労使双方が反対していた労働契約法・・・?
日経BIZPLUSで、経営法曹の丸尾拓養氏が、「労使双方が反対していた労働契約法の成立と今後の労使関係」を書かれています。いささかミスリーディングな標題ではないでしょうか。
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=1
>労働契約法については、労使双方が反対するという状況が続きました。労働者側では、立案段階での解雇の金銭的解決に対する反対が強硬でした。現時点でも就業規則の拘束性に関する反対が根強くあります。労働契約法制定の必要性については賛成するものの、このような内容では反対であるとの主張でした。一方、使用者側は、労使自治を重視し、法律による労使間の私法上の関係への介入に反対しました。ホワイトカラー・エグゼンプションを含む労働基準法の改正が絡んだため、事態はさらに複雑化しました。最終的には、判例法理の確認ということで政治的妥協が図られ、小さな法律が生まれました。
これはかなり正しい評言だと思われますが、それでもいささかというところがあります。そもそも労働契約法制定の必要性を強く主張していたのは労働側ですし、使用者側もややリラクタントなところもあったとはいえ、透明性や予測可能性を高めることは人事労務管理上のメリットがあることから、基本的には反対ではなかったと思われます。
「現時点でも就業規則の拘束性・・・」云々についていえば、そもそも現在の確立した判例法理が合理性を理由とする就業規則の拘束性を認めていることが出発点であることは、(レトリックの次元は別として)労働側も前提にしていたわけですから、そこを(民法の私的自治原則に基づき)否定する議論がいくつかの団体からや国会質疑等でなされたからといって、労使の反対という文脈で「反対が根強くあります」というのもいささか外しているように思われます。
丸尾氏自身も
>労働契約法の目玉は、就業規則の労働者に対する拘束性を認めたことでしょう。
という言い方をしていますが、これでは今まで認められていなかった拘束性が今回の改正で認められるようになったというようなニュアンスになってしまいます。ここはやはり正確に、そういう最高裁判例法理が、「何も足さず、何も引かず」そのまま法文化されたというべきでしょう。
>一部の論者からは、使用者が容易に労働条件を下げられるとの批判があるようですが、そのように解釈できるのであれば経営者側は大賛成したことでしょう。実際には、そのような理解をする経営者はごく少数です。就業規則の機能を正視せず就業規則による労働者の拘束に反対する立論は、あまりに現実を無視しているでしょう。そのような入り口論で時間を浪費せずに、もっと充実した議論をすべきだったでしょう。
という批判の方が適切であると思います。
問題は次のところで、
> 今後は、就業規則の変更に合理性があるか否かの基準を明確化することが考えられます。たとえば、過半数労働組合の同意がある場合に変更の合理性を推定(事実上の推認)するか、変更に反対する労働者をも拘束するとすることです。しかしながら、柔軟性のない一定の要件としてしまうと、現場には不適合な事態も生じてしまいます。また、このように要件化することは、かえって就業規則の変更を使用者が意のままに行ったり、反対に要件不充足を理由に就業規則変更が困難となったりすることも危惧されます。就業規則変更の透明性や予測可能性を高めることについては、労使共に反対の声が小さくないでしょう。
ここは、おそらく経営法曹の中でもいろいろと意見のあるところではないかと思われます。常日頃から密接な労使コミュニケーションを行い、会社の状況をよく理解して貰っているので、不利益変更について労働側の了解を得ることにあまり不安を感じないような企業の立場からすれば、過半数組合が合意してくれているのに一部の労働者が反対だと主張して最高裁まで争わないと全然結論が見えないというのではいやだという気持ちが強いでしょうし、常日頃から労使関係が良好でなく、何かと反対ばかりされるという被害者意識を抱いているような企業にとっては、合理的な提案をしているのに過半数組合が反対だからだめだといわれたのではかなわないという気持ちが強いでしょう。
ここのところは、労働側にとってもまったくシンメトリカルな状況があるわけで、「労使共に反対の声が小さくない」ともいえますが、「労使共に反対の声が大きい」というわけでも、実のところはないのではないかと考えています。
このあたりについては、先日経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会に呼ばれて喋ってきたときに、阪大の小嶌典明先生と経営法曹の中山慈夫さんが質問された話に関わってきます。このやり取りはなかなか面白いので、(まだアップされていませんが)ご覧頂ければ幸いです。
また、今月中旬に刊行される『季刊労働法』219号で、「集団的労使関係法としての就業規則法理」というのを書いておりますので、ご参考までに。
最後のところで、
>むしろ、労働契約法が企図する労使関係のあり方は、将来的には、常設機関としての労使委員会のような集団的な思考を人事管理に取り入れることを予定しています。こうなると現場は大きく変わります。現実を直視したうえで法理論をさらに正しく理解して今後の議論に参画することが、労使関係者に強く望まれます。
と述べられている点は、むしろ「集団的な思考」の復権というべきではないかと思います。この辺も、上記季刊労働法でちょっと触れていますので、ご参考までに。
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