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雨宮処凜さんとの対談

天漢日乗さんに紹介していただいていますが、

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/12/hamachan_f6a9.html

本日の朝日新聞(24面)に、雨宮処凜さんとわたくしとの対談(の抄録)が載っています。

2時間喋りあった中味のごく一部ですが、まあそれぞれのエッセンスが活字になっていますので、軽く眺めていただければ、と。

(余談)

>男前に撮れてますよ、hamachan議長。

ありがとうございます。おそらく素材ではなく、カメラマンさんのお陰です。

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労働ビッグバンを解読する(『労働調査』)

労働調査協議会が発行している『労働調査』の11/12月号に、私の講演録が掲載されています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bigbangkouen.html

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職場のいじめ実態調査 by 産業カウンセラー協会

産業カウンセラー協会から、「産業カウンセラーが見た職場 アンケート調査結果」が発表されています。”産業カウンセラー440 人が見る職場/悲惨さ増す「職場のいじめ」の実態”という標題です。

http://www.counselor.or.jp/pdfs/071212.pdf

>やはり8割の産業カウンセラーが「職場のいじめ」事例の経験あり
前回のアンケートで「職場のいじめ」の事例経験があるという回答は79.7%でしたが、今回も80.5%と、やはり8 割に上りました。

>「パワハラ」「罵る・怒鳴る・威嚇する」など、より悲惨・深刻に
いじめの内容としては「パワハラ」が78%と最も多く、次いで「人間関係」(59%)「仕事のミスに対するいじめ」(44%)、「セクハラ」(36%)と続きました。いじめの形態として「無視・仲間はずれ」(54%)や「嫌がらせ」(50%)を超えて、「罵る・怒鳴る・威嚇する」が68%と最も多く、いじめが生じた関係は「上司から部下に対して」が85%となっています。

>余裕のない職場でのコミュニケーション不足がいじめを生む
「職場のいじめ」と関連があると考えられるものとしてもっとも多かったのは「個人のコミュニケーション能力の低下・欠如」(80%)が圧倒的に多く、次いで「人を育てる意識の希薄化」(62%)、「人権感覚・モラル感覚の低下」(54%)、「成果主義・能力主義」(50%)などとなっています。多様な要因が複合的に関連しているものの、職場での人とのつながりが薄くなっていることと、職場の余裕がなくなっていることが、職場のいじめが蔓延する大きな原因となっているようです。

>パワハラ対策としての社内教育が急務、外からの視点を取り入れての会社風土の見直しも
今秋、パワハラ自殺が労災認定されたことを受けての質問には、パワハラ対策として「管理職研修を含む企業内教育」が有効との回答が9 割近くに上っています。
なお、産業カウンセラーは、企業との契約に基づいての派遣や、企業内の担当部署でなど、多様な形態で産業カウンセリングに従事していますが、自営業として企業との契約による業務を行っている産業カウンセラーのほうが、企業の従業員として業務を行っている産業カウンセラーよりも、「過重労働・働き過ぎの是正」および「企業文化のあり方の是正」が必要との回答が10 ポイント以上高く、企業外からの視点が、より事態を深刻にとらえていることがうかがえました。実情をより正確に把握できるという点で、企業外の視点を積極的に取り入れることが会社風土の問題点の洗い出しにつながります。

>「CSR(企業の社会的責任)」として人格無視のハラスメント防止の取り組み強化を
(社)日本産業カウンセラー協会の原康長専務理事は、結果を受けて次のようにコメントしました。
産業カウンセラーに対する今回のアンケートは、「職場のいじめ」の実態を浮き彫りにするため企業の現場で産業カウンセリング業務に携わっている人を対象に限定したという点で、実態をほぼ正確に反映しているといえる。
学校における子ども間のいじめが社会的問題となって久しいが、大人の社会(職場)で潜在的にいじめが進行していたという実態が、実は、子どもの社会にいじめが進んでいった背景となっていたのかもしれない。産業カウンセラーの目が見た大人社会の実態は、きわめて陰湿であるといわざるを得ない。
家族内で生じている昨今の悲惨な事件にも、共通の背景があるのではないだろうか。
人が協力し合って生きてゆく社会―人と人との協働が社会全体に求められているなか、社会的に大きな役割と責任を果たすべき企業においてこそ、人格を無視するようなハラスメントを根絶し、働く人が本当に大切にされる企業社会をつくり上げてゆくことが、いま、企業の責任者に求められているのではないか。CSR(企業の社会的責任)のもっとも重要な視点として企業が位置づけ、その取組みが進むように、私たちも専門的な立場から問題提起と支援する活動を強化していきたい。

ほとんど付け加えることはありません。

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労政審中間報告 on 派遣

25日に労政審の労働力需給制度部会が中間報告を取りまとめたんですが、まだ厚労省のHPにブツが載っていないので「紹介できないじゃないか」とブツブツいっていたら、JILPTが早速掲載してくれました。

http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/siryo/pdf/20071226a.pdf

要は、現時点で意見がまとまらないので先送りにします、ということなんですが、

>登録型の派遣労働、派遣受入れ期間、派遣労働者への雇用申込み義務、事前面接等の派遣労働者の特定を目的とする行為、紹介予定派遣、派遣元事業主・派遣先の講ずべき措置等の在り方については、労使それぞれ根本的な意見の相違があり、隔たりが大きい状況にある。

>このような意見の相違は、労働者派遣が原則自由であるべきと考えるのか、本来は限定的なものであるべきと考えるのかという基本的考え方の違いに起因するものであり、労働者派遣制度の根本的な検討を行うことなく、個別の制度の仕組みの議論を続けても、有意義な結論に到達することは困難であると考える。

>こうした状況を踏まえると、現時点では、登録型派遣の考え方等、労働者派遣制度の根幹に関わる問題については、厚生労働省に学識者からなる研究会を設け、労働者派遣制度の趣旨、登録型派遣の考え方、派遣先の責任の在り方、派遣労働者の処遇の在り方を踏まえつつ、当部会で出された検討課題等を中心に、幅広く、法的、制度的な考え方について整理を行うとともに、当部会としては、当該研究会の結果も十分に踏まえつつ、労働者派遣制度の在り方について、引き続き審議を深めていくべきである。

と、「労働者派遣」とはそもそもなんぞやという根本に立ち返った議論からやり直しましょうという話になっています。

これはまったく正しい判断だと思います。実のところ、22年前に派遣法ができるときには、とにかく派遣というのはケシカランのだけれども、現実に行われているところは仕方がないからという現状追認でポジティブリスト方式で導入し、そのため、派遣制度をどう構築するかという根っこの議論がぐらぐらしたままで22年間やってきてしまったという面があります。

しかも、当時の労働省は、当初はドイツ式に常用型派遣だけ認めて、登録型派遣は認めないという制度設計で考え、そのために使用者責任を大幅に派遣元会社に課して、派遣先はほとんど使用者責任を負わないという設計にしたにもかかわらず、やっぱり現実に登録型があるのに禁止できないからと、登録型も認めてしまい、そのため現実と乖離した制度運用になってきたという面もあります。

世界的に見ても、特定の業務にしか派遣を認めないというやり方は正当性がないのですから、いまさら99年改正の前に戻せといっても無駄な話で、原則的にはどんな業務でも派遣でやってよいということを前提にした、それでもあまり弊害が出ないような制度設計はいかなるものなのかという観点から、根本的に再検討する必要性があるわけです。

もっとも、最後のところに

>日雇い派遣、派遣元事業主の情報公開及び効果的な監督指導の実施については、一定程度労使の意見の一致が得られているが、これらのうち、早急に対処すべきものについては、現行法制下における労働者保護の仕組みがより適切に機能するよう、必要な省令、指針の整備について、当部会において速やかに検討を行うべきである。

と書かれていて、例の派遣元のマージン率の公開と日雇い派遣の規制は省令指針レベルで対応するということのようです。

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JILPT存続

玄田有史先生のブログで、「JILPTの存続を求める研究者の会 ご賛同いただいたみなさまへのご報告」が掲載されています。

http://www.genda-radio.com/2007/12/jilpt_1.html

>12月24日午前に行われた閣議において、独立行政法人の見直しのなか、労働政策研究・研修機構(JILPT)については廃止および統合をいずれも行わず、存続が決定された模様です。

9月末以降、突然、JILPTの廃止が報道されて以来、多くの懸念を抱きながら独法見直しの動きを注視してきました。そのなかで、11月初旬、JILPTの廃止がきわめて現実味を帯びているという情勢にあることを知りました。同時に、その存在の社会的意義が十分に理解および議論がなされないまま、財政支出削減の名のもと、廃止計画だけが既定事実の如く進行している状況に、強い危機感を持ちました。

そこで、最終的に54名の労働研究者の方々に、呼びかけ人として参加いただき、JILPTの存続を求める研究者の会を独自に立ち上げ、要望文を作成いたしました。要望に対し、賛同を広くお願いしたところ、日本内外の多くの方々から、賛意の署名をいただくことができました。

要望文は、賛同の署名リストを添え、首相、官房長官、官房副長官、厚生労働大臣、行政改革担当大臣、政府行革本部等の他、自民党行政改革推進本部関係の有力議員、行政減量・効率化有識者会議の有識者、専門委員の方々等にお送り致しました。要望については厚生労働省の記者クラブにおいて記者会見も行いました。

呼びかけ人の方のなかには、新聞や雑誌等に、JILPTが存続すべき理由について、ご寄稿いただいた方も複数いらっしゃいました。また直接、行革大臣を含む関係者に、要望の趣旨を直接もしくはメール等でご説明いただいた方も、いらっしゃいました。

嬉しいことに、会事務局のもとには、これらの働きかけがJILPTの存続決定に少なからず効果があったとの情報を得ておりました。実際、厚生労働大臣は、折衝の場で、学者や研究者等から強い要望が届いているということを、折に触れて説明されていたようです。

これらもひとえに存続要望に呼びかけ人および署名者としてご賛同いただいた皆様のご協力の賜物と考えます。

賛同署名は、12月24日現在、日本内外から749名の方々から頂戴しました。署名に付されたJILPTの改善提案については、責任をもってJILPTの理事長および執行部に伝えます。

皆様から寄せられた期待を受けて、JILPTが今後、労働研究の公器として、発展していくことを願ってやみません。

一方で、歴史ある研究機関である、国立国語研究所の他機関への移管が決定されるなど、研究そのものの社会的意義に対する認識には、深刻な財政状況のなか、依然として厳しい環境が予想されます。

その意味でも、労働研究の公的機関の今後のあり方をこれからも見守り続けることが必要に思います。

改めまして、今回のご協力、ありがとうございました。

JILPTの存続を求める研究者の会・事務局
仁田 道夫・玄田 有史

まあ、世の中には事実無根の誹謗中傷をまき散らすことを使命と心得る人々が少なからざる数いるものであるということは最近のいろいろな現象からも思い知らされることではありますが、JILPTのような労働専門機関に対してのみ異常な執念でもって攻撃をする人々が、この労働社会問題が国政の最重要課題となりつつある時期に一部マスコミで妙にもてはやされたという事実を、私たちは深刻に受け止めるべきなのだろうと考えます。

前にもちょっと書いたことですが、労働問題というのは何よりも仕事の現場で働く人々の問題であり、その人々に届くような言葉が発信されなければならないのだと思います。

もちろん、独立行政法人労働政策研究・研修機構法にはその目的として、「内外の労働に関する事情及び労働政策についての総合的な調査及び研究等並びにその成果の普及を行う」ことが掲げられていますし、現にメールマガジンをはじめとしてその「成果の普及」にも力を入れているのですが、いささか「研究」のレベルの高さに引きずられすぎていないかという反省も必要ではないでしょうか。

JILPTの前身の日本労働協会のときには、「労働問題に関する研究及び資料の整備を行うこと」のほかに、「労働問題に関する講座を開設すること」「労働組合、使用者団体等の行う労働教育活動に対して援助を行うこと」が業務として明記されていました。

「労働教育」という言葉が死語となって久しい(ウィキペディアにも登場しません)今日ですが、高度な研究成果よりも労働法や労使関係の基本的な知識を働く人々に伝えるという使命も、時代がぐるりと大きく回転して、だんだん高まってきているように思われます。

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資本主義と熟練

「最低賃金引上げは悪くない」というエントリーに大坂先生が興味深いコメントをされていますので、エントリーを改めて論じてみたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7d29.html

資本主義というのは大変ダイナミックなものであって、常に既存の熟練を解体しながら新たな熟練を創り出していくものと捉えるべきではないかと思います。

既存の熟練が解体するところだけ見ていると、複雑労働力生産が消えていくという風に見えるのですが、そう単純なものではないのではないか。

むしろ、純粋資本主義の時代とか単純労働力生産の時代とされる典型的な産業革命の時代というのは、重工業系の現実の生産活動の現場は職人的労働者による請負生産がなお主流の時代であって、女子年少者に代表される軽工業系の単純労務がこれと併存していたと見るべきではないか。

重工業化による複雑労働力生産への移行というのは、当該分野においては経営者が口を挟めない間接管理による請負生産が直接管理による生産に移行していくことであり、生産技能が親方の手から工場主の手に移っていくことであり、つまり単純であれ複雑であれ、労働力生産そのものが資本によって包摂されていくプロセスであったというべきではないか。

したがって、これは熟練のメタモルフォーズであり、熟練形成を可能にする一定の仕事共同体が資本や工場といった枠組みとはまったく別個に労働者集団の共同性の上に成立し得た時代から、現実に仕事を一緒に行う資本や工場の職場共同体として成立するようになる時代への転換と見るべきではないか。

現在、情報産業化によって進みつつある労働力生産のメタモルフォーズをどう捉えるかについても、基本的には熟練形成の中味や在り方の変容と捉えるべきであって、複雑労働力生産が単純労働力生産に移行していくという風には捉えない方がいいのではないか。

という風に、まあおおざっぱに言うと考えております。

で、これと正規雇用、非正規雇用の議論をどう接合するかなんですが、まず複雑労働力生産には一定の熟成期間が必要であり、促成栽培で粗製濫造できるものではないという点については、熟練の中味が変わってもそれが熟練である限りは変わらないのではないでしょうか。その意味で、人生前半期におけるある程度安定した形での教育訓練期の必要性にはそれほど変化はないように思われます。それを最低限の「正規雇用」性と呼ぶならば、それは今後とも求められる要件であろうと思います。

ただ、その熟練形成が20世紀システムにおけると同様、職場共同体という形を必ずとらなければならないかについては、必ずしもそうではない可能性が高まるであろうと思います。つまり、情報産業時代においては、あちこちの職場を渡り歩きながら熟練形成していくという19世紀的な職人モデルも一定の存在意義を有するようになる可能性があると思います。ただ、19世紀的な職人モデルは、親方の支配する「組」というメンバーシップの中に包摂された形で、それがなされたわけであって、市民法が前提とするばらばらの個人が契約自由原則で市場取引を行っていたわけではないのと同様、新たな職人モデルも職場を超えた何らかのメンバーシップに包摂された形でなければ、安定した熟練形成システムにはならないでしょう。

そういうモデルのプロトタイプとしては、例えば常用型派遣のようなものが考えられるのかも知れません。派遣元企業の正規労働者として常用雇用されながら、様々な職場を遍歴して技能を磨いていくという仕組みは、熟練の性格によっては、私はむしろ望ましいものである可能性が高いと思っています。

私は、ベッカーが云うような企業特殊的人的資本形成の相対的地位が今後下がっていくことはあり得るのだろうと思っています。ただ、企業特殊的であれ普遍的であれ、生身の人間が技能形成プロセスを適切に遂行していくためには、その間社会的に安定した地位の確保が必要であることは変わりはないのであり、今日若年非正規労働問題が提起している問題は、まさにその問題であるはずだと思うのです。

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雇用政策研究会報告

今日は、サンタさんのクリスマスプレゼントがてんこ盛りで、なかなか読んでいくだけで大変です。厚生労働省からは、雇用政策研究会報告が出されました。正式には「すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会の実現」~本格的な人口減少への対応~です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/12/dl/h1225-3a.pdf

内容的には、以前

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_bcd0.html

で紹介した報告案とあまり変わっていないようです。

「すべての人々が能力を発揮し、安心して働き、安定した生活ができる社会」というのは、一見大したことのない平凡な役人的標語のように見えますが、よくよく噛みしめると実に味わいのある言葉です。

すべての人々が「安定した生活」ができるようにしなければなりませんが、それは決して福祉給付に頼って何とか生きていけるというものであってはならない、「安心して働」いて、その結果として給与を稼いで、それによって「安定した生活」ができるのでなければならないと云うこと、つまりメイク・ワーク・ペイという思想が明確にここには示されています。

そして、その「安心して働」くということは、その人の「能力を発揮し」た働き方でなければならないということ、逆から言えば、仕事というのはその人の能力が発揮できるようなものでなければならないということ、ひいては、仕事を通じてその人の能力が高められていくような、そういうキャリア形成が可能な仕事でなければならないということが、ここには示されているわけです。

この研究会の委員は、座長の樋口美雄先生を始め、まさに日本の労働経済学を代表する立派な方々ばかりで、さりげない表現の端々に噛みしめると味のある表現がいっぱいです。

阿 部 正 浩 獨協大学経済学部准教授
小 塩 隆 士 神戸大学経済学部経済学研究科教授
加 藤 久 和 明治大学政治経済学部教授
黒 澤 昌 子 政策研究大学院大学教授
玄 田 有 史 東京大学社会科学研究所教授
小 杉 礼 子 労働政策研究・研修機構統括研究員
佐 藤 博 樹 東京大学社会科学研究所教授
白 木 三 秀 早稲田大学政治経済学部教授
諏 訪 康 雄 法政大学大学院政策科学研究科教授
清 家 篤   慶應義塾大学商学部教授
鶴 光 太 郎 経済産業研究所上席研究員
樋 口 美 雄 慶應義塾大学商学部教授
森 永 卓 郎 獨協大学経済学部教授
山 川 隆 一 慶應義塾大学大学院法務研究科教授

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規制改革会議第2次答申

さて、本日規制改革会議が第2次答申を出しました。今度は、ちゃんと「労働分野」も入っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/1225/item071225_02.pdf

今度は、労働分野は「機会均等の実現」という大項目の中に並んでいます。冒頭部分は、いかにこの「機会の均等」が大事であるかを縷々述べています。

>では、格差社会の論点は何か。「格差」は、「公正」や「正義」など価値判断や主観に依存する概念と密接な関係があるため、格差の是正には、さまざまな対策がありうる。法的な意味での格差は、憲法十四条の「法の下の平等」や二五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」としての「生存権」に関係する。「平等」には、「機会の平等」と「結果の平等」の二つの概念が含まれる。前者はすべての国民に平等なチャンスが与えられることであり、後者は国民の能力や成果にこだわらず同じ結果が与えられることであるが、これには注意が必要である。「結果の平等」を重視しすぎると、懸命に働いても働かなくても、また成果の大小にかかわらず同水準の生活が保障されるため、勤労インセンティブの低下、自己研鑽投資の減少、技術やアイディアにおける創造性を発揮しようする意欲の減退といった副作用をもたらす。むしろ、「機会の平等」のもと、がんばっている人が報われる社会になっていなければ、個々人の能力は十分発揮されなくなり、社会全体が豊かになるチャンスは失われる。無論、機会の平等だけを貫くことは一部の階層にとっては、耐え難い「格差」を放置することになり、社会の安定が損なわれ、場合により犯罪などの社会コストを増大させることから政府が一定のセーフティネットを社会に備えておくことは必要である。

最後のところでバランスをとっているのですが、その「一定のセーフティネット」が生活保護のようにただお金を配るというものではかえって社会にモラルハザードをもたらすというパラドックス、そこまでいかずに労働の世界にいるものにこそある程度の結果の平等(というかそれより下には落ちないという最低水準)を保障することで社会全体の健全さが維持されうるというパラドックスにあと一歩のところで気がついていただきたかったという感があります。

「暴走」として批判を浴びた例の一節も、基本的にはそのまま残っています。

>一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めるほど、労働者の保護が図られるという安易な考え方は正しくない。場合によっては、既に権利を持っている人は幸せになるが、今後そのような権利が与えられにくくなるため、これまでよりも不幸になる人が出てくることにも注意が必要である。無配慮に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、同時に中小企業経営を破綻に追い込み、結果として雇用機会を喪失することになる。過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果になるなどの副作用を生じる可能性もある。正規社員の解雇を厳しく規制することは、労働者の使用者に対する「発言」の担保になるどころか、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く。一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする。

ただ、さすがに批判を受けて表現を少し付け足したところもあります。

>長時間労働に問題があるからといって、画一的に労働時間の上限を規制することは、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる。長時間労働による疾病等を防ぐための労働基準法上の労働時間規制は当然必要だが、これをいわゆるワークライフバランスの観点から設定される労働時間規制とは区別して議論する必要がある。

どこにどういう問題があるか、そしてその問題に対しては規制緩和ではなく規制強化こそが必要であるという点についてはある程度ご理解が進んだようです。

また、

>また、解雇規制の緩和をめぐって、外部労働市場を十分に整備することで「退出」さえ確保されれば良いとの考えは誤りとする声もあるが、転職が容易となることで労働条件が改善され、結果として転職する必要がなくなる側面があることを見落としてはならない。

もちろん、その点、つまりハーシュマンが『方法としての自己破壊』の中で東ドイツを例に挙げて述べた、「退出」の確保が「発言」を可能にする、という面を見落としてはなりません。私もその点は繰り返し述べております。しかし、その両者は「声もあるが」という逆接の接続助詞でつながなければならないものではないのではないでしょうか。「退出」は自由にできるが「発言」はできないような組織は、やはり不健全だと思いますよ。そして、「発言」を保障するための一定限度の身分保障というのは、いかなる組織においてもやはり必要となるのです。それが過度の既得権に転化しているかどうかが問題なのではないでしょうか。

このあとのところで、法と経済学の有用性を力説しています。

>労働政策を議論する上で、留意しなければならないのが「法と経済学」の視点である。「法と経済学」とは、法や判例が社会経済的に及ぼす影響を客観的に分析する学問分野であるが、これにより、法解釈に対しても立法論に対しても、新たな知見を付与することができる。

私もまったくその通りだと思います。ただ、「法と経済学」にもいろいろと流派があるようで、福井秀夫先生の法と経済学が唯一絶対というわけではないでしょう。この辺は、来年2/3月号に経掲載予定の日本労働研究雑誌の学界展望で喋ったことですが、もっと様々な法と経済学のアプローチが妍を競うようになることが望ましいと思います。

各論として、解雇権濫用法理の見直し、労働者派遣法の見直し、労働政策の立案について、の3つが挙げられています。私も見直しが必要だと思う点では人後に落ちないつもりですが、具体的な記述はいささか全て緩和せよという方向に偏り、こういう方向に新たな規制を強化すべきではないかというご提案が乏しいのが難点のように思われます。

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野川忍先生の労働法教科書

野川忍先生から、大著『労働法』と『わかりやすい労働契約法』をお送りいただきました。有り難うございます。

1491 1497

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1491.html

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1497.html

まず注目は版元です。商事法務といえば、文字通り会社法を中心とする商事法務関係の雑誌や書籍を出しているところですが、そこからこういう堂々とした労働法の教科書が出されるようになったということは、労働を抜きにして会社を論ずることはできなくなりつつあるという時代認識の現れと見ることもできるかも知れません。

もちろん、ヨーロッパ諸国では会社法の中に労働者参加の規定があることからもわかるように、そもそも会社法と労働法は不可分の関係にあるわけですが、近年の日本では労働者のことを棚に上げてコーポレートガバナンスを論じて何の疑問も持たないという傾向も見られることを考えると、少しは効果があるかも知れません。

それから、構成としては、総論が大変充実しています。普通、総論は冒頭でごく簡単に、というのが一般的な教科書のパターンですが、本書は、

>主要目次
《総論》
■労働法の基本的な原理
労働法の原理 「労働契約」の意義--労働基準法の規整 雇用契約と労働契約の関係--労働契約法から雇用契約法へ
■労働法の歩みと憲法規定
労働法制の成立と展開(日本と外国) 労働法と憲法規定
■労働法とグローバルな視座
アメリカの労働法 ドイツの労働法 EU・英仏その他の国々の労働法 国際労働関係法

《各論》
■個別的労働関係法
労働憲章と雇入れ時の法規制 雇用における男女平等の法理 就業規則の役割 雇用関係の成立と法規制--採用内定・試用期間 人事権の意義と限界 配転・出向・転籍の法理 安全衛生と労災補償 賃金の法規制 賞与・退職金・賃金制度の変貌 労働時間の法的意義と基本構造 弾力的労働時間制と休憩・休日 時間外・休日労働と年次有給休暇 服務規律と懲戒 労働契約の終了
■団体的労使関係法
労働組合の法的意義と機能 団体交渉と労使協議制 労働協約の法的構造 団体行動の法理 不当労働行為救済制度
■日本の雇用政策
雇用のための法的サポート 特別な対象者に対する雇用促進政策
■労働法の現代的課題
非正規労働者--期間雇用、パート・派遣 職業生活と家庭生活の調和 企業法務のなかの労働法 企業変動のなかの労働関係 労働条件変更の法理 労働紛争解決システム 公務員と船員

というふうに、歴史的なところと国際比較的なところが大変詳しく書かれています。激変の時代であるからこそ、時間軸と空間軸で広く視野をとって、物事を見ていく必要が高まるわけですが、まさにそれに対応した3412910_2構成だと思います。それから、その歴史のところですが、いくつもの参考書が本の表紙の写真付きで掲げられています。こんな具合です。

  3311710_2 3310910 3810010 3313510

どれも岩波文庫ですが、それはこういう労働問題の古典をちゃんと収録している文庫が岩波だけだと云うことですね。

また、外国法について、アメリカとドイツだけ特別扱いで、あとはEU、フランス、イギリスその他をひとまとめというのはいささか・・・。

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地獄への道をグッドウィルで敷き詰めて

さて、三連休の間に日雇い派遣の大手グッドウィルをめぐっていろいろ動きがあったようです。

>グッドウィル事業停止へ 各地で違法派遣 厚労省処分

http://www.asahi.com/job/news/TKY200712210395.html

>厚生労働省は日雇い派遣大手のグッドウィル(東京都港区)に対し、事業停止命令を出す方針を固めた。禁じられた港湾荷役業務への派遣などの法令違反が複数確認されており、約800カ所の全事業所が対象となる見通し。事業停止期間も数カ月と、大手派遣会社への処分では最長となる可能性がある。

>グッドウィル違法派遣、最長4カ月の事業停止へ

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220142.html

>グッドウィル・グループは22日、子会社で日雇い派遣大手のグッドウィルが労働者派遣法違反で最長4カ月におよぶ事業停止命令の処分を通知されていることを明らかにした。東京労働局が今月19日付で通知し、来年1月8日を期限に同社から弁明を受けた上で、正式に決める。グッドウィル側は基本的に争わず処分を受け入れる方針。

>グッドウィル処分で広がる雇用不安 経営先行きも不透明

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200712220223.html

>日雇い派遣大手のグッドウィルの全事業所737カ所に、2~4カ月間の事業停止命令が出されることが確実となった。1日3万人とも言われる現場の派遣スタッフには、年明けから収入が途絶える不安が広がる。派遣事業に集中することで経営再建を目指していた親会社グッドウィル・グループの先行きも不透明になった。

>グッドウィルの派遣スタッフでつくる労働組合グッドウィルユニオンは22日、「事業停止で仕事がなくなれば、寝るところや食べるものさえ奪われかねない」と、生活保障の必要性を訴える声明を出した。

>グッドウィル 4都県で3万人を違法派遣

http://www.asahi.com/life/update/1223/TKY200712230150.html

>グッドウィルの折口氏、代表権返上へ 会長職は続投

http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200712220260.html

>グッドウィルは違法派遣で事業停止を嫌いストップ安売り気配

http://www.asahi.com/business/toyo/kabuto/TKZ200712250008.html

会社名のとおり、地獄への道をまっしぐらというところでしょうか。

以前の大阪労働局、今の東京労働局と、ここのところ違法派遣に対する摘発の手が鋭いですね。

派遣労働者の生活のために、出すべき事業停止命令を出さないというわけにはいきませんが、雇用保険の上でどういう対応ができるかは考えなければならないでしょう。

今日の新聞では、

>派遣法改正、結論見送りを提言 労政審が中間報告案

http://www.asahi.com/life/update/1224/TKY200712240149.html

>労働者派遣法の見直しを検討している厚生労働省の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会の中間報告案が24日、明らかになった。登録型派遣の是非など労使の隔たりが大きい論点は結論を先送りし、学識経験者による研究会を新設して審議を続けることを提言。一方で、違法行為が相次ぐ日雇い派遣などについては、規制強化に必要な省令や指針の整備を急ぐことを求めており、厚労省は年明けから具体的な内容を詰める方針だ。

 25日に開く部会で公益委員が提案し、労使代表も了承する見通し。これを受け、厚労省は08年の通常国会に派遣法改正案を提出することを正式に断念。09年の提出を目指し、新設する研究会で審議を続ける方針だ。

 中間報告案では、労働者派遣を「原則自由」とする使用者側と、「限定的なもの」と考える労働者側とでは「根本的な意見の相違がある」と指摘。「議論を続けても有意義な結論に到達することは困難」と断言した。

 また、日雇い派遣に対する規制強化や派遣元の情報公開の促進については「一定程度労使の意見の一致が得られている」と明記。現行法に基づく省令や指針の整備を急ぐよう提案している。

と、派遣法の見直しは先送りになったことを報じていますが、「日雇い派遣の規制強化」はいいのですが、現実に日雇い派遣で働いている人々をどう救済するのかという視点ももちろん必要です。

この日雇い派遣については、先日の雨宮さんとの対談でも話題になりまして、紙面に出る部分には入っていないのですが、期間の定めなきオンコールワークと捉えることはできないのだろうか、ということを云ってみました。オンコールワークというのは、予め労働日や労働時間が決まっていなくて、呼び出しがあれば働くという就労形態ですが、呼び出されていない間も雇用関係にはあるというものです。ただ、日本では労働基準法によってそういうのは認められていません。これが認められていないから逆に日雇いで雇い入れの都度「明日の朝7時から」と定めるという形になるわけですが、これを認めると日雇い派遣の人にとっては保護の拡大になります。ただ、そうすると日雇いでない人がお前はオンコールワークだから、「呼び出しがあれば出てこい」だとされてしまう危険性があり、そう簡単に踏み切れないわけです。正直のところ、私も懐疑的なのですが、例えば週30時間以上保障といった条件を付けて認める道はないのかな、という気もしています。

いずれにしても、このあたりはなかなか難しい問題がてんこ盛りです。

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松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」

松尾匡さんがご自分のHPで、私の10月末のエントリー

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html

に対して、厖大かつ内容の濃いコメントを書いてくださっています。

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_71225.html

高度成長期から現代に至る歴史解釈については、ほぼ同感です。わたしが「リベサヨ」の「リベ」という曖昧な言葉で表していたものを、松尾さんは「アイデンティティの政治」という明晰な概念で析出しています。そして、赤木現象の背後にある国内政治における被差別者の富裕化と「アイデンティティ上の強者」の弱者化とパラレルに、被侵略国中国の(一部の)富裕化と侵略国日本の(一部の)貧困化が対外右翼化現象を生んでいると、これまた明晰な分析をされています。

松尾さんは、私に「本来は社会主義的心情に通じる右翼の方がマシというような、一種のシンパシーを感じとってしまうのであるが、それは絶対にまずい」と云われていて、ここはどうコメントするか悩ましいところですね。こういうもの言いは確かにしていまして、それはもっぱらリベサヨさんのツラをひっぱたく効果を考えてわざと云ってる面があるのですが、誤解を招くぞを云われれば確かにその通り。

ただ、歴史的事実として、日中戦争期に、日本の労働者にとって「希望は戦争」であったという事実ときちんと向かい合わないとどうしようもないよ、と。そして、これは諸刃の刃という面はありますが、人間はなにがしかのアイデンティティなしにはいきられない生き物ですから、より有害さの少ない非攻撃的なアイデンティティの枠組みを提供することも必要でしょうね、という面もあります。

最後のところの「現代資本主義による利害の共通化」というのが松尾さんの真骨頂であり、ほんとにそうかね?と茶々を入れたくなるところでもあるわけですが、

>少数の貧困層だけが利害を叫んでも力にはならない、そうではなくて多くの幅広い層の労働者がそれぞれ自己の暮らしの利害を追求しながら、なおかつそのためにこそ団結

しなければならない、という点はまったく同感です。松尾さんはそれを、

>できるようになったのは、今述べたとおり、まさに現代資本主義のおかげだったということである

と、かつての歴史の発展法則至上主義的な云われ方をされるので、「歴史に「たら・れば」はある」といういささか主意主義的傾向のある私としては、なかなか同感しがたいところではあるんですが。

まあ、これは、非管理職の正社員だけでは組合は多数派になれないという事態を受けた労働組合の行動を、主意主義的に捉えるか客観主義的に捉えるかという違いに過ぎないのかも知れませんが。

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2008春の欧州理事会への欧州委文書

来年春の欧州サミットに提出される欧州委員会の報告書「成長と雇用に向けたさらなるリスボン戦略:新たなサイクルを打ち出す(2008-2010)」が出ました。

http://register.consilium.europa.eu/pdf/en/07/st16/st16714.en07.pdf

この中の、「人々に投資し、労働市場を現代化する」というところをちょっと眺めてみましょう。

>'Flexicurity' strikes a balance between flexibility and security on the labour market. It aims at ensuring that all citizens can enjoy a high level of employment security i.e. that they can easily find a good job at every stage of their active life. It helps employees and employers alike to seize the opportunities globalisation offers. After the agreement reached between the social partners, the European Council is invited to endorse the Commission's proposal forcommon principles on 'flexicurity'. Member States should now implement them, tailoring them to their own specific situations.

雇用のフレクシビリティとセキュリティを組み合わせたフレクシキュリティがまず前面に出ています。

次は貧困と社会的排除問題。

>Reinforced efforts to fight poverty and social exclusion and integrate people at the margins, in particular through active inclusion policies, are crucial. Reducing poverty is at the heart of the renewed Lisbon Strategy through its emphasis on growth and jobs and implementing measures which invest in people's capacities, provide equal opportunities, adequate social protection and the provision of good quality jobs. Support for low-skilled workers, migrants and disabled people needs to be reinforced, notably by fostering skills development.

貧困削減こそがリスボン戦略の中心であるが、それは何よりも成長と雇用、そして能力開発、機会均等、社会保護、質のいい仕事を提供することによってであるということです。何回も繰り返されて、このブログの長年の読者にとっては耳タコかもしれませんが、池田氏のところから最近飛んできた方もおられるようなので、あらためてこれがまともな先進国の政策の流れであるということを確認しておきましょう。

>Investing more in education and skills throughout people's lives is not only critical to Europe's success in the age of globalisation, it is also one of the most effective ways to fight inequality and poverty.

不平等や貧困を解決する道は何よりも生涯を通じた教育と技能への投資にある、と。

>Ensuring that qualifications learnt on the jobs are recognised across Europe will greatly increase the incentives for people to go on acquiring new skills throughout their working
lives.

仕事を通じて得た職業資格を欧州全域で通用するようにする、これはEUだからですが、日本の文脈に置き換えれば、ある企業の中で獲得した技能を他の企業でも通用するようにしようという、ジョブカードみたいな話になるわけです。

>Skills development and life-long learning support 'flexicurity' policies by enhancing flexibility, employment security and mobility between jobs.

そうやって技能開発、生涯学習を進めることが、最初に戻ってフレクシキュリティを支えることになる、と。

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雨宮処凜さんについて

先日対談した雨宮処凜さんについてオーマイニュースでこういう批判が書かれているようです。

http://www.ohmynews.co.jp/news/20071220/18764

>雨宮処凛の「転向」が批判されない理由

>いまでこそ「プレカリアートのマリア」だとか「ワープアのミューズ」だとか「ネットカフェ難民の女神」だとか呼称され、停滞気味だった左派の救世主的存在になっているけれども、以前は、維新赤誠塾なる民族派パンクバンドをやっていたバリバリの右翼だった。

 つまり、転向者なのだ。

 よくある左から右へ、ではなく、右から左へ、ではあるが、転向は転向だ。一昔前なら、「転向」といえば、物書き生命を左右しかねないほどの重大問題だったはずだが、こと雨宮に関しては、そのことであまり批判を受けていないようだ。なぜなのだろう?

私は、右翼時代の雨宮さんについては全然知らないのですが、この批評者が使っている「右翼」「左翼」という言葉が一次元的すぎてものごとを適確につかまえられていないだけなのではないかと思います。

雨宮さんが「右翼」だったといっても、それは別に、労働者をみんなフリーターにして権利を剥奪してしまえば世の中は住みよくなるなどとほざいていたわけではないでしょう。

格差のどこが悪い、貧乏人は飢えて死ねばいいじゃん、とうそぶいていたわけではないでしょう。

そういうネオリベ右翼では全然なかったはずです。

むしろ、彼女が右翼に入ったきっかけは、

http://www.magazine9.jp/interv/karin/index.html

>それと、「こんな何もない世の中、戦争くらい起こってくれないともう生きていられない」みたいな思いがすごくあって。戦争じゃなくてもいいんだけど、とにかく何か大きいことが起こってめちゃくちゃになってほしいと。

>そんなときに、知り合いに右翼団体の集会に連れて行かれたんですよ。そこで「こんな物質主義と拝金主義の社会は間違っている、こんな社会で生きていきやすいほうが狂っている」みたいなことを言われて、ガツンと衝撃を受けた。それで入会を決めたんです。その意味ではオウムでも右翼でも、どっちでもよかったのかもしれません。

ということのようですから、まことにソーシャルな志向ではあったようで、その意味では全然転向はしていないんですね。

昭和初期についてこのブログで何回も書いてきたように、リベラルな左翼が役に立たなければ、労働者はソーシャルな右翼に頼るしかないのは自然なことであって。

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規制改革会議も半分いいことを云う

規制改革会議のHPに、「学習指導要領に関するアンケート調査」が載っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/publication/2007/1211/item071211_01.pdf

>○文部科学省は、現在、学習指導要領改訂に関する検討を進めており、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(教育課程部会)は、平成19年11月7日付で、これまでの学習指導要領改訂に関する審議を「審議のまとめ」として取りまとめ、公表しました。
○「審議のまとめ」では、高等学校における「地理歴史」において「世界史のみ」を必修科目とする取り扱い(日本史及び地理は選択科目)が現行のまま継続されることとなりました。
○「審議のまとめ」では、「小・中学校において日本史や日本及び世界の地理の学習が行われているという現状を踏まえると、高等学校における現行の必履修科目の定めは一定の合理性がある」と説明されています。
○他方、「義務教育である小・中学校において日本史に加えて義務教育課程に相応しい内容の世界史を学習した上で、高等学校の地理歴史については世界史、日本史及び地理の中から選択できるようにすることが合理的である」との意見もあります。
○本件に関して、広く国民の皆様のご意見をお伺いしたいことから、本アンケートを実施したものです。

つまり、世界史「だけ」必修という規制はおかしいじゃないか、ということですね。

その点については(「激しく」ではありませんが)一定程度同意します。

ただ、何でも選択に任せればいいというものではないでしょう。

日本史にせよ、世界史にせよ、現代社会を理解するために必要な少なくとも近現代史部分くらいは、必修にしておくべきだと思いますよ。多くの生徒が社会に出て行って、就労するようになったときに、ものごとを考える上で必要な歴史知識というのは、大体その範囲にあることが多いですから。

そして、何よりも政治経済って科目が重要なんじゃないでしょうかね。それも、マクロ経済がどうとかこうとかよりも、社会に出た生徒たちが自分の知識で社会を泳ぎわたっていけるように、ミクロな社会システムに関する適切な知識を教えておくことが必要不可欠だと思います。

この辺が、例の「労働教育」という話題につながってくるわけです。先日の雨宮さんとの対談でも最後のところでこの話になりましたが、労働法や労使関係に関する基本的な知識は、中学や高校で必修にすべきだと思いますよ。この点については、私は規制強化派です。

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池田信夫症候群-事実への軽侮

池田氏やイナゴさんたちの書き込みを読んでいると、彼らには共通して「事実への軽侮」という特徴があるように思われます。

労働問題であれ、何であれ、およそ社会に生起する現象について論じようとするときに、最も重要なことはそれが事実に立脚しているという点であるはずです。

事実に立脚しない、つまりそれが事実ではないのではないかと指摘されても何ら反論できないような虚構の上に百万言を費やして壮大な理論を構築しても、それはテツガク作品としては意味を持つこともないとは言えませんが、少なくとも社会を対象とする学問としては無価値であるといわざるを得ないでしょう。

今回の池田氏の行動は、自分から、私の論文中の独自の意見にわたるところではなく、労働問題を知っている人間にとっては常識に類する程度の前提的な部分にのみ噛み付いて、罵倒した挙げ句、間違いを指摘されると何ら反論もせずに人格攻撃のみを繰り返している点に、最大の問題があるわけです。

(労働時間から偽装請負から派遣から解雇規制に至るまで、論点はてんこ盛りにしておいたはずなんですが、そういうところには噛み付けないんですね。)

おまけに、小野旭先生(私も何回もいろいろ教えていただいた労働経済学の大家ですが)が云ってもいないことを云ったとでまかせを並べて、小野先生に対して「そんなとんでもない莫迦なことを云う人物なのか」と誤解されかねない事態を招いた点、私を天下りと罵るのは自由ですが、小野先生を池田一派であるかの如くでっち上げたという点では、これはほとんど名誉毀損と云うべきでしょう。

まあ、しかし、池田氏やそのイナゴたちにとっては、そんな「事実」などはどうでもいいのでしょう。

事実への軽侮。

これが彼らを特徴づけるもっとも重要な思考行動様式であるように思われます。

(追記)

私はここ4年間、東大の公共政策大学院で労働法政策を講義していますが、その冒頭で、「職工事情」と「資本論」を読むと日本とイギリスの原生的労働関係の実情がよく判りますよ、といっています。

え?資本論?

そうです。ただし、労働価値説とか何とか難しい理屈を並べたところはスルーしてよし。読んでもよくわからんだろうし実を云えば私もよく判らん(笑)。

しかし、資本論第1巻には、厖大なイギリス政府の工場監督官報告が引用され、分量的には半分近くを占めています。これが大変役に立つ。マルクス先生がこうやってダイジェストを作ってくれていなかったら、大英博物館にこもって調べなければならなかったものが、文庫本で手軽に読めるのですから有り難いことです。

マルクス先生の理論は100年経って古びても、彼がダイジェストしてくれた工場監督官報告はいつまでも役に立ちます。

池田氏の「学術博士」論文は、”IT革命のお陰で日本的経営は古くなった”という10年前にマスコミで流行した「理論」をもっともらしく飾り立てた代物のようですが、そういう議論は10年で古びていますが、古びたあとに残る事実の重みがかけらでもあるのでしょうか。

事実を軽侮する者は、ピンの先で天使が踊る議論が崩壊した後に何ものをも残すことはないのです。

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池田信夫氏の3法則

いうまでもなく、私の『世界』論文にいきなり噛み付いてきたのは池田信夫氏です。

>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

<日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。>

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。

労働問題を専門にしている以上、その誤りを指摘するのは当然の義務でしょう。それが

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html

であったわけですが、現在までの所、池田氏は上で彼が断言した内容について一切触れていません。その代わりに、

>彼の記事には「戦前や戦後のある時期に至るまでは」と書いてあるんだけど、「~時期に至るまでは」という言葉には、明治時代は含まれないんですかね。彼は、もしかして日本語もできないのかな。

という罵倒でごまかしているだけです。これで、まともな人が納得するとでも思っているのでしょうか。彼は、昭和初期を含む「戦前や戦後のある時期まで」に「臨時工がかわいそうな存在であった」ということを否定したのですよ。ましてや、小野旭先生の立派な本にホントにそんなことが書いてあるのかという問いは無視。そして彼のブログは、もっぱら役人や労働組合に対する罵倒で埋め尽くされる。

ここから、池田信夫氏の議論の仕方について、3つの法則を導き出すことができるように思われます。

池田信夫氏の第1法則:池田信夫氏が自信たっぷり断言していることは、何の根拠もない虚構である蓋然性が高い。

もし根拠のあることをいっているのであれば、批判されればすぐにその中身そのもので反論できるはずでしょう。できないということは、第1法則が成り立っているということですね。

池田信夫氏の第2法則:池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。

もしそういう記述があるのであれば、何頁にあるとすぐに答えればいいことですからね。

池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い

ここのところ、池田信夫氏があちこちで起こしてきたトラブルにこの3法則を当てはめれば、いろいろなことがよく理解できるように思われます。

まあ、いずれにしても、現実社会でまっとうに、真摯に生きている多くの人々の生き方を、薄ら笑いを浮かべてあざ笑い、どんな「研究」で得た学術博士か知りませんが、博士号に立てこもって人を攻撃することのみに専念するこのような人物に、学問的誠実性のかけらもないことだけは確かなようです。

私は、現実社会に生きる人々の側に立ちます。労働する人々の側に立ちます。そのために乏しいとはいえ労働問題に関する学問的知見を活用したいと考えています。それが私の学問的誠実性です。

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ラヴァル事件判決各紙報道

さて、ラヴァル事件欧州司法裁判決を欧州各紙はどのように報道しているでしょうか。

まず何はなくともEUといえば読むべきフィナンシャルタイムズ、

http://www.ft.com/cms/s/0/4f574152-adc1-11dc-9386-0000779fd2ac.html(Swedish labour model at risk after ruling)

>Sweden’s much-vaunted model of industrial relations and collective wage bargaining faces a challenge after a judgment by the European Union’s top court, trade unions warned on Tuesday.

スウェーデンモデルが危ない、と。

>Trade unions in Sweden called on the government to protect the country’s labour model against the ruling.

Sven Otto Littorin, Swedish employment minister, told the Financial Times that the centre-right government – which had supported the unions in the dispute – would now have to amend the law. “I’m a bit surprised and a bit disappointed by the verdict,” he said. “I think things are working well as they are.”

スウェーデンは中道右派政権なんですが、この件では労働組合側の味方で、組合の要請に応えて法改正をするつもりのようですね。

次はガーディアン紙、

http://www.guardian.co.uk/feedarticle?id=7161613(Swedish unions lose cheap-labour case in EU court)

>Swedish trade unions suffered a defeat on Tuesday when the European Union's top court ruled they could not force a Latvian company operating in Sweden to offer locally agreed pay rates.

The ruling was the latest in a politically sensitive tussle over the powers of unions and the freedom to do business in the EU that has followed the accession of several poorer eastern European states since 2004.

中東欧の貧しい諸国がEUに入ってきて、営業の自由と労働組合権の矛盾が再燃した、と。

>LO, Sweden's main union body, called for changes to Swedish law to ensure that workers employed by Swedish companies and foreign companies working in Sweden were bound by the same employment conditions.

求めている法改正の中味は、スウェーデン国内で働くスウェーデン企業の労働者も外国企業の労働者も同じ労働条件に拘束されるというものですね。

次はドーバー海峡を渡ってルモンド紙、

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-33649009@7-60,0.html(Dumping social: les syndicats européens "déçus" par la Cour de justice)

フランス人にとっては、これは何よりも「ソーシャル・ダンピング」問題なのです。

>Paradoxalement, c'est pourtant ce modèle social nordique -alliant flexibilité et sécurité (d'où la contraction "flexicurité")- qui est porté aux nues par Bruxelles, a-t-il souligné.

パラドクシカルにも・・・、そう、フランス人にとっては最近はやりのフレクシキュリティってのも、なんだかいかがわしい経営よりの概念だと思っているのに、そのフレクシキュリティの本家本元の北欧型労使協調モデルをばっさり営業の自由で切り捨てるということは、俺たちフランス流の何でもいいからストで大騒ぎというやり方の出番かな?・・・とまでは云っていませんけど・・・。

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ラヴァル事件欧州司法裁遂に判決

12月18日、欧州司法裁判所は全欧労働関係者の注目を集めていたラヴァル事件で遂に判決を下しました。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/gettext.pl?where=&lang=en&num=79928781C19050341&doc=T&ouvert=T&seance=ARRET

結論は労働組合側に厳しいものとなりました。

>1.      Article 49 EC and Article 3 of Directive 96/71/EC of the European Parliament and of the Council of 16 December 1996 concerning the posting of workers in the framework of the provision of services are to be interpreted as precluding a trade union, in a Member State in which the terms and conditions of employment covering the matters referred to in Article 3(1), first subparagraph, (a) to (g) of that directive are contained in legislative provisions, save for minimum rates of pay, from attempting, by means of collective action in the form of a blockade (‘blockad’) of sites such as that at issue in the main proceedings, to force a provider of services established in another Member State to enter into negotiations with it on the rates of pay for posted workers and to sign a collective agreement the terms of which lay down, as regards some of those matters, more favourable conditions than those resulting from the relevant legislative provisions, while other terms relate to matters not referred to in Article 3 of the directive.

2.      Where there is a prohibition in a Member State against trade unions undertaking collective action with the aim of having a collective agreement between other parties set aside or amended, Articles 49 EC and 50 EC preclude that prohibition from being subject to the condition that such action must relate to terms and conditions of employment to which the national law applies directly.

つまり、EU統合のためのサービス提供の自由が労働組合の実力行使の権利に優先するというわけです。

この問題については、このブログでも何回か取り上げてきましたが、昨年『世界の労働』に書いたものの一節がよくまとまっているので、引用しておきます。これが事案の概要です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/servicedirective.html

>本指令案に関連して現実に大きな問題となっているのは、サービス提供業者が連れてきた自国の労働者について現地の労働協約で定める労働条件を遵守する必要があるのかということである。これはスウェーデンに進出したラトビアの建設業者をめぐって紛争となり、現在欧州司法裁判所に係属している。

 スウェーデンは組合組織率が80%以上と極めて高く、労働条件のかなりの部分が全国レベルの産業別労働協約で決定されており、これが使用者団体傘下の企業を通じて非組合員にも適用され、使用者団体未加盟企業には組合が個別協約の締結によって適用していくというスウェーデン方式をとっている。逆にいうと、国家権力による一般的拘束力制度はないし、さらにそもそも法定最低賃金も存在しない。全ては労使に委ねられているのである。
 ラトビアの建設業者ラヴァル社は2004年6月、スウェーデンのヴァクスホルムの学校修復工事を請け負い、子会社を作ってラトビアの賃金水準でラトビア人労働者を派遣した。スウェーデン建設労働組合は同社に協約締結を申し入れたが、その交渉中同社はラトビアの組合と協約を結び、スウェーデン建設労組の要求を拒否した。同協約は、ラトビア労組組合員以外のラトビア人労働者にも適用され、しかも他の協約締結を排除するものであった。これに対してスウェーデン建設労組は11月、建設現場を封鎖するという行動に出た。スウェーデン電気工組合は12月、同社の全電気施設を封鎖するという同情争議を行った。
 ラヴァル社は同月、スウェーデン労働裁判所に対し、これら争議行為は違法であるとしてその差止めの仮処分と損害賠償を請求した。労働裁判所は同月、仮処分の訴えを退けた。翌2005年1月、他のスウェーデン労働総同盟(LO)傘下の7組合が同情争議に参加した。工事は中断し、ラトビア人労働者は帰国し、子会社は倒産に追い込まれた。
 ラヴァル社の主張はこうである。海外派遣指令は派遣先国の法令又は一般的拘束力を有する労働協約で定める最低賃金をクリアしなければならないと規定しているが、スウェーデンにはいずれも存在しない。ラヴァル社が一般的拘束力を持たない労働協約に拘束されるいわれはないし、その締結を強制される理由もない。スウェーデン労組の行動は、EU条約第12条(国籍による差別)及び第49条(サービス提供の自由)に違反する、と。ラトビア政府も、EUに加盟したのは安い労働力を派遣できるからなのに、とスウェーデン政府及び組合を非難した。一方、スウェーデン政府は、地方自治体が労働協約を締結しない海外企業と公契約を結ぶことを禁止する法案を検討すると述べた。
 スウェーデン労働裁判所は4月、争点がEUの条約と指令の解釈に関わることから、本件を欧州司法裁判所に付託した。現在まだ判決は出されておらず、欧州委員会の意見も出されていない。ところが10月、ストックホルムを訪れたマクリーヴィ委員がラヴァル社の主張を支持する発言をしたと報じられ、騒ぎが大きくなった。ETUCは早速、域内市場の追求よりも労使対話と社会的権利の確立の方が欧州委員会の重要な責務だと同委員を批判し、欧州議会も急遽、マクリーヴィ委員に加えてバローゾ委員長を呼んで公聴会を開催した。バローゾ委員長は慎重な言い回しに終始したが、マクリーヴィ委員は「私はスウェーデンの労使関係や団体交渉制度について疑問を呈しているのではない。私の所管する基本的な権利や自由を擁護するのが私の使命だ。これが加盟国にとってセンシティブな問題だからと言って、私が意見を表明する権利を奪う理由にはならない。」と意見を貫いた。
 この問題はそれ自体はサービス指令案に関わるものではない。そもそも現行の労働者海外派遣指令自体が、建設業以外では原則として派遣先国の法令で定める最低条件をクリアすればよいし、建設業ではそれに加えて一般的拘束力を有する労働協約で定める労働条件をクリアすればよいという仕組みになっていることに原因する問題である。法令でもなければ一般的拘束力ある労働協約でもないようなただの労働協約は、少なくとも部外者にとっては当事者同士の効力しか持たない民間の取り決めに過ぎない。
 結局、これは労働組合の圧倒的な組織率を背景に法律の助けなしに自力で労働市場を規制してきたスウェーデンなどの北欧モデルをどう評価し、EU法の中に組み込んでいくのかということではなかろうか。法律論ではマクリーヴィ委員に一分の理があるとはいえ、そうなるとスウェーデンを国家権力による一般的拘束力制度や法律による最低賃金というより硬直的な制度に追いやることになる。労使対話による労働市場の弾力化という点で、北欧モデルは欧州委員会の推奨品であり、へたに傷つけたくないという気持ちも大きいと思われる。

と、いう事情だったんですが、欧州司法裁は先週のヴァイキング事件判決では玉虫色だったんですが、こちらではかなり明確に労働組合の建設現場封鎖という行為は違法だと断じています。まあ、やり方がやり方ですからね。

法律の議論としては、海外労働者派遣指令は派遣先の国の最低賃金など法定最低基準は遵守しなければならないが、それを超えた労働協約による労働条件を遵守する義務はないとした点が重要でしょう。確かに、法律的にはそれは当事者同士の取り決めに過ぎないのですから、外国からやってきた企業が押しつけられるいわれはないというのがまともな法律家の感覚なのでしょうが、それでは北欧型の国家権力によらないで労使自治でものごとをうまく動かしていくという仕組みがうまく働かなくなるわけで、このパラドックスをどう解決するかというのは、法律家の次元を超えた政治的社会的決断が求められるのではないかと思われます。

で、欧州労連は失望を表明しています。

http://www.etuc.org/a/4401

>The European Trade Union Confederation (ETUC) expressed its disappointment at an unexpected decision by the European Court of Justice (ECJ) and its concern at the implications of the case for the Swedish (and certain other Nordic countries) systems of collective bargaining.

まあ、スト権が基本的権利であり、ソーシャルダンピングと闘うことが公益的性格を有すると認めた点については、積極的に評価するとしながらも、スウェーデンをはじめとする北欧諸国のフレクシキュリティな社会システムに否定的な結論となったことに失望する、と。

欧州社会党のラスムッセン議長も、

http://www.pes.org/content/view/1261/72

>PES President Poul Nyrup Rasmussen today expressed his deep frustration at the ruling of the European Court creating doubts about the right of Swedish trade unions to take action to force a foreign company to observe pay deals reached through collective bargaining.

>“This is not a ruling for a Social Europe, this is a foggy day which could provide cover for bad employers and wage cutters. The message it risks sending to citizens is that Europe is more interested in competition between workers than in raising living standards for all families. ”

ソーシャル・ヨーロッパに霧がかかった、ヨーロッパは生活水準の向上よりも労働者同士の競争を興味があるというのか・・・、となかなか文学的な評言で批判しています。

>“Sweden is a model of cooperation between trade unions and employers, and this is one of the reasons it is among the most competitive economies in the world. I am at a total loss to understand why the European Court would create uncertainty and put the hugely successful Swedish collective bargaining system at risk.”

スウェーデンはその労使協調システムゆえに世界でもっとも競争力のある経済であるのに、なにゆえに欧州司法裁はそれを危うくしようとするのか・・・。

この辺は、いささか文脈は違いますが、日本型の労使協調システムを破壊しようとするネオリベ派の方々の問題と共通するものがあるようにも思われます(細かい話は省略してですよ)。

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