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2007年12月

2007年12月28日 (金)

雨宮処凜さんとの対談

天漢日乗さんに紹介していただいていますが、

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/12/hamachan_f6a9.html

本日の朝日新聞(24面)に、雨宮処凜さんとわたくしとの対談(の抄録)が載っています。

2時間喋りあった中味のごく一部ですが、まあそれぞれのエッセンスが活字になっていますので、軽く眺めていただければ、と。

(余談)

>男前に撮れてますよ、hamachan議長。

ありがとうございます。おそらく素材ではなく、カメラマンさんのお陰です。

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2007年12月27日 (木)

労働ビッグバンを解読する(『労働調査』)

労働調査協議会が発行している『労働調査』の11/12月号に、私の講演録が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbangkouen.html

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職場のいじめ実態調査 by 産業カウンセラー協会

産業カウンセラー協会から、「産業カウンセラーが見た職場 アンケート調査結果」が発表されています。”産業カウンセラー440 人が見る職場/悲惨さ増す「職場のいじめ」の実態”という標題です。

http://www.counselor.or.jp/pdfs/071212.pdf

>やはり8割の産業カウンセラーが「職場のいじめ」事例の経験あり
前回のアンケートで「職場のいじめ」の事例経験があるという回答は79.7%でしたが、今回も80.5%と、やはり8 割に上りました。

>「パワハラ」「罵る・怒鳴る・威嚇する」など、より悲惨・深刻に
いじめの内容としては「パワハラ」が78%と最も多く、次いで「人間関係」(59%)「仕事のミスに対するいじめ」(44%)、「セクハラ」(36%)と続きました。いじめの形態として「無視・仲間はずれ」(54%)や「嫌がらせ」(50%)を超えて、「罵る・怒鳴る・威嚇する」が68%と最も多く、いじめが生じた関係は「上司から部下に対して」が85%となっています。

>余裕のない職場でのコミュニケーション不足がいじめを生む
「職場のいじめ」と関連があると考えられるものとしてもっとも多かったのは「個人のコミュニケーション能力の低下・欠如」(80%)が圧倒的に多く、次いで「人を育てる意識の希薄化」(62%)、「人権感覚・モラル感覚の低下」(54%)、「成果主義・能力主義」(50%)などとなっています。多様な要因が複合的に関連しているものの、職場での人とのつながりが薄くなっていることと、職場の余裕がなくなっていることが、職場のいじめが蔓延する大きな原因となっているようです。

>パワハラ対策としての社内教育が急務、外からの視点を取り入れての会社風土の見直しも
今秋、パワハラ自殺が労災認定されたことを受けての質問には、パワハラ対策として「管理職研修を含む企業内教育」が有効との回答が9 割近くに上っています。
なお、産業カウンセラーは、企業との契約に基づいての派遣や、企業内の担当部署でなど、多様な形態で産業カウンセリングに従事していますが、自営業として企業との契約による業務を行っている産業カウンセラーのほうが、企業の従業員として業務を行っている産業カウンセラーよりも、「過重労働・働き過ぎの是正」および「企業文化のあり方の是正」が必要との回答が10 ポイント以上高く、企業外からの視点が、より事態を深刻にとらえていることがうかがえました。実情をより正確に把握できるという点で、企業外の視点を積極的に取り入れることが会社風土の問題点の洗い出しにつながります。

>「CSR(企業の社会的責任)」として人格無視のハラスメント防止の取り組み強化を
(社)日本産業カウンセラー協会の原康長専務理事は、結果を受けて次のようにコメントしました。
産業カウンセラーに対する今回のアンケートは、「職場のいじめ」の実態を浮き彫りにするため企業の現場で産業カウンセリング業務に携わっている人を対象に限定したという点で、実態をほぼ正確に反映しているといえる。
学校における子ども間のいじめが社会的問題となって久しいが、大人の社会(職場)で潜在的にいじめが進行していたという実態が、実は、子どもの社会にいじめが進んでいった背景となっていたのかもしれない。産業カウンセラーの目が見た大人社会の実態は、きわめて陰湿であるといわざるを得ない。
家族内で生じている昨今の悲惨な事件にも、共通の背景があるのではないだろうか。
人が協力し合って生きてゆく社会―人と人との協働が社会全体に求められているなか、社会的に大きな役割と責任を果たすべき企業においてこそ、人格を無視するようなハラスメントを根絶し、働く人が本当に大切にされる企業社会をつくり上げてゆくことが、いま、企業の責任者に求められているのではないか。CSR(企業の社会的責任)のもっとも重要な視点として企業が位置づけ、その取組みが進むように、私たちも専門的な立場から問題提起と支援する活動を強化していきたい。

ほとんど付け加えることはありません。

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労政審中間報告 on 派遣

25日に労政審の労働力需給制度部会が中間報告を取りまとめたんですが、まだ厚労省のHPにブツが載っていないので「紹介できないじゃないか」とブツブツいっていたら、JILPTが早速掲載してくれました。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20071226a.pdf

要は、現時点で意見がまとまらないので先送りにします、ということなんですが、

>登録型の派遣労働、派遣受入れ期間、派遣労働者への雇用申込み義務、事前面接等の派遣労働者の特定を目的とする行為、紹介予定派遣、派遣元事業主・派遣先の講ずべき措置等の在り方については、労使それぞれ根本的な意見の相違があり、隔たりが大きい状況にある。

>このような意見の相違は、労働者派遣が原則自由であるべきと考えるのか、本来は限定的なものであるべきと考えるのかという基本的考え方の違いに起因するものであり、労働者派遣制度の根本的な検討を行うことなく、個別の制度の仕組みの議論を続けても、有意義な結論に到達することは困難であると考える。

>こうした状況を踏まえると、現時点では、登録型派遣の考え方等、労働者派遣制度の根幹に関わる問題については、厚生労働省に学識者からなる研究会を設け、労働者派遣制度の趣旨、登録型派遣の考え方、派遣先の責任の在り方、派遣労働者の処遇の在り方を踏まえつつ、当部会で出された検討課題等を中心に、幅広く、法的、制度的な考え方について整理を行うとともに、当部会としては、当該研究会の結果も十分に踏まえつつ、労働者派遣制度の在り方について、引き続き審議を深めていくべきである。

と、「労働者派遣」とはそもそもなんぞやという根本に立ち返った議論からやり直しましょうという話になっています。

これはまったく正しい判断だと思います。実のところ、22年前に派遣法ができるときには、とにかく派遣というのはケシカランのだけれども、現実に行われているところは仕方がないからという現状追認でポジティブリスト方式で導入し、そのため、派遣制度をどう構築するかという根っこの議論がぐらぐらしたままで22年間やってきてしまったという面があります。

しかも、当時の労働省は、当初はドイツ式に常用型派遣だけ認めて、登録型派遣は認めないという制度設計で考え、そのために使用者責任を大幅に派遣元会社に課して、派遣先はほとんど使用者責任を負わないという設計にしたにもかかわらず、やっぱり現実に登録型があるのに禁止できないからと、登録型も認めてしまい、そのため現実と乖離した制度運用になってきたという面もあります。

世界的に見ても、特定の業務にしか派遣を認めないというやり方は正当性がないのですから、いまさら99年改正の前に戻せといっても無駄な話で、原則的にはどんな業務でも派遣でやってよいということを前提にした、それでもあまり弊害が出ないような制度設計はいかなるものなのかという観点から、根本的に再検討する必要性があるわけです。

もっとも、最後のところに

>日雇い派遣、派遣元事業主の情報公開及び効果的な監督指導の実施については、一定程度労使の意見の一致が得られているが、これらのうち、早急に対処すべきものについては、現行法制下における労働者保護の仕組みがより適切に機能するよう、必要な省令、指針の整備について、当部会において速やかに検討を行うべきである。

と書かれていて、例の派遣元のマージン率の公開と日雇い派遣の規制は省令指針レベルで対応するということのようです。

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2007年12月26日 (水)

JILPT存続

玄田有史先生のブログで、「JILPTの存続を求める研究者の会 ご賛同いただいたみなさまへのご報告」が掲載されています。

http://www.genda-radio.com/2007/12/jilpt_1.html

>12月24日午前に行われた閣議において、独立行政法人の見直しのなか、労働政策研究・研修機構(JILPT)については廃止および統合をいずれも行わず、存続が決定された模様です。

9月末以降、突然、JILPTの廃止が報道されて以来、多くの懸念を抱きながら独法見直しの動きを注視してきました。そのなかで、11月初旬、JILPTの廃止がきわめて現実味を帯びているという情勢にあることを知りました。同時に、その存在の社会的意義が十分に理解および議論がなされないまま、財政支出削減の名のもと、廃止計画だけが既定事実の如く進行している状況に、強い危機感を持ちました。

そこで、最終的に54名の労働研究者の方々に、呼びかけ人として参加いただき、JILPTの存続を求める研究者の会を独自に立ち上げ、要望文を作成いたしました。要望に対し、賛同を広くお願いしたところ、日本内外の多くの方々から、賛意の署名をいただくことができました。

要望文は、賛同の署名リストを添え、首相、官房長官、官房副長官、厚生労働大臣、行政改革担当大臣、政府行革本部等の他、自民党行政改革推進本部関係の有力議員、行政減量・効率化有識者会議の有識者、専門委員の方々等にお送り致しました。要望については厚生労働省の記者クラブにおいて記者会見も行いました。

呼びかけ人の方のなかには、新聞や雑誌等に、JILPTが存続すべき理由について、ご寄稿いただいた方も複数いらっしゃいました。また直接、行革大臣を含む関係者に、要望の趣旨を直接もしくはメール等でご説明いただいた方も、いらっしゃいました。

嬉しいことに、会事務局のもとには、これらの働きかけがJILPTの存続決定に少なからず効果があったとの情報を得ておりました。実際、厚生労働大臣は、折衝の場で、学者や研究者等から強い要望が届いているということを、折に触れて説明されていたようです。

これらもひとえに存続要望に呼びかけ人および署名者としてご賛同いただいた皆様のご協力の賜物と考えます。

賛同署名は、12月24日現在、日本内外から749名の方々から頂戴しました。署名に付されたJILPTの改善提案については、責任をもってJILPTの理事長および執行部に伝えます。

皆様から寄せられた期待を受けて、JILPTが今後、労働研究の公器として、発展していくことを願ってやみません。

一方で、歴史ある研究機関である、国立国語研究所の他機関への移管が決定されるなど、研究そのものの社会的意義に対する認識には、深刻な財政状況のなか、依然として厳しい環境が予想されます。

その意味でも、労働研究の公的機関の今後のあり方をこれからも見守り続けることが必要に思います。

改めまして、今回のご協力、ありがとうございました。

JILPTの存続を求める研究者の会・事務局
仁田 道夫・玄田 有史

まあ、世の中には事実無根の誹謗中傷をまき散らすことを使命と心得る人々が少なからざる数いるものであるということは最近のいろいろな現象からも思い知らされることではありますが、JILPTのような労働専門機関に対してのみ異常な執念でもって攻撃をする人々が、この労働社会問題が国政の最重要課題となりつつある時期に一部マスコミで妙にもてはやされたという事実を、私たちは深刻に受け止めるべきなのだろうと考えます。

前にもちょっと書いたことですが、労働問題というのは何よりも仕事の現場で働く人々の問題であり、その人々に届くような言葉が発信されなければならないのだと思います。

もちろん、独立行政法人労働政策研究・研修機構法にはその目的として、「内外の労働に関する事情及び労働政策についての総合的な調査及び研究等並びにその成果の普及を行う」ことが掲げられていますし、現にメールマガジンをはじめとしてその「成果の普及」にも力を入れているのですが、いささか「研究」のレベルの高さに引きずられすぎていないかという反省も必要ではないでしょうか。

JILPTの前身の日本労働協会のときには、「労働問題に関する研究及び資料の整備を行うこと」のほかに、「労働問題に関する講座を開設すること」「労働組合、使用者団体等の行う労働教育活動に対して援助を行うこと」が業務として明記されていました。

「労働教育」という言葉が死語となって久しい(ウィキペディアにも登場しません)今日ですが、高度な研究成果よりも労働法や労使関係の基本的な知識を働く人々に伝えるという使命も、時代がぐるりと大きく回転して、だんだん高まってきているように思われます。

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資本主義と熟練

「最低賃金引上げは悪くない」というエントリーに大坂先生が興味深いコメントをされていますので、エントリーを改めて論じてみたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7d29.html

資本主義というのは大変ダイナミックなものであって、常に既存の熟練を解体しながら新たな熟練を創り出していくものと捉えるべきではないかと思います。

既存の熟練が解体するところだけ見ていると、複雑労働力生産が消えていくという風に見えるのですが、そう単純なものではないのではないか。

むしろ、純粋資本主義の時代とか単純労働力生産の時代とされる典型的な産業革命の時代というのは、重工業系の現実の生産活動の現場は職人的労働者による請負生産がなお主流の時代であって、女子年少者に代表される軽工業系の単純労務がこれと併存していたと見るべきではないか。

重工業化による複雑労働力生産への移行というのは、当該分野においては経営者が口を挟めない間接管理による請負生産が直接管理による生産に移行していくことであり、生産技能が親方の手から工場主の手に移っていくことであり、つまり単純であれ複雑であれ、労働力生産そのものが資本によって包摂されていくプロセスであったというべきではないか。

したがって、これは熟練のメタモルフォーズであり、熟練形成を可能にする一定の仕事共同体が資本や工場といった枠組みとはまったく別個に労働者集団の共同性の上に成立し得た時代から、現実に仕事を一緒に行う資本や工場の職場共同体として成立するようになる時代への転換と見るべきではないか。

現在、情報産業化によって進みつつある労働力生産のメタモルフォーズをどう捉えるかについても、基本的には熟練形成の中味や在り方の変容と捉えるべきであって、複雑労働力生産が単純労働力生産に移行していくという風には捉えない方がいいのではないか。

という風に、まあおおざっぱに言うと考えております。

で、これと正規雇用、非正規雇用の議論をどう接合するかなんですが、まず複雑労働力生産には一定の熟成期間が必要であり、促成栽培で粗製濫造できるものではないという点については、熟練の中味が変わってもそれが熟練である限りは変わらないのではないでしょうか。その意味で、人生前半期におけるある程度安定した形での教育訓練期の必要性にはそれほど変化はないように思われます。それを最低限の「正規雇用」性と呼ぶならば、それは今後とも求められる要件であろうと思います。

ただ、その熟練形成が20世紀システムにおけると同様、職場共同体という形を必ずとらなければならないかについては、必ずしもそうではない可能性が高まるであろうと思います。つまり、情報産業時代においては、あちこちの職場を渡り歩きながら熟練形成していくという19世紀的な職人モデルも一定の存在意義を有するようになる可能性があると思います。ただ、19世紀的な職人モデルは、親方の支配する「組」というメンバーシップの中に包摂された形で、それがなされたわけであって、市民法が前提とするばらばらの個人が契約自由原則で市場取引を行っていたわけではないのと同様、新たな職人モデルも職場を超えた何らかのメンバーシップに包摂された形でなければ、安定した熟練形成システムにはならないでしょう。

そういうモデルのプロトタイプとしては、例えば常用型派遣のようなものが考えられるのかも知れません。派遣元企業の正規労働者として常用雇用されながら、様々な職場を遍歴して技能を磨いていくという仕組みは、熟練の性格によっては、私はむしろ望ましいものである可能性が高いと思っています。

私は、ベッカーが云うような企業特殊的人的資本形成の相対的地位が今後下がっていくことはあり得るのだろうと思っています。ただ、企業特殊的であれ普遍的であれ、生身の人間が技能形成プロセスを適切に遂行していくためには、その間社会的に安定した地位の確保が必要であることは変わりはないのであり、今日若年非正規労働問題が提起している問題は、まさにその問題であるはずだと思うのです。

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2007年12月25日 (火)

雇用政策研究会報告

今日は、サンタさんのクリスマスプレゼントがてんこ盛りで、なかなか読んでいくだけで大変です。厚生労働省からは、雇用政策研究会報告が出されました。正式には「すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会の実現」~本格的な人口減少への対応~です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/12/dl/h1225-3a.pdf

内容的には、以前

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_bcd0.html

で紹介した報告案とあまり変わっていないようです。

「すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会」というのは、一見大したことのない平凡な役人的標語のように見えますが、よくよく噛みしめると実に味わいのある言葉です。

すべての人々が「安定した生活」ができるようにしなければなりませんが、それは決して福祉給付に頼って何とか生きていけるというものであってはならない、「安心して働」いて、その結果として給与を稼いで、それによって「安定した生活」ができるのでなければならないと云うこと、つまりメイク・ワーク・ペイという思想が明確にここには示されています。

そして、その「安心して働」くということは、その人の「能力を発揮し」た働き方でなければならないということ、逆から言えば、仕事というのはその人の能力が発揮できるようなものでなければならないということ、ひいては、仕事を通じてその人の能力が高められていくような、そういうキャリア形成が可能な仕事でなければならないということが、ここには示されているわけです。

この研究会の委員は、座長の樋口美雄先生を始め、まさに日本の労働経済学を代表する立派な方々ばかりで、さりげない表現の端々に噛みしめると味のある表現がいっぱいです。

阿 部 正 浩 獨協大学経済学部准教授
小 塩 隆 士 神戸大学経済学部経済学研究科教授
加 藤 久 和 明治大学政治経済学部教授
黒 澤 昌 子 政策研究大学院大学教授
玄 田 有 史 東京大学社会科学研究所教授
小 杉 礼 子 労働政策研究・研修機構統括研究員
佐 藤 博 樹 東京大学社会科学研究所教授
白 木 三 秀 早稲田大学政治経済学部教授
諏 訪 康 雄 法政大学大学院政策科学研究科教授
清 家 篤   慶應義塾大学商学部教授
鶴 光 太 郎 経済産業研究所上席研究員
樋 口 美 雄 慶應義塾大学商学部教授
森 永 卓 郎 獨協大学経済学部教授
山 川 隆 一 慶應義塾大学大学院法務研究科教授

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規制改革会議第2次答申

さて、本日規制改革会議が第2次答申を出しました。今度は、ちゃんと「労働分野」も入っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/1225/item071225_02.pdf

今度は、労働分野は「機会均等の実現」という大項目の中に並んでいます。冒頭部分は、いかにこの「機会の均等」が大事であるかを縷々述べています。

>では、格差社会の論点は何か。「格差」は、「公正」や「正義」など価値判断や主観に依存する概念と密接な関係があるため、格差の是正には、さまざまな対策がありうる。法的な意味での格差は、憲法十四条の「法の下の平等」や二五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」としての「生存権」に関係する。「平等」には、「機会の平等」と「結果の平等」の二つの概念が含まれる。前者はすべての国民に平等なチャンスが与えられることであり、後者は国民の能力や成果にこだわらず同じ結果が与えられることであるが、これには注意が必要である。「結果の平等」を重視しすぎると、懸命に働いても働かなくても、また成果の大小にかかわらず同水準の生活が保障されるため、勤労インセンティブの低下、自己研鑽投資の減少、技術やアイディアにおける創造性を発揮しようする意欲の減退といった副作用をもたらす。むしろ、「機会の平等」のもと、がんばっている人が報われる社会になっていなければ、個々人の能力は十分発揮されなくなり、社会全体が豊かになるチャンスは失われる。無論、機会の平等だけを貫くことは一部の階層にとっては、耐え難い「格差」を放置することになり、社会の安定が損なわれ、場合により犯罪などの社会コストを増大させることから政府が一定のセーフティネットを社会に備えておくことは必要である。

最後のところでバランスをとっているのですが、その「一定のセーフティネット」が生活保護のようにただお金を配るというものではかえって社会にモラルハザードをもたらすというパラドックス、そこまでいかずに労働の世界にいるものにこそある程度の結果の平等(というかそれより下には落ちないという最低水準)を保障することで社会全体の健全さが維持されうるというパラドックスにあと一歩のところで気がついていただきたかったという感があります。

「暴走」として批判を浴びた例の一節も、基本的にはそのまま残っています。

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。場合によっては、既に権利を持っている人は幸せになるが、今後そのような権利が与えられにくくなるため、これまでよりも不幸になる人が出てくることにも注意が必要である。無配慮に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、同時に中小企業経営を破綻に追い込み、結果として雇用機会を喪失することになる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果になるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、労働者の使用者に対する「発言」の担保になるどころか、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。

ただ、さすがに批判を受けて表現を少し付け足したところもあります。

>長時間労働に問題があるからといって、画一的に労働時間の上限を規制することは、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。長時間労働による疾病等を防ぐための労働基準法上の労働時間規制は当然必要だが、これをいわゆるワークライフバランスの観点から設定される労働時間規制とは区別して議論する必要がある。

どこにどういう問題があるか、そしてその問題に対しては規制緩和ではなく規制強化こそが必要であるという点についてはある程度ご理解が進んだようです。

また、

>また、解雇規制の緩和をめぐって、外部労働市場を十分に整備することで「退出」さえ確保されれば良いとの考えは誤りとする声もあるが、転職が容易となることで労働条件が改善され、結果として転職する必要がなくなる側面があることを見落としてはならない。

もちろん、その点、つまりハーシュマンが『方法としての自己破壊』の中で東ドイツを例に挙げて述べた、「退出」の確保が「発言」を可能にする、という面を見落としてはなりません。私もその点は繰り返し述べております。しかし、その両者は「声もあるが」という逆接の接続助詞でつながなければならないものではないのではないでしょうか。「退出」は自由にできるが「発言」はできないような組織は、やはり不健全だと思いますよ。そして、「発言」を保障するための一定限度の身分保障というのは、いかなる組織においてもやはり必要となるのです。それが過度の既得権に転化しているかどうかが問題なのではないでしょうか。

このあとのところで、法と経済学の有用性を力説しています。

>労働政策を議論する上で、留意しなければならないのが「法と経済学」の視点である。「法と経済学」とは、法や判例が社会経済的に及ぼす影響を客観的に分析する学問分野であるが、これにより、法解釈に対しても立法論に対しても、新たな知見を付与することができる。

私もまったくその通りだと思います。ただ、「法と経済学」にもいろいろと流派があるようで、福井秀夫先生の法と経済学が唯一絶対というわけではないでしょう。この辺は、来年2/3月号に経掲載予定の日本労働研究雑誌の学界展望で喋ったことですが、もっと様々な法と経済学のアプローチが妍を競うようになることが望ましいと思います。

各論として、解雇権濫用法理の見直し、労働者派遣法の見直し、労働政策の立案について、の3つが挙げられています。私も見直しが必要だと思う点では人後に落ちないつもりですが、具体的な記述はいささか全て緩和せよという方向に偏り、こういう方向に新たな規制を強化すべきではないかというご提案が乏しいのが難点のように思われます。

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野川忍先生の労働法教科書

野川忍先生から、大著『労働法』と『わかりやすい労働契約法』をお送りいただきました。有り難うございます。

1491 1497

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1491.html

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1497.html

まず注目は版元です。商事法務といえば、文字通り会社法を中心とする商事法務関係の雑誌や書籍を出しているところですが、そこからこういう堂々とした労働法の教科書が出されるようになったということは、労働を抜きにして会社を論ずることはできなくなりつつあるという時代認識の現れと見ることもできるかも知れません。

もちろん、ヨーロッパ諸国では会社法の中に労働者参加の規定があることからもわかるように、そもそも会社法と労働法は不可分の関係にあるわけですが、近年の日本では労働者のことを棚に上げてコーポレートガバナンスを論じて何の疑問も持たないという傾向も見られることを考えると、少しは効果があるかも知れません。

それから、構成としては、総論が大変充実しています。普通、総論は冒頭でごく簡単に、というのが一般的な教科書のパターンですが、本書は、

>主要目次
《総論》
■労働法の基本的な原理
労働法の原理 「労働契約」の意義--労働基準法の規整 雇用契約と労働契約の関係--労働契約法から雇用契約法へ
■労働法の歩みと憲法規定
労働法制の成立と展開(日本と外国) 労働法と憲法規定
■労働法とグローバルな視座
アメリカの労働法 ドイツの労働法 EU・英仏その他の国々の労働法 国際労働関係法

《各論》
■個別的労働関係法
労働憲章と雇入れ時の法規制 雇用における男女平等の法理 就業規則の役割 雇用関係の成立と法規制--採用内定・試用期間 人事権の意義と限界 配転・出向・転籍の法理 安全衛生と労災補償 賃金の法規制 賞与・退職金・賃金制度の変貌 労働時間の法的意義と基本構造 弾力的労働時間制と休憩・休日 時間外・休日労働と年次有給休暇 服務規律と懲戒 労働契約の終了
■団体的労使関係法
労働組合の法的意義と機能 団体交渉と労使協議制 労働協約の法的構造 団体行動の法理 不当労働行為救済制度
■日本の雇用政策
雇用のための法的サポート 特別な対象者に対する雇用促進政策
■労働法の現代的課題
非正規労働者--期間雇用、パート・派遣 職業生活と家庭生活の調和 企業法務のなかの労働法 企業変動のなかの労働関係 労働条件変更の法理 労働紛争解決システム 公務員と船員

というふうに、歴史的なところと国際比較的なところが大変詳しく書かれています。激変の時代であるからこそ、時間軸と空間軸で広く視野をとって、物事を見ていく必要が高まるわけですが、まさにそれに対応した3412910_2構成だと思います。それから、その歴史のところですが、いくつもの参考書が本の表紙の写真付きで掲げられています。こんな具合です。

  3311710_2 3310910 3810010 3313510

どれも岩波文庫ですが、それはこういう労働問題の古典をちゃんと収録している文庫が岩波だけだと云うことですね。

また、外国法について、アメリカとドイツだけ特別扱いで、あとはEU、フランス、イギリスその他をひとまとめというのはいささか・・・。

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地獄への道をグッドウィルで敷き詰めて

さて、三連休の間に日雇い派遣の大手グッドウィルをめぐっていろいろ動きがあったようです。

>グッドウィル事業停止へ 各地で違法派遣 厚労省処分

http://www.asahi.com/job/news/TKY200712210395.html

>厚生労働省は日雇い派遣大手のグッドウィル(東京都港区)に対し、事業停止命令を出す方針を固めた。禁じられた港湾荷役業務への派遣などの法令違反が複数確認されており、約800カ所の全事業所が対象となる見通し。事業停止期間も数カ月と、大手派遣会社への処分では最長となる可能性がある。

>グッドウィル違法派遣、最長4カ月の事業停止へ

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220142.html

>グッドウィル・グループは22日、子会社で日雇い派遣大手のグッドウィルが労働者派遣法違反で最長4カ月におよぶ事業停止命令の処分を通知されていることを明らかにした。東京労働局が今月19日付で通知し、来年1月8日を期限に同社から弁明を受けた上で、正式に決める。グッドウィル側は基本的に争わず処分を受け入れる方針。

>グッドウィル処分で広がる雇用不安 経営先行きも不透明

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220223.html

>日雇い派遣大手のグッドウィルの全事業所737カ所に、2~4カ月間の事業停止命令が出されることが確実となった。1日3万人とも言われる現場の派遣スタッフには、年明けから収入が途絶える不安が広がる。派遣事業に集中することで経営再建を目指していた親会社グッドウィル・グループの先行きも不透明になった。

>グッドウィルの派遣スタッフでつくる労働組合グッドウィルユニオンは22日、「事業停止で仕事がなくなれば、寝るところや食べるものさえ奪われかねない」と、生活保障の必要性を訴える声明を出した。

>グッドウィル 4都県で3万人を違法派遣

http://www.asahi.com/life/update/1223/TKY200712230150.html

>グッドウィルの折口氏、代表権返上へ 会長職は続投

http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200712220260.html

>グッドウィルは違法派遣で事業停止を嫌いストップ安売り気配

http://www.asahi.com/business/toyo/kabuto/TKZ200712250008.html

会社名のとおり、地獄への道をまっしぐらというところでしょうか。

以前の大阪労働局、今の東京労働局と、ここのところ違法派遣に対する摘発の手が鋭いですね。

派遣労働者の生活のために、出すべき事業停止命令を出さないというわけにはいきませんが、雇用保険の上でどういう対応ができるかは考えなければならないでしょう。

今日の新聞では、

>派遣法改正、結論見送りを提言 労政審が中間報告案

http://www.asahi.com/life/update/1224/TKY200712240149.html

>労働者派遣法の見直しを検討している厚生労働省の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会の中間報告案が24日、明らかになった。登録型派遣の是非など労使の隔たりが大きい論点は結論を先送りし、学識経験者による研究会を新設して審議を続けることを提言。一方で、違法行為が相次ぐ日雇い派遣などについては、規制強化に必要な省令や指針の整備を急ぐことを求めており、厚労省は年明けから具体的な内容を詰める方針だ。

 25日に開く部会で公益委員が提案し、労使代表も了承する見通し。これを受け、厚労省は08年の通常国会に派遣法改正案を提出することを正式に断念。09年の提出を目指し、新設する研究会で審議を続ける方針だ。

 中間報告案では、労働者派遣を「原則自由」とする使用者側と、「限定的なもの」と考える労働者側とでは「根本的な意見の相違がある」と指摘。「議論を続けても有意義な結論に到達することは困難」と断言した。

 また、日雇い派遣に対する規制強化や派遣元の情報公開の促進については「一定程度労使の意見の一致が得られている」と明記。現行法に基づく省令や指針の整備を急ぐよう提案している。

と、派遣法の見直しは先送りになったことを報じていますが、「日雇い派遣の規制強化」はいいのですが、現実に日雇い派遣で働いている人々をどう救済するのかという視点ももちろん必要です。

この日雇い派遣については、先日の雨宮さんとの対談でも話題になりまして、紙面に出る部分には入っていないのですが、期間の定めなきオンコールワークと捉えることはできないのだろうか、ということを云ってみました。オンコールワークというのは、予め労働日や労働時間が決まっていなくて、呼び出しがあれば働くという就労形態ですが、呼び出されていない間も雇用関係にはあるというものです。ただ、日本では労働基準法によってそういうのは認められていません。これが認められていないから逆に日雇いで雇い入れの都度「明日の朝7時から」と定めるという形になるわけですが、これを認めると日雇い派遣の人にとっては保護の拡大になります。ただ、そうすると日雇いでない人がお前はオンコールワークだから、「呼び出しがあれば出てこい」だとされてしまう危険性があり、そう簡単に踏み切れないわけです。正直のところ、私も懐疑的なのですが、例えば週30時間以上保障といった条件を付けて認める道はないのかな、という気もしています。

いずれにしても、このあたりはなかなか難しい問題がてんこ盛りです。

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松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」

松尾匡さんがご自分のHPで、私の10月末のエントリー

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html

に対して、厖大かつ内容の濃いコメントを書いてくださっています。

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_71225.html

高度成長期から現代に至る歴史解釈については、ほぼ同感です。わたしが「リベサヨ」の「リベ」という曖昧な言葉で表していたものを、松尾さんは「アイデンティティの政治」という明晰な概念で析出しています。そして、赤木現象の背後にある国内政治における被差別者の富裕化と「アイデンティティ上の強者」の弱者化とパラレルに、被侵略国中国の(一部の)富裕化と侵略国日本の(一部の)貧困化が対外右翼化現象を生んでいると、これまた明晰な分析をされています。

松尾さんは、私に「本来は社会主義的心情に通じる右翼の方がマシというような、一種のシンパシーを感じとってしまうのであるが、それは絶対にまずい」と云われていて、ここはどうコメントするか悩ましいところですね。こういうもの言いは確かにしていまして、それはもっぱらリベサヨさんのツラをひっぱたく効果を考えてわざと云ってる面があるのですが、誤解を招くぞを云われれば確かにその通り。

ただ、歴史的事実として、日中戦争期に、日本の労働者にとって「希望は戦争」であったという事実ときちんと向かい合わないとどうしようもないよ、と。そして、これは諸刃の刃という面はありますが、人間はなにがしかのアイデンティティなしにはいきられない生き物ですから、より有害さの少ない非攻撃的なアイデンティティの枠組みを提供することも必要でしょうね、という面もあります。

最後のところの「現代資本主義による利害の共通化」というのが松尾さんの真骨頂であり、ほんとにそうかね?と茶々を入れたくなるところでもあるわけですが、

>少数の貧困層だけが利害を叫んでも力にはならない、そうではなくて多くの幅広い層の労働者がそれぞれ自己の暮らしの利害を追求しながら、なおかつそのためにこそ団結

しなければならない、という点はまったく同感です。松尾さんはそれを、

>できるようになったのは、今述べたとおり、まさに現代資本主義のおかげだったということである

と、かつての歴史の発展法則至上主義的な云われ方をされるので、「歴史に「たら・れば」はある」といういささか主意主義的傾向のある私としては、なかなか同感しがたいところではあるんですが。

まあ、これは、非管理職の正社員だけでは組合は多数派になれないという事態を受けた労働組合の行動を、主意主義的に捉えるか客観主義的に捉えるかという違いに過ぎないのかも知れませんが。

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2007年12月21日 (金)

2008春の欧州理事会への欧州委文書

来年春の欧州サミットに提出される欧州委員会の報告書「成長と雇用に向けたさらなるリスボン戦略:新たなサイクルを打ち出す(2008-2010)」が出ました。

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/07/st16/st16714.en07.pdf

この中の、「人々に投資し、労働市場を現代化する」というところをちょっと眺めてみましょう。

>'Flexicurity' strikes a balance between flexibility and security on the labour market. It aims at ensuring that all citizens can enjoy a high level of employment security i.e. that they can easily find a good job at every stage of their active life. It helps employees and employers alike to seize the opportunities globalisation offers. After the agreement reached between the social partners, the European Council is invited to endorse the Commission's proposal forcommon principles on 'flexicurity'. Member States should now implement them, tailoring them to their own specific situations.

雇用のフレクシビリティとセキュリティを組み合わせたフレクシキュリティがまず前面に出ています。

次は貧困と社会的排除問題。

>Reinforced efforts to fight poverty and social exclusion and integrate people at the margins, in particular through active inclusion policies, are crucial. Reducing poverty is at the heart of the renewed Lisbon Strategy through its emphasis on growth and jobs and implementing measures which invest in people's capacities, provide equal opportunities, adequate social protection and the provision of good quality jobs. Support for low-skilled workers, migrants and disabled people needs to be reinforced, notably by fostering skills development.

貧困削減こそがリスボン戦略の中心であるが、それは何よりも成長と雇用、そして能力開発、機会均等、社会保護、質のいい仕事を提供することによってであるということです。何回も繰り返されて、このブログの長年の読者にとっては耳タコかもしれませんが、池田氏のところから最近飛んできた方もおられるようなので、あらためてこれがまともな先進国の政策の流れであるということを確認しておきましょう。

>Investing more in education and skills throughout people's lives is not only critical to Europe's success in the age of globalisation, it is also one of the most effective ways to fight inequality and poverty.

不平等や貧困を解決する道は何よりも生涯を通じた教育と技能への投資にある、と。

>Ensuring that qualifications learnt on the jobs are recognised across Europe will greatly increase the incentives for people to go on acquiring new skills throughout their working
lives.

仕事を通じて得た職業資格を欧州全域で通用するようにする、これはEUだからですが、日本の文脈に置き換えれば、ある企業の中で獲得した技能を他の企業でも通用するようにしようという、ジョブカードみたいな話になるわけです。

>Skills development and life-long learning support 'flexicurity' policies by enhancing flexibility, employment security and mobility between jobs.

そうやって技能開発、生涯学習を進めることが、最初に戻ってフレクシキュリティを支えることになる、と。

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雨宮処凜さんについて

先日対談した雨宮処凜さんについてオーマイニュースでこういう批判が書かれているようです。

http://www.ohmynews.co.jp/news/20071220/18764

>雨宮処凛の「転向」が批判されない理由

>いまでこそ「プレカリアートのマリア」だとか「ワープアのミューズ」だとか「ネットカフェ難民の女神」だとか呼称され、停滞気味だった左派の救世主的存在になっているけれども、以前は、維新赤誠塾なる民族派パンクバンドをやっていたバリバリの右翼だった。

 つまり、転向者なのだ。

 よくある左から右へ、ではなく、右から左へ、ではあるが、転向は転向だ。一昔前なら、「転向」といえば、物書き生命を左右しかねないほどの重大問題だったはずだが、こと雨宮に関しては、そのことであまり批判を受けていないようだ。なぜなのだろう?

私は、右翼時代の雨宮さんについては全然知らないのですが、この批評者が使っている「右翼」「左翼」という言葉が一次元的すぎてものごとを適確につかまえられていないだけなのではないかと思います。

雨宮さんが「右翼」だったといっても、それは別に、労働者をみんなフリーターにして権利を剥奪してしまえば世の中は住みよくなるなどとほざいていたわけではないでしょう。

格差のどこが悪い、貧乏人は飢えて死ねばいいじゃん、とうそぶいていたわけではないでしょう。

そういうネオリベ右翼では全然なかったはずです。

むしろ、彼女が右翼に入ったきっかけは、

http://www.magazine9.jp/interv/karin/index.html

>それと、「こんな何もない世の中、戦争くらい起こってくれないともう生きていられない」みたいな思いがすごくあって。戦争じゃなくてもいいんだけど、とにかく何か大きいことが起こってめちゃくちゃになってほしいと。

>そんなときに、知り合いに右翼団体の集会に連れて行かれたんですよ。そこで「こんな物質主義と拝金主義の社会は間違っている、こんな社会で生きていきやすいほうが狂っている」みたいなことを言われて、ガツンと衝撃を受けた。それで入会を決めたんです。その意味ではオウムでも右翼でも、どっちでもよかったのかもしれません。

ということのようですから、まことにソーシャルな志向ではあったようで、その意味では全然転向はしていないんですね。

昭和初期についてこのブログで何回も書いてきたように、リベラルな左翼が役に立たなければ、労働者はソーシャルな右翼に頼るしかないのは自然なことであって。

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規制改革会議も半分いいことを云う

規制改革会議のHPに、「学習指導要領に関するアンケート調査」が載っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/1211/item071211_01.pdf

>○文部科学省は、現在、学習指導要領改訂に関する検討を進めており、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(教育課程部会)は、平成19年11月7日付で、これまでの学習指導要領改訂に関する審議を「審議のまとめ」として取りまとめ、公表しました。
○「審議のまとめ」では、高等学校における「地理歴史」において「世界史のみ」を必修科目とする取り扱い(日本史及び地理は選択科目)が現行のまま継続されることとなりました。
○「審議のまとめ」では、「小・中学校において日本史や日本及び世界の地理の学習が行われているという現状を踏まえると、高等学校における現行の必履修科目の定めは一定の合理性がある」と説明されています。
○他方、「義務教育である小・中学校において日本史に加えて義務教育課程に相応しい内容の世界史を学習した上で、高等学校の地理歴史については世界史、日本史及び地理の中から選択できるようにすることが合理的である」との意見もあります。
○本件に関して、広く国民の皆様のご意見をお伺いしたいことから、本アンケートを実施したものです。

つまり、世界史「だけ」必修という規制はおかしいじゃないか、ということですね。

その点については(「激しく」ではありませんが)一定程度同意します。

ただ、何でも選択に任せればいいというものではないでしょう。

日本史にせよ、世界史にせよ、現代社会を理解するために必要な少なくとも近現代史部分くらいは、必修にしておくべきだと思いますよ。多くの生徒が社会に出て行って、就労するようになったときに、ものごとを考える上で必要な歴史知識というのは、大体その範囲にあることが多いですから。

そして、何よりも政治経済って科目が重要なんじゃないでしょうかね。それも、マクロ経済がどうとかこうとかよりも、社会に出た生徒たちが自分の知識で社会を泳ぎわたっていけるように、ミクロな社会システムに関する適切な知識を教えておくことが必要不可欠だと思います。

この辺が、例の「労働教育」という話題につながってくるわけです。先日の雨宮さんとの対談でも最後のところでこの話になりましたが、労働法や労使関係に関する基本的な知識は、中学や高校で必修にすべきだと思いますよ。この点については、私は規制強化派です。

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池田信夫症候群-事実への軽侮

池田氏やイナゴさんたちの書き込みを読んでいると、彼らには共通して「事実への軽侮」という特徴があるように思われます。

労働問題であれ、何であれ、およそ社会に生起する現象について論じようとするときに、最も重要なことはそれが事実に立脚しているという点であるはずです。

事実に立脚しない、つまりそれが事実ではないのではないかと指摘されても何ら反論できないような虚構の上に百万言を費やして壮大な理論を構築しても、それはテツガク作品としては意味を持つこともないとは言えませんが、少なくとも社会を対象とする学問としては無価値であるといわざるを得ないでしょう。

今回の池田氏の行動は、自分から、私の論文中の独自の意見にわたるところではなく、労働問題を知っている人間にとっては常識に類する程度の前提的な部分にのみ噛み付いて、罵倒した挙げ句、間違いを指摘されると何ら反論もせずに人格攻撃のみを繰り返している点に、最大の問題があるわけです。

(労働時間から偽装請負から派遣から解雇規制に至るまで、論点はてんこ盛りにしておいたはずなんですが、そういうところには噛み付けないんですね。)

おまけに、小野旭先生(私も何回もいろいろ教えていただいた労働経済学の大家ですが)が云ってもいないことを云ったとでまかせを並べて、小野先生に対して「そんなとんでもない莫迦なことを云う人物なのか」と誤解されかねない事態を招いた点、私を天下りと罵るのは自由ですが、小野先生を池田一派であるかの如くでっち上げたという点では、これはほとんど名誉毀損と云うべきでしょう。

まあ、しかし、池田氏やそのイナゴたちにとっては、そんな「事実」などはどうでもいいのでしょう。

事実への軽侮。

これが彼らを特徴づけるもっとも重要な思考行動様式であるように思われます。

(追記)

私はここ4年間、東大の公共政策大学院で労働法政策を講義していますが、その冒頭で、「職工事情」と「資本論」を読むと日本とイギリスの原生的労働関係の実情がよく判りますよ、といっています。

え?資本論?

そうです。ただし、労働価値説とか何とか難しい理屈を並べたところはスルーしてよし。読んでもよくわからんだろうし実を云えば私もよく判らん(笑)。

しかし、資本論第1巻には、厖大なイギリス政府の工場監督官報告が引用され、分量的には半分近くを占めています。これが大変役に立つ。マルクス先生がこうやってダイジェストを作ってくれていなかったら、大英博物館にこもって調べなければならなかったものが、文庫本で手軽に読めるのですから有り難いことです。

マルクス先生の理論は100年経って古びても、彼がダイジェストしてくれた工場監督官報告はいつまでも役に立ちます。

池田氏の「学術博士」論文は、”IT革命のお陰で日本的経営は古くなった”という10年前にマスコミで流行した「理論」をもっともらしく飾り立てた代物のようですが、そういう議論は10年で古びていますが、古びたあとに残る事実の重みがかけらでもあるのでしょうか。

事実を軽侮する者は、ピンの先で天使が踊る議論が崩壊した後に何ものをも残すことはないのです。

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池田信夫氏の3法則

いうまでもなく、私の『世界』論文にいきなり噛み付いてきたのは池田信夫氏です。

>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

<日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。>

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。

労働問題を専門にしている以上、その誤りを指摘するのは当然の義務でしょう。それが

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

>をいをい、明治時代と大正後期~昭和初期をごっちゃにするんじゃないよ。

後者の時代における大きな労働問題が臨時工問題であったことは、ちょっとでも社会政策を囓った人間にとっては常識なんですがね。

(尊敬する小野旭先生が『日本的雇用慣行と労働市場』のどこで、昭和初期に臨時工は何ら社会問題でなかったなどと馬鹿げたことをいっているのか、池田氏は小野先生の名誉を傷つけて平気のようです。)

であったわけですが、現在までの所、池田氏は上で彼が断言した内容について一切触れていません。その代わりに、

>彼の記事には「戦前や戦後のある時期に至るまでは」と書いてあるんだけど、「~時期に至るまでは」という言葉には、明治時代は含まれないんですかね。彼は、もしかして日本語もできないのかな。

という罵倒でごまかしているだけです。これで、まともな人が納得するとでも思っているのでしょうか。彼は、昭和初期を含む「戦前や戦後のある時期まで」に「臨時工がかわいそうな存在であった」ということを否定したのですよ。ましてや、小野旭先生の立派な本にホントにそんなことが書いてあるのかという問いは無視。そして彼のブログは、もっぱら役人や労働組合に対する罵倒で埋め尽くされる。

ここから、池田信夫氏の議論の仕方について、3つの法則を導き出すことができるように思われます。

池田信夫氏の第1法則:池田信夫氏が自信たっぷり断言していることは、何の根拠もない虚構である蓋然性が高い。

もし根拠のあることをいっているのであれば、批判されればすぐにその中身そのもので反論できるはずでしょう。できないということは、第1法則が成り立っているということですね。

池田信夫氏の第2法則:池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。

もしそういう記述があるのであれば、何頁にあるとすぐに答えればいいことですからね。

池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い

ここのところ、池田信夫氏があちこちで起こしてきたトラブルにこの3法則を当てはめれば、いろいろなことがよく理解できるように思われます。

まあ、いずれにしても、現実社会でまっとうに、真摯に生きている多くの人々の生き方を、薄ら笑いを浮かべてあざ笑い、どんな「研究」で得た学術博士か知りませんが、博士号に立てこもって人を攻撃することのみに専念するこのような人物に、学問的誠実性のかけらもないことだけは確かなようです。

私は、現実社会に生きる人々の側に立ちます。労働する人々の側に立ちます。そのために乏しいとはいえ労働問題に関する学問的知見を活用したいと考えています。それが私の学問的誠実性です。

(1年ぶりの追記)

ここ数日、本エントリーの閲覧者が激増しています。池田信夫氏が例によって例のごとく、見当違いの罵倒を浴びせた五十嵐仁氏のブログからこられた方々ですね。

せっかくですので、一連のエントリーを挙げておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_4fd0.html(池田信夫氏と信者たちの麗しき世界)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_a9de.html(池田信夫症候群-事実への軽侮)

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2007年12月20日 (木)

ラヴァル事件判決各紙報道

さて、ラヴァル事件欧州司法裁判決を欧州各紙はどのように報道しているでしょうか。

まず何はなくともEUといえば読むべきフィナンシャルタイムズ、

http://www.ft.com/cms/s/0/4f574152-adc1-11dc-9386-0000779fd2ac.html(Swedish labour model at risk after ruling)

>Sweden’s much-vaunted model of industrial relations and collective wage bargaining faces a challenge after a judgment by the European Union’s top court, trade unions warned on Tuesday.

スウェーデンモデルが危ない、と。

>Trade unions in Sweden called on the government to protect the country’s labour model against the ruling.

Sven Otto Littorin, Swedish employment minister, told the Financial Times that the centre-right government – which had supported the unions in the dispute – would now have to amend the law. “I’m a bit surprised and a bit disappointed by the verdict,” he said. “I think things are working well as they are.”

スウェーデンは中道右派政権なんですが、この件では労働組合側の味方で、組合の要請に応えて法改正をするつもりのようですね。

次はガーディアン紙、

http://www.guardian.co.uk/feedarticle?id=7161613(Swedish unions lose cheap-labour case in EU court)

>Swedish trade unions suffered a defeat on Tuesday when the European Union's top court ruled they could not force a Latvian company operating in Sweden to offer locally agreed pay rates.

The ruling was the latest in a politically sensitive tussle over the powers of unions and the freedom to do business in the EU that has followed the accession of several poorer eastern European states since 2004.

中東欧の貧しい諸国がEUに入ってきて、営業の自由と労働組合権の矛盾が再燃した、と。

>LO, Sweden's main union body, called for changes to Swedish law to ensure that workers employed by Swedish companies and foreign companies working in Sweden were bound by the same employment conditions.

求めている法改正の中味は、スウェーデン国内で働くスウェーデン企業の労働者も外国企業の労働者も同じ労働条件に拘束されるというものですね。

次はドーバー海峡を渡ってルモンド紙、

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-33649009@7-60,0.html(Dumping social: les syndicats européens "déçus" par la Cour de justice)

フランス人にとっては、これは何よりも「ソーシャル・ダンピング」問題なのです。

>Paradoxalement, c'est pourtant ce modèle social nordique -alliant flexibilité et sécurité (d'où la contraction "flexicurité")- qui est porté aux nues par Bruxelles, a-t-il souligné.

パラドクシカルにも・・・、そう、フランス人にとっては最近はやりのフレクシキュリティってのも、なんだかいかがわしい経営よりの概念だと思っているのに、そのフレクシキュリティの本家本元の北欧型労使協調モデルをばっさり営業の自由で切り捨てるということは、俺たちフランス流の何でもいいからストで大騒ぎというやり方の出番かな?・・・とまでは云っていませんけど・・・。

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ラヴァル事件欧州司法裁遂に判決

12月18日、欧州司法裁判所は全欧労働関係者の注目を集めていたラヴァル事件で遂に判決を下しました。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/gettext.pl?where=&lang=en&num=79928781C19050341&doc=T&ouvert=T&seance=ARRET

結論は労働組合側に厳しいものとなりました。

>1.      Article 49 EC and Article 3 of Directive 96/71/EC of the European Parliament and of the Council of 16 December 1996 concerning the posting of workers in the framework of the provision of services are to be interpreted as precluding a trade union, in a Member State in which the terms and conditions of employment covering the matters referred to in Article 3(1), first subparagraph, (a) to (g) of that directive are contained in legislative provisions, save for minimum rates of pay, from attempting, by means of collective action in the form of a blockade (‘blockad’) of sites such as that at issue in the main proceedings, to force a provider of services established in another Member State to enter into negotiations with it on the rates of pay for posted workers and to sign a collective agreement the terms of which lay down, as regards some of those matters, more favourable conditions than those resulting from the relevant legislative provisions, while other terms relate to matters not referred to in Article 3 of the directive.

2.      Where there is a prohibition in a Member State against trade unions undertaking collective action with the aim of having a collective agreement between other parties set aside or amended, Articles 49 EC and 50 EC preclude that prohibition from being subject to the condition that such action must relate to terms and conditions of employment to which the national law applies directly.

つまり、EU統合のためのサービス提供の自由が労働組合の実力行使の権利に優先するというわけです。

この問題については、このブログでも何回か取り上げてきましたが、昨年『世界の労働』に書いたものの一節がよくまとまっているので、引用しておきます。これが事案の概要です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/servicedirective.html

>本指令案に関連して現実に大きな問題となっているのは、サービス提供業者が連れてきた自国の労働者について現地の労働協約で定める労働条件を遵守する必要があるのかということである。これはスウェーデンに進出したラトビアの建設業者をめぐって紛争となり、現在欧州司法裁判所に係属している。

 スウェーデンは組合組織率が80%以上と極めて高く、労働条件のかなりの部分が全国レベルの産業別労働協約で決定されており、これが使用者団体傘下の企業を通じて非組合員にも適用され、使用者団体未加盟企業には組合が個別協約の締結によって適用していくというスウェーデン方式をとっている。逆にいうと、国家権力による一般的拘束力制度はないし、さらにそもそも法定最低賃金も存在しない。全ては労使に委ねられているのである。
 ラトビアの建設業者ラヴァル社は2004年6月、スウェーデンのヴァクスホルムの学校修復工事を請け負い、子会社を作ってラトビアの賃金水準でラトビア人労働者を派遣した。スウェーデン建設労働組合は同社に協約締結を申し入れたが、その交渉中同社はラトビアの組合と協約を結び、スウェーデン建設労組の要求を拒否した。同協約は、ラトビア労組組合員以外のラトビア人労働者にも適用され、しかも他の協約締結を排除するものであった。これに対してスウェーデン建設労組は11月、建設現場を封鎖するという行動に出た。スウェーデン電気工組合は12月、同社の全電気施設を封鎖するという同情争議を行った。
 ラヴァル社は同月、スウェーデン労働裁判所に対し、これら争議行為は違法であるとしてその差止めの仮処分と損害賠償を請求した。労働裁判所は同月、仮処分の訴えを退けた。翌2005年1月、他のスウェーデン労働総同盟(LO)傘下の7組合が同情争議に参加した。工事は中断し、ラトビア人労働者は帰国し、子会社は倒産に追い込まれた。
 ラヴァル社の主張はこうである。海外派遣指令は派遣先国の法令又は一般的拘束力を有する労働協約で定める最低賃金をクリアしなければならないと規定しているが、スウェーデンにはいずれも存在しない。ラヴァル社が一般的拘束力を持たない労働協約に拘束されるいわれはないし、その締結を強制される理由もない。スウェーデン労組の行動は、EU条約第12条(国籍による差別)及び第49条(サービス提供の自由)に違反する、と。ラトビア政府も、EUに加盟したのは安い労働力を派遣できるからなのに、とスウェーデン政府及び組合を非難した。一方、スウェーデン政府は、地方自治体が労働協約を締結しない海外企業と公契約を結ぶことを禁止する法案を検討すると述べた。
 スウェーデン労働裁判所は4月、争点がEUの条約と指令の解釈に関わることから、本件を欧州司法裁判所に付託した。現在まだ判決は出されておらず、欧州委員会の意見も出されていない。ところが10月、ストックホルムを訪れたマクリーヴィ委員がラヴァル社の主張を支持する発言をしたと報じられ、騒ぎが大きくなった。ETUCは早速、域内市場の追求よりも労使対話と社会的権利の確立の方が欧州委員会の重要な責務だと同委員を批判し、欧州議会も急遽、マクリーヴィ委員に加えてバローゾ委員長を呼んで公聴会を開催した。バローゾ委員長は慎重な言い回しに終始したが、マクリーヴィ委員は「私はスウェーデンの労使関係や団体交渉制度について疑問を呈しているのではない。私の所管する基本的な権利や自由を擁護するのが私の使命だ。これが加盟国にとってセンシティブな問題だからと言って、私が意見を表明する権利を奪う理由にはならない。」と意見を貫いた。
 この問題はそれ自体はサービス指令案に関わるものではない。そもそも現行の労働者海外派遣指令自体が、建設業以外では原則として派遣先国の法令で定める最低条件をクリアすればよいし、建設業ではそれに加えて一般的拘束力を有する労働協約で定める労働条件をクリアすればよいという仕組みになっていることに原因する問題である。法令でもなければ一般的拘束力ある労働協約でもないようなただの労働協約は、少なくとも部外者にとっては当事者同士の効力しか持たない民間の取り決めに過ぎない。
 結局、これは労働組合の圧倒的な組織率を背景に法律の助けなしに自力で労働市場を規制してきたスウェーデンなどの北欧モデルをどう評価し、EU法の中に組み込んでいくのかということではなかろうか。法律論ではマクリーヴィ委員に一分の理があるとはいえ、そうなるとスウェーデンを国家権力による一般的拘束力制度や法律による最低賃金というより硬直的な制度に追いやることになる。労使対話による労働市場の弾力化という点で、北欧モデルは欧州委員会の推奨品であり、へたに傷つけたくないという気持ちも大きいと思われる。

と、いう事情だったんですが、欧州司法裁は先週のヴァイキング事件判決では玉虫色だったんですが、こちらではかなり明確に労働組合の建設現場封鎖という行為は違法だと断じています。まあ、やり方がやり方ですからね。

法律の議論としては、海外労働者派遣指令は派遣先の国の最低賃金など法定最低基準は遵守しなければならないが、それを超えた労働協約による労働条件を遵守する義務はないとした点が重要でしょう。確かに、法律的にはそれは当事者同士の取り決めに過ぎないのですから、外国からやってきた企業が押しつけられるいわれはないというのがまともな法律家の感覚なのでしょうが、それでは北欧型の国家権力によらないで労使自治でものごとをうまく動かしていくという仕組みがうまく働かなくなるわけで、このパラドックスをどう解決するかというのは、法律家の次元を超えた政治的社会的決断が求められるのではないかと思われます。

で、欧州労連は失望を表明しています。

http://www.etuc.org/a/4401

>The European Trade Union Confederation (ETUC) expressed its disappointment at an unexpected decision by the European Court of Justice (ECJ) and its concern at the implications of the case for the Swedish (and certain other Nordic countries) systems of collective bargaining.

まあ、スト権が基本的権利であり、ソーシャルダンピングと闘うことが公益的性格を有すると認めた点については、積極的に評価するとしながらも、スウェーデンをはじめとする北欧諸国のフレクシキュリティな社会システムに否定的な結論となったことに失望する、と。

欧州社会党のラスムッセン議長も、

http://www.pes.org/content/view/1261/72

>PES President Poul Nyrup Rasmussen today expressed his deep frustration at the ruling of the European Court creating doubts about the right of Swedish trade unions to take action to force a foreign company to observe pay deals reached through collective bargaining.

>“This is not a ruling for a Social Europe, this is a foggy day which could provide cover for bad employers and wage cutters. The message it risks sending to citizens is that Europe is more interested in competition between workers than in raising living standards for all families. ”

ソーシャル・ヨーロッパに霧がかかった、ヨーロッパは生活水準の向上よりも労働者同士の競争を興味があるというのか・・・、となかなか文学的な評言で批判しています。

>“Sweden is a model of cooperation between trade unions and employers, and this is one of the reasons it is among the most competitive economies in the world. I am at a total loss to understand why the European Court would create uncertainty and put the hugely successful Swedish collective bargaining system at risk.”

スウェーデンはその労使協調システムゆえに世界でもっとも競争力のある経済であるのに、なにゆえに欧州司法裁はそれを危うくしようとするのか・・・。

この辺は、いささか文脈は違いますが、日本型の労使協調システムを破壊しようとするネオリベ派の方々の問題と共通するものがあるようにも思われます(細かい話は省略してですよ)。

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高齢法を読んでいますか?

内閣府HPに11月26日に開かれた労働市場改革専門調査会の議事録がアップされています。私が出席した次の回で、報告者は藤村博之先生です。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/16/work-s.pdf

このやり取りの中で、阪大の小嶌先生がちょっと変なことを言っています。

(小嶌委員)資料1の13 頁「解決すべき課題」に「希望者全員の是非」と書いてあるが、改正高年齢者雇用安定法の条文には希望者全員という文言は出てこない。現場にいて思うが、厚生労働省が事業主向けに配布しているリーフレット等でこのメッセージが発せられたために、企業は高齢者を辞めさせにくくなっている事情もあるかと思う。要するに、継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準を設けて、その基準に満たない者へは継続雇用措置を適用除外できる場合でも、その基準は客観的でなければならないということになっている。このため、当初改正法が施行される前は、多くの企業は、例えば会社が必要とする者という条件を提示していたと思うが、それができなくなった。国立大学法人でも、協定を結んで適用除外を行っているが、その範囲は非常に限定的にならざるを得ず、実際には勤続年数が短い人、処分歴がある人、健康状態に問題がある人、成績が著しく悪い人等に適用除外の範囲は限られている。仮にその労使協定がなければ、問題がある人も含めて希望者全員を継続雇用する義務があるという考え方になってしまう。非常におかしなことだが、60 歳になるとかえって雇用保障が強まることとなる。これは、若干間違った認識もあるとは思うが、改正高年齢者雇用安定法の余波、副作用として、そうした風潮が出てきているのではないかとの印象を持っている。

高齢法第9条をお読みいただきたいのですが、

>(高年齢者雇用確保措置) 

第九条  定年(六十五歳未満のものに限る。以下この条において同じ。)の定めをしている事業主は、その雇用する高年齢者の六十五歳までの安定した雇用を確保するため、次の各号に掲げる措置(以下「高年齢者雇用確保措置」という。)のいずれかを講じなければならない。
  当該定年の引上げ
  継続雇用制度(現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者をその定年後も引き続いて雇用する制度をいう。以下同じ。)の導入
  当該定年の定めの廃止
  事業主は、当該事業所に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準を定め、当該基準に基づく制度を導入したときは、前項第二号に掲げる措置を講じたものとみなす。

このように、原則は希望する者を65歳まで雇用する制度を導入せよと云うことであり、但し労使協定で例外を設けることができると云うことなのですから、その原則の方を「希望者全員」ということは何らおかしなことではありません。

この前の回で私が繰り返し述べたことですが、この制度は労働条件変更その他雇用契約の内容を一切捨象すれば、65歳を強制退職年齢の下限とするという規定であり、その雇用保障の程度は60歳未満と60~65歳とで変わるものではありません。というか、そういう制度設計なのです。どこがどうして「60 歳になるとかえって雇用保障が強まることとなる」というご発言になるかいささか理解に苦しむところがあります。

面白いのは、八代先生が例によって持論の「人事部はもういらない」論を展開しておられるのに対し、藤村先生がやんわりと反論しておられるところです。

>(八代会長)・・・・・エイジレス社会への動きを進めるために一番必要なのは、人事部の改革ではないかと思う。その改革の方向性の1つは人事部機能を原則として原課に全部降ろすことではないか。各原課の課長が人事権を持つことが、ある意味では一番簡単である。今のように人事部が強大な権限を持っているからこそ、それに伴う責任を追及されて、また対応できなくなる。特に高齢者の人事管理については、特に画一的な配置転換ではなく、人事の分権化が必要だと考えるが、・・・

(藤村教授)日本企業の人事部は中央集権的で強いというイメージがあるが、それは強権発動で従業員を無理やり動かす金融業界には当てはまると思う。しかし、製造業は、意外と本社の人事部が力を持っていない。無理やり人を動かすケースとしては、例えば、ある部署の長が、使い勝手が良いという理由で自分の懐刀のように長く部下として置いている、いわば塩漬けになっている人を、人事部が本人のことを考えて動かすと判断した場合に強権発動で動かすことがある。それ以外は、ほぼ現場の部長レベルで話し合いが付いて、それを後追いする人事となっている。したがって、人事部が非常に強いからという八代会長の御指摘は、全ての業種に当てはまるものでもないと思っている。ただ、人事部が説明責任をきちんと果たしていないとのご指摘はそのとおりであり、人を選ぶ基準、管理職に登用する基準を明確にして、その基準に見合わない場合は役職を下りる仕組みを作る、ということは本来あるべきことである。今、一番求められていることは、人事部機能を解体することではなく、人事部が本来持つべき機能をきちんと果たすことだと思う。最近、戦略的人事管理の必要性が言われているが、簡単に言うと企業の経営戦略と人事の採用・配置・育成との連携をきちんと取ろうということである。これは、1980 年代まで日本の会社が普通に行ってきたが、ここ15 年ぐらいできなくなっているため、もう一度きちんと戦略的人事管理をしようということだと思う。しばしば経営者は目前の利益を上げることに重点を置いて、人事の配置を決めることがあるが、人事部の役割は、人事として中長期の育成計画をちゃんと持って、例えば5年後、10 年後の会社のことを考えて、今この人を異動させてはいけない、こういう経験をしてもらう、ということを主張して、場合によっては事業部長と対峙するくらいの力強さが必要かと思う。八代会長が指摘された採用についての現状は、現場の課長クラスが誰々を採るという具体的な権限委譲までは難しいとしても、何人採るという程度の権限はあるようだ。ただ近年、会社全体として正社員が増えすぎないよう人事をコントロールしているので、ここ2年ぐらいのように景気が回復している局面で、本来であればもっと正社員を増やせたのに全体の制約で増やせなかった事情はあると思う。また、その結果として、技能伝承の問題、あるいは全体として高年齢者の所得の伸び悩みにも影響が生じたと思われる。したがって、私は、ある一定ルールの下では解雇ができるようにした方がいいと思っている。

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池田信夫氏と信者たちの麗しき世界

依然としてご自分のブログで役所と労組を口汚く罵り、それにカルト信者たちが唱和するという麗しき世界のようですが、論点自体はスルーということのようですな。まあ、歴然と間違っているんだから、如何ともしがたいでしょう。あとは形容詞の激烈さで勝負、と。

しかし、女工哀史や富岡日記が出てきましたな。今度は山形浩生さんや田中秀臣さんと共闘ですか。またぞろ明治初期と大正期の取り違えで恥をかくだけなんですが。知ってるのがそれだけだからって。やみくもに出すものじゃありません。本当に、日本労働史を勉強し直した方がいいですよ。

この辺は次を参照のこと。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/joseirodosha.html

>1 繊維工業の女工
 
 明治期から大正期にかけて、日本の労働者の過半は繊維工業の女工でした。その出発点に位置するのが、1872年に開業した官営富岡製糸工場です。当時の女工たちは誇り高い士族の子女で、十代半ばの若さながら、その賃金は校長並みで、食事や住居など福利厚生も手厚く、まさにエリート女工でした。その一人であった松代区長の娘横田(和田)英の『富岡日記』には、その誇りがよく出ています。
 やがて日本各地に彼女らを教婦として民間の製糸工場が続々と開かれていきますが、なお女工は良家の子女であり、通勤女工が主で、地域のエリートとして誇りを持って働いていたのです。ところが製糸工業が急激に発展し労働力需要が激増するとともに、1870年代末には女工の出身は主として農村や都市の貧しい平民層に移行し、生家の家計を助けるために口減らしとして労働力を売る出稼ぎ女工が主になりました。
 一方、近代的な紡績工場も幕末から創業が始まり、初期には士族の子女が紋付きを着て工場の門を出入りするような状態でしたが、やはり業種の急拡大とともに農村や都市の貧民層が主たる労働供給源となっていき、それとともに遠方から募集した女工を寄宿舎に収容するのが一般的になっていきました。
 当時の企業にとって最大の問題は女工の募集難でした。そのために悪辣な募集人を使い、おいしいものが食べられる、きれいな着物が着られるなどと言葉巧みに十代の少女を誘惑して工場に連れてくるといったやり方が横行し、時には誘拐という手段も用いられました。その実情は、農商務省の『職工事情』に生々しく描かれています。このような弊害に対処するため、この頃から都道府県レベルで募集人の取締りが行われるようになりました。これは後に国レベルの規制に格上げされます。
 一方、工場の中の労働条件も、富岡時代とはうってかわって長時間深夜労働と低賃金に彩られていきます。高価な機械を使うことから昼夜フル操業が要請され、そのために昼夜交替制の12時間労働で、休憩時間は食事時間15分ずつといった有様でした。女工たちは家計補助のための就労ということで、女工一人の生活を維持する程度の低賃金でしたし、工場や寄宿舎は不衛生で、多くの女工が結核等に感染し、死亡するものも多かったようです。こういう状況に対して女工たちがとったのは逃亡という手段でしたが、これに対しても企業側は、逃走を図ったといった理由で、殴打、監禁、裸体引き回しといった懲罰を加えていました。
 この状況についても上記『職工事情』に詳しく描かれていますが、政府は主としてこの女工の労働条件改善対策として、工場法の制定を図ります。繊維産業界の猛烈な反対の中で立案から30年かかりましたが、同法は1911年に制定され、1916年から施行されました。これは女子と年少者について深夜業を禁止するとともに労働時間を12時間に制限したものです。もっとも、企業側の反対で、施行後15年間は、交替制の場合は深夜業が可能と骨抜きにされました。
 一方、企業側もいつまでもこのような原生的労働関係に安住せず、募集よりも保護・育成に力を注いで、女工の定着を図る施策を講ずるところが出てきます。鐘ヶ淵紡績(鐘紡)をはじめとして1890年代から義務貯金制度が始まりますが、これは逃亡すると没収されるので移動防止策として用いられました。鐘紡は、女工に対する福利厚生の手厚いことで有名です。特に寄宿舎に教育係を置き、国語算数に加え裁縫などを教えました。
 労務管理史上重要なのは、繊維工業では重工業や鉱山と異なり、親方職工による間接管理ではなかったという点です。作業管理も生活管理も企業の直轄で、賃金制度は個人ベースの出来高給です。しかし、上で見たように大部分は使い捨ての労働力であって、企業のメンバーシップがあったわけでもありません。とはいえ、彼女ら主に未婚の女工たちがジョブに基づく労働市場を形成していたとは言えないでしょう。出身家族へのメンバーシップに基づき、家計補助のために就労するというのがその社会的位置であったと思われます。
 鐘紡を先駆者として、大企業は次第に福利厚生や教育訓練を充実していきます。年少の女工が対象であるだけに、これはまさに使用者の温情主義として現れることになります。工場法制定に反対する企業側はこの温情主義を根拠としたのです。鐘紡の武藤山治は、これを「大家族主義」と呼び、1919年のILO総会に出席して、いかに職工を優遇しているかを説明しています。
 なお、有名な『女工哀史』は、東京モスリンの職工だった細井和喜蔵が1925年に書いたもので、職工事情に見られるような原生的労働関係が経験に基づいて描写されているとともに、上記温情主義施設に対する社会主義的立場からの批判も見られます。しかし、この頃にはかつてのような悪辣な募集と逃亡のいたちごっこは影を潜め、特定地域からの固定的な採用と結婚退職までの定着化が進んでいました。また教育内容は花嫁修行化していきます。さらに、この温情主義の流れから、例えば倉敷紡績の大原孫三郎のように、労務管理の科学的研究が始められたことも重要です。 

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2007年12月19日 (水)

雨宮処凜さん

本日、都内某所で、プレカリアートのマリアこと雨宮処凜さんと対談をして参りました。

中味は活字になるまでお預けですが、2時間フルに熱く語り合ったので、大変疲れました。

処凜さんと並んで写真を撮っているのですが、どういう写真写りになっているかがとても心配です。

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一知半解ではなく無知蒙昧

以前このブログで、池田信夫氏に「一知半解」という形容を進呈しましたが、それは間違いだったようです。読者の皆様にお詫び申し上げます。正しくは、「無知蒙昧」と云うべきでした。

最近、あちこちに誤爆をしでかして、すっかりトンデモの仲間入りをされたらしい池田氏ですが、何を思ったか、また日本労働史への無知を暴露しているようです。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87a589c70b31090d1f7557c9855d9d2b

私の「日本の労務管理」を読んだらしく、

>20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一本で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資本主義時代のイギリスでも19世紀の日本でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的になった。いわば資本主義の中に計画経済的な組織としての企業ができたのである。

というところはなんとか正しい理解をしているのですが、その第一次大戦後に生み出された「臨時工」について、その下のコメントのところで、こういう莫迦なことを云っているのですね。

>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

<日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。>

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。

をいをい、明治時代と大正後期~昭和初期をごっちゃにするんじゃないよ。

後者の時代における大きな労働問題が臨時工問題であったことは、ちょっとでも社会政策を囓った人間にとっては常識なんですがね。

(尊敬する小野旭先生が『日本的雇用慣行と労働市場』のどこで、昭和初期に臨時工は何ら社会問題でなかったなどと馬鹿げたことをいっているのか、池田氏は小野先生の名誉を傷つけて平気のようです。)

『労働行政史』第一巻の351頁から356頁で、大正末から昭和初期の臨時工問題とこれに対する対策が略述されているので、まずはそれを読みなさいというところですが、私が『季刊労働法』210号に書いた「有期労働契約と雇止めの金銭補償」において、臨時工問題の経緯をやや詳しく書いているので、それを引用します。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yatoidome.html

>1 戦前の臨時工問題

 さて、有期労働問題は昨今始まった問題ではありません。この問題の歴史は実はかなり古いのです。かつては「臨時工」問題という名で呼ばれていました。臨時工問題がホットなテーマとなったのは今まで2回あります。1回目は戦前の1930年代、2回目は戦後の1950年代です。
 戦前の臨時工問題については、労働事情調査所(矢次一夫)の『臨時工問題の研究』(1935年)が詳しく説明しています。従前から欠員の一時的補充、試傭、繁忙期対策として用いられてきた臨時工がこの時期に急増して社会問題となったのは、解雇手当を回避するためと、低い労働条件でコスト切り下げを図るためであったといいます。「軍需工業も輸出工業の景気もいつまで続くか分からない。いつまでも続けばよいが、或は近いうちに沈滞するかも知れない。その時には解雇問題が起こる。そして現在雇入れてゐる職工を常傭工にして置けば、その時解雇手当を出さなければならない。また面倒な労働争議も起り勝ちだから、その時に備へて、新規採用の職工を試傭期間を超過しても出来るだけ臨時工若くは人夫名義の職工にして置いて、事業家の負ふべき種々の義務から免れようとしてゐるのが最近の臨時工増加の社会的原因」というわけです。しかも、その賃金水準はおおむね常傭工より2割ほど低く、時間外の割増率も低く、健康保険にも加入できず、昇給もなければ福利施設も劣悪でした。
 これに対し労働者は反発しました。1933年9月、三菱航空機名古屋製作所で日雇職工を一切手当を払わずに解雇したのに対し争議を起こし、内務省社会局に対する抗議運動に発展したのです。これは結局予告手当14日分に加え、解雇手当80日分、帰国手当5円(家族1人につきさらに2円)等を支給することで解決したようです。
 一方、大阪の戸畑鋳物木津川工場では、1年7カ月勤務した臨時工が実質的には常傭工だから解雇手当を支払えとの訴訟を起こしています。1935年7月の大阪区裁判決*1は、就業規則上臨時工を除外する旨明確に規定されていなかったことを理由に30日分の解雇手当支給を命じましたが、1936年9月の大阪地裁(控訴審)判決*2は就業規則の解釈ではなく、採用時には臨時工であっても雇傭期間中に実質上本工に転化したとして解雇手当の支給を命じました。
 当時の労働組合もこの問題に対して積極的に対応しています。右派の日本労働組合会議も、左派の日本労働組合全国評議会も、臨時工制度の廃止、臨時工の常用化を要求していました。もっとも、実際には臨時工を常用化することは、常用工を中心とする組合にとっては必ずしも好ましいものではなく、臨時工制度を認めた上でその労働条件を改善しようという傾向が生じていると同書は分析しています。ここまで見てくると、近年の有期労働問題とあまり変わらないようにも感じられます。
 興味深いのは、この問題に対する政府、すなわち内務省社会局の対応方針です。当時の北岡寿逸監督課長は、『法律時報』(第7巻第6号)に載せた「臨時工問題の帰趨」において、「臨時工の待遇は本来よりすれば臨時なるの故を以て賃金を高くすべき筈」なのに、「常用職工より凡ての点に於て待遇の悪いのを常例とする」のは「合理的の理由のないことと曰はなければならない」とし、「最近に於ける臨時工の著しき増加に対して慄然として肌に粟の生ずるを覚える」とまで述べています。
2 戦前の臨時工対策
 では実際の臨時工対策としてどのような措置がとられたのでしょうか。当時は工場法施行令第27条の2によって14日分の解雇予告手当の支給は義務化されていましたが、それを超える解雇手当は事業主の任意に委ねられていたため、基本的には内務省社会局の所管する工場法の解釈通達という形で、臨時工名義による脱法行為を取り締まるという施策が講じられました。
 まず、1930年6月3日付の「定期臨時工に関する件」(収労第85号)は、「期限付雇傭契約と雖も従来の事例作業の状況等の客観的事情より見て期限に至り契約更新せらるるや期限と共に終了するや不明にして期限終了に際して更新せられざる場合には新に其の旨の申渡しを為すことを要するが如きものに就ては斯かる申渡は工場法施行令第27条の2の雇傭契約の解除と同視すべきものにして2週間の予告を為すか或は賃金14日分以上の手当を支給することを要す」と指示しました。
 また、上記三菱航空機争議が発生した直後の1933年11月1日付の「工場法施行令第27条の2の解釈に関する件」は、「同条の雇傭契約なる語は形式上の契約書等に関することなく事実上の使用関係を謂ひ、雇傭契約の解除とは工場主の一方的意思に依り雇傭関係を終了せしめるを謂ふものにして、日々に雇入れの形式を採るもの又は請負人の供給するものと雖も事実上特定せられ且相当継続して使用せらるる場合には事実上期間の定めなき雇傭関係成立したるものと見るべく其の雇入れの停止は事実上契約解除と見ることを要するの義にこれあり」とし、具体的には「30日を超えて継続使用せられたる職工は日々雇入れ又は労務供給の形式に依る場合と雖も施行令第27条の2の適用あるものと解する」としました。 

これがおおまかな見取り図です。ちなみに、臨時工問題について「肌に粟の生ずるを覚える」と述べた北岡寿逸監督課長は、その後東京帝国大学経済学部で社会政策を講じますが、池田氏にかかれば彼も「天下り教授。氏ね」の仲間入りなんでしょうね。まあ、北岡氏の前任の河合栄治郎も農商務省で工場監督官補でしたから、池田氏流には『天下り教授。氏ね」か。

ここでさらりと触れた三菱航空機争議については、今年8月にこのブログで詳しく紹介しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_642c.html(昭和8年の三菱航空機名古屋製作所争議)

私がこのエントリーで云いたかったことは、

>日本の近代史を考える上で大変重要なのは、それまで争議のたびに悲惨な負け方を繰り返していた労働組合側が、この(リベサヨさんのいうところの)ファッショな時代になると、そう簡単に負けなくなって、いやむしろこの事件のように勝つようになるということです。ここのところを抜きにして、百万言費やしてみたところで、昭和史の本質が分かったとは言ってはいけないんですよ。

ということであり、赤木問題から井上寿一さんが云われていたことを具体的に示そうということだったんですが、昭和史の本質以前に、そもそも労働史が全然判っておらず、明治時代の請負職人の話と昭和初期の本工と臨時工の身分差別が歴然と生じていた時代の区別も付かないような似非学者には高級すぎたようです。

こういう無知蒙昧な手合いが、どこのディプロマミルで手に入れたのか知りませんが、自分の博士号を後生大事に自慢して、

>この天下り「なんちゃって学者」の問題は、学部卒で研究者としての教育を受けていないのに、教授になっていい加減なことを好き放題言っていることだと思います。日本の大学は博士を持った人間だけを雇用するようにすべきです。このようなことは、欧米ではほぼありえないし、そうでないと、学生にも失礼です。

などとほざいてくれるのですから、呆れてものも言えませんね。まあ、こういうおつむの中味よりも「博士号」という包装紙だけで人間を判断すべきであるという発想が、彼の云うところの「ギルド」的発想であるということは、慧眼な読者の方々は良くお判りでしょう。

なお、うえの季刊労働法論文とかなり重なりますが、最近書いた「労働史の中の非正規労働者」は、組請負時代から現代までこの問題を概観していますので、この問題にまともな関心を持つ方はお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/aomori.html

(追記)

なお、池田信夫氏についてのもっともよく読まれたエントリは、これですので、併せてお読み逃しなく。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

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2007年12月18日 (火)

初級、中級、上級

『世界』1月号の続きです。内橋克人・佐野誠両氏の対談「連帯・共生の経済を」は、正直いっていささか散漫な印象を受けましたが、次に引用するところ(佐野誠氏の発言)は、なかなか興味深いものがありました。

>新古典派の経済学にも、素朴な、旧来型の市場原理主義的な新古典派と、ノーベル賞を受賞するようなレベルの、進化した、旧来の新古典派を内部批判する新古典派があります。両者が混在しているのでわかりにくい。格差問題をあれこれ論じている方々は、後者の考え方ももちろんご存じですね。しかし、そういう方々やメインストリームの経済学者たちが、例えば大学でどのようなカリキュラムを組むかとなると、話は別なのです。

>初級の必須科目は、教科書を見れば一目瞭然ですが、19世紀末から20世紀前半にかけて確立された旧来型の新古典派に近い内容です。ところが、それを学生に刷り込み的に勉強させた挙げ句に、中級にいくと、旧来型の考え方は仮定が非現実的であるとして、最新理論の要約のようなことをまた勉強する。事実上、初級の内容を中級、上級で否定する、矛盾したカリキュラム構成になっています。

>中級、上級の理論を使った現状批判それ自体は、私たちの世界観とそう大きく違わない。世界銀行副総裁だったスティグリッツが、アフリカやラテン・アメリカ。アジアでのIMFの所行を厳しく批判するとき、学問的にも誠実に筋を通している。

>しかし、世界中のどれほど多くの学生が入門レベルで非現実的な仮定に立った経済学の刷り込みをされているかを考えると、恐ろしいものがあります。学部を終えてキャリア官僚やジャーナリスト、政治家となって、政策的、政治的に実践していくときに、よりどころとする世界観をどこに求めるかというと、結局、この刷り込まれた世界観に帰って行くのです。・・・

まさに、「初等経済学教科書嫁」厨の発生メカニズムというわけですが、まあブログに落書きして喜んでいるイナゴなどはどうでもいいのですが、ここで佐野氏が語っているように、最大の問題は現実に対するとぎすまされた感覚が必要であるはずの「キャリア官僚やジャーナリスト、政治家」が、刷り込まれた初級経済学の奴隷になってしまい、理論に合わない現実の方が間違っているなどという信仰告白をするに至るという事態にこそあるというべきでしょう。

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『世界』1月号についてその2

昨日に続いて、『世界』1月号の論文にコメントします。木下武男氏の『ワーキングプアの貧困からの離陸』という論文です。

>格差・貧困社会にどう立ち向かうのか。2006年、深刻化する状況を背景に若者たちの異議申し立ての運動が台頭してきた。新しい世代のユニオン運動はどのような展望を見出しているのか。ワーキングプア層は職種別ユニオン運動を確立することができるのか。

というわけで、木下氏の持論の企業横断的職種別労働市場を実現することがワーキングプアの解決になるのだという論です。

このブログでも何回か指摘してきたように、市場メカニズムを信頼する経済学者と、木下氏のような反主流派の労働運動にシンパシーを持つ人々が、企業別労働組合に対して不信感を持ち、労働現象を基本的に労働力売買として純化する方向でものを考えようとする点で共通するのは興味深いところです。

木下氏が称揚し、そのすぐあとでその闘争史が語られる全日本建設連帯労組関西生コン支部などは、そういう労働市場闘争型の労働組合の典型例なのでしょう。

そういう眼差しからは、企業別組合というのは労使癒着型のエセ組合と云うことになるのでしょう。

しかし、もちろん労働現象は労働力売買にとどまるものではなく、社会学的には集団・組織に関わる現象であり、権力現象であり、ミクロな政治現象でもあります。ここで重要なのは、マクロ政治的な国民参加に対比されるべきミクロレベルの労働者参加であり、経営意思決定に対して労働者の利益をいかに反映させるかと云うことになります。

欧州諸国では、マクロ経済的な労働力売買に関わる行動を産業別ないしナショナルレベルの労働組合に割当て、ミクロ社会学的ないし政治学的な集団・組織に関わる行動を企業ないし事業所レベルの労働者代表システムに割当てることにより、労働の持つ二面性に対応して、労働者の利益を代表するメカニズムを構築してきました。

日本では、企業別組合が労働力売買に関わる問題とミクロ社会学的問題の双方を担う形で形成されてきたため、後者が前者に優先するようにみえると、それがある種の人々から労使癒着と非難されるということであるわけですが、逆にいうと、欧州の労働者代表システムはもっぱらそれをやっているわけです。

木下氏の論文から離れたように見えるかも知れませんが、結局ここを抜きにした議論では、一見威勢はよいけれども、地に足のつかない議論になってしまうということを云いたいわけです。

私はむしろ、非正規労働者の問題は、本来ミクロな利益代表システムの中にはいるべき人々がそこから排除されている問題だと考えるべきだと思っています。先週アップした『労使コミュニケーションの新地平』所収論文の中でいささか詳しく論じたように、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankachap5.html

>企業内部の問題解決機能の存在を企業別組合というミクロな自発的結社の存在に委ねてきたということになる。このため、企業別組合が存在しない企業ではこの機能を担保するメカニズムは基本的に存在しない。それだけでなく、企業別組合が自発的結社である以上、そのメンバーシップは企業内部で決定され、公共政策的観点から決まるわけではない。そのため、管理職やとりわけ非正規労働者の大部分が、自発的結社たる企業別組合のメンバーシップを持たないということのために、企業内部の問題解決とりわけ企業リストラクチュアリングへの関与から排除されることとなってきた。

という問題なのです。したがって、課題はまず何よりも、

>まず第1に、自発的結社たる労働組合が存在する場合を前提に、そのメンバーシップから排除された人々を企業内部の意思決定に参加させるメカニズムをいかに構築するか、という問題がある。第2に、労働者にとって極めて重要な意味を持つ企業リストラクチュアリングへの関与をいかに確立していくかという問題がある。そして第3に、実効的な労働組合がない場合に、それに代わる企業内意思決定への参加システムをいかに構築するかという問題がある。

という風に設定されなければなりません。私なりの答はその続きにありますが、いずれにしても企業外部に職種別ユニオンを構築することが全ての解決の鍵であるというのは、労働現象を労働力売買という観点でしか見ない発想だと思うのです。

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2007年12月17日 (月)

集団的労使関係法としての就業規則法理

『季刊労働法』219号が発売されました。

特集は「今後の外国人労働者問題」、第2特集は「欧米における使用者概念・責任」で、いずれもたいへん興味深い論文が並んでいます。また、古川景一氏の「労働者概念をめぐる日本法の沿革と立法課題」は、私が関心を持っている領域を同じ様な資料を使って分析しているだけに、改めてじっくりとコメントしたいと思います(が、一言だけいっておくと、もともと「職工」とは民法上の雇傭契約、請負契約の双方にまたがる概念であり、労働基準法の「労働者」はこれを受け継ぐ概念であるという点が重要です)。

本号の「労働法の立法学」は、「集団的労使関係法としての就業規則法理」です。例によって発売後本屋さんの店頭に置かれる3ヶ月間は私のHPにアップしませんが、お読みいただければ幸いです。

特に、最後のところの「集団的契約説の再検討」は、学説発掘的な意味合いもあり、ここだけでもお目を通していただければ、と。

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『世界』1月号について

『世界』1月号が「貧困とたたかう」という特集をしています。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/

いくつかの論文が、このブログの問題意識と響き合っているのでちょっとコメントしておきます。

まず、後藤道夫氏の「ワーキングプア増大の前史と背景――戦後日本における貧困問題の展開―― 」は、ある一点を除いて相当程度正しい認識を示していると思われます。曰く、

>現今、社会の強い関心を集めている「ワーキングプア」問題とは、これまで忘れられてきた存在の再発見であるといえよう。日本における貧困問題の展開を歴史的文脈にそって総括し、高度経済成長期において政府・財界の貧困問題への認識が変質してきたことを明らかにしたうえで、働く人びとが賃金と社会保障とによって生きていく生活保障システム――福祉国家へのイメージを架設する。

1950年代から1960年代までの日本では、「ワーキングプアの大量存在という認識は・・・ごく普通のものであった」ことは、当時の政府関係文書を見れば明らかです。私の文脈で云えば、これは「近代主義の時代」の認識枠組みにいたということです。

>1960年代の政府部内では、労働市場のあるべき姿として、相当額の社会手当に支えられたヨーロッパ型の「職種別労働市場」が考えられていた。後進的な存在とされた日本型雇用は、企業間、産業間の労働移動を妨げ、貿易自由化の進展に対応する企業努力の足かせになるという理解である。児童手当などは本来は社会保障で対応すべきものだが、、年功賃金に含み込まれた格好になっている。それを社会保障に純化して取り出すことで、職種別労働市場への移行が促されるという主張であった。(p121)

それが、そういう方向に行かなかったのはなぜか、ここのところで、後藤氏はいささか陰謀史観的な立場に立ってしまいます。

>「第二次適正化」によって。勤労世帯の生活保護制度からの締め出しの方向が定着し・・・

>1970年代初頭には、勤労世帯も賃金と社会保障で暮らすという、それまでのヨーロッパ型社会保障理念からの自覚的な転換(「活力ある福祉社会」論)が行われるに至った。・・・「ワーキングプア」は。少なくとも大規模な社会政策の対象という水準では、認識の彼方に追放されたのである。

これでは、認識というしっぽが現実を振り回しましたとさという観念論史観そのものではありませんか。

いうまでもなく、認識論的転換は現実社会の転換をおいかけるものであったのです。

伍堂卓雄・電産型生活給思想が社会の隅々にまで行き渡り、大企業と中小企業の格差はあるものの、少なくとも学卒男性労働者は生涯にわたる生活保障給システムの中におかれるようになっていったこと、非正規労働者はかつての臨時工のような社会的排除者ではなく、正社員の妻の家計補助的パートであったり、正社員になるべき学生の小遣い稼ぎ就労であったりするようになったこと、もちろん社会の周辺部には山谷や釜が崎の様な日雇い労働者の群れがあったことは事実ですが、社会の圧倒的大部分にとって、もはや「ワーキングプア」が現実感のないものになっていったことが、ヨーロッパ的な社会政策の枠組みでものを考えていた官僚たちを(世間の後を追いかける形で)日本型モデルに追随せしめたのであってその逆ではありません。

ミネルバのフクロウの法則は、このトレンドが逆転するフェーズでも働きますから、「ワーキングプア」の再発見が遅れたのはある意味で当然のことであったと言えます。

問題は、ようやく認識が現実に追いついてきたいまこの時点で、どういう将来展望を描くかなのであって。

(参考)

なお、昨年11月30日のエントリーで、後藤氏の『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)を取り上げて論評しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html

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2007年12月14日 (金)

人生85年ビジョンですか・・・

http://www.asahi.com/life/update/1214/TKY200712140210.html

>菊川さんやテリーさん 厚労省が人生85年懇談会設置へ

というわけで、

>ラテン系の人生の楽しみ方や江戸時代の高齢者の暮らしを参考に――。舛添厚生労働相は14日、各界の著名人を集め、高齢化社会を支える仕組みづくりを考える「人生85年ビジョン懇談会」を設置すると発表した。19日に初会合を開く。

>会のメンバーには、女優の菊川怜さん、演出家のテリー伊藤さん、オタク評論家の岡田斗司夫さん、大原美術館長の高階秀爾さんら計18人の多彩な顔ぶれが並ぶ。人生85年時代をいきいきと楽しめるよう、現在の日本と異なる文化や価値観などを参考に、暮らしや働き方に関するビジョンを3月をめどにまとめる。

全員の名簿はこちらに、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/12/s1219-4.html

石川 英輔 作家
岩男 寿美子 慶應義塾大学名誉教授
岡田 斗司夫 大阪芸術大学客員教授
川勝 平太 静岡文化芸術大学学長
菊川 怜 女優
古賀 伸明 日本労働組合総連合会事務局長
小室 淑恵 株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役社長
残間 里江子 プロデューサー
清家 篤 慶應義塾大学教授
高階 秀爾 大原美術館館長
高橋 靖子 スタイリスト
ダニエル・カール 山形弁研究家・タレント
テリー 伊藤 演出家
萩原 智子 山梨学院大学カレッジスポーツセンター研究員
フランソワーズ・モレシャン ファッション・エッセイスト
茂木 賢三郎 キッコーマン株式会社取締役副会長
森戸 英幸 上智大学教授
山崎 章郎 在宅緩和ケア医

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医師 増える過労死 「当直」違法状態

読売の記事。よくまとまっており、問題点を正確に摘示しています。

http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07121303.cfm

>病院で勤務する医師の過労死や過労自殺が目立っている。過労死弁護団全国連絡会議によると、今年に入って、労災や損害賠償が認められたケースはすでに6人。背景には、長時間の時間外勤務に加え、当直勤務で仮眠もままならないという労働実態がある。「違法状態の勤務が黙認されている」として、見直しを求める動きも出始めた。(小林篤子)

当直の実態
 「宿直が月10回。過労が原因でうつ病になり、通院中」(40代の産婦人科医)、「月9回の宿直で、翌日もしばしば通常勤務。宿直手当も少ない」(20代の麻酔科医)――。過労死弁護団が先月実施した電話相談に、全国から66件(うち医師・看護師12件)の深刻な相談が寄せられた。

 勤務医の多くが最も負担に感じているのは、当直勤務だ。当直とは、夜間の宿直や休日の日直を指す。労働基準法などでは、「原則として診療を行わず、病室の定時巡回など軽度短時間の業務をする」ことを前提に、宿直は週1回、日直は月1回を限度に労働基準監督署が許可する仕組みになっており、許可を受けた病院は、時間外手当などの割増賃金の支払いが免除される。

 突発的に緊急の診療行為を行った時は、割増賃金を払わなければならない。救急医療が頻繁に行われるような場合は本来、「当直」として扱うべきではなく、交代制の導入などが求められることになる。

 実態はどうか。厚生労働省が2004年にまとめた、全国約600医療機関を対象に実施した当直勤務に関する指導監督結果によると、「緊急の診療に対して時間外手当が支払われていない」など、何らかの法違反があった医療機関は72%に上った。「夜間休日の業務負担が昼間と変わらないことが常態化している」「当直回数が基準を超えている」などの理由で、指導文書を受けた病院も41%。多くの病院で、入院患者の診察や処置、救急外来患者の対応により、医師が夜間や休日も頻繁に呼び出され、事実上の「サービス残業」になっている実態が浮き彫りになった形だ。だが、医師不足から根本的な改善策が見つけられないのが実情だ。

時間外手当訴訟
 こうした中、当直勤務の労働性を、正面から問う初の訴訟に、医療関係者の注目が集まっている。

 「当直の実態は終夜勤務だ。時間外労働として正当に評価してほしい」。県立奈良病院の産婦人科医2人は昨年12月、04、05年の2年分の未払い時間外手当などが2人で合計約9200万円に上るとして、病院側に支払いを求める訴訟を奈良地裁に起こした。

 原告代理人の藤本卓司弁護士によると、同病院では、医師の当直手当は1回2万円。救急患者が搬送された場合などに病院に呼び出される自宅待機(宅直)には手当が支払われない。医師2人は、当直が2年間で155日と158日、宅直が120日と126日に上っており、未払いになっている時間外手当などを計9233万円と算出した。

 「原告の希望は、手当支給より、労働環境が改善されること」と藤本弁護士は言う。判決は来夏にも出される見通しだが、訴えが認められれば、勤務医の労働条件に大きな一石を投じることになる。

見直しの動き
 病院側にも過重労働を見直す動きが出始めている。

 神戸市は今年4月、宿直勤務の翌日を原則休日とする制度の試行を始めた。翌日も勤務した場合は、時間外勤務として手当を支給する。宿直当日も、実働時間に応じて時間外勤務手当を支払うことにし、今年度予算に1億7400万円を計上した。ただ、医師を増員した訳ではないため、実際には翌日出勤率は90・8%(5月)と高いままだ。担当者は「待遇を改善して、何とか今いる医師に残ってもらいたいが、根本的には医師を増員しないと無理」と悩みを打ち明ける。

 神奈川県の藤沢市民病院は、2002年5月から小児科、昨年12月から救急部門で、「夜勤シフト制」を導入した。小児科では、医師13人のうち2人が夜間救急を担当。1日おきに夜の救急外来を診るため、17時間勤務した後は31時間休める。シフト制の導入に伴い、7人だった小児科医を倍増させた。このほか、近隣の開業医と協力し、当直勤務のローテーションに加わってもらうなどの工夫をする病院も出始めている。

労働環境見直せ
 ある大学の産婦人科医局では昨年、過労で30歳代の医師3人がうつ病を発症し、現場を去った。残された人の負担はさらに増え、中堅医師は、「『過労死だけは避けようね』と励まし合っているが、先が見えない」と嘆く。過労自殺した小児科医の妻で、東京地裁で今年3月に労災認定を勝ち取った中原のり子さんは、「医師が自分の健康も守れずに、どうして患者の健康を考えられるのか」と訴える。医療の質と安全のためにも、医師の労働環境を考え直さなければならない。

関連する条文を引用しておきます。

労働基準法

第四十一条  この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各号の一に該当する労働者については適用しない。
 (略)
 (略)
 監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの

労働基準法施行規則

第二十三条  使用者は、宿直又は日直の勤務で断続的な業務について、様式第十号によつて、所轄労働基準監督署長の許可を受けた場合は、これに従事する労働者を、法第三十二条の規定にかかわらず、使用することができる。

次は今年の4月に監督課がまとめた「医師の宿日直勤務と労働基準法」という資料です。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/04/s0425-6a.html

 概要
 宿日直勤務者については、労働基準監督署長の許可を得た場合には、労働基準法上の労働時間、休憩、休日に関する規定は適用が除外される。
 主な適用除外規定
(1)  労働時間(労働基準法第32条)
  1週40時間、1日8時間
  (時間外・休日労働を行う場合であっても36協定の締結・届出は不要)
(2)  休憩(労働基準法第34条)
  労働時間  6時間超→少なくとも45分
 8時間超→少なくとも1時間
(3)  休日(労働基準法第35条)
  1週1日又は4週4日
(4)  時間外・休日労働の割増賃金(労働基準法第37条)
  法定時間外労働   25%以上
  法定休日労働   35%以上

 一般的許可基準
(1)  勤務の態様
常態としてほとんど労働する必要のない勤務
原則として、通常の労働の継続は許可しない
(2)  宿日直手当
1日又は1回につき、宿日直勤務を行う者に支払われる賃金の1日平均額の1/3以上
(3)  宿日直の回数
宿直については週1回、日直については月1回を限度
(4)  その他
宿直については、相当の睡眠設備の設置

 医師、看護師等の宿直の許可基準(一般的基準の取扱い細目)
(1)  通常の勤務時間の拘束から完全に解放された後のものであること。
(2)  夜間に従事する業務は、一般の宿直業務以外に、病院の定時巡回、異常事態の報告、少数の要注意患者の定時検脈、検温等、特殊の措置を必要としない軽度の、又は短時間の業務に限ること。
(応急患者の診療又は入院、患者の死亡、出産等があり、昼間と同態様の労働に従事することが常態であるようなものは許可しない。)
(3)  夜間に十分睡眠がとりうること。
(4)  許可を得て宿直を行う場合に、(2)のカッコ内のような労働が稀にあっても許可を取り消さないが、その時間については労働基準法第33条、第36条による時間外労働の手続を行い、同法第37条の割増賃金を支払うこと。

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公務・公共部門の団体交渉制度の在り方に関する研究会

連合傘下の公務労協(公務公共サービス労働組合協議会)が、去る12月10日に「公務・公共部門の団体交渉制度の在り方に関する研究会」を立ち上げたようです。

http://www.komu-rokyo.jp/news/2007/no200.html

非現業公務員の労働基本権問題については、このブログでもフォローしてきたように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f056.html

10月に行政改革推進本部専門調査会報告が出されたわけですが、おおむね争議権は付与しないが団体交渉権は与えるという方向性になっています。もっとも、上のエントリーでも書いたように、中味は両論併記ばかりで全然煮詰まっていません。

そこで、組合サイドから現実的なところで中身を詰めていこうということですね。

毛塚先生が座長で、1年くらいで結論を出すということのようです。

主な検討課題として次のような事項が挙げられています。

(1) 検討対象
○ 一般職の非現業公務員(人事院・人事委員会勧告対象職員)の団体交渉制度
○ 公務・公共部門のトータルシステム

(2) 公務における団体交渉による賃金・労働条件決定システムの基本的な設計
① 人事院・人事委員会勧告制度の廃止
② 団体交渉制度の確立
○ 当事者
○ 交渉関係(中央・地方・職場)
③ 団体交渉事項
④ 労働協約など
⑤ 団体交渉不調の場合の調整システム
⑥ 不当労働行為制度

(3) 個別対象毎の団体交渉システムの詳細設計
① 国公
② 地公
③ 教育
④ その他

(4) 勤務条件法定主義との関わり

(5) 労使協議制度

(6) その他

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高校の授業料ぐらい・・・

昨日の話とつながるテーマですが、kechackさんの「Munchener Brucke」というブログで、

http://d.hatena.ne.jp/kechack/20071211/p1

>高校の授業料ぐらい自治体は支援すれば

>給食費の問題同様、ある程度生活に余裕があるのに出し渋っている親がいるのかも知れない。しかし本当に出席停止になっても払わない親は払えない親か、子供の教育に無関心なダメ親のいずれかであろう。いずれの場合も、子供には何の罪もない。ただ単に貧困家庭の子女が学歴を得られず、更に貧困予備軍が再生産されるという事実他ならない。

 最近は「弱者を甘やかすな!」「毅然たる態度を」的なネオリベ言説に拍手喝采を送るバカ野郎が多く、行政もそういう風潮を悪用して、給食費の不払いや生活保護の不正受給など特異なケースをことさら強調して、「弱者に厳しく」的な世論を喚起して、自治体の社会保障支出削減を肯定する世論の醸成に余念がない。

 しかし、この例では「高校中退者」という貧困予備軍を輩出するだけで、下手すれば将来の社会保障負担をかえって増すことになりかねない。下手したら一定条件で公立高校の授業料を免除した方がよほど行政負担が少ないかも知れない。

と主張されています。

実は、生活保護制度では、高校の学費は生業扶助という形で援助されるようになっています。あえて生活保護に頼らず自力で生きている人ほど、子供が高校に行けないという皮肉な結果になります。

いうまでもなく、臨時緊急の援助として生活保護は広く給付されるべきですが、とはいえ働ける人々がいつまでも生活保護に滞留するというのは決して望ましいことではなく、できるだけ早急にそこから脱却するようにしなければなりません。働いて自活するという社会の基本線は維持されるべきなのですが、そこで問題になるのが、こういう子供の教育費とか昨日の住宅費といった、本質的には労働市場における労務の対価ではあり得ないけれども、家族を持つ労働者の生計にとって本質的な部分であるわけです。ここが崩れると、社会の安定が崩壊します。

これまではほとんど大部分の男性労働者に家族の生活費込みの年功賃金を支払うことによって隠れていたこの問題が、純粋に労務提供の対価しか払われない非正規労働者の拡大によって露呈してきたわけであって、解決策は本質的に、(1)全ての男女労働者に従来型の年功賃金制を適用して再び問題を見えなくするか、(2)家族の生活費込みでない賃金の労働者には別途教育手当や住宅手当という形で、(ミーンズテストはないが、所得制限はある)社会的給付を行うか、のどちらかしかありません。

問題は、この問題がそういう問題であるということを認識しないというところにあるわけですが。

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2007年12月13日 (木)

民営化は万能ではない

毎日新聞のコラム「発信箱」。今回は与良正男氏。

http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20071213k0000m070159000c.html

>多くの人がそうであるように、私も長期ローンを組んでどうにかマンションを買った時、「これで無鉄砲に会社を辞めることなどできなくなったなあ」と思ったものだ。かつて持ち家政策の推進役だった故田中角栄元首相は「持ち家で住宅ローンを抱えれば人は保守化する」と語ったという。そうかもしれぬ。

 その政治的意図はともかく、長期ローンは右肩上がりの経済成長、終身雇用、年功序列型賃金という日本社会の特性を前提としており、私も恩恵を受けたのは確かだ。

 そんな時代は過ぎ去り、持ち家どころか、少なからぬ若者が「夢は正社員」という格差社会が到来した。当然、住宅政策もそれに見合ったものにしなくてはならない。

 独立行政法人の改革をめぐり、渡辺喜美行革担当相と他閣僚の対立が続く。渡辺氏の突破力は買う。が、私たちが先日社説で指摘したように賃貸住宅供給などを仕事にしている都市再生機構の民営化は慎重に考えるべきだと思う。

 無論、家賃が月35万円といった物件を機構が持つ必要はない。ただ、安い家賃の賃貸住宅はますます必要となっているのではないか。仮に民営化した場合、低家賃の方向に向かうとは思えない。

 介護事業の不正行為を例に出すまでもない。この1年、私たちは何でもかんでも民間に移せばいいわけではないことを学んだ。経済効率だけでは済まない分野もあるのだ。

 住宅政策をどう進めるか。格差問題を考えるうえでも公営住宅を抱える地方自治体も巻き込んだ議論が必要だ。政界でそんな声があまり聞かれないのが不思議でならない。

八代先生がどうしても「年齢の壁」をぶっ壊したいのであれば、教育費も住宅費も全部込みで面倒見てくれる年功賃金制をぶっ壊したいのであれば、別途住宅政策の方を面倒見なくてはいけないというのは、ちょっと考えれば誰でも判る道理だと思うのですよ。

労働政策と住宅政策は盾の両面であり、不即不離の関係にあるわけで、ただでさえ欧州諸国に比べて圧倒的に市場原理に委ねてきた住宅政策を更に一層民間ベースに委ねると云うことは、それだけ一層それを購入可能な年功賃金制を堅持し、更に昂進させるという政策的インプリケーションを持つわけです。

もちろんそれも一つの選択肢なので、そうしたいのならそうすればいいのですが、問題は論者や政治家の頭の中でそういう因果連関のシナプス回路が形成されていないんじゃなかろうかと疑われるケースがあることなわけで。

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バイキング事件で欧州裁玉虫色判決

なんと、イギリスの新聞とフランスの新聞が同じ欧州司法裁判所の判決を、まったく逆の見出しにしていますがな。

まずイギリスのフィナンシャルタイムズ、

http://www.ft.com/cms/s/0/22e607fa-a855-11dc-9485-0000779fd2ac.html

>The right to strike was upheld as a "fundamental right" in law by Europe's top court yesterday in a case that pitted freedom of establishment for employers against workers' rights under European Union law.

使用者の営業の自由と労働者の団体行動権が衝突したヴァイキング事件で、フィナンシャルタイムズ紙によると、欧州司法裁判所はストライキ権を「基本権」として認めたことが最も重要であるようです。

それに対して、フランスのルモンド紙は、

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-33560757@7-60,0.html

>La Cour de justice européenne a défendu mardi le droit à la liberté d'établissement pour les entreprises souhaitant délocaliser une activité dans un autre pays de l'UE, en portant un coup aux actions syndicales visant à empêcher le "dumping social".

この「ソーシャルダンピング」事案において、事業活動を他の国に持っていこうとする企業の営業の自由を認めた判決であり、組合活動への打撃だと報じています。

をいをい、どっちなんや。

それは、判決文自体を読むしかありません。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/gettext.pl?where=&lang=en&num=79928788C19050438&doc=T&ouvert=T&seance=ARRET

ふむふむ、つまり玉虫色の判決なんやな。

>1. Article 43 EC is to be interpreted as meaning that, in principle, collective action initiated by a trade union or a group of trade unions against a private undertaking in order to induce that undertaking to enter into a collective agreement, the terms of which are liable to deter it from exercising freedom of establishment, is not excluded from the scope of that article.

2. Article 43 EC is capable of conferring rights on a private undertaking which may be relied on against a trade union or an association of trade unions.

3. Article 43 EC is to be interpreted to the effect that collective action such as that at issue in the main proceedings, which seeks to induce a private undertaking whose registered office is in a given Member State to enter into a collective work agreement with a trade union established in that State and to apply the terms set out in that agreement to the employees of a subsidiary of that undertaking established in another Member State, constitutes a restriction within the meaning of that article.

That restriction may, in principle, be justified by an overriding reason of public interest, such as the protection of workers, provided that it is established that the restriction is suitable for ensuring the attainment of the legitimate objective pursued and does not go beyond what is necessary to achieve that objective.

労働組合の団体行動権の行使も、EU条約第43条で原則禁止される営業の自由への制限に含まれると明言しているわけですから、その点ではルモンド紙が正しい。

しかし、では、それに対してストを構えた組合の行為は違法かというと、労働者保護のような公益によって正当化されうるといっているのですから、その点ではフィナンシャルタイム寿司が正しい。

こういう玉虫判決を見て、まず企業寄りだと脊髄反射するのがフランス人であり、まず労働寄りだと延髄反射するのがイギリス人であるという、ドーバー海峡の深ーーーい溝が再確認できたというのが本日の収穫でありましょうか。

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だから最初からそう書いてあるって

朝日が「生活保護、都市部減額し地方増額 一律引き下げは見送り」という記事を書いています。

http://www.asahi.com/life/update/1212/TKY200712120468.html

>生活保護の支給基準の見直しを検討している厚生労働省は12日、保護世帯の食費や光熱費などにあてる日常生活費(生活扶助)について、08年度から都市部の基準額を引き下げる一方、比較的低い地方はかさ上げする方針を固めた。現行基準の地域間の支給格差は、実際にかかる生活費の差よりも大きすぎると判断した。生活扶助の予算額(国と地方で07年度約8400億円)は維持したうえで、配分を変え、格差是正を図る。

だから、このブログで示しているように、それは検討会報告書に最初から書いてあるんですよ。よく読めばね。

>生活保護基準については、厚労省の検討会が先月末、低所得者の生活費よりも現行の支給基準は高いとする報告書をまとめたことを受け、舛添厚労相は引き下げの検討を表明していた。だが、与党内から「弱者切り捨てと批判をされかねない」などと慎重論が広がったため、来年度からの一律の引き下げは見送る。

というのは、なんていうか、報告書をろくすっぽ読まずに、脊髄反射と延髄反射でいってる記事のような。

>生活保護の中心となる生活扶助は現在、物価の違いなどを反映させ、全国を市町村ごとに6段階に分けて設定。最も高い東京23区や大阪市といった大都市部(高齢夫婦世帯で月12万1940円)に比べて、最も低い地方は22.5%低くなっている。この格差を、消費実態に合わせて10%程度にまで縮小させたい考えだ。支給額が下がる地域については、段階的に数年間かけて引き下げるなどの激変緩和措置を検討する。

>また、検討会の報告書で、4人以上の多人数世帯の方が単身世帯に比べ、支給額の計算上有利になっていると指摘された点についても、見直しを検討する。

実際にどういう数字になるかはこれからですが、先週のエントリーで書いたように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c29a.html

>ここから導き出されるであろう結論は、都会地の生活扶助基準額は生活扶助相当支出額に比べて過度に高すぎるから引き下げるべきである、一方田舎の生活扶助基準額は生活扶助相当支出額に比べて低すぎるから引き上げるべきであるというものになるように思われます。

ということから、最低賃金についても、

>都会地でも若年単身者の生活扶助基準額は、多人数世帯や高齢者よりも低いので、必ずしも引き下げられず、最低賃金への影響もあまりなさそうです。

これに対して、田舎では生活扶助基準額がかなり引き上げられそうですので、これは最低賃金を引き上げるドライブになる可能性があります。14頁のグラフからすると、これは結構大きなものになるかも知れません。

という予測が正しくなるように思われます。

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産経はソーシャル路線?

産経のコラム「断」がとまりません。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071213/acd0712130332004-n1.htm

> 「ワーキング・プア」という言葉もある。働いても賃金が少ない状況である。格差を語るとすぐ「自己責任」と言う人がいるが、現在の日本の雇用体系ならそうなってしまう人が出るのは当然で、つまりその雇用体系全体を見直すことが必要なのである。自己責任という言葉は社会や国の問題を都合よく誤魔化す言葉で、そう言えば済んでしまうというような、思考停止の言葉だと僕は思う。

>今回は何とか見送られそうだが、生活保護費の引き下げ、という話もある。理由は低所得者世帯より支給額が多いから。だったら低所得者の所得を増やす政策をとればいいだろう。このような現状で無駄な税金が使われているニュースを見ると、さらに腹が立ってくる。

ソーシャル路線ということで・・・。

後段については、次のエントリーで。

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2007年12月12日 (水)

労使コミュニケーションの新地平

連合総研の報告書『労使コミュニケーションの新地平-日本における労働者参加の現状と可能性』が出されました。

この報告書に、私は二つの論文を書いています。それぞれ、日本の労働法政策、EUの労働法政策というカテゴリーに属するものですが、とりあえずカテゴリーは日本の労働法政策としておきます。

まず、第1部第5章は、日本における労働者参加法制を考えた「労働者参加に向けた法政策の検討」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankachap5.html

労働組合中心型の労働者参加法制を論理的に突きつめて考えるとこういうものになるのではないかという姿を、いささかショッキングな形で打ち出してみました。

これを材料にした座談会の議事録が報告書の最後に付いています。このやりとりのうち私の発言部分をこの下でいくつか引用しておきます。

もう一つは、第2部第6章でEU加盟諸国における労働者参加の制度と実態を解説したものです。フランスについては松村先生の、ドイツについては藤内先生のそれぞれ詳しい解説論文が載っていますが、私のはそれらも含め、全体を概観したものです。これは結構役に立つのではないかと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sankachap6.html

さて、巻末の座談会ですが、まず山岡委員、西村委員のコメントに応じる形で、

>濱口委員:山岡委員が言われたことについて言うと、本気で非正社員の利害を取り込む気がないのであれば、ある意味話は単純で、しようがないから、組合とは別に労使委員会をつくって、そっちでやりましょうとなる。組合があろうがなかろうが全部そちらでやりましょう、すなわち、日本でデュアル・チャンネルをやると、実はシングルになってしまうのです。組合費を払わずに全部やってくれるところが現にあるのだったら、それとは別に同じレベルで同じことをやるようなところにわざわざ組合費を払う必要はないということになります。外国でデュアルが成り立っているのはレベルが違うからです。同じレベルでデュアルといったら、より有利な方が生き残るに決まっている。どちらが有利かといえば、金を払わなくて会社から便宜供与を幾らでも受けられる組織に決まっているわけです。本当にそれでいいのかという話です。

 一昨年の労働契約法研究会報告がなぜ問題だったかというと、あれはまさにデュアルを提起したわけです。それはやっぱりまずいと。しかし、一体どうするのかということについてのきちんとした細かいところまで見据えた議論がいまだにないので、そこはきちんと議論しないといけません。

やや突き放した言い方をすると、組合にどういうメリットがあるのかといわれれば、死滅していいんだったら勝手に死滅したらいいんじゃないですかという話になるわけです。ただ、組合なき労働者代表一元論でいいかというと、それは武器を持たない代表なんですね。武器を持たない労働者代表だけで日本の労働者の利益代表システムが形成されてしまっていいのかといったら、これは結局戦前に逆戻りする話になるわけです。やはり公共政策としてそれではまずいと考えるのであれば、どんなに論理的には狭い崖っぷちを歩くような議論であってもやっぱりそこを考慮しないとまずいのではないかなと思うわけです。

 西村委員の指摘は実に正しくて、濱口の言っていることは、要は労働組合を強制設立するという話だろうと言われると、実はそうです。そこをそう言いたくないので、いろんなものをかましているだけで、本音をずばっと言うと実はそういうことです。ただ、考えてみると、今、日本にある労働組合のかなりの部分は終戦直後につくられている。これは自発的につくったかといえば、確かにミクロ現象的には自発的につくっていますが、そんなこといったって、戦争中の産業報国会がもともとあって、そこに占領軍・GHQがつくれと言ったから、みんな自発的にという形でつくったわけです。何もないところで、もっと言えば、ヨーロッパやアメリカあたりのように使用者が敵視している中で労働組合をつくったことはないんです。戦前そういう試みはありましたけれども、戦前の組合運動というのは失敗に次ぐ失敗の連続で、恐らく戦前の組合でまともな組合機能を果たしていたのは海員組合ぐらいのものだろうと思います。そういう歴史的なことも考えつつ、論理的につめて、ぎりぎりのところで何が考えられるかというのが、先ほど示したものです。お聞きになって分かるように、論理的に言うと、これ以上進めたら話がおしまいになるところで寸止めにしているようなところがいっぱいあります。しかし、やはりここまで議論をしないと、この話は永遠に前に進まないでしょう。

その後、研究会委員メンバー全員による討議のなかで、こんな発言をしています。

>濱口委員:修正シングル方式というのは、「組合のヒヨコ」をつくるという話です。組合のヒヨコに対して組合の機能をするなというのかという話ですね。ドイツは最も典型的なデュアル・システムなので割とそういう発想になりやすいと思いますが、シングルだとそこはなかなか切り分けられないだろうと思います。つまり未組織の企業で、組合ではない労働者代表組織に、ついでに給料を一緒に決めましょうということまで認めてしまったら、組合になるインセンティブがなくなり、永遠にヒヨコのままでいるという話になるのです。労働者代表組織で全部できるのであれば、わざわざ組合費払って組合員になるインセンティブはないわけです。しかし、やろうと思ったらやれるのに、そこだけやっちゃいけないというのは、ものすごく人工的な仕組みです。しかも、例えばリストラに係わる不利益変更には、労働条件、賃金をどうするかという問題が全部関係してくるわけで、実態としてそれらをどうやって切り分けられるのかという問題があります。これは、修正シングル方式を本気で考えていくと理論的にはあり得るかもしれないけれども、実際にそういう制度設計はできるのかどうかということです。しかし、おそらくそれはできないでしょう。両者を切り分けることは難しいんじゃないかというのが今の段階での率直な印象です。

>濱口委員:それは、今までの過半数代表制がどちらかというとやや周辺的な領域で使われていたからです。三六協定だっていい加減なんです。この三六協定は一体誰が結んだんだ、インチキじゃないか、これは無効であるという闘争を大々的にやれば、あっちでもこっちでも山のように問題が出てくるはずなんです。労働契約法研究会で提起されたような、よりクリティカルな領域にこれを導入するということは、それを使ってこの過半数代表はインチキであるという議論を提起する運動、あるいはそこに対して外から組合が手を突っ込んでいくきっかけになる可能性もあります。しかし下手すると、そっちがどんどん動いていって、組合死滅モデルの方に行く可能性もあるわけです。今あるものを使うといっても、今あるものはまだ弱い。もっと使えるようにそれを強くするというと、下手するとそれで話が終わってしまうという、実にこれはパラドックスなんです。そのパラドックスがあるがゆえに、連合も労使委員会制に対してはかなり強硬に反対せざるを得なかったということだと思います。

>濱口委員:形式論的にはできるかもしれません。しかし、選挙しました、その場で挙手しましたといっても、これが職制のにらんでいるところでやられることもあるわけです。三六協定は本当に重要なものだと私も思いますし、であればあるほど、それが職場の労働者の本当の意見を反映したものであるようなものにしていかなければならないのです。本当の意味での実効化は、多分組合でないとできないのではないか。あるいは組合が援助している代表組織でないとだめだろうと思います。ドイツのデュアルというのは、何だかんだ言いながら、組合ではなくてきれいに分かれていると言いながら、組合が支援をしている部分もあるのです。そうであることが最低限必要なのではと思います。今の過半数代表制のシステムの下での実効化ということは、一体どこまでを目指しているかにもよりますが、監督署の窓口でチェックするというような次元でできるものではないという感じがします。

>濱口委員:労働者代表委員会に対して援助連携を行う主体を、産業別組織やナショナルセンターとしたのは、「どんな組織でもいいんだよ」という案を出すと、とんでもないという話になるからです。そこで、理論的には一貫していないのかもしれませんが、実現性という意味から部分的にはいろいろと配慮して書いています。
 いずれにしても、とにかく重要なのは、実はドイツだって、最も典型的なデュアルだって、本質的に言えば、企業の金を使って組合がリードして物事をやっていくという仕組みなんですね。それは修正デュアル、デュアルとシングルが両方入ったとかいろんなところになればなるほどもっと露骨にそうなるのです。事実上、会社の金で組合が活動しているようなメカニズムが結構ヨーロッパには多いのです。私が1つ主張したいのは、日本の、特に1949年の労働組合法というのはアメリカ的な発想でつくっていて、組合が企業の金を使って活動することは全部駄目なんだという思想で半世紀来ているのですが、これをちょっと考え直したらいいのではないかと思います。終戦直後にできた末弘巌太郎がつくった労働組合法のときは、当時の労働組合は会社から金ふんだくって課長まで全部組合員にして好き放題なことをやっていた。それに戻ればいいわけではないのですが、それは全否定するべきものなのか、ということをちょっと考え直してもいいという気はします。

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教員採用、社会人2割に・教育再生会議

教育再生会議ネタですが、珍しくこれは結論には賛成です。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071212AT3S1102C11122007.html

>教育再生会議(野依良治座長)がまとめた三次報告の最終案が11日、明らかになった。教育の幅を広げるため、教員免許を持たない社会人の参入を推進。2012年までに教員採用数の2割以上を目指すことを掲げた。

>社会人の積極登用は、ビジネスマンや研究者など各界の専門家を教壇に立たせることで教育水準の向上に寄与することを狙った。現在も都道府県の教育委員会が「特別免許状」を発行して採用できるが、慎重な教委が多い。特別免許状なしでも優秀な人材であれば非常勤講師などで登用するよう提言した。

だけど、なぜ社会人を教員として学校に導入すべきなのか、そもそもどこまで判っているのか、いささかおぼつかない感じもします。「幅を広げる」とか「教育水準の向上に寄与」とか、依然として中味の欠落したふわふわ語しかみあたらないようです。

学校で学ぶ生徒の圧倒的大部分は、卒業後やがて実社会に出ていって働くのです。そこで働いている先輩が、職業キャリアを踏まえて学校で教えることに意味があるからでしょう。

教育再生会議のお好きらしい「こころの教育」とかなんとかという邪念で振り回さない方がいいと思いますよ。

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パートタイム公務員の不払い残業は差別!

欧州司法裁判所が12月6日に興味深い判決を下していました。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&typeord=ALLTYP&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

訴えていたのはドイツはベルリン州に勤務するパートタイム公務員(教員)のウルシュラ・ボスさん。州の公務員法では、公務の必要あるときは、例外的に、所定労働時間を超えて、報酬を受けることなく、勤務しなければなりません。要は、公務員はサービス残業せいということですが、それ自体はEU法上何の問題もありません。EU指令は物理的労働時間を規制しているだけですから。

ところが、これがパートタイム公務員にも適用されると問題が生じます。パートタイム公務員の所定労働時間を超えてはいるけれども、フルタイム公務員の所定労働時間内である時間の勤務については、フルタイム公務員はちゃんと支払われるけれども、パートタイム公務員の場合は支払われないと云うことになってしまうからです。

これは差別だ!

と、彼女は訴えたわけですね。パート差別であり、女性に対する間接差別だ、と。

その通りじゃ、と欧州司法裁判所は認めました。同じ時間について、一方には払って他方には払わないというのはいかん、と。

これは大変面白い。

このロジックを逆のシチュエーションに使うと、例えば、パートタイム労働者に対してはその所定労働時間を超えるところから割増賃金を支払うという制度は、このパート所定とフルタイム所定の間の時間については、フルタイムを差別していると云うことになるんではないでしょうか。

いろいろなケースが想定されて、しばらく楽しめそうです。

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学界展望

昨日、半日かけて学界を展望して参りました。

日本労働研究雑誌が、3年周期で労働法理論、労働経済学、労働調査研究についてやっている学界展望の労働法編が来年2月号に載りますが、その紹介者・コメンテーターとして、昨日12時半から6時までマラソン討議に参加してきました。さすがに疲れました。中味は来年2月号を乞うご期待と云うところですが、参加者は道幸哲也先生、奥田香子先生、有田謙司先生と私の4人です。結構面白いものになっていると思います。

厳密には「労働法理論の現在」とは云えないのですが、最後のところで、福井・大竹『脱格差社会と雇用法制』(第1章の福井論文)を取り上げています。「雇用法制」と銘打って挑戦してきている以上、きちんと応戦すべきだと考えたからです。

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2007年12月11日 (火)

派遣先は「求人企業」!?

規制改革会議の「全国規模の規制改革要望に対する各省庁からの回答について」に、省庁別に項目別の一覧表が載っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/accept/200710/1211/index.html

これが厚生労働省編です。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/accept/200710/1211/1211_1_13.xls

この第65段目に、「就業開始前の面接禁止の緩和(労働者派遣に関する規制の緩和)」というのがあって、

>紹介予定派遣に限り認められている派遣就業開始前の面接を一般派遣にも拡大する。

という要望をして居るんですが、その理由づけが面白い。

>紹介予定派遣(雇用を前提とした派遣)については派遣先による事前面接が認められているが、それ以外の派遣については事前面接が禁止されている。
 事前面接を解禁することで、雇用のミスマッチが解消され、求職者・求人企業の双方の利益につながる。

ほほう、派遣先というのは「求人企業」だったんですか。派遣労働者というのは「求職者」だったんですか。

いや、からかっているんじゃありません。

日本人の圧倒的大多数は、そのように考えているんですから。

労働者派遣法という法律の理屈がそうじゃない、といっているだけなんですから。

派遣労働者は派遣元企業に雇われている労働者なんだから、派遣行為は配置に過ぎない、といってるのは、法律の条文だけなんですよ。本人たちはそう思っていない。

少なくとも、登録型派遣においては、登録された派遣労働者は「求職者」であり、派遣先企業は「求人企業」であり、派遣元企業は「有料紹介所」なんです、フツーの日本人の常識では。

その常識に変な法制度を合わせろと、この規制緩和要求は仰るわけです。まったく正しい。その点ではね。

ただし、それならば、あなたは「求人企業」なんだから、「求職者」を「事前面接」して「採用」した以上は、「使用者」としての責任が発生するわけですよ。そこまで考えてこういう要求を出しているんですよね。

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2007年12月10日 (月)

政府・与党、生活保護基準下げ見送りへ

と、思ったら、何やもう腰砕けかいな。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071210i103.htm?from=main1

>政府・与党は10日、2008年度予算で、厚生労働省が検討していた生活保護の最も基本的な給付である生活扶助基準の引き下げを見送る方針を固めた。「弱者切り捨てだ」などの世論の強い反発に配慮した。Click here to find out more!

 生活扶助基準については、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針)2006」で、見直しが明記され、厚労省の有識者会議「生活扶助基準に関する検討会」で水準について検討していた。

 全国消費実態調査などのデータを基に比較を行い、生活扶助を受けている世帯の方が受けていない低所得世帯よりも生活費の支出が「高め」であるとする報告書をまとめた。これを受けて、舛添厚生労働相は記者会見で「基準を若干引き下げる方向の数字が出る」と明言していた。

 これに対して、与党内からは「検討会が緻密(ちみつ)な比較を行ったことは意義深いが、基準を見直すほどの違いがあったとは思えない」(幹部)などの意見が出ていた。また、民主党などが引き下げを強く批判しており、「引き下げは最悪のタイミングだ」(自民党中堅)として、見送りを固めた。

まあ、何もそんなにむちゃくちゃ高すぎるわけでもないので、無理に引き下げる必要もないのかも知れませんが、一旦高すぎるから下げるんやと言いかけたものを、こういうことでやめてしまうとそのリパーカッションが却って心配です。つまり、ただでさえ受給できるはずなのに受給させて貰えない人々にとって、ただでさえ高すぎる生活保護をそんなに誰彼なしにやれるかい、と、却って敷居が高くなる効果を与えるのではないか、と。

脊髄反射に延髄反射で返しているみたいで何だかなあ、という感じです。

まあ、

>一方、地域の物価などの違いに応じて基準額に最大22・5%の差をつける「級地」については、同検討会の報告書が「地域間の消費水準の差は縮小してきている」と指摘したことから、厚労省は、級地の違いによる基準額の差の縮小を引き続き検討する方針だ。

というところは生きているみたいですから、来年の地域最低賃金は都会は一服して田舎で大幅引上げという方向に変わりはないのでしょう。

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EU労働時間・派遣労働指令について

EUの閣僚理事会HPに、12月5,6日の雇用社会相理事会の発表資料がアップされています。

http://www.consilium.europa.eu/ueDocs/cms_Data/docs/pressData/en/lsa/97445.pdf

労働時間指令改正案と派遣労働指令案については、いかに多くの加盟国の間でこれが賛成を得られたかを縷々述べた上で、

>Having in mind the fact that this linked proposal is still very recent, as well as the sensitive nature of these directives to some member states and the importance of exploring all attempts to reach an agreement as large as possible before final decision, the Council agreed that the best option at this moment was to postpone a decision, in order to further pursue the dialogue.

両指令案がまだ極めて最近のもので一部加盟国にとってセンシティブであり、最終決定の前にできる限り合意に達する努力をすべきとの観点から、理事会は現時点における最善の選択肢は、更に対話を追求するために決定を延期することであると合意した。

ふむふむ、この外交用語に満ちた文章を下世話に解読すると、イギリスのブラウン首相の、派遣指令案を特定多数決で強行採決するなら、13日のEU改革条約の調印式に出てやらないぞ、という恐喝に屈しました、ということになるわけですな。

この辺をフィナンシャルタイムズ紙は、

http://www.ft.com/cms/s/0/9d0c600c-a386-11dc-b229-0000779fd2ac.html

>Gordon Brown’s threat to snub the signing of the European Union reform treaty in Lisbon next week appeared to be lifting on Wednesday night, after the EU’s Portuguese presidency bailed him out on the sensitive issue of workers’ rights.

The prime minister had claimed that a “diary clash” could prevent him from attending the long-planned signing ceremony in the Portuguese capital.

と伝えています。

で、

>The forthcoming presidencies and the Commission might proceed with efforts to achieve a positive and final outcome on both directives, given the importance of the issues at stake and the specific needs of many member states.

次期議長国と欧州委員会は、両指令案の積極的かつ最終的決着を達成する努力を遂行されたし

てなわけで、改正は2008年に持ち越しとなりましたがな。

残念ながら、2008年版の『労働六法』には、改正後の指令を掲載できる見込みは薄くなったようです。

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脊髄反射

だから、こういう脊髄反射が・・・。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news002.htm

>厚生労働省が来年度から、生活保護の生活費にあたる「生活扶助」の水準の引き下げを検討しているのを受け、県内の市民団体や大学教授ら有志一同が8日、鹿児島市中央公民館で「生活保護基準切り下げに抗議する鹿児島緊急集会」を開いた。呼びかけに応じた約160人が参加し、決議の採択やデモ行進で引き下げ反対を訴えた。

 厚労省は、「生活扶助」の水準が、低所得世帯の一般的な生活費よりも高めになっているとし、来年度からの額の引き下げを検討している。これを受け、貧困者を守ろうとする市民団体などが抗議の声を上げようと結集した。

 集会では鹿児島大法科大学院の伊藤周平教授が基調講演し、厚労省のまとめでホームレスが全国で2万人近くに上っていることなど、貧困者を取り巻く厳しい環境を紹介。呼びかけ人の一人の芝田淳・司法書士が厚労省の表明までの経緯を説明し、「現場の声を聞かずに厚労省は拙速に引き下げを実施しようとしている」などと批判した。

 厚労省に提出する反対決議を採択し、出席者は市中心部をデモ行進。プラカードを掲げて、「生活保護を受けさせろ」「生きていくのを邪魔するな」などとシュプレヒコールを上げた。

いや、まさに、「生活保護を受けさせろ」というシュプレヒコールには心から同意いたします。ただ、それは受給者ではなく、受給できるはずなのに受給できなかった人が云う言葉のような気もしますが。

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派遣の障害者雇用率

厚生労働省のHPに、11月21日及び28日の労政審障害者雇用分科会の資料がアップされていますが、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/s1121-14.html

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/s1128-19.html

なるほど、確かに、21日の資料には例の派遣元と派遣先で0.5ずつというのがちゃんと載っているのに、28日の資料では消えていますね。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/dl/s1128-19a.pdf

>なお、障害のある派遣労働者が働くためには、派遣先が受け入れることが必要であり、派遣先に一定のインセンティブを与えることも考えられるが、現時点では、派遣労働に対する障害者の理解やニーズの動向を慎重に見極める必要がある。

と痕跡が残っているだけです。

この間、何があったのか、興味津々たるところですが・・・。

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左翼は田中角栄に土下座せよ!?

「躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌」というブログに、語り口はいささか(というか相当に)語弊があるとはいえ、問題の本質をよく衝いている一節がありました。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20071204/p2

>・・・やれやれ。今さらそれはないでしょう、山口さん。貴方が自分は味方だと自負する地方や弱者を、まさに体を張って守ってきたのが、左翼からも構造改革派からも経済学者からもネオリベ系保守論壇からも四方から批判され嫌われ抜いてきた、旧自民党型の政治家たちだったのではありませんか? そういう構造を破壊せよというアジテーションこそが、まさに90年代から貴方がたサヨクなセンセイたちがジャーナリズムで訴えてきたことだったのでしょう?

お望み通り、まさにそれをぶっ壊してくれたのが小泉さんだったわけですよ。それの何が不満なの?・・・

>様々なシガラミがあったにせよ、日本の弱者を守ってきたのは旧保守であることは紛れもない事実→旧保守の政治構造を破壊せよとアジり続けてきたのが自称・弱者の味方であるサヨク→それを実現してくれたのが90年代から続く改革ブーム→その結果、弱者が苦しくなると今度は「新自由主義が悪い」と責任転嫁→もう反自民なら誰でもいいと今はムネオのような人に接近・・・。

誰が誰に接近したのしないのと云った下世話な話はどうでもいいのですが、これをもう少し細かく絵解きすると、

リベラルなサヨクがソーシャルな問題意識を欠落させた戦後日本において、自民党のいわゆる「守旧派」が、欧州諸国におけるソーシャル派の機能的等価物(まったく「等価」と云えるかどうかは別として)であったことは事実であり、

かつ、英米においてソーシャルな社会メカニズムの攻撃に向かった(サッチャー曰く「社会なんて存在しない」)ネオリベ派の日本における政治的同盟者が、同時代的には中曽根行革という形で(少なくとも民間部門で形成された)ソーシャルな凝集性を称揚する方向に進んだため、

もとからリベラルだったサヨクがますます欧米におけるネオリベの機能的等価物として既存のソーシャルなメカニズムの破壊を目指す方向に暴走し(会社人間批判、社畜批判)、

こうして細川内閣から村山内閣を経て橋本内閣に至る社会党が政権に参画していた時期に、自民党守旧派的なソーシャルな仕組みがほぼ解体され、

その「成果」の上に、かつての自民党では存立し得なかったであろう純粋ネオリベ派の小泉政権が思う存分腕を振るえた、

という経緯であるわけです。

別に今さら、田中角栄に土下座したからどうこうというものではありませんし、それに欧州のソーシャル派も、旧来の福祉国家拡大路線から転換せざるを得なかったように、日本の角栄的福祉国家も転換しなければならなかったわけで、それが維持できたと思うのは幻想でしょう。ただ、欧米でネオリベが果たした福祉国家破壊機能を日本において結果的に果たしたのが誰であったのかという事実の指摘としては、当を得たものであるのは確かです。

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2007年12月 8日 (土)

労働者派遣法のゆくえ

昨日、JAM静岡主催の労使会議でお話ししてきた講演のメモです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/JAMshizuoka.html

最後のところで、「連合は、日雇い派遣の禁止を主張しています。気持ちは分かるのですが、派遣法上、日雇い派遣だけを禁止する理屈がなかなか思いつきません。」といささか情けないことを云っていますが、現に、直用の日雇いは何ら制限なしに認めているのに、派遣になったらいけないという理屈は、まじめに考えれば出てこないんですね。

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2007年12月 7日 (金)

EU派遣指令案不成立について

昨日のエントリーの続きです。

保守派のデイリーテレグラフ紙は、

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/12/06/neu106.xml

>Block on EU employment rights 'will save jobs'

派遣労働者の雇用上の権利を拡大するEUの立法を阻止したことで、イギリスは25万人の雇用を守った・・・、という記事にしています。まあいつもの調子ですね。

インデペンデント紙は、

http://news.independent.co.uk/business/news/article3226452.ece

>Temps miss out as Hutton says no to EU

ハットン産業相がEUにノーと言ったのでハケンさんは機会を失った・・・、と見出しは中立的です。

かたやフランスのルモンド紙、

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-33489366@7-60,0.html

>Temps de travail et intérimaires: l'UE s'enlise une nouvelle fois

派遣労働でEUまたも身動きとれず・・・。

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2007年12月 6日 (木)

生活保護基準の見直しと最低賃金

11月30日のエントリーで紹介したように、その日、生活扶助基準に関する検討会が生活保護の水準の見直しを求める最終報告書をまとめたと報じられているのですが、今までのところ、厚生労働省のHPには報告書がアップされていません。その間、いくつもの団体が反対の表明をしています。

日本弁護士連合会は、会長声明として、

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/071204.html

>11月28日に可決成立したばかりの改正最低賃金法は、「生活保護との整合性に配慮する」ことを明記して最低賃金引き上げに道を開いたが、生活保護基準が下がれば、最低賃金の引き上げ目標額も下がることとなる。

>生活保護の「捕捉率」(制度を利用する資格のある者のうち現に利用できている者が占める割合)が極めて低く、生活保護基準以下の生活を余儀なくされている低所得者が多数存在する現状において、現実の低所得者層の収入や支出を根拠に生活保護基準を引き下げることを許せば、生存権保障水準を際限なく引き下げていくこととなる。「ワーキングプア」が多数存在する中で、生存権保障水準を上記のようなことを根拠として切り下げることは、格差と貧困の固定化をより一層強化し、努力しても報われることのない、希望のない社会を招来することにつながりかねない。

と、批判しています。

その後、独立行政法人福祉医療機構のHPに、11月30日の検討会に提出された資料がアップされていることが判りました。

http://www.wam.go.jp/wamappl/bb16GS70.nsf/0/fb0d31ef3959da69492573a700085aa8/$FILE/20071204_4shiryou.pdf

これをみますと、確かに3人世帯では、年間収入階級第1十分位の生活扶助相当支出額は148,781円で、生活扶助基準額は150,408円はこれをかなり上回っているとしています。だから、ここのところは引き下げて良い、とは書いてありませんが、そういう趣旨であることは確かでしょう。ただ、世帯人員別の基準額の水準について、単身世帯に比べて多人数世帯では生活扶助基準額が生活扶助相当支出額を上回っていると書かれていますので、逆に言えば、単身世帯は必ずしも引き下げるべきということではなさそうです。

また、年齢階級別に見ても、高齢層に比べて、若年層では生活扶助基準額が生活扶助相当支出額よりも低いと指摘されていますので、若者の単身者(で受給できている人はほとんどいないでしょうけど)の基準額を引き下げよと云うことでもなさそうです。

最低賃金額に直接影響するのは、若年層の単身世帯の額ですから、これは必ずしも最低賃金を引き下げると云うことにはならないように思われます。

さらに、地域差のところで、「現行の地域差を設定した当時と比較して、地域間の消費水準の差は縮小してきている」と述べています。

この点については資料の14頁に、グラフが載っていますが、これを見ると、東京、大阪、横浜といった1級地-1は、生活扶助基準額は111ですが、生活扶助相当支出額は103になっています。これに対して、大部分を占める3級地-2では、生活扶助基準額は86ですが、生活扶助相当支出額は93となっています。

これはたいへん興味深いデータです。ここから導き出されるであろう結論は、都会地の生活扶助基準額は生活扶助相当支出額に比べて過度に高すぎるから引き下げるべきである、一方田舎の生活扶助基準額は生活扶助相当支出額に比べて低すぎるから引き上げるべきであるというものになるように思われます。

この結論の生活保護行政におけるインプリケーションを考えると、受給者の圧倒的多数は都会に住んでいるので、その人々の扶助基準額を切り下げることによって、田舎の生活扶助基準額を引き上げたところで、やはり生活保護費を削減することができ、財務省に言い訳をすることができると云うことなのでしょう。

ところが、最低賃金へのインプリケーションはまったく違った様相を呈します。

都会地でも若年単身者の生活扶助基準額は、多人数世帯や高齢者よりも低いので、必ずしも引き下げられず、最低賃金への影響もあまりなさそうです。

これに対して、田舎では生活扶助基準額がかなり引き上げられそうですので、これは最低賃金を引き上げるドライブになる可能性があります。14頁のグラフからすると、これは結構大きなものになるかも知れません。

いずれにしても、この報告書のインプリケーションは、日弁連の云うように「生活保護基準が下がれば、最低賃金の引き上げ目標額も下がることとなる」というような単純なものでは必ずしもなさそうです。

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EU派遣指令案成立目前で一旦休止

昨日と本日、EUの雇用社会相理事会が開かれておりまして、昨日は因縁のEU労働者派遣指令案が懸けられたんですが、さてその結末は・・・。

http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/career_and_jobs/article3007332.ece

タイムズ紙によると、イギリスの味方をする国は遂に特定多数決を封じることのできる3分の1の票数を割ってしまった模様です。つまり、イギリスが反対しても、賛成票3分の2以上で、労働者派遣指令案は成立するという状態になってしまったようです。

では、昨日遂に派遣指令案がめでたく成立したのかというと、そうではなく、多数派諸国が一旦矛を収めたようなんですね。

それはなぜかというと、例の憲法条約がポシャって作り直したEU改革条約の署名が来週リスボンで予定されているので、それへの悪影響をおもんぱかって、とりあえず昨日強引に多数決してしまうことは避けたと、こういうことのようです。

ですから、これはもう「日は数えられた」という奴で、今月中にも再度理事会が開かれ、正式に採択されることになると思われます。

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ハケンの来歴 by 大月隆寛

産経新聞のコラム「断」が止まりません。今度は大月隆寛氏。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071206/acd0712060237001-n1.htm

>「ハケン」と呼ばれてテレビドラマの題材にまでなっている派遣社員。でも、それを束ねる人材派遣業者、って昔からあるんですよね。口入れ屋とか桂庵(けいあん)とか言ってましたが。女中…あ、いや、今は家政婦さんって言わなきゃならないんでしょうが、要するにお屋敷や商家に奉公(これもすでに死語かも)するために、田舎から出てきた人がここに登録しておくと、希望する条件にかなった口があれば教えてくれる、と。紹介料をとっての商売なわけで、何のことない、江戸時代からあるものです。

 明治以降だって、人手がたくさんいるようになった仕事の現場じゃ、必ずこういう商売は介在した。港湾労働に炭鉱、鉄道建設…などなど、そういう「口きき」がいないと人手が集まらないのは「近代」という時代の必然なわけで。それが今や事務職系、いわゆる勤め人の類にまで波及してきた、と。

 一時、M&Aで買収仕掛けてもうけるライブドアが博徒系で、ネットの出店でもうける楽天はテキヤ系、って、あたしゃよく言ってました。いまどきの人材派遣業者ってのも由緒正しいその筋がらみの商売。ただし、そういう商売の者が、政府の委員会や財界の会合に出て大所高所からもの申す、なんてことは昔は絶対になかったし、またそれを真に受けて天下国家の政策が左右されるなんてことも、まずあり得なかった。ならば、何がどう違ってこういうことになってきたのか、それこそが本当に考えられるべき問い、でしょう。

お役所的に云うと、労働力需給調整システムの歴史と云うことになるわけですが。拙著『労働法政策』の「第4章 労働力需給調整システム」の最初の節の書き出しでも、

>日本で職業紹介が事業として始められたのは江戸時代に入ってからであり、その始祖は大和慶安だと伝えられている。4代将軍家綱の頃、江戸の木挽町で医師をしていた慶安は、医業をやめ、二人の浪人を使って職業紹介事業を始めたといわれる。大都会になった江戸には、武家屋敷や町方などで労働力需要が生まれる一方、農村で食えない次男三男や娘たち、主家がつぶれて失業した浪人など求職者が集まり、職業紹介事業は時流に乗ってヒットし、これを真似る業者が続出した。これら職業紹介事業は肝煎、口入屋、桂庵等と呼ばれたが、公的には人宿又は請宿と称した。人宿の主な収入は、口入料、口銭、世話料といった紹介手数料(賃金の10~15%)と、奉公人の父兄が雇主に提出する奉公人請状に連帯保証人として印判を押す判賃(通常1分(1両の4分の1))である。

というところから説き起こしております。

それはともかく、今の大学のある六本木界隈というのは博徒とテキ屋の縄張りなんですね。

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雇用政策研究会報告書案

モリタク先生も入った厚生労働省の雇用政策研究会報告書の案がアップされています。

http://www-bm.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/dl/s1128-15a.pdf

先ず現状認識は、

>いわゆる就職氷河期に当たり正社員となれず、フリーターにとどまっている若者(年長フリーター(25歳~34歳))は改善の動きが鈍い。また、ニート8についても改善の動きが鈍く、これらフリーターやニートについては、正社員となることを希望しても就職が難しい状況にある。さらに、恒常的に1日単位の雇用契約で働く日雇派遣労働者9については、雇用の不安定さや職業能力の蓄積不足といった点が懸念される。 これらの若者の中には、自己啓発もままならず、雇用や将来の見通しについて不安を感じる者もおり、また正社員と比べて結婚することが困難といった状況がみられる。 こうした状況を背景として、若年層の間には所得格差の拡大や格差の固定化、さらには非婚化による少子化の加速が懸念されている。

>人件費の変動費化を目的とした派遣労働者などの外部人材を活用する企業が増加するなど、企業の雇用管理の変化がみられる。一方、こうした外部人材の中には、日雇派遣労働者などのうち、特に雇用が不安定な者もおり、また教育訓練機会の差から職業キャリア形成にも差が生じるなどの懸念が指摘されている。

>正社員においては、企業が中核的人材を絞り込んだ結果、週60時間以上の長時間労働者の割合が高水準となっており、特に30代男性の21.7%が長時間労働となっている。長時間労働により、健康を損なう者が出るとともに、肉体的、精神的な疲労によって労働者の生産性にも影響を及ぼすおそれがある。また、男性の家事・育児時間が長時間労働等により短くなることによって、女性の負担を高めている。 また、同一企業内でも雇用形態により、能力開発機会を享受できる者とできない者が分かれており、さらに正社員間でも能力開発機会の多寡や質が異なっており、将来の人的資本に差が生じる懸念が指摘される。

>学校教育は教養教育など様々な目的を有しているものの、産業界からは、学校教育が産業界のニーズに合致していないとの指摘がある。また、在学中のキャリア教育が十分でなく、職業能力が形成されていない者や適職選択が行えない者、また職業意識が十分に醸成されていない者が存在している。さらに、就職してからの自己啓発について時間的余裕がない者が多い。

等々と、まあよく言われていることが要領よくまとめられています。

あるべき雇用・労働社会の姿としては、

>(1)安定の確保とキャリア形成 労働者の生活の安定や技能蓄積などの観点から雇用の安定が引き続き重要であるとともに、労働者が、自らのキャリアをより開発・向上することができるよう、職業能力開発などのキャリア形成支援や外部労働市場の整備などを行い、これらを通じて職業キャリアの発展と能力発揮が可能となる。

(2)多様性と自律性の尊重 性別・年齢・障害の有無を問わず、労働者が、生涯を通じ、個人の価値観に基づき、人生の各段階に応じ、主体的に多様な働き方を選択できるようにすることにより、自らの能力を十分発揮できるようになる。そして、企業は多様な人材の能力を最大限に活用できるようになる。

(3)公正の確保 多様な働き方が可能となっていく中で、それぞれの労働者の労働条件が、働き方にかかわりなく、公正で働き方に中立な仕組みや制度のもと、豊かな活力ある経済社会にふさわしい公正なものとして決定される。

あれっ?これって、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_b4e1.html

で紹介した

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/08/dl/s0809-3a.pdf(雇用労働政策の基軸・方向性に関する研究会の報告書「上質な市場社会に向けて-公正、安定、多様性」)

じゃないですか?ちょっと順序が違うけど。

その次の「あるべき雇用・労働社会の実現に向けた検討課題」が結構面白い論点を提示していて、

>(消費者に対するサービスの在り方の見直し) 消費者ニーズの多様化、高度化を背景に、年中無休の24時間営業など、消費者からみれば便利で多様なサービスが提供されているが、雇用面からみれば、過剰に労働力が投入されているといった側面もある。今後の労働力人口減少を見据えると、貴重な労働力の有効活用を図ることが必要であり、企業側はさらなるIT化や機械化の推進によって労働力の節約に努める必要がある。さらに、企業活動の背景にある消費者ニーズについては、消費者は利便性のみを追求するだけでなく、サービスを提供する企業の労働者の働き方にも配慮するなど、社会全体で個々の消費行動の在り方について検討する必要がある。

(ステイクホールダー間の付加価値の配分や企業の社会的責任の在り方) バブル崩壊以降の過剰雇用の解消の過程において、マクロの労働分配率は低下傾向で推移している中、労働者への付加価値(利益)の配分の在り方について議論がなされている。そもそもマクロの労働分配率の水準については、産業構成あるいは企業規模・従業員構成等で異なるものであり、その水準の高低を一慨に評価することはできないと言える。他方で、企業内の利益配分の在り方については、企業の持続的な発展や労働者の長期的なキャリア形成による人的資本の蓄積、企業価値の向上なども考慮しつつ、労使の相互信頼に基づいた配分決定がなされることが基本であるが、労働者は消費者として国内消費需要を支えるものであるため、労働者の暮らしの側面を圧迫することがないよう、生活にも配慮した分配の在り方について検討することも必要である。また、労働者は生活者として地域社会を担っていることに配慮し、企業の社会的な責任の一環として、長時間労働等により地域社会を支える労働者の地域活動などの生活面を阻害しないよう、労働者の活用の在り方を検討することが必要である。

なかなか慎重な言い回しではありますが、「生活にも配慮した分配の在り方」と云う言葉が入っております。

このあとは各論になります。

>1.雇用施策の基本的な方向性

① 今後生まれる子どもが、労働市場への参加が可能となるまで(2030年頃まで)における就業率の向上

② 雇用・生活の安定と職業キャリア形成による生産性の向上

③ 多様性を尊重する「仕事と生活の調和が可能な働き方」への見直し

2.今後重点的に展開していく具体的な施策の方向性

(1)誰もが意欲と能力に応じて働くことのできる社会の実現(就業率の向上)

① 若者の雇用・生活の安定と働く意欲・能力の向上

② 女性の意欲・能力を活かしたキャリアの継続と再就職・起業の実現

③ いくつになっても働ける社会の実現

④ 障害者等様々な事情・困難を克服し、就職を目指す人たちへの支援

⑤ 地域における雇用創出の推進

⑥ すべての人々の就業意欲を活かす労働力需給調整機能等の強化

(2)働く人すべての職業キャリア形成の促進(生産性の向上・競争力の確保)

① 職業キャリアを支援するインフラの充実

② 職業生涯を通じたキャリア支援

③ 競争力の向上を担う高度な人材の確保・育成

④ 専門的・技術的分野の外国人の就業促進と外国人の就業環境の改善

⑤ 中小企業や福祉・介護分野の人材確保対策

(3)仕事と生活の調和が可能な働き方ができる社会の実現

① 仕事と生活の調和の実現に向けた企業の取組の促進・支援と労働者に対する意識啓発

② 労働者が多様な働き方を主体的に選択できるような労働環境の整備

と、労働政策のメニューが並びます。

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労働市場改革専門調査会議事録

去る11月14日に経済財政諮問会労働市場改革専門調査会に呼ばれて喋ってきたときの議事録がアップされました。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/work-s.pdf

最初に私がペーパーに沿ってお話をしたあと、以下のようなやり取りがありました。

まず、大阪大学の小嶌先生から

>過半数組合との合意という考え方は、今後の労働契約法制の在り方に関する研究会などでも出てきたようだが、国立大学法人の現場感覚で考えると、合意をあまりにも強調するのは逆に少し問題ではないかと思っている。この過半数組合との合意モデルが成り立つのは、やはりある程度基盤の整った過半数組合の存在している大企業に限定されるので、そうではないところ、例えば国立大学法人の場合には過半数代表者との間で合意が成立することは残念ながら想定できないため、合意を過度に強調すると、実務上かなり難しい問題が生じるのではないか。

と疑問が示されました。これに対して、私からは

>多数決主義については、公的分野は今まで公務員法で手当してきたために、民間の大企業がやってきたようなきちんとした人事労務管理を行ってこなかったツケが今現れてきているのではないか。これは、恐らくどの大学でも言えることだと思う。これは、戦後半世紀かけて行ってきたことをもう一度行うしかないのではないかという印象を持っている。実際問題、過半数が賛成しているからこれでいいというシステムにしないとなると、最高裁判所が判決を下すまでは最終的に決着せず、ごく数人が反対だと言っていると、どちらかわからない事態がずっと続くわけで、それが本当にいいのかどうかという問題が根本にあるのだろうと思う。

と答えました。もっとも、この点については経営法曹の中山さんは、

>小嶌委員から、過半数組合をあまり重視するのはいかがかという意見もあったが、結局、それに代わる、より合理的な変更制度がなかなか構築できない。現実に集団的な労使関係ということは、逆に言うと全員が賛成しなければ変更できないというルールではないということなので、そういう意味で濱口先生のお話には共鳴する点が多い。

と云われています。

その中山さんからは、

>就業規則の不利益変更ルールとの関係で解雇ルールが現在のような形でいいのかという点をお聞きしたい。

という真っ向からの直球が投げられました。私は、

>解雇ルールを論じるときには、2つの次元に区別した方がいいだろうと思う。1つ目は、一般的に雇用契約が成立している中で、使用者側が、ある労働者について、とにかく気に入らないから首にするという行為、これは両者の力関係に差があり、一種の権力的な行為になってしまわざるを得ないが、それを認めるのかどうかという問題である。2つ目は、企業が市場の中で運営している中で、どうしても労働力の投入量を削減せざるを得ないときに、整理解雇するのは良くないので、日ごろから時間外労働に従事させて、不況になったらそれを減らしなさい、あるいはどこか遠くに配転して賄いなさい、あるいはパート・アルバイトを解雇して、正社員の雇用は何が何でも守りなさいというような、いわゆる「整理解雇法理」に結集しているようなものの考え方である。この二つの次元を分けて考える必要があると思っている。・・・

と答えました。これは、『季刊労働者の権利』でも書いたことです。

この他にも、いろいろと面白い論点があり、私としては大変スリリングな経験でした。八代先生をはじめ、専門調査会の皆様に感謝申し上げたいと思います。

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2007年12月 5日 (水)

社経生北浦氏のJILPT論

JILPTのHPに載った有識者コラム、今回は社会経済生産性本部の北浦正行氏です。

http://www.jil.go.jp/seisaku/column/kitaura01.htm

>「労使関係」や「労働問題」という用語が、一般の眼に触れる機会が少なくなっていることは残念である。「社会政策」も、司法試験の科目から削られて久しいし、大学でも看板どおりの授業になっていないことも少なくない。しかし、いまの世の中はどうだろうか。フリーターやニートの増大、団塊の世代の定年到達、経済格差の拡大、長時間残業や過労死問題、仕事と子育て等生活との調和、非正社員の均衡処遇など、いまのわが国を悩ます問題はすべて「労働」の世界のオンパレードだ。加えて、労働法制の改正ラッシュである。とりわけ、成立した労働契約法は新しい労使関係のありようを提示するだろう。

JILPTは、こうした労働問題のウオッチャーとして、これまでにも多くの良質な調査研究や情報提供に取り組んできており、労使をはじめ、多くの「労働」関係者の頼りとなってきた。ここで忘れてならないのは、これらの労働に関わる諸問題は、労使関係という枠組みの中で発生するものが多く、労使の利害に結びつきやすい点にあることだ。そこで、そのいずれの立場に偏することのない「中立的」な立場での運営ができるかどうかが極めて重要な点となる。

そのために、JILPTの源流である「日本労働協会」は、基金を設けその運用によるなど、中立的な立場から事業を進めることを特徴としていた。もちろん、時代変化の中で、「公」の形も変わってくるが、その精神は受け継がれていくべきだろう。今後とも、より民間に開かれた機関となるとともに、官民の中間的な立場であることを活かした運営が望まれるところだ。

その意味で、民間研究の基盤となるようなベーシックな領域やテーマには、もっと力点を置いてほしい。証言や記録の収集や編纂といったことも、地味ではあるが他ではなかなかできない。もうひとつの源流である職業研究所の流れを引いて、職業ハンドブックや職業適性検査のような優れたツールの開発も数多く提供してきたことも忘れてはならない。要は、労働に関するデータベースとしての蓄積とその広範な提供に努めることによって、教育機関や民間研究機関はもとより、わが国の労使の共有財産を整備していく役割を担っていくことが重要ではないか。

まさしく適切な指摘と申せましょう。JILPTを潰して、一体ほかのどの機関がそういう役割を果たすことができるのでしょうか。

ただ、その次の

>もうひとつ忘れてならないのは、労働大学校の存在である。これが、この法人を単なる研究機関とは一味違うものにしている。行政職員に対する研修がその基本的な役割であるが、これからの時代には、政策は国だけの独占物ではない。自治体はもとより、各種の公共団体やNPO、更には民間企業にとっても、公共政策に関する最高水準の知識の提供は有益のはずだ。一般の高等教育機関などとの連携も必要だろう。

というのはやや違うような。研究機関の研修機能と云うことであれば、それはむしろ行政職員に対する研修というよりは、広く一般の労働者や、労働組合役員、企業の人事管理担当者に対する労働教育という領域になるのではないかと思われます。

実は、かつて労働省労政局には労働教育課というのがあって、労働教育というのをやっていたんですね。これはもちろん職業教育とは違いますし、職業意識啓発とか何とかいうたぐいのでもなく、労働法の基本的な考え方だとか、労使関係の在り方だとかいったことを広く一般に広めることを目的としていたのですが、もう十分広まったからええやないかということで、1959年に廃止されたんですが、昨今の状況をつらつら鑑みるに、もう一遍そういうのがあってもいいのかなあという気がしないでもありません。

で、実はJILPTの前身の日本労働協会というのは、まさに労働教育をやるために(労働教育課が廃止される前年の)1958年に設立されているのです。

その提案理由説明にはこういうことが述べられています。

>政府と致しましては、従来とも鋭意労使及び国民一般に対し、いわゆる労働教育に努めて参ったところであり、また今後ともこれを継続する所存であります。

 しかし、労働教育には、その性質上、また技術上、政府又は地方公共団体が行うことを不得手とする分野も少なくございません。また、我が国におきましては、労働問題に関して、確固たる基礎を持つ専門研究機関はほとんどないといってもよい状態であります。そこで、これらの分野を中心として、公正かつ科学的な研究を行うとともに、これに基づきまして、労使及び国民一般の労働問題に関する理解と良識を培うことを目的とする専門団体を設置することが是非とも必要と存ずるのであります。

ホントのところは、本省の労働教育課を潰して福祉共済課を新設するために、その仕事を外郭団体にアウトソースしたというところではないかと思われますが、それはともかく、ここでいわれているような意味での「労働教育」こそが、今の時代に必要とされていることであることは間違いないのではないでしょうか。

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派遣制度の基本思想

障害者雇用率の派遣元・派遣先按分の話ですが、実は今年6月、研究会で報告書がまとめられる直前に、たいへん興味深い議論がされていました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/06/txt/s0629-3.txt

連合の村上委員が、

>障害者雇用において、派遣元事業主に障害者の雇用義務があるということは承知しているのですが、雇用率制度を変えるということを考えるのであれば、少し発想を転換して、派遣先が単に雇用して労働者を使用しているという現実を受け入れて、自分のところで仕事をしてもらっているということから、まず分母として考える。それに応じて、分子についても、派遣労働者が障害を持っていれば障害者としてカウントすることを検討できないだろうかというのが提案の趣旨でした。
 他の法制度、派遣法との関係もあるのですが、しかし、例えば労働安全衛生法では、常時使用する労働者で事業場規模を判定して、そこに派遣労働者も入っているということなども考えて、実際に働いている場を重視して制度を考えることも必要ではないかと考えております。また、人事部できちんと労働者を把握し、管理することが必要だと思いますので、そういったことをもっと促進する意味でも、派遣先に分母と考えていくことも検討してはどうかと思います。

と述べたのに対して、座長の岩村先生が、

>フランスには、村上委員のように考える立法例もあるのです。ただ、フランスの場合論理の整理として、派遣と有期雇用を同視しているのです。ですから、派遣先のほうに全部義務を負わせているのです。実際にも、有期雇用の規制と派遣に対する規制が、派遣元が入るという点は違うにしても、ほかは基本的に同じになっているのです。おそらく、そういうバックグラウンドがあって、派遣先に派遣労働者の雇用義務を負わせている。私も詳しく調べていないので分からないのですが、おそらく、そうではないかと思っています。
 日本の場合はどうかというと、派遣法の原理原則からいくと、雇用というのはあくまでも派遣元にあるということから出発しているのです。ただ、労働安全衛生が典型的ですが、実際の労務を提供する場で生じうる様々な問題については、派遣元に責任を負わせても全然意味がないので、それについては派遣先にきちんと責任を負わせましょうと、そういう整理の仕方でいまの派遣法の枠組みが出来ていると思うのです。
 そうだとすると、今回のペーパーにある案(1)や村上委員のおっしゃるような案を、法律で作ってしまえば、できると言えばできるのですが、他方でそれはある意味からめ手から派遣法の基本的な発想を変えるという話になる部分があって、先ほど部長がおっしゃった、現実的な実務上の問題と同時に、全体の派遣制度の枠組み自体をどうするかという問題に絡んでしまうと思うのです。そうすると、からめ手から派遣制度の根本的な枠組みに触るようなものを行うのがいいのかどうかということが躊躇される、私自身はそういう気がするのです。

つまり、労働者派遣という仕組みの基本的な考え方としては、かつてのドイツのように、派遣元が唯一の使用者であるという考え方に立って、常用派遣のみを認め、登録型は認めないというやり方もあれば、フランスのように、派遣先が基本的に使用者責任を負うという考え方に立って、登録型のみを認め、常用型は禁止するというやり方もあります。

日本は、戦前はフランス的な発想であったわけですね。フランスで、直用有期も派遣も同じテンポラリーであるのと同様、社外工も含めて臨時工といっていたわけですし、通達もそういう考え方でした。戦後労働者供給事業が全面禁止されて、80年代に派遣を解禁するというときに、はじめはドイツ方式で、常用型派遣のみを認めるというやり方をしようとしたのですが、それでは通らずに、やっぱり登録型も認めることにしたのです。

それはいいのですが、登録型についても、ドイツ式の派遣元が唯一の使用者であるぞよ方式で法律が組み立てられてしまったために、いろいろと問題が出てきているわけで、私はそろそろそこを見直すべき時期に来ているのではないか、と考えています。岩村先生は、「からめ手から派遣制度の根本的な枠組みに触るようなものを行うのがいいのか」と云われるわけですが、むしろ搦め手に派遣の制度設計の矛盾がいろいろと現れていると云うことなのではないか、と。

今まで、組合側は、とにかく派遣はケシカランからできるだけ限定せよ、なるべく広げるなの一点張りでやってきたために、こういう基本設計の問題点にあまり議論がゆかなかった面がありますが、これはそろそろいい機会じゃないかな、と思っていたのですが、撤回されたそうで・・・。

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労使双方が反対していた労働契約法・・・?

日経BIZPLUSで、経営法曹の丸尾拓養氏が、「労使双方が反対していた労働契約法の成立と今後の労使関係」を書かれています。いささかミスリーディングな標題ではないでしょうか。

http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/jinji/rensai/maruo2.cfm?p=1

>労働契約法については、労使双方が反対するという状況が続きました。労働者側では、立案段階での解雇の金銭的解決に対する反対が強硬でした。現時点でも就業規則の拘束性に関する反対が根強くあります。労働契約法制定の必要性については賛成するものの、このような内容では反対であるとの主張でした。一方、使用者側は、労使自治を重視し、法律による労使間の私法上の関係への介入に反対しました。ホワイトカラー・エグゼンプションを含む労働基準法の改正が絡んだため、事態はさらに複雑化しました。最終的には、判例法理の確認ということで政治的妥協が図られ、小さな法律が生まれました。

これはかなり正しい評言だと思われますが、それでもいささかというところがあります。そもそも労働契約法制定の必要性を強く主張していたのは労働側ですし、使用者側もややリラクタントなところもあったとはいえ、透明性や予測可能性を高めることは人事労務管理上のメリットがあることから、基本的には反対ではなかったと思われます。

「現時点でも就業規則の拘束性・・・」云々についていえば、そもそも現在の確立した判例法理が合理性を理由とする就業規則の拘束性を認めていることが出発点であることは、(レトリックの次元は別として)労働側も前提にしていたわけですから、そこを(民法の私的自治原則に基づき)否定する議論がいくつかの団体からや国会質疑等でなされたからといって、労使の反対という文脈で「反対が根強くあります」というのもいささか外しているように思われます。

丸尾氏自身も

>労働契約法の目玉は、就業規則の労働者に対する拘束性を認めたことでしょう。

という言い方をしていますが、これでは今まで認められていなかった拘束性が今回の改正で認められるようになったというようなニュアンスになってしまいます。ここはやはり正確に、そういう最高裁判例法理が、「何も足さず、何も引かず」そのまま法文化されたというべきでしょう。

>一部の論者からは、使用者が容易に労働条件を下げられるとの批判があるようですが、そのように解釈できるのであれば経営者側は大賛成したことでしょう。実際には、そのような理解をする経営者はごく少数です。就業規則の機能を正視せず就業規則による労働者の拘束に反対する立論は、あまりに現実を無視しているでしょう。そのような入り口論で時間を浪費せずに、もっと充実した議論をすべきだったでしょう。

という批判の方が適切であると思います。

問題は次のところで、

> 今後は、就業規則の変更に合理性があるか否かの基準を明確化することが考えられます。たとえば、過半数労働組合の同意がある場合に変更の合理性を推定(事実上の推認)するか、変更に反対する労働者をも拘束するとすることです。しかしながら、柔軟性のない一定の要件としてしまうと、現場には不適合な事態も生じてしまいます。また、このように要件化することは、かえって就業規則の変更を使用者が意のままに行ったり、反対に要件不充足を理由に就業規則変更が困難となったりすることも危惧されます。就業規則変更の透明性や予測可能性を高めることについては、労使共に反対の声が小さくないでしょう。

ここは、おそらく経営法曹の中でもいろいろと意見のあるところではないかと思われます。常日頃から密接な労使コミュニケーションを行い、会社の状況をよく理解して貰っているので、不利益変更について労働側の了解を得ることにあまり不安を感じないような企業の立場からすれば、過半数組合が合意してくれているのに一部の労働者が反対だと主張して最高裁まで争わないと全然結論が見えないというのではいやだという気持ちが強いでしょうし、常日頃から労使関係が良好でなく、何かと反対ばかりされるという被害者意識を抱いているような企業にとっては、合理的な提案をしているのに過半数組合が反対だからだめだといわれたのではかなわないという気持ちが強いでしょう。

ここのところは、労働側にとってもまったくシンメトリカルな状況があるわけで、「労使共に反対の声が小さくない」ともいえますが、「労使共に反対の声が大きい」というわけでも、実のところはないのではないかと考えています。

このあたりについては、先日経済財政諮問会議労働市場改革専門調査会に呼ばれて喋ってきたときに、阪大の小嶌典明先生と経営法曹の中山慈夫さんが質問された話に関わってきます。このやり取りはなかなか面白いので、(まだアップされていませんが)ご覧頂ければ幸いです。

また、今月中旬に刊行される『季刊労働法』219号で、「集団的労使関係法としての就業規則法理」というのを書いておりますので、ご参考までに。

最後のところで、

>むしろ、労働契約法が企図する労使関係のあり方は、将来的には、常設機関としての労使委員会のような集団的な思考を人事管理に取り入れることを予定しています。こうなると現場は大きく変わります。現実を直視したうえで法理論をさらに正しく理解して今後の議論に参画することが、労使関係者に強く望まれます。

と述べられている点は、むしろ「集団的な思考」の復権というべきではないかと思います。この辺も、上記季刊労働法でちょっと触れていますので、ご参考までに。

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障害者雇用率派遣元・先按分案は撤回

一昨日のエントリーで、「次期通常国会に提出予定の障害者雇用促進法改正案でも、前にこのブログでも取り上げたように、派遣元だけではなく、派遣先にも障害者雇用率を50%ずつカウントするという改正をする予定にしていますが」と書きましたが、それは既に撤回されてるよ、というご指摘をいただきました。

11月28日の障害者雇用分科会に提示された意見書(案)では消えてなくなっているそうです。

現段階では、厚生労働省のHPにアップされている資料は11月6日の分までで、ここでは、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/s1106-3.html

資料1として、障害者の派遣労働についてが示され、

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/dl/s1106-3a.pdf

具体的な適用の例が示されていたのですが、その後の議論でやめちゃったのですね。

その辺のいきさつはよくわかりませんが(そのうち議事録が出れば判るでしょう)、とにかくそういうことのようであります。

ご指摘いただき有り難うございました。この他にも、ぽかをやってる可能性は常にありますので、hamachanのいうことはあまり信用せずにほんまかいなと疑いの目をもってお読みいただきますよう、お願い申し上げます。

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2007年12月 4日 (火)

国民の豊かさの国際比較

社会経済生産性本部が「国民の豊かさの国際比較2007年版」を発表しました。

http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/01.data/activity000845/attached.pdf

>各国比較にあたっては、OECDや世界銀行の最新資料(主として2005年のデータ)から56の指標を選び、これらの指標を健康、環境、労働経済、教育、文明、マクロ経済の6つに分類し、各指標の偏差値を豊かさ総合指標として順位づけを行った。

ということなのですが、具体的には、

>【1】日本の豊かさは第7位(OECD30カ国)、主要先進国の中では1位

○日本の豊かさは、経済協力開発機構(OECD)30カ国中第7位で、前年に比べて1ランク順位を下げた。ただし総合指標値は前年の54.70から54.88へ上昇した。

○第1位はルクセンブルグ、第2位ノルウェー、第3位スウェーデン、第4位スイス、第5位フィンランドで、ヨーロッパの国々が上位を独占している(この順位は2005年から3年間変わっていない)。

○日本は主要先進国の中ではトップ。米国は第12位、英国16位。


【2】日本は環境指標(4位)、健康指標(5位)が上位、マクロ経済指標(22位)が下位

○日本が最も上位の指標は環境指標(第4位)で、そのほか健康指標が第5位、労働経済指標と文明指標はともに第9位で、これらの4つの指標はベスト10に入った。

○教育指標は13位と中位にあり、マクロ経済指標は22位であった。

○マクロ経済指標が悪い要因は、国民1人当たり政府累積債務や財政赤字の大きさ、1995~2005年の平均経済成長率の低さにある。


【3】「平均寿命」「人口当たり病院ベッド数」「単位労働コストの低下率」などは日本が1位

○日本が第1位になった個別指標は、「平均寿命」「人口当たり病院ベッド数」、「単位労働コスト(生産物1単位生産するのに要する賃金)の低下率」、「GDPデフレータ上昇率(年率平均マイナス1.0%)」の4指標である。
  
○最下位の指標は「1人当たり国際観光収入」、「平均経済成長率」、「1人当たり政府累積債務」であった。

おおむねなるほどという感じなのですが、ちょっと待ってよ、といいたくなるのが「単位労働コストの低下率」。

働く人の仕事の値打ちが下がることが「国民の豊かさ」なんですか、その「国民」って誰のこと?と、一言いいたくなりますね。

もしかしたら、生産性の向上率といいたいのかも知れませんが、いやだから例えば生産物1単位生産するのに要する労働時間数だとか資本費用だとかでそれを算定するというのであれば判らないではないのですが、生産物当たりの賃金が下がらないと「国民」様は豊かにならないのですかねえ。生産性向上の成果配分は労働者にもきちんと配分すべしというのが生産性三原則であったような気がしないでもないのですが。

も一ついうと、「生産物1単位」というのがいかにも製造業的であって、サービス業についてはどう考えて居るんだろうか、という疑問も湧いてくるわけですが、たとえば、介護サービス1単位当たりの生産性向上ってどうやって測るんだろうか、というようなことを考えると、ますます謎が深まってくるわけでありますね。

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中間層労働力の質の高さ

昨日の経済財政諮問会議について大田大臣の記者会見で、ある民間議員の発言として、こういう言葉が紹介されています。

http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2007/1203/interview.html

>それから、別の民間議員から、日本の強みの1つは中間層労働力の質の高さだったと。それが、バブルの崩壊などで、この中間層の弱体が生じているのではないかと。人に頼らずに自己責任、チャレンジ・スピリッツを持つために、この目指すべき改革の先に見える姿を明確にしていくことが必要だと。それが、総理の言われる「自立と共生」の日本の姿ということになるだろうと。
 最近「くれない症候群」というのが言われていると。何とかしてくれない、政府が何してくれないという「くれない症候群」ではなくて、自分の力で立ち、そして更に大企業や中小企業が共生していくような姿を描く必要があると。中間層の元気な姿、そして海外においては信頼された国・日本という姿を出していく必要があると。今日より明日がよくなるという気持ちを国民が持つには、忍耐強く語りかけることが必要だという発言がありました。

議事録が出ればどなたの発言か判るわけですが、こういうほとんど95%正しいのに、肝心の詰めがないお言葉というのも・・・。

「中間層労働力」が「くれない」「くれない」とばかりいわず、自己責任、チャレンジスピリットを持ってやっていけるためにこそ、一定の支えが必要なわけで、その支えを抜き取ってしまうと、逆に自立すらできなくなり、中間層労働力の質が劣化し、「くれない症候群」に落ち込んでいってしまうわけでしょう。

「自立」を支える「共生」を希薄化させてきたのは、「バブルの崩壊」という外在的な要因だけであったわけではないと思いますよ。

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人権擁護法案 自民再び火種

朝日ですが、

http://www.asahi.com/politics/update/1204/TKY200712030379.html

>人権擁護法案の提出に向け、自民党内で推進派が本格的に動き始めた。党人権問題等調査会を2年ぶりに立ち上げ、かつて廃案になった政府案に修正を加えて来年の通常国会に提出をめざす。だが、党内の意見対立が根深い法案で、3日の初会合にも「保守派」を中心に反対論者が結集して異論を唱えた。党執行部が再提出でまとめようとすれば、党内対立の芽となることは必至の状況だ。

 安倍前首相が消極的だったこともあり、再提出に向けた動きは封印されていたが、福田政権発足で「潮目」が変わった。推進派の古賀誠選挙対策委員長、二階俊博総務会長らが党執行部に座り、党幹部の一人は「再提出できるならやってしまえばいい」。

 調査会は仕切り直しにあたり、古賀氏側近の太田誠一元総務庁長官を会長に起用。党四役や青木幹雄前参院議員会長らを顧問に迎え、3日の党本部での初会合で、ずらりとひな壇に並べた。重厚な布陣で反対派を押さえ込む狙いだった。

 だが、会合には安倍前首相に近い下村博文前官房副長官や古屋圭司衆院議員らが駆け付け、「歴史的な経緯を無視して人権を一つの価値観のように扱うのは間違い」などと主張。若手議員で作る「伝統と創造の会」会長の稲田朋美衆院議員はこう声を上げた。「総選挙に向けて一丸となっていくべき時期に、党内を二分するような議論はどうなのか」

 党執行部のかじ取りも定まっていない。調査会は年明けから週に一度のペースで会合を重ね、再提出を認めるかどうか最終判断するが、伊吹文明幹事長も会合のあいさつで「人権という言葉が独り歩きしてはいけない。しっかり研究していく必要がある」と述べるにとどめた。

いや、もちろん、「人権真理教」(@呉智英)はいけません。文脈を無視して「屠殺場」という言葉尻ばかりを追求することも望ましいことではないでしょう。しかし、人権擁護法案に書いてあることは、そういう類の話とは違うものなのですが、なかなか一旦敵として認定されたものは冤罪を濯ぐことは難しいようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2267.html(人権擁護法案再提出?)

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2007年12月 3日 (月)

派遣先にも助成金――障害者雇用拡大狙う

労働新聞、といっても、平壌で発行されている奴ではなくって、日本国東京で発行されている労働問題の専門紙ですが(なんだか前にも同じネタをやった記憶が・・・)、

http://www.rodo.co.jp/periodical/news/11262658.php

>厚生労働省は、障害者の派遣労働への参入などを促進するため、障害者雇用納付金に基づく助成金制度を大幅に見直す方針である。派遣元への支援に加え、障害者である派遣労働者を受け入れた派遣先に対しても、施設の整備などを念頭に置いた助成策を検討する必要があるとした。実雇用率が低迷している中小企業には、初めて障害者を雇用する際に、一定期間集中的に助成を強化する方向となっている。

と報じています。次期通常国会に提出予定の障害者雇用促進法改正案でも、前にこのブログでも取り上げたように、派遣元だけではなく、派遣先にも障害者雇用率を50%ずつカウントするという改正をする予定にしていますが、それに助成金の面からも対応するものですね。

この動きは、障害者対策の面からだけでなく、派遣労働政策の観点からもたいへん興味深いものです。つまり、労働者派遣事業において使用者なるものはただ一つ派遣元事業主だけであって、派遣先事業主は使用者ではないのであるぞ、といういわば認識論的切断の上に全てが構築されてきた派遣労働法制について、そうはいっても現実に使用者として機能してるのは派遣先なんだから、派遣先にも責任を負わせなくちゃいけないよね、責任を負わせる分、援助もするからね、というリアルな政策対応が、派遣そのものを所管していないがゆえに上記認識論的切断に義理もない部局によって可能となるという構図が見えるからです。

もっと大胆にこの切断を軽々と飛び越えたのは、2004年の公益通報者保護法で、要するにウチの会社はこんな悪いことやってますよとチクって首切られても無効だ(第3条)ってのと並べて、派遣労働者が派遣先の悪行をチクって派遣契約を解除しても無効だってのが、素直に並んでいます。

なんにせよ、派遣法改正は当面断念したようではありますが、まともに手をつけようとするのであれば、派遣元と派遣先の責任配分という制定時以来の問題にもう一度向き合う必要があるようです。

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派遣法改正は白紙

舛添大臣の会見で、

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/11/k1130.html

>(記者)労働者派遣法の改正を取りやめるという報道があるのですが、この件について。

(大臣)労働者派遣法をどうするかというのは、まだ労働政策審議会なんかで検討の途中でありますから、先程の生活保護のように最終報告が出て、それを検討してどうという話ではないので、これはまだ全く白紙だと思って結構です。

改正するかしないかが白紙と云うことですね。

この問題については、もう少しあちこちで立法論が積極的になされてもいいのではないかと思います。ケシカランだけでは未来への展望がないわけで。

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労働法におけるローマ法とゲルマン法

小泉義之氏の「Critical Life (期限付き)」で、常勤、非常勤という言葉について論じられています。

http://d.hatena.ne.jp/desdel/20071202

>「常勤」なる指令語=阻止語は、ローマ法的伝統の契約モデルとゲルマン法的伝統の共同体帰属モデルの妥協の産物である

とか、

>「常勤」にしても「非常勤」にしても本当は極めて奇怪な用語であることに気付く必要があるし、その背景で複数の労働観・経営観がせめぎ合っている有り様を分析する必要がある。そのとき、おそらく、労働一般・所得一般・労働市場一般について一律に論ずるローマ法的立場の限界が見えてくるとともに、そうであればこそ、業種・業態によってはローマ法的伝統が依然として実践的には有効であることも見えてくるはずである。

という言葉は、その通りだと思うのですが、法制史の素養がないと、何を言いたいのかよく判らないかも知れません。

簡単に言うと、これは拙著『労働法政策』ですが、

>古代ローマ法においては物の賃貸借(locatio conductio rei)と雇傭(locatio conductio operarum)と請負(locatio conductio operaris)を全て賃貸借という概念の下に総括し、これを受け継いだヨーロッパ諸国では雇傭を労務の賃貸借と位置づける法制をとっていた。一方、古代ゲルマン社会の忠勤契約(Treudienstvertrag)は主君と家臣の軍事及び宮廷における奉仕の双務契約であったが、やがて身分上の上下を保ちつつ労務と報酬の債務契約と化し、貴族だけでなく僕婢や職人等にも広がっていき、雇傭契約となっていった。

ということです。「非常勤」という言葉の背後にあるのは、労務の賃貸借というローマ法的労働観であり、「常勤」という言葉の背後にあるのは、ゲルマン法的な忠勤契約なんですね。

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佐藤優氏の警告

アホなSAPIO右翼が、嫌韓、嫌中のノリで沖縄叩きに熱中していることに対して、まともな保守主義者の佐藤優氏が少し前のサンケイビジネスアイで的確な一言を述べています。

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200710030005o.nwc

>沖縄県民と沖縄以外の日本国民の間で、明らかに歴史認識に対する差異が生じ始めている。この問題を放置すると日本において、沖縄とそれ以外の地域の間にヒビが入る危険性がある。いったん、ヒビが入れば、それにちょっとした刺激が加わると亀裂が広がり、日本国家が内側から崩れ始める危険がある。また、このような歴史認識のすき間に中国が「どうも日本国内にも歴史問題があるようですね」と付け込んでくる危険性がある。国家主義者として筆者は沖縄で現在生じている事態に強い危惧(きぐ)を覚える。

近年のナショナリズム論をひもとくまでもなく、あるエトニーがネーションとして自己意識するか否かは産業化における様々な条件でどちらにも行きうるものですから、沖縄人が韓国人や中国人のような感覚で日本(ヤマト)人を見るように仕向ければ、そういう方向に展開する可能性はいくらでもあるわけです。

考えてみれば、本土復帰運動が盛んだった頃、本土の日教組が日の丸反対闘争をやっているのに、沖縄の教組は日の丸を振る運動をやっていたわけですが、これを一次元的論理で矛盾と評したところで何の意味もなく、むしろそれなるがゆえに琉球ナショナリズムを喚起することなく、「平和な本土」への復帰が政治象徴として有効たり得たのでしょう。まことに日本国家の国益に大きく貢献したと云うべきでしょう。

もし当時SAPIO右翼みたいなのが今の調子で本土復帰を唱えていれば、「また集団自決の悲劇が繰り返されるぞ」などという政治宣伝のいい材料になったかも知れません。この辺の政治センスがあるかどうかが、話のできる人間かそうでないかの分かれ道なんですがね。

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フレクシキュリティの動向

6月に欧州委員会がフレクシキュリティに関するコミュニケーションを発出してからだいぶ経ちましたが、ここにきてそれをエンドースする動きが加速してきました。

まず、去る11月16日に、雇用委員会と社会保護委員会が合同で「フレクシキュリティの共通原則に関する合同意見」を出しています。

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/07/st15/st15320.en07.pdf

更に11月23日に、コレペールの社会問題作業部会が、閣僚理事会結論の草案に同意したと云うことです。

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/07/st15/st15497.en07.pdf

この内容で、12月5日の労働社会相理事会で採択されると思われます。

今までの経緯からしてやはり重要なのは、共通原則の第5でしょう。ここで、「外部的フレクシキュリティと同様、(企業内部の)内部的フレクシキュリティも同等に重要であり、促進されるべきである」と、明確に書かれています。

もちろん、その前の第4で、「分断を克服する包摂的な労働市場」が謳われていますし、「無業者、失業者、ヤミ就労者、不安定就労者、労働市場の縁辺にある者が安定した雇用を提供されること」が求められているわけです。

なお、11月29日には欧州議会雇用社会問題委員会で、フレクシキュリティの共通原則に関する決議が採択されています。

http://www.europarl.europa.eu/sides/getDoc.do?pubRef=-//EP//TEXT+REPORT+A6-2007-0446+0+DOC+XML+V0//EN&language=EN

ちなみに、この直前に、欧州議会の欧州統一左派・緑の党が、欧州社会党に対する公開状というのを公表していて、

http://www.guengl.eu/showPage.jsp?ID=5358&AREA=27&HIGH=1

フレクシキュリティなんていってるけれど、これはフレクシプロイテーション(「柔軟な搾取」?)だ、それより「いい仕事」が大事だ、と呼びかけています。

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年齢の壁廃止の代償

『時の法令』連載の「そのみちのコラム」、12月15日号の「年齢の壁廃止の代償」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/daishou.html

なんやこれ、経済財政諮問会労働市場改革専門調査会で喋った中味そのままやないか、と思われるかも知れませんが、その通りです。

http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/15/agenda.html

議事要旨はまだアップされていませんが、面白いやり取りになっていると思います。

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