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2007年12月19日 (水)

一知半解ではなく無知蒙昧

以前このブログで、池田信夫氏に「一知半解」という形容を進呈しましたが、それは間違いだったようです。読者の皆様にお詫び申し上げます。正しくは、「無知蒙昧」と云うべきでした。

最近、あちこちに誤爆をしでかして、すっかりトンデモの仲間入りをされたらしい池田氏ですが、何を思ったか、また日本労働史への無知を暴露しているようです。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87a589c70b31090d1f7557c9855d9d2b

私の「日本の労務管理」を読んだらしく、

>20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一本で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資本主義時代のイギリスでも19世紀の日本でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的になった。いわば資本主義の中に計画経済的な組織としての企業ができたのである。

というところはなんとか正しい理解をしているのですが、その第一次大戦後に生み出された「臨時工」について、その下のコメントのところで、こういう莫迦なことを云っているのですね。

>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

<日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。>

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。

をいをい、明治時代と大正後期~昭和初期をごっちゃにするんじゃないよ。

後者の時代における大きな労働問題が臨時工問題であったことは、ちょっとでも社会政策を囓った人間にとっては常識なんですがね。

(尊敬する小野旭先生が『日本的雇用慣行と労働市場』のどこで、昭和初期に臨時工は何ら社会問題でなかったなどと馬鹿げたことをいっているのか、池田氏は小野先生の名誉を傷つけて平気のようです。)

『労働行政史』第一巻の351頁から356頁で、大正末から昭和初期の臨時工問題とこれに対する対策が略述されているので、まずはそれを読みなさいというところですが、私が『季刊労働法』210号に書いた「有期労働契約と雇止めの金銭補償」において、臨時工問題の経緯をやや詳しく書いているので、それを引用します。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yatoidome.html

>1 戦前の臨時工問題

 さて、有期労働問題は昨今始まった問題ではありません。この問題の歴史は実はかなり古いのです。かつては「臨時工」問題という名で呼ばれていました。臨時工問題がホットなテーマとなったのは今まで2回あります。1回目は戦前の1930年代、2回目は戦後の1950年代です。
 戦前の臨時工問題については、労働事情調査所(矢次一夫)の『臨時工問題の研究』(1935年)が詳しく説明しています。従前から欠員の一時的補充、試傭、繁忙期対策として用いられてきた臨時工がこの時期に急増して社会問題となったのは、解雇手当を回避するためと、低い労働条件でコスト切り下げを図るためであったといいます。「軍需工業も輸出工業の景気もいつまで続くか分からない。いつまでも続けばよいが、或は近いうちに沈滞するかも知れない。その時には解雇問題が起こる。そして現在雇入れてゐる職工を常傭工にして置けば、その時解雇手当を出さなければならない。また面倒な労働争議も起り勝ちだから、その時に備へて、新規採用の職工を試傭期間を超過しても出来るだけ臨時工若くは人夫名義の職工にして置いて、事業家の負ふべき種々の義務から免れようとしてゐるのが最近の臨時工増加の社会的原因」というわけです。しかも、その賃金水準はおおむね常傭工より2割ほど低く、時間外の割増率も低く、健康保険にも加入できず、昇給もなければ福利施設も劣悪でした。
 これに対し労働者は反発しました。1933年9月、三菱航空機名古屋製作所で日雇職工を一切手当を払わずに解雇したのに対し争議を起こし、内務省社会局に対する抗議運動に発展したのです。これは結局予告手当14日分に加え、解雇手当80日分、帰国手当5円(家族1人につきさらに2円)等を支給することで解決したようです。
 一方、大阪の戸畑鋳物木津川工場では、1年7カ月勤務した臨時工が実質的には常傭工だから解雇手当を支払えとの訴訟を起こしています。1935年7月の大阪区裁判決*1は、就業規則上臨時工を除外する旨明確に規定されていなかったことを理由に30日分の解雇手当支給を命じましたが、1936年9月の大阪地裁(控訴審)判決*2は就業規則の解釈ではなく、採用時には臨時工であっても雇傭期間中に実質上本工に転化したとして解雇手当の支給を命じました。
 当時の労働組合もこの問題に対して積極的に対応しています。右派の日本労働組合会議も、左派の日本労働組合全国評議会も、臨時工制度の廃止、臨時工の常用化を要求していました。もっとも、実際には臨時工を常用化することは、常用工を中心とする組合にとっては必ずしも好ましいものではなく、臨時工制度を認めた上でその労働条件を改善しようという傾向が生じていると同書は分析しています。ここまで見てくると、近年の有期労働問題とあまり変わらないようにも感じられます。
 興味深いのは、この問題に対する政府、すなわち内務省社会局の対応方針です。当時の北岡寿逸監督課長は、『法律時報』(第7巻第6号)に載せた「臨時工問題の帰趨」において、「臨時工の待遇は本来よりすれば臨時なるの故を以て賃金を高くすべき筈」なのに、「常用職工より凡ての点に於て待遇の悪いのを常例とする」のは「合理的の理由のないことと曰はなければならない」とし、「最近に於ける臨時工の著しき増加に対して慄然として肌に粟の生ずるを覚える」とまで述べています。
2 戦前の臨時工対策
 では実際の臨時工対策としてどのような措置がとられたのでしょうか。当時は工場法施行令第27条の2によって14日分の解雇予告手当の支給は義務化されていましたが、それを超える解雇手当は事業主の任意に委ねられていたため、基本的には内務省社会局の所管する工場法の解釈通達という形で、臨時工名義による脱法行為を取り締まるという施策が講じられました。
 まず、1930年6月3日付の「定期臨時工に関する件」(収労第85号)は、「期限付雇傭契約と雖も従来の事例作業の状況等の客観的事情より見て期限に至り契約更新せらるるや期限と共に終了するや不明にして期限終了に際して更新せられざる場合には新に其の旨の申渡しを為すことを要するが如きものに就ては斯かる申渡は工場法施行令第27条の2の雇傭契約の解除と同視すべきものにして2週間の予告を為すか或は賃金14日分以上の手当を支給することを要す」と指示しました。
 また、上記三菱航空機争議が発生した直後の1933年11月1日付の「工場法施行令第27条の2の解釈に関する件」は、「同条の雇傭契約なる語は形式上の契約書等に関することなく事実上の使用関係を謂ひ、雇傭契約の解除とは工場主の一方的意思に依り雇傭関係を終了せしめるを謂ふものにして、日々に雇入れの形式を採るもの又は請負人の供給するものと雖も事実上特定せられ且相当継続して使用せらるる場合には事実上期間の定めなき雇傭関係成立したるものと見るべく其の雇入れの停止は事実上契約解除と見ることを要するの義にこれあり」とし、具体的には「30日を超えて継続使用せられたる職工は日々雇入れ又は労務供給の形式に依る場合と雖も施行令第27条の2の適用あるものと解する」としました。 

これがおおまかな見取り図です。ちなみに、臨時工問題について「肌に粟の生ずるを覚える」と述べた北岡寿逸監督課長は、その後東京帝国大学経済学部で社会政策を講じますが、池田氏にかかれば彼も「天下り教授。氏ね」の仲間入りなんでしょうね。まあ、北岡氏の前任の河合栄治郎も農商務省で工場監督官補でしたから、池田氏流には『天下り教授。氏ね」か。

ここでさらりと触れた三菱航空機争議については、今年8月にこのブログで詳しく紹介しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html(昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議)

私がこのエントリーで云いたかったことは、

>日本の近代史を考える上で大変重要なのは、それまで争議のたびに悲惨な負け方を繰り返していた労働組合側が、この(リベサヨさんのいうところの)ファッショな時代になると、そう簡単に負けなくなって、いやむしろこの事件のように勝つようになるということです。ここのところを抜きにして、百万言費やしてみたところで、昭和史の本質が分かったとは言ってはいけないんですよ。

ということであり、赤木問題から井上寿一さんが云われていたことを具体的に示そうということだったんですが、昭和史の本質以前に、そもそも労働史が全然判っておらず、明治時代の請負職人の話と昭和初期の本工と臨時工の身分差別が歴然と生じていた時代の区別も付かないような似非学者には高級すぎたようです。

こういう無知蒙昧な手合いが、どこのディプロマミルで手に入れたのか知りませんが、自分の博士号を後生大事に自慢して、

>この天下り「なんちゃって学者」の問題は、学部卒で研究者としての教育を受けていないのに、教授になっていい加減なことを好き放題言っていることだと思います。日本の大学は博士を持った人間だけを雇用するようにすべきです。このようなことは、欧米ではほぼありえないし、そうでないと、学生にも失礼です。

などとほざいてくれるのですから、呆れてものも言えませんね。まあ、こういうおつむの中味よりも「博士号」という包装紙だけで人間を判断すべきであるという発想が、彼の云うところの「ギルド」的発想であるということは、慧眼な読者の方々は良くお判りでしょう。

なお、うえの季刊労働法論文とかなり重なりますが、最近書いた「労働史の中の非正規労働者」は、組請負時代から現代までこの問題を概観していますので、この問題にまともな関心を持つ方はお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aomori.html

(追記)

なお、池田信夫氏についてのもっともよく読まれたエントリは、これですので、併せてお読み逃しなく。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

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コメント

こんにちは
ここまでくると池田氏ってなんなのかと思います。
いろいろな博士号を持っている人の知り合いが
いますがここまで変な人はいません。いるわけ
ないです。

 心理学の分野で修士号を持つ者です。池○氏は内側から壊れはじめてるのかなー、なんて感想を持ちます。おそらく愛情飢餓感が強く、自我の脆い人なのでしょう。それゆえに、全ての労働者をフリーターに!なんて熱く語っておきながら、自分は博士号という権威に知らず知らずにすがっていく。
 また、ノンキャリアに修士が必要ないという発想も、彼が日頃から熱く語っている労働者の生産性の向上と矛盾します。民間企業に限らず官庁においても、新たな課題は会議室でなくて現場で発見されるという意識を共有した組織のパフォーマンスが上がっていくというのは、昨今マネジメントの大きな流れです。キャリア・ノンキャリアに関わらず、現場の労働者・公務員が力を付けていくことは今後必須です。
 池○さんは、知的でエネルギッシュな人です。ただ、愛情飢餓感は着地点を誤らせます。hamachan頑張って下さい。
 

池○さんとはひたすら関わらないようにしておりますので、貴殿の英断に敬服いたしますw

池○さんはブログ&ネット界では古くから「やたら大きな声で珍妙なことを書いてる変な人」として知られ、実社会へ及ぼす悪影響はないってことで、みんな笑って放置してたんですが。。。

ですから、あまりまともに関わらないことが得策です。何をいっても通用する相手ではないし、そもそも個人に対する尊敬の眼差しとか人権感覚のない方なので、分が悪くなってくると口汚く罵倒の言葉を繰り返すだけですから。一応、大学などで教鞭をもたれるようなので、せめて社会人としての節度ぐらいは…と思うんですがね(笑)

むしろQWERTY配列を巡る稲葉先生と安岡先生の小競り合いを思い出しましたが。
「愛情飢餓感」なんて概念は不要で、なんでも経済学的手法のナイフで切ろうとするのはいいが学問の方法論に疎いので足場を踏み外す、というだけでしょう。
ご当人にしてみればマル経のものまねとアラン・ソーカルを託(かこ)っているんでしょうけどねえ。

一知半解、無知蒙昧

語彙が増えました(爆)

池田先生のブログのコメント欄に書き込みしている池田説信奉者がどんな方達なのか興味があります。

池田先生のご主張はほんの少し前までは結構世間受けしていたんですね。その世論の振幅が正直怖いです。

 いよいよ彼が本性を露呈しはじめました。
「~貧乏人が努力することなしに彼らが豊かになることはできないという事実だ。」・・・だそうです。
 彼の主張と世論の流れが逆を向いてきたために、孤立への不安が彼を苛立たせ、何を書いたら自分が損をするかという冷静な判断力さえ消えかけているように見えます。
また、「~そのために必要なのは、結果の平等ではなく機会均等である。」・・・だそうです。
 努力の機会が均等なのに結果が不平等なケースってご存じない?

役所の仕事からあぶれた二流の人間が、自分は学位を持たないのに学位を施すというのはどう考えても無理があると思うが。実務家ということで正当化しているようだが、学問的業績がない人間が学位を出すとはこれいかに?そんなことで院の教員になれるなら労働基準監督署のおっさんでも教授になれるだろうが。ブログで粘着する暇があったら働けよ公務員。

>労働基準監督署のおっさんでも教授になれる
 そもそも、なってはいけない理由は無いだろうに。
 低学歴云々言うのなら、高卒(短大中退)で実作しかしてない安藤忠雄が東大の教授だったのをまず批判したら?

学問的業績なんてこと言えば、池田信夫の方が怪しいと思うが、、、、。

労働基準監督署のおさんが大学院で学位を授与してたらおかしいだろ。専門学校で実務教育やるなら別だけどねえ。
安藤?確かに世界の安藤だからね。そりゃ学位はなくても。しかも建築学は実学そのものだからね。世界の安藤と仕事にあぶれた二流官僚といっしょにするなよ。これが勤めてる大学院そのものの存在も教授陣のいかがわしさ(それ自体雇用対策w)もお話にならんだろ。博士号に価値がないなら、インチキ博士の量産からそもそも手を引けよww

感情的な書き込みが多いね。
もっと冷静に議論したら?はまちゃん。

ようやくイナゴさんたちの登場ですな。

しかし、池田氏にせよ、イナゴさんたちにせよ、自分で勝手に私の「世界」論文に噛み付いておいて、しかも小野旭先生の本に書いてあるなどと嘘っぱちを並べて、その間違いを指摘されると上で指摘した労働史上の問題には一言も触れられず、人の学歴を笑いものにすることしかできないところが情けない。

上のイナゴたちの文章をよく読んでください。ある種の性格が良く出ているでしょう。労働基準監督官を笑いものにして喜んでいるこの連中の底意地の悪さがにじみ出ています。私は労働基準監督官では残念ながらありませんが(一時監督課長はやりましたが)、どこぞの学術博士よりも、優秀な監督官の方がよっぽど労働問題の本質はつかんでいると思います。

学問の本質は博士号にのみ在ると心得ている人々なのでしょう。ディプロマミルが流行る所以ですね。

労働基準監督官のほうが池田信夫氏より
世の中の役に立っている。
博士でこんな変な人見たことがない。

どっちもどっちだ。悪口を言い合ってるという意味では、どちらも醜い。
しかし、言っていることは池田氏のほうが正しいと思うよ。

どっちが正しいにせよ、授業料を税金で負担し、役人に学位を与える大学なんていらない。

役人が自費で学位をとるべし。

これだけ完膚無きまでに論破されても、蛙の面にションベンほどにも感じないのか、この期に及んで3法則氏、なお同じことをだらだらと書いていますな。
もっとも、さすがに小野旭先生の本に全然書いてもいないことを、あたかも書いてあるかのごとく捏造したところは知らんぷりして済ませているようです。まあ、その程度の常識のかけらはあるんでしょうね。
言ってる中身が歴史的事実に反するくらいはまだ見解の相違でごまかせますが、労働経済学の大家が言ってもいないことを言ってるかのごとく虚偽を振りまくという所業は、研究者としての最低限の知的誠実さに欠けるということですから、同じ労働経済学者からみれば、研究者としての資格のない人間としか言いようがないでしょう。。
いかに政策メディア博士とはいえ、慶應義塾が付与した博士号ですからね、清家先生。

2ちゃんからのコピペです。

788 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/05/04(月) 11:42:36
「いま書いている本でも雇用が主要なテーマの一つなので、この機会に「雇用」 と名のつく最近の本を片っ端から読んでみた。結論からいうと、参考になる本 はきわめて少ない。 」

新しい著書はhamachanに献本してくださいな。

池田氏の口の悪さと人格攻撃は好きじゃないけど、自分のことをhamachanなどと書くあなたの感覚にも疑問符を付けざるをえませんな。

>自分のことをhamachanなどと書くあなたの感覚にも疑問符を付けざるをえません

庶民的でいいではないですか。疑問符をつけるようなこと?

>hamachanなどと書くあなたの感覚にも疑問符を付けざるをえませんな。
思うところがあるんなら、素直に論を批判すべきでしょうに。(ボソ)
話は変わって池田氏って誰かに似てるなと思えば、スポーツフィクションライター(笑)と失笑されている金子達仁とそっくりだなと思います。
二人とも「真実への侮蔑」を平然とやらかすし、無節操に多くのジャンルに首を突っ込みあたがるし、とどめに自身が自慢げに主張する事が逆の事態を招くという点が正に瓜二つだと思う訳です。
もし池田氏から明確に何か学べる点があるとすれば、「自らの姿を見失った者は、はなはだしく醜悪と化す」という点に尽きるという点でしょうか。
反目教師という意味では、池田氏からは多くの事を学べる貴重な存在な訳で、その辺大いに評価されるべきと思う次第です。(笑)

>もし池田氏から明確に何か学べる点があるとすれば、

金子氏のことは存じませんでした。検索してみます。わたしは池田先生に必ずしも批判的ではありませんが、人間疎外っぽい政策提言が目立つのがどうも・・・。好きな作家が昔こういう一文を書いていました。このごろよく思い出します。

>カミソリだ、ナタだってね、世間は「切れる男」「頭のいい男」を持ち上げるけど、「切れる男」は危険なんです。本当に頭のいい男は、最後には自分をズタズタに切り刻むようになるから

『偶然にも最悪の少年』というタイトルの邦画がありましたが、やっとようやく退屈しない団塊を発見したのに、どうにも目が離せなくてブログを追っかけてしまう。偶然とはいえサイアク・・・。

記事の主旨は納得するんですけれども。。。

「どこのディプロマミルで手に入れたのか知りませんが、自分の博士号を後生大事に自慢して」と言われてしまうと。。。
不本意ながら、彼が持つ博士号と同じキャンパスの修士号をもつ身としては少々がっくり来てしまいます。

批評は本人の議論に対して行なって頂いて、属性などについては罵倒の対象にするのは控えていただいたほうがよろしいかと。

もちろん、それは池田信夫氏のもっぱら所属・属性批判しかできない行動様式を皮肉るためのものの言い様で、わたくしがそういう発想をしていないのは、

>いかに政策メディア博士とはいえ、慶應義塾が付与した博士号ですからね、清家先生。

とコメントしていることからも当然ご理解いただいているものと思っておりました。


問題はあくまでも、

>言ってる中身が歴史的事実に反するくらいはまだ見解の相違でごまかせますが、労働経済学の大家が言ってもいないことを言ってるかのごとく虚偽を振りまくという所業は、研究者としての最低限の知的誠実さに欠けるということですから、同じ労働経済学者からみれば、研究者としての資格のない人間としか言いようがないでしょう。。

というところにあるわけで、そのような下劣な人物に、「オレ様は博士だぞ、えらいだろ」と言わせるような原因をつくったことに、慶應義塾関係者としてなにがしかの意識をもっていただければそれでいいのです。


ちなみに、その近辺に同じように第3法則剥き出しの無恥で卑劣で傲慢な人物がいますが、だからといってその出身でとやかく言うつもりはありません。ただ、そんな人物を世間に出荷してしまったことになにがしかの意識を持っていただければというだけです。

遅レスです、すみません。
しかし、すっと引いた立場で見ると、もう勝負あった、と。

間違った物言いだったり引用だったりは、訂正すりゃあいいことでしょう。それが「敗北」とでも思ってるのかな...そんな自分が許せないと。
あと、自分への批判に対しては過剰なまで攻撃的になる奴っているよね、大体気が小さい、よわーい奴(私の周りにいたのはずっとそう)なんだけどさ。
で、結局都合悪くなるとシッポ巻いてフェードアウトするんだけど。

あと、人のアカウントがどうだとか、中立のふりして一方に肩入れするやつとか...これが気持ち悪い。まず女性にもてないタイプですな。この人たち。

この件、私、hamachanを支持することにしました。

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