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2007年12月26日 (水)

資本主義と熟練

「最低賃金引上げは悪くない」というエントリーに大坂先生が興味深いコメントをされていますので、エントリーを改めて論じてみたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7d29.html

資本主義というのは大変ダイナミックなものであって、常に既存の熟練を解体しながら新たな熟練を創り出していくものと捉えるべきではないかと思います。

既存の熟練が解体するところだけ見ていると、複雑労働力生産が消えていくという風に見えるのですが、そう単純なものではないのではないか。

むしろ、純粋資本主義の時代とか単純労働力生産の時代とされる典型的な産業革命の時代というのは、重工業系の現実の生産活動の現場は職人的労働者による請負生産がなお主流の時代であって、女子年少者に代表される軽工業系の単純労務がこれと併存していたと見るべきではないか。

重工業化による複雑労働力生産への移行というのは、当該分野においては経営者が口を挟めない間接管理による請負生産が直接管理による生産に移行していくことであり、生産技能が親方の手から工場主の手に移っていくことであり、つまり単純であれ複雑であれ、労働力生産そのものが資本によって包摂されていくプロセスであったというべきではないか。

したがって、これは熟練のメタモルフォーズであり、熟練形成を可能にする一定の仕事共同体が資本や工場といった枠組みとはまったく別個に労働者集団の共同性の上に成立し得た時代から、現実に仕事を一緒に行う資本や工場の職場共同体として成立するようになる時代への転換と見るべきではないか。

現在、情報産業化によって進みつつある労働力生産のメタモルフォーズをどう捉えるかについても、基本的には熟練形成の中味や在り方の変容と捉えるべきであって、複雑労働力生産が単純労働力生産に移行していくという風には捉えない方がいいのではないか。

という風に、まあおおざっぱに言うと考えております。

で、これと正規雇用、非正規雇用の議論をどう接合するかなんですが、まず複雑労働力生産には一定の熟成期間が必要であり、促成栽培で粗製濫造できるものではないという点については、熟練の中味が変わってもそれが熟練である限りは変わらないのではないでしょうか。その意味で、人生前半期におけるある程度安定した形での教育訓練期の必要性にはそれほど変化はないように思われます。それを最低限の「正規雇用」性と呼ぶならば、それは今後とも求められる要件であろうと思います。

ただ、その熟練形成が20世紀システムにおけると同様、職場共同体という形を必ずとらなければならないかについては、必ずしもそうではない可能性が高まるであろうと思います。つまり、情報産業時代においては、あちこちの職場を渡り歩きながら熟練形成していくという19世紀的な職人モデルも一定の存在意義を有するようになる可能性があると思います。ただ、19世紀的な職人モデルは、親方の支配する「組」というメンバーシップの中に包摂された形で、それがなされたわけであって、市民法が前提とするばらばらの個人が契約自由原則で市場取引を行っていたわけではないのと同様、新たな職人モデルも職場を超えた何らかのメンバーシップに包摂された形でなければ、安定した熟練形成システムにはならないでしょう。

そういうモデルのプロトタイプとしては、例えば常用型派遣のようなものが考えられるのかも知れません。派遣元企業の正規労働者として常用雇用されながら、様々な職場を遍歴して技能を磨いていくという仕組みは、熟練の性格によっては、私はむしろ望ましいものである可能性が高いと思っています。

私は、ベッカーが云うような企業特殊的人的資本形成の相対的地位が今後下がっていくことはあり得るのだろうと思っています。ただ、企業特殊的であれ普遍的であれ、生身の人間が技能形成プロセスを適切に遂行していくためには、その間社会的に安定した地位の確保が必要であることは変わりはないのであり、今日若年非正規労働問題が提起している問題は、まさにその問題であるはずだと思うのです。

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コメント

またまた、勉強になりました。

先のコメントを入れたあとすぐに気がついたのですが、私は人的資本=企業特殊的資産という思い込みが強すぎて、先のコメントにもその部分が強くあらわれたように思います。そのあたりの思い込みの強さと、勉強不足を感じていたときでしたので、とてもうれしいです。ありがとうございました。

これを読んで思ったのは、仮に常用型派遣の形で労働者が企業特殊的でない技能を形成する場合、派遣企業が労働者と長期的な雇用関係を結ぶインセンティブはどこにあるのだろうかということです。一つは、派遣企業のほうが、個人の労働者より、リスクを受けいれる余地が高いので、その労働者とのリスクシェアによって、収益を得る一種の保険会社のような役割によって、長期的な関係を維持することです。

もし、企業特殊的な技能の地位が下っていくとすれば、企業の役割はそうした保険的な意味あいが強くなっていくのでしょうか。

それとついでに思ったのですが、もし、企業の役割がそうなっていくとすれば、それの役割は企業でなくとも、労働組合が果してもよいかもしれません。それは松尾さんのいうアソシエーションとか、あるいは労働者自主管理企業に近いイメージのものになるのかもしれませんね。

いやですから、それがまさに派遣法ができる前に唯一認められていた労働組合による労働者供給事業というものでして・・・。

そういう法的枠組みは現在もちゃんと(職業安定法第45条に)存在しているわけです。

ただ、現実の日本の労働組合が、職場共同体における労働者の利益代表機関としての性格を専ら強めてきたために、それとは正反対の労働供給機関としてはほとんど未発達に終わってしまったわけです。

私は、このあたりは会社企業であれ、労働組合であれ、あるいはいろんな協同組合とかNGOとかソーシャルエンタープライズとか、いろいろな組織形態があっていいと思うし、組織のメンバーシップとして一定の生活の安定を保障しながらいろんな職場に派遣するというかたちで技能形成をしていく仕組みが発展していくことが望ましいと思っています。

とはいえ、世の中が全部そういう風になることはもちろんなくって、企業特殊的技能を一つの職場でこつこつと磨いていくというパターンも引き続き重要だと思いますが。

>労働組合による労働者供給事業

要するに、ギルド的な労働組合。というより、ギルドそのもの…

先のエントリーで拙記事お取り上げいただきありがとうございます。大坂君の先のまとめのとおりなら、たしかに、日本型企業主義の再強化のようなものをめざすことには反対ですので、濱口先生との間になお争点があるのだなと思っていましたが、上におっしゃるようなお考えでしたら、実践論としては特に異論はないように思いました。

昨年ようやく翻訳の出たドリンジャーとピオリの『内部労働市場とマンパワー分析』では、いわゆる日本的雇用システムに典型的な企業型内部労働市場とともに、クラフト的内部労働市場も取り上げています。これこそがまさに言葉の正確な意味において「ギルド」的な内部労働市場ですが、雇用契約に着目すると彼らはむしろ臨時的です。どこで働こうがクラフトユニオンのメンバーであることが最重要という意味での「内部労働市場」なんですね。

大事なのはメンバーシップに基づく何らかの安定性であって、それがどういう現れ方をするかはバラエティがあるわけです。

>大事なのはメンバーシップに基づく何らかの安定性であって、それがどういう現れ方をするかはバラエティがある

ただ、「企業型内部労働市場」をより重視(軽視 respecitively)するということは

>企業特殊的技能を一つの職場でこつこつと磨いていくというパターン

をより重視(軽視)するというバイアスなんだと思いますが

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