働力としてのアルバイトであった。

 興味深いのは、パートやアルバイトの存在はかつての臨時工のような社会問題とならなかったことである。これは、パートの主婦にせよアルバイト学生にせよ、確かに就労の場所では正社員とは明確に区別された低賃金かつ有期契約の縁辺労働力であるに違いないが、そのことが彼らの社会的な位置づけを決めるものではなかったからであろう。パート主婦はパート労働者として社会の縁辺にいるのではなく、正社員である夫の妻として社会の主流に位置していたのであるし、アルバイト学生にとっての雑役就労は正社員として就職する前の一エピソードに過ぎない。

 この「アルバイト」就労が学校卒業後の時期にはみ出していったのが「フリーター」である。しかし、そのいきさつがバブル期の売り手市場の中であえて正社員として就職することなく、アルバイトで生活していくという新たなライフスタイルとして(一部就職情報誌業界の思惑もあり)もてはやされて拡大していったこともあり、若者の意識の問題として取り上げられるばかりで、かつての臨時工問題と同様の深刻な社会問題としての議論はほとんど見られなかった。

 1990年代半ば以来の不況の中で、企業は新卒採用を急激に絞り込み、多くの若者が就職できないままフリーターとして労働市場にさまよい出るという事態が進行した。地域によっては、高卒正社員就職の機会がほとんど失われてしまったところすらある。フリーター化は、彼らにとっては他に選択肢のないやむを得ない進路であった。ところが、彼らを見る社会の目は依然としてバブル期の「夢見るフリーター」像のままで、フリーター対策も精神論が優勢であった。この認識構図が変わったのは、ほんのここ数年に過ぎない。

さて、その新刊の『現代の理論』新春号ですが、「日本国家の品格を問う」というのが特集で、いろいろ載っていますが、

後藤和智「さらば宮台真司」が、「俗流化」「ニセ科学」を経て「結語ー葬送」に至るという大変刺激的な論考です。

あと、能川元一「ネット右翼の道徳概念システム」も結構おもしろかったですね。分析には異論のある人も多いでしょうが。

特集以外では、高木郁郎先生が「労働教育の推進を提言する」を書かれています。こういう声がもっと高まっていくといいですね。

就業場所の巡回求める 日雇い派遣の指針案

朝日の記事です。

http://www.asahi.com/life/update/0115/TKY200801150408.html

>日雇い派遣の規制を強化するため、厚生労働省が新設する指針の原案が15日、明らかになった。派遣大手グッドウィルへの事業停止命令の理由ともなった二重派遣を防ぐため、派遣元と派遣先双方に対し、実際の就業場所を巡回して契約通りか確認することを要求。業界に横行する給与からの不正な天引きの禁止なども求め、労働者保護を強く打ち出している。

 16日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会で示し、月内に最終案をまとめる方針。

 指針案は労働者派遣法に基づくもので、1日単位か30日以内の労働者派遣を行う派遣元企業と派遣先企業が対象。違反すれば行政指導の対象にもなる。

 派遣元に対しては、「データ装備費」などの名目で1日数百円を天引きする企業が多いことから、使途が明白で労使協定を結んだ場合以外は「不適正な控除が行われないようにする」と明記。現場への集合から作業開始までの拘束時間の賃金を支払わない例が多いため、「労働時間を適正に把握し、賃金を支払うこと」を求めている。

 また、労働条件や賃金といった基本的な労働条件を労働者に書面で明示するよう定め、なるべく長期間の派遣契約を結ぶ努力や職業能力の向上を図ることも求めた。

法改正は先に延ばすけれども、日雇い派遣についてはとりあえず指針で対応という奴です。内容的には、現行法規制をきちんと厳正に適用しましょうということですね。

いずれも、日雇い派遣について問題になったものなのですが、よく考えると日雇い派遣でなくても二重派遣とか違法な天引きとかありうるわけで、わざわざ日雇い派遣についてのみ規定するという性質のものではないような気もしますが、まあそこはあれだけ大きな問題になった以上、日雇い派遣という看板で特にやりますといわないともたないという面もあるのでしょう。

労働条件の書面明示というのはかなり影響を与えそうですね。人によってはケータイ社会に逆行するとかいうかも知れませんが、わざわざめんどくさくすることによって遵法を促すという側面も重要です。

2008年1月15日 (火)

外国人滞在、条件に日本語能力 政府検討

朝日に記事が出ています。

http://www.asahi.com/politics/update/0115/TKY200801150134.html

>政府は、日本に長期滞在する外国人の入国と在留の条件として、日本語能力を重視する方向で検討を始めた。外務、法務両省で近く協議を始める。高村外相が15日の閣議後の記者会見で明らかにした。少子・高齢化によって単純労働者が不足し、財界を中心に外国人労働者受け入れ拡大を求める声が強い一方、外国人とのトラブルも起きていることから、支援と管理両面の強化が狙いとみられる。

 すでに政府は外務、法務など関係省庁で構成する「外国人労働者問題関係省庁連絡会議」を立ち上げ、06年12月、日本語教育の充実や、「在留期間更新等におけるインセンティブ」として日本語能力の向上を盛り込んだ「生活者としての外国人に関する総合的対応策」をまとめている。

 今回協議を始める理由について、高村氏は「日本で生活する外国人にとって日本語ができることが生活の質を高めるために大切であり、日本社会のためにも必要である」と述べ、双方のメリットを強調した。協議は当面、外務省外国人課と法務省入国在留課の課長レベルで進められる。

 ただ、今後の議論によっては、日本語の能力によって査証(ビザ)の取得や更新などが制限される可能性がある。

 これに対し、高村氏は「肯定的な部分と否定的な部分と両方あるから、検討しようということだ。やりすぎにならないように、やるべきことはやる」と説明。法務省幹部は「すべての人に日本語能力を課すことで、貴重な人材が日本に来ることができない可能性もある」と課題を指摘する。

 外務省によると、愛知や群馬、静岡の各県などで日系ブラジル人ら長期滞在型の外国人労働者が増える傾向にある。その一方、社会保険の未加入問題や学齢期の子どもの未就学問題も深刻化。行政として対応を迫られている。

これは、事実上日本語能力でもって外国人労働者としての受入を認めるかどうかを判断する可能性があるという意味で、外国人労働政策の一大転換を意味するわけですが、そういうことを外務省と法務省の課長レベルでやるんですか、そうですか。いや、別に官庁縦割り権限争い的見地からのみ申し上げているわけではなく、どういう企業にどういう外国人労働力が必要なのか、あるいは必要であるとしてその充足を認めるべきであるのか否か、といった問題は、企業労務や労働市場といった観点を抜きにしてはできないはずだと思うのですがね。

少子高齢化だから単純労働力を外国から調達という前提はいかなる意味でも成立していないはずですよ。1989年の入管法改正で、法務省がいっさい労働市場への顧慮をすることなく、血統主義に基づいて日系人の就労目的の入国を無制限に認めたことが、今の事態を招いた遠因であるわけで、制度設計は慎重さが求められます。日本語がしゃべれればなんでもいいじゃないか、というわけにはいかないでしょう。

なお、本問題の参考として、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gaikokujin.html

生活保護と在職給付

久しぶりに平家さんからトラバをいただきました。

http://takamasa.at.webry.info/200801/article_5.html

>記事では、就職して直ちに生活保護から抜け出せたかどうかでこの事業を評価をしている様子なのですが、やや疑問。

>おそらく、この就労支援は難しい仕事だろうと思います。期間で保護廃止という完璧な成果を上げなければだめ、としてしまうと担当する人の志気がくじかれてしまいます。じっくり取り組むことを認めるべきです。

平家さんのおっしゃることは、100%もっともなところと生活保護をどう考えるかに係るところがあります。

働けるような生活習慣、働いてお金を稼ぐという意識を作り上げ(おそらくは福祉事務所で支援をしているのでしょう。)、それからこの事業を始め、就職することによって、徐々に働くという習慣を身につけ、仕事に慣れていく」といった、不活動状態から就労生活への移行に関わる部分は、まさに本人に対するカウンセリング的な面が最重要ですから、「働かないとカネやらねえぞ」的なハードなワークフェアは適切ではないでしょう。まさに「就職直後は生活保護の廃止につながらなくても、1年後あるいは2年後に保護廃止でも、この事業の効果はあったと考えるべきでしょう。逆に、直後には保護廃止になっていたとしても、すぐに失業してしまえば意味はありません」といわれるとおりです。

私の問題意識は、そういう就労意欲の面では何ら問題はなくても、労働市場が提供しうる就労機会が、それだけでは家族全員の生計を維持しがたいような低賃金でしかないような場合について、賃金収入を補充するものとして生活保護を充てることをどう考えるか、ということなんですね。

シングルマザーを例に出したのは、それが最も典型的であるからですが、もちろんそれ以外のケースも多々あり得ます。

思い切ってばっさりいえば、

市場のロジックは、「(子供世話に手を取られないといったことも含めて)能力に応じて働き、発揮された能力に応じて払う」

であり、福祉のロジックは、「必要に応じて払う」

である以上、本来的に両者には齟齬が生ずるはずです。

ところが、後者(生活保護)だけで制度設計すると、「能力に応じて働かなくても、必要に応じて払う」となり、まさにモラルハザードの原因となります。

今回の就労支援事業はいうまでもなく欧米のワークフェアにインスパイアされたものであり、その根っこにあるのはこのモラルハザードの解消である以上、恒常的に生活保護の活用が必要な就労状態というのは大変不安定なものとならざるを得ません。

「能力に応じて働き、発揮された能力に応じて払う、とともに、さらに加えて、(能力に応じて働いていることを条件として)必要に応じて追加的に払う」という二段構えの仕組みが必要になるわけです。

そういう在職給付は、生活保護とは切り離した形で、ミーンズテストのない形で、行われるべきだと、私は考えています。

>子供が小さいうちはパートというのは、普通の家庭でもよくあることです

が、

>時間がたち、給料が上がれば保護からの脱却ができる可能性は大きい

とは必ずしも言えませんし、何よりも、生活保護を受給していることによる本人及び子供への好ましくない影響を考えると、就労意欲には何も問題がないのに賃金水準が家計を支えられないからという理由で生活保護が恒常的に給付されることは望ましくないと考えるからです。

大臣記者会見 on グッドウィル

厚労省HPより

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2008/01/k0111.html

>(記者)グッドウィルに対して週内にも厳しい処分が出るということでしたけれども、これは大臣としてはどのように。

(大臣)これはもう昨年末からこの問題が起こった段階で法に基づいてきちんとした処分をするようにということを命じておりましたので、それで現場で事情聴取した上で事業の停止、業務停止、それから改善命令その他の厳しい措置をきちんと今日実行に移そうと思っております。労働法制、先般も最低賃金法、労働契約法、成立を見ましたけれども、どうもこの労働法制についてきちんと遵守されていないのではないか、そういうような感想を私は持っております。国権の最高機関である国会できちんと決まった法律をやはり企業も遵守するのは当然なので、ちょっと遵法精神に欠けるのではないかと。やはり働く人達の権利をきちんと守っていく。そして、違法な派遣とかそういうことは法律に基づいてやめてもらわないといけないので、これは経営者の方にもしっかりと自覚を持っていただきたいし、私は法律に基づいてきちんと対応し、然るべき処分は厳格に下していくという方針を今から徹底させたいと思います。そうしないと、ここまで世界第2位の経済大国になっておりながら、生活の豊かさの実感がない、それはやはりこの労働者保護というか、働く人達に対する配慮が欠けてきている。まさにこの労働法制についての遵法精神に欠けていること自体が問題だと思いますし、私は、やはり企業には社会的責任が当然ある、社会的責任より前に法的責任をきちんと果たすべきだということを常日頃思っておりますので、今後ますますこういう点に対しては、極めて厳しく法に基づいて厳正に処置をして参りたいと思います。

(記者)関連ですけれども、今経営者にもそういう自覚を持ってというお話がありましたけれども、グッドウィルについては、コムスンでもかなり重い処分を受けて、また今度派遣問題で処分を受けるということで、経営トップの折口会長の経営責任を問う声もあるのですけれども、大臣としてはどのようにお考えでしょうか。

(大臣)基本的には、法治国家ですから、法律に基づいて、法律違反に対してはルールに従ってきちんと処分をする。そして、その経営者、これは私がとやかく言う問題ではなくて、やはり社会的責任があるわけですから、企業というのはもちろんベネフィットというか、利益を極大化する、最大化するということが企業の基本的な行動原則ですけれども、それだけでは駄目なので、やはり社会的責任ということを問われているし、今後ますます問われていくと思いますから、それは一人一人の個人の経営者がそういう自覚に立って自分の身の処し方を考えるべきであって、私は、厚生労働大臣としては法律に基づいて厳格にこの法律を実施させる、それに尽きると思います。

(記者)派遣問題については、派遣法の見直しの論議もあると思うのですが、大臣はこれについては、例えば、今回問題になった日雇い派遣については法改正でもうできないようにしてしまったらどうかという意見もありますけれども、法改正についてはどのようにお考えですか。

(大臣)様々な意見があります。そして、働く人の立場からも、一つの会社に縛られなくて自由にやりたい、フレキシブルにやりたい、自分の生活とのバランスを考えながら、毎日ではなくて、一日ごとにやりたいとか、そういういろいろな要求もあります。しかし、私はやはりいろいろな意味でマイナスが出てきていることは、これはもう指摘されているとおりなので、国会でも議論がありましたけれども、やはり見直しも含めてきちんと対応すべき時期に来ていると思います。今後、広く、労働政策審議会含めて、いろいろな広範な意見を聞きながら、働く人に不利にならない、これが労働行政の原点ですから、それをきちんと実行に移していきたい。そういう意味でも、この法律の見直しを含めての再検討というのは考えないといけないと思っています。

(記者)グッドウィルの場合、日雇い派遣ということで、許すべからず法を犯していることは間違いないのですが、長い期間のこういう業務停止をすることによって、実際に日雇い派遣で仕事を得ている人への影響が出てくると思うのですが、それについては何らかの対応をされるようなお考えはありますか。要するに、日々ですから、職をいきなり、グッドウィルから、登録してあってもらえなくなるわけですよね。

(大臣)それはハローワーク含めて、雇用の支援対策はきちんとやっていきますので、グッドウィル以外にも同じような事業をやっている会社は、これは自由競争の市場経済原則の良いところでありますから、そういうところでの再就職のあっせん、これはハローワークを中心に全力を挙げてやっていきます。今おっしゃったように、日々働いて、明日の生活に困るという方々に対してのご支援はきちんと厚生労働省としてやっていくと、それはお約束をいたしたいと思います。

次期通常国会への提出はもう時間切れですが、「やはり見直しも含めてきちんと対応すべき時期に来ている」という認識から、「働く人に不利にならない、これが労働行政の原点ですから、それをきちんと実行に移していきたい」「この法律の見直しを含めての再検討というのは考えないといけない」と明確に述べています。

問題は、舛添大臣も触れているように、日雇い派遣の禁止といったやり方ではかえって労働者の利益にならない面もあるわけで、現に派遣という形で働いている人々にとってどういう風に仕組みを変えていくことが一番望ましいのかという発想で対応する必要があるのですね。

2008年1月11日 (金)

港湾荷役に二重派遣

ちなみに、日経にはこんな記事も出ています。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080111AT1G1101G11012008.html

>日雇い派遣最大手のグッドウィルが違法派遣を繰り返していた問題で、厚生労働省は11日、同社から派遣された労働者を別の企業に不正に派遣する「二重派遣」をしていたとして、東京都港区の荷役会社「東和リース」を職業安定法違反の疑いで警視庁に告発した。警視庁は告発を受理した。

 二重派遣での刑事告発は極めて異例。東和リースは労働者派遣法による派遣事業の許可を得ておらず、同法では処分できないため、厚労省は職業安定法に基づいて刑事告発に踏み切ることにしたという。

 関係者によると、東和リースはグッドウィルから派遣された派遣労働者数人を東京都内の港湾に派遣し、港湾荷役業を営む別の会社の指揮下で働かせたとされる。

おお、港湾荷役に二重派遣。これは例の労災事故で明るみに出た件ですね。その東和リースからさらに笹田組に派遣され、三井倉庫で荷役作業中に大けがをしたというやつです。

http://www.toyokeizai.net/online/tk/headline/detail.php?page=1&kiji_no=210

http://www.toyokeizai.net/online/tk/headline/detail.php?page=2&kiji_no=210

労調協で喋ったとき、その前にお話をされた東洋経済の風間直樹さんがこの事件をかなり詳しく説明していましたが、そのもとになる記事です。

>実はこの労災の裏側には複雑な雇用関係も横たわっていた。男性は人材派遣会社の東和リース(東京都港区)に派遣されたことになっている。だが実際に働いたのは三井倉庫の現場で、しかもその作業を請け負っていたのは港湾業者の笹田組(横浜市中区)だった。男性によれば「仕事の指示はすべて笹田組の所長から受けていた」という。

東和リースと笹田組は男性の就労実態が「偽装請負」であったことを認める。グッドウィルは港湾運送という禁止業務への派遣に加え、職業安定法違反の二重派遣まで行っていたことになる。厚労省幹部は「派遣元はスタッフの労働実態を把握する義務がある。法の無知は法違反の理由とはならない」と言い切る。

 さらに男性は罹災の数日前に船内作業にも従事していた。勤務後に「船で働きました」と支店に電話すると、「特殊勤務車両手当」との名目で日給に500円が上乗せされた。ということは、同社は禁止業務への派遣を認識していた疑いが強い。こうした点に関してグッドウィル・グループは「現在、労働局にて調査を頂いている状況にあり、詳細の回答は差し控えたい」(広報IR部)としている。

いやいや今年も派遣祭りはいよいよ盛況ですなあ。

株式会社グッドウィルに対する行政処分に伴う派遣労働者の雇用対策について

本日、グッドウィルに対して、事業停止命令が出されましたが、

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080111it11.htm?from=top

>日雇い派遣大手「グッドウィル」(東京都港区)が違法派遣を繰り返していた問題で、厚生労働省は11日、同社に対し、全支店を対象に労働者派遣法に基づく事業停止命令を出した。Click here to find out more!

 違法派遣が確認された67支店は今月18日から4か月間、他の支店は2か月間、新たな契約に基づく派遣ができなくなる。

 また、グッドウィルから派遣された労働者を他の企業に派遣させる二重派遣をしたとして、佐川急便グループの物流大手「佐川グローバルロジスティクス」(品川区)など3社にも、同法に基づく事業改善命令が出された。

それで放り出されることになるグッドウィルに登録していた労働者はどうなるの?

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/dl/h0111-2a.pdf

厚生労働省のHPにそのための雇用対策が載っています。

>都道府県労働局の需給調整事業担当部門では、グッドウィルの派遣労働者からの相談を総合的に受けるとともに、ハローワークではその多様な求人を生かして求職者のニーズに応じた職業相談、職業紹介を実施することとしている。

また、グッドウィルに対しては、停止命令と併せて行った改善命令において、雇用の安定を図るための措置を講ずることを前提として法違反の是正を行うよう命じており、都道府県労働局はグッドウィルの労働者派遣事業の事業所において雇用の安定を図るための措置が的確に講じられるよう指導するとともに、グッドウィル自らが実施すべき雇用の安定の措置とは別に都道府県労働局及びハローワークが相談、職業紹介等を行っていることについても派遣労働者に周知するよう指導していくこととしている。

具体的には、各都道府県労働局への通達に書いてありますが、

>1 グッドウィルに対する指導

労働者派遣法第49条第1項に基づきグッドウィルに命じている是正措置は、雇用の安定を図ることを前提条件としており、東京労働局は、グッドウィル本社に対し、その具体的な内容の最低限の例として次の指示を行っている。

(1)実態として長期にわたり継続して派遣就業に従事している労働者に対し、事業停止期間前に開始され契約期間中を限度に継続中の労働者派遣に係る就業の機会を、優先的に提供すること。このため、労働者派遣が既に開始されている労働者派遣契約の中途解除により、派遣労働者の雇用の機会が失われることのないよう、派遣元事業主として派遣先に働きかけること。

(2)就業を希望しながら派遣就業の機会を提供できない派遣労働者に対しては、派遣先、その関係事業主又は他の派遣元事業主の事業において就業できるよう積極的にあっせんを行うこと。

(3)その他派遣労働者の雇用の安定を図るための措置を積極的に講ずること。
これらを踏まえ、各労働局は、必要に応じ、管内のグッドウィルの各事業所に対し、派遣労働者の雇用の安定を図るための措置を講ずるよう指導すること。
なお、グッドウィルが事業改善命令に基づく派遣労働者の雇用の安定を図るための措置として講ずる上記の事項とは別に、労働局及び公共職業安定所は下記2及び3の相談、職業紹介等を実施していることについても派遣労働者に周知するよう東京労働局からグッドウィル本社に対し指示を行っている。

3 公共職業安定所における対応

(1)職業相談及び職業紹介
公共職業安定所は、グッドウィルの派遣労働者が就業の機会を求めて求職者として来所した場合、当該求職者については、必ずしも自ら望んで派遣労働者という雇用形態を選択しているわけではなく、直接雇用による安定した職業に就きたい者もいること、また、日々の生活費を得るために日払いによる雇用形態により働かざるを得ない状態にある者もいること等を踏まえ、それぞれの態様に応じて、以下の点に留意して積極的に職業相談、職業紹介を実施すること。
ア当該求職者については、早急に生活費等を得る必要がある場合が考えられることから、可能な限り速やかに職業紹介を行い、早期に再就職できるよう支援すること。
イまた、職業紹介に当たっては、できる限り安定した雇用が望ましいが、当該求職者のニーズを踏まえつつ、すぐにでも働くことができるよう、雇用開始時期が近い求人を紹介することが望ましい場合もあると考えられること。
ウ求人票の「賃金支払日」(日払いか週払いか月払いか、月払いの場合の最初の賃金支払日はいつか)、「就業場所」(当該求職者の居住地からの交通費がどの程度かかるか)等についても、求職者のニーズを十分踏まえて、適切に対応すること。
エ住居を必要とする求職者に対しては、社員寮付きの求人や住み込み可能求人の情報提供、職業相談及び職業紹介を行うとともに、必要に応じ、求人担当部門と連携の上、求人開拓に努めること。

(2)派遣先の事業主からの求人申込みの相談への対応
公共職業安定所は、グッドウィルと労働者派遣契約を締結していた派遣先の事業主から労働者の確保に係る相談があった場合は、安定した雇用を求める求職者に対応できるようにするため、雇用期間について可能なかぎり長期となるよう働きかけつつ、公共職業安定所への求人申込みを勧奨すること。また、当該事業主から求人申込みがあった場合は、求職者のニーズを踏まえつつ、求人充足に努めること。

雇入契約と雇用契約

この二つは異なる概念であるということをご存じですか。

船員法の世界では、この二つを次のように使い分けています。

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/10/100116/01.pdf

(住田正二『船員法の研究』153~155 頁(盛山堂、初版、昭48 年))

>船員は、実際上二つの契約を締結しているわけではなく、一つの契約を締結するにすぎない。……船員労働契約においては、特定の船舶が要件となるのではなく、船舶は不特定である。船舶の特定は、船舶所有者の乗船命令によって定まる。したがって、この場合には、船員労働契約が締結され、その内容として特定の船舶に乗り組んで労務を提供することになる。この特定の船舶に乗り組んで労務を提供することを内容とする契約が雇入契約である。……船員法は、立法技術上、船員の雇用関係のうち、特定の船舶における労務の提供をとらえて、この関係を雇入契約とし、その他を雇用契約として規制しているのである。雇入契約は、一杯船主の場合のように、船員労働契約それ自体である場合があるが、予備員制度をとる企業においては、船員労働契約の一部分である。船員法は、両者の区別について特に考慮を払わず、船員の雇用関係のうちの一定の内容のものを雇入契約として取上げ、それについて規制しているのである。

つまり、どの船に乗るか判らない状態での契約は「雇用契約」で、具体的にこの船に乗り込むということになると、その部分は「雇入契約」になるというわけです。

これは、もちろん船員の労働形態から来るものではあるんですが、考えてみると船員としての地位を設定するベースとしての雇用契約と、具体的な労務提供にかかわる部分の雇入契約を概念上区分するという発想は、労働者派遣という就労契約にも応用可能なものだったのではないかという気がします。

派遣されていない状態の派遣労働者というのは、ちょうど船に乗っていない状態の予備員に当たるのではないか、とか。いろいろと考えを膨らませることができそうな予感がします。

経済財政諮問会議廃止法案

やや旧聞ですが、国民新党が経済財政諮問会議廃止法案を準備するという記事がありました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2008010602077366.html

>国民新党は五日、政府の経済財政諮問会議は格差拡大を助長しているとして、同会議を廃止するための法案の作成に着手した。単独では法案提出に必要な議員数を確保できないため、民主党や社民党に協力を呼び掛け、十八日召集予定の通常国会に提出したい考えだ。

 同会議は経済閣僚や有識者ら民間議員がメンバーで、毎年夏に経済財政運営の基本方針「骨太の方針」を定めている。小泉政権時代に郵政民営化のけん引役だったこともあり、国民新党は参院選マニフェスト(政権公約)でも同会議の抜本的見直しを打ち出していた。

 同党は同会議廃止を次期衆院選の「目玉政策」に位置付けたい考えで、綿貫民輔代表は「小泉内閣の遺物を廃止し、思い切った政策転換を図りたい」と強調している。

まあ、国民新党にとっては郵政民営化の先兵として憎んでも憎み足りないんでしょうね。

ただ、各省の縦割りではなく、内閣総理大臣の直属に総合的な政策審議機関を置くこと自体は、設定と運用のよろしきを得れば決してそれ自体が悪いことではないのだろうと思っています。

昨年来、三者構成原則の重要性を繰り返し語ってきておりますが、これは別に役人根性から、厚生労働省の労働政策審議会ですべてを決めるべきだと言っているわけではなく、労働者の代表の一人もいないところで、労働者の利益を直接左右するような物事が決められていいわけはなかろうという趣旨であるわけで。

実際、成長力底上げ戦略推進円卓会議とか、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seichou2/kousei.html

ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議とか

http://www8.cao.go.jp/shoushi/w-l-b/tsuuchi.html#meibo

は、官邸ないし内閣府直属ですがちゃんと労働者代表が入っているわけで、こういうのはむしろ望ましいことだと思います。

問題は経済財政諮問会議の構成なのですね。

民間議員として入っているのは経営者2人と、経済学者2人だけで、これでは片翼飛行といわざるを得ないでしょう。

少なくとも経営者2人に対応する人数だけ、労働者代表と消費者代表が入ってしかるべきでしょう。

労働者派遣のボタンの掛け違い

『時の法令』連載中の「そのみちのコラム」、1月15日号は労働者派遣を取り上げました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kakechigai.html

EUの格差社会をめぐる状況と法政策

経営民主ネットワークが出している『経営民主主義』の36号に掲載された講演録です。昨年9月29日に経営民主ネットワーク主催、連合東京後援による東京シンポジウムで喋ったものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kakusachousen.html

2008年1月10日 (木)

民主党の介護労働者人材確保法案

朝日によると、民主党が介護職員の賃金を引き上げるための「介護労働者の人材確保特別措置法案」を衆院に提出したそうです。

http://www.asahi.com/politics/update/0109/TKY200801090306.html

>民主党は9日、介護職員の賃金を引き上げるための「介護労働者の人材確保特別措置法案」を衆院に提出した。介護現場で人材不足が深刻化しており、介護の質を確保するため待遇改善が急務と判断した。08年度予算での対応を政府に求めていくという。

 法案では、地域別や介護サービス別に平均賃金を算出し、それを上回る介護事業所の介護報酬を3%引き上げる。必要な900億円は全額国庫で負担する。これにより、半数の事業所の職員40万人(常勤換算)の賃金が月2万円増える計算だ。

民主党のHPに見に行くとありました。これですね。

http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=12484

>法案では、地域別、サービス内容別に平均的な賃金水準を決めた上、その基準を上回る賃金の介護事業所を「認定事業所」として、介護報酬を3%加算する。事業主にも、介護職員の労働条件を改善する努力規定を課す。

法案自体は、

http://www.dpj.or.jp/news/files/080109kaigo_hoan.pdf

第一条 この法律は、加齢により心身の機能が低下した場合等に高齢者等が安心して暮らすことのできる社会を実現するために介護労働者が重要な役割を担っていることにかんがみ、現在他の業種に従事する労働者と比較して低い水準にある介護労働者の賃金の向上に資するよう特別の措置を定めることにより、介護を担う優れた人材を確保し、もって介護サービスの水準の向上を図ることを目的とする。

つまり、介護という特定産業の労働者の賃金水準を他の労働者よりも引き上げることを法目的とするという未だかつて存在したことのない法律ということになります。

仕掛けはなかなか複雑で、まず、

第四条 厚生労働大臣は、事業の種類及び地域ごとに、介護労働者の賃金の当該地域における平均額を勘案し、次条の認定を受けるための基準となる介護労働者の賃金の事業所における平均額(以下「認定基準額」という。)を定めるものとする。

この認定基準額に基づいて、

第五条 介護事業者は、事業所ごとに、都道府県知事・・・・・に対し、厚生労働省令で定めるところにより算出した介護労働者の賃金の見込額の当該事業所における平均額が認定基準額を下回らない旨の認定を申請することができる。

2 都道府県知事は、前項の規定による認定の申請があった場合において、同項に規定する介護労働者の賃金の見込額の当該事業所における平均額が認定基準額を下回らないと認めるときは、その認定をするものとする。

こうして認定を受けたらどうなるかというと、

第八条 厚生労働大臣は、介護を担う優れた人材が確保されるようにするため、高齢者等が安心して暮らすことのできる社会の実現に介護労働者が重要な役割を担っていること並びに介護労働者が従事する業務が身体的及び精神的負担の大きいものであることを踏まえるとともに、他の業種に従事する労働者の地域における平均的な賃金水準を勘案し、事業の種類及び地域ごとに、加算介護報酬に関する基準を定めるものとする。

この基準に基づいて、

第九条 市町村又は特別区(以下単に「市町村」という。)は、認定介護事業者に対し、加算介護報酬を支給する。

2 加算介護報酬の額は、前条の基準により算定した額とする。

3 市町村は、認定介護事業者から加算介護報酬の請求があったときは、前条の基準に照らして審査した上、支払うものとする。

加算介護報酬というお金が高い賃金を払っている介護事業者に流れるという仕組みです。

第十三条 国は、市町村に対し、加算介護報酬の支給に要する費用を負担する。

そのお金は全額国が面倒を見ますよ、と。

で、後ろの方に、いささかとってつけたように、

第十五条 介護事業者は、介護を担う優れた人材を確保することにより質の高い介護サービスを提供することができるよう、介護労働者の賃金の引上げ、労働時間の短縮その他の労働条件の改善に努めなければならない。

という努力義務みたいなのがくっついています。要は、介護労働者に高い賃金を払う事業者に助成金をあげるということなんじゃないの、という気もしますが、それを加算介護報酬という介護保険制度の一部のような形でやるというところがウリなんでしょうが、それならそもそも介護報酬自体が介護労働コストも含めた介護コストを担保するもののはずで、介護給付とは別建てで加算介護報酬という形にすることはどういう意味になるんだろうか、というあたりが、頭の中が混乱するところですね。

社会保障政策としての介護報酬自体はいじらないのだ、あくまでも労働政策として介護労働者の処遇改善を図るのだという整理なのか、それともいやいや単なる労働政策ではなく、この加算部分も含めたトータルの介護報酬を引き上げる社会保障政策としての立法という整理なのかが、実のところ法文を読んでもよくわからない、というか、ごっちゃになっている感があります。

実をいうと、こういう特定の産業分野の「人材確保」のために賃金を高くしようという法律の前例は、学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法とか、

http://fish.miracle.ne.jp/adaken/law/zinzaikakuhoho.htm

>第三条  義務教育諸学校の教育職員の給与については、一般の公務員の給与水準に比較して必要な優遇措置が講じられなければならない。

看護師等の人材確保の促進に関する法律とか、

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H04/H04HO086.html

>第五条  病院等の開設者等は、病院等に勤務する看護師等が適切な処遇の下で、その専門知識と技能を向上させ、かつ、これを看護業務に十分に発揮できるよう、病院等に勤務する看護師等の処遇の改善その他の措置を講ずるよう努めなければならない。

なんてのもあるんですが、認定基準額に基づいて認定をして加算報酬を払うなんてのは前代未聞でしょう。現実性はとりあえず措くとして、いろんな意味で興味深い法案ですね。

2008年1月 9日 (水)

貧乏物語

51lgcluqnyl_ss500_ 河上肇の『貧乏物語』といえば、むかしは若者の必読書100選なんかにもよく入っていたものですが、ここ数十年くらいははとんと忘れ去られて、岩波文庫でも新刊されていないようです。

しかし、昨今のワーキング・プア問題への関心の高まりの中で、これは改めて読まれる値打ちのある書物だと思います。

青空文庫では残念ながら現在入力中ということのようですが、

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person250.html#sakuhin_list_1

ネット上を見回すと、すでにeテキストになっていました。

http://homepage1.nifty.com/kybs/datastk/binbo11.html

http://www.ksky.ne.jp/~hatsu/hajime/binbo/binbo.htm

まずは格調高い「序」を、

>人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。思うに経済問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも、、全くこれがためであろう。昔は孔子のいわく、富にして求むべくんば執鞭《しつべん》の士といえども吾《われ》またこれを為《な》さん、もし求むべからずんばわが好むところに従わんと。古《いにしえ》の儒者これを読んで、富にして求めうべきものならば賤役《せんえき》といえどもこれをなさん、しかれども富は求めて得《う》べからず、ゆえにわが好むところに従いて古人の道を楽しまんと解せるがごときは、おそらく孔子の真意を得たるものにあらざらん。孔子また言わずや、朝《あした》に道を聞かば夕べに死すとも可なりと。言うこころは、人生唯一の目的は道を聞くにある、もし人生の目的が富を求むるにあるならば、決して自分の好悪をもってこれを避くるものにあらず、たといいかようの賤役なりともこれに従事して人生の目的を遂ぐべけれども、いやしくもしからざる以上、わが好むところに従わんというにある。もし余にして、かく解釈することにおいてはなはだしき誤解をなしおるにあらざる以上、余はこの物語において、まさに孔子の立場を奉じて富を論じ貧を論ぜしつもりである。一部の経済学者は、いわゆる物質文明の進歩――富の増殖――のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども、余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至る事をもってのみ、真実の意味における文明の進歩と信ずる。しかも一経済学者たる自己現在の境遇に安んじ、日々富を論じてあえて倦《う》むことなきゆえんのものは、かつて孟子《もうし》の言えるがごとく、恒産《こうさん》なくして恒心《こうしん》あるはただ士のみよくするをなす、民のごときはすなわち恒産なくんば因《よ》って恒心なく、いやしくも恒心なくんば放辟邪侈《ほうへきじゃし》、ますます道に遠ざかるを免れざる至るを信ずるがためのみである。ラスキンの有名なる句に There is no wealth, but life (富何者ぞただ生活あるのみ)とこいうことがあるが、富なるものは人生の目的――道を聞くという人生唯一の目的、ただその目的を達するための手段としてのみ意義あるに過ぎない。しかして余が人類社会より貧乏を退治せんことを希望するも、ただその貧乏なるものがかくのごとく人の道を聞くの妨げとなるがためのみである。読者もしこの物語の著者を解して、飽食暖衣をもって人生の理想となすものとされずんば幸いである。

 著者経済生活の理想化を説くや、高く向上の一路をさすに似たりといえども、彼あによくその説くところを自ら行ない得たりと言わんや。ただ平生の志を言うのみ。しかも読者もしその人をもってその言を捨てずんば、著者の本懐これに過ぐるはあらざるべし。

本文の開口一番がこれ、

>驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である。

>今余もいささか心にいたむ事あってこの物語を公にする次第なれども、論ずるところ同じからざるがゆえに、貧乏人を分かつこともまたおのずから異なる。すなわち余はかりに貧乏人を三通りに分かつ。第一の意味の貧乏人は、金持ちに対していうところの貧乏人である。しかしてかくのごとくこれを比較的の意味に用い、金持ちに対して貧乏人という言葉を使うならば、貧富の差が絶対的になくならぬ限り、いかなる時いかなる国にも、一方には必ず富める者があり、他方にはまた必ず貧しき者があるということになる。たとえば久原《くはら》に比ぶれば渋沢《しぶさわ》は貧乏人であり、渋沢に比ぶれば河上《かわかみ》は貧乏人であるというの類である。しかし私が、欧米諸国にたくさんの貧乏人がいるというのは、かかる意味の貧乏人をさすのではない。

格差があるのは当たり前だ、それをどうこう言うのはねたみ根性だというのは、こういう「貧乏人」の話でしょう。

>思うにわれわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。その一は肉体《ボデイ》であり、その二は知能《マインド》であり、その三は霊魂《スピリット》である。しかして人間の理想的生活といえば、ひっきょうこれら三のものをば健全に維持し発育させて行くことにほかならぬ。たとえばからだはいかに丈夫でも、あたまが鈍くては困る。またからだもよし、あたまもよいが、人格がいかにも劣等だというのでも困る。されば肉体《ボデイ》と知能《マインド》と霊魂《スピリット》、これら三のものの自然的発達をば維持して行くがため、言い換うれば人々の天分に応じてこれら三のものをばのびるところまでのびさして行くがため、必要なだけの物資を得ておらぬ者があれば、それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべきである。しかし知能《マインド》とか霊魂《スピリット》とかいうものは、すべて無形のもので、からだのように物さしで長さを計ったり、衡《はかり》で目方を量ったりすることのできぬものであるから、実際に当たって貧民の調査などする場合には、便宜のため貧乏の標準を大いに下げて、ただ肉体のことにみを眼中に置き、この肉体の自然的発達を維持するに足るだけの物をかりにわれわれの生存に必要な物と見なし、それだけの物を持たぬ者を貧乏人として行くのであって、それが私の言う第三の意味の貧乏人である。

ネット上にも、知能の貧乏な人や霊魂の貧乏な人はいっぱいいるようですが・・・。

>故啄木《たくぼく》氏は
  はたらけど
  はたらけどなおわが生活《くらし》楽にならざり
  じっと手を見る

と歌ったが、今日の文明国にかくのごとき一生を終わる者のいかに多きかは、以上数回にわたって私のすでに略述したところである。今私はこれをもってこの二十世紀における社会の大病だと信ずる。しかしてそのしかるゆえんを論証するは、以下さらに数回にわたるべき私の仕事である。

 貧乏がふしあわせだという事は、ほとんど説明の必要もあるまいと考えらるるが、不思議にも古来学者の間には、貧乏人も金持ちもその幸福にはさしたる相違の無いものであるという説が行なわれておる。

確かに、そういう不思議な説を唱える人は後を絶ちません。

>思うに貧乏の人の心身に及ぼす影響については、古来いろいろの誤解がある。たとえば艱難《かんなん》なんじを玉にすとか、富める人の天国に行くは駱駝《らくだ》の針の穴を通るより難《かた》しとかいうことなどあるがために、ややもすれば人は貧乏の方がかえって利益だというふうに考えらるる傾きがある。・・・・・・しかし過分に富裕なのがふしあわせだからといって、過分に貧乏なのがしあわせだとは言えぬ。繰り返して言うが、私のこの物語に貧乏というのは、身心の健全なる発達を維持するのに必要な物資さえ得あたわぬことなのだから、少なくとも私の言うごとき意味の貧乏なるものは、その観念自身からして、必ずわれわれの身心の健全なる発達を妨ぐべきものなので、それが利益となるべきはずはあり得ないのである。

5年制の職業校新設

読売の記事です。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08010804.cfm

>政府・自民党は、職業教育を充実・強化するため、中学卒業を資格とする5年制の新たな職業教育機関を創設する検討に入った。大学進学率が高まるにつれ、現在の高等専門学校(高専)や、工業高校、商業高校など専門高校への入学志願者が減り続け、既存の機関に代わる新たな職業教育の枠組みを作る必要性があると判断したものだ。近く自民党内にプロジェクトチームを設けて議論を始め、年内に新たな学校種の規定を盛り込んだ学校教育法改正案の策定を目指す。

>新たな5年制の職業教育機関の基本的な枠組みは、各都道府県の工業や商業、農業など複数の公立の専門高校を再編・統合し、3年間の教育課程にさらに2年間の新たな高等教育課程を加える、というもの。このほか、既存の専門高校や高専の教育課程を短大や専門学校と統合する――案なども検討される見通しだ。

>卒業後に取得出来る称号は、現在の高専と同じ「準学士」とするなどの意見が出ている。

この記事だけでは判然としませんが、職業教育は原則5年制とするということのようです。この背景としては、

>政府・自民党が5年制の新たな職業教育機関の創設の検討を始める背景には、学校教育と、実社会に進んで携わる職業の不釣り合いから生じる若年失業者や、通学も就労もせず、職業訓練も受けていない若者(ニート)の増加がある。

>工業や商業高校などの専門高校を卒業したものの、就職に役立つ知識や資格を取得出来ずに専門学校に進む学生が増え、昨年は、高卒全体の2割を超える約28万人が専門学校に入学するなど、職業教育の“空洞化”を指摘する声は多い。また、高校と短大、専門学校での学習内容が異なるケースも多く、学校現場での学習と、将来就きたい職業が一致せず、若者の離職率が高まる一因にもなっている。

>このため、政府・自民党は、5年間の一貫した職業教育を実践することで、“職業人”を意識した学習ができると判断した。

とあります。ただ、

>このため、新たな5年制の枠組みでは、従来の工業や商業などの科目に加え、サービス業や医療、スポーツなど、多様な実務教育の科目創設を検討している。

>ただ、少子化時代の到来で厳しい経営状況にある短大や専門学校と競合する可能性もあり、関係者の反発も予想される。

という問題もあるようです。これは大きな関心を持ってフォローしていきたい話題ですね。

2008年1月 8日 (火)

雇用社会の法と経済

「法と経済学」で「労働法」を斬るというと、あの福井・大竹編著の『脱力』本を思い出してしまいそうですが、こちらは大変まっとうな本のようです。

大竹文雄先生のブログに近刊書の紹介が載っています。

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2008/01/post_8a8d.html

書名         雇用社会の法と経済
キャッチフレーズ 法学と経済学の画期的コラボレーション
著訳編者      荒木尚志,大内伸哉,大竹文雄,神林龍/編
著者紹介      東京大学教授,神戸大学教授,大阪大学教授,一橋大学准教授
発売予定      2008年2月上旬
判型、頁数     A5判上製カバー付,320
予価         4400 円(税込 4620 円)
ISBNコード     978-4-641-14385-2
出版社       有斐閣 

解説   雇用システムに関する主要なテーマをとりあげて,法律学と経済学それぞれの立場から,問題の所在,問題解決のアプローチの仕方を整理し,それぞれの分野での議論では看過されていた問題や検討の視角を発見し,より妥当性のある政策論の構築に資する学際研究を試みる。

目次
第1章 解雇規制=荒木尚志・大竹文雄
第2章 賃 金=橋本陽子(学習院大学)・安部由起子(北海道大学)
第3章 高齢者雇用──「エイジ・フリー」の理念と法政策=森戸英幸(上智大学)・川口大司(一橋大学)
第4章 労働時間=小畑史子(京都大学)・佐々木 勝(大阪大学)
第5章 労働条件の変更=大内伸哉・安藤至大(日本大学)
第6章 有期雇用の法規制=両角道代(明治学院大学)・神林 龍
第7章 人事考課・査定=土田道夫(同志社大学)・守島基博(一橋大学)
第8章 雇用平等=山川隆一(慶應義塾大学)・川口 章(同志社大学)
第9章 労災保険=岩村正彦(東京大学)・太田聰一(慶應義塾大学)
第10章 労働紛争の解決手段としてのストライキ=奥野 寿(立教大学)・石田潤一郎(大阪大学)
第11章 総 論(座談会)=諏訪康雄(法政大学)・清家 篤(慶應義塾大学)・大内伸哉・神林 龍

まあ、この面子を見ただけで、中味の充実ぶりは想像できます。2月上旬発売予定だそうなので、まだ1ヶ月ほど先ですが、待ち遠しいですね。

日本労働研究雑誌の2/3月号に載る「学界展望:労働法理論の現在」では『脱力』本を批判したわけですが、その時にこの本が出ていれば、正しい法と経済学のコラボレーションの実例として挙げられたかも知れません。

2008年1月 7日 (月)

「就職後も生活保護」8割

読売新聞が興味深い調査結果を報じています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08010704.cfm

>生活保護受給者の自立を促すため、厚生労働省が2005年6月に始めた「就労支援事業」で、07年9月までに就職した1万566人のうち、最低生活費を上回る収入を得られず生活保護を継続している人が8549人(80・9%)にのぼることが、読売新聞が47都道府県と17政令指定都市に実施した聞き取り調査でわかった。

 支援を受けながら就職できていない人も、就職者の約1・4倍の1万4687人に達していた。政府は07年度から「福祉から雇用へ」推進5か年計画をスタートさせたが、貧困から容易に抜け出せない実態が浮き彫りになった。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_08010703.cfm

>こうした都市部では物価が高く、最低生活費の基準が地方より高いが、各市の担当者らは「母子世帯の割合が多いのも主要因の一つ」と指摘。若いシングルマザーは働く意欲があっても、子育てまで支援してくれる企業が少なく、パート勤めがほとんど。東京都の担当者は「就労経験が全くない人もおり、清掃など単純労働が多い」と話す。

 厚生労働省によると、母子世帯は2003年度推計で、その5年前と比べ3割増の全国122万世帯。全労働者の3人に1人にまで非正規雇用が広がるなか、同省の06年度調査では、シングルマザーの2人に1人がパート勤め。平均就労収入は年171万円で、シングルマザーの9・6%が生活保護を受けていた。一方、ひとり親の保護世帯に支給される母子加算は05年度から段階的に廃止され、09年度に全廃される予定だ。

この辺をどう考えるかが、まさに労働と福祉の絡み合う局面であるわけです。

労働のロジックからすると、

(家計補助的な人も含めた)すべてのパートターマーに、シングルマザーが子供を育てるのに十分なだけの賃金を払えと言うわけにはいかない。

シングルマザーであるパートタイマーにだけ、彼女が子供を育てるのに十分なだけの賃金を払えと言うわけにもいかない。

この空隙を埋められるのは福祉政策でしかないのですが、それが生活保護という形でなされることが、頑張って働くことに対するディスカレッジ効果を持ってしまうという矛盾があり、

そして働いていなくて生活保護を受給していたシングルマザーを「福祉から仕事へ」移行させても、やっぱり生活保護から抜けられないという矛盾があり、

生活保護を受給せずに乏しいパート賃金で働いている多くのシングルマザーを実質的に支えてきた児童扶養手当が、「福祉から仕事へ」の「福祉」に当たるものとして削減されかかるという矛盾もあり、

やはり、ここに必要なのは、仕事による収入に代わる福祉ではなく、仕事による収入を補填する福祉としての社会手当という考え方の導入ではないかと思われます。

ここも、年末の朝日の対談でちらと喋ったことにつながります。

2008年版経営労働政策委員会報告

昨年末に日本経団連が発表した2008年版経営労働政策委員会報告ですが、日本経団連のHP上では、一枚ピラの「概要」が載っているだけで、

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/109.pdf

とてもコピペできるものではないので、どうしようかなと思っていたのですが、やっぱりこれにコメントしておかないわけにはいかないので、以下いちいち入力していきます。誤字脱字はご容赦あれ。

今回の報告は副題が「日本型雇用システムの新展開と課題」となっていますが、全体のトーンは序文にあるように「守るべきものは堅持し、改めるべきものは変革していく」ということでしょう。当たり前といえば当たり前ですが、今まではいささか「守るべきものも改め、改めるべきものはぶっ潰す」という嫌いがあったことを考えると、正道に立ち返ってきたというべきかも知れません。

いくつかトピック的に取り上げますと、まず日本経済の直面する課題というところで、「全員参加型社会の実現」が掲げられていますが、そこで

>いわゆる「正規」「非正規」をめぐる議論について見解を明らかにしておきたい。

と述べていますので、これは注目です。

>我が国では「非正規」と呼ばれることが多い外部労働市場は、洋の東西を問わず、いつの時代にも存在してきた。しかし、我が国の外部労働市場は、バブル崩壊後に、企業が在籍者の雇用を維持するためやむを得ず新規採用を手控えた、就職氷河期に拡大したという不幸な歴史を背負っている。

>こうしたことを背景に、「正規従業員」と「非正規従業員」との間にあたかも上下関係があるかのように見なす風潮がある。そして両者の格差を是正するとして「非正規従業員の正規従業員か」の推進が主張されている。

>高度成長期には、男性を中心とするフルタイムの長期雇用が典型的な雇用関係であった。しかし今や、全員参加型社会の実現をめざして、女性や高齢者の労働市場への参加率を引き上げていくことが課題となっている。これらの人々は育児や体力の問題などのため、必ずしもフルタイムの雇用関係を望まない傾向がある。また、性別や年齢を問わず、家庭生活や多彩な才能の発揮を重視し短時間勤務や短期間雇用を積極的に選択するライフスタイルや、一つの企業や職種に縛られない多様な職業人生を求める価値観などが広がりを見せている。

>就職氷河期に意に反して期間従業員・パートタイム従業員・派遣社員等となった人々に、長期雇用への道を開いていくことが全社会的な課題であることに疑問の余地はない。企業も、今後とも雇用関係の軸足を長期雇用に置いていく。

>しかし、人口構成やライフスタイルが変わっている中で、フルタイムの長期雇用のみを理想型とし、その他の雇用関係・就労形態をすべてこれに収斂させていくことを目標として労働政策を展開していくことには無理があるといわざるを得ない。

>むしろ、企業や政策当局が取り組むべきことは、「正規」と「非正規」との間の壁を引き下げ、合理的な根拠を欠く処遇の違いや偏見を解消し、フルタイム長期従業員も、期間従業員・パートタイム従業員・派遣社員等も、それぞれ自らの選んだ職務を、胸を張り、誇りを持って勤めることができる社会を創ることである。

その言やよし。言ってることはほとんど正論です。

問題は、長期安定型雇用の中に居場所を得られるべきであったのにそれが得られなかった人々、「就職氷河期に意に反して期間従業員・パートタイム従業員・派遣社員等となった人々に、長期雇用への道を開いていくこと」というのは確かに「全社会的な課題」であるわけですが、それを主として担うべきだしまた担いうるのは日本経団連の会員企業であるはずだろうということであるわけで。

そして、「今後とも雇用関係の軸足を長期雇用に置いていく」のは当然ですが、その中味はしっかり変革していかなければならないということにもつながります。

そこで第2章の「日本型雇用システムの新展開と労使交渉・協議に向けた経営側のスタンス」にいくわけですが、日本経団連によると、日本型雇用システムとは、人間尊重をベースに、新卒採用、長期雇用、年功型賃金、企業内労使関係の4点を特徴としているのですが、これらを今後こう変えていくと。

>新卒採用中心から多様な人材の採用・活用へ、

>長期雇用を基本としつつ外部労働市場も活用、

>年功型賃金から仕事・役割・貢献度を基軸とした賃金制度へ

>企業内労使関係の堅持とコミュニケーションの充実

このうち、賃金制度については、「開かれた賃金制度の整備」というところで詳しく述べています。

>年齢や勤続年数などにとらわれることのない賃金制度を構築することで、中途採用者と在籍者との賃金の公正性が図られ、かつ、誰に対しても公平にチャレンジできる機会が開かれる。また、そうした企業が増えていけば、雇用機会も拡大する。

>このような仕事・役割・貢献度を基軸にする賃金制度を構築していくに当たって、従業員の移動などを容易にする観点から、一つの職務に一つの賃金額を設定する「単一型」ではなく、同一の職務等級内で昇給を見込んで賃金額に幅を持たせる「範囲型」の制度とすることも選択肢と考えられる。

>また、勤続年数と労働の価値や生産性との間に明らかな関連性が認められる場合などにおいては、範囲型の制度の活用に加え、勤続年数や貢献度にもウェートを置いた制度を選択することも考えられる。

>さらに、職群ごとに賃金制度の基軸を変える複線型の賃金制度の導入も検討に値しよう。

一言で言うと、長期雇用は堅持するけど年功賃金はやめるぞ、とはいえ長期雇用と制度的補完性のある年功的部分は維持するしかありませんね、というところでしょうか。つまり勤続による熟練給的な年功制は維持すると。そうすると、ここで排除されるべき年功的部分というのは、労務と直接関係のない年齢給的な部分、つまりこの年齢だったら子供の教育や住む家にこれだけコストがかかるよね、という部分になるわけで、それはそれとして実に合理的な発想ではありますし、企業側としては当然ですが、さてではその部分のコストは誰が面倒を見てくれるんだろうというところが、残念ながらこの報告では言及されておりません。それは「経営労働政策」の問題ではなく、まさに公共政策としての社会政策の問題なのでしょう。この辺が、昨年末の朝日の対談でちらと喋ったことにつながります。誰もその部分を出してくれないんであれば、労働者側としてはみすみす生活給を手放すというわけにはいかないでしょう。むしろ、育児・教育手当や住宅手当といったヨーロッパ型の社会手当の導入が、こういう賃金制度の改革を容易にするという面があるのです。政府はなんでも小さい方が企業のためになるというわけではありません。

これに関連して、同一価値労働・同一賃金論とこれを拡大・援用した職種別同一賃金論について、かなりの紙数をとって論じています。これが実に興味深い。

>まず、日本経団連は、同一価値労働・同一賃金の考え方に異を唱える立場ではないことを明確にしておきたい。同一価値労働とは、将来にわたる期待の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらす労働である。このような労働は、同一処遇で報われるべきである。

と、まずはそれに賛成だよというところから始めますが、すぐに、

>ただし、これは同じ事業所内で同一時間働けば、同一賃金で処遇されると言うことではない。人によって熟練度・職能レベルはまちまちである。各従業員の責任や見込まれる役割などは異なる。就業時間帯や配置転換の有無なども契約により違う。このような差異があれば、同一時間の労働であっても、処遇には合理的な差があり得る。

と、実質的に反対論に転換しています。特に興味深いのは、

>一部有識者などが提唱している職種別同一賃金論であるが、これは同一職種であれば、事業所や企業の別なく同一賃金を求める議論である。しかし、事業所や企業が別な場合は、生産性が異なる。立地や時期が違えば、労働需給も異なる。従って、事業所や企業の枠を超えて同一職種の労働に対し同一の処遇を求めることは合理的な根拠を欠く。

>このような全国一律の賃金は、方により統制するか、或いは、全国的な職種別団体交渉を前提としなければ実現できない。いずれの仕組みも我が国においては存在せず、職種別の全国同一賃金説は社会的基盤を欠いている。

>のみならず、こうした賃金決定が行われることになれば、労働市場は職種ごとに分断される。その結果、労働市場の流動性は著しく低下する。就業者のキャリアアップに向けたチャレンジの機会は狭まり、就労意欲は減退する。企業も競争力強化の手足を縛られ、産業構造の高度化は進まなくなる。職種別同一賃金は我が国が選択すべき方向ではない。

と、大変強い調子で職種別賃金論を叩いているのです。

これが面白いというのは、私が『世界』論文(「労働ビッグバンを解読する」)の最後のところで、こういうことを書いているからです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbang.html

>これに対して、ほとんど指摘されていないが、八代氏流の労働ビッグバンの最大の問題点は、あまりにも職種別労働市場への志向が強すぎ、労働者のキャリア形成という課題がないがしろにされている点である。

>「外部労働市場が整備され、賃金が競争的に形成されるようになると、職種や技能の差を別にすれば、『同一労働・同一賃金』の原則が達成可能な土壌が形成される」とか、「同一の職種で、同一の質の労働を、同一の時間だけ提供した場合には、同一額の賃金が支払われることになる」といった理想像は、本誌に登場する反労働ビッグバン派の論者と奇妙にも共通するところが多いように見える。しかし、現に低技能低賃金の仕事に従事している非正規労働者たちがどうやってその「同一労働」の水準に到達するのかというと、「働く意欲を有する者には職業能力形成の機会が等しく与えられるとともに、習得した職業能力については、その公正で客観的な評価結果が『ジョブ・カード』に記載され、就労・キャリア・アップに結びつく」といったいささか空疎な文字が躍るだけである。
 これは八代氏だけでなく、非正規労働問題といえば「均等待遇」としか考えない多くの論者と共通する点である。しかし、現在の非正規労働問題の中心的課題である若年フリーター、とりわけ90年代後半の就職氷河期に正規労働者として就職できなかった年長フリーター世代にとって、最大の問題は現在の低賃金自体にあるわけではない。昨年の労働経済白書が見事に摘出したように、彼らが中核的労働者に与えられている職業能力開発機会から排除され、どんなに長く働いても技能が向上せず、より高いレベルの仕事に就いていくことがなく、それゆえに将来的に賃金の上昇が見込めないという点にある。欧米と異なり、労働者の教育訓練が主として企業内で行われる日本では、その企業内訓練から排除されるということは、職業キャリアのメインストリームから排除されることに等しい。
 そもそも「同一労働」が提供されていない非正規労働者に「同一労働同一賃金」を約束しても何の意味もない。何よりも重要なのは、彼らが将来正規労働者と「同一労働」ができる可能性をもたらすような教育訓練を使用者に求めることではなかろうか。労働者は生きた人間であり、数十年にわたる職業人生を送る存在である。ある一時点で切った「同一労働同一賃金」を論ずるよりも、時間軸を通じたキャリア形成をこそ政策の主軸に据えるべきであろう。

この点については、日本経団連は、八代氏や例えば木下武男氏のような職種別主義者とは対立し、むしろ私と共通点があるようですね。

で、最後に、また今さらという感もありますが、いまだにこういう寝言を言っているので、やっぱり言っておく必要があるでしょう。

>自主的・自律的な働き方を可能とする制度の検討

>専門性や創造性などが高い仕事を行う従業員に限って、従来の労働時間法制や対象業務にとらわれない、自主的・自律的な時間管理を可能とする制度の導入を検討する必要がある。

いや、だから、そういう話じゃない、ってことは、日本経団連の皆様もよーーく判った上で、しかしやむなく言ってるということはこちらも判ってはいますけれどもね。

準司法機関の統廃合

続・航海日誌さん経由で、

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0801.shtml

昨日の日経の記事

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080106AT3S2900M05012008.html

に若干のコメントを。

>政府・与党は行政処分への不服申し立ての審査や紛争処理などを担当する中央労働委員会などの行政機関の統廃合を検討する。処理件数が減っている機関があるほか、処分を出す省庁の担当者が人事異動でその処分を審査をする機関に移る例があり、中立性を疑問視する声があるためだ。自民党司法制度調査会を中心に作業を進め、できるものは18日召集の通常国会に関連法案を提出したい考えだ。

 不服審査機関の見直しでは国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会と海難審判庁の統合が昨年12月に決定。政府・与党は国交省所管の船員中央労働委員会も2008年度中に厚生労働省所管の中央労働委員会に吸収させる考えだ。

最後の船中労委と中労委の統合については、昨年本ブログでも触れましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_451c.html(船員労働委員会の廃止?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_50e9.html(今さらボヤきません)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_fd4f.html(船員労働委員会の運命)

結局、船中労委からはたった一人の定員も移ることなく、船員に関する紛争処理事務はめでたく中労委に移管されることと相成りましてございます。これで観光庁長官をせしめたのですから、さすが国土交通省というところですかな。

まあ、それはともかく、この上の統廃合って何だろうとおもって、同じく続・航海日誌さんのリンクをたどって、平成19年12月14日 自由民主党政務調査会司法制度調査会経済活動を支える民事・刑事の基本法制に関する小委員会「【緊急提言】準司法改革の成果と今後の指針」

http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2007/pdf/seisaku-032.pdf

を見てみると、不服審査関係で大きな改革を狙っているようです。上の記事で「処分を出す省庁の担当者が人事異動でその処分を審査をする機関に移る例があり、中立性を疑問視する声がある」というのは、労働保険審査会などはまさにその典型で、だから審査会で蹴られたものが裁判所で労災認定されるんじゃないかなどと遺族や弁護士の方々が批判する所以でもあるわけですが、一方で、労災認定の技術的な意味での専門性というのはなかなか半端なものではなく、関わったことのない人間がいきなりやれといわれてできるものでもないという面もあるわけです。上のリンク先文書で例の消えた年金の関係で、総務省に設置された年金記録確認第三者委員会の方がよっぽど立派にやってるじゃないか、というのとそう簡単に同列に論じられるものではないように思われます。

とはいえ、じゃあ今の労働保険審査会のままでいいのかというと、やっぱり上の指摘は重いものはあるわけで、役人仲間じゃない第三者でしかも労災補償の詳しいところにもきちんとした知識を持った外部の人を、ということになると弁護士とか社労士とかという話になるのでしょうか。

ただ、いずれにしても、ただでさえ業務量が処理能力を超え気味で仕事の溜まっている労働保険審査会を、下手に統廃合してしまうとフリーズしてしまう危険性がありますので、そこは念頭においておく必要はありましょう。

佐川子会社が二重派遣

今年も年始から派遣祭りの予感が・・・。

http://www.asahi.com/life/update/0106/TKY200801060156.html

>厚生労働省は、佐川急便グループで物流大手の佐川グローバルロジスティクス(SGL、東京)に対し、労働者派遣法に基づく事業改善命令を出す方針を固めた。日雇い派遣大手グッドウィルから労働者を受け入れ、別の企業に送り込む違法な二重派遣をしていた。物流大手への改善命令は極めて異例。グッドウィルもすでに、SGLにからむ二重派遣を含め、違法派遣の多発で事業停止命令の通知を受けており、違法派遣問題は広がりをみせている。

>派遣労働者の申告をきっかけに昨年8月、静岡労働局が立ち入り調査して発覚。SGLは物流会社だが、一部で派遣事業も行うために07年3月に派遣事業の許可を受けており、派遣法による処分の対象となった。厚労省は、二重派遣された人数が多く悪質で、改善命令が必要と判断した。昨年12月19日付で不利益処分の予定をSGLに通知しており、弁明を聞いた上で最終的に決める。

>物流業界では季節による業務量の変動が大きく、日雇い派遣を大量に活用している。二重派遣といった違法行為が横行しているとみられ、厚労省は派遣会社だけではなく受け入れ側も処分することで、業界全体の適正化を促す考えだ。

という記事です。以下法制的解説。

二重派遣については、業務取扱要領にこのように書かれています。

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/jukyu/haken/youryou/dl/1.pdf

>第1 労働者派遣事業の意義等

1 労働者派遣

(5) 労働者供給との関係

ニ いわゆる「二重派遣」は、派遣先が派遣元事業主から労働者派遣を受けた労働者をさらに業として派遣することをいうが、この場合、当該派遣先は当該派遣労働者を雇用している訳ではないため、形態としては労働者供給を業として行うものに該当するものであり、職業安定法第44条の規定により禁止される。
これについては、派遣労働者を雇用する者と、当該派遣労働者を直接指揮命令する者との間のみにおいて労働者派遣契約(第7参照)が締結されている場合は、「二重派遣」に該当しないものである。したがって、労働者派遣契約を単に仲介する者が存する場合は、通常「二重派遣」に該当するものとは判断できないものであること(詳しくは(6)のロ及びハ参照)。

本件でいいますと、SGLは自ら雇用していないグッドウィルの労働者を、第一の派遣契約によって取得した指揮命令権によって支配従属下に置き、他の企業に送り込んでいたわけですので、概念上労働者供給に該当するということですね。労働者派遣に該当しない労働者供給は職業安定法上禁止されていますから、その違反だと。

ただ、おそらく世間一般的には、二重派遣が悪いのは派遣料をグッドウィルとSGLに二重にとられるからだろうと意識されているのではないかと思われます。実質的には確かにそうなのですが、現行派遣法上、派遣料なりマージン率に上限規制というのはありませんので、一社派遣でも二重派遣以上にマージンを取られている可能性もないわけではありません。そこは、派遣会社は自ら雇用しているんだから「(「搾取」はあっても)中間搾取はあり得ない」という建前でできているので、世間の常識的な感覚といささか食い違うところです。

実はこのブログでも縷々書いてきていますが、派遣法にはそういう世間の常識感覚と食い違うところが結構あります。いままで、派遣はそもそもケシカランvsもっと規制緩和せいのやや不毛な対立図式の中で、陣地とりゲームにばかり関心が逝って、派遣法システム自体のそういう矛盾は放置されてきた感がありますが、そろそろそういうところの見直しに足を踏み入れてもいいのではないかというのが、私の考えです。

2008年1月 4日 (金)

規制改革会議「第2次答申」に対する厚生労働省の考え方

昨年末12月28日付で、厚生労働省から標題のような規制改革会議への反論文書が出されています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/12/dl/h1228-4a.pdf

前半部分は例の混合診療関係ですが、後の方で労働政策に関する懇切丁寧な反論が書かれています。実によくできていますので、以下引用しますね。

○ 労働市場における規制については、労働者の保護に十分配慮しつつも、当事者の意思を最大限尊重する観点から見直すべきである。誰にとっても自由で開かれた市場にすることこそが、格差の是正と労働者の保護を可能とし、同時に企業活動をも活性化することとなる。
一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。

○ 一般に労働市場において、使用従属関係にある労働者と使用者との交渉力は不均衡であり、また労働者は使用者から支払われる賃金によって生計を立てていることから、労働関係の問題を契約自由の原則にゆだねれば、劣悪な労働条件や頻繁な失業が発生し、労働者の健康や生活の安定を確保することが困難になることは歴史的事実である。
このため、他の先進諸国同様、我が国においても、「労働市場における規制」を規律する労働法が、立法府における審議を経て確立されてきたものと理解している。
○ もとより、その規制の内容については、経済社会情勢の変化に即し、関係者の合意形成を図りつつ、合理的なものに見直されるべきではあるが、契約内容を当事者たる労働者と使用者の「自由な意思」のみにゆだねることは適切でなく、一定の規制を行うこと自体は労働市場の基本的性格から必要不可欠である。
○ 同様の理由から、「一部に残存する神話」、「安易な考え方」といった表現も不適切である。

○ 無配慮に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、同時に中小企業経営を破綻に追い込み、結果として雇用機会を喪失することになる。

○ 最低賃金は、最低賃金法に基づき労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められるものである。これらの考慮要素に照らして必要がある場合には、最低賃金の引上げが必要であり、また、こうした観点からの引上げは、直ちに労働者の失業をもたらすものではないと考える。

○ 過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果になるなどの副作用を生じる可能性もある。

○ 女性労働者の権利の保護は、人権上の観点から図られるべきものである。例えば、男女雇用機会均等法等は企業に対し、人権上の観点から、性差別をせずに雇用管理を行うことや、妊娠・出産に係る女性の保護など、当然のことを求めているにすぎない。
「過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果になるなどの副作用を生じる可能性もある。」という記載は、
・人権上の必要性の有無にかかわらず、一方的に女性労働者の権利確保を否定することにもなり得る
・「女性の雇用を手控える」企業については、その行為自体が女性に対する差別となり、男女雇用機会均等法上の指導の対象となる
など、人権上あるいは法制度上認められない行為を容認する記述であると考える。

○ 一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。

○ 雇用の申込義務は、無制限な派遣労働の拡大に歯止めをかける役割を果たしているが、当該義務を撤廃すれば、直用の常用労働者から派遣労働者への代替が一気に加速するとも考えられ、当該義務の存在が派遣労働者の地位を危うくするとの主張は不適当である。

○ 労働政策の立案に当たっては、広く労働者、使用者を含む国民や、経済に及ぼす影響を、適切に考察するとともに、各種統計調査等により、実証的に調査分析することが必要なはずである。しかしながら、たとえば、労働政策審議会は、平成19 年のパート労働法改正に当たり、差別的取扱いが禁止される「通常の労働者と同視すべき短時間労働者」が具体的にどの程度の規模、存在しているかを把握していなかったのである。

○ 労働政策の立案に当たって、実証的に調査分析する必要があることは当然であり、現に、労働政策審議会の平成19年のパート労働法改正審議においては、既存のパート法の規定について、詳細な実態調査結果に基づき実証的に検討が進められたところである。しかしながら、新たに法定することとした差別的取扱いの禁止の対象については、その是非も含めて検討したことから、新たに設定された要件に完全に合致する者がどの程度存在するかについて過去の調査結果から把握できないことは、それ自体やむを得ないところであると考える。したがって、今般の第二次答申において、「改正パート労働法」の例を挙げるのは極めて不適切である。

○ 解雇権や雇い止めは著しく制限されており、しかも、これらはいずれも、どういう理由と手続きの下で解雇あるいは雇止めが有効となるのか、予測可能性が低い。
そこでまず、労働者保護に十分配慮しつつも、当事者の自由な意思を尊重した合意に基づき予測可能性が向上するように、法律によってこれを改めるべきである。
○ 労使それぞれが有する相手方に関する情報の質と量の格差を是正する対策、例えば、業務内容・給与・労働時間・昇進など処遇、人的資本投資に対する労使の負担基準に関する客観的細目を雇用契約の内容とすることを奨励することにより、判例頼みから脱却し、当事者の合致した意思を最大限尊重し、解雇権濫用法理を緩和する方向で検討を進めるべきである。

○ 労働者と使用者との間には交渉力においても格差があることや、労働者は経済的に弱い立場にあり、使用者から支払われる賃金に生計をゆだねていることなどから、契約の内容を使用者と労働者との「自由な意思」のみにゆだねることは適切ではなく、最低限かつ合理的な範囲において規制を行うことは必要であり、専ら情報の非対称性を解消することで必要な労働者保護が図られるとの見解は不適切である。
○ また、こうした実態を踏まえて、判例によりルールが整備され、労働契約法に規定された解雇権濫用法理について、その緩和を主張するのは不適切である。

○ 労働者派遣法は、派遣労働を例外視することから、真に派遣労働者を保護し、派遣が有効活用されるための法律へ転換すべく、派遣期間の制限、派遣業種の限定を完全に撤廃するとともに、紹介予定派遣の派遣可能期間を延長し需給調整機能を強化すべきである。また、モノづくりの実態において法解釈が過度に事業活動を制約している点、また、法解釈に予測可能性が乏しい点、実態と整合していない点等の指摘があることを踏まえ、法の適正な解釈に適合するよう37 号告示および業務取扱要領を改めるべきである。少なくとも、さしあたり37号告示の解釈が明確となるよう措置すべきである。

○ 労働者派遣制度については、労働者からの一定のニーズがある一方、直接雇用を望んでいるもののやむを得ず派遣労働者になる者がいたり、派遣労働者の労働条件が必ずしも職務にふさわしいものではないという指摘もある中で、派遣期間の制限や派遣業務の限定の完全撤廃などの規制緩和を行うことがすべて労働者のためにもなるという主張に同意することはできない。
○ 「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準を定める告示(昭和61 年労働省告示第37 号)」は、偽装請負を判断するための基準であり、この基準が事業活動を制約している等の事業主側のみの主張を根拠に、当該告示が法の適正な解釈に適合していないとの主張は不適切である。

ただ、まああえていえば、昨年5月の「意見書」に比べると、依然としてむちゃくちゃではあるけれども、むちゃくちゃさの度合いが低減しているので、反論も昨年の意見書であればもっと木っ端微塵にしていたであろうところがいささかみみっちい反論になっているところもあります。

たとえば、労政審の三者構成についても、今回の答申はパート法にケチを付けているだけですが、意見書では「使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、・・・フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである」とまで言っていたのですから、拳の遣りどころがなくなっていささか残念ではありますね。

福井氏はそもそもパート法の作り方「だけ」がケシカランといっているのではなく、「行政庁、労働法・労働経済研究者などには、このような意味でのごく初歩の公共政策に関する原理すら理解しない議論を開陳する向きも多い。当会議としては、理論的根拠のあいまいな議論で労働政策が決せられることに対しては、重大な危惧を表明せざるを得ないと考えている」わけですから、この部分のやり取りは本音とは別のみみっちいものに過ぎなくなっているわけですね。

あと、男女均等のところの「人権上あるいは法制度上認められない行為を容認する記述」というのは、雇用均等児童家庭局の諸姉の沸々と煮えたぎる怒りが感じられますね。この際、規制改革会議の置かれている内閣府内部からも怒りの声を差し上げてみては如何かと愚考いたしますが。

こういう議論に対しては、馬鹿馬鹿しいから相手にしないという対応が一番いけないので、きちんと懇切丁寧に撃滅しておくことが必要であります。『日本労働研究雑誌』の次号(2/3月号)では、「学界展望・労働法理論の現在」という座談会が載りますが、その中でも福井氏編の「脱力」じゃなかった「脱格差社会と雇用法制」を取り上げて批判を加えております。刊行されたらご覧頂ければと存じます。

ビミョーなすれ違いぶり

昨年12月28日の朝日新聞に載った雨宮処凜さんとの対談について、

http://midorinocho.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3e9b.html

で、

>ビミョーなすれ違いぶりがかえっておもしろい。

との御批評。ごもっとも。実は、竹信さんは「処凜とhamachanのすれ違い対談」という標題すら考えていました。

>ライブを見てみたいという気分。

載らなかった部分も面白い会話が満載でした。

さて、この緑町日記さんは、敏感に、

>論点は多岐にわたるが、興味深かったことを一つだけあげておくと、非正規労働者の組合について、

濱口「(独立系労組の) 功績は大きいが、正社員労組と一緒に戦う方が効果的。日本の職場は管理職と非正規雇用だけになる可能性さえあり、非正規の組織化なしに労組の将来はない」【( )はMaxの補足】
雨宮「ひどい労働条件の非正社員の増加を正社員労組は放置し、非正社員たちは自力で労組を作った。日雇い派遣など細切れ雇用の人たちを支える独立系労組は必要だ」

という、違いがある。

と書かれていますが、これは竹信さんも興味を持って、さらに深めたいとおっしゃっていた論点です。これからは集団的労使関係論が焦点ですよ!

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