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2007年12月25日 (火)

松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」

松尾匡さんがご自分のHPで、私の10月末のエントリー

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html

に対して、厖大かつ内容の濃いコメントを書いてくださっています。

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_71225.html

高度成長期から現代に至る歴史解釈については、ほぼ同感です。わたしが「リベサヨ」の「リベ」という曖昧な言葉で表していたものを、松尾さんは「アイデンティティの政治」という明晰な概念で析出しています。そして、赤木現象の背後にある国内政治における被差別者の富裕化と「アイデンティティ上の強者」の弱者化とパラレルに、被侵略国中国の(一部の)富裕化と侵略国日本の(一部の)貧困化が対外右翼化現象を生んでいると、これまた明晰な分析をされています。

松尾さんは、私に「本来は社会主義的心情に通じる右翼の方がマシというような、一種のシンパシーを感じとってしまうのであるが、それは絶対にまずい」と云われていて、ここはどうコメントするか悩ましいところですね。こういうもの言いは確かにしていまして、それはもっぱらリベサヨさんのツラをひっぱたく効果を考えてわざと云ってる面があるのですが、誤解を招くぞを云われれば確かにその通り。

ただ、歴史的事実として、日中戦争期に、日本の労働者にとって「希望は戦争」であったという事実ときちんと向かい合わないとどうしようもないよ、と。そして、これは諸刃の刃という面はありますが、人間はなにがしかのアイデンティティなしにはいきられない生き物ですから、より有害さの少ない非攻撃的なアイデンティティの枠組みを提供することも必要でしょうね、という面もあります。

最後のところの「現代資本主義による利害の共通化」というのが松尾さんの真骨頂であり、ほんとにそうかね?と茶々を入れたくなるところでもあるわけですが、

>少数の貧困層だけが利害を叫んでも力にはならない、そうではなくて多くの幅広い層の労働者がそれぞれ自己の暮らしの利害を追求しながら、なおかつそのためにこそ団結

しなければならない、という点はまったく同感です。松尾さんはそれを、

>できるようになったのは、今述べたとおり、まさに現代資本主義のおかげだったということである

と、かつての歴史の発展法則至上主義的な云われ方をされるので、「歴史に「たら・れば」はある」といういささか主意主義的傾向のある私としては、なかなか同感しがたいところではあるんですが。

まあ、これは、非管理職の正社員だけでは組合は多数派になれないという事態を受けた労働組合の行動を、主意主義的に捉えるか客観主義的に捉えるかという違いに過ぎないのかも知れませんが。

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コメント

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_71225.html
転勤に伴い?当該URIが変わっていたので
メモさせていただきます。

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